いのちの水 2023年1月号 第743

誰でもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。

古いものは過ぎ去った、見よ、全てが新しくなったのである。

                                              (Uコリント5の17

 目次

 

主と私だけ

隣となる人

・活ける水ー旧約聖書から

・心に残る御言葉

・生活の中で(以前の文章から)

報告

休憩室

ことば

・お知らせ 瀬棚聖書集会

・集会案内


リストボタン主と私だけー粉雪

            水野源三詞

粉雪が 静かに降り

誰も 見えない

誰も 通らない

主よ あなたと私だけです

主よ 御姿を仰がせたまえ

 

粉雪が 静かに降り

何も 見えない

何も 聞こえない

主よ あなたと私だけです

主よ 御言葉を慕わせ給え

 

粉雪が 静かに降り

道も 見えない

道も 分からない

主よ あなたと私だけです

主よ 御心を求めさせ給え

--------------------

ここには、静寂がある。

真っ白い、清められた雪の世界が包んでいる。

そして何もそれ以外に見えない…

 私たちも霊的な雪ーいわば神様からの聖霊の結晶ともいうべきものーが降りしきるなかで、

「主よ、私とあなただけです 」と言えるような 透き通るような世界が与えられたい。

 主と私とだけがいるーという心の状態、それは主イエスも、「戸を閉じて 祈れ」、と言われたことと響き合う。

 人込みのなかであっても、物理的な音が騒がしいところであっても、心の部屋の扉をそれらの雑音に対して閉じて静まることへと導かれる。

 物理的な音のないところなど、山か人里離れた田舎でなければありえない。東京のように、千四百万人もいるところでは、相当な山間部に行かねばそんなところはない。

 それができるのは、体力も時間も家庭の事情、仕事など何も差し障りないのでなければできない。

 そのような特殊な状況の人だけしか経験できないようなことを主は求めない。

 どこにいても、病床にいても 都会の電車の轟音のなかにいても、主との結びつきが深いほど、私たちは、魂の部屋の扉を閉めて、このあなたと私だけです!と言いうる世界に入ることができるのであろう。

 その静かなる例の部屋にて、主と私だけ  というときが重要となる。そこで初めて、静かなる細き声を聞き取ることができる。

 


 

リストボタン隣となる人

 (これは、1220日、島根県のキリスト教愛真高校にて語らせていただいたことに加筆などしたものです。)

  隣人を愛せよ というのはキリストのことばとして広く知られています。

 けれども、それは恐らく多数の人々にとっては、現在の自分とは関係のない遠いことばとして受けとられていると考えられます。私も同様で、キリスト者となるまでは、毎日の生活でこのような言葉の深い意味があるのかなど考えたこともなかったのです。

 現在ではこの言葉は、誰にとっても意味深く、毎日の生活に深く関わっていることが徐々にわかってきて、その重要性をあらためて知らされています。

 

数知れない隣人によって


 自分のことをふりかえってみるとき、私たちのために、戦争末期から直後にかけて、生きるのも困難な状況にあって、隣人となってくださった人達を思いだします。

 まず、両親、親族。とくに両親はソ連軍が一斉に侵攻してきたとき、ほとんどのものを略奪され、辛うじて、満州の奉天にまで逃げてくることができた。その際、私はもう非常に寒くなってきた11月中旬に、南満州鉄道の社宅の一室を借りて生れた。たまたま、近くに産婆がいて助けてくれたとのこと、その後、零下10度〜20度にもなるという厳しい寒さのなかの厳冬期をどのようにして、生まれたばかりの私が生き延びることができたのか、いかにして敵意を持つ中国人、そしてソ連兵の魔手から逃れることができたのか、その後1年近くも、日本政府が見捨てたような状況にあって、家も財産も奪われて、どのようにして生まれたての乳児を抱えて、逃げのびることができたのか…。

 そのごく一部は父が話した断片が記憶に残っています。私が小学低学年の時であったから、わずかしか記憶にないのですが、中国人の一部が親切にしてくれた人たちもいたと聞いたことを覚えています。そうした人たちが私どもの家族の隣人となってくださったからこそ、私はここにいるのです。

 帰国後、母は貧しい食事と重労働がたたって、重度の結核となり、父は一家心中を考えて、最後によいものを食べてから…とデパートから帰ろうとしたら結核療養所への入所のすすめのチラシが壁に貼付されていて、それを見て、療養所に入ったと父から聞きました。

 その後のことは幼い頃でもあり、小学校に入学以降も父は仕事を探すこと、見つかった仕事もなれないので苦労し、さらにわが家は山の斜面に急坂を登ったところを鍬や鋸、鎌で切り開いたような場所であったから仕事から帰ってきても、ずっとその開墾整備に追われていて、母も入院で不在、私たちは姉と二人で親とはほとんど話しもないような状況でした。それは戦後の混乱期の日本では多くの人たちがそのようになったのです。

 当然のことながら、食糧不足からくる栄養不足のため、小学校入学前に、私は疫痢となって死線をさまよい、辛うじて助かったのでした。

 母がいなかったので、まだ年若い母の妹たちが何人もしばしば、私たち姉弟の世話のために10キロ近い道を来てくださっていたのです。その内の一人は、夫が戦死して子供一人いたのに、その子供をべつの親族にあずけて、私たちの母代わりに家に入ってきてくれていました。それはその父親からそのようにするようにと言われたからだと聞いていました。

 母は療養所で病気が進行し、死ぬことが確実視されていましたが、そのようなことを母には知らせず、親族は、若い医者の手術実験材料となることを受けいれ、幸いにもその手術によって命はとりとめたのです。

 しかし、その後家庭事情のために、まだ入院治療が必要なのに、母は、突然病院から病身のままで帰ってきました。

 それから毎日病臥したままの生活…。

 私は、太平洋戦争直後の時代、狭い二室の山の家で、暗い家庭で育ちました。敗戦直後であり、急坂の灌木の茂る山道を登ったところを切り開いて建てた山小屋のような家でした。 電気もガス、水道もないので、ランプで明かりをとり、燃料は裏山の木々、枯れ枝などを毎日集め、水は、山の上り口にある井戸の水を、急な山道を自宅までバケツなどで運び上げるーという生活でした。

 そのような状況で生き延びたのは、親族のいろいろな助けがあったからで、彼らが戦争の犠牲者でもあったわが家の隣人となってくれたのでした。

 ふりかえってみると、敗戦前後の国の大混乱の中で、国が見捨てた満州の人たちは、祖国に帰る方法もなく、行く先々で食物もなくなり、病気となり、またあるいは中国やソ連軍の悪しき者たちに、ひどい目に会わされて、生き延びたものの生涯を破壊された人たち…。

 生き延びたのは、幸いにもよき隣人に出会うなどした人たちだったのです。

 そのように、自分の現在は数しれない人々が隣人となってくださったおかげだったのを知らされています。

 しかし、現在であっても、いまこの場にいる生徒、教職員の方々すべても、生まれる以前から、両親や医者、看護師、保育所、小学校、中学…等々の先生方、友人、職業を持って以降もその同僚等々…さまざまの人たちが隣人となってくれていたからこそ、ここにいるのです。

 私たちは、隣人の助けなければ、そもそも生きていくことはできません。

 その点、動物は、ある成長期までは、とくに母親がわが身を顧みないほどの献身的な世話によって育っていくのですが、一人立ちできるようになると親元から半強制的に追われるものも多くありますし、卵から生まれたらそのまま放置して育つにまかせるウミガメのような動物もいろいろといます。

 しかし、人間は神のかたちに創造されたと記されているとおり、神の愛の影のようなはかないものであっても、母親の愛は最も近い隣人の愛として成長期まではとくにはたらくことが多く、生涯続くこともあります。

 

隣人の限界


 けれども、最も深いと言われたりする母親の愛も、現代ではおりおりに見るように、生まれた子供を虐待する母親などの例がしばしば報道されている状況です。また、子供が成長して、母親に暴力振るうなど悪事をはたらくようになるなら、そうした母親の愛は憎しみへと変わっていくということもあります。

 それは親子だけでなく、男女、友人、兄弟などのはじめは深い愛情、友情と思われたものであっても、何らかのできごと、片方の不誠実とか裏切りのようなことがあれば容易にそれまでの愛と思われていたものはたちまち消えていき、かつての熱い愛と思えたものは、実ははかない影にすぎなかったことを思い知らされるのです。

 こうしたことは、生活のあらゆる方面で体験されることです。私たちがだれかに隣人としての愛や、親切、献身的な働きを提供したとしても、そのはじめは相手も喜び、自分も喜びで満たされるでしょう。

 しかし、そのようなことは決して長続きしないのです。人間とは一方的な奉仕や施し、あるいは好意を受けるのは、はじめは喜んでうけていても、それが続いていくと何となく、自分が受けるばかりの存在であることにどことなく違和感あるいは重荷を感じはじめ、感謝の心も薄れていき当然のように相手の好意をみなし始めることも多くなります。

 そうなると、相手を隣人として尽くしていた方も、喜びも平安もなくなり、続ける気力が失せてくるーそうしたことになる傾向があります。

 人間的な愛、ヒューマニズムの心というのは、一見よさそうに見えるけれど、じつはその英語(humanism)を見てもわかりますが、human(人間)(*)中心主義です。人間の本質は移りやすく罪犯すことの多い人間の感情や意志を一番重要なものとみなす人間主義であり、必ず時間がきたら壊れてしまうものです。

*)この語の語源は、ラテン語のhumus(フムス、土の意)にある。土から造られたものというのは現代人からみると不可解な感じがするが、人間が食べている食物をたどれば、米、小麦、野菜、果物などみな、土から生えた植物であり、またその植物を食べる動物たちの肉を食べて育っているので人間は土の成分からできていると考えられたのも自然である。ヘブル語の「土」は、アダーマー(adama)という。そして人間は、アーダーム(adam) であり、やはり土から造られたとの意味がある。

 この語から、humility 謙遜 も派生している。土とは大地にあるものであり、低く、汚れたもの、そこから、謙遜、へりくだったという意味も派生した。

 

 また、誰か何らかの困難な状況にある人の隣人となって奉仕したいという気持ちは、とても尊いもので、それは神が創造されたとき、人を神の形に創造したとあるように、神は、愛や真実、あるいは何が正しいことなのか、といったことを、ごくささやかな程度であっても、直感的に感じ取る能力を与えてあるからです。

 しかし、そうした生まれながらの人間としての同情心や愛のようにみえるものは、ヒルティがそれは愛そのものでなく、すぐに消えてしまう愛の影だと言っているように、まさにここにあると思っても、それは病気や事故、相手の心変わり、反感、裏切り…等々によって簡単に消え失せ、さらには憎しみにまでなってしまうはかないものです。

 

隣人となるための道


 そうした移りやすく罪深い人間を中心とするのでなく、そうした人間を無限に超えた愛、真実、清さ…等々を持っている神を中心とすることによって、人間主義、人間の影のような愛や感情ですることとは根本的に異なる強固な基盤を持つことになります。

 キリストは、このことを次のようなたとえで語っています。

 

…わたしのこれらの言葉を聞いて、行うものを、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができよう。

雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけても、倒れることはない。

岩を土台としているからである。(マタイ72425より)

 

 私のこれらの言葉ーキリストの言葉を聞いて、行なう者であるためには、まず主の言葉に聞く者でなければならないのです。預言書サムエルが幼な子であったとき、神からの呼び出しを受けたとき「しもべは聞いています。主よ お語りください」(サムエル記上310)と言って、自分に語りかけられる神の言葉に聞く、ということが生涯の基本的生き方となったのもこのことを示しています。

 主イエスも、しばしば一人で深い祈りをされたこと、ときには、夜通し一人山に入って祈り続けたことが記されています。(ルカ516612918、マタイ1423、) 祈りにおいて、神と深く交わり、上よりの力を豊かに受け、それが悪霊を追い出し、罪を赦し、また盲人の目を開き、精神の病がひどく絶望的状況になって大声で叫び呻いていた人をいやし、だれからも見捨てられていたハンセン病の人に触れていやし…という驚くべき隣人となって相手に目ざましい力をあたえた原動力となっていたのです。

 聞いて行なう者ーと主イエスは言われました。

 しかし、その二段階のうちのはじめの、「神に聞く」ということがどれほど重要で、しかもエネルギーの要することであるか、ということに私たちはしばしばあまりにも無感覚になっているのではないかと思われます。

 それゆえに、神に「聞いて」行なうのでなく、人間的考えや感情から、行なおうとする者となっていることが実に多いのです。

 神に聞いて、自分がなそうとしていることにどれほどの困難が生じるのか、妨げる力がたちまちあらわれるのか、またそれらに対して、神が盾となって守ってくださること、その無理解のただなかを通って、ただ神のご意志のみが成るようにと祈りつつ歩んでいく道が示されていくのです。

 隣人となろうとしても、すでに述べたようにはじめは喜んで受けいれても、そのうちその隣人からの奉仕を受けることがわずらわしくなって離反することもあり、さらには、思いがけないところから敵対する人があらわれる、そして大きな苦しみさえ受ける…こうした状況なども、深い祈りのなかで示されていくゆえに、現実にそうしたことが生じても動揺せずー一時的動揺してもすぐに立ち直ることができるように力が与えられるのです。

 私たちにとって誰が隣人なのか、それははっきりしています。自分の最も身近な家族、親族から、学校や職場、また通学通勤で出会うすべての人たちが隣人です。

 主の祈りの中に「御国が来ますように」というのがあります。御国とは、神様の愛と真実による御支配、その導き、その愛の働きを意味しています。そして、このひと言の祈りは、自分の心にも、家族の心にも、また集会員や仕事で出会う人たち、さらに行きずりの電車、バスなどで出会う人たち、前後左右に座ったり立っているあらゆる人たち、さらに自分に敵対してくるような人に対しても、真実な愛の神の力がはたらくように、という祈りです。

 主イエスが、「敵を愛し、迫害するもののために祈れ」と言われたのは、そのような祈りを指しています。このイエスの言葉は、旧約聖書の詩編や預言書にしばしば見られる並行法となっていて、同じような言葉を並行して述べることによって、いっそうの力をこめて語ることになり、その言葉がさらに浮かび上がってくるのです。

 敵を愛するとはすなわち、敵対する人、悪しき人にも神の愛と正義の力がはたらいて、その悪しき心が追い出されて変わりに神様の愛の力、正義の力が入ってはたらきますように、という祈りです。 ですから、このひと言の祈りは、あらゆる人たちを隣人として見つめ、そこに神様の働きが来るようにとの祈りです。隣人への祈りとは、そうした実に広い内容を持っているのがわかります。

 

 キリストは、最も重要なのは、「神を愛すること」それと同様に重要なのは「隣人を愛すること」(*)と言われました。

 

…イエスは言われた。

「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』

これが最も重要な第一の掟である。

第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』

律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」     (マタイ223740

 

 まず、神を心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして 愛せよ、と人間としての魂のあらゆる働きを用いて神に心を注ぎだせ、ということです。これこそ、ほかの動物にはできないことで、神に似せて創造された人間の特別な恵みです。

  それによって、主が「求めよ、そうすれば与えられる」との約束どおり、最も大切な神の愛と真実によってうるおされた力が与えられ、その力によって隣人によきことをじっさいに行なうことができるようになり、第二の最も大切な戒めをじっさいに実行することができるようにと導かれるからです。

 このことは、また次の有名な個所でも言われています。

 

 …私の内にとどまっていなさい。(*

そうすれば、私はあなたがたの内にとどまっていよう。

枝がぶどうの木の内にとどまっていないならば、自分だけでは実を結ぶことができないように、あなたがたも私の内にないならば、実を結ぶことができない。

       (ヨハネ15の4)

 

*)口語訳や聖書協会共同訳は、「つながっていなさい」とされている。しかし、原語は、メノー(とどまる) とエン(英語の in 〜の内に)であり、〜の内にいる、とどまる、住む という意味。

 それゆえ40種以上ある英訳聖書のほとんどすべては、メノーの訳語として、remain in または abide in (〜の内に留まる、住む)を用いている。日本語訳では、原語の意味に従って、新改訳が「とどまる」と訳し、文語訳も「わが内に居れ」と訳している。

 つながるーという言葉は、直線的である。しかし原語は、私(イエス)の内に留まろうとせよ、そうすれば、私もあなた方の内にとどまる。ということであり、糸で何かにつながっているような関係ではない。

 

 実を結ぶとは、まず、自分の心が清められる、真実や正しいことを愛する、清いものを心に求める、また、神への真実な信頼の心…等々の心におけるよきものである。それがなかったら、他者にとってよきものをもたらすことはできないからである。自分がしたことが誰かの苦しみから立ち上がる助けになり、悪しき心を持っていた者が、そこから立ち帰って本当に真実な存在たる神を信じるようになる、そのようになることが、実を結ぶということです。

 真に誰か、苦しんでいる人、差別されたり病気や障がいで光の見えない日々を送っている人たちに、永続的な希望とそのような差別や困難な状況にもかかわらず、喜びとか感謝の心が生まれるように導くことができたならば、それもよき実を結んだということになります。

 しかし、そのためには、ぜひともキリストが言われたように、そうした真実や愛、清さの完全な御方と結びつかねばなりません。そのことをまず求めていくとき、「求めよ、そうすれば与えられる」というキリストの言葉のとおり、神(キリスト)は、私たちの内に留まってくださるようになります。

 その私たちの内なるキリストこそが、あらゆる人を隣人として向かい合う原点となります。

 私自身、キリストを知るまでは、誰かの苦しみや、悲しみにほとんど真剣に向かい合うなどなかったのを思います。自分という人間の深いところで、そうした他人の状況を思いやるとかその孤独や病気の苦しみなどに心を向けることもなかったのです。

 自分が目先の関心あることーいろいろな本を読むこと、自由な勉強などに時間を費やすということしか心が向かなかったのです。

 そうした自分中心という狭いところから、隣人のために何かよきことを提供したい、分かちたいという心が生じたのは、まったく新しく生まれたという実感です。

 主イエスは、次のように言われました。

 

…イエスは答えて言われた、「あなた方に真実を告げる。だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない」

だれでも、水と霊とから生れなければ、神の国にはいることはできない。

肉から生れる者は肉であり、霊から生れる者は霊である。   (ヨハネ3の3、6より)

 

 別の個所では、活ける水とは聖霊のことであると記されているので(ヨハネ7の38)、水と霊から生まれなければーという言葉も、その前後からみてもわかるように、聖霊を指していて、人は聖霊を受けないならば、神の国を見ることも、そこに入っていくこともできないということです。

 神の国とは、神の愛と真実による御支配のことであり、それを見るとは、この世界の闇の直中にあって、永遠の真実と愛、また清いものが存在し、生きてはたらいているということを実感することであり、神の国に入るとは、そうした神の永遠の力の中に入れていただくことです。

 そのような力がなかったら、私たちは、この人間社会の複雑極まりない状況に悪の力が渦巻いているのであってそこに呑み込まれないで生きていくことはできないということを述べています。

 この点について聖書にも、よく知られた事実があります。

 それは、主イエスの筆頭弟子ともいえるペテロが、イエスの生涯の最後の夜に、「たとえみんながあなたを見捨てても、私は決して見捨てない、たとえ、主とともに死なねばならない状況になっても、あなたのことを知らないなどとは決して言わない!」と強い調子で断言しましたが、少しのちに女中に「あなたもあのイエスとともにいた」と言われて激しく否定し、三度も繰り返し否定することになったのです。

 このように、ペテロは、イエスこそが最大の隣人として仕えて、イエスのためなら殺されることがあっても裏切ることはしないというほどに強くイエスこそは自分の最大の隣人だと言っていたにもかかわらず、現実にそのようなことになったとき、イエスを捨てて逃げてしまいました。

 これは二千年前のイエスの弟子という特別な人に生じたことであって、私たちと関係のない記述だと思いがちですが、決してそうではありません。ペテロに生じた事実は、そのまま現代の私たちのことをも指し示しているのです。

 私たちもまた、自分の病気や事故、怪我などがひどいとき、また家族や職場の人間関係で苦しめられているときなど、だれかに叫びたいほどの苦しみや悲しみが押し寄せてきて、それを必死で耐えているときには、隣人のために…という気持ちなど、吹き飛んでしまいます。

 イエス様でさえ、十字架の激しい苦しみにあったときには、「神様、神様、どうして私を捨てたのか!」と絶望的な叫び声をあげたことがそうした状況を指し示しています。

 このように考えてみると、人は、だれが私の隣人だろうか、といって考えて何か奉仕のようなことができるのは、自分が元気なとき、また家庭や職場で苦しい状況に追い詰められていないときなのです。

 それゆえに、一時的に自分の満足のために隣人に何かをしてあげたい、といったことでなく、生涯ずっと隣人として与えられた人たちに何かよきことを続けていくには、よほど強固なものに結びついていなければできないことです。

 弱い立場にいる人たちに何か小さなことでも、できることをしたいーという気持ちはとても大切なことですが、いかにしてそれを永続していくのか、そのことこそ根本的に重要なことです。

 私が大学の学生時代、はげしい学生運動が全国的になされていました。学生たちは、ベトナム戦争反対、安保反対ということを力を込めて議論し、デモやバリケードを築いたり、毎日のように反戦やベトナム問題に関する学生たちのビラがたくさん配布されているほど熱心でした。

 しかし、大学を卒業して会社に就職していくと、ほとんどそうしたことは消えていったのです。政治や社会的な不正に、それぞれの立場にあって反対し、何らかの意思表示をしていくということは、学生であっても職業人となっても、かわらず大切なことですが、ほとんどはそのようなことに無関心となっていきます。 それは強固な土台の上にでなく、一時的な感情、人間的な対抗心などによっているからそのような人間的なものはたちまち崩れ去るものだからです。

 本質的に正しいことなら、大学卒業しても、中高年となってもまた老年になっても追求していくのが本来あるべき姿です。

 そのためには、人間の一時的な意志やきまぐれ、また周囲の状況に流されるということでなく、それらあらゆる人間的なものとは別の、永遠的なものと強く結びついていなければならないのです。

 時間を越え、地域を越え、そして年齢や病気、健康などを問わずに、一貫して追求できることそれを隣人に紹介し、またそれを何らかの形で分かとうとすることこそ、隣人となる道です。

 私自身、だれが隣人かとか隣人のために何か尽くそうなどと考えたことがなかったのですが、キリストと出会ってから、そのような世界を開かれました。 そのため、教員となって若い人たちにそれを紹介したい、具体的にはキリストの福音を伝えたい、というのが

私の最大の願いとなりました。 福音こそは、万人にキリストという無類の隣人を与えられる道だからです。

 現代の若い人たちが、だれかの隣人となって働きたい、といった願いを持つということは、喜ばしい心の状態です。

 しかし、自分が病気となり、また高齢となって仕事も家族もいなくなり…そのようになってなお、隣人のために何かできることがあるのか、と思います。

 普通、たいていの人が、自分にとっての隣人とは、とかどんなよいことができるか、と考えるのは、元気で若く体力あるからです。病気やひどい事故、災害に遭って家族がなくなり、家も破壊されるような状態となるとそんな思いは吹き飛んでしまって、自分の苦しみや耐えがたい痛みに必死で耐える、あるいは仕事もできず、家族にも重荷を負わせる…その苦しい状況から何とかして解放されたい…という一心になると思われます。

 そのような病弱、あるいは高齢化での孤独のなかにあっても、なお、他者の隣人となるために何かできることがあるだろうか…。

 それためには、ただ一つの道があります。 

 それこそ、生きてはたらく神を信じてなされる「祈り」という道です。 私たちが病気や苦しみのなかに置かれても、そして最終的に高齢となって一人となり、病気となってもなおできる隣人へのよきこと、それは祈りです。 他者に神様の愛や真実、またその力が与えられるようにとの祈りです。

 そして、そうした長い地上での数々の困難、危険、苦しみをも経験したうえで、さらに主にあって励まされて祈る祈りには、特別な力があり、祝福があります。

 あらゆるものがすべて変質し、消失していくこの地上世界において、いつまでも続くものは、信仰・希望・愛だ、と聖書に記されています。

 そして、この有名な言葉は、しばしば人間の持つ信仰、希望、愛だと思われています。しかし、人間の信仰や希望、愛は果たして永遠であるかといえば、決してそうとは言えません。若き日に熱心な信仰者であった人が、それから10年経つとまったく信仰を捨ててしまっているというような例は決して珍しいことではないし、人間の希望も多くは束の間のもので、たいていは崩れ去ってしまいます。また人間同士の自然の愛も、親子や友人、愛し合う男女なの愛はみな愛の影であり、それらはお返しがなければたちまち消えていくし、さらにはそうした人間的な愛が、愛し返されないときには、激しい憎しみに変わってしまうことさえあります。

 旧約聖書にはそうした男女の愛がいかに変質してしまうかを、アムノンとタマルの記述で示しています。(サムエル記下13章)

 このように、広く親しまれ引用されているこの信仰・希望・愛はいつまでも残る、ということは、人間の自然な心に生じる信仰や希望、愛ではなく、神から与えられた信仰、希望、愛を意味しています。

 私たちがキリストが救い主と信じることができているのも、神からそのような心を与えられたからであり、希望も愛も同様です。それらは、自分から捨てないかぎり、いつまででも続きます。

 しかし、それでもなお、この信仰・希望・愛の三つがいつまでも続くという意味は十分ではないのです。

 それは、日本語で、信仰と訳されているので、人間の側の信仰だと思い込みます。しかし、この原語の ピスティス pistis は、「真実」の意であり(この原語の形容詞形 pistos は、「真実、忠実」と訳される言葉です。「神は真実です」Tコリント118)、希望は神が与えてくださる希望であり、愛とは、神の愛 と受けとって初めて いつまでも続くものと言えるのです。

 神の真実こそ、永遠である、ということを、心に響く次のような詩であらわした水野源三*)のことは、多くのキリスト者に広く知られています。

 

来る年も来る年も

 さわやかな初夏には

スズランの花が咲くように

 神様の真実は変わらない

 神様の真実は変わらない

 

来る年も来る年も

澄み渡る秋には

リンドウの花が咲くように

 神様の真実は変わらない

 神様の真実は変わらない

 

花のとき過ぎゆき、

  人のこころ移り

 約束を忘れ去るとも

 神様の真実は変わらない

 神様の真実は変わらない

 

*)水野源三は、 9歳の時赤痢に罹りその高熱によって脳性麻痺を起こし、目と耳の能力は残されたが、他の全身の機能が失われ、言葉も出せず、寝たきりとなった重度の障がい者であった。普通なら運命をのろい、苦しみと悲しみばかりで生涯を終えたと思われるが、彼が復活したキリスト、聖霊なるキリストと出会って深く信じるようになってからは、言葉も出せなくとも、母親がまばたきで50音表を指し示し、源三が、まばたきで自分の言おうとすることを合図するという実に時間とエネルギーを要する方法で、信仰の喜びを表現していったのです。それは全国的に知られるようになり、その詩は、いろいろな曲をつけられ、讃美歌集にも掲載され、カセットやCDとなって現在も多くの人たちに愛唱されている。

 

 人間の信仰はいつまでも続かない、じつに簡単に失われます。それはペテロの裏切りにも示されています。どんなことがあっても、殺されるようなことになっても、あなたを見捨てない、と断言するほどに、ペテロはイエスへを神の子と信じ、イエスに信頼を誓っていたのですが、その信仰や信頼は、三度もイエスなど知らないと強く言い張るほどにはかないものだったのです。

 こうしたことも、みなまず人は、誰かに対して隣人として何かをする以前に、まず自分の内にしっかりとした基盤を持たねばならないということです。 

 そしてそのような確たるものは、いくら考えても、学問や経験、あるいは多様な読書や知識…等々を重ねても、何がそのような確固たるものなのか、わかるようにはならないのです。

 そのような確たるもの、私たちの人間の根本的なものが変えられるためには、そうしたものではできないということを聖書は一貫して人類へのメッセージとして語りかけてきたのです。

 このことは、信仰の父といわれるアブラハム、モーセ、サムエル、ダビデ、また預言者エリヤ、イザヤ、アモス…といったとくに重要な人物は、すべて学問や経験、豊富な知識や特別な才能等々によって確たる救いを経験したのではなかったのです。そのことは、アブラハムやモーセ、ダビデ、アモスなど多くが、救いを与えられ、神からの召命をうけて、神のため、人々のためにそれまでと全くことなる歩みをはじめたのは、学問とか知識とかでなかったことからも明らかです。

 さらに、キリストのとくに用いられた弟子、ペテロ、ヨハネ、ヤコブたちもみな漁師であって、まったく一日中漁に出て文字も知らなかったであろうと推察されているほどです。

 使徒パウロは学問あり、能力もあり、知識も豊富であったと考えられますが、そうした学問、知識能力をもってしても、キリストの真理は全くわからず、救いは何によるのかという最も重要なことに目が開かれていなかったのです。それゆえ、彼はかえってキリストの真理を撲滅せんとキリスト者の迫害のために国外にまで出かけて捕らえたり、殺すことさえしたのです。(*

 パウロが救われたのは、そうした学問、知識でなく、一方的なキリストの光を受け、復活したキリストからの語りかけを受けたからでした。

 

*)私はこの道(キリスト教)を迫害し、男女を問わず縛り上げて獄に投じ、殺すことさえした。(使徒22の4)

・サウロ(パウロ)は、ステパノを殺すことに賛成していた。(使徒8の1)

 

 もし学問や生まれつきの能力、また経験、知識が「救い」のために必要だと言うなら、それは、福音の根本を知らないことを表しています。そうした学問などが救いに必要なら、それは無学なもの、病気や貧困で文字や本も買えない、理解できない人達、あるいは病苦や障がいで学ぶこともできない状況にあった弱い人達ーはみな救われないことになってしまいます。そのような学問や知識などが必要だと言うなのなら、それは 「喜ばしい知らせ」(福音)ではないということになります。

 キリストの福音がローマ帝国でまず広がっていったのは、無学な奴隷たち、あるいはそうした地位的に低い使用人といった人達からであり、そこから次々と地位のある人たちにも伝わっていったのであり、また日本においてもザビエルが来日してわずか数年で多数の人達に福音が伝わったけれど、それらの人達は庶民が多く、学問など縁のない人達が多かったのです。

 イエスが、生まれつきの盲人、またろう者、精神の病気の人、あるいは病気のなかで最も畏れられていたハンセン病…等々の人達を救ったのは、そうした人達の学問や知識とかではなく、彼らの主イエスに対する信仰、そして信頼であったのです。

 乳児、または小さき子供のように全面的に母親に信頼しているさま、またそのような幼な子たちがまっすぐ母親を信頼して見つめるように、私たちもそのように真っ直ぐ主イエスを仰ぎ見、信頼する姿勢こそが重要だと言われました。

 

… 主イエスは、乳飲み子たちを呼び寄せて言われた。

「子供たちを私のところに来させなさい。

神の国はこのような者の国である。

子供のように神の国を受けいれる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」(ルカ181517

 

 この幼な子のように主イエスを信じ、仰ぎ見る心ーこの単純なことがこの悪に支配されているとみえるようななかでいても、神様の真実、神の真実を信じるがゆえの希望、そしてそれらすべてを包み込む神の愛ーそれらは全く変ることなく存在し続けてきましたし、今後もそのようになることが信じられます。

 そして、ひとたびこの信仰、ただ主を仰ぎ見ること、十字架によって私たちの罪が赦されたことを深く体験した人は、さまざまのことが信仰を強め、他者に伝えることに用いることができるようになります。

 その第一は誰にでも開かれたことー日々の祈りを深めること、苦しみや悲しみを経験し、それを信仰によって受け止めていくこと、そして、日曜日ごとの礼拝や家庭集会などに参加すること、キリスト教に関するよき書物に親しみ、他者に紹介していくこと、聖書に関する原語の知識、パソコン関係の知識、農業や各種産業、教育、政治などに関する学問、さまざまの知識、また芸術、あるいは具体的な他者を助けるボランティア的な、あるいは職業での奉仕…等々、「すべてのことが転じてよきにはたらく」(ローマ8の28)という言葉のとおりです。

 

 隣にいる存在の広がり

 私たちが、いつまでも誰かの隣人であるー何らかの助けを継続することができるためには、人間の一時の感情を越えたものをしっかりと持っていなければならないです。

 それこそ、キリストです。キリストもそのことについて最後の夕食のときにはっきりと言われています。

 「私のうちにあること(*)を求めなさい。

そうすれば私もあなた方の内にいる。

私の内にあるのでなければ、

あなた方は実を結ぶことはできない」(ヨハネ1545

 

*)原意は「〜の内にある」。しかし、新共同訳、口語訳なども、「〜につながっている」と訳しているが、すでに述べたように、この訳語では、原意からはより限定されたニュアンスとなる。キリストと単につながっているのでなく、霊的存在であるキリストの内にあることであり、そうすればキリストも私たちの心の内に住んでくださる という意味。

 

 実を結ぶとは、すなわち、隣人として他者に何らかのよきことができる心、そのような力ということになるので、今回の箇所とつながりがあります。

 ひとたび、キリストが私たちの「隣にいる存在」となるならば、そのキリストが創造した天地のさまざまのものも、ぐんと私たちに近づいて私たちの隣にいる存在となり、生きて語りかけるようになります。

 夕日沈む西空の美しい色も沈黙しているようにみえるが、ひとたび生きてはたらくキリスト、その命の水を少しでも飲むならば、そうした大空も夕日も私たちの魂のとなりにある存在となってきます。

 風も、樹木、草花、野草、また夜空の星々、そして山々の連なり…すべての自然は、黙しているようであって、言葉にならない言葉を語り続けている雄弁な存在として感じられてきます。

 キリストは神とともに万物創造にかかわり、現在も万物を支えている。(ヘブル書1の3)からです。

 敵対するような人も、神がそなえられたのであり、そのような存在がいるからこそ、私たちは主によって忍耐する鍛練となり、そうした人のために祈れとはどういうことなのか、を知らされていきます。

 生きて働くキリストが、私たちの魂の最も近い「隣人」となって私達の内に住んでくださることによって、罪深き、弱い私たちであっても、十字架を仰ぐことによって日々その罪を赦されつつ、他者のために、小さき隣人であり続ける道を開いてくださることを感謝です。

 


 

リストボタン旧約聖書における活ける水

 物質としての水はいかなる人間、動物、植物にとっても極めて重要で、それなくば生きていけないものである。そして水は空中、地上、地中、また動植物の体内など到る所にみられる。

 新約聖書でとくに強調されている活ける水ーそれはほとんどの日本人にとっては考えたこともないものであると思われるが、物質としての水以上に、人間の心の中、魂の奥深いところにも流れていくのであって、はるかにその存在は到る所にある。

 こうした活ける水に関する聖書の真理のメッセージのなかでも、とくに重要なものであるのは、ヨハネ福音書の次の箇所である。

…祭の終りの大事な日に、イエスは立って、叫んで言われた、「だれでもかわく者は、わたしのところにきて飲みなさい。

わたしを信じるものは、聖書に書いてあるとおり、その心の深いところ(*)から生ける水が川となって流れ出るようになる」。

これは、イエスを信じる人々が受けようとしている霊(聖霊)のことを言われたのである。(ヨハネ7の37〜38)

 

*)原語では、内臓を意味する言葉なので、以前の口語訳では「腹」と訳しているが、日本語では、「腹から霊的なものが流れ出る」などという用法はなじまない。

 この原語のギリシャ語は、コイリア κοιλια であって、腹部、内臓、胃、胸の内、心臓、はらわた などを意味する。 ここでは、心の奥深いところ といった意味。 新改訳は、「心の奥底」と訳している。英訳では次のように、訳されている。

・ … streams of living water will flow from within him.(NIV)

・… Out of the believer's heart shall flow rivers of living water. (NRS)

・…rivers of living water will flow from his inmost being!   CJB

・… streams of living water flow from deep within him.     ( CSB)

 

 これは、その表現―重要な祭の大切な最後の日、立って、しかも叫んで(大声で)言われたと記されていることをみてもうかがえる。

 主イエスは静かに語りかけるように、また権威ある者のように語り、聞いている人が驚くような力ある語りかけだったのが記されている。

 しかし、ここでは、立って大声でーというようにこの重要性がとくに強調されている。

 このことは、イエスも「聖書に書いてあるとおり…」と言われているように、すでに旧約聖書においても、この活ける水のことが記されている。

 旧約聖書とは何なのか、イエスご自身も、次のように語っておられる。 

 

…あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである。(ヨハネ539

…こう言って、モーセやすべての預言者からはじめて、聖書全体にわたり、ご自身についてしるしてある事どもを、説きあかされた。(ルカ2427

 

 このように、旧約聖書は、キリストを指し示すというのがその本質である。

そしてじっさいに旧約聖書を詳しく見ると、多様な表現でキリストを指し示しているのがわかってくる。

 旧約聖書のはじめの部分にもすでにそのことが記されている。

 

あふれ出る活ける水

…主なる神が地と天を造られたとき、地上にはまだ野の木も、野の草も生えていなかった。

しかし、水が地下から湧き出て、土の面をすべて潤した。…

 エデンから一つの川が流れ出ていた。園を潤し、そこで分かれて、四つの川となっていた。

第一の川の名はピションで、金を産出するハビラ地方全域を巡っていた。

 第二の川の名はギホンで、クシュ地方全域を巡っていた。

 第三の川の名はチグリスで、アシュルの東の方を流れており、第四の川はユーフラテスであった(創世記2の4〜14より)

 

 ここで言われている ハビラ地方とはアラビアで、クシュ地方とはエチオピア、チグリス、ユーフラテス川は現在のイラク、シリアを流れる大河として有名。この記述は、エデンの園から流れ出る川は、世界をうるおす、ということを意味している。

 そしてエデンの園とは、昔物語ではなく、神が食べて良し、見るに良し、常に果樹なども実を結ぶという楽園として創造したのであり、それは、キリストご自身を指し示すものとなっている。キリストにこそ、完全な潤いあり、キリストにつながっている者は、ゆたかに実を結ぶ、と言われている。

 じっさい、キリストこそあらゆる霊的な良き流れの源流である。キリストから流れ出た霊的な流れは、全世界をうるおしてきた。その実とは、福祉、弱者への愛、弱く差別され、迫害されている人たち、病苦で苦しむ人たちにいやしと力を与えようとする心であり、そうしたことは、歴史のなかで、ずっと続けられてきた。

 日本においても、盲人教育の中で、キリスト者が果たした役割は実に大きい。

 日本で初めて点字の聖書の作成は、視覚障がい(弱視)のあった実業家の好本 督(ただす)が、多額の資金援助をして、その作成に力を注いだことが大きくはたらいて成し遂げられた。

 また、前月号で紹介した、中途失明者の岩橋武夫は、早稲田大学在学中に失明し、苦しみ悩みぬいた末に、自殺を決行しようとしたがそこに母親が飛び込んできて必死で生きていてくれと哀願したことで何とか自殺を思い止まり、それ以後もさまざまの苦しみや絶望的状況が続いたが、聖書のなかで、生まれつき全盲の人は本人か、両親の罪が原因なのか、と問われ、「だれの罪のゆえでもない。神のわざがあらわれるためである。」と断言され、祖先や両親の罪のたたりだなどという考えを根本から払拭したのだった。

 しかし、日本においては、現代においても、失明や聴覚障がい者、また車いすの子供たちに対して先祖が罪を犯したから、その罰であり、たたりだ、などという言い伝えがはびこっている状況である。

 その他、病院の設立、ナイチンゲールの大きな働きに影響をうけて、看護師の地位を引き上げたこと、だれもが見捨てていたハンセン病の患者に感染を恐れずに近づき、かれらの保護をはじめ、それがのちのハンセン病療養所となったこと、そこにもキリスト者の働きが多かった。大多数の医師はハンセン病患者には近寄ろうともしなかったが、そこでも、献身的にハンセン病の人たちの治療にかかわったのも、キリスト者が多かったのがうかがえる。

 また、日本の女性教育も、キリスト教が果たした役割は特別に大きい。フェリス女学院、青山女学院、立教女学院、津田塾大学、女子学院、雙葉学園(ふたばがくえん)、聖心女子大学、福岡女学院大学、同志社女学校、神戸女学院、明治女学校、東洋英和女学院 …等々、いまから100年〜150年ほども昔から、当時は女が高等教育をうける必要などない、という考え方が多数を占めていたにもかかわらず、こうした女子大学は、その後も継続し、多大の影響力を持ち続けてきた。

 美術、音楽の方面にあっても、キリスト教美術、音楽が大きな影響を与えている。

 バッハ、ヘンデル、モーツァルト、ベートーベンといった音楽は、全世界でいまも鳴り響いている。毎日こうした作曲家の音楽を聞いているという人は非常に多いであろう。 それとそれらの源流となったキリスト教讃美(讃美歌、聖歌など)も、キリストが十字架で処刑されて二千年の歳月がすぎたが、そのキリスト、またキリストと同質の神への讃美の歌は、いまもその歌われる頻度はいろいろ異なっているであろうが、全世界で響きわたっている。

 しかし、日本の伝統的な宗教である神道や仏教の生み出した音楽を毎日歌っているとかそのレコードやCDとかを愛用しているなどというのは耳にしたことがない。

 近年までは女性の職業とされてきた看護婦(看護師)教育においても、病人を介護、世話するなど、その排泄物処理、手術後の汚れなどにかかわる仕事だとみなされていたが、それがキリストを信じ、キリスト教の精神をもってはたらいたナイチンゲールの影響が大きい。

 現代において、広く知られている聖路加(せいるか)国際病院(*)は、120年ほど前に創設され、現在その名前にふさわしく、広く外国人に対しても開かれ、年間延べ二万五千人以上、過去9年間で140カ国の外国籍の患者が聖路加国際病院を受診しているという。この病院も、その創設は、

医療を通してのキリスト教伝道を目的として来日した若き宣教師による。

 

*)なお、この病院名は、まちがって「せいろか」と呼ばれることが多かった。これは日本人が聖書に関してはわずかしか知らない人が圧倒的に多いことによる。以前のワープロの漢字変換では、せいろか と入力すると聖路加 と出るが、せいるか と入力すると変化されないほどであった。ルカ福音書と使徒言行録を、神からの啓示をうけつつ聖霊によって書き記したのが医者のルカ(Luke)であった。英語では Luke(ルーク)、中国語では、「路加」と表記するのであって、当て字ではない。これは、中国語では、ルー チャー(Lu jia)と発音。

 

 さらに、日本で初めての病院は、古く、1557年に医師でもあったポルトガルの宣教師アルメイダによって、現在の大分市に開設され、そこには、外科、内科、ハンセン病科がそなえられ、日本で最初の入院施設も備えていたという。

 また、現在はさまざまの外国語の辞書がはんらんしているといえるほどに多種多様な辞書が発行されている。それらすべてのものとも根本的な基礎となったのが、幕末のキリスト教禁止の時代にはるばるアメリカからやってきたヘボンという宣教師であった。

 かれは、キリスト教を伝えるためには、まず日本語を習得する必要があるのを深く知っていた。そのために、医療という仕事に力を注ぎつつ、身近な日本語を聞いてそれを日本語を英語ではどういうかをメモに書き留めていくという膨大な時間を要するこまめな仕事をするようにと示されたのであった。

 当時は、辞書もなくゼロからの出発であった。

 当時は、外国人に対して警戒心が強く、じっさいに、生麦事件とか、初代のアメリカ駐日総領事ハリスの通訳、書記として重要な働きをしていたヒュースケンが暗殺されたり、一八五九年の開港後1年間で10数人の外国人が殺害されるなど不穏な動きが各地でみられた。

 ヘボン夫妻も命をねらわれたり…危険な状況がすぐそばにあった。そんな中で、医療にかかわり、辞書編纂という多大の労力を要することをしつつ、キリストの福音を伝えるという目的のために夫妻とも全力を尽くした。

 最初の東南アジア伝道のさいに、最初の子供を続いて二人亡くし、夫人の病気のためにアメリカにかえったのちには、その優れた医療のゆえに広く名声を博し、ニューヨークで1、2を争うほどの大病院となり、豊かな生活となった。しかし、その間、生まれた3人の子供を次々と亡くするという深い悲しみにも遭遇した。

 そのときに弟に宛てた次のような手紙を送っている。

 

…「おお、私どもの深い悲しみ、この予想もしなかった寂しさをどう説明できようか。私どもこの小さい子供はきっと命をとりとめると思っていました。… あの子は元気な強い子供だった。でもこんな残酷な病気、そして死の力はあまりにも強かった。

 しかし、真理は神にのみある。この幼児は勝利した。いま彼はイエスの胸に抱かれて安らかである。…私の胸葉、張り裂けるばかりだ。私に翼があったら、どこか寂しい所へ飛んで行きたい。これが悪しき思いなら、神様、ゆるしてください。」

 

  そうした精神的な打撃を受けつつ、神からの日本伝道への強いうながしをうけて、両親や周囲の人たちの反対をも振り切って、大病院、豪華な邸宅、そして別荘や家財道具などすべてを売り払い、それで得た巨額のお金をすべて日本での伝道のために使うことにし、夫妻が心を一つにして、日本に旅立ったのであった。

 このように、活ける水、いのちの水を豊かに与えられた者は、そのまえに、大いなる苦難、悲しみの谷間を歩むことが必要だったのである。そのような深い涙、闇を知るところに神は活ける水を豊かに注ぎ、いかに人間にとってそのいのちの水が不可欠であるかを思い知らされたのであった。

 こうしたことも、最初に引用した、エデンの園から世界に流れ出る水、という記述が象徴的にあらわしていたのである。

 

 次に、こうした活ける水について記されているエゼキエル書の次の箇所がある。

 

……天の使いはわたしを神殿の入り口に連れ戻した。すると見よ、水が神殿の敷居の下から湧き上がって、東の方へ流れていた。わたしに水を渡らせると、水は膝に達した。更に、450メートルを測って、わたしに水を渡らせると、水は腰に達した。更に彼が同様に測ると、もはや渡ることのできない川になり、水は増えて、泳がなければ渡ることのできない川になった。

 川岸には、こちら側にもあちら側にも、非常に多くの木が生えていた。

 川が流れて行く所ではどこでも、群がるすべての生き物は生き返り、魚も非常に多くなる。

 この水が流れる所では、水がきれいになるからである。

 この川が流れる所では、すべてのものが生き返る。

 川のほとり、その両岸には、あらゆる果樹が大きくなり、葉は枯れず、果実は絶えることなく、月ごとに実をつける。水は聖所から流れ出るからである。」(エゼキエル書47の1〜12より)

 

 この箇所でも強調されているのは、神殿から水が驚異的なあふれる流れとなっていくということである。神殿とはエルサレムにあるが、そこは標高800メートルほどの山の頂きにあたる所であり、当然のことながら豊かな水の流れなどはないところである。そのような所にある神殿の床から流れだした水が1キロほども流れるともはや渡ることもできない泳げるほどの大きな川となる…このことは、霊的な意味があるのをすぐに感じさせる。 それは、神殿、神がおられるところからは、大いなる水があふれ出し、その水は死んだものをも生き返らせる活ける水の川である。そのことは、キリストの復活以降は、キリストこそがその神殿であり、そこから活ける水(いのちの水)が、豊かに流れ出ていくということを指し示しているのである。

 じっさい、すでに見たように、聖霊となったキリストから全世界に活ける水があふれ出て世界中でキリストのことが知られるようになっていった。

 こうしたいのちの水、活ける水については、その重要性のゆえに、聖書の最初から暗示されている。

その最初の個所ーそれは、創世記巻頭において、暗黒の世界に広がる深淵において、「空虚と空しさのただなかに、聖なる風が吹いていた」と記されている。

 ここで、風 と訳されたのは、ルーァハであり、じっさい、その語はすぐあとの創世記3の8「その日、風の吹くころ」にあるように、風と訳されている。

  このように、全くの空虚のなかにも、聖なる風が吹いていた。英訳の代表的なものでもそのように訳されている。

a divine wind sweeping over the waters. (NJB)

wind from God swept over the face of the waters. (NRS)

 関根正雄訳では、この箇所の「霊」を「霊風」と訳して、霊だけでは意味が十分あらわせないので、このような合成語で訳した。

 この聖なる風は、聖霊である。そして聖霊とは、活ける水のことだと、最初に掲げたヨハネ福音書の箇所で記されている。

そして、聖書の巻頭の部分で、「光あれ!」という神の言葉によって光が存在するようになった。この光もキリストによって、命をもっていることが示され、イエスは、次のように言われた。

 

…「わたしは世の光である。わたしに従って来る者は、やみのうちを歩くことがなく、命の光をもつ」(ヨハネ812

 

 このように、光もまた、主イエスがこられてからは、命の光 となった。

 活ける水は、神の永遠の命をたたえた本質を持つが、それと関連して、聖霊もすでに引用したエゼキエル書でもみられるように、枯れた骨のようなものを生かす命の風でもある。

 このように、私たちの生活において身近に接する水、光、風というものがそれぞれ深い霊的意味をたたえて語られていることに気付かされる。

 そして太陽の光が地上全体を照らし、風はどのようなすき間でも入っていくように、また水も深いいたるところの地中に浸透していくように、それぞれの物理的性質を霊的な性質と重ね合わせつつ、私たちは受けとることができる。

 主は、求めよ、そうすれば与えられると約束された。真実で愛の存在であるゆえにそのことを信じることができる。

  旧約聖書の時代から、すでに活ける水が豊かに流れ出ることを指し示す箇所を取り上げてきたが、そうした活ける水が豊かに与えられている魂の世界を、心に触れる表現で表しているのが、詩編23篇である。

 

…主はわが牧者。私には乏しいことがない。

主は私を緑の牧場に伏させ

憩いのみぎわに伴われる。…

 

 乏しいことがない!ーこれはいかに活ける水が人間の魂を深いところで満たし、力を与えるかを如実に表している。

 三千年も前から、このように深い魂の世界が記されており、それから現代は何も進んでいないという感じを起こさせるほどである。

 私たちそれぞれの人の心にこうした、欠けることのないー言い換えると、深く満たしてそこから外へと流れ出るほどの豊かさをたたえたものー霊的な光と風、水が与えられ、周囲の人々、世界の人々にも流れていくことを祈り願っていきたい。

 


 

リストボタン心に刻まれたみ言葉

    北海道  T.K.

「心を騒がせるな。

神を信じなさい。

そして、私をも信じなさい。」         (ヨハネ14の1)

 

 「心を騒がせる」という1節を読むとき、いつも心に浮かぶのは私の大好きな祖母の、笑顔だけれどさびしそうな表情です。

 私の生まれた山梨県花鳥村にはキリスト教会はなく、わたしの周囲にキリスト者は誰もいませんでした。朝になると祖母は祖父に「あーゆんべは心細かったよー。」と話していたものです。この「夜中に心細くなる。」ということが「心を騒がせる」ということなのかなと思います。

 わたしが小学生のころ伊勢湾台風や大きな台風がきて自宅が床上浸水しました。 また祖父母の生まれた奥深い谷川に沿った村でがけ崩れが起きて20人以上の死者がでました。それが白黒テレビの画面で放送されて、夜中に恐ろしい夢を見るようになりました。しかし「怖い」と両親にも言えず、 ましてや心細がっているおばあちゃんにも言えず、保育園や小学校の誰にも言えず一人で悩んでいました。

 12歳の時、山梨県甲府市にあるキリスト教主義学校に入学し、日曜日に「教会に行く」という宿題が出て、甲府市の刑務所近くの礼拝出席15人ほどのルーテル教会へ初めて行きました。池田政一牧師は大きな両手を広げて「よくきたねー!」と迎えてくれました。

 池田牧師は礼拝後小教理問答書を学ぶ時間をとって下さり、また中学生の私に内村鑑三のロマ書講義やアンドリュー・マーレーという人の祈りの本など貸してくれ、私は通学のバスにゆられながらそれ等の本を読みました。むずかしいけれどなにか惹かれるものがありました。

 中学一年生の6月頃からずっと休まず、花鳥村から定期券があったのでバスに乗って40分かけて日曜日ごとに教会に行き、中学3年のクリスマスに洗礼を受けました。その時一番うれしかったのはどんなことでも神さまに祈って良いのだ、困ったときは池田牧師夫妻に助けを求めてよいのだ、ということでした。

 池田政一牧師は戦争中は長野県のホーリネス教会の牧師でしたので天皇を神と認めないという罪で一年間監獄にいれられ、その間にむつみ夫人は幼い子供たちと牧師の留守宅を守り、また生まれたばかりの子を牧師の留守中に天に送ったのでした。

 これは石浜みかるさんという人が「紅葉の影に」という本を書いて下さり出版されています。高校生のわたしは主にむつみ夫人から戦時中にどんな裏切りにあったか、どんな助けを受けたか土曜日の午後などにうかがいました。

 わたしは12年間は全くキリスト教のない世界に生きてきて怖い夢にうなされ、だれにも相談できずに悩みましたが、池田牧師夫妻と出会い、戦時中の困難の中で祈りによって生き抜いてきたことをまのあたりにし、まさに池田ご夫妻の証を土曜日ごとに聞き、また祈ることを学び、「心騒がせるな。」という本当の意味を知りました。

 中学生のわたしは、「心を騒がせるな」という神さまのみ言葉をこの牧師夫妻の信仰の証によって知り「もしこのご夫妻が私に信仰を伝えてくださらなかったらいつまでも私はこわい夢をみてあの恐怖にうなされていただろう。私もこの御恩を返すべく、心騒がせている人にイエス・キリストのことを伝えていきたいと思ったものです。

 


 

リストボタン(以下の文は過去の文集による)

生活の中で ー立春                   吉村恵美子

 立春を迎えると、外気はまだまだ冷たくても、やはり心の弾むものである。

 南国九州に育ち、徳島という温暖な地に住み着いてはいても、春の訪れは嬉しいものである。

 立春の頃になると早咲きの梅はもう盛りを過ぎ、やぶ蔭にのぞく椿の花も数少なくなっている。

 メジロが何羽もこの梅の枝を軽やかに飛び交い、さえずりあって、ガラス越しに眺める私たちを楽しませてくれる。

 

石走る 垂水の上の さ蕨の

萌えいづる春に なりにけるかも (万葉集 志貴皇子)(*

 

*)万葉集の四季歌の代表的な作品で、斎藤茂吉も「万葉集中の傑作の一つ」と評した。

 

 この志貴皇子の歌が口をついて出てくるのもこの頃である。

 春の訪れを喜ぶ皇子の心が伝わってきそうな歌である。

 何とリズム感のある躍動的な歌であろう。私の大好きな歌の一つである。

 滝の辺にさわらびの燃え出す春になりましたよ! というのが大体の意味であるが、古代人の自然に対する繊細さ注意深さを見習いたい。

 何百万年、何千万年から変わらぬ姿を今までに保ち続けた山々が削られ平地とされ住宅地と変えられていく。

 この我が家のある小さな山(日の峰山 標高192 M) にも、以前には野うさぎがいたのに…。

 昔から、山は変わることのないものとして例えられてきたが、現代は山でさえなくなることがある。鳥も、昆虫も少なくなった。

 結局、見える自然は破壊される。遅かれ早かれ徐々に破壊されていく。

 しかし残された自然は小さすぎることはない。一本の野草に、また道端の雑草と言われる野草の中にも春は巡ってくる。

 古人が、滝のほとりの さわらびに、また野のすみれに心打たれたのは昔は自然が豊かであったからで、現代は自然が破壊されたから自然に対する感動や感受性が失われたのではない。心の問題である。

 季節を定め給うた御方のことに心をひそめる時、私たちは驚きなくしては自然を見ることはできない。いかに自然が破壊されようとも、内なる目には、水しぶきをうけた さわらびの姿がうかんでくるに違いない。

「いずみ」第25号(一九八〇年二月)

 


 

リストボタン報告

一、クリスマス特別集会

2022年1225日(日) クリスマスメッセージ 

「キリストがわたしたちの内に生まれるように」

     (ガラテヤ書4の19

参加者… 会場11

      スカイプ53名 

 コロナのために、いつもの集会場には少数しか集まれなかったですが、インターネットのスカイプを通して、北海道から九州までのさまざまの地域のキリスト者の方々とともにクリスマスを記念することができたことを感謝でした。

 クリスマスとは、単にメリークリスマスといって飲食などで楽しむということにとどまるのでなく、私たちのために十字架にかかってまで苦しみと悲しみを担ってくださったキリストの絶大な働きを覚え、罪の赦しと、いまは復活して聖なる霊としてはたらいてくださっているキリストを記念し、あらためて私たち自身にまた、世の人々にこの聖霊が注がれるようにと祈り、礼拝する日であること、言い換えると、使徒パウロが言っているように、キリストが私たちの心の中に生まれてくださることを祈り願う日であることをともに聖書から学びました。

 

二、第25回 冬季聖書集会

(キリスト教独立伝道会主催)

 本来なら神奈川県の「森の家」にて開催予定でしたが、

コロナのために今年も二日間にわたるオンライン集会となりました。

 ・主題…「活ける水」

・聖書箇所…ヨハネ福音書7の3739

・内容…この聖書箇所をもとにしつつ、次の二回に分けて、吉村が語らせていただきました。その内容を、今月号に掲載しました。

@「旧約聖書における活ける水」

A「活ける水を与えられた人達」

 


 

リストボタン休憩室

〇金星、木星、火星の三つの惑星がよく見える

 1月に入って、それまで夕方の低い西の空に見えていた金星がいっそうはっきりと見えるようになっています。

 また夕方7時頃の南西の空高くには、木星がその澄んだ強い光を投げかけていますし、火星は東の空から強い赤色の星として見えています。

 この頃は、火星のすぐ下方に 牡牛座の一等星アルデバラン(大きさは太陽の直径の40数倍)があり、さらに左(東のほうには、オリオン座の一等星ベテルギウス(太陽の千倍近い巨星)が見え、それらはいずれも赤い星で、火星とともに三つの明るい有名な星々がほぼ近くにならんで見える珍しい状態です。

 それらの強い輝きの星を見ることで、より夜空の星々が親しみやすくなり、そこからより明るさの弱い恒星にもいっそうの関心が生じて、さらにその無限に広がる星々を創造した途方もない全能の神の力の一端をより身近に大空にて感じ取ることができればとおもいます。

 


 

リストボタンことば

(407)看護師として もっと大きな愛(「ナイチンゲールの言葉」より)

 病気の人の体を適切に看護すること、それも愛です。

病める心や悩み疲れた人々に忍耐強く適切な看護をすること、それはさらに大きな愛です。

 しかし、それ以上にもっと大きな愛があります。

 それは私たちに対して、悪しきことをする人にも善きことを行い、私たちに対してつらく当たる人にも好意をもって接し、私たちの好意を素直に受けいれてくれない人に対しても愛をもって仕え、私たちが侮辱さたときにも、またもっとひどく傷つけられたときでも、相手をその場で赦すということなのです。

 

*)ここには、ナイチンゲールがキリスト者であること、キリストの言葉が深く彼女の魂に刻まれていることがうかがえる。

 一般的な看護師のあり方としては、患者のからだ、病気だけでなく、その患者の心にも心を配ってー愛をもって適切な看護をすることが目標となるであろう。

 しかし、ナイチンゲールは、キリスト者ゆえにそこで留まらない。主イエスが、「なんじの敵を愛し、迫害するもののために祈れ」といわれたことをそのまま語っている。 この主イエスの言葉は、通常の愛とはまったくことなり、好きな相手にはよくする、といった人間の感情でなく、相手の人がいかなる人であっても、その人の心が真実や清い心、無差別的な愛に満ちたようになるように、キリストの平和が来るようにとの祈りである。

 それゆえに、あらゆる時代やどのような状況にあっても、また老若男女、そして年齢や民族のいかんにかかわらず、また相手が自分に理由なく反抗したり敵対してきても一層あてはまる究極的なあり方だからである。

 しかし、そのような愛は人間はだれも生まれつき持っていない。神から与えられる以外にない。

 看護師の仕事は、相手が病苦に苦しみ、また死を前にした絶望的状況にあり、かつ孤独にも苦しむ人達であり、それゆえにいっそうこのキリストの言葉に示された精神が必要となり、そのためには、キリストを信じて神からそのような愛を受けることが求められている。

 

 


リストボタンお知らせ

 〇第49

  北海道瀬棚聖書集会

   (次に北海道瀬棚の野中さんから送られてきた案内を転載しておきます。)

 今年の主題 

 「互いに愛しあいなさい」

 争いは人間の本能なのでしょうか。有史以前から隣人同士、村、国の中で、国同士で争いを続けており、今も戦争のニュースが止むことはありません。

 規模が大きくなるほどに身体的にも精神的にも傷つく人が増えることを知っていながら私たちは未だに争いを止めることができないでいます。

 キリストは「敵を愛せよ」と言われました。すぐに他人をうらやみ、妬み、また憎しみを抱いてしまう私たちはどのようにこの言葉を実践し、世界に広めていけば良いのでしょうか。

 今年はテーマを互いに愛し合いなさいと致しました。共に学び、共に祈ってこの世を生きていく力を神様に与えていただき、皆で分かち合う時間を持ちたいと思います。

 

主催 : 瀬棚聖書集会  協賛 : 日本キリスト教団利別教会 、 キリスト教独立伝道会

・今年の主題

 「互いに愛し合いなさい」

・日時… 2023年2月22日(水)〜24日(金)休日(天皇誕生日)

22日…開会は 2000分(準備があるので19時半から接続開始となります)      

23日(木)1015分開会〜15時終了予定 ) 

〇方法…インターネットの Skypeを利用したネット集会

(今年もSkypeを使って集会をします。時間が前後する可能性があります。部分参加も可能です。具体的な接続の仕方や集会中の決まりごとは参加申し込みをされた方に必要に応じて都度連絡させていただきます。)

 

〇主な内容

1日目 開会礼拝  2000分 〜 2100分(礼拝の後 自己紹介)

・2日目 第1講 

1015分 〜 1130

 吉村孝雄(徳島聖書キリスト集会代表)

 昼食後 第2 1240分 〜 1340分  吉村孝雄

 

休憩後 証の時間 

1350分 〜 1430

 参加者による証

感話  1440分 〜 1530

・3日目  特別講話

1030分 〜 1200分                     吉村孝雄

昼食後 感話

     1300分 〜 1430

閉会礼拝 1435分〜 15

 

〇会費…不要

〇申し込み、問い合わせ先

〇締切… 210日までにメール、またはファックスにて。

お名前、住所、電話番号、連絡可能な時間帯(Skypeの事前練習を行うために連絡をさせていただくことがございます)メールアドレスを記入の上お申し込みください。

 今回も Skype 集会の形でこのせたなの聖書集会を開催します。

Skype」は徳島聖書キリスト集会において様々な理由からなかなか集会に参加できない方のためにインターネットを利用して共に礼拝をする目的で何年も前から使われてきたツールです。

初めての方もぜひこの機会に触れてみてはいかがでしょうか。

 *)編者注  なお、skype スカイプという名称は、Sky peer to peer の略語で、peer(ピア)とは、「仲間、同僚」という意味なので、SKY (大空)を通して、(インターネットを通して)仲間から仲間に対話、交流する、といった意味になります。

 


 

リストボタン集会案内

@主日礼拝…毎日曜午前1030分から。徳島市南田宮の集会場とオンラインの併用。

A夕拝…毎月、第1、第3火曜日の夜730?9

(オンライン集会)

B家庭集会…次の各家庭集会は、天宝堂集会以外は、オンライン(スカイプ)の集会です。

・天宝堂集会…毎月第2金曜日の午後8時〜9時半

・ 北島集会 ・・毎月第2月曜日と第4火曜日の午後1時?2時半。

B海陽集会…毎月第2火曜日 午前10時〜12時(オンライン集会のみ)

 

 

http://pistis.jp/(「徳島聖書キリスト集会」で検索)