いのちの水 2020年11月号 717号
キリストの平和があなた方の心を支配するように … キリストの言葉があなた方の心に豊かに宿るようにしなさい。 (コロサイ3の15〜16より |
目次
キリスト教にふれるまでは、私にとって歌というのは、学校の音楽授業で知る歌、ラジオから流れてくる歌謡曲、また高校時代のファイアストームという行事で歌った旧制高校などの寮歌であったし、讃美歌は知ってはいたが、それは、「きよしこの夜」とかの クリスマス時期に町に聞こえる歌の程度であった。
しかし、キリスト教信仰が与えられて以後は、讃美歌という歌は、もう五十年を越えて、絶えず身近にあり続けてきた。
そして、賛美するということは、単に普通の歌を歌うということだけでなく、心の中においても重要な日々のできごととなっていった。
賛美と感謝が密接不可分であることも知らされた。感謝なきところ神への賛美なく、神の賛美が生まれない心には感謝の心は影のように弱い。
賛美と感謝は、聖書という二千ページを貫く書物の根底にある。
聖書における最初の讃美歌と言えるものは、旧約聖書の出エジプト記にある。
それは、モーセが神の力によってエジプトにて奴隷状態に置かれていた民族を救い出していくとき、葦の海(紅海とも)に直面したそのときのことである。
背後からエジプト軍が大挙してイスラエルの民を殲滅せんと襲いかかろうとしている。逃れる道はない。そのような絶体絶命のときに神の大いなる力が注がれて、その前面にひろがる海に道が開けて民はそこをとおって行くことができた。
そのときに、全身全霊を込めて踊って太鼓をたたいて喜び、歌ったのが聖書における最初の讃美歌であった。
それ以来、さまざまの詩が作られていったが、それらは、百五十篇に及ぶ旧約聖書の詩編と題された中に多く含まれている。とくにダビデの作ったものとされるのが多い。
聖書における賛美はそのように民族が滅びるかどうかという決定的な時期にあって生まれたものが最初に記されていることで暗示されているが、その後の詩も何らかの緊迫した状況において作られたものが圧倒的多数を締めている。
それは、聖書を作った民族ーイスラエルの民は、古くからエジプト、アッシリア、新バビロニア帝国、ペルシャ、アレキサンダー帝国、さらにローマ帝国等々、歴史に名高い大国によって民の多数が殺され、苦しめられ、捕囚となったり、周辺の国々へと追い出されたり…そのような状況の中で生み出されたからである。
それは、中国の詩経国風や文選といった昔の詩集、また、日本の万葉集、古今集、新古今集などの詩とは大きく性格を異にしている。
そうした困難の中で生み出された詩は、苦境の中からの叫び、悲しみ、救いを求める祈り、そしてそこからの救いに喜び、感謝をささげ、さらにはその喜びが他者につたわるようにとの切実な願いが満ちており、私たちが困難や悲しみ、苦しみに出会うほどに、いっそうこの聖書の詩が光りはじめ、私たちの魂に迫ってくるものとなっている。
そうした詩の数々は、三千年以上の昔から、人々によって愛唱されてきた。旧約聖書の詩集たる詩編の多数は、もともとそうした讃美歌の歌詞といえるものであった。
歌というとまずそのメロディーが思いだされることが多いが、聖書においては、そのメロディーよりはるかに重要なのがその歌詞、詩そのものである。
そこには、楽器の有無という費用や技術、材料の有無と深く関わる楽器の有無は全く関係がなく、あるのは、ただ神に向ける切実なまなざし、すべての心を注ぎだす真実な心、生きるか死ぬかというぎりぎりのなかからの神への愛…そうしたものが満ちている。
私たちの浅く狭い経験からは、とてもそのような困難な状況は想像できないほどであるが、聖書の詩編は、数千年も昔の人たちの心の深いひだのような部分までを私たちに伝え、はるかに高い峰を仰ぎみるような精神世界を私たちの眼前に展開してくれる貴重なものである。
そうして生み出された詩はおのずから曲がつけられ、歌うことで広く共有されていった。
それゆえに、次のような聖書の言葉がある。
…聖霊に満たされ、詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い、主に向って心から賛美せよ。
そしてあらゆるときに、すべてのことについて神に感謝せよ。(エペソ書5の18〜20より)
讃美歌によって語り合うとは意外な言葉である。讃美歌を歌うことは単に個人の満足で終わることなく、それは他者との語り合い、霊的な交流の基となるというのである。賛美は、神と結びついた魂の深みから生まれたものであるゆえに、その讃美歌の歌詞、言葉は私たち信じる人たちの心の底流にも流れることができる。そのような流れはおのずから人間同士の深い心の交流となる。
現代の私たちにおいても、当時の各種の讃美歌の歌詞ー言葉をわがものとしつつ、歌うことで、ともに集まる人たち同士の霊的交流となり、さらに、神を信じていた古き時代の人たちとの心の交流も起こされ、さらにそのような詩を作るようにうながした神のお心との交流へとつながっていく。
このようにして、聖書の詩は、神の言葉とされたほどであるので、他者との交流の大いなる媒体となるのが示されている。
そして一人であっても、その賛美の歌詞ー言葉を心の内で思い起こし、味わう、可能ならメロディーとともに心の内で歌うことによっても祝福を受ける。
同様に、聴覚障がいの方々も、讃美歌の歌詞(詩)を読みつつ、心でくちずさむことはできる。それによってメロディーがわからずとも、霊的には讃美歌の根底にある御言葉を受けとることができる。多様な讃美歌、聖歌などの歌詞は、聖書の言葉を根底としているし、聖書の詩編は神の言葉そのものであるからである。
新型コロナウイルスの闇、それは世界を覆っている。
しかし、他方で、心の世界の闇は、はるか以前から、それより比較にならない深刻さをもって世界を覆っている。
人類の歴史のはじめから、人間は互いに争い、おびただしい死者や障がい者を生み出す戦争をおこし、またさまざまの悪がなされてきた。それはいわば、心のなかのウィルスというべきものが人間の精神世界に蔓延しているからである。
そして現在の新型コロナウイルスも、そのうちには医学、薬学などによって、次第に終息していくであろうが、魂の深みに救う霊的なウィルスというべきものは、いかに医学などの科学技術が進展しても、教育や経済的、文化的な進展によっても終息するということはない。
それどころか、そうした経済的豊かさや科学技術の進展によって新たな心のウィルスというべきものー豊かさに満足せず、カネの力を最大のものとするような考えが増大し、心を清くすることにならず、かえって汚すような映画、パソコン、スマートホン等々による映像や各種ゲーム、印刷物がはんらんし、それらに影響されて、さまざまのいじめ、虐待なども生まれ、テロのような方向に走る者も出るようになっている。
そうして、イエスがいわれたような幼な子らしい純真な心の喪失…等々が生まれ続けている。
そうしたあらゆる人間の心の奥深くに巣くうウィルスのようなものーその毒性は自分だけでなく、他者にも感染していく。
現代世界のあらゆる問題は、この内面世界の病根が根底にある。
そうした目に見えないウィルスのようなものを根源から断つのは、人間や人間が生み出した政治や教育、法律、さらにいかなる科学技術もできないことである。
それができるのは、そうしたいっさいを支配している全能の神の力以外には存在しない。
現代の新型コロナウイルスの闇には、人間が物質的繁栄、自己中心的な考え方を基としてきた歩みが深く関わっている。
その闇に永遠的な光を照らすのは、そうした万物を創造した神のみができることであり、私たちはそうした神とその愛への方向転換が求められている。
そしてその方向転換は、目には見えない神の国への門を入ろうとすることであるゆえに狭き門であり、その道は狭い。(マタイ福音書7の13〜14)
しかし、その道こそは、学問や経済的豊かさ、経験、能力、生まれや民族の違い、健康か病弱であるか、年齢や障がいなどの有無など一切とは関わりなく、心から求め続けるものにはだれでもに与えられるという、ほかのいかなる道よりも広い門でもある。
そしてその門に来れ、その道を歩めとの、神の招きがつねになされている。
聖書巻頭において、神が闇と空しさ、荒涼としたそのなかに、「光あれ!」 との御言葉によって光を創造されたことが宣言されており、それは聖書全体に響きわたっている。
そして、 神は慈しみの神、愛の神であることは、新約聖書だけのことではない。つぎのようにはっきりと旧約聖書においても記されている。
…主は彼の前を過ぎて宣べられた。「主、主、あわれみあり、恵みあり、怒ることおそく、慈しみと、真実の豊かなる神… (出エジプト34の6)
このように、神が慈しみの神、愛の神であるならば、その最初の最も重要なわざとしての光の創造には、神の愛という本質を与えようとのご意志がこめられているということになる。
闇と空しさに生きるこの世界の人々全体に救いを与えようとのご意志ー愛のまなざしがそこにすでに暗示されている。
しかし、一般的には、そのようなまなざしなどあり得ない、この世界は偶然の産物であり、最後はみな死によって消えていくのだという思い、あるのは、せいぜい人間の一時的な影のようにはかない愛、そして 人間の自分中心の本能的行動、そこから来る権力やカネ、軍事力、競争心、等々、闇の力だけではないかと思われている。
神は、そうした状況からの救いを与えるため、どんな弱き人でも与えられる道を備えられた。
それが信仰の道である。この世界を愛をもって創造された神を信じることである。
神は愛であると信じ、そして全能と永遠であることを信じるとき、この世はその愛のはたらきで満ちているということが次第にあきらかにされていく。
神は、万物を創造し、かつ現在も支えておられる。(*)
何によってか、無限の愛、人間では到底測ることのできない愛によってである。
(*)御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現れであり、その力あるみことばによって万物を支えておられる。(ヘブル1の3)
それならば、それら創造物もまた神の愛がこめられているのであって、そこにも神の愛のまなざしが注がれている。
それゆえに、主イエスが、「野の花を見よ! 小鳥を見よ! 」といわれ、それらが神の御手によって守られていることを教えた。
私たちが、神やキリストからのまなざしを少しでも感じるようになるとき、神の愛による被造物の中にも、その愛のまなざしが込められているのに気付くようになる。身近な草木や花々、昆虫や小鳥たちの生きざま、さえずり、大空のさまざまの姿…等々の被造物、日常生活のさまざまのものに、神のまなざしを感じ、またそこから神を見上げるようにと導かれる。
主イエスがいわれたように、植物や小鳥さえも神によって育まれているのならば、いっそう人間は神の愛によって守られている。言い換えれば、神はその
愛のまなざしをつねに注いでいるということである。
エゼキエル書には、神を暗示する生き物とともにある車には至るところ目がついていたとある。(エゼキエル書1の18)
さらに、黙示録にも神をとりまく天使のごとき存在がいたが、それらの翼には一面に目があって、昼も夜も「聖なるかな ! 聖なるかな!聖なるかな!…」と賛美を続けていたという。(黙示録4の6〜8)
このように、神はどのようなところをも見通す目に満ちた存在として象徴的に記されている。
そのような一切を見通す全能の神から、世界のすべては隠れることができない。 しかし、それは裁きの冷たい目ではない。この世はそうした裁きの目、憎しみやねたみ、差別の目、見下す目が満ちている。 それが闇であり、空しさの満ちた世界である。
そのような中で、主イエスは、「野の花を見よ、小鳥たちを見よ」といわれ、それらが神の愛によって育まれていることを示された。イエスは、神からの完全な愛を与えられていた御方であり、その御言葉は永遠である。
「天地が滅びようとも、私の言葉は決して滅びない」といわれた。(マタイ24の35)
現代の私たちは、被造物のすべてを創造した神がまったき愛ゆえに、それらの無数の植物の細胞の一つ一つの中で行なわれている複雑な化学反応においても、それらを創造した神の配慮がこめられていると信じることができる。
神は、私たちを愛のまなざしをもってみていてくださる。
それは、はじめのうちは分からない。しかし、イエスの言葉を信じるなら、私たちへの愛のまなざしをも信じることができる。
また、人や書物を介せず、直接に、キリストから近づいてその愛を啓示される場合もある。
パウロはその典型的な例である。キリストに敵対して、キリスト信徒を徹底的に迫害していたそのさなかに、復活のキリストから突然の光が射して、そのキリストがパウロに語りかけられた。それがパウロにとっての決定的転機となり、世界の大いなる転機にもつながった。
また、他者によって神の言葉を知らされ、そのような神の愛に目覚めさせられることもある。
私自身はそのようであった。大学4年の5月終わり頃のある日、古書店での立ち読みから、新約聖書のローマの信徒への手紙3章のごくわずかの節をあげての説明によって、十字架による罪の赦しの福音が私の魂に光として射してきた。
罪やキリストのことなど考えたこともなく、当時歴史上もっとも激しい学生運動のさなかにあって、私は大学3年のときには、理学部学生自治会委員としても活動していたが、周囲の学生たちは、真剣に考えて議論する人たちは、たいていマルクス主義的考え方によって無神論であり、だれ一人、神とか宗教など話題にすることもなかった。
そのような状況にあって神は私に深いキリストの福音の真理を閃かせてくださったのだった。
そして、キリストが十字架上から、「汝の罪赦されたり」と語りかけてくださっているのだ、と記されていたその言葉どおり、私は生まれて初めて、十字架のキリストを仰ぐことを知らされ、じっさいそのキリストが私を愛のまなざし、赦しのまなざしをもって見つめてくださっているのを実感した。
ひとたび、そのようなキリストの愛のまなざしを実感するとき、聖書の言葉は、たちまち深い真実が感じられ、生きたものとして私に働きかけるようになった。
聖書を学び始めて、すでに述べたように、こうした愛のまなざしは、人間に対してだけでなく、神が愛をもって創造した被造物にも向けられているのが次第に示されてきた。人間でも、愛をもって創作したものは、その心で見つめ続けるであろうし、自分の子供には、特別な愛をもって心の目でも見つめ続け、愛のまなざしを送るのが普通である。
そして愛は相互に働くのが最終的あり方であり、そのように神は意図されている。神の愛は全能であるゆえに、すべてに及ぶ。私たちが神の被造物たる星や風、雲、植物たちに愛をもって見ようとし、そこに神の愛のわざを信じてみるとき、それらはまた、私たちに神の愛に由来する何ものかを注ぐようになる。神の愛をもってするものは、神の愛によって報いられる。
それはこの世界の法則である。
愛は相互的である。それゆえ、主イエスも、最後の夕食のときに、遺言のように「互いに愛し合え」と繰り返しいわれた。(ヨハネ13の34〜35、 15の12)
私たちが神を愛するとは、神を心の目で見つめ、心をそそぐことである。 そのような神へのまなざしがあるところでは、神もまた私たちを見つめてくださるのを感じるように導かれる。
人間の根本問題は、日々罪を犯しているということである。
今日はあまり罪を犯さなかったという人もいる。しかし、罪とは神の愛のあり方にそぐわないことーその心の思い、意志、また考え、そして言動である。そして愛とはイエスのいわれたように、隣人が限りなく良くなるようにとの祈りである。
とすれば、だれがそのようなどこまでも広く、高く、また深い思いを隣人に持ちつづけて一日を終えたといえるだろうか。
自分の家族というわずか数人に対しても、どれほど過去から現在に至るまで、そのようにつねに最善であるようにと祈りの心を持って対しているだろうか。
愛は、持続する。あるときだけ誰かを少し思いだしてあとはずっと忘れているーそのような心は、海のような神の愛のひとしずくのようなものにすぎない。
人間の愛は、特定の人に注いでいるときには、他者のことを忘れている。一度に複数の人たちを心に思って祈るとき、個々の人たちへの祈りの強さ、愛の真実さは弱まらざるを得ない。人類を愛するとか、日本を愛するといっても、単に言葉だけにすぎない。
しかし、神の愛は、無限であり、全能であるゆえに、万人に同時に及び、途絶えることなく続く。
そのように考えるとき、私たちは主イエスが隣人を愛せよ、といわれたとき、その愛への言葉にどこまでも極めてわずかしか従えていないのを知らされる。
通りがかりの人たち、車で走っていて、周囲の家々の人たち、病院の横を通るときそこで苦しみ、死の迫る絶望に苦しむ人々、家族の悲嘆…等々を思うとき、そうした人たちのことを思って祈ること、ーその苦しみの中に神の光と愛がそそがれるようにと祈る心ーそれらがどれほどできているだろう。
過去から現在に至るまで、そのように限りない愛を注ぐという霊的あり方には、無きに等しいようなものでしかない。
私たちの小さな集会にあっても、一日をふりかえって、その一人一人にどれほどの愛を注いでいるだろうと思わされる。日々の祈りのなかで、ふと、〇〇さんのことを祈っていなかったーその家族のことも忘れていたーなど気付かされることはいくらでもある。
さらに、国家の指導的立場にある人が、偽りの判断をすることによって国民ー私たちの隣人ーが圧迫され、真理から遠ざけられることなきようーその最たることが戦争であるーそうした国政に関わる人たちのためにも、祈りをもたねばならないが、それもごく不十分にしかできていない。
そのように、主イエスが私たちに求めている真実のあり方である、隣人を愛せよーという御言葉には、到底従えていない現実がある。
人間には不可避の限界があるからである。だれかのために祈っていたら、その祈りが切実であるほど、そこに心を集中するゆえにほかの人のことは念頭から消えていく。 そして時間は有限であり、集中せねばならない仕事もある。
このように、私たちが隣人に対しての祈りは、きわめて限界がある。
そこに日々の罪はいかなる人においても存在するのであって、今日一日ふりかえって罪は犯さなかったーなどということはあり得ないことである。
それゆえに、人間の根本問題であるそうした罪は、つもっていくばかりである。
それを放置しておくとき、私たちの心は次第に曇ってくる。罪が魂に満ちてきてそれに支配されるようになる。それゆえに、聖書において「あなた方は罪のために死んでいた」とさえ記されている。(エペソ書2の1、5)
そのような人間の根本問題の解決のために、キリストは来てくださった。そして十字架にかかるという考えられないような手段をもって人類をその罪の呪縛から救い出してくださった。
そしてその無限の愛ゆえに、いつも私たちを愛のまなざしをもって見つめてくださっている。
そのことに、気付かされることは、復活のキリストである聖霊の働きによってなされることである。
使徒パウロもペテロたちも、そしてあとに続く無数のキリスト者たちも同様である。
そしてその愛のまなざしを感じたときから、私たちもキリストへの愛のまなざしをことあるたびに向ける。さらに、呼吸のように、絶えず霊的なまなざしをもってキリストを見つめるようにと導かれる。
「私を仰ぎ望め、そうすれば救われる」(イザヤ45の22)とはるか数千年前にすでにいわれていることである。
Turn to me and be saved,
all the ends of the earth.
この「仰ぎ望む」ということは、原語では、パーナー panaであり、シューブと同様、turn 方向転換ということである。
神への方向転換のことは、「悔い改め」と訳されることがしばしばあるが、これも人間的なこと、罪ばかりの自分や外の世界から魂の目を転じて、愛なる神への方向転換であり、人間とその人間社会の現象やその根底にある罪ばかりを見つめるのでなく、神を見つめようとすることである。
そのときに、ただそれだけで私たちは救われる、言い換えると、キリストの愛のまなざしを受けるようになる。
そうした主の愛を少しでも受けるとき、他者を愛する(その人が最善になるよう祈る)心が芽生えてくる。 神がその愛のまなざしをその人に与えてくださるようにと願うことである。
聖書はまさにそのような神と人の相互の見つめ合いが主題となっている。
聖書の最初から、神のまなざしは、空虚と闇のうずまくこの世、この世界に住む人間の一人一人に向けられている。
それゆえに、そこに「光あれ!」といわれた。一人一人に光あれ! と祈る願いがそこに秘められている。
使徒パウロも弟子たちも、そして後に続く無数の人たちも同様である。
主からのまなざしーそれに気付くことがキリスト者となったことである。十字架のうえから、「汝の罪赦されたり」と語りかけてくださるイエスーその単純な真理に目覚めることがこの世でもっとも大切なことにつながっていく。
主のまなざし ということでは、ペテロがイエスの逮捕のときに逃げてしまったうえ、三度にわたってイエスを知らないと言ったとき、遠くから「主は、振り向いてペテロを見つめられた。」 (ルカ22の61) そのまなざしに出会ったペテロのことが思いだされる。
ペテロは、逃げていったところから、人々に目立たないように、またイエスに気付かれないように近づいたであろう。
しかし、主イエスは、遠くからそのことにただちに気付いて、振り向いてペテロをじっと見つめたのだった。
このようにして、無言にして主のまなざしはペテロの魂の深みへと届いたのだった。彼は、すべてを見抜いていた主の言葉を思いだし、外に出て激しく泣いた、と記されている。
これは単にペテロだけのことでなく、現代の私たちにおいてもなされていることである。
私たちも日々どれほどの罪を犯して生きていることだろう。そのような私たちをも、愛の忍耐をもってずっと愛のまなざしをそそいでくださっている。
そのまなざしを受けて私たちは、すべてを見通しておられる神、そしてキリストを実感し、自分の罪の深さを知らされるとともに、魂の内奥において、罪の赦しの愛を感じる。
そこに、「神は愛なり」という言葉の深い意味が、開けていく扉がある。
その原点の経験がなければ、神は愛であり、その被造物も愛によって創造され、いまもその愛が支えているーといわれてもなかなかそのようには信じられないし、一時的に神は全能であり、愛だと信じていても、この世の悪や汚れに満ちた現実にまきこまれていくとき、いつしか神への信仰も消えていく。
主のまなざしは、二千年前から、現在に至るまで、無数の人々に注がれ、それによって立ち帰る人たちが次々と世界中で起こされてきたし、現在もそれは続いている。
私たちもまた、この世のさまざまの闇から主を仰ぎ、その愛のまなざしをさらに豊かに受けていきたいと願っている。
私たちの礼拝とか家庭集会では、従来からの「讃美歌」、「讃美歌第二編」とともに、「新聖歌」(*)、「讃美歌21」もよく使われています。讃美歌と聖歌(新聖歌)とはどうちがうのですかと何度か尋ねられたことがあります。教文館からの新聖歌の出版以前は、「聖歌」を用いていました。
ここでこの両者について、その違いなどを考えてみます。
(*)なお、カトリックなどでは賛美の歌集を聖歌といって讃美歌とは言わない。新聖歌は、「聖歌」に収録されていた賛美とともに、「讃美歌」での重要な賛美も多く含まれて、さらに、「讃美歌21」、「インマヌエル賛美集」、「教会讃美歌」、「救世軍歌集」、「プレイズ&ワーシップ」、「リビングプレイズ」、「勝利の歌」、「ゴスペルミュージック
ベストヒット集」他の多様な賛美集から取り入れられています。
日本では、明治政府になってもなお、キリスト教迫害の方針は変わりませんでしたが、一八七三年になってようやく、キリスト教禁止の時代が終わって信仰の自由を許されることになりました。
その時からとくにアメリカやイギリスで歌われていた讃美が多く入ってきました。アメリカやイギリスの宣教師たちがそれぞれの教派で用いていた讃美を日本語でも歌えるようにということで、初めての日本語讃美歌は一八七二年に宣教師会議が横浜で開かれたときに紹介されました。
また、最初の日本語の讃美歌集は一八七四年に横浜で出版されたものだとされています。
その後、「讃美歌」という名称の讃美集が日本基督一致教会という初期の合同された教会において出版されました。これが、一八八一年です。今から百四十年ほど昔のことです。
その後、組合教会、メソジスト教会、浸礼教会などいろいろの教派がそれぞれの讃美集を出すようになりました。
しかし、教派別の讃美集では、ともに歌えないなど不便があるので、統一された讃美集を出そうと言うことになり、一九〇〇年に、超教派の讃美歌委員会ができたのです。そうして生み出されたのが、「讃美歌」(一九〇三年)で、これはキリスト教各教派が共通に使う讃美歌として編集された最初のものとなりました。現在日本中で用いられている「讃美歌」はこの流れを受け継いでいます。
これは、追加版が讃美歌第二編として出され(一九〇六年)、さらに、改訂されて一九三一年に「讃美歌」が新しく発行されました。これは、それまでに現れた各種の讃美歌の集大成となりました。
それが太平洋戦争中も用いられていましたが、戦時には、時局に迎合するような内容の「興亜讃美歌」などというものが日本人の作詞で作られ、太平洋戦争を「聖戦」とし、「八紘一宇(はっこういちう)」を神の国と同一視するようなまちがった内容のものを作ってしまったことがあり、悲しむべき歴史の傷となりました。
こうした過程を経て、戦後従来の讃美歌の内容、言葉づかいなど全体を再検討する必要に迫られて、日本キリスト教団讃美歌委員会が一九四九年から讃美歌の改訂にとりかかり、一九五一年春に改訂の委員会を組織して、約三年半を要して、一九五四年に現在の「讃美歌」が出版されました。これが、ごく最近まで、全国の教会で「讃美歌」としてひろく用いられてきたものです。
しかし、この「讃美歌」も伝統的な讃美が主体であったために、それよりも伝道的な歌、また若い人にも向くような讃美、日本人の創作賛美など、さらにより多様な讃美を取り入れた讃美集が必要となり、その結果出版されたのが、「讃美歌第二編」で、一九六七年に出版されました。
また、その後も、日本キリスト教団讃美歌委員会の委員のほかに、カトリック教会やルーテル教会、聖公会からの編集委員なども加えて、エキュメニカル(教会一致)的な委員構成として、現代の信仰の歌としてふさわしい歌を選び、それが「ともに歌おう・新しい讃美歌五十曲」と題して一九七六年に出版されました。
この「讃美歌」は現在まで半世紀ちかく歌い継がれてきていますが、数年前から、改訂作業がはじまり、一九九七年に「讃美歌21」という書名で出版されました。
この讃美歌集は、新しい讃美歌で必要とされるつぎのような歌を取り入れるという観点から編集されています。
1)長い歴史を通した伝えられてきたキリスト教信仰の内容を現代にも生かせる歌。
2)以前の讃美歌は個人的な讃美歌が多かったのに対して、新しい讃美歌は、信仰を共に証し、信徒が共に歌える歌。
3)キリスト教信仰をまだ持っていない一般の人々に呼び掛けるための伝道的な歌。
4)教派にとらわれない歌。
5)欧米だけでなく、世界各国の歌。
6)礼拝以外の家庭での集会や聖書研究会などいろいろの集会でも歌えるもの
7)歌詞に使われている言葉が誰にでも理解できる歌。
8)歌詞に天皇に関わって用いられた用語を除く。次のような言葉はすべて讃美歌21では、用いられなくなりました。
例えば、「御稜威 みいつ」これは、「いつ」の尊敬語。天皇・神などの威光。強い御威勢 (広辞苑)この言葉は、日清戦争から太平洋戦争に至る間、天皇にのみ用いられてきており、天皇と深く結びつけられてきた言葉。
おおみよ(大御代)天皇の治世。聖代。これは、讃美歌537番 こころをあわせて わが主の大御代(おおみよ) ことほぎまつれや
などに用いられているし、さらに 「大君(おおきみ)」という天皇の尊称が歌詞に用いられています。
以上のような方針で編集された讃美歌21が今後は、従来の讃美歌に置き換えられていくものと考えられます。
キリスト教の讃美には、これまで述べたような「讃美歌」の流れとちがった讃美があります。
それが「聖歌」です。
この源流は、アメリカにあります。もともと、アメリカの教会は、主としてイギリスの讃美歌を受け取って用いてきました。しかし、十八世紀の中ごろに、エドワーズという著名な伝道者が現れ、ついで十九世紀の中ごろにはムーディといった大衆伝道者たちが大きな働きをしました。
この大衆伝道の動きのなかから生み出された讃美がゴスペル・ソングであり、それは「福音唱歌」と訳されてきました。
この讃美は、従来の讃美歌が、礼拝堂のなかでの厳粛な、荘重な雰囲気で歌うのが目的であったのに対して、まだ信仰を持っていない人、職業も教養などさまざまなタイプの人に向けての讃美であったために、それまでの讃美歌とは自ずからちがった特徴を持っていました。
それは、分かりやすい言葉で、メロディーも歌いやすく変化に富んだものが多く含まれています。そして、伝道的目的が重要とされていたために、未信仰の人へ語り掛けるような内容の歌、あるいはキリスト者が救われた喜びや願いを歌う内容のものが多く含まれています。そのため曲は概して明るく、短調の曲がまれで、ほとんどが長調の曲となっています。 こうしたゴスペルソングの最も初期のもののうちに含めることができる曲が、讃美歌のうちでも最も親しまれていると思われる「いつくしみ深き」(讃美歌312)です。
この讃美歌は、前述の大衆伝道者、ムーディに同行していた福音讃美の指導者として有名であったサンキーらが編集した「福音讃美歌・聖歌」に収められ、それから全アメリカに広く知られて愛唱されるようになったものです。
この曲は、日本においても、明治時代に「星の世」(*)という題で、中学唱歌として取り入れられたので、ほとんどの日本人にとっても親しい曲となりました。
ゴスペル・ソングの代表的な作者は、全盲の女性であったファニー・クロスビーです。彼女が作った讃美歌(作詞)は八千にも及ぶということです。彼女の作った讃美歌は現在の讃美歌にも八曲が収められています。このように、現在の「讃美歌」にも、ゴスペル・ソングに含まれる曲はかなり収められています。
伝統的な讃美歌の例として、讃美歌66番をあげてみます。
聖なる 聖なる 聖なるかな
三つにいまして 一つなる
神の御名をば 朝まだき
起きいでてこそ ほめまつれ
聖なる、聖なる、聖なるかな
神のみまえに 聖徒らも
かむりを捨てて ふしおがみ
みつかいたちも 御名をほむ
これに対して讃美歌312番はつぎのような内容です。
慈しみ深き 友なるイエスは
罪とが憂いを取り去りたもう
心の嘆きを 包まず述べて
などかは下ろさぬ 負える重荷を
いつくしみ深き 友なるイエスは、
我らの弱きを 知りて憐れむ
悩みかなしみに 沈めるときも
祈りにこたえて 慰めたまわん
これらの讃美歌の一節と二節を比べてみました。これはメロディーにおいても、312番のほうは、美しいメロディーでだれの心にも親しみやすいものです。
これは、主イエスがいかに自分の心の友となり、慰めとなって下さるかという信仰の実感を歌ったもので、未信仰の人への信仰の証しともなる讃美です。
これに対して66番の歌詞は、三位一体の神というキリスト教信仰の基本を讃美としたもので、個人の感情や、信仰体験でなく、神ご自身の本質を讃え、歌っているものです。
そしてメロディーはそのような歌詞にふさわしく、荘重な感じをたたえたものとなっていて、神の厳粛を感じさせるメロディーだといえます。
讃美歌312番は本来の意味でのゴスペル・ソングには含めないこともありますが、その特質を持った讃美となっていると言えます。
ゴスペル・ソングとして代表的なもので、よくアメリカでも日本においても歌われてきたものに、讃美歌第二編の182「丘の上に十字架立つ」(新聖歌では108「丘に立てるあらけずりの」)や、第二編183の「九十九の羊」(新聖歌217)などがあります。これらの讃美の歌詞やメロディーを聞くと、ゴスペル・ソングといわれてきた讃美の特徴がさらによくわかります。
このように、日本のプロテスタントのキリスト教讃美には、大きく分けて、「讃美歌」の流れと「聖歌」の流れがあります。聖歌は、以上のようにゴスペル・ソングといわれる新しい形の讃美を多く取り入れるという方針を持っていて、福音派といわれるキリスト者たちが多く用いている讃美です。
しかし、讃美歌に含まれる曲も多く聖歌に含まれており、また、讃美歌を補うものとして出版された讃美歌第二編や「ともに歌おう」には、ゴスペル・ソングの流れをうけた曲も多く取り入れられていますので、多様な讃美を使うことができるようになっています 現代はさまざまのものが激しく変容しつつある時代です。キリスト教の讃美においても、新しい歌詞や曲が多く作られていきます。
現在の讃美歌の源流は、旧約聖書の詩編にあります。詩編とは、当時の讃美歌集でもあったのです。そこには、個人の嘆き、苦しみがリアルに述べられ、また喜びや感謝、神への讃美も多くあり、また、神の万能や英知を讃え、神の言葉への讃美を内容としたものも多くあります。
また、詩編よりさらに古く、神への讃美の最初のすがたが見られる出エジプト記の、紅海を渡ったときの感謝や讃美は、踊りと、タンブリンなどの楽器ををもって讃美したことも記されています。
こうしたことからも、内容的には、神の栄光を讃え、神の言を讃美するものから、個人の苦しみや悲しみを訴える内容のもの、神への感謝や喜びを率直に歌うものなど、いろいろのものが含まれるべきだと思われるし、歌い方についても、厳粛な斉唱から変化のあるコーラス、また楽器を用い、手をたたき、時には大胆に体全体で表現するなどさまざまの歌い方もあってよいのだとわかります。
それが伝統的な讃美の形のものであれ、新しいゴスペル・ソングの流れを受け継ぐものであれ、双方が私たちの信仰を表す歌となり、福音伝道に用いられ、神の栄光を讃美するものとして主が今後も導かれることと思います。
(*)「星の界(ほしのよ)」作詞: 杉谷代水(だいすい)
作曲: コンヴァース
月つきなきみ空そらに きらめく 光ひかり
嗚呼その星影希望のすがた
人智は果て 無窮の遠に
いざ其その星影きわめも行かん
雲なきみ空に 横とう 光
ああ洋々たる 銀河の流れ
仰ぎて眺むる 万里の彼方
いざ棹させよや 窮理の船に
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この歌詞が文語で難しいので、わかりやすい歌詞として次の歌詞がよく知られています。
川路柳虹作詞の「星の世界」の歌詞
かがやく夜空の 星の光よ
まばたくあまたの 遠い世界よ
ふけゆく秋の夜 すみわたる空
のぞめば不思議な 星の世界よ
きらめく光は 玉かこがねか
宇宙の広さを しみじみ思う
やさしい光に まばたく星座
のぞめば不思議な 星の世界よ
〇オンラインによる合同集会
11月8日(日)には、福岡聖書研究会と徳島聖書キリスト集会との合同のオンラインでの集会が与えられた。
例年は、私(吉村孝雄)が、直接福岡の集会にて、御言葉に関わるメッセージを語らせていただいていましたが、今年はコロナのために、出向くことが難しいので、福岡聖書研究会代表の秀村 弦一郎氏の御協力を得て、オンラインでの集会となった。
福岡聖書研究会では、以前からZOOMを用いておられたが、私どもの集会では、スカイプを用いていたので、その二つのソフトを用いての集会となった。
福岡聖書研究会には、インドからのネットでの参加者もおられて、インターネットが、主にある交流をより広げてくれたことにも感謝。
なお、福岡聖書研究会の会場参加は12名、ズーム参加者 10名、会場12名で合計=22名。(インドからの参加者一人を含む)
徳島聖書キリスト集会の会場参加者10名、スカイプ参加者31名、スマホによる参加2名で、双方の集会全体の参加者65名。
二つのソフトを用いる集会となったので、接続その他に時間がかかったこと、また、参加者の数も多かったので、トラブルもあったり、当日参加予定の複数の方が、インターネット接続の問題から加われなかったということもあったが、それでも、遠く離れている私たちが、御言葉を中心としてともに集まり、祈り、賛美する機会を感謝したことだった。
お知らせ
〇クリスマス集会
12月20日(日)ののクリスマス特別集会も、今年は、オンライン(スカイプ)での集会となります。
〇報告に記した11月8日(日)の福岡聖書研究会と徳島聖書キリスト集会との合同集会の録音がありますので、ご希望の方は、吉村まで申込ください。MP3版CD1枚で二百円(送料込、切手で可)
ほかに、パソコンでインターネットされている方は、ファイルのメールアドレスをお送りするという形で送ることができますので、そのほうを希望の方も申込ください。(こちらは無料)
〇「祈りの友」について知りたい方、その今年10月発行の会報を読む希望の方は左記の吉村孝雄まで申込くださればお送りします。
三百円(送料込)
★冬期聖書集会 (キリスト教独立伝道会主催)
・インターネット(スカイプ)を用いての集会
〇テーマ「友なるイエス」
〇講師 吉村孝雄、西澤正文、小舘知子
悩み苦しむ人に、孤独な魂に、「友よ」と呼び掛けてくださるイエス・キリスト。友なるイエス様に出会える集会になることを願って開催します。聖書が初めての方も、なかなか信じられないという方も、どなたでもお気軽に、ぜひご参加ください。
〇日時 2021年1月9日午前9時半〜10日午後1時、
集会終了後1時から2時半希望者のみオンラインランチ
〇プログラム
・9日(土)午前 聖書講話(吉村孝雄、小舘知子)
午後 参加者の自己紹介と感話および参加者による音楽の集い
・10日(日)午前 聖書講話(吉村孝雄、西澤正文)
午後 オンラインランチ(交流を深めるためビデオカメラをオンにしてお昼をいただきながらおしゃべりします。後半は互いに祈り合う祈りのひとときを持ちます。)
・参加費 無料
・申し込み締め切り 2020年12月15日
・お申し込み方法 @〜Hを明記して左記へメールください。
@お名前
Aスカイプ名
Bお電話番号
C連絡可能な時間帯
D聖書集会参加時間帯( 9日午前 ・ 9日午後 ・ 10日午前 )
Eオンラインランチ参加の有無
Fご住所
G所属集会
H1日目午後自己紹介と音楽の会で歌または楽器を演奏してくださる方を募集します。ご協力いただける方はその旨ご記載下さい。
主日礼拝は、徳島聖書キリスト集会会場にて開催。毎週日曜日午前10時30分〜12時。
オンライン(スカイプ)も併用していますので、希望者は左記吉村まで。