いのちの水 2016年9月号 第667号
悪をもって悪に報いてはならない。かえって祝福を祈れ。あなた方は祝福を受け継ぐために呼び出されたのである。(Tペテロ3の9より) |
内容・もくじ
祈りと神の聖なる道 | 主に結ばれて歩む | 主の祈り(その1) |
主が建てるのでなければ | 7月の北海道ほか各地での集会 | 5月の無教会全国集会の閉会集会での各地からの感想1 |
ことば | 編集だより | お知らせ |
祈りはどこにおいてもできるようになっている。苦しみのとき、悲しみのとき、そして日常生活の小さなひとときー車やバスなどで移動しているとき、また、何かの待ち時間のときもできる。
また、日毎に生じるさまざまの国内外のできごとに接しても、御国を来らせてくださいーという祈りが生まれる。
あるいは野山や公園を歩いて一人の時間がとれるとき、周囲の樹木や大空からの語りかけを聴こうとする。
遠くの山々をみても、太陽の沈む赤い夕空を見るときも、夜の闇からコウロギがさまざまの鳴き声を生み出しているのに接しても、どこを向いても、それらを通しての静かな細い語りかけがある。
それらに聞こうとすることも祈りである。
また、聖書に記されている数千年前からの歴史や世界の各地で生じてきた歴史、また身近な自分が幼いときから現在までの歩みのこと、身近な人たちのことー等々、神は私たちがつねに祈りをもって生きるようにと導かれているのを感じる。
聖書には、マルタの姉妹であるマリアが、じっと主イエスのもとに座って耳を傾けて聞き続けたことが記されている。(ルカ10の38〜42)
私たちも、内外に存在するさまざまのできごとにおいても、神はそうしたことを通して何を語りかけておられるのかーと思いをめぐらす。
聖書には、さまざまの箇所において、あらゆるこの世の問題の根底に、神の聖なる道が御国へと通じていることが記されている。
私たちは、日常のさまざまの時に静まって祈るとき、そうした道がはるかに続いているのをほのかに実感することができる。
… 私は主の御業を思い続け
いにしえに、あなたのなさった奇跡を思い続け
あなたの働きをひとつひとつ口ずさみながら
あなたの御業を思いめぐらす。
神よ、あなたの聖なる道を思えば
あなたのようにすぐれた神はあるだろうか。(詩篇71の12〜14)
私たちは日々、どこかに向って歩いている。
どこから来て、どこへ行くのかーこれはこの世界の根本問題である。
古代から、現代を経て未来へーいったいわれわれの未来はどうなるのか、このことに関して多数の人は、漠然とした不安があるのではないか。
我々一人一人は、まずどこへ行きつつあるのか、死に向っているが、死のかなたには何があるのかー。このことは老年になるにつれて大きくふくらんでくる。
他方、この社会、世界を見るとき、テロは、原発は、科学技術の未来は、核戦争はあるのか、人口の増大や資源の枯渇ーさまざまのものが自動化されていくなかで、人間は器械に使われるのではないのか、性の問題の乱れ、人間やその他の生物の遺伝子ーDNAを組み換えることなどによって何が生じるのか、その行き着く先は何が待っているのかー等々。
そして、科学の説くところは、最終的に地球そのものは、太陽の消滅とともに失われていくー。
このような科学的な説明で人間の魂は深いところで満足できるであろうか。一切は消滅していくーそんな結論にいったいだれが満足できるであろう。
こうした自分という人間からはじまって日本や世界、そして宇宙にかかわる問題を考えるとき、どこに向っていくのかという問題は、だれにも解決のできない大きなものを含んでいる。こうした謎と不安に満ちたような世界にって、どこにも確たる道がないようにみえる。
そのような中にあって、聖書は、一貫してあらゆるそうした個人の未来のこと、世界や宇宙の将来についても深遠な洞察をもっているのに気付かされる。
いかなる闇や混乱があろうとも、そこに大路があるー揺るぎない道があるというのが聖書のメッセージである。
…そこに大路があり、その道は聖なる道ととなえられる。 (イザヤ書35の8)
And a highway will be there; it will be called the Way of Holiness.
イザヤと言われる預言者は、すでにいまから2500年以上も昔に、この世界のあらゆるまちがった道、汚れた道、あるいは滅びへの道とはまったく異なる道ー聖なる大路が存在することを示されていた。
これは、この預言が言われた時代においては、長く捕囚となっていた民が、だれもが予想もしなかったペルシャの王による解放がなされ、はるか彼方の祖国まで帰ることが許可されたことがもとにある。
砂漠地帯の困難で危険な道であっても、そこに神が備えられた道がある、必ず守られて神の約束の地、祖国へ帰ることができるということの預言であった。
そして、聖書に記されていることは、当時の世界や人々だけにあてはまるのでなく、どの時代にもどんな地域や民族にあっても霊的にはあてはまることが言われている。
それゆえに、この聖なる大路に関する言葉も、長い歴史の中で一貫して、その時代の人たちに自分たちのことが言われていると実感するものがあった。
旧約聖書は新約のキリストを指し示す。ここでも、現在の世界の闇の力に苦しむ私たちではあるが、そのただ中に、私たちの祖国ー天の国へと帰っていく道が、備えられているということを指し示している。
そしてこの聖なる道は、その本質ゆえにいかなるこの世の権力や軍事力、病気や飢饉といった状況にあってもなお壊れることも変質することもない。
そしてその道こそは、ひと言で言えばキリストである。
…わたしは道であり、真理であり、命である。
(ヨハネ14の6)
一般的には、キリストとは、隣人を愛せよなど、よい教えを説いた人、人の生きる道を説いた人だ、奇跡をしたり特別な能力があったが十字架で処刑されたーというように思われている。
けれども、聖書は、キリストとは単に道を説いた人にとどまるのでなく、道そのものなのだと記している。
キリストを知ったら、この世界がいかに混乱して闇が深くたちこめていようとも、その混乱と闇のただなかに聖なる道が永遠に向って続いているのが見えるということになる。
そして、その道を歩くことができる。それは道そのものであるキリストに結ばれて歩いていくことである。
…私たちは、主キリスト・イエスを受け入れたのだから、キリストに結ばれて(キリストの内にあって)歩みなさい。(コロサイ書2の6)
キリストに結ばれて生きるーこれは、原語のギリシャ語の表現では、キリストの内にあって生きるということである。それゆえ日本語訳も、「彼(キリスト)にあって歩みなさい」 (口語訳、新改訳など)と訳されているし、数十種類ある英訳もほとんどが、 walk in him となっている。
私たちは何かの内にあって、また何かを内にもって生きている。
この世の考え方、この世のさまざまの霊の内に生きている、そのなかで歩いている。
また、人間の愛や憎しみ、妬み、あるいは、支配欲などの中に生きている。
この世の学業やスポーツ、会社などでも、よい成績(業績)をあげるということを第一とする願いの中にあって生きていることが多い。
そうしたものが全くない場合、絶望のなかにあって生きている人たちもあるだろう。
それらすべてに異なるのが、キリストの内にあって生きる、歩むということである。
それが少しでもできると、おのずから、他者のわるいところを責める気持ちも消えていく。そして、キリストから力を得る。
…あなた方が私の内にとどまっていなさい。
そうすれば私はあなた方のうちにとどまっている。
それによって豊かに実を結ぶ。 (ヨハネ福音書15の4)
まず、キリストのうちにとどまっていようとするようにと言われている。そしてそのために、神はキリストと神との創造になる自然の豊かな世界を人間の周囲に置かれた。
青く広がる大空や雲、夜空の星々、山野のうるわしい緑、さまざまの植物とその花、海の広大な青い広がりー等々すべてキリストの招きである。
「私が創造したこれらの内ーその清さ、力、自由、美ー等々のうちにとどまっていなさい」、という招きがそこにある。
そうした自然の世界に何らかの理由で触れることが困難になった場合ー病気や失明あるいは何らかの環境によってそれらがわからなくとも、それらの自然の創造主である神やキリストの内にとどまろうとすることはできる。
天地万物は、一般的には神の創造によるのであってキリストは創造とは関係がない、というように思われている。
しかし、聖書の啓示は、次の聖句のように、キリストは神と同質であり、永遠の昔から神とともにあり、神であった。そしてそれゆえに、万物の創造者でもあったと記している。
…言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。(ヨハネ福音書1章1〜3)
ここで「言」とは、イエスとして地上に生まれる以前の霊的存在、神とともにあり神でもあったという永遠の存在を指している。
…御子(キリスト)は、見えない神の姿であり、すべてのものが造られる前に生まれた方です。 天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、王座も主権も、支配も権威も、万物は御子において造られたからです。つまり、万物は御子によって、御子のために造られました。
御子はすべてのものよりも先におられ、すべてのものは御子によって支えられています。
(コロサイ書1の14〜17)
この箇所も先にあげたヨハネ福音書の冒頭の記述と本質的に同じことを言っている。
…神は、この御子を万物の相続者と定め、また、御子によって世界を創造されました。
御子は、神の栄光の反映であり、神の本質の完全な現れであって、万物を御自分の力ある言葉によって支えておられます。(ヘブル書1の1〜3)
このように、キリストは、イエスとして人間の子供として生まれる前からおられ、万物の創造者でもあり、現在も万物を支えていると言われている。
このようなことは、科学的研究とか思索によって導かれたことでない。まったくそれらを超えた神からの直接の啓示としてヨハネやパウロ、ヘブル書の著者たちに与えられた真理なのである。
そして神は愛であるから、その一人子でもあり、神でもあるキリストも愛である。
とすれば、万物はキリストの愛によって創造され、今もその愛によって支えられているということになる。
澄んだ青空ーそれはキリストの澄んだお心の ひと雫である。それを見つめることによって私たちはキリストの清い本質のうちに少しでもとどまることができる。
使徒パウロは、神の導きによってつねにキリストの内にあって生きることが決定的に重要であること、彼自身の日々はそれによってなされていたのがわかる。
それは、「キリスト(主)の内にあって」(in Christ) という表現が、164回も使われているということからもうかがえる。
彼のなすこと、行なうこと、万事がキリストにあって、霊なるキリストに包まれてなされていたのであった。(*)
(*)例えば、Tコリント4の15〜17では、4回もこの「キリストにあって(主にあって)」が用いられている。日本語訳では異なる訳語が用いられているこのことに気付かない。
このような絶大な存在がキリストである。そのキリストのうちに私たちがとどまろうとするとき、たしかにその願いはかなえられる。
そして今度は、そのキリストが私たちのうちに居てくださるようになるという。
互いに、内に住むという驚くべきことが約束されているのである。
人間は著しく小さく、弱く罪深い。正しいこともできず、真実の愛なども持っていない。自分中心であって少しのことでも揺らいでしまう。そんな弱いもの、汚れたものがいかにしてキリストの内にいることができるであろうか。
私の内にとどまれーと言われた。そのしめくくりとしてイエスは、「我が愛の内に留まれ」 といわれた。
(ヨハネ福音書15の9)
汚れたものは、清いものの内にはいられない。しかし、神は愛であるゆえに、そのような本来なら滅ぼされてしまうようなものをも、その内に招き、主の内にいることを許してくださる。
それだけでも驚くべき恵みであるが、それだけでなく、この私たちの小さき心、狭く醜い心の中に来てくださるという。
このようなことは、旧約聖書にはまったく言われていなかった。神とはあまりにも遠く、聖なる御方であるゆえ、人間が近づくときにはたちまち滅ぼされてしまうと信じられていた。
預言者イザヤのような人ですら、聖なる神をまのあたりにすることを許されたが、自分は滅ぼされてしまうーと叫んだし、キリストの弟子ペテロも、キリストが神と同質の御方だとわかったとき、思わず私から離れてください!と叫んだほどであった。
しかし、それでも、神は愛であるゆえに、私たちのうちに来て住んでくださるという。
キリストが私たちの内に住んでくださるーこのことも、ヨハネによる福音書、ローマの信徒への手紙で強調されている。
…生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。(ガラテヤ2の20)
このように、私たちの道とは、キリストの内に私たちがとどまり、そしてキリストが私たちの内にキリストが住んでくださるという道である。
そうなると、私たちの内なるキリストが万事をしてくださるようになる。
キリストが私たちの内に生きておられる、働いてくださるならば、人への憎しみも自然と消えていくであろうし、さらにはそもそもそうした人間的な憎しみ自体が生じないという状況へと導かれるであろう。
使徒パウロがもっとも力をそそいで書いた書がローマの信徒に宛てた手紙として残されているものである。これは、この世界全体に人間の罪が満ちていること、それゆえに救いが必要である。その救いのために、キリストが来てくださって十字架にて死なれた。その死は、私たちを救う力があり、それはただ信じるだけでその赦しが与えられる。
そして、罪の赦しというもっとも重要なことが与えられたとき、人はおのずからそれまでと違った道を歩みだす。キリストの内にとどまり、またキリストが私たちの内にとどまってくださって歩む道である。
そのときどのようなことが私たちの日々の目標となるか。それは、とくに新約聖書の多くの箇所で記されているが、ローマの信徒への手紙にも明確に記されている。(12章)
それらを要約すると次のようになる。
兄弟愛をもって互いに愛する。
霊(聖霊)に燃えて、主に仕える。
希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈る。
迫害する者、敵対する者のために祝福を祈る。
だれに対しても悪に悪を返さず、
悪に負けることなく、善をもって悪に勝つ。
このようなことを、私たちの人間的な決心とか生まれつきの愛のようなもので実行しようとしてもできる人はいない。せいぜいごく短期間それに類することができるにすぎない。
しかし、さきに述べたように、聖霊なる主の内にとどまり続け、主が私たちのうちに留まり続けてくださるならば、こうしたことが自然に可能となるゆえに主イエスは、最後の夕食の場にあって、あたかも遺言のように、繰り返し繰り返しでこのことを教えた。(ヨハネによる福音書の15章)
それゆえに、パウロも「主にあって」ということを164回という驚くほど多く用いたのであった。霊なる主の内にいつも留まってその力に包まれていたからこそ、彼は驚くべき多くのはたらきをなし、またここで言われているような愛と聖霊に燃えて働くこと、そしてあらゆる人ーとくに敵対する人への祈りを続けていくことができた。
そしてそのことこそ、わずかの期間にキリストの福音が広範囲に伝わっていく原動力となったのである。
天におられる私たちの父よ。 (マタイ福音書6の9)
祈りは数知れない祈り方、祈りの内容がある。苦しむ人、しかもその絶えがたい、死にたいと思うほどの苦しみにある人の祈り、また大きな願いー病のいやしとか長年の対立が和解できた、何十年と努力してきたその目標に達成できたー等々がかなえられたときに捧げる感謝の祈りもある。
大きな罪を犯して、他者の人生を取り返しのつかないほどに傷つけた、あるいは交通事故で誰かの命を奪ってしまった…あるいは、深い罪の赦しを願う祈り、相手に深い傷を与えたそのいやしを願う祈り…等々、置かれた状況によって祈りや願いは千差万別である。
神を信じてない人でも、祈らずにはいられなくなるような状況に置かれることがある。
子供がおもちゃをくださいといって祈るようなものから、主イエスの最期のときの祈りのように、死に至る激しい苦しみをどうか除いてください、しかしあなたのご意志が成りますように!と 血の汗をしたたらせつつなされる祈りもある。
そうしたあらゆる時代のいかなる状況にあっても、なお最も深くて広い祈り、どんな人にとっても、また今から何十年経とうとその祈りの内容がすたれることのないような祈りというのはあるだろうか。
それが「主の祈り」といわれて、それは二千年の間、世界で最も高く、かつ深く、しかも広範な内容を含んでいる祈りとして重んじられてきた。
それが「主の祈り」といわれる祈りである。
その祈りのはじめは、次のような呼びかけである。
…天におられる私たちの父よ
このひと言、これだけでもさまざまの意味が含まれている。天にいると言われるが、そもそも天とはどこなのか。
人間世界が近づくことのできない無限の高み、あるいは清さに満ちたところを象徴的に指している。ーそれは霊的世界である。つぎのように言い換えられる。
私たちが決して汚したり壊したりできない無限の高みにある神様、ということである。
そのような人間とは隔絶した存在であり、天地万物を創造したという途方もない壮大な御方であるにもかかわらず、私たちをこの世界に生み出してくださった、最も身近な家族ー父にたとえられる御方であることが意味されている。
主イエスが地上に来られてから、神は人間にもっとも身近な存在となった。それまでは、限りなく清いゆえに、人間の汚れた存在は見ることも触れることもできないと思っていた。
しかし、主イエスが親しく神を、父と呼んでごく身近な存在であることをその呼称でもって示された。
旧約聖書の時代には、個人がこのように神のことを、お父様 などと呼びかける例は記されていない。
日本においては、宇宙の創造主ではないさまざまのものが神とされている。信長や秀吉、あるいは戦死した数百万の人間も神とされ、礼拝の対象となっているし、山や樹木、狐や狸、蛇、昔の神話に出てくる人物なども神とされているが、そのような神々がまつられている神社に行って、お父様 などと呼びかけて祈るというのは聞いたことがない。
私たちが祈る対象である神様は、無限に高く遠い存在でありながら、私たちを生み出し、最も近い霊的存在でもあるーそのことを祈るときにはいつも意識して祈ることが求められている。
限りなく遠い、にもかかわらず、何よりも近いのが神なのである。
このことは、後に主イエスが十字架で処刑され、復活されて聖霊という目に見えない存在となられてからは、私たちの内にまできて住んでくださるようにさえなって、限りなく近い存在とさえなってくださった。
そのようなことも暗示しているのが、この主イエスの最初のひと言の祈りである。
人は、だれでも何かを建てよう、造り上げようとしている。それは友だち関係であったり、強いスポーツチームであったり、あるいは勉学、研究、さらに何らかの社会運動の組織、あるいは会社などさまざまの事業であったりする。
そして、より規模が大きくなると、国家を建てようとする。 戦前は、大東亜共栄圏というものを建てあげるため、八紘一宇などというスローガンを掲げて、太平洋戦争を始め、おびただしい犠牲者を出し、日本を破滅へと導くことになった。
あるいは、ヒトラーも、ヨーロッパを自分の支配下となるような国を建てあげようとした。
こうした近年の状況だけでなく、はるか数千年の昔から、さまざまの民族は周囲を支配し、広大な帝国を建てようとして武力で戦ってきた。エジプト、、アッシリア、バビロニア、アレクサンダーの帝国、ローマ帝国等々。
近年は、かつての大戦争を起こさないようにと、ヨーロッパを一つに建てようとするEUなどもそうした例である。
そうした人間の外側のことだけでなく、内面の世界においても、私たちは周囲のさまざまの批判や中傷、攻撃にあっても倒されないような強い心に建てあげようとすることもたいていの人は考えたことがあると思われる。
そうしたすべての「造り上げる、建て上げる」ということに関して、一言で深い真理が語られている。
…主御自身が建ててくださるのでなければ、
家を建てる人の労苦はむなしい。(詩篇127の1)
人間がどんなに武力や権力、あるいはお金の力で何かを造り上げても、時が来れば必ず壊れていく。それは先ほど触れた歴史上の大帝国もみな崩壊し、消滅していった。時間はあらゆるものを振るい落とす。長い時間のうちには、必ず神の御手が働いていることが明らかになっていく。
現代に生きる私たちにとって、だれでも何らかの人間関係を建て上げようとしている。夫婦、親子、兄弟といった身近なところから、学校や職場、その他の人間関係など至るところに、私たちは人間同士の関係が生じる。
そしてそれを少しでも良く建てようとする。 しかし、いかに人間が努力しても、ふとしたことから壊れてしまうーということもしばしばである。親子や夫婦の間を造り上げようとしても、いかにしてもうまくいかず、長い年月にわたって壊れたまま修復できないーということもある。
そして最も近いものー私たちの心そのものを強固なもの、真実なもの、愛に満ちたものに造りあげようーとしても、ある程度はできたと思っても、ふとしたことから、壊れているのに気付く。愛などまるでなかった、という事実に気付かされることもある。
また、知識や技術、訓練によって自分を他人より優れたものに造り上げたいということはたいて人が持っている願望である。しかし、そうしたことも、それが実現されていくと、高ぶりというひそかな罪が芽を出してくることが多い。
聖書にも次のように記されている。
…知識は人を高ぶらせるが、愛は造り上げる。
(Tコリント8の1)
人間を本当に建てる、造り上げるのは、知識ではなく、神の愛である。
神の愛を知らないときには、母の愛が最も深いように言われることが多い。しかし、そもそも母のいない人もたくさんいるし、母によって捨てられた人、愛どころか苦しめられる人もいるからだれにでも経験できるものではない。
また、母親が苦しい病気や老年になって動けなくなれば自分のことで精一杯となって愛を誰かにそそぐということなどできなくなる。さらに、いずれ成長して考え方が異なるようになったり、遠く離れて暮らすようになるとその愛も薄れていく。その愛は、当然のことながら、母親が死ねば終わる。
人間の愛は、このように一部の人、ある期間や条件のなかで存在するものであって、ふとしたことからたちまち変質し、消えてしまう。
それゆえに、母の愛にかぎらず「人間の愛は、本当の愛(神の愛)の影にすぎない」(カール・ヒルティ)ーと言われるのである。
それに対して、神の愛は、無差別的であり、いかなる状況の人にも及ぶものであり、ある期間だけということがなく、死後も復活させてくださり、永遠にその愛に包まれる。
そのような無限の深みをもった愛であるゆえに、人間のこと、世界のことをも究極的に建て上げることができる。
それは、言い換えれば、主によって建てるーということである。
「主によって建てるのでなければ、労苦も空しくなる」ーこの詩篇の言葉は、私たち一人一人の心の中のことから、日本や世界の長い歴史の動きの中で生じることまですべてを洞察したうえで言われている言葉だとして受け取ることができる。
神の言葉とは、そうしたものである。どんなことが生じても、いかに長い時間が過ぎても、決して変ることがない。
「天地は過ぎ去る。しかし 私の言葉は変ることがない」と主イエスが言われた。
人間が建てようとしたものはみな最終的には崩れ落ちていく。私たちのからだも、いかに科学技術、医学や薬学によって病気をいやし、怪我を治しても、刻々と老齢化し、最後にはさまざまの体力の衰え、また病気などによって治らぬ状況となっていく。
壊れていくのである。私たちはそういう意味で、いかに造り上げようとしても、最終的には、確実に崩れ落ちていく存在である。
そのような冷厳とした事実に対して、聖書の真理は、まったく異なることを指し示し、約束している。
それは、最終的には崩れ落ちて終わるのでなく、復活し、キリストの栄光のすがたと同じような永遠の霊的存在として造り上げられるというのである。
この現在見えている世界もまた、いかに建て直そうとしても不可能である。太陽も次第に膨張し、熱を最終的には失い、それ以前に地球は灼熱の世界と化してすべての生物は死に絶える。
それでも、聖書は、新しい天と地が天からくだってくるという、ふつうの常識では到底考えられないようなことが記されている。しかし、死んで骨になってしまった人間が復活する、そして神に等しいキリストの栄光と同じ姿に変えられるということもまた、一般の常識的な考えからでは、考えられないようなことである。
それだけでなく、そもそも愛や真実の神、いまも生きて働いている神が存在する、ということ自体、見えるものしか信じない人たちにとってはおよそ考えられないことである。
しかし、私たちが信じる神は、文字通り全能の神であるゆえに、どのようなことも可能である。
こうした通常の経験や学問、常識などの一切を越えることを信じることができるようになるのが、また神の力であり、大いなる恵みである。
この世界ー人も地上世界も宇宙もー根本的に造り上げるものは何であるのか、それは今後とも人間の究極的な課題であり、それにこたえるのが聖書の真理なのである。
二千数百年も昔、預言者イザヤが、神からのメッセージとして告げたことは、いまもなお、私たちに語りかけられている。
…あなたは知らないのか、聞いたことはないのか。
主は、とこしえにいます神、地の果てに及ぶすべてのものの造り主。
倦むことなく、疲れることなく、その英知は究めがたい。 (イザヤ書40の28)
7月の北海道(瀬棚、札幌)、東北、関東、中部各地での集会の報告。
今年の7月に北海道の瀬棚地域での瀬棚聖書集会が終えてその後各地を訪問、集会の予定を書いていたので、かなりの長期にわたり、自動車での走行も長距離であったこともあり、幾人かの方々から、無事に帰ることができたのかと後で問い合わせてて下さる方々もあったので、やや詳しくそのことを書いてみます。
私が瀬棚をはじめ各地を訪ねることができたのは、ひとえに徳島の地元の集会の方々や各地の集会の方々の絶えざる祈りと援助によることであったので、こうした集会も多くの方々との共同のはたらきだったと感じます。
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7月12日から、31日まで、北海道の南西部の日本海側にある瀬棚という地域での3泊4日の瀬棚聖書集会に招かれて、聖書の中からのメッセージを語った。
瀬棚聖書集会は、今年で第43回。私が初めて瀬棚にて瀬棚聖書集会の担当者として行ったのは、2003年の7月。それから14回目となった。
13年の歳月、毎年一度であるが、私にとって未知の人たちであった瀬棚の人たちが、霊的にも近く、その参加者のお心、信仰、仕事、ご家族のことなどもいろいろと知らされ、そこにはたらいている神の力をも知らされてきた。
7月12日(火)夜8時から、舞鶴市ーとはいっても、市街中心部からは25キロほどあり、山中の小さい農村集落。そこに愛農高校関係の方々が在住、農業に従事しておられる。そこで添田さん宅のすぐ近くにある集会所での集会。添田さん夫妻や霜尾さん親族の方々、外部からの農業研修生も一人加わっての集り。このような山深い所での生活、農業は車の入らない時代ではどれほどかたいへんだっただろうと思われた。そしてその小集落でキリスト教信仰を維持していくこともまたさまざまの試練があったであろうし、現在もあるだろうと推察される。そうしたなかで、主がここに愛農高校関係者に福音の種を蒔かれて育って維持されてきたのを感じた。
その集りの世話をしてくださっている添田潤さん夫妻が、愛農高校時代に教わった教師が、いま瀬棚で酪農をされている倉田健さんであり、まったく関わりないと思っていた舞鶴のその集りと瀬棚がつながっているのを知らされたことだった。
〇7月14日(木)〜17日(日)北海道瀬棚での第43回 瀬棚聖書集会 。今年の主題は、「神に選ばれた者の使命」。このテーマに従って、私は4回にわたって聖書からのメッセージを語らせていただいた。三日目には、日本キリスト教団の利別教会の石橋隆広牧師もメッセージをされた。
瀬棚といっても大多数の方々には、不明な地域と思われる。北海道の日本海側の奥尻島の対岸にある地域で、私も2003年に初めて瀬棚聖書集会で聖書講話を依頼されたときには、瀬棚という地名も知らなかった。それから13年、毎年瀬棚に夏の3泊4日の聖書集会で毎年み言葉を語らせていただくことになり、今年で14回目になった。
この間、瀬棚の方々にもさまざまの変化があった。新たな人が酪農に加わり、以前からの人が外国へと2011年の福島原発事故の関連でニュージーランドへと移住された方もあり、またこの聖書集会のプログラムに含まれる教会での主日礼拝の聖書講話がこの瀬棚聖書集会の講師が担当することになっているが、その教会の牧師の交代もあり、病気で来られなくなった人、結婚したときはキリスト教信仰は知らなかった幾人かの若い女性が、瀬棚での酪農の生活のなかで、信仰に触れてキリスト者となっていった方々ー。 長くこの瀬棚聖書集会の大きな支えとなって来られた生出正実夫妻も高齢となり、生出真知子さんも食事の準備その他のお世話から離れることになった。
毎回の聖書講話の後では、その講話に関係する内容に限っての全員の感話、さらに三日目の夜には、音楽と交流の集い、自由な信仰に関する感話の時もあった。
毎年夏の瀬棚聖書集会では、日曜日には瀬棚聖書集会の講師が、日本キリスト教団の利別教会での説教も担当し、聖書集会の参加者も教会員たちとともに主日の礼拝をともにするという方式で長く続けられてきた。
こうして、無教会の集りと教会の礼拝とが一つになって長く継続されてきたのは、ほかではあまり耳にしないことであり、教会、無教会という枠にこだわず、キリストへの信仰という点での一致があれば同じ兄弟姉妹としての交流が与えられることを実感してきた。
〇7月18日(月)札幌交流集会
私が瀬棚に参加するようになってから、瀬棚聖書集会の終わった翌日に札幌で、札幌交流集会が行なわれるようになっていた。それは、私ども徳島集会の視覚障がい者が、浦和キリスト集会に参加していた中途失明の大塚寿雄さんとの関わりが与えられ、大塚ご夫妻のお世話によって札幌での集りがなされるようになった。はじめは徳島からの参加者と札幌聖書集会の方々との交流から始まったが、瀬棚に参加した北海道外の方々、釧路や小樽、また札幌独立教会などからの参加者も加えられ、20数名のよき集りとして続けられている。北星学園理事長の大山綱夫氏が、数年前から参加され、韓国の慰安婦問題で脅迫を受けたことに関連して、さまざまの困難があったこと、またそれが多くの方々の支え、祈りなどにより、何とか乗り越えることができたが、現在では、また別の難しい問題もあることを語られた。
その後、岩見沢の教友宅を訪ね、高齢の方からいままでの信仰による歩みのことを聞かせていただいた。
〇7月20日(水)苫小牧での集会。今年は、私の連絡が遅れたため、市民会館の予約ができず、大澤 恵美子さん宅での集会となった。そのために参加者との距離が近くて、いつもよりも参加者一人一人のことがよりはっきりと感じられた。去年まで参加されていた苫小牧の集りの中心的な方であった船澤澄子さんが召され、今年はその姿が見えず残念なことだった。
何十年もまえに、堤道雄氏が瀬棚の講師として参加されていたとき、ともに瀬棚に参加したという方もあり、ずっと以前からの主の導きが今日まで続いていることを感じさせられた。
〇7月21日(木)青森戸山教会にて。今までは青森市の岩谷さんのお家での集会だったが、今回は日本キリスト教団の韓国の女性が牧師をしておられる教会での集会となり、その牧師さんや教会関係の方々も一部参加された。
岩谷さんは、若き日に、濃硫酸を顔面に注がれるというたいへんな事故に遭われ、青森から東京のそうした皮膚の移植技術に優れているとされた病院で長期にわたって治療を受けた。数十回にわたる顔面の皮膚の手術は耐えがたい痛みと苦痛、将来への絶望感ー等々でこのような類の苦しみが、いかほどのものであったか、それは余人には想像しがたいものがある。
そうした人生を一転させられた苦難のなかからキリスト教信仰を与えられ、その恐ろしい試練の中を歩んでくることができたのは主の力、その主の力を信じる信仰と絶えざる祈りによったものだった。
この日の集会には、「いのちの水」誌の京都府の読者の方が青森在住の友人(教会やキリスト教会の集会には参加の経験はなかった方)に、この日の集会のことを知らされ、その方がキリスト者の友人を伴って参加されていた。
5月の徳島市で開催された無教会の全国集会に青森から参加された対馬さんは、1991年の徳島での最初の全国集会に参加されて、それ以後は遠いこともあり、ずっと関わりがない状態が続いていた。しかし、私が瀬棚集会の帰途、青森市の岩谷さんのところにて集会をさせていただくことになって、岩谷さんがその対馬さんを招き、さらにその対馬さんが友人を同伴し、今回は、またキリスト教会の集会などは初めてという友人を誘って参加されていた。
老年になって、初めてこのようないきさつを経てキリスト教の集会に参加された方ーとくにそのような方や、今信仰的にも十分な確信が与えられていない方々にいっそうの上よりの祝福が与えられるようにと祈り願った。
〇7月23日(土)午前は、山形県鶴岡市の佐藤宅での集会。参加者の鈴木さんは、奥様が以前に参加されていたが、病気で召されたあと、奥様に替わって参加されるようになった。鈴木さんは、大学のときにアヤメの研究をされたとのこと、その後農学の研究者となられたが、キリスト教のことは、若いときに触れてはいたが、キリスト者となるまでには至らなかったとのこと。
奥様が召された後に、佐藤さん宅での集会に参加されるようになり、そのときに、私がインターネットの「今日のみ言葉」で 私が撮影した山口県秋吉台高原のリンドウを取り上げたとき、そのリンドウを召された奥様の記念の墓碑に刻みたいとのことで話があり、人によっていろいろなことが心に残るのだと思わされた。
参加者の一人、村上龍男さんは、鶴岡市の加茂水族館長を48年も勤めてこられ、その間に、閉館の可能性もあったほど業績が傾いていたその水族館をV字回復させたことで知られている。そして発光クラゲ(オワンクラゲ)の研究でノーベル賞を受賞した下村脩(おさむ)さんが、その水族館に来られたこともあった。
その村上さんが今回の集会にも参加して言われることには、自分はキリスト教独立学園を1958年に卒業して若いときからキリスト教を知らされていたが、キリスト教の真理に関してはなかなか分からなかった。ようやく近年になって聖書の深い意味を知らされるようになってきたと言われていた。
信仰にかかわることは、人間の計画や予想では計り知れないものがあり、主イエスも先の者が後になり、後の者が先になるーとも言われている。信仰の世界に、ベテランというようなものはない。
何十年の信仰生活を経ていても、なお誘惑はいつでもどこにでも存在して、そのために、信仰の道から落ちていく人もいるし、私もそうした実例に接した。
聖書にも、例えばダビデに関して、多くの詩篇に記された彼の真実な信仰とは到底相いれないような重罪を犯したことが記されている。
ペテロも、すべてを捨てて、3年の間、主イエスに全面的に従い、その教えや奇跡を目の当たりにしてきたにもかかわらず、イエスが捕らえられたときには、あの男のことなど全く知らないと激しく否定したこともあった。
私たちはそうしたことから、信仰に早くから目覚めていたとしても、霊的にはいつも目を覚ましていなければならないし、また今信仰を与えられていない人たちも、ひとたび神の御手が臨むときには、たちまち信仰に生きる人へと帰られることを思い、どんな人にも希望を持って対するべきと知らされる。
〇7月23日(土) その日の夜は、山形市での集会。今回初めて参加されたご夫妻のうち夫君は、車いすで参加された。発声もクリアではなくわかりにくい状態であったけれども、そのような状況のもとで、会社を運営されているとのことであった。奥様の特別な援助も受けつつ、神への信仰に支えられ、ご夫妻がともに歩まれているのだと感じた。北海道瀬棚の酪農家、野中正孝さんからの紹介で「いのちの水」誌を読まれるようになり、今回初めて山形の集会に参加された。
〇7月24日(日)仙台での主日礼拝集会。田嶋さんご夫妻が、集会の連絡や会場などいろいろとお世話くださった。ふだんは、別の集会を持っておられる方々も参加され、また、初めての若い方々も何人か参加があった。5月に徳島市で開催された無教会の全国集会でキリスト者としての証言をされた岐阜県の石原潔さんがその中で引用されていた、ホイッチャーの詩集(*)を訳された根本泉さんも参加されていてその訳詩集を下さった。 未知の方や、また意外なつながりのある方も参加され、神の言葉のもとに集められたことを主の導きと感謝だった。
(*)「雪に閉ざされて 冬の田園詩」(Snow-Bound: A Winter Idyl)新教出版社。ホイッチャーは、クエーカーの詩人。奴隷解放のために力を尽くした。
〇7月25日(月)福島県本宮市(もとみやし)での集会(湯浅鉄郎氏が代表者)。集会場は、木造の落ちついた雰囲気の礼拝集会のための部屋としてとくに造られたとのことで、奥様はピアノの教師でもあるとのことで、オルガン、ピアノとも備えつけでそのいずれかで伴奏をしていただけるので、賛美もいっそううるおいのあるものとなった。
平日の午前なので、参加者は限定されるけれども、農業などに従事されていて仕事中だが時間休みをとって来られた方々もあった。自宅からかなりの距離を参加してくださった方もあり、1年に一度、み言葉を中心として交流が与えられることは主の恵みだった。
〇7月26日(火)埼玉県で浦和キリスト集会主催での集会で語らせていただいた。どこの集会でも毎年訪れていると初めての参加者も見られるのが感謝であるし、また意外な方ー埼玉での集会には、徳島の教会所属のKさんがクリスマスやイースター特別集会には、私どものキリスト集会に参加れているが、その方が埼玉県におられる教友を紹介し、「いのちの水」誌読者となり、また私が浦和キリスト集会でお話させていただくときにも参加されるようになった。主宰者の関根義夫氏には、徳島聖書キリスト集会の私の前の代表であった杣友豊市(そまともとよいち)さんの百歳記念の伝道集会に来ていただいたことがあった。徳島で開催された全国集会や四国集会には何度も講師として来ていただいたが、そうした交流から、前述の札幌の大塚さんとの交流につながり、札幌交流集会にもつながっていったのを思う。
〇7月27日(水)東京八王子での集会。八王子市の中心にある東急スクエアというビルの11階にあるサウンドルームという防音設備のある20名余りの定員の集会室があり、そこで、いずみの森聖書集会の代表である永井さんのお世話で毎年集会がなされてきた。ここでも初めての方、また前日の浦和での集会に参加された方が、再度この集会にも参加された。真夏の暑い日中を、続けて参加していただいて感謝だった。私の願いは、主が私を用いて、神の言葉を少しでも語らせていただくことであり、人間の意見や考えはいくらでも議論となり、反論もあって尽きないが、神の言葉はそうしたあらゆる人間の思いや解釈を越えて、その単純にして深遠な力をもって世界を流れてきた。それが少しでも仲介できたらと願っている。
〇7月28日(木)
山梨県南アルプス市の加茂悦爾さんが代表をしておられる集会であるが、長野県の野辺山地域の方々が参加できるようにと、数年前から私が山梨県を訪ねたときの集会は、長野県に近い山口さん宅でなされるようになった。今回は、その山口さんの娘さんが東京から休みをとって帰って来て、初めて参加され、讃美歌の伴奏をしてくださった。
以前は、山口さんご夫妻がリコーダーでの伴奏をしてくださったことがあって、そうした楽器を用いての伴奏があると賛美もいっそう翼を与えられたようになる。
加茂さんの奥様(昌子さん)は、「いのちの水」誌を40部近くも求められ、それをさらに、いろいろな方々に送付されている。それは、昌子さんのお母様が、「いのちの水」誌の前身の「はこ舟」(*)という冊子をいろいろな方々に送付されていたことを引き継がれてなされている。
なぜ、徳島とは関わりなかった遠い山梨の方に「はこ舟」誌が送られることになったかについては、初めて南アルプス聖書集会を訪ねたとき、加茂昌子さんから直接に知らされたことだった。それは、徳島県庁に勤務していた方が、その後山梨県に転勤となった際に、徳島集会の「はこ舟」を昌子さんが受けとったことがきっかけとなったとのこと。その昌子さんが送付されている方が、5月の徳島での全国集会にも参加されることにもつながった。
(*)「はこ舟」誌は 1956年に徳島聖書キリスト集会の有志によって始められたキリスト教の冊子で、2005年より、「いのちの水」と改題。「はこ舟」という名称のときの内容も、徳島聖書キリスト集会のホームページに、1999年の5月号から掲載されている。
〇7月28日(木)午前の集会が終わった後、そこから北へ70キロほど、標高1300m余りの野辺山高原を経由して小諸市に向った。倉石重造さん宅での集会。ご家族3人のほか、外部から参加した方々もおられた。初めてお会いする方々であったが、主の言葉を中心とした集りは、どこであってもまた初対面の方々であっても、身近な方々という親しみが感じられた。そのうちの一人は、県外からの来訪者があるというので参加したが、ふつうの懇談会のようなものだと思っていたが、内容の重い時間だった、予想と違っていたが、参加してよかったと言わていれた。人の言葉は軽くてすぐに消え去ることが多いが、み言葉のその重さが参加者の心にとどまりますようにと願った。
〇7月28日(木)倉石宅での集会の後は、千曲市の関 聡宅にて夜の集会。関さんのご家族4人のほか、夜遅くなるにもかかわらず、25キロほど離れたところからの参加者もあった。少数の集りであったが、その遠くからの参加者とは初めてみ言葉を通しての交流を与えられた。
〇7月29日(金)長野県の下伊那郡、松下宅での集会。暑い日中であったが、ここでも初めての方も参加があり、そのような方々にみ言葉の力が働きますようにと願った。数年前、この集会に、松下さんの娘さん(真理子さん)ご夫妻が参加された。140kmもあるところから、初めて参加された真理子さんのご夫君(関 聡さん)がその参加をきっかけに信仰の転機が与えられ、自宅での集会や、積極的に各地の集会やキリスト教独立伝道会にも加わって新たな働きをなされるようになった。こうしたことは、聖霊のはたらき、という他はなく、神の不思議な導きのことを思わされる。
以上のほかにも、個人的に訪問した方々もあり、主にある交流が与えられて感謝だった。使徒パウロが書いているように、顔と顔を合わせて会う ということによって双方に主が働きかけてくださり、強めてくださるのを感じる。二人三人、主の名によって集まるところには、主がいてくださり、特別な祝福を与えてくださることを改めて感じた。
今回は、行程を少し変更する必要があったため、従来千葉県での二カ所と岐阜県の山中の石原 潔さんのゴーバルには訪問できなかったのは残念なことだった。 また、予定していた個人的訪問もいくつかできなかった。
最初の舞鶴の山中にある集落の一部のキリスト者の集会にはじまり、岐阜県での教友訪問まで、徳島聖書キリスト集会の方々、そして各地の集会の方々等々、じつに多くの方々の準備と祈り、援助によって小さきながらみ言葉の種を蒔くということが可能となったのは、深い感謝だった。
(付記)山と植物
北海道の瀬棚聖書集会に招かれてから、帰りも各地の「いのちの水」誌の読者や、1991年の徳島での無教会のキリスト教全国集会で教友となった方々、その後の全国集会や各地の集会で知り合った方々を訪ねて、集会が与えられるようになった。
そして、旭川市の故荒川巌(青森のハンセン病療養所ー松丘保養園の元園長)さんが高齢とそれに伴う病気のため、札幌交流集会に参加が難しくなって、入院していた旭川市内の病院で小集会が与えられたこともあった。その後、施設に入られたあともその施設を訪問することになり、そこから車では1時間ほどで大雪山のふもとに行くことができるので、登る機会が与えられた。
荒川さんは徳島で開催された無教会の全国集会に参加され、それ以来、遠くにあって折々に連絡くださっていた。そして札幌交流集会にも参加されるようになって再会の機会が与えられていた。荒川さんが旭川におられなかったら、大雪山に行く機会もなかったことを思い、主の導きの不思議を知らされる。
徳島聖書キリスト集会のホームページの巻頭に折々に用いている大雪山の高山植物は、そのときに登って撮影したもの。
そうしたいきさつがもとにあり、今年も、大雪連峰の一つ、黒岳(標高1984メートル)に登ることができた。初めてこの大雪山に登ったのは、今から51年前の夏だった。ロープウェイなどもなく、重いテントや食糧など一切を背負って5時間をかけて登り、さらにそこから主峰の旭岳(標高2291メートル)へと縦走、さらに天人峡へと山々を越えていったのを思いだす。 あのときの大雪山は、頂上からの縦走の山々のあちこちに白雪をまとう高さ、透明な大気、澄んだ青空、うるわしい花々、黙してたたずむ樹木たち、渓流の心をうるおす流れー等々、私にとっては半世紀を経ても忘れがたいものとなっている。
その後も、大学時代や卒業後も、時間など許されるときに各地の山々に登り、歩いた。
山は、ーとくに人のあまり見えない山々は「神の言葉」で満ちている。そこで神の言葉を受けとること、その自然のただなかを登り、歩くこと、それによって心身を新たにされて、以後の各地の集会に備えることができるようになった。
さらに、出合う高山植物を撮影して、そのようなところに行くことのできない大多数の方々にみ言葉とともに少しでも紹介し、書かれた神の言葉とともに、自然のなかにこめられた神の言葉を伝える伝道の一端とすることにもつながっている。
具体的にはメールや印刷した「今日のみ言葉」につけている「野草と樹木たち」、また私が撮影した高山植物の写真をはがきとして用いるなどがそれである。
このような目的で時間や体力があるとき、しかも車である程度登れるというかぎられた条件の山に登り、歩くという恵みが与えられている。
雑賀 光宏(奈良)
奈良県から参加をさせていただきました。世界遺産の法隆寺のある町、斑鳩町に住んでおります。この二日間参加をさせていただきました感想を述べさせていただきます。
私にとりまして賛美歌の言葉の意味の深さを改めて教えていただきました。
吉村先生の神の言葉によった希望の講話をお聞きいたしました。神の声は自然の中に満ちあふれている。見えているのに本質は見えない自分の罪を裁かれた思いでありました。
またお話が終わった後の「聖霊来たれり」の賛美、このとき吉村先生は手話によって魂を込められた賛美をなさっておられたことを拝見いたしまして、わたしは涙が出てまいりました。感動いたしました。
この二日間それぞれの方の証しをお聞きいたしました。この世の出来事の中から、この場で神の言葉として述べられているということをひしひしと感じました。ほんとうにそれぞれの方の感動的なお話、また神が仰せなっていることを深く受け止めなければならないと思いました。
この二日間の集会の運営、主として運営されてくださいました徳島の集会の方々のお一人お一人がその場その場で機能を発揮して、祈りをもって運営されていただいたことをほんとうにまじまじと見まして感動いたしました。この二日間ほんとうにありがとうございました。
大塚 寿雄 (北海道)
札幌聖書集会から参りました大塚です。今回は札幌から牧野婦人、それから我々夫婦の三人で出席させていただきました。
現在も私達の集会は高齢化が進んでいて、私達がいなかったらどうなるんだろうと、いらない心配かもしれませんが、こういう気持ちで一杯です。それに較べて、この四国の徳島の聖書キリスト集会は若々しさというか、活動力といいますか、この様な大きな無教会の全国集会を開催してくださり非常にありがたく感謝しております。前回も出席したのですが、本当に皆さんのなされる動きを肌に感じながら、私達がその恵みを受けている事を強く感じました。
信仰は、一人一人の個人の救いがあるからで、私が救われなければこれはもう、何にもならない訳で、その為にこのような集会がなされたと、私の為にこのような集会がなされたという気持ちで今回出席させていただきました。
これから先、どれだけ出席できるかわかりませんけれど、札幌の地にありながらも小さな集会の中で、キリストを伝えていきたいと、この様に今日決意した所です。
本当に皆様に感謝します。ありがとうございました。
大塚正子(北海道)
北海道から今年は三人で来られたということは、私にとっての大きな喜びでした。そして、私が回を重ね、徳島に来るたびに、また特に今回は身体中にしみこんでくるような、何か新鮮なものを感じました。
たくさんの賛美、そして祈りの友の時間は、じかに皆さんとお顔を合わせて祈る大切さというものを、思う存分身に受けさせていただきました。
そして、毎年、瀬棚から札幌に伝道に来てくださる吉村先生が、また7月に来られるので、どうぞ、ご都合のつく方は一度是非、北海道まで足を運んでください。また新鮮な体験ができるかと思います。
今回の新しい聖霊の風を北海道まで運びたいと思っております。
ありがとうございました。
山口 明美(山梨)
山梨県の南アルプス市聖書研究会から来ました山口明美です。二日間ほんとうにありがとうございました。徳島の皆様に感謝いたします。
私が二〇〇八年の徳島での無教会全国集会に参加する時に、吉村先生が「祈りは必ず聞かれるから」という言葉を下さって、ほんとうにその時はうれしく、二〇〇八年にこちらに来ることができました。
今回もいろいろ大変なことはあったのですけども、徳島での全国集会ということでぜひ来たいという希望がかなえられて、来られたことをほんとうに感謝でございます。ありがとうございます。
そして「いのちの水」誌を送っていただいて、私たちは南アルプス集会でほんとうに命の水を徳島から流されて、私たちの南アルプスまで伝わってくる水が その源流に今日来させていただいて、こうしてまた今日はペンテコステの日だということで ほんとうに感謝でございます。
小舘知子さんがお嬢さんのことを言っておりましたけれども、私も息子を亡くして、でも今日はみんな気持ちもいっしょになっているような気がして、きっと小舘さんのお嬢さんも息子も去年亡くなった母も、みなさんのご家庭で亡くなった方たちも、今日みんな一緒にひとつの輪になっているのではないかと、いろいろな感情がこみ上げてまいりました。
朝の祈りにも出させていただいた時、何か川風がほんとうに聖霊の風のようにささやいているように若葉の中で感じたし、吉村先生が、聖書講話のはじめに、ご自宅で朝録音したウグイスの「ホーホケキョ」の声を、神の言葉の一つだと示されたこと、どなたか言ってた私のところではもうカッコウが鳴いております。
ほんとうに自然の声が神の御心であり、また最後にマタイ受難曲の話をしてくださった方、マタイ受難曲はほんとうにすばらしい。私は死ぬときはその曲で送っていただきたいと思っているほどです。そのようないろいろの内容は、てんこ盛りのごちそう、心のごちそうをいただいたような思いでございます。感謝です。ありがとうございました。
山口 清三(山梨)
同じく山梨県から参りました山口清三と申します。今回は会場の都合で分科会はなくて全体会だけというお話を伺ったのですけども、全体会はお互いにお顔とお名前と一言のコメントを聞くことによって皆さんのお顔が記憶に残ります。とても素晴らしいことだと思います。
賛美のときも、講話、それから証し、いろんな場面で今日のテーマである「神の言葉ー希望に生きる」というテーマが一貫して流れているような気がします。分科会でたとえば憲法の問題とか沖縄の問題とか教育の問題とか聞かなくても、私たちは神さまの御言葉を学ぶことによって、キリスト者として社会問題に対してどのように対処したらよいかということがはっきりとしている気がします。
よいお土産ができました。ありがとうございました。
西澤 正文(静岡)
静岡県の清水区から来ました西澤と申します。今年は徳島での全国集会、何を期待して参加しようかと思いながら来たのですけども、自己紹介でお話ししたように、「せっかく各地から集まるということで多くの方々といろんな時間をとおして語り合いたい。」という思いでした。
それができたかというと非常に充実したよい集いだったと思います。やはり年に一度のときですので、せっかく北海道から沖縄まで集いますので、いろんな機会をとらえてということで期待してますけども、その通り非常に自由な時間がありまして、いろんな方と親しくお話しできたことがいちばん私にとっては収穫でした。
そして祈りの具体性、昨日の夜の「祈りの友」の集会、あの時間に非常に具体的なドキッとするような事実を知りまして、やはり祈りはほんとうに具体的で、しかも顔を思い浮かべながら祈ることの大切さ、これを知りまして、迫力のある祈りの集いに参加しまして感激いたしました。
具体的な祈りはやはり愛、具体的だとはじめて身をもって教えられましたけれども、みなさんの顔そして思い、そういったものを身近に感じながら祈ることができて大変良かったと思います。
二日間をとおしまして、一番私が印象に残っているのは、十字架上のイエス。今まではどちらかと言えば横を向いて小走りをして通り過ぎてしまった自分の姿がありましたけれども、これからは十字架上のイエスをしっかり見て そこから信仰生活を始めていかなければいけないということを示されました。本当にありがとうございました。
西澤 かず江(静岡)
静岡県から参りました西澤かず江です。二日間ほんとうにありがとうございました。ほんとうに感謝です。
講話の中では、自然の中で川のせせらぎとかでほんとうに気持ちがホッとしたりとか、星を見たりすると心がきよめられたりするというふうに感じましたけれども、それがほんとうに神さまからの恵みだったということを特に強く感じました。
証しの中では、ほんとうにつらい時ほど神さまはともに居て下さるというふうに感じました。
ほんとうにこの二日間ありがとうございました。皆さんに祈られていること、また集会の方によっても祈られていること、また自分も多く祈っていきたいと思っております。ありがとうございました。
岩田 堯(たかし)(愛知)
愛知県の豊橋聖書研究会から来ました岩田と申します。
自己紹介でも申し上げましたように、切なる祈りをもって参加させていただいたのですが、その祈り願い求めていた以上の霊の恵みをいただいて、心から感謝しております。このすばらしい恵みに満ちた集会をご準備いただいた、そして運営していただいた徳島の皆さん、そしてその背後にある神さまの御手に心から感謝したいと思います。
私は強く心に残った三つのことをお話ししたいと思います。
一つは 神さまの御言葉の学びということですけども、吉村先生が今日の講話でお話しくださったように、もちろん聖書の学びが中心になるわけですけども、私たちを取り巻く自然あるいは身近で起こるいろんな出来事をとおして、私たちは耳を澄まし心を澄まして神さまの細き御声に耳を傾けることが何よりも大切だということを改めて学ばさせていただきました。
二つ目、これはもう前の方が触れられたことですが、賛美することの素晴らしさとその大切さということを身に沁みて感じました。私は非常に音楽音痴と言いますか、日頃の集会でも古い賛美歌のごく限られた賛美しかできてないわけですけども、ほんとうに賛美する中で 何度か昨日今日思わず涙を流してしまいました。集会に持ち帰ってこの二日間で学んだことを日頃の集会の中で活かしていきたいと思います。
三番目に、さまざまの障がいのある方あるいは心の悩み苦しみを持っておられる方々がこの会の中心であったということ、これもこれからの集会の在り方に活かしていきたいと思います。以上でございます。
O次回開催地の挨拶
坂内宗男(神奈川)
坂内です。私は徳島の全国集会にはいつも参加しております。
一昨年にも参加しましたが、昨日から今日まで聖霊の溢れた集会に参加させていただき感謝しております。
私は次回の全国集会の責任者になっておりますので一言申し述べたいと思います。何回が申していますが、東京近在で行えば次は他の色々な地域で行いたいと当初から計画を立てているのですが、最近はなかなか実現が難しくなりました。そういう中で、徳島聖書キリスト集会の吉村さんが「良かったら私の方で…」と引き受けてくださり大変ありがたいと思っております。
次回は、今まで千葉県の市川市で行っていましたが、とにかく東京近在で行う予定です。東京都は会場費が高く、会費を上げるかどうかいつも検討するので、もっと安い所がないかどうか今探しています。皆様に東京へ来ていただける様、探していますので是非ご参加をよろしくお願い致します。
私が皆様の感想の中で申し上げましたが、このような無教会の中でも新しい風と言いますか、聖霊に満たされた集会は素晴らしいと思います。
東京での全国集会においては、私達が行っているように、二日間信仰を共に学ぶと同時に現実問題にいかに対処するかという事を一人で考えるのではなく、皆で考えるということで、6つ、7つの分科会を設け、証言を通して学ぶということも大いに意味があると思います。
無教会には、規定もございません、何もありませんけれども、広い心で、ふくよかな心で信仰を学び、地に足を付けて歩むということが大事だと思います。
そういう面で、他者の色々な考えを受容するという広い心が必要だと思います。
こちらは台風の事を考慮し、5月に開催されていますが、 私達は来年の10月か11月に予定しておりますので是非来年足を運んでいただきたいと思います。
(396)回心のとき
…午前四時、床にあり。俄然として自得し、自ら30年の非を悟り、この自然の大法に意志あるを感じ、自ら新たなる生涯に入りしことを知る。
希くは、この清き心をして、永遠に保たしめ給え。愛する神よ、アーメン。起きて田畔を歩す。
天地その形象を改め、星光赫然として神意を語るが如し。
(井口喜源治(*) 1899年)
・(これは100年以上昔の文なので、若い世代の人にもわかってもらえるように、説明的にその文意を以下に記す。)
午前四時に目覚め、床にいて突然にして、過ぎ去った30年のまちがいを悟った。
自然のなかに存在する大いなる真理に、人間を超えた意志があるのを感じ、霊的に目覚めて新たな生涯に入ったことを知った。
この清い心が永遠に保たれるように。愛する神よ、アーメン。(そのようになしてください。)
その後、起きて田の畦道を歩いた。それまで何気なく見ていた天地が、その形を変えたように見え、星の光の輝きは、神のご意志を語っているようであった。
(*)井口喜源治 1870〜1930 長野県安曇野出身。内村鑑三に深く影響を受けて、そのキリスト教信仰に基づく独自の教育を志し、私塾を建て、多くの反対、妨害などを受けつつ、その精神を貫いた。
神は、早朝まだ床にある間に、光を送り、彼が回心したのがうかがえる。それは同時に自分の罪を知り、自然の清い姿とその永遠の存在に目覚め、とくに星の光に神の語りかけを感じるようになった。神の清き光は、罪を教え、自然の世界の清さを悟らせる。
(397)神の愛の深さ、広さ
我々の神は、愛の神だ。お前は海のほとりに立っていくら石を投げ込んだところで、海の深みを満たすことができようか。
キリストの愛は、海のようなもので、石が深淵に沈むように、人間の罪は、その中に沈むと言いたいのだ。
また、キリストの愛は、山も陸も海も覆っている大空のようなもので、それは至るところに広がっていて、それには限界もないと言いたいのだ。
(「クォ・ヴァディス」下巻235頁 岩波文庫)
・これはポーランドの作家、シェンケビッチの作品。戦前から映画化され、また彼は、ノーベル文学賞を受賞した。
・神の愛などどこにも存在しない、と感じている人たちが至るところにいる。しかし、じっさいに神の愛を体験した者は、この作品に記されているような神の愛の無限の深さ、広さを感じてきた。
最近の星空
この頃(9月中旬頃)は、金星が宵の明星として6時くらいになると、金星の輝きは一層強くなります。また南の空(やや西寄り)には、火星の赤い輝きがあり、その右上のほうに土星があります。その土星の下方に やはり赤い輝きの巨星アンタレスも見えています。
去年の7月ころには、宵の明星も最も明るく見えていました。それから1年余り経って、ふたたび宵の明星が見えるようになっています。この宵の明星は、今後今年中は見えるし、さらに来年の春の訪れを聞く頃まで見え続けます。
都会では、一般の恒星は見えにくく、一等星以外はほとんど見えないところが多い状態ですが、金星はさすがにその強い輝きのゆえに、都会でも見ることができます。
金星の雲は、地球の雲と異なり、濃硫酸でできているとか、激しい風が吹いている、表面温度も470度を越えているー等々の科学的知見だけを考えると、およそ生物学的な生命とは無関係の星だと思われます。
しかし、そうした科学的な事実とは関係なく、その夜空の輝き、光そのものは、人間の魂に深く入ってきて、その人に新たな希望や命を与えるものとさえなりうるのです。
それは、ピアノなどの弦や鍵盤など、あるいはこおろぎの羽などの材質が何でできているかなどと関わりなく、そこから生み出される音そのものによって私たちの魂に届くのと同様です。
金星の輝きが特別なメッセージを与えてきたことは、聖書にも示されています。
とくに、明けの明星としての金星を、古代のキリスト者たちは見つめ、それによってキリストを思い、再び来られるキリストを見る思いで、迫害の厳しい時代に希望の光を与えるものとなったほどなのです。
… 夜が明け、明けの明星があなたがたの心の中に昇るときまで、暗い所に輝くともし火として、どうかこの預言の言葉に留意していてください。 (Uペテロ1の19) ここで言われている預言の言葉とは、神の言葉です。神の言葉をしっかりと持ち続けるときには、キリストが再び来られるときまでそのみ言葉が灯(ともしび)となります。 悪の力が世を覆い、キリスト者たちも信仰をもっているというだけで、殺されたり拷問されるほどの闇の時代。
しかしその夜は必ず明ける。そのとき明けの明星が輝くように、キリストはこの暗夜の世界に輝くー再臨される。
このように、明けの明星としての金星は、闇の力に苦しむ人たちをはげまし、やがて現れるキリストを指し示すものとして、倒れようとする心を強め、御国に向って前進させる力となったのです。
そのことは、次のようにローマ帝国の迫害の時代に書かれた黙示録のなかで記されていることからもうかがえるのです。
… 勝利を得る者に、わたしは明けの明星を与える。
(黙示録2の28)
悪の力が世を覆っているとき、キリストを信じ続けていくこと、それはそうした悪に勝利することであり、そこに明けの明星で表されるキリストが、闇夜に輝く強い光として与えられる。
それは再臨のキリストを意味するとともに、日々の生活において闇の中であってもキリストの輝く光が与えられて歩んでいくことができるという約束となっています。
わたし、イエスは使いを遣わし、諸教会のために以上のことをあなたがたに証しした。わたしは、ダビデのひこばえ、その一族、輝く明けの明星である。」(黙示録22の16)
・5月に徳島市で開催された、キリスト教(無教会)全国集会の、二日目、閉会集会での感想を掲載しました。
どのように感じつつ、この全国集会を終えたのか、率直な感想が話されました。
・いろいろと書くべきことがあっても、時間がなくて書けないという状況があります。多く書いたからといって主が用いてくださらなければ、何にもならない。他方、いかに短い分量であっても主の御手がそこに置かれて祝福されるときには、大きなメッセージとなります。
主が掲載した全国集会に関する感想や、私の書いたつたない文章をも用いてくださるようにと願うばかりです。
来信と感想より
・…私は、いろいろな病気のために教会や集会にも行くことができません。そのためこれらの印刷物(「いのちの水」誌、集会だより、「今日のみ言葉」)などの印刷物を繰り返し拝読しています。 (関東の方)
・「神は涙をことごとく拭ってくださる」ー本当にその通りです。年をとると、この世の闇の深さに本当に驚くことが多くあります。
そして神の御名、み言葉を思い、祈るものです。
「神がみずから人とともにいて、その神となり、人の目から涙を全くぬぐい去ってくださる。」(黙示録21の4) 本当に何という、ありがたいことでしょう。
生きるということは、思いがけない背信や悪意、数々の苦しみや悲しみに出会うことでもありますが、それら一切がぬぐいさられる時が、来るということ。
そうしたまことの喜びのおとずれ、福音が語られ、届けられているということー何というありがたいことでしょうか。(関西の方)
〇「青は空の色、天の色であり、つまり神様のおられるところです。その天界の領域・神の霊の領域と、しっかり絆を結び、いつもそのことを忘れないようにしなさい、ということでしょう」とのこと。
なるほどーっと思った。とても納得がいった。
詩編第三十六編六節には「主よ、あなたの慈しみは天に、あなたの真実は大空に満ちている。」とある。
とても美しい箇所で、吉村先生が「いのちの水」誌で以前引用されていて印象に残り、それ以来よく思い出す聖句である。秋の晴れ渡った空の青さを見ていると、それだけで幸せな、感謝の思いでいっぱいになる。なんとこの世界は美しく、主の慈しみに満ちているのだろう。
出エジプト記第二十四章十節には、神の足もとは「サファイアの敷石」のようなものがあり、「大空のように澄んでいた」と記されている。また、ヨハネ黙示録第四章六節には、神の御座の前は「水晶に似たガラスの海」のようだったと記されている。この青空は、何かしら、そうした神様のおられる場所の似姿なのだと思う。(九州の方)
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