今月の聖句 |
1999年12月 第467号・内容・もくじ
ライトをつける
夕方になると、車はライトをつける。それは自分が走るときに暗いからライトをつけるのだとたいていの人は思っている。それはその通りであるが、もう一つライトをつけるのは、自分の位置を知らせるという意味がある。
一部のヨーロッパの国では、昼間であっても自動車はライトをつけることになっているという。かつて、イスラエルに行ったとき、エルサレムに向かう路上で、はるか彼方から砂漠のような荒涼とした大地の上を、こうこうとライトをつけてつぎつぎと走ってくる車を見たときにはどうして昼間からつけているのか、消し忘れなのかと思ったことがあった。その地方では、車の位置をはっきりと知るのに効果的なのでライトを昼間でもつけるのだと説明を受けたことがある。
最近では、日本でもバイクは昼間でもライトをつけるのが普通になっている。それは、ライトをつけた方が事故の率が少ないという統計が出たからだという。
私たちは人間にもライト(光)が必要である。日々のいろいろの問題に直面するとき、どちらの方向に歩いていったらよいのか、私たちはずっとこのまま歩いていったらどこへいくのか、など答えられないことが数多くある。それは適切なライトがないからであった。
光なるキリストを持つことによって、正しく私たちの前方を照らしてもらえるようになる。私たち一人一人の前途、また私たちが今かかえている問題にどうしたら正しく対処できるのか、私たちの社会はどうあるべきなのか、何がこの世で一番大切なのか、等などはキリストの光によらないときちんと判断できず、先が全く見えない。
それだけではない。私たちがあと数十年したらどうなるのか、死んだらどうなるのかというすべての人に訪れるきわめて重要な問題や、人類の将来はどうなるのかも、キリストの光がなかったら、前途は見えず、死んだらすべてが消えていく闇のなかに入ってしまうとか、無になってしまうということしかわからない。
このように、キリストの光はたしかに私たちの考えや、将来、現在の問題を照らし出してくれる。
しかし、それだけではない。私たちがキリストの光を持っているということをはっきりと言い表すことによって、まわりの人たちも私たちがどこにいるのかという位置をはっきりと知ることができる。
車がライトをつけていると、遠くからでもその車がどんな色や車体の車であるか、だれが運転しているのかなどより、はるかにライトそのものに私たちは目を向けるようになる。
それと同様に、私たちは自分がいかに弱く、貧しくあっても、キリストの光を持っている(与えられている)というだけで、まわりの人は私たちの持っている光そのものに関心が向けられる。
そしてその光は、私たちがどこにいるのかをはっきりと示すものになる。そしてその光に注目する人が生じ、その光を吹き消そうとする人が生じる一方で、その光そのものの力に引き寄せられる人も少数ながら必ず現れる。
ともし火をともして、それを器で覆い隠したり、寝台の下に置いたりする人はいない。
入って来る人に光が見えるように、燭台の上に置く。(ルカ福音書八・16)
私たちが、周囲の人に唯一の神とキリストを信じていると表明するだけで、私たちはキリストというともしびを燭台の上に置いたことになる。
闇と光
悪はなぜ、どのような過程で存在するようになったのか、人間の問題を深く考えようとするときに、だれしもそのことを一度や二度は考えたことがあるだろう。
しかし、聖書はその問題についてはごくわずか、象徴的な表現で述べているだけである。 人類の祖先とされているアダムとエバが禁じられた木の実を食べたからだという表現である。しかし、このような物語で納得する人はごく少ないと思われる。
さらに、主イエスも、この世になぜ悪があるのかという問に対して毒麦のたとえという象徴的な表現で答えている。
イエスは、別のたとえを持ち出して言われた。「天の国(*)は次のようにたとえられる。ある人が良い種を畑に蒔いた。
人々が眠っている間に、敵が来て、麦の中に毒麦を蒔いて行った。
芽が出て、実ってみると、毒麦も現れた。
僕たちが主人のところに来て言った。『ご主人様、畑には良い種をお蒔きになったではありませんか。どこから毒麦が入ったのでしょう。』
主人は、『敵の仕業だ』と言った。そこで、僕たちが、『では、行って抜き集めておきましょうか』と言うと、
主人は言った。『いや、毒麦を集めるとき、麦まで一緒に抜くかもしれない。
刈り入れまで、両方とも育つままにしておきなさい。刈り入れの時、「まず毒麦を集め、焼くために束にし、麦の方は集めて倉に入れなさい」と、刈り取る者に言いつけよう。』」
(*)この箇所における天の国とは、死後の世界のことを意味するのではない。天とは、神のことを言い換えた言葉で、国とは王の支配という意味。それゆえ、「天の国」とは、「神の(王としての)御支配」という意味になる。神がこの地上を王としてどのように御支配なさっているかということを示すたとえだということになる。
ここでも、なぜ毒麦があるのか、なぜ、そんな有害な種を蒔いていく者がいるのかなどといったことは全く触れていない。
しかし、聖書がはっきりと告げていることがある。それは、それらの悪は最終的には、神によって裁かれ、滅ぼされるということである。
そして、ほかの箇所では、悪がいかにしてその力を失うのか、どのようにしたら私たちは悪の支配から免れることができるのかということを繰り返し告げている。
聖書の一番最初にも、私たちの世界や人間の心の状態が暗示されている。
初めに、神は天地を創造された。
地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。
神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。
神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け・・、(創世記一章より)
このように、最初の状態はいかなる秩序もない混乱と、闇があったということから、聖書は始まっている。たしかに周囲の社会を見ても、いたる所に闇があり、混乱が満ちています。教育の世界、政治、経済、科学技術、家庭などなどどの部分をとっても、混乱と暗い状況が浮かび上がってくる。一見はなやかなスポーツの世界でも、その最大の祭典である、オリンピックにもさまざまの闇の部分があることが、報道されている。
新聞とは多くの場合、そうした社会の混乱と闇を伝えている。そして社会とは人間一人一人によって構成されているのであって、社会の状況はそのまま、一人一人の人間のなかに、混乱と闇が深く宿っているということになる。
この創世記の最初の記述は、そのようなあらゆる混乱と闇のただ中に光が注がれるという事実を直接的に述べている。
神がひとたび「光あれ!」と言われるなら、いかなる混乱と闇があっても、そこに光が臨むという真理を聖書は巻頭に宣言しているのである。
この世の悪とか、闇がどのようにして生じたのか、なぜ存在するのか、等などの哲学的問題を私たちの頭でいくら考えても結局は、納得のいく説明などはできないのであって、そこに光はやっては来ない。
ただ神の言葉を待ち望むこと、神の御手が働くことを信じて歩むとき、神は、必要なところに「光あれ!」と言われ、そこに光は宿る。
私自身の過去を振り返っても、この世界や宇宙を真実な唯一の神が創造し、見守っておられることを知らなかったときには、まさしく混乱と闇が心にあった。その解決のためにいろいろの書物を読んでも、一時的にそうしたものへの光を感じることはあっても、ふたたび混乱と闇が忍び寄ってくるという状態であったのを思いだす。
しかし、あるときからそれまで全く考えたこともなかった神がおられ、私たちを導いておられることを知った。そして心の最大の問題の解決の道を指し示してくれた。
それは、神が迷える羊であった私に、「光あれ!」と言われ、私の心にそれまで全くなかった光で照らして下さったからであるとわかった。
キリストは闇のなかに輝く光となるためにこの地上に来て下さった。心に闇を感じる人、この世の闇に心ふさがれる思いになっている人は、静まってキリストのもとに行こう。そこからどんな闇にも打ち勝つ光が注がれるのだから。
もし、私が足を洗わなかったら
イエスは、この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。
夕食のときであった。既に悪魔は、イスカリオテのシモンの子ユダに、イエスを裏切る考えを抱かせていた。
イエスは、父がすべてを御自分の手にゆだねられたこと、また、御自分が神のもとから来て、神のもとに帰ろうとしていることを悟り、食事の席から立ち上がって上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。それから、たらいに水をくんで弟子たちの足を洗い、腰にまとった手ぬぐいでふき始められた。
シモン・ペトロのところに来ると、ペトロは、「主よ、あなたがわたしの足を洗ってくださるのですか」と言った。
イエスは答えて、「わたしのしていることは、今あなたには分かるまいが、後で、分かるようになる」と言われた。
ペトロが、「わたしの足など、決して洗わないでください」と言うと、イエスは、「もしわたしがあなたを洗わないなら、あなたはわたしと何のかかわりもないことになる」と答えられた。
そこでシモン・ペトロが言った。「主よ、足だけでなく、手も頭も。」
イエスは言われた。「既に体を洗った者は、全身清いのだから、足だけ洗えばよい。あなたがたは清いのだが、皆が清いわけではない。」
イエスは、御自分を裏切ろうとしている者がだれであるかを知っておられた。それで、「皆が清いわけではない」と言われたのである。
さて、イエスは、弟子たちの足を洗ってしまうと、・席に着いて言われた。「ところで、主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。わたしがあなたがにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのである。(ヨハネ福音書十三・1~15より)
主イエスが弟子たちの足を洗ったこと
主イエスが最後の夕食を弟子たちと共にしようとしたとき、だれもが予想もしなかったことが生じた。それは、主イエスが弟子たちを最後まで愛し抜かれたことを象徴的に示すものであった。
弟子たちが、エルサレムに来る途中に主イエスは自分がもうじき殺されるといって重大な事態になると予告しているのに、弟子たちは、自分がイエスの新しい支配の国で、高い地位につきたいと願ったり、だれが一番偉いかと議論している有り様であった。そうした弟子たちのかたくなな心がこの、主イエスが弟子たちの足を洗ったという記事の背後にある。
イエスは、手ぬぐいをとって、上着を脱ぎ、たらいに水を汲んできて、弟子たちの足を洗い始め、てぬぐいでふき始めた。
このことは、当時の習慣を反映していると考えられている。当時は、晩餐に参加するときには、会場となる家に出発する前に、自宅で体を洗う習慣があり、途中の道での汚れを、目的の家について奴隷たちが洗うのであった。
足を洗うということは、当時は奴隷がする仕事であった。だから、弟子たちは主イエスがそんなことをしようとしたので、とても驚いてペテロはただちに拒んだほどであった。そのようなペテロに対して、主イエスは、「もし、私があなたを洗わなかったら、あなたは私と何の関わりもない」と言われた。
足を洗わないだけで、それまで三年間もずっとともに行動してきた主イエスとペテロが何の関係もなくなるということは、本来はありえない。今までも夕食のときに、主イエスがペテロの足を洗わなかったことが普通であっただろう。だからこそ、弟子たちは驚いたのであった。それゆえこの主イエスの言葉は、キリスト信仰の重要な内容を象徴的に現していると言えるのであって、その意味を考えてみよう。
私たちが主イエスから足を洗ってもらうとは、どんな意味が込められているだろうか。、足の汚れとは、私たちの霊的な汚れ、罪の汚れを意味している。そしてそのような罪の汚れを清めて頂くのでなかったら、たしかに私たちは主イエスとは何の関わりもなくなってしまう。私たちが主イエスと関わりがなくなるということは、実に大きなことである。この箇所は、たいてい、互いに足を洗い合うという側面が強調され、そのことがとくに印象に残ってしまうことが多い。しかし、主イエスと何の関わりもなくなってしまうということは、滅びるということをも意味している。それは直前に言われている裏切り者のユダと同様になってしまうことを意味する。
私たちは、主イエスから洗ってもらった、だからこそ、主イエスとつながりを持つことができるのである。
ユダはどうして滅んだのだろうか。それは、同じようにキリストの愛のなかに置かれ、その神の言によって導かれたにも関わらず、それを受け取ろうとしなかったからである。 主イエスが奴隷と同様な最も低い姿となって、弟子たちのために足を洗おうとされた。そのことを受け取らないときには、関わりがなくなってしまう。
私たちが最も必要なことは、主が私たちにして下さった愛のわざを感謝して受け取ることなのなある。もちろん、当時の弟子たちのように、文字どおりに主イエスに足を洗ってもらうなどということはありえない。主イエスが十字架で死んで下さったこと、犯罪人と同様な低い低い姿で私たちのために汚れを担い、身代わりに死んで下さったことを感謝して受けることである。
それによって、私たちは主イエスとのつながりを保ち続けることができる。
主イエスは、つぎのように言われた。
「既に体を洗った者は、全身清いのだから、足だけ洗えばよい。あなたがたは清いのだが、皆が清いわけではない。」
この箇所も用いられている言葉はわかりやすいが、必ずしも意味は分かりやすいとは言いがたい。すでに体を洗ったといっても、いつどこで洗ったのだろうか。どこにもそれは書かれていない。
この言葉は、ヨハネ福音書の十五章三節の「私の話した言葉によって、あなた方はすでに清くなっている。」という言葉と関連がある。弟子たちが主イエスの愛のなかに生き、その真理のみ言葉によって導かれているとき、すでに清められていると言われているのである。
主イエスに身をゆだねた者は、「からだを洗った」と言える。これは、その後の箇所で、ユダは「清くない」と言われていることからわかる。主イエスの愛を拒み、み言葉を拒絶するとき、清められていないということができるがユダはまさにそうした拒絶する人であったと考えられる。
主イエスに足を洗ってもらうということ、すなわち清めてもらうということの意味は、「そのときには弟子たちにはわからないが、後で、分かるようになる」と主イエスは言われた。これは自分は清いと思っていてもどんなに汚れた思いが生じるか、どんなに重い罪を犯してしまうかを知らないからであった。ペテロも自分は正しいと思っていても、主イエスを三度も知らないと言ってしまうほどであった。そんな自分の弱く醜い本質を知るとき、主イエスによる清めがいかに必要であるか、それなくしては、たしかに主イエスとはつながりを持つことができない存在であることを思い知らされるのである。
それは聖霊を受けて初めて真理が明かになっていったことを意味している。聖霊はすべてのことを教えると、ヨハネ福音書に記されているとおりであった。聖霊によって、主イエスが足を洗うこと、(清め)が不可欠であること、十字架の死こそ、その清めと赦しを万人に与えるものであったこと、をも知らせるものであった。復活も十字架も聖霊を受けて初めて弟子たちもその意味が分かったのである。
現代の私たちにおいても、主イエスが私たちの汚れを洗って下さったということがどんなに深い意味を持つか、あとになって少しずつ分かってくる。
からだを洗ってもらったから、足だけを洗ったらよいという言葉の意味については、私たちが聖霊により、主イエスキリストにより新しく生まれ変わっているなら、あとは、日々の生活でこの世の汚れを日々洗って頂くことだけが必要なのである。たしかに、キリストの十字架を信じて罪赦された者であっても、日々の生活の中でさまざまの悪との戦いによって次第に世の汚れがしみこむとき、私たちはいつのまにか、キリスト信仰からはずれていく。実際、そうした離反していく人をいろいろと私たちは見てきた。
このように、私たちは信じてキリストの言葉を受け入れた時点で、清くされているが、その後の生活においてつねに何らかの汚れはつきまとってくる。それゆえ、日々の罪を告白して赦して頂き清めて頂くことが必要なのである。
「もし、私(イエス)が足を洗わなかったら、あなたは私と何の関わりもない。」この箇所は、現代の私たちにとっては、キリストによって汚れ、罪を洗って頂いて初めて、イエスとつながることができることを意味している。それは私自身の経験であった。そして主イエスによる罪の赦し、清めの重要性がわかるということが、すなわちキリスト信仰の世界に招き入れられるということなのである。
ここからすべては始まる。これはキリスト信仰の出発点であり、だからこそ、決別遺訓の冒頭で言われていると考えられる。
主イエスによる清めを受けて始めて、そこから互いに奉仕しあうこと、互いに足を洗い合うことが可能になる。だからこそ、主イエスもまずイエスが弟子の足を洗ったのちに、互いに足を洗い合うこと、互いに愛しあうことが命じられている。それをすることによって初めてキリストの弟子となれると言っている。
だから、言っておく。この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない。」(ルカ福音書七・47)
多くの罪を赦されるとは、主イエスによって、より多く洗って頂くことである。もし、主イエスが私たちの罪の汚れを洗わなかったら、私たちは愛を知らず、他者を愛するという本当に意味がわからないままになっていたのである。
ヨハネ福音書では、この箇所にある、互いに足を洗い合うようにとか、互いに愛し合いなさいという戒めが多く見られる。
それでは、新約聖書のほかの内容ではどうだろうか。互いに○○せよという教えがいかに多くの箇所に現れるか、実際に感じていただくためにその箇所を別にあげておく。
なぜ、新約聖書には「互いに○○せよ」が多いのか
それらの箇所を見ればわかるように、新約聖書において、「互いに○○せよ」というのは、私たちが想像する以上に多いと言えよう。
旧約聖書においては、このような「互いに○○せよ」といった戒めは、次の一カ所しかないことを比較するなら、新約聖書の特徴が歴然としてくる。
「万軍の主はこう言われる。正義と真理に基づいて裁き、互いにいたわり合い、憐れみ深くあり、やもめ、みなしご、寄留者、貧しい者を虐げず、互いに災いを心にたくらんではならない。」(ゼカリヤはダレオス王時代の預言者。紀元前520ー518頃に活動した。心を合わせてエルサレム神殿の再建につくし、ユダヤ人指導者を激励した。)(ゼカリヤ書 七・9ー10)
新約聖書にみられる、「互いに教え合い、互いに相手を優れた者と思い、互いに忍耐し・・」など、のさまざまの互いに○○せよという戒めは、一言で言えば、「互いに、愛しあうように」ということに尽きる。
なぜ新約聖書では、これほどまでに互いに愛し合うことを強調しているのだろうか。それは、つぎのような理由が考えられる。
まず第一に、キリストを信じる者の集まりは、「キリストのからだ」であるからだ。もし、私たちが一つのからだであるならば、一つの部分が苦しめば、別の部分もまた苦しむというのは、ごく自然なことになる。キリストご自身が、愛そのもののお方であるゆえ、私たちの苦しみを苦しみとして受け取って下さり、喜びをともに喜んで下さる方である。それゆえ、私たちも、互いに愛し合い、重荷を担い合うことによって、よりキリストと一つになることができる。そしてそこからキリストからの慰め、励ましもまた受け取ることができる。
互いに○○せよという戒めは、それが可能であるから言われている。それは、まずキリストが私たちを愛して下さって、その愛を下さっているからである。
次の理由は当時は迫害が始まっている時代であり、そうした時代には、互いに愛し合うこと、命まで捨てる覚悟でキリスト者たちが相互に愛し合うことがきわめて重要であったからである。それは、キリスト者として当時の国家権力と戦って信仰の道を生きていくために、不可欠のことであったのである。
次に、互いに愛し合うということは、周囲の偶像崇拝の世界に真の神を宣べ伝えるためにもきわめて重要であったと考えられる。それは、つぎの言葉のように、互いに愛し合うということは、単に相手が困っているからとか、可愛そうだからそうするというだけでない。それは、神を私たちの内に強くとどまっていて頂くための最も重要な手段ともなるのである。
愛する者たち、神がこのようにわたしたちを愛されたのですから、わたしたちも互いに愛し合うべきである。 いまだかつて神を見た者はいない。わたしたちが互いに愛し合うならば、神はわたしたちの内にとどまってくださり、神の愛がわたしたちの内で全うされているのである。(Ⅰヨハネ四・11ー12)
そして神が私たちの心のうちに、また、私たちの人間関係のただなかにとどまっていて下さるならば、私たちが福音を伝えるときにも、そのとどまり続けておられる神が働いて下さるであろう。そしてまだ神を知らない人へと、福音を伝わらせていくのである。
キリスト教がローマ帝国に広がっていく時代は、三百年ほどもずっと迫害がつきまとったのであって、そのような迫害の時代においては、互いに主にある愛で、命がけで愛し合うということが必要であったのである。そのようなところに神が働き、その神がキリストの福音を迫害のただなかにおいて伝えていったといえよう。
さらに、こうした迫害のほかに、キリスト教の真理をゆがめる異端の教えが忍び込んでくるという状況があった。ローマ帝国の迫害が目に見える形で襲ってくるのに対して、このほうは、霊的なものであって、キリストの福音の根源を破壊しようとするものであった。こうした偽預言者とか異端の教えに惑わされないためにも、互いに愛し合って、主が信徒のただなかに生きて働いていただく必要であった。
理論的に、異端を論駁することは、知的理解力が恵まれている人たちには、効果的であろうが、一般の人々にとってはその議論そのものが十分理解できないことが多いから力とはならない。しかし、互いに主にある愛で愛し合うことは、そこに働く主が聖霊を注いでなにが真理か異端かを教えてくれることになる。
私自身の経験
互いに足を洗い合うという意味について、私自身が私たちの集会において実際に、学んでくることができたのは、主の恵みというほかはない。
私たちが主イエスを愛すれば、主から愛し返して頂けるように、私たちの集会または、集会員に何らかの関わりをもってきた人に、主にある愛をもって関わるとき、相手もまた私たちに何事かを与えてくれる。また、関わること自体が新しい学びとなっていく。
私たちの集会でも互いに奉仕しあうことによって、今日まで集会が続けられてきた。その点で、例えば集会を継続していくために不可欠となる、集会場がもう三十年ちかくも、杣友さんによって提供されて、そこで集会が継続されている。それは、まず杣友さん宅を集会のために、最初は一週間に一度、現在では、三~四回も毎週使わせて頂いているが、それは実に大きい奉仕である。毎週日曜日の礼拝集会はもちろんのこと、そこでどれほどか、信仰への導きのための交わりの場や、集会が持たれてきたことだろうか。
問題をもった人、悩みのある人、またまだ信仰に入れない人、あるいは、聴覚障害者との交わりや、聖書の話を伝えるには必須である手話のこと、子供の日曜学校、信徒同士の交わり、集会準備等など実に多くのことに使うことができてきた。このように、家を提供すること、またそこに多くの奉仕をすること、それによってまた集会員も、その精神を学んで、他者に奉仕をするようにと導かれていくことになる。
単なる言葉による勧めだけでは、人間はあまり動かされないが、杣友さんご一家の奉仕があったからこそ、集会員もそれを実地に学ぶことができてきたのである。
こうした、よき集会場が与えられていたので、日曜日に集会に参加できない人たちのために、とくに日曜日以外の日に定期的に集会をもうけること(火曜日夜の集会)も可能となった。また、集会に加わろうとしている人の具体的な問題に何らかの形で関わっていくこと、家を訪ね、少しでもキリストのことを紹介し、集会へと導くこと、そのために例えば、盲人なら継続的に送り迎えすること、聴覚障害者との関わりのために手話を覚え、手話で聖書の講話をすること、病気の人、あるいは自分では移動することができない身体障害者のために家を訪ねること、集会をその人の家で開くこと等などがなされてきた。
こうした奉仕は、一方的な奉仕では決して終わらない。必ず不思議なことだが、奉仕を継続的に行う人にも、また何らかの奉仕がなされるようになるのである。
それは、この世の形式的なお返しといったものとは根本的にちがったもので、内に働く主イエスが相互に仕え合うようにと導いていくのである。
互いに足を洗い合うこと、それは互いに重荷を担い合うことでもある。私たちは自分だけの重荷を背負うことで精いっぱいであって、他者の重荷を担うことまでなかなか考えない。しかし、それは私たちの内に主イエスが住んでくれることによって、そのイエスが相手の重荷を担って下さるのがわかる。そして同時に自分自身の重荷をも担って下さるのを感じる。私たちが互いに○○せよという主イエスの言葉を困難でできないと思ってしまうのは、主イエスが内にいないからである。
私たち自身が担おうとするなら、それは到底できない。
使徒パウロの例
キリストの使徒たちの中で、具体的にどんな奉仕が互いになされていただろうか。
パウロ自身は、しばしば天幕を作ることを仕事としながら、キリストの福音を宣べ伝えたことが書いてある。しかし、つぎのパウロ自身の言葉に見られるように、数々の迫害にであった身であり、あちこちとたえず居場所を変えていたのであるから、到底いつもそのように天幕作りで生きていくことができたとは考えられない。
苦労したことはずっと多く、投獄されたこともずっと多く、鞭打たれたことは比較できないほど多く、死ぬような目に遭ったことも度々でした。
ユダヤ人から四十に一つ足りない鞭を受けたことが五度。
鞭で打たれたことが三度、石を投げつけられたことが一度、難船したことが三度。一昼夜海上に漂ったこともありました。
しばしば旅をし、川の難、盗賊の難、同胞からの難、異邦人からの難、町での難、荒れ野での難、海上の難、偽の兄弟たちからの難に遭い、
苦労し、骨折って、しばしば眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食べずにおり、寒さに凍え、裸でいたこともありました。(Ⅱコリント十一章より)
実際、彼自身が述べているように、テント造りをキリスト者のアクラ夫妻とともにやっていたが、すぐあとには、シラスとテモテがマケドニア州からやって来ると、パウロは御言葉(神の言、福音)を語ることに専念し、ユダヤ人に対してメシアはイエスであると力強く証しした。(使徒十八・5)
と記されていて、パウロは神の言を伝えることに専念し、パウロ自身の生活はべつの人が支えていたのがわかる。
また、コリントのキリスト者の集会の人々に宛てた手紙には、つぎのように記されている。
わたしは、他の諸教会からかすめ取るようにしてまでも、あなたがたに奉仕するための生活費を手に入れました。
あなたがたのもとで生活に不自由したとき、だれにも負担をかけませんでした。マケドニア州から来た兄弟たちが、わたしの必要を満たしてくれたからです。そして、わたしは何事においてもあなたがたに負担をかけないようにしてきた。(Ⅱコリント十一章より)
このように、パウロはコリントのキリスト集会の人々には、負担をかけなかったが、そのパウロの生活を支えたのは、コリントの北方のマケドニア州から来たキリスト者たちであった。その点でパウロは福音を知らせ、真理を提供するという奉仕を人々にしたが、他方では人々からの奉仕を受けて伝道を続けることができたのがうかがえる。
パウロはまた、エルサレムのキリスト者たちのために危険をおかして献金を持っていった。多くのキリスト者たちが、エルサレムに行けば、捕らえられて異邦人に引き渡されるという預言をきき、必死になって行かないようにと懇願したが、パウロは、つぎのように答えた。「泣いたり、わたしの心をくじいたり、いったいこれはどういうことですか。主イエスの名のためならば、エルサレムで縛られることばかりか死ぬことさえも、わたしは覚悟しているのです。」(使徒行伝二十一・13)
これほどの決意をもって、エルサレムに行こうとした目的は、私たちにとっては意外だが、エルサレムのキリスト者たちに異邦人のキリスト者たちから捧げられた献金を持っていくことであった。
パウロ自身は、イスパニアへと伝道のために赴くことが希望であった。当時の世界の大都市であったローマですら彼の最終の目的地ではなく、当時世界の果てであったイスパニアこそが目的地であったということのなかに、パウロのただ神のみを信じてどこまでも未知の世界にキリストを伝えようとする志しを感じることができる。
彼はそのような大きい目的を持っていたにも、かかわらず、イスパニアとは正反対のエルサレムに行って、ギリシアの諸教会からの献金を携えていこうとした。
結局パウロは預言された通りに、エルサレムで捕らえられ、危うく殺されそうになる危険にも直面したが、ローマに護送されることになった。
使徒パウロが、献金の問題をいかに重視したかは、使徒行伝の他に、ガラテヤ書にも触れられ、コリント書では前後書に、とくに後書にくわしく述べられ、さらにロマ書にも述べられていることからもうかがえる。
このようなパウロの生き方を見ても、いかに彼が、互いに足を洗い合う、重荷を互いに負い合うということを実際に行っていたかがはっきりと浮かび上がってくる。
このようにパウロが仕え合うということを命がけで重視したことは、意外なことにあまり知られていない。
このようにヨハネ福音書やヨハネの手紙、パウロの手紙などにつよく表現されている「互いに○○せよ」という教えは、すでに述べたように、当時の迫害という困難な時代を考えるとよくわかる。
しかし、現在では迫害がそんなにないのだから、そうした視点はいらないのだろうか。決してそうではない。私たちすでにキリストを知らされた者が、まだ知らない人にキリストを伝えようとして、多くの祈りとエネルギーを注いでようやく一人の人がキリストによる罪の赦しを知り、聖書が永遠の真理き書であることを知ったとしても、集会員が互いに祈りあい、主にある愛をもって重荷を担い合うことをしなければ、続いていかないことが多い。互いに愛しあうことによって神はそうした人間の内におり、その神が集会から離れることを止めるということがある。
一つになるために
そしてもう一つの重要な意味は、ヨハネ福音書にもパウロにも強調されているが、「一つになる」ということである。
わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。(ヨハネ十・16)
父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちの内にいるようにしてください。そうすれば、世は、あなたがわたしをお遣わしになったことを、信じるようになります。
あなたがくださった栄光を、わたしは彼らに与えました。わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです。
わたしが彼らの内におり、あなたがわたしの内におられるのは、彼らが完全に一つになるためです。こうして、あなたがわたしをお遣わしになったこと、また、わたしを愛しておられたように、彼らをも愛しておられたことを、世が知るようになります。(ヨハネ十七章より)
このように、互いに愛し合うことは、一つになるために不可欠のことだといえる。そしてその一つになるということが、神を知らないこの世に対しての証しとなること、福音伝道にもつながることが言われている。
キリスト教は独立の精神を持たせる。だからこそ、内村鑑三も雑誌の名前を「東京独立雑誌」と名付けた。そしてそのなぜ「独立」と名付けたかについて次のように述べている。
「・・頼るべきに頼る、これこそ高尚なる依頼である。弟子がその師に頼り、あるいは、友が相互に頼るがごとき、みなその類である。真正の独立とは実にこの種の依頼をもって成っている。頼ることを知らない者は実に一人立つことを知らない者である。・・」(東京独立雑誌第一号「初言」一八九八年)
このように、独立といっても決して全く一人、単独という意味ではない。完全な独立あるいは、単独ということが可能なのは、神か動物であると内村も昔の人の言葉を引用して言っている。
このように、真正の独立とは、いかなる者にも頼らないのでなく、頼るべきに頼るものである。主イエスも、弟子たちもそのようにされた。まず第一に神に頼るなら、そして神の国と神の義を求めていくならば、必要な人や物が与えられる。主イエスも弟子たちもやはり伝道の日々の生活のとき、食事や、宿泊などは、さまざまの人たちによって支えられていたのである。
キリスト教独立学園にしても、その名前からみると一見どこにも頼らないでやっている学校のように見えるが、決してそうでなく、無教会関係の団体としては、最も多くの献金を受けてきた団体である。しかし、それは内村が述べたような、全く自発的な神への捧げ物とする気持ちで捧げられた献金であり、援助であり、祈りがそこには込められている。 このように、独立ということ自体、それが真正のものであれば、神のみに頼るゆえに神が愛される人たちの援助をも感謝して受けるのであり、そうした互いに仕え合う姿勢を内に含んでいるのである。そしてそこから、多くのよきものが生み出されていくのである。そこに捧げる者も、受ける者も、一つになるのであって、聖書でいわれていることが実現していくのである。
このようにして、キリスト者の集まりは一つになることを目指している。無教会のキリスト者が集まる全国集会もまたそのような仕え合うということのために、なされているのである。
このように、新約聖書においては「一つになる」ということが言われている。
しかし、キリスト信仰以外の世界においては前途をどのように考えるだろうか。
物理的に考えると、私たち人間は、寿命が尽きると焼かれて、大気へと分散し、あるいは一部の金属成分は大地に帰っていく。また、この地球は次第に、太陽が熱くなり、あと数億年で地表の温度は百度に達して、水は失われ、生命は失われる。五十億年後には、太陽が膨張しはじめて、赤色巨星となって水星、金星、地球をも飲み込んでしまう。膨張する太陽の高温のために、地球は太陽に引き寄せられ、溶け、ついには蒸発してしまう。そして太陽とともに、宇宙空間へと飛び去ってしまう。
このように、物理的に考えると、人間も地球も次第に分散していく方向にある。
しかし、主イエスを信じる者は、一つになる。最終的には、天も地も一つに
なると言われている。そうした方向を私たち自身が実感することができるようになっている。それは、キリストを信じる者が一つになるということである。
私たちはキリストのからだであって、一つとなるように召されている。
弟子たちとの最後の夕食が終わって、イエスが捕らえられる直前にしたと伝えられる、つぎのような主イエスの祈りがある。
父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちの内にいるようにしてください。
そうすれば、世は、あなたがわたしをお遣わしになったことを、信じるようになります。(ヨハネは十七・21)
人間や社会、そして物理的には、この地球もまたバラバラになっていく方向にある。そうした大きい流れとまったく異なる流れが、キリストによって与えられている。それは、一つになるという流れである。そしてその大きい流れを私たちが実感できるようにしてくださった道がある。それは、キリストを信じて生きる私たちはキリストのからだであり、一つであるということである。
私たちキリストを信じる者はキリストの目に見えないからだである。だからこそ、互いに重荷を担い合い、赦し合い、奉仕しあうのは自然なこととなる。
そしてそのように一つとされていくことは、それだけで終わるのでなく、さらに雄大な前途に向かっている。それは、パウロの次の言葉に表されている。
こうして、時が満ちるに及んで、救いの業が完成され、あらゆるものが、頭であるキリストのもとに一つにまとめられます。天にあるものも地にあるものもキリストのもとに一つにまとめられるのです。(エペソ書一・10)
これほど、大きい前途の希望があるだろうか。まずキリストを信じる者たちが一つになり、そこに働く神の愛が自ずから周囲へと広がり、隣人への愛へと流れ行きキリストの福音が世界へと伝わっていく。
しかし、決してそれだけで終わるのでない。神が定めたもう時には、天にあるもの、地にあるもののすべてがキリストのもとに一つされるというのである。
互いに足を洗いあい、互いに重荷を担いあい、互いにキリストの愛をもって愛し合うということは決して単なる道徳的な教えで終わるものではない。私たちが互いに足を洗い合うことは、こうした神の宇宙的なご計画の流れのなかに移し入れて頂くことになると言えよう。
「もし、私があなた方の足を洗わなかったら、あなた方は私とは関わりのない者となる。」
そしてこうしたすべての祝福への入り口に、このイエスの言葉がある。まず、主イエスが私たちの足を洗って下さったこと、すなわち主イエスが十字架において死んで下さり、私たちの罪の汚れを潔め、赦して下さったことを信じて受け入れることにある。
0.001グラムが引き起こした危険と不安
今回のウラン加工施設で生じた、臨界事故では、火災が生じたわけでも、爆発があったわけでも、建物が壊れたのでも、また工場内で作っている物質が大量に漏れだしたのでもない。
現実に変化があったのは、わずか、一ミリグラム(一グラムの千分の一)という、極微量のウラン二三五という原子が核分裂しただけだ。にもかかわらず、数人の被爆した人は、取り返しのつかない損傷を体内に受けたし、三〇万人という人々が避難するという事態になり、内閣改造すら一時延期するほどの国家的災害となった。三十万人の避難ということも、じつは、事故現場から半径十キロメートル以内の人に屋内待避要請が出されたが、十キロメートルを越えたら安全だという保障はもちろん全くなかった。なぜ十キロメートル以内としたかといえば、半径十五キロメートル以内とすると、茨城県庁や、水戸市の中心部まで含まれてしまい、三十万人よりはるかに膨大な人間が含まれパニックになってしまうからであったという。
そしてこの一千分の一グラムという微量の核分裂は、現在も多くの人々に、将来何らかの病気になるのではないか、乳児や胎児への悪影響はどうか、農産物への不安など、毎日の生活や、将来の生活にも暗いかげを落とし続けている。
こんなに極微量で何十万人という人たちに甚大な影響をあたえ、国際的にも大きいニュースとなって世界をかけめぐったのであり、今さらながら、核物質の持っている想像を絶する力に驚かされる。
石油であれば、例えば十キログラムも燃えたとしても、それが人家などのないところなら、燃やしている現場で熱くなるだけで、燃えたあとも二酸化炭素と、水蒸気になって空気中に飛散し、後には危険なものは何も残らない。
このように、今回の事故は、いままでの日本の歴史において、最も微量の物質によって多数の人々が大きな混乱に巻き込まれた事件であったと言えよう。
放射線の危険は、外部からも、内部からも受けるのであって、この点においても、他の有毒物質とはまったく違っている。例えば、青酸カリは猛毒物質だとして広く知られている。しかし、その致死量は人間では百五十ミリグラムであって、その量で一人が死ぬという毒性であるから、今回の一ミリグラムのウランの核分裂であれほどの大きい被害と混乱が将来にもわたって持続するというのと比べると、色あせるほどの毒性だとわかる。
しかも青酸カリがいくら多量にあっても、そのそばにいても、体内に取り入れない限りなんら毒性はない。
しかし、今回のような核分裂では、その分裂の結果生じる物質(放射性物質のことで、死の灰とも言われる)を体内に取り入れていないのに、臨界になったウランの近くにいるだけでも、そこから出される放射線によって作業員が受けたような重篤な被害を受けることになるし、数百メートル離れていても年間線量限度を何倍も越えていた。
今回は少量ですんだが、ウランの核分裂で生じる放射性ヨウ素が空気中に放出されて、それを人間が吸入すると、体内の甲状腺に取り込まれ、そこからベータ線やガンマ線を放出して、周囲の細胞に害を与え、ガンを引き起こす。こうした被爆は内部被爆といわれる。ストロンチウム九十などは、骨に入ると出るまでに何十年もかかる。その間中、体内にあって、放射線を出し続けて細胞に害を与えていくのである。
それらよりはるかに強力な毒性を持っているのが、原子炉を運転していると生じるプルトニウムである。これは、人間が肺の中に取り込む限度は、四千万分の一グラムという極微量である。言い換えれば、わずか一グラムが、四千万人もの許容量に匹敵してしまう。
なぜこんなに異常に強い毒性を持つかといえば、プルトニウムが呼吸とかで体内に入ると、そこでアルファ線を出して付近の細胞の核のなかにある遺伝子が攻撃され、肺ガンや白血病を引き起こすからである。
このように、放射性物質は、体の外にあっても、また内に取り入れても危険を持つという、他の有毒物質ではありえない性質を持っているのである。
今回に問題となったような、中性子を出すような状況であれば、コンクリートで閉じこめてあってもそれを突き抜けて外に出てくるという特殊な性質を持っているし、プルトニウムなどは、何万年もその放射線を出し続ける点では、他の有毒物質とはまるで状況が違うのである。
また、原子力発電所は強い放射線にさらされるから、その寿命は三十年程度とされている。寿命のきた、原子力発電所は、普通の工場のように機械で破壊したらすむものでは決してなく、その発電所自身がぼう大な放射性廃棄物となってしまうのである。こうした点も、取扱いがきわめて困難であるという点で、他の工場とは本質的に異なっている。
核物質は、極微量でもその取扱いを誤ると今回のような国家的重大事態を引き起こす。原子力発電所は、このような危険物質を大量に扱い、またさらにそこからは、毎日莫大な放射性物質が生み出されている。例えば、通常の百万キロワット級の原発を運転すると、広島型原爆の一千倍もの放射性廃棄物を生み出してしまうのである。そのなかに、今回のウランよりはるかに危険で毒性の高い、プルトニウムも含まれている。
こうした危険性は、ほかの薬物とか廃棄物とかのいずれと比較しても、段違いの危険性を本来持っているものである。
今回の事故も、起こることはありえないと想定されていた。しかし、現実には起こったのである。その理由は、人間とは弱い存在であるからだ。どんなに機械でチェックしても、その機械や器具を設置し、動かしているのは人間であって、その人間は、金や権力、欲望には弱く、また体の病気や、疲労もあり、機械などの操作に間違いもある。
そしてどんなに安全装置を施しても例えば、原子力発電所の上から、ミサイルが打ち込まれたり、ハイジャックされた飛行機が落ちてくれば安全装置などで守ることは到底できないから、原子炉が破壊されてしまう。そうなれば、原発が制御できなくなり、チェルノブイリの事故のような状態となって、莫大な放射能がまき散らされることになり、核戦争並の事態となり、日本中が大混乱に陥るだろう。
しかし、やはり「そんなことはきわめてありそうにない」という理由で、そのことはだれもが避けて通る。けれども、今回の事故を見ても、誰一人予想もしないようなことが現実には起こるのである。罪深い人間、弱い人間であるから、ハイジャックとか戦争とかを起こさないとは断定できないのである。
私たちは、こうした人間の存在にとって、現在および未来にわたって重大な危険をもたらす可能性を持っている施設を廃止していくという前提に立って、そこからそれではどうしたらよいのかと一人一人が考えていかねばならない状況に置かれている。
中国のキリスト教の現状について
以下に引用するのは、関西学院大学で経済学を教えておられる河野正道さんが最近、中国に経済学関係の講義に出張された折りに、見聞した中国のキリスト教の状況です。中国から帰国してすぐにインタネットメールで知らせて頂いた内容ですが、「はこ舟」読者にも読んでいただきたいので、その一部を取り上げました。
私がまず訪問したのは、遼寧省瀋陽市の朝鮮族の教会、西塔教会でした。そこの牧師さんは、以前、関西学院に講演のために来訪されたことがあったからです。その教会は説教も聖書も賛美歌もすべて朝鮮語であり、私には説教は「ハノニム(神様)」という言葉以外は全く分かりませんでした。しかし、賛美は力強く活き活きとしていました。聖歌隊には老若男女が入っていました。出席者の年齢構成も日本と変わらなかったと思います。
その教会の現在の会員数は千五百人であり、十五年前には五百人でした。かなりのスピードで成長しています。また、瀋陽市内の漢民族中心の教会の出席者数を合計すると十万人になるとのこと。瀋陽の人口は二百万ですから、これはかなりの数と言えるでしょう。なお、この教会の牧師さんは数名おられるようですが、私がお話をさせて頂いたのは女性の牧師さんで大変に流ちょうで正確な英語を話す方でした。
今年の春、関西学院を訪問された中国キリスト教協議会の韓文藻会長はその講演の中で、「中国にはたくさんの聖書があるから密輸しないように」、と言われました。確かに、中国で聖書はふんだんに売られており、その価格は、中国語の聖書が十二元(百八十円)、朝鮮語の聖書が二十元(三百円)でした。なお、聖書は、一般の書店には並べられておらず、教会の売店で売られています。しかしそれは、教会員だけに販売するのではなく、一般の外部の人にも販売しています。そのとき氏名や住所を尋ねるということはありません。だから誰でも気軽に買うことができるとのこと。
この十二元、二十元というのがどれほどの金額であるかというと、市内のバス代が二元、タクシーの初乗り料金が五元、ホテルのご飯一杯が○.五元です。一方、所得の方は、大学教授の給料を例にとれば、これは地域によって数倍の開きがあるのですが、私が訪問した吉林大学では、教授の給料は月に二千元+ボーナス(専門分野によって異なりボーナスがない分野もある)とのことですから、聖書はかなり安い値段で売られていると言えるでしょう。
次の訪問したのが、吉林省長春市の長春市キリスト教会です。ここは漢民族の教会であり、長春市では一番大きな教会です。なお、同じ名称で朝鮮族の教会も別にありました。この漢民族の長春市キリスト教会も急速に会員数が増えています。文革前は百?二百人で
したが、(文革中はゼロ、教会堂は印刷工場として接収されていた)文革後の新宗教政策の下で千人に増えて、現在では一万二千人となっております。最近の特徴としては、若い人が増えたこと、高学歴の人が増えたことです。九七年には四千人が同時に礼拝できる巨大な会堂を建設しました。
日曜日の礼拝は四千人づつの三部礼拝です。訪問した翌週の日曜日まで長春に留まり、礼拝に出席した私の同僚から聞いた話によりますと、その日は正餐式を行い、会堂に入りきれない人が外の階段まで溢れ、パンを配り盃を回収するまで一時間かかったとのこと。その間、四千人の賛美が続いていたそうです。その教会には牧師さんが五人おりました。
一般的に中国の牧師さんは女性が多いようで、私が直接お会いした方はすべて女性でした。日本同様に信徒には女性が多く、そのために牧師も女性の方が好ましいという説明を受けました。聖書を根拠として女性が牧師になるのは不適当などという人は中国にはいないとのこと。なお、会堂は男性席と女性席に分かれておりました。
この教会の建物のなかに、吉林省および長春市の三自愛国運動委員会が入っています。三自愛国運動とは、中国プロテスタントの自立運動であり、中国人が教会を担い(自治)、外国から援助を受けずに経済的に自立し(自養)、中国人が聖書に基づき布教に当たる(自伝)という運動です。このように、自、というのを強調しており、その新しい会堂の壁にも「建設資金信徒奉献」と書かれていました。また、「愛国愛教栄神益人」という文字もありました。このように、愛国というのが前面に出てきているのに驚くと同時に、内村鑑三が「二つのJ(日本Japan とイエスJesus)を愛する」と言ったことが思い出されました。
この教会には、三自愛国運動委員会の省、および市の本部があるからこのように強調しているのでしょうが、この点について、牧師はつぎのように説明しました。「中国は五十年前までは外国から侵略を受け続けてきた歴史がある。国あってこその信仰である」と。 この教会は元々は戦前にイギリスの長老会が建てた教会ですが、外国との付き合いは
個々の教会単位では行っておらず、中国キリスト教協議会本部を通じてのみ行っているとのこと。外国との関係にはかなり神経を使っているような印象を受けました。自養(経済的自立)、というが、外国からの献金を受けることを必ず拒否しなければならない、というのではなく、銀行の口座番号も持っており、外国からの振り込みも自由である、しかし、中国の教会を束縛するような条件が付いている援助は受けない、との説明を受けました。 この中国キリスト教協議会に属さない「家の教会」というのがありますが、それは表からは見えません。教会の人たちもその問題に関してはコメントできない、とのこと。
愛国というのが前面に出てきており、しかも、愛教よりも先に来る。
このことは、内村鑑三が、「二つのJを愛する」、とわざわざ言ったその当時の日本の社会環境と、現在の中国のキリスト者を取り巻く環境に共通するものがあるのかも知れません。愛国心というのは、単なる隣人愛の延長線にあるものではなく、ちょっと社会科学的分析が必要な概念でしょう。私が中国訪問しているときは、台湾問題が大きな政治問題としてクローズアップされていました。台湾の李登輝総統が「二つの国」という言葉を使っただけで武力行使をしようという。台湾は中国の一部であり、「千兵を失うも寸土を失う勿れ」という論評が新聞に掲載されていました。
このような状況下でした。なお、欧米の教会では様々な行事の際に国旗を掲げたり、国歌を歌ったりするところもあり、愛国の看板を掲げないで教会の中で愛国心を表現するのは、そんなに珍しいことではないようです。中国は、これを看板を掲げてやっているという違いがあります。今の日本では想像し難いような、政治と宗教の間の厳しい緊張関係があるのかも知れません。
ともあれ、現在、中国には千六百万人のクリスチャンがおり、牧師はまだ千人とのこと。牧師の養成が急がれております。先に訪問した瀋陽の教会の中に朝鮮族の神学校がありました。中国で最も充実している南京の神学校(南京大学の中にある)を訪問した人の話によれば、かなり豪華な絵画教室や音楽室まであり、立派な設備が整っていたとのことです。つまり、神学の勉強のみならず、キリスト教に関する総合的な教育を着々と進めているようです。
休憩室
○紅葉を生み出すもの
晩秋から十二月にかけて、平地では木々にさまざまの紅葉が見られます。紅葉という言葉は紅の葉と書きますが、黄色や褐色になるのも含めていうこともあります。
カエデやハゼノキのなかま、そして高い山に見られるナナカマドなどがとくに鮮やかな赤い色になります。カエデのなかまは、数多くあり、私自身が各地の山で見たことのあるものでも、イロハカエデ、オオモミジ、コハウチワカエデ、コミネカエデ、オオイタヤメイゲツ、ウリハダカエデなどが思い出されます。これらのうち、一般によく知られているのは、イロハカエデであり、これは単にカエデとかモミジ、あるいは、京都の高雄地方にこの名所があるので、タカオカエデとも言われます。カエデひとつとっても、実に多くの種類があり、それらは秋になるとたいてい美しく色づきます。
カエデなどが美しい赤色になるのに対して、クヌギ、ケヤキ、コナラ、ブナなどは褐色になります。これらのうちでも、ケヤキは一部赤くなります。
それから、黄色になる木々としては、イチョウ、ポプラはよく知られていますが、カツラ(桂)も美しい黄色となり、丸い独特の葉の形とあいまって、晩秋にその落ち葉を谷間の山道で見かけると忘れられないものです。カツラは、京都の桂離宮とか、人名の桂小五郎などといった名前でだれでも知っているのですが、カツラの木そのものを見たことのある人はごく少ないようです。
私自身も、八百メートルほどの山の渓谷沿いと、剣山(徳島県の最高峰で標高一九五五メートル)の七合目付近のやはり渓谷沿いで見たもの、それから徳島と香川の県境の山の谷間の三つの場所だけです。
このうち紅葉は、秋になると葉の付け根に特殊な細胞ができて、葉で作られた糖分が移動するのが困難となり、葉の細胞にたまる傾向が生じ、それが赤い色素であるアントシアンを作りだすのを促進するからだと考えられています。
また黄色になるのは、秋になって葉が老化すると、葉の緑色の原因になっている葉緑素がこわれ、もともと葉にあった黄色い色素(カロチノイド)の色が現れてくるからです。また、褐色になるのは、さらにべつの褐色色素がつくられるからだと言われています。
このように、葉としての役割を終えて、散って落ちようとする葉の中にも複雑な化学反応が生じ、私たち人間にとってさまざまの感動を呼ぶ美しい色になるのは、驚くべきことです。
寒さという本来化学反応を鈍らせることが、美しい色を作り出すのに役だっていること、そして厳しい寒さがより美しい紅葉を生み出すということも、あらゆることを用いる神の御業を感じさせてくれます。
これは、神に結びついた人間は、病気になっても、老齢で命を終えようとするときでも、不思議な輝きを周囲に感じさせ、元気で働いていたときとは違った何かを生み出すことがあるのと似ているように思われます。