今月の聖句 |
1999年9月 第464号・内容・もくじ
打ち倒されるときに
キリスト教史上の最初の殉教者であったステパノは、周囲を取りまく多数の人々が、激しくわめいて彼を取りまいているただなかに、彼は引きずられ、まわりの暴徒たちによって石を打ちつけられて殺されることになった。
主イエスのことを証言し、人々が過去に預言者たちを迫害してきたことを述べただけで、人々は怒りだし、とうとうステパノを殺すところまでいってしまう。そのような場面を私たちが想像するとき、どこに神がいるのかと感じられるかもしれない。無実な人を襲い、よってたかって引きずっていき、石で撃ち殺すというような場面のどこに神はいると思えるだろうか。
しかし、不思議なことに、そのような最も神はいないと思われるようなところに、神と主イエスはその姿をステパノの前に現したのであった。それまでのだれもが見ることができなかったほどにはっきりとである。
ステファノは聖霊に満たされ、天を見つめ、神の栄光と神の右に立っておられるイエスとを見て、
「天が開いて、人の子が神の右に立っておられるのが見える」と言った。
人々は大声で叫びながら耳を手でふさぎ、ステファノ目がけて一斉に襲いかかり、都の外に引きずり出して石を投げ始めた。
人々が石を投げつけている間、ステファノは主に呼びかけて、「主イエスよ、わたしの霊をお受けください」と言った。
それから、ひざまずいて、「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」と大声で叫んだ。ステファノはこう言って、眠りについた。(使徒行伝七章より)
主イエスに従う人が、憎しみを受けて打ち倒されるとき、そこに神などいないと思われるとき、静かに神はその姿を現されている。人が倒されるとき、主イエスは立っておられる。
キリストを信じるとは、不思議な世界である。自分という人間が、弱さのゆえにまた罪のゆえに倒れるとき、そのときにこそ主はわが内に立って下さるというのである。
キリストが弟子たちとの最後の夕食を終えたのち、ゲツセマネの園において、生涯で最も深く厳しい祈りをされた。そのとき、弟子たちはみなそろって眠りこけてしまった。しかし、そのようにして人間が弱さのゆえに倒れるとき、主イエスは一人で霊の戦いに立たれ、神の力によって最大の戦いを勝利されたのであった。
キリスト教礼拝での讃美歌
讃美歌はどんな意味があるのでしょうか。かつて私たちのキリスト集会員が召されたとき、その前夜式で讃美歌が歌われ
ましたが、そこに参加していたキリスト者でない人たちが、人が死んだときなのに、歌を歌うなんてと驚いたと言っていました。
これは、歌うとは楽しい気分のとき、遊びのとき、行楽や宴会などのとき、また音楽会のときなどであって、日本人にとっては、人が死んだときに歌をいくつも歌うなどということは考えられないことであるからです。仏教による葬式の場で、だれかが歌を歌ったらまともな人間扱いされないかもしれません。
これは、歌うということの意味が日本人にはひどく狭い意味でしか知られていないからです。
私もキリスト教信仰に出会うまでは、歌などというものは、気晴らしとか、気分転換あるいは、一種の趣味、娯楽程度のものだと思っていました。
しかし、キリスト教においては、重要な会にいつも歌を歌うのです。礼拝であっても、クリスマスの集会や人が死んだとき、葬式、結婚式、祈りの会、家を建てるとき等などあらゆるときに歌(讃美歌)を歌います。
私がキリスト教信仰を持つようになってすぐに読んだ本の一つに、若くして高熱を出してこの世を去った人の記念文集がありました。そこに書かれていた人は、死に瀕したとき、高熱で意識がないような状態であったのに、その口からとぎれとぎれに出てきたのは、讃美歌五二〇番「しずけき川の岸辺を」であったと知って強い印象を受けたことがありました。 それは、そばで看病している両親のこともわからないほどに意識がうすくなっているのに、なおそこから「安し、安し、神によりて安し」という讃美歌の一節が出てきたというのは、いかに讃美歌が深く魂に刻み込まれていたかをしめすものです。
それは、祈りであり、神の言に次ぐほどのものとなって魂に刻み込まれていたのがうかがえるのです。
キリスト教における讃美とはたんに楽しいから歌うのでは決してなく、最も苦しいとき、死にかかっている時ですら、出てくるほどのものなのです。
主イエスも、いよいよこれから捕らわれるという前夜にも、最後の夕食のあとで締めくくりとしてしたのが、讃美を歌うことであったのです。
一同は賛美の歌をうたってから、オリーブ山へ出かけた。(マルコ十四・26)
殺される直前においても、なお歌ったのは、神への祈りだからです。祈りをさらに長く引き延ばして祈り続けることが讃美であったのです。だからこそ、主イエスも捕らえられ、殺される直前に讃美の歌を歌ったのです。それはこれから起きるたいへんな事態に対処するための祈りであったからです。神を信じる者なら、祈りはどんなときにもすることが期待されているし、神はその祈りの姿勢を最も喜ばれます。だからこそ、結婚式でも、葬式でも、また新しい家を建てるときも、苦しい時も、感謝と喜びのときもどんなときにも讃美歌を歌うということが生じるのです。
そして、何度も鞭で打ってから二人を牢に投げ込み、看守に厳重に見張るように命じた。この命令を受けた看守は、二人をいちばん奥の牢に入れて、足には木の足枷をはめておいた。
真夜中ごろ、パウロとシラスが賛美の歌をうたって神に祈っていると、ほかの囚人たちはこれに聞き入っていた。(使徒行伝十六章より)
このように、鞭打たれ、暗くてじめじめした牢に閉じこめられていたし、真夜中でもあるのに、なお神への讃美を続けていたというのです。
ここにも讃美というのが祈りであるというのがよくわかります。古代の鞭というのは、数十回も打たれたら死んでしまう者もいたほどです。そのような恐ろしい鞭打ちの刑罰を受けて、どうして歌など歌えるのかと日本人は思います。しかしそのようなたいへんな事態だからこそ、祈る必要を感じて、讃美し続け、祈り続けたのです。
このように、讃美ということが、祈りと深く結びついているのは、旧約聖書から見られ、そのことは、詩編の例えば七十二編は
、その終わりの部分がつぎのようになっていることからも推察できます。
主なる神をたたえよ、イスラエルの神、ただひとり驚くべき御業を行う方を。
栄光に輝く御名をとこしえにたたえよ、栄光は全地を満たす。アーメン、アーメン。
エッサイの子ダビデの祈りの終り。
これを見ると、この詩編第七十二編は第二巻(四十二編~七十二編)の最後の詩編ですから、それらの讃美の歌(詩)を総称して、「祈り」と言われていたのがわかります。
詩編が讃美であり、それはまた祈りでもあったということは、例えば、詩編十七編のタイトルに「ダビデの祈り」とあり、九十編のタイトルには、「神の人モーセの祈り」とありますがこのようなタイトルは他にもいくつも見られます。
祈りであるからこそ、苦難のとき、喜びのとき、結婚や葬儀のとき、あるいは、悲しみのときなど、どんなときにもそれは用いられることになります。そのような意味で、讃美はキリスト教のあらゆる行事に用いられているのです。
このように見れば、私たちも讃美を歌うときにはその言葉の意味をはっきりと知って、その言葉を祈りをこめて歌うというというのが正しい讃美の仕方だとわかるのです。
このように考えてくると、キリスト教の礼拝において、単に最初と最後だけ、二回歌って終わりとし、他はいっさい讃美しないという形式でなく、多くの讃美を用いることもそれが祈りとして用いられるときには、礼拝そのものでも有り得るのがわかります。
聖書の講話の初めと終わりだけに形式的に歌うだけでなく、礼拝の中に適当なところに配分して、祈りを持って全員が集会に関わるための重要な手段となるのです。しかも、聖書の解きあかし(聖書講話、講義あるいは、説教)は、話されることをただ聞くだけとなりますが、讃美というかたちの祈りは、全員がその祈りに加わることができます。
そして、讃美という形をとった祈りはメロディーとハーモニーが加わり、言葉にならない祈りをも神のもとに運んでくれます。
そのため言葉だけでは十分に祈れないときでも、讃美の祈りで助けられて祈ることができる場合もあります。
私たちも礼拝において讃美を歌うときには、形式的に歌うことなく、祈りとして歌い、さまざまの讃美をいろいろな状況のときに用いることができるように導かれたいと思うのです。
主こそ王 (詩編九十三編)
主こそ王。
威厳を衣とし、力を衣とし、身に帯びられる。
世界は固く据えられ、決して揺らぐことない。
御座はいにしえより固く据えられ、あなたはとこしえの昔からいます。
主よ、潮はあげる、潮は声をあげる。
潮は打ち寄せる響きをあげる。
大水のとどろく声よりも力強く、海に砕け散る波。
さらに力強く、高くいます主。
主よ、あなたの定めは確かであり、あなたの神殿に尊厳はふさわしい。
日の続く限り。
主こそ王!
この詩は、神こそ王であるということを中心とした、実に明確な詩です。
私たちがふつう、神のことを思うとき、神を王として思い描くことがあるでしょうか。
神は愛である、神は真実である、神は正義である、神は万能である・・といった言葉は私たちもつねに見るし、耳にします。
しかし、神は王であるということを自然に思い出す人がどれほどいるだろうかと思います。
聖書では神こそ本当の王であるということがしばしば現れます。どうして、このような表現が出てくるのかと不思議に思う人もいるはずです。
これは、聖書において最初から現れます。
神というとき、支配ということを抜きにしては考えることもできません。支配のない神など考えられないのです。
天地を支配しているからこそ、万物を創造することもできるはずです。また、人間の世界にどんなに悪が栄えるよう見えても、必ずそうした悪の
繁栄はくつがえされるのです。 これは旧約聖書のいろいろの箇所において見られます。例えば、つぎのような箇所です。
その日、主は堅く大いなる強いつるぎで逃げるへびレビヤタン、曲りくねるへびレビヤタンを罰し、また海におる龍を殺される。(イザヤ書二七・1)
レビヤタンとは、古代の神話的な怪物で、神に敵対する国や力を象徴として用いられています。
このような表現だけを見ればなんのことかわかりませんが、これは、「神の定めた時には、神に敵対する力、サタン的な力を完全に滅ぼされる」という意味なのです。
これに対して、多神教の世界では、さまざまの神々がいるとされ、それらの神々が互いに自らが王であるとして、力を競い合い、争っているということになります。
しかし、聖書に示された神は、そうしたあらゆる神々やいろいろの霊的な力のいっさいの上に立つ力を持ったお方がいるということを明確に言っています。
それが、この詩の冒頭に宣言されていること、「主こそ王」なのです。
私たちは神のことを王というイメージで思い浮かべることは、ほとんどないと思われます。それは、王というと、古代の専制的な、人権を無視するような支配者を思い出すからです。家来を従え、立派なお城に住み、人民から搾取しているというような王が、愛と真実の神とはどうしても相入れないという気がするからです。
また、支配という言葉も、冷たい、不正なイメージがつきまとっています。江戸時代の徳川幕府の支配は、多数をしめていた農民を「生かさぬように、殺さぬような」といった方針で支配していたほどですし、士農工商という厳しい身分差別をし、また、職業や住所も変えられないように支配していました。また、外国でもヒトラーの支配とか、日本でも明治時代になっも、天皇制の支配によって、あのようなまちがった戦争を始め、数千万といわれる多くの自国人や、外国人を殺傷してしまったといういまわしいイメージがあります。
しかしそうした言葉の固有のイメージとらわれて、神が王であるということに心を向けないなら、この詩が持っている重要な意味をつかむことができなくなります。
神が王であるという宣言は、要するに、いったい何がこの世界を、人間を、歴史を支配しているのかという、重要な疑問への解答になっているのです。
現実の世界では、強力な外国が次々と現れ、それらの国は、容赦なく弱い国々に襲いかかってきて、征服していきます。イスラエルの国も、古くはエジプトやアッシリアの勢力に脅かされ、紀元前七二一年には、アッシリアに滅ぼされ、そして百数十年の後には、バビロンによってユダの国は滅ぼされています。そしてその後もペルシア、マケドニア、ローマ帝国とつぎつぎと周囲の大国に支配されていきました。
聖書が書かれた地域は、アジア、アフリカ、ヨーロッパなどの国々の接点にあり、それらの国で現れた大国の支配にほんろうされることになりました。
このような状況をみると、世界の支配は武力や権力の強いものが握っていると考えられるのが当たり前と思われるのに、かえってこのイスラエルの民が、この世の支配は、そうした国々や権力でなく、神にあるという信仰がこの詩にはよく表されています。
何がこの宇宙を、世界を支配しているのか、という問題は、そのような古代から現在の私たちにいたるまで、最も重要な問題であり続けています。
この世を支配しているものはいったい何であるのか、善でも悪でもない得体の知れない神々(いろいろの霊的な存在)か、それとも偶然か運命か。それとも、科学的な法則なのか、現代のような科学技術の発達した時代にあっては、科学の法則が宇宙を支配していると思っている人も多くいます。たしかに太陽や地球の動き、また地上のさまざまの運動は、万有引力や、運動の法則、作用・反作用の法則などというごくわずかの法則によって支配されているからです。
聖書によって初めて、そうしたあらゆる支配の問題に最終的な解答が与えられということができます。神は、その選んだ民に、まず唯一の神が存在していて、その神こそがあらゆるものを支配していること、しかもその神は冷たい法則とか、人間を苦しめる支配をするのでなく、真実と慈しみをその本質としているお方であるということです。
この問題は、新約聖書になっても、当然のことながら大きい問題でした。
主イエスが生まれたとき、マタイ福音書によれば、そのことを初めて知らされたのは、東方の賢者たちでしたが、その賢者が光輝く不思議な星によって教えられたのは、「ユダヤ人の王として生まれた方」ということでした。ここにも、イエスは、最初から王として生まれたのだということが示されています。
主イエスが初めて福音を宣べ伝えはじめた時にも、「神の国(御支配)は近づいた」と言われました。これは、日本語の訳語には現れていませんが、「国」とは、「王の支配」という意味がもとにある言葉ですから、「神の王としての支配が近づいた」という意味になります。長い間、人々が待ち望んでいたのは、神を信じる王が現れ、そのような王の支配が確立されることでした。
神が王であるから、その神の性質をそのまま備えたお方が、人間のもとに来るなら、当然そのお方もまた、王であるという本質を持っていることが考えられます。ユダヤ人は、ダビデのような地上的な権力をもった王を救い主として待望していましたが、神はそうした王でなく、まったくだれも考えたことなないような、王のあり方をした王を地上に送られたのです。
しかし、この二つの王のあり方は鋭い対立を持っていて、そのことがヨハネ福音書に記されています。
主イエスがめざましい奇跡を行ったあと、人々はイエスを王にしようという動きが見られました。しかし、イエスはそうした人々の考え方が根本からまちがっていることを深く知っておられたのでそこを逃れて、一人山に入って祈りに入られたということです。
イエスは、人々が来て、自分を王にするために連れて行こうとしているのを知り、ひとりでまた山に退かれた。(ヨハネ六・15)
また、このことは、主イエスが最後に捕らえられ、ローマ総督から尋問されたときにも、主イエスは次のような含みのある答え方をしています。
そこでピラトが、「それでは、やはり王なのか」と言うと、イエスはお答えになった。「わたしが王だとは、あなたが言っていることです。わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た。真理に属する人は皆、わたしの声を聞く。」
このようなイエスの言葉はたしかに自分は王である、しかし、自分の王としてのあり方は真理そのものである、という意味が込められています。
真理に属する者は、自ずからイエスを王として認めるのです。
さらに、十字架にはりつけになったときに、その十字架にかけられた罪状書きに、ローマ総督ピラトが書かせたのは、つぎのようなものでした。
ピラトは罪状書きを書いて、十字架の上に掛けた。それには、「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」と書いてあった。
イエスが十字架につけられた場所は都に近かったので、多くのユダヤ人がその罪状書きを読んだ。それは、ヘブライ語、ラテン語、ギリシャ語で書かれていた。(ヨハネ福音書十九・19ー20)
ここにも、この三つの言語は当時の全世界を代表する言語とみなされていたのであり、これら三つの言語は今日まできわめて大きい影響を及ぼしてきたし、いまもそうでありつづけています。ヘブル語は聖書の原語(旧約聖書)として、ギリシャ語は哲学(科学も含め)の世界を、またラテン語は、ローマ帝国の言語であって、それから現代のフランス語、イタリア語、スペイン、ポルトガル語などが生じてきたからです。
このことは、このピラトの罪状書きは本人自身はその深い意味がわかってはいなかったが、その後二千年のキリスト教の歴史を預言するものともなったのです。
たしかにキリストは目に見えない世界の王として、全世界でほかの何よりも尊重され、崇拝されてきたからです。
主よ、潮はあげる、潮は声をあげる。
潮は打ち寄せる響きをあげる。
大水のとどろく声よりも力強く、海に砕け散る波。
さらに力強く、高くいます主。
これらの言葉で何を言おうとしているのか、必ずしもはっきりしないが、これは詩編の他の箇所にあるつぎのような言葉と関連していると考えられています。
あなた(神)はラハブを砕き、刺し殺し、御腕の力を振るって敵を散らされた。(詩編八九・11)
これは、神に向かって敵対しようとする、この世の力が存在すること、そしてそのような力はサタンの力ともみなすことができますが、それが神に対して絶えず攻撃してくる、打ち倒そうとしてくる。それがこの潮(大水)のとどろきであり、そうした力に対してもそれに決して倒されない力を神が持っていて、いっさいのそうした力の上に存在しているということが、これらの言葉の意味するところです。
長い歴史において、また現代の私たちにおいても、たえずこうした潮が打ち寄せています。しかし、いかにそのような悪の力が真理を打ち倒そうとしても、真理という堅い岩は決して倒されることなく、永遠に続いていくことをこの詩編は告げているのです。
教育基本法とは
現在、日本では、憲法の改正がいろいろと言われるようになった。わずか数年でこれほど状況が変わるとはだれも想像しなかったであろう。
そしてさらに教育の根本方針を定めた教育基本法をも、変えようという動きが自民党にある。しかもその改訂のテーマを「歴史・伝統の重視」にしようとしている。自民党などには、従来から、この教育基本法が「愛国心教育の足かせ」になってきたなどと不満を持ってきたという。
なぜ、教育の基本そのものも変えようとするのか、そこにはどんなねらいが込められているのか私たちは知っておく必要がある。
一般の人々においては、教育基本法といってもどんなことが書いてあるのかわからないという人々がほとんどであろう。
つぎにその基本精神が現れている教育基本法の前文をあげる。
われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は根本において教育の力にまつべきものである。
われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性的ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。
ここにはっきりと目標とされていることは、つぎのような人間である。
一、個人の尊厳を重んじる。
二、真理を願い求める。
三、平和を願い求める。
このことは、十五年ちかくにわたる中国との戦争と太平洋戦争がこの三つを否定し、または著しく軽んじたことの反省から生まれたものである。この戦争においては、個人の尊厳が驚くべき仕方で、無惨に蹂躙された。戦争とは、なんの危害も加えたことのない、一般の住民に対しても、無差別に爆弾を落として、殺害し、住居を破壊し、生活を根本からくつがえすものであって、最も個人の尊厳を否定していくものだと言えよう。
一人の人間は無限の価値があるという考え方からは、到底戦争という発想は生じないはずである。国家の利益と称して、一人一人の人間の自由や権利、尊厳を平然と奪い、侵していく全体主義が戦前は堂々とまかり通っていたのである。
つぎに、戦前は、真理でなく、天皇というただの人間にすぎない人物を現人神として、生きた神とまで持ち上げ、その天皇が世界を支配するのを目標とするまでに到った。人間を生きている神だなどという偽りを日本の国全体が必死になって教え、信じ込ませ、その現人神の命令ということでアジアへの侵略を行っていったのである。
このような考え方は、真理とするどく対立するものであり、その偽りの本質は中国やアジア諸国への侵略行為によって、明らかになったし、敗戦によって世界中にそのことを表すことになった。
戦争を正しいこととし、自国を守ると称して、近隣諸国への侵略戦争を繰り返していった。一九三一年九月の柳条湖事件に始まる、中国満州への侵略戦争である満州事変、また、一九三七年七月の蘆溝橋事件から引き起こした戦争を北支事変といい、のちに支那事変といった。さらに、上海への大規模な攻撃を上海事変と称した。このように、日本は中国に対して、つぎつぎと戦争をしかけていき、それらを○○事変と称して、○○戦争という呼称を用いず、戦争であったのに、たんなる衝突であるかのように見せかけようとし、次第に国民が大規模な戦争へと飼い慣らされていくようになっていった。
こうした戦争に明け暮れた戦前の状況は、戦争が大量殺人という意味で、最悪のことであるという感覚を失わせていくものとなった。教育において戦争が悪であるということを教えることなく、逆に戦争をする職業(軍人)が最も重要な職業であるというように教える状況であった。
以上のような戦前の教育を根底から変えるために、教育においても平和を愛し願い求める教育を根本においているのである。
そして「普遍的にしてしかも個性的ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。」とある。
これは、戦前の文化は天皇を中心とした日本の伝統ということを極度に重視するようになり、(とくに日中十五年戦争以降)世界のどこにも通用しないような、著しく普遍性を欠いたものであった。
そして同時に、自由な言論は禁じられ、みんなが天皇に向かって生きるような画一的な人間を養成しようとする状況となり、個性的人間の育成とは逆の方向であった。このようなまちがった教育方針を根本的にあらためる観点から、この「普遍性」、「個性的」ということが言われている。
戦前は、教育においても、天皇からの言葉だと称する教育勅語が国民道徳の絶対的基準とされ、それが教育の最高原理ともされて、それに向かって最敬礼を強要するほどに、神聖化されていった。
このように、万事において天皇が中心とされ、天皇に仕える人間を育成することが目標とされた。
英語すら敵の言葉だといって排斥するような、著しく狭い考え方が支配するようになっていた。
こうした戦前のまちがった教育方針を根底から除いて正しい方向を指し示している基本的精神から、それをさらに詳しく述べたのが、つぎの第一条である。
第一条 (教育の目的) 教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んじ、自主的な聖書に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期しておこなわれなければならない。
このように教育基本法の前文と第一条を見れば、なにを目的としているかがはっきりとわかる。この新しい教育の方向を決めることになった、この基本法はどのような人たちが作ったのであろうか。 敗戦後にあらゆる社会のしくみが再検討され、変えられていく過程で、当然教育についても根本的に見直すことが考えられた。日本の教育の民主化を積極的にすすめるために、アメリカの教育施設団が来日し、その人々に協力して日本の教育の方針を決める重要な委員会が作られた。それが日本教育家委員会である。
その委員長は南原繁(東大総長)で、その下に、山崎匡輔(成城大学長、東大教授、文部次官)、天野貞祐(第一高等学校長)、田中耕太郎(学校教育局長、後に文部大臣、最高裁判所長官)、長谷川如是閑(芸術院会員、文化功労者)、柳宗悦(日本民芸館長)などのメンバーであった。
このうち、南原繁は内村鑑三門下の無教会キリスト者であったし、山崎匡輔も、「内村の著書によって救われた一人であった」と言っている。
そして「私は、内村先生の弟子としては、あるいは正統派に属しないかも知れないが、ひそかに内村鑑三先生の本当の弟子の一人である言っても、今は天にある先生は、おそらくそれをきっと許して下さるものと信じるものである。」と書いているような人物であった。(「回想の内村鑑三」
岩波書店刊254頁)そして天野も、またキリスト者にはならなかったが、若いとき、内村の門をくぐったことのあり、長谷川も、内村の創刊した「東京独立雑誌」の読者の一人であった。
また、田中耕太郎も最初は熱心な内村の弟子の一人であって、彼のキリスト教信仰の元は、内村から学んだと言えよう。(彼は、友人の結婚問題に関わる内村のキリスト者としての厳しい判断についていけずにカトリックにかわった。)
この少しあとに、教育刷新委員会ができ、その委員長は、安倍能茂、副委員長に南原繁(後に委員長)がなり、その委員会の審議を経て今日の教育基本法の制定へとつながっていった。
また、戦後の三人の文部大臣は前田多聞、安倍能成、田中耕太郎たちであった。田中はすでに触れたが、前田多聞はやはり内村鑑三の日曜集会で学んだキリスト者であり、安倍はキリスト者にはならなかったが、岩波茂雄(岩波書店の創設者)のすすめで、毎日曜日の内村鑑三の聖書講義に一年ほど出席していた人である。
このように見てくれば、戦後の新しい教育がいかにキリスト教、とくに内村鑑三の深い影響のもとにあったかがよくわかる。
そして、これは、内村鑑三がキリスト教の本質、真理そのものを最も鋭く見抜き、それを体得していたからであったと言えるし、彼らの弟子たちもそのキリスト教の真理を深く受け継いでいたことがうかがえる。
南原繁は戦後教育の方向の決定に最も大きい役割をはたしたが、彼は、こうした戦後教育の基本を決める全過程で、そうした委員会や審議会に占領軍の介入があったりしたことは一度もなかったと再三にわたって言明している。(小学館版・日本の歴史・第31巻による)
こうした事実を知らない人たちが、アメリカの押しつけであるなどと言ったりしているのである。
キリスト教こそ最も普遍的な真理をうちに持っているものであり、そのゆえにこそ全世界に広がり、老若男女のあらゆる年齢層に、また職業や身分的なもの、貧富の差や、健康と病弱などあらゆるものを越えて広がっていった。
教育基本法の前文において、「真理と平和を希求する人間」、「普遍的にしてしかも個性的な文化の創造をめざす」と言われているのは、以上のような背景を考えると、キリスト教の精神がそこに深く流れているのが感じられる。
これは、人間を天皇と教え、侵略戦争をも正義の戦争などと教える偽りの教育を根本から変える方針を明確に持っているのである。
このように考えると、そのような過程を経て作られた基本法をなぜ変えようとするのか、変えてどのようにしようとするのだろうか。
改訂しようという人たちは、「日本の歴史・伝統」を重視する方向へと大きく曲げようというのである。しかし、その日本の歴史・伝統を徹底的に重視した教育とはすでに実験済みである。それは戦前の教育である。
その戦前の教育の根本方針は教育勅語に表されている。ここではくわしくは触れないが、教育勅語では、教育の根本は日本の国体にあるとされていた。それは天皇を現人神として絶対的な位置もおく体制を指している。
そのような天皇というただの人間を絶対的な存在として位置づけることは、世界に通用しないものであり、偽りにすぎない。
現在の日本の動向は、教育というつぎの世代の人々を形作る重要な領域においても、真理に反する動きがしだいに目につくようになった。
人間に本当に必要なのは、一国だけにしか通用しない伝統や歴史でなく、万国にわたって、しかも永遠に通用する真理である。そうした真理とは、二千年の歴史を見ても証しされているように、聖書に記されているのであって、教育の基本も当然そのような永遠の真理に基づかねばならない。
詩
虹 ワーズワース
私の心はおどる
虹が空にかかるを見るとき
私の生涯のはじめがそうであった
大人になった今もそうだ
老いてもそうであるように
さもなくば死んだがまし
子供は大人の父だ
私のおくる一日一日が
自然に対する深い敬意の心で結ばれるように。
THE RAINBOW
MY heart leaps up when I behold
A rainbow in the sky:
So was it when my life began ;
So is it now I am a man;
So be it when I shall grow old,
Or let me die!
The Child is father of the Man;
And I could wish my days to be
Bound each to each by natural piety.
(William Wordsworth)
○ワーズワース(一七七〇~一八五〇)はイギリスの代表的詩人の一人。一八四三年に桂冠詩人に選ばれた。自然を深く見つめた詩人として有名。
この詩はワーズワースの詩の中でも、わかりやすく内容的にも親しみやすいので特に知られています。虹のスケールの大きさ、そして美しい七色、さらに虹が現れるときは、少しの雨と、空に広がる雲、わずかの間しか見られないことなど、とくに神秘的かつ、雄大な現象であって、すでに数千年も昔から注目を浴びていたのがわかります。
例えば、旧約聖書のノアは神を信じて正しく生きる人であったとして、神の恵みを受けて、人類を滅ぼした大洪水にも生き残ることができました。洪水がひいたあとで、美しい虹が現れました。
わたしは雲の中にわたしの虹を置く。これはわたしと大地の間に立てた契約のしるしとなる。
わたしが地の上に雲を湧き起こらせ、雲の中に虹が現れると、わたしは、わたしとあなたたちならびにすべての生き物、すべて肉なるものとの間に立てた契約に心を留める。
雲の中に虹が現れると、わたしはそれを見て、神と地上のすべての生き物、すべて肉なるものとの間に立てた永遠の契約に心を留める。(創世記九章より)
このように、神が立てた契約のしるしと言われています。虹を見て、単に驚くだけでなく、そこに神の立てた契約を啓示されたということは、旧約聖書に出てくる人々の見方がいかに自然と深く結び付けられていたかを示すものです。
ワーズワース三十二歳のときに作られたこの詩は、詩人がいかに虹に心打たれたかを感じさせてくれます。ニュートンは、虹のできる仕組みを科学的に解明しましたが、虹はそれにもかかわらず、人々に特別な印象を与え続けています。
太陽光が水粒で屈折して生じるのが虹だとわかっても、そのような仕組み、法則を創造して美しい七色が大空に現出するようにしたのは神であり、その不思議さ、素晴らしさは変わるものでなく、別な意味でまた神の創造の力を讃える気持ちが湧いてくるものです。 虹への驚きはちいさな子供のときから持っていたが、大人になっても変わらずに虹への驚きを感じることに詩人は、深い喜びを感じているのです。そしてこのような自然への敬意、それはその自然を創造した神への敬意と重なるものがあると感じますが、それが老年になっても持続するようにと願っています。虹に現れているような自然の美しさや深い意味に感じなくなるなら、死なせて欲しい、死んだ方がましだというのです。
さらに、子供の持っているこうした、驚異の心、感動の心こそは、大人が手本とせねばならないことだと言い、自分の今後の毎日がそうした自然への深い敬意で結ばれていく一日一日でありたいとの願いで結んでいます。
このことも、聖書にあるつぎのようなことにワーズワースが影響を受けたことを感じさせます。
あなたの栄光は天の上にあり、幼子と乳飲み子との口によって、ほめたたられています。(詩編八・1ー2より)
イエスはこう言われた。「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者に示されました。(マタイ福音書十一・25)
幼子のような心にこそ、神の栄光は讃美され、真理が示されると言われています。
私たちはこうした自然の深い本質はその背後にある神の御手の業であるからだと知っているので、美しい自然に触れたときにもそこでとどまらずに、そうした自然を創造された神への信仰と感謝へと導かれていきたいと思うものです。
○新古今和歌集より
秋風に たなびく雲の 絶え間より
もれいづる月の 影のさやけさ
左京大夫顕輔
この歌からは、今から八百年ちかく昔の人が、秋の風のさわやかさの中にいて、雲の間から洩れてくる月の光に心を動かされている様子が浮かんできます。
(なお、ここでの「影」とは「光」のことであって、現代の意味とは違っています。このような用例は、讃美歌にもときどき見られます。例えば、讃美歌三五五番の三節にある、「うららに 恵みの日かげ照れば・・」の箇所では、恵みの日の光という意味です。)
さやけさとは、清く澄んでいるさまをいうのであって、現代のようにコンクリートの建物もなく、舗装道路も車も、工場などいっさいがなかった時代であり、ほとんどの地域においては、少数の茅葺きの家のほかには、ただ山々と草原、田畑、そして小川などばかりが広がっていた時代なので、雲の間からもれてくる月の光はまさしく清く澄んでいたことと思われます。
空気も澄みきっていて、そのようなところに静かに注がれる雲の間からの月の光を浴びていると、心の奥まで清められるような気持ちになってきます。こうした自然のただなかに身を置くことは、現代では、困難な地域が多くなっていますが、だからこそ、いっそうこのような歌によって神の創造した自然の清さを心によみがえらせる必要があると思われます。
なお、この歌は、後代のいくつかの歌集にも選ばれており、藤原定家が高く評価していた作だと言われています。
現代の私たちにとって、聖霊が注がれるときには、こうしたよき自然の失われたところ、都会のただなかにあっても、この歌で言われているようなさわやかな光を内に感じさせて下さることを期待できるのです。
ことば
(103)神に何かを与えようとする人より、神から何かを求め望む人の方を、神はいっそう愛するのである。(ブースの言葉。ブースは一八二九~一九一二年、イギリスの人。救世軍の創設者として著名)
(104)クリストフ・ブルームハルトの祈り
愛しまつる在天の父よ、
この世においては不安がありますが、あなたのうちにわれらは平安を得ています。
み霊によってあなたの天の国のよろこびを与えてください。
あなたに仕えることによって自分の人生に対する力を与えてください。
苦痛を忍び、悲しみ、不安、かん難の道をなおあゆむすべての者たちをおぼえ、賜物を与え、助けを与えてみ名を讃えさせてください。
あなたの大いなるあわれみと誠実さによって期待し、のぞむことを許されているものによって、われらをすべて結び合わせてください。
アーメン
(クリストフ・ブルームハルトの祈祷集、九月三〇日の祈りから)
○私たちは祈りは自分の心のままに祈ったらよいという考えがあります。しかし、どんなことにも正しく導かれる必要があるはずです。すでに聖書においても、キリストに従うためにいっさいを捨てたほどの弟子たちすら正しい祈り、神に聞き入れられる祈りや願いはどんなことなのかと尋ねたことが記されています。有名な主の祈りはその答えであったのです。主の祈りは私たちの毎日の祈りとなるべきものですが、それを土台としつつ、さらにより具体的に祈るために、祈りを集めた書(祈祷集)がよき導きとなってくれます。
この祈祷集はそうしたもののうちで優れたものの一つとして用いられてきました。
なお、ブルームハルトは、一八四二年生まれ、ドイツの牧師。神学者カール・バルトやブルンナーなどにも強い影響を与えた人。また父親のブルームハルトも特別ないやしの賜物をも与えられていた優れた牧師として知られていますし、同時代のキリスト教思想家ヒルティもとくに高く評価していた人です。
休憩室
○木星のこと
最近、夜十一時頃に東のやや北寄りの空に、澄んだ強い光で輝く星が見えます。これは、太陽系に含まれる惑星のうち最も大きい、木星です。どんなに星や星座にうとい人でも、まちがうことなく見えますので、まだ見たことがない人はぜひ見て欲しいと思います。 田舎の澄んだ夜空で、月のないときにはいっそう清い輝きとして見ることができます。
夜空の星座はまったくわからないという人も多いのですが、それは、夜空の星を直接に理科の授業時間で見ることができないこともその理由の一つです。また、夜空の星の位置に関して高校入試に出題されるのは、北斗七星とか、オリオン座などのように毎年きまった位置に現れる恒星や、星座に関してです。
惑星は地球のなかまであるのに、そしてめざましく輝いているのもあるのに、位置が変わっていくので、出題しにくいということもあります。そのために、その名前は子供のときからだれもが熟知しているのに、火星、木星、土星などを一度も見たことがないという人がほとんどであり、夕方にどんな星よりもつよく輝く金星ですらまったく見たことがないという人が大部分のようです。
昼間は、青い大空、さまざまのかたちに変化して時として雄大な姿を見せてくれる雲や山野に咲くさまざまの野草の花などが神の国へと心を向けてくれます。そして、夜には、星の輝くすがたやそのたたずまいが最も私たちを、神に引き寄せてくれるものとなります。こうした自然は神の直接のわざであるために、時には書物とか人間の話以上に心を神の国のたまもので満たしてくれることがあります。
○寝たきりを防ぐための十ヶ条
表題のものを最近見たことがあります。その中のいくつかを書いてみます。
1、あきらめない
2、あせらない
3、目標を持つ
4、役割の変更を受け入れる
5、仲間をつくる
6、外に出る、閉じ込もらない
なぜ、これらが寝たきりを防ぐための心得なのかという説明はなかったのですが、私が思うところでは次のような理由によるのではないかと思います。
病気になって、老齢にもなっているから、もうどうにもなるものでないとあきらめてしまったら、寝たきりにはやくなってしまう。また、病気をなんとか早く治さないと寝たきりになってしまうとあせってもいけない、また、体が病気になると、生活が単調になっていく、そこでは日々の生活の目標がなくなる。しかし、生きる目標がなかったら立ち上がろうとする気力が失せてしまう。
かつて元気な頃にしていたこと、自分が重要な役割をはたしていたことが一つずつなくなっていき、他人のお荷物のような存在になっていく、それを受け入れないで、過去の元気な頃のことにしがみついているのではいけない。
仲間からの刺激が必要で、それがなかったら日々が単調となる。
外に出ないと、自分だけの狭い世界がさらに狭くなっていく。
こうした心得は、身体の面だけでなく、そのまま心の方面でも言えると思われます。しかし、老齢になり、しかも病気になって自分き身体のことだけで精いっぱいになってくると、いったいどんな目標を持つことができるだろうかと思います。
また、あきらめないと言われても、老化による衰弱は必然的であり、いろいろのかつてできていた仕事や趣味などがだんだんできなくなっていくことはどうすることもできません。
このような心得を本当に少しでも可能にするのが、神とキリストを受け入れることだと思われます。
私たちが万能の神、創造の神を信じるかぎり、どんなことがあっても、あきらめることはなくなるはずです。また、神の国が実現すること、復活するという目標をどこまでも保ち続けることができます。
また、キリストを信じるかぎり全くの孤独にはならず、たいてい不思議な導きで神を信じる友が与えられます。そして、閉じ込もらないということにしても、そうした友が与えられるかぎり、その友との交わりのゆえに閉じ込もらずにすむ状況へと導かれることがあります。また、たとえ体があまり動かせない状況となっても、私たちに神の聖霊が臨むなら、はるかな過去の真理の証人や、離れたところにいるキリスト者たちとも祈りの世界で交わることができるし、まわりの単純な自然のすがたによって、それらを創造した神を思い、心は広やかな世界へと出ていくこともできます。
そして、自分の役割もしだいに祈りこそが弱っていく自分の仕事なのだと示されるとき、いかに普通の仕事ができない状況となっても、なお、最も重要な仕事に関わることができるのだという実感を与えられると思われます。
体が丈夫であっても、精神的に「寝たきり」同様になって、何に対しても力が入らず、心の弱ってしまうことも多いのです。
主イエスが長い間中風をわずらって、寝たきりになっていた人に対して、次のように言われたことがあった。
「人の子(イエス)が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう。」そして、中風の人に、「わたしはあなたに言う。起き上がり、床を担いで家に帰りなさい」と言われた。
その人はすぐさま皆の前で立ち上がり、寝ていた台を取り上げ、神を賛美しながら家に帰って行った。(ルカ五・24)
長いあいだ動けなかった人が、主イエスの言葉によって、起き上がり、歩けるようになったとは驚くべきことです。これは、このような奇跡が二千年前に、起こったきりでもう二度とないのでなく、それと本質的に同様のことが、ずっと生じ続けるという象徴的な意味があったのです。
人間は精神的に寝たきりになって、立ち上がれない、しかし、そこに生きて働くキリストの言葉が臨むとき、私たちは立ち上がり、歩き始めることができるということなのです。