いのちの水   20520年  5月号   711

キリストの力は、弱さの中で十分にあらわれる。

                                           (Uコリント129より)

目次

(シャクヤク)

・良き知らせ

・遮断されない交流ー神の国との交流

・主の名による集まり

 ネットによる春期四国聖書集会

・春期四国聖書集会に参加しての感想

・お知らせ 録音CD、スカイプ

・休憩室  ミルトス

 

リストボタン良き知らせ

 

 現在、世界ではこの数カ月、新型コロナウイルスによってかつて経験したことのないさまざまの困難が生じている。

 毎日の新聞紙上は大部分がコロナ関係の記事で埋めつくされ、最近ようやく大都市では感染確認者数が減少に転じたという良き知らせも見られるようになった。

 しかし、外国を見るとますます増大しつつある国々も多くあるし、全体として喜べるという状況はいつになるか見通しもつかない。

  だが、今回の新型コロナウイルスの感染がはじまる以前から、誰にとってもよい知らせというのはほとんど見られない。

 そうした中で、この世界には、はるか二千年前にキリストが現れて以来、良き知らせが宣べ伝えられるということがずっと止むことがない。

 ギリシャ語で「良き知らせ」、を意味する語は、中国語の聖書において「福音」(*)と訳され、それがそのまま日本の聖書にも取り入れられて今日に至っている。

 

*)「福音」とは 良き知らせを意味する。「福」とは、さいわいなこと、神からの恵みが豊かであるのを意味する。(示す偏は神への捧げ物を載せた台、右の旁は徳利に酒を満たしたさまに由来。)

 そして福音と訳された聖書の原語は、ギリシャ語では、eu-anggelion (ユーアンゲリオン)であり、 「良き知らせ」という意味である。 ユー とは「良い」、アンゲリオンは、アンゲロー(知らせる)に由来する言葉で、アンゲロスは 知らせをもたらす人、使者を意味する。ここから、神の知らせをもたらす存在ということで、英語のangel(天使)という言葉が生まれた。福音の「音」は、この場合は、物理的な音でなく、音信という言葉があることから推察されるが、消息、知らせ おとずれ を意味する。

 

 いかにこの世が困難な状況に立ち至ろうとも、聖書は、一貫して「良き知らせ」を伝え続けてきたことに驚かされる。

 それに対して、一時的に良い知らせと見えてもすぐに消え失せるものは、日々の生活の中でも、また歴史上においても いくらでもある。

 例えば、戦前では太平洋戦争を始めたとき真珠湾攻撃が大勝利と宣伝し、国民は熱狂的にその「良き知らせ」を歓迎した。しかし、わずか半年ほどで、生じたミッドウェー海戦で、派遣していた空母4隻すべてが撃沈され、搭載していた戦闘機約290機の全ても喪失し、わずか数日の戦闘でアメリカ軍の10倍ほどの3千人を越える犠牲者を生み出してしまった。

 それでも、軍部、政府もマスコミなども、そうした大敗戦を告げずに、勝利したかのような偽りの「よい知らせ」を国民に向けて発表したのだった。

 福島に原発が多く建てられたとき、原発ゆえの多くの収入が地元に入り、学校や道路もよくなり、仕事も増える…等々よき知らせばかりと思われていた。しかし、それから、50年ほどを経て、大爆発となり、それ以後放射能ゆえのさまざまの困難な問題を知らせる悪しき知らせが現在にいたるまで絶えることがない。

 このような特別なできごとに限らず、私たちの毎日の新聞、テレビ等々では、本当によき知らせであり続けるようなことが報道されることはほとんどない。

 私たちの身近なところでも、結婚したというよい知らせや赤ちゃんが誕生したというよい知らせも、まもなく深刻な対立を生じて離婚となり、双方が重荷を負っていかねばならなくなるという悪しき知らせになること、また赤ちゃんの子育てに苦しんで鬱になる人もあり、その成長とともにいじめううけたり、加害したりで、日夜親も悩み苦しむ状況となることもある。

 このように、この世はたえず移り変わり、よい知らせと思ったことはまもなく悪しき知らせとなることも実に多い。

 人生そのものが、若い健康なときには苦しみや悲しみもなく成長していく人も多いだろう。

 しかし、老年に至って、健康面や家族との離別等々で、心から喜べるよき知らせということは次第に少なくなり、親しい者たちの病気や死、さらに自分自身がそうした苦しみを持ちつつ、死という闇にちかづきつつあるという現実が、心の内からそうした暗き知らせを思い起こさせるようになる。

 若い人でも中高年でも、さまざまの悩みや苦しみを抱えている人は無数にいる。自分の心にたえず自分はだめだ、人間は信頼できない、将来は絶望だ…等々の悪しき知らせのようなものが浮んでくる。

 そのようなこの世の現実にあって、最初に述べたように、一貫して「良き知らせ」を語り続けているのが、聖書であり、その聖書を書かせた神、キリストである。

 どんなことがあってもただ愛と真実な神を信じるだけで、さまざまの闇の世界からの知らせのただなかにあっても、良き知らせをうけるようになる。

 キリスト教における「良き知らせ」(福音)とは 何か。

 それは、私たちすべての魂の奥深いところにある罪をキリストを信じるだけで赦していただけるということ、 死という万人にとっての悪しき知らせと思われていることに対して、信じる者には、復活があり、死後もキリストの栄光の姿に変えられるということ、さらに神の国をくださるということ、神は全能かつ完全な愛の御方であるから、いかに悪しきことがあっても最終的には神がすべてを転じて良きことにしてくださるということ…等々である。

 このような良き知らせは、健康な人、病気の人、他人から虐げられている人、貧しい国、豊かな国の人…等々、どのような人であっても、ただ神を信じて仰ぎ見るだけでその良き知らせを受けとることができる。

 ラジオのスイッチを入れるとさまざまの内容を聞けるようになるように、私たちが、神とキリストを信じて仰ぎ見るという心のスイッチを入れさえすれば、永遠に変わらぬ良き知らせを聞き取り、受けとることができるようになる。

 そして、その全体が良き知らせの書といえる聖書にも目を開かれていく。

 さまざまの悪しき知らせが、満ちている現代において、この永遠に変わらぬ良き知らせー福音を信じて、死さえも復活という良き知らせを伴うのだということを心深くに留めておきたい。

 現在さまざまの問題で苦しんでいる方々がどうかその困難のなかで、この福音ーよき知らせを知って受けいれ、新たな力が与えられますようにと願ってやまない。


リストボタン遮断されない交流

        ー神との交わりー

 

 新型コロナウイルスによって人と人との交流が遮断され、様々な集会、学校、音楽会、美術館、博物館、研究会、国際会議、…そうした様々な集まりが、規制されるようになった。

 人々が、場所に集まると感染が増えるということから、その感染を防ぐために、さまざまの科学技術、とりわけ医学、薬学などをもってしてもどうすることもできず、最も原始的な方法と言える一人一人が家にできるだけ留まるという方法が世界的に強く勧められ、あるいは強制さえなされてきた。

 これだけ科学技術が進み、半世紀ほども昔に人間が月に着陸したり、その数年後には、遠い木星の探査がなされ、近年では また、小惑星に到達してその物質を持ち帰るとか、最近は、人工知能による自動運転が発展しつつある。

 長い年月かかってしなければならない計算が一瞬のうちになされてしまい、原子核の内部構造がはっきり解明されていく過程でほんのひとかたまりの核爆弾が一瞬にして数十万の人をも殺害し、建造物も徹底的に破壊してしまう。あるいは大怪我を負わせさらには何十年の間放射線による病気から苦しみと悲しみ、痛みをもたらし、そのようなこともいまから百年ほど昔では、だれも、前には考えられないことであった。

 そのような科学技術の驚くべき進展にもかかわらず、今回のように新しいタイプのウイルスの働きを終息させるには、ただ一人一人が家にこもるといったような科学と全く関係のないような方法によってしかその勢いを弱めることができなかった。ワクチンができるまでは、少なくとも一年はかかると言われているし、さらにウイルスの変異ということもあり、ウィルスを最終的に撲滅することは困難と言われている。

 これは、科学技術の限界を思い知らされるできごとであった。

 その限界については、今までにも様々な方面で言われてきたことであるし、私達が少し立ち止まって考えれば直ちにわかる様々なことがあるが、今回はそれを特に強く感じさせることになった。

 人間は集まる存在であり、すでに二千数百年前にアリストテレスが言った言葉、人間は社会的動物だということは誰でもが当然のこととして受け入れることができる。

 何かのことをやっていくには、一人ではできない。人が集まらなければできない。なにかの製品を生み出すためには、人が集まって話し合い、実際に様々な作業をする。

 その会社、工場には多くの人が集まるための道路や交通機関が発達しているほど効果的なのでそうした所には人を集団で移動するバス、列車など交通機関が発達する。

 そして会社にたくさんの人が集まり、平地では住めなくなるので高層ビルができて一つの高層ビルの中に何百軒も入ることができるようになり、地上数十メートルものビルが林立し、本来の人間が住む環境としては異常な状態があたかも正常のようになってしまう。

 何らかの交流がなければ仕事ができない。交流なくしてやっているように見える仕事でも、例えば、農地を家族で耕し、自給自足という程度であればそれで充分だけれども、より収入をあげようとするとたちまち農機具や農作物を運ぶトラックなどが必要となり、それらを作る工場、会社そしてそうした農作物を売りさばくための農協やスーパーなど人が集まるところがなければ大きな収益を上げることはできないということになる。

 このように人々が多く集まるということは、科学技術の進展とともに必然的なことであったが、人が集まるほどこのウイルスは感染力を発揮していくために、集まること自体の大きな問題点を初めてはっきりと世界に知らしめた出来事であった。

  新型コロナウイルスでなくとも、感染する病気を防ごうとするならば隔離するということは歴史的に見ても不可欠であった。

 そのために例えば長い人類の歴史において、その恐ろしい病状のゆえに家族からも周囲の人たちからも退けられ、非常な苦しみや悲しみを生み出したハンセン病、そして以前は亡国の病と恐れられた結核…それらを撲滅するためには当然隔離するということが不可欠であった。

 現代における感染病、インフルエンザにおいても多くの人が感染すれば、学校であれば学級閉鎖をして生徒が集まらないようにする。

  そうしたことと全く別に、日本でも戦前は、国家権力に対して、その間違いを指摘したりするならば牢獄に入れられ交流は遮断され、昔は、暗い不潔なところで食物も十分に与えられず、冬は寒く、耐えがたい死の苦しみに至るような拷問を受けることさえあった。

 そうして徹底的に人と人との 交流が遮断された。

 

神の国との交流

ー神、キリスト、聖霊との交わり


 しかしそのような中においても与えられる交流があった。それは目に見えない神の国との交流であり、いつの時代においても、どんな状況においても、ただ神とキリストを信じるだけで与えられてきた。

 私たちには、目に見えない神との交流、霊的な交わりが与えられており、神はそのような交流の道を全ての人に与えようとしておられる。

  現代においても重い病気や重度の障がい者となって、寝たきりになるならば多くの人とのつながりは途絶え、その状態が長く続く時にはかつての友人も去って訪問があったとしてもごくわずかになっていく。

 けれどもそのようなただ中であっても保たれ得る交流、それこそは目に見えない霊的な存在である神との交わり、神の国との交流である。

 聖書はこのような万人に与えられる交流について一貫して記している。それは、最も継続的で最も良きものである愛と真実による交わりなのである。

 それは「聖霊による交わり」と言われている。使徒パウロにおいて神はそのような目に見えない交流の道をも簡潔な言葉で示された。

 

…主イエス・キリストの恵み(*)、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同と共にあるように。

         (Uコリント 1313

 この短い言葉は礼拝における終わりの時になされる祝祷として用いられているが、キリスト者一人一人が私たち自身や交流のある人たちに対する祈りの言葉として常に用いられるべき内容である。

 

*) 主イエス・キリストという時に「主」というのは原語のギリシャ語ではキュリオスという。その Churios というギリシャ語は旧約聖書で神の名であるヤハウェのギリシャ語訳として非常にたくさん用いられている。

 キリストの使徒たちが使っていたのはヘブライ語の聖書ではなくギリシャ語に訳された聖書だった。そのギリシャ語訳聖書においては、神ヤハウェの事をキューリオスというギリシャ語で表していたために、「主」という語は神を表す言葉としてキリスト教徒たちには受け取られていた。

 主イエス・キリストという時には、神と同じ本質を持った神であるとともに、人であること、それがイエスという名前であわされ、さらにキリストとはヘブライ語のマーシーァハ(油そそがれた者 の意、英語ではメサイア、日本語ではメシアという発音)のギリシャ語訳である

 その動詞の形はマーシャハであり、それは香油を塗るとか香油を注ぐという意味である。王や、大祭司がそのような香油を注がれることによって、神の本質的なものをそそがれるという象徴的な意味をもっていた。

 そのマーシーァハ(メシア)のギリシャ語訳が、クリーストス(日本語ではキリスト という発音になっている。そしてそのようなの人が世の終わりに救い主として来られるという預言がいろいろな所で言われている。

 それゆえに、「主イエス・キリスト」というだけで神であり人であるキリスト、そして神の本質を注がれて世の終わりに世界を救うために来られる方という意味が含まれている。

 

 そのような神であり人であり救い主である方の恵みとはどういうことであろうか。恵みという言葉は日本語では、例えば 農家の人にとっては恵みの雨というのは非常に重要なことで晴天が続きて野菜穀物が育たない時に雨は降ることを非常に大きな喜びとなる。

 その他、恵みとか恵むという言葉は、日常的に使われる。健康や能力などを恵まれる、家族を、友人が恵まれる、今日の運動会には晴天に恵まれたとか、日常的に、ごく ふつうにに使われる。

 しかしキリスト教においては「恵み」はそのような日常的なことも含むが、その言葉の中心は歴史上で一回起こったことにある。それはキリストが私たちの根本問題ーすなわち私たちが正しい道、真実の愛の道が歩けない、その人間の根源にある罪を贖う身代わりになって死んでくださったということ。

 そして信じる者は誰でもその罪の赦しの喜び、平安を実際に得ることができる。 そしてまた最大の問題である死ということでさえも、イエスが死にうち勝つ力をもっておられると信じる者は、信じた時すでに復活の力は与えられる。

  そのようなことがこのキリストの恵みの中心に置かれている。

 さらに、そのようなこと以外のあらゆること、生活の中で 例えば歩けるというこ、目が見えて指が動く、さまざまの自然を味わうことができる。毎日の空や雲の動き、植物や小鳥たちからも神の愛を汲み取ることが可能となっていく。

 神を目で見ることはできない。それにもかかわらず私たちが神様を信じ神を仰ぎ、祈る生活を続けられるのは、神との聖霊による交わりが与えられているからである。 そして、信じる人同士にあっても、人間的な好悪の感情による交流でなく、聖霊による交流ー神の愛と真実による交わりという道が与えられている。

 これこそはどんなに距離が遠くても、また敵対する人に対しても、遠くに行った人でも、病院の中のであっても聖霊による交わりの道は与えられている。

 こうした神との交流は、すでに旧約聖書から一貫して記され、とくに詩篇においてそのうるわしい交流の世界がほかに類のない深い意味をもって記されている。

 聖書の最初の書である創世記においても、とくに神を知らされたアブラハム、ヤコブやヨセフなどによって示されている。そうしたなかで、ヤコブが兄の激しい憎しみを受けて遠い地へと逃れる旅の途中、荒野で石を枕として眠っていたとき、夢の中で驚くべきことが示された。

 

…彼は夢を見た。先端が天まで達する階段が地に向かって伸びており、しかも、神の御使いたちがそれを上ったり下ったりしていた。

             (創世記2812

 これは、孤独な一人旅、そして前途の不安や危険のただなかにあっても、神の国にかかる懸け橋は存在し、人間との願い、祈りを天に運び、また天の国の霊的な賜物を地上の人間に運んでくる交流が与えられることの象徴的なできごとであった。

 そうした天の国との交流を深い孤独と悲しみや苦しみにさいなまれつつ、そうした天への懸け橋を見いだした人の例を次に記す。

 

ある重度障がい者となったハンセン病の女性の例

  今回のようなコロナウイルスだけが、交流を妨げるのではない。すでに述べたように、ハンセン病が恐れられたのは、ひとたびその病気になると、病の非常な苦しみだけでなく、家族も友人も仕事も全てから遮断されてしまう恐ろしい病気であったからである。

 しかし、そのようなハンセン病にかかった人たちでも神とキリストを信じる生活に転換した人たちは、聖霊との交わり、イエスキリストの恵み、神の愛から遮断されることはなかった。

 神とキリストをただ信じて求めるだけで、こうした聖霊による交わりを持つことが許されたことをその人たちの書いた文章によってうかがい知ることができる。

 ハンセン病によって両眼失明、しかも足も切断、両手の自由も失ったという重度の障がい者となった玉木愛子(18871969年)という女性がいる。

 そうした肉体の甚だしい苦しみだけでなく、同時に、ハンセン病になったことが周囲に伝わったときには、当時は遺伝病とみなされていたゆえに、家族、親族の者さえもその苦しみが及び、みな結婚もできなくなり、家として破滅的な事態になっていくという恐ろしき運命が待ち受けていた。

 それゆえに、自分の家にても居ることができず、一人山中に入って命を断とうとまで考えたが、すでに手足のマヒが進行しつつある身では到底山中に一人いくことはできず、また、母は娘がらい病と宣告されてからは、胸に五寸釘(長さ15p余)を打ち込まれているようだと言ったほどの深い悲しみと苦しみにあった。

 母は親族や周囲の人たちに、だれにも娘がハンセン病だとはいうことができず、遠い親族のところに行っているとか言い繕っては、いつそれが発覚するかおびえつつ生きていた。

 それがどうにもならない状況においつめられていき、淡路島に渡る船から母子ともに手をとりあって身投げをしようとまで言ったほどだった。

 そうした絶望に沈む心を抱えて魂の暗夜をさすらっていたとき、たまたま見いだした遠い熊本のハンセン病院(回春病院)の存在をしって手紙を出し、家族、友人などすべてに別れを告げて、その療養所に赴くことになった。…

 その後、キリスト教信仰が与えられ、その信仰に根ざした俳句、短歌を作るようになった。

 後に、その不自由な体をもって同じ病気のより軽症の人に書いてもらったものが本となって出版され、それによって初めて著者が、いかに深い悲しみと痛み、苦しみに遭いつつ、たとえようもない闇の淵に呻吟し、心身ともに倒れそうになりつつ、生きていったかが推察された。

 しかし、そのような恐ろしい運命のなかにあって、キリスト信仰に出会い、神と生けるキリスト、聖霊による交わりは、愛の神と全能の神であるゆえに、神の創造した身の回りに広がる様々な植物たちの小さな一枚の葉や路傍に咲く小さな野草、雑草と言われて多くは関心も持たれないような植物たちのその一つ一つの花たちと交流が与えられる。

 病気などで山へ行けなくても、聖霊が豊かに与えられるほどに、ちいさな自然からも大いなる神の愛を感じ取ることができるように導かれたのだった。それは彼女の次の俳句にもあらわされている。

 

信ずれば

天地のもの あたたかし           (「真夜の祈り」25頁)

 それほどの苦難にありつつも、天地のものあたたかし  と言えるほどにまでに魂の変革が生じたのである。

 これこそ、神の国との交流が与えられ、聖霊による交わりが与えられたからであった。

 あらゆる良きものから見捨てられ、なにゆえに自分だけこのような恐ろしい運命にもてあそばれねばならないのかー幾たび涙に沈み、魂の叫びをあげてきたことであろう。

 天地のもの、みなが自分を見捨て、暗夜に冷たく放置しているとしか思えないような状況にありながら、玉木愛子の魂には天地が暖かき何かを深く感じることができた。

 それこそ、神の愛の温かみだった。聖霊による交わりがいかなるものであるかを如実に示している。

 

 また、水野源三(*)のような全身が動かない重度の障がい者であっても、彼の書いた詩からはそうした聖霊による交わりが何であるかを知ることができる。

 次の詩を見ても、狭い室内で毎日を動けない身で過ごす中にあって、彼の心は神と聖霊との交流により、かぎりなく広く、かつ清くされていたこと、主の愛にうながされての祈りの世界があったのを知らされる。

 

平和

 

住む国も

話す言葉も

考える事も

それぞれ異なる

何十億の人々が

父なる神さまの

みもとに立ち返るように

朝に祈り

夕に祈る

仰いだ時から

 

主なるイエスを仰いだときから

行きなれた道にかおる白い花

みどりの林に歌う小鳥さえ

私に知らせる御神の慈愛を

 

主なるイエスを仰いだときから

見慣れた消えゆく夕ばえなる空

屋根ごしに光る一番星さえ

私に知らせる御神の力を

 

主なるイエスを仰いだ時から

ききなれた窓をたたく風の音

夜更けの静かに降る雨の音さえ

私に知らせる御神の恵みを

 

*)水野源三(一九三九〜一九八四)九歳のときに、赤痢にかかり、命はとりとめたが全身が動かなくなり、言葉も出なくなった。後にキリスト信仰に導かれ、まばたきをもって、母親が示す五十音図の単語を示して詩を作るようになった。

 

 聖霊による交わりは、どんな状況であっても、人生の荒波のなかに呑み込まれそうになってもなお、与えられることが聖書に記されている。

 風は吹いても雨が降ってもということであり、苦しいことや辛い孤独な時には、その神に叫び、そして神からの励ましを受けて霊的な交流が与えられるという道が備えられている。

 使徒パウロが、最も重要なローマの信徒への手紙で、「死の力も、現在のものも、未来のものも、力あるものも…いかなるものも神の愛、キリストの愛からはばむものは何一つない。」と記した。

 これは、この手紙のクライマックスと言うべき個所の最後に記されてていることであり、この内容の重要性がわかる。

 この新型コロナウイルスの蔓延によって人間との集まりが遮断されるような時、いかなるものによっても遮断されない交流があるということ、それは、イエスキリストからの恵みであり、神の愛によることを知らされ、私たちはあらためて、何ものも動かすことができないその力を知らされている。


 

リストボタン主の名による集まりーインターネットによる「春期四国聖書集会」


 

 遠く離れている者同士であっても、神とキリストを仰ぐ心をもって集まるなら、「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいる。」(マタイ1820)という主イエスの言葉をあらためてその真理性を実感することができた。

 それは、去る5月9日(土)〜10日(日)に開催された、春期四国聖書集会においてである。

 もともとは、徳島市のホテルでの開催という予定が新型コロナウイルスのために集まることができなくなった。 そのため、インターネット(スカイプ)を中心とする集会へと変更されることになった。

 そして、ネットを使えない方々には、今回の集会の聖書講話や証しなど全部の内容を印刷した文書による参加とし、時間を合わせて参加するという形になった。  今回文書参加(約20名)も合わせて百名を越える方々がインターネットのスカイプ参加を中心として集まるということは、初めてのことであったが、北海道から九州に至る各地の方々が、インターネットという手段でともに主を仰ぎ、御言葉を受け、讃美と祈りを共有できたことは、大きな感謝だった。

 そして、「求めよ、そうすれば与えられる」 というキリストの約束の深い意味をさらに感じさせていただいた。

 主の力は時間も空間をも越えて働く。神の霊、聖霊こそは、見えざる翼を持つもののごとく、どのようなところへも届き、海山や建物に妨げられずに働くことができる。 それは、聖霊は神と同じ本質をもっているゆえ、全能かつ愛であるからだ。

 その聖霊が参加者に働いて、心に残る集まりとしてくださった。

 我々の徳島聖書キリスト集会では10年余り以前に、徳島市の集会場で行なわれる主日礼拝や夕拝、さらにいくつかの家庭での家庭集会で、重度の障がいを持っていて集会に参加できない方が参加できるようにと、インターネット(スカイプ)を併用してきた。

 それによってネットを用いる方法をも主が祝福してくださるのを感じてきたが、今回のように、県外の多くの初めての方々も含めての集会は初めてだった。

 神の霊による集まりは、どのようなことにも妨げられずに働く。それは、すでに二千年前から、新約聖書に記されている。信じる者同士は、遠く離れていても 目に見えないキリストのからだである、一つにされているというのである。

 

 …あなた方は、キリストのからだであり、一人一人はその部分である。

         (Tコリント1227

 ここには、遠く離れていて互いに顔も見えずとも、キリストを信じることによって、キリストの目に見えないからだの一部となるという驚くべき真理がある。

 それによって「一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、一つの部分が尊ばれるなら、すべての部分がともに喜ぶ」(同26節)

 私たちの現実は、このような高いあり方にはほど遠いが、そのような弱き私たちを導こうとされている主の御心が聖書に深く刻まれている。


 

リストボタン春期四国聖書集会の

               感想集

 

 今回の春期四国聖書集会に参加した方々の感想、関連して思ったことを、集会の終了後に送ってくださった方々の文を掲載します。

 それによって初めてこうしたインターネットを用いた集会をどのように受け止められたかを知っていただいて、今後もこうしたインターネットを使っての集会、祈祷会などがなされて福音の前進につながりますようにと願っています。

  

〇普段お目にかかれない方々とスカイプで神様を賛美できて感謝でした。多くのご準備ありがとうございました。(大阪市)

 

〇また皆さんとあえる日を楽しみにしています。(千葉県)

〇皆さんのご愛労感謝します。(滋賀県)

 

〇スカイプで参加させて頂き感謝!スカイプの接続などでとくにお世話になった吉村先生、数度さん、貝出さん、林さんに感謝!お会い出来ることをいのりつつ。                (長野県)

〇厳しい苦難の中で信仰を守っている方々の証しを聴くことができました。そして、自分がそのような苦難の中でも神様を愛することができるだろうかということを考えさせられました。

 そして、神様が証しをしていただいた皆さんの信仰の強さを知り、乗り越えられるから、また、神様が乗り越えさせてくださるから、苦難が与えられたのだと思いました。

 神様が私たちを愛しておられることを信じ、最後まで耐え忍び、救いを受けるまで、共に祈らせていただきたいと思います。参加させていただき、ありがとうございました。(香川県)

〇神に感謝します。

 …しっかりとこの集会に耳を傾けられたのは、二日目(日曜日)の午後の証からでしたが、無教会のこのような集会にこのような形で参加できたのは感謝です。

 証をきけてよかったことは、皆さんが神様につながり、神との1対1の関係を深めて主の語り掛けをうけながら神様との生きたストーリーを聴けたことで、みな兄弟なのだと改めて知ることができ、とても心にさわやかで、無教会という集まりに対してわだかまっていた自分の気持ちが解決されました。

 この機会を与えてくださった神に感謝します。

    思いを伝えられたことに感謝します。思いをきけたことに感謝します。無教会の皆さんのことを愛する思いが戻ってきて、主に感謝しています。…今回の集会に招き続けてくださり、ありがとうございました。

 この時代だからこそ、主にある家族である皆さんが、主によって強く導かれ、守られますように。主の恵みと平安がありますように。祈っています。(宮城県)             

〇二日間ありがとうございました。大変恵まれました。              (茨城県)

〇吉村さんはじめ、数度さん、貝出さん、林さん他 とくにこの会のために、スカイプの多大のお世話を頂いた方に、心から感謝いたします。

 初めてのスカイプ接続による参加で、殊に理由不明の現象が度々か発生して、その都度PCの再起動を余儀なくされ、ご迷惑をおかけしました。

 しかし、この春期四国聖書集会に参加して、大変良かったと思っています。

 皆さん方の素晴らしい講話や証などを聴くことができ、恵みに満たされた気持ちで終えることができました。

 この度、初めてスカイプを使ってこの春期四国聖書集会に参加できましたこと、心から感謝いたしております。先生をはじめとして、スカイプでの呼び出し担当者の方々からスカイプの使い方について事前に懇切丁寧にご教授いただいたお陰で、立ち上げに少しトラブルが発生したほかはスムースに殆ど全部に参加することができました。重ねてお礼申し上げます。

 4人の方の聖書講話をはじめ多くの方々の「証」、いずれも心に浸みて聴くことができました。

 その中でも時節柄、小舘美彦さんの講話が印象に残りました。

 また、終了後に数度さんから送られてきました録音も大変嬉しく思いました。これらをダウンロードして、MP3に変換し、必要部分を短くカットして、知人にメールで添付して送らせていただいております。

 浦和キリスト集会ではまだ殆どの人が「スカイプ」というものを使ったことがないと思いますので、これを機会に「主にある交わり」を広める手段のひとつとして、大変役立つものであることを皆さんに伝えたいと思っています。

「コロナ禍」の災いを転じて、この機会にお互いに信仰を深めるための手段として、役立てればと願っています。

 この会の開催のために労をとって下さった方々に改めて御礼申し上げます。(埼玉県)

 

〇路上生活者への伝道をしている東京の超教派の団体に関して、関心がある方は、浅井 asa12361236@gmail.com  まで連絡ください、記事や紹介の情報をお送りします!参加させていただきありがとうございます。神様の祝福が豊かにありますように!(東京都)

 

〇ネットで、10数年ぶり?の参加でした。ありがとうございました!(京都府)

 

〇ありがとうございました。とても恵まれて感謝でした。シャローム(千葉県)

 

〇今回、新型コロナウィルスによる大きな障害がありましたが、人の力とは全く異なるところで主が前もって準備されていました。

 私も準備されたスカイプ集会に参加できたことにより特別なる主の救いにあずかることができましたことに感謝し、主をほめたたえます。

… 大いなる主、讃美されるべき方。

北の果ての聖なる山 

高く美しく、全地の喜び。(詩篇8の2より)

 

 今回のスカイプ集会に参加させていただき感謝すべきことが三つあります。     @ まず講話者4名に対して、私が受け止めた内容と感謝。

・吉村孝雄兄(徳島)の講話今回の春季四国聖書集会の主題は「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これはキリスト・イエスにある神の御意志。」一テサ51618

 私たちを妨げる様々な障害があっても神の真実、キリストイエスにある希望と愛はまったく変わることがない。

・秀村弦一郎兄(福岡)の講話で今回のスカイプ集会のテーマである「いつも喜び、いつも祈り、いつも感謝しなさい」とありますが、パウロが私たちに宛てた手紙には祈りと感謝と賛美にあふれていることがわかりました。(フィリピ2の6〜11は賛美。)

・小舘美彦兄(東京) 今回の新型コロナウイルスによる大災害は、神から離れていた私たちが神に帰るために神が意図した「神の愛の恵み」であることをアモス書を用いて的確に伝えてくださった。そして私たちこそがイエス様を通して伝えてくだっさっている神の愛のまなざしを輝かす人であるべきことを力強く語ってくださった。

・西澤正文兄(静岡) 失った三つのもの(病気、父の死、教師の職)とそれと引き換えにキリスト・イエスの信仰が与えられた。西澤兄の自身の人生の具体的な証を通して伝えてくださった。またパウロの伝道活動の終盤で囚人となったことの学びとイエス様が十字架上で自らを捨てられた事実を放っておくことができない。ことを力強く語ってくだっさった。 

 

A 証をされた方々に感謝します。(北海道、宮城、千葉、東京、大阪、徳島、福岡、で12名)。主から与えられた人生を通してご自身が主から与えられた恵みを証ししてくださいました。

 それぞれに与えられた主の導きによる証は他者や書物からの借り物ではなく、語る方それぞれ異なり、オリジナルでした。

 主が一人ひとりの人生に生きて働いておられることを強く感じました。

 

B今回のスカイプ集会の計画し、集会進行のための、資料つくり、準備発送などをしてくださった方々に感謝申し上げます。スカイプアプリの使い方を何回も指導してくださり、当日5月9日(土)〜10日(日)の二日間、集会のすべてを下支えしてくださっていた徳島集会の方々に感謝を申し上げます。 

 各地異なる場所で生活していますが、キリストは一つ霊は一つを実感することができました。(長野県)

 

〇祈り、賛美、感謝ー神の導き  この二日間で、改めて確信することができ本当に感謝でした。

 はじめての方、遠くにおられて会うことも難しい方々とこのようにリアルに交わりを持て、喜びにみたされています。長きにわたり、準備のご愛労をしてくださった兄弟姉妹に心から感謝します。また会う日まで神様の守り、導きがありますように。(大阪府)

 

〇私もこのようなインターネットを用いる集会に、このようなかたち(スカイプ)で参加してともにお祈りの時をもてるとは思っていなかったので不思議なお導きに感謝です。

 北海道や静岡、福岡からの参加もあったりして全国の方が心がを一つにしての、 お祈りの会という印象で感動しました。今日のことを心深くとめおきます。

 とても恵まれた集会でした。参加する機会をありがとうございました。励まされました。支えにしていきたいと思います。今日午前中資料が小舘さんから速達でとどきました。多くの方にお世話になったことを思います。お導きを感謝しつつ・・・・・ありがとうございました。(徳島県)

 

〇なかなか二人の育児をしながらゆっくりとお話を聞くことが難しいのですが、スカイプ集会は子どもが泣いても他の方に迷惑かけることもなく、このような形で参加できて良かったです。

 またこれからも参加できるときはどうぞよろしくお願いします!(兵庫県)

 

〇はじめての参加、しかもスカイプ(Skype)での参加でした。事前に送られてきた資料も素晴らしく、講話集、証集、賛美集と全て整っておりました。

 Skype参加のルールもわかりやすく説明されていて参加しやすかったです。私にとっては4先生の講話、12人の方の証(あかし)、どれも心に残る素晴らしいものでした。このような大会はその時は気持ちが盛り上がって心は燃えますが時間とともに気持ちが冷めてしまうものです。

 しかし今回の集会の講話や証の内容は、手元に残りますのでいつでも読み返し賛美することができます。またSkypeの呼び出しをしてくださったり、陰で働く方々の奉仕も素晴らしいものがありました。

 またSkypeのインストールから根気強く教えてくださった吉村先生、数度さんに心より感謝いたします。100名余りの参加のSkype集会が無事に終えられた事は神様の大きな力が働いての大成功と恵みと喜びでいっぱいです。ありがとうございました!(東京)

 

〇今回の春期四国聖書集会は、聖書講話と証を中心としたシンプルなものでしたが、それがよかったです。

 証では、神様がその人にどのように介入なさっているのか、助けて下っているのかがよくわかる内容のものが多く、聖書講話も、よくまとまっていて、わかりやすい話でした。

 コロナウイルスのためにこのような形の集会になりましたが、とてもよかったです。印象に残っている聖句、お話などを以下に記します。

 ああ、幸いだ、悲しむものは。その人は神によって慰められる。マタイ5の4

 キリストは、神の形でありながら、神と等しくあることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の形をとり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで、従順でした。フィリピ2の6〜8

 コロナウィルスは天罰ではなく、今までの人生とこれからの人生を考えるための時間を与えてくださっている。与えられたことを大切にし、今後歩みたいです。(神奈川県)

 

〇主の共にいますこと、強い導きを感じました。

 初めてのこととは思えないほどのオンラインによるこれほど大きな集会が守られたことはすばらしいことです。

 事前準備や資料、当日の進行などに関わる多大な愛労を主が報いてくださいますように。

 どの話者からも、神様の力強い導きを感じずにはおれませんでした。証からは、「自分に敵対する人、自分を苦しめるような人のことを神様は自分よりもよく知っていてくださるので、主に委ね、お任せすること」「いまは万人が聖書を持ち、読めるようになった時代で、誰かと一緒に聖書を読むことの恵み」を思いました。

 また講話からは「すべの人がイエスの十字架の苦しみとあわれさ、惨めさの前では頭を垂れるしかないのであり、この神のひとり子を通して、私たちの罪の代価は支払われたこと」「アモスの裁きの預言の、いまに通じる深さ」など、多くのことを説き明かしてくださいました。

 罪に目を向けて見つめることは大切ですが罪の自覚しか生みません。直ちに神を仰ぐ信仰に固く立ち、イエスを信じる信仰によって神の義を与えられる深い感謝を与えられました。

「ああ、神の富と知恵と知識のなんと深いことか。だれが、神の定めを究め尽くし、神の道を理解し尽くせよう。」(ロマ書1133)(大阪)

 

〇2日間大変お世話になりました。神様の御守りのなか110名ほどの参加者が顔の見えないなかで神様のみ前に集められひとつになっていた!

 終わって見て凄いことだったのだと思いました。ご準備から最後までお仕事をしてくださった方々のご愛労に感謝しております。

 スカイプでの集会を発案された吉村さん、伝道にはスカイプも用いるできることを多くの人たちに表して下さいました。

 徳島の数度さん、貝出さん、林さん、皆さんのお陰で繋いでいただけましたこと、本当に感謝でした。

 集会のSさん、難聴であることから、電話での受信も受けることができず、送られた今回の集会の内容を印刷した冊子で時間に合わせて読んでいました。

 Mさんは小舘さんが受話器で聞かせて下さいました。Nさんも参加でき喜んでいました。

 講話、証、最初に配布されたことで読み直せてありがたいです。本当に行き渡った集会に改めて感謝致します。スカイプの接続にかかわってくださった徳島集会の数度(勝)さん、貝出さんの優しさ、お二人の優しさには誰も安心して参加できるのだと思います。(東京)

 

〇今回は初めてのスカイプを用いての参加でとても新鮮な感じでしたが、各地からそれぞれプログラムに応じていろんな方々の声が聞こえてきて、今年は個人的に現地での集会に参加するのは難しい状況でしたが、それぞれ離れた場所でも共にこうして繋がることができて感謝でした。

 今回特に心に残った箇所は、「悲しむ者は(神によって)慰められる」(マタイ5の4)というところです。

 愛する人や身近な人の死の悲しみを何度か経験したことがあり、その時は絶望状態でしたが、前を向く希望の光を与えてくださり、翌年には不思議とその代わりに新しい命を神様は与えてくれました。

 現在は子育てに追われてる日々ですが、外で風が吹いたり、綺麗な花々を見るたび自然と神様のことを思わされます。

 まだまだ浅はかな信仰ではあるかもしれませんが、神様と繋がっていられるという実感を日々感じることができ、こんな私の近くにも神様はいてくださるということに気付けてそれだけでも大きな恵みなのかなあと思います。

 証の中でも天に召された命を通して、その試練は意味があるといったような内容のお話がありましたが、私自身もそれを聞いてその通りだなあと思わされました。

 これからまだまだいろいろな試練に出会うことがあると思いますが、それ自体にも意味があるのだということを忘れずに、毎日の祈りや与えられているものに感謝して生きていきたいです。

 今回の春期四国聖書集会の学びに感謝です!ありがとうございました!!(兵庫県)

 

〇春期四国聖書集会に参加できて全国の皆様の声をスカイプを通して聞くことができ、充実した時間がもてました。ありがとうございます。

 特に心に残ったのは証の時間でした。それぞれの方の人生が静かに伝わってきて胸がいっぱいになりました。

 神様がしてくださったことを証と呼ぶんだということすら私は理解していませんでした。

 しかしながら、皆さんの神様への思いが感謝と喜びに満ちていたので、苦難の多い人生だけど神様がそばにいてくださることが人を強くするんだなと私なりに理解しました。ありがとうございます。(徳島県)

 

〇多少のトラブルがあったものの、初の体験でした。特に、2日目の、小舘さんの、聖書講話につきましては、コロナに関する多くの報道資料を見ていることもあり、興味深い内容でした。(徳島県)

 

〇3年前の無教会の全国集会のように、サンシャインホテル徳島で一堂に会して行われる聖書集会も素晴らしいですが、今回のように北海道から九州までの各地から呼び集められた人々がスカイプで繋り、心を一つにして、み言葉に聞き、共に祈り、共に賛美したこの2日間、多くの人々のご愛労によって全てスムーズに流れたこと、驚くばかりの恵みでした。

 真ん中に聖霊様がいてくださってこそだと思いました。

 今回のテーマ「喜びと祈り、感謝、賛美への道」についての聖書講話を聴かせて頂き、今、世界中の人々を苦しめている不気味なほどにしつこいコロナウィルスが天罰ではなく「主なる神を求めよ」と言う神様の御声であり、この苦しみ、悲しみを越えて永遠の命へと導こうとして下さっている神様の愛であることを心から信じることができることが喜びです。そして、信じる者であり続けさせて下さいと祈らずにはおられません。

  また、おひとりおひとりの貴重な体験を通しての証しはそれぞれ深く心に響きました。「祈りを通して、神様の前に悔いることができ、罪はそのまま赦されている平安」と話されたこと、私も時々そのように感じます。祈ることができることはなんと言う幸いでしょう。

  本当に豊かな恵みを感謝します。ありがとうございました!(滋賀県)

 

〇このコロナ禍にあって、Skypeによる聖書集会が実現し、本当に素晴らしかった。

 初めてSkypeで参加する私たちには、事前に徳島の皆さんが丁寧に指導してくださり、安心して参加できるようにしてくださいました。また、集会では、毎回呼び出し接続担当者が本当に御愛労様で感謝するばかりです。

 2日目にYさんがなかなか繋がれなかったときに「繋がると信じて待ちましょう。」と見えないところではいろいろなトライをしていたとは思いますが、繋がっている未来を信じて(イメージ)して前向きに待つ姿勢、そして、それが叶うことに感動しました。

 講師の皆さんも証の皆さんも、私も伝えたい話が含まれていて、参加のみんなが同じ方向を向いていることを証や感想等により実感しました。

 Skypeを使うことで、こんな状況でも全国から名簿だけで百名、それ以外にも追加で十数名が参加できたことは本当に凄いと思いました。

 参加者同士の交流がもう少しできたら、また賛美も周りの参加者の反応(歌声)がわかったら良いなぁと思いました。(Skypeの特性上、タイムディレイが相当あるので、なかなか難しいですよね。)

 また、賛美のリード(伴奏)を1曲受け持ったが、どんな感じ(音量など)で伝わっているかわからないので、ちょっと不安でした。また、凄く緊張してしまいました。

 また、逆に賛美の伴奏を聞く側からすると伴奏やメロディーが聞き取りやすく歌いやすいことがあまり多くなかったので、私の伴奏も聞き取りやすく歌いやすくなかったのではないかと思いました。

 私はスマホでスカイプを使ったので、スマホの小さいスピーカーに耳を済まして聞かなければならないため、集中力が必要で、耳が遠くなっている母は、特に疲れた様でした。私も慣れないことだったので、とても緊張して疲れましたが、内容は、素晴らしかったと思いました。

以上。ありがとうございました。(東京都)

 

〇ネットでの繋がりが上手くいきますように!祈りつつ参加しました。

 少しのトラブルはあったと思いますが、想定内?

 録音もしてくださってましたし、感謝のうちに2日間を終えられました。

 証を聞いて、あー、会いたいなあ。賛美を聞いて、直に聞きたいなあ。声だけで繋がった方々に是非お会いしたい気持ちで一杯になりました。

 労をとってくださった皆様にも本当にお疲れ様でした。そして、ありがとう!!                 (徳島県)

〇春期四国集会には、主イエス様の祝福があり、多くの恵みをいただき感謝でした。

これまでの長い準備期間における様々なご愛労を心から感謝申し上げます。

 思いがけない状況から今回のようなスカイプを通しての集会を用意してくださり、初めての方や遠方の方、ご高齢の方などをも参加され、交わりが持てましたことは予想を超えた主のみ業を思いました。

 二日間の内容もさることながら、準備に関わってくださった兄弟姉妹の背後に主の力、聖霊の働きがあったことを思いました。

 とりわけこの間、吉村さんはじめスカイプホストに携わってくださった徳島の兄弟姉妹のはたらきをつぶさに感じ、本当に主が働かれていると実感し感謝に絶えませんでした。

 弱く小さなところに来られるイエス様の愛を思いました。

 どうか、今回の集会において受けた恵みを持ち続け互いに祈りあい、閉会の賛美にありましたように神様が共にいまして行く道を守り力を与えられますようにと祈ります。(大阪)

 

〇春期四国聖書集会に県内外の方とともに参加でき、感謝です。土、日曜日ともに、多くの方々がスカイプとつながっていましたが、途中で大きく中断することなく、時間通りに進められたことを背後におられる神さまに感謝します。

 共催のキリスト教独立伝道会の方々ー小舘知子さん、西澤正文さん、そして徳島聖書キリスト集会の吉村孝雄さん、数度勝茂さんと貝出久美子さんはじめスカイプをつないでくださった方々、電話や家を提供してつないでくださった方々に感謝します。

 新型コロナウイルスの蔓延のために、スカイプと印刷物を用いて開催することに変更となり、プログラムの組み立てや印刷が大変だったと思います。ありがとうございます。印刷物を用いて参加された方々にとっても細かく時間指定されていたので、心を合わせて進められたことと思います。

 今回のスカイプのグループ通話は音声だけになりましたので、顔が見られずに残念でしたが、証をされているお一人お一人の声の抑揚が身近に感じられました。

 会衆一同で賛美できませんでしたが、プログラムの合間にソロ、デュエット、オカリナ演奏、ギター演奏、ウクレレ演奏、録音を用いたものといろいろな形で賛美を聞かせていただき感謝でした。

 3月からスカイプを用いた主日礼拝や夕拝、北島集会や海陽集会に参加され、慣れないスカイプの操作を覚えることも大変だったと思います。コロナウイルス流行が収束するまでまだ自粛生活やスカイプ集会が続きますが、お一人お一人に神さまのお守りが続きますように。(徳島県)

 

〇北海道から九州まで全国の方々とつながり、共に御言葉を学び、祈り、賛美するときを与えられました。

 インタ-ネットによってこのようなことができるのだということに驚き、感動し、感謝しました。

 二日間にわたり、多くのことが心に残りました。そのなかの二つをあげたいと思います。

 まず一つは、「いつも喜べ。絶えず祈れ。どんなことにも感謝せよ。これこそ、キリスト・イエスにおいてあなた方にのぞんでおられることである。」

 「ああ、幸だ。悲しむ者は、その人は(神によって)慰められる。」

「あなた方はひどい苦しみの中で、聖霊による喜べをもって御言葉を受けいれた。」

「希望の源である神が、聖霊の力によって希望にみちあふれさせてくださるように」

  これらの御言葉を引用して語ってくださった講話です。

 いつも喜んでいる、絶えず祈る、どんなことにも感謝する。それは悲しむ者を慰める神がいてくださり、神よりの聖霊が働いて、闇と混沌のなかからでも、喜びが希望へと導いてくださることによると語られました。

 弱い私ですが、主のお助けを祈りつつ、いつも喜び、絶えず祈り、どんなことにも感謝する、そのようなあり方に近づけるよう、主を仰ぎ、聖霊を求めていきたいと思います。

 もう一つは、「忍耐して待ち望む」と題して証しされた内容において、主にある生を全うされた最晩年の女性のことを語られ、最期のとき、どのような状況にあっても魂の平安が自分の中に存在しているようにと祈り求め、そして最期まで、主に委ね、「永遠の命」を信じ、希望をもって歩んでいきたいと話されたことに共感し、心に残りました。

 自宅にいながらにして、多くの方々とのお交わりを与えられ、豊かなお恵みをいただきましたことを感謝します。(徳島県)

 

〇主の御名が「聖」とされますように!

 春期四国聖書集会は、おととい、昨日だけでなく、昨年の秋から祈って、ご準備をして、本当にスカイプから、配布物から至れり尽せりで、それによって、本当に神さまからの聖霊に満たされて恵み豊かなひと時、主にあって、一つ思いになって神さまのみことばを受けられる恵みに心から感謝しました。有難うございました。(宮城県)

 

〇5月9日、10日、今回の集会は緊張しながら迎えました。

土曜日は、孫の世話もしていますが、この日は、孫の母親に仕事を休んでもらい、孫を見ないでいいようにしてもらいました。

きっと神様が、孫の母(長男のお嫁さん)も守り祝福してくださると信じて頼みました。

 お嫁さんは快く引き受け、仕事を休んでくれました。それで、朝から気持ちを集中することができました。

 うまくつながるだろうか。そればかりが心配でしたが、でも、神様が最善をなしてくださり、最後にはみんなで、主に感謝をささげることができる、そのイメージを与えられ、信じて進むことができました。

 準備の段階からも恵みがあり、神様がさせてくださっていると感じました。講話、証、賛美。どのプログラムにも主が共にいてくださったことを思い、主に感謝しています。(徳島県)

 

〇今回、初めて春期四国聖書集会に参加させていただきました。参加のきっかけは徳島聖書キリスト集会月刊誌の「いのちの水」です。

 2020年3月号に吉村さんが、新型コロナウイルスのため、主日礼拝などを徳島市の集会場に集まることはしないで、代わりにスカイプを用いての礼拝をしている、この際スカイプを使えるようにしたらよいのではと書いていただいていました。

 それで、集会には参加したことがありませんでしたが、今年3月からスカイプによる徳島聖書キリスト集会の主日礼拝などに参加させていただいていました。

 スカイプの音声のみの使用で、移動の負担もなく参加できて、ともに祈り賛美し御言葉を聴き、新たな恵みをいただいて感謝しています。

  そのようなことで、今回のインターネットなどによる春期四国聖書集会にも参加させていただきました。本集会は、7人の方の祈り、11曲の賛美、4人の方の聖書講話と14人の方の証、いずれもとてもよいものでした。

 特に、厳しい苦難の中で信仰を守っている方々の証を聴くことができました。自分がそのような苦難の中でも神様を愛することができるだろうかということを考えさせられました。そして、神様が証をしていただいた皆さんの信仰の強さを知り、乗り越えられるから、また、神様が乗り越えさせてくださるから、苦難が与えられたのだと思いました。

 神様が私たちを愛しておられることを信じ、最後まで耐え忍び、救いを受けるまで、共に祈らせていただきたいと思います。

 御言葉をお聴かせいただいた皆様、ありがとうございました。また、スカイプと印刷物の労を執っていただいた皆様、ありがとうございました。神様の恵みがありますように。(香川県)

 

〇四国までは行かれませんので、今年のようにスカイプで参加できたことは神様のお恵みと有り難く感謝しております。

 スカイプの輪が広がってほんとうに嬉しいです。

 これからもよろしくお願いいたします。

 スカイプなかりせば………私の信仰も違っていました。

距離的にも時間的にも本当に有難いツールです!!

 自宅に居ながらにして離れた方々と礼拝、感話等のお交わりが出来るとは!

 なんと大いなる恵み…と感謝、感謝です。

 毎々スカイプの中継のご愛労をしていただいてるお一人お一人に神様のご祝福とお恵みが豊かにございますようにお祈り申し上げます。

シャローム (関東地方の方)

 

〇百名余りの方々が全国から集められて顔の見えなない中でスカイプを通して、神のみ前に一つになっていた!

 終わってみてすごいことだったのだと思いました。こうした伝道も可能だったとは、今の今まで誰も気が付かなかったことです。今回の発案は神様がなさせた御業と思い神様を賛美しました。

 吉村さんの御講話はテーマそのもので、聖霊が与えてくださる喜びは、悲しみや苦しみを通して実感できることだと痛感しました。

 皆永遠の命へ導かれる神のご計画の中で生かされている、私たちはただキリストを信じるだけ、との励ましをいただけました。

 秀村さんのピりピ書2の6〜11。絵画が鮮明にコピーされて、写真御効果を思わせられ、毎日絵画を見ていたらきっと十字架の苦しみはわがため、と思われ感謝も深くなるかもしれません。と。

 小舘さんのコロナウイルスとアモス書の関係。世のどんな状況も、過去現在と続いている状況でありその答えはいつも聖書にありと教えられます。

 ひたすら神に帰れと。その声をいつも聞き取って行かないと、この世の人のように慌てたり怒り、不安なだけで平安は得られないと思います。

 西澤さんの講話は自分を捨てなさい、と。十字架のイエスに倣ったパウロ。捨てるとは自分がゼロになることだと思いました。

 また、多くの方々の証しを聞いて、それぞれに神様が導いておられるのが分かり、生きて働いている神を賛美しました。

 スカイプによる集会においても、語ってくださる方は目の前で語ってくださっているのと少しも変りなく拝聴しました。

 日頃、徳島聖書キリスト集会に、折々にスカイプで参加させていただいて慣れているからかもしれません。目の見えない方は場所がどこであろうと、霊の耳だけで聴いておられます。 私はそのことを思いながら参加させていただいておりました。

 今回この集会のために多くの方々のご愛労に心から感謝いたします。

 証しについて… それぞれに神様が導いておられるのが分かり、生きて働いている神を賛美しました。

 今回この集会のために多くの方々のご愛労に心から感謝いたします。(東京都)

 

〇今回、スカイプをテレビ大型画面に接続し、大きな音量で清水聖書集会の多くの兄弟姉妹と共に参加できました。何か不思議に思え、しばらく「これ本当の事なの?」と思いながら耳を傾けました。

 百名を越える人々をインターネットで繋げ一つの聖書集会としてしまうスカイプの力を感じました。

 今回のように四人の聖書講話、十二人の証しをお聞きするのは初めてという人が多く、初めから終わりまで集会全体が新鮮で刺激的な空気に包まれました。

 二日間の集会が終わり、数人から感想をお聞きしましたところ、礼拝でお聴きする機会が余りないためか証しがよかったという声が多かったです。以下、感想を紹介します。

・特に証しでは実体験をお聴きでき良かったです。

・想像もできない大きな困難や悲しみに直面し乗り越えた人、犯した罪に押しつぶされそうになりながらも神様にしがみ付き苦しみに打ち勝った人を知り、刺激を受けました。信仰の素晴らしさを感じました。

・信仰の世界の広さ深さを改めて教えられました。

・これからの信仰生活の励まし勇気を与えられ、希望が湧いて来ました。これからも色々な人の聖書講話、証しを聴いてみたいです。               (静岡県)

〇2月の終わりに、徳島聖書キリスト集会では、集会場での礼拝は新型コロナウイルスの為に休止すると聞かされた時には驚きました。

 どこで神様を礼拝すればいいの?  信仰の弱い私は一人ではダメ、無理と思いました。心配だったけれども、3月からは、スカイプで主日礼拝や家庭集会が継続される事を聞いてホッとしました。スカイプは本当にありがたいです。

 でも、やはりみんなと集まり讃美をし、祈りに心を合わせたいという気持ちはあります。

 今回の春期四国聖書集会の録音を聞いていても思う事ですが、二人三人集まる所にわたしもいると言われています。 本当にその通りです。

 今回の春期四国聖書集会、遠く離れている人たちであってもインターネットという手段で霊的に集まり、み言葉を聞けて讃美が出来る事が感謝でした。そしてスカイプの労とって下さった方々にも感謝。(徳島)

 

〇吉村さんの講話を聴いて、春期聖書四国集会のテーマ「祈り・賛美・感謝ー神の導き」を考えさせられました。

 このテーマのための聖句が:「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。」    1テサロニケ5の1618

 この聖句が、神様が今も生きて働いていらっしゃる、という大前提のもとでの聖句であるということ。

 だから、ロマ書8の28の意味する、神は全能だから、必ず善き(ポジティブ、プラスの思考・態度)に導いて下さるということを教えられました。

 聖書を読んでいてよくわからないことがあります。そんなときは、福音(十字架と復活)と福岡の秀村さんが示して下さったフィリピ2の6〜11「キリスト賛歌」に立ち帰ってみると良いと思います。

 小舘美彦さんが提示されたアモス書を通して、神様に立ち帰らない(神様を愛さず、隣人を愛さない)ことが、この世にあって重大な問題を引き起こすことを教えられました。マックス・ウェーバーが、「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の行き着くところ、それは最初は良いものであったが詰まるところ、人間は心を失った人形のようになるということを思い出しました。

 西澤さんの講話からは、改めて「愛を、心を注ぎ出す。」ということを考えさせられました。「注ぎ出す」とはどういう意味か?調べてみると「全部を与えること、内側を空っぽにすること」だそうです。神へ心を注ぎ出すことによって、神から又イエス様から、自分の心へ代わりの注ぎを与えられ、感じることが出来るようになる。この繰り返しが信仰を強めるのだと思いました。

 講話と証を聴いていて、思ったことは、このスカイプ集会のテーマは「神の愛と赦し」と関係があるということです。

神の愛と赦しは、福音(十字架と復活)とキリスト賛歌にあると思います。隣人愛は、マタイ7の12「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」ということだと思います。ただし、小舘知子さんの証から感じたように、「自分に出来る範囲のことをやる。」無理をすると自分のメンタルヘルスに危機をもたらすということです。

 マタイ1822「7の70倍赦す」、マタイ6の14,ルカ6の37でも「赦す」と聖書には書いてあります。

 人間に「赦す」ということができるのか?

 私は「****」を赦すと何回も声に出してみたり、またノートに繰り返し書いたことがあります。しかし、無駄なあがきでした。「赦す」ということに関しては、自分の行動だけでは、ネガティブ(マイナスの思考・態度)な感情には勝てない。イエス様(十字架)を仰ぎ見て、またすがりつく思いで、「赦せますように導いて下さい」「悪が取り除かれますように」と祈ることしか出来ません。

 今回のスカイプ集会で思ったことは、「資料付き」がとてもありがたかったことです。

 普段の集会では、講話や証の内容を自分でメモをとり、それを見返して復習します。どうしても書き落としが生じます。今回は、聴きながら、ここが修正されているな、と直ぐに書き込みが出来ました。しかもそれを何回も見返すことが出来ることが非常に助かりました。

 携わった方の、それぞれの労苦を感謝します。今も生きて働いて下さる神様に感謝します。(東京都)

 

〇 春期四国集会にスカイプで参加できましたこと不思議です。文書参加でしたので、はじめ一人で祈りつつ始めたのですが、吉村先生から電話を頂き、皆さまの語る言葉で証言をお聞きできて、人と人との交わりの大切さを身にしみて嬉しく実感しました。

 先生の励ましで無我夢中でスカイプに挑戦し、二日目は証言と閉会式までをスカイプで、主人と一緒に聞きました。皆さまの生き様から溢れる真摯な語りかけに、福音の受容の豊かさと多様性を思いました。

 イエス様から頂いた恵みは独り占めにしないで、周りにあふれさせてゆく場として、今回の交わりが用いられている事を感謝しました。

 主の御臨在を信じながらも、あまりにもたくさんの情報のなかで、自らの平安を見失ないがちの中で、この様な皆さまとの交わりを感謝いたします。

 神さまはどのような事態になっても、そこから思いもかけない様々な手段を使って、福音の喜びと感謝と平安をもたらして下さるお方だとしみじみ思います。

 身体がインターネットの世界についてゆけず、その速さにもついてゆけず、身に着いていません。いろいろとご迷惑をおかけしました。

 じつは昨晩それでもご返事をと思い、iPadを開きましたら海陽集会からのお誘いが入っていて、5月19日(火)の夕拝における先生のペテロ前書のご講義を聞くことが出来ました。創世記からヨハネ黙示録まで聖書一巻 ー私を仰ぎのぞめ、信ずる者は誰でも救われるー という福音の根本が書かれている事に、改めて聖書の偉大さ、深い真理性を思いました。

 毎月第二火曜日10時、海陽集会を覚えて参加させて頂けるよう祈っております。                 (長野県)

〇私は難聴者でスカイプの声が聞こえないので、戸川さん宅で中本さんに手話通訳をしてもらいながらの間接的な参加でした。

 印刷物を見ながら一人一人の参加者を身近に思うことが出来て感謝でした。

 様々な災害、コロナウイルスを通して神様は裁くためでなく、神様に立ち返って、神様を求めて生きよと言われている。(アモス5・14)

 目を覚まして感謝を込め、祈り続けよ。(コロサイ4・2)

 これらの聖句が講話とともに心に残りました。

               (徳島県)

〇私は、聴覚障がい者のため、スカイプの音声が聞き取れないので、印刷物参加でしたが、詳しく細かくなされた御配慮によってスカイプの方々と何とかご一緒に参加できたこと思い、感謝でございました。

 この世のすべての出来事には神様の意図が働いているからいつも神さまに立ち返り主を求めていくことが大事なんだと思わされたのが心に残っています。感謝して…。(徳島県)

 

〇 インターネット(スカイプ)を利用することによって、計画が護られたばかりでなく、会場に足を運ぶことが不可能な方々も共に主の祝福に与ることが出来たことは感謝でした。

 主題にふさわしいプログラムが組まれ、充実した2日間であったと思います。特に「証」の数々を拝聴しながら、これは福音書に満載されているイエスの奇跡物語の現代版だと思いました。

 生けるイエスは二千年前と同じようにみ業を顕してくださっているのですね。参加者皆さんの心を主が高く挙げて下さったこと、その素晴らしさを賛美し、感謝したいと思います。

 プログラムを組み上げ、進行して下さった吉村さんを始めとする皆様、またSKYPE接続にご愛労くださった皆様、ありがとうございました。(福岡県)

 

〇幸いに満ちた2日間

 3年前脳出血、その1年後脳梗塞を発症。10か月の入院生活と、自宅生活。10か月の介護施設での生活をへて自宅に戻り2か月目になります。右半身麻痺で杖での歩行練習の日々。生活は車椅子を使っています。

 脳梗塞の後遺症で、海馬に高次機能障害と言う記憶障害があり、短期記憶が曖昧な時があります。

 それが自覚できたのはごく最近で、どのような記憶が曖昧かまた時系列はどうなっているのか、など自覚できる限りではまだ明らかでない点が多いのです。

 こういう私に、信仰はこの3年間不安定でした。空白の思考を抱えて何日も祈れない時があったりしました。

 今回はそういう時もたまにある状態の中での集会でした。出席したい思いと、徳島までの長い距離を飛行機など乗り継いで行っても疲れるだけかもと思い、出欠の結論も出せないでいたところ、オンラインでの集会となり、私にはありがたかった。

 電話でスカイプからの音声を聞かせていただいての参加だが、皆さんと会場にいるような気がずっとしていた。それはとても熱気のある暖かい一体感だったと思う。

 記憶として残っているのは2日間の半分くらい。でも、欠落部分は送って頂いた文書で確認できました。その暖かさはいまだに私の中に残っている。

 皆さんと直接会ったというより、見える姿に邪魔されない霊的な邂逅があの2日間続いていたのかもしれないと思う。

 イエス様がそこにいてくださって喜んでくださっている、嬉しい霊的な出会いに満ちていた。

そのような集会を準備してくださった沢山の方々にも参加された方々にも深い愛の絆を感じつつ、感謝しつつ、次の邂逅を楽しみにしています。(東京都)

 

〇今回の春期四国聖書集会のためにスカイプデビューしました。スカイプでこれほど恵み豊かな集会になるとは思いもしませんでした。スカイプ接続をご指導下さった徳島聖書キリスト集会の方々に感謝です。(神奈川県)

 

〇自分が年だからスカイプは出来ないとあきらめていましたが、いろんな方が積極的にスカイプに参加されてびっくりしています。

 スカイプで講話を聴き、証を聞き、賛美を聞いたりしている時に胸が熱くなりました。そして自分の信仰の弱さにも気付きました。

 スカイプの音声だけの集会では、顔が見えないけど一人一人がつながっていると思いました。神様が共にいてくださっていると思いました。スカイプ集会に参加できたことを感謝します。                (徳島県)

〇スカイプ(skype)ならば、体が不自由で会場まで行けないとか、子育て中だから、本来は行けないけど、部分的にでも自分に合わせて参加することができるといった、良い面もたくさんあると思いました。(京都府)

 

〇印刷物による9日、10日の集会への参加、誠にありがとうございました。全く思いがけず、両日とも後半を電話にて拝聴できるようにしてくださり、何と言って感謝していいかを知りません。

 神様が聖霊をもってそのように導いて 下さったのですね。それにしても、私のような者にと、主の愛のすばらしさに胸を打たれました。

 届いた資料によれば、印刷物参加者も30名近くおりました。(申込後にスカイプができるようになったり電話接続などで最終的に印刷物だけの参加は約20名)

 その中のわずかの者がその恩恵に与った筈。何とかしてスカイプで参加すべきを努力を怠り、西澤さんを通しての証の要請にも応えられず申し訳ない思いでおりました。…ただただ感謝でした。

 いただいた資料も実にていねいで分かりやすく、これなら時間を守って讃美と祈り・感謝を全国の皆さんと共にできると心から喜び、主の栄光が上がりますようにと祈りつつ参加させていただきました。

 音声を携帯電話で聴けるようにして下さる前は、参加申込者に送付されてきた印刷物(集会の講話や証し)を用いて、聖書講話や証は妻と交代で朗読させていただき、余った時間は再読したり、引用された聖句を拝読しました。

   今回用いられた讃美歌は皆知っていましたので、前もっての練習はしませんでしたが、待機の時間に歌詞をゆっくり読み、楽譜下の参照聖句を聖書を開いて目を通したりしました。讃美は祈りだと教わっていますが、一つ一つの讃美歌も、本当に選ばれ歌われた方の信仰の証だなあと、つくづく感じました。

 新型コロナウィルスという、予期せぬ、また想像を絶する世界的な禍が、徳島市での春期四国聖書集会の開催をインターネットや印刷物の参加という変更となりましたが、各講話はみ言葉を通して、それぞれにどう捉え対処するべきかを明示して下さり、深く感動いたしました。

 たくさんの証しをされた方々もそれぞれに真実な神様、主イエス・キリストとの出会いと導きの貴さを深い感謝を込めてお話し下さいました。神の導きのいかに奇しきことかを思い、心から感謝でした。

 最後に、集会をこのような形で実施してくださり、深甚の感謝を申し上げます。吉村先生や徳島の皆さん、キリスト教独立伝道会の方々の主への愛とそれを伝えることが何より大切なのだと確信し実行されている姿に胸を打たれました。倣いたいです。

 本当にありがとうございました。主にある交わりと祈りが深まりますように願って参ります。お一人一人に、主の豊かなねぎらいと祝福をお祈り申し上げます。                (鹿児島県)

〇岩手から徳島までの旅行は今の私たちには無理でした。スカイプの設定など全部、子供の協力また、兄弟が徳島集会の方とつなげてくれました。

 当日、まごつかないように、スカイプ画面の緑の受話器のアイコンをクリックしたり、ミュート(マイクから音声が入らないようにする)にすることなど、数度(勝)さんにていねいに教えてもらい、また多くの参加者を一人ずつつなげてくださるご苦労にも感謝です。

 地理的に離れていても、目を閉じて共に祈ると、同じ部屋に居るようでした。

 体力的に大変だった夫も、疲れたら横になることができました。(岩手県)

 

〇スカイプで集会をすることで、普段は集えない人と出会うことができるのを実感しました。どんな時にも、どんな所にも、主の恵みは備えられているのだと勇気を与えられ、感謝です。                  (大阪府)

〇今回の春期四国聖書集会が、徳島市の会場に集まるのでなく、スカイプで行われることと、新型コロナウイルスの影響がこのような形になり、どうなるのだろうと心配でした。

 自分自身がパソコンには不得手でしたから。

でも、二日間を通して遠くに離れた主にある方たちとも音声での聖書メッセージや証がとても聞きやすく恵みをいただきました。

 それぞれの信仰からあふれるみ言葉と証はそこに主がともにいて語らせてくださって、遠くに離れているのに霊的には近くにあって心を一つにできて聖霊が働いてくださったと感じました。

 途中で私のパソコンが不具合を起こしましたが、再起動をして待っていたら呼んでくださってまた参加することができてホッとしました。

 今の困難な時代だからこそ、そこに主が伝道のために必要だとスカイプを通しての集会をを起こしてくださいました。

 多くの人の、祈りがこめられ主のお導きがあって最後まで守られたのだと思い、こんなに良きようにしてくださった主に感謝し、また背後でスカイプの集会のために祈リつつ準備やフォローをしてくださった方に感謝します。(徳島)

 

〇新型コロナウィルスの影響により、ワーキングホリデーでオーストリアに行く予定だった長女と期せずして中学卒業以来の同居生活が与えられました。また、自分にとっても普段は土曜日も一日仕事に追われていた生活が変化し、今回の集会に二日に渡り参加することができました。

 仕事に追われていた毎日から、一時ではありますが、立ちどまって生活を振り返る「とき」が与えられました。そこから感じることは、何らかの神様からの問いかけだといえます。

今回のコロナ禍で思い浮かぶ内村鑑三が関東大震災後に残した文章が次の内容です。

「天災は読んで字の通り天災であろう。すなわち天然的現象であろう、地震は地層の波動であろう、噴火は地熱の放発であすう、これに何にも怪しむべき所はあるまい、天災に意志もなく道理もあるまい、従ってこれは神の刑罰ではあるまい。

 しかしながら神は無意識の天災を刑罰の道具として使ひ給う。天災が悪人の上に墜ちきたれば、これ即ち神の刑罰である、悪人は既に神にのろわれたる者であるから、天災はその呪いを実にする、しかり、天災そのものは刑罰ではあるまい、しかし、悪人がこれに遭遇すれば天災は確かに天罰である。

 しからば義人がこれに遭遇すればいかにと問う人もあろう。しかり、義人がこれに遭遇すれば天災は天罰ではなくして善き試練である。(「天災と天罰」一九○六年)」

 今回の聖書集会の様々なお話の中で考えさせられたことは、「神様のもとに立ち帰る」、「神様と隣人への愛」ということでした。

 すでに、また忙しく仕事に追われる日々が始まっていますが、今回与えられた「とき」から「この主イエスの言葉は暗夜の星のように浮かび上がって」きたと言えるように、その問の答えを少しずつ見つけていきたいと思います。ありがとうございました。(宮城県)

 

〇今回は、世界中に広がっているコロナウイルスの関係で、初めての試みで電波を通してのスカイプによる、春期四国聖書集会でした。

 今残っているのは、証では一人一人が神様に出会う前に体験した事やまた神様に出会ってからのことや、試練に合われたことを話され、皆よかったと思います。西澤さんの話しの中の証が残っています。

 毎朝、祈りの前に読んでいた本が読み終わったので、最近読み始めた、「生き方を変える聖書のことば」を読んでいます。

 私は、あなたのみおしえを喜んでいます。 苦しみに合ったことは、私にはしあわせでした。

このことばと共に、一人一人、心に平安を受けたことと思います。私も試練にあったり、しても神様を仰いでいると、心に平安があります。暗闇と思っても待ち望めば光に導いて下さることを信じて、祈り、讃美し、感謝して歩んでいけますように祈ります。(徳島)

 

〇初めての春期聖書四国集会が、新コロナウィルス感染予防のため、参集して開催できないため異例のスカイプによる集会となりました。

 このコロナウィルスによって、人と人が離れて接したり生活しなければならない。また、医療が発達している先進国、特にアメリカが最多の感染者が報告されています。このことを通して現代社会の在り方を神様が問われているようにも思われます。

 今回の集会は、それぞれ遠く離れた地にいる兄弟姉妹が、スカイプによって神様というお方を求めて、互いに身近さを感じながら繋がることができた会だと思いました。

 この世的な歩みは、人間関係を希薄にさせているようにおもいますが、神様に歩むことは深い繋がりをもてるものだと思いました。

 今回は証が多くあり、それぞれの住まいから讃美なども入れて話され、日常の中の皆さんの進行の歩みを想像しながら聞くことができました。二日間を聞くことだけで過ごすには、たいへんかなと思っていましたが、内容が充実していたために、あっと言う間に日程が終わったという感じがしました。(徳島県)

 

〇先日の春期四国聖書集会では、スカイプでの参加をお勧め下さり、実際に時間をとって、やり方もいろいろ教えて下さって、おかげさまで、スカイプ参加ができて、皆様のお話しや賛美を音声で聞かせていただき、心から感謝でした。 

 お世話くださった徳島聖書キリスト集会の皆様はじめ各地でご奉仕下さった方々のご労によって、全国のクリスチャンが、スカイプで心をあわせてみことばを学び賛美するすばらしい体験をすることができ、大きな集会もこういうやり方もあるのだと大変参考になりましたし、大きな感動がありました。

 とくに、吉村さまの聖書からの講演で、第1テサロニケ5の16〜18のみことばは、困難のただ中から生み出されたことばであることを伺い、私はこれまでこのみことばの、「いつも喜べ、どんなことにも感謝せよ」は自分にはできないと感じていて、ある困難な問題に繰り返し直面し、もうこの世の自分の命が終わりになって、天に帰れたらどんなに楽かと思ったこともたびたびでした。

 でも、今回の聖書講話で、人間の信仰はいつまでも続くかというとそうはいえないけれど、神様の真実はいつまでも続き、神様への信仰をすてない限り、今の困難もよきにつながると信じていれば、信仰は私達がすてない限り、いつも喜ぶ道がついてくる。

 どんな困難や苦しみ、悲しみがあっても、愛する人が死んでしまっても復活の信仰があるなら、喜び、感謝が続くことができる、困難や苦しみもすべてが転じて良きになる、それは神様が愛であるから、又聖霊さまがかげで祈って下さっているから。

 「いつも喜べ」は、聖霊さまが働いて下さるとき、可能となる。たとえ病床に伏すようになっても、祈りの時間はいっそう与えられ、神の国がいっそう近くなるであろうと希望し、信じることができる、このように信仰(神の真実)、希望、愛はいつまでも続く。と伺い、いつも喜べ、感謝せよということが自分にはできないことでなく、愛なる父なる神様とイエスさまと聖霊さまによって、自分にもできることだという思いが与えられ、心に喜びと感謝が広がっていくのを感じました。

 本当に、この集会に参加させていただいたことを感謝です、ありがとうございました。 

 徳島の方々の話しかたは、徳島独特の抑揚があって、それは何かなつかしい温かさがあり、わたくしはとても好きで、その抑揚をきくと、心がほっこり温かくなります。それも感謝でした。                (茨木県)

〇いろいろな思いがけないことが私の短い人生で次々と起こり、不安や恐れ、心配する心が毎日襲いかかってきます。それでも聖書の御言葉から平安をいただくことができています。

  そんな中で全世界に起きた神様からの新型コロナウイルスに関するメッセージ、その意味は何だろう。

 神様が何らかの深い目的をもって起こしているのだと心で信じるのですが、この春期四国聖書集会に参加して、より強く 神様の聖霊の風が吹いていること、今生きて働いておられるイエス様がおられる、だから安心しなさい。神様から愛を頂いて、自分のできる範囲でなすべきことをしなさい と言われているのだという気持ちが湧いてきました

 聖書の講話、証し、賛美、祈りを一人でスカイプで聞いていました。孫や家族にも伝わりますようにと願いつつ…。

 何にも気取らず、気を使わず、神様を信じてる人たちとともに聖書、神様の御言葉を聞き、その一人一人の神様の導きを自分と照らし合わせて神さまの不思議な導きを一層思い本当に感謝の二日間でした。

 一つ一ついろいろな感動がありました。

 素朴な賛美、なんか今回 神様への素朴な(信頼と感謝)のできる集会だったような気がします。

 このような集会にも、いろいろな事情のため、なかなか参加出来ない人たちが 参加できますように。夫も参加できますように。

 神様に感謝します。ずっと祈り続けてくださった母に、そして導いてくださった方々に。(徳島県)

 

〇天の父なる神様、この春季四国聖書集会にお導きくださったことを感謝申し上げます。そして集会運営された皆様方にお礼を申します。

 徳島の吉村先生はじめ福岡の秀村先生、東京の小舘先生、静岡の西沢先生、日頃 お会いすることのない諸先生方の聖書講話を拝聴し、学び、そして多くの皆様の証に胸を打たれ神様のお導きをありがたく我がものといたしました。

 賛美の歌は神様の呼びかけ、愛を私達にくださり、日々生きる糧となります。演奏や歌われた方々の声は、朗々と歌う歌手の声とはまた異なり、優しく心に沁みました。

 前半9日(土曜日)の4時間、後半10日(日曜日)の3時間の充実した時を過ごして喜びが胸いっぱいです。

 私も証しをさせていただきました。その中にマタイによる福音書77節から12節、「求めなさい。主を信じ、主に祈り求める者に天の父は良いものを下さるに違いない」とあります。

 私はすでに多くのものを神様から頂いております。人生の晩節に臨んで、このように多くの心許せる友を与えられ、喜びを共に語り合い、イエス様の話に時を忘れることもしばしばで、祈り感謝し、一人暮らしの心細さは心豊かな日々に変わりました

 この度の新型コロナウイルスによる影響のもと、ありがとうございました。

 集会場での集まりができない昨今、スカイプによる集会となりそれまでは従来のガラケーの私もスマートフォンに切り替えることになりました。

 しかし買い入れをするにもパソコンで ! 品物が届いても初期設定など、戸惑うことばかりで、お手伝いくださる方がいてやっとなんとか自分で使うことができるようになり、426日の主日礼拝に Skype 参加いたしました

 神様が繋いで下さった集会の友がいなければ、私だけではできないことでした。

 数度さん宅での海陽集会とか他の家庭集会にも Skype でなければ遠くて参加できない集会にも参加できて嬉しいです。皆様宜しくお願い致します。神様、感謝致します。(徳島県)

 

〇このたびは、春期四国聖書集会に思いもかけず印刷物による参加をさせていただき、また電話を用いても集会に部分的にご一緒させていただきましたことを、ありがとうございました。

 時間が経つにつれて何とありがたいことかと思わされ、上よりのお恵みに間信仰しています。

 吉村様はいつも兄弟姉妹(二人、三人手も)共に祈ることの大切さを語られていました。今回の集会も主によって集まることの重要性をあらためて思い起こしました。

「ローマ書の研究」(角川文庫、内村鑑三著)を読んでいましたら、次ぎのように集まりの重要性が書かれてありました。

 「Tコリント3の1617…には神の宮なる句が三度用いられている。…この個所においては、あなた方の一人一人がそれぞれ一つの神殿であるというのでなく、あなた方すべてで一つの神殿を形作っているというのである。

 ぶどうの木はその幹を離れるなら枯死する。人の体のそれぞれの部分も同様である。枝にしても体の部分にしても生きるためには、その本体につながっていなければならない。

 聖霊は、集まりの上に降る。兄弟姉妹の集まるところにこの神の宮は成り立つ。それゆえに聖霊をうけるためにはこの神の宮の一部とならなければならない。…ぜひとも兄弟姉妹とともに一団となってその中にあって聖霊の雨を浴びねばならないのである。」

 ほかにも、詩篇133、使徒言行録2113、ヨハネ福音書151〜8などの御言葉もいよいよ深く味わわされる思いです。

 お送りいただいた、資料集の聖書講話、証しを自分の心と合わせながら読ませていただきました。用いられた讃美歌はほとんど若いときから親しんできたものでした。うれしく存じます。 コロナウイルスの蔓延で、今年は夏期に集会を持てませんが、願わくば来年もまたキリストの集会、お交わりをさせていただけますよう、願っています。(山形県)

 

〇とても有意義な集会でした。音声しか聴こえない分、話されている方や楽器を演奏している方の姿を豊かに想像することができました。対面では会えなくても主にあって繋がっていると感じました。 小舘美彦さんのアモス書からの講話が特に印象に残りました。ステイホームで時間を手に入れた私たちがなすべきことはまさに神様との対話ですね。

 小舘美彦さんは内村鑑三の思想のエッセンスが要約されている「ジャパン・クリスチャン・インテリジェンサー」の訳を出版されています。YouTubeでこの本についての解説(CGNTVでのインタビュー)を観られるのでお勧めです。

 2日間にわたるSkypeの特別集会の恵みは開催期間中だけに留まらずその後も良き連鎖を展開します。Skype集会に参加させてくださった神様を賛美します(愛媛県)。

 

〇スカイプで参加できない人のためにも細やかな心遣いしてくださり有難うございました。ご愛労感謝します。

 次は、今回の集会で、心に残ったみ言葉です。

「目を覚まして感謝を込め、祈り続けよ。」(コロサイ4の2)

「いつも喜べ、絶えず祈れ。どんなことにも感謝せよ。」    (1テサロニケ5の1618)

 今回は新型コロナウイルスのために、スカイプでオンラインでの集会となりましたが、参加できて良かったです。

 こんなに多くの人とスカイプで共に学べて感謝でした。

お一人お一人の証も良かったです。(徳島県)

〇北海道はまだ厳しい制限が続いたまま、先の見えないままひっそりと桜が咲きました。

春期四国聖書集会、今の状況の中で 徳島の会場に集合できた時と全く遜色なく、またそれ以上に意味のある二日間でした。

 徳島の皆さんが、一人でも多く方が参加出来る様にと一人一人に機器の対応にも….皆さんのご愛労に言葉に尽くせぬ感謝です。ありがとうございました。 

 各地のたくさんの方との出会いがあり、今与えられたこの時、どこまで続くのかわからない不安の時を共に歩んでいる信仰の友、祈りの友がいることに力をいただきました。

 聖書講話に関して…今こそ聖書から何を学ぶのか?

神様が私たちに何を伝えようとしているのか? この制限ある状況の中、誰一人答えを持たない今こそ…….ただじっと待つ、何もできない…今こそ主を仰ぎ、心を注ぎ出す時を与えられたと思いました。

 聖書と出会い、聖霊をいただいてイエス様が共に歩いてくださっている。主によって導かれこの日のためにスカイプが準備され本当に必要な今、私達がスカイプ集会にも参加できたことに感動し、今、集会が閉ざされて会うことのできない信仰の仲間達に伝えたい思いでいっぱいになりました。

 改めて心より主のお導きに感謝しました。(北海道)      

〇春期四国聖書集会が大きな祝福の中で行われ、私達一人一人に主にある希望の 道が示され、大きな霊の糧をいただくことが出来たと感謝に溢れます。

 コロナウイルスの事で、一時は開催が難しいと考えられたこの春期四国聖書集会をもスカイプという手段を与えて下さり、主は新たな道を用意して下さいました。また、その働きに必要な人物、場所、スカイプをするためのスマホやパソコン、可能な限り印刷物参加まで、主を求めれば、必ず応じて下さることを思い感謝でした。

 部分参加の方々、様々な事のために参加さえも難しいと思われていた方々で、少しでも参加出来た方々にも、主は精一杯の恵みを与えられたことを聞き、知らされて感謝でした。

 それは、一匹でも迷える子羊がいたら、99匹を残して、見つけるまで探した羊飼いである主だからこそ、(マタイ181213) そして全能である神様だからこそ私達一人一人にもこの初めてのスカイプによる春期四国聖書集会をこのように祝福され、大きな恵みを与えられたのだと感じました。

 以前からパソコンによるスカイプでの主日礼拝参加の道は与えられていましたが、今回をきっかけにスマホによるスカイプ参加を新たに与えられて、毎回の集会の講話等の録音もスカイプの働きをされている方が送って下さり、より簡単に礼拝の講話も聞けるようになりました。

 礼拝のためにスカイプの働きをされている方々、そのすべてを備えて下さっている神様に感謝します。ハレルヤ!!(徳島県)

 

〇5月9、10日の春期四国聖書集会、印刷物参加のわたくしを釘付けにしてくださいました。形はどうでありましてもそれは始めての経験でありました。

 十二人の方の「証言」。

4人の方の「講話」。聖霊がお運びくださったんですね。共鳴いたしました。それぞれの方々の今の姿が写されていたからですね。こうした企画をしてくださり心より感謝いたします。    本当に、声をかけてくださりありがとうございます。そのお働きの上に御心が成りますように。お祈りいたします。(東京都)

 

〇今回の春期四国聖書集会(スカイプによる集会)について 主は、どのような手段や方法を用いてもそこに存在し、導いてくださること。

 私たちが主を拒ばない限り、主はいつも傍にいてくださり、まず主がすべてをとりなしてくださっていることを知らされた集会でした。誰も用意できなかったこと、信じることのできなかったもの「主により頼むこと」「神を第一(主なる神のみを拝ること)に覚える」こと。賛美することができるようになること。「共に」という繋がりの中での祈り、大切さも学びました。(徳島)

 

〇スカイプでの春期四国聖書集会とても恵まれた礼拝でした。まさにエックレシア(*)を感じるひと時であったと思います。(三重県)

 

*)エクレシア ekklesia とは、ギリシャ語で、(この世)から呼びだされた者の集まり という意味。中国語で「教会」と訳され、その訳語がそのまま日本語訳聖書に用いられた。英語では church churiakon doma キュリアコン ドーマ 「主の家」 を意味する言葉に由来する。ドイツ語ではKirche(キルヒェ)で、英語と同語源。 フランス語では、

glise エグリーズ でギリシャ語のエクレシアに由来する。(編者注)

 

〇集会がコロナ休会中なので4月から徳島聖書集会に参加させて頂いております。四国集会には日曜礼拝のみ参加させて頂きました。

 十数年前、日永康さんとご一緒に、徳島電電会館での四国集会に参加させて頂いた折の感激をあらためて思い出しております。

 新型コロナの蔓延をきっかけに新しい時代が始まっていることを実感しております。益々のご健闘をお祈りいたします。(神奈川県)

 

〇スカイプに関しての慣れない操作は、孫に助けられ、思ったより楽に一人でお話伺う事が出来ました。四国まではなかなか参加出来ませんが、家にいて、全国の皆さまとご一緒に聖霊の豊かなお働きを感謝しながら集わせて頂いて有難うございました。

 これからも、よろしくお願いもうしあげます。年をとってもこのように出席出来る楽しみがあたえられました。感謝!(中部地方)

 

〇スカイプ集会は初めての経験でしたが、思ったほど難しくなく、映像がないぶん、集中して聴けるように思います。

 これからも仕事の都合のつく時はぜひ参加したいと思います。よろしくお願いいたします。(長野県)

-----------------------

リストボタン休憩室

 

〇ミルトス 

 ミルトスは、聖書において、神の救いのわざがなされるときの状況として次のように記されています。

 …あなた方は喜び、平安の内に導かれ、山と丘は喜びの声をあげ、野の木々も手をたたく。

茨に代わって糸杉が、イラクサに代わってミルトスが生える。

 これは主のための記念となり、

 絶たれることのない永遠のしるしとなる。(イザヤ551213より)

・私は不毛の丘に川を、乾いた地を水の源とし、荒れ野に杉やアカシヤを、ミルトスやオリーブの木を植え、荒れ地に糸杉、樅、つげの木を共に茂らせる。(イザヤ411819より)


 

リストボタンお知らせ

 

〇春期四国聖書集会の録音CD

 去る5月9日(土)〜10日(日)に開催されたインターネットによる春期四国聖書集会の録音がありますので、希望者は、吉村孝雄まで電話、E-mail、FAXなどで申込ください。

MP3形式でCD一枚に、二日間の内容がすべて収録されています。

 なお、MP3形式のCDを再生する機器をお持ちでない方は、吉村まで問い合わせください。

 再生機器の購入を考えておられる方、あるいは、一般のCDプレーヤでも聞ける形式のCDも作成してお送りすることは可能です。

 費用は 一枚二百円。(送料込)

一般のCDプレーヤで聞ける形式ですと枚数が数枚になりますので、一セット五百円(送料込)となります。

 

〇スカイプで徳島聖書キリスト集会に参加できる集会は、 主日礼拝、夕拝、家庭集会などがあります。

 春期四国聖書集会で初めてスカイプを用いての集会に参加された方々も、ご希望の方は次のどの集会でも自由に参加できますので記しておきます。

 

@主日礼拝…  これは年中無休です。午前1030分〜

 

A夕拝… 第二を除く毎月第一〜第四火曜日 午後7時30分から開会。(第二火曜日だけは午前10時開会)

 このうち、第1、第3、第4の火曜日は徳島市の徳島聖書キリスト集会の集会場で行っていたものですが、新型コロナウイルスのために、現在は集会に集まることを控えてスカイプで行っています。

 第2火曜日の集会は徳島市から80kmほど南にある徳島県海部郡海陽町での数度(すどう)宅で行なっている海陽集会です。

 高知県にあと10キロという県境に近いところです。

 この集会も現在はスカイプのみで続けています。

 

B北島集会…毎月第2月曜日の午後1時と第4月曜日。 開会は午後1時からです。これは、徳島県板野郡北島町の戸川恭子さん宅で行っている集会です。

これも現在は Skype で行っています。

 

 以上が、現在、徳島聖書キリスト集会として行なっている集会のうち Skype で参加できる集会です。

 家庭集会としては数度宅や戸川以外にまだいくつかなされていますが、その家庭集会の担当者が全盲であるなどの事情で、スカイプでの集会は難しいために現在はなされていないところがいくつかあります。

 

 今回の5月9日から10日にかけての春季四国聖書集会に参加するために特に Skype をインストールし、 Skype を使う方法について慣れてきた方々はこのような徳島聖書キリスト集会の集会で、 Skype で参加できる集会に参加していただくことによっていっそう操作などに慣れることができ、また参加している方々と Skype を使っての交流も一層容易になることと思われますのでご希望の方はどうぞご参加ください。

 参加希望の際には事前に、接続担当者の数度勝茂(すどう かつしげ)、または吉村孝雄まで、メールもしくは、電話で申込みくださると好都合です。

 吉村の連絡先は、奥付に記してあります。

 

〇今月号は、春期四国聖書集会に参加した方々からの感想などが多く寄せられたので、それを掲載し、今後も重要となるインターネットを用いる集会の経験のない方々もより理解を深めていただき、少数での祈祷会、集会などにも用いることができるようになり、福音伝道にもつながればと願っています。

  またその編集などのために、今月号は発行が遅れました。

〇なお、パソコン、スマホは持っているがスカイプをどのようにして使うのか、そのインストールや使い方などがわからない方は、吉村孝雄まで問い合わせてください。

----------

〇感謝

 今回の春期四国聖書集会は、初めてキリスト教独立伝道会との共催による開催でした。

 従来は、関東地方での開催に留まっていた伝道会の冬季聖書集会、夏期集会でしたが、それを関西において開催してはどうかとの発案を出してくださった伝道会の西澤正文兄、同じく伝道会の小舘知子姉と私をまじえてのネットやメール、電話などを用いてのプログラムや運営の仕方について検討を重ねました。

 去年秋に決まっていたプログラムがインターネットによる開催となったため、プログラムをいかに修正するかなど。

 資料集の作成、そしてそれらの印刷、発送等々に御愛労くださった小舘姉、讃美集の作成の労をとってくださった浅井慎也兄たちに感謝です。

 そして徳島では、インターネットの接続のために、スカイプのインストールから用い方の丁寧な説明を、いろいろな方々に多くの時間をとっていただいた数度兄、その補佐としてやはり使い方の説明、接続などのテストをし、当日には多くの方々を数度兄とともにインターネットに接続し、途絶えた人たちを再度呼び出し…等々の手間のかかる作業をしていただいた貝出久美子姉、さらにスカイプ希望者が増えてきて林晴美姉もそうした作業に加わってもらいました。 そしてこの集会のために祈りを続けてくださっていた徳島集会の方々、キリスト教独立伝道会の方々にーそれらすべてを導いてくださった主に感謝です。

★集会案内

 三月〜五月は、新型コロナウイルスの感染防止のために、集会場や家庭集会に集まることをせず、インターネット(スカイプ)を用いた集会としています。

 徳島聖書キリスト集会のホームページを参照していただくと、どのような集会であるかがわかると思いますので、参加を希望される方は、左記の吉村孝雄までメール、電話で問い合わせください。