苦難の中から主に助けを求めて叫ぶと、 主は彼らを苦しみから導き出された。(詩篇107の28) |
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イエスの一行は異邦人の土地についた。人々は、イエスの噂を聞いていた。それで、土地の人々は、イエスだと知って、付近にくまなく触れ回った。
イエスは、全世界にあって、人を変えていく。その不思議な引力によって、人々はイエスのもとに来た。彼らには「イエスの服にでも触れたら癒される」という信仰があった。そして、触れた人は癒された。
このことは、この時代のこの時だけに起こった出来事ではない。聖書において「服」はその本質を指し示す意味を持つ。
聖書において、そのような個所を見てみたい。
「エリヤが外套を脱いで丸め、それで水を打つと、水が左右に分かれたので、彼ら二人は乾いた土の上を渡って行った。」(列王記下二・8)
ここでは、単なる服ではなく、そこに神の力が宿っているものとされている。
「なお見ていると、王座が据えられ「日の老いたる者」がそこに座した。その衣は雪のように白く、その白髪は清らかな羊の毛のようであった。」(ダニエル七・9)
このように、服に本質があらわされていることがわかる。また、新約聖書には以下のことが記されている。
「イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった。」(マタイ十七・2)
ここで、服が光のように白くなったと記されている。これは、キリストが神と同質であり、完全な清さを持っている。いかなる罪もないことを示している。
聖書においては服は、単に着るだけの意味ではない。来ている人の中身も現す。だから、「キリストを着よ」(ローマ書十三・14)といわれたのである。
わたしたちの内には清さはない。しかし、キリストを着ると、清くされる。
そして、キリストを信じることが、イエスを着ることになる。そして、 わたしたちの、中身も清くされるのである。 イエスの服、衣にわずかに触れるとき、癒され、救いが与えられるたというこの記述は、現代の私たちにとっては、ただキリストを信じるだけで罪赦されて、私たちが神の前で正しいものとしてくださることを暗示している。
膨大なイエスの力の衣。そのほんのわずかな裾にでも、信仰によってそれに触れるだけで癒される。
「わたしのもとに来なさい」という、イエスの言葉も、そのイエスの衣の裾と言える。それにすがってイエスのもとにいけば魂にいやしが与えられるからである。
美しい自然もまた、イエスの衣といえる。触れた者は、そこから癒しと新たな力を受けるのである。
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大嵐ー台風のときには、大風や大波が起こる。私たちの生活の中でも同様である。とくに苦しみや悲しみのない波風立たない状態もあれば、悪の力により、いじめられ、差別され、あるいは攻撃され、命まで失われるほどの状況に立ち至ることもある。
またそうした外部のことが原因でなく、自分自身の罪により、大きな苦しみや人生の破滅に陥ることがある。
このような人生における嵐や大波に遭遇すると、誰でも沈みそうになるだろう。自分の病気やけが、家族の問題などさまざまな強い風が吹く。しかし、いかなる時でも、ともにいてくださり、嵐を静めてくださる方がイエスである。
ここでは、嵐を静められた弟子たちが、そのイエスを礼拝したとある。ヨハネの福音書では、主イエスが舟に乗り込まれたとき、目的地に導かれて着いた、と記されている。
「強い風が吹いて、海は荒れ始めた。 五キロほど漕ぎ出したころ、イエスが海(*)の上を歩いて舟に近づいて来られるのを見て、彼らは恐れた。
イエスは言われた。『わたしだ、恐れるな!』
そこで、彼らはイエスを舟に迎え入れようとした。すると間もなく、舟目指す地に着いた。」(ヨハネ六・18~21)
(*)新共同訳などでは、湖と訳しているが、原語は、サラッサ thalassa。海。この原語は、地中海などの海を表すときに用いられる語。この聖書の個所では、ガリラヤ湖を意味するので、日本語訳では「湖」 と訳しているのが多いが、口語訳では「海」と訳している。そして、大多数の英語訳聖書(KJV NRSV NJB NAB)なども同様に海(sea)と訳している。
海、それは現代では、しばしばロマンチックなイメージが伴う。広大な青い広がりの海辺での静かなひとときは、大空の青い空とともに、心静まるものがある。また海は客船、帆船、ヨット、水泳…等々の趣味や旅行、スポーツなどとともに、明るいイメージがある。
しかし、古代においては、海とはどこまでも深くひとたび大嵐が襲うとき船はたちまち大揺れし、ときには転覆して全員が死亡し、その船も広大な海の深みに沈み、消えてしまう。ー海は、いっさいを呑み込むもの、そして少し深く行くと闇となる。
このようなことから、次のように、海は悪魔的なものが住む場であると考えられてきた。
…その日、主は堅く大いなる強いつるぎで逃げるへびレビヤタン、曲りくねるへびレビヤタンを罰し、また海におる龍を殺される。(旧約聖書・イザヤ書27の1)
…海から獣が上がって来るのを見た。…その頭には神を冒涜するさまざまの名が記されていた。(黙示録13の1~8)
海は、ひとたび荒れるといっさいを呑み込むような恐るべき大波となる。そのような荒れる、船や人間をも呑み込む、海に沈んでいくと二度と帰れない、深い闇が底には待ち受けている…等々ゆえに、現代の私たちが海に関して抱くイメージとは全くことなるサタン的なもの、闇の力が住むところというイメージがあり、恐ろしいものであった。
奈良時代に鑑真は、日本への渡来を計画してからじっさいに日本に到着するまで10年余を要した。人間のさまざまの思惑に阻まれ、また暴嵐によって阻まれたからであった。出発してまもなく暴風に阻まれ引き返したこともあり、数年後に再度出発したが14日間も漂流してベトナム近くの海南島にまで流されたこともあった。同時に出発した別の船は行方不明になったままのもあり、別の船は、岩礁にあたって座礁、その後ベトナムまで流されてしまった。
使徒パウロにおいても、使徒言行録においても、パウロが乗った船が暴風に遭遇し、幾日も太陽も星も見えないほどであり、積み荷も降ろした。二週間ほどももう船が壊れて沈没してしまうかと思われるほどの状態となったが、ようやく二週間ほどして島にたどりついたという記述がある。(使徒言行録27章)
また、「ユダヤ人から、40回ほども鞭打たれるようなことが5回ほど、棒で打たれたことも何度かあり、石で打たれたこと、そして、難船を3度経験した…」(Ⅱコリント11の24~26)と記されている。
このように、パウロもまた船の難で危機的状況に何度も置かれたことがあった。
こうした海の恐ろしさを背景として、人生の海の嵐のことが言われている。
この世は、海のようなものである。ひとたび大嵐が吹き始めると、波は高まり、うねる海によって呑み込まれるように、人間も人生の海の嵐に遭遇するときには、しばしば呑み込まれ、沈んでしまう。
病気や事故、災害、あるいは子供のときから学校でのいじめ、あるいは最も近い関係である家族や職場での圧迫…等々。
じっさいに人生の海の大嵐に遭遇して、その大波に呑み込まれていく人たちは非常に多い。
こうした人生の海の嵐から逃れ、その吹き募る風を停止し、さらにその暴風が吹かないように安全な港に導いていくのは何だろうか。
それについては、すでに数千年前に、旧約聖書に記されている。
…苦難の中から主に助けを求めて叫ぶと、
主は彼らを苦しみから導き出された。
主は嵐に働きかけて沈黙させられたので、
波はおさまった。
彼らは波が静まったので喜び祝い、
望みの港に導かれて行った。
主に感謝せよ。
主は慈しみ深く、
人の子らに驚くべき御業を成し遂げられる。(詩篇107の28~31)
ここに引用した詩篇は、後のキリストのことの預言である。
すでに述べたように、「彼らはイエスを舟に迎え入れようとした。すると間もなく、舟目指す地に着いた。」(ヨハネ六・18~21)
神は、宇宙の創造者である。そして現在も、万物を支えておられる。それゆえに、神のご意志ならば、私たちの出会う困難ー人生という海の嵐においても必ず助けが与えられ、目的とする港まで導いていってくださると信じることができる。
キリスト教(無教会)の伝道者であった 藤井武が、「信仰と真実のいずれかを取らねばならないといわれたとき、真実をとる」ーと言ったことが知られている。
彼が言おうとしたことは、多くの人が共感できるだろう。真実のない宗教、信仰があまりにも多いからである。
言葉の面からみると、信仰と真実という原語ーヘブル語やギリシャ語は本質的に同じことを意味している。
使徒パウロが、「信仰によって救われる」という福音の根本を示すときに旧約聖書を引用したが、その個所は、創世記のアブラハムは信仰によって神から義とされた。(正しい者とされた)という個所である。(創世記15の6)
さらに、次の個所も繰り返し用いられている。
…義人は信仰によって生きる。(旧約聖書 ハバクク書2の4、ローマ1の17、ガラテヤ3の11)
これらのパウロがとくに重視した個所において、「信仰」と訳された原語(ヘブル語)は、エムーナー(emuna)であり、また、アブラハムは信じた と訳された個所は、アーマン(aman)である。このいずれも、発音がかなり異なるのでわかりにくいが、アーメン(amen)と同じ語源であり、堅固なという意味を持っていて、「真実」というのがその原意にある。
これは、ギリシャ語の「信仰」や「真実」という言葉についても 同様である。信仰と訳された原語は、ピスティス(pistis) であり、これは真実という意味でもあり、その形容詞の形は、ピストス(pistos)である。
このように、旧約聖書も新約聖書も、真実と信仰というのは同じ意味を持った言葉なのであって、別物ではない。
聖書に示された信仰は、神への真実な思いが不可分に伴うものである。真実でない偽りの心をもった信仰、あるいは、人間がつくったものや滅びゆくものを神とあがめる信仰などは、天地を創造された愛と真実の神から認められないのはごく当然のことになる。
キリストは、本当の礼拝は、形式や伝統などに従うのでなく、「霊(心)と真実をもってなすべきである」と言われた。(ヨハネ4の24)
しかし、いつの時代にもまたどのような宗教においても、つねに宗教、信仰のかたちは、どのような宗教にあっても、形式に流れていきやすい。
意味もわからないまま経典などを儀式的に読むこと、またなぜこのような形式、儀式をしているのかわからないままに、単に伝統だからといってやっていることは非常に多い。
祈りにしても、かたちだけ唱えるということにもなっているものもある。
しかし、キリストが言われたのは、心の深い部分(霊)をもって、真実をもってするのが本当の礼拝だと指摘された。
たえず、宗教に限らず物事は形式的になっていこうとする。真実が失われていく傾向にある。真理そのものは、2×3=6など 、数学や科学的真理などがそうであるように いかなる時代や地域にかかわらず厳然として存在する。
しかし、人間は罪深いゆえに、その真実を失い、形式に流れ、お金や権力、地位の引力に巻き込まれていくのである。
それゆえ、キリストはたえず目を覚ましていなさい、と言われたのであった。
心が眠ってしまうとき、私たちは真実を失い、形式や目に見える形だけを追い求めて行ってしまう。
この点においては、ペテロのような人ですら、ゆたかな聖霊を受けたにもかかわらず、後になって異邦人と食事をしないなどという形式に捕らわれる行動をして、パウロから面とむかって非難されたほどである。 これはいかに一時的に真実をもっていたとしても、油断するとたちまち人間は真実を失い、形式や偽りに捕らわれていくのを示している。
政治や社会的にも至るところで、嘘偽りが横行し、真実はなかなか見られない。数千年前に書かれた旧約聖書の詩篇に、すでに次のように記されている。
…正しい者は一人もいない。
皆、迷い、だれもかれも役に立たない者となった。
善を行なうものはいない。…彼らは平和の道を知らない。(詩篇14)
完全な愛と正義、そして真実をもった神の前には、人間はみなこうした不真実なものでしかない。
それゆえに、信仰が不可欠となる。信じて赦されるということーそれはただキリストの十字架を信じるだけで、そうした不信実な私たちの罪が赦され、真実なものと神がみなしてくださるーというのである。
これは驚くべきこと、喜ばしいことであるゆえに、この福音は二千年にわたってキリスト以来世界に広がってきたのであった。
現在の私たちも、不真実に満ちたこの世にあってその中に巻き込まれないようにするための唯一の道は、そうした不信実をいささかも持ち合わせない神ー全能の神にその罪を赦されて生きる道である。
ー食事の聖化と讃美、祈り
キリストが、十字架での苦しみを受ける前夜、どのようなことをされただろうか。
それは福音書に記されている。最後の夕食のときに、パンをさき、これは私のからだ、私を記念するために行ないなさい。と言われた。
ぶどう酒も同様に、私の血でたてられる新しい契約だと言われた。
このことは、毎日必ずとる食事のときに、いつもキリストの御からだをいただくー聖霊を受けることを願い、また与えられることを感謝することが求められている。
これは、聖餐という儀式となって受け継がれていったが、聖書で言われていることは、食事のたびに記念として行なうということであって、儀式として特別な人が執り行うといったことは何も指定されなかった。
自分はもうまもなく死ぬ。しかし、毎日の食事のときに私を思いだし、私の霊的な本質を受けとるのだと信じて食事するときには、たしかに与えられる。求めよ、与えられるという約束のとおりである。
ぶどう酒についても、その色の赤がキリストの血を象徴している。
しかし、ぶどうがまったく生育しない、あるいは生育してもぶどう酒を造ることのない地域も地上にはたくさんある。日本におても、ぶどう酒は明治になってから造られるようになったのであって、それまでは生食用であった。
熱帯や寒帯のようなところではぶどうはうまく育たず、ぶどう酒もつくられない。
そのようなところで、ぶどう酒がなかったらイエスの死を記念することはできないのではない。ぶどう酒がなくても、イエスの死を記念することはもちろんできる。
キリストの十字架を思うこと、そしてその死によって私たちの罪が赦されたと信じる信仰によって、私たちは罪赦されるのであって、ぶどう酒があってもなくとも関係はない。
そのように、毎日必ずとる食事においてキリストを記念する、そしてその霊的な体を受ける(聖霊)を受けようとするとともに、キリストが私たちのために死んでくださったことも記念する。
また、キリストは、つぎのように言われた。
「私は命のパンであり、それを食べるものは死なない。そのパンを食べる人は永遠に生きる。ー 私の肉を食べ、私の血を飲むものは永遠の命を得るし、その者はいつも私の内にいるし、私もその人の内にいる。(ヨハネ福音書6の48~59)
この言葉で言われていることは、聖餐という特別な儀式によってもなされるであろうが、そのような特別な日の特別な儀式によってのみなされるというようには言われていない。
日々の生活のなかで、日常的に イエスのおからだをいただくー聖霊をいただくことの重要性を述べているものである。イエスが 私の肉や血を食べ、飲むことが永遠の命となるーと言われたのは、いのちの水ー聖霊を日々受けることの重要性を述べたものに他ならない。
いよいよ地上を去るにあたって、日常的に食事のときにキリストを記念し、食事をもキリストの霊的からだを受ける一つのわざとして受けとることを教えられた。そうすれば、キリストがいなくなっても日々身近に感じつつ生きることになる。
そのことを弟子たちに告げてから、イエスがされたことは、賛美を歌うことであった。
これから、捕らえられ、鞭打たれ、不当な裁判、さらに十字架での釘付けにされるという、途方もない苦しみが待っている。そのことを耐えられるように必死で祈らねばならないーそうした至難の場、最後の苦しみに向うとき、キリストがなされたのは、賛美を歌うということであった。
私たちは、歌うということは楽しいから歌うというイメージがある。しかし、聖書においては、最初の賛美の記述は、出エジプト記のとき、後から敵軍、前は海という絶体絶命のような状況において神の業によって救いだされたときであった。それは全身からほとばしるような喜びと感謝であり、そのような驚くべきわざをなされる神への賛美であった。
また、詩篇は賛美の集大成であるが、それらはやはり、危機的状況のなかで造られた詩が非常に多い。あるいは、神の大いなる業、悪の力を滅ぼす力、大自然を創造し、支えている力への賛美等々であって、単に楽しいから歌うというものは皆無である。
イエスがこれから最大の困難な試練に立ち向かおうというときに、賛美が歌われたということは、そうした生きるか死ぬかというほどの危機的状況においても、賛美はなされるということであり、まさに祈りそのものだったのがわかる。
使徒言行録においても、次のような記述がある。
…群衆も一緒になって二人(パウロとシラス)を責め立てたので、高官たちは二人の衣服をはぎ取り、「鞭で打て」と命じた。
そして、何度も鞭で打ってから二人を牢に投げ込み、看守に厳重に見張るように命じた。
この命令を受けた看守は、二人をいちばん奥の牢に入れて、足には木の足枷をはめておいた。
真夜中ごろ、パウロとシラスが賛美の歌をうたって神に祈っていると、ほかの囚人たちはこれに聞き入っていた。(使徒言行録16の22~25)
鞭打つということは、私たちが想像するようなものよりはるかに厳しく打撃を与えるものであった。それによって失神したり死に至るほどの激しいものもあったという。
そのような鞭打ちを受けて、さらに足かせもつけられ、身動きできないようにされ、一番奥の牢に入れられたーそれは絶望的な状態とも言える。しかし、使徒パウロとシラスはそのような状況のなかにおいても、賛美の歌をうたって神に祈っていたという。
ここでも、賛美というのは激しい痛みや苦しみに遭遇し、殺されるかもわからないといったような状況においてもなされるのだとわかる。
パウロは、その書簡では、「(聖霊を与えられて)あらゆるときに祈れ、感謝せよ…」と教えている。それは彼自身が実行していたことであったである。
…希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい。(ローマ12の12)
…どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。(フィリピ4の6)
キリスト教の賛美は、このように、困難なときにおいてもなされる祈りそのものであった。
そして、イエスは、ゲツセマネに行き、弟子たちも目覚めて祈るように命じてひとり祈りにおいて、その十字架によって人間の罪を担って死ぬという重い使命を妨げようとする人間的なもの、サタンの力との激しい戦いがなされた。
しかし、弟子たちはみんな眠ってしまった。このような危機的状況においても眠ってしまうのが人間の現実であった。それはキリストの弟子たちのことにかぎらず、人間そのものの本質なのである。いかに私たちはこの世の本当のことに対して目覚めていることができず、眠ってしまっているか、それをこのゲツセマネでの出来事が如実に示している。
「あなたがたは、以前は自分の過ちと罪のために死んでいた。」(エペソ書2の1)とパウロは述べている。死んだ状態にあったーそれはこのゲツセマネの弟子たちの状況をあらわしている。三年間もそばに付き従ってキリストのあらゆる奇跡や教え、その驚くべき力、神のわざを目の当たりにしてきた弟子たちであったが、最も重要なときに至って、目覚めて必死に祈るのでなく、かえってみんな眠ってしまったという記述に驚かされる。
しかもその少し前には、弟子たちは、「たとえ殺されるようなことがあろうとも決してあなたを知らないなどと言わない」と確言していたのだった。
にもかかわらず、イエスが血のような汗を流して必死で祈りの戦いをしていたさなかに、弟子たちは全部眠ってしまった。それでイエスが弟子たちのところに来て、目覚めよ、と叱ったが、またしばらくして行ってみるとふたたび弟子たちはみな眠り込んでいた。
深夜のことであるとはいえ、このような弟子たちの状況は驚くべきことである。ひとりでも目覚めて、イエスの激しい霊的な戦いに加わっていた者がありそうに思えるが、そうではなかったのである。
ここに、人間の弱さの実態が象徴的に示されている。この弟子たちの眠りは、たんに二千年前のイエスの弟子たちのことではない。人間とはこの世の真実に対してみな眠り込んでいるというのである。いわば魔法にかけられたように眠っているーそういう人間の本質的な弱さをさし示している。
弟子たちは、イエスが捕らえられたとき、みな逃げてしまった。そのうえ、ペテロは、付近にいた女中などから、あなたも一緒にいたと言われたとき、イエスなど知らないと三度も偽りを言ってしまった。それは、彼らが「眠っていた」ことを示すものだった。
人間は、真理への感覚が常に鈍って眠った状態にある。自分中心ということはその眠りを示すもので、これはすべての人がそういう状況にある。
その人間たちの眠りの直中で、ひとり目覚めて真理の道を歩まれたのがキリストだった。
これは現在に至るまで、続いている。
それでは、そのような普遍的といえる「眠り」から覚まさせる力あるものは何であるのか、それが聖なる霊であり、復活のキリストであった。
弟子たちも、キリストの復活以後、約束されたものを祈って待ち続けるようにと言われていたのを守り、集まって日々真剣な祈りをささげていたが、時至って聖霊が豊かに注がれ、権力者の前でも恐れなくキリストの復活を証しするという、それまでとはまったく異なる人間へと変えられた。
ようやく眠りから覚めたのだった。漁師であったとき、イエスから「私に従ってきなさい」と語りかけられて、彼の最初の目覚めはあった。すべて捨ててイエスに従うようになった。しかし、それでもなお、眠りは続いていたゆえに、弟子たちのうちで自分が一番上になりたいとか、自分たちのうち、だれが一番大きな存在なのかといったことを議論しあったりしていたほどである。
そのような状況から根本的に目覚めさせられたのが、キリストの十字架の処刑とその後の復活、そしてさらにその後与えられた聖霊が注がれたことによってであった。
こうしたことを見ても、いかに聖霊が与えられることが重要であるかがわかる。
「御国が来ますように」ーこの主の祈りはまさに「聖霊が来ますように」ということを意味している。これが私たちの日々の祈りとなるようでありたいと思う。
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2 沈黙してあなたに向かい、賛美をささげます。
シオンにいます神よ。あなたに満願の献げ物をささげます。
3 祈りを聞いてくださる神よ
すべて肉なるものはあなたのもとに来ます。
4 罪の数々がわたしを圧倒します。
背いたわたしたちを
あなたは贖ってくださいます。
5 いかに幸いなことでしょう
あなたに選ばれ、近づけられ
あなたの庭に宿る人は。
恵みの溢れるあなたの家、聖なる神殿によって
わたしたちが満ち足りますように。
6 わたしたちの救いの神よ
あなたの恐るべき御業が
わたしたちへのふさわしい答えでありますように。
遠い海、地の果てに至るまで
すべてのものがあなたに依り頼みます。
7 御力をもって山々を固く据え
雄々しさを身に帯びておられる方。
8 大海のどよめき、波のどよめき
諸国の民の騒ぎを鎮める方。
9 お与えになる多くのしるしを見て
地の果てに住む民は畏れ敬い
朝と夕べの出で立つところには 喜びの歌が響きます。
10 あなたは地に臨んで水を与え 豊かさを加えられます。 神の水路は水をたたえ、
地は穀物を備えます。
あなたがそのように地を備え
11 畝を潤し、土をならし
豊かな雨を注いで柔らかにし
芽生えたものを祝福してくださるからです。
12 あなたは豊作の年を冠として地に授けられます。
あなたの過ぎ行かれる跡には油が滴っています。
13 荒れ野の原にも滴り
どの丘も喜びを帯とし
14 牧場は羊の群れに装われ
谷は麦に覆われています。ものみな歌い、喜びの叫びをあげています。
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この詩は賛美をすることから始まっている。14節にもものみな歌い、喜びの叫びをあげるとあるように、声の出る人は大きな声で賛美をするというのが昔からあることである。
その前に沈黙してあなたに向かいとある。まず静まって神様に向かって、恵みをいっぱい受けて賛美をささげる。賛美をするにも心が波立っていたり、この世のことでいっぱいだったら神様に向かえない。この詩は対照的に最後には喜びの叫びとあるが、書き出しは沈黙から始まっている。
新共同訳では「満願の献げ物」という訳になっている。これは誓いを全うするという意味である。全うするというのは、シャーラムでそこからシャロームという言葉が作られた。非常に苦しいことを超えられたら、神に精一杯の感謝を献げるということである。
祈りを聞いてくださる神とあるが、原文では分詞形で、耐えず聞いてくださる神という意味が込められている。いつも祈りを聞いてくださる神だからこそ、全ての人はあなたのもとにくることができる。
この詩の一つの特徴は非常に視野が広いことである。このすべてというのが6節以降でさらに広げている。イスラエルの小さな領域の、周りから見たらきわめて特殊な信仰に過ぎなかったのに、この詩を書いた人は驚くべき啓示を与えられて、自分たちに与えられている真理はすべての人間に共通しているから、どんな遠いところにあっても、地の果てであっても、この真理の所に来るんだと、本質的に人間は神様に寄り頼まずにはおれないんだという人間の全てを洞察しているということが分かる。
実際、旧約聖書から新約聖書に流れる真理は、遠い海の果て、地の果てに至るまで確かに、神様に寄り頼む人が無数に出ていった。私たちは明日のことも分からない。
ところが聖書は非常に遠くの真理を予告、啓示した。これは思想といったものでなく、神からの啓示による。
8節に諸国の民の様々な混乱を、最終的な意味では鎮めることができるとあり、9節には全世界を網羅するとあり、東の果て、西の果てでこの真理を知ったら、喜びの歌が自然に響いてきて、その響きを霊的に聞き取った。
決して机の上で架空のことを考え出したということではなく、確かにこのように世界の至る所でキリストの真理を知った人は本当に喜びを持って生き抜いたという人は無数に出てきた。このように詩篇の視野の広大さは他の詩とは比べものにならない。
なぜ賛美を献げたり、この真理が全世界に及ぶということが言えたのか。それは人間の存在の一番深い問題が、聖書に記されてている神は必ず解決してくださるという確信を得たからである。
4節がこの大いなる賛美の根底にある。罪の数々が圧倒するほどに、この世の中にも自分の中にも、色んな不純なものや汚れたものがでてくる。でもどうしても清くなれない、愛のない人間を引き取ってくださる。この事実がこの詩の根源にある。
このことを本当に分かった人が、この真理は世界に通用して響くんだという洞察を持った。この事を徹底するためにキリストが来られて、罪のあがないをするために自らが十字架に架かられ、文字通りこれが成就していった。この詩はキリストとキリストのあがないの力と影響力を啓示したということでもある。このように旧約聖書と新約聖書の真理は深いところでは繋がっている。
このようなことから5節にあるように、詩篇の最初にもあるアシュレー、いかに幸いなことでしょう。あなたに選ばれ、近づけられるというのは、心の中の神様に背くような、神様に顔向けできないような弱さや醜さが贖われて清められたからこそ、近づけられ、そして神様の霊的な庭に宿ることができる。このように4節と5節は深く結びついている。
現実は罪だらけで良い影響を与えるはずのないものが、神様の庭に宿ることができる。神の庭には老人になっても、寝たきりになっても宿ることができる。
10節からは、地上の実際の生活にも豊かな恵が与えられると読めるが、それとともに雨や水路、土によって私たちの精神の世界が、いかに耕されるかということも言っている。10、11節には水が豊かに与えられるとある。エルサレムは乾燥地帯で四月から十月の半年間はほとんど雨が降らない。ガリラヤの方でも秋から冬にかけて雨が少々降る程度である。
だからこれらは精神的なことを象徴して言ってることが分かる。私たちの心に絶えず水が与えられ、神様の水路があるように私たちの心を潤してくださる。現実の世界も雨が降れば、神様から与えられた水だと感謝するとともに、私たちの心も実は同じようになる。
12節のあなたの過ぎゆかれる後には油がしたたるとあるが、油は豊かさの象徴であった。だから神様が過ぎゆくあとには豊かさがただようということである。我々の集会にも神様がいてくださったら、見えない神様の風が吹いたら集会にきて良かった、満たされたと思うことができる。人間関係においても、神様が人間関係の中に過ぎゆけば、なにか爽やかなものが残る。
我々の心が豊かにされると。自然も何か喜んでいるように感じられるということは確かにある。
このようにこの詩はとてもスケールの大きい詩で、人間の最も深い心の問題が解決され、どのように豊かな世界になるかということを描き出している。
今年も、北海道の南西部の奥尻島の対岸にある瀬棚というところでの3泊4日の瀬棚聖書集会が開催されます。酪農家(米作農家もあり)の家での宿泊をしながら、聖書の学び、また瀬棚の方々の聖書に関しての感話やそれぞれの体験などが語られ、ほかの聖書の特別集会などとは、異なる集会です。
私は、2003年の7月に、この瀬棚聖書集会への聖書講話の担当として招かれたのが最初でした。
今年で、16回目となります。そのときは、瀬棚という地名も知らず、地図で確認してはじめて知った地域ですが、その最初に参加したときの瀬棚聖書集会は、第30回でした。私の前年には一回だけ、山形のキリスト教独立学園の音楽教師であった桝本華子さんが講師として来られ、それ以前は長くキリスト教横浜集会の代表者であった堤道雄氏が聖書講話を担当されてきました。
瀬棚聖書集会とは、主としてキリスト教独立学園卒業の酪農家の方々によって毎年夏に数日間の予定で開催されていた聖書集会でした。
当時は、集会関係者としては、瀬棚に最初に開拓に入られた生出正実、真知子ご夫妻が中心となり、真知子姉は、多くの参加者の食事関係などお世話などを担当し、その集会をかげで支えておられました。
瀬棚に行くことが決まってから調べていますと、そのときの瀬棚聖書集会の責任者が西川 譲さんでしたが、彼の祖母にあたる方は、静岡で何度もお会いした方でした。とくに私が静岡県清水市に出向いたときには、病気がすすんでいて体調も悪かったのですが、その集会に、車いすにて二階まで4人の男性に運ばれて参加されたのをその熱心がことに心に残っていました。
その方の孫にあたる方が、瀬棚聖書集会に私が初めて参加した時の責任者だったので、とても意外なことでした。
また、やはり瀬棚に初期からおられた野中正孝さんのご両親とも「いのちの水」誌を読まれ、とくにご父君は横浜の方で、私共の徳島聖書キリスト集会の主日礼拝などの録音カセットを継続して聞いておられた方でした。病気がひどくなっても酸素吸入をしながら私どもの徳島聖書キリスト集会の録音カセットを聞かれていた方で、折々に感想など寄せてくださっていたのです。
そのような方々のご子息や孫にあたる方々が、瀬棚におられるということは、それまではまったく知らなかったので、以前から存じあげていた方の息子さんや孫にあたる方々が、瀬棚 におられることを知って驚かされたのです。
また、長く瀬棚聖書集会で講師をされていた堤 道雄氏は、戦後まもなく徳島に来られ、徳島聖書キリスト集会の最初のきっかけをつくって下さったという関わりもあり、そうしたいろいろな関係が、私が瀬棚に呼ばれてからわかってきたのです。
聖書、キリスト教関係の特別集会、バイブルキャンプといったものは、夏などには各地で開催されています。その中の一つであった瀬棚聖書集会と私は関わりを与えられたのですが、そこに行くようになって、上記のような関わりがすでにあったのを知らされたので、不思議な神の導きと思われたのです。
その北海道・瀬棚での瀬棚聖書集会に招かれて、神の言葉についてお話しするようになってから、15年、その間のさまざまの出来事が瀬棚にもあり、年に一度訪れるだけの私にも、酪農という広大な自然を相手の職業のよさとともに、その困難もいろいろと知らされてきました。
そしてそのような自然との戦いも含まれる生活のただなかで、キリスト信仰を失わずに45年もこの集会が続けられてきたこと、さらに、札幌や帯広など瀬棚から遠く離れた地域から結婚して来られた女性たちも、その困難の中で信仰に導かれていくのをじっさいに知ることもできて、神の生きた御手を感じさせられています。
4月中旬には、夕方の西空には宵の明星として知られる金星がその特別に明るい光を投げかけているのがみられます。
さらに、夜がふけていくと、木星、土星、火星がよく見えますので、主要な惑星である金星、木星、土星、火星などが一晩のうちでみな見えるという恵まれた状況になります。
夜9時ころには木星が東の空から上ってきます。11時ころには、南の空に(この頃は月は見えないので)、ひときわ明るく、目を惹きつけます。夜半の明星と言われますが、ほかの明るい恒星と比べても抜きんでた光の強さですので、もし木星を見たことのない人はぜひ見てほしいと思います。
深夜2時ころには、木星は南の空にて強い光で夜の大空の中心のように感じるほどです。その木星の少し左には、さそり座のアンタレスの赤い光が見えます。
そしてそのころには、東から土星、火星が並んで上ってきます。
明け方4時ころになると、南西から南東の空にかけて、木星、アンタレス、土星、火星と明るい星たちがほぼ並んで南の空にみえるという珍しい配置となります。
都会地域では残念ながら、ビルの陰になり、また明るすぎてこうした星の神秘な輝きはあまり見えないのが残念ですが、これらの明るい星々は何とかみえると思われますので、この機会にふだんは目にすることのない、こうした星々を見つけてほしいと思います。
木星の光のような明るい星は、数千年昔から注目されていたことと思われます。ことに、聖書が書かれた地域は雨も少なく、夜空は日本とは比較にならないほど星が鮮やかに見えていたし、現代のようにさまざまの照明、建物やネオン、広告塔などの光はまったくない状態だったので、星そのものが夜空一面に輝いていたわけですが、そのなかでも特に目立ったために、アブラハムやモーセ、ダビデ、預言者たち、それからキリストや使徒たちー等々も注目してみつめたと思われます。
夜明けの金星ー明けの明星はとくに、黙示録の最後の章にあるように、再臨のキリストをさし示すものとして特別な感慨をもってみつめられていたのがうかがえますが、現在南の空に見える木星についても、過去のキリスト者たちも、神の言葉の輝き、あるいは神の永遠の光をそれらによって思い起こしたのでありましょう。
ダンテが、その神曲という傑出した作品において、地獄篇、煉獄篇、天国篇の最後の言葉に いずれも「星」(stelle *)という語をおいたのも、彼が星の光とその永遠性ーことに、いかなるものにも汚されない清い光を放つ星に神の導きや神の栄光を象徴するものを深く感じ取っていたからだと思われます。
(*)イタリア語のstella(星)の複数形。英語のstar ドイツ語のStern などと語源は同じ。
夜の大空には永遠の星たちが輝いている。そして地上にも、星のような輝きがある。それは、永遠の光たる神の言葉を与えられた人たちである。
…あなたがたは、いのちの言葉を堅く持って、彼らの間で星のようにこの世に輝いている。(フィリピ書2の15)
現代の私たちも、神の言葉ーいのちのことばを与えられ、それを堅持することによって、その神の言葉の輝きのゆえに星のように光る存在としてくださるのを思います。
徳島聖書キリスト集会案内
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