2000年1月 第468号・内容・もくじ
長いあいだ慣れ親しんだ千九百○○年という呼称が終わった。
過ぎ去った二十世紀は、現代の若者には、特に強く迫ってくるものではないかも知れない。
しかし、今や音をたてなくなった、過去の歴史のページを注意深くめくっていく者は、それが驚くべき時代であったことを知らされる。二十世紀は、実に多くの人たちが大規模な戦争で傷つき、命を落とし、苦しみと悩みのうちに過ぎて行った世紀であったのである。
科学技術の発展とともにひとたび戦争となれば、陸からも海からも、そして空からも、おびただしい火薬が投入され、それは国土を破壊し、人の命も体も吹き飛ばし、そして深い苦しみや悲しみを蒔いていった。
年末にNHKにおいて、連続放映された「映像の二十世紀」(再放送)は、そうしたあり様を従来は見ることのできなかった、当時のままの映像を用いて鮮やかに写し出していた。あのような映像に撮ることができたのは、ごく一部にすぎない。現実は、私たちの想像もできないような過酷なものであっただろう。
傷ついたまま、重く痛む足をひきずりつつ、どこまでも続く荒野を未知の土地へと戦火を避けて逃れていく人々、また途中の冷たい荒野にて倒れ、そのまま放置され苦しみながら、家族とも引き離され、息を引き取っていった人たちも多かっただろう。
そのような苦しみがどうしてこんなにもひどいのか、いつになっても絶えることがないのか、それは私たちにはわからない。
私たちは、現実の世界のそうした痛ましい部分ばかりを見ていたら、その重さに自分の心も暗くなってしまうだろう。そして希望などは消え去っていく。この世のどこに究極の光があるだろうか。この世を見つめれば見つめるほど、そこには深い闇と、混乱があるばかりなのだから。
しかし、神は人類に、主イエスを送って、そのような闇のなかにも、光が見えるようにして下さった。
紀元二千年という新しい時の始まりは、それだけ考えるなら、単なる時間の区切りにすぎないと言えるだろう。しかし、それはキリストが過去二千年もの間、闇にその光を輝かし続けてきたという長い歴史をも意味するのである。どんなに闇が濃く、悲しみが深くとも、そしていかに悪が恐ろしい力をもって迫ってきても、なお、その闇のただなかでキリストを信じ、そこから光を与えられてきた人たちが無数に存在してきた。キリストの光は過去のどのような闇の力にも決して消えることがなかったのである。
「暗闇のなかに光は輝いている。そして光は闇に打ち勝たなかった。」(ヨハネ福音書一・5より)
どんな人でも、人に言えないような深い心の傷、あるいは悩みをその生涯のいつかにおいて持つと言えよう。それはすでに子供のときから、心に刻み込まれることもある。その傷や悩み、またある種の闇のようなものを持ち続けて、人は生きている。
私は今までにも、何人かの人たちから、今までの生涯を振り返ってどうしても赦せないという気持ちから離れられないと打ち明けられたことがある。忘れたとか赦したと思っても、何かのときにかつて受けた心の傷がまだ癒されていないのを感じる、それはまだ赦すことができていないのだと知らされると言われた。
しかし、そうした私たちの心の傷や、どうすることもできない弱さを抱えている心のなかにこそ、主の憐れみがしみとおるような気がする。
まことに、彼はわれわれの病を負い、
われわれの悲しみをになった。
(旧約聖書・イザヤ書五十三・4より)
善き力に守られて
ボンヘッファーは、ドイツでヒトラーの悪魔的支配に従わず、キリスト者としての真実のゆえに、一九四三年四月、ドイツの秘密警察によって捕らえられた。そしてヒトラーの自殺とそれに続くドイツ降伏の少し前に二年間の監獄や強制収容所での生活ののち、絞首刑によって命を断たれたのであった。
それは米英国などの連合軍による解放の数日前であった。
彼が監獄のなかでどんな気持ちを抱いていたのかを知る一つはつぎの詩である。これは、ドイツ秘密警察の監獄の中で作られたが、そのときは、ベルリンは激しい空襲を受けていたという。その空襲で自分たちのいる監獄も焼かれて死ぬかも知れないし、ドイツ警察によって殺されるかも知れない、いずれにしてもどこを見ても闇と混乱と破壊が押し寄せている状況であった。
新しい一九四五年
よき力に真実に、そして静かに取り囲まれ、
不思議にも守られ慰められて、私は毎日毎日をあなた方と共に生き、
そしてあなた方と共に新しい年へと歩んで行く
過ぎ去った年は私たちの心をなおも悩まし、
いまの悪しき日々の重荷はさらに私たちにのしかかるだろう。
ああ、主よ。
この恐れ惑う魂に、あなたの備えて下さった救いを与えて下さい。
あなたが苦き杯を、あの苦しみの苦き杯を、
なみなみとついで差し出されるなら、
私たちはそれを、ためらわずに感謝して、
あなたのいつくしみ深き愛の御手から受け取ろう。
あなたがこの闇の中に持って来て下さったともしびを、
今日こそ暖かく静かに燃やして下さい。
御心ならば、私たちを再びともに会わせて下さい。
私たちは知っている。
あなたの光が夜の闇をつらぬいて輝くことを。
静寂が今や深く私たちのまわりを包む時、
共に聴こうではないか。
ひそやかに私たちの回りに広がっていく、
世界の豊かな音の響きを。
善き力に不思議にも守られて
私たちは心安らかに来るべきものを待つ。
神は朝も夜も、また新しい日々も
必ず確かに私たちと共にいて下さる。
この詩をもとにして作られた讃美が、新しい讃美歌21に収められている。この詩にふさわしい曲がつけられ、讃美するたびに当時の闇と恐れのただなかにあっても、なお神の善き力に守られているという信仰を保ち続け、そのゆえに希望を持ってその苦しい日々を戦っていた一人の魂が身近に迫ってくる。
この讃美は去年の無教会のキリスト教全国集会の特別讃美の時間に紹介され、参加者全員で讃美したときの重々しい響きを忘れることができない。
私たちの存在が巨大な悪の力によって押しつぶされそうになるときがある。そのような時、ボンヘッファーはその全存在をもって戦い、耐え、時としてはげしく動揺を経験させられるただなかにあって、神の光を見ることを得て、このような詩を作ることができたのであった。これは、あとの世代に残されたボンヘッファーの遺言のようなものだと感じる。
悪の勢力が周囲全体を取りまき、怒涛のように弱き者を押しつぶしていくそのような時にあってもなお、彼は、「私たちのまわりに広がっていく、世界の豊かな音の響き」を聞き取っていたのがわかる。そして、押し寄せる闇の力にも増して、彼は不思議な神の力によって守られているという実感をも持っていたのである。
(参考)
善き力に我れかこまれ(讃美歌21 四六九番)
(一)善き力にわれかこまれ、
守りなぐさめられて、
世の悩み共にわかち、
新しい日を望もう。
(二)過ぎた日々の悩み重く
なお、のしかかるときも、
さわぎ立つ心しずめ、
みむねにしたがいゆく。
(三)たとい主から差し出される
杯は苦くても、
恐れず、感謝をこめて、
愛する手から受けよう。
(四)輝かせよ、主のともし火、
われらの闇の中に。
望みを主の手にゆだね、
来たるべき朝を待とう。
(五)善き力に守られつつ、
来たるべき時を待とう
夜も朝もいつも神は
われらと共にいます。
(この讃美歌を覚えて歌いたい方はご連絡下さい)
目の中の丸太に気付くこと「人を裁くな。あなた方も裁かれないためである。
あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。
兄弟に向かって、『あなたの目からおが屑を取らせてください』と、どうして言えようか。自分の目に丸太があるではないか。
偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からおが屑を取り除くことができる。(マタイ福音書七・3ー5)
初めてこの箇所を読む人は、なぜ主イエスはこのような途方もないようなたとえを言ったのだろうかといぶかしく思うのではないでしょうか。あまりにも、このたとえは極端ではないか、と多くの人々は感じるはずです。私自身も、以前は、何となくこのたとえは誇張しすぎているように思っていたものです。
しかし、この「自分の目にある丸太」とは、自分の心がどんなに神の前に重い罪があるかを知ることだったのです。
パウロが自分のことを死のからだであり、罪人の頭であるとまで言うほどに、自分の罪を深く感じていたこと、ペテロも主を三度も裏切るような者であったことを、じっさいに体験して初めて自分のうちに、大きな丸太のようなものがあるとわかってきたと言えます。そうしたことを知ることが「自分の目の中にある丸太に気付く」ということなのだとわかってきました。
他人の目のなかのチリ(欠点や罪)を見つけるのは、信仰のあるなしに関わらず、また子供であれ、老人であれだれでも簡単にできます。
例えば、小学校で、差別する先生がいたとすると、そのような教師にはたとえ小学低学年であっても敏感に見抜くことができます。これは、他人の目にあるチリに気付くことは、どんな人でも簡単にできるということを表しています。
それは、他人の罪については人間は直感的に見抜く力がほとんどだれにもあるからです。
しかし、自分のなかにとてつもない大きい丸太(罪)があるということは、自然のままの人間には決して考えることすらできないし、どんなに学校で勉強を重ねても自分の罪に気付くようにはならないばかりか、かえって自分が罪をおかしたら、それを他人のせいにするということが多いのです。それは神を信じて、神の無限の愛や清さ、真実を体験して初めてできることです。
もし、自分のなかに大きい丸太を見ることができたなら、私たちは他の人の欠点や罪を見てもそれを見下したりすることはなくなるでありましょうし、逆にそのことを祈るようになると考えられます。
マタイ福音書十八章にあるタラントのたとえは、この丸太のことを別の表現で表しているといえます。
その内容をおおまかに言えば、主君に対して、数千億円ともなる膨大な借金のある人がいました。それはもちろん一生働いても返せない金額でしたが、自分も妻も持ち物もみんな売って返済しますといって赦してくれるよう懇願しました。
その必死になって頼むすがたに主君は哀れに思って、その途方もない借金を帳消しにしてやりました。
しかし、その赦してもらった人は、自分にわずかの借金をしていた人をきびしく取り立てて、牢に入れてしまったのです。しかし、そのことを主君は見ていました。自分の莫大な借金を払わないで、赦してもらったにもかかわらず、自分にその五十万分の一の借金のあった人を厳しくとがめ、赦さなかったので牢に入れられてしまったというたとえです。
「このたとえで言われている膨大な借金とは、一万タラントと言われており、当時のヘロデ王の全年収が九百タラントであり、ガリラヤからベレヤまでの税収が合計でも二百タラントであったことを考えると、この金額は一つの属州全体の管理者にとってすらもほとんど考えることのできない莫大な額であることが明白となる。人がそもそも考え得る最大の数と、近東の地域での最大の金額が用いられているのである。」と、ある外国の有名な注解は説明しています。
このような途方もない金額を、借金することはもちろんふつうではありえないことですが、主イエスは私たちが神に対して持っている罪の深さ、大きさが計り知れないということを示すために、このようなたとえを用いたのです。
それほどの大きい罪だからこそ、ここでは目のなかにある「丸太」とたとえているわけです。たしかに私たちがそんな考えられないほどの罪を持っているのに、他人の罪ばかり見てとがめだてするというのは実に矛盾したことになります。
この罪を処理しなければ、他人の罪についてもどうすることもできないというのはごく自然な指摘だといえます。
ここで言われているように、私たちの罪を処理することは自分では不可能であり、それゆえに、主イエスがその私たちの罪を担って下さり、十字架で死ぬことによって帳消しにして下さったのでした。そのことを信じて初めて、私たちは自分の目にある「丸太」を取り除くことができるわけです。
この罪の赦しを与えられ、それがどんなに大きいかを知って初めて、他者の罪についても、単に見下して裁くのでなく、その人のために祈るように導かれます。その人が自分の罪に気付き、主イエスによる罪の赦しを受けるようにとの願いになるわけです。
私たちが他の人間とかかわるとき、無関心か、裁くか、祈りをもってするかの二つだと言えます。
以上のように、この主イエスのたとえは、単に、「他人の欠点を言うより自分の欠点を直せ」といった通俗的な教訓を述べているのではないのであって、キリスト教の根本である十字架による罪のあがない、罪の赦しを指し示しているのだとわかるのです。
嵐を静めるイエス イエスが嵐を静める(マタイ福音書八章より)
イエスが舟に乗り込まれると、弟子たちも従った。
そのとき、湖(海)に激しい嵐が起こり、舟は波にのまれそうになった。イエスは眠っておられた。
弟子たちは近寄って起こし、「主よ、助けてください。おぼれそうです」と言った。
イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。信仰の薄い者たちよ。」そして、起き上がって風と湖とをお叱りになると、すかっり凪(なぎ)になった。
人々は驚いて、「いったい、この方はどういう方なのだろう。風や湖さえも従うではないか」と言った。
この短い内容は、一見とてもわかりやすいと感じられます。そしてイエスが風や海に命じたらそれらが静まったという記事は、多くの人にはまるで信じがたいことなので、少し読んだらもうあとは真剣に考えることなどやめてしまう人が多数であろうと思います。
しかし、この箇所は昔から多くの人たちによって深い関心を持たれてきたのです。
まずこれは、キリスト教の長い歴史を預言するものになりました。舟とはキリストを信じる人たちの群れであり、教会(集会)を指しています。
そして舟に主イエスが乗り込み、弟子たちもあとに従うということを意味するのです。そして、主イエスが共にいるにもかかわらず、激しい嵐が襲ってくるということは、この福音書が書かれた当時の迫害が激しくなっている状況を暗示しているのです。
イエスが舟に乗り込むと、弟子たちも従った。そのとき、湖(海)には、激しい嵐が起こり、舟は波にのまれそうになった。
ここで、湖と訳されている原語は他の箇所では「海」と訳されています。そして海とは、黙示録などで示されているように、この世とか、サタン的勢力が力をふるっている領域を暗示しています。(黙示録十三章一節~)
キリストが信じる者の集まりに共にいて、この世での歩みを始めたとき、そこに激しい敵対する力が現れたということを示しています。
また、ここで「嵐」と訳された原語(ギリシャ語)は セイスモス(seismos)という言葉ですが、その言葉は新約聖書では十四回ほど用いられています。それらは、ここの箇所以外はすべて「地震」と訳されている言葉なのです。
また、旧約聖書のギリシャ語訳(七十人訳)では、例えばつぎのように、動揺とか混乱という意味でこのセイスモスという語が使われています。
見よ、北の国から大いなる動揺(混乱)が来る。(エレミヤ書十・22)
それは、この言葉のもとになっている セイオー(seio)という語が「揺り動かす」という意味を持っているからです。
私(神)はもう一度、天と地とを揺り動かす。(ハガイ書二・6)
のように用いられています。
マタイがここで、あえてこのような揺り動かすという意味の言葉からきている「地震」という語を「嵐」という意味に用いているのはどうしてでしょうか。
湖(海)に生じた激しい嵐とは、この世における激動を暗示していると考えられるのです。キリスト教が広まっていった時代は、たしかにこの世の政府、ローマ帝国の権力との間で、さまざまの衝突が生じて迫害を受けたのです。それはまさに、海に生じた激動というべきものだったのです。
これは、当時のキリスト者の状況を指し示しているとともに、以後のキリスト教会(キリスト者の集まり)のたどる運命をも預言するものとなりました。そしてたしかにそれ以来二千年のあいだ、たえずキリストを信じる者たちはこの世からしばしばひどい圧迫、迫害を受けてきたのです。
日本でも同様で、キリスト教が伝わってからもたえず激しい迫害の嵐が吹き荒れたのです。キリスト教は一五四九年に初めて日本に伝わりましたが、四十年も経たないうちに、豊臣秀吉によって宣教師の追放令が出され、江戸幕府によって厳しい迫害が行われました。 キリストを信じる者は、すべて改宗を強制され、従わないときには、火山の火口に投げ込んだり、冬の凍る水に投げ込むとか、さかさ吊り、水漬け、蓑をかぶせて火を付けるなどという恐ろしい拷問が行われ、それでも改宗しないときには処刑という状態だったのです。
そのような時代は、まさに「激しい嵐」であり、「激しく揺り動かされる」状態であったのです。そのようなキリスト教徒が後にたどることになった歴史の歩みをこの短い言葉は預言しているといえます。
しかし、単に苦しみや激動の預言だけでは決してありません。ここには、主イエスがともに舟に乗り込んでいるとあります。主イエスはいかに激しくこの世が敵対してキリスト教の真理をおびやかそうとも、それでもなおキリストは教会(キリスト者たち)とともにいて下さっているのだということです。
キリストがともにいて下さっても、無事平安が続くという保障はない、時代や国の状況によってじつに困難な事態におかれることがある、しかしその闇のようなただなかにも主イエスは共にいて下さっているのだということなのです。
舟が波にのみこまれそうになった。イエスは眠っていた。
ここでイエスは眠っていたということの意味を考えてみます。
(一)まず、私たちの困難なとき、神は眠っているのかと思われるほどに助けもなく、恐れに満ちている状態が続くことがあります。これは聖書のなかにも例えばつぎのようにしばしば出てきます。
・わたしの魂は恐れおののいている。主よ、いつまでなのか。(詩編六・4)
・いつまで、主よわたしを忘れておられるのか。いつまで、御顔をわたしから隠しておられるのか。(詩編十三・2)
このように、苦しみのときにもどんなに祈っても答や平安が与えられずに苦しみ続けるときには、神は眠っているのかという思いになるのです。
(二)激しい嵐に飲み込まれそうになる小舟におけるイエスの眠りは、神とともにある平安の象徴として表されています。
小舟が激しい嵐にもてあそばれ、今にも波に呑み込まれそうになっている、そのときには、激しい風の音、波の音、そして弟子たちの叫びうろたえる声が響き、舟自身も大きく揺れ動いていたのですから、そのようなところで、眠っていることなど、本来ありえないはずのことです。
平安など本来ありえないような所にも、キリストは静かにそこにおられる、ほかのどんなものも共にいることはできないような特別な困難な状況、死が近いと思われるような状況のただなかであっても、イエスは私たちとともにいることができる。それは奇跡のようなことです。その奇跡を私たちに告げているのだと言えるのです。
このような状況のもとでも静かに眠っている主イエスのことを書き記したこの福音書の著者(マタイ)は、常識では想像できないイエスの眠りということのなかに、表面だけの意味とは違った意味をこめていたというのがうかがえます。
いかに激しいこの世の動乱の状況のなかでも、主イエスはそこにおられる、平安をもってそこにおられる。弟子たちには気付かなかったけれども、恐れと不安のただなかですら、キリストは神の平安をもってともにいて下さるということをはっきりと示そうとしているのです。
弟子たちは、そのような生きるか死ぬかという瀬戸際に置かれて、できることはただ一つそれは主に向かって叫ぶことでした。
主よ、助けて下さい、死にそうだ!
この単純な叫びを主に向かって言うことができるというところに、神を信じる者の幸いがあります。神を知らない人は、困難のとき苦しみのときに叫ぶ相手を持つことができずに助けを求めることができないのです。
こうした必死の叫びには必ず主は答えて下さる。いかに沈黙しているように見えても私たちがあきらめない限り不思議な助けを与えられるか、主からの平安が与えられる。
それをつぎの言葉は示しています。
主イエスは言われた、「なぜ、怖がるのか。信仰の小さい者たちよ。」そして、起きあがって風と海(湖)を叱ると、大いなる静けさになった。
主イエスがひとたび命じるなら、荒れ狂っていた風も海も静まる、それはいかにイエスの言葉すなわち神の言葉が力を持っているかを示しています。神の言葉こそは、万物を創造していく力であったのです。イエスは神の言そのものであったゆえにこのような自然をも制する力を持っていたのがわかります。
ここで与えられたのは、「大なる静けさ」です。そしてこれこそは、主イエスが最後の晩餐のときに弟子たちに与えると約束した「主の平安」だったのです。
嵐の中にあっても、イエスがともにいて下さることは、奇跡のような恵みであり、そうした守りがあるにもかかわらず、弟子たち(キリストを信じる人たちも含めて)はその事実を信じることができずに、恐れおののいている、そうした弟子たちをたえず励まし、導きつつ主イエスは弟子たちとともに歩んで行かれるのだということなのです。
以上のような内容をもったこの箇所は、二千年のキリスト教の歴史において無数の人たちによって深く体験され、受け継がれてきました。現代に生きる私たちにおいても、つねにここで象徴的に示されているような「波」や、「嵐、動揺」があります。事故や病気、家庭や職場など人間関係の複雑さ、また世界のいたるところにやはり動揺、混乱があります。
そうした闇のなかに生きる人間に対して本当の助けと平安はどこにあるのか、それをこの箇所は指し示しているのです。
イエス・キリストは生きておられるときに、病人や目や耳、あるいは体の不自由な人たちに、神の力を注いで癒され、また新しい生活へと招かれました。そして神だけができると信じられていた罪の赦しをも与えることができる、人間以上のお方であることを示されました。
さらに主イエスは、息を引き取るときにもふつうの人たちとは異なって、驚くべき出来事があったと記されています。
昼の十二時になると、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。
三時にイエスは大声で叫ばれた。「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。・・
イエスは大声を出して息を引き取られた。
すると、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けた。
百人隊長がイエスの方を向いて、そばに立っていた。そして、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、「本当に、この人は神の子だった」と言った。(マルコ福音書十五章より)
全地が暗くなったとありますが、これは何を意味するのでしょうか。これは、旧約聖書のアモス書にある預言が成就したということなのです。
その日が来ると、と主なる神は言われる。わたしは真昼に太陽を沈ませ、白昼に大地を闇とする。(アモス書八・9)
世の終わりには、このように宇宙的な変化が生じると預言されていたのですが、実際に、その預言通りになったという意味が込められています。主イエスの死ということは、世の終わりが間近になっていることを指し示す出来事として当時の人たちに受けとめられているのです。
当時は、イエスという一人の若い人間が処刑されたなどということは、取るに足らない世界の片隅で生じた出来事だと周囲の人々には思われていたはずです。しかし、聖書では、それはきわめて重大な出来事、宇宙的な出来事であったという認識をすでに持っていました。
たしかに、イエスの死は、万人の罪をあがない、それを信じる人を新しく生まれ変わらせることになり、無数の人々を悔い改めに導き、国家を変え、歴史をも変えていく絶大な力となりました。キリスト教が全世界に広がっていく過程で、キリスト教とかキリスト教社会から生み出された文化を受け入れた地方では、そのときからめざましい変化が生じていったのです。日本においても同様でした。
キリスト教では、人間はみな唯一の神の前では平等であって、一人の罪人にすぎないという見方を持っています。その見方は身分差別を土台とする封建体制とは、根本的に異なっているのです。
キリスト教の大きい特徴は、その視野の大きさ、広さです。聖書に書いてあることが、数百年を経てようやく実現するということもあります。また、一部の人だけでなく、あらゆる民族にも伝わっていきつつあります。
この福音書を書いたマルコは、キリストの処刑後三十数年にこの福音書を書いたと考えられています。三十年後ですから、もちろんそれから二千年もの後のことがはっきりわかることは普通ではありえなかったわけです。しかし、聖霊はマルコに人間の予想などをはるかに越えた遠大な見通しを与えたと思われます。キリストの十字架上での死が宇宙的出来事であると知っていた著者は、当然この福音が世界に宣べ伝えられることを啓示として知らされていたと考えられるのです。
次に、イエスが息を引き取るときに、大声で「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」と叫んだとあります。それは「わが神、わが神、どうして私を捨てたのか!」という意味です。
神と等しい本質を与えられ、数々の奇跡を行い、権力にも決して屈することなく、一貫して神の言を宣べ伝え、病人などをいやした驚くべき人イエスがこのような叫びをあげるとは、全く意外です。
死ぬときに、人からも捨てられ、自分の体においてもあまりの激しい苦しみのために「神様、どうして私を捨てたのですか!」と叫んで死んだという人のことを知らされたとすると、まず、それではそのような人は、最後には、神に見捨てられたのだ、どんなに信仰を持っていても、病気には勝てないのだなどと思う人が多いのではないでしょうか。
少なくともこんな叫びをあげて死んでいったらだれしも、その人は絶望して死んでいったと思うはずです。神に見捨てられたからこんな叫びをあげたのだと思うでしょう。
しかし、驚くべきことですが、このような絶望の叫びをあげた主イエスのすぐ側に神はおられ、死の後は、神のもとに連れ帰ったのです。だからこそ、聖霊というお方が死の後に弟子たちに注がれたのです。
私たちが神を信じて生きていても、前途にどんなに苦しいことがあるかもわかりません。しかし、いかに苦しく、また人から捨てられたようになり、実際周囲の人々はあざけり、悪口を言う、そんな状況でも、神の愛と真実を信じて神を見つめることを止めないかぎり、神が見捨てたのでは決してないということです。
これは私たちにとって大きい慰めです。私たちもいつ、重い病気やはげしい苦しみにさいなまれることがあるかわかりません。そしてそのような時には、かつてヨブが言ったように「どうして自分をこの世に生み出したのか」という叫びやうめきが生じてくることが多いはずです。しかし、そのような時、まさに神は最も近くにおられるということを、この主イエスの叫びは表しています。
次に、神殿の幕が真っ二つに裂けたということの意味についてです。
旧約聖書の時代には一年に一度だけ、大祭司が神殿の幕の奥にある至聖所に入って、牛とか山羊などの動物の血を注ぐことによって人々の罪のあがないをしていました。神殿の幕は、人々が神に近づけないことの象徴でもありました。主イエスの死はそのような神殿の幕を破ることによって、だれでも至聖所に入ることができる新しい時代になったことを象徴的に意味しているのです。
現在の私たちにとって至聖所に入れるとは、主イエスとの交わりが与えられることです。
わたしたちが見、また聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたもわたしたちとの交わりを持つようになるためです。
わたしたちの交わりは、御父(神)と御子イエス・キリストとの交わりです。(Ⅰヨハネ一章・3)
神殿だけでなく、この世のいたるところに、そうした目に見えない幕のようなものがあって、私たちが真理に近づくのを妨げています。
この世の生涯を終えて死が訪れるときにも、そこにはいわば分厚い幕がかかっていてそこから奥の世界はどうなっているのか、まったくわからなかったので、旧約聖書の世界においても、死後は暗い影のような世界だと思われていたのです。
しかし、主イエスによってその分厚い幕は切っておとされ、新しい神の国の世界、復活の世界へと入っていくことができるようになりました。
これは、他の領域においてもいえることです。例えば、自然を見るときにも、その背後にある神の御手のわざから成る世界という至聖所へと入っていき、神の御意志の一端に触れることができるようになったからです。
キリスト教から、バッハ、ヘンデル、ハイドン、モーツァルト、ベートーベンなどの永遠に続く音楽家が輩出したのも、そうした人々が神とキリストとの霊的な交わりが与えられたゆえに、音楽の世界の至聖所へと入っていくことが許され、そこで聞き取った聖なる音楽を万人にわかるように広めたといえるのです。
つぎに、キリストの十字架の死は周囲の多くの人たちの前で、なされたため、さまざまの反応があったはずです。弟子たちや、主イエスに従っていた婦人たちなどはどのような驚きと、悲しみを抱いたことだろうかと思われます。しかし、そのようなことは何一つ記されていないのです。
そしてその代わりに、当時ユダヤ人を支配していたローマの一人の将軍の言葉のみが記されています。
「本当に、この人は、神の子であった」という短い言葉がそれです。
これは、人間の感情的な言葉を記すのでなく、以後のキリスト教にとっても、根本的に重要な信仰の内容がここに表されているからです。
神の子とは、神と等しい本質を持ったお方だという意味で使われています。職業も家庭も、この世の楽しみなど一切を捨てて主イエスに従った弟子のペテロですら、数々の奇跡やイエスの絶大な力を見ていながら、イエスを神の子と信じることは、弟子となってだいぶ時が経ってからであったのです。それは、主イエスが、エルサレムに行って捕らえられ、十字架にかけられるという最後のことを予告する直前でした。三年間もイエスに従っていても、イエスが殺されるときが近づいてようやく、ペテロはイエスが神の子であるとわかったのです。
イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」
シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。
すると、イエスはお答えになった。「あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。(マタイ福音書十六・16)
主イエスがただの人間でなく、神と同じ本質を与えられている存在であるということは、決して、頭で考えたり、人から言われただけではわからない、それがわかる
のは、神から直接に示される(啓示)必要があったことを右の箇所は示しています。
だれかが、重罪人として処刑されたら、そんな人にだれも見向きもしないようになるのが普通です。とくに世を指導していた人がそんなになれば、それを見ていた人は、力がないからあんなにむごい死に方をしたのだと思うようになるはずです。
しかし、意外なことに主イエスの死においてこれ以上無力な死に方はないと思われるほどであったのに、そして弟子たちはみんな逃げてしまったというのに、そのような悲劇のただなかに、「イエスこそは神の子だ!」と深く心に啓示を受けた人がはやくも生まれたということなのです。
これは驚くべきことです。神の子とは神と等しい実質を持つお方であると見なされていました。だから、ヨハネ福音書には、イエスが神の子であるといったとのことで、神を冒涜しているとして死刑にすべきだとさえ言われたのです。
それほどまで当時の人々にとって、神の子だということは特異な呼称でした。ユダヤ人はモーセやダビデ、エリヤなど最大の人物すら、神の子だとは言われていないのです。
しかもイエスの死に方を見て、神の子だったと告白したのは神のことをよく知っているはずのユダヤ人でなく、ローマ帝国の百人の兵を従えている将軍でした。
これは、のちに、ローマ帝国の人々がキリストを神の子として受け入れるという預言ともなっているのです。そして、事実、このマルコ福音書が書かれてから、二百五十年程ののち、ローマ帝国は正式にキリスト教を受け入れ、国教とするまでに変わっていったのです。
このように主イエスが、「わが神、わが神、どうして私をすてたのか!」との絶望的な叫びとみえる声をあげた時、死そのものがすでに神の子であることを宣べ伝える働きをしていたのです。それは、神がなさったことであり、苦しみあえいで、息絶えていった主イエスのすぐ側で神が見守り、祝福されたことを証しするものとなったのです。
休憩室 年賀状、木の実
○年賀状
毎年新年には、多くの方から年賀状を頂きます。私のほうは毎年「はこ舟」誌を送っているので、年賀状を出す余裕がなく、何らかの理由がある場合以外は、出していません。
年賀状を形式だから止めよう、虚礼廃止ということもずっと以前からよく言われてきました。しかし、私が頂く年賀状のなかには、年賀状に自分の今までの歩みや、家族の歩みなどを書いてその反省と新しい年への願いを書いたもの、または、聖書の言葉を書いて、受け取る人が少しでも神の言に関心を持ってもらいたいとの願いを込めて出しておられる方もいます。
日本人の平均的な人では、一年間に手紙を書くのはわずかに数通だと聞いたことがあります。
このような状態のなかで、神の言を書いて日頃連絡もしない人に送るのは、そこに祈りが込められているなら、神が用いて下さる器となると思われます。
今年頂いた年賀状に記された聖書の言葉の中からいくつかをあげてみます。
・私たちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けた。(ヨハネ福音書一・16)
・主があなたに対して抱いている計画は、平安と将来と、希望を与えようとするものである。(エレミヤ書二十九・11)
・私たちの国籍は天にある。(ピリピ書三・20)
・主は人の一歩一歩を定め、御旨にかなう道を備えて下さる。(詩編三十七・23)
・あなたのみ言葉はわが足のともしび、わが道の光です。(詩編一一九・105)
・主を待ち望め
雄々しかれ
汝の心を堅うせよ
必ずや主を待ち望め (詩編二七・14)
これらの聖書の言葉は、短いけれども、永遠の真理です。数千年をも越えてきた味わいがあります。そのように長い間、人の心を流れてきた真理なので、もし新年にあたってこうした一つのみ言葉が私たちの魂に深くとどまるならば、その年賀状は軽い一枚の紙ではあっも、重い意味を持ったことになります。
○冬になっても赤い実を残している植物があります。わが家の周辺で見られる野生植物のうちには、ヤブコウジ、カラタチバナ、マンリョウ、カラスウリ、ソヨゴ、サネカズラ、サルトリイバラ、シロダモなどがあり、栽培しているものには、ナンテン、ピラカンサ、オモト、フユサンゴといった植物たちです。
また、黒い実をつける植物たちには、ヒオウギ、ネズミモチ、ヤブラン、クスノキ、ヤブニッケイなどがあり、紫色の実には、ヤブムラサキ(ムラサキシキブのなかま)、そして白い実をつけるものでは、スズメウリ(カラスウリの仲間)や、街路樹や公園樹としてよく植えられているナンキンハゼなどが思い出されます。
これらのうち、市街地でも見られるものは、クスノキ、ナンキンハゼ、トウネズミモチ(公園などでは野生種のネズミモチはあまり見られない)、ムラサキシキブ、ピラカンサなどの実だと思われます。
このように、植物たちは、その木の姿や、葉、花などのの形、色、表面などみないろいろと違っていますが、実もまたさまざまの形になって直接的には、小鳥たちの冬季における貴重な食物となっていますが、私たち人間にとっても、生活に潤いを与え、花が終わったのちにまた、新たな美しさを私たちに見せてくれるものとなっています。このようにして、神が創造された自然の多様性の素晴らしさを年間を通して私たちに知らせてくれるものとなっています。