今月の聖句

神はすべての人が救われて、真理を悟るにいたることを望んでおられる。

(Tテモテ二・4

19996月 第461号・内容・もくじ

リストボタン弱き者を

リストボタンキリストは出会いを与える他

リストボタン荷を担う者はだれでも

リストボタン使徒の働き(八) 最初のキリスト教徒の生活

リストボタン休憩室 ホタル・六月の植物

リストボタン君が代と元号

リストボタンお知らせ

 


リストボタン弱き者を

私たちは弱い。どんなに強そうなことを言っている人でも、みなその内部はというと、実にもろい。揺れ動いている部分がいろいろとある。

 人間の社会ではそうした弱さをそのまま出せば、見下される。そのために弱さを隠そうとする。強い部分、私たちの優れた部分を出そうとする。

 しかし、神には、弱い部分をそのままさらけ出しても受け入れて下さる。むしろ、弱いことをありのまま、言えば言うほど深く受け入れて下さる。また、神の愛をもいっそうはっきりとわからせて頂ける。

 意志の弱い者、身体の弱い者、能力に自信のない者、人から見下されて苦しむ者、仕事のできない状況ある者・・いろいろの意味における弱さを持つ者は、主イエスのもとに行くとよい。

 そこではどんな人間にも受け入れてもらえなかった自分の弱さのなかに、神の新しい力と励ましを受けることができる。


いつくしみ深き  友なるイエスは、

われらの弱きを  知りて憐れむ。

悩み悲しみに   沈めるときも

祈りにこたえて  慰めたまわん (讃美歌三一二より)


 使徒パウロの比類のない強さは、だれよりも自分の弱さを深く知っていたところにあった。彼は、自分は弱い者の頭(罪を犯す第一の者)とまで言ったほどであった。

 そのような弱さを深く知り、そこに限りのない神の力を豊かに受けたがゆえに、彼の影響は二千年を経た今日もなお、変わることがない。それほどに神の強さを受けたのであった。


それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、それに行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。(Uコリント十二・10


リストボタンキリストは出会いを与える

かつてまだキリスト教信仰のなかったとき、友人を求めたことがあった。心をすべて打ち明けることのできる友を求めてやまないある寂しさのようなものが心にあった。

 そのうちに、いろいろのことを打ち明けて話しあうことのできる友が与えられた。大学での学び、自分の現在の悩み、当時、学生の切実な関心事であった政治・社会的問題への関心、女性との交際のこと、人類の将来など、ほかの友人には話したことのないことも話しあうことのできる友人であった。

 しかし、そうした友も私がキリスト信仰に出会ったときから離れていくことになった。あれほど親しい友であったにもかかわらず、キリストのことを持ち出すことで、離れていった。

人間の友のはかなさを知った。

 しかし、主イエスを知ったときから、あれほど求めていた人間の友を求める心が消えていった。主イエスが心にいつもある友になってきたからであった。

「私はあなた方を友と呼んだ」と主イエスは言われた。

 そして神は必要な友をあちこちに与えて下さった。キリストを知ったときから、私たちの生活は受け身となる。自分で友を獲得するのでなく、神が必要なときに必要な友を与えて下さるようになる。そこからいろいろの出会いを与えて下さるようになる。

 今も、生きて働くキリストこそ、出会いをもたらしてくれるお方である。

 求めよ、そうすれば与えられるという有名な言葉は、たしかに真実な言葉である。

 また、主イエスは山という自然をもさらに深い味わいある友のようなものにして下さった。山野の野草なども同様で、それらも次々に友となっていった。 

この終わりの時代には、御子(イエス・キリスト)によってわたしたちに語られた。神は、この御子を万物の相続者と定め、また、御子によって世界を創造された。

御子は、神の栄光の反映であり、神の本質の完全な現れであって、万物を御自分の力ある言葉によって支えておられる。(ヘブル書一章より)

 主イエスが私たちの心に住むようになると、私たちはこの世のさまざまのものに関心が生じてくる。キリストを信じて学ぶ心が生まれてこないなら、本当に信じていないのだと言った人がいるが、たしかに心の内にキリストを受け入れるとき、私たちは学びたいという心が燃え始める。

 それは、すでに引用したヘブル書にあるように、キリストがこの万物を創造し、いまも万物を支えているからなのだ。 

リストボタン思いのままにすすまないこと

 人は誰でも自分が予想したままに動いていって欲しいと思う。自分の健康についても、結婚や家庭のこと、子供についても、○人欲しい、男と女をとか、職業でもこんな職業につきたい、それもずっと勤めたい、また、自分や子供将来についてこうあって欲しいと希望する。

 そしてその希望通りにならなかったとき、落胆し、悩み、苦しむ。

 その度合いがひどいときには、運命をのろい、神などいるものかと思ったりするだろう。

 しかし、神は私たちの思いのままになることを止められる。それはもし私たちが考えるままに成っていくなら、私たちは自分の力だと錯覚し、自分を誇るようになる。

 そのような危険から守るために、私たちの予想をくつがえすような形で、物事が生じる。しかし、そのとき、私たちは人間の思いをはるかに超えた神のご計画の一端に触れる思いになる。

天が地を高く超えているように、わたしの道は、あなたたちの道を

わたしの思いはあなたたちの思いを、高く超えている。(イザヤ書五十五・9


リストボタン重荷を担う(になう)者はだれか

 人間は自分の重荷を背負うのに精いっぱいである。苦しみ悩みを自分で担うことも、なかなかできない。むつかしい問題が生じたら、自殺する人も生じるのは、重荷が背負いきれないからである。

 だから、それを正しく担って解決するのでなく、忘れようとする。そのためにいろいろな方法、例えば遊びとか飲食、ことに酒が昔から用いられてきた。

 しかし、遊んで、いろいろの娯楽をしても心の重荷を一時的にはわすれることはできても、いやすことはできない。必ずその重荷が再びのしかかってくる。

 重荷とはいろいろの悩み、つまり病気、人間関係、職業のこと、家庭のこと、自分の欠点、将来のこと、あるいは、心の広い人なら、他国の飢餓や貧困などいろいろある。

 しかし根本的な重荷は、自分が正しい道を歩めない、人を心から愛することができないという心の傾向である。このような心をキリスト教では罪という。だから罪こそは私たちの最大の重荷である。

 そしてその重荷をいかにしたら、軽くできるのか、なくすることができるのかが聖書の根本目的でもある。

 世の中にたくさん出ている本やテレビなどの内容はほとんどそのような重荷を軽くするどころかかえって重くするような内容が多い。 

旧約聖書における重荷

 聖書はこの問題についてどのように書いてあるだろうか。

 箱船でよく知られているノアは自分と家族だけが救われたことが記されてあって、他の人の重荷を担うということはなかった。
 しかし、旧約聖書ではとくに重要な人物であるアブラハムはどうだろう。

 彼は神の言葉に聞き従って、はるかな未知の土地へ旅だっていくということによって、神の民、イスラエルの先祖となった。彼はまだ他者の重荷を負うということは十分にはできず、エジプトに食料を求めて行ったとき自分の命を救おうとして、妻を自分の妹であると偽ったことも記されている。

 しかし、そのアブラハムはすでにとりなしの祈りをしていることが詳しく記されている。彼は滅びようとするソドムの町のために必死で祈った。

アブラハムは、進み出て言った。「まことにあなたは、正しい者を悪い者と一緒に滅ぼされるのですか。

ソドムの町に正しい者が五十人いるとしても、それでも滅ぼし、その五十人の正しい者のために、町をお赦しにはならないのですか。

正しい者を悪い者と一緒に殺し、正しい者を悪い者と同じ目に遭わせるようなことを、あなたがなさるはずはございません。全くありえないことです。全世界を裁くお方は、正義を行われるべきではありませんか。」

主は言われた。「もしソドムの町に正しい者が五十人いるならば、その者たちのために、町全部を赦そう。」

アブラハムは答えた。「塵あくたにすぎないわたしですが、あえて、わが主に申し上げます。

もしかすると、五十人の正しい者に五人足りないかもしれません。それでもあなたは、五人足りないために、町のすべてを滅ぼされますか。」主は言われた。「もし、四十五人いれば滅ぼさない。」

 このように、必死で神に願って、ソドムの町のためにとりなしをしたために、神は最後には「十人の神に従う人がいたら、滅ぼさないようにしよう」と言われたのであった。

 それは、悪い人間たちだからといって見捨てず、何とか救われてほしてという願いであり、祈りであった。祈りとはつねにそれが真実であれば、ある種の重荷を負うことにつながる。

 このように、聖書では他者のため、滅びようとする者への祈りというのが早い時期から現れる。

 つぎに旧約聖書では最も重要な人物といえるモーセについて見てみよう。モーセは、エジプトの王子同様に育てられていたとき、自分はじつはエジプト人でなく、イスラエル人なのだと知った。自分の力で当時奴隷として苦しめられていたイスラエルの人々を助けようとしたが、それは全く不可能なことであってエジプトから遠く逃げていくことになった。イスラエルの地からはるか遠い地で、結婚し、子供も与えられ、平和な羊飼いの仕事をしていた。

 そのとき、神がモーセを呼出してエジプトにいるイスラエル人を救い出すようにと命じられた。モーセはそんなことは自分には到底できない、と強く辞退した。

「私は何者なのか、どうして自分がエジプトからイスラエルの多数の人々を導き出すことができようか」と言った。

 しかし、神の強いうながしにより、エジプトに出向き、イスラエルの民を救いだし、あらゆる困難と危険に直面しながら、砂漠を四〇年の間、民の重荷を担い続けたのであった。(出エジプト記三〜四章)

 このようにして、モーセは旧約聖書で最も、他者の重荷を担い続けた人として知られるようになったが、彼は、決して自分の力でそれができたのでなく、ただ神の全面的な支えによってのみ、可能となったのであった。

 旧約聖書のダビデは今から三千年ほども昔のイスラエルの王であった。彼は、子供のときからすでに神を信じて、何者をも恐れない勇気を持っていて、どんな武将も倒せなかった敵の巨人を石の一撃で倒し、その後も武人としても卓越した能力を現していったために、ついに王となったのである。その過程においても、つねに神を信じてみずからの益を求めようとはしなかった。

 しかし、このようなダビデであっても、その王としての栄光が頂点に達したときに、自分の欲望のために他人の妻を奪い、その夫を策略をめぐらせて死に至らせるなど他人の重荷を担うどころか、他人に耐えがたい重荷を背負わせた。しかし、後に深く悔い改め、かつその罪の罰としての苦難のかずかずを受けて心は深く耕され、その苦しみと神への叫びと、神への感謝が旧約聖書の詩編のもとになったほどであった。

 詩編とは、自分の重荷は神様が担って下さるということを深く知っていた人の書である。

わが神、わが神、なぜわたしを見捨てるのか。

なぜわたしを遠く離れ、救おうとせず、呻きも言葉を聞いてくださらないのか。

神は、昼は、呼び求めても答えてくださらない。夜も、わたしは黙ってははいられない。・・

母がわたしをみごもたときからわたしはあなたにすがってきました。

母の胎にあるときから、あなたはわたしの神。・・

わたしを遠く離れないでください、苦難が近づき、助けてくれる者はいないのです。・・

主よ、あなただけは、私から遠く離れないで下さい。

わが力の神よ、今すぐにわたしを助けて下さい!(詩編二十二より)

 このように襲いかかる激しい苦しみと重荷を必死になって神に訴え、神に担ってもらおうとする叫びがこの詩には流れている。そしてこうした真実な祈りは必ず聞かれ、再び神による平安が与えられる。

 この詩の最後の部分は、つぎのようになっている。

わたしの魂は必ず命を得、

子孫は神に仕え、主のことを来るべき代に語り伝え、

成し遂げてくださった恵みの御業を民の末に告げ知らせるだろう。


 この詩に続く有名な詩編二十三編は、苦難を経て与えられた深い平安が流れている。

主はわたしを緑の野に休ませ、憩の水のほとりに伴い

魂を生き返らせてくださる。

主は御名にふさわしくわたしを正しい道に導かれる。

死の陰の谷を行くときもわたしは災いを恐れない。

あなたがわたしと共にいてくださるからである。

あなたの鞭、あなたの杖、それがわたしを力づける。(詩編二十三編より)

 ここには、死を思わせるほどの苦しみ、重荷からも救い出されて、軽くされた人の経験がここにある。

 旧約聖書のなかで、とくに預言書には、他人の重荷を担うべく神に呼び出された人(預言者)のことが書いてある。

 エレミヤは特別に民の重荷を担い続けた人、命がけで担っていった人であった。

 その重荷がどれほどであったかは、エレミヤ書を見るとうかがえる。

主の名を口にすまい、もうその名によって語るまい、と思っても、主の言葉は、わたしの心の中骨の中に閉じ込められて、火のように燃え上がる。押さえつけておこうとしてわたしは疲れ果てた。(エレミヤ書二十・9

 人々がいかに神に反しているか、それを指摘し、今後とるべき道を神の言によって指し示したが、人々は、ただそのようなエレミヤを攻撃し、彼を迫害するばかりであった。そうした苦しさに耐えかねて、エレミヤはもう生きていく気力もなくなるほどであったのが次のような言葉でうかがえる。 

わたしの生まれた日はのろわれよ。母がわたしを産んだ日は祝福を受けるな。・・

なにゆえにわたしは胎内を出てきて、悩みと悲しみに会い、恥を受けて一生を過ごすのか。(エレミヤ書二十章より)

 このような叫びをあげるほどにエレミヤは人々の重荷を自らが担って、苦しんだのがわかる。

 しかし、たとえ預言者であっても、人間の罪や背信といった罪そのものを消し去ることはできないということは古くから知られていた。

 人間の重荷の根源にあるのが、罪である。罪とは、真実と愛の神に背くいっさいの心の動きや行いを言うが、そうした罪があるからこそ、人々は苦しみ、悩みが生じる。そしてその罪とは、人間の最も奥深いところにあるものだけに、ほかの人間がその罪の重荷を取り去ることは決してできない。

 預言者や宗教者自身がその罪の重荷を取り去ってもらわねばならないのである。

 そのために旧約聖書では、祭司自身が、雄牛を殺してその血を注いで潔めを受けるということが書いてある。(出エジプト記二九章など)

 そうした罪の重荷を人間の身代わりになって担う方が将来において現れるということが、預言されるようになった。そのことはイザヤ書にはっきりと示されている。


彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた。また顔をおおって忌みきらわれる者のように、彼は侮られた。われわれも彼を尊ばなかった。

まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった。

しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲らしめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。(イザヤ書五三章より)

 この預言の成就として現れたのがイエス・キリストであった。


新約聖書における重荷

 このような流れを受けて、新約聖書では、イエス・キリストこそが、そうしたあらゆる重荷を担って下さるお方として現れる。

 旧約聖書では、神に重荷をゆだねることを知っている人はイスラエルの人だけであったし預言者というのもイスラエルだけに現れたのである。

 しかし、新約聖書では、そうしたことが世界のあらゆる人へと広げられていった。  「疲れた者、重荷を担っている人はだれでも、私のもとに来なさい。休ませてあげよう。」(マタイ福音書十一・28

 十字架とは、キリストが万人の重荷を担って下さったというしるしである。

 私たちの重荷は主イエスが担って下さるということである。罪という最大の重荷を担って下さったこと、それは、中風の人のいやしのなかにも現れている。

 古代にあっては、中風になって起きあがることができないという状態は、たいへんな苦痛であった。車も車イスもなく、福祉的制度もない時代であり、日々が耐えがたいような状態であっただろう。

 そのような苦痛に満ちた日々を送っている人をその友人たちが、主イエスが滞在している家の屋根を取り外して、ベッドに乗せたまま、運んできた記事がある。


すると、男たちが中風を患っている人を床に乗せて運んで来て、家の中に入れてイエスの前に置こうとした。

しかし、群衆に阻まれて、運び込む方法が見つからなかったので、屋根に上って瓦をはがし、人々の真ん中のイエスの前に、病人を床ごとつり降ろした。

イエスはその人たちの信仰を見て、「人よ、あなたの罪は赦された」と言われた。(ルカ五章より)

 他人の家の屋根であるのにそれを破ってまでして、中風の人をいやしてもらいたいとの願いは強かった。どんなことがあってもこの身体の病気からくる重荷を取り去ってもらいたいという友達の熱意が伝わってくる。

 しかし、意外なことに主イエスは、その病気をいやして直ちに立ち上がらせることもできたのに、そのことを第一にせず、「あなたの罪は赦された」と言われた。

 これは驚くべきことである。私たちの周りでこんなことを考える人はほとんどいないだろう。身体の病が重荷となっているとわかっていて、なお、その背後に実は罪というものこそ、最大の重荷であるという見方がここにある。

 この世界には、愛と真実の神に背いているという罪がずっと根深くある。そこからあらゆる人間の重荷が生じるということを主イエスは知っておられた。

 人類全体の罪の重荷から解放するためにこそ、主イエスは来られた。それが十字架によるイエスの死であった。

「疲れた者、重荷を背負っている者はだれでも私のもとに来なさい。」という招きは、すべての人になされている。どんな人でも何か重荷を持っているからである。

 罪ということがわからない人は、その重荷の根源を知らないが、日々その重荷を感じている。

 中風の人の友人たちは、病気こそ、立ち上がれないことこそ、重荷のすべてだと思っていた。しかし、主イエスはそれよりもっと根本的な重荷を見抜いておられた。

 同様に、私たちが自分で感じる重荷は、生活の問題、職場の人間関係、病気などいろいろとあるだろう。しかし、主イエスはそのような私たちに対して、罪こそ私たちの重荷の根源なのだと言われる。

 さらに、その罪はイエス・キリストのみが取り去ることを知るとき、次のことに気付かされる。

 私たちが他者の重荷を負うと思っているが、じつは私たちの内にいるキリストが重荷を負って下さっているということである。苦しむ他者への祈りが真実であるとは、私たちのつながる幹であるキリストへの結びつきが堅固であるということだが、そのとき、私たちが担おうとする重荷は、実は、その内なるキリストが担って下さる。

 そして他者の重荷に関わる私たちはそうした相手によってもまた、担われているのを感じる。

 子供の難しい病気に直面して、母親が必死にそのために心を注ぐとき、その子供の病気は母親にとって非常な重荷となる。しかし、しばしば、そのたいへんな重荷であると感じていたそのことが、じつは自分をも支えていたのだと気付くことがある。神を知らない場合でも、こうした経験をすることがある。

 私たちが神を信じて、キリストを私たちの内に持っているときには、私たちの心を注ぐところにキリストがともにいてくださるのであって、私たちが祈り支えようとする相手も、そのキリストが支えてくれる。そして同時に、そのキリストは祈る私たちをも支えてくれることになる。

 私たちが誰かの重荷を担うのでなく、私たちの内にいるキリストが担うのである。

 寝たきりの病人はいつも誰かにその重荷を担われている。たしかに医者や、看護婦、あるいは介助する人の助けがなかったら、生きていけないほどに、支えられている。

 しかし、他方では、そのような重度の病人は、その重い病気を信仰によって担っているとき、その存在そのものが他者をまた自ずから支えるのである。

わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。(ヨハネ福音書十五章より)

 私たちがぶどうの木であるキリストにつながっているだけで、そのキリストが私たちの重荷をも、また私たちの関わるひとたちの重荷をも担って下さるのである。

 そのようにして初めて私たちはつぎのパウロの言葉が実現していくのだと知らされる。互いに重荷を担いなさい。そのようにしてこそ、キリストの律法を全うすることになるのです。(ガラテヤ書六・2

 いつも誰かが他者の重荷を担っている。

語らず、言わず聞こえないのに、その響きは天地にあまねく・・

「私はお前を担う」という声が響いている。 

わたしはあなたたちの老いる日まで、白髪になるまで、背負って行こう。わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す。(イザヤ書四六・4


リストボタン使徒のはたらき(八

最初のキリスト教徒たちの生活(使徒行伝二・4247

 
彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。

 
信者たちは皆一つになって、すべての物を共有にし、財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて、皆がそれを分け合った。

 
そして、毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた。こうして、主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされたのである。(使徒行伝二・4247

 ここにキリスト教の最初のすがたが見られます。

 彼らの生活には四つの柱があり、それは次の通りです。

(一)使徒の教え

(二)相互の交わり

(三)パンを裂くこと

(四)祈ること

 これらを一つ一つ考えてみます。

(1)彼らが心を注いでいた「使徒の教え」ということは、現在の私たちにとっては、聖書の学びだということになります。使徒たちが主イエスから受けた教え、生きて働くキリストから受けた教えは聖書となって私たちの前にあります。それは神の言であり、神の言を第一に置くということです。聖書はそのまま読んだのでは、意味がわからないことがしばしばあります。

 例えば、聖書のなかで最もよく読まれてきた箇所の一つである、山上の垂訓にある「心の貧しい者は幸いだ」ということにしても、日本語では心の貧しい者とは、心の豊かな人の反対となり、愛することもなく、飲み食いのことばかりしか念頭にない、思いやりがない、自分の利得しか考えない、自然を愛する心や音楽を味わうこともできないような人間を意味して使われてます。

 私がいろいろのところで聖書について語るとき、とくにまだ聖書を読んでいないとか、教会に行ったことがないという人にこの箇所の「心の貧しい者」というとどんなイメージがありますかと尋ねると、たいていの場合、すでに述べたような意味の答がかえってきます。

 そんな「心が物欲で固まった、うるおいのない人間が死んだら天国に行くのだ」というように受け取ってしまうのです。これでは大きなまちがいで、真の意味はそれとは根本的にちがった意味だと言わねばなりません。

 このような誤解を避けるためにも神の言は学ぶ必要があるわけです。自分の考え中心でもなく、他人の考えにならうのでもなく、永遠の真理である神の言そのものの意味するところを、正しく受けとめるために日々神の言を学んでいくことが求められています。

(二)相互の交わりについて。

 信仰は神と自分のことであり、一人でもできます。事実、どこの教会や集会にも属さないで一人で聖書を読んで信仰を守っている人もいます。しかし、聖書はそのような一人だけで信仰を持って、ほかのキリスト者と交わらないというような信仰を支持していないのです。

 主イエスご自身、完全な神の力を持ち、いかなることにも耐えて神の道を歩むことのできるお方であったにもかかわらず、十二人の弟子を選び、いつもそばにおいて、ともに歩まれたのです。

 そして神を信じる人の集まり*が「キリストのからだ」であるといわれているほどに、重要視されています。

*)これは聖書では「教会」と訳されていますが、原語はエクレシアであり、これは「神から呼び出された人の集まり」を意味するのであって、建物を意味するところは一カ所もありません。

 また、主イエスは「二人、三人私の名によって集まるところに、私はいる」と約束されました。ここにも、キリストの名によって集まることの重要性が述べられているのです。 また、ヨハネ福音書で最後の夜に教えた言葉として伝えられている内容に、「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの戒めである。」というのがあります。(ヨハネ福音書・十五・12

 ここで、とくにキリストの弟子たち同志の愛を重んじているのがわかります。

パウロも、キリストを信じる人の集まりを一つの「体」とたとえています。

それで、体に分裂が起こらず、各部分が互いに配慮し合っている。

一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶ。

あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分である。(Tコリント 十二・2527

 この箇所も、キリストを信じる者同志がいかに深く結ばれているかを示しています。キリスト者は一つの体であるから、互いに配慮しあっているし、一つの部分が苦しむとき、また、喜ぶときにもすべての部分が共にその心を同じくすると言われています。

 このような記述を見るとき、キリスト者は一人でいてよいのだということは考えられないことに思われます。

 こうしたキリスト者のあるべき姿がキリスト教の最初の群れにすでに見られたと、使徒行伝のこの箇所で言われているのです。

 そしてこのことは、現在の私たちにもそのままその重要性はあてはまります。同じキリスト教の集まりに属していながら、そのなかの一員が苦しみ、あるいは喜びを感じているのにそれをともに感じようとしないことは、本来のエクレシア(キリストの集会)にふさわしくないということです。

 そしてそのような心であるということは、そもそもキリストとも深く結びついていないということになります。キリストと結ばれているとき、キリストは愛であるから、自ずから他者の苦しみや喜びにもともに感じるということになるからです。

(三)つぎにパンを裂くことが言われています。これは聖餐としてキリスト教会に受け継がれてきました。地上で弟子たちと共にする最後の夕食のとき、主イエスがパンとぶどう酒についての特別な意味を言われたのは、福音書の記事の方がよく知られていますが、使徒パウロも主が言われたこととして、つぎのように伝えています。

わたしがあなたがたに伝えたことは、わたし自身、主から受けたものです。すなわち、主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、感謝の祈りをささげてそれを裂き、「これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。

また、食事の後で、杯も同じようにして、「この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。飲む度に、わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。

だから、あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです。(Tコリント 十一・2326

 パウロ自身は最後の夕食のときに同席していませんでしたし、そのときはまだ主イエスのことも全くしらなかったと思われます。しかし、キリスト者を迫害していくさなかに神からの光を受けて、キリストから直接に呼び出されてキリスト者となった以後、生きてはたらくイエスからこの言葉を聞き取ったのだと考えられます。

 聖餐に使われたパンとぶどう酒は当時の食事としてはごく自然なものでした。それがキリストのからだであり、キリストが人々のために血を流して生み出された新しい契約のしるしであると言われています。

 これは信仰によって感謝して受けるなら、霊のキリストとの交わりを与えられ、イエスが私たちのために流された血によるあがないをよりつよく私たちの心に刻みつけることになると思われます。

 もはや集会に参加できなくなるほどに体が衰弱していき、聖書の学びなどできなくなった苦しみのとき、重い病気のとき、死が近づいたときでもキリストとの霊的な交流が与えられて、力づけられ、新しい命が与えられていく機会となり得るのです。

 内村鑑三の愛する娘ルツ子が重い病となり、もうあと数時間で臨終というときに、内村がルツ子を含めた親子三人で聖餐をしたのも、こうした意味があったからだと考えられます。

 キリストの集会に参加すること、野山の自然に親しんで、神の英知と万能を学ぶこと、聖書を学ぶこと、キリスト者同士の交流、祈りなどなどいろいろのことによって私たちはイエスとの交わり(霊的な交流)が与えられます。聖餐のパンとぶどう酒もそうした一つの霊的な賜物が与えられるための一つの恵みの道だということができます。

(四)最後にあげられているのは、「祈り」です。すでにあげた三つのものすべてに祈りを欠くなら、それは最後の完成がなされない不十分なものとなってしまいます。聖書の学びも祈りなくば、知的遊技となり、信徒同士の交流も祈りなくば、人間的な情の交流となり、神から引き離そうとするものにすらなってしまうでしょう。

 また、聖餐のパンとぶどう酒も祈りなくば、そして神の祝福なくばそれは無意味な儀式にすぎないものとなってしまいます。

 私たちの日々のすべてに塩味をつけ、前進させ、力を与え、汚れなきもの、透き通ったものにしてくれるのが祈りです。

 主イエスは、「まず神の国と神の義を求めよ」と言われました。いろいろの場合にまず祈ることは、神の国と神の義をまず求めようとすることだと言えます。

 ペテロはキリストが捕らえられたとき、一度は逃げて、三回も主イエスを知らないと言ったようなよわい者でした。しかし、彼が全くべつの人物となったかのように生まれ変わった力に満ちた存在になったのは、聖霊が与えられたからであり、その聖霊はみんなで真剣に祈りを続けていたときに注がれたのでした。

 祈りのなかで浮かび上がる十字架を仰ぐことによって、罪を潔められ、祈りによって聖霊を、また神の言を与えられ、力づけられます。祈りによって私たちはこの悪に満ちた世界のかなたに永遠の光が輝いているのを見ることができます。

 以上のように、今回あげた短い箇所によって、最初のキリスト者たちの生きた様子がうかがえるのです。


リストボタン君が代と元号について

 平成○○年ということを何も考えないで用いている人は実に多いと思います。なぜ、西暦とともに昭和とか平成とかの年号(元号)があるのか、考えたこともない人がほとんどのようです。

 最近、君が代の問題がいろいろと言われるようになっています。そしてこれはなぜ問題になるかというと、君が代の歌詞が天皇の御代が永遠であるようにとの内容だからです。もし、これがそんな内容でなく、もっと明るい国民の平和への希望や正義への願い、日本の美しい自然を歌い込んだ内容なら、そもそもそうした歌を歌うことを強制したり、そのために自殺する校長が出るなどありえなかったことだけは確かです。

 戦前では、天皇を現人神としており、君が代の歌詞がちょうどその天皇を祝う歌として都合のよいものであったからこそ、戦前に強力に戦争を後押しするものとして使われたのです。

 このように考えると、君が代の問題は、天皇制の問題だと言えます。

 この天皇制と深く関わっているのが元号なのです。元号は中国の古代の制度をまねて、造ったものです。その元号は明治になるまでは、一人の天皇の時代に何回も元号を変えることがありました。それは、何か事件が生じると縁起が悪いといって変えていたことがあるからです。

 しかし、明治になると天皇を現人神として絶対的な権力を持つようになったため、その天皇を国民の意識に深く植え付けるために考え出されたのが一世一元制です。天皇一代においては、一つの元号しか存在しえないということになったのです。天皇が死んで代替わりになって初めて、元号をも変えるということです。

 こうなると元号は天皇の死後の贈り名として贈られるので、事実上、その天皇の名をもって、時間を考えるようになってしまいました。中年以上の人に、あなたは何年生まれですかと尋ねると、ほとんどの人は、大正○○年とか昭和○○とかでしか言えません。それは西暦何年ですかと尋ねると、言えないという状態です。(この意味は大正天皇の支配の○○年目という意味になってしまう)

 これは、それほど深く天皇の名前が人々の心に刻み込まれているということですし、まさにそうしたことを目的として一世一元制は造られたものだったのです。

 ある人間の名前で時間を表すというのがいかに奇妙なことかは、例えばつぎのような例を考えてみるとわかります。

 アメリカで大統領が変わるたびにアメリカではクリントン元年、二年などというようにしようと誰かが言い出せばそれは笑いものになるでしょう。あるいは、どこかの県で、例えば佐藤という人が知事になったとすると、その人がこれから、自分の名前で県のいっさいの文書を表す、佐藤元年、佐藤二年というようにせよなどということになったら、それは正気とは思われないでしょう。

 歴史上で数々の暴君が現れても、時間を自分の名前でもって表そうなどと考えた人はいなかったのです。しかし、そのような無意味で不合理なことを現在の日本では行っているのです。

 日本の天皇は長生きするから何十年も一つの元号が使えるという人もいるかも知れません。しかし、大正天皇は十五年ほどで終わっている例もありますし、人間の命はだれも決められないはずです。

 特定の人間の名前で、時間をよぶというのは、もしその人が死んだら、たちまち一切の文書類を書換える必要が生じます。それは膨大な手数がかかりし、費用も非常な多額になります。

 もともと、日本の元号は中国古代の王が時間をも支配しようとして考えだしたものをまねたものにすぎません。そうした原始的な制度なのです。

 また、病院などでも、昭和○○年に入院したとか、発病したとか表すと、いまから何年前かとてもわかりにくかったのです。しかし西暦で表すと、ただちに何年の病歴があるかわかるのです。

 このような全く不合理な制度なので、世界では日本しか行っていない制度です。

 君が代の歌詞は天皇の支配でないのに、天皇の御代(支配)が永遠に続きますようにという内容であって国民主権になっている戦後からは全く不適切な歌であるのに、それを強制的に歌わせようとするのです。

 元号は、天皇の事実上の名前で時間を表すという無意味なことなのに、官公庁などでは、事実上強制的に使わせている事実があります。このように、元号問題は君が代の問題と共通したものがあります。

 君が代の問題を考えるときには、もっと日常的なこと元号のことをも考えて、それがいかに世界的に、また歴史的にも、実際的にも無意味であるかを知るべきだし、そのことをわきまえた上で、元号を使わないようにしていくべきと思います。 



リストボタン休憩室

○ホタル

 わが家の下にある小さい谷川は、幅わずか二メートルほどの小さいものであって、ほとんど水は流れていないことが多い。しかし上流の一部にはいつも水がある。そのわずかな流れのなかに、ずっと以前からホタルの幼虫が住んでいます。そして毎年六月の初めころになると、数は少ないけれども、ホタルが暗闇に点滅して遠くのものを呼び覚ますような、なつかしい気持ちにさせてくれます。

 闇に輝く光はだれの目にも印象的であり、心をなごませてくれるものです。聖書にも「光は闇のなかに輝いている。そして闇は光に勝たなかった。」(ヨハネ福音書一・5とあります。

 清流に住み、その清い流れを私たちに分かち与えようとするかのように、澄んだ光を点滅させてゆっくりと飛ぶホタル、これからも生き延びてこの谷間で光を放ち続けてほしいと願っています。

○六月に咲く花と言えば、たいていの人の心に浮かぶのはアジサイだろうと思います。私も同様ですが、それとともに、私にとって同時に浮かぶのが、クチナシ、ウツボグサ、そしてハンゲショウといった植物です。

 わが家の裏山にある自生のクチナシのその素朴で端正な姿、そしてその何も代えることのできない香り、それは得難い神からの贈り物です。(園芸用の八重のクチナシは公園、家庭の庭などで多くみられます)

 このような野生のクチナシは今日では、ごく少なくなっていて、園芸店でもおいていませんし、一般の家庭でも見かけることはありませんので、多くの人には目に触れられないものとなりつつあるのが残念です。

 ハンゲショウは上部の葉だけが、部分的に白くなり(斑入り状)それが自然にできていく珍しいものです。その葉や地味な花のすがたが、静かさと落ちつきを感じさせる植物です。

 植物は沈黙でありつつ、その静けさのゆえにいっそう、心して見るときには言葉を超えた神からのメッセージを感じさせてくれるものがあります。


お知らせ

○第二十六回キリスト教四国集会のテープをご希望の方は、お送りします。約十本で送料込みで千五百円です。なお、部分的に必要な方は、希望のプログラムを指定していただけば、それだけをお送りします。その場合の代金は送付のときにお知らせします。