「いのちの水」2016.10 10月号 第668号
神は真実である。あなた方を耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、 |
目次
・苦難と神の国に入ること | ・からだの灯火としての目 |
・大いなる主、限りなく賛美されるべき主ー詩篇48篇10 | |
・アサギマダラの不思議 | ・九州、中国地方での集会予定 |
・ことば |
・休憩室 |
・編集だより |
・集会案内 |
私たちが働くとき、つねに誰かとともに働いている。会社、工場などではそれは明らかである。
あるいは農業などにあっても、多くは家族とともに働く。家族がいなくなり、一人でやっているように見えることもある。しかし、その用いる種や肥料、農機具等々は、誰かが製作したものである。そうしたものを用いて働くことはその制作者とともに働いていることである。
そのように考えるとき、私たちは一人では何もできない。
つねに誰かとともに、誰かの手になるものとともに働くことになる。
福音を伝えることも同様で、単独でなされるように見えても、実はそこに多くの人とともに働いてなされている。
そもそも私たちが使う聖書は江戸時代の末期に命がけで日本に宣教に来たヘボンたちが手がけ、長い年月の末に完成されたものである。
さらに、聖書という書物になるまで、印刷や製本、販売、用紙の生産等々無数の人たちの共同作業があった。
私たちが聖書を読むことは、そうした先人の働きに支えられていることになる。
目に見えないところで、数々の人たちの共同作業が常にあって今日の私たちがある。
さらに、目に見える具体的な支えも必要である。
主イエスご自身がそうであった。12人の弟子を選び、伝道のはじめから最後までともにされた。
そして食事や衣服などの身近な生活のことも、多くの婦人たちが支えていたのは次のような記述で明らかである。
…イエスは福音を宣べ伝えつつ、町や村をめぐって旅を続けた。12人の弟子も一緒だった。
悪霊を追い出して病気をいやしていただいた何人かの婦人たち、すなわち、七つの悪霊を追い出していただいたマグダラの女と呼ばれるマリア、ヘロデの家令クザの妻ヨハナ、それにスサンナ、そのほか多くの婦人たちも一緒であった。彼女たちは、自分の持ち物を出し合って、一行に奉仕していた。(ルカ福音書8の1~3より)
使徒パウロもまた、多くの協力者によって、支えられ助けられて福音を伝えていたのは次のような箇所からもうかがえる。
…私は、他の諸教会から、あなた方に奉仕するための生活費を得た。 マケドニア州から来た兄弟たちが、私の必要を満たしてくれた。(Ⅱコリント11の8~9より)
…テサロニケにいたときにも、あなた方は私の窮乏を救おうとして、何度も物をおくってくれた。(ピリピ書4の16)
また、パウロの最も重要な書簡であるローマの信徒への手紙の最後の部分にも、彼が多くの人たちの支えや協力で福音を伝えることができたことが記されている。
…私たちの姉妹フェペを紹介する。…彼女は、多くの人々の援助者、とくに私の援助者である。
私の協力者となっているプリスカとアクラは、命がけで私の命を守ってくれたこの人たちに、異邦人のすべての集会が感謝している。(ローマ16の1~4より)
そして次のようにも記してともにあるための重要な証しである互いの祈りについて伸べている。
…目を覚まして感謝を込めて、ひたすら祈りなさい。同時に私たちのためにも祈ってください。私は牢につながれていますが、神の奥義を語れるように祈って下さい。(コロサイ信徒への手紙4の2~4より)
このように、福音を伝えるにあたっても、主イエスもパウロも常にさまざまの人たちの協力、支えがあってはじめてなされていたのである。
それは、主イエスの言われたように、主の名によって二人、三人が集まるところには、キリストがおられる。それゆえに、主の名によって協力するときには、そこにおられる主が働いてくださるのである。
こうした使徒たちの状況ー互いに祈り合い、助け合うということは、今日に至るまでずっと続いている。
毎日の日常生活にあって、私たちも小さきながら、神の国のために働くことができる。
祈りは神とともにいるように導く。祈りによって私たちは神がともにいてくださること、祈りによってこの世が悪や汚れに染んでいるのを感じても、なお神の力が働いていることが信じられるようになる。それだけでなく、祈りは私たちが神とともに働いていることを実感させる。
私たちは土の器ー壊れ易く、汚れたものにすぎない。しかし、祈りによって聖霊が少しでもそそがれるとき、その聖霊が働いてくださる。私たちはその器としてともに働くことになる。
水を入れる器がなければ水は汲めず、その水を用いることができないのと同じである。
人々と共に働くことができない病気や老年になったときでも、私たちには祈りによってなお、神とともに働くことができる。
「もし私に謙遜った祈りの心があれば、私は神とともに働きつつある。」(内村鑑三1908年 「「聖書之研究」」)
私たちは、人に認めてもらいたいという強い欲望を持っている。それは他人が何らかの能力、才能を認めるということは、多くの人より優れているのだという自信につながる。
それゆえに、目立つような言葉を言ったり、目立つ服装をするのを好むことが多い。
しかし、キリストは、次のように「隠れたことを見ておられる神」を繰り返し言われている。
…あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋に入りなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。 (マタイ6の8)
… それは、あなたのする施しが隠れているためである。すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いてくださる (マタイ6の4)
…断食をしていることが人に知られないで、隠れた所においでになるあなたの父に知られるためである。すると、隠れた事を見ておられるあなた方の父が報いてくださる。 (マタイ6の6)
神は全能であり、それゆえにすべてを見抜くことができる。神の前にはいかなることも隠すことはできない。そのことを本当に確信しているならば、私たちは隠れたところで悪いことを考えたり、行なったりすることは自然にできなくなる。
しかし、ふつうは、神が全能と信じますと言っていても、心の奥深くでは、神は見ていないと思って、隠れたところでは悪しきことを考えたり、行なったりしてしまうことがある。
隠れたところで、何か悪いことー盗みとか人を苦しめるなどをするーそれはしないという人であっても、心の中で、誰かを憎み、あるいは妬み、無視したり、いなくなったらいいのにと思ったり、嫌ったりすることは、その程度の多少はあってもいくらでもあるだろう。
その逆に、隠れたところで良きことを思うーそれは本来誰にでもできるようになっている。それが祈りである。キリストが言われたように、自分に敵対する人のために祈ることができるなら、それは隠れたところで良きことをすることになる。他者に気付かれないからである。
私たちは、何か良いことは、いつでも誰にでもできるようになっている。
災害時のボランティアなどは、病気の人や体力のない人、休みのとれない人、経済的余裕のない人にはできない。また、苦しむ人を訪ねて共に祈り、励ますということも、訪ねていくだけの時間や健康がなければできない。また、貧しい国々の人たちに物質的援助をすることも、誰にでもできることではない。
そのような中で、真に祈ることができるならば、それはいつでも隠れて良きことをすることにつながる。
この箇所の直前に言われた、「主の祈り」こそは、そうした隠れたよきことをする祈りの最も深く広い内容を持っている祈りである。
神ご自身が隠れた存在である。神は雲の内に現れてモーセやイエスに語りかけたという記述がある。
それは、神は無限の神秘に包まれた存在であり、いかに人間が知的な探求をしようとも、どこまでも隠された存在だということを示している。
そのことは、当然のことである。私たちはいかに科学技術が発達しようとも、またいかに高度な教育を受けようとも、あるいはノーベル賞を受けたような学者であっても、明日自分に何が生じるかすらも、さらに、隣にいる人の心の中さえ見ることはできない。それどころか、自分の内にいかに弱いものがあり、傲慢な気持が巣くっているか、またいかに心が汚れているかー等々もごく一部しかわかっていない。
そのようなきわめて小さな存在ゆえに、無限大の英知を持った神はまったくの神秘な存在だということになる。
そうした限りなき深みから、人間に語りかけるのだーということを雲の中から語りかけたーという表現で指し示している。
この主イエスによる言葉は、善行を隠れてせよ、といった命令だと受け取るとき、あまり心には響いてこない。善行などあまりしたくない、しかも隠れてしても誰も認めてくれないではないかーといった漠然とした気持が生まれたりして、私たちにとっては、あまり良い知らせ(福音)とは感じられない。
しかし、実は、これらの命令の後に、「あなたの父は、報いてくださる」(*)と繰り返し言われている。 報いてくださるー何を報いてくださるのか、と思うであろう。
神は完全な正義のお方であり、目立つようにしてなされること、逆に、隠れてなされること、隠れて思っていること、隠れて祈ること等々すべてを見た上で、適切な報い(*)を与えられる。
(*)「報いてくださる」と訳されている原語は、アポディドーミ (apo-didomi)で、アポは、接頭語で、「引き離す、元へ」といった意味、ディドーミは、「与える」の意。この場合は、「元のものへ与える」「返す」「報いる」といった意味となる。
隠れて良きことをするものは、神がそのことに対して、お返しをされるのだ、ということになる。
どんなお返しをしてくださるのか、それは、さらなる良き心、清い心、愛と真実な心をくださるということである。敵対するような人に対しても、神からの力を受けて、そのような人たちのために祈ることを重ねていくときには、おのずとその祈る相手にも祈る人にも、何か良きことが生じる。
神からのお返しーそのことは、聖書に数多く記されている。その最初の出来事でその後数千年という歳月、世界に多大な影響を及ぼしてきたのがアブラハムに与えられた「お返し」である。
彼は、次のような神からの語りかけを魂の深いところで聞き取った。
…あなたの生まれ故郷、父の家を離れて、私が示す地に行きなさい。(創世記12の1)
そこでその心の深い隠れたところで決断をした。そのような決断は、たしかに、隠れたところでなされた良きこととなった。
彼がその決断をせずに、神の言葉を聞き流して従わなかったら、彼には大いなる祝福は与えられなかった。
そのような良きことに対して、どんな報い(お返し)が与えられることになったのか。
それは、神から祝福され、さらに、地上の人々の祝福の基となることだった。(創世記12の2~3)
神の言葉に聞き入るー魂の深いところ(隠れたところ)で聞く、そしてその聞き取ったことに従うということこそ、地上のあらゆる人々の祝福の源になるという大いなる報いが与えられることになった。
祈りという隠れてなされる良きことが、真実になされるほどーまた主にあってなされるほど、よき実を結ぶ。
主イエスが「私のうちに留まっていなさい。そうすれば私もあなた方の内に留まっている。そして豊かな実を結ぶ。」(ヨハネ15の4、5より)
豊かな実ーそれは主からの平安であり、力であり、また真実や愛であり、心の清さなどなど、そしてその福音が他者に何らかのかたちで伝わっていくこともよき実に含まれる。
そして最終的には、真実な神を信じて歩み続けた人は、復活し、永遠の命という不滅の良きものをその報いとして受けることが約束されている。
キリスト教の真理を伝えるために、使徒パウロたちは、死の危険にさらされつつ、各地を訪ねた。そうした記述の一つに、現在のトルコの南海岸地方から、中央部にかけての状況が記されている。それは、何百キロにわたる長い距離であり、多くは歩いて行ったことであろうが、命がけの苦しみの旅であった。石を打ちつけられて意識不明となって倒れてしまい、人々が郊外までひきずっていって放置しておいたこともあった。
…投獄されたこともずっと多く、鞭打たれたことは比較できないほど多く、死ぬような目に遭ったことも度々だった。
ユダヤ人から四十に一つ足りない鞭を受けたことが五度。
鞭で打たれたことが三度、石を投げつけられたことが一度、難船したことが三度。一昼夜海上に漂ったこと。
しばしば旅をし、川の難、盗賊の難、同胞からの難、異邦人からの難、町での難、荒れ野での難、海上の難、偽の兄弟たちからの難に遭い、苦労し、骨折って、しばしば眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食べずにおり、寒さに凍え、裸でいたこともあった。(Ⅱコリント11の24~27)
使徒パウロは、このような経験を重ねて福音を伝えた。そうしたときに言ったのが、次の言葉である。
…「わたしたちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なくてはならない」(使徒言行録14の22より)
キリストが地上で生きておられたとき、すでに当時のユダヤ人指導者たちから激しい敵意、迫害を受け、最終的には十字架に釘付けられて処刑された。
その後、キリストが復活したのちに、キリストを見捨てて逃げ去り、三度もイエスなど知らないと言ったペテロたちは、復活したキリストそのものである聖霊を受け、新たにされて命がけでキリストを伝えようとした。そのペテロもすぐに捕らわれたり、ヤコブは、ヘロデによって切り殺されたりした。
このように、キリストとキリストに従う者は、いまだローマ帝国の迫害が始まっていない時であっても、迫害を受け、それが後のローマ帝国の迫害と連なる。
主イエスは、在世当時から、「この世では苦難がある。しかし私は世に勝利している」と言われた。
パウロは、すでに見たように、伝道の旅のおりに、生死の境を歩むような苦難を受けてきた。こうした状況を見るとき、「神の国に入るには、大きな苦しみを経なくてはならない」といわれたことが、当時の現実と重なって浮んでくる。
パウロにおいて具体的にしるされているように、当時のような時代にキリストを信じて生きるだけでも迫害を受けるし、その福音を伝えるということは、大きな苦しみを伴うことになるのもしばしばだった。
日本においても、豊臣秀吉のバテレン追放令が1587年に出されてから、明治政府が1873年になってようやくキリシタン禁教令が撤廃されるまで、300年近い間、迫害の時代は続いた。まさに、想像を絶するような拷問という苦難をとおって神の国に入ったキリスト教徒たちが多く存在した。
しかし、「神の国に入るには大きな苦しみを経なければならない」という聖書の言葉は、決してそのような迫害の時代のキリスト者だけにあてはまることではない。迫害がなくなった時代にあっても、私たちは病気や事故、自然災害、あるいは人間の罪とそこからくる不信から引き起こされるさまざまの苦しみ…それらすべてを意味している。
キリストを信じるとき、大きな苦しみも神の国に行くために必要なのである。一般的には苦しみは「運が悪い」と言われる。しかし信仰によって、それは神が備えた道であると知らされる。そのように知らされることは信仰による恵みである。
それぞれの人がそれぞれの悩みや苦しみを経て、信仰を与えられ、今に至っているといえる。
トルストイも、自らが大きな苦しみを経験し、そこから他者にも影響を及ぼしていった。キリスト教の歴史で最初の殉教者ステパノ、ガンジー(*)、キング牧師なども、迫害を受け、最終的に殺されるという苦しみを経て御国に入れられたと信じることができる。 そして、現在にいたるまで大きな影響を与え続けている。
(*)ガンジーは、キリスト者ではなく、インド教(ヒンズー教)徒だと言っているが、彼は、トルストイからその非戦、非暴力の戦いを深く学んだ。そしてトルストイは、福音書にあるキリストの言葉ー悪人に手向かうな、暴力をもってするな、悪人のために祈れ、といった教えに深い影響を受けたことを、彼の宗教論に詳しく記している。ガンジーの最期のとき、その部屋にあったのは、ヨハネによる福音書とバガバッド・ギーターの書だったという。
わたしたちも、どのような苦しみに遭うかわからないが、それはすべて神の道を進むために必要なこととして与えられたことなのだと、信じて受け取っていくことが期待されている。
「神の国に入る」ためには、苦難を経ることが避けられないと言われている。
しかし、他方では、神の国に入るのは、単純なことである、ということも記されている。
…「イエスに触れていただくために、人々は乳飲み子までも連れて来た。弟子たちは、これを見て叱った。しかし、イエスは乳飲み子たちを呼び寄せて言われた。
『子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。』」(ルカ十八・15~17)
弟子たちはこどもをつれてきた人たちを叱った。乳児、幼児は、泣いたり、むづかったり、動き回ったり、あるいは騒がしくしたり…ということもあり、また、こどもなどキリストの話を聞いてもわからないと思ったからである。
しかし、話の内容は理解できなくても、霊的なことは受けることができる。赤ちゃんであっても、祈られて、祝福を受けることが大事である。また、病気が重くなって死が近くなり意識もないようなとき、何もわからない状態であっても、祈りによって聖なる霊は注がれる。
祈りによって、離れたところにいる人でも、主がみ心にかなったときには、よきものを与えられるのと同様である。
神の国は幼子が母親を見つめるように、神に全面的に信頼する心に与えられる。神の真実な御支配があり、愛の御支配があるということを、疑わないで、全面的に信頼していく。人間は罪深く疑い深い。その罪を赦していただく。キリストの十字架を心から仰いで、赦しを信じる。
そうしたことを主イエスはわかりやすく、幼な子のような心が神の国に入るために必要だと言われたのである。それは、乳児、幼児が、まっすぐに母親を見つめ、そこには全面的な信頼の心がある。そのようにまっすぐに神を見つめるまなざし、心を持ってその心によって神を仰ぐ姿勢である。
信仰によって救われるー言い換えると神の国に入れてもらえるということである。そして信仰とは、幼な子のような心をもって神を信じ、神をまっすぐに仰ぐ心である。この世のものに引っ張られる心から転じて、神を見つめる方向転換である。ただそれだけで神の国に入ることが赦される。
十字架の処刑のとき、キリストとともに処刑された一人の重罪人は、最期のときになってキリストの復活を信じ、キリストの愛を信じてあなたが御国へ帰るとき、私を思いだしてください! と全霊をこめて祈り願った。それによってキリストは、「あなたは今日楽園にいる」と言われた。いかなる大罪を犯してきた者でも、ただキリストを信じるだけで、このように救われ、神の国に入れることを示したのであった。
神の国に入ると言うことについて以下のようにも記されている。
「イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」 (ヨハネ三・3)
「『イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。霊から生まれたものは霊である。『あなたがたは新たに生まれねばならない』とあなたに言ったことに、驚いてはならない。 風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。」
(ヨハネ三・5~8) 救いと水との関わりは、次のような箇所にもある。
…イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでもまた渇く。
しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。
わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」(ヨハネ4の13~14)
ここで言われていることは、イエスが与える霊的な水を飲むことで、魂の渇きが癒され、永遠の命が与えられるということである。
こうした言葉の根本は聖霊によって新たに生まれるということの重要性である。人は、神の国に入るには、聖霊によって新しく生まれる必要がある。どんな人も、信仰が与えられるのは、聖霊の風が吹いたからである。わたしたちも、聖霊を受けると、魂が新しくされる。聖霊に導かれて歩む、その課程で苦しみも受ける。そのことによって、いっそう聖霊を真剣に求め、キリストを真剣に見つめるようになる。幼子の心で聖霊によって歩みつつ、与えられる苦しみも神の国にいく一歩一歩なのである。
以上のように、神の国に入るということについて聖書ではさまざまに記されている。じっさい私たちも、信仰を与えられるまでにもいろいろと苦しいことがあるし、信仰を与えられたのちにもそれまで予想しなかった苦しみも生じる。
神の国に入るーそのために神は私たちにさまざまの苦しみや悲しみを与えられる。それによって私たちはそれら一切から救いだす神を仰ぎ見る。そして祈る。そのまなざしこそ、主イエスが「幼な子のような心」と言われたものである。
そのようにして、神への方向転換をする心には、聖霊が与えられる。
この世界の歩みも、大いなる苦しみを通って、新しい天と地とされることが記されている。
…民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に飢饉や地震が起こる。…偽預言者も大勢現れ、人々を惑わす。多くの人の愛が冷える。…
こうした苦難の日々の後、キリストは大いなる力と栄光をもって、天の雲に乗って来るのを見る。(マタイ24章より)
このように、個々の人それぞれにとって苦難を経て神の国に入ると言われているだけでなく、この世界全体もまた大いなる苦しみを経て新たな霊的な世界に導かれるというのである。
こうした複雑きわまりない世界の動向に直面しても、私たちが神の国へと導かれる道は、永遠の昔から完備されている。
そしてその道を歩んでいくためには、武力も特別な才能、経験も家柄も必要でなく、ただ幼な子のようにキリストを信じて仰ぎ見るということで足りる。
これから、どのような状況が私たち一人一人に、さらにこの世界に待ち受けているのかはわからない。しかし、いかなる状況になろうとも、この永遠の平和そのものである神の国への道は変わらず存在しつづけている。
目は心の鏡という言葉がある。これは、目はその人の心の状態を映し出しているという意味で用いられている。
たしかに、手足や耳、頬、背中等々、人間の体のどの部分を見つめても、その人の心など映し出していることはまずない。しかし、目だけは、その人間の見えない部分をも表している。目を見ると、好意をもっているか、悪意や無関心であるかも映し出していることがしばしばある。
そして、犬やネコなどの動物さえ、人間の目をまず見ようとする。自分を攻撃してくる目、あるいは何もしない目なのかを目によって判断しようとしている。
こうした意味でたしかに、目は心のいろいろなものを映し出す鏡のようなものである。
しかし、聖書のこの箇所で言われているのは、「体のともしびは目である」ということである。ーこのような表現はほかにない。聖書では体というのも、霊のからだを意味してもちいられるし、歩く、走るなども霊的に用いられることがある。目も耳も同様である。
目は、魂に光が入るための窓の役割をしている。 その目が濁っていたら、神の光を受けることができないために、全身が暗くなる。霊の目が澄んでいると、そこから神の光を受け取るので、魂に光がやどり、万事がはっきりと見えるようになる。
キリストは、「私は命の光」と言われた。聖霊はすべてを教えるとも言われた。キリストを内に宿す、言い換えると聖霊を受けるときには、私たちの霊の目はこの世の目とは違ったものが見えるようになる。
そこから、花を見ても、人間を見ても、外見でなく、その魂を見る。そのような目になる。それは聖霊に助けられて見る、命の光であるキリストの光で照らしてものの本質を見るからである。
外見は醜くとも、内なる心はまったく別である。逆に外見は高価な美しい衣服をまとっていても、魂の美とは関係がない。
貧しい国の人たちは、そのような高価な衣服などそもそも買うこともできない。だが、裸同然のような身なりであっても、その心は汚されていないことが多く、それゆえにその目は澄んでいる。単純である。
目が澄んでいたら全身が明るいと言われた。澄んでいると訳された原語は、「単純な」(*)というのが原意である。ハプルース haplous であり、単純 simple という意味である。
(*)英語のsimple とは一見まったく別のように見えるが、語源辞書を調べると、これが同語源であることがわかる。haがsiと音がsに変化する。なおこのような例は、ほかには、例えば、塩はギリシャ語では、halas であるが、英語の salt と同じ語源であることがわかっている。
ここで言われている澄んだ目とは、神を見つめる単純な(single)目、ひとえに神を見つめるまなざしを指していう。
そのように見つめるとき、神は光を豊かに注いでくださるし、その光は魂の深みにまで入ってくる。それゆえに、その人のからだー体も精神も含めた総体としてのからだ(*)が明るくなる。
(*)からだを意味する原語(ギリシャ語)には、ソーマとサルクスがある。ソーマは、一般的に言って精神も含めた体全体を意味するのに対してサルクスは、肉体を意味する。この箇所では、ソーマである。
キリスト者の集り(集会、教会と訳される)は、キリストのからだ である、というときこの原語は、ソーマであり、子たちは血と肉を備えているーという箇所では、肉とはサルクス。
このように霊的な目は心に光を入れる窓なのである。
そして豊かに神の光を心の窓から取り入れた人は、その受けた光をいわば灯火(現代でいえば、懐中電灯)として用いることがてきる。
霊的な目は、このように、光を受け入れ、さらに、そこに内なる光を外に向って照らしだす窓ともなる。 それゆえに、そのような目はからだにとっての灯火(現代での懐中電灯)の役割をもすることになる。
神の言葉が内にあると、それを灯(ライト)として使う。それで照らすとさまざまのものの本質が見えてくる。敵対するもののために祈れ、信・望・愛は永遠に続くーそうしたみ言葉によって一般にいわれる愛は愛でなく、愛の影にすぎないということを見抜くことができる。
また、人間を信じることがいかにはかないか、力を与えないかも見抜く。神を信じ、神への真実をもって拝することの重要性が、神の言葉によって知らされる。
キリストが命の光、み言葉も光、聖霊も光。それらを私たちは暗夜に照らす懐中電灯のようにしてこの世の事物を見分けることができる。
それによってわなをも見つけることができる。オリンピックのような大きなスポーツ大会においては、しばしば開催前から、多額の金が動いていることなども見抜き、それらに私たちが心を傾けるべきでないことも知らされる。
また、死んだら終わりでなく、み言葉の光、また聖霊の光によって照らすとき、死の前途には、闇でなく、神の国が照らしだされてくる。
この内なる光の照度を強くするにはどうすべきか。それは、光のエネルギーをより多く受けることである。そのために祈りがある。祈りは、充電である。充電なくしては目のはたらきは必然的に弱まる。 命の光のエネルギーを受けることによって、私たちの目の霊的な視力はつよめられる。
私たちの目は清いもの、美しいもの、また真実なものを見ようとする。
しかし、目が濁ってくると悪しきものを見ようとする。
そのために、私たちは日々の祈り、み言葉、そして礼拝、集会などを重んじている。
私たちはどんな目で、何を見ようとするのか、それが日々の重要なことである。
神はすべて目である。エゼキエル書1章18節以降や黙示録4章などにもそのことが暗示されている。
主イエスは、「野の花を見よ!」と言われた。神の光によってうるおされた魂は、その光をもって野の花を見ることができる。そしてそのような日常的なもののなかに、神の大いなる御手のわざを読みとることができる。
旧約聖書の詩篇とは、いろいろな古代民族が持っている詩集の一つである。(*)それらの古代民族の詩集と比べて、聖書に収録された詩集と決定的に異なる特質がある。
(*)中国では、「詩経国風」(BC10世紀~)、ギリシャでは、ホメロスの「イリアス」、「オデッセイア」(BC8世紀頃)、ローマではヴェルギリウスの「アエネイス」(BC1世紀頃)、インドでは、「バガバッド・ギーター」(BC5~2世紀)、日本では時代はずっと新しくなるが、「万葉集」(AD8世紀頃)など。
それは、聖書の詩集(詩篇)だけが、現在も全世界で読まれ続け、しかもその詩から派生した数々の賛美が讃美歌、聖歌として、世界で歌われているということである。そしてその詩編に関する注解書も膨大なものがある。
そのように現代でも世界中で愛読され、またその詩篇のなかの一部が讃美歌として歌われている旧約聖書の詩篇であっても、今から2500~3000年も前に書かれたものなので、距離も時間も離れている現代の私たちに分かりにくいのは当然である。
例えば、この詩篇48篇においても、「シオンの山」、「城郭」などと言われても、現代の私たちとは関係あるとは思えず、そのような詩は深く考えつつ読むことなく、表面の文字だけ追って読んだという気持ちになることも多い。
そうした一見関係のないと思われる表現の、その奥に流れている真理は何か、現代の私たちとかかわるようなことがあるのか、と言うことを少しでも汲み取りたいと思う。
…大いなる主、限りなく賛美される主。
わたしたちの神の都にある聖なる山は
高く美しく、全地の喜び。
北の果ての山、それはシオンの山、力ある王の都。
その城郭に、砦の塔に、神は御自らを示される。(1~4節)
この詩においてまず、神はいかなる御方であるのかが言われている。
それは単純なひと言ー大いなる主ということである。(*)
原文でも、まず、大いなる、偉大という言葉から始まる。
(*)英語でも、 Great is the LORD となっているのがほとんどで、 How great is the LORD. と訳しているのもある。
この作者は、いかなる意味でこの詩の作者は、神の偉大さを深く感じているのだろうか。
それは、その広さ、深さ、英知、私たちの周囲の一切ー山も海やあらゆる天地の現象、動植物等々、万物創造をなさる力、時間にも朽ちない永遠性、さらに、人間の心の世界の奥深くを見つめ、愛し、滅びかかっている者をも引き上げてくださる、さらに死後も復活させ、この人間世界の歴史、否宇宙の歴史をも導かれる 等々ーどれをとっても、たとえようもない偉大さである。
それはまさに無限の大きさであり、それに比べると人間の偉大などは無に等しくなる。無限大の前には、いかなる有限も厳密にゼロとなる。
しかし、そのような神を知らないときには、人間を比べて例えば、わずか0・1秒速く走ったり、泳いだりすることで金メダルだといってほめたたえることになる。
しかし、たった一枚の木の葉、あるいは路傍の野草の葉やその小さき花を観察するだけで、その精妙な造り、葉の形や葉脈、色合い、光沢、鋸歯や細毛などの有無等々、無限の多様性、そして沈黙のうちにそれら細胞内に生じている複雑多様な化学反応等々ー人間の科学技術などは到底及ばないのがすぐにわかる。わずか千分の一ミリといった微少の細菌のなかでもそのような複雑な化学物質が驚くべき多様な合成、分解などの化学反応を絶えず行なっているのである。
また、神殿の一番奥に、もっとも基本的、かつ重要な戒め(十戒)を書いた石の板を置いていたが、神のお心(ご意志)を書いたものが聖書であるので、聖書もまた、高く美しく全地の喜びである。聖書ほど霊的に高い世界を描いているのはどこにもない。
美しさという面でも、さまざまな美しさがあるが、歴史の中においても、芸術のいろいろな分野ー美術、音楽あるいは建築などの美もキリスト教から生まれてきたものが実に多い。だからそこには究極的な美がある。
そのことが霊的に深くわかるとき、おのずから湧き出るのが、その神をたたえる心であり、賛美である。
人間が偉大だ、と思う心には、神への賛美は湧いてこない。だが、日本の教育においては全く宇宙万物を創造した神や永遠に変わらない愛の神、などということは教えられない。
単に偶然だということが当たり前のようになっている。
そして金メダルを獲得したとか、ノーベル賞学者、宇宙飛行士などを偉大だ、などという。しかし、そのような人間も、交通事故や、小さな鉄の破片といえる弾丸などでも一瞬に死ぬし、自分自身の心を清めることもできないし、他人の心の自分中心という本質を変えることもできない。
明日のことも何が起こるか、何十年も政治学や経済学をやった者でも全くこたえられないという無力な存在である。
そのような小さな弱い存在である人間と比べて神はあらゆる点で無限に超えた壮大さを持っている。そのことが少しでもわかってくるとき、人間でなく人間も含めたすべてを創造された存在ー神への賛美が生まれる。
この詩の冒頭は、神のさまざまの意味における偉大さ、とくに神の民を導き、救い、力を与えることに焦点をあてて神を賛美している。そしてそのように神を受け止め、賛美することが人間の究極的なあり方なのだと言おうとしているのである。
この詩の著者の心にあるのは、シオンの山である。短い詩の中にシオンという言葉が三回も出てきて、象徴的な意味を持っている。シオンは聖なる所で、神がおられる所と信じられるようになった。シオンの山にある城郭にしても、塔にしても神の力がそこに現れている。
現在の私たちにはシオンは直接には関係ないが、私たちにとってのシオンはある。それは、毎週集まる信徒たちの集りである。また、数人が心合わせて祈るときのそのときである。さらに、私たちの心の奥深くに住んでくださっている聖霊、キリストのゆえに私たち自身がそのシオンでもあると言えよう。
パウロは、信じる人そのものが神の宮であり、信徒の集りもまた同様であると繰り返し伸べている。
…神の神殿は聖なるものだ。あなたがたはその神殿なのである。
…あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではない。(Ⅰコリント3の17、6の19など)
この当時の人たちが感じたことと、私たちに該当することは、神がおられるところは本当に素晴らしく、高く美しく全地の喜びとなるということである。
私たちにとっては、二人、三人集まるところには神がおられる。だから私たちの集まりも霊的に高められることができる。
ローマ帝国の迫害の時代は特にそうで、地下に掘られたカタコームと言われる日の光も当たらないところで集っていたような人達がいた。
また昔の結核病棟で、神を信じる人達の中から、「祈の友」が生まれた。それが戦前から続いてきたが、そこにも何らかの高さや美しさ、喜びがあったから伝わっていったと言える。
このような集まりは、霊的に見ると高く美しく、そして喜びにも繋がっていく。人間の単なる集まりはそうはいかない。神のいるところは高く美しくなる。人間関係でも、間に神がいてくだされば、高く美しい関係になるし、そういう人間関係を見て周りの人にも喜びとなる。
このように一見私たちには関係なさそうだけれでも、シオンの山ー現代の私たちにとっては、主の名によって人々が集められたところ、神のいるところには、高く美しく、喜びがあるーこのような性質を持ちうる。私が初めて京都の集会に行ったときも、そこにはある種の高さがあった。人間の議論は学生運動の当時は散々やった。しかし、そのような攻撃や議論の応酬、さらには憎み合うような場には、高さも美もなかった。
そうしたキリスト教の集会に集う人たちそれぞれは、もちろんさまざまの弱点、罪もある。それにもかかわらず、主イエスが言われたように、二人三人主の名によって集まるところには、キリストがおられ、そのキリストゆえにその集りの霊的雰囲気が高められ、霊的な美しさを感じさせるようになる。
…見よ、王たちは時を定め、共に進んで来た。
彼らは見て、ひるみ、恐怖に陥って逃げ去った。
そのとき彼らを捕えたおののきは
産みの苦しみをする女のもだえ
東風に砕かれるタルシシュの船。(5~8)
このような箇所もそのままでは、現代の私たちにはまったく関係がないと思われるであろう。
この5節から内容が大きく変わっている。シオンを取り巻く現実世界を言っている。これだけ高く美しいシオンの山に、この世の目に見えない悪の力が襲いかかろうとする状況を示している。
けれでも、シオンの山にみなぎる神の力に接して、逃げ去っていった。この世の力はこのように絶えず責めてくるけれども、しっかりと神の力を与えられているなら、悪の力は逃げ去っていく。
これは主イエスが弟子たちを派遣するときに、悪霊を追い出す権利を与えられたという所がある。
この詩においては、神の力と悪の力との対決のとき、悪の力にとらわれた者たちが動揺するさまが、特異なたとえで言われている。その表現が特別で、まるっきり違うものを二つ並べている。
攻撃を加えようとしてくる王たちに、激しい動揺を与えるのが、シオンの山にみなぎる神の力だということを、8節の独特の表現を用いて言っている。
襲いかかろうとする彼らのうちに生じた霊的な恐怖というものが、大風に揺られる大型商船ー地中海ののようだというのがこの詩の作者にありありと示された描写なのである。
ここで言われていることは、やはり私たちにとっても大切なことなのである。すなわち、王たちの進軍とは、新約聖書の世界においては、神を信じる者たちへの攻撃である。王たちが万全の体制をもって攻撃せんと進めてきても、彼らは、突然恐怖に襲われ、産みの苦しみのような苦痛を感じつつ退いていく。それはまた、地中海の果て遠くへと進んでいく大きな船が大風で破壊されるほどの打撃を受ける。
これは、もし私たちが神へのまなざしをしっかりと保ち、神の言葉を魂の中心に持ち、ともに祈り祈られるような人々のつながりをもったエクレシアならば、そこにサタンが近づいてきても、入っていけないということを暗示している。
これは主イエスが、伝道のはじめに、サタンの試練に遭遇したとき、旧約聖書にすでに記されていた神の言葉をもちだしてサタンを退けたのと同様である。
… 聞いていたことをそのまま、わたしたちは見た
万軍の主の都、わたしたちの神の都で。神はこの都をとこしえに固く立てられる。
神よ、神殿にあってわたしたちは
あなたの慈しみを思い描く。
神よ、賛美は御名と共に地の果てに及ぶ。
右の御手には正しさが溢れている。
あなたのさばきのゆえに、シオンの山は喜び歌い
乙女らは喜び踊る。
後の代に語り伝えよ
この神は世々限りなくわたしたちの神
死を越えて、わたしたちを導いて行かれる、と。(9~15節)
このようにまず、神を讃美し、そのあとに現実の悪の攻撃を浮かび上がらせ、さらにその中で神の力が本当に働くことを知らされたゆえに、9節からそれに対する讃美をうたっている。
神がおるところは永遠に固く建てられる。私たちも神に繋がっていれば、何が起こっても揺さぶられ、沈没することはない。神に対する讃美は地の果てにも及ぶ。
神のすばらしさを啓示された人たちは、今日まで全世界に広がってきた。
このような意味で、この詩は預言的でもある。このように悪に対する勝利を確信するとき、讃美は絶えない。その大いなる喜びと感謝のゆえに、自然に体が動くー踊りだすほどである。
そして再び現実に戻る。先ほどの地の果てと対応するように、今度はどんなことがあっても導いて行かれる神を、後の代にもずっと語り継げようといっている。空間と時間を超えて、神のすばらしさは広がっていく。
このように、この詩は、神の力とこの世の力とを対比しつつ、サタンを退かせる神の力の絶大な力を啓示された魂の賛美の歌なのである。
断食ということは、現代の私たちの大多数にとっては縁のないものとなっている。
断食どころか、さまざまの多様な食物があふれ、健康に不要なあるいは有害なものもおびただしい量が生産され消費されているからである。
また、断食などということは、ごく一部の宗教者のやることで、キリスト者でもまず関係のないことだと何となく思っている場合が多いであろう。
しかし、断食の精神とは何か、それはだれにでも本来身近なものである。
私たちがごく普通としている楽しみ、娯楽を祈りのために一時的に、あるいは部分的に断つことが断食の精神に通じる。
お酒やたばこをやめることも、さらに、健康なからだで神様のかかわるはたらきに少しでも関わりたいとねがって、飲食に注意すること、さらに日曜日に礼拝に参加することも、一種の断食になる。
ほかの娯楽のために出かけるとか、ゆっくり寝ていたりのんびり過ごす、などなどを断って、神の国のためー日曜日の礼拝に参加することや祈り、あるいは信仰を支えるような書物に時間とエネルギーを用いて参加することが、断食の精神に沿ったことなのである。
しかし、単にそうした飲食や娯楽を絶つーというだけで何もよいことがないなら、だれもそんなことはやらないだろう。
本当の断食の精神には必ず何らかのよきものが与えられるから、そうした断食の精神は二千年を越えて続いてきた。 その良き報いとは、神からの霊のパン、いのちの水をいただくことである。目に見える多様な飲食物を一部を断ったり制限するかわりに、霊の飲食物ーいのちのパン、いのちの水 、御国からの清い風、香りとその程度はいろいろと差があるが、受けることができる。
大多数の人々は、信仰のため、祈りのための断食はしたことはないであろう。
しかし、やむを得ず食を断たざるを得ないという人たちとなると、非常に多い。それは、食料不足ということで、飢えている人たちである。世界では、8億人というおびただしい人々が食べたくとも食物がないために、食を断つという状況にある人たち、さらに病気などで食物はあるが、食べられないーという人たちも多い。
このように、さまざまの状況において、食を断つ状況にある人たちとは別に、食物は十分にあるが、それでも、食事という本能的な欲求を断つまでに真剣な祈りもある。
聖書ではどのように記されているか。
…彼らが主を礼拝し、断食していると、聖霊が告げた。
『さあ、バルナバとサウロをわたしのために選び出しなさい。わたしが前もって二人に決めておいた仕事に当たらせるために。』そこで、彼らは断食して祈り、二人の上に手を置いて出発させた。」(使徒言行録十三・2~3)
弟子たちは、礼拝のときに、断食をして祈りに集中していた。そのとき聖霊が語りかけた。その内容は、パウロとバルナバを異邦伝道に送り出すことだった。
それがとても重要であったゆえに、食事を断って祈りに集中した。人間の意図や願望、あるいはねたみや競争心といったものが入り込むことのないよう、皆が心を一つにして神の力が注がれるようにと祈り続けてパウロを送り出した。
これは、燃えるような信仰があったから可能であった。聖書は人間が神に導かれてどのようなことへと導かれるか、その究極的な姿が書かれている。
また、主イエスご自身が断食されたことも記されている。
「そして四十日間、昼も夜も断食した後、空腹を覚えられた。」(マタイ四・2)
イエスはどうして、長期にわたる厳しい断食をされたのか。福音伝道の初めにあたって、サタンからの霊的な攻撃を受けた。それに対峙するために長時間にわたる深い祈りによって備えたのであった。
イエスの試練の中でも特に厳しい、サタンによる誘惑であった。祈りなくしては耐えられない。しかし、祈りがあればサタンに勝つことができる。この祈りによってサタンとの戦いにおいて神のことばによって勝利できた。
わたしたちも、どのような苦しみに遭うかわからない。しかし、祈りによって神の力を受けることが出来る。
食事は生きる上で日常的に必要なことである。断食の祈りは、それをおいて、祈りに集中し、それによって 霊的な食物をいただくことに集中することである。
断食というとごく一部の人がやる特別なことで、自分にとっては関係がないーそう思う人が多数であろう。しかし、断食の精神そのものは、私たちの日常生活と深くかかわっている。
それは、自分にとって大事なもの、あるいは娯楽、遊びといったごく当たり前のように受けているものをあえて取らず(断って)、そのような娯楽などに時間やエネルギー、またお金などを費やすかわりに、神様に捧げるということである。
日曜日に礼拝することも、日曜日にのんびりして遅くおきて、テレビを見たり、娯楽のために出かけていく…等々それらを断って、日曜日の時間を礼拝のために神様に捧げる。このようなことが断食の精神にかなうことであり、一種の断食といえる。
そのように娯楽などを断ってしまうと楽しみがなくなる、とたいていの場合は思われる。しかし、そうしたときに、この世の楽しみではない霊の食べ物を受けることができる。それなくしては、生きることができないという命を与えるパン(マタイ福音書4の4)を受けることができるので、二千年も昔から、そうした精神的な断食をしてきた人は数知れない。
古代ローマでのキリスト者たちは、遠いところに夜明け前に歩いて集まっていた。そのとき、明けの明星が見える時には、電灯など人工的な照明がまったく存在しなかった時代であったゆえに、夜明け前の闇のなかに、明けの明星は際だって輝き、主イエスが闇の中に来られることをまざまざと浮かびあがらせる光景であった。
そうした強い霊的印象があったゆえに、黙示録などに明けの明星のことがキリストの再臨と結びつけられて記されている。
また、迫害され、とらえられ、家族も生活も破壊され、命までも奪われる状況になってもなお、通常の平和な家族や家庭の生活をあえて捨てて、神に従っていった人たちーそのような人たちは、人生全体を断食とし、そのかわりに、大いなる天の賜物を受けていたのであった。それゆえに、そのような厳しい霊的断食にも耐えていくことができたのだと言える。
古代ローマの地下にあった、広大な空間ー地下墓所(カタコンベ)にて礼拝していた人たちも多かった。それは、ある意味でこの世の楽しみを捨てた人生全体の断食であった。
わたしたちも日常の生活の中で、朝起きてまずテレビや新聞、あるいは食事をするのでなく、その前に祈り、御言葉に触れる。それも小さき断食といえるのである。
イザヤ書にはこの断食の精神が示されている。
「わたしの選ぶ断食とはこれではないか。悪による束縛を断ち、軛の結び目をほどいて虐げられた人を解放し、軛をことごとく折ること。
更に、飢えた人にあなたのパンを裂き与え、さまよう貧しい人を家に招き入れ、裸の人に会えば衣を着せかけ、同胞に助けを惜しまないこと。
そうすれば、あなたの光は曙のように射し出で、あなたの傷は速やかにいやされる。
あなたの正義があなたを先導し、主の栄光があなたのしんがりを守る。」(イザヤ58の6~8)
裸の人に服をあげたら自分もなくなるかもしれない。そのようなことはできないだろう。
しかし、少しでも与えること。少しなりとも自分の時間とエネルギーを割くことーそれはできる。自分がどれだけ楽しいかということを置いて、他者のためにすること、それが断食の精神である。
他者のために名前を思い出して少しの時間でも祈る、それも小さきながらも断食の精神にかなったことと言えるのである。神様から力をいただいて、少しでもこのような神様に喜ばれる「断食」ができるものでありたい。
先日、徳島市から80キロほど南にある高知県境に近い家庭での集会からの帰途、道の駅で、鉢植えのフジバカマの花が咲いているのが見つかり、幾つか購入して、夜になって帰宅したので、自宅の側に置いていた。
すると、翌早朝、まだ十分夜が明けていないのに、数匹のアサギマダラが、飛来していていたを見て驚かされた。
それからしばらく経って、さらに幾つかが来ていて、数時間後には、5匹ものアサギマダラが、わずか一株のフジバカマの花に、群がって一心に蜜を吸っているのだった。
わが家は、山道を少し登ったところにあるが、毎日歩いていても今年は一度も出合ったことのないこの有名な蝶が、何匹もわずか一晩で、なぜこの一株の花に群がってきたのか。とても不思議だった。
そして、朝からずっと夕方になって薄暗くなるまで、時折周囲をひらひらと飛びつつも、またその花に舞い戻り、一日中、花の蜜を吸い続けていた。 さらに、その翌日も同様であった。 フジバカマの咲いている庭などごく少なく、またアサギマダラが好きなヒヨドリバナも10㎞ほど離れた山にしかなく、ヨツバヒヨドリは高山にしかない。ツワブキもまだ咲いていない。その上、9月から天候不順で、雨が多く、台風の影響が全国的にあり、この蝶も長く、この大好きな花の蜜を吸うことができなかったと見える。
以前から、11月になって、家の周囲に多く自生しているツワブキの黄色い花が咲くころには毎年このアサギマダラが飛来してくることはあった。
それで、このフジバカマを置いておくと来るかも知れないと思って購入したのであったが、一晩の後に5匹もが来るとは予想しなかった。
いかにして、この山中のわずかのフジバカマの花に飛来できたのか、それはこの花から出る極微量の匂い、化学物質によって遠くを飛んでいたアサギマダラがそれを嗅ぎつけてきたのだと推測された。
それにしても、広大な空間をしかも風によって攪乱されるから、一株のフジバカマから出される化学物質など、科学的測定などではは到底検出できないほどの極微量であるはず。
その能力は、驚嘆すべきものがある。
何十年か前、昆虫の蛾の仲間が、きわめて微量の化学物質を放出して、それが数キロ離れている雄を惹きつけることを知って驚かされたことがある。
私の家が山にあったこともあり、子供のときからさまざまの昆虫採集を手がけ、その生態には常に関心をもっていて、そのときすでにアサギマダラの美しい姿に見せられていた。
そして、昆虫類ー特に稀にしか存在しない蝶などが、いかにして雄雌が出合って繁殖が可能となるのか、と子供のときから疑問に思っていたことが、解けたからである。
この性フェロモンという物質については、近年になって特にカイコ蛾で詳しく研究されている。
そのような雌雄の繁殖にかかわることだけでなく、今回さらに、花の出す香り成分が、おそらく数キロも離れていて飛来していたアサギマダラが嗅ぎつけてやってきたことには、その神秘な能力のさらなる広がりを知らされて、まさに神のわざとしか思えない。
人間ならば、フジバカマの花の香りなど、花に顔を近づけてもほとんどわからない。バラの香りなども、一株くらいなら数メートルどころか、数十センチ離れるともう匂いを感じないほどである。
アサギマダラは、アメリカ大陸では、数千㎞をもわたっていく蝶として有名であり、日本でも、二千キロを越えて飛来していることが、羽にマーキングした上で飛ばせて実証されている。
わが家のある徳島県小松島市の日峰山頂からも、2004年の10月に、そうした実験をある団体が試みたところ、直線距離で、770キロも離れた九州の鬼界島で約2週間後に発見されたことが報道された。
私もかつて伊吹山でそのマーキングされた羽を持つアサギマダラを見つけたことがあった。
剣山の1700メートルほどの標高付近でフジバカマと同じ仲間のヒヨドリバナの群生しているところに、アサギマダラが数多く飛来して蜜を吸っているのにも出合ったことがある。
この蝶は色彩とその模様が美しく、ひらひらと優雅に飛ぶ。
しかし、平地での菜の花や園芸用の数々の花にはほとんど来ない。わが家での以前からの観察では、植栽したフジバカマ、野生のツワブキの花、そしてヨメナにも少しとまって蜜を吸っていたのは見たことがある。
近くを飛び回るときでも、強い風が吹くと、たちまち吹かれてしまうような蝶である。
それがいかにして、千キロ以上も海をも越えて飛来できるのか。そうした特別な観察がかつてNHKの科学番組で放映されたことがあった。
人間やほかの動物には不可能と言える、極微量を何キロも遠くから嗅ぎつけて飛来してくるその反応力、そして風に内たたかれてしばしば多くが海にたたきつけられて命を落としながらも、到底あり得ないと思うような長距離を海を越え、山を越えて飛来していくアサギマダラ。弱いところに、このような信じがたいような神秘な力と強靱な力を与えられている。
そのような力を与える神の力の無限を思わされる。
しかも、このような不思議な能力は、何もアサギマダラにかぎらない。ほかのさまざまの昆虫たちにも、驚くべき能力が授けられている。
そして、人間にも、そのような能力はさまざまに与えられている。
そうしたことの一つは、想像力であり、神の霊による洞察や力である。
光が250万年もかかって到達するはるかかなたのアンドロメダ星雲にも、人間は、一瞬にして想像の翼によって思いを寄せることもできる。
さらに、聖霊を豊かに与えられるときには、預言者イザヤや殉教者ステパノのように、万物の創造主である神すらも見ることができるほどになるのが、記されている。
人間にはアサギマダラのようなじっさいに空中を飛ぶ羽も力もない。またとてつもなく微量物質を嗅ぎつける嗅覚もない。
しかし、霊のつばさというべきものが与えられ、天の国へと飛び立つことが与えられる。
生きているときからすでにいくばくかは与えられ、死後は完全な霊的なつばさが与えられる。
そして、いかなる鋭敏な微量測定機器も嗅ぎつけられないキリストの香り、神の国から吹いてくる香りを感じる感覚が与えられている。
今年の11月も、例年と同様に、九州、中国地方の一部で、私(吉村孝雄)が、聖書からのメッセージをさせていただく集会の予定を書いておきます。
「いのちの水」誌やインターネットでこのような予定を見て参加される場合もありますので、掲載しておきます。
(398)この世で最も良いもの、人生の幸いにぜひとも必要なものは、神とともにあることーそれだけである。(ヒルティ「眠られぬ夜のために下7月4日」)
〇リオデジャネイロのキリスト像のことなど
オリンピックでとくに有名になったこの都市名は、現地の言語ポルトガル語では、リオは川、デは、冠詞、ジャネイロは、英語のジャヌアリ(1月)である。Rio de Janeiro となり、それは、英語では、River of January という意味。発音はかなり異なっているが、英語と共通する部分があるので意味が類推できる。
1502年の1月にポルトガル人によって発見されたが、湾であるのに川と間違って、1月の川 という意味に名付けられた。この都市は人口が600万人にも及ぶ大都市。
そして、リオ・デ・ジャネイロの玄関口という位置にある標高700メートルほどの山の頂上には、巨大な像があって、オリンピックのニュース番組の始まりのときに、しばしばこの像が写っていた。
これは、両手を左右に広げたキリスト像で、高さは、40メートルほどもある。 これは10階建てのビルと同様な高さである。
両手を広げた姿は、十字架を表している。
この像の名前は、原語のポルトガル語では、Cristo Redentor (Christ Redeemer あがない主キリスト)
この名前、そしてその姿は、私たちの罪をあがない、救ってくださったキリストを表した像である。
これは、1922年から10年近くもかけて造られ、人口の80%以上がキリスト者であればこそ、このように相当なエネルギーを注いで建てられたのがわかる。
ブラジル最大の都市は、サン・パウロ。人口は千百万人を越えて、南アメリカ、さらに南半球最大の都市。
これは「聖パウロ」を意味している。パウロは、キリスト教の歴史で、キリスト以外では、最も影響の大きい人物である。
ブラジルというと多くの日本人にとっては、移民が百年ほど前から大量に行なわれてきた国ということや、コーヒーの最大生産国ということが思いだされる。
しかし、最大都市とそれに次ぐ大都市がいずれもキリスト教と深い関係があるものが、前面に出されていることに驚かされる。
そのうちの一つにキリストの巨大な像が玄関口というべきところにあることや、最大の都市となった地名にキリスト教の最も重要な使徒の名が付けられていたなどということは、一般の日本人にはあまり知られていなかったのではないかと思われる。
キリストとパウローキリスト教信仰はこの二人の人物が圧倒的な影響を持ってきた。パウロの影響力は、いうまでもなく、キリストからきている。キリストの霊を最も豊かに受けたゆえにその影響は全世界に及んで現在も毎日彼が受けた啓示によって導かれ、生かされている。
サンパウロだけでなく、中南米には、キリスト教に関わる地名が詳しい外国の地図でみると驚くほど多い。
ほんの一例をあげると、エル・サルバドルという国の名は、「救い主」を意味し、キリストそのものを指している。El はスペイン語の男性単数冠詞。英語で言えば、 The Savior
そしてこの国の首都が、サンサルバドル でこれは、「聖救い主」という意味でやはりキリストを指す。
そしてチリの首都サンチャゴは、聖ヤコブのことである。
ヤコブは、12使徒最初の殉教者であった。そのヤコブの遺骸に関する伝説が現在のチリの首都となっている地と結びついて、サント(聖)イヤーゴ(ヤコブ)ーすなわちサンチャゴとなった。
このように、ヨーロッパ人が中南米各地に到来して付けた島や土地の名前にキリスト教関係の名前をしばしば付けた。
人の名前にも、クリスチャンネームとしてキリスト教に関わる名前を付けてきた。
これらは、キリストの強い目に見えない惹きつける力を象徴的に表している。
現代の私たちも、新約聖書の次の言葉ー
…万物は言(人間として生まれる前のキリスト)によって成った。成ったもので言によらずに成ったものは何一つなかった。
(ヨハネ1の2~3、これと同様な言葉は、ヘブル書、コロサイ書のそれぞれ1章にも見られる)
要するに、万物はキリストによって生まれたとされている。
それゆえに、新しい土地に行っても、いろいろな事物を見ても、また子供の名前を付けるにおいても、キリストと関連のある名前を付ける。
キリストのことをいつも念頭におくーこの姿勢は、現在の私たちにおいても最も大切なことになる。キリストのこととは、その真実、完全な愛、正義、清いこと…等々である。
敵対する人をも愛する、その人がよくなるようにと祈るーそのような心はいつもキリストのことを思っていないと生まれない。
〇暑く雨の降らない夏が続いたあと、台風などの影響による雨ーときに豪雨や曇りの日々でしたが、ようやく秋の風が感じられ、自然を通しての御国からの風と感じます。
今月は、わが家のある山でマムシに危うく噛まれそうになり、また生い茂った草木刈りのときにスズメバチの巣に気付かずに壊してしまい、一斉攻撃にさらされて刺され、腫れ上がったり、自然の別の側面に直接に触れたことでした。
その後、子供のときから懐かしい思い出のあるアサギマダラという蝶がわが家を訪れ、神の創造の力の驚くべきこと、その不思議さを思わされたので、今月号に書いてみました。
〇来信から
・徳島聖書キリスト集会の毎月の録音CDで、聖書講話、集会の空気がそのまま伝えられてくるもので、生の臨場感に心打たれ、平素読み流していたみ言葉にその新しい慰めや力をいただいて、「われ、乏しきことあらじ」(詩篇23の1)です。
視力の衰え、歩行の困難、皮膚の障害、腕の痛み…全ては加齢による現象らしいですけれど、神様の深い愛はそれらに勝る賜物。その愛によって生かされています。(関西の方)
・場所は、徳島市南田宮一丁目一の47 徳島市バス東田宮下車徒歩四分。
(一)主日礼拝 毎日曜午前10時30分~(二)夕拝 第一火曜と第3火曜。夜7時30分から。
毎月第四火曜日の夕拝は移動夕拝。(場所は、徳島市国府町いのちのさと作業所、吉野川市鴨島町の中川宅、
板野郡藍住町の奥住宅、徳島市城南町の熊井宅の4箇所を毎月場所を変えて開催)です。
・水曜集会…第二水曜日午後一時から集会場にて。
・北島集会…板野郡北島町の戸川宅(第2、第4月曜日午後一時より。北島夕拝は第二水曜日夜七時三十分より)
・天宝堂集会…徳島市応神町の天宝堂はり治療院(綱野宅)、毎月第2金曜日午後8時~。
・海陽集会、海部郡海陽町の讃美堂・数度宅 第二火曜日午前十時より)、
・いのちのさと集会…徳島市国府町(毎月第一木曜日午後七時三十分より「いのちのさと」作業所)、
・藍住集会…第二月曜日の午前十時より板野郡藍住町の美容サロン・ルカ(笠原宅)、
・小羊集会…徳島市南島田町の鈴木ハリ治療院にて。毎月第一月曜午後3時~。・つゆ草集会…毎月第4日曜日午後一時半~。
徳島大学病院8階個室での集まり。
・祈祷会が第一回金曜日午前10時30分~。・
第四土曜日の午後二時からの手話と植物、聖書。
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