いのちの水 2016年6月 第663号
だれでも、キリストにあるならば、その人は、新しく造られた者である。 古いものは過ぎ去った。見よ、全てが新しくなった。(Ⅱコリント5の17) |
あなた方は地の塩 | 逃れの場 |
イエス様につながって 徳島 鈴木益美 | 賛美とみ言葉 山形 安彦真穂 |
もはや死も悲しみもなく 神奈川 小舘知子 | |
祈りの心は、たとえそれが不十分なものであっても、魂のうちに小さな花を咲かせる。
逆に、怒りや憎しみは、心の花園に芽吹いているものをも枯らせていく。
聖霊は―活けるキリストでもある―、私たちのために呻くというほどに、祈ってくださっているという。(ローマ信徒への手紙8の26)
それは、枯れて荒んだところに、芽を出すように、そしていかに小さくとも花が咲くようにとの祈りである。
…絶えず祈りなさい。
どんなことにも感謝しなさい。
これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。
霊(聖霊)の火を消してはいけません。
(Ⅰテサロニケ5の17~19)
苦しいこと、悲しみに沈むようなときでも、それも神が愛をもって、また深い御計画をもってなされているのだと信じて感謝する―それは神のご意志にかなうことだという。
このように祈ることができるのは、聖霊が与えられているからこそ可能であって、人間的感情では到底できないことである。それゆえ、聖霊の火を消してはならない、と言われている。
自分が受けた侮辱や不当な扱い―それすらも、相手の人間を見つめないで、神がその背後にあって深い意味をもってなされたのだと信じて、静まって主に向うとき、相手の者や〇〇が悪いのだ、という思いは霧が晴れるように薄れていき、その中から、主の愛が浮かびあがってくる。
そのように導かれるとき、たしかに私たちはこの世の力にうち勝っているのを実感する。
恐れるな、私は世に勝っている―という主イエスの最後の夕食時の言葉が思いだされる。
聖書は神の言葉である。数千年を経てもその評価は変ることがない。神の言葉、それは飽きることがない。星の光、誰にも汚されずに咲く高山植物の花たち―あるいは祈りのなかで、悲しみのなかで主を仰ぐときに、与えられる慰めや励まし―それは直接の神の言葉である。
そこには、無限の豊かさがある。神秘がある。汲み尽くせないものがある。
アブラハムやモーセ、また多くの詩篇の作者たち、そして預言者たち―彼らは神を見た。そして神からの言葉をはっきりと聞き取った。それが私たちにもわかる言葉として記されて聖書となった。
書かれた神の言葉である聖書に向うとき、わずかなひと言であっても私たちもその背後に無限に続く霊的な深い世界を感じる。
例えば、主イエスの山上の教えにある次のひと言―
…ああ、幸いだ、悲しむ者たちは!
この短いひと言のうちに、どれほど深い神の愛がそこにあることだろう。悲しみといっても小さな子供がおもちゃをなくして泣くような他愛ない悲しみもあるが、もう生きていけないというほどに深い打撃を魂に受ける悲しみもある。
人それぞれに、その悲しみや苦しみはどれほど大きく深いのかは分からない。水の流れが、浅い流れは絶えず音をたてるが、深い流れほど沈黙して流れるように。
神はそうしたありとあらゆる人たちの境遇や状態における悲しみを知っておられる。
それら一切のものをくみ取り、そしてそこに慰めや励ましを与える。人間の愛はそうした神の無限の愛に比べるなら、大海の一滴のようなものであろう。
一人静まる祈りのなかで、神の愛のひと言を受けるとき、あるいは聖書のこうした言葉が活けるキリストから直接に語りかけられるとき、それによって 私たちは自らの悲しみも癒される。
そして、多くの人たちのさまざまの悲しみ―それは決して私たちには推察できないほどのものまでも、癒され、新たな力が与えられるようにとの祈りとなっていく。
人間はだれでも、みな大切な使命がある。頭がよい、数学や英語がよくできる、芸術やスポーツができる―等々、特別な能力なくとも、神から求められている役目がある。
一般的には、能力のないものは重んじられないし、特別な使命などないとみなされている場合が多い。
しかし、万事において聖書の見方、神やキリストの見方は異なっている。
「あなた方は地の塩である」と、主イエスは言われた
(マタイ福音書5の13。)
地の塩―それは、腐敗を防ぐということであり、重要なはたらきである。さらに、塩は少量で全体によき味わいを生み出すというこれもまた大切なはたらきである。
あなた方―それは特別な能力を持っているとか、家柄がよいなどということとは関係がない。この言葉が直接に言われたのは、そうした特別な能力など持っていなかったごくふつうの漁師や当時の人々から嫌われ見下されていた取税人等々であった。
一般の漁師に、その魚採りをしているときに、あなた方は世の腐敗を止める使命があるのだ―などといっても首をかしげるだけであろう。
どんな人でも、神(キリスト)を信じ、その言葉を受けて、神の力を受けるときには、地の塩となるということである。
地の塩になるということが、そのような意味を持っているからこそ、その塩気がなくなることがある。神からいただいた賜物をいいかげんに扱っているとき、そのような聖なる賜物は取り去られる。
それゆえに「だが塩気がなくなったらもはや何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。」と言われているのである。
油断しているなら、せっかく神から与えられた神の力、神の言葉は失われていく。
キリストに従うものは、地の塩である、といわれているとともに、次のように、「世の光」であるとも言われている。
…あなたがたは世の光である。 (マタイ 5の14)
この言葉を読んで、次の言葉を思いだす。
… わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。
(ヨハネ8の12)
主イエスこそが、「世の光」であるゆえに、その主イエスを内に持っているとき、私たちもたとえいかに小さくとも、「世の光」となる。
また、次のようにも言われている。
…あなたがたは、いのちの言葉を堅く持って、彼らの間で星のようにこの世に輝いている。(ピリピ 2の15)
神の言葉―という永遠に輝く星を持っているからこそ、私たちもまた星のように輝くことができる。それは私たちのゆえでなく、内に宿す神の言葉のゆえである。
そして神の言葉の究極的なかたちは、キリストとなって私たちに示されている。
私たちが神の言葉たるキリストを内に持っているとき、私たちは豊かに実を結ぶ。(ヨハネ15の5)
「あなた方の良い行いを見て、あなた方の天の父をあがめるようにしなさい。」(マタイ5の16)とある。しかし、この言葉を読んで、自分の良い行い―というものを本当にあげることがどれほどあるだろうか。
新共同訳では、「立派な行い」と訳されていて、いっそう到底自分にはそんな立派な行動などといえるものはない―と思ってしまう。
「立派」とは、国語大辞典には、「非常に素晴らしいさま。非常にすぐれているさま。②堂々としているさま。③非難する点のないさま などと説明されている。
だれがいったい、自分の言葉や行いが、非常に素晴らしいとか思えるだろうか。それゆえに、このような言葉は自分には到底無理だと思われ、素通りしてしまう。
しかし、ここで注意すべきは、地の塩とか、世の光、あるいは、立派な行いなどと記されてているが、それは、主を信じて与えられる神の賜物―み言葉がその中心にあるということである。
「自分自身のうちに塩を持ちなさい。そして 互いに平和に過ごしなさい」(マルコ9の50)とあるように、塩とは腐敗することのないものを象徴的に指していわれている。
そして永遠に変質も腐敗もしないもの―それこそ神の国の賜物であり、み言葉である。
自分のうちに、み言葉をしっかり持っていなさい。それによって、他者から悪しきことを言われ、不当な仕打ちを受けても主の平和(平安)を持って生きよ―と言われているのである。
神の言葉が星のように光輝いているからこそ、すでに述べたように、その神の言葉を私たちが内に持っているときに、それが輝いているのであり、それが腐敗しない存在―地の塩となるのである。
また、いかに私たちがよい行いをしたからといって、その目に見える行いをみて、他人が神をあがめるようになる―必ずしもそうはならない。
人間は、本当に正しいことはできない。「正しい者はいない。一人もいない」(ローマの信徒への手紙3章9~18参照)
主イエスも、人を、莫大な負債を抱えた人間にたとえているのも、その罪深さを指している。
それでも、良き行い―といわれている。その良き行いの核心にあるのはなにか。
それは良き心である。自分への見返りを期待して行なう行動は、良き行いでなく、神の前には、罪深い行動である。
そうした純粋な良き心こそ、良き行いの根本であり、それゆえに、主イエスは次のように言われた。
… 朽ちる食物のためではなく、永遠の命に至る朽ちない食物のために働きなさい。…
そこで、彼らはイエスに言った、「神のわざを行うために、わたしたちは何をしたらよいでしょうか」。
イエスは彼らに答えて言われた、「神がつかわされた者を信じることが、神のわざである」(ヨハネ6の27-28)
良き業、よい行い―神の業(神がなさっているよきこと)を行なう出発点となり、また神の業の核心であり続けるのは、キリストを信じることだと断言された。
そこに良きわざの根源がある。それなくば、自分のことが中心になる。よいことでも、続かない。見返りを求めてしまう。永続しない。
キリストは、生前あらゆるよい行いをされた。人々はそれを見た。それにもかかわらず、人々は神をあがめるようにならず、逆に迫害してキリストを殺してしまった。
それは、キリストを信じるに至らなかったからである。信じるということがないなら、いかによい業をみても、かえってそこにねたみや反感などを起こしてしまうことにもつながる。
他方、ローマ人であった百人部隊の隊長が、神をあがめるようになったのは、キリストの十字架での死によってであった。
それは、他者―人間全体の罪の赦しのために死んだという最高のわざのゆえであり、百人隊長はイエスの十字架上での死に接して、主を信じるようになった。
主イエスが地上の世界に来られたのは、人類の罪の赦しのためであったとその誕生のときから記されている。
そのイエスによって罪赦された私たちにとっても、もっともよきわざは、主イエスが言われたように、まずその十字架の主を信じ、神を信じ、そこで与えられた罪の赦しによって聖霊を受け、それによって他者の罪を赦し、さらに、悪しきことをした人たちのために祈る心である。
あなた方の良い行い―と訳されている「良い」の原語(ギリシャ語)は、カロスである。この言葉は、元々は、美しいという意味を持っていて、ギリシャ哲学において、核心にある「真善美」(*)のうち、美とは、このカロスという語なのである。
(*)美と善は通い合う本質を持っていることも記されている。(例えば、「ソクラテスの弁明」21のD、「パイドン」65のD 等々)プラトンの作品のなかでは、真理(アレーテイア)、美、善とは、そして正義とはなにかなどについては、その膨大な作品のなかで繰り返し記されている。
また 人々を驚かせるような立派な行いなど何もできずとも、何か少しでも美しいことなら、日常の生活で可能となる。マザー・テレサに関する広く知られた書のタイトルは、彼女自身の言葉―Something beautiful for God(何か美しいことを神様のために) であった。
真に良きことは、美しいことでもある。この書を数十年前、まだインターネットなどなかった時代に洋書店を通じて買い求めたとき、とくに印象に残ったタイトルであり、その内容だった。
このSomething beautiful for God を絶えずなし続けているものがある―それは自然である。植物のたたずまい、花々、夕日や夕焼けなど、白い雲や大空―等々すべて絶えずそれらは 何か美しいものを神の栄光のためにあらわしていて、さらにそれを人間に示し続けている。
私たちもそのような純粋な美しさとは比較にはならないが、それでも、何か美しいことが可能である。それこそ、祈りである。身近な一人二人のためにでも、心からその人がよくなるように、主のみ言葉が心に宿り、主が住んでくださるようにと祈ることができるなら、それは確かに何か美しい心と言えるだろう。
祈りは、完全な美と善である神によってうながされるものだからである。
そのような祈りの心を持って生きること、それがだれにでも与えられている地の塩としての生き方となる。
それゆえに、使徒パウロは言った。「絶えず祈れ」と。(Ⅰテサロニケ 5の17)
この世はさまざまの圧迫や困難が迫ってくる所である。
病気や、家族の問題、職業やそこでの人間関係等々、年齢や境遇を問わず、苦しみや悲しみは誰にも、またいつでも襲いかかって来る。
そのようなとき、私たちは逃れの場を求める。
もし、私たちが愛の神を知らないときには、まず人間にそれを求める。寄り添ってくれる人として家族や友だちを求める。そしてときにはそうした適切な人間は、確かに私たちの逃れの場となって慰め、力付けてくれることもある。
しかし、そのまま頼っていくと必ず、相手の人も欠陥あり、弱い者にすぎないし、その人もまた逃れの場を求めているのだと気付かされる。
どのような人間の中にも永続的な逃れの場がなく、また神も信じられないとき、人は、さまざまの娯楽、快楽、あるいはアルコールやその他の薬物に逃れ場を求めていく。
そしてそこでさらなる苦しみや精神的な闇に陥ることが多い。
人間の限界を深く知っている聖書の世界―そこでは、本当の逃れの場とは、神以外にないと、聖書の最初から繰り返し告げている。
私たちが苦難に会うときそれがひどいほど、闇と空虚、荒涼とした状態だと言える。そこに神が「光あれ!」とひと言発するならは、いかなる闇―苦難や悲しみにあっても光が存在するようになる。そしてその光こそ、隠れ場となる。
聖書はその最初から逃れ場が備えられていることを宣言しているのである。
そのことは、とくに詩篇において明確に記されている。
詩篇とは困難にあるとき、しばしば敵に追い詰められ、あるいは自らき罪や病気のために死の危険に遭遇したときに、本当の隠れ場を求める叫び、祈りが記されている。
それは、数千年の歳月を越えて、現代の私たちに響いている。
神の光をあふれるように持っているもの―それは神の言葉である。
人間の言葉がテレビや、ラジオ、新聞、雑誌、インターネット等々に洪水のようにあふれている状態にあって、それらと根本的に異なる世界―天の国からのメッセージである神の言葉こそは、闇の中の光であり、そこに私たちは逃れ場を見いだす。
そのような通常の人間が陥る状況に対して、詩篇は真の逃れ場としての神、そのみ言葉を求める。
… 私は夜明け前に起きて叫び求める。私はあなたの言葉を待ち望む。
私の目は夜明けの見張りよりも先に目覚め、み言葉に思いを潜める。(詩篇119の147~148)
神の言葉、み言葉にこそ逃れの道がある―これは千年、二千年を越える長い歳月を経て、現代の私たちにも永遠のメッセージとなって伝わってくる。
このことは、キリストの時代になって一層明確にされた。
… あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかった。
神は真実な方である。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださる。(Ⅰコリント10の13)
先日の私どもの家庭集会の一つにおいて、Yさんが次のように言われた。
「主人が病気となって治療に行った鍼治療院の待合室で、このみ言葉に接して心にとどまった。」と。
夫君も病が次第に重くなっていくとともに、神を信じるようになり、夫君の死後は、その奥様―Yさんが神とキリストを信じるようになって、集会に参加されるようになった。
先にあげた聖書の言葉のように、ご夫妻は、病気が重くなるにつれて、真の逃れの道は、医学でも薬でも人間でもなく、目には見えないけれども、確かに存在しておられる神にあると示されたのだった。
現在、神とキリストを本当に信じてきた方々は、何らかの形で、神こそ、それゆえ神の言葉こそ逃れの道だと知らされてきたからこそ、その信仰が続いてきたと言えよう。
神はさまざまの逃れの道を用意してくださっている。自然のさまざまのもの―草木、花々、また水の流れ、海の広がり、そして広大な山野や大空、星々―すべてそれらは私たちの心さえ準備ができていれば、魂の逃れの道となる。
賛美にも、神こそ隠れ場というのがある。
主よあなたは わが隠れ場
悩みのときも 讃美で満たす
主の御手に
すべてを委ね
主の御手のなかに
われ弱きとき 心に語らん
主によりわれは 強くされる
主の御手に
すべてを委ね
主の御手のなかに (リビングプレイズ34より)
この世のありとあらゆる苦しみや、困難な問題、心の闇―それは現代は高度な科学技術の産物である核兵器や原発、テロといったものによってその闇は途方もないような様相を呈している。
そうした大いなる闇にあっても、私たちキリストを信じるときには、いかなる闇にもうち勝つ逃れ場が備えられているのがわかる。
それはキリストが再び来られる―という信仰である。このキリストの再臨ということは、およそ理論とか科学、学問、議論や研究といったことでは何ら分からない。ただ神の全能と絶対的な愛を信じるときにそのようなことを信じて受け入れることができる。
それは死んだら終わり―というだれもが当たり前と思っていることが、実は死によって完全ないのちの生がはじまる―復活ということと共通していることである。
死を越えて続く逃れの道―それは復活であり、またこの世のいかなる困難や闇にあっても変る人間に示されている逃れの場とは、世の終わりを越えて続く新しい天と地―再臨の世界である。
聖書講話(その2)
「イエスとサマリアの女」 清水 勝
(大阪・高槻聖愛キリスト集会代表)
このお話には、たくさんのメッセージが込められていますが、その内の一つに絞って今日はお話しをいたします。それは、イエスの言葉を聞いて、サマリアの女はどのようにイエスへの信仰に導かれたかという点です。
この時イエスはユダヤを去り、再びガリラヤへ向けて旅をしておられました。その時何らかの理由でイエス一行はサマリアを通らねばなりませんでした。旅に疲れて、イエスは井戸のそばに座っておられました。昼の正午頃のことでした。そこへサマリアの女が水を汲みに来ました。
当時パレスチナ地方では、人々は朝、まず井戸へ行って水を汲み、どうしても足りない場合には夕方もう一度水を汲みに行っていたようです。というのは、昼間は亜熱帯性の気候のゆえに暑く人が出歩くのに適していないからです。
このサマリアの女が正午頃に水を汲みに来たのは、人目を避けて水を汲む必要がある女性であったことが想像できます。後で分かることですが、この女は異性関係が乱れていました。そのために彼女は村八分にされていたのか、あるいは彼女自身が人々と距離を置いて生活していたのかもしれません。
そして、このサマリアの女がイエスに出会ったのです。
さて、ここでユダヤ人とサマリア人について少し述べます。ここの聖書の箇所(9節)にもありますように、ユダヤ人はサマリア人とは交際していませんでした。敵対関係にあったのです。歴史的には、紀元前2世紀終わり頃にヨハネ・ヒルカノスがサマリア領内のゲリジム山の神殿を占領し破壊したことは、エルサレムを中心とするユダヤ人共同体とサマリア人共同体との対立を一層激化しました。(『旧約新約聖書大辞典』教文館より) サマリア人の信仰内容はユダヤ教の保守的な立場と共通する要素も含んでいますが、サマリア人はモーセ五書だけを正典として重視しました。
話を元に戻します。イエスはサマリアの女に、わたしこそあなたに神の賜物である生きた水を与える者であると告げられます。そして、「わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」と言われました。彼女は、「その水をください」とイエスに求めました。しかし、イエスはすぐにそれを彼女に与えようとはされませんでした。
イエスは初めてこのサマリアの女と会ったのですが、彼女の抱えている 罪の問題を明るみに出させられます。まず、イエスが彼女に質問をされました。「あなたの夫をここに呼んできなさい」彼女は答えます。「わたしには夫はいません」イエスは「『夫はいません』とは、まさにその通りだ。あなたには五人の夫がいたが、今連れ添っているのは夫ではない。あなたはありのままを言ったわけだ。」イエスは、彼女の答えは正直であったと認められます。イエスの内には神が共におられたから、イエスはすべてをお見通しでした。
「神の御前では隠れた被造物は一つもなく、すべてのものが神の目には裸であり、さらけ出されているのです。」(ヘブライ4の13)
これを聞いた彼女はどれほど驚いたでしょうか。全く初対面の人から、それも自分たちサマリアの共同体ではない、ユダヤ人である人から、自分の歩んできた隠したい過去を言い当てられたのです。自分の罪を突きつけられて、彼女の心は折れたことでしょう。低く沈められたことでしょう。彼女は命の水をイエスからいただくためには罪の悔い改めが必要でした。
彼女はイエスに、「あなたは預言者だとお見受けします。」と言いました。「預言者」という言葉には、神の言葉を告げ知らせる者という意味で語られることが多いのですが、それ以外にも罪を指摘し、罪の悔い改めを民に促す者、という意味もあります。彼女は後者、すなわち「罪を指摘し、罪の悔い改めを民に促す者」の意味でイエスを預言者だと言ったのかもしれません。
しかし、彼女は続けて言います。「わたしどもの先祖はこの山(サマリアのゲルジム山)で礼拝しましたが、あなたがたは礼拝すべき場所はエルサレムにあると言っています。」
自分たちはサマリア人であり、あなた(イエス)はユダヤ人だから、私たちは違う信仰を持っていると民族意識にこだわっているようにも見えます。しかし、実際は、罪が神の前に露わにされてもげ、神に抵抗する人間の性をこの女は持っていたと思われます。彼女はこれ以上自分の罪深い生活に立ち入って欲しくなかったのでしょう。自分の傷口に触れて欲しくなかったので、ユダヤ人とサマリア人の間で最も中心的な論争点に話題を移したのでしょう。
イエスは言われました。「婦人よ、わたしを信じなさい。」 ここで使われている「婦人よ」という原語はとても丁寧な言葉のようです。イエスは罪に苦しむ女性にその人格を尊重する言葉を用いて寄り添い、御自分の方へ招かれます。
「わたしが来たのは正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」(マタイ9の13)
イエスが女に、「わたしを信じなさい」と言われたのは、神はイエスを信じる者を義となさる、つまり罪を赦し、罪のない者と認めてくだるからです。イエスは彼女に、御自分を信じるように招き続けられます。
「あなたがたが、この山でもエルサレムでもないところで、父を礼拝する時が来る。」と言われました。イエスは神様のことをここで「父」と呼ばれ、「わたしたちは知っている者を礼拝している。」と、述べられます。さらに、「まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。」と言われました。霊とは、聖霊のことでしょう。真理とは、イエス・キリストのことだと思います。私たちはイエス・キリストによって罪が赦され、聖霊を与えられて神を礼拝します。そして、今、イエス・キリストが既に来ているのだから、「今がその時である。」と言われたのだと思います。
イエスとの会話の最後に女は、「わたしは、キリストと呼ばれるメシアが来られることは知っています。その方が来られる時、私たちに一切のことを知らせてくださいます。」と言いました。その時イエスははっきりと「それは、あなたと話をしているこのわたしである。」と告白されました。
ここで、イエスとサマリアの女の会話は終わります。その直後のこの女性の行動の変化には目を見張るものがあります。
彼女は水瓶を井戸端に置いたまま、町へ出かけて行きました。乾燥地帯であって、水を汲むということは生きていくのに大変重要で不可欠なことですが、それすら忘れて、町へ行きました。
そして人々に言いました。もう彼女は人々を恐れてはいません。人々に呼びかけて言いました。「さあ、見に来てください。わたしが行ったことをすべて、言い当てた人がいます。もしかしたら、この方がメシアかもしれません。」彼女はここで、「もしかしたら、この方がメシアかもしれません。」と半信半疑な表現を使っていますが、イエスがメシアであることを肯定しているように読み取れます。
彼女自身はイエスをメシアと信じていましたが、同邦のサマリア人にユダヤ人のイエスがメシアであると言うと抵抗が予想されるので、「わたしが行ったことをすべて、言い当てた人がいます。もしかしたら、この方がメシアかもしれません。」と言って、サマリア人たちが自分の目でイエスがメシアであるか確認して欲しいと呼びかけたのでしょう。
彼女の言葉を聞いて、人々は町を出てイエスのもとまでやってきました。そして、彼女の言葉を聞いて多くのユダヤ人はイエスを信じました。彼女の言葉にはそれだけの力があったのです。イエスから神の言葉を聞くことで彼女に力が与えられたのでしょう。このサマリアの女のイエスへの信仰は深まっていきました。彼女のこの時の言葉は、ペトロの告白にも似たものであったと思われます。
「あなたはメシア、生ける神の子です」(マタイ16の16)
彼女はイエスに自分の罪を言い当てられた後、19節でイエスのことを預言者であると見なしていました。ところが、29節では、イエスがメシアかもしれないと言いました。メシアとは、栄光の王であると共に人の罪を贖う救い主でもあります。彼女はイエスがメシアすなわちキリストであることを信じたように思われます。つまり彼女は、イエスの言葉を聞いて、イエスを信じ、イエスによる罪の赦しを経験したのでしょう。
彼女はイエスを信じて罪が赦され、罪が覆われ、罪のない者とされ、神の前に義(ローマ3の22)とされたのです。そして彼女は、自分の罪が赦されたことに気づいたからこそ、サマリアの人々に、「わたしが行ったこと(乱れた異性関係の事実)をすべて言い当てた人がいます。」と、自分の過去の罪が人々に知られることを厭わなくなりました。
この女はイエスを主であると公に言い表しました。人目を忍んで昼の正午に水を汲みに来ていたこのサマリアの女が、水瓶を置いたまま多くのサマリア人に、イエスがメシアであることを宣べ伝える者に変えられたのは、イエスを通して神の言葉を聞いたからでしょう。神の言葉こそ、彼女を罪から解放し、根底から造り変えたのです。
そしてこの時、彼女はイエスから生きた水を受け取り、その水が彼女の内で泉となり川となって、多くのサマリア人にも流れていったのでしょう。そして、このイエスが与える水は永遠の命に至る水です。この生きた水とは聖霊のことです。
神の言葉―希望に生きる 秀村 弦一郎 (福岡聖書研究会代表)
十字架の死を前にしてイエスは弟子たちに、「あなたがたは皆わたしにつまずく。『わたしは羊飼いを打つ。すると羊は散ってしまう』と書いてあるからだ。」と、弟子たちの裏切りを予告されました。ペトロは「たとえ、みんながつまずいても、わたしはつまずきません。」と頑張ります。しかし、これも予告されたことでしたが、鶏が二度鳴く前に三度イエスを知らない、と否認してしまいました。そして、ほかの弟子たちも皆イエスを捨てて逃げ去りました。
失意のどん底にあるペトロと弟子たちは故郷ガリラヤに帰りますが、そこで復活のイエスに出会います。そして真にイエスを信じ、勇躍福音を宣べ伝えるものとされました。
彼らにとって復活のイエスとの出会いが決定的でしたが、実は、イエスは裏切りの予告の際に、「わたしはガリラヤに行く。」とも言っておられたのです。(マルコ14:28)また、彼らには「あの方は、あなた方より先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。」という空の墓の前で女たちに告げられた天使の言葉も伝えられていました。
弟子たちに決定的な出来事となった復活という音信に関して、イエスの言葉が実現したのでした。
ガリラヤとはどういうところでしょうか?それは、主を裏切って泣き崩れたペトロに典型的な、容易に立ち直れない挫折の中にある人々の心を表していると思います。自分の力ではどうにもならない、暗闇に沈むしかない心に復活のイエスは出会ってくださいます。
ガリラヤ、即ちイエスと出会うところを私たちが自分で決めることは出来ないようです。イエスが私たちに最も相応しいと思われるところで出会ってくださいます。思いもよらないところに導かれて―それはしばしば困窮の中ですが―イエスは私たちを抱きとめてくださいます。
私も有り得ないようなとき、ところでイエス様の眼差しを感じることがあります。私たちの思いを超えて、復活の命を与えようとしておられるイエスがいつも共に歩んでくださっていることほど感謝すべきことはありません。
「わたしはガリラヤに行く。」との約束の言葉は大いなる希望であります。
ところで、私も歳を重ねまして、友人たちが次々に世を去るようになりました。先ごろ親友のM君、小学校から大学まで一緒のI君を相次いで見送りました。この二人共、死ぬ前に私に聖書の話を聞きたがりました。死の恐怖があって眠れない、仏教ではダメだ、と。この機を逃してはならぬ、と出来る限りのことはしたつもりですが、信仰を持ってくれるには至りませんでした。私には大きな挫折感と後悔が残りました。彼らの救いはどうなるのだろう?と重い問が残りました。
そんな時に慰めになり、力をもらったのが内村鑑三の次の文章でした(現代文に直しています)。
わたしは玉座から語りかける大きな声を聞いた。「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取って下さる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。……」 (ヨハネの黙示録21:3~4・新共同訳) と言う。即ち、完全な社会があって神の恩恵が完全に現れ、すべての涙が拭われるというのである。
人は自分ひとり救われても、その救いは殆ど無価値である。すべての兄弟と共に救われてこそ、救いは初めて来たるのである。神は聖められた霊魂をもって、最後に全く聖い社会を作り給い、もって個人並びに人類に対して最大最終の恩恵を施してくださる。これこそが 真の救いである。これを離れては個人の救いもないのである。再臨は万物完成の時である。喜ぶべきこと、讃美すべきこと、感謝すべきことである 。( 「キリスト再臨の二方面」)
私の問いにピッタリ応えてくれています。わたし一人救われてもその救いは無価値である、とあります。その通りです、M君やI君が救われずしてわたしの救いは完成しません。そしてキリスト再臨の暁にはそれが完成し、すべての涙が拭われるのです。
友人たちの死に限った話ではありません。罪なくして死んでいく幼子、格差社会などの不公正に苦しむ人々、戦争や災害の被害に泣いている難民や家なき人々など、人間の力ではどうにもならない、神様に解決をしていただくしかない暗黒に私たちは囲まれています。そしてこの暗黒のままでは私たちは救われません。
しかし、イエスの再び来たり給うとき、全ての暗黒が光の中に解決されるのです。ここに救いが完成します。
玉座から語りかける大きな声とあるのは、神の約束です。また、聖書には繰り返しイエスの再臨が語られています。
「人の子は思いがけない時に来る」(マタイ27:44)
「キリストが来られるときに、キリストに属している人たち(が復活し)、次いで世の終が来ます。」(Ⅰコリ15:23~24)など。
このようにイエスは再び来たり給うことが約束されています。神の約束は破られることはありません。イエスの真実は岩のように揺らぐことはありません。
イエスの再臨を口にすると、笑われたりもっと真剣に現実を見よ、などと言われたりします。しかし揺るがない事実があります。イエスの約束、神の言葉は、時間がかかることがあったり、少し形が変わったりすることはあっても必ず実現する、という事実です。「わたしはガリラヤに行く」もそうでした。
「人の子が来るとき、果たして地上に信仰を見出すだろうか」(ルカ18:6)とイエスは言われました。イエスの再臨を信じて待ち続けることは、私たちの信仰の核心を問うものだと思います。
* *
イエスが約束された救いの完成は「新しい約束」ですが、「旧い約束」も見ておきましょう。旧約聖書の初めにある大洪水の後で神がノアに約束されたこと(契約)があります。
「人が心に思うことは幼いときから悪いのだ。わたしはこの度したように生き物をことごとく打つことは二度とすまい。」(創世記9:21と罪を赦し、そのしるしとして虹を置くと言われました。世界中どこででも見ることができる虹は、神の全地の救いの約束を示しています。
いつぞや飛行機の窓の下の雲にポッカリ浮かんでいる虹を見て驚いたことがあります。ドーナツ型に真ん丸でした。神はいつも雲に丸い虹を置いておられるのです。地上で肉を纏っている私たちは救いの全てを完全な姿では認識できません。虹もせいぜい半分しか見れません。しかし、イエス再臨の日には私たちも救いの全貌を見せていただけるに違いありません。
2016年 無教会全国集会
キリスト者としての証言(その2)
神の言葉―真の希望の道 朴 ワン
(韓国・プルム学園理事長)
みなさまこんにちは。私は韓国から参りました朴と申します。
日本各地からこの集会に集まった兄弟姉妹に会うことができました。ほんとうに胸がドキドキして嬉しくてたまらないぐらいです。
わたしは元々、私の家庭はキリスト教を信じる無教会の家庭で生まれたのですけれど、実際に無教会の本を読んだり聖書に関心を持ったことは大学に入ってからです。その後、少しずつ読み始めて大学院に入って兵役するときにすこし本を読むことになりました。
それで80年に日本に来る機会があって東京に行って、そのときに新宿の関根聖書集会に参席することができました。あの集会で感じたことは生きている聖なる神さまの前に立つという、ああいう感じ、非常にきちんとした集会で、集会の中心は神さまの御言葉が一番大事で中心で、それで御霊の臨在をともに味わって、それで祈ることがいちばん重要なことでした。
それであそこで3年くらい集会に出て、国に帰ってから大学で研究生活したんですけど、わたしやってる分野が物質生物学?ということで割とむつかしい分野で、?学校の生徒たちに落ち込まれて集会の場合はお父さんにゆだねて僕はただ?するだけで学校生活に集中したんです。
しかし何年か経って、疲れというか力なくなって、98年にまた日本の徳島に来る機会ができて、徳島大学に一年間留学することになりました。それで徳島では無教会の集会が分からなかったので、いちばん最初の何週間は普通の教会に行ってました。それである日、村の畑で働いている方に「こんにちは」と声をかけて、話しているうちに、いまこちらにいらっしゃる戸川さんですけど、教会の話も出て、日本の話も出て、それで無教会の話も出て、ぼくもびっくりしまして、それで「徳島にも無教会はあるか」と言ってその次の週から無教会の徳島聖書キリスト集会に出るようになりました。
最初の徳島集会の印象としましては、新宿集会と違うと言いますか、新宿集会の場合はきちんとしたところがあったんですけど、こちらのほうでは普通の人間が集まって、とくに身体が弱い人が多くて、しかし人の表情は非常に明るくて、喜びあふれてくるような気がしました。非常に違う雰囲気なんですけど、表面的に見ればそうなんですけど、実際に考えてみると両方の集会ひじょうに神さまの御言葉がいちばん中心で、神さまの御言葉それ自体である主イエスキリストにすがって生きるということがいちばん大切なことだということを分かりました。徳島の一年の生活ほんとうにわたし力づけられて、今もあの時を考えるといつも胸があったかくなる時期だったんです。
一年終えて、韓国に戻ってから、また大学の生活すこし忙しく生活したんですけど、あるとき韓国の無教会系の学校にあるプルム学校というのがありますけど、あそこに行く機会があって、大学をすこし早く辞めて、あそこに行くことにしました。
プルム学校というのはご存知の方もいらっしゃると思うんですけど、1958年に韓国のいなか農村で設立されました。1958年ということは韓国は日本から解放されてまもなく韓国の戦争があって1950年から53年まで戦争があったんですけど、戦争が終わった5年後ですね。ああいう非常に韓国まだ困難で非常に貧窮な時代で、あのときは農村の場合は人口の7割ぐらいあったんですから、農村地帯は韓国の受難の現場ということですね。それで韓国の無教会の2人の方が学校を建てたときに大都会ではなくて農村で、あれはまるで韓国の受難の現場でありますから、農村で学校を創ろうとして学校を建てました。その学校は大都会よりは農村で、物質よりは精神、信仰の上に、こういうことを根ざして学校を建てたですから、いちばんさいしょに韓国の無教会をはじめたとされる金教臣(キムギョシン)先生は韓国を愛するあまりに『聖書朝鮮』という雑誌を発行したのですけど、うちの学校もああいう精神を受け継いで韓国の受難の現場を背負っていく、ああいう若者たちをすてる?ようにしたんです。それでたいていの韓国の場合は学校を踏み台にして大都会に出世することが一つの勉強の目的だったんですけど、うちの学校では学校を卒業していちばん低いところに行くように、あれは神さまの御子であったイエスキリストさまが御国の栄光の場を離れていちばん低いところまで十字架まで来られたことで、わたしたちもああいうことをすこしでも習って、それで村とかでいっしょに仕事するようになりました。普通の韓国の学校の場合は村とあまり関係がないんですけどある意味で学校の中に閉じ込められて、学校のことばかり考えて勉強ばかりする。プルム学校というのは、学校と地域が密接に結びついて、村はひらいてある学校、学校は村ということで高校も共に生きる平民、わたしたちの学校の校訓ですけど、学校の卒業生たちが村に出て、いろんなこと農業を始めて村の仕事をやったんです。わたしたちはあまり叱らないものですから、叱らないものはお互いに集まって共同組合的な形でいろんな仕事をやりました。非常に苦労しながら最初は聖書もしないようにしていたんですけど、いちばんわたしたちにとって1975年に日本の愛農会の小谷純一先生がいらして講演をなさったんですけど、あのときに「これからは日本の農業を真似しないでほんとうに命を生かす農業をしなければいけない。」ということで、有機農業を教わりました。1976年から学校が始まって、韓国で初めて有機農業が始まったんです。それでいまうちの村は韓国で有機農業?として中国のいろんな方たちからまたは海外の方たちからも見学する。ある意味では証明できる場所になったんです。そういうことをしていまはいろんなことを学校と村の仕事やっている場所です。
ぼくもいまは名前だけはプルム学園理事長なんですけど、名前だけで実際はひとりの人間として、あるときはもう?もやるし、畑に出て働くし、勉強もいっしょにやりますし、学校の仕事もやって、学校の仕事だけでなくて夜になると村にある青年たちといっしょに勉強会をひらいています。
勉強会の一つが徳島の「いのちの水」誌の読み会で、 だいたい8~9人ぐらい集まり一週間に一回読むんですけど、読み会とかそれで化学とか生物学とか有機農業なんかは夜に村の青年たちと一緒に勉強する。ああいうことをいまやっています。それでいまはある意味で少しずつ村と協力してできるんですけど、最初のところで非常に苦労している時期があったんです。もう学生さんもあまり入ってこないし、大学入学試験のために勉強をさせないですからもう出世したいというか、あのときの韓国は勉強たいていそうでしたから、ああいう人たちはなかなか来なかったですけど、非常に苦しい時にわたしほんとうに日本の無教会の方々にお世話になりました。いろんな集会からもお祈りと声をいただきまして、あの苦しい時期をしのぐことができました。それでさっきすこし言ったんですけど、愛農会の小谷先生とかいろんな方からもいろんなことを学んで、それでいま韓国の有機農業にいちばんはじめになって、ある意味で韓国の新しい方向というか、最近流行していることばで言うと、持続可能な社会を作るためにプルム学校があるモデルみたいにこう知られて、いろんな方々からも研究されているところです。
これでこの場を借りてほんとうにこちらに参席しているみなさまに感謝の言葉を差し上げたいと思います。
もちろん日本の植民地の時代にもああいう厳しい地域にも、日本の黒崎先生や矢内原先生が韓国を訪問してくれまして、韓国にある若者たちをはじめてキリスト教信者を聖書講義をしながら、わたしたちに勇気をつけるように語ってくださったし、会合が終わってからも政池先生とか高橋先生とかいろんな先生たちからも、うちの学校とうちの村を本当に愛をたっぷり受けたし、それでもう一度みなさまに感謝の言葉をさしあげます。
韓国ではしかし普通に言えば、日本に対する感情はあまり良くないことは事実です。それでサッカーのゲームなどをすれば「日本には絶対負けない」とか、ふつうに下に流れている考えなのです。それで「わたし自身がまちがって、わたし自身が悪いもの」わたしが間違ったものでもぜんぶ「日本のせいだ、日本のためだ」とか、最近は「北朝鮮のためだ」とか、日本と北朝鮮をごっちゃにして、ああいうことばかりしてます。
しかしわたしたちがプルム学校とか村でキリスト教の勉強会とかやっていることは、やはり正しい言葉を正しい御言葉を知らないと人間はそういう風になるしかないということで、ほんとうの真理はどこにあるか、それを学びたくて、いまいろんな形で聖書をいっしょに読むことになりました。
わたしは創世記45章にあるヨセフの話が非常に心にこうきたんですけど、このヨセフの言葉がこれから韓国の国民全体の歴史に対する信仰告白になった節ということです。ごぞんじのようにヨセフは自分の兄弟たちにねたみを受けてエジプトに売られるようになりました。「売られる」ということは「死ぬ」ことと同じだったのですけど、実際ヨセフはもうほんとうにいろんな苦労しながらエジプトで生活したんです。それであそこに飢饉が入って、自分の兄弟たちが家庭を顧みたときに、いろんなことをやりとりしてから、45章にああいうことが書いてあります。すこしこれを読みたいのですけど、5節「しかし、今は、わたしをここへ売ったことを悔やんだり、責め合ったりする必要はありません。命を救うために、神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのです。」8節「わたしをここへ遣わしたのは、あなたたちではなく、神です。」
これは人間が悪いことをしてとくに身近な者から裏切られた時には非常にあれなんですけど、このヨセフが言ったことは自分の声で出して、恨みもしないで「あなたがやったことは、あなたがやったことでなくて神さまがしたこと。」と言い、わたしたちの目を人間に合わせないで神さまに合わせる。こういうことができるのではないかと思うのです。
それでいまいろんなところで「日本のせいで日本のためにこうなった」と言うのですけど、そうではなくて日本がたとえ韓国を侵略したとしても「あれは人間の業ではなくて、あそこに神の業がある」と。それをわたしたちの国民全体が素直に受けるときにほんとうにわたしたちのこのアイデア、もっとすすんで全世界の平和の一つの?口になるのではないかと思うのです。こういうことを考えて、わたしたちの信仰告白は?
さいごにまた聖書を読んで終わらせていただきます。「キリストの十字架によって、わたしたちは肉の世界の民ではなくて神の国の民ですから」エフェソ2章です。
もう時間がないですから全部は読みませんが、13節から読んで終わらせていただきます。「しかしあなたがたは、以前は遠く離れていたが、今や、キリスト・イエスにおいて、キリストの血によって近い者となったのです。実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。キリストはおいでになり、遠く離れているあなたがたにも、また、近くにいる人々にも、平和の福音を告げ知らせられました。」
これでほんとうに神さまのなかでひとつの民になることを信じて、これからも小さい力ですけれども、一緒に歩んでいきたいと思います。ありがとうございました。
イエスさまにつながって 鈴木益美
(徳島・中途失明者、はり治療院)
わたしは生後間もなく飲んだ森永ミルクによって砒素中毒になりました。そして視力に障害が残りました。小さい時は少し視力があったので普通の小学校に通いました。でも視力が弱いためにいじめられたり、ほかの人とおなじように出来ないことがたくさんあって、つらい思いをずいぶんしました。母は自分がミルクを飲ませたせいで、砒素中毒になったのだとずいぶん責任を感じていました。そんな母の気持ちを知っていたので、外であったつらいことを母には言わないようにしていました。そのほかの人に対しても心をひらかない子供でした。中学一年から盲学校に入って、そこではいじめられることもなく、のびのびと学校生活を送っていました。
わたしの眼は砒素に冒されているせいか、眼底の状態が悪くて、近い将来見えなくなると眼科医から言われていました。高等部専攻科に進みようになると、わたしは生きていけるのだろうかと真剣に悩むようになりました。そんなとき「鍼の研究」という雑誌を通して、その発行元の「信愛ホーム」の存在を知りました。そこは平方龍夫(中途失明)という明治生まれの人が設立したホームです。平方龍夫は若い頃、内村鑑三の説教を直接聞いて「神は愛なり」という言葉によって信仰を持って救われた人です。自分の確立した高度な鍼の技術と福音を伝えたいという目的で、このホームは設立されたそうです。わたしはそのホームへの入所を決心しました。そしてそこで聖書に出会いました。
そこで3年半学んで徳島に帰りました。数年経って視力がだんだん落ち始めて、まったく見えなくなった時には絶望しました。すこし目が見えるのと、まったく見えないのとでは こんなに違うのかと思い知らされました。
神さまは信じていましたが、イエスさまと本当に出会うことはなかなかできませんでした。盲人キリスト信仰会(盲信徒会)で賛美の合唱をすることになって、わたしもメンバーに入れてもらいました。これは超教派の集まりなので、そこで綱野さんや熊井さん御夫妻、中川春美さんを通して徳島聖書キリスト集会を知りました。
当時、徳島聖書キリスト集会が毎月発行していた「はこ舟」を朗読したカセットテープをもらって、聞くようになりました。
その後、本当に不思議な導きで吉村さんから家の近くにある眉山で、いろいろな植物に直接に手を触れたりして、それらの植物の説明をくわしくしてもらったあとで、イエスさまが言われている「ぶどうの木」の例えのところを示されました。
そこに書いてある「わたしにつながっていなさい。」という御言葉によって、イエスさまに深くつながろうとしなかった私の不信仰の罪を知らされました。でもヨハネ15章3節「わたしの話した言葉によって、あなたがたは既に清くなっている」という言葉によって、解決の道も示してくださいました。
私の罪もイエスさまの十字架のあがないによって清められたと、心からイエスさまを信じることができた瞬間でした。その瞬間から私の生き方が変わりました。
この喜びを家族や周りの人にも知ってもらいたいと思うようになりました。そして何年かして、月に一度「小羊集会」という家庭集会ができるようになりました。これは2002年11月から今に至っています。私の身の回りで起こっていることは、すべてイエスさまにつながるための道すじでした。
信仰を持つようになったとは言っても、私にはまだ弱さがあり罪もありますが、神さまに心を向けて日々祈っていきたいと思います。神さまは私の知らないところで導き守っていてくださることを、心から感謝しています。
最後に詩編121編4~8節を読んで、終わります。
「見よ、イスラエルを見守る方はまどろむことなく、眠ることもない。
主はあなたを見守る方、あなたを覆う陰、
あなたの右にいます方。
昼、太陽はあなたを撃つことがなく
夜、月もあなたを撃つことがない。
主がすべての災いを遠ざけて
あなたを見守り
あなたの魂を見守って下さる。
あなたの出で立つのも帰るのも 主が見守ってくださる。
今も、そしてとこしえに。」
安彦真穂 (山形県・ キリスト教独立学園教師)
賛美は、讃美歌を歌うこと、そして歌われる「言葉」によって、二度祈ると言われています。今回、賛美と証の時間をいただきましたので、みなさんと共に共有したい祈りを、賛美の言葉を中心にして選びました。1曲目は、讃美歌21の446番「主が手を取っておこせば」です。まず詩を読みたいと思います。
「1.主が手をとって起こせば、よろめく足さえ / おどりあゆむよろこび、これぞ神のみわざ(使徒3章)。2.主が手をのべてさわれば、とじた目は開き / ひかりを見るうれしさ、これぞ神のみわざ(ヨハネ9章)。3.ただ主を見つめあゆめば、波にもしずまず /おそれ知らぬ信仰は、これぞ神のみわざ(マタイ14章)。」
弱さ、重荷、私達に降り注ぐ全ての艱難の側に、いつも主の救いの手があると、聖書箇所を引用して歌われています。
作詞した今駒泰成さんは、牧師で「盲人伝道協議会」という視覚障碍を持つキリスト者の会に長く関わっていました。ヨハネ9章で、イエスが盲人にむかって、「神のみわざがこの人に現れるためである」と述べた言葉が、障碍を抱える人にどれ程大きな希望を与えているかと感じ、この讃美歌を作ったそうです。それでは、言葉を大切にしながら共に賛美をしましょう。
2曲目は、讃美歌 2編80番「みことばをください」です。神様から与えられるみ言葉を、心から祈り求める讃美歌で、「神の言葉に生きる」という今回のテーマにピッタリの讃美歌です。
1.み言葉をください、降り注ぐ雨のように、恵みの主よ。
飢えと渇きに、くるしみうめき、やみ路さまよういのちのために。
2.み言葉をください、吹いてくる風のように、救いの主よ。
からみつく罪、根こそぎはらい、全き勝利のきよめのために。
3.み言葉をください、草におく露のように、生命の主よ。
人と人とのこころかよわず、争いなやむ世界のために。
自分では祈れない時、神様を求められない時でも、この讃美歌を通して、「み言葉をください」と祈ることが出来ます。賛美は繰り返し歌うことによって、自分自身の内から湧き上がる祈りとなります。それぞれの場に戻られてからも、御言葉を求め、そこに信頼し、委ねる思いを持って歌い続けていって欲しいと思います。
ここで、私自身の話をさせていただきたいと思います。
昨日の開会礼拝において秀村弦一郎さんが、誰でもイエスと出会う場所があるというお話をされました。その話を聞きながら、イエス様と出会う場所は、神様と自分の「接点」であると感じました。
私と神様の接点はどこにあるのかと考えると、1つは「音楽」であり、もう1つは「死」や「命」であると思いました。
死は誰にでも起こる、普遍的で避けることが出来ない事実です。死を、神様の御手に委ねる生き方をする人と、死が自分の内で「問題」となる生き方をする人がいますが、私は後者です。そのため私は子ども時代から、死について、命について考える人でした。
そのきっかけとなった出来事があります。10歳の冬、家族でアウシュビッツの収容所の展覧会に行きました。収容所に関わる様々な展示がある中で、特に印象的だったのは、120cmバーと呼ばれる高さ120cmの鉄棒です。ナチスドイツは、労働者として働けない子どもをガス室へ送るために、その選別方法として高さ120cmの鉄棒を使いました。当時私は120cmを少し超える身長でした。父親は私をその棒の前に立たせ、「真穂もあと少しでガス室に行っていたかもしれないね。」と言いました。
とてもショックでした。その時、自分の命は有限でありいつかは死ぬ存在、この世を去り無になる時がある事を直感的に悟ったのです。私は、死と出会う経験を身近な他者からではなく、自分の死を見つめる所から始まりました。
それは、決して肯定的な捉えとはならず、死に対する恐れや空しさ、明日生きているか誰も分からない命の不確かさ、別れの寂しさ、自分が死んだ後は忘れ去られてしまうだろう不安に包まれました。それから、人間について、死や命について考えるようになったのです。死や命について知りたいと思い、脳科学や心、貧困や紛争・病気といった不条理な死について、命の尊厳に関わる死刑制度、脳死や安楽死などの生命倫理などに関心を持ち、本を読んだり、出掛けていって当事者と関わったり、自分の内面をみてきました。しかし、学び、考えるけれど、「死とは何か。人はなぜ死ぬのか。私の与えられた命は何のためにあるのか。」という問いの答えは見つかりませんでした。
死について考える上で、忘れられない出会いがあります。高校二年生の冬、長谷川敏彦さんという死刑囚と出会いました。保険金殺人で死刑が確定し、獄中でクリスチャンになり、2001年12月に刑が執行された方です。生前は関わりはなく、知人の誘いによって葬儀に参列する所から出会いが始まりました。葬儀で印象的だったのは、長谷川さんは絞首刑で亡くなったにも関わらず、神様に全てを委ねきった安らかな表情をされていたこと。
また、被害者遺族である原田さんが、ある思いを持って、葬儀の中で死刑制度廃止を訴えておられたことです。どちらも、私にはとても衝撃的でした。人は皆罪を犯す存在であり、いつ死が訪れるのか誰も分からないという意味において死刑囚と同じであることは、私にとって疑いのない事実です。私は、長谷川さんの死や罪の問題を、自分の死や罪と重ね合わせて追体験していきました。
罪という問題に関してパウロは、「私は何とみじめな人間なのか、死に定められた体から誰が私を救ってくれるのか。罪の報酬は死である。」と言ってます。罪によって、本来ならば死に値する人間を、なぜ神は生かされるのか、その答えが分かりませんでした。神様は生と死をどうみているのか。
この「私」に、どう生きることを求めておられるのか、15年以上も考え続けてきました。それはまるで、出口の見えない暗いトンネルを歩いている感覚でした。そんな時、心の支えになったのは、マルコ11章24節「祈り求めるものは既に与えられたと信じなさい。」という聖句です。
ギリシャ語の原語では「祈り続け、求め続け、そして確かに与えられると信じ続けなさい。」と書かれています。目に見える形で希望が与えられること求めても与えられない私に、神様は求め続けなさい、信じ続けなさい、耐えなさいと聖書を通して語り続けました。
この春、その祈りが聞かれる、転機がありました。不思議なきっかけを通して、長谷川さんの眠るお墓へ行く機会が与えられ、15年振りにお墓ごしの再会を果たしました。直接言葉を交わすことは出来ないけれど、魂が触れ合って対話をしている感覚になりました。15年という時を超えて、互いの線がもう一度交わり、キリストによってそれが確かなものであると感じた時、死は恐れでも終わりでもなく、他者の命へと通じていく事であると自分の心の奥底で納得する事ができました。その時、心に自然と流れてきた讃美歌がありました。讃美歌21 385番「花彩る春」という讃美歌です。
1、花彩る春を、この友は生きた
いのち満たす愛を、歌いつつ
悩みつまずくとき、この友の歌が私をつれ戻す、主の道へ
4、雪かがやく冬を、この友は生きた
命あたためつつ、安らかに
この日、目を閉じれば、思い浮かぶのは
この友を包んだ、主の光
以前は暗闇の中で死を恐れていた私は、長谷川さんとの出会いを通して、死は決して無に帰すものではなく、キリストにつながる事によって誰かの心を主の道へと連れ戻したり、光を感じたり、命を受け取る事ができるものであるという事を確信しました。私を含め、ここに集う全ての人はいつか死を迎えるけれど、キリストにつながることで、どんなに悲しい死や絶望に打ちひしがれるしかない死であったとしても、死は終わりではなく、希望があります。
キリストは昔もおられ、今も生きておられ、そこにつながる事で命が完成するのです。今、私に与えられている使命は、命と死について語ることです。タブー化し、触れられないと恐れは恐れのままです。けれども、自ら学び考え、感じ、人と分かち合っていく事で、今与えられて生きている命を、イエスの十字架の贖いによって、より輝かすことが出来ると信じます。
それでは、「花彩る春」を共に歌いたいと思います。
最後に、ヨハネ11章25節のイエスの言葉を読んで終わります。
「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていて私を信じる者はだれも、決して死ぬことはない。」
もはや死もなく 小舘知子
(神奈川県・介護士)
「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。
もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである」。(ヨハネの黙示録21章3~4節 口語訳)
20年前、最初の子どもを小児癌で亡くしました。2歳2ヶ月でした。1歳9か月になる10月初め、突然、癌だとわかり、その日から入院となりました。
「ご家族様はお帰り下さい」と言われた時、耳を疑いました。立て続けの検査で一番不安な寂しい時に一緒にいてやれないとは、信じがたい事でした。けれども小児病棟の大部屋で、どの子も親はいなくてひとりでおとなしく寝ていました。諦めて帰ることにしましたが、娘は、別れ際に大泣きしました。翌日、面会時間に行くと、背を向けたまま爪をいじってばかりいて返事もせず、昨夜ひとりぼっちで置き去りにした私たちに抗議しているようでした。
入院の翌日には腎臓癌の摘出手術がありました。手術は成功したそうですが、既に肺にまで星のように転移していて助かる見込みは少ないと言うようなことを説明されました。説明されても正確に事態を把握できないまま一喜一憂する日々でした。そのうち足にも転移してとても痛がるようになりました。
更に強い抗がん剤に代わりました。このころには個室になり毎晩一緒に寝られましたが、夜中に「あんよ痛い」と目を覚ますこともありました。また、一人の時に絵本をびりびりに破いてしまったり実習生に物を投げつけたこともあり、他に表現できない苦しみを味わっていたのだろうと思います。
骨髄移植が始まると、苦しさは増しました。喉からの感染を防ぐためにバリュームのようなドロドロした薬を飲まなければならないのですが、毎回気持ちが悪くなって苦しそうに吐いてしまいました。もう骨はボロボロで足も腰も痛くてなかなか眠れませんでした。無菌室に移ってからはまた離れ離れの生活になりました。
面会時間が終わると帰らなければなりません。この頃には観念したのでしょうか、24時間ビニールで覆われたベッドの上にいなければなりませんでしたが、出たがることもなくおとなしくしていました。けれども、オムツ交換にはいつも苦しみました。お尻がただれていて感染を防ぐためにイソジン消毒をしなければならないのですが、それがしみてとても痛いのです。聖書を読み始めたばかりの私は、どうしていいかわからず「神様、って呼ぼう」と言うことしか思いつきませんでした。娘は痛くてたまらないので、オムツ交換の度に言われた通り「あみしゃぁ」と泣きながら呼びました。
私は、後からこのときのことを思い返しては、まだ神様のことを何も知らず、確信もないのに娘に教えてしまったことを悔やんでいました。神様は本当に痛みを和らげてくれたのでしょうか。もし、そうでなかったら、娘に本当に申し訳ない事をしたと私はこの20年後悔し続けていました。ところが、1か月前、この原稿を書いているときに不思議なことが起きました。ふっとこの胸の痛みが癒されたのです。娘が痛みで泣いていたあのとき、あの無菌室に実はイエス様がいて下さったのだということが20年目にしてやっとわかったのです。
さて、話しは20年前に戻ります。そんなある日、突然呼吸が止まり、無菌環境を破ってICUに運ばれました。手も足も動かず、腹水がたまり、体中にチューブがつながれていました。ここからは呼吸器を外せませんでした。何か言いたくても声を出せず、泣きたくても泣けない状態でした。
最も苦しんだのは痰の吸引でした。吸引している間は呼吸ができないので死ぬ苦しみになります。窒息寸前で目がひっくり返ってしまいそうでした。それを1日に何度も何度も繰り返すのです。なぜ、呼吸が止まった時にそのまま静かに死なせてあげられなかったのかと悔やみました。
娘の苦しみはいったい何のためなのだろうということが私には重大な問題となりました。無意味に苦しむなどということがあってはならないと思いました。娘の苦しみの意味、たった2年の人生の意味、生まれてきた意味を知らなければならないと強く感じました。意味がわかれば娘が楽になるというわけではありませんが、意味がなかったらあまりに悲惨で哀れだと思いました。せめて、意味が欲しかったのです。
意味を教えてくれるのは、聖書だと思いました。当時はクリスチャンではありませんでしたが、答えを探すために新約聖書を最初の1ページから読み始めました。娘のために早く答えを探さなければならないと必死でした。今考えると理屈が通っていませんが、その時は本気で娘のために娘の苦しみの意味を見つけなければならないと思い込んでいました。
しかし、マタイ福音書を読んでも、マルコ福音書を読んでも、「これだ」と感じるものを見つけられませんでした。ルカもヨハネ福音書もだめでした。使徒行伝も書簡も光を見つけようと一生懸命探しましたが、この時の私には、見い出す力がありませんでした。娘は既に何度か危篤状態に陥っていました。とうとう聖書は残り3ページになってしまいました。そして終にヨハネの黙示録21章を読み始めた時、何かが心を揺り動かしました。
「神自ら人と共にいまして、人の目から涙を全く拭いとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。」
神様がそばにいて下さる。お顔が見える。笑顔で話しかけて下さる。一緒に歩き、一緒に食事をする。そんなイメージが湧いてきて、温かなものに包まれたような気持ちになりました。
それだけでなく、涙を拭って下さるというのです。これには驚きました。神様が涙を拭って下さるなどということが考えられるでしょうか。人の涙を拭うというのは、ほとんどしたこともなければされたこともありません。せいぜい、お母さんが赤ん坊の涙と鼻水をティッシュで拭くことぐらいしか思い当たりません。涙を拭うというのは特別な行為だと思います。相手の悲しみを深くわかっていなければできません。
その悲しみを自分の悲しみとして感じていなければ、涙を拭う行為は逆に相手の悲しみの冒涜になってしまうと思います。また、悲しみをよく理解するだけでは、共に泣く事しかできません。涙を拭うというのは、実際に悲しみを取り除くということではないでしょうか。お母さんは、泣いている赤ん坊を抱いて涙を拭いてやりながら「もう、大丈夫よ」と言って慰めます。
赤ん坊は母の胸に抱かれて本当にもう大丈夫だと安心します。母親には、赤ん坊の悲しみを取り除く力があるのです。ましてや神様が直接拭って下さるのですから、人間の悲しみを完全に取り除いて下さるに違いありません。
私は、ここを読んだとき、神様がもし娘の涙を拭って下さるなら、娘はもう二度と泣かないですむのだと思いました。今はひどい苦しみの中にあるけれども、これがすべてなのではないと思えました。
神様が娘の頬に手を触れ、涙を拭って下さり、娘は永遠に癒されるのです。娘の人生の意味は苦しみではなかったのだということが、このときわかりました。娘の本当の命は神と共にあり、神に愛されて神のもとで憩うことこそ娘が生まれて来た意味だったのです。
この答えを見つけて間もなく娘は亡くなりました。死は、遺された者にとってはやるせない悲しみで埋めることのできない喪失ですが、痛めつけられていた本人にとっては苦痛からの解放です。苦しみは終わり、もう苦しまなくてすむのです。「もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない」世界に移ることができるのだと思いました。
「悲しみも痛みもない」というみ言葉はなんと力強く頼もしい事でしょう。体中の痛みは消え去り、窒息の苦しみももう襲っては来ません。母親に抱いてもらえない寂しさも、一人で死んでゆく孤独も、今はもう夢のように過ぎ去って跡形もなくなり、なかったかのように忘れられるでしょう。昔のことを思い出して「淋しかった」と感じることもないでしょう。悪いことを何もしていないたった2歳の子なら、必ず神様のみもとに行けると信じてよいと思いました。
永遠に娘の悲しみと痛みが取り除かれるのだと思うと、娘がそばにいないという私の悲しみも癒されます。娘が、あの孤独と痛みを忘れ去り、二度と思い出さずにすむのならそれ以上のことはありません。神様の懐で永遠に安らいでいる娘を思い浮かべることは、その後の私の支えとなりました。
娘の死と共に私たち夫婦は自然にクリスチャンになりました。私は、キリスト教のことをほとんど理解していませんでしたが、神の存在を信じなければ生きてゆけませんでした。川の流れにもまれながら必死で藁にすがっているような心境でした。
10年ほどは天国を確信できず、「本当は、神様も天国もないのかもしれない」と何度も疑いが起こりました。でも、その度に、「もしなかったら娘はどうなってしまうのか。死んで何もなくなってしまったのか」という恐怖に襲われ、それに耐えられなくなるのです。あれで終わりなどということがあってはならない、完全に死んでしまったのではないはずだと慌てて疑念を振り払います。
そして、「神様はいらっしゃる。天国は必ずある」と無理やり信じ直すのでした。溺れそうになっては息を吹き返すというようなことを繰り返しました。立ち返るのはいつも、「娘には天国がなければ困る」という希求からです。娘がいなかったら、とっくに天の国から手を放していたでしょう。そして、神様は、このようなあるかないかの信仰を20年間大切に守って、弱い私に合わせてゆっくりと導いて下さいました。
私は、十分な看病をしてあげられなかったと、ずっと後悔し続けていました。なぜもっと全身全霊で寄り添ってあげられなかったのか、振り返っては自分の愛のなさに愕然とするのでした。娘が亡くなった後、何度も何度も同じ夢を見ました。
闘病中の娘のことをすっかり忘れていて、しばらくぶりに死にそうな娘に会って、どうして忘れて放っておいてしまったのだろうと激しく自分を責める夢です。さすがにもうその夢は見なくなりましたが、もっと心から寄り添えばよかったという後悔は一生背負わなくてはならないだろうと感じていました。
ところが、3日前、この証の準備をしている時に、変化が起きました。それまでは、大丈夫、大丈夫と自分を慰めていたのですが、突然、娘にとっては本当にもうどうでもよいことなのだと心の底から思えたのです。
娘は、神様のみもとで超越した平安の中にあるのだから、私の愛の無さなど取りざたするほどのことでもないのだと心から思えました。私に愛が無いということは驚くようなことではなく、神様はそれをよくご存知で、愛がない事こそ赦して下さる方、そのためにキリストは来て下さり、天の国によって全てを解決して下さったのだと自ずと信じられたのです。
この聖句を知らなかったら、私にとって、娘の死は無意味で悲惨で底なしの闇と虚ろでした。人間の生に意味はなく、目的もなく、愛されもせず、人は空しく死んで塵に帰るだけの惨めで哀れなものということになってしまうところでした。
しかし、この約束が与えられています。すべてが変わり新しい都がやってきます。神様は、私たちと顔を合わせるまでにそばに来て下さり、今までの悲しみも苦しみも優しく拭って忘れさせてくださいます。
もう、死ぬことはありません。恐怖も憂いもなく神様の心に寄り添って永遠に一緒にいることができるのです。この約束は、死後の希望だけでなく、生きる意味を与えてくれました。人生には意味があり、生きるとは完全へ向かうことであり、天の国に向かって進む道の途中なのです。
石原潔
(岐阜県・ゴーバルハム工房)
岐阜県の恵那市から来ました石原潔です。山深いところで豚を育てハムを作っています。ゴーバルというハム工房です。1980年に始めました。20人ほどで働いています。養豚は息子の別経営です。お母さん豚90頭がいまして、一年に2000頭の肉豚を育てます。ゴーバルではその半数を加工して全国のお客様に届けます。食品添加物の溢れる今ですが、発色剤や化学調味料、着色料に頼らない。水増しして糊で固めるというような作り方をしないのです。これより他を知らないというのが本当の所です。塩と良いお肉で美味しいハムやソーセージが出来るということをずっとやって来ましたが、辺鄙な山の中でいわば素人が小さな工房を36年も続けられたのは奇跡でした。
この36年間の奇跡を何が支えてくれたのかと考えると、それは聖書だったと思います。聖書は一人でも読めますが、やはり誰かと一緒に読むことが大事だと思います。ゴーバル聖書合宿集会を1985年の夏から2013年まで持つことが出来たことは本当に幸せでした。名古屋から、太田利雄さん、依田欣哉さん、下澤悦夫さん、加藤知さんが来て下さったのです。ネットワークという点では、ゴーバルをはじめる以前から私が属していた御影聖書集会がありました。神戸の高橋守雄さん、皆さんが今に至るまで毎月連絡を下さったのです。普段は家庭で桝本夫妻と聖書を読む会をしていますが、最近ようやく山浦玄嗣さんの「ガリラヤのイエシュー」を通読することが出来ました。こうして私は糸の切れた風船のようにならなくて済みました。聖書を中心とする場を与えられるということは神さまからの最大の贈り物だと思いました。それから、ゴーバルの事業の特徴は「共同」ということです。家族がいて、友人がいて、地域の皆さんが支持してくださってようやく成り立っています。共同で仕事をするのは多くの場合大変難しいのですが、智恵も力も無い欠点だらけの私をも神さまは生かして下さり、これまで繋がっていること自体があり得ないことでした。パウロは「働いたのは、実はわたしではなく、わたしと共にある神の恵みなのです。」(コリントの信徒への手紙一15章10節)と言っています。
「働いたのは私では無く神の恵み」との言葉は、パウロの手紙で復活のことが書いてある部分で「キリストの復活」と「死者の復活」という段落の間にあります。コリントの信徒への手紙一15章2から5節に大事な言葉があります。「最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、ケファに現れ、その後十二人に現れたことです」これがパウロの復活の証言です。私たちにとって死は避けられない出来事ですが、パウロはキリストの十字架と復活と、私たちに新しいいのちと復活の身体が与えられると伝えました。私は宮田光雄さんが岩波の「世界」に書かれた「使徒パウロによる最古の復活証言」という一文に出会ったのですが、それは妻の看取りをしているときでした。本当にそれは悲しみのなかでの喜びでした。
個人的な話で恐縮ですが、妻の看取りと死別について話します。妻は肺癌が見つかり2013年1月に手術を受けました。その前後に抗がん剤治療もあり4月に退院します。これで卒業かと期待したのですが、ダメでした。秋には脳転移が判明し余命6ヶ月だと言われました。半年の命と言われて平静でいられる訳は無いのです。けれども不思議に神さまの導きによって、私たちは与えられた半年を駆け抜けました。2014年3月30日早朝妻は召されました。友人家族の助けなしには何も出来ない半年でした。
とくに申しあげたいのは、看取りの頃から葬儀直後の茫然自失の悲しみのなかで、二つの恵みを与えられたことをお伝えしたいのです。一つはいまお話ししたパウロの最古の復活証言から学んだこと。もう一つはマタイ受難曲との出会いです。
どのように出会ったのかというと、鈴木雅明さんのバッハ・コレギウム・ジャパンによるマタイ受難曲があるというので、葬儀の直ぐ後に、清水枝美子さんがチケットを送って下さった。それで4月20日名古屋の演奏会場に行くと、最初の音からいきなり涙が溢れて止まらない。イエス受難の有様が演奏に伴って展開してゆくのですが、妻の姿が重なるのです。肺がんの脳転移で、あと6ヶ月の命だといわれる。治療方針を変えて普段と変わらぬ生活を願って出来る範囲の仕事を続けた妻の姿です。第48曲で「イエスは良いことだけをしたのに」とソプラノが歌うと、それが献身的な妻の生涯と重なって、彼女にどれだけの重荷をかけたかを後悔し、妻を失って途方に暮れている自分が情けなくてまた涙。涙に終わった演奏会だったのです。
マタイ受難曲の終曲は、「私たちは涙してひざまずき、墓の中のあなたに呼びかけます。安らかにお休みください、やすらかに」とイエスに向かって歌う歌詞になっています。鈴木雅明さんの指揮は最後に両手を広げて、ぱっと十字架の姿で停止するのです。自分も十字架に磔にされているようでした。身体の震えが止まりませんでした。
家に帰ってからも繰り返し聴いているとバッハがマタイ受難曲に巧妙に仕込んだ復活のイエスに出会うのです。マタイ受難曲はバッハのつくった世界で最も美しい音楽です。慈愛に満ちた合唱と器楽による長い曲です。マタイによる福音書26章をテキストにしています。マタイ受難曲を聴いてイエスの十字架の意味を深く教えられるのです。イエスの弟子ペテロが「おまえは鶏が鳴くまでに私のことを三度知らないというであろう」と告げられて、その通りになってしまう場面では、静かに「憐れんでください神よ」と歌われます。本当に深い悲しみに浸されます。しかし続く第40曲のコラールでは、「御子が私たちを不安と死の苦しみによって贖って下さった」と信徒達の客観的な立場から歌います。裏切りの罪をも、御子が十字架の上で滅ぼして下さるという歌詞から悲しみと確信の交差する十字架の意味を理解するのです。それから第49曲は最高に美しいアリアですが、「愛の御心から救い主は死のうとされます。」という歌詞です。ここでは罪なき者による贖いの思想が歌われます。これらを通して、聞く者は十字架のイエスによる罪のあがないを自分たちの信仰として受け取ることが出来るのです。さらに第60曲のアリアでは復活のイエスをはっきりと脳裏に描くように受け取ることができます。マタイ受難曲によって深く心を揺り動かされる体験を私はしました。
今年で妻との別れを経て2年になります。やってくる事柄になんとか応答するのに精一杯の日々を送っています。仕事は若い人が成長して任せられる様になってきたのは有り難いことです。私はこのところまかないを週2回程、続けさせてもらい多いに学んでいます。ゴーバルの経営の他には、独立学園や同窓会のこと、少しばかりインドのことのボランティアです。これまで炊事洗濯掃除を始め人生の半分以上を妻が担っていたのですし、ゴーバルの仕事なかでも彼女は大黒柱だったのですから、とても追いつきません。伴侶を失うということは、半身では無く全身が失われたように感じます。不安に居たたまれない思いでした。突然に涙が溢れて来るし、一人いる時にはしばしば過度に感傷的になり、人にも会えないし何もしたくはないのです。逆に自分で毎日の生活をそれなりにこなしていると、ああ、一緒に居たときにもっとやっていたら良かったのにと思ってしまい、それも辛くなるのです。今も時々突然に胸が張り裂けるような気がするのです。死別の悲しみは簡単には解消できないのです。「自分は何によって生きているのか?」と何度も考えてしまいます。それは肉の弱さなのでしょうか。悲しみは限りなく深いのです。
パウロという人はダマスコ途上でバーンとイエスに出会い、目が見えなくなって、それから目から鱗が落ちるのですが、私のように鈍い人間は、なかなか目から鱗にはならない。繰り返し人生の中で洗礼と十字架を受けなければ目が開かれないのではないかと思っています。別れの悲しみや自分を失ってしまう感覚から、「目を開かれ」これからの希望がどう与えられるのかひたすら祈らされています。
パウロは、肉体は滅んでも、終末の時には、新しい朽ちない天に属する霊の身体を与えられるというのです。信仰のことですからこれは証明はできない。けれどもこの復活の命が与えられるという信仰がなければ、いま生きていることに到底耐えられないと思います。別れの後とくに強く魂の存在としての妻を思います。人間的にはなんとかして再び妻に会いたいと慕うばかりなのですが、その感傷のなかでは、これでは自分も死ぬしか無いということになります。ところが聖書は死について深く語りかけます。「死は終わりでは無い。」
聖書には復活の約束と共に「新生」ということが教えられています。パウロが言います。「このように、あなたがたも自分は罪に対して死んでいるが、キリスト・イエスに結ばれて、神に対して生きているのだと考えなさい。」(ローマの信徒への手紙6章11節)「だから、だれでもキリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。」(コリントの信徒への手紙二5章17節)
イエスによって新しく生まれ変わると言うのです。
そうすると、私はいまでも感傷的な回顧のなかにあるけれども、キリストに結ばれることさえ出来たならば、つまり徹底して自分の罪におののき、罪に死んでその低みを自覚するならば、その時に「新生」できるのだと思います。
コリントの信徒への手紙一13章12節と13節を読みます。「わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきりと知られているようにはっきり知ることになる。それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。」「はっきりと知られているように」という言葉も興味深いです。自分では今はまだ知らなくとも、神さまの側で「はっきりと知られているように」、きっと「はっきりと知ることになる」というのです。これなら安心です。
「復活」ということは、今はおぼろげであっても、そのときにははっきりと見えるようになると疑わずにいることが大事だと思います。揺り動かされることのないように、しっかりと立たせて下さるのは聖霊の力であり、聖書の言葉だと思います。そのために神さまどうかあなたの言葉を分からせて下さいと祈るのだと思います。
私の極めて個人的な体験から教えられるのは、イエスによって見出され、復活と新生の信仰を神さまから与えられることが本当の恵みだということです。それが悲しみのなかでの本当の喜びだと思います。
復活についてもう一つお伝えしたいことがあります。最近、新教出版社から「雪に閉ざされて」という本が出ました。ジョン・グリーンリーフ・ホイッティアの詩を根本泉さんが翻訳したのです。「冬の田園詩」という副題がついています。150年前の詩ですが、復活の信仰を言い表しています。ホイッティアはマサチューセッツ州の農場で生まれ育ち、奴隷制廃止運動の先頭にたったクェーカー派の詩人です。この詩の200行目に端的に復活の希望が言い表されています。『「愛」は夢み、「信仰」は信じるであろう。いかにしてか、どこかで、きっと会える。(Love does dream, Faith does trust Somehow, somewhere meet we must.)』全訳はこれが初めてとのことです。根本さんの日本語訳は大変丁寧で、詳しい訳注や解説も添えられて分かりやすい。内村鑑三の「一日一生」3月31日の頁にはこの言葉が選ばれています。ホイッチャーの詩からも私たちは復活の希望が与えられます。「愛の夢想をわれ疑わじ、何様(どう)か何処(どこ)かで相い見んと」この言葉が、コリントの信徒への手紙一15章53-54節に重なります。「なぜなら、この朽ちるものは必ず朽ちないものを着、この死ぬものは必ず死なないものを着ることになるからである。この朽ちるものが朽ちないものを着、この死ぬものが死なないものを着るとき、聖書に書いてある言葉が成就するのである」
サタンの力は強くて、神さまの創造された世界を破壊する動きが加速していると思います。集団的自衛権を憲法解釈を曲げて行使する法律が施行されました。平和憲法も改悪されようとしています。日の丸君が代を教育現場に強制し、思想信仰の自由を奪い取ろうとしています。福島の事故は未だ収束していないのに原発再稼働を計ります。高度経済成長から取り残され過疎となった農村で、罪の矛盾に身を置いている私たちですが、どこにも本当の豊かさがあり質素で美しい生き方があると思います。課題を担いつつ生活のなかで聖書を読み、喜びを与えられる生き方がきっとあると思います。若き日に独立学園で見た鈴木弼美先生や桝本忠雄先生の生き方にも通じるものと思います。繰り返しますが、悪の力が内外に溢れているなかで、私たちの拠り所は聖書に示された復活のいのちへの希望だと思います。
最後にテサロニケの信徒への手紙一5章16節から18節に学びます。パウロはテサロニケの人々に復活の信仰を伝えた後、次のように呼びかけています。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。」これは誰にでも出来る新生に至る生活態度だと思います。罪人の頭ではあるけれども主に赦されて、喜びと祈りと感謝を忘れないようにしたいと思います。つたない証言を終わります。
〇今月号に掲載した、無教会の全国集会の録音がCDでなされています。希望の方は、左記の吉村まで申込してください。①全部の内容をMP3形式で録音したもの。②四人の聖書講話のみ、③全体での自己紹介、証し(7名)、五分間の感話(7名)他、④全体で用いられた賛美集の録音の四種類の録音CDです。これらはMP3形式ですが、MP3対応のプレーヤを持っておられない方々は、その、最近発売されたソニーのCDラジオがお勧めです。
価格は、インターネットでは変動がありますが、六千円~七千円程度です。これは、CDとラジオの機能だけで、カセットテープの機能はないのですが、コンパクトでとても使い易いもので、数百もあるCDラジカセの仲間では、特に多くの人たちから購入されている機種です。間違って購入しないためには、「ソニーのCDラジカセ ZS-E30 」 という型番を電器店に告げて、購入する必要があります。もし近くに電器店がない場合には、インターネットで私が注文してお届けすることもできます。 なお、一般のCDプレーヤでも聞ける形式にするとCDの枚数が増えますが、その形式も申込可能です。問い合わせも左記の吉村まで。
〇7月14日(木)夜8時~17日(日)の昼まで、北海道の瀬棚聖書集会。
講師… 石橋隆広(日本基督教団利別教会牧師)、吉村孝雄申込や問い合わせは、。
〇今年も、例年のように北海道からの帰途に(主もし許し給わば)、各地の集会や個人を訪問して、交流と集会を―と願っていますが、今年は全国集会関係のことが多く仕事も残っていて、計画を立てるのが遅くなっています。
〇今回全国集会の夜のプログラムに、「祈りの友」の合同集会を兼ねた集りがなされ、未加入の方々も含め、六十名近い方々が参加されました。その内、会員は35名ほどでした。「祈りの友」に関する問合わせ、入会申込は左記の吉村まで。
だれでも、キリストにあるならば、その人は、新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った。見よ、全てが新しくなった。(Ⅱコリント5の17)