今月の聖句

だれでも聞くことを速やかにし、語ることを遅くし、怒ることを遅くせよ。

(ヤコブ書一・19より)



 

1999年8月 第463号・内容・もくじ

リストボタン神は導く

リストボタンイエスに対してなされた美しいこと

リストボタンダビデの生涯の頂点

リストボタン真理を押し流そうとするもの

リストボタン最近の傾向の意味するもの

リストボタン詩 水野 源三

リストボタン休憩室


リストボタン神は導く

 私たちが目には見えないが、この宇宙を創造し、いまも愛をもって一人一人の人間をみつめ、導いて下さる神を信じるとき、私たちは不思議な経験を与えられる。神がいないと思われるような災いや悪事がいたるところで行われているにもかかわらず、私たちの行く手に思いがけない出会いを与えられ、機会が目の前に現れることが生じる。

 人生の危機にあるときに、思いがけない人が現れてその道のないようなところに道が開けたことが何度かあった。

 また、自分自身はまったく求めてはいなかった方向へと導かれてそこに神のはっきりとした導きとはたらきを知らされたこともいろいろとあった。

 聖書に現れる人物は、アブラハム、ヤコブ、モーセ、ダビデなどみな自分の計画や能力で生きていった人ではなく、みな、生きて働く神の導きにゆだねた人であった。

 キリストの最大の弟子であったパウロもそうであった。

 キリスト教はヨーロッパの宗教と思われるほどに深い結びつきがあるが、キリスト教をヨーロッパに根づかせたのはパウロである。しかし彼がヨーロッパに行こうとしたのは、自分の考えや判断からでなく、神からの導きがあり、それにゆだねたのであった。

 ふつうには、自分の考えで生きることを最善のことのように言われる。しかし、それがいかにできないかを聖書ははっきりと示している。使徒のペテロが主イエスの最期が近づいたとき、「私はたとえ殺されることになっても、先生に従って行きます」と誓った。しかし、実際には、三度も主イエスなど知らないといって否認してしまったのである。

 自分の考えや判断で歩んで行こうとする考え方が砕かれ、神の導きにゆだねるところから、キリストを信じる者としての歩みが始まる。 

死と生の宣言

 私たちはみな、死ぬという宣告を受けた者である。重い病気とかガンになった者が死の宣告を受けるのでなく、どんなに健康であっても、すべて同じように死の宣告を受けたものである。人間は必ず死ぬのだから。

 しかし、それと同様に、また神は信じるものに、永遠の命の宣言をして下さっている。

はっきり言っておく。わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また、裁かれることなく、死から命へと移っている。(ヨハネ福音書五・24

はっきり言っておく。わたしの言葉を守るなら、その人は決して死ぬことがない。」(ヨハネ八・51

 


リストボタンダビデ王の生涯のクライマックス

 ダビデは今から、三千年ほども昔のイスラエルの王である。彼は、幼少のときから信仰あり、かつ勇敢で、竪琴を引くなど音楽にもすぐれた才能を与えられていた。

 彼は、王国のためにすばらしい働きをして、敵に勝利していったのに、当時のサウル王のねたみを受け、命をねらわれて追跡をさんざん受けるが、いっさいの武力による反抗もせず、ただ神にゆだねて砂漠をさすらった。そしてさまざまの出来事ののちに、不思議にもダビデ自身はまったくサウル王への攻撃などしなかったのに、神の導きによって、ダビデ自身が王となったのである。

 しかし、それだけ信仰のつよい人であったのに、周囲を平定して国が安定してきたときに、部下の妻を奪い、その夫を他の部下をつかって死ぬような状況へと追いやってしまった。こんな人間がどうして聖書に記されているのかとだれしも不思議に思うだろう。

 しかし、このように人間の本質がどんなに弱いかを記しているのが聖書であり、そのような醜さや弱さからいかにして救われるのかを記しているのもまた聖書なのである。

 ダビデの子には、母親が違うアムノンとアブサロムという二人の男子があった。また、アブサロムには、タマルという妹がいた。この兄妹は、ダビデを父とし、母も同じであった。

 アムノンが成長したとき、彼は全く人間的な欲望にかられ、母親違いの妹であるタマルを辱めた。その結果タマルは生涯、結婚することもできず、恥ずかしめられた女として日陰のように生きて行かねばならない状態となった。

 このような悲劇も、ダビデがかつてバテセバという名の美しい女性とその夫に対して不正なことをしたことに対するさばきであり、報いであった。

 タマルの兄であるアブサロムはそれを心に秘めて後での復讐を誓った。

 二年の間、機会をうかがっていたアブサロムは羊の毛を刈る行事をして、その際に王子全員を集めた。そしてアムノンに襲いかかって暗殺してしまった。

 異母兄妹同士の姦淫が行われ、兄弟同士で激しい憎しみが生じて、跡継ぎであった長男は異母兄弟によって殺されるという異常な事態が生じた。このようないまわしい事態も、ダビデがウリヤを人を使って死に追い込んだということへの裁きであった。

 そのことを知っていたゆえに ダビデはこうした恥ずべき事件に対しても毅然とした態度をとることができなかった。

 さらにアブサロムは王である自分の父を差し置いて、しかもその地位を奪おうとしている。このように子としては最大の反抗をしているのに、ダビデは何一つそのアブサロムに対して怒らなかった。それどころかアブサロムを攻撃して滅ぼそうともしなかった。

 しかもアブサロムは王に対する攻撃をする前には、

「主への誓願を果たすため、ヘブロンに行かせてください。僕はアラムのゲシュルに滞在していたとき、もし主がわたしをエルサレムに連れ戻してくださるなら主に仕える、と誓いました。」(サムエル記下十五・18

 と言って、信仰に関わるような嘘を言って父親をだましたのである。そのような態度にも関わらず、ダビデは何一つ怒った言動を見せていない。

 ここには、自分の犯した罪の裁きを受けていることを思い知らされている弱い一人の人間の姿があるだけである。

 しかもアブサロムの攻撃の手が伸びていることを知って、ダビデが直ちになにをしたかというと、逃げることであった。抵抗せず、戦わずである。こんな弱気に見えることはあるだろうか。敵の兵隊ならば、次々と戦いを起こして勝利に導いたその武将が、自分の子の反乱に対しては何一つ怒ることも攻撃することもしなかったのである。

 ダビデはかつて、サウル王からねらわれた時も同様に何一つ抵抗せず、攻撃をも加えなかった。

 ダビデの勇敢な性質、武人としての優秀性などは、ここでは全く見られない。それどころか誰よりも力がなく、弱々しい者と見える。

 しかし、このような弱さをそのまま表していくところに神の導きはある。

 これらの章を見てダビデがいかに重い罪を犯した弱い人間であるかがよくわかる。家庭の重大問題、王国を揺るがすような大問題であるのに、それに対して思い切った処置を取れなかったのである。

 かつてサウル王に命を狙われていた頃にも、砂漠同様の荒野をあちこちさまよった。(サムエル記上二三・13~)ここでは、自分の子に王国を奪われ、殺されようとして荒野をさまよった。聖書はダビデについて彼がいかに、外国をたくみに攻撃して征服したかということより、いかに彼が苦しんだか、そのなかからいかに神のみに頼ることを学んでいったかを告げようとしているのである。

 子どもの一人は恥ずかしめられ、兄弟同士の殺人が生じ、王国は実の子供によって奪われ、人々もまたアブサロムに従っていく。そのような状態の中で少数の家来とともに王宮を逃げていく。

 このとき、ダビデにとっても思いがけないことが生じた。それは外国人の一団がダビデに従って来るというのであった。

王はガト人イタイに言った。「なぜあなたまでが、我々と行動を共にするのか。戻ってあの王のもとにとどまりなさい。あなたは外国人だ。しかもこの国では亡命者の身分だ。

昨日来たばかりのあなたを、今日我々と共に放浪者にすることはできない。わたしは行けるところへ行くだけだ。兄弟たちと共に戻りなさい。主があなたを慈しみとまことを示されるように。」

イタイは王に答えて言った。「主は生きておられ、わが主君、王も生きておられる。生きるも死ぬも、主君、王のおいでになるところが僕のいるべきところです。」(サムエル記下十五章より) 

 自分の家来であった人たちが敵となったアブサロムに従っているのに、外国人であり、一時的に寄留している者であるのに、ガト人はダビデに深い敬意と服従の気持ちを表したのである。自分の子が反乱を起こし、実の父親であるダビデの命をねらっているのに、思いがけなく外国人が命がけでダビデに従っていくという申し出をするのであった。

 このように、神を信じる者には、思いがけない出来事が生じて、追いつめられても不思議な道が開けて守られていくということがはっきりと記されている。

 ガト人たちの一団は六百人ほどであったが、彼らが従っていくというダビデは逃げていく王であり、王位を奪われているのである。そのような弱い、滅んでいくように見える王に命がけで従っていく者があろうとは、ダビデは想像もできなかっただろう。

その地全体が大声をあげて泣く中を、兵士全員が通って行った。ダビデ王はキドロンの谷を渡り、兵士も全員荒れ野に向かう道を進んだ。(23節)

ダビデは頭を覆い、はだしでオリーブ山の坂道を泣きながら上って行った。同行した兵士たちも皆、それぞれ頭を覆い、泣きながら上って行った。(30節) 
 王は、神の言葉を刻んだ神の契約の箱を持ってきた祭司に次のように言った。 
王は祭司ツァドクに言った。「神の箱は都に戻しなさい。わたしが主の御心に適うのであれば、主はわたしを連れ戻し、神の箱とその住む所とを見せてくださるだろう。

主がわたしを愛さないと言われるときは、どうかその良いと思われることをわたしに対してなさるように。」

 このような絶望的な状況において、ダビデは神を全面的に頼るようになっていた。もし、神が顧みて下さるならば、必ず再び自分を王宮に連れ戻してくれると信じていたのである。自分の武力でアブサロムを攻撃して滅ぼすという方法は決してとらないなら、いかにして再び自分が王宮に帰ることができるのか、それはだれもわからなかった。敵を武力で攻撃しないでどうして再び王に返り咲くことができるのか、そんな道はありえないはずであった。

 しかし、ダビデはそうした人間のあらゆる予想や考えを越えたところで、もし神の御心ならば、神は再び自分を連れ戻して下さると信じることができたのである。

 わが子同士が憎しみを持ち、殺そうとまでしており、わが子の一人は父親の王位を奪い、しかも王である自分を殺そうとまでしている、そして自分は息子から逃げ延びていく、今後の命もどうなるかわからない、そのような絶望的な状況のなかで、ダビデはふたたび神に命がけで頼っていくようになったのがわかる。

 こうした最もみじめな状態のときこそ、ダビデの本当の姿が示されている。聖書にいう偉大とはこうした偉大さである。

 聖書はダビデを私たちにとって身近な存在として、またあるべき姿として示しているといえよう。それは、深い悔い改めである。悲しみである。家庭と王国に生じたこのいまわしいことに対して、引き起こした人間たちに怒ることなく、憎むことなく、ただ自分の罪による裁きを知って深い悲しみに泣いた。

 そして自分の力で取り返そうとか復讐しようともせずただ、神にすべてをゆだねた。人間にしてもガト人のイタイにはこんな状況で従ってこようとする者であったが、反乱した王(アブサロム)のもとに帰そうとした。少しでも多くの兵を引き連れて行くという考えもなかった。「ただ、行ける所に行くだけだ。」それは神が導かれるままにゆだねるという心がある。

 家族の平和も、王国もすべてを失い、今後どうなるかわからない、荒野での逃避行によって死ぬかも知れないという事態となり、ダビデのこれまでの歩みがすべて崩壊する状況になった。にもかかわらずこの逃避行の記事はダビデの人生の歩みのなかでもとりわけ、読む者の心を打つものがある。

 周囲を平定して安定した王国の最高権力者となって豊かな生活をするようになったときでなく、このようなすべてを失って、荒野に逃げ延びていく状況において、ダビデの生涯のクライマックスがあったのである。

 私たちの人生のクライマックスとは、この世の名声とか権力や金がたくさんできることでなく、最も深く神に頼る心の状態になったときであるからだ。

 ダビデほどの勇気あり、才能に満ちた王であったのに、かくも激しく崩れ落ちていったところにすべてはダビデの能力でなく、人間の計画でなく、神がすべてを把握しているということを示そうとしているのである。

 そしてその中からダビデがすべてをあげて神に叫び、頼っていくとき、その深いくらやみから神はダビデを救い出されたのであった。

 


リストボタン最近の傾向の意味するもの

 日米防衛協力のための指針(ガイドライン)関連法が国会で成立したのが、五月二四日。それからわずか数カ月で、日の丸・君が代の法制化、通信傍受法案、住民基本台帳法改正など、やつぎばやに重要法案が決められていった。

 これらは国民の福祉や自由を尊重するという方向でなく、国家権力で国民を規制し、自由を束縛する方向を持っている。

 こうした方向がどこまでも押し進められていったのが、戦前であった。そしてその方向の結果、日本は中国に戦争をしかけて、以後十五年ちかくにわたる長期の戦争(日中戦争)になっていった。

 そして、その終局として、太平洋戦争が行われた。そしてこの方向がどんなに重大な結果をもたらしたかはそこで失われた人命がおびただしい数にのぼっていることでよくわかる。

 一九三一年の満州事変によって日中戦争が開始され、一九四五年の太平洋戦争の敗戦までの十四年間にどれほどの人命が失われたかを私たちはいつも念頭においておかねばならないだろう。戦争がいかに不条理であり、最大の悪事であるかはそれによって失われる人命が、ほかの出来事とはおよそ比べものにならないほど莫大な数に上ることでわかる。

 十五年戦争から太平洋戦争の終わりまでの十四年間で、日本人はどれほどの命が失われただろうか。

 陸海軍人と一般人の死を合計すれば、およそ三三〇万人にも達するという。(「日本の歴史」・第三十一巻 小学館発行による)これらの死者は十四年ほどの間の数であるから、それは、毎月二万人ほどが十四年間にわたって死に続けて、このような数になる。

 さらに日本が攻撃し、占領、支配した東アジアの国々で失われた人命は、中国だけでも二千万人とも言われ、ベトナム、インドネシアでそれぞれ二百万人ずつ、フィリピンでは一〇〇万人が死んだとされており、合計では二五〇〇万人にも達するのである。

 これは、毎月平均して十五万人もの人々が十四年間にわたって殺されていったという計算になる。

 このようなおびただしい人命が失われていく戦争というのはまさしく悪魔のわざとしかいいようがない。

 このような戦争の被害に比べれば、歴史上最大級の台風でも五千人の死者、また今回のトルコ大地震の被害も数万人と言われているから、戦争がいかに想像を絶する数であるかがわかる。

 このようなおそるべき戦争を続けていくためには、戦争を批判する言論を封じ込めて、政府の言うとおりに従わせる必要があった。もともと戦争は大量殺人であり、そのような最大の犯罪行為を始めようというのであるから、それを実行するには、べつの重大な悪を使う必要がどうしても生じる。それが国民一人一人の自由を奪い、国家の権力のままに支配するということであり、それに批判的な者を捕らえ、厳しく罰していくことであった。

 戦前には、国歌や国旗への尊重、愛国心の育成などは教育上においても最大限になされた。しかし、その結果は何があったのか。それは自分の国である日本人の三百万人以上も殺すことになり、アジアの人々を数千万人もの命を奪うことになったのである。

 このような教育がどうして愛国心を育てるなどといえようか。これは、いかなる意味においても、国を滅ぼし、外国にも計り知れない害悪を加えることでしかなかったのである。

 こうした戦前の事実をみれば、多数の批判意見をまったく無視して法制化を強行していったことや、どんな疑いで電話などが盗聴されているかからない通信傍受法その他の法律の制定や改正は、その方向が何か正しくないことへと向かっていると感じずにはいられない。

 


リストボタンイエスに対してなされた美しいこと

 
イエスがベタニアでらい病の人シモンの家にいて、食事の席に着いておられたとき、一人の女が、純粋で非常に高価なナルドの香油の入った石膏の壷を持って来て、それを壊し、香油をイエスの頭に注ぎかけた。

 
そこにいた人の何人かが、憤慨して互いに言った。「なぜ、こんなに香油を無駄使いしたのか。この香油は三百デナリオン以上に売って、貧しい人々に施すことができたのに。」そして、彼女を厳しくとがめた。

 
イエスは言われた。「するままにさせておきなさい。なぜ、この人を困らせるのか。わたしに良いこと(美しいこと)をしてくれたのだ。貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるから、したいときに良いことをしてやれる。しかし、わたしはいつも一緒にいるわけではない。

この人はできるかぎりのことをした。つまり、前もってわたしの体に香油を注ぎ、埋葬の準備をしてくれた。

 
はっきり言っておく。世界中どこでも、福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう。」(マルコ福音書十四・39 

 この高価な香油を捧げた女性の記事は、少しずつ内容に違いがありますが、四つの福音書にすべて記されています。それはこの出来事の重要性を指し示すものといえます。

 しかもこのような美しい行動をなしたのが、ルカ福音書では、社会的にも非難されるような罪を犯した女であったと記されています。

 この記事の直前には、つぎのような記事があります。 

さて、過越祭と除酵祭の二日前になった。祭司長たちや律法学者たちは、なんとか計略を用いてイエスを捕らえて殺そうと考えていた。

彼らは、「民衆が騒ぎだすといけないから、祭りの間はやめておこう」と言っていた。(十四・12 

 このように、祭司長とか律法学者といった、当時の宗教的指導者たちが、主イエスに対して、反感を抱くという状態にとどまらず、殺そうとまで考えるようになったと記されています。このような殺意と、三節以降のナルド(*)の香油を注いだ女と、さらにその女の行いを非難した弟子たちを含む周りの人たちと、この三者がはっきりとした対照に置かれているのです。 

*)ナルドとは、サンスクリット語(古代インド語)で、 nalada (香りを放つ)という言葉から来ている。ナルドは植物名で、ヒマラヤ原産のもの。オミナエシ科の植物で、その根茎からとれる香油は香りが高く、非常に高価であった。 

 
この女性が主イエスに注いだ香油というのは、三百デナリオン以上の値打ちがあったと記されています。当時の一日の給料が聖書の別の箇所*の記述によって一デナリオンほどであったことから、これは、現在の日本でいえば、大体三百万円ほどにもなる大金です。一方では、弱い人たちを救い、すべてを神の愛の御心をもって生きておられたイエスに対して、殺そうとまでするほどの深い憎しみを持つ地位の高い人たち、そして他方では、最も身分の低いような、また汚れたような女性がイエスに示した深い敬意と、あまりにも鋭い対照に驚かされるのです。

*)「主人は、一日につき一デナリオンの約束で、労働者をぶどう園に送った。」(マタイ二十・2

 
なぜ、この女は、このような高価な香油を持っていたのか、どうしてこの香油を壷の口から注ぎ出すことをせずに、一度に壷を壊してまで、イエスに注ぎ出してしまったのかといったことについては全く記されていません。

 そのような高価なものがあれば、それを売ったら立派な家土地、または人を雇って豊かな生活ができたかもしれないし、女性は当時働くことがたいへんであったから、老後の生活にたくわえておいたらずっと生活の安心ができたはずです。

 しかし、そうしたすべてのことを考えないで、一挙にその高価な香油をイエスに注いでしまったのです。しかも、その香油の一部を主イエスに注いだというのでなく、その石膏の壷を壊してまで一度に注いでしまったとあります。

 これは、常識では考えられないことでした。しかし、自分のことは考えないで、すべてを主イエスに捧げることの美しさがここに示されています。

 私たちの本当の美しさは化粧とか生まれつきでは決してありません。それらは人間の肉的な気持ちを引き寄せることはあっても、そこからは本質的によいものは何も生じないのです。それはただ健康というだけでは、よいものを生み出すことはできず、その健康によって悪いことをするということもたくさんあるのと似ています。世の中の犯罪はほとんどみな健康な人たちによってなさているのであって、病弱でずっと入院している人たちとかではありません。

 この女の行動に対して主イエスは、「(この女は)私によいことをしてくれたのだ」と言われましたが、その「よいこと」というのは、原語(ギリシャ語)では、「美しい(kalos)」という意味を主として持っている言葉が使われています。
*

*)この言葉は、思想的方面でみると、ギリシャ語としては、最も重要な言葉の一つで、ギリシャ哲学者の代表的存在であるプラトンは著書のなかでその言葉を驚くほど数多く用いており、外形的な美しさだけでなく、内面的な美、魂の美しさといって意味にも多く用いています。

 なお、新約聖書でもこの言葉は百回ほど用いられていますが、日本語訳聖書では「美しい」という訳語が用いられていないために気付きにくくなっています。しかし、英語聖書では、原語のニュアンスを生かして「美しいこと」と訳してあるのもあります。例えば、アメリカの英語訳聖書として広く知られてきた改訂標準訳(RSV)、また新国際訳(NIV)、モファット訳、フィリップス現代英語訳なども、この箇所の「よいこと」をbeautiful thing(美しいこと) と訳していますし、現代英語訳聖書(TEV)では、 fine and beautiful thing(すばらしく、美しいこと)と強調して訳してあります。 

 主イエスへの深い信仰と敬愛の心は、美しい行動を生みだし、それはそのときまだ誰も見抜いていなかった主イエスの死を見抜くことにもつながったといえます。イエスの死は人間すべての罪のためのあがないの死であって、終わりでなく始まりでありました。そのような重要なイエスの死に対する洞察を持つことになったことが強調されています。

 主イエスが殺される直前に、一人の女性によっておきたこの不思議な出来事、高価な香油を注ぐということは、どこで生じたのでしょうか。それは、意外なことに当時から、比較的最近にいたるまで、二千年ちかくもの間、最も恐れられていた病気であったハンセン病(ライ)の人の家であったのです。

 ハンセン病になると、おそるべき肉体の苦しみと変形だけでなく、家族からも周囲の人からも切り放され、宗教的にも汚れたとされあらゆる苦しみや悲しみが襲ってくる病気でした。主イエスは、自分が最期を迎える直前に、そのような闇を象徴する人の家にいたということは、キリストがどんなお方であるかをよくあらわしています。

 また、そのときの主イエスの周囲には、殺そうとまで考えていた、宗教的指導者たちの敵意と憎しみがありました。

 さらに、その女性がきわめて高価な香油を主イエスに捧げたことに対しても、そばにいた人々が、怒って彼女を厳しくとがめたというのです。マタイ福音書によればこの人たちは弟子たちであったと記されています。弟子たちですら、この女の主イエスへの信仰と捧げ物をまったく理解できなかったほどに、主イエスがもうまもなく捕らえられて殺されるということを考えてもいなかったのです。

 しかし、この女だけは、そうした主イエスの間近に迫った死を直感的に見抜き、彼女にとってすべてであったといえる高価な香油をすべて注ぎ尽くしたのです。主イエスの死はそれによって万人の罪を身代わりに担い、信じる人をすべて罪の重荷から解放するというきわめて重要な出来事でした。そのような重大な死ということに、この名も記されていない女性が最も切実な関心を持っていたということなのです。

 祭司長、律法学者たちのイエスへの敵意、そしてライ病人の家、さらに女の主イエスへの献身の心をつよく非難した人々の心、そうした闇のなかにこそ、強い光が輝いたのです。いかに闇が強くてもそのなかにかえって神は、いっそう強い光を輝かせるのです。

 キリスト教の二千年の歴史において、神のため、イエスのための美しいことというのは、数かぎりなく行われてきたのがわかります。

 何が神のための美しいことなのかについて私たちに考えさせることを主イエスは教えています。

 これはつぎの聖書の箇所を思い起こさせるものとなっています。それは、世の終わりのときに、人々を裁かれるときがある、そのときに、ある人々を右において永遠の祝福を受ける者とし、ある人々を左において滅びのなかに入れるという内容です。

そこで、王は右側にいる人たちに言う。『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。

お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』

すると、正しい人たちが王に答える。『主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。

いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。

いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』

そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』(マタイ福音書二十五章より)

 世から無視されているような最も小さい者の一人にしたこと、しかもそれを他人に認められるためとか、人に見せるためでなく、それをした本人もそのことを覚えていないほどに自然になされたとき、そのような行いこそ神から祝福されるものであって、それは主イエスに対してしたことと同じなのだと言われています。

 このようなことこそ、神のため、イエスのための美しいことだと言えます。

このことで思い出すのは、マザー・テレサがあるとき、「神様のために何か美しいことを・・」(Now let us do something beautiful for God)と言ったことです。
*

*)この言葉は一人のあるイギリスのジャーナリストの心に深く残り、彼はその後この言葉を題名とする本「Something beautiful for God」を出版した。日本語訳の書名は「マザー・テレサ すばらしいことを神さまのために」。 

 彼女の関わった多くの仕事は、「神のための何か美しいこと」であったのがわかります。 そして、そのマザー・テレサのさまざまの活動と本質的におなじことが、ここであげた聖書の高価な香油を主イエスのために捧げ尽くした一人の女の行動に表されているのに気付くのです。

 主イエスの言葉として、「私につながっていなさい。そうすればあなた方はゆたかに実を結ぶことができるようになる」というのがあります。

 私たちにとっての高価なもの、大切なものを神のために捧げることができるためには、この主イエスの言葉に言われているように、何よりも神にしっかりと結びついていることだとわかります。そのとき、初めて私たちもそれぞれの置かれた場において、何かを喜んで、神のために捧げ、神のための何か美しいことをなすことができるのだと思われます。

 


リストボタン真理を押し流そうとするもの

 現在では私たちは一九三一年から始まる日中戦争、そこからつながっていった太平洋戦争というものが明かな侵略戦争であり、膨大な人命を奪い、施設や自然を破壊した巨大な悪であったことを知っている。

 しかし、いまから六〇年ほど前に出された、つぎの文書を見るとき、キリスト教会がいかに大きい過ちを犯したかをも知らされる。 

皇紀二千六百年奉祝(一九四〇年) キリスト教信徒大会宣言

 神武天皇国を肇め給ひしより、ここに二六〇〇年、皇統連綿としていよいよ光を宇内(うだい・世界のこと・)に放つ、この栄ある歴史を思ふて我ら転た(うたた)感激にたへざるものあり。

 本日全国にあるキリスト教信徒相会し、つつしんで天皇の万歳を寿(ことほ)ぎ奉る。思ふに、現下の世界情勢はきわめて波乱多く、一刻の偸安(とうあん・目前の安楽を求めること・)を許さざるものあり。

 西に欧州の戦禍あり、東ち支那事変ありて未だその終結を見ず。

 この渦中にありてわが国はよくその針路を誤ることなく、国運国力の進展を見つつあり。これ誠に、天佑(てんゆう・天の助け・)の然らしむる所にして一君万民尊厳無比なるわが国体に基づくものと信じて疑わず。

 今や、この世界の変局に処し、国歌は大勢を新たにし、大東亜新秩序の建設に邁進(まいしん)しつつあり。我らキリスト信徒もまた、これに即応し、教会教派の別を捨て、合同一致以て国民精神指導の大業に参加し、進んで大政を翼賛し奉り、尽忠報国の誠を致さんとす。

 


昭和十五年十月十七日

                 皇紀二千六百年奉祝全国キリスト教信徒大会


(右に引用した文章は、表現のわかりにくさを避けるため、一部漢字を使わず、カタカナ表記に代えてひらかなを用いた) 

 この宣言の問題点は、すでに十年近くも行われていた中国に対する侵略戦争を「わが国は針路を誤ることなく、国運、国力の進展を見つつある」としている点である。日中戦争がどんなに正義に反するか、また戦争がどんなに悲惨なものかに対しての認識は全く見られない。

 さらにそうした侵略戦争における勝利をば、「天佑による」としていることである。天佑とは天の助けという意味であり、しかも、それが天皇制のおかげだと言っているのである。絶対的な権力を持っていた天皇を現人神とする天皇制こそあの侵略戦争を実行していった背後の力なのであった。数千万に及ぶという死者を出したあの戦争を支えていた天皇制を批判することが全くなく、それをむしろ世界の誇りとしており、その天皇制に支えられた戦争をも正しい戦争としていたその判断に驚かされるのである。

 この教会合同宣言によって、無教会主義の集会とカトリック教会を除くプロテスタントの全教派は合同して、日本基督(キリスト)教団となった。この宣言の出された翌年にその創立総会が開かれたが、そのときに行われた宣誓はつぎのようなものであった。 

 われらキリスト教信者であると同時に日本臣民であり、皇国に忠誠を尽くすをもって第一とす。 ここでわかるのは、キリスト者とは、目に見えない神の国のために忠誠を尽くすのを第一とするのであるが、この宣誓では、皇国(天皇の国)に忠誠を尽くすことを第一にすると言っている。それは、国の命じること、天皇の命じることならなんでもそれを第一にして従うという宣誓であって、戦争という名の殺戮であっても侵略であっても行うという方針を明確にしたものであった。

 また、日本基督教団戦時布教指針では、つぎのような綱領がある。 

一、国体の本義に徹し、大東亜戦争の目的完遂に邁進すべし

二、本教団の総力を結集し率先垂範宗教報国のまことをいたすべし

三、日本キリスト教の確立をはかり、本教団の使命達成に努むべし 

 このように、日本のキリスト教の合同教会であって、キリストの福音こそ一番大切であるにもかかわらず、侵略戦争たる太平洋戦争の目的を遂げることを第一に置いているのに驚かされる。 

 こうした日本の教会全体の動きを見るとき、無教会主義に立ったキリスト者、矢内原忠雄は当時の動きの本質を鋭く見抜き、日中戦争が侵略戦争であることを知っていたのは驚くべきことであった。。一九三三年におこなった講演会で、矢内原はつぎのように指摘している。(矢内原忠雄はキリスト信仰を内村鑑三に学んだキリスト者である。) 

 国際連盟において日本を支持した国は一つもありませんでした。日本は全く孤立しました。まことに非常な出来事であります。・・ほんとうの非常時はそんなところ(貧乏)にはありません。経済問題は忍ぶことができますが、忍ぶことのできないのは、国民の道徳の低下、良心の破滅、罪の上に罪を重ねることであります。

 なぜ、日本は孤立したのですか。日本は約束を守らないと諸外国は言うのであります。それはほんとうのことであろうか。そういうほうがまちがっているか、あるいは言われるほうに落ち度があるのか。これは日本の興亡にとってまことに大問題であります。・・我々の国は嘘つきだと世界中から言われているのであります。

 もしそのことが少しでも本当であるならば、誠にわが国にとりまして重大問題であります。・・一昨年(一九三一年)九月一八日における満鉄路線爆破事件は、日本側ではあれは支那(中国)兵がやったのだと言います。支那側では自分たちがやったのではないと言います。

 そして(国際連盟の)リットン調査団は両国の言い分を並べて日本軍の行動は自衛権ではないと断じました。・・しかし、事実は一つしかないはずです。この混沌ななかにあり、もし本当の事実を知っている人があれば、その人は悲哀の人たらざるを得ないでしょう。

 このように述べて、矢内原は事実は日本が嘘を言っているのだ、と直感していたことを示している。日本の国家が嘘つきだとして世界から言われる事態はまさに重大事態であり、罪の上に罪を重ねている状態であり、それこそ非常事態であると知っていたゆえに、自分は哀しみの人とならざるを得ないと言おうとしているのがわかる。

 このように時代の流れを正しく認識して鋭く時局を批判したがゆえに、この講演の四年後には、東京帝国大学教授の地位を追われることになった。

 また、内村鑑三に学んだやはり無教会の政池 仁(まさいけ じん)は、一九二八年に(二七歳)、(旧制)静岡高校の化学の教授として赴任したが、それからわずか四年後、満州事変の批判を学生たちにしたことや、山形の山間部にての平和発言が問題とされ、平和主義を撤回するか、それとも平和主義に固執して教授の地位を失うかのいずれかを選ぶことを余儀なくされ、祈りと熟慮のすえに、「まず神の国と神の義を求めよ」の聖句の通り、聖書に基づく平和主義をとって、職を辞したのであった。

 日本キリスト教団は、日本の全プロテスタントキリスト教の合同教会であり、多種多様なキリスト者たちの集団であり、専門の聖書学者も多く擁していたにもかかわらず、当時の時代の根本的にまちがった流れを見抜くことができずに、かえってその流れを支持し、支援する団体となってしまったのである。

 そして日本が中国相手に始めた侵略戦争を、正しい戦争とする時代の流れに押し流されていった。

 このような歴史の事実を見るとき、キリストを信じているといっても、真理をしっかりと見据える目がなければ、世の大波に飲み込まれていくのだとわかる。無教会の指導者たちの多くがその大波に飲み込まれなかったのは、内村鑑三以来の聖書による非戦論に堅く立っていたからであり、預言者の生き方に深く学んでいたからでもあった。

 最近の日本の状況を見ると、戦前に日本を覆い尽くした、真理に反する流れがあちこちに見られるようになった。こうした時代にあって、私たちはマスコミや評論家たちの意見に押し流されないよう、主イエスとの結びつきを強め、聖書の真理をいっそう正しく学ぶ必要が感じられる。

 


リストボタン   水野源三

讃美し語りたい 

もり上がる入道雲

わき出る泉のごとく

心のあふれる言葉をもって


とどろき渡るかみなり

はげしく落ちる滝のごとく

力のかぎり大きな声をもってまことの御神の愛とみざを

讃美し語りたい


○入道雲やとどろく雷の音に心が引きつけられる人は多いだろう。しかし、そのようなものを見て、それらが神の言葉を語り、讃美したいというその願いを託して見つめるということは、ほとんどだれも考えたことがなかったのではないだろうか。

 長い間、寝たきりであって、言葉を語ることすらできなかった、水野源三であったが、神の真理と神の愛を語りたいという切実な願いがいつも胸いっぱいにあったのがこの詩でうかがえる。

 かれのその願いはある意味において今日、かなえられている。彼のその入道雲のようにわき上がる神への讃美と神の言葉は、彼が地上からいなくなっても、なお、日本のあちらこちらで語りつがれている。それほどに彼の語る「声」は大きかったのである。それほどに彼の神を語る言葉は泉のようにわき出ているのである。 

仰いだ時から

主なるイエスを仰いだときから

行きなれた道にかおる白い花

みどりの林に歌う小鳥さえ

私に知らせる御神の慈愛を 

主なるイエスを仰いだときから

見慣れた消えゆく夕ばえなる空

屋根ごしに光る一番星さえ

私に知らせる御神の力を

 
主なるイエスを仰いだ時から

ききなれた窓をたたく風の音

夜更けの静かに降る雨の音さえ

私に知らせる御神の恵みを

 
○キリストを知った人が感じるのは、自然というものが、一段と深い意味をもってくるということである。神を信じない人、キリストを受け入れていない人も自然を愛する人はいくらでもいる。

 しかし、愛の神を信じ、その神からの励ましや罪の赦しを受けるようになったとき、以前から親しかった自然が、そうした神の愛を表すものとなり、神がその愛でもって語りかけてくるものとなってくる。万能の神を信じないとき、自然も死のかなたにあるものを教えてはくれない。しかし、神を信じるときには、青空や雲、夕日や野草の花などの自然が私たちに死のかなたにある永遠の命を暗示するものともなってくれる。

 


リストボタン休憩室


○アジアンタムと言えば、鑑賞用のシダとしては最もよく知られているものの一つです。しかし、それはほとんどが園芸用のもので、自然に生えているものは見たことがない人が大部分と思います。最近、珍しいシダを、手話と聖書の集まりのときに持って来られた方がいました。

 それはかつて私が県内の標高千五百メートルほどの山に登っていたときに、途中の山深い谷間で見つけたことのあるハコネシダという美しいシダに似ていました。調べてみるとそれはその仲間のホウライシダであり、日本のアジアンタムと言えるものだとわかったのです。(なお、ホウライシダの学名は (アディアントゥム)という語を含んでいますがこれは、「水にぬれない」という意味を持っています。このシダの葉が水をはじいてぬれないからです)

 シダの仲間は花を咲かせることもなく、地味で判別が難しいものも多く、花瓶に飾られたりすることもほとんどないので、大多数のシダは知られていませんが、アジアンタムとか、シノブ、タニワタリ、イワヒバなどといった少数のシダ類が鑑賞用として飾られています。

 こうしたシダのうちでも、ホウライシダのように美しいシダが市内の民家の庭に自然に生えてきたのは珍しいことです。思いがけないところに、予想もしないような植物が生えてくる、それは胞子とか種が人間の予想できないようなところから運ばれてきて、いろいろの条件がかなったときに、発芽して成長していくのです。

 神は人間についても、予想できないようなところに、大きい働きをする人物を起こしたり、だれもが注目しない地味なところにとても優れた人を起こしたりします。

 主イエスも当時の人が「ナザレから何のよいものが出ようか」と言っていた、田舎のナザレ地方の出身であったのです。

 風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。(神の)霊から生まれた者も皆そのとおりである。(ヨハネ福音書三・8

 ギリシャ語では風も霊も同じ(プネウマ)です。風が思いのままに吹くように、神の霊(聖霊)も、神のご計画のままに吹くのであって、人間のあらゆる予想を越えたところに吹くのです。あるところで、美しい花を咲かせ、力強いキリスト伝道をする人を起こし、みんなが見下しているところにも、驚くべき出来事を起こすのです。 

○最近、讃美歌と童謡関わりに関して目にとまることが何度かありました。以前、手話と聖書の小さな集まりで、讃美歌「主われを愛す」(四六一番)を讃美していたとき、参加していた方が、この歌はどこかで聞いた事がある、なにかの曲に似ていると言われ、ああ、「しゃぼん玉とんだ」と似ていると言われたことがありました。

 たしかに、この讃美歌の二段目の「おそれはあらじ」という箇所のメロディーは、”しゃぼん玉とんだ”という曲の「こわれて消えた」という箇所とまったく同じメロディーだし、全体として似ているのはわかります。

「しゃぼん玉とんだ」を作詞した野口雨情は、十七歳のとき、内村鑑三の「月曜講演」を聞いたし、内村の執筆していた「東京独立雑誌」を読んでいたのです。作曲者の中山晋平とキリスト教との関係は不明ですが、作詞者とキリスト教の関係が作曲者にもなんらかの影響を与えたということ(例えば、讃美歌の紹介など)は十分考えられることです。

 また、「赤とんぼ」の作詞者は三木露風ですが、彼はキリスト者でした。かれの母は熱心なキリスト者であり、その影響を受けたと思われます。また彼女は、再婚しましたが、その相手の人もキリスト教徒であり、裁判官であったのに、教会堂を建てた人であったということです。また、「赤とんぼ」の作曲者は山田耕作ですが、山田はキリスト教の大学である関西学院大学卒業ですから、こうした広く親しまれた童謡の背後にもキリスト教の流れがしずかに脈打っているのが感じられます。

「赤とんぼ」という曲は、NHKの「日本のうた ふるさとの歌」のアンケートで六十五万通の応募のなかで、第一位に選ばれた曲であったということです。