いのちの水 2022年12月号 第742号
目次
・休憩室 |
キリストの誕生は遥か東方の博士たちに、星によって知らされた。そしてその星が、はるかな砂漠地帯をも超えて、イスラエルのベツレヘムにまで彼らを導き、生れたイエスに高価な宝物を捧げたという。
これはしばしば絵に描かれ、どこか牧歌的なおとぎ話のような雰囲気を感じさせるものがある。
それゆえに、現代の私たちとは全く関係のない、いわば子供向けの話のように受けとってしまうことも多いと考えられる。
しかし、聖書の記述は、表面的にはまったく現代の我々と関係のないように見えることでも深い内面の関わりがあることが随所にみられる。だからこそ、神の言葉と言われる。
人の言葉、人間の伝承、意見、思想…といったものは、特定の人だけ、またある時代や地域だけに通用するというものである。
現代のマスコミーテレビやインターネットなどでしばしば見られる有名人といった人達の意見や考えなど、10年、20年も経てば、ほとんどだれも顧みなくなるであろう。
そしてまた新たな人間が脚光を浴びて一時的に知られるようになり、それもまた時間の大きな流れなかに呑み込まれていく。
しかし、聖書の言葉は、旧約聖書から新約聖書まで、膨大な内容であるが、それらは、みなそうした人間の意見や一時の感情などの言葉ではないゆえに、数千年を経ても、世界の至るところで脈々と息づいている。
イエスの誕生のときの、東方の博士たちの記述、それは現代の私たちに何をメッセージとして告げているだろうか。
七百年ほども昔から、預言されていた究極的な救い主が世界に現れること、そのような最も重要なことが、神がまず選んで神の言葉を保持する使命があった民族ーイスラエルの人達ではなく、だれも予想しなかったはるか東方の博士たちであった。
このことは、究極的な真理は、学問、知識、経験、特定の地域や国に伝わる伝承などと異なり、どのような人間が受けるかだれもわからない。
そのことは、すでに旧約聖書にもはっきりと示されている。
信仰の父といわれ、現代のキリスト教信仰の根底ともなっている唯一の神への信仰のあり方は、すでにアブラハムに表されている。
彼は、ごく普通の羊飼いであったが、思いがけないときに神の呼びかけを聞いて、その言葉に従った。やはり遥かに東方の人であった。そこから、神の言葉を信じ、その言葉をしっかりと持ちつつ、未知の土地にと向っていった。
またモーセもやはり普通の羊飼いを職業としていたそのさなかに、荒野にて神からの呼びかけを聞いた。そして大いなるリーダーとして神の力を受けつつ、民を導いていった。
ダビデもまた、羊飼いの少年のときに、預言者をとおして見いだされ、神のしもべとなっていった。
預言者アモスもまた、牧者であった。
イエスは、「聖霊から生れる者は、風のように、どこから来てどこへ行くのかだれも知らない。」といわれた。(ヨハネ3の8参照)
当時のユダヤ人たちは、イエスが言われたことー神のもとから来るとか、死んでも神のもとに帰るということがどういうことなのか、全くわからなかったので、このようにいわれている。
現代の日本人も、聖書に記されている本当の神を知らないから、どこから来て、どこへ行くのかに関して、単にサルから進化して人間になったのだ、死んだら無になる、あるいは 御霊(みたま)になる、成仏する、また、生きている人達に供養してもらわなかったら彷徨う霊になる…といったように漠然と思っている人が圧倒的に多い。
どこから来たのか、なぜある人は、突然大きく変えられて神を仰ぐ生活へと変えられるのかーそれはこのマタイ福音書で言われているように、その人に「星」というべきものが輝いて導くようになるからである。
キリストが十字架で処刑された後に復活して聖霊となって世界のどこにいても、求めればその力を受けるようになった。
現代の人々にとっての、星とは何か、それはいまも生きて働いておられるキリストであり、聖霊である。星に導かれるとはそのキリストに導かれることであり、その導く先の到達点は神の国である。
そしてその星として、キリストがさきに呼び出した人間が、最初の星となって導き、活けるキリストへと導くようにされることも多い。
私自身、矢内原忠雄という人間が最初の星となって、私を活けるキリストを指し示してくれたのだった。そしてキリストを深く知るにれて、そのキリストが私の完全な星となって導いてくださるようになった。
これは、多くのキリスト者もその状況はいろいろであっても本質的には同様であろう。
両親や友人、また書物、伝道のための講演会、伝道集会…等々のものが最初に星となり、それからそれらの人達を導いた究極的な星であるキリストへと向う。
この世に生きるとは、そうしたキリストという星が、人生のあるときにその人の魂に輝きはじめ、そこからそのキリストが導いて歩みはじめ、究極的な神の国を目指し、希望を抱いて生きていくということである。
しかし、重要なことが、星に導かれるといった牧歌的なことにも見えることとは全く対照的に記されている。
それは、そのイエスは、ヘロデ大王というさまざまの悪しき行動で知られている闇の力をもつ王の支配のときに生れたのである。そのヘロデは、権力をねらうものと疑って自分の息子たちをも殺害したりするような悪しき王であったから、生れたイエスを殺害するために周囲の赤子を皆殺しにするといった残忍な王であった。
イエスの誕生は、クリスマスケーキとか飲食、遊びのクリスマスパーティなどで連想される賑やかなお祭とは全くことなる背景をもって生じたのであった。
そして、母のマリアは、自分の息子が救い主になるー普通なら大喜びするということになろうが、そのようなこととは逆に、聖霊に満たされたシメオンという人物によって、つぎのように言われた。
…この子は、イスラエルの多くの人達を倒したり、立ち上がらせたりするためにと定められ、また反対を受けるしるしとして定められている。
あなた自身も、剣で胸を刺し貫かれる。(ルカ2の34〜35より)
イエスは単に立ち上がらせるだけでなく、多くの人を倒したり、反対を受けるしるしとなり、剣で胸を貫かれるというほどの苦難、痛み、そして悲しみを受けることになるのだーと言われたのである。
イエスは、こうしたこの世に満ちている悪の力、闇の世界のただなかに生れたのだった。
現代において、闇はいっそう深まっていく。
しかし、この世の状況がいかに変化していこうとも、変ることなき、永遠の愛そのもの、真実そのものであるキリストは永遠不変である。
このことは、目に見えない心の深い部分においても同様である。
希望も何もなく、家庭にも解決できないむつかしい問題がある、体も病気になった、仕事も難しい状況、そのようなまっ暗な状況、どこを見ても希望の光なく、ただ絶望あるのみ…。
そのような暗い状況であればこそ臨む光がある。
使徒パウロも、ユダヤ人教師から律法を特別に学ぶようなエリートであった。しかし、本当の真理に対しては全くの闇の状態であったからこそ、キリスト者を徹底的に迫害して国外にまで追跡していくーという状況であった。
しかし、キリストはそのような敵対者にも 愛を注いで、真理に目を開かせることになった。
筆頭弟子でもあったペテロも、キリストが逮捕されたとき、すぐに逃げた。そして、そこで出会った女中から三度もイエスという名の人間など知らない、と言い張るという大罪を犯した。その少し前に、殺されることがあってもイエスに従っていきますとまで言っていた自分はなんだったのか、大きなウソをつく人間にすぎなかったのだーその自分の罪深さを思い知らされた。 その間も、ずっとイエスはまなざしを注ぐことを続けておられた。
そして、イエスは復活ののち、約束のもの(聖霊)を与えるときまで、祈って待て、と言われた。弟子たちと、マリアやほかの女性の従う人達ともに真剣に祈り続けた。
そして、大いなる聖霊が注がれる日が来て、彼らは魂が一心されたのだった。
そこから、キリストの福音を伝えるということが世界に広がっていった。
闇の中からの再生であり、出発であり、それから二千年、現在に至るまで、ペストやインフルエンザなどの感染病や戦争、無神論たるマルクス主義などの台頭、さまざまの毒ガス、爆弾、そして核兵器といった大量破壊兵器の出現…等々ありとあらゆる闇は襲いかかってきた。
しかし、そのような深い闇のただなかから、神の御計画に応じて、選んだ人たちを、直接にこの世の流れから引き上げてその人の心のうちに生きたキリストは生れて、その福音の伝道は続けられてきた。
現在も、そして今後も、どのような闇の世界からの大波が打ち寄せるかわからない。しかし、それ以上に、神の国から数千年の昔から、寄せてくる聖霊の大波が打ち寄せ、聖なる風というべきものが吹き続けている。
そして新たにキリストをそのうちに生れさせていく。
使徒パウロは、福音を信じたのちに、この世の大波にもまれて、その福音から離れようとする人達に対して、次のような切々とした言葉を語りかけている。
…ああ、あなたがたの内にキリスト・イエスの形ができるまでは、わたしは、またもや、あなたがたのために産みの苦しみをする。
(ガラテヤ信徒への手紙4の19)
真理から離れようとする人達の心のうちに、再びキリストが生れるように、言い換えると、キリストが心に住んでとどまるようにーというのがパウロの絶えることのなき祈りであった。
それは、また「主の祈り」で言われている、「御国を来らせたまえ、人々の心の内に…」という祈りでもあったし、現代の私たちも、また絶えることなく、自分自身や家族、そしてかかわるキリスト者の方々、その関連の人達に、キリストが常にとどまり、またそのキリストが心から忘れられようとしている人達には、あらたにキリストが生れて力を発揮してくださいますように…との祈りがうながされているのを感じる。
神は太陽のような絶大なはたらきをする光もともされている。
他方、小さな目にも見えないような小さな光をも、闇の中にいる魂の中に点灯していく点灯夫のような御方でもある。
それを心の目を開いて受けいれようとする人達には、その光は魂深くへと入っていく。
そしてその内なる光は、外部に生じるさまざまの自然や社会の出来事に対しても新たな光を与えて表面の奥に横たわるものを見ることができるようにと働く。
また、神はいのちの水と言われているものも、創造された。そして、言われた。…渇いているものは、来れそして、自由に飲め、 と。
(ヨハネ7の37)
その水を飲むときには、その人の心の中に泉ができて、そこから新たに外に向って流れ出るいのちの水の流れが生じる。(ヨハネ7の37)
さらに、神は神の国からの風を世界に吹かせ続けている。
その風は、聖書の最初の部分に記されている。
闇と空虚、混沌がすべてであった状態の中であっても、そこに神の国からの聖なる風(*)が吹き続けていたのである。
(*)… a divine wind sweeping over the waters. (Gen 1:2 NJB)
このように、神は、はるかな天地創造の昔から、聖なる風を吹かせ、大いなる光を、光あれ! と言われて創造し、いのちの水を渇ききった世界のただ中にわき上がらせた。(創世記1章2、3。
2章6など参照)
そして現在も、これらの神の国からの風、光、水はつねに注がれている。
私たちは数千年も昔から、その神秘な風を受け、光を浴び、命にいたる水を飲むことへと招かれている。
…祭りが最も盛大に祝われる終わりの日に、イエスは立ち上がって大声で言われた。
「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。
私を信じる者は、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。(ヨハネ7の37)
イエスは静かに教えるという雰囲気がある。山上の教えでも、「ああ、幸いだ、心において貧しい者たちは!」と言われた。自分がいかに正しい道を歩めないか、愛や真実にそぐわない日々であるかを思い知った者が、心に何ら誇ることのない状態ゆえに、心において貧しき者といわれている。
また、「ああ、幸いだ、悲しむ者たちは!なぜならその人たちは神によって慰められ、励まされるからである。」ともいわれた。このような語りかけは、静かに聞く人の魂の奥に染み通っていくような力があった。
しかし、ここでは、大声でいわれた、しかも、仮庵祭という重要な祭の最後のときに、立ち上がって…である。誰に向ってであるのか、それは記されていない。
ヨハネ福音書においては、一見単純な記述のなかに、だれにでもあてはまり、しかも時代によって古びることのない真実が込められていることが多い。
ここでも、この大声での叫びは、単に周囲にいる群衆たちに言ったのではない。
それは、千年、二千年の歴史を越えて響き渡る霊的な大声であった。
旧約聖書にも、「語らず、言わず、聞こえないが、その響きは全地に、そのことばは世界の果てに向う。」(詩篇19)という不思議な詩が記されている。
ことばというのは、普通は単に話ししたそのときだけのものだと感じている。しかし、神のことばは、時間を越え、空間を越えて、聞く耳のあるものには大いなる響きとして聞こえていく。
じっさいに、この詩篇の言葉は、キリストの霊的な大声を指し示すものでもあった。
キリストのことば、聖書のことばは、たしかに過去数千年にわたって世界に響きわたってきた。
物理的な音声と異なり、耳の聞こえない人、補聴器などの機械など全くない時代の人も、聞く霊的な耳ある人には聞こえる声であり、大いなる声なのである。
その大声で言われたこと、祭の最後の重要な日に立って言われたーととくに記されているその内容は何か。
それは、この世界には、普通の水と全く異なる命の水、活ける水というべきものがある。それを飲むならば、魂の渇きに苦しむ人も必ず癒されるーという死から命への懸け橋となるいのちの水が言われている。
さまざまの犯罪も、また国の権力者が、戦争という名の大量殺人、破壊を歴史においても繰り返し起こしてきたのも、みな、こうした人間の深いところに存在する魂の渇きのゆえである。
また、多量の酒を飲んで犯罪や家庭崩壊に至ったり、スポーツ、例えばサッカーの勝敗が決まったときに暴力をもって相手に襲いかかって死傷者が出たりするほどになること、さまざまの飲食その他の快楽を求めて海外にさえ出かけたり…こうしたこともみな魂の渇きをまぎらわそうという無意識の行動である。
そして、差別やいじめなども同様であるし、それらのいじめや差別を受けて強い衝撃を受けて、みずからの命を断つほどにまでなったりするのも、またその人においても魂が渇いているゆえにそのような大きな苦しみとなる。もし、人間のそうした差別やいじめのことばを受けてもそれを聞き流し、そのような不当なことを言う人に、聖霊が注がれてその悪しき心が変えられるようにと静かに祈るほどに心がいのちの水でうるおされている人であれば、決してみずからの命を断つということにはならないだろう。
新約聖書には、ほかのいかなる書物にもみられない、魂の世界への深い洞察がある。それは神の霊、聖霊によって記されているゆえであり、その洞察の深さは神の深さから来ている。
それゆえ、その神の無限の命、真実や愛からみるとき、人間はすべて愛や真実のない枯れた存在、死んでいたものでしかない。それゆえに、次のように言われている。
…あなた方は以前は自分の罪のために死んでいたのだ。
この世にはたらく悪の霊に従ってしまい、罪ばかり犯していた。
しかし、憐れみ深い神は、私たちをこの上なく愛して、その愛によって、罪のために死んでいた私たちをキリストとともにいかし、キリストともに復活させ、ともに天の王座に着かせてくださった。(エフェソ書2章より)
表面的には元気に仕事や趣味、娯楽なども生き生きとやっているように見えても、神の目ー完全な清い神、愛という点からみるとき、そうした元気一杯にみえる人間も実はその魂の深いところでは自分中心という罪ゆえに死んでいるのだといわれている。
このような罪ゆえの死、それは学問や芸術、また職業での活発な活動などいかにしても その霊的な死からは脱することができない。それゆえに、江戸時代が終わって明治時代となり、つぎつぎと新たな高校、大学が創設され、短大も含めると現在の大学の数は千校を越えている。
それほど、学びの場は驚くべき速さで拡大していった。
しかし、人間の真実や正義、また無差別的な愛や清い心…等々は、それに伴って増大していったと感じる人はまずいないであろうし、むしろ大きく減退していると感じる人が多い。
人間の自我中心、まず自分のことを第一にするゆえに、差別やいじめ、競争、権力欲などが渦巻く。
このように、最も大切なものは、目にみえないものであり、学問や政治形態、社会状況によらず、まったく別のものによってでなければ、人は持つことができない。
しかし、死んでいるような人間という存在をよみがえらせることができる道がある。
それが、イエスが大声で叫ぶようにして言ったことであった。
そしてこの人間にとって最重要な真理は、すでにキリストより500年ほども昔の預言者によってすでに預言されていた。
…「さあ、かわいている者はみな水にきたれ
。金のない者もきたれ。来て買い求めて食べよ。
あなたがたは来て、金を出さずに、
ただでぶどう酒と乳とを買い求めよ。(イザヤ 55の1)
この預言者イザヤのことばは、キリストを指し示すものとなっていて、キリストこそはこの預言を成就した御方である。
人が直面する苦しみや悲しみは、しばしば底知れないものがある。生涯立ち直れないほどの、大きな衝撃を受けたり、またそうした深い悲しみによってみずからの命を断つ者もある。死によってしかこの苦しみから離れられないと長き苦悶の末に、命を断っていく人たち、またその未遂に終わってさらなる苦しみに追い込まれる人たち…。
そのような恐ろしい闇から救いだすものは、ただキリストの光のみ、キリストのいのちの水のみである。
早稲田大学理工学部に在籍中に、失明し、途方もない絶望に追い込まれた岩橋武雄(*)は、自殺未遂を繰り返し、そのまさに死のうとするときに母親が入ってきて、母の必死の思いが通じて自殺を思い止まったが、その後、母はさまざまの祈祷師や治療者などのところに岩橋を同伴して何とか目が見えるようにと涙ぐましい努力を重ねたがどうにもならなかった。
(*)岩橋武雄(1898〜1954年)18歳で早稲田大学理工学部に入学。 翌年網膜剥離にて東京帝大病院にて、眼科部長の河本博士のもとで入院し、7回もの手術を繰り返したが、失明を宣告される。
そのような過程を経て、キリストに出会った。そして岩橋もヨハネ福音書に記されたキリストの言葉に出会ってはじめて大いなる闇から解放され、そこから暗黒しかみえなかった霊の目に、キリストの命の光をはっきりと、しかも豊かに見えるように導かれていった。
彼にとっての決定的なキリストのことばは次のものであった。
生まれつき目がみえないという特別な苦しみは、だれが罪を犯したからなのか、両親か本人なのか…と弟子たちが問うたとき、イエスは言われた。
…「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。
神の業がこの人に現れるためである。(ヨハネ9の3)
岩橋が失明してから母親によって連れられていった祈祷師とか何らかの宗教にいる人が言っていたのは、親や先祖の罪のためにこうなったのだから、その罪ののろいを消さねばならない、というような類のことであった。
それは現在でも、しばしば言われている。近頃大きな問題となった統一教会の壺購入に数百万円、あるいは数千万円で経典の類を購入すると先祖からののろいから解放されるのだ、などという霊感商法のことがクローズアップされたことは記憶に新しい。
そうした得体のしれない闇へとさらに引き入れるような教説とはまったく逆のことを、キリストは言われたのだった。
生まれつき全盲は、だれかの罪のため、先祖の罪のゆえでは全くなくて、神の驚くべき愛のわざが現れるためなのだと。言い換えると、そうした苦しみを神が用いて神の愛のはたらきを世の人に知らせ、本当の神の愛に目覚めさせるためなのだというのであった。
そのキリストのことばは、岩橋を決定的に再生させた。死ぬことばかりを考えて、まさに死のうとしたときに、神は母親の自然の愛をもって引きとめたものの、それは全く解決にはならなかった。
そうした苦しみの歩みのなかで、神が定めたときがきた。そして、上述の神の言葉に出会い、命の光を与えられたのだった。
主イエスは次のように言われた。
…わたしは世の光である。
わたしに従って来る者は、闇のうちを歩くことがなく、
命の光をもつ。(ヨハネ8の12)
闇から引き出され、命の光を与えられたゆえに、肉眼はみえないままであっても、霊の目は大きく見開かれ、次々と神は彼に新たな世界、なすべきことを彼に示していった。
彼は、瀕死の魚が、水を得たように生き生きとして全盲ゆえの困難ではあるが、新たな道へと挑戦し、神がその道なき道を開いていったのだった。
キリストからいのちの水を与えられた者は、このヨハネ福音書の個所で記されているように、単に自分だけの平安にとどまらず、その人の心の奥深いところから、川のように流れ出て行くと記されているとおり、彼の魂の深い平安、救いから、さらに周囲の人たちへと流れだしていった。
彼は、関西学院大学に入学してさらなる勉学を求めた。しかしそのときは、盲人は大学に入学なとほとんど考えられない状況であり、付き添いになってくれる人などいなかった。
そこで、妹しづは、関西の女性教育の先進的な学校に行っていたがそれを止めて、兄の岩橋に付き添い、大学に通い、ノートとるなど献身的に助けた。当時は女性が男性に付き添って大学に通うなど、全国でもみられない状況であったから、周囲からいろいろに言われてそのような偏見と戦いつつの通学であった。そうして岩橋は、卒業後に、盲人の社会福祉の活動のためにはたらき、ライトハウス(光の家)の設立のために尽力し、さらにヘレン・ケラーとも交流し、彼女の来日へと導き、日本人の盲人への意識を大きくかえるきっかけともなった。
彼の創設したライトハウスは、現在も日本ライトハウスとしてその活動が継続されている。(*)
また、岩橋が絶望から希望へと大いなる転換を遂げたのは、聖書のことば、神の言葉であった。
このようなことは、岩橋に限らない。多くの視覚障がい者、その他の障がい者たちも、このキリストの言葉に励まされたという人たちは多く見られる。
彼もまた、死んでいたものが復活させていただいた一人だった。
ザビエル
その福音を歴史上で初めて日本に伝えたフランシスコ・ザビエルも、キリストからのいのちの水を豊かに受けたゆえに、命がけでいつ船が沈没難破するかわからない危険な長大な船旅ースペインからアフリカを越え、インド洋をも越え、東アジアにいたる船旅をあえて決行したのだった。
帆船であったので、風が吹かなければ船は、アフリカの西海岸、赤道直下のギネア沖の海上に至ったとき、全く風が吹かず、熱帯の耐えがたいような暑さのもと、40日も、海上に浮かんでいた。乗客たちは、その暑さと水、食料の不備などのため、次々と病気になり、死んでいく人達も多かった。さらに、ザビエルは二カ月も船酔いに苦しめられ、そのような非常な困難に直面したこともあり、その他数々の死を覚悟せねばならないような危険な状況に置かれつつ、彼の内にあふれ出るいのちの水によって絶望に至らず、東アジアまで達した。
その後、1547年に、ザビエルは、マレーシア南西部のマラッカにいたとき、日本人のヤジローとあと二人の日本人と出会った。ヤジローは日本で人を殺したことで追われ、寺に逃げ込み、さらに中国に向う船に乗り込み、中国からの帰途、マラッカにてザビエルと出会ったのである。彼らによってザビエルは、日本のことを知らされ、強い関心を持つようになった。
神は、このように人殺しの大罪を犯して海外へと逃げたような人物をも、その御計画に用いられるのである。
(*)岩橋武雄とその妹の働きの追加を以下に書いておきます。
弱きところに神の力ー盲人 岩橋武夫と神曲の訳者とその周辺
私たちの集会で、かつて十年ほどもかけてダンテ著の「神曲」の読書会をしていたとき、テキストとしては三種類の翻訳を使っていました。
その一つに、英文学者の寿岳文章訳のものがありますが、訳者の夫人、寿岳しづ(旧名は静子)はキリスト者で、その兄が、日本ライトハウス(設立当時の名称は大阪ライトハウス)を設立した盲人の岩橋武夫でした。
岩橋は一八九八年生まれ。早稲田大学に進むが、病気となって中退。精神的にも肉体的にも深い闇に陥り、苦しみうめいていましたがそのとき、妹は、三年間首席で通していた梅田高等女学校(現在の大阪府立大手前高校。)を中退して、兄の看病に専念し、さらに兄の武夫が盲人となってからも献身的に助けました。
岩橋は関西学院大学に入学したのですが、当時は盲人を助けるようなボランティアもなく、点字の書籍もなかったために、妹の静子が兄を介助して通学しました。当時男子学生ばかりだったという状況のなか、女性一人が教室に入り、盲人の兄のノートを代わって筆記するということは、大学の講義は長く、毎日ということになれば大変な労力であったと思われます。
「学生たちは、高い校舎の窓からわいわいと手をたたいてひやかした。私はそれを黙って耐えたが、年若い妹の静子は、眼が見えるだけにいっそうつらかったであろう。」と岩橋はのちになって書いています。 その頃その大学の学生であったのが、寿岳文章で、彼は岩橋と介助している妹の静子を知って、岩橋の友人となって助け、のちになって妹の静子と結婚したのです。
寿岳文章・しづ夫妻の長女が、寿岳章子で、国語学者として京都府立大学助教授、教授として三六年勤め、憲法を守るための活動にも三〇年ほどもかかわっています。そして長男の寿岳 潤は、天文学者(東京大学名誉教授)として知られています。
岩橋武夫は、関西学院大学卒業後、イギリスのエジンバラ大学にも学びましたが、そのときは、イギリスにいた好本 督(よしもとただす)の特別な援助を受けたのでした。
好本は、内村鑑三にキリスト信仰を学び、実業家であったが視覚障害者(弱視)となったために、収益を盲人福祉に捧げ、とくに点字聖書の刊行は彼の絶大な援助によってなされていったのです。以前の「いのちの水」誌に、好本 督の真実なキリスト者としての一面を書いたことがあります。(二〇〇六年十月号)
岩橋の設立したライトハウスは、その後も発展して点字図書の出版、盲学校の教科書の作成、さらに職業・生活訓練センターを建設して、視覚障害者の自立と新職業の開拓に取り組んできました。コンピュータ・プログラマー、工作機械技術者の養成、盲導犬事業や歩行訓練指導者の養成など、多様なはたらきを続けてきたのです。
このようなさまざまのことにつながってきた出発点を振り返ってみますと、失明した岩橋武夫を自分の学業を捨ててまで、兄への愛のために尽くした妹の静子の献身的な生き方が大きく用いられ、その働きがあったからこそ、このような発展がなされていくことにつながったのがわかります。
他者への、とくに弱い立場の者への愛は、神の祝福を受けて大きなことにつながる実例を知らされるのです。
「わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」(Uコリント十二・9)という聖書の言葉を思います。
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また、ヘボンも江戸時代末期に夫妻で東アジアにキリストの福音を何とか伝えたいと、アメリカでの安定した生活をもすべて捨てて、危険なキリスト教迫害のさなかの江戸時代末期に、東アジアに達した。しかし、その途中の厳しい長期間の船の旅のなかで船酔いに苦しみ、初めてのこどもは生まれたが、死んでしまった。その後、到着した土地にあって、熱帯特有の病気にかかって、一時帰国をせざるを得なかった。その帰国してからは、著名の医者として広く知られて安定した生活となったが、その間に生まれたこどもを次々に若くして失っていくという悲しみに直面した。
しかし、そのような名声と悲しみをともに深く味わった後、夫婦ともに、かつての東アジアへのキリストの福音を伝える働きに戻る心が強まり、一人息子であるサムエルを知人にあずけて、江戸末期のキリスト教迫害の厳しい状況の中、日本にキリストの福音を伝えたいという切なる情熱を夫妻で共有し、はるばる日本に来たのだった。
そして、夫婦とも命の危険にさらされることもあったが、神への真剣な祈りと忍耐と主からの愛をもって周囲の人たちに接したゆえに、神は道なきところに道を開き、福音伝道のために必須である、日本語を習得するという困難な目的の達成のため、たくさんの医療の仕事のかたわら、日本語を英語であらわす和英辞典の作成に精根を傾けていった。そのため、少しの時間を見いだしては、周囲の人から日本語を話してもらい、それは英語で何ということになるかを一つ一つ書き留めていくという膨大な作業を地道に続けていった。
その過程で徐々に日本語に慣れていくにつれて、彼の人柄が周囲に来る日本人たちの心を動かし、ヘボンを殺害しようとして偽って使用人としてはたらいていた者も、そのヘボンのキリスト者としての真実に触れて、それを思い止まってことなきを得たこともあった。
そして、長い果てのないような日本語ー英語の和英辞書作りの果てにようやく何とか仕上げ、それを中国にて出版する。それができてからは、次々と以後の日本には、その逆の英和辞書、さらには和独、独和、日露…等々次々と外国語の辞典が造られて それによって欧米の知識、文化の取り入れることが一段と可能となっていった。
そして、ヘボンはあとからきた宣教師たちとともに、宣教の基となる日本語の聖書づくりに献身していく。…
こうした命がけのヘボンたち宣教師の信仰に基づく努力により、またすでに完成していた中国語の聖書も重要な参考資料としつつ、日本語の聖書の完成となったのである。
これも、キリストを信じてそのいのちの水がヘボンたち宣教師の魂の奥深くに注がれ、それが主の力によって泉となり、そこから彼らの心深いところからさらに周囲へと、また遠く数千qも離れた東アジア、日本への福音伝道となっていった。
文字通りそれは、一人二人の少数の深くキリストを信じた人に与えられてから、「川のように流れ出た」結果であった。キリストのことば、その預言はこのように、千年二千年という長大な距離と時間を経て成就していく。
そしてこの神の言葉、キリストの真理は全世界に流れていくーこのことは、聖書巻頭の書である創世記のはじめの部分に暗示されている。
そこに記されているエデンの園とは、神ご自身が創造した見て美しく、食べてもよいあらゆる木を生えさせた所と記されており、いわば神の国のような園である。そのエデンの園から、一つの川が流れ出ていて、当時の世界の4つの川となって流れて行った。それは当時知られていたアラビア地方からエジプト、エチオピアなど全世界をうるおすものとなったのである。(創世記2の8〜14参照)
この創世記の記述が、現代に至る大いなるキリストの福音宣教を指し示すものであるとは、通常は気付かれないところであろう。しかし、聖書という書物は、驚くほど、現代に至る世界の歴史に生じた出来事を見抜いて預言している。
神の真理は、だれか特定の人間ー特別な才能や特定の地域だけに留まるものでなく、最初はたった一人のうちに注がれた神のいのちの水がそれで終わることなく、その人のうちで「泉となって豊かに周囲に流れ出る」(ヨハネ7の37)という、イエスの言葉は、驚くべきことだが、その後の世界の歴史において成就していったのである。
そして、今も神は新たな人をこの世から呼び出し、その魂の奥にいのちの水を注ぎ、その人からさらに福音のいのちの水が周囲へと流れだすようにと導いておられる。
S.M(長野)
2021年8月29日の主日礼拝にて
おはようございます。よろしくお願いします。今日このような形で証の機会を与えてくださった神様と吉村さんをはじめ、徳島聖書キリスト集会の兄弟姉妹の皆様に感謝します。
私は今年、63歳になりました。私は半世紀近くにわたって生ぬるい信仰を続けてきたことをお話します。祖父母、母、親族の信仰の姿。日曜学校、ミッション系の学校、教会生活、無教会の集会などなど、神様は良い環境を常に用意してくださっていました。
夫もクリスチャン、夫の両親も姉もクリスチャン。こんなにめぐみをたくさんいただきながら、霊的な成長が全くなく、半世紀を過ごしてきました。
黙示録3章15節「わたしはあなたの行いを知っている。あなたは、冷たくもなく熱くもない。むしろ、冷たいか熱いか、どちらかであってほしい。熱くも冷たくもなく、なまぬるいので、わたしはあなたを口から吐き出そうとしている。」 ラオディキアの教会に書き送られた手紙の一節ですが、まさに私の信仰そのものでした。
黙示録3章17節「あなたは、自分が惨めな者、哀れな者、貧しい者、目の見えない者、裸の者であることが分かっていない。」幼い頃から祈ることはできました。神様の存在も信じていました。でも、本物の信仰ではありませんでした。
結婚式のとき、夫も私もそれぞれに誓いの言葉を神様と集ってくださった人々の前で読み上げました。結婚生活の中で信仰を体現していくこと、子供に信仰を伝えていきたいことなどの内容を綴りました。
ところが、子育てや仕事に追われて忙しく生活しているうちに、神様からどんどん遠のいていきました。気がついたら子供たちが思春期になっていました。子供たちが警告を発するかのように次から次へと問題を持ち込んできました。どうしてこんなにも順調に行かないのだろう。その頃の私は世の中の基準で子供たちを見ていました。
そんなある日のこと。実家の母から電話がありました。徳島の吉村先生が来訪し、集会をしてくださるから手伝ってほしい。母が自宅で集会を定期的に守っていることは知っていましたが、ほとんど無関心でした。
気が進みませんでしたが、母の頼みですし、実家にもご無沙汰しているから行ってみよう。高速道路の運転が苦手な私の代わりに夫に運転を頼み、二人で渋々出かけました。そして本当に久しぶりに聖書の御言葉に触れました。
心が聖霊によって動かされました。集会の帰り道。高速道路を走る車の窓から見える伊那谷の山々を眺めながら、一番大切な事を忘れて子育てをしてきてしまったと後悔と虚しさの気持ちでいっぱいになりました。
私の信仰の生ぬるさは、聖書を真剣に読んでこなかったことにありました。聖書は創世記から黙示録まで一貫してイエスキリストを証ししている書であり、世界と歴史を支配しておられる神様の壮大なご計画が書かれていること。そのご計画の中に私が生かされていること。偽りなき神の言葉として、常にみ言葉に問い、答えを求め聞き従うこと。これらの重要性を知らず、み言葉のつまみ食いばかりをして過ごしてきました。
黙示録3章19〜20節
「わたしは愛する者を皆、叱ったり、鍛えたりする。
だから、熱心に努めよ。悔い改めよ。 見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。
だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、
わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をする。」
イエスさまは私を口から吐き出さず、ずっと戸を叩き続けてくださり、感謝します。私はようやく扉を開きました。
現在、子供達はそれぞれ親になり、私達に4人の孫が与えられました。子供たちや孫たちに福音を伝える器として用いられますようにと祈る毎日です。以上で私の証を終わります。ありがとうございました。
T.M(宮城)
現在私は仙台市内にあります尚絅(しょうけい)学院中学高等学校というところで働いています。キリスト教の学校ということで、毎日礼拝とともに始められている生活に幸いを感じているところであります。しかし、私はキリスト教に関しまして、元来強い関心があったり、熱心に関わろうとした事が一度も実は無い中で、何故ここまで神様が導いてくださったのかと、ただただ一方的な神の導き恵みに驚くばかりであります。
私は栃木県の南部にあります真岡(もおか)市という土地の出身です。
戦中戦後、実家近くの信愛園と呼ばれていた結核療養所を運営していました村松さんという方がいらっしゃったんですけども、その方や宇都宮で独立伝道をされていた竹内先生という方の導きでキリスト教に導かれた両親の間に私が生まれました。
私はですね、年の離れた姉とか兄に連れられて日曜学校から始まりまして、高校では独立学園、大学では宮城県の東北学院大学に進んで、その時に高校の先輩に誘われ、在仙の学生を対象にしていた、東北大学の宮田光雄先生という方の聖書研究会に参加をし、現在の職場に勤めているということです。
すべてがつながりを感じさせられるものなんですね。 また、ひとつ不思議な繋がりが現在勤めている仙台の尚絅学院というところの卒業生、といっても80年以上前の話なんですけれども、その方と私の両親に信仰に与えて下さった方が同一人物だったということがあります。
栃木県のその地元で結核療養所を運営されていた村松さんという方が、実は現在私が勤めている学校の卒業生だったということですね。 その事を知った時には、縁もゆかりもない仙台に来て、偶然今の職場に就職したと思っていたんですけれども、不思議な繋がりがあるなということを感じさせられます。
またですね。信仰を持った妻に出会えたということも、大きかったことと言えますし、仙台の無教会の集会、聖書の集いとの出会いも大きかったように思います。
なぜ私は、このような場所、環境で生かされているのかと色々と考えさせられるところであります。
旧約聖書のヨナに共感するといいましょうか。罪深い自分に対して継続的に神様が導いてくださっていることを感じることができます。自分のいたらなさ、罪深さ、不信仰さに無関係にただただ一方的な神様の導き恵みに驚くばかりであります。
テサロニケ第1の手紙5章16〜18節「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事に感謝しなさい。」を心に留めて生活したいものです。
(10月30日の主日礼拝にて)
「皆心を一つに、同情し合い、兄弟を愛し、
憐れみ深く、謙虚になりなさい。悪をもって悪に、侮辱をもって侮辱に報いてはなりません。かえって祝福を祈りなさい。」
(一ペトロ3の8〜9)
今年の入院で、ある出来事と、この御言葉を思い出しました。25年前に入院した時のことです。6人部屋で同室になった患者さんに、一晩中、音を立てられ、真冬の早朝に窓を全開にされ、テレビも大音量にされるなど、その人がされる行動や会話において、いろいろ迷惑に感じていました。「怖い」と感じる人もいたようです。
看護師長さんに注意してもらっていましたが改善されませんでした。10日ほど毎日、睡眠妨害などが続いたこともあり、とうとう我慢できずに、私ともう一人対その人で言い合いみたいになってしまいました。その人は、外来でもたびたび検査拒否をされていて、治療をはじめる前の検査を急いでいたとのことですが、言い合いをした午後に強制退院となりました。
その当時の私は5か月も入院して会社を休み、アルブミン点滴の間隔や食事療法など治療方針を見直し、最終的にステロイド内服治療を追加するかどうか悩んでいた時で、私の病気に効くかどうかも分からず、こちらの返答次第で判断するという状況でしたが、その当時に信仰を持っていれば、その人への接し方は違っていたかもしれません。
この御言葉にあるように、相手に悪で返さず、良いことがありますようにと祝福を祈れる者でありたいです。
Y.T(徳島)
今日、9月11日は2001年に、ニューヨークで恐るべきテロがあった日です。ロシアとウクライナは互いの正義を主張しそこを治める内戦は方々にあって、死傷者や飢えに苦しむ人々を見捨てています。
このようなことがありませんようにと願い、世界が神様の御心の一つとなり、平和な日が来ることを願って、旧約聖書のマラキ書の一部を読ませていただきます。
「見よ、その日が来る。 炉のように燃える日が。 高慢な者、悪を行う者はすべてわらのようになる。到来するその日は、と万軍の主は言われる。 彼らを燃え上がらせ、根も枝も残さない。
しかし、わが名を畏れ敬うあなたたちには義の太陽が昇る。
その翼にはいやす力がある。あなたたちは牛舎の子牛のように躍り出て跳び回る。 わが僕モーセの教えを思い起こせ。わたしは彼に、全イスラエルのためホレブで掟と定めを命じておいた。見よ、わたしは大いなる恐るべき主の日が来る前に預言者エリヤをあなたたちに遣わす。
彼は父の心を子に子の心を父に向けさせる。わたしが来て、破滅をもって この地を撃つことがないように。」
(マラキ3の19〜24より)
冬の星座
冬空は、四季のなかで最も明るい星がたくさんみられ、しかも大陸からの冷たい風で大気も澄んでいるために、くっきりとその輝きが人々に語りかけています。
夜に、南の空を仰げば、たちまち目に入ってくるのは、オリオン座です。
そのオリオン座の中に見られる三つ星や、二つの赤色と強い白色に輝く一等星とともに世界中で遥かな古代から注目されてきました。
そしてそのオリオンの周辺には、牡牛座、おお犬座、小犬座、双子座、御者座…等々の一等星やそれに準じる強い光を持つ星々を含む星座が集っていて、子供のときから、冬の星座によく見入ったものでした。
今年の冬には、さらにそうした多彩な星座と明るい星々に加えて、木星と火星が見えるので、例年になく、明るい星に満ちた冬空となっています。
木星は、南の夜空にひときわ強く輝く星、まばたくこともなくじっと見つめるように光っている星なのですぐにわかります。
そして、その東のほうに、赤い大きな星、それが火星です。
〇 クリスマス集会 12月25日(日)午前10時より開始です。いつもより30分早く開会しますのでご注意ください。
初めての参加希望の方は、左記の吉村まで連絡下さい。
なお、1年間の感謝を語り合う感話会もあります。
〇1月1日の元日の礼拝は、10時30分からの開会です。今年は元日と日曜日が重なっているので、例年行なっている早朝6時半からの元旦礼拝はなくて、10時30分からの主日礼拝に含めて行います。
見よ、全ての民に与えられる大きな喜びをあなた方に伝える。
(ルカ2の10)