今月の御言葉 |
2000年7月 第474号・内容・もくじ
変わるもの、変わらないもの
私たちがどのように考えても、予想できなかったことが生じることがある。それは喜びにつながることもあれば、死や病気など悲しみや別離に関わることもある。
世の人は、それを偶然であり、運命だという。しかし、すべては生きて働いておられる神の導きだと信じるときに、そのような思いがけないことが生じるからこそ、私たちは人間をはるかに越えた神によって導かれているのだと信じることができる。
もし、私たちの予想や計画通りに動くなら神を信じる必要もなくなるだろう。思いがけないことが生じるとき、いっそう私たちは神に強く頼っていきたいし、そのことが促されている。
神の用い方
クジラは最大で30メートルにもなる巨大な生物である。自由に魚を捕らえて自分の力で生きているように思う人は多いだろう。しかし、そのような大きいクジラを支えているのは実は目には見えないような、水中に漂っている植物プランクトンなのである。
海のなかの目には見えないような植物プランクトン(緑藻類などの)が動物の幼生プランクトンのえさとなり、それがさらに大きい水中動物のえさとなる。植物プランクトンが太陽の光を受けて光合成を行い、デンプンが作られそれが水中の動物たちによって食物として利用されているのである。
こうしてクジラのような巨大な生物ももとをたどれば、小さい植物プランクトンによって支えられているのである。
人間の世界においても、大きな働きをしている人も、有名な人も、権力ある人も、じつはもとをたどると、そうした人が食べる食物や衣服、車、住居など小さな一つ一つのものや、部品を作っている人々によって支えられている。
また、能力のある人や健康な人だけでなく、力弱い人、幼児や老人、また病気の人などさまざまの人との出会いや交わりによって私たちはさまざまのことを学び、成長していく。そうしたいっさいのものを取り入れて私たちは生きているのであり、成長していくのである。
神は無駄なものは作られない。それは神は愛であり、真実であるから。
人間にも不要な人間は本来いないのであり、私たちが出会う出来事も無駄なものはないのであろう。
神はあらゆるものを用いられる。
人知れず苦しむ者
顔面のガンによって顔の多くの部分がなくなった人のことを何度か聞いたり、そのような目にあった人が書き残した文を読んだことがある。以前にも、そして最近も。
顔という正面の部分を手術をして、かなり切ってしまったらどんな気持ちになるか、その苦しみや心の重さは私たちの理解をはるかに越えたものだろう。
治ってももう人前には出られない、またそのような重いガンでは助かる可能性も少ない。本人もいずれ死ぬのでないかとの恐れと痛みにさいなまれつつ病床にいるのではないだろうか。
そして誰もそのような苦しみを共に担うことはできない。痛みと将来への絶望的な見通しのなかで人知れず涙を流す人、その苦しみは何のためなのだろう。
その苦しみはほかの人間の罪を担い、それによってほかの人間は生かされているという意味があるのではないだろうか。
私たちはそのようなことに気付かない。しかし、聖書にははるか昔、いまから二千五百年ほども昔に、すでにそのようなことについて書かれている。
彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた。また顔をおおって忌みきらわれる者のように、彼は侮られた。われわれも彼を尊ばなかった。
まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった。(旧約聖書 イザヤ書五十三章より)
これはキリストの預言だと言われている。しかし、キリストだけに関係があって私たちには関係のないことではなく、私たちの身の回りに見られる重い病気に苦しむ人たち、何も特別に悪いことをしたわけではないのに、耐えがたい苦しみにある人たちもまた、この聖書の言葉で言われているようなことがあてはまるのではないだろうか。
ただ一言を (マタイ福音書八章5~13)
さて、イエスがカファルナウム(*)に入られると、一人の百人隊長(**)が近づいて来て懇願し、
「主よ、わたしの僕が中風で家に寝込んで、ひどく苦しんでいます」と言った。
そこでイエスは、「わたしが行って、いやしてあげよう」と言われた。
すると、百人隊長は答えた。「主よ、わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。ただ、ひと言おっしゃってください。そうすれば、わたしの僕はいやされます。わたしも権威の下にある者ですが、わたしの下には兵隊がおり、一人に『行け』と言えば行きますし、他の一人に『来い』と言えば来ます。また、部下に『これをしろ』と言えば、そのとおりにします。」
イエスはこれを聞いて感心し、従っていた人々に言われた。「はっきり言っておく。イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない。
言っておくが、いつか、東や西から大勢の人が来て、天の国でアブラハム、イサク、ヤコブ(***)と共に宴会の席に着く。
だが、御国の子らは、外の暗闇に追い出される。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。」
そして、百人隊長に言われた。「帰りなさい。あなたが信じたとおりになるように。」ちょうどそのとき、僕の病気はいやされた。(マタイ福音書九・5~13)
(*)ガリラヤ湖の北の町
(**)ローマの軍隊の100人の兵隊の指揮をとる隊長。
(***)アブラハムは紀元前一九〇〇年頃の人。唯一の神を信じて生きた姿が旧約聖書に詳しく記されている。イサクはアブラハムの子で、ヤコブはイサクの子。ヤコブはイスラエルという名をも与えられ、これがイスラエル民族の名称にもなった。
この記事からわかるいくつかのことをあげてみます。
(一)小さき者への心
この百人隊長は、自分自身のことでなく、使用している僕のため、病気で苦しんでいるそのためにわざわざイエスのところに来て、懇願しています。奴隷のような身分であった僕のためにわざわざ、ローマ人でもないイエスのところに行って真剣に願うということは、僕への愛が特別であったことを示しています。
(二)イエスの前での謙遜さ
この百人隊長は、支配している民族であるイエスに対して懇願しています。これは、意外なことです。かつての日本は朝鮮を支配していました。その日本の将校が自分の家で使っている召使いの病気のために、韓国人の所に行って懇願するということはなかなかむつかしいことだったはずです。今もなお、朝鮮半島の人たちへの偏見が相当あることを考えればなおさらです。
百人隊長は自分の家にイエスを迎え入れるにはふさわしくないと思っていたほどに謙遜だった。そのような砕かれた低い心にこそ、イエスは来て下さる。その力ある言を与えて下さる。
このように、他者への愛をもって、そのことのために心低くしてイエスの前に出るとき、イエスは力ある一言を与えて下さる。そしてイエスの言こそは、神の力を帯びているのであって、ただ一言を私たちが受け取るとき、そこには何らかのはっきりした変化が生じるということです。
私もかつて、そうした一言で進路を変えたり、なすべきことを決断したことがありました。そうすると、たしかに不思議なこと、予想していなかったことがおこって良い方向へと事態が動いて行ったことが何度か思い出されます。
日曜日ごとの礼拝や、各自の朝の祈りにおいても、聖書の学びにおいても、また訪問などにあっても、まずイエスの一言を求め、そこから始めるときに、神ご自身がはたらいて下さると信じるのです。
この世には、人間の言葉は洪水のようにあふれています。テレビ、新聞、ラジオ、雑誌、小説、週刊誌等など。しかし、それらは、人間の言葉であるという点で共通しています。言いかえるとそれらは、人間を救う力がないということです。しかし、人間にとって何よりも必要なのは、人間の思いを越えた神の言葉です。神の意志を知ることなのです。
ここに、常識的な考え方とは全く違った世界があります。ふつうに考えると、私たちの意志で物事を考えてするのが最もよいこととされています。他人の意志や考え方についていくのでなく、自分で考え、自分で行動することにまさるものはないと考えているはずです。
しかし、聖書の世界では、そうした常識的な考え方では思いもよらない考え方が示されているのです。
常識的考えとは、神などいないという考え方です。そこでは最も頼りになるのは、自分の考えだということになります。あるいは、優れているとされている人間の考えです。
しかし、神が存在するということになると、全く違ってきます。神とは、人間のいかなる考え方より無限に高く、また深いからです。そして聖書でいう神とは、真実な愛の神であり、完全な正義の神であるのであって、そういったお方がいるのなら、その神の考え、意志が最もよいということは当然だということになります。
どのような事態に直面しても、なお、神の御意志を信じること、自分の意志でなく、神の意志を求めること、ゲツセマネのキリストはそうであったのです。自分の人間としての気持ちがどんなに許さないことであっても、それが神の御意志である場合がある。
そのとき、その神の御意志に従うことこそ、究極的な私たちのとるべき道だということになります。
ここでの、百人隊長の心は、そのような神の意志(ここではキリストの意志)に絶対の信頼をおくということです。
このような絶対的なイエスに対する信頼がどうして生まれたのか、聖書ではなにも語っていません。当時、イエスの生まれ育った国は、ローマ帝国の支配を受けていました。植民地であったわけです。そうした支配を受けている民族のせいぜい三〇歳ほどの少し前まで大工の息子であったイエスに対して懇願するということ自体、不思議なことです。医者でも何でもないイエスに対してこれほどの信頼を寄せるのはどうしてだろうかと思うのです。
そしてイエスがすぐに「私が行っていやしてあげよう」と言われたのに、来ていただくのに自分はふさわしくない、ただ一言を下さい。そうすれば癒されると、驚くべきイエスに対する信頼を表したのです。
ただイエスの一言あれば足りる、ここには、なんと深い主イエスへの信頼があることか。言葉はその人の内にある意志の現れです。その人の一言への信頼は、相手の意志への信頼にほかならないのです。それゆえ、百人隊長が主イエスの真実を心から信じていたことも意味します。私たちは、ある人の真実さ、誠実さを信頼すればするほど相手の一言を受け入れます。政治家などは選挙のときだけ、いろいろな聞こえのよいことを言いますが、多くの人はそれを信頼していないと思われます。
二千年前に実際にイエスが生きておられた時にはそのイエスへの信頼を持つことができました。しかし、目に見える形でのイエスには会うこともできない現在の私たちにとって、この百人隊長のイエスへの信頼の心はどんな意味があるのでしょうか。
目で見える人間のすがたをしたイエスには、たしかに会うことはできないけれども、信じる者の心の内に住んでくださる主イエスがおられる。そして、今も目には見えないけれども聖霊としておられるキリストがおられる。
私たちも、そのようにして今も存在しているキリストを心から信じていくならば、イエスの一言が必要なときに与えられ、それが困難に向かう力となり、前途を導く光となってくれるのです。
緑の牧場に (詩編二十三編)
主はわが牧者、わたしには何も欠けることがない。
主はわたしを緑の牧場に休ませ、憩(いこい)の水際(みぎわ)に導き、わが魂を生き返らせて下さる。
主は御名にふさわしくわたしを正しい道に導かれる。
たとえ死の陰の谷を行くときも、わたしは災いを恐れない。
あなたがわたしと共にいてくださるから。
あなたの鞭、あなたの杖、それがわたしを力づける。
あなたは、わが敵の前で、わたしに食卓を整えてくださる。
わたしの頭に香油を注ぎ、わたしの杯を溢れさせてくださる。
命のある限り、恵みと慈しみはいつもわたしを追いかけてくる。
私はいつまでも主の家にとどまるであろう。
この詩は、旧約聖書におさめられている多くの詩編の中でもとりわけ愛され、深い共感をもって読まれてきた詩です。
例えば、イギリスの十九世紀の代表的なキリスト教伝道者の一人であったスパージョン(*)は次のように言っています。
これは、ダビデの聖なる牧歌である。・中ヲ彼は枝を広げる木の下に座り、まわりには、自分が養っている羊たちがいる。・中ヲ私たちは、ダビデが心からの喜びに満たされてこの並ぶもののない牧歌を歌っているのを思い浮かべるのである。あるいは、この詩が後のときに作られたものであるなら、私たちはダビデが一人きりの祈りのなかで、若き日によく休んだことのある、荒野のなかの牧場において流れる谷のほとりに導かれたのだと確信するのである。
これは、詩編のなかの真珠であり、その柔らかく純粋な輝きはあらゆる人の目を喜ばせるものがある。・中ヲこの喜ばしい詩においては、信仰深い心と詩的感情とは一つになっており、その優雅さと霊性は比類のないものだと言えよう。(「THE TREASURY OF DAVID」 Vol.1-353p)
(*)スパージョンは、十九世紀イギリスの伝道者。詩人的傾向をも深く備えていた。十九歳で牧師となり、初めは100人にも満たなかった者がまもなく千五百人を越え、さらに六千人を収容する大会堂の建設に至るまでとなった。彼が教会で語った聖書のメッセージはつぎつぎと書物となって発行され、現在も需要が続いている。詩人的傾向のつよかった彼は、旧約聖書の詩編の注解に特別な力を注ぎ、「ダビデの宝庫(THE TREASURY OF DAVID)」として、自分の解きあかしとともに、内外の多様な注解書や著作家からの引用を集め、英語版では全三巻、三千ページ近い大冊となって発行されている。右にあげたのは、その著作の中からの引用。
内村鑑三もこの詩について、やはり「真珠」であるとし、つぎのように述べています。
詩編第二十三編は旧約聖書中の真珠である。キリスト者であってこの詩がその口よりおのずから流れるように出てくるのでなければ、まだ深く聖書を味わったとはいえない。この詩は新約聖書における「主の祈り」とともに、信徒がつねに心に命じて暗唱すべきものである。(「聖書の研究」一九一九年六月)
また、内村も若いときに親しんだ、注解者として有名であったアルバート・バーンズもその注解のなかで、「この詩はつねに実に見事な美しさをもった詩だと見なされてきた」ど書いています。
この詩編は、無数の人々から愛され、また心を新たな思いにさせてきた詩、高い評価を受けてきた詩であり、少しでも私たち自身のものとするために、より深く学びたいと思うのです。
牧者とは、羊飼いのことであり、羊を草や水のあるところへと導く者です。この詩の作者が住んでいたところは、ユダヤ地方であり、日本とはまったく違った乾燥地帯であって、草が生えているのは一部のところであり、まばらに一面の砂漠同然のようなところにも羊がいます。そのようなところでは、適切な牧者がいないなら、羊は草のまったくない場所に行ってしまい、水もなく、死んでしまいます。
以前に読んだ聖地の記事にも、つぎのように書いてありました。(今から五十年ほど昔に書かれたもの)
「羊の一群が羊飼いに伴われて移動しているのが見えた。しかし、どこに草があるのだろうといぶかしく思ったほどに、付近は羊たちが食べる草すら見あたらない。それで辺りをずっと見回すと、はるか遠くにようやく少しの緑が見えた、そんなわずかな草のために遠いところまで連れていくのを見た。」
聖書でなじみのある土地の雨量をみると、エルサレムはやや多く五六〇ミリ程度、ベエルシバや、エリコはそれぞれ年間雨量は二〇〇ミリ、一四〇ミリという状態です。
日本では、例えば高知市は年間で二六〇〇ミリを越えるし、東京都でも一五〇〇ミリほども降ることから考えると、いかに聖書の舞台となった地方は雨が少ないかがわかります。
日本のような雨の多い地方では、この詩が作られた地方がいかに乾燥していて、緑の草原がどんなに貴重であるか、また水がどんなに大切であるかがわかりにくいのです。
緑の牧場、水際へと導いて下さる神は、まさしく最も重要なものを与えて下さるお方であるということが示されているのです。
「主が私の牧者、導き手である。だからこそ、私には乏しいことはない」と詩人はこの詩のはじめで述べています。この詩の根本的内容は、この初めの言葉に凝縮されているのです。何が私たちの導き手となるか、それで私たちの主がは決まるのです。
ほかのあらゆる導き手には、一時はよいものであっても、必ずその後にばかりついていくと何かよくないものが生じてくる。しかし、神が導き手であるなら、深い満足と喜びを与えて下さるがゆえに、私には乏しいことがないと断言できたのでありましょう。
それではなぜ乏しいことがないのかをつぎの節でくわしく述べています。
主はわたしを緑の牧場に休ませ、憩(いこい)の水際(みぎわ)に導き、わが魂を生き返らせて下さる。
この詩の作者は、自分の生きてきたその歩みが神によって導かれてきた人生であることを知っていたのがうかがえます。私たちの一生とは、導かれる人生なのです。
私たちは結局、自分の意志や力で生きていくか、それとも自分以外の人間や組織、慣習などのままに動かされて生きていくか、それとも人間を越えた真実な神に導かれて生きて行くか、そのいずれかであることを知っていたのです。
本当の人生とは、そこに静かな満足と平安が与えられるものであり、神によって導かれる人生こそがそれであると言えます。
朝、起きてまず神によって新しい一日が導かれるようにと願うことによって始まり、仕事のただなかにおいても神の導きを見つめつつ働く。そして夜には、神による一日の導きを感謝しつつ床につく。そしてこうした神の導きは、どこまでも範囲は広がって行きます。聖書に示されている神は、宇宙万物の創造主であり、時間や空間を越えたお方であるため、その導きとは、宇宙万物をも含み、そして過去から現在、そして将来にむかって働くものです。
自分を導いて下さる神は、決して自分だけを導くのでなく、神を信じて従うあらゆる人たちを導いていくのであり、そうしたすべての人々を一つの群れとして導き、神の国への歩みをすすめていくのです。
わたしは良い羊飼い(牧者)である。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。・中ヲ
わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。(ヨハネ福音書十・14~16より)
乏しいことがない、それは言い換えると魂を深く満たしてくれるということです。これは、キリストの時代からあとにさらにはっきりと語られるようになりました。
ヨハネ福音書ではその初めの重要な箇所に、イエスは「恵みと真理とに満ちていた」(ヨハネ一・14)と述べて、さらに「恵みと真理はイエス・キリストを通して現れた」(同・17)と言われています。
私には何も欠けることがない!
このことを、はっきりと断言できる人はどれほどいるだろうかと思います。一時的には言える人はいくらでもいます。自分にふさわしい仕事を持ち、よき家庭、友人に囲まれ、幸いな結婚に恵まれているような人、あるいは、心が狭く、人生の苦しみや闇を知らない人がその狭い範囲で自分は幸福だと思っていると乏しいことは何もないというかも知れません。
しかし、そのような甘い感情は、いったん事故や病気、人間関係の悪化があるといともかんたんに壊れてしまいます。
この詩の作者は、決してそのような甘い感情にひたっているのではないのは、少しあとに記されている言葉でわかります。死の陰の谷を歩みとあるように、この世には、恐ろしい苦しみがある、死を望むほどの重荷があるということを経験してきた人だとわかります。
「私には欠けるものはない」この言葉は、この詩人よりはるか後の時代に、キリストの使徒パウロが述べています。彼は、実際にこの詩人と同様に、神(キリスト)によって導かれる人生となってこの深い満足を語っているのです。
わたしは乏しいから、こう言うのではない。わたしは、どんな境遇にあっても、足ることを学んだ。
わたしは貧に処する道を知っており。富におる道も知っている。わたしは、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、ありとあらゆる境遇に処する秘けつを心得ている。(ピリピ書四・11~12)
どんな外的な境遇にも満足すること、欠けるものはないという実感を持つことができるということは、キリストによって満たされていたからだったのです。わが内にキリストが生きていると語ったパウロにおいては、どんなに外側の境遇が欠けているように見えてもそれを越えて満足させてくれるお方が導き手であったからです。
パウロもまた、「主はわが牧者である。そのゆえに私は乏しきことはない。」と証しすることができた無数の人たちのうちの一人となったのです。
あなたの鞭、あなたの杖、それがわたしを力づける。
なぜ、羊飼いの鞭や杖がこの詩の作者を力づけ、慰めを与えるのだろう。それは、よき羊飼いの鞭は、決して羊を苦しめるためでなく、まちがったところに行こうとするのを止めて、正しい道、安全な緑の草原への道に導くためであるからです。羊飼いを心から信頼しているとき、その鞭ですら、恐れることでなく、よき所へ導くための愛の現れなのだと知っていたのがわかります。
また、鞭と訳されている原語は棒状のものをも意味するため、これは野獣から羊たちを守ることも意味していると考えられます。どんな危険に出会おうとも、神は必ず守って下さるという信頼によって、私たちは力づけられて前進していくことができるのです。
緑の牧場にて命の糧なる草を食べ、水際にて水によって新しい力を得たゆえに、この作者は、かつての暗い谷、死の陰の谷をも導かれる神を強く自覚しました。そこから、つぎは家庭的な場面と移って行きます。
あなたは、わが敵の前で、わたしに食卓を整えてくださる。
水際へ、緑の原へと導く者であった神は、また時には死の陰の谷へと導かれる。鞭をふるって間違った方向へ行こうとするのを止め、また杖をもって襲いかかる者を退け、あるいは間違った道へ行こうとする羊をやはり止めて下さるお方です。
そしてさらに、五節では、神は家へと導き、私をもてなして下さるお方として描かれています。
しかし、単にのんびりとした家庭的雰囲気ではなく、「敵、あるいは私を苦しめる者」を前にした状態であっても、神は、私への食卓を整えて下さると言います。
ここに、神からの祝福や賜物は、目に見える世界でどんなであろうとも、それを越えて与えられるものだと言おうとしているのです。
敵のまえでも、牧者たる神は信じる者によきものを与えてくださる。それによってその人は、その敵のために祈ることができる。主イエスが敵のために祈れと教えられましたが、それは、この詩の作者の体験と共通のものを感じることができます。
わたしの頭に香油を注ぎ、わたしの杯を溢れさせてくださる。
現代の私たちには、頭に香油を注ぐということは何を意味するのか、わかりにくい表現です。また杯をあふれさせるということも同様に現代のたいていの人にはよくわからないか、もしくはまったく間違って受け取るだろうと思います。
香油を注ぐとは、神の持っているよきものを直接に与えて下さるということです。神が持っている力、すなわち洞察力、悪に打ち勝つ力、真実さや愛、正義への勇気などなどです。
メシアとか、キリストという言葉は本来の言葉の意味は、油を注がれた者という意味なのです。神ご自身の本質を注がれた者という意味になります。ですから、旧約聖書の時代には、王とか大祭司などが油注ぎを受けることができた人です。それに対して新約聖書においては、油注がれた者というのは、ひとえにキリストを指す言葉となりました。
杯を溢れさせる、それは、神が私たちの心の奥深くに神の霊を注いで下さるということを象徴的に述べている表現です。杯とはぶどう酒を入れる容器です。酒はほかの食物とちがって、人を酔わせるというふしぎな作用があります。それは、人間の精神に大きな影響を及ぼすために霊的なものの象徴として言われることがあります。
神は私たちに聖なる霊をゆたかに注いで下さるということなのです。
若いとき、壮年期には、さまざまなところに行き、多くの経験を重ねます。神はそうしたいろいろの機会、場所において、信じる者に緑の原や憩いの水際にたとえられるさまざまの安らぎを与えてくれます。
それだけでなく、人生の途中に深刻な悩み、苦しみといった狭い道(死の陰の谷)を歩いて行かねばならないこともあります。
しかし、そうしたさまざまの経験を経てたどりつくのは、神が接待する者となって下さって私たちを祝福し、ねぎらって下さる目に見えない家庭だということなのです。
これはまた老年になったり、長期にわたる病気になって社会のなかで職業をもって生きて行けなくなるときのことを暗示しているとも言えます。
わが家にて主イエスが共に住んで下さるなら、ほかに必要なものはなくなります。老年や病気になって何もできないように見えてもなお、神は目には見えないけれども、杯になみなみと神の国のよきもので満たしてくれているのが見えてくるような思いになります。 人生の終わり頃になって、自分の杯にはなにもない、だれも満たしてくれない、いやなことばかりだという気持ちになる老人も多いと思われます。
老年となって病気や老年の苦しみがいわば、敵となって攻め寄せてくることもあります。そんなとき、日々神に向かい、祈りをもって神に語りかけるとき、しずかに自分の前に出された杯には、神の国のよき賜物がなみなみとつがれているのを見るという預言であるとも考えられるのです。
命のある限り、恵みと慈しみはいつもわたしを追いかけてくる。
私はいつまでも主の家にとどまるであろう。
ここでは、意外な言葉が使われています。それは、「恵みが私を追いかけてくる」(*)という箇所です。私たちはこの言葉に新鮮な驚きを感じます。なぜなら、私たちの経験とはまさに逆であるからです。私たちはだれでも今まで生きてきたなかで、いつもよいと思うもの、幸福と思うものを追いかけてきた人生であったはずです。にもかかわらず、よきものは逃げていく。
しかし、ここでは、恵みのほうが私を追いかけてくるというのです。振り向けば、敵が追いかけてくる、悪意をもった人が迫ってくる、病気やいやな人間関係がうしろを追いかけてくる、絶望がどこまでもついてくるという人もいます。
老年になるということは、死が追いかけてくるのを実感することです。老年の寂しさ、苦しさはかつて若い元気なときには思いもよらなかった苦しみや病気、親しい者との分かれ、孤独などなどがいっせいに自分を追いかけてくるように感じるということです。そしてついに死に追いつかれて、消えていくのが人間なのです。
このような私たちの経験してきたことに対して、この詩人はいかにちがった世界を歩いてきたことかと驚かされます。
それは、恵みと慈しみが私を追いかけてくるという驚くべき実感なのです。後を追ってきた恵みが私たちに豊かに注がれるとき、それは神の家に、神とともにいることになります。
(*)ここで「追いかける」と訳されている原語(*)は、ダーラフ(daraf)といい、これは、「追跡する」とか「迫害する」といった訳語としても用いられており、口語訳の「伴う」よりも強い意味を持っています。例えば、「彼と僕たちは、別れて敵を襲い、ダマスコの北まで追跡した。」(創世記十四・15)
主の家に私は帰り、生涯そこにとどまる。
神によってよきものを魂に注がれつつ生きてきた者は、主のおられるところに住み続ける。生涯そこにとどまるのです。
この詩は、神に導かれる生涯を簡潔に、しかもこの世に対して深いまなざしをもって歌ったものです。こうした生涯は自分だけの力、人間の考えや計画によって生きる人生とは根本的に違ったところに行くのがわかります。自分の力にたよって生きた人生ならば、晩年に向かうにつれて確実その力は衰え、希望もなくなり、夕暮れのように暗くなっていき、ついにこの世から消えていく他はありません。
しかし、神を信じ、神に導かれて生きた者は、ますます神の国が近づくのを感じつつ、永遠に主の家にとどまりつ、主と同じ姿に変えられていくことが約束されています。
キリストが現れて以来、私たちはたとえ目で見える命が失われても、復活して神やキリストとともに永遠に生きることになったのです。
神々の国ではなく
総理大臣が「日本は天皇中心の神の国」といったことが、だいぶ問題になりました。しかし、驚かされることですが、開き直って、日本はやはり天皇中心の神の国だと言い出す人もいます。一部の宗教団体の中にはそうした主張を強めているものもあります。
日本人の多くは、神の国といってもそこで神とは何を指しているのかがまるで、はっきりしていないのです。今回の首相の発言にしても、日本は天皇中心の神の国といっても、そこで言われている神とはいったい何者なのか、それがごくわずかしか触れられていませんでした。天皇が関わる問題には、きちんと議論しない傾向があります。
しかし、こうした問題こそ、国家の前途を左右するのであって、まず基本的なことを知っている必要があります。
天皇中心とは、どんな意味でいけないのか。
天皇中心ということを押し進めていくとどうなるか、それは太平洋戦争のようになるのです。天皇を神として、天皇が政治の場でも中心となり、陸海軍の全権を握り、神聖にして、犯すべからずということになり、そのような天皇が「中心」となって、戦争の開始も、中国やアジア諸国への侵略もその天皇が命令するというかたちで行われたのです。そして死ぬときも「天皇万歳」といって死んでいったのです。
学校教育の場においても、天皇から賜ったとして、教育勅語を神聖視して、それに最敬礼をして礼拝するかのごとき態度を取らねば処罰されるという状態でした。内村鑑三は、教育勅語への敬礼が足りなかったというだけで、教職を追われ、不敬漢として生活にも困る状態に追いやられたほどです。
さらに、時間を数えるときにも、天皇中心を徹底して浸透させるために、天皇の名前を言わなければ時間を表すことができないようにしてしまいました。それが元号制です。その結果、現在でも、自分の生年月日をいうのに、昭和○○年としか言えない人が多数を占めている状態です。それは、昭和天皇の統治の○○年目という意味なのであって、その元号制の意図を知ったら到底使う気持ちにはなれないはずのものです。
このような天皇中心は、また、靖国神社という奇妙な神々の社(やしろ)とも関係が深い。これは、現人神である天皇がおまいりをする神社だということで、特別に重んじられました。この神社は、江戸時代末期から、日清、日露戦争、第一次世界大戦、太平洋戦争などの戦死者を「神」として祭っている神社であり、そこで神々としてまつられているのは246万人にも及びます。このようなおびただしい神々をまつる宗教施設というのは、ほかに例をみないものです。戦死した人をどんな人であっても神々としてしまうので、戦争中にアジアの人々に残酷なことをしたあげくに、殺していったような人もみんな神々となってまつられているという、実に不可解な神社です。しかもこの神社が日本でも有数の重要な神社だというのですから、いよいよ奇妙な現象と言わねばなりません。
また、日本は山や川などの自然を神々としているのであって、だから日本は神の国だなどという人も現れました。しかし、そうした自然が神々だというのなら、どこの国でももともと、自然の満ちた状態であって、みんな神々の国だということになってしまい、意味をなさなくなります。
日本では「神々」というときどんな存在が神であったのかを知っておくことが不可欠となります。日本ではいたるところに神社があり、そこで祭られているのは、さまざまの神々です。さきほど述べた戦死した人はひどい悪事をはたらいた人でもなんでもみんな神々となるし、そうでなくとも、神道の考え方によれば一般的に死者はみんな神々となっていきます。だから、神々には、善い神もあれば、悪い神々もいるわけです。その上、生きている人間(天皇)まで戦前は、生きている神(現人神)とされていたほどです。
さらに、シロヘビ、狸、キツネなどの動物も神々とされるし、大木や山、さらには人体の一部までも神々とされてまつられている例もあります。そのことからたしかに日本は「神々の国」と言えます。
こうした神々のすがたは、聖書に記されている宇宙を創造した愛と正義の神といかに日本の神々とが違っているかを知るために、以前の号と重なるところもありますが、古事記の一部を引用します。
スサノオの命(みこと)は、こう叫ぶと、勝ったあまりの勢いで、乱暴を働いた。天照大神が田を作っていたその田の畔(あぜ)をこわしたり、溝を埋めたりし、また食事をする御殿に糞をしてまわるという狼藉の限りを尽くした。・中ヲこんなひどいことをしても天照大神はとがめもせずにいた。あるとき、大切な衣を機織の女たちが織っていたとき、スサノオの命は、その建物の屋根に登ってそこに大きな穴をあけて、皮を剥いだ馬を投げ込んだ。女たちはそれを見て仰天し、そのうちの一人は機織りの道具で体を突いて死んでしまった。・中ヲ(古事記 上の巻・二より)
こうした悪事をする者であるのに、スサノオの命を神として、祭っている神社には、名古屋の熱田神宮とか、京都の観光名所ともなっている八坂神社など多くあります。
また、因幡の白兎で有名な大国主の命(おおくにぬしのみこと)に関する記述を見てみます。
この神の兄弟の大勢の神々が、ある女を妻にしたいので出かけて行った。その途中で、皮を剥(は)がれた兎が浜辺で哀れな様で寝ていた。神々は、その兎に海の水で洗い、風の吹くところで乾かして、高い山の上で寝ていたらよいなどと言って、傷がいっそうひどくなるような偽りの助言をした。その結果、兎は見るも無惨な状態となって全身の痛みに苦しんでいた。そこに大国主命が来て、ガマの花粉を塗るように教えていやしてやった。
その後、目的の女性を獲得しようと行ったが、その女は、拒否して大国主命との結婚を希望した。それを憎んだ兄弟の神々は、大国主命を殺そうと考えてある山のふもとで、次のように言った。
「この山には、赤いイノシシがいる。それを山から追い落とすから、お前はそれをつかまえろ」こう言って、真っ赤になるまで火で焼いた巨岩を山の上から突き落とした。それを赤いイノシシだと思った大国主命がふもとでしっかりと抱いて受けとめた。しかし、そのために黒こげになって死んでしまった。しかし、母親が特別な治療を別の神々に頼んで生き返らせてもらった。そこで兄弟の神々はまた大国主命をだまして山に連れ込み、大木を切り倒して幹の割れ目に楔(くさび)を入れておいた。そこに大国主命を入れて、いきなり楔を引き抜いたので、幹の割れ目がふさがってついに挟み殺してしまった。・中ヲ(古事記 上の巻・四より)
こうした実際の記述を見ても容易にわかるのは、日本でいう神々というのは、聖書でいわれる神とはまったく本質が異なる存在であること、要するに人間と同じものだということです。これは、日本だけでなく、ギリシャ神話などに現れる神も同様で、その神々は人間を欺いたり、女性を誘惑したり、奪いあうための戦いをしたり、正義の神とは思えないすがたを示しています。
天皇という偶像中心にした、何でもが神々となる国でなく、真理と正義の神、宇宙の創造主である神を中心とし、その神を信じて、その神に仕える人たちの国こそ、真に望ましい国の姿なのです。
キリスト教と戦争
よく十字軍などを例にだして、「キリスト教は戦争をした」といって批判する人がいる。しかし、そうした人たちは、たいていキリスト教とは何かということをほとんど知らないで言っているのである。
そもそもキリスト教とは何だろうか。
それは、イエスが地上で生きていたときに、教えたこと、行ったことだけでなく、キリストが十字架にかかって私たちの罪を担って死んで下さったということ、キリストは殺されたが復活した、そしていまも見えない聖霊となって生きて働いている、世の終末にはキリストが再び来られて、新しい天と地にされるといったことである。
それらが福音書とか使徒たちの手紙などとして新約聖書は構成されている。
これらの内容のいかなる部分が戦争を肯定しているのか、新約聖書を詳しく調べるとわかるように、戦争を肯定している箇所はどこにも見いだすことはできない。また、キリスト以後の使徒たちの教えたこと、語ったこと、そして行ったことなどを記した使徒行伝にもそうした教えは見られない。
このように、新約聖書の数百頁にわたる内容には全く武力で戦争する必要が記されていないのである。キリスト教そのものは決して戦争を肯定していないのが、聖書を見ればすぐにわかる。
その意味でキリスト教が戦争したとかいう主張は、全く間違ったことである。
使徒パウロは、意識不明になるほどに、石で打ち倒されたことがある。そして郊外に引きずって行かれたことすらある。しかし、そのような時であっても、パウロは全く力をもってやり返さず、意識が戻ると再びその町に入って行ったと記されている。
ところが、ユダヤ人たちがやって来て、群衆を抱き込み、パウロに石を投げつけ、死んでしまったものと思って、町の外へ引きずり出した。
しかし、弟子たちが周りを取り囲むと、パウロは起き上がって町に入って行った。そして翌日、バルナバと一緒にデルベへ向かった。(使徒行伝十四・20より)
また、キリスト教史上初めての殉教者であったステファノはやはり彼の信じる真理を語ったところ、激しい憎しみを受けて、石を投げつけられて死に至った。
人々はこれを聞いて激しく怒り、ステファノに向かって歯ぎしりした。
ステファノは聖霊に満たされ、天を見つめ、神の栄光と神の右に立っておられるイエスとを見て、
「天が開いて、人の子が神の右に立っておられるのが見える」と言った。
人々は大声で叫びながら耳を手でふさぎ、ステファノ目がけて一斉に襲いかかり、
都の外に引きずり出して石を投げ始めた。証人たちは、自分の着ている物をサウロという若者の足もとに置いた。
人々が石を投げつけている間、ステファノは主に呼びかけて、「主イエスよ、わたしの霊をお受けください」と言った。
それから、ひざまずいて、「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」と大声で叫んだ。ステファノはこう言って、眠りについた。(使徒行伝)
これらはすべて主イエスご自身が、無実の罪にもかかわらず捕らえられて、十字架刑にされて殺されたがそのときにも、周囲の人々のために祈って最期を迎えたということにも現れている。
こうした例が示しているように、キリスト教そのものは、決して武器をもって殺し合う戦争を肯定していないのははっきりとしている。
しかし、旧約聖書には戦争の例があるではないかと反論する人がいる。たしかに、旧約聖書では、さまざまの戦いが記されている。エジプトを出た民が長い年月を要して約束の地であるカナンの地に入った後も、多くの戦いがあり、のちのダビデ王の時代にも同様であった。旧約聖書では武器をもって戦うことは、神の命令としてなされたことが記されている。しかし、旧約聖書に書かれていることがそのまま新約聖書の真理ではない。
例えば、アブラハムやヤコブ、ダビデなどは多くの妻を持っていた。今から数千年も昔のこうした例は、神がまだこうした方面において完全な啓示を与えていなかったことを示している。しかし、キリストの時代になって、結婚は、キリストと信徒の集まりとの結びつきを象徴するものであって、神聖な関係だということが記されている。そこでは、当然、一夫一婦ということが正しいこととされるようになった。
また、旧約聖書の時代には、異邦人は汚れているとされていて、使徒ペテロすらその意識から自由になるのは困難であって、キリストの死後、夢のなかで神から直接の啓示を受けてようやく異邦人も汚れているのでないとわかったのである。
あるいは、食物にしても、旧約聖書の時代では、タコ、イカ、あるいは豚などは食べると汚れるとされていたので、食べることは禁じられていた。しかし、キリストは、口から入るものによっては汚されないと明言された。
それから最近では、エホバの証人が言い出したことで知られるようになったが、輸血してはならないなどということはもちろん聖書には記されていないが、血を食べてはいけないという戒めは旧約聖書にある。しかし、これは血を出すと死ぬということやその鮮やかな色のために、いのちそのものだと見なされていたからこうした規定が作られたのだと思われる。
しかし、キリストは、すでに述べたように、何を食べても汚されない、口から出ていく汚れた思いが人を汚すといって、血を食べてはいけないなどということも全く問題にされていない。
口にはいるものは人を汚すことはない。かえって、口から出るものが人を汚すのである。(マタイ十五・11)
また、ハンセン病(らい病)だけでなく、死体に触れることや、女性の出血の病なども汚れだと見なされて、そうした人間とは交際も接触することも禁じられた。
割礼という儀式をしなければ、神の民とされず救われないということは、はるか古代のアブラハムのときにすでに言われていた。
あなたたち、およびあなたの後に続く子孫と、わたしの間で守るべき契約はこれである。すなわち、あなたたちの男子はすべて、割礼を受ける。
無割礼の男がいたなら、その人は民の間から断たれる。わたしの契約を破ったからである。(創世記十七章より)
このように、戦争のことだけでなく、旧約聖書には、キリストの時代になってから、全面的に捨てられた戒めや、より深い新しい内容になった戒めがいろいろとある。
例えば、割礼は、実際の肉体に受けるのでなく、心に割礼を受けることが重要であり、戦いも、剣や槍などの武器をもってする戦いでなく、目に見えない悪の力、悪霊との戦いであり、武器も、信仰や、正義、神の言というようなものがキリスト者の武器だということになった。
このような聖書の内容について知っているなら、キリスト教は戦争を肯定しているとか、歴史上でキリスト教は戦争をしてきたなどというのが、間違いであることははっきりとわかる。
歴史的に戦争したのは、キリストの教えや新約聖書そのものの教えからでなく、キリストの教えに忠実に従わなかった王や指導者が戦争をしたということなのであり、あるいはさまざまの政治や社会的問題のために、キリストの教えには反するが、やむなく戦争になったという例もあるだろう。
キリスト者であっても、隣人を愛せよと言われていても、どうしても愛することができなかったということがあるのと同様であり、ある問題でキリスト者が一時的にせよ、人を憎んだから、キリスト教が人を憎んだのだなどというのが間違いであるのと同様である。
キリスト教はあくまで、戦争は認めていない。しかし人間の弱さや罪がそのようなことをさせてきたのである。キリストを信じると称してきた人たちも戦争を始めたこともある。しかし、キリスト教そのもの、新約聖書は決して武力による戦争を認めてはいないのである。
私たちはいかに弱いものであって忠実に従えないものであっても、キリストの教えとその精神はあくまで正しいのがわかる。そこには永遠の真理がある。現在の日本や世界は、核兵器を使う戦争が全面的に生じたりすれば、滅んでしまうのははっきりしている。こうした時代にあって、真理そのものであるキリストの教え、武力を取る戦いを退けて、信仰や神の言をもって戦うことが求められている。
休憩室
○ユリ
初夏から咲き始める花、その代表的なものはユリです。純白のユリ(テッポウユリ)を好まない人はまずいないと思われます。白いユリは古くから特別に愛好され、栽培されてきました。世界で最も古くから数千年前から栽培されてきたのは、マドンナリリーという名のユリで、白いユリです。
これは、ルネサンスの画家、ボッティチェルリの受胎告知にも取り入れられています。マリアがみごもったとき、天使が現れ、胎内の子は、聖霊によってみごもったということを知らせたのですが、その天使が手に持っているのがこのマドンナリリーです。
他にもフラ・アンジェリコ、ティツィアーノ、ムリリョ、コレッジオなど多くの画家がこの白いマドンナリリーを描いています。
このユリは、しかし、日本のテッポウユリが十九世紀後半からヨーロッパに入ってからは、次第にそのテッポウユリに代わっていきました。このユリの方がより気品があり、姿もよいからだと思われます。日本の南部、奄美大島や沖縄諸島などが自生地であって、そこから世界に広がったのです。現在では、ヨーロッパにおいても、その純白さや高雅な姿が愛されて、結婚や、葬儀、あるいはクリスマスのときなどさまざまに用いられています。またキリストの復活のシンボルとしても使われています。
そのためにこのユリの英語名はイースターリリー(「復活節のユリ」の意)なのです。全世界広いにもかかわらず、小さく目立たない琉球列島付近に自生しているものが、全世界の人々にキリストの復活を思い起こすに最もふさわしい花として用いられるようになったのは不思議なことです。
なお、ユリのことを百合と書くのはその球根が多くの鱗片(りんぺん)が合わさっているからです。
ニュージーランドのある植物学者の書いた本のなかに、ユリに関する文があったので引用します。
ユリにそなわった威厳ある優雅さと美しさは、この花をほかのどんな花からも際立たせている。はるか古代から庭に植えられた花の中でも、この花はもっとも深く愛されたものの一つである。そして花とか庭とかにたいしてほとんど、あるいは全く関心のない人々の多くが、ユリに対しては深く限りない愛着をもっている。夏の夕暮れの涼しい空気を心地よく包む、香り高いユリたちは、庭の最高の喜びの一つである。
ユリの仲間は静かな、心ひく力を持っているために、植物学者の心を動かし続け、さまざまの名を付けていった。それは、考えつくもっとも賛嘆に満ちた名を与えてきたのである。・中ヲ(「花々との出会い」A・アンダーソン著 八坂書房刊)
この文はユリへの深い愛情を感じるものです。
聖書でユリといえば、旧約聖書では、例えば詩編45編のタイトルに、つぎのように記されています。
指揮者によって。「ユリ」に合わせて。
これも、讃美に関する用語がユリの美しさに関係づけられています。
また、雅歌には「わたしはシャロンのバラ、谷間のユリ。」(雅歌二・1)などのようにユリが多く現れます。
このユリという原語(ヘブル語)は、ショーシャーンまたは、シューシャンといって、ここから、スザンナという女性名も生まれています。ユリやアイリスなどユリに似た花の一部も含む名前であったと考えられています。
しかし、最も有名な、そして大きな影響を及ぼしたユリに関する文はつぎのものでした。
また、なにゆえ衣のことを思ひわずらうや。
野の百合はいかにして育つかを思へ。労せず、紡がざるなり。
されど我なんじに告ぐ、栄華を極めたるソロモンだに、その装いこの花の一つにも及(し)かざりき。(文語訳 マタイ福音書六・28~29)
これは、現代語の口語訳、新共同訳聖書ではユリと訳された原語(クリノン krinon)が、いくつかの種類の野の花をも指す言葉であることから、「野の花」と訳されているために、最近聖書を読み始めた人は気付かないのですが、中世の標準の聖書であったラテン語訳や、英語聖書で最もよく用いられてきたジェームズ王訳で、ユリと訳されて以来、ずっと主イエスの言葉はユリとして親しまれてきました。世界の重要な現代語訳聖書でも、ユリ(lily)と訳しているのも多くあります。(*)
主イエスが詩人でもあって、みんながただ美しいとしか思わない花に関しても、重要な教えをそこから生み出されたし、それは二千年の歳月を越えて、つよい印象を世界の人々に与えてきたのです。
(*)例えば、英語訳聖書の代表的聖書の一つである、改訂英語聖書(Revised English Bible)、新改訂標準訳(NRSV)、エルサレム聖書(JERUSALEM BIBLE)、新国際訳(NIV)などです。なお、現代ドイツ語訳の一つ(DIE BIBLE・Einheitsubersetzung )や、現代フランス語訳聖書(TRUDUCTION OECUMENIQUE)などもやはり、ユリ(それぞれ Lilie、lis)という訳語を用いています。
徳島聖書キリスト集会案内
・場所は、徳島市バス中吉野町4丁目下車徒歩四分。
(一)主日(日曜日)礼拝 毎日曜午前十時三十分から。
(二)夕拝 毎火曜夜七時三十分から(旧約聖書を学んでいます)
・なお、毎月最後の火曜日の夕拝は移動夕拝で場所が変わります。
☆その他、土曜日の午後二時からの手話と聖書の会、日曜学校(日曜日の午前九時半から)が集会場にて。
また家庭集会は、海部郡海南町、板野郡北島町、徳島市国府町(「いのちのさと」作業所)、板野郡藍住町、徳島市住吉、鳴門市などで行われています。
また祈祷会が月二回あります。問い合わせは下記へ。
・代表者(吉村)宅電話(FAX) 08853-2-3017