いのちの水 2018 年12月号 694号
天使は言った。私は民全体に与えられる大きな喜びを告げる。 (ルカ2章10) |
目次
12月はクリスマスの月、各地でクリスマスツリーが飾られ、クリスマスソングのメロディーが聞かれる。しかし、日本ではクリスマスとは何の日なのか、そもそもクリスマスという言葉はどんな意味なのか、ということもほとんど関心が持たれていない。
Christmas それは、Christ(キリスト)と、 mas が合わせられた言葉であり、mas とは mass の短縮形で、日本語ではミサである。
すなわち、クリスマス Christmas とはキリストのミサという意味であり、キリストを礼拝する日ということなのである。
けれども、クリスマスという日本語表記では、キリストという言葉がそのなかにあることさえ気づかれないために、クリスマスといえば、よく見かけるために、サンタクロースの日のように思ってしまうことが多い。 サンタクロースも サンタ・クロース、すなわち、聖ニコラウス(ニコラス)のことであり、4世紀初めに小アジア(トルコ)の町の司教であった聖ニコラス Saint Nicholasに由来する。彼が、キリストの心をもって貧しい人や子供たちによきものを分かち与えたという言い伝えが広まったもので、クリスマスやサンタクロースという名前にもそこには、キリストが中心にあるのがわかる。
そのキリストがこの世界に来られたのは何のためだったのか。
一般的には、よい教えを与えるためだと思われている。例えば、ブッダ、孔子なども同様で、とくに中国の影響で、キリスト教、仏教、儒教、イスラム教、などというように、〇〇教 というのが付けられる。このような言葉のゆえに、キリストなどもよい教えを与えるために生きた人なのだーというような考えがしみ込んでいる。
しかし、キリスト教という言葉は、英語では、Christianityであって、-ityは、本質を表す接尾語である。キリストの本質 といった意味である。
キリストがこの地上に来られたのは、単によい教えを与えるためではない。真理について教えるためというのはキリストの使命の一部にすぎない。
キリストが来られたのは、新約聖書においてもその最初に記されている。
この世にうまれたとき、その名前をイエスと名付けよ、それは、イエスが人々を罪から救救うからだ、と天使が告げたと記されている。
名前は、聖書においては、その本質を表わすものとして重要な意味を持っている。
ここで、新約聖書の巻頭から、イエスの使命は、罪からの救いだというのが、神からのメッセージなのである。
罪、それはあらゆる人間が持っている。いかにやさしい穏やかと見える人も、人間に対して好き嫌いの感情があるし、他者からやってもいないことをした、と言われたり根拠のない中傷をされたり、自分の愛する子供をいじめられたりされるなら、たちまち相手を疎んじ、あるいは嫌い、憎むようになるであろう。
また、隣人を愛せよと言われている。隣人とは、何らかの関わりがあったり、出会う人々すべてを含む。そうしたあらゆる人々に対して、その人たちがよくなるようにと祈りの心を持って対しているだろうか。
新聞やニュースで出てくる事件や災害にあった人たちにつねにその人たちが力を与えられますようにと祈りの心をもって見ているだろうか、単に新しい珍しいことだから、といった興味本位や好奇心で見ているというのが大多数の心情であろう。
しかし、聖書においては、神のご意志が記されており、それは、本当の人間のあり方というのは、自分に害悪を及ぼす人ー敵対する人に対してもその人がよくなるようにと祈ることであり、いかに悪しき人であっても、憎しみを抱くだけで、その人を殺すのも同然である、というほどに高い基準が示されている。
そうした高いあり方が人間の正しいあり方であり、そのあり方からはずれていることをみな、罪という。
他者に対して無関心というだけで罪だ、ということになると、だれが罪がないなどと言えよう。使徒パウロが書いているように、そうした高い標準、神ご自身の愛や真実、正しさ、清さを前にするとき、すべての人間は、罪があり、汚れているーということになる。
しかも、そのような罪は、いかに科学技術が進展しようとも、経済的に豊かになっても、また医学によって健康が保持されようとも、また外国旅行や趣味、娯楽を多くやってもどうすることもできない。学問やスポーツなどでノーベル賞や金メダルをとったといえども、罪はまったく変わらずにその人の内部に存在しつづける。そして、そうした栄誉を受けて有名になり、報酬も豊かになると、そのような有名人に群がる人たちに取り囲まれることになり、いっそう貧しき人や弱い人たちとの関わりは少なくなり、そうした人々の関心も薄れていくことが多い。
かえって、豊かになると、衣食住にわたって贅沢になり、さらに不要な贅沢品や飲食物を求めたり、互いに分かつという心を失って、欲望がさらにふくらんでいくことも多い。 マザー・テレサが書いていたことがある。初めて貧しい人たちのところへと赴いたとき、自分は小さな弁当を持っていた。それをみすぼらしく貧しい子供が見て、欲しそうにせがんだので、分けてあげた。すると自分で飢えたおなかを満たすために食べてしまうのでなく、すぐに小屋のようなみすぼらしい家に行って、家族に分かち与えたーということが書いてあった。
また、東南アジアに船乗りとして行っていた人から直接に聞いたことだが、その船が岸壁についていたとき、その地域の人たちが船に乗っている人たちから何かをせがんでいた。それでその人が、お菓子などを投げてやった、それが海に落ちると、一部の人はすぐに飛び込んでそれを拾い上げ、陸に上がって、そこにいた家族たちに分かち与えていたーというのである。その光景が強い印象に残ったとその人は語っていたのを思いだす。
いかに、軍備を整え、経済が成長し、医療も福祉政策もよくなったとしても、人間の心は清くはならないし、真実な無差別的な愛もうまれない。一人や二人の子しか持たない夫婦が多い。そのため塾に送り迎えし、食事も十分、おやつや遊具、また衣服などもたくさん買い与え、旅行も各地に連れていき、ーまた大学も数百万の金を投じて県外の有名大学を卒業させたー等々を尽くして大きくしても、大人になって親が病気になって苦しんでいても、見舞いのために病院にも来ないーこんなことなら、大学に行かせるのでなかったー息子を有名大学に入れた人の病床を訪ねたとき、苦しみと悲しみの表情で語っていた人を思いだす。
こうした愛や真実、正しさ、清い心などを持てないーそれが人間の根源にある問題であり、それをキリスト教では罪といっている。それらはみな、目には見えないものであり、金や権力では買うこともできないものである。
この世界のあらゆる問題はそのもとを掘り下げていくと、必ずこうした人間の深い罪ー自分中心に考え、行動すること、そして目に見えないものを無視あるいは軽視することがもとになっているのに気づかされる。
それは親子、夫婦といった最も身近なところから、学校、職場、また地域や日本、世界全体の根源に深く内在するものであり、そうした個々の人間に内在する罪があるからこそ、争いがうまれ、ねたみ、憎しみや差別、いじめ、迫害、嘘、欺き…等々が生じる。それが、大きくふくらんで民族や国同士の戦争などになっていく。
世界に誇る憲法9条があり、そのゆえに日本は70年余り、外国と戦争も内戦もしていない。だからといって、個々の人間に愛や真実、正義を第一にしようとする心がより成長しているだろうか。
そんなことはない。さきほどの病気に苦しむ親への見舞いもしようとしないような傾向がむしろ増大しているし、子供同士がいじめ合い、若い世代の自殺率は世界のトップクラスにあるということはそれを物語っている。
大学進学率は50%を越えるようになった。戦前は四国には大学は一つもなかったし、全国でもごくわずかであった。その点では、飛躍的に国民が大学での学問をやっているようになった。しかし、愛や真実、正義感などは豊かになることはなく、社会的な関心や未来の日本や世界はどうあるべきか、などの広い視野も育っていない。いかに政治が腐敗していても、原発の大事故によって、大きな偽りが明らかになっても、そのために学生たちが大きな反対や抗議の声をあげるーというようなこともほとんど見られない。
こうしたことを深く考えるとき、科学技術や政治や社会の制度、法律、医療などがよくなるように、と変えていくことはもちろん必要である。
しかし、それら人間のいわば外側の変革をいかに進めても、人間の根源にある罪の問題はどうすることもできない。
その罪の問題を解決するためにこそ、キリストは来られた。それゆえに、新約聖書の巻頭に、イエスがこの世にうまれたのは、罪からの救いのためだと告げられているのである。
罪のない姿ーそれはキリストが完全なかたちで表された。しかし、現在キリストは目に見えるかたちで接することもできない。信じることなければ、そのキリストの完全な姿も心に入ってこない。
しかし、神は、そうした信じることをしようとしない人間に、じっさいに目に見えるかたちで罪なき姿を日々示されている。それが自然のさまざまの清く美しい姿である。夜空の星々の輝き、そこにはいかなる汚れもなく、人間は汚すこともできない。いかに雲がかかろうともあくまで星々はその光を投げかけ続けている。
また、山野に咲く野の花、イエスも「野の花を見よ!」と言われたように、それのたたずまい、色合い、雰囲気はまさに罪なき神のお心を部分的にせよ反映したものとなっている。
神は人間への愛ゆえに、神やキリストを信じられない多数の人たちにも、その罪の清められた姿を、私たちの周囲の到る所に示しておられるのである。空を見上げるなら、青い澄んだ大空、真っ白い雲、そして朝夕にさまざまの色彩を帯びていく姿、それはみな人間の決して達せない清いすがたであり、しかも雄大な広がりと絶えず変化していく。そこにそれらすべてを創造された神の清い力がある。
クリスマスとは、人間世界の至るところに深く巣くう罪からの救いのために来られたイエスを記念し、感謝し、すでにキリスト者となっている人は、その罪からの救いの力をさらに受ける日なのである。
そしてまだそうしたあらゆる人の根源にある罪のことも知らず、罪からの救いも知らない人たちが、その罪からの救いを受けるようにと願う日でもある。
キリストが来られたもう一つの目的
イエスが誕生したとき、その名にはここに記したように罪からの救いということゆえにイエスという名前が付けられたが、もう一つ、誕生のときに、名前が示されている。
…このすべてのこと(イエスの誕生)が起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためである。
「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。
その名は、インマヌエルと呼ばれる」
この名は、「神は我々とともにおられる」という意味である。(マタイ福音書1の22〜23)
イエスのもう一つの名、それはインマヌエルだと示されている。それは ヘブル語でイム(〜と共に)、ヌー(我々)、エル(神)という三語が合わさった言葉であるゆえに、「神、我らと共に」 という意味になる。
新約聖書の巻頭にこの二つの名、それはその二つがイエスが来られた目的だというのである。
この二つは別のことではなく、深く関わり合っている。
二つめのインマヌエル、神ともにおられるというのは、罪からの救い、罪の赦しを受けた者が、与えられる絶大な恵みを示している。
神は全能であり、しかも愛、真実、そしていかなる汚れもなく、永遠の存在である。言い換えると、あらゆる良きものに満ちた御方であり、そのような御方が共にいてくださるーそれ以上の賜物があるだろうか。
いかに愛あると思われるような人間も罪深いものにすぎず、また病気になり、弱くなっていくとき、他者への愛どころか、他人の力なくしては生きられなくなる。そして死んでいく。
よき人間が共にいることは大きな恵みであるが、人間そのものが、はかないものにすぎないし、そうした愛のある友人を持っている人は少ない。
事故や災害、あるいは、癒されないで、死に近づく重い病気、家族の分裂、職場などでのいじめ、…等々、死にいたる苦しみを持っている人たちは数しれずある。人間の慰めや励まし、サポートも一時的には与えられるが、それもみなそのうちに変質し、消えていく。人間そのものが死して消えていく存在だからである。
いかに良き人と思われている人であっても、ずっとその人と一緒にいれば、必ず互いの性格や考えの違いも感じられてくるであろうし、そもそも人間はそのうちに弱って死んでいくのであって、いつまでも共にいることなど不可能なのである。
そうした現実に対して、いかに長時間いても決して不快になったりすることもなく、しかも永遠に良きことを与え続けてくださるのが神、あるいはキリストとともにあることである。キリストとともにいることは、すなわち神とともにいることに他ならない。それはさらに、聖霊が与えられていることでもある。神、キリスト、そして聖霊は、新約聖書の多くの個所で示されているように、本質が同じであるからである。
いかなる困難、悲しみにあっても、しかもいかに孤独な、みすてられたような人であっても、心から罪を知り、赦しを願うならば、必ず愛の神ゆえに共にいてくださるようになる。
そして、私たちの涙を深く知ってくださっている。そして時がくれば必ずいやしてくださる。ーその時とは、いつなのか。
それは、地上で生きている時においては、復活の力、聖霊による力を与えてくださって苦難に耐える力と、主にある魂の平安を与えてくださるが、さらに、死後には、そうしたいっさいの涙が拭われることになる。
…神は人と共にいて、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。
もはや死もなく、悲しみも嘆きも労苦もない。(黙示録21の3〜4より)
神は全能で、かつ愛であるゆえに、死からの復活もさせてくださり、しかもその復活のからだは、永遠に朽ちないもの、清いものであり、キリストの栄光のからだと同じ形に変えてくださると約束されている。(フィリピ書3の21)
すでに述べたように、キリストが来られた目的は、罪からの救い、そして神がともにおられることである。
この二つ目の、神が共におられることの祝福が豊かに、かつ心に響く表現で表されているのが、旧約聖書の詩篇23篇である。
聖書の詩のなかで、最も愛されているのは詩篇23篇であろう。
そこには、驚くべき満たされた世界が記されている。
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主はわが牧者
私には乏しいことがない。
主は私を緑の牧場に伏させ、
いこいのみぎわに伴われる。
主は私の魂をいきかえらせ、
み名のために私を正しい道に導かれる。
たとい私は死の陰の谷を歩むとも、
わざわいを恐れない。
あなたが私と共におられるから。
あなたのむちと、あなたのつえは私を慰める。
あなたは私の敵の前で、私の前に食卓をととのえ、
私の頭に香油をそそがれる。
わが杯はあふれる。
私の生きているかぎりは
必ず恵みといつくしみとが伴う。
私はとこしえに主の宮に住む。
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人間は、動物と違って食べ物が十分にあっても、なお魂の深いところで何かが欠けていると感じるのはなぜだろう。
それは、動物には正義と不正の区別がない。善と悪というものは存在しない。
しかし、人間にはそれがその存在の根源に存在する。
そこから、不正なことを考えたり、したりするなら、心に平安がなくなるように創造されている。
それは、「何かが欠けている」という実感となる。中心となるものが欠けているゆえに、空しい、空虚、荒涼とした…といった感情になる。それはそのまま、「渇いている」という実感と結びつく。
こうしたことは、言い換えるなら、罪を犯すゆえに、人間は渇き、空しくなり、荒れてくる。それをまぎらわすためにさらに悪事を働くようになる。
キリストはその人間の根本問題である罪からの解放のために来てくださった。
罪赦されるとき、それは私たちの魂の最も深いところに御手を触れてくださったということである。そこから何も欠けることがないーという実感が与えられる。
そして、キリストの復活以降においては、活けるキリスト、すなわち聖霊が私たちの内に入ってくださり、また私たちを導いてくださり、いのちの水で満たしてくださる。
それは、「主が私たちを緑の牧場に伴い、憩いのみぎわに伴い、魂を生き返らせてくださる」ことである。
緑の牧場ー羊にとっての食物であり、私たちにとっては、霊的食物であるキリストを与えられる。
罪赦され、正しい(義)とされるーそれは言い換えると、 正しい道に導かれるということである。
魂を生き返らせてくださるーこれは生きているうちにも与えてくださる恵みであるが、さらに霊的に受けとるなら、死してもなお、復活ということが与えられることをも指し示す言葉である。
こうしてキリストのいのちの水を与えられ、新たな命を受けるならば、死というすべてのものを呑み込む力にも勝利していく。
それゆえに、「死の蔭の谷をゆくとも、恐れない」と言い切ることができた。
これは、イエスはもちろん使徒たちもこのような力を与えられ、獄に入れられても、なお祈り、賛美を歌うことができたのである。
パウロと同行したシラスの二人は、伝道の旅の途中で捕らえられ、そして衣服もはぎとられて裸同然とされたうえに何度も鞭打たれ、牢に投げ込まれた。さらに、厳重な見張りが付けられ、一番奥の牢に入れられ、足には足かせまで付けられていた。昔は牢獄には明かりもなく、昼でも暗く、夜には闇の世界となり、恐ろしく不潔な環境である。
そのような状況は絶望的である。さらに鞭打たれるのか、ずっと牢に入れられたままなのか、殺されるのか…とかぎりなく不安は湧き出てくるであろう。
しかし、なんとそのような中、真夜中になっても、パウロとシラスの二人は、賛美の歌をうたって神に祈っていた、と記されている。(使徒言行録16の16〜)
これは、まさに「死の蔭の谷を行くとも、災いを恐れない」という詩篇の言葉のとおりの姿であり、たしかに主が彼らとともにおられたことがわかる。
私たちの毎日の平穏な生活にあっても、主はともにいてくださる。食前や日中のいろいろなとき、朝目覚めるとき、夜やすむときに祈りときも主はともにいてくださる。
しかし、そうした穏やかな生活が根本的に壊れてしまったときであっても、なお、主はともにいてその困難のなかに平安を与え、闇の力に打ち倒されない力を与えてくださるのだというメッセージがここにある。
主がともにおられるーこれはキリストが誕生のときに、「その名はインマヌエルと言われる」と預言された。インマヌエルとは、「神、我らとともに」という意味であるが、そのとおりになった。キリストは、いかなる困難なときにも、求める者とともにいてくださるのを指し示している。
…あなたのむちと、あなたのつえは私を慰める。(4節後半)
鞭というと私たちは処罰の鞭を、杖というと老人が支えにするものーというイメージがある。
しかし、ここでは、羊飼いが用いる鞭なので、自分勝手に歩いて、迷っていこうとする羊を鞭をふるって正しい道に導くためのものであり、また杖もそのようにも使うが、他方、危険な動物が襲うときには、杖で撃退し守ってくださるーという意味が込められている。(*)
私たちの魂の羊飼いである神、キリストはたしかに傲慢になったり、間違った道を行こうとするときに、さまざまの困難や痛み、事故、病気などを通して正しい道に導こうとされる。
何らかの重荷がふりかかってきたときーそれも静かに振り返ると自分の罪がその背後に潜んでいたためだと気づかされることも多い。
(*)鞭と杖と訳し分けている原語は、ともに「杖、棒」を表す。英訳でも、rod and staffであり同様な意味。rod は、若枝、棒、杖を意味するが、懲らしめとか鞭という意味でもつかわれる。 staffも、杖、棒、支えの意。なお、英訳では、羊飼いの鞭と杖は、「私を守ってくださる。」( rod and staff protect me. TEV)と訳しているのもある。
おそらく、たいていの人において、神の鞭がなければ、あるいは神から棒で痛いほど打たれなかったら、そのまま間違った道を行ってしまっただろうーと思われることがたくさんあるであろう。それほど私たちは傲慢になりやすく、間違った道へとしばしば迷い込むからである。
…あなたは私を苦しめる者の前で、
私の前に食卓をととのえ、
私の頭に香油をそそがれる。
わが杯はあふれる。(5節)
敵対する者の前で、神は私に霊的な食卓を備え、霊的な力を与えてくださる。香油を注ぐとは、神の本質ー聖なる霊を注いでくださるということであり、それゆえに私の杯は神の霊的な賜物で豊かにされ、あふれるばかりだ。
これも、最初の殉教者ステファノのことを思い起こさせる。彼は、怒り狂った群衆に石をもって打たれているそのときに、霊的な祝福を与えられ、神と復活したキリストがともにいるのを見ることを得たと記されている。
そのあふれる祝福ゆえに、死に瀕したときであってもなお、彼らのために祈りつつ息絶えたのだった。
…私の生きているかぎりは
必ず恵みといつくしみとが伴う。(*)
私はとこしえに主の宮に住む。(6節)
(*)伴う と訳された原語は、敵を「追いかける、追跡する」 というようなときに用いられる強いニュアンスのある言葉である。例えば 「アブラハムは敵を追跡した」(創世記14の14)
この最後の節は、いかにこの詩の作者が、主の祝福を受けていたか、祝福とはいかなることかをよく示している。
一般的には、現実の困難、敵対するものーそれは病気の苦しみも含まれるーからの変ることなき圧迫に直面するとき、恵みと慈しみを求めても求めても与えられない、という嘆きやあきらめとなりやすい。
けれども、この作者においては、神の恵みと慈しみ(愛)が、追いかけてくるというのである。それほどまでに、神からの恵みを受けることは、確実なこととして体験されている。
それは、「神を愛する者においては、万事が益となって共に働く」(ローマの信徒への手紙8の28)ということに通じる神の約束である。
そしてこの詩の最後は、永遠に主のおられる家に住むーという確信で終わっている。
現代の私たちにとって、最終的な恵みと慈しみは、たしかに、永遠に神のおられる天の国に住まわせていただくことであり、それこそ、復活の大いなる恵みである。
それは、たとえこの世でどのような悲しみや苦難の人生であろうとも、また災害や事故、戦争等々で命を立たれることがあろうとも、幼な子のようにただ神とキリストを仰いでいるだけで、すでにこの世で永遠の命を与えられ、死後は復活させていただき、永遠に神とともに祝福のうちにあることが約束されていることである。
それこそ、万人に呼びかけられている最終的な祝福だと言えよう。
盲学校では3年の勤務であった。しかし、そこで担任した二人の生徒がキリスト者となり、一人の全盲の生徒北田康広は、のちに武蔵野音楽大学に進学し、ピアニスト、福音歌手、伝道者として神に奉仕する道へと導かれたし、もう一人の弱視の生徒Sさんは、のちに、パソコンの操作に上達し、徳島聖書キリスト集会のホームページや私の聖書講話録音CDの作成などを協力してくれるようになった。
また、Sさんの姉は、全盲であったが、英語がとても好きだとのことで、英語のルカ福音書の点字版を取り寄せて、それを点字で学んでいくうちに、別の宗教に入っていたが、キリスト教を信じるようになった。
そして、私が最初に紹介された視覚障がい者のTさんと鍼の会で知り合った強度の弱視のKさんが創価学会をやめて私たちの集会に加わり、のちに弱視のHさんと結婚、その人もまもなく信仰を持つようになり、Kさんに誘われた全盲の男子もまた集会に参加するようになった。
さらに、中途失明のSMさん(鍼治療院)も、加わるようになり、 またそれとは別に、夫君が交通事故にあって全身マヒの寝たきりとなったやはり視覚障がい者(弱視)のKTさんも、キリスト教に導かれた。
そうして、私が盲学校に導かれて多くの視覚障がい者が加わり、さらにその方々のところで家庭集会が開かれるようになり、私が教員を退職してのちそうした何人かの視覚障がい者のところで家庭集会がなされるようになり、それはもう10〜20年以上続いている。
そして、私が理科を教えたろう学校の児童、生徒たちのうち、6〜7名が私たちの土曜日集会にも参加するようになり、彼らが成長して、のちにキリスト者となった人たちもあり、その一部が、証しを書いているのを知らされたので次に紹介する。
それは、彼らが所属するS教会の開拓50周年記念誌に投稿されたものである。(YHさんの証しだけは、「聖書の光」(2013年9月発行)より)
一般的には、ろう者のキリスト者に出会う経験はごく少ないし、その人たちの証しを読む機会もほとんどないので、ろうあ者のキリスト者としての歩みの一端を知る参考になればと次に引用する。
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〇YHさん…私が初めてイエス様について聞いたのは、ろう学校の小学部のときでした。
理科の先生がクリスチャンで、「この世界には、神様がおられる。その神様は、苦しいときに求めるなら必ず救いを与えてくださる」と言われたことを今でもよく覚えています。
その先生の机の上には、いつも聖書や神様に関する本がいつもたくさん置いてありました。…社会人になっていろいろな困難に出会い、人間関係に悩んでいたときに現在の妻と出会いました。そのとき、彼女がクリスチャンだと聞きました。…「すべて労する者、重荷を負う者は私のもとに来なさい。あなた方を休ませてあげよう。」(マタイ11の28)
と聖書の御言葉にあります。教会に行くと、私の心が軽くなるように感じて、神様は本当にいらっしゃるのだと理解できるようになりました。
〇HKさん…洗礼を受ける決心をしたのは、ある姉妹が主に導かれた証しなどを話してくれたからです。「今の世の中は、終わりが近づいている。天におられる神には、多くの恵みが豊かにあって、信じる者に恵みを多く注いでくださいます。信じる者は幸です。」
それを聞いたとき、私は、ろう学校の小学部のとき、吉村先生からたくさんの御言葉を教えていただいたことをおもいだしました。
@求めなさい、そうすれば与えられます。(マタイ7の7)
A狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく…(同7の13〜14)
B空の鳥を見なさい。 …あなた方の天の父は、これを養っていてくださる。(同6の26)
C私のところに来なさい。私があなた方を休ませてあげます。(同11の28〜30
〇KAさん…私がろう学校の小学部6年のとき、ろう学校に来られた新しい先生は理科の担当をしていて、クリスチャンでした。私はその先生を通して初めてキリストのことを知りました。でもそのときは御言葉の意味が難しくてわからず、一生懸命繰り返してみても、神様のことがわかった気がしませんでした。
先生が、「人々は、イエス様にいばらの冠を頭に載せ、手と足とに大きな釘を打ち込んで十字架に磔(はりつけ)にしました。」と説教してくださいましたが、私はとても理解できず、無神論者であった私は、関係ないと思っていました。
それから中学部に入り、寄宿舎に入っていた私はある友だちと出会いました。そしてその友人からキリストについていろいろな話しの中で「塩狩峠」という話しに心を打たれて、すごく感動して私はすばらしい神様がいたことがわかり、涙が出ました。
それから、毎日曜日に徳島聖書キリスト集会に通うようになりました。…。理容科に進学して校外実習をするため、理容店に行ったら、その店主もろう者でクリスチャンでした。先生を通して私はS教会(*)に連れていってもらいました。
卒業後は、理容師になったので、日曜日が礼拝である徳島聖書キリスト集会には行けなくなったが、その代わりに月曜礼拝のあるS教会に通うようになりました。
しかし、そこの牧師の説教は、手話がうまく読みとれない私は理解できずついていけないので、教会に行っても空しく思えて、心のなかにイエス様を受けいれることができませんでした。
あるとき、その牧師に、ある姉妹とともに怒られたのがきっかけで心傷つき、心を閉じたまま教会を離れてしまいました。それから長い間、遊びに明け暮れたけれど、何もかも空しくなってしまいました。
そんなとき教会に新しい牧師が来られるときいて、行きたくなり、久しぶりに教会に行くことができるようになり感謝しています。それからは御言葉聞いて 少しずつ心を開くことができるようになりました。…
(*)徳島県立ろう学校のキリスト者の卒業生たちがもとになって起こされた教会。 私の授業を受けて、土曜日の集会にきていたろうの子供たちは大きくなって私が知っているだけでも6人ほどがこのS教会に行くようになっていた。
〇CTさん…イエス様との初めての出会いは、ろう学校の小学部5年のとき、理科の担当の先生がイエス様のことを話しだしたので、「頭がおかしいのではないかな?」と思ったものです。
それがイエス様とともに歩む人生の始まりでした。
普通高校に進学した私は、卒業後、初めて健聴者の社会に入りました。しかし、その社会によく溶け込めず、よく小学校時代のあの理科の先生のところに行き、聖書の勉強をしていました。そうしながら高校を卒業し、仕事についたのですが、その職場にクリスチャンのろう学校の先輩がいて、ビックリしました。私はすぐその人に、「教会に連れて行って」とお願いし、以来、北島のS教会に通うようになりました。教会でのイスラエル旅行に参加し、ガリラヤ湖で洗礼を受けることができ、感謝で一杯です。…
そしてもう一つ、イエス様はどんなときでも決して私たちを見捨てないことがはっきりとわかりました。祖母が寝たきりになり、やせ衰えていきました。私は何回も「救われますように」と祈っていました。祖母が危篤状態となり、私の心は混乱状態になり、三日間眠れず、「どうか救ってください」と一生懸命に祈りました。次の朝、カバンからハンカチを出したら、偶然ミニ聖書にはさんであったしおりも一緒に出してしまいました。元に戻そうと思ってミニ聖書をとりだしてぱっと開いたら、次の御言葉が飛び出したのです。
「あなた方は心を騒がしてはなりません。神を信じ、また私を信じなさい」(ヨハネ14の1)
この御言葉に触れて、何か深く突き刺さったように、急に心が落ちついて、神様に感謝の祈りを捧げました。その日の夜、祖母は天に召されました。
思いがけず転勤したろう学校において、まったくそれまでは知らなかった聴覚障がい者の方々の世界に触れ、これまた本を読んだだけでは決して分からない数々のことを学ぶことになった。
そして、私の教え子たちが、右に引用した文で見られるように、成長してから次々とろうあ者を主体とするS教会に通うようになったこともあり、県下の多くの教会が合同で毎年行なっていた市民クリスマスという郷土文化会館で行なわれる行事において、S教会のろうあ者と徳島聖書キリスト集会の聴覚障がい者たちと健聴者も含めての手話讃美が毎年なされるようになり、双方に関わりある私が指揮をすることになった。
そのために、S教会に出向いて讃美歌の手話表現をろうの方々と話し合いながら決めることになり、それが15年ほども続いた。そのこともあって、市民クリスマスの実行委員会のメンバーともなり、いろいろな教会(カトリック教会も含め)の牧師、信徒の方々との関わりも与えられ、教会の方々の信仰や考え方に直接触れる機会ともなった。
そして今日に至るまで、35年ほども、聴覚障がい者の方々との関わりが続いている。
私が、教員として最後に希望した学校は、肢体不自由の児童生徒の教育の場である、養護学校での勤務だった。
ここに転じてまず驚いたのは、肢体不自由とともに聴覚の障がいをも併せ持つ重複障がいの児童に対して、まったく聴覚障がい者としての教育がなされていないことだった。
聴覚障がい者には、後から話しかけてはいけない、ということは基本のなかの基本であるのに、そのようなことにはまったく無頓着でほかの肢体不自由の子供たちに対するように、後からも横からでも話しかけていた。それではもちろん聴覚障がいの子供は何を言っているのかわからない。それがごく当たり前のようになされていた。
それはろう教育を経験してきた者として到底だまって見過ごしてはおれないことであったので、その養護学校の児童生徒たちが所属している隣接の肢体不自由の養護施設に赴き、手話や指文字、そして前から口をはっきり開けてものを言うこと等々、ろう教育の基本的なことを伝えたいと出向いたが、はじめは、その養護施設の看護師も生活指導員や理学療法の責任者たちもみな、手話の必要性とか、口を大きくはっきりとあけてゆっくり話すといった基本さえ受けいれようとはしなかった。
しかし、例えばごく簡単な日本語ー「今日の放課後には、全部の生徒に校長のお話しがあります」といったことをその聴覚障がいを持つ児童に普通の子供に話すように話して伝わるのかーと問いただしたとき、初めて言いよどんで手話の必要性を認めるようになった。そして、そのうち、理学療法科の主任は、はじめは、聞く耳をもとうとしない状態だったが、繰り返し私のろう経験から実例をあげつつ時間をかけて説明したらようやく納得して、理学療法士、作業療法士たちを希望の者は、勤務の空き時間に、私が行なう手話の学びに出てもよいとの了解を得ることができた
そしてそこで手話のテキストとして一般の単語、会話とともに、聖書の有名な言葉ー例えばー狭き門から入れーなどをも取り上げて折々に聖書の内容を手話とともに話していた。
そうした人たちのうち、Mさんは、私が退職後も、引き続いて聖書を学びたいと希望されて私たちのキリスト教集会につながる家庭集会に参加されるようになり、その後、日曜日の礼拝にも参加されるようになっている方もおられる。
最後の学校勤務において忘れることができないことがある。
それは、私は、以前から日曜日には、必ず主日礼拝に出る。そのために何らかの行事があっても年休をとって休むことにしていた。
そのかわり、他にはほとんど年休はとらなかったし、ほかの先生たちが休憩時間としている昼休みの時間も、子供たちと授業を離れて自由に関わる時間としていた。
毎日のように、子供たちの何人かは、私の理科教室にやってきて飼育しているいろいろな動物たちや理科室にも置いてあった、理科関係の昆虫や植物などに関するもの、あるいは歴史や人物に関する学習マンガ等々、初期の古いパソコンでのゲーム…等々をするためにやってきて、私は昼食をとっているときでも早く来る児童もいたりして、昼の時間も子供たちと接することにしていた。
あと数カ月で教師を退職するというとき、 日曜日に学校行事の文化祭があって、ほかの先生方とともに私は車いすの特定の子供に付き添って出る必要があった。それを休むのは、ほかの先生もそれぞれ担当の児童があるので、難しい状況だった。
教員になって二つ目の勤務高校から、ずっと日曜日に何らかの勤務がある場合でもキリスト教の礼拝のために休みを取っていたが(高校では日曜日にはほとんど行事などはなかった)、この養護学校では状況が異なる。それで、どうすべきかいろいろと考えさせられていた。
そのとき、産前休暇に入っていた同僚教員から電話があり、「私が代わりにその児童の付き添いをしましょう」ーと申し出てくださったのである。
私が日曜日には必ず休むということを、以前の勤務校の教員を友人に持っていて、知っていたとのことで、また同僚からもそうした事情を聞いたとのこと、そのようなことは通常では考えられないことだったので、驚きながらも、感謝して受けさせていただいたことだった。
そのようなことも、予想もしないところで神は助けの道、逃れの道を備えてくださるーということを最後の学校でも深く知らされたのである。
こうしたさまざまのことーそれらはみな、私が神を信じて思い切って踏み出した一歩を、神が応えてくださったという証しであった。
そしてこうした経験が与えられたそのすべての出発点は、キリスト教信仰が与えられたからだった。
私はもともと、神やキリストなどいっさい求めることもなく、無関心であって、ただ自分の病気や家族の問題とともに、学生運動のもっとも激しい時代と状況にあって、世界や人間の将来という、科学技術と人間の未来等々など、まったく光が見えずに苦しんでいたその苦しみに神が応えてくださって信仰が与えられたことにある。
神は愛であるゆえに、人間の深い悲しみや苦しみをご覧になっていて、神のときが来るときには、一方的にその恵みを注いでくださる。応えてくださる。そしてひとたびそうした神を知らされたときには、「求めよ、さらば与えられん」 という約束のとおり、神の国と神の義をまず求める精神をもって、いろいろな問題の解決を求め続けることによって応えてくださる。
神は生きて働いておられる。そして求める者には、たとえさまざまの弱さや欠点、また罪深き者であっても、必ず何らかのかたちで応えてくださるという確信を与えられていった。
・明けの明星
最近は夜明け前の早朝5時こらから、東の空に明けの明星がすばらしい輝きを見せてくれています。
古代のキリスト者たちが、夜明け前に集ってキリストへの礼拝、賛美を捧げていたことが古い文書にも記されていますが、そうした早朝に集会の場所へと急ぐ人たちの前方に輝いていた明けの明星は、再び来られるというキリストを指し示すものだったのです。
イエスご自身の言葉として、
「私は輝く明けの明星である」と記されています。(黙示録22の16)
通常の星とは大きくことなるその強い光、まばたくこともなく、じっと見つめるように輝く明けの明星、初期のキリスト者たち以外にも、電気など人工的な明かりのなかった世界の長い歴史において無数の人々があの強い輝きに目を見張り、その光とともに送られてくるメッセージに心の耳をすませ、見入ったことと思われます。
〇クリスマス特別集会
12月23日(日)午前10時〜14時。
内容…クリスマスメッセージ、子供とともに、いのちのさと作業所の人たちの歌、賛美のひととき、1年間の感話、証し、交流タイムほか
会費…500円(弁当代金)
〇元旦礼拝
2019年1月1日元旦
朝6時30分〜8時
早朝ですが、あたらしい年の最初を、御言葉により、祈りと賛美によってはじめましょう。
〇冬季聖書集会 (キリスト教独立伝道会主催)
・2019年1月12日(土)〜14日(月)
〇北田康広さんのアメイジング・グレイスCDを聞いた方から、彼の音声などの録音はないかとの問い合わせもあったので、映像のDVDのことを書いておきます。
DVDには、以前テレビの アンビリーバボーという番組で放映された北田さんを描いた番組、やはりテレビのキリスト教放送「ハーベストタイム」や地元の四国放送での収録録画などいくつかを録画したDVDがあります。ご希望の方は下記の吉村まで。(送料とメディア実費として200円、切手で可です。)
来信から
「いのちの水」誌11月号を読んで
1、「都合のよいことだけを答えてくれるということだけでなく、意図的に悪事をなし、あるいは真実に背き続けるならば、必ず、魂の平安を失い、清いもの、美しいものへの感動する心を失っていくという形で応えられる。」
「聖書全体がさまざまの意味で応える神のことを証している。神が愛であり、真実、かつ全能であることを信じるなら、神は必然的に応えてくださる神でだということである。」 まことにそのように私にもさまざまな意味で神が応えてくださったので、今日まで生かされてきた神の愛を深く実感できました。
そして、悪事を悪事と悟れない人に福音が伝えられて、悔い改め、立ち返えることが出来るように、祈り続けて行かなければと示されました。
かつて中高校生が大変荒れた時代がありましたが、そこまで荒廃した学校があったとは、事実は小説より奇なり、の感でした。
また、定時制高校での記述のあとの部分で書かれていたMさんに関する記述を読んで、胸にジーンときました。
神様が吉村さんを遣わされた学校では、良いこともそうでないことも神様が経験をお与えになりました。
真理に従おうとする時に、何らかの苦しみがあり、その中で必ず応えてくださる神がいる、生きて働く神がいることを、この度の具体的な「証」から、力と励ましを頂けました。
全国集会でこのような講話は初めてではないかと思います。学問の披露の内容を重んじる傾向がある無教会に警鐘を鳴らしていただけたものと思われます。(東京都の方)
2、私達は神様からの多くの恵みを感謝する応答が余りにも少ないとのこと全くその通りに思います。
『我が愛に留まれ』主イエス様の愛に留まる事は如何に大事であるかが 良く分かりました。
そうすれば敵が多くいても勝つて行くことが出来る事が証しされています。
いかに人間が罪深い者であるかが良く分かりました。
そうした中でも、神様の全面的な応援があるならば勝利していくことができます。
「御跡を行くこそこよなき幸なれ」ですね。(九州の方)