1999年5月 第460号(はこ舟1999年度版)・内容・もくじ
支えること支えられること | 神の子とはどんな意味か | 神のものは神に |
休憩室 手話とキリスト教 | ことば | お知らせ |
支えることと支えられること
半年以上以前から、私たちのキリスト集会につながる人で、重い病にあったIさんという人がいた。ガンの重い状態だということで、この数カ月は地上の命はもう残り少ないという状態が続いていた。医学でもどうすることもできないし、その病気のために、あごをも取り除いているため、言葉を出すこともほとんどできず、また食物を歯でかんでふつうに食べることもできず、ミキサーでジュース状にしてからでなければ食べられない状況であった。
いよいよ病状が重くなるにつれ、その苦しみを思うとただ祈るほかはなかった。到底言葉で言い表せない苦しみにさいなまれているのが直ちにわかるほどの表情に接すると、他者の苦しみにはどうすることもできないというのを思い知らされた。
召される数カ月前からは、いよいよその苦しみがつのってきたが、それでもIさんは聖書の言葉を求め、讃美歌を小さい声でそばで歌うことを求められた。
私はそうした状況にあって、日々祈らずにはいられなかった。何もできないが、ただ祈りで神の御手その人をより強く支えて下さるようにと祈るばかりであった。
長い苦しみののち、Iさんは召されていった。
彼への祈りによって私も支えられていたこと、他者への祈りはまた、祈る者自身をも支えるものだということを改めて実感した。
神の子とはどんな意味か
聖書において神の子とは一体どういう意味かを知ることは重要なことです。
新約聖書においてイエス・キリストは神の子と言われています。しかし私たちにとってはイエスが神の子だと言われても別に大したことではないように思ってしまいます。それは「人間みな神の子」などと言われたりするので、イエスも我々と同じただの人間ではないかというほどの意味しか感じられないのです。
これは聖書の誤った理解へと導いてしまうことがあります。(例えば、エホバの証人) しかし聖書ではそうした簡単な意味ではないのです。それは次のような箇所を見ればわかります。
「イエスは彼らに答えて言われた、・・『わたしと父とは一つである』。
そこで ユダヤ人は答えた、『我々がお前を石で打ち殺そうとするのは、お前が神を冒涜したからだ。お前は、人間なのに、自分を神としているからだ。』
イエスは彼らに答えて言われた、「・・父から聖なる者とされて世に遣わされたわたしが、『わたしが神の子である』と言ったからとて、どうして『神を冒涜している』と言うのか。」(ヨハネ福音書十章より)
この箇所でわかるように主イエスがユダヤ人から石で打ち殺そうとされたその原因は主イエスが自分のことを「父と一つである」と言ったからです。それに対してユダヤ人たちは「自分を神としている」と言って非難したのです。そしてそれに答えて主イエスは自分のことを「神の子」であると言っています。
要するに「神と一つである」ということと「神と同じであるとすること」と「神の子」であるということとは同じような意味であったのがわかります。
私たちが日本語で「神の子」ということで思い出すようにだれでもが神の子であるならば、決してユダヤ人は主イエスを殺そうとはしなかったはずです。神の子という人を神を汚したとして死刑にせねばならないほどの罪であったのです。
聖書は二千年も昔の書物であり、しかも日本語でなく、ギリシャ語で記されているので、日本語とは意味が大きく違ってくることがあります。
マルコ福音書ではその冒頭に「イエス・キリストの福音のはじめ」という文があります。しかしこの福音書の古い多くの写本では「神の子、イエス・キリストの福音のはじめ」となっています。またマルコ福音書の最後に近い部分では処刑されるのを見てローマ人の将軍が「まことにこの人は神の子であった。」(マルコ福音書十五・40)と告白しています。これはマルコ福音書の究極的な目的が「イエスは神の子である」ということを示すことにあったのがわかるのです。
このことを考えても聖書においては時々私たちが耳にする「人間みな神の子」というような簡単な意味ではありえないのがはっきりとわかります。
さらにキリストの弟子の代表格であったペテロはイエスのことを
「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えています。(マタイ 十六・16)
メシアとはユダヤ人が何百年も昔から待ち望んでいた救い主のことです。ペテロは大工の息子にすぎないイエスをばまさにそのメシアであって、神と同じ本質をもったお方ですと直感したのでした。
このことは決定的に重要なことであったので、主イエスは「ああ、あなたは幸いだ。私のことを神の子と信じることができたのは、人間的な考えによるものでなく、神が直接にあなたに現したからこそ分かったのだ。」と祝福されたのです。
イエスを神の子であるとわかるのは、理性的に考えたり、教えてもらってわかることではなく、神からの直接の啓示によるというのです。それほど神の子ということの意味は深いものがあるのです。
主イエスが初めて現れてから、現在に至るまで「イエスとは何者なのか」ということは根本問題となっています。イエスはただの偉人かそれとも人類の救い主なのかという問です。
イエスが単なる人間でなく、神と等しい本性を持っていることを啓示されることが、人間にとって一生の転機になってきます。それが「イエスは神の子」と告白することなのです。
以下の箇所を見ても「神の子」という言葉がいかに常識的な意味とは違っているかがよくわかります。
「イエスが神の子ですことを公に言い表す人はだれでも、神がその人の内にとどまってくださり、その人も神の内にとどまります。」(Ⅰヨハネ 四・1)
イエスが神と一つになっているお方ですということを分かった人、そしてそれを他の人の前で告白するなら、神も共にいて下さるというほどに大きいことなのです。キリスト者であるかどうか、それは「イエスを神の子と告白する人」ですということになります。
だれが世に打ち勝つか。イエスが神の子ですと信じる者ではありませんか。(Ⅰヨハネ 五・5)
この言葉も同様であって、イエスを神の子と信じることができるならその人と共に神がいて下さるゆえに、この世のいろいろの悪いことから守られるというのです。
舟の中にいた人たちは、「本当に、あなたは神の子です」と言ってイエスを拝んだ。(マタイ 十四・33 )
イエスを神の子として受け入れることは、イエスを神と等しいお方として受け入れることですからイエスを拝したと記されています。
「イエスは黙り続けておられた。大祭司は言った。「生ける神に誓って我々に答えよ。お前は神の子、メシアなのか。」(マタイ 二十六・63)
イエスを裁判にかけた時、最大の問題はやはりイエスがふつうの人間でなく、神の子なのかどうかということでした。
「ユダヤ人たちは答えた。「わたしたちには律法があります。律法によれば、この男は死罪に当ります。神の子と自称したからです。」(ヨハネ 十九・7 )
神の子だということは死刑になるほどの重い罪でした。それは自分を神の子ということは神ですということに等しいからです。
「これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアと信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためです。」(ヨハネ 二十・31)
この箇所は事実上のヨハネ福音書の最後の部分となっていますのはこの表現によってもうかがえます。(あとの第二十一章は一種の付録だと考えられる)
ヨハネ福音書が記された目的は、イエスが神の子であるということを信じるためでした。
以上の箇所でわかるように新約聖書においては「神の子」というのは決して、神が造ったからだれでも人間は神の子だなどという意味には用いられていません。イエスを神の子と信じるかどうかは、永遠の命が与えられるかどうか、救われるかどうか、という最も重要なことにつながっているのがわかります。
また新約聖書の中のヘブル書にはヨハネ福音書と同様にその冒頭に、キリストが神の子であるということを述べるとともに、キリストの神性をはっきりと述べています。
主よ、あなたは初めに、地の基を据えられた。もろもろの天もみ手のわざである。これらのものは滅びてしまうが、あなたはいつまでもいます方である。(一・10~)
この言葉は旧約聖書の詩編にあります。そして主とはもちろん唯一の神に対して言われた言葉です。しかしヘブル書においてはそれがキリストに対して言われています。キリストこそ地の基を据えたのであり、永遠の存在であるというのです。
以上のように新約聖書において、キリストが神の子であるというとき、父なる神と子が異なる存在であるということを言いたいのでなく、逆に神と等しい存在なのであるということを力をこめて語っているのがわかります。
神のものは神に
さて、人々は、イエスの言葉じりをとらえて陥れようとして、ファリサイ派やヘロデ派の人を数人イエスのところに遣わした。
彼らは来て、イエスに言った。「先生、わたしたちは、あなたが真実な方で、だれをもはばからない方であることを知っています。人々を分け隔てせず、真理に基づいて神の道を教えておられるからです。ところで、皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか、。納めるべきでしょうか、納めてはならないのでしょうか。」
イエスは、彼らの下心を見抜いて言われた。「なぜ、わたしを試そうとするのか。デナリオン銀貨を持って来て見せなさい。」
彼らがそれを持って来ると、イエスは、「これは、だれの肖像と銘か」と言われた。彼らが、「皇帝のものです」と言うと、
イエスは言われた。「皇帝(カイサル)のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」彼らは、イエスの答えに驚き入った。(マルコ福音書十二・13~17)
この聖書の記事を初めて読むときには、ローマ皇帝などというのは、二千年も昔のことであり、私たちには何の関係もない話だと思ってしまうかも知れない。
まず、当時にどんなことが意味されていたのかを考え、その後で、現代における意味を考えてみたい。
もし、イエスがローマに税金を納めるなら、メシアでないことになる。メシアとは、ローマの支配をくつがえすお方なのであるからだ。それゆえこの問答はたんに権威に従うかどうかの問題だけでなく、イエスはメシアなのかどうかという問題が背後にあった。
しかし、主イエスはローマに税金を納めよと暗に言われた。ローマに屈服するようなメシアとは当時のユダヤ人には考えられなかった。ローマに税金を納め、ローマ帝国にむざむざと捕らえられ殺される、それがどうしてメシアなのか。
税金を納め、捕らえられるイエス、そして十字架という最も厳しい刑罰を受けて殺されてしまうイエス、それがメシアなのであった。
いかなる宗教も、政治もこんな貧しく、弱く見える王はないだろう。イエス・キリストは最も弱く貧しい王であった。
しかし、こうした弱さの極みに見えることのなかに、最も徹底的に皇帝のものは皇帝に返し、神のものは神に返したという姿がある。
皇帝のものは皇帝に返すとは、皇帝の権威に従うということを意味する。税金を納めることは、それを命じる皇帝の権威に服するということになる。また、神のものは神に返すとは、税金を納めるからといって、ローマ皇帝を神として仰ぐのでなく、唯一の神への信仰と礼拝はあくまで止めないということになる。
私たちはこの世で生きるかぎり、どの権威に従うかが重要な問題となる。
親の権威、学校の先生の権威、勤務先の長の権威、地方自治体の権威、国の権威などなど。そうしたすべての権威と全くちがった権威がある。それが神の権威である。
この世で生きる私たちは、つねにこの世の権威にも従わねばならない側面をもっている。それによって、社会生活の便利さ、安定などの利益を受けている。例えば、道路、警察、学校教育、社会保険、医療などなどである。
そのゆえに、私たちは政治的、また社会的権威に従わねばならないところがある。
親の権威に従うのも、親が生まれ落ちたときから、私たちが世話し、数々の面倒なことをもその子供のために行ったがゆえに成長することができたのである。それゆえに、子供は親という権威にも従わねばならない。
こうした側面はたいていの権威について言える。
しかし、これらの権威と全く別の権威がある。それが神の権威である。
その神の権威に従いつつ、この世の権威にも従うということが求められている。
主イエスは、この世の権威である、ローマ総督が決めた判決に従って、十字架を担って歩くこと、その十字架で殺されることを甘んじて受けた。
しかし、他方で神に従った。神の権威に従ったがゆえに、律法学者や長老、祭司長たちの権威に従わなかった。キリストはこのように、権威者のものは権威者に返し、神のものは神に返すということを徹底的に行ったお方であった。
この聖書の箇所を読むたびに私に思い出されるのは、西洋哲学の源流にあるソクラテスである。
ソクラテスは、晩年において、ソクラテスは犯罪人であり、若者を惑わすといって訴えられた。そしてもう明日、死刑になるというとき、その友人が獄舎にやってきて、何とかして死刑を免れて欲しい、獄吏などを金で買収することもできる、今晩中にどうか逃げて欲しい、そうでなければ、いままで、ソクラテスが真理へと導いてきた人々を放置することになるではないか、自分としても助け出せるのにしなかったら非難されるのだといって、ソクラテスを救いだそうとした。
その時、ソクラテスは法によって死刑の判決が降ったのにそれを正しく指摘する努力をしないで、逃げ出すのは法に従うことをかつては認めていた人間がすることではない。それは、自分が不正を受けたからといって、不正をもって仕返しすることだ。しかし、どんな場合にも不正をしてはならないのだ。
このようにソクラテスは言って、自分を助けだそうとした弟子(クリトンという名)の説得を断ったのである。悪法も法であるという主張だとして有名である。
これは、カイザル(皇帝)のものはカイザルに返した例としてみることができる。
しかし、それだけでなくもう一つの有名な作品である「ソクラテスの弁明」においては次のように言われている。ソクラテスには子供のときから、ある声が聞こえてくるのであって、その声はなにかをせよとすすめることは全くなく、何かいけないことをしようとするとき、それを差し止める声となって聞こえてくるであった。そして、今度の裁判を受けるために法廷に出てくるときには、その声が差し止めなかったという。だからソクラテスは自分が法廷に出向くことは正しいことであり、またそこで自分の考えを明確に述べることにもその天からの声は差し止めなかったから、それは正しいことなのだと判断したと言っている。
このように、ソクラテスは目には見えないが、神からの声というものに命をかけても従っていく姿勢があった。
ここに、神のものは神に返すという態度がはっきりと見られる。
このように、ソクラテスは権威に服従させようとする国家には従って、死刑をも甘んじて受けたが、また他方そのような決断をしたのは、人間でない存在からの「声」に従ったからだということになる。この点で、ソクラテスは神のもの(神への礼拝)は命をかけて返したということになる。
主イエスはどうであったろう。
主は裁判の席に立たされたときにも、ローマ総督ピラトがひどく驚いたほどに全く何も言い返そうとはしなかった。その当時の法が定める裁判の決めるままに、いっさいの反論をもされずに全面的に従った。そうしてその判決の通りに最も残酷な刑罰にも服したのであった。ここに、カイザルのものをカイザルに徹底して返した姿がある。
他方では、主イエスは、逮捕される前夜にはひどい苦しみをもって祈り続けた。
できることなら、十字架の刑罰を逃れさせてほしい、しかしただ父の御意志をなして下さい!と必死に祈った。それは、神のものを神に返そうとする激しい戦いであった。それは、人間としての弱さをも主イエスは持たれていたためであった。
そしてその必死の祈りの最後にすべてはただ神の御意志にゆだねるという決断をされたのである。そして処刑された。
使徒たちは、当時の権威者たちから、キリストの復活のことを話してはならないと命令された。しかし使徒たちは、あなた方に従うより、神に従うといって、復活を証しし続けた。
信仰者の苦しみと戦いは、神のものを神に返そうとするところにある。自分の楽しみというものを持っていて、それを楽しむだけなら神に返すことがない。
だが、ここで私たちが考えておく必要があるのは、カイザルのもの、支配者のものといってもそれはじつはもっと大きい視点でみると、すべては神のものなのである。神が一時的にカイザルにゆだねているにすぎない。
それゆえ、究極的に重要なことは、神のものを神に返すことだということになる。
だからこそ、キリストが処刑されて以後、キリストの復活により聖霊を注がれて、使徒たちが新しい力を与えられて、キリストの復活を宣べ伝えていったとき、彼らは逮捕され、牢獄に投げ込まれたことがあった。そのとき、使徒が言った言葉はつぎのようなものであった。
しかし、ペテロとヨハネは答えた。「神に聞き従うよりもあなた方に従う方が、神の前に正しいかどうか判断してもらいたい。」(使徒行伝四・16)
ここでも自分のいのちをかけても神のものを神に返そうとする姿勢が見られる。これこそ、キリスト教が世界に広まっていった理由なのである。
だが、他方このような姿勢は、ときには非常な苦痛をともなうことがある。
すでに聖書において、旧約聖書のダニエル書でも、そのようなことが記されている。
バビロン王は、金の像を造らせてそれにひれ伏して拝むことを命じた。家来は人々の前で叫んだ。「人々よ、この像を拝め、もしひれ伏して拝まない者は、直ちに燃え盛る炉に投げ込まれる。」(ダニエル書三章より)
このように神に返すべき礼拝を人間が奪い取ろうとすることは歴史上でいかに多くあったことだろう。
日本においても、キリスト教が伝わって数十年後、一五八七年に出された豊臣秀吉のバテレン(宣教師)追放令から三百年にわたる長い年月の間、この問題のために現在では想像もできないような恐ろしい刑罰が下されることがあった。
江戸時代には、神のものを神に返そうとするキリスト者たちを根絶するために国家が鎖国という方針をとって外国との関わりを拒絶するほどであった。
また明治になっても、ふつうの人間にすぎない天皇を現人神とする国家の方針が出されて、真実に神のものを神に返そうとする人々を苦しめてきたのであった。
この一見すると、個人の内面の問題にすぎないように見える問題がいかに国家、社会を揺るがすほどの大きい問題をはらんでいるかがうかがえるのである。
以上のような歴史的、また社会的問題となる一方で、この問題は個人の日々の生活にもふかく関わっている問題である。
神のものを神にかえす、この短い言葉はじつにさまざまの内容を含んでいる。キリスト教会でずっと行われている献金ということも、はたらいて得た報酬の一部を神に返そうとすることである。いろいろの奉仕もよきわざも同様である。日曜日を何とかして神への礼拝として用いようとすること、ほかの趣味やスポーツなどよりも優先して日曜日の礼拝に参加しようとすることは、神のものを神に返そうすることである。
しかし、よく考えてみると、私たちのものだと言えるものはあるのだろうか。職業から得られる報酬(お金)にしても、健康がなかったら、そうした報酬はない。その健康はいくら自分で気をつけていても、突然の事故や病気で失われる。それはどんな人も自分を超えたものの力で守られてはじめて健康な状態を続けることができる。
私たちの健康もからだも心もみな神のものなのである。神こそが万物を創造し維持しているのだから。
それゆえに、私たちが神のものを神に返そうとするとき、例えば、収入の十分の一を献金したらそれで十分ということでなく、私たちが神のものであるということがわかればわかるほど、すべてを捧げるということが究極的な意味で神のものを神に返すことなのだと知らされる。
だからこそ、聖書では「あなた方のからだを聖なる捧げものとして神に捧げよ」(ロマ書十二・1)と言われている。
ここでいう、「からだ」とは単なる肉体のことでなく、肉体と心、精神などもあわせた全体としての人間であって、私たちの全体を神に捧げよということである。それは日々の生活そのものを神に捧げたものとして送るようにとの意味である。
現代の問題は、カイザルのもの(政治的権威あるものの支配)をカイザルに返すことはしても、神のものを神に返そうとする姿勢がないということである。
それは、そもそも神のものがあるということも知らない人が大多数となっていて、みんな自分のものだと考えている。
私たちは真の道からそれるとき、いつも神のものを自分のものと錯覚する。
主イエスは神殿において、激しい態度をもって、そこで商売している人たちを追い払い、その机をひっくり返すほどの厳しい態度を表された。それは神のものを神に返そうとせず、かえって神に礼拝する場所で自分の利益をむさぼっていることがいかに罪ふかいかを全身でもって指摘するためであった。
私たちの罪というのは要するに、神のものを知らず自分のもの、あるいは他者である人間のものと思いこむところにある。
旧約聖書のヨブという人が、自分の財産や子供たちを思いがけない事件が起こって失ったとき、「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主が与え、主が取られたのだ。主の御名はほめたたえられよ。」(ヨブ記一・21)と言った。
ここには、自分の財産や家族といえども自分のものでなく、神のものであってそれを失ってもそれは神が人間にはわからない深いご計画をもって取り去られただけなのだという考えがある。
今持っているものも実はみな神のもの、神からゆだねられているにすぎないのであって、必要なときには神が取り去られると思っているとき、私たちから何かがなくなっても、平安を持ち続けることができるだろう。
そのような自分のものなど実はないのだと感じている心こそ、主イエスが言われた「心の貧しい者」であり、そのような心にこそ、神の国は与えられると約束されているのである。
休憩室
○手話辞典、ろう教育とキリスト教
日本で最もくわしく、内容的にも今までと違った考え方で作られたもので、日本の代表的手話辞典といえるものが数年前に、発行されました。
それはこの編者の一人のキリスト教会での出会いからでした。著者の米川明彦氏(大阪・梅花女子大学教授)は、教会において、ある聴覚障害者の女性と知り合い、その女性から手話への関心を強められていきます。そして米川氏は手話に関する論文で博士号を取るほどに手話の世界に深く入って行きました。そうして全日本ろうあ連盟が決定した本格的な手話辞典をつくることになり、それの中心メンバーとなって加わったのです。
日本の代表的な手話辞典も、その生み出される背後にキリスト教があったのがわかります。
また、日本の聴覚障害者が全国で統一的な指文字を使っています。それはいつごろ、だれが考案したかというと、戦前の大阪市立ろう学校の校長であった高橋潔が、部下をアメリカに派遣して、アメリカの指文字を取り入れ、それをもとにして、さらに日本で作った指文字を組み合わせて完成されたのが、現在ひろく全国で用いられている指文字です。一九三一年のことでした。高橋も、アメリカに派遣された部下もともにキリスト教の大学である東北学院の出身でした。
高橋潔は、今から七〇年ちかく以前、全国が手話による教育を否定して、口話教育(*)に全面的に傾斜していくなかにあって、手話の重要性をはっきりと認識していた人でした。そうした流れの中で、大阪市立ろう学校は、ただ一つだけ手話をも重視して教育を続けたろう学校であったのです。その高橋潔はキリスト者でした。
(*)口話教育とは、発語、補聴器による耳の訓練、読話(唇の読みとり)を重んじる教育で長年、手話による教育と対立するものとして見なされてきました。しかし、私自身のろう学校教育の経験ではその双方が必要なのであり、互いに補いあうものです。手話だけでは、声を出して話すこともできなくなり、日本語をきちんと身につけることはできません。また、口話教育だけでは、それについていけない多くのろう者を見捨てることになり、また、互いの会話も十分にできず、互いの心情が十分に伝わらなくなります。口話だけでは、楽しい会話、長時間の会話など到底できないのです。
また、世界で最初の手話はフランスのレペ神父が考え出したと言われてます。
このように、手話もキリスト教との関わりが深くあります。
他方、手話による教育と対立してきた感のある、口話教育はだれが取り入れたのでしょうか。それは、A・K・ライシャワー夫妻でした。(*)
ライシャワーはアメリカから日本にキリスト教を伝えにきた、宣教師でした。彼らに聴覚障害の娘が生まれ、その娘の教育のためにアメリカに帰った母親がアメリカのろう教育によって身につけたのが口話教育であったのです。それを日本に持ち帰って、日本聾話学校を設立し新しいろう教育法として広めていきました。
(*)ライシャワーは一九〇五年来日。明治学院で教え、東京女子大学や日本聾話学校の創設に中心的役割を果たしました。次男のエドウィン・ライシャワーは駐日大使でした。
それから次第に口話教育は日本のろう教育に広がり、手話は悪としてろうあ者の教育の世界から追い出されていきました。
現在、相当数のろう者が一般の人と会話が何とかできるのは、ひとえに口話教育の成果といえます。もし、幼児期から手話だけしか使わなかったら、到底そのように発声もできず、手話を知らない健聴者と話すこともできなかったのです。この点で口話教育の批判をする人も口話教育がいかに重要な意味を持っていたかを十分に認識しないで言っている場合も見受けられます。
しかし、口話主義をあまりにも強調しすぎて、ろう者の母国語というべき手話を否定し、禁止したために、唇の読みとりがうまくできない聴覚障害児たちは、ろう学校の授業がわからず、事実上、見捨てられるようなことまで生じていきました。
現在では、そうした状況の反省に立って口話か手話かのいずれかだけが重要なのだという議論でなく、そのいずれもがろう教育には必要であるという考え方が多く受け入れられるようになってきています。
このように、ろう教育において六〇年にわたって教育の柱であった口話教育も、またそれ以前からあった手話による教育も、いずれもキリスト者が深く関わっていることに驚かされるのです。
お知らせ
○今年の四国集会は六月五日(土)の午前十時から、六月六日(日)の午後四時までの日程で徳島市で開催されます。今年は、従来よりもより広い範囲のかたがたに呼び掛け、一部の発題や証しをもお願いしました。参加者は四国以外では、十を超える都道府県からとなっています。
また、視覚、聴覚、肢体、知的などいろいろな障害者も参加予定です。そのような多様な地域からの人やさまざまの障害をもつ人たちがともに主イエスのもとに集められ、聖霊によって導かれ神の言の学びや讃美を共にできますよう、そして神の栄光があがめられますように祈っています。
ことば
(98)私どもは、たとえ命に関わる場合でも、嘘をついてはならないのです。それが私どもの教えで、心をこれに合わせていきたいのです。
・・私たちを見て下さい。私たちには、別れもないし、苦しみや悲しみもありません。そういうものが起こってきてもやがて喜びに変わります。
あなた方には命の終わりになっている死が、私たちには、ただ命の始めですし、さらにみじめな幸福からもっといい幸福、不安な幸福からもっと安心な永遠の幸福に変わることです。
敵に対してさえ憐れみを命じ、嘘を禁じ、私たちの魂を悪から清めて死んでからも絶えることのない幸福を約束する教えがどういうものか考えて下さい。・・そうですとも。キリストを信じていて不幸になるわけがありません。(「クォ・ヴァディス」(*)中巻第四章のリギアの言葉より)
(*)ポーランドの作家シェンキェヴィチ作。一八九六年刊行。ローマ帝国のネロ皇帝による迫害の時代におけるキリスト教徒を題材にした小説。著者は、一九〇五年ノーベル文学賞授賞。パウロやペテロも現れ、信仰とそこから生まれる愛によって敵すらも変えられ、悪が克服されていく。
(99)どんなに敬虔な熱心な人でも、時として恵みが退くことを経験し、あるいは熱心が減じるのを感じないような人をわたしは知らない。どんなに深く喜びにひたり、光を受けた聖徒でも、先か後に誘惑をうけなかった者はいない。しかし、誘惑で試練を受け、それに勝利した者には、天の慰めが約束されている。(「キリストにならいて」第二編九章より トマス・ア・ケンピス著)