今月の聖句

私が顧みるのは、低い人、心砕かれてわが言葉におののく人。

(イザヤ書六六・2より)



20005月 第472号・内容・もくじ

リストボタン真実とキリスト教

リストボタン道 ―詩編百十九編

リストボタン静かなる細き声

リストボタン憲法を変えることについて

リストボタン無教会とは

リストボタンことば

リストボタン休憩室

リストボタン返舟だより

リストボタン集会案内



リストボタン真実とキリスト教

聖書は何を教えるか、それは真実である。
 聖書にはかずかずの不思議が書いてある。海が分かれ、荒野にマナが降り、死人がよみがえり、重病人が治る、目の見えない人が見えるようになる等など。

 十字架も復活もある。
 それらを一貫して流れているのは、神の比類のない真実である。誠実である。そして悪の満ちたこの人間の世にあって、数千年という長い間、その真実なる力、誠実の力を示し続けてきた。

 私たち自身がいかに不真実であっても、なお、神は真実である。人間がすべて偽りに満ちた存在であっても、なお、聖書にいう神、キリストの父なる神は真実である。

 私たちがたとえ人が知ろうと知るまいと真実に対処するなら、そこに必ず何かよいことが生じる。忍耐をもって真実な心を続けるとき、神は報いられる。

 逆にもし私たちが不真実なことを続けるとき、必ず神は、何らかの報いをなし、それを警告し、あるいは罰せられる。

 私たちはそのような誠実の神を知らされていることが最大の恵みだと思う。

 


リストボタン継続と力

 真理に従おうとしても、私たちは自分の弱さや醜さからくるさまざまの罪の力に打ちまかされそうになることがしばしばである。

 聖書に表されている真理、キリストにすべてが含まれている真理に従う道に時には疲れることもある。

 なにかよきことを始めてもすぐにいろいろの妨害する力が現れてやっていけなくなることが多い。

 しかし、そのような時にこそ、私たちは継続が力であると知らされる。

 どんなものよりも「継続」しているのは、聖書で示されている神であり、キリストであり、神の言たる聖書である。私たちが神を信じ続けていくとき、継続の神であるゆえにその神が私たちの心を祝福して下さるのである。

 


リストボタン集会の継続

 キリスト教の集会についてもそれは言える。共に日曜日に集まり、ともに祈り、讃美し、聖書を学ぶ。ただそれだけであって、何も金を得ることやこの世の地位が上がること、病気が必ず治るというのでもない。

 しかし、そのようなキリスト教の集会を継続していくとき、そこに不思議な祝福が与えられる。思いがけない人がそこに導かれ、出会いがあり、参加する人たちの間で互いに学びあい、助けあいも生じる。

 継続するとは、神を待ち望むことであり、妨害しようとする力の背後にある神の導きを信じ続けることである。

 そこに神は必ずこたえて下さる。

 キリストの名によって集まるとき、キリストもその中に共にいて下さると約束されている。

 キリストの名によってとは、キリストご自身を私たちがしっかりと仰ぎつつ集まるということであり、人間の趣味、サークル、娯楽の集まりのように人間同士の交わりや楽しみを見つめて集まるのではない。

 しかし、キリストを見つめて、キリストに結びついて集まるといっても、だれでも最初はキリストのことはおろか、聖書のこともわからない。

 しかし、その集まりの内の二人、三人であっても真剣にキリストと神のことを見つめて集まるなら、初めての人、人間の慰めを求めて集まった人にも、主は祝福を注がれる。

 神の言を中心として集まるということは、不思議な力を生み出してきた。すでに、キリスト以前の五百年ほども昔、旧約聖書を生みだしたイスラエルの人々はバビロニアという遠い異国の地につれ去られていた。

 そこで彼らは五十年ほどを過ごすことになった。普通なら、民族は消滅してしまうにもかかわらず、イスラエル民族は滅びてしまわなかった。

 それはなぜか。彼らは異国の地にあっても、神の言を第一とし、神の言を中心として集まりを保ち続けたからであった。

 そうして神の言を学び、ともに礼拝のために集会を死守していった人々にこたえて神は、再びイスラエルの地に帰ることができるようにされた。これは奇跡的出来事であった。神の言を守り続ける者に与えられる不思議なわざであった。

 その後、キリスト教の時代になっても、集まりを続けるということは一貫していた。キリストご自身がいつも十二人の集まりを保って行動された。

 キリストが死刑になった後も、人々は集会を続け、祈りを真剣に行っていたところに、神の霊(聖霊)がゆたかに注がれて、弟子たちに新しい命が注がれ、キリスト教が伝えられていったのである。

 まもなく生じたローマ帝国による迫害の長い時代にも、キリスト者たちは集まりを決して止めなかった。集会が禁じられると、延長が数百キロもあるという迷路のような地下の墓所(カタコンベ)にて、暗く空気も汚れた中において、集会を続けた。

 どんなことがあっても集会は止めないというその姿勢はこうして長い歴史のなかでも常に祝福され、そこから新たな力が注がれていったのである。

 今日の私たちも同様であり、さまざまのこの世の力や目に見えないサタンの勢力に打ち負かされないために、私たちはキリストの名によって集まり続けるのである。

 


リストボタン

 私たちに最も身近なものの一つ、それは道です。どこに行くにも道を通っていく。高速道路、広い道、狭い道、混雑した道、田舎の道、ぬかるみの道、山道等など。それらの道はどこかへと続いています。

 こうした目に見える道のほかに、目には見えない道があります。

 聖書においても、すでに最初の創世記から「命の木に至る道を守るために、エデンの園の東にケルビムと、きらめく剣の炎を置かれた。」(創世記三・24とあって、早くも普通の道路とは違った、命にいたる道という表現が現れます。

 そしてつぎには、「神は地上を見られた。見よ、それは堕落し、すべての人々はこの地で堕落の道を歩んでいた。」(創世記六・12と記されています。

 このように、聖書の一番はじめから、命への道があるということと、堕落への道が示されています。

 聖書とは、この二つの道について一貫して書いてある書物であるということができます。そして、命への道とは、

あなたの神、主の戒めを守り、主の道を歩み、彼を畏れなさい。(申命記八・6

 とあるように、一言でいえば、「主の道」です。これは、このように、神の戒めを守り、神をおそれる道であり、神の道からそれたら神からの罰をいつも恐れていなければならないというニュアンスがあります。

 たしかに、旧約聖書においては、主の命じられる正しい道からそれるときには、のろいがあり、災いが生じることは繰り返し言われています。神の道とはあまりにかけ離れた人間がはじめからそんな道に背を向けてしてしまうということは、聖書でも創世記の最初から見られます。

 神の道というと厳しく、けわしいものというイメージがあります。そこには楽しみとか喜びなどとは結びつかないような堅いものを感じる人が多いのではないでしょうか。

 神の言に従う道は、たしかに厳しい一面があります。歴史を見ても神の言に従うがゆえに迫害を受け、殺されるまでに圧迫された人たちも数多くいます。

 それは主イエスご自身も同様でした。神の言に従う道とは神の御意志に従う道であり、時には耐えがたいほどの苦しみが襲ってくることもありました。

 パウロもつぎのように述べています。

兄弟たち、アジア州でわたしたちが被った苦難について、ぜひ知っていてほしい。わたしたちは耐えられないほどひどく圧迫されて、生きる望みさえ失ってしまいました。

 わたしたちとしては死の宣告を受けた思いでした。それで、自分を頼りにすることなく、死者を復活させてくださる神を頼りにするようになりました。

 神は、これほど大きな死の危険からわたしたちを救ってくださったし、また救ってくださることでしょう。これからも救ってくださるにちがいないと、わたしたちは神に希望をかけています。(Ⅱコリント一・810

 しかし、旧約聖書の詩編のなかで、主の道について繰り返し述べている詩がありますが、そこでは、この道を歩くときに何が伴うかが書かれています。

どのような宝にもまさって、私はあなたの定めの道を喜ぶ。

私はあなたの命令に心を砕き、

あなたの道に目を注ぐ。

私はあなたのおきてを楽しみとし、

み言葉を決して忘れない。(詩編一一九・1416

 この詩編で定め、命令、おきて、律法などといろいろに表現されているのは、わかりやすく言えば、「神の言」ということです。詩であるから同じ言葉を使わず異なる表現を使っているわけです。それでこのような多様な表現も現在の私たちには、つぎのように、「神の言」と置き換えて読むとわかりやすくなります。

私は神の言に心を砕き、

主の道に目を注ぐ。

私はあなたの言葉を喜びとし、

み言葉を決して忘れない。

 この詩には、ふつうは神の言に従うことは窮屈なこと、縛られるようなものと感じることが多いなかにあって、神の言に従う道を歩くために、神がまず心を広くして下さっていることが告げられています。

あなたによって心は広くされ、わたしは戒めに従う道を走る。(詩編一一九・32

 たしかに私たちは単なる戒めだけでは心は狭くなり、縛られているように感じてそのようなものから遠ざかりたくなってしまいます。聖書に示された道は、最も厳しいようでありながら、旧約聖書の時代から現在までの数千年もの間、世界で最も多くの人たちがそこを歩んで命に達した道となったのは、その厳しさの背後に、神が直接に私たちの心にふれて私たちの心を広くして下さるという事実があるからです。

 狭い心とは、自分中心の心であり、自分しか見えない心ですが、それはどんな人にも深く残っています。パウロのようなだれも越えることのできない大使徒であっても、なお「自分は欲していない悪をしてしまう」との深い嘆きの声をあげたことがありました。

 自然のままの人間には、思うままに心を広くすることはどうしてもできない。しかし、神が私たちに手を触れて下さるときに私たちの心は広くされ、狭い道、けわしい道をも主に導かれて歩み始めることができるようになるわけです。

 この詩の作者は、神によって心を広くされる経験をしたゆえに、神の言を愛することができるようになったと思われます。

わたしはあなたの戒めを愛し、それを喜びとする。

あなたに向かって手をあげ、あなたのおきてを深く思う。(4748節)


 神の戒め(神の言)を愛することができるというのは、神を愛するからです。人間においても、ある人を愛していたら、その人の言葉をも好んで耳を傾けるし、逆に嫌っていたらその人の言葉も同時に嫌うのであって、言葉とその人とは深くつながっています。

 旧約聖書では、神を愛するということは、少ししか現れていません。神を畏れる、ということが信仰を持つということの別の表現でもあったことでもわかるように、人々はその罪への罰を受けることを恐れていたのであって、アブラハム、ヤコブ、モーセなどの代表的な信仰の人物においても、彼らが神を愛したというような表現はほとんど見あたりません。

 しかし、この詩の作者は神の道が、苦しみだけでなく、喜びをも与えるものであり、神はおそれるだけでなく、愛することができるお方であることを知っていたのがわかります。

 また、この詩の作者は、神の道を歩むことは神の命が与えられることであるのも知っていました。

むなしいものを見ようとすることからわたしのまなざしを移してください。あなたの道に従って命を得ることができるように。(37節)

あなたのみ言葉はわたしに命を得させる。苦しみの中でもそれに力づけられる。(50節)

 神の言葉が、私たちを生き生きとさせる、命を与えるということは、多くの人にとってはわからないことだったようです。しかし、旧約聖書の詩編には、このようにそのことを知っていた人もすでにいたのです。

 こうした神の言への愛があったからこそ、この詩人は昼間に神の言葉に従って生きるだけでなく、夜においても、神へのまなざしをいっそう強く持っていたのが次の言葉でうかがえます。

主よ、夜ともなれば御名を唱え、あなたの律法を守ります。

あなたの命令に従うこと、それだけが、わたしのものです。(5556節)

 電気のなかった昔は、夜は長い時間がありました。ひとたび外に出るなら深い沈黙があったのです。現代の私たちは、夜に光がこうこうと輝いているのが当たり前と思っています。しかし、それは電気が見いだされてからのことであって、エジソンが白熱電球を作りだしたのが今から百二十年ほど前でしかありません。それまでの長い間、人間にとって夜は暗いのが当たり前であって、この詩人はその長い夜の時間をも、神の名を思い、神への祈りをもって時間を過ごすことが多かったのがうかがえるのです。

 これは、他の詩人によっても見られます。

昼、主は命じて慈しみをわたしに送り、夜、主の歌がわたしと共にある

わたしの命の神への祈りが。(詩編四十二・9

 夜の長い沈黙の時間も、神との交わりに用いた古代の信仰者のすがたが、こうした詩から浮かび上がってきます。神を愛することを知っていた詩人、そしてその神の言に生きることを喜びとすることができたゆえに、こうした一人で静まる夜の時間にも、祈りをもって神に向かうことができたのです。

 


リストボタン戦争と平和 詩編120

都に上る歌。

苦難の中から主を呼ぶと、主はわたしに答えてくださった。

「主よ、わたしの魂を助け出してください、偽って語る唇から、欺いて語る舌から。」

主はお前に何を与え、お前に何を加えられるであろうか、欺いて語る舌よ

勇士の放つ鋭い矢と、えにしだの炭火を付けた矢!

ああ、私はメシェクに宿り、ケダルの天幕の傍らに住む。

平和を憎む者と共に、わが魂はすでに久しくそこに住む。

平和をこそ、わたしは語るのに、彼らはただ、戦いを欲する。

 この詩の作者のまわりは、すでに長い間敵対する者たちがいた。それらは、悪意をもって中傷し、あるいは、偽りを語って陥れようとする。そこにはただ執ような悪意のみがあった。

 それに対して作者は、ただ平和(シャローム)であろうとした。私は平和に心を注ぐ、しかし、敵対する者たちは、戦争に心が向かっている。

 作者は、メシェクやケダルという、祖国からはるかな遠くに住んだ。しかし、そのような所でも、敵対する者たちはいた。どこに行っても、私は平和へと心を向けていたのに、彼らは戦いに心が向かっていた。

 戦争と平和、これこそ世界のいたるところで、古代から現在にいたるまで問題となってきたところである。

 現在の日本もまさに昨年国会で決まってしまったガイドライン関連法案や、平和憲法改悪問題などとして、この問題が大きく浮かび上がっている。

私は平和、それなのに彼らはただ戦いを欲する・・(7節)

 そしてこの詩人が深く嘆いたように、メセクに宿り、ケダルのテントのかたわらに住んでいても、そのような遠く南北に遠く離れた場所に行っても、どこにいっても、平和を語るときにそれを破壊しようとする力がそばにあった。しかもその力は、なくならない。あまりにもその闇の力とともに置かれたのである。

 この地上では闇の力からどんなに離れようとしても、そこに捕らわれて、生涯苦しみにあう人も多い。

 この詩が、なぜ「都(エルサレム)に上る歌」を集めた詩のはじめに置かれたのか、その理由は五節の言葉から推定できる。

 メシェクとは、現在のトルコ地方の北東部であり、ケダルとは、アラビア砂漠の北部であるから、当時の人々の念頭にあった南北の広い範囲を含めて述べていると考えられる。そのような広い地域のどこに行っても、敵対する者に苦しめられ、悩まされ、そのなかから、神に叫び求め、その叫びに神がこたえて下さったということを意味している。

 こうした世界のあちこちに住んでいた離散のユダヤ人が、年に三度のエルサレムでの大きな祭に上ってきて神殿にて礼拝を捧げようとするときに、その心を表したものだとされている。

 エルサレムとは、「シャレム(シャーローム・平和)の基礎」を意味するとされてきたゆえに、そのエルサレムに上るとは、平和の基礎に向かって上るという意味を含めていると考えられる。

 平和を求め続ける者を踏みにじろうとする勢力が現実には耐えず取りまいており、それらが平和を求める人たちを苦しめる。しかしその苦しみのただなかから、神に向かって叫ぶときに必ず神はこたえて下さる。その経験をこの詩は表しているのである。

 六節の原文は、簡潔に「私は平和」とだけある。私たちもまた平和を求め続ける。

 そうした平和への深い願いは、キリストによって与えられることになった。社会的な平和の本当の基礎がキリストによって初めて与えられたのである。

実にキリストはわたしたちの平和である。(エペソ書二・14

 キリストによる平和を実感してその平和の源であるキリストを伝えることこそキリスト者の大きな使命だと言える。

 


リストボタン静かな細き声

 イゼベルは、エリヤに使者を送ってこう言わせた。「わたしが明日のこの時刻までに、お前の命を奪っていなければ、神々が幾重にもわたしを罰するように。」

 それを聞いたエリヤは恐れ、直ちに逃げた。ユダのベエル・シェバに来て、自分の従者をそこに残し、彼自身は荒れ野に入り、更に一日の道のりを歩き続けた。

 彼は一本のえにしだの木の下に来て座り、自分の命が絶えるのを願って言った。

「主よ、もう十分です。わたしの命を取ってください。わたしは先祖にまさる者ではありません。」

 彼はえにしだの木の下で横になって眠ってしまった。

 御使いが彼に触れて言った。「起きて食べよ。」

 見ると、枕もとに焼き石で焼いたパン菓子と水の入った瓶があったので、エリヤはそのパン菓子を食べ、水を飲んで、また横になった。

 主の御使いはもう一度戻って来てエリヤに触れ、「起きて食べよ。この旅は長く、あなたには耐え難いからだ」と言った。

 エリヤは起きて食べ、飲んだ。その食べ物に力づけられた彼は、四十日四十夜歩き続け、ついに神の山ホレブに着いた。

 エリヤはそこにあった洞穴に入り、夜を過ごした。見よ、そのとき、主の言葉があった。

「エリヤよ、ここで何をしているのか。」

 エリヤは答えた。「私は万軍の神、主に情熱を傾けて仕えてきました。ところが、イスラエルの人々はあなたとの契約を捨て、祭壇を破壊し、預言者たちを剣にかけて殺したのです。

 わたし一人だけが残り、彼らはこのわたしの命をも奪おうとねらっています。」

 主は、「そこを出て、山の中で主の前に立ちなさい」と言われた。見よ。そのとき主が通り過ぎて行かれた。

 主の御前には非常に激しい風が起こり、山を裂き、岩を砕いた。しかし、風の中には主はおられなかった。風の後に地震が起こった。しかし、地震の中にも主はおられなかった。

 地震の後に火が起こった。しかし、火の中にも主はおられなかった。

 火の後に、静かな細い声が聞こえた。

 それを聞くと、エリヤは外套で顔を覆い、出て来て、洞穴の入り口に立った。・・

 主はエリヤに言われた。「行け、あなたの来た道を引き返し、ダマスコの荒れ野に向かえ。そこに着いたなら、ハザエルに油を注いで彼をアラムの王とせよ。

ニムシの子イエフにも油を注いでイスラエルの王とせよ。またアベル・メホラのシャファトの子エリシャにも油を注ぎ、あなたに代る預言者とせよ。(旧約聖書・列王記上19章より)

 ここで引用した聖書の内容は、旧約聖書の列王記・上からである。

 エリヤという預言者は今から二千八百年以上も昔の人である。そんな昔の人であるけれども、現代の私たちにも強い印象を与える預言者である。

 エリヤは、神の力を与えられ、数々の奇跡をすることができた。当時の偶像崇拝の状況に対して、きびしい批判を続け、本当の神への礼拝を命がけで説き続けた人であった。

 死人をよみがえらせたり、干ばつを予言したり、そのきびしい日照りのただなかで、ある川のほとりに移り、そこでカラスがパンを運んで来て支えられたという不思議なことも記されている。

 また、彼の激しい祈りにより、天からの火が下ってきて偶像につく人々が滅ぼされたということもあった。

 そして最後には、エリヤは嵐のなかを天に上っていったという、聖書の多くの預言者のなかでもほかに例をみないような人であった。

 にもかかわらず、私たちが驚かされるのは、そのような神の力に満ちた人でありながら、他方ではとても弱い側面を持っていたということである。

 ここで神が語りかけているのは、エリヤという預言者に対してである。彼はかつて深い祈りによって、天からの火をも呼ぶことができ、偶像の預言者たちを滅ぼし尽くしたほどの、力ある人であった。

 しかし、イゼベルという王妃はエリヤをどんなことがあっても、一日のうちに殺してしまうとの固い決意をもった。そのイゼベルの激しい憎しみを受けると、あれほど神の力を受けていたはずのエリヤは、恐れて直ちに砂漠へと逃げていった。

 そしてもう逃げられないと思って、死ぬことを望むようにすらなった。力もなく、希望もなく、平安も失われていったのである。そして、自分自身の使命も分からなくなってしまった。

 どうして祈ることをしなかったのか、なぜ神はエリヤに力を与えなかったのか、少しまえにあれほど神の力をまざまざと目の前で見て、神の力はいかなる偶像の力にも増して強力であると知っていたエリヤがどうしてこのようにただちに恐れてはるか遠くの砂漠地帯まで逃げていったのだろうか。

 彼がはるか南方のオアシスに逃げていき、さらにそこから砂漠に入ってただ一人で、一本の木の下にて座り、「主よ、私の命を取って下さい!」という悲痛な叫びをあげ、あまりの疲れと絶望のためにそのまま眠ってしまったのである。

 夜になれば、著しく温度が下がる砂漠地帯においてそのまま、水もなく、眠りこんだなら死んでしまうことは確実であった。

 自分の家のなかで、死にたいと思うのでなく、はるばる遠くまで逃げていったのであるが、その途中でも神からの励ましはまったくなかったということなのである。あれほど神の声や神からの力を受けた人であっても、このように、絶望的になることが有り得るのだということに、私たちは驚かされる。

 このことからも聖書は、どんなにめざましい働きをした人であってもその本質は弱く、力のないものなのだということを示そうとしているのがわかる。

 エリヤがそうした死に瀕した状態から立ち上がることができたのは、ひとえに神の力によってであった。そのようなエリヤのところに神からの使いが訪れ、パンと水が置かれてあったという。それに気づいたエリヤは水を飲み、パンを食べて再び体を横たえた。

 生きて働く神の力に再び触れたエリヤは、もういちど、神からの使いによって今度は、かつてモーセが神の言を与えられたホレブの山(シナイの山)へ行くことになった。エリヤが死を願って眠りこんだ場所(ベエルシバ)から、そのホレブまでは、数百キロもある遠いところである。

 そのような遠い所までどうして行かねばならないのか、エリヤには不可解であっただろう。しかし、神からの使いによって命を救われ、再び力を与えられたエリヤには、そのような遠い道も、また何のために行くのかも知らずして出発することができた。

 私たちは生きて働く神が自分に触れて下さったことを実感し、神の口から出る言葉によって強められるときに、ふだんなら到底考えることもしなかったこともできるようになる。

 神を信じて着手してみなければ、どれほどの力が与えられるかわからない。

 エリヤは四十日、四十夜を歩き続けて、ホレブの山にたどり着いた。しかし、そこでもどんな目的のためにはるばるそのような長距離を歩いてきたのかは示されない。

 ただ、エリヤは神に示された道をずっと歩いたのであった。

 その山はかつてモーセが神からの言葉を直接に受けた山であった。このエリヤの記事には、そのモーセのことが意識されているのがわかる。

 神はそこでエリヤに語りかけた。「エリヤよ、ここで何をしているのか。」と。この問いかけによってエリヤの心が問われた。彼は自分のした大きい働きとイスラエルの人々の腐敗、そして自分の命の危険を神に話した。それは、いくら神の力で奇跡をしてもどうにもならない事態への悲しみと絶望であっただろう。

 神から与えられた食物によって力を受けて、遠いこのシナイの山にたどり着いてもなお、エリヤの心は新しい方向を見いだせずにいた。どんなに神の奇跡を見てもそれをさらに上回るような、悪の力の攻撃に疲れはてた姿がここにある。

 そのようなエリヤに対して、神は山の中で立つことを命じた。

 そのとき、山を裂き、岩を砕いたとされるほどの激しい風が生じた。また、大地を揺るがす地震も生じ、さらには、全てを消滅させる力のある火が生じた。

 これらはエリヤがかつて経験した神の奇跡をも暗示している。どんなに雨や嵐が神の力で起こされても、また火が天から注がれて悪人を滅ぼそうとも、それでもなお、神のご計画はそれとはまったく別の手段が必要なのであった。

 それは、人間の心に語りかけ、その人間を器として用いることなのである。

 長い歴史のなかで神は外見的によく見える奇跡を用いる一方で、つねにこの方法をとってこられた。

 激しい風、地震、火これはみな、最もエネルギーに満ちたものである。山をも裂くほどの嵐とは、大規模な台風のようなものであるが、それは莫大なエネルギーを持っている。また、地震も強固な山や大地をすら動かすものであり、火はあらゆる現象のなかで最も根本的に変える力を持っている。

 これらは最もめざましくその力を感じさせる現象である。しかし、そうしたものにまさって、人間の魂の奥深くに語りかけられる静かな神の声こそは、何にもまして人間を動かして神のために働かせるものとなる。

 弱い人間であっても、神は大きい力を託される。エリヤも苦しみに直面したときに、死を求めて、確実に死ぬと思われるような砂漠に入って行った。本来このような弱さをもっていたエリヤであったが、それでも奇跡をなす力が与えられたのだとわかる。

 これは、キリストの弟子たちも同様であった。主イエスに従ってまだ数年にしかならない者たちであったが、病人をいやし、悪霊を追い出す力を授けられたと聖書は記している。しかし、だからといって、弟子たちはどこまでも強い人間であったのでなく、イエスが捕らえられるときには、みんな逃げてしまって、ペテロは三度も「イエスなど知らない」という嘘をついてしまったほどである。

 そうした弱い弟子たちが、約束のものを待ち望んで祈りを続けていたとき、神から聖なる霊が注がれそこから弟子たちは動き出すことができたのであった。

 エリヤも似たことがあった。自分の弱さを思い知らされて、そこから神の力で立ち上がり、神からの直接の静かな細い声を聞くことによって、新しい使命へと導かれて行ったのである。

 神の静かな細い声を聞き取るため、内に語りかけられる神の声を聞いて新しい命令を受けるために、命を失いかけるほどの苦しみが必要であった。自分の力では死ぬしかないほどに弱いもの、絶望的になるものだということをエリヤは思い知らされたのである。

 神の直接の静かな声を聞くために、このような大きい苦しみを経る必要があったのを知って驚かされる。

 私たちも新しい神からの役目を受けるために、このような長い歩みと苦しみが必要となることがある。

 あるキリスト教思想家はこの箇所についてつぎのような説明を加えている。

 いわゆる「神の探求」については、列王紀上第一九章(特にその一一・一二節)にこの上なく見事に描かれている。それには、人生目的に対する絶望や火や嵐がつねに伴いがちである。

 しかし、正しいものはおだやかな説き勧めの声をもって訪れてくる。・・

 だが、パウロのように、かすかな神の声に向かって開かれた耳を獲得するまで、忍耐し抜く者はきわめてまれである。けれども、あらかじめ疾風怒涛の苦悩の時期を経なければ、人の心は十分に開かれることがない。(ヒルティ・眠れぬ夜のために下 五月九日の項)

 このように、ここで記されている激しい風や地震、そして火というのは、人間が直面する数々の苦難をも暗示ししていると受け取ることもできる。そうした長い鍛錬の期間を経て、私たちはようやく静かな細い神の語りかけに応じる耳を持つようになるのである。

 


リストボタン憲法を変えることについて

 最近憲法を変えようという動きがとくに目立ってきた。

 この太平洋戦争の後にできた現在の憲法を変えようという動きは、すでに一九五〇年頃から現れていた。

 こうした状況を受けて、平和憲法はとくにキリスト教の平和主義と深い関わりがあるので、憲法の改訂問題について考えてみる。

 戦後新しい憲法をつくるときに、日本の政府がその案を作成したが、それは明治憲法と本質的に変わらない内容のものであった。

 それは、帝国憲法の天皇に関する第一条から第四条までは改正を加えることなく、ただ、「天皇ハ神聖」というのを、「天皇ハ至尊」つまり、天皇はこの上なく尊いというように変えただけであった。

 その上、議会の審議を天皇制に及ぼさないために、改正条文以外の審議を禁じる方針を示したのであった。

 太平洋戦争であれほどの多大の犠牲を引き起こし、そのために二度と戦争をしないという決意のもとで、憲法をつくらなければならないにもかかわらず、日本の政府が公式案として出したのは、明治の憲法とほとんど変わらないものでしかなかった。

 それほど政府が固執した大日本帝国憲法とはどんな本質を持っていたのか、そのはじめの部分を見てみよう。

 大日本帝国憲法より

第一条 大日本帝国は万世一系の天皇之を統治す

第三条 天皇は神聖にして侵すべからず

第四条 天皇は国の元首にして統治権を総攬(そうらん)し此の憲法の条規に依り之を行ふ (読みやすくするために、カタカナの部分を平かなに変えてある)

 また、この天皇の主権の主体としての天皇は、現在の天皇でなく、その祖先(その極限として天照大神)であり、その意思は古事記に書いてある、天孫降臨(てんそんこうりん)のときの言葉に基づくとされる。

 要するに神話にすぎない天照大神(あまてらすおおかみ)の意思が日本の天皇制の権威の根源だとされているのである。

 このような神話を少し調べるとわかることだが、そこで記されている天照大神はイザナギという神が左目を洗ったときに生じた神にすぎないのであって、そのとき、右目を洗ったとき月読命(つくよみのみこと)や鼻を洗ったときに生じたスサノヲの命(みこと)がある。

 これらの神々のほかにもイザナギの神が投げ捨てた杖や帯、袋などからも神々はつぎつぎと生じたのであって、いろいろなものを洗ったときに生じた神々と同じように偶然に生じたものであって、なんらそこには正義や真実、あるいは、純粋な愛などというものがない。権威とかいうものはない。

 このような神話にすぎない神々が日本の明治天皇の権威の基盤をなしていて、それが憲法にも及んでいるとは驚かされる。

 しかも、そのような神話に基づく天皇の権威というものが、現在でも君が代、日の丸の強制といった形で何かにつけて現れてくる。

 そしてこともあろうに、現職の総理大臣が、「日本は天皇を中心とする神の国だ」などという奇想天外なことをいう始末である。首相がいう、神とは、すでに述べたような神話の神々にすぎない。古事記に記されているような悪いことも平気でするような神々の国だなどということは、日本を何の目標も理想もない神話的な国だと言っていることに等しい。

 明治憲法とその根本がほとんど変わらない内容が公式の政府案であったから、それでは戦争を二度としないということ、国民主権、基本的人権の尊重といった重要な内容は到底作成されないというのははっきりしていた。

 そこで連合国最高司令官マッカーサーは憲法の草案を作成し、それを政府も受け入れることになった。その後議会での審議を経て、まもなく公布されて、翌年一九四七年五月三日に実施されることになった。

 以上のような経過を見れば、日本の現在の憲法はマッカーサーの強い指導がなければ、到底できていなかったのは明白であり、もし、日本政府が考えた憲法がそのまま決まっていれば、明治の憲法と根本においてほとんど大差ないものになってしまっていたのである。

 これを押しつけだとして、自主憲法と称して新しい憲法に変えようとするのが現在の憲法議論の中心にある。

 しかし、あのおびただしい人命が失われ、国土の主要部分が焼け野原となってもなお、戦争を止めようとせず、一億総玉砕などといっていたその動きは、連合国から激しい空襲をうけ、原爆を落とされ、ソ連までが戦争に加わり、ポツダム宣言をつきつけられて(押しつけられて)やっと止まったのであった。

 そのような国民がどれほど苦しんでもなおかつ戦争を止めようとしなかった指導者たちが未来に正しく歩むべき国家の姿を呈示できるはずもなかった。

 太平洋戦争を引き起こした軍国主義の温床ともなった農村の最大の改革は、農地改革であった。この農地改革にしても日本の政府に任されていたら決してできなかったはずである。農地改革の前には、小作農は、部分的な小作農を併せると全農家の70%ほどもいたがそれが改革後には、42%ほどになった。ことに、土地を全く持たない小作農家は、二八・7%から五・一%余りへと、大幅に減った。これは日本の民主化にとっても根本的に重要な改革であったのである。

 このような大きい改革は日本だけでは到底すすまなかっただろう。憲法の根本からしてほとんど変えようとしなかったのであるから。

 だが、この農地改革を、アメリカによる押しつけがあったから、やり直そうなどという人はだれ一人いないのである。それはその改革が正しいものであったからであり、GHQによる押しつけがなかったら到底実行できなかったのを知っているからである。

 また、憲法が明治憲法のままであったら、教育の内容もほとんど変えられなかったと思われる。憲法の精神に基づいて教育の方針も決められるからである。

 それゆえ、戦後の新しい教育の方針や内容は、もとをたどっていくと、連合軍の「押しつけ」にあったのがわかる。その押しつけが、不正なことを押しつけることとか、苦しみを押しつけることでなく、日本が、戦争を二度と引き起こさないようにすること、国民の基本的人権を尊重すること、国民主権などといった善いことであったのであり、そのゆえに、日本は戦後五〇年間、自国の軍隊が他の国の人を殺すという悪を犯すことがなかったのである。

 これは、アメリカ軍が例えばベトナム戦争でおびただしい人々を殺傷することになったことを考えると大きな意味がある。

 一般的に考えても、例えば子供に教育を授けるということも、一種の押しつけである。子供が自発的に文字や算数や国語の必要を感じるまで放置しておいたら、どうなるであろうか。そんなことはだれもしない。

 それが正しいこと、本当に良いことであるなら、一種の押しつけをしているのはどこにでも見られることなのである。何らかの悪いことをしたら、罰を与えるのも押しつけである。また、しつけとは子供にとって何らかの善いことを子供に「押しつけ」て、それを習慣としていくことがたいてい伴っている。

 歴史の中では、何らかの外圧(押しつけ)がなかったら、ずっと人々が苦しむようなことはたびたびあった。

 例えば、江戸時代に開国に踏み切ったのも、外国からの強力な押しつけがあったからである。

 江戸幕府が鎖国を三〇〇年近くも続けたのは、キリスト教を絶対に排除するという間違った方針からであった。

 憲法が押しつけだと反対する人たちは、江戸幕府の開国を押しつけだといって反対するだろうか。何等の押しつけ(外圧)もせずに、江戸幕府が自主的に開国するのを待っていたらはるか後の時代になっだろうし、人権も福祉などという発想もまったくない封建的な状態、差別に満ちた体制がずっと続いていただろう。

 また、明治になっても、キリスト教などもずっと禁止されていた状態だった。明治政府が一八七四年(明治六年)にようやくキリスト教を認めたが、それまでは厳しい迫害を続けていたのであって、政府によって多くのキリシタンたちが殉教したのである。

 キリスト教の迫害を止めるべきだという強い外国からの圧力(押しつけ)がなかったなら、政府はずっとその方針を続けて多くの人々を苦しめていたであろう。

 このように、未成熟な段階のものは、より進んだものからある種の押しつけがなければ、正しい道を進んではいけないのである。

 肝心なことは、日本の現在の憲法が押しつけかどうかを議論することでなく、憲法の内容が本当の真理にかなっているかどうか、そしてその憲法の精神が本当に運営されているのかどうかである。

 日本の憲法においても、人類の普遍的真理という観点からそれを見るべきであって、そこから見るなら、平和主義、基本的人権、国民主権といったことは長い人類の歩みの到達点であって、それらがあればそこから、法律の整備をすすめていけばよいのである。

 例えば、現憲法には、環境問題の記述がないと言われるが、それも基本的人権ということを深く考えるとき、人類全体の生きる権利という観点から見ることになり、それは当然環境問題を重視することになる。

 むしろ現在の憲法を変えようとする人たちの主たる目的は、すでにずっと以前から平和主義の憲法第九条にある。

 平和主義を捨てて、戦争ができる体制にしようというのが従来からの主張なのである。そのために、多くの反対を押し切って一年前の五月に日米防衛指針(ガイドライン)関連法案が成立してしまった。

 一度、戦力を持つ国家であると正式に決まってしまえば、その軍隊の維持のためには、徴兵制というのも必要だということになっていく。そしてますます軍備のための費用は多額となっていくだろう。

 そして将来、ふたたび現在のような平和主義の憲法を持とうとしても、そのときにはきわめて難しくなるだろう。

 現職の総理大臣が「日本は天皇を中心とする神の国だ」などということを主張するほど、戦前を支配した間違った思想がいまも生きていることから考えると、憲法第九条を変えることによってどのような方向へと歩み出すか、危惧(きぐ)すべきものがある。

 首相がこの発言にある「神の国」とは、いったいどんな神なのか。それはこの発言が神社本庁の政治団体である神道政治連盟でなされたことから推察できる。神社本庁は、伊勢神宮を中心としていて、それは、天照大神を祭っている。その天照大神の権威を受けたのが天皇だと称してきたから、首相がいう「神の国」とは「天皇の国」ということになる。 しかし、敗戦の翌年、昭和天皇は人間宣言を出してその中で天皇と国民の関係は、「天皇をもって現御神(あきつみかみ)とし、日本国民を他の民族より優越しているとし、世界を支配すべき運命を持っているとの架空の観念に基づくものでもない」と述べて、天皇を現人神とすることが架空のことであるということもはっきりと述べている。

 現在の憲法にある徹底した平和主義ということは、単なる理想でなく、日本が数千万ともいう多大の人々の命を犠牲にし、無数の人々の家庭を破壊して、苦しみを与えたおびただしい犠牲の結果生まれたものであった。

 その意味でそこにアメリカや日本の政治的意図を越えた、歴史の摂理を見るべきなのである。歴史の悲劇的経験の結果として生まれたことなのだ。

 日本の真の使命は、軍備を増やして軍隊を派遣したり、戦争に加わったりすることでなく、いまの平和憲法の精神を本当に生かして、軍事と別のさまざまの方面で世界の平和に貢献することなのである。

 聖書では、二千数百年も昔から、人間が目標とすべき究極の平和についてしばしば述べられている。

主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。

彼らは剣を打ち直して鋤(すき)とし、槍を打ち直して鎌とする。

国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない。(イザヤ書二・4

見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者、高ぶることなく、ろばに乗って来る、雌ろばの子であるろばに乗って。

わたしはエフライムから戦車を、エルサレムから軍馬を絶つ。

戦いの弓は絶たれ、諸国の民に平和が告げられる。

彼の支配は海から海へ、大河から地の果てにまで及ぶ。(ゼカリヤ書九・910

 ここで言われているエフライムとは一地方名であったが、後にイスラエル全体を指していう言葉として使われた。

 ここで子ろばに乗って来ると言われている「王」とは、キリストのことであり、これはキリストの預言とされている。キリストが来るときには、柔和のシンボルであり、武力とは反対のイメージを表す子ろばに乗ってくると言われる。しかし、そのような柔和さをこそ、神は支持される。キリストの心が浸透するときには、戦いは終わり、神の愛が世界に広がると預言されている。

 これが完全に成就するのは、終末のときである。しかし、それにいたるまでに神はその御意志をこのように明確にはるか昔から示されている。

 こうした神の御心に従うことこそ、私たちが目指すべき方向なのである。

 


リストボタン無教会とは

 日本において無教会という言葉が初めて内村鑑三によって用いられたのは一八九三年、今から百年余り昔のことである。

 内村は彼が信じる聖書の真理をそのまま主張していったときに、教会の指導的な人々から退けられ、異端論者とまで言われた。そうした体験を書いた「キリスト信徒の慰め」という著作でこう述べている。(原文は文語なので、分かりやすい表現になおし、一部省略。)

 私は無教会となった。

 人の手によって造られた教会を私は持っていない。私を慰める讃美の声もない。私のために祝福を祈る牧師もない。

 とすれば私は神を拝して神に近づくための礼拝堂を持たないのであるか。

 西の山に登り、広い原野を眼下に臨み、この世の俗世界のはるか上に立って、無限なる存在と交わるとき、風が背後の松の木々に吹いてうるわしき讃美を奏で、頭上には鷲が翼を伸ばして天上の祝福を垂れるのを経験する。

 夕日が沈もうとし、東の山の紫色、西の雲の紅(くれない)の色が流れる水に映えるとき、また一人川の堤の上を歩みながら、すでに世を去った聖者と霊の交わりを持つとき、・・私には無声の説教を聴かせてくれるのである。・・
 私はまさしく無教会ではないのである。

 こう述べて内村は教会の有力な人々から排斥されて、教会のない者(無教会)となっても、一人神とともにあるとき、自然のただ中にあって、そこに見えざる教会堂があり、神の国との交わりに生きることが出来、過去の優れたキリスト者たちと霊的な交わりが豊かにできるゆえに無教会ではない・・と言っているのである。

 これが無教会という言葉が初めて用いられた文脈である。

 これを見てもわかるが、内村は無教会というあらたな教派をつくるなどということは全く考えてもいなかった。しかし、キリスト者となって信じるところを直接的に述べただけで排斥されるという体験を経て、おのずから教会の無い者、無教会となったのである。

 無教会とはこうして、だれも計画的に造りだしたのでもなく、何か党派的な考えから新たに造りだしたのでもなかった。いわば人の計画を越えたところで生じた言葉なのであって神が必要あって生み出されたと言える。

 そもそもプロテスタントがそうであった。ルターがとくにカトリック教会の免罪符を批判する九十五カ条を教会の扉に掲示したことがプロテスタントの始まりとなった。これももちろん誰一人このような世界的な大事件となるとは予想もしなかったのである。

 クェーカーもそうであった。キリスト教の一派として黒人奴隷の解放を他のどの教派よりもはやく主張し、徹底した平和主義を主張して戦争に加わろうとしなかったこのクェーカーも、もとは、ジョージ・フォックスというイギリス人が当時のまわりのキリスト者と自称する人たちの生活ぶりが乱れていることから、救いを求めて放浪し、ついに内なる光の体験を与えられてそれを証ししていったところから始まり、さまざまの迫害を受けたが、次第に共鳴する人たちが集まり、一つの教派となっていったものである。

 無教会の成立もこうした歴史的な実例と似ている。

 内村によって始まった無教会というキリスト教のあり方も、それは特別の教派を目的としたものではない。それは、ただ内村が聖書の真理を探求していく過程で与えられた深い内的な体験を確信をもって証しし、主張していっただけのことである。

 それは人間の単なる意見や経験でなく、聖書にすでに記されている真理であった。神は内村を用いて日本にキリスト教、聖書の真理を宣べ伝える器として選んだのであった。 無教会とはなにも難しいことでない。ただ聖書の真理を神の言として信じ、聖書に記されている通りに、キリストによる罪の赦しを信じ、生きて働くキリストによって導かれる、そうした信仰のあり方をいうのである。

 こうした単純な信仰のあり方は、キリスト教の初期の姿であり、本来のあり方であった。キリストご自身も、「二人、三人が私の名によって集まるところに私はいる」と約束された。それを本当に信じていくところに無教会の精神がある。

 このような素朴なキリスト者のあり方は、神によって本来起こされたのであって、無教会という精神の本質もそこにある。

 キリスト中心、十字架のあがないを信じる信仰を中心とし、神の言中心の精神が続く限り、無教会という群れは継続されていくだろう。真理は神ご自身の御意志であるからである。

 


リストボタンことば

105)わたしはわが主イエス・キリストにならって教会といわれるものを建てることをしない。

 教会は真理を制限するものである。そして制限せられて真理を広めることは困難である。

 私は真理そのものを伝えて、その保存とか植え付ける方法などを考えることをしない。私は単純な伝道者であることを望む。(内村鑑三所感集より)

○歴史的教会がキリスト教の伝道に大きな働きをしてきたことは誰もが知っている。しかし、他方ではその教会が大きな組織となり、固定化してくると、さまざまな問題を生じて真理を制限しようとすることも多くあった。組織の維持のためには、いろいろの役職が生じ、その地位を欲しがる者たちが生じ、またその地位を守るために真理そのものを圧迫するという矛盾したことも生じてきた。カトリック教会もかつてそのような固定化した様相を呈していたとき、ルターが真理そのもの述べて宗教改革が起こった。

 キリストご自身も当時の固定化した宗教者たちによって制限され、圧迫され自由に真理を伝えることを禁じられていった。

 主イエスはただ真理そのものを宣べ伝えた。内村もそのような単純な伝道者であろうとしたのである。

106)祈りとは、単に何かを頼むことではない。

それは、魂の切なる願いである。

それは日々、自分の弱さを認めることである。・・

 集会における祈りは力あるものとある。私たちがしばしば一人でなしえないことを、私たちは共にすることによってなすことができるからである。(ガンジー・「Young India」誌 1926.9.23

○「心の貧しい者は幸いである。天の国は彼らのものであり、心に飢え渇きを感じる者は満たされる。」と言われた主イエスの言葉が思い出される。祈りとはこうした心の弱さと渇きを日々感じる者の呼吸に似ている。私たちは自分の弱さを強く感じるほど、日々祈らずにはいられない。

 


リストボタン休憩室

○五月の植物
 初夏となり、なにより五月は初々しい新緑が毎日心にうるおいを与えてくれる季節です。その新緑のなかで、さまざまの植物が花を咲かせています。

 香りのよい五月の花と言えば、すぐに思い出す花があります。フジです。このフジの花はとくに有名なので知らない人はいないのですが、その香りが素晴らしいということはあまり知られていないようです。

 五月の山間を通るときに、あちこちに美しいフジの花が見られます。柔らかな色調といい、その姿、そして香りもともに優れていて、神の芸術品のような気がします。

 徳島でよく山間に見かけるのは、たいていは単にフジ(ノダフジ)といわれるもので、花の房が長く、つるは右巻きですが、徳島から香川にかけての阿讃の山では、つるが左巻きで花の房が短いヤマフジを多く見かけました。

 同じフジでも、このようにいろいろの変異があるのは興味深いことです。

 同じマメ科の樹木に咲く花で、やはりよい香りのする五月の花といえば、ハリエンジュです。これはニセアカシアとか単にアカシアとも言われ、何十年か昔によく歌われた歌に出てきたこともあって、広く知られていますが、本当のアカシアというのは、これとは別の木です。ハリエンジュは枝に鋭いハリがあるのでそう呼ばれています。

 ミカンの花は、その香りがよいことを知らない人も多いようです。ミカンといえばまずビタミンCの豊富な果物としてのみ思い浮かべるからです。

 しかし、その純白の花と心を引きつけるような香りもまた忘れられないものです。

○私の住んでいる徳島県小松島市の周辺では、シラサギといわれるコサギが多く見られます。また、黒みがかったゴイサギやうすい灰色がかったアオサギという種類も時には見かけます。このような比較的大きな鳥がのどかにすんでいることは心をなごませることです。

 野草や樹木、そして小鳥や昆虫など、それらの自然の生物たちは人間の造ったものにはない、深みと味わいがあります。自然のなかでこうしたものに常に接している心には荒々しいものは生じないはずだと思われます。

 最近の少年たちの悲しむべき事件の背後には、こうした自然とのふれ合いがあまりにも少ないということが一つの原因としてあるようです。

 


リストボタン返舟だより

○五月十三日土曜日の午後から、元「祈の友」主幹であった、中山 貞雄氏が私たちの集会を訪れ、土曜日午後の聴覚障害者を交えての小集会、日曜日の主日礼拝、そしてその後の大学病院個室での集会、さらに「祈の友」会員で入院されているBさん他を訪問されました。

 中山 貞雄氏は島根県で浜田独立教会を起こされて伝道の働きに従事されている方で、今回はとくに「祈の友」についても話し合う機会が与えられました。

○ある「はこ舟」誌の読者の方から、四国にきて初めて無教会という集会があるのを知り、どうしてキリスト教にもいろいろの派があるのだろうかとの来信がありました。その方は、聖霊派の方だということです。

 また、教会のいろいろの問題に直面して無教会のあり方を知りたいと言われる方もいます。こうした要望は今までにも何度もありましたので、ときどき、これからも無教会について断片的ですが書いてみたいと思います。

 今月号で無教会について書いたのは、その一つです。

 どのキリスト教の教派も大体においては、十字架や、復活を重んじ、キリスト中心、聖書を神の言としていると主張しているので、それだけではどこがどう違うのかわからないわけです。

 神は樹木や野草を実にさまざまの形に創造されました。一本の木を見ても、全く同じ葉は二つとないわけです。また、昆虫やほかの動物たちも驚くほど多様性があります。神は画一的なのを好まれないのです。

 無教会というあり方も、神のご計画のうちに日本にとくに造られたのであって、それぞれの樹木や野草がその特性を発揮しているように、私たちも無教会という集まりの特性を発揮していくことで、神の栄光を現していくことができればと願っています。

 


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