いのちの水 2017年 2月号 第672号
主が私を遣わされたのは、捕われている人に解放を、見えない人を見させ、圧迫された人を自由にし、主の恵みの年を告げ知らせるため… (ルカ4の18 ) |
目次
・冬の星 |
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・お知らせ |
・集会案内 |
冷たい風の吹く夜、太平洋側にある徳島では、冬になると晴れて澄みきった星空がよく見える。
寒さのなかで見る星々はいっそう、この世のあらゆるものに勝って清い光を投げかけてくる。
厳しい寒さゆえにその清い光は弱まることなく、いっそう強く心に差し込んでくる。
今から2500年ほども昔、聖書に記された預言者たちも、10年20年と語り続けても受け入れられず、かえって迫害され、ときに死に至るほどの状況に置かれていた。
しかし、その厳しい状況から発せられた言葉であるゆえに、長い歳月を越えて、その真理の光とその力は現代にまで届いている。
高い山々に咲く花々たち、それらもまた氷雪と凍るような強風にさらされつつ生き延びて花を咲かせている。
それらの植物たちもまた、だからこそ、平地の植物にない清いメッセージを送り続けてきたのである。
キリストは、厳しい迫害のなかで最終的に十字架にかけられて死なれたが、それも人類の罪を担っての死だった。それゆえに、その十字架からの光は、この世の冷たさや汚れ、闇を貫いて現代の私たちへと届いてくる。
自分の罪、弱さ、あるいは周囲の人たちの無理解や中傷、誤解等々によって心が冷えていくようなときでも、神の光は、だからこそいっそう強く、またその愛をもって心に射し込んでくる。
人間は日々老化していく。体力や記憶力、判断力等々-それにもかかわらず、聖書では、次のように言われている。
…わたしたちの「外なる人」は衰えていくとしても、わたしたちの「内なる人」は日々新たにされていきます。 (Ⅱコリント4の61)
このためには、特別な知識や能力、場所、あるいは健康、お金、社会的な地位、あるいは年齢などいっさい関係なく、必要でない。さらに過去にどんな罪を犯したかも問われない。ただ静まって神あるいはキリストに向うだけで可能になる。ただ神に向って心の目を注ぐだけでそれがすでに祈りであるから。
…絶えず祈りなさい。(Ⅰテサロニケ)
人からまったく誤解されたり、ひどい言葉を投げつけられたりしても、立ち止まってそれも神からの鍛練なのだ、神はすべてを御存じだと信じるときに、私たちは平安に帰ることができる。そして相手の人からそのような心が除かれるようにと祈る。
ヨハネによる福音書やヨハネの手紙で繰り返し言われているように、信じる者同士が互いに愛し合うーそれは互いに祈りをもって関わり合うということに他ならない。
小さなことをもー主を仰ぎつつ祈りをもってすることー食事もキリストが最後の夕食のときに言われたように、当時の日常食であったパンとぶどう酒をもって、私のからだであり、私があなた方のために流す血であるとさえ言われた。
このことは、日常の食事のときさえも、祈りをもってキリストの霊的なからだをいただくのだと信じて食物をいただくーというようなことをも指し示している。
隣人を愛するーそれは好きになるということではなく、日々かかわる人、あるいは偶然的に出合う人だれでものために祈る、いかにそれが小さなことであっても祈りを伴う生活を指し示されている。
あるよく知られたキリスト者が、祈りのための集まりの座席の準備、ざぶとんなどを敷くときにも、ここに座る人に主の祝福があるようにとの小さな祈りをもってする、あるいは庭の草を抜くときにも、さまざまの悪しきことをしてしまう人たちの心から、その悪の根が抜き取られるように、との祈りをもってする…そうすれば、どのような小さなことも無駄な時間というのがなくなる。雑用が雑用でなくなる。単に義務だから、といって祈りなくやっているのは、霊的には無駄な作業をしているということになるーと話しておられた。
…神を愛する人たちには、万事が益となるように共にはたらくということを、私たちは知っている。(ローマ8の28)
このように、神様が万事を良きにしてくださると信じることができるなら、私たちは苦しいことをもそのための一歩一歩なのだと信じて感謝することが可能となる。
…わがたたかい 主は知りて
わがなやみを 担いたもう
やがて禍も 幸となる
全き勝ちの 日は来たらん (讃美歌375 より)
この讃美歌にある言葉は、多くの重荷、苦しみを担っている人たちにつねに励ましを与えてきた。
私たちの戦いとは、目に見える人間やその組織などに対するものでなく、悪の霊との戦いである。(エペソ書~20 )
自分がどのような戦いをせざるを得ないような状況に置かれているか、その霊的な戦いのことを主だけは知ってくださっている。私たちの苦しみを主は担ってくださり、さまざまの苦難や悲しみも最終的には祝福となり、悪に対する完全な勝利となる日が、全能の神の力によってもたらされる。
たとえ私たちが、いよいよ老化して判断もできなくなってもなお、そのような病気、老化を越えて、神の愛は注がれ、私たちの生きた全部の歩みを見てくださり、死後は復活して神のみもとに永遠に清められて新しくされて生きることが約束されている。
この世界は、ニュースで報道されることを見聞きしても、暗いこと、どうなるのか、というようなことが多い。至るところで競争があり、ねたみや争い、また無理解、権力の横暴、テロ等々、小さな子供の世界から大人の世界、そして国家や民族などの間に闇が広がっている。
そのような状況において、光の内に歩むというようなことは可能なのか。
聖書では、その冒頭からそれが可能だということを宣言している。
闇と荒涼とした状況、あるいは空しさ、何もかも移り変わり、消えていく、混沌のただなかに、神が「光あれ!」とひと言発すれば、光が存在するようになった。
闇は光にうち勝つことはできないという宣言であり、それゆえに、人間はいかに混乱や空しさ、あるいは荒れ果てた状況であってもなお、神の言葉によって光がもたらされ、その内に歩むことができることを示している。
しかし、聖書において、最初の人間は、神から生きるに必要なすべてを整えられていたにもかかわらず、神の光のうちに歩もうとせず、神の言葉に背いてみずから楽園を追い出されてしまった。
このように、光の内に歩めるようにこの世界は創造されているにもかかわらず、人間はその光に背いてしまうという人間の罪の本質がすでに聖書の最初の部分に記されている。
はこ船で知られているノアという人物は、そうした神に背く人間のただなかで、神の光に向って生きるように導かれた人であった。そしてそのノアにつながる少数の人々は、その光の内に歩み、アブラハム、ヤコブ、モーセなどの人々につながっていった。そして、ヤコブの子孫たちは、唯一の神、天地創造の神を知らされた民族として歴史を歩んでいったが、その特別な恵みを裏切るような状況がつぎつぎと生じていった。
そしてそれ以後の長い歴史において、絶えず預言者が起こされて、光の内に歩むようにとの警告を命がけで語り続けた。
その長い預言者の系列の最後の、そして完全な預言者としてキリストが現れた。
それは、どうしても光のうちに歩めない人間がそれまでとは全くことなる道によって光の内に歩めるようにとの目的のため開かれた道で、キリストの十字架がそれである。
そしてただそのことを信じて受けとるだけで光に背いて歩んできたという罪を赦され、新たに生まれ変わったようにされ、力を与えられることになった。
キリスト以後に、この十字架を信じて光のうちに歩めるようになった人たちが無数に生まれることになった。
そのような人たちのうち、激しい迫害に直面した人たちは、恐ろしい拷問が加えられることを知りつつ、なおキリストを信じることを止めなかった人たちが世界の各地で生み出された。
ローマ帝国の時代、そうした迫害の一部を引用する。
ある若い女性ーペルペトゥアという名ーが、キリスト者たることを止めないために、最終的な尋問を受け、それでも心を変えないなら、闘獣の刑(飢えたライオンなどの動物に襲われる)にされるという状況になった。
その父親は、自分の町から出て、心労のためにすっかりやつれて尋問されている娘のところにやってきた。そして「娘よ、髪の白くなった私を憐れんでくれ。お前の兄弟、母親、お前の子供のことを考えてくれ。あの子供ー乳飲み子は、お前が死んだら生きていけないだろう。強情を張るな、お前が殉教して、我々皆を滅ぼすようなことは止めてくれ。」
私は不幸な父のために苦しんだ。そこで私はこう言って父を慰めた。「(ローマ皇帝を神として犠牲を捧げないゆえに罪人とされ)被告席にあっても、神のご意志のとおりのことが起こるでしょう。私たちが自分の力の中でなく、神の力の中でいることを知ってください。」
いよいよ尋問がきて、裁判を担当する代官が「髪の白くなったお前の父や乳飲み子のことをいたわってやれ。皇帝のために犠牲を捧げよ。」と命じた。
しかし、ペルペトゥアは「それはできません」と答えた。
代官は「お前はキリスト教徒か」(*)と最終的な確認をした。彼女は「私はキリスト教徒です。」と答えた。
父親はなおも娘を説得しようとしたが、鞭打たれ取り押さえられた。
代官は、尋問したキリスト教徒全員に、「闘獣の刑に処す」という判決を言い渡した。
その判決を受けたキリスト教徒たちはみな晴れ晴れとした気持で牢獄へと帰った。
(*)キリスト教徒、あるいはキリスト者などと訳される原語(ギリシャ語)は、クリスティアノス
Christianos であり、英語では Christian クリスチャン、ポルトガル語では、Christao クリスタン(日本ではキリシタンという発音となっている)
このような恐ろしい判決を受けたキリスト者たちには、奴隷が何人かと、ペルペトゥアのような名門の出の人も含まれていた。
キリスト教の初期の時代に、身分の全くことなる人たちが同じように、命をかけて信仰を守るというほどに豊かな聖霊が与えられていたのであった。
また、日本においても、各地で、とくに九州地方では厳しい追害が行なわれた。
そうした記録は、年月日まで記して、レオン・パジェス(*)という歴史家が詳しく書いているのが、戦前に(1938年)、「日本切支丹宗門史」(上・中・下)の3巻として岩波書店から発行されている。
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(*) フランスの歴史学者。1814~1886年。フランスの外交官として清国に赴任したが、ザビエルに強い関心を持ち、ザビエル書簡集(全2巻)を帰国後パリで発行、さらに日本にも渡ることをねがっていたが鎖国のためにかなわず、しかし、外国人であるにもかかわらず膨大な日本史の書物の著述を始めたが、あまりにも規模が大きかったので完成せず、その第三巻にあたる「日本キリシタン宗門史」だけが完成した。それが戦前に日本語訳され、岩波文庫から全3巻として発行された。彼は、ヨーロッパ各国にある図書館などを訪ねて、収納されている文書、書物を800余点をも参照してそれらを目録として発行した。そのような中から、日本に来た宣教師たちの手紙などにも直接あたって、それをもとにして書き上げたのが、「日本キリシタン宗門史」である。この書には、いろいろの出来事の起こった年月日まで記されていることが多く、その綿密さに驚かされる。
これは、日本の有名な宗教学者もこのレオン・パジェスの業績がなかったら、自分の研究も成り立たなかったと言っているほど重要な基礎資料となっている。この書に細川ガラシャ夫人とか先ごろNHKの大河ドラマにあったキリシタン大名の黒田官兵衛等々も記されている。
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次に引用するのは、そうした迫害において捕らえられ、処刑されようとする女性が、かつては信仰を持っていたが、迫害のゆえに信仰を捨てることになった兵卒たちに言った言葉である。
…私がいろいろ申したことを考えてください。あなた方のおっしゃることにも一理はございます、なるほど私は一個の女です。
しかし、このことは、はっきりと申しておきます。私は黙ってはおれません。なぜかと言えば、私を励まして、思い切って言わせて下さるのは、御主様です。
それで、私が語りたいと思うとき、私は魂の中に感じる喜びを押さえることができません。その喜びは、あまりに大きくて、つい外にあふれ出るのです。…(日本切支丹宗門史・上118頁)
死を前にしてこのような喜びが与えられた様は、さきに引用したローマ帝国迫害の記録にも見ることができる。それは、最初の殉教者であったステファノが、憎しみに燃えるユダヤ人たちに取り囲まれ石を投げつけられて死にいたろうとするとき、「天が開けて神とキリストが見える!」と喜びにあふれて叫んだ。そして、石を投げつけつつ周囲の押し迫ってくる人たちのために「彼らを赦したまえ、彼らは自分たちがしていることがわからないのです。」と祈りを捧げつつ、息を引き取った。(使徒言行録7の54~60)
この記述と共通したものがある。通常の生活では到底考えられないことが、特別に神に引き上げられた人たちには生じる。
苦しみの極限に、もっとも霊的な高い世界が見えるとか、神のはっきりとした励ましが与えられるということが起こりうるのである。
人にはできないが、神にはできないことがない。(ルカ1の37)
…1613年の冬、1月27日、禁教令が京都で発せられ、大名たちは、皆、その領域にいるキリシタンたちをことごとく長崎に送り、そのあとは、天主堂を破壊し、キリシタンにその信仰を捨てさせよ、というのであった。
キリシタンたちの親族や友人たちは、自分や家族の破滅を来すことのないように、と願っていた。さらにその隣人たちは、わざわいが自分の身に及ぶことを恐れ、自分たちをその中に巻き込んでくれないよう、うわべだけでも、折れてくれ(キリシタンではないと言ってくれ)と懇願した。
キリスト教徒たちのうち、キリシタン以外の仲間の家に留まって世話を受けていたものたちは、大部分、冷たく追い立てられ、やむなく家族を引き連れて、冬の真っ最中の、雪や氷の中をさまよわねばならなかった。
しかし、それでも、村々の信徒たちは、それぞれ危険を犯して彼らを保護し、その困難を救った。(日本切支丹宗門史・上巻329頁)
真冬のさなか、暖をとることもできず、ただキリシタンだというだけで、凍死するかもしれないような状況となってしまう。
かくまって発覚すれば、自分たちも同罪となり、今度は自分たちがそのように冬空に放逐されることになる。田舎の地方で家族以外のものが入り込んでいるということはすぐに周囲に見つかってしまうであろう。
かくまうにしても、自分の家から離れた小屋などに戸をかたく閉めて日中は潜んでいるようになる。そのような寒さと飢えと恐怖にさいなまれつつ、生きていくことを余儀なくされた人たちがたくさん生じた。
それでもなお、放逐されたキリシタンたちを、かくまい、保護して助けた人たちがいたという。それは、ヨハネ福音書やヨハネの手紙において繰り返し記されていることー「互いに愛し合え」ということを命がけで実践した人たちの姿がうかびあがってくる。
福音書などが書かれた時代、それはすでに迫害の手が伸びている状況であり、キリスト自身が殺され、後にキリストの弟子ヤコブは領主によって切り殺され、またペテロも捕らえられ、足かせをつけて厳重に看視された牢獄に入れられた。
その後、ローマ帝国の迫害も厳しくなっていき、そうしたなかで、新約聖書のさまざまの書が聖霊の導きによって記されていった。
それゆえ、ヨハネ福音書やヨハネの手紙にある、「互いに愛し合え」という繰り返し現れる言葉は、この表現から現代の我々がうかつにも連想する、男女とか互いに気の合った者同士が仲良くするーなどというのとは、全くことなる内容を持っていたのはただちにわかる。
初めて聖書に触れたころは、こうした背景や迫害の状況などを知らなかったため、「互いに愛し合う」など、何だかこの世的な愛を連想して心に残らなかったのを思いだす。
神の光のうちに歩むーこのことは、限りなく奥が深い。
それゆえ、このキリスト教迫害の厳しい江戸時代の初期(1610年)に日本語に訳された「キリストに倣いて」の冒頭には、キリストの光に歩むことが記されている。
次のように、そのキリストの言葉をラテン語で記し、それをもとにした内容が続く。
今から400 年余り昔、命がけで信仰を守り、厳しい迫害、拷問にも耐えていった人たちの心にあったものを少しでも感じ取るために、この書の冒頭の部分を以下に引用する。
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「Qui sequitur me non ambulat intenebris sed habebit lumen vitae.
「御あるじ のたまはく。われを したふものは やみをゆかず、
ただ 命のひかりを もつべしと。
心のやみをのがれ、まことのひかりを えたくおもはば、キリストの 御こうせきと 御かたぎを まなび奉れと。…」(**)
(ヨハネ福音書8の12 以下はラテン語文の読み方。クイ(~するところの者)セクゥイトゥル(従う)メ(私に)ノン(~しない)アンブラット(歩む)イン テネブリース(闇)セド ハベービット(持つ)ルーメン(光)ウィータエ(命)。
(**)わかり易い表現にすれば、次のようになる(主は言われる 「私に従う者は闇を行かず、命の光を持つ。」 (ヨハネ8の21)
心の闇をのがれ、真実な光を得たいと思うなら、キリストの歩まれた道とその御心を学べ。
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このように、江戸時代においてキリスト教迫害の厳しい中で、その翻訳も出版も困難を極めたであろう。それでも、このような内容の深く、分量も多い書物が訳されたところに、当時日本に来た宣教師たちが、この書物を、そしてこの冒頭の聖句をいかに重んじていたかが伝わってくる。
日常生活のなかで、神様を信じて、折々に神を仰ぐ心になって、あるいは十字架の赦しを思って生きるという、特別に苦しいことも痛みを覚えることもない状況-これも神の光のうちを歩むことに含まれる。
他方、そのような平和に生きる状況とは、まったく異なる迫害の厳しい状況のなかで、俵に詰め込まれて縛られ、逆さ吊りにされ、大分県の温泉地帯に湧き出る熱湯を浴びせられる…等々の恐ろしい拷問や一家離散、冬の暗夜を凍えるような寒さのなか、さすらわねばならない状況、そしてついに目にみえるすべてを奪い取られて徹底的に苦しめられて死んでいくーそのようなことも神の光のうちに歩む人たちのなかには存在した。
歴史上でも最も厳しい迫害のうちに数えられる江戸時代のキリスト教徒迫害の初期にあたって、苦しみに直面する信徒たちへ、またその指導者たちへのメッセージとなったのが、「キリストに従う者は命の光を持つ」というキリストの言葉であった。
光のうちに歩むーこの単純なひと言がいかに重要な意味をもっていたかを窺い知ることができる。
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なお、この「キリストに倣いて」という書物は、また世界的に知られている讃美歌の作者(作詞家)にも、その生涯の方向を変える重要なはたらきをした。
その讃美歌とは、アメイジング・グレイス(Amazing grace)であり、その歌詞を書いたのは、ジョン・ニュートンである。そして彼が、奴隷船の船員として乗っていたとき、彼は船に持ち込んでいた数少ない本の一つ、「キリストに倣いて」を読み、それによって自分のいままでの生き方、考え方に大きな問題を感じるようになった。
そこで示されている内容が真実なら自分はどうなるのかーということを深く考えさせられた。
そしてちょうどその日の夜、激しい嵐に遭遇し、船内にも海水が大量に入り込み、沈没寸前という状態になった。乗組員は必死でバケツや水おけで水をくみ出すという作業を夜通し続け、た。幸い積んでいたのが大量の蜜?と木材であったので、それらが船の浮力を強めていたおかげで、辛うじて明け方には風も弱まってきた。しかし、全身ずぶ濡れとなり、寒さと激しい疲労で弱り切っていたが、そのとき、何年も口にしたことがなかった「主よ、我々を憐れみたまえ」と言った。
危うく難破して全員が死ぬかと思われるような危機的な夜の直前に「キリストに倣いて」を読んで彼の心の奥にあったものが目覚めさせられたのであった。
彼は、自伝において次のように書いている。
…その日のことは、私には忘れがたい日であり、その日のことをすっかり忘れて過ごしたことは一度もない。その日、主は天の高みから力を示され、私を苦境から救ってくださった。…
(増補版「アメイジング・グレイス」ゴスペルに秘められた元奴隷証人の自伝120~125頁より)
その後、さまざまの経過を経て、奴隷船で黒人奴隷を輸送する事の罪深きことを深く知らされ、それを辞め、以前に回心したその延長上にある牧師の道へと導かれた。そして赴任先の田舎の教会でみ言葉を語るときの助けとして、讃美歌を書き始めた。それを友人であった詩人ウィリアム・クーパーとともに続けて、賛美集ができあがった。その中に収められた一つが、アメイジング・グレイスだった。
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このようなキリスト者への迫害のなか、神の光を受けて受難をあえて受けるほどに大いなる力を受けた人たちの記録は、後世の人たちにも強い励ましとなった。
日本のキリスト教界で「ちいろば」という本やアシュラム運動などで、広く知られている榎本保郎も、その一人だった。
彼が、太平洋戦争のとき、満州で命が危うくなるような経験をしたのち、敗戦で帰って来た。そして一切の希望が打ち砕かれ、死にたいという気持になっていたころに手にしたのが、「キリシタン宗門史」というような題の本だったという。
それによって、キリシタンが迫害され、殉教していく姿が記され、すべてを神に捧げて死んでいく姿を何度も何度も泣きながら読んだ。彼らの姿は、当時の榎本にとって大きな光として感じられた。
久しぶりに魂の平安と心の中が明るくなり、喜びは爆発した。そして、両親に、「俺は、キリシタンになる!」と宣言した。
これが、榎本がキリスト者になることの最初の転機となった。その後、同志社に入学したものの、その講義は期待はずれだった。そこは、キリスト教を学問的に研究するところであって、信仰の火に油を注いでくれるようなところではなかった。
そうして再び死のうとするほどに悩んだあげく、家を飛び出し…さまざまの経過を経て再び同志社に復帰した。… (「ちいろば」より)
このように、迫害と殉教という歴史的に最も厳しい状況にあって苦しむキリスト者たちの内に射し込んだ命の光は、彼らの死後も、その後長い歴史を通して無数の人々を励まし、勇気づけてきたのであった。
そのような暗黒の時代、神はまったく沈黙しているかのように見えることがある。しかし、彼らを支えた力は神に由来し、神の力は沈黙しているのでなく、雄弁に働いていた。
そして生ける神は、彼らの苦難を用いて、その後も闇の世界を貫いて輝く光を明らかにされたのであった。
私たちの日常生活のなかで、それぞれが置かれている状況にあって、キリストが言われたように、「幼な子のような心」をもって、神の光を仰ぎ見つつ歩むことは、歴史的な迫害などの厳しい時代にあっても、また現代の日本のような信教の自由の国にあっても共通して与えられることであり、すべてのひとがそのような歩みへと招かれている。
「目を覚ましていなさい」という言葉はしばしば新約聖書でみられる。
これは、神の目から見たとき、人は眠っている状態であることを指す。
この世でどれほど活躍していても、神に目を開かれていないと、死んだような状態ー自分中心という動物的状態にとどまっているから人間としては死んだような状態だというのである。
目を覚ましている、とは、生きて働いている神をいつも思っていることである。
「目を覚ましていなさい。
いつの日、自分の主が帰って来られるのか、あなたがたには分からないからである。
このことをわきまえていなさい。家の主人は、泥棒が夜のいつごろやって来るかを知っていたら、目を覚ましていて、みすみす自分の家に押し入らせはしないだろう。
だから、あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである。」
(マタイ二十四・42 ~44 )
人間は、明日のこともわからない。いかに科学技術が発展しても、自分の心の中や、身近な家族や、毎日会っている人の心になにがあるかもわからない。
そのような弱い人間の知力であるゆえ、世の終わり、ということも、この世では誰も知らない。しかし、突然くる、と記されている。
わたしたちには明日のこともわからない。だが、明日生じることのためにも、日々、心の目を覚ましていることは、可能なことであり、それゆえに主イエスや使徒パウロも私たちにそのことを告げている。
これは、日常の中でもいえる。
心のなかでよくないことを思ったり、陰で、これくらい言ってもいいだろうと他人の陰口を言ったりすることは、霊の目が眠っているからである。
また、苦しみが続いても、必ず、いつか主が来て変えてくださると信じることができる。
そこに希望がある。そのためにも、目を覚ましている必要がある。
「そこで、天の国は次のようにたとえられる。十人のおとめがそれぞれともし火を持って、花婿を迎えに出て行く。そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった。
愚かなおとめたちは、ともし火は持っていたが、油の用意をしていなかった。賢いおとめたちは、それぞれのともし火と一緒に、壺に油を入れて持っていた。
ところが、花婿の来るのが遅れたので、皆眠気がさして眠り込んでしまった。
真夜中に『花婿だ。迎えに出なさい』と叫ぶ声がした。そこで、おとめたちは皆起きて、それぞれのともし火を整えた。
愚かなおとめたちは、賢いおとめたちに言った。『油を分けてください。わたしたちのともし火は消えそうです。』賢いおとめたちは答えた。
『分けてあげるほどはありません。それより、店に行って、自分の分を買って来なさい。』愚かな おとめたちが買いに行っている間に、花婿が到着して、用意のできている五人は、花婿と一緒に婚宴の席に入り、戸が閉められた。
その後で、ほかのおとめたちも来て、『御主人様、御主人様、開けてください』と言った。しかし 主人は、『はっきり言っておく。わたしはお前たちを知らない』と答えた。
だから、目を覚ましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないのだから。」(マタイ二十五・
この不思議なたとえの中で、最後に言われているのが、「目を覚ましている」ことの重要性である。
目を覚ましていなければ、天の国への扉は開けてもらえないと言われている。
たしかに、目を覚ましていないと、悪が心に入り込む。ほんの少しの心のゆるみで、恐ろしい悲劇につながるのである。
このようなことは、誇張のようでそうではない。
それは、例えば車の運転をしているときに、感じる。私たちが一瞬の油断で、生涯とりかえしのつかない大事故につながることが有りうる。
目に見えない世界でも同様で、ちょっとした心のゆるみで悪の力に引っ張られ、自分や家族の一生が闇と苦しみ、悲しみに沈んでいくということはしばしば生じていることである。
パウロは「いつも、目を覚ましていなさい」と言っている。
目を覚ましていると、感謝ができる。目が見えること、足が動くこと、手が動くこと、そのことに、どれほどの感謝が持てるか。指が動くということも、食事、衣服、家があることも感謝である。ひとつひとつのことが、理由があってそれが、与えられていない人もいる。
しかし、自分には与えられている。目が覚めていなければ、感謝が生まれないで、ねたみや不満が出てくる。
目を覚ましていると、祈りが生まれる。そして感謝ができるように祈る。
人間の思いだけでは苦しくてたまらないときであっても、心の目を覚まし、生きて働いておられる 主を仰ぎ見るときに、ふたたび力が与えられてくる。
そのことを神は日々の経験として無数の人々に今も与えておられる。
私たちが、光のうちを歩むということは、いろいろな意味を含んでいる。キリストを信じることによって、夜空の星を仰ぐように、この世のさまざまの問題や混沌、闇の奥に、光る一点を感じるようになる。
そのような目では見えない光を見つめつつ、生きることである。
広く親しまれた歌、坂本九の「上を向いて歩こう涙がこぼれないように…」というのがある。
その歌手の声や歌い方、その姿、そしてこどもにもわかるような親しみやすい歌詞、メロディーが合わさってあのように親しまれたのだと思うが、キリスト教的な意味でも、下ー地上世界のこと、自分のこと、過去の失敗や間違ったこと(罪)などを見つめて生きるのでなく、限りなく上である神の国を見つめ、キリストを見つめて歩むことの重要性を感じる。
上を向いていないと涙がこぼれてくるほど、愛する者を失ったとか、信頼してきた者に裏切られた、あるいはガンでもう命が少ないなど知らされたときなど、いやしがたい悲しみにうちひしがれているーそのような人たちは数知れずいるだろう。
それが生きていけないほどとなり、みずからの命を断っていく人たちは何万とあるのだから。
そうでなくとも、地上世界のさまざまの事件、内戦、混乱や自分自身の至らないことばかりを思っていると、次第に心に雲があつくかかってくる。
そこから、私たちは地上世界でなく、人間世界を超えた高みにおられる神の国を見つめることが与えられている。
光に歩むーこのことは、言い換えれば十字架の光を仰ぎ見つつ歩むことでもある。神の人類への愛を最も深く示すのが、私たちすべての心の間違った思いや行動(罪)をになってくださり、私たちを救いだすために死んでくださったキリストの十字架であるゆえ、十字架はキリスト教のシンボルとなってきた。
その十字架を仰ぐことも、上を向いて歩くことに含まれる。
人間は自分一人の心の汚れさえどうすることもできない。
世界のあらゆる人間の罪を十字架によって担い、死んでくださったその十字架からは、限りない神の愛の光が放射されてきた。
さらに、神が人間に限りない清い世界、また神が天地創造の力を持ち、美しさや雄大さに満ちていることを示すために自然の世界を創造されたので、その自然の美や清さ、あるいは美しさを見つめて歩むこともまた神の光のうちに歩むことにつながる。
…あなたの御言葉は、わたしの道の光
わたしの歩みを照らす灯。
(詩篇119 の105 )
光のうちに歩むーそれは、また言い換えれば、この聖句にあるように、神の言葉のうちに歩むことである。
一般的には、私たちは何によって歩んでいるのか、毎日生活しているだろうか。
それは、自分の考え、あるいは他人の考えによっているというのが非常に多い。
職業をもっているときには、その上司の命令、あるいは会社の方針にしたがっていかねばならない。これも人間の考えに従うことである。
また、子供のときは、学校の教師や親、あるいは友人などに従っている。そのように人間に従うということしか、知らなかったし教わることはなかった。
だが、そうした狭い世界でなく、天地創造をされた神、そして今も万物を支えている神の世界があり、しかもその神が、人間の苦しみや悲しみに何の関係もなく存在する法則のようなものでなく、私たちの最も深い心の動きをわかってくださり、しかも生きて働いておられる神であるのであり、その神の世界が存在することをひとたび知らされたときから、人間に従うというのとは全く異なる生き方を知るようになる。
神の言葉は、私の道の光ー私の歩みを照らすともしび、と言われている。
人間の言葉もそれが優れたものなら、ある程度までは、私たちの歩むべき道を照らしてくれる光となる。
しかし、ただちにわかることであるが、だれもが向っている死という重大なことについて、人間の考えや意見というものは、みな確信を与えるようなものではないく、次のような考えのいずれかであろう。
それは、死んだら骨や灰になる、どうなるか何もわからない、または無になる、あるいはさまよう霊的なものになる、あるいは漠然と天国に行くーというようなことのいずれかである。
このような問題については、自然科学も医学や文学、あるいは法律や政治、経済などの学問も何も答えることはできない。ノーベル賞学者であっても同様である。
だからこそ、このような学問は、近年飛躍的に多くの人たちが学ぶようになったにもかかわらず、死後どうなるのか、という問題は、まったくわからないままである。
このような状況にあって、闇に輝く光のように、真理を示し続けてきたのが、神の言葉たる聖書である。
神の言葉は、私たちの道を照らすという。家族あるいは、職場や近所の身近な人たちとの人間関係で悩まされるということは、だれしも生じることである。そのような時、何が正しい道を示すのか、神の言葉である。
あなた方の敵を愛し、迫害するもののために祈れーこの御言葉は、人間関係での究極的な指針となっている。昔は国家の支配者が、キリスト者に対して、実際に殺そうとするほどに敵対し、迫害も行なわれてきた。
現代の日本では、そうした状況にはないが、特定の人に敵対され、あるいはいじめを受けて、耐えがたい状況にある人々は多くいる。
そうした状況にある人たち、またそれほどの状況にない一般の人々にあっても、この言葉をいわれたキリストの霊が私たちに少しなりとも与えられるとき、この方向へとわずかであっても、歩む心が起こされる。
実際に、文字通りの闇にあって、そこに光を与えられて、新たな歩みをするようになった人たちも多くいる。
その一つの例をあげる。
それは、日本ライトハウスの創始者である岩橋武夫である。(*)彼は、早稲田大学学生のときに、失明した。
(*)1898~1954年大阪生まれ。失明後、関西学院大学入学、卒業後、大阪市立盲学校教師、イギリスの大学留学、帰国後、関西学院にて教える。アメリカに訪問した折り、ヘレン・ケラーとの交流あり、その後日本にヘレンが来ることになった。
1935年日本ライトハウス設立。1948年、日本盲人会連合を結成し、会長に就任。
その後は、前途がまったく見えない闇のなかに沈み、両親、とくに母親は、懸命にあらゆる療法をたずね、宗教的な方法ー祈祷師のような人たちのところも訪れて目が見えなくなるという致命的と思われていた状況から少しでもいやされる道を模索した。
それにもかかわらず、あるとき、天理教の教師から、「先祖への供養が足りなかったからだ」といわれ、一層の苦悶に陥る。
そうして自殺を決行しようとしたとき、その様子が異常であったので母親がそれをかぎつけて部屋に入り、必死で「ただお前が生きていてくれるだけでいいのだ」と諭した。
その母親の全身を込めた語りかけによって自殺を思いとどまった。
その後、いろいろのいきさつから盲学校入学、そこで新たな世界を知らされ、さらに向学心燃えるゆえに関西学院大学に入学。その際、当時はボランティアで盲人を手引きするなど、視覚障がい者への制度はまったくなかったので、妹が、在学中の梅花女学院を首席の成績であったにもかかわらず中退し、弟の武夫のために、献身的に通学や勉学の助けをした。
そうした過程を経て、彼は点字の書物、英語点字も読めるようになり、当時世界で初めて発行されていた新約聖書の点字書を購入希望した。
それが届いたときに、それ以前も以後もなかったほどに、寝食を忘れてとくにヨハネ福音書を読むことに没頭した。
そして、ついに彼を決定的な精神的な新しい世界へと導いた聖句に出会った。
それは、次のキリストの言葉である。
…弟子たちがイエスに尋ねた。
「ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。」イエスはお答えになった。
「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである」。(ヨハネ9の2~3)
この言葉が決定的な転機となった。そしてそれまでの長い苦しみに終りを告げることになった。神のわざが現れるためーそれは限りなく積極的、前向きなメッセージであった。
神のわざとは光と愛に満ちたものである。闇と運命に翻弄されたと苦しむ魂には、全く新しい世界を告げる言葉だった。
このように、この短い神の言葉は、絶望的な状況に置かれていた盲人に生涯にわたる転機を与える力となった。
まさに、闇のなかに、神が光あれ!と言われたとき、彼の内面の奥深いところに光が与えられたのであった。
そしてその光は、主イエスの言われたように、新たな命を与えるものとなった。
「私は世の光。私に従ってくるものは、命の光を持つ。」(ヨハネ8の12)
このように、人間の言葉は、彼を悩ませ、苦しみを増していくものであったが、神の言葉は、ただひと言であったが、比類のない力を与えたのである。
人間の愛ー母親の愛も彼の死を思い止まらせることになったが、その母の愛をもってしても、目が見えなくなるという悲劇が何のためなのか、なぜ自分がこんな闇の世界へと落ち込んだのか、といったことに対しては、深い謎のままであった。
母親の愛を感じてそのような母を悲しませたくないという気持ちから、自殺を思い止まらせることにはなっても、自分の直面する苦悩に対しての根本的な解決や力にはならなかった。
人間の愛、それはそのような
愛を持つ母親を与えられたひとにしか受けることができないしー母がいない人、いても冷たい心の母親だということもあるーその愛も大きな限界がある。
ただ、神の言葉だけは、いかなる苦しみや貧困や暗闇、あるいはステパノのような憎しみに燃えた人たちによって石を打ちつけられて死の近づくときでもなお、光として射し込むことができる。
この岩橋武夫も、彼より10歳ほど年上の好本 督(よしもとただす)によってよき影響を受けた。 好本 督は、みずから視覚障がい者(弱視)であったために、とくに視覚障がい者の福祉のために、信仰と愛をそそいだ。そして、日本の盲人福祉の父と言われた。
この好本 督もまた、内村鑑三から深い影響を受けたひとであった。
このように、神の言葉が光となって、魂の救いに達したのは、私たちの徳島聖書キリスト集会におられる幾人かの全盲の方々においても、同様である。
そして、盲人でなくとも、あらゆる状況にある人たちにおいて、先の見えない不安や恐れ、また苦しみのなかで、神の言葉に出会ってそこに永続的な光を見いだしたひとは、過去数千年において絶えることがなかった。
…主はわたしの光、わたしの救い。
わたしは誰を恐れよう。
主はわたしの命の砦。
わたしは誰の前におののくことがあろう。
悪を行なう者が、私に襲いかかってきたとき
わたしを苦しめるその敵こそ、かえってよろめき倒れた。
彼らがわたしに対して攻撃のための陣を張っても
わたしの心は恐れない。
わたしに向かって戦いを挑んで来ても
わたしには確信がある。(詩篇27の1~3より)
この詩の冒頭、「主はわが光」という言葉は、オックスフォード大学の紋章として広く知られてきた。ラテン語で、Dominus illuminatio mea(*)と書く。
(*) ドミヌス(主)イルルーミナーティオー(光)メア(私の)
主は光であるゆえに、真理探求を目的とするオックスフォード大学の紋章となった。真理を明らかにするのは神の光だからである。今から900 年ほども昔に創立されたので、当時の真理探求というのは、聖書やキリスト教にかかわる真理の探求が第一に目標とされていた。そのために、この聖書の言葉が紋章として用いられたと考えられる。
しかし、この「主はわが光」という詩篇の言葉は、今日の大学のような一般的な学問探求の光を意味していないのは、この言葉に続く詩篇の言葉を見ればすぐにわかる。
主が私の光となるーそれによって、悪が迫る状況にあってもなお、救いの確たる力をその背後に見ることができるのである。
敵対する者が命をねらおうとしてくるほどの差し迫った状況にあっても、なお、その背後に神の光を見ることができるーそしてその光によって確信が与えられる。
聖書の巻頭に、闇と混沌のただなかにあって、神が光あれ!といわれると光が存在したように、この詩の作者にあっても、闇の力にうち勝つ神の光を見ることできたのであった。
人間関係における悩みや苦しみ、闇の力に打ち倒されそうになるそのとき、そこに光となってくださるのが神である。その光を受けるとき、ふ
しぎな力が与えられて、自分を滅ぼそうとするような悪の力に直面してもなお、救いの確信をもつことができる。
この詩は、そうした私たちの日常生活における心の苦しみに対する光を与えてくれる内容となっている。
私も21 歳の初夏のころ、一冊の本の短い箇所から、神の言葉に出会い、キリスト教の信仰を与えられた。それはまさしく、命の光であった。それまでまったく見えなかった世界ーすなわち真実、永遠の存在、究極的な正義、そしてすべてにうち勝つ神の愛―等々の新たな世界がその光によって開かれ、以後の歩みが決定される大きな転機となった。
神の言葉こそは、揺れ動くこの世界にあって、いかなる政治や社会の変動にもかかわらず、星の光のように、その輝きと力を失うことなく、しか
もそれを求め、見つめてくるものを決して拒むことはない。
そして現代においても私たちに常に語りかけ続けている。
(今月号に掲載した、光に関する二つの文は、1月7日~9日に横浜市で開催された、冬季聖書集会(キリスト教独立伝道会主催)での聖書講話を元にして書いたものです。今年の主題は、「光のうちに歩もう」でした。)
力ある者よ、なぜ悪事を誇るのか。
神の慈しみは絶えることはない。(3節)
お前の考えることは破滅をもたらす。
お前は善よりも悪を、正しい言葉よりもうそを好み
人を破滅に落とす言葉、欺く舌を好む。
神はお前を打ち倒し命ある者の地から根こそぎにされる。(7)
これを見て、神に従う人は神を畏れる。彼らはこの男を笑って言う。(8)
「見よ、この男は神を力と頼まず
自分の莫大な富に依り頼み自分を滅ぼすものを力と頼んでいた。」(9)
わたしは生い茂るオリーブの木。(10)
神の家にとどまります。
世々限りなく、神の慈しみに依り頼みます。
あなたが計らってくださいますから
とこしえに、感謝をささげます。
御名に望みをおきます
あなたの慈しみに生きる人に対して恵み深いあなたの御名に。(11節)
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この詩は、力ある者ーから始まる。力には、経済力やお金の力、腕力、暴力、武力などいろいろいろあるわけだが、
ここでは特に相手の精神に打撃を与えるような、悪意ある言葉を出す人のことがまず書かれている。
最近はメールなどで悪意、中傷を流されて、仕事や学校に行けなくなることもある。このように悪しき言葉の力で人間を壊してしまうことがある。
神を知らなければ、こうした悪の力による打撃を受けると一人で抱え込んでだんだんと暗くなる。
しかしこの詩の作者は、悪意ある力を持った人よりも、はるかに大きな力を知っていた。
それは神であり、その悪の力を滅ぼすことができる。
この詩篇では、例えば7節のようを見ると、ずいぶん強い表現で書かれていて、この点から詩篇が馴染みにくいということもあるが、これは3000年近くも昔であり、今の私たちの言葉とその表現などが違うは当然のことである。
ここで言おうとしてるのは、悪意によって人を傷つけ、打ち倒そうとする力と、神の力ーこの二つの力を対比である。
絶えず私たちが直面するのは悪の力である。新聞やニュースでも、ほとんどの場合、そうした悪の力による犯罪や闘争、内戦、政治家の不正や国家間の争い等々である。
それに対して、目に見えない善なる力のはたらきが書かれることは、ごくわずかである。
だが、聖書においては、一貫して、あらゆる善きことの根源である神が、悪の力を時が来れば必ず滅ぼすということが言われている。
人間のあらゆる不幸、困難、災いは、悪の力が入り込むことによってさらなる苦しみへとつながる。自然災害は、人間の善悪の意図とは関係なる生じる偶然的なもので、そこには善も悪もないーそう考えることが多い。
しかし、そうした苦難や災害を受けて、悪をなす人を憎み、あるいは絶望するか、それとも、そのような苦難に直面してもなお、善なる神を仰いでその力を受けようとするかー私たちにはそのいずれかを選ぶ自由が与えられている。
神を信じるとは、そのようなとき、きっと最終的にはよいことにしてくださると信じることも含んでいる。しかし、それを他人や政治、あるいは、単なる偶然に帰して、それらを呪い、憎み、あるいはあきらめてしまうー等々の道をとるときには、立ち上がる力を失い、さらなる不幸なことになっていく。
しかし、そのような災害そのものも、神が何らかの深い御計画によってなされている、最終的にはそれは良きことにつながっていくのだと、信じていくことによってじっさいにそのような信仰には、この世は偶然だ、悪の運命に翻弄されたのだと信じるのとは、受ける祝福が全くことなってくる。
身近に起こった自分の事故や病気にしても、それが単なる偶然だ、あるいは、医者や他人によって、あるいは生まれつき、また自分の不注意でそうなったと思うだけでおわるのと、そのような出来事もまた、そうした人間の罪や偶然的なことによって生じていてもなおその背後には、大いなる神の御手の働きがあって、最終的によきことにつながっていくのだと信じていく道が与えられている。
使徒パウロが聖霊にうながされて書いたことのなかに、「神を信じるものには、万事がよくなるように共にはたらく」とある。
この詩の作者が対比している悪の力と善なる神の力の問題ーそれは私たちの日常生活においても常に直面することなのである。
悪がはびこっているのはある期間である。私たちもこの世
の出来事を見たら、悪い力がニュースでさらに拡大して報道され、話題になったりするが、一方で目に見えない神の力があるということを、その度に思い返さなければ、だんだんと悪の力に引っ張り込まれることになりかねない。
悪意、中傷を受けていた人が、神の力を知らされる。悪の力
が一時的にいかに強く、神などいないように見えても、彼らが時がきて、当然に滅ぼされていくのを見る。それによって、神の力への新たな信頼がわき起こる。
悪をなす人は、神を力と頼むことなく、自分の富に頼り、自分を滅ぼすものを力としていた。(9節)
神の力を知れば知るほど、大きな悪の力に直面しても、それに動かされる度合いが少なくなる。
10節以降は、悪に打ち勝った新しい生活が書かれている。
生い茂るオリーブの木とあるが、日本にはオリーブの木はもともとなかった木なので、身近な植物とは言えないが、オリーブ、ぶどう、いちじくは聖書が書かれた地域では、非常に重要な木で乾燥地帯でも良く実り、オリーブは食用にもなり、宗教的儀式に使う香油にもなり、燃やすことにも使う。またその木を切って薪にもなる。
悪の力に妨げられ、苦しめられて悪をなす人たちを憎んだりしていると、自分のうちにも悪が生い茂ってくる。そしてゆたかな実りにつながるように育っていくことはできない。悪意ある者の攻撃を、神の力への信頼によって守り、神の家にとどまるとき、自然によきものが生い茂るようになる。
神の家にとどまるー現代の私たちにとっては、神を仰ぎ続けること、そしてまた信じる人たちの集りに属してともに御言葉を受け、祈られ、祈ることである。
この詩の最後には、神の救いの力への感謝と信頼が記されている。悪の力が切迫してくるにもかかわらず、このように勝利させてくださったから、代々限りなく永遠に神の慈しみにより頼もうとの心が自然にあふれる。
この世の現状にいかに打ち勝つことができるのか、というのは既に詩篇第に記され
ている。
この世の勢力は結束して、神の力に真っ向から対立しようとする。
神の力ではなく、軍事的、経済的な力こそが重要なのだと主張する。そして、真実な神とかその神の正義の支配などをまったく信じることなく、投げ捨てようとする。
しかし、神はそのような動きを一蹴され、時至れば、そのような悪の力を打ち壊し滅ぼされる。(詩篇第2篇)
詩篇第52篇も、この詩篇の最初の部分におかれた詩と同様な精神のもとで記されている。
私たちも、神を信頼し、その御言葉を愛することによって、生い茂るオリーブの木のようになることができる。このことも、詩篇第1篇にある流れのほとりに植えられた木と、この52篇のオリーブの木が対応している。
…御言葉を愛し、その教えを昼も夜も心に留めている人、それは、流れのほとりに植えられた木。
ときが来れば実を結び
葉はしおれることがない。
正しき人の道を主は知ってくださる。(詩篇第1篇より)
〇冬の花々ー水仙、梅、そしてヒヤシンスが、香りという音楽を流し続けています。近づくと、人の言葉や普通の音楽とは異なるよき御国からの香りというべきものを日々与えてくれています。
〇2月の中旬が近づくと、夜の11時半ころには、木星が東から昇ってくるのが見えます。オリオン座や明るいシリウスの星々はすでに南西へと傾いて見えます。そして夜明け五時半ころには、木星は南西へと移動して輝き、土星が東から上り、南のやや低いそらに見える赤いアンタレスの左少し離れて見えてきます。
〇1月7日(土)~9日(月)に横浜の上郷・森の家で開催された冬季聖書集会(キリスト教独立伝道会主催)の録音があります。吉村孝雄による聖書講話は三回。各40分~50分程度、その他自己紹介や感話など。MP3形式。希望の方は、吉村孝雄まで。連絡先は奥付にあります。価格は送料込で、300円。古い切手などでも結構です。