いのちの水2022年2月号 第732号
死の蔭の地に住む者に光が射し込んだ。(マタイ福音書4の16) |
目次
|
|
・集会案内 |
〇イラストは、 スイセン 描いた人は、集会員の米田 武子さん
主イエスは常に語りかけている。
来れ、そして見よ! と。
湖上のイエスも、言われた。
波立つ湖上にあって、それは不可能なことだった。
しかし、イエスを一心に見つめているときには、その奇跡が生じる。
この世は、海である。絶えず波立ち、大きい波は人を呑み込んでしまう。そして二度と生きて帰らないこともある。
呑み込もうとする力に抗して、その上を踏んで歩めるとは何という驚くべきことだろう。
一心にー心を込め、理性を尽くし、魂を込めて見つめていくとき、不思議な力が与えられる。
これは、求めよ、さらば与えられん、という主イエスの約束である。
私を仰ぎ望め、そうすれば救われる。
キリストから五百年以上も昔にすでに、このように救いはただ、この宇宙を創造し、いまも世界をささえている神を信じ、その神を仰ぎ見ることによって私たちは救われるという根本は変わらない。
ここに福音ーよき知らせがある。
水をぶどう酒にー
恵みをあふれさせる主
ヨハネ福音書に、イエスによって水がぶどう酒に変えられたという記述がある。
現代において、一般的には、このことだけを聞かされても、奇妙なこと、ありえないこと、単なる昔の作り話ではないのか…といったことしか連想されないことだろう。
しかし、このことが書かれているヨハネ福音書は、四つの福音書の中ではとくに霊的福音書とも言われてきたように、一つ一つの出来事や言葉のなかにも、表面的に読むだけでは到底わからないさまざまの霊的真理が秘められている。ここでは、それらの幾分かでも受けとったことを記したい。
… 三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があって、イエスの母がそこにいた。
イエスも、その弟子たちも婚礼に招かれた。
ぶどう酒が足りなくなったので、母がイエスに、「ぶどう酒がなくなりました」と言った。
イエスは母に言われた。「婦人よ、私とどんなかかわりがあるのです。私の時はまだ来ていない。」
しかし、母は召し使いたちに、「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」と言った。
そこには、ユダヤ人が清めに用いる石の水がめが六つ置いてあった。いずれも二ないし三メトレテス入りのものである。
イエスが、「水がめに水をいっぱい入れなさい」と言われると、召し使いたちは、かめの縁まで水を満たした。
イエスは、「さあ、それをくんで宴会の世話役のところへ持って行きなさい」と言われた。召し使いたちは運んで行った。
世話役はぶどう酒に変わった水の味見をした。このぶどう酒がどこから来たのか、水をくんだ召し使いたちは知っていたが、世話役は知らなかったので、花婿を呼んで、
言った。
「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、酔いがまわったころに劣ったものを出すものですが、あなたは良いぶどう酒を今まで取って置かれました。」
イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた。(ヨハネ二の1〜12)
-----------------
この箇所では「三日目」ということから書かれている。なぜ、三日目と書かれているのか。これは、洗礼を授けていたヨハネが、人々からあなたは何者なのか、と問われて、旧約聖書(*)を用いて、「私は、イエスの履物のひもをとく値打もないー主人と奴隷のようにかけ離れた御方だ。私は来るべき方(キリスト)のために道を真っ直ぐにするために荒野で叫ぶ声だ」と言った。
(*)私は荒野で叫ぶ声である。「主の道を真っ直ぐにせよ」と。(イザヤ40の3)
その日から、三度「その翌日」に起こったことが記され、さらに三日目となるので、最初からでは、七日目(*)に起こった出来事であることを示している。ここにも、こうした一連の出来事を含め、万事が神の御計画、その祝福のうちになされているということが示されている。
ヨハネによって、イエスのことが公になされて七日目に、この水をぶどう酒に変えるという奇跡(しるし)が記されている。それはこの内容が特に重要だからである。七というのは七日目に天地創造を完成されて祝福された、完全数である。
(*)聖書における7という数の意味について、この文の終わりに付加した。
今日の箇所は、イエスが新しく弟子を迎え入れ、そこから人々の所に出ていく最初のところである。マタイ福音書は、そのあと山上の教えがあり、そしてそのあと最初に行ったところが書かれている。それは人々にもっとも蔑まれ見捨てられていた、らい病(**)の人のところである。
マルコ福音書では、弟子たちに、私に従いなさい、と語りかけて、一部の弟子が従ってくるようになったその後では、汚れた霊に取りつかれた人の出会いが書かれている。悪霊に、この人から出て行けと言って悪霊を追い出された。また、それから、病人や汚れた悪霊に取りつかれた人を癒し、悪霊を追い出したとある。ルカ福音書も4章のはじめには悪霊を追い出したとある。
しかし、ヨハネはそれとは対照的な、華やかな婚礼の場面が出てくる。他の福音書と違ったところから一般の人々との関わりの記述が始まっている。
ヨハネ福音書がこのような記述となっているのも、ヨハネが深い祈りのなかで受けた神からの啓示によってそのように記したのである。ヨハネが考えて記述を並べたのではない。
代表的なキリストの使徒であったパウロも自分でいろいろと思索し、学問的に結論づけてイエスを信じたのではないように、また、アブラハムが自分の故郷から千五百キロほども遠いカナンの地に旅立つ決心も、神からの呼び掛け(啓示)を受けたからであった。
また、旧約聖書の後半部に新約聖書とも深い内的なつながりを有していて、聖書全体においても重要な部分をなしている預言書もその預言を受けた人たちは、学問や研究、あるいは経験とか、生まれつきの能力で考えたことを書いたのでは全くない。それは一重に、かれら預言者の人生のあるときに、生きて働く神が突然明瞭に語りかけたことを伝え、それが書き取られて神が後の時代にと残されたものだった。そのように、聖書において重要なことは、すべて啓示によってなされている。
このヨハネ福音書も、そうした啓示をうけて記されたのであって、この結婚式における水がぶどう酒に変えられたという記事も同様である。
結婚式で宴会に出すぶどう酒が足りなくなった。それに気が付いたイエスの母マリアは宴席の責任者や主催者に言うのではなくイエスに言った。イエスに何か特別な力があると感じていたからである。その母に対してイエスは、普通に「お母さん」と家族に対するように言ったのではなかった。
家族ではない他者のように「婦人よ」と言った。この「婦人よ」という呼び方は、イエスが十字架につけられたとき、母マリアに言った言葉でもある。母と愛する弟子を前にして母に「婦人よ」と言った。(ヨハネ19の26)
今日の箇所でも、同じ「婦人よ」ということばを使っている。イエスは肉親をも距離をとっているのである。
肉親だからといって、本当の父母なのではない。イエスは、次のように全く新しいことを言われた。
「だれでも、私の天の父の御心を行う人が、私の兄弟、姉妹、また母である。」(マタイ十二・50)
このことばを聞いて、自分などとても父なる神の御心(ご意志)(*)を行なえない、だから私はイエス様の兄弟、姉妹、母だなどと全くいうことはできないーと思っている人は、この御心を行なうという言葉を取り違えていることになる。
(*)日本語訳では、「御心」と訳されてきたが、原語のギリシャ語は、セレーマ thelema であって、「意志」という意味の言葉。心を意味するギリシャ語は、カルディア(kardia)。
主の祈りにおいても、御心が天に行なわれるように地でも行なわれるように という重要な祈りがあるが、これも、本来は、(神の)ご意志が天に… であって、心ではない。
心とは、ときに意志的なものをも含んで使うこともあるが、本来は主として悲しみや喜び、怒りなどを感じ取る働きを言う。 「人の愛を心に感じる」とか、「ある人のよき行動に感動ー心動かされた」ー等々。これらを 愛を意志に感じるとか、意志動かされた などとは言わない。
それに対して「意志」とは理性的なものであって、あることを行なおうとする考え。
知・情・意 と言われるように、情がこころ、意は意志で、知識や感情に対立するものである。
それゆえに、神のお心がなりますように、というのでは神の感情がなりますように…といったニュアンスとなってしまう。
そうではなく、神の不動の真実、愛、正義のご意志がなりますように、という祈りであるから、主の祈りのような極めて重要な内容を持ったものは、 御心がなるように、ではなく、神のご意志が成るように という訳し方が本来の原文の意味に沿ったものといえる。
じっさい、主の祈りのこの箇所ー「御心が天になされるごとく、地にもなりますように」ーは、外国語訳は、例えば英語なら、(心ーheart でなく)、40種以上もあるの英訳ほとんどが 次のように will を用いている。
KJV Thy will be done in earth, as it is in heaven.
NRS Your will be done, on earth as it is in heaven.
NIV your will be done on earth as it is in heaven.
NJB 10 your will be done, on earth as in heaven.
私たちが、嘘をつかず、弱き者への配慮を思って考え、行動するということは、神様のご意志にかなうことの一つである。しかし、そのようなことで神のご意志がつくせるのではない。神のの愛や真実、清さ、正義等々は無限に深く、広く高い。我々がいかに精一杯勤めてもその神の無限の愛や真実などとは果てし無く遠い。
それゆえに、厳密に神のご意志が行なわれているのか、などと問われるなら、誰一人行なえてはいないということになる。
しかし、罪を犯したら十字架を仰いで赦しを祈り願う、すると主はかえりみて赦しの賜物を与えてくださる。
… 私を仰ぎのぞめ、そうすれば救われる。(イザヤ書45の22)
そのように、主を仰ぎ見て救いを与えられることこそ、愛なる神のご意志であり、いろいろな人間的なもの、罪を犯してしまったと思うとき、すぐに十字架を仰いで赦しを乞う、そして赦しを与えられて感謝することこそ、神のご意志であり、この単純なことが神のご意志を行なうことになる。
誰でも罪がある。しかし、そこから主を仰ぐことが御心なのである。そこから感謝して主を仰ぐとき主イエスの兄弟姉妹となることができる。
イエスの母、マリアはイエスの特別な力を信じていた。だから、何か言われたら、その通りにするように召使に言った。
婚礼の場の近くには、ユダヤ人が清めに用いる石の水がめが6つあり、それぞれの容量は百リットルほど(百キロ) (*)ほどであったから、合計すると六百キロもの水となり、運ぶのには相当な力が必要となる量である。
(*)それぞれの容量は、二ないし三メトレテス入りのものとある。1メトレテスは約40kg(40リットル)なので、それぞれの石がめは、80キロ〜120キロもの重さとなり、それが6つあるということは合計600sほどにもなる。
なぜ、それほどの水が必要なのか。宴会も終わりなのに、それに水を満たせと言う。ふつうなら、なんで、今頃、宴会の終わりに大量の水がいるのかと思う。しかし、召使たちは黙って従った。それを持ってきなさいと言われて、何人もの人が運んだのである。そして、飲んでみたらぶどう酒だった。膨大なぶどう酒がいったいどこから来たのか。
イエスに、水をその大きな水がめにいっぱいになるまで入れよ、と言われて、人々が従ったら、ただそれだけで、その時いちばん必要なものになったのである。しかもその味が良いぶどう酒であった。
ヨハネ福音書では、このときイエスがらい病人のところに行かれたとか、悪霊を追い出されたとか、全盲の人のこととかには触れていない。このつぎに出てくるのがサマリアの女性の話である。
ヨハネ福音書においては、なぜほかの三つの福音書と異なる記述なのか。
それは、イエスがなされた癒しや弱き者、見捨てられた人たちのところに深い愛と力をもって行く、そうした力や愛の根源にあるものを示しているのである。すべての力、愛、憐み、それはどこからくるのか。癒しを行い悪霊を追い出すということは、神の憐みと神からの力に満たされていたからこそ可能となった。
絶望的な状況にある人たちへの愛と癒し、その根底にながれていることは、イエスの力によって、よきものに変えられるということ、その祝福にみたされると言うことである。
その良きものーここではぶどう酒で象徴されているーはどこからきたのか。その祝福、力は、どこからきたのか。それは、いかなる経験やカネ、権力、あるいは学問や生まれつき等々からは来ない。ただキリストから、神から来る。
人の称賛する高い地位、注目されること、褒められること、しかしその栄光はだんだん忘れさられ、見捨てられていくことが多いし、そのようになると、苦いものが次々と生じてくることも多い。
「それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。」
(ヨハネ一・14)
「私たちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。」(ヨハネ一・16)
無限にある、海のようなあふれる恵みから、いかに少ないとはいえ、キリスト者は、何らかの主の恵みを常に受け取ってきた。そして、恵みの上に、さらに恵み、また、ことなる恵み、それを受け取ってきた。
その恵みの根本は、十字架にある。恵みと真理はイエスを通して与えられた。満ち満ちたものを与えるキリスト。それをここでは巨大な容量のぶどう酒として、指し示しているのである。
神の赦しを一度受けたら、人間のゆるしや称賛の行為を受ける必要がなくなる。過去の失敗も人にはわかってもらえないことがある。しかし主イエスはわかってくださる。ただ、イエスを仰ぐだけで、かけがえのないものを与えられる。
それは、値しないものに与えられた恵みである。
「このように、私たちは信仰によって義とされたのだから、私たちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており」
(ロマ書五・1)
「罪が増したところには、恵みはなおいっそう満ちあふれた。」(ロマ書五・20)
罪を深く認識するとき、その赦しがさらに深く与えられる。
「水をぶどう酒に変える」そのことが指し示す内容は私たち自身がキリスト者となったときから、なされている。どこにでもあるものを、神は特別な喜ばしいもの、良きものに変える。
それは、まわりのさまざまの自然も、神の愛と全能の御手によって創造されたと信じてみるとき、何の変哲もない大空や白い雲、また野山に見られる雑草たち。
それらは水のようにどこにでもある。しかし、主の愛と真実がそこにこめられていると信じて見るときには、大いなる神の愛の御手がそこからうかんでくるのであって、それも、水がぶどう酒に変えられるということである。
水がぶどう酒に変えられる、さらに考えると、水そのものは不可欠なもの、極めて重要なものである。
聖書の地域のような乾燥地帯においては日本よりも水の重要性ははるかに強く感じられる。
しかし、そのように重要な水もふだんは当たり前のようになってありがたいとか毎日の水に感謝しているという人は、日本ではとくに少ないのではないか。
水がぶどう酒に変えられるということは、一般的に重要なこと、健康もー体の一つ一つの目が見える、聞こえる、歩ける、味わえる、香りがわかり、戸外の風にふれ、またよるの星々の永遠の清さにも接することができる、水が飲める、食事がうまくでき、排尿、排便なども不都合なくできる、そのような当たり前のようなことも、水が味わい深いぶどう酒に変えられるということは、それらの日常的なことが、一つ一つ、味わい深いものとして変えられるということでもある。
以前には、何も深いものを感じなかった風の音、山の木々の風にそよぐ音、一輪の野草の花や、雲の日々のたたずまい、色や動き…そうしたものも、水がぶどう酒に変るように、味わい深いものとなっていく。
それゆえに、神と深く結びついた人は、服装も住まいも、食物その他においても、身近な小さきもので十分満たされるようになっていく。
寝たきりの人であってもー健康なひとなら耐えがたい生活であってもーそこに深い平安と静かな喜びさえ与えられるひとたちもいる。
それは、部屋でじっといるという水のような生活が、キリストの霊、そのいのちの水によって満たされるから。
トルストイの有名な長編「アンナ・カレーニナ」は、普通の男女の恋愛小説などとは全くスケールの異なる、深い内容をたたえたものであり、今からちょうど50年前に初めて全巻を読み終わったとき、それまでの日本の夏目漱石、芥川、?外、島崎藤村…等々の作品とはいかにかけ離れたものかを思い知らされたことは忘れられない。
その三段組のぎっしり小さい文字のつまった六百頁を越える大作の冒頭、最初の言葉も心に残っている。
「幸いな家庭はすべてよく似通ったものであるが、
不幸な家庭はみなそれぞれに不幸である。」
幸福といえば、健康、家族仲良く、生活安定…という似た状況だが、不幸といえば、病気やからだの障がいーこれにも実にさまざまのものありそれによって苦しみも全くことなるようになる、事故、災害、政治、社会的混乱や迫害、圧迫、戦争、飢饉、家族の不和や問題、職場の困難…等々、それぞれにみな千差万別であるほどに、この世の不幸ー苦しみや悲しみはありとあらゆる多様性をもって人間に迫ってくる。そうした人間世界の深い問題を鳥瞰しつつ、人間の歩むべき道は何であるのか、そのことに関してこの作品は書かれていくのだと宣言されている。
そしてこの長編作品の最後には、
「自分は、何のために祈るのかよくわからないながらも、祈り続けていく」こと、そして「今後の自分の生活のすべては自分に起こってくるいっさいを越えて、いその生活の一つ一つの部分が、いままでのように無意味でなく、疑いのない善き意味を持っているのだ!」という言葉で終わっている。
日常生活のなかでも、それぞれの家に特有の悩み、苦しみ、あるいは悲しみがある。あまりにも困難な状況に直面したとき、祈っても祈っても何ら状況も変化しないとき、祈ることそのものにわからなくなってくることさえあるだろう。
しかし、それでもなお、だからこそ、祈りを続ける。 神は究極的な善そのものであり、愛そのものであるゆえに、小さな私たちの取るにたらない歩みをも善に変えてくださると信じて歩む。
主を信じて歩むときには必ず最終的には、良きものに変えられる。
これもまた 水がぶどう酒に変えられていく ことに他ならない。
使徒パウロのことばにも「万事が益となるように、共に働く」(ローマ8の28)と言われている。
このことも、はじめは苦しく、苦いことも多々あるが、主を信じるときには、最終的には、「万事が益となるようにともに働く」。
苦い水がぶどう酒に変るようなものである。
詩編23編もまた、深いめぐみを注ぎ続ける神を示している。
「主はわが羊飼い、私には何も欠けることがない。
主は私を青草の原に休ませ、
憩いの水のほとりに伴い、魂を生き返らせてくださる。
主は御名にふさわしく私を正しい道に導かれる。
私が死の陰の谷を歩むことがあろうとも、災いを恐れない。
あなたが私とともにいてくださるゆえに。
わが敵を前にしても、あなたは私に(霊的な)食卓を整えてくださる。
私の頭に香油を注ぎ、私の杯を(神の恵み、祝福で)溢れさせてくださる。
命のある限り、恵みと慈しみはいつも私を追う。
主の家に私は帰り、生涯、そこにとどまる。」
(詩編23編)
キリスト者であっても、なお自分自身の歩みがいかに自分中心であるか、愛や真実に欠けているか、そして自分や家族の病気、事故、その他のさまざまの問題、そして社会の現状をみていたら、どこに神の恵みがあるのかという気持ちになることは誰でもあるだろう。
この詩においても、「死の陰の谷を歩んできた」という表現において作者の苦難の体験がにじみでている。
それが最もおそるべき形で襲ってきた場合には、イエスのようなあらゆる奇跡を起こす力を与えられていた神の子でさえも、人の子でもあったゆえに、人々から見捨てられ、侮辱され、そのあげくに十字架に付けられて想像を絶する苦しみに置かれたとき、「わが神、わが神、どうして私を捨てたのか!」と全身から振り絞るような叫びをあげたのだった。
しかし、そのような状況にあっても神はイエスを見捨てたのでなかった。三日後には復活し、神のみもとへと上られ、神と同じ永遠の力と愛をもった存在としておられるようになられた。そしてさらに聖霊(神の聖なる風)として、私たちのところに風のようにきてくださる存在となられた。
この詩が書かれて三千年、この何者にも犯されない真理そのものから出た言葉は、現在も新鮮であり、夜空に輝く星のごとくである。
私たちも、この世のさまざまの闇に満ちた動向に引っ張られることなく、永遠の真理に立って歩もうとするとき、この世からしばし離れて聖書の世界にに向き合う時、立ち止まってイエスを仰ぐとき、魂が満たされて、恵みを受け取り、また改めて前に進む力が与えられる。
(2月20日(日)主日礼拝の講話 参加者56名・スカイプによるオンライン集会)
7という数は重要な意味を持っている。4と3の和であるが、4も、地上世界は4隅と考えられていたこともあり、黙示録でも、「大地の四隅に四人の天使が立って…」(黙示録7の1)、また、玉座に座っている方(神の手に七つの封印…)(同5の1)、殺された小羊には、七つの角と七つの目があった。(同5の6)
さらに、3という数も、神とキリストと聖霊の三つの本質が同じだということが新約聖書ではいろいろな箇所で記されている。
また、イエスの十字架刑のときにも、イエスの他に重罪人が二人処刑され、合わせて3人となる。その中心には、イエスがいて左右には、悔い改めた罪人、そして悔い改めないで最後までイエスをのろった罪人がいた。その両者に適切な報いを与えるのが中心の人の子であり神の子である。これも地上のあらゆる人たちをこのように分けていると言えよう。
(別の箇所では、世の終わりに、イエスが人々を羊と山羊に分けると記されている。マタイ25の32〜33)
7は、聖書の初めから、天地創造が七日でなされたことが記されていて、第七日が完成した日でその日をとくに聖別して祝福したとある。
また、エジプトから神の力によって解放された民が、40年にわたる荒野の旅を終えて、目的地のカナンに入るとき、エリコの町を守っている城壁を崩す必要があった。そのためには、六日間町を周り、七日目には七人の祭司が、七つのラッパを持って七回町をめぐり、ラッパを吹き鳴らしつつ、その後に神の言葉の入った箱を先頭にして進んだ。そして七度目にまわったとき大声で叫んだ。そうするとエリコの城壁が崩れ落ちた。(ヨシュア記6章)このように、敵対する力との戦いに勝利するために、まず武力、ではなく、まず神の祝福を受けるために7人の祭司、そのあとに神の言葉を人々の先頭において町の周りを巡った。それは、神の祝福、力を与えられるようにとの祈りの歩みであり、それを7という数が象徴していた。
なお、すでに述べたように、創世記での七日目に神が休み、祝福したことから、現在の世界中で行なわれている安息日と言われる日は、キリスト教では、主の日(日曜日)、ユダヤ教では旧約聖書の安息日で土曜日、イスラム教では、金曜日が、いずれも一週間ー七日に一度の、特別な礼拝の日とされている。
日本でも、七日に一度の休みは、明治になってから欧米の日曜日を休日として礼拝するというあり方のうち、礼拝を除いて単に仕事を休むという形式を取り入れた。しかし、政府期間や大企業以外にはなかなか浸透せず、また農林水産業とか商店では日曜日に休むことは難しかったから、全体に行き渡らなかった。それが7日に一度、日曜日に休みとなって広く社会に浸透していったのは戦後であった。
この意味からでも、7という数字は全世界を広く包んでいると言うことができる。
聖書における「らい病」の原語とその訳語について。
聖書において、らい病、ハンセン病、あるいは重い皮膚病などと訳される原語(ヘブル語)ツァラアトなる病に犯されていた人のうちには、非常な重荷であり、苦しみであったことがうかがえる記述がある。
どんな犠牲をはらっても癒されたいという切実な願いを起こすほどのものだったことは、次のような例をみてもうかがえる。
シリア王の軍隊の長であったナアマンは、捕虜の娘が、イスラエルの預言者エリシャが癒す力を持っていることを聞いて、わざわざ王の認可を得て、王からの手紙を持参したうえで、はるばるイスラエルのエリシャまで馬に乗って金銀など高価な贈り物まで持参して出かけたことが記されている。
(列王記下5の1〜10)
大変な労苦と金品をもって癒されるために国外に出向くーそのことだけをみても、これは単なる「重い皮膚病」と訳される類のものでないことが浮かび上がってくる。
ハンセン病(らい病)と訳されるギリシャ語の原語は、レプロス lepros。これは、ヘブル語のツァラアトの訳語として 旧約聖書のギリシャ語訳聖書に用いられている。この語から、英語の leprosy(レプロジー ・ハンセン病)、 leper(レパー・ ハンセン病患者)などが生じている。
これは、ヘブル語のツァラアト のギリシャ語訳 lepros として用いられている。
現代のように、ライ菌などというのはわからなかったから、外部の症状でひどい特有の症状が生じていものを、ツァラアトと称していた。これは旧約聖書で20回ほど現れる。
ツァラアトとされている者も治る人たちもいたので、これは現代のハンセン病以外の皮膚病の人も含まれていたことがわかる。
しかし、ツァラアトの人たちのうち、ハンセン病(らい病)であった人たちは、癒されることなく、次第に手足、顔面も犯され、正視するに耐えないほどの状態にもなるために、家族からも人々からも隔離され、その孤独と苦しみとは計り知れなかったであろう。
それは、旧約聖書の時代のイスラエルだけでなく、ハンセン病は、人類の歴史上もっとも古くから知られ、恐れられてきた病気の一つだとされている。天刑病という、天の刑罰として与えられた病気なのだという病名さえあった。病気そのものの苦しみが耐えがたいそのうえに、周囲からもそのように見られることはいかに生きることが困難であったか、それは現代の私たちの想像を絶するものであったろう。
顔面に布を巻いて、外部から持ち込まれる貧しい食物で辛うじて生きていくという状態になったことは、日本での患者の状態の記述にも見られ、私も幼少のときに、母親などから、らい病の人たちの非常な苦しみを知らされていた。顔に包帯巻いて家々を四国遍路しつつ、家々にて施しを受けつつ、あちこちをさまよい歩く、そして夜に寝るところもなく、寺社の軒下や橋の下などで辛うじて雨風、寒さをしのぎつつ、人々から忌み嫌われ、さげすまれて生きる。冬の寒いとき、ふとんも何もないところでいかにして生きていけようか。そのうち次第に病気は進行して、ついには歩けなくなり、苦しみとたとえようもない孤独や悲しみのうちに野外で死んでいく。
イエスは、そうした果てしない絶望、悲しみ、また苦しみに置かれていた人たちに、まず近づいていかれた、というのが、マタイ福音書八章の記述であり、そこに、この福音書が、山上の教えの直後にこのことを記している意味が感じられる。
それゆえに、このヘブル語でツァラアト、ギリシャ語で、レプロスと訳されている人たちのなかで本当のらい病の人たちの苦しみは、この原語を一律に 原語のまま、ツァラアトと訳したり、重い皮膚病、あるいは、聖書協会共同訳のように「規定の病」などと訳することで、らい病の人たちに対するイエスのお心やその背後の神の愛がわからなくなってしまう。
そもそも、「規定の病」という訳語で、読む人はいったい何がわかるであろうか。
規定とは決まりであり、規則である、規則の病などといっても何のことか分からない。だれも分からないような言葉を使うのは訳したことにならないと言えよう。
-----------------------
このヘブル語のツァラアトのギリシャ語訳である レプロス lepros(形容詞・名詞として使われる) を、日本語訳では、マタイ8の2節について次ぎのように訳されている。訳を比較する。
@新共同訳…重い皮膚病
A聖書協会共同訳…規定の病
B新改訳…ツァラアト
C新約聖書翻訳委員会訳(岩波書店発行)…らい病
Dバルバロ訳(カトリック)…らい病
・英訳の訳語
@leper…KJV
Aa man with leprosy…NLT
Bleper…NRS
CA man with leprosy…NIV
Da man with a virulent skin-disease…NJB
〇次の田嶋さんご夫妻の文は二〇二〇年12月6日の徳島聖書キリスト集会のオンライン主日礼拝のときに語られた五分間の証しです。
主の導きによるつながり 田嶋 誠(宮城)
まず私の方からお話をさせていただきます。現在私は仙台市内にあります尚絅(しょうけい)学院中学高等学校というところで働いています。キリスト教の学校ということで、毎日礼拝とともに始められている生活に幸いを感じているところであります。しかし、私はキリスト教に関しまして、元来強い関心があったり、熱心に関わろうとした事が一度も実は無い中で、何故ここまで神様が導いてくださったのかと、ただただ一方的な神の導き恵みに驚くばかりであります。
私は栃木県の南部にあります真岡(もおか)市という土地の出身です。戦中戦後、実家近くの信愛園と呼ばれていた結核療養所を運営していました村松さんという方がいらっしゃったんですけども、その方や宇都宮で独立伝道をされていた竹内正先生という方の導きでキリスト教に導かれた両親の間に私が生まれました。 私はですね、年の離れた姉とか兄に連れられて日曜学校から始まりまして、高校では独立学園、大学では宮城県の東北学院大学に進んで、その時に高校の先輩に誘われ、在仙の学生を対象にしていた、東北大学の宮田光雄先生という方の聖書研究会に参加をし、現在の職場に勤めているということです。
すべてがつながりを感じさせられるものなんですね。また、ひとつ不思議な繋がりが現在勤めている仙台の尚絅学院というところの卒業生、といっても80年以上前の話なんですけれども、その方と私の両親に信仰に与えて下さった方が同一人物だったということがあります。
栃木県のその地元で結核療養所を運営されていた村松さんという方が、実は現在私が勤めている学校の卒業生だったということですね。その事を知った時には、縁もゆかりもない仙台に来て、偶然今の職場に就職したと思っていたんですけれども、不思議な繋がりがあるなということを感じさせられます。
またですね。信仰を持った妻に出会えたということも、大きかったことと言えますし、仙台の無教会の集会、聖書の集いとの出会いも大きかったように思います。
なぜ私は、このような場所、環境で生かされているのかと色々と考えさせられるところであります。旧約聖書のヨナに共感するといいましょうか。
罪深い自分に対して継続的に神様が導いてくださっていることを感じることができます。自分のいたらなさ、罪深さ、不信仰さに無関係にただただ一方的な神様の導き恵みに驚くばかりであります。
テサロニケ第1の手紙5章16〜18節「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事に感謝しなさい。」を心に留めて生活したいものです。私からは以上です。
信仰に導かれた歩みから
田嶋 恵子
私は静岡市で生まれました。両親は家を建てるときにひとりでも多くの地域の方々に神様の愛をお伝えしたいとの願いを持っていました。日曜集会や日曜学校、平日は近所の中学生に「勉強を教える代わりに聖書の話を聞くこと」と言って絶えず子が集まってくるという生活の中で育ちました。私の周りには無教会の信仰を持ち、父を応援してくださる兄弟姉妹がいつもお祈りしてくださって、子供ながらも神様の平安を感じていました。
私が中学2年のとき、私は心臓肥大症と診断されました。父がクリスチャンのお医者様のところに連れて行ってくれました。中学3年生になって皆が受験勉強している中、ストレスがかかると言うことで、静岡駅近くの予備校に行くことは許されませんでした。
そのことで悲観的になってテレビをなんとなく見ていたとき、キリスト教独立学園の「土と祈りの青春」の再放送が流れていました。パートから帰ってきた母に、「キリスト教独立学園を受験したい」と伝えると、慌てて確か大阪方面の集会に行っていた父に連絡をとり、父が帰るとすぐに石原正一さんに連絡して、石原さんの娘さんで独立学園で当時働いておられた田口頌子さんに連絡してくださって、ご主人の田口宗一先生に伝えてくださったおかげで、私が独立学園を受験し、入学することが許されました。
もちろん心臓肥大症は、そのときはまだ完治していませんでしたが、お医者様は「空気が良くてストレスのないところに行くんだから大丈夫。ただ、初めは山登りとか、激しいことは控えるように。」と、レントゲン写真と診断書を持っての入学でした。
独立学園ではあまりにも高く深く広いお話に消化不良状態だったと思います。いまになって思い出し、そんな時、聞いたことや経験に感謝することが多くなりました。それなのに独立学園を卒業後、20歳代前半はあまり神様を真剣に求めていなかったように思います。1991年に独立学園で出会った主人と結婚して、仙台の集会、「聖書の集い」に参加するようになりました。
2010年の夏であったと思いますが、私の父が施設に入居して、すでに一年半ほど前から、言葉は頭の中にあっても言葉として伝えることができなくて、ただうんうんと頷くだけでした。会話は二者択一でしていました。会いに行ったとき、ヨハネの福音書の御言葉という卓上の日めくりを、母が「一緒に読もう」と言うと、「わたしが道であり。」と読み始めると、すぐに父が「わたしが道であり真理であり命である。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」と言うんです。驚きでした。また先生が静岡まで来てくださったときも集会の姉妹と「千歳の岩」を2番まで賛美したとお聞きしました。
その時、聖霊なる神様が働いてくださり、父の魂が守られ、慰めと励ましを受けた事、その恵みに心から感謝しています。
今の私たちの繋がりも生きて働いてくださる神様の愛、その真理をもって、心に働いてくださったからだと信じて神様に感謝しています。神は愛なりです。
最近、娘が仕事に疲れ悩んでいたところ、集会の方の紹介で世田谷の信愛ホームの寮でのお炊事の仕事が与えられ、
来年(2021年)1月から働かせていただくことになりました。期間はわかりませんが、その仕事は初めてなので、しっかり果たせられるのかどうか、不安な中での出発ですが、どうぞ覚えてお祈りいただけたら嬉しいです。よろしくお願いします。私達はいつどのようになるのかわかりませんが、日々聖霊様に導かれて歩みたいと願っています。以上です。
(お祈りを感謝しています。先程の娘は今は新しい仕事が与えられました。)
一月下旬に、阪神エクレシアの代表であった、川端紀子さんが召されました。川端さんの記念として、徳島聖書キリスト集会の文集「野の花」に投稿された文章を掲載し、それによって川端さんの心に、キリストが刻んだ内容の一端でも覚えていきたいと思います。
-----------------
主とともにある喜び
川端紀子(神戸市)
「わたしはあなたを固くとらえ 地の果て、その隅々から呼び出して言った。あなたはわたしの僕 わたしはあなたを選び、決して見捨てない。恐れることはない、わたしはあなたと共にいる神。たじろぐな、わたしはあなたの神。勢いを与えてあなたを助け わたしの救いの右の手であなたを支える。」
(イザヤ書四十一・9〜10)
今年の夏は例年になく厳しい暑さでした。時も移り、金木犀が香り、尾花(すすき)が風に揺れ、自然は短い秋を謳歌しています。
私は今、長男のカフェの手伝いで毎日出向いています。
毎朝、店のある山陽電車の東垂水駅を降りると随分高台になり明石海峡が眼下に広がります。大きな空、水平線を見渡す海、淡路島、空の青と海の青が迫って来るように思えます。天候によりその表情はいつも変化します。美しいですね。
「天は神の栄光を物語り 大空は御手の業を示す。」(詩篇十九・2)
神さまの御業は大きく広く深く測り知ることが出来ません。
心が清められ、本当の変わることのない平安の中で讃美と祈りが湧き溢れます。
何一つ取り柄なく地の塵に等しいこの者を敢えて選び、わが僕と呼び、いつも聖名を呼び主を仰ぎ見る時、神さまは一緒に居てくださり、護り導き、支え、助けてくださいます。
救われたことの喜びを感謝しつつ、一日の出発です。
いちばん善きことは、神さまが常に側に居てくださることを知ることです。そして又多くの方々の祈りのあることも忘れず、信仰の導き手であり、これを完うしてくださる主を仰ぎ見つつ歩ませていただきたいと祈ります。
たえず祈れ
川端 紀子
先日「石井のお父さん、ありがとう」というDVDを知人から借りて久し振りに観ました。この映画は十年程前に作られた もので、その時も大きな感動を持って観たことを思い出します。
明治時代、まだ福祉という言葉もなかった時、三千人近い孤児を救った福祉の父とも呼ばれた石井十次の話です。
石井は一八六五年に宮崎県で生まれ、岡山の医学校で学んだのですが、孤児救済に一生を捧げる決心をすると同時に退学、生涯を岡山と宮崎で孤児院を開き、四十八歳の若さで召されました。彼の言葉です。
「親のない孤児よりも、もっと不幸なのは心の迷い子、精神の孤児なのです」 |
「魂の孤児になることが一番、可哀想」
聖書を通しみ、言葉を、そして祈りを通して、知的障害児であれ 病弱児であれ、来る者を拒まず受け入れた彼の働きの中に神のみ力と導きを見ます。神の臨在なくして人間の幸せ、そして心の豊かさはないのです。
石井の凄まじい祈りが苦難の歩みを支え、神の業へと導かれたのでしょう。彼自身の血の滴るような祈りはその仕事を通し て無償の愛を生かしたのです。
石井十次の働きは素晴らしく、そして偉大です。でも彼も神 の僕にすぎず、働かせ給うたのは神であり彼の働きを通して主の聖名がほめたたえられたのです。
「彼を祈らしめ、家族が、そして関わった多くの人達の愛と祈りが神に届き彼を働かせたのでありましょう。
祈りは、主にあってなされるとき、すべてを変える力、愛の源となります。人間にだけ与えられた神さまとの交わりであり、私の隠れ家そして呼吸なのです。神から与えられた最高の恵み、神は常に語りかけてくださいます。
「たえず祈れ、常に祈れ、たゆまず祈れ」、いつも祈りの中に住まわせていただきたいと思います。
神は最後に一番善い仕事を残してくれる
それは祈りだ
手は何もできないけれど
最後まで合掌できる
愛するすべての人の上に
神の恵みを求めるために!(ヘルマン・ホイヴェルの詩より)
いつも祈れる者でありたいと思います。
祈りの中に神様はいつも一緒に居てくださいます。
喜びと感謝と希望です。
主の聖名の崇められますように。(「野の花」 2015年一月号)
川端紀子さんの長女、川端麻里亜さんから、葬儀のためにと、お母様の選んでいた聖書箇所や賛美を知らせてくださっていましたので、ここに記念として記します。それによってこの聖句は川端(紀)さんを越えて、読む人の心にも新たに流れ入り、よき働きをすることがあるからです。
…われ地のはてより汝を
たずさえきたり
地のはしより汝を召し
かくて汝に言えり
汝はわが僕、われ汝を選びて
捨てざりき、と
おそるることなかれ、われ汝とともにあり
驚くことなかれ、われ汝の神なり
われ、汝をつよくせん
まことに、汝をたすけん
まことに、我がただしき右手 汝を支えん 「イザヤ41の9?10」
○新聖歌325「歌ひつつ歩まん」
○讃美歌260「ちとせの岩よ」
○讃美歌121「まぶねの中に」
○讃美歌312「慈しみふかき」
○川端七之助作(川端紀子姉のご夫君)
讃美歌 「十字架の愛」
「沙漠にサフランの花咲く」生出正実著を読んで
〇「沙漠にサフランの花咲く」を読んで、農村生れの私にとって、信じられないような人生の歩みに言葉なしです。
祈りの力のいかなるものか、それを実生活を通して示してくださいました。(東京)
〇『沙漠にサフランの花咲く』 生出正実氏の記録、一気に拝読しました。
上川支庁に行くか瀬棚に行くか、の岐路で、神さまの声に従った、とのお証しに御名を崇めました。
開拓地の酪農は生半可なものではなかったと思います。
ほんものの信仰とはどんなものか、教えられる思いがしました。
読ませて頂き、ありがとうございました。(京都市)
〇生出正美さんの証しは本当に素晴らしく、 酪農学園大学の学長さんの序文によっても、酪農学園、 三愛塾をとおして多くのクリスチャンが生まれ、日本の北の果ての瀬棚が、神様に選ばれた素晴らしい地となっていった歴史が、 正美さんの証しや正実さんと交わりのあった方々の証しも通して、 本当に驚くような神様の福音の証しとなっていて、これを再発行してくださった徳島聖書キリスト集会の方々、その背後におられる神様に心から感謝を覚えました。 (茨城県)
〇「沙漠にサフランの花咲く」を感銘深く読ませて頂きました。神様から大きな大きな正月のプレゼントを戴いた気持ちです。(島根県)
〇勝浦良明文集を発行しました。ご希望の方には、一冊三〇〇円(送料込)でお送りします。B5版、44頁。
大学病院の医師の誤診のゆえに、36年間にわたる入院ー首から下は動かず、人工呼吸器の生活、その困難な歳月を キリストを信じて耐える力が与えられ、希望を持って生きた。そのような日々にあっても、主の力を与えられ、特別な装置を使ってパソコンを操作して、一万数千曲の各種キリスト教賛美歌の伴奏データを作成!。 (作成には平均して一曲一時間ほども必要)
訂正
「沙漠にサフランの花咲く」で入力校正ミスがありましたので訂正をお願いします。
1月号16頁
生出真美↓生出正実
現在は、コロナのために、2月からオンラインのみでの礼拝となっています。
主日礼拝のほかに、毎週火曜日には、第一、第三火曜日には夕拝(午後7時半〜9時)第二火曜日午前10時〜12時は、海陽集会、第四火曜日午後2時からは、北島集会。いずれもオンライン(スカイプ)参加希望は吉村まで申込ください。