2001年10月 第465号・内容・もくじ
秋の美しさ
秋は美しい。私はしばしば一年のうちで最も心ひかれる季節だと感じる。それは、一つには枯れていくときの美しさ。
木々や野草たちのなかには、その葉が枯れていくときに、かくも美しい色調と雰囲気を漂わせるのかと驚かされるようなものがある。
また、空気も清澄となり、夜空の星たちの輝きもいっそう澄んできて、夜空を見つめる一人一人への語りかけがよりはっきりとしてくる。
さらには、山には、多くの野草たちがつぎつぎと花を咲かせる。ヤマシロギクや、シラヤマギク、リュウノウギク、ノコンギクなど白や青紫のキクの仲間も秋に多く見られる。
オミナエシやリンドウは野生のものには最近は出会っていないが、かつて歩いた山において見つけたその場所とか状況が浮かんでくる。その仲間のアサマリンドウとかツルリンドウなどにはときどき出会うことがある。
もう現在では山を歩くことは、時間的に取れなくなり、ときどき山間部を越えてキリスト教の集会に参加する途中で、少し車を降りて観察する程度であるが、それでも秋の山は多くのことを語りかけてくれるし、かつて出会ったいろいろの野草の花たちを見つけると、私には何十年来の心の友と出会ったような気持ちになる。
厳しい冬の到来を暗示しつつ、実には赤や黄色などの色がついてくる。その実は実際に小鳥や森の動物たちの冬の食糧として自然によってそなえられたものだが、私たちにとっても、冬の厳しい時のために、美しい紅葉や実りによって私たちの魂への準備をしてくれているかのようである。
二つの道
一般の人と同様にキリスト者にもいろいろな考えがある。同じ聖書を読み、同じキリストを信じているはずであっても、その主張がはっきりと対立する問題がある。
その一つは戦争の問題、武力を使う戦いを肯定するかどうかという問題である。
いろいろな理由をあげて戦争を肯定する人がいる。現在の戦争に賛成しているアメリカの多くのキリスト者たちも同様である。
しかし、歴史を見ればすぐにわかることは、戦争によっておびただしい犠牲が生じているということだ。はじめはそんなにたくさんの犠牲が生じるとは予想されていなくとも、ひとたび始めると、つぎつぎとより大きい効果を求めて拡大していく。戦争を始めた者、指揮する者たちは、少し始めただけでは決して終えようとはしない。
日本が中国に攻撃して始まった中国に対する戦争もはじめはわずかの期間で中国を制圧するなどと言っていた。しかしそれは太平洋戦争へと拡大して十五年ほども継続する長期の戦争となっていったのである。日本も原爆や空襲を受けることになり、全体では数千万という膨大な人々が殺されたり、傷つけられたりする悲惨な結果となった。こうした事態になるとは、誰も予想していなかっただろう。
また、第二次世界大戦ののちも、一九六〇年代に十年余りにわたって行われたベトナム戦争では、死者は双方で百二十万人、負傷者は二百万人以上となった。こうした人たちの周囲には、家族を殺され、生涯自由のきかない体にされてしまった人たち、将来を破壊され、病気や障害に苦しむ数しれない人々を生みだしたのである。
また、現在の戦争の場となっている、アフガニスタンではすでに過去には二十年におよぶ内戦で百万人もの死者を出しているという。
今回のアフガニスタンへの攻撃もいつまで続くか分からないと、アメリカの大統領自身が言っている。
我々は歴史の大きい教訓を学んでいるはずであるのに、どうして再び戦争への道を歩もうとするのか。日本の首相は、つい今年の八月に靖国神社への参拝を強行するときの理由として、「二度と戦争しないと誓うためだ」などと言っていたが、その直後にいとも簡単にアメリカの戦争に加わる方針を明確に打ち出してしまった。
こうした戦争への流れに対して、キリスト者はどう考えるべきなのか。
キリスト者とはキリストにつく者、キリストに従おうとする者の意である。
そしてキリストは、つぎのような明白な基準を出された。
あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。
しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。(マタイ福音書五・43~44)
また、主イエスは誰が一番、神の国では大きいかという議論に答えて、つぎのように言われた。
そのとき、弟子たちがイエスのところに来て、「いったい天の国では、だれがいちばん偉いのですか」と言った。
そこで、イエスは一人の幼な子を呼び寄せ、彼らの中に立たせて、言われた。「よく聞きなさい。心を入れかえて幼な子のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。
この幼な子のように自分を低くする人が、天の国でいちばん偉いのだ。(マタイ福音書十八・1~4)
私たちは、キリストにつく者として、幼な子のように、このキリストの言葉に従い、今回のような報復の戦争はまちがっていると信じる。このキリストの言葉を単純に幼な子らしい心で信じるほど真理に近づく。だが、いろいろ複雑に考えて戦争を肯定するほど、キリストの真理から遠くなっていく。
アメリカがなすべきことは、報復という名の戦争でなく、貧しい国、病気になっても医者にもかかれず、飢えて死んでいくような多くの人々に救いの手を差し伸べることだ。ニューヨークでは五千人以上の人たちが今回のテロで死んだとされる。しかし、世界では、八億の人たちが飢えに苦しみ、食べるものすらまともに与えられない状況で生きており、毎日四万人もの人々が飢えで死んでいるという。しかし、今回のような戦争となってわずか一、二発のミサイルを発射すればそれだけで、数億円は消えてしまう。しかもこのような莫大な戦費は人を殺すために使われるのである。
こうした世界の苦しみや悲しみに真剣に目を注ぐことこそ、アメリカや日本、ヨーロッパなどの豊かな国々が為すべき正しいことのはずだ。そのようなことに真剣に、英知を働かせ、力を注ぎ、費用を費やし、人間を派遣していく国に、どうしてテロをする必要があるだろうか。そのような方向こそ、テロをなくする根本的な道にほかならない。
見えること、見えないこと(ヨハネ福音書九章より)
この世のたいていの問題は、「見えるか、見えないか」の問題に帰着すると言えます。 私たちが悩むのも、いま抱えている問題が将来どのように展開していくか分からない(見えない)こと、また現在の問題もそれがどのような意味を持っているのか、どう対処したらよいのか見抜くことができないこと、また過去のこともそれがどんな意味を持っているのかはっきりと分からないからです。このように、問題はすべて私たちには過去、現在、未来を通じて事柄の本質が「見えない」ということから生じてくるのです。
自分や家族の病気、家庭の問題、仕事の問題、あるいは将来老年になったときどうなるのかといった問題など、だれでも抱えている問題があります。
それが困難な問題であればあるほど、解決の見通しもたたず、どこにも逃れる道が見えなくなることがあります。そのような時には、前途が真っ暗で、過去も暗く、どうすることもできないあまり、自ら命を断とうとする気持ちにさえなる人もいます。
また、そうした問題とは別にとくに私たちは自分の罪が見えない、他人の罪もまた正しくは見えない。単に欠点はわかる。しかし、神の前にどんな罪を犯しているのかは分からない、見えないということがあります。
現在のテロ問題についても、テロを起こした人々はあのような行為がどんなに悪いことかが見えない、またアメリカも多くの国々も報復攻撃がどんなに大きい悲劇を生み出すか、真理はどこにあるかが見えない。
また、アメリカは圧倒的な富でゆたかな生活をしてきたが、そうした豊かさを地上の貧しい国々に正しく分配してきたのかという点についても、真相が見えていない。このように、この世の問題はすべて「見えない」ということ、とくに自分の罪が見えないことに原因があるのです。
それは根本的には、神が見えないことです。「見える」とはどういうことかという問題は、ヨハネ福音書においてとくに強調されています。
さて、イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。
弟子たちがイエスに尋ねた。「先生、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。」
イエスは答えられた。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。・・わたしは、世にいる間、世の光である。」
こう言ってから、イエスは地面に唾をし、唾で土をこねてその人の目に塗って言われた、「シロアム・・『遣わされた者』という意味・・の池に行って洗いなさい」。そこで、彼は行って洗い、目が見えるようになって、帰って来た。
近所の人々や、彼が物乞いであったのを前に見ていた人々が、「これは、座って物乞いをしていた人ではないか」と言った。・・ 人々が、「お前の目はどのようにして開いたのか」と言うと、彼は答えた。「イエスという方が、土をこねてわたしの目に塗り、『シロアムに行って洗いなさい』と言われました。そこで、行って洗ったら、見えるようになったのです。」(ヨハネ福音書九章より)
ヨハネ福音書においては、とくに「見る」という言葉が多く使われています。(*)生まれつき全盲の人が主イエスによって見えるようになったという記事は、驚くべき奇跡ですが、それもヨハネ福音書において強調されている、「見る」ということに関わることの一つです。
(*)例えば、ヨハl福音書で用いられている「見る」という意味の言葉はいろいろあります。そのうち、とくにヨハネ福音書で目立つのはつぎの三つの言葉です。これらが使われている回数をマタイ福音書と比較してみます。
・ホラオー(horaw) マタイ ヨハネ
13回 28回
・イデ (ide) 4 15
・セオーレオー(theoreo) 2 22
このように、ヨハネ福音書が特別に「見る」という言葉を多く使っているのがわかります。
この箇所では繰り返し現れる言葉があります。それは、「見えるようになった」ということと、「主イエスが、神のもとからきた」ということです。
この二つは結びついています。私たちは、実は「見えない者」です。私たちは正しい道が歩めない足の悪い人であり、神の国が見えない盲人であり、神の言が聞こえないものと言えます。
そのような見えない者が見えるようになるということ、それがこの箇所の主題であり、「見えない」という状態を根本から変えて「見える」ようにするのがキリストの目的なのです。そして、さきにあげた聖書の文のうちで、「見えるようになった」という箇所の、「見える」という原語は、五千人のパンの奇跡がなされたときに、「天を仰いで讃美の祈りを唱え・・」(マタイ14:19)という箇所に用いられている「仰いで」と同じであって、それは「見上げる、上を見る」という意味を持っています。主イエスによっていやされた目は自然に上を見る。人間の心が本当に主イエスによって救われたなら、上なる神を仰ぐようになるという意味がこもっていると言えます。
つぎに、主イエスは神のもとから来たのかどうか、これは一貫してヨハネ福音書がとくに重要視していることです。それは、この福音書の冒頭に、キリストはロゴスとして永遠の昔から「神であり、神とともにあった」と記されていることからもわかります。キリストは神と同質のお方でなければ、キリスト教の根本である、罪の赦し、復活、再臨などはありえないからです。しかしキリスト者であると自称する人たちにも昔からこのことを信じないものもいます。現代のエホバの証人がそれです。
また、イスラム教もイエスを預言者であって神の子(単に、神が創った子という意味でなく、神の本質をそのまま持っている存在という意味)でなく、人間だと称するのです。そして自分たちの敵に対しては、武力を公然と認める姿勢があります。ここにも真理が見えない盲目があります。このような「見えない」世界全体にいまもキリストは自分のもとへと招き、来るものを見えるようにされているのです。
この箇所で、生まれつき目が見えない人は、昔から非常な苦しみを受けてきたのがうかがわれます。そのような特別な苦しみがあったからこそ、それは何が原因なのかと多くの人が考えるようになったのです。ここではそうした苦しみをじっさいの盲人の言葉を引用します。
つぎにあげるのは、一九〇〇年生まれの人で、各地を歩きながら旅をして、三味線を引いて民謡などを歌いお金をもらって生きていた盲人女性が書き残した文です。小林ハルさんという人で、九歳から親方にもらわれて三味線と唄を仕込まれ、旅に出て、五十年以上も東北地方を歩いた。ハルさんは一九七八年、無形文化財技芸保持者とされて、黄綬褒章も受けた人です。
私が盲(めくら)(*)だということは、九つになるまで、だれも教えてくれなかった。・・毎日一人で寝間におかれ、三度のご飯も運んでもらった。「お前はいい子だから、おとなしくしているんだぞ、名前を呼ばれなかったら声を出すんではないよ」と教えられた。寝間は家の一番奥にあって、窓は二重窓だし、用のないときは開けないように言われていた。あの家に盲(めくら)がいる、と言われるのがいやだったんだろう。おじいさんが村の区長などいろいろ役をしているのに、目の見えない子がいると世間体が悪いと、私をずっと家に閉じこめておいたようだ。私はものごころついてから母親に抱いてもらったことがなかったし、母の実家へも連れていってもらったこともなかった。人前に目の見えない子を連れていくのが恥ずかしいからだったのだろう。・・
私が七歳のときから、瞽女(ごぜ)(**)の親方が家に来て、三味線や唄を教えてくれた。
・・九歳になって家にばかりいると、三味線と唄を歌って歩く旅に出てからよく歩けないと困ると、少しずつ家の外に出してくれた。外に出るとすずめやらヒバリやらいろいろ小鳥の鳴き声がいっぱいする。空気はうまいし、外って本当にいいもんだなあと、そのうれしさは、言葉で表しようがなかった。ご飯時になっても家に入りたくなュなって、ハル、ご飯だぞと言われても、ご飯など食べなくってよいと思った。・・
天気のよい日、ほかの子どもたちと花をつむ遊びをしていて、同じ色の花を取ってくるようにと言われたが、何度取ってきても花の色がいろいろなものが混じっている。子どもたちから、この花、色が違うぞと言われ、また取ってくるが、何度取ってきても色が混じってしまう。「ハルは盲(めくら)だもんで、色がわからないだわ」と言われた。
家に帰って、母親に「めくら」とは何か聞くと、母親は声を出して泣き出してしまった。しかし、私をみんなの遊んでいるところに連れて行き、「ハルは目が見えなくて色もわからないんだから、めくらだなんて言わないで、仲良く遊んでやってくれ」と頼んで言った。・・(***)
(*)めくらという語は昔から目の見えない人を見下す気持ちで使われたことも多いために、現在では使うべきでない言葉となっている。目が見えない人というか、または盲人、あるいは視覚障害者という。
(**)瞽女(ごぜ) 三味線を弾き、唄を歌いなどして銭を乞う盲の女。
(***)「盲と目あき社会」169p~ 朝日新聞社刊
このハルさんは、九歳から三味線と唄をうたう旅芸人となって家から出ていったのですが、しばしば盲人はこのようにずっと家に閉じこめられたままで暮らしたという悲惨な状況であったのです。
また、キリスト教の精神をもとにした大学の一つである関西学院大学に盲人として初めて入学を許可されて、のちにキリスト教の伝道者となった、熊谷鉄太郎は、つぎのような経験をよくしたとのことです。
子供のころに、「座頭(盲人のこと)ほど、人間ににた虫はなし、昔は人か、目の跡がある」というようなひどい言葉を投げつけられた。
また、八歳のときに、ハリ治療師のところに弟子入りし、自分で一人歩きしようとして、戸外を歩く練習をしているとき、道に迷い、あちこちでどう行くべきか困り果てていると、付近の子供たちが、いじめてはやし立て、前にまわって顔をのぞき込んだり、後ろから背中をつついたり、見えない子供にとって大切な杖を奪い取るなどという仕打ちにあった。(「主はわが光」162p 日本キリスト教団出版局刊)
そしてこのような悪質ないじめは以前は、日常茶飯事であったということです。また、昔はご飯を粗末にすると、「めくら」になるなどと言って親が子供を叱ったために、目が見えないという悲しい障害はなにか悪いことをした結果なのではないかという重苦しい気持ちにさせるものでした。
盲学校が始めてできたころには、戸外の日に当たったことがないことがすぐにわかるような、肌や顔色のしろい子どもたちが入学してきたと言われます。それも、やはり目の見えない子どもとして生まれたら、家の恥だと外に出してもらえず、閉じこめられた生活を余儀なくされていたからだったのです。
こうした深い悲しみに包まれた盲人の生活は、おそらくどこの国でも同様であったようです。ヨハネ福音書で今回取り上げた箇所(九章)でも、生まれつきの盲人が乞食をして生活していたとのことです。家でいても、邪魔者扱いされる、外に行くにもだれかの手引きがいる、乞食をするにしても、盲人の近くを歩く足音によって声を出して物を恵んでくれるようにと叫ぶ。ときにはお金や物を恵んでくれるだろう。しかしときにはあざけられ、侮辱されることも多かったと思われます。私が小さい頃、だいぶ離れた所で目にした光景ですが、足の不自由な障害をもった子どもが年の上の子どもたちから、あざけられながら帰っていたのを今も覚えています。なんとひどいことを、と思ってその状況はいまも目に焼き付いています。
日本ではとくに、全盲とか肢体障害者、あるいは聴覚障害者の人たちがよく、先祖の罪がたたっているのだなどと言われる理由として重要だと考えられるのは、つぎのような仏教の経典の記述です。
この法華経(*)を受けて唱え、正しく学んで筆写する者、そのような人は、釈迦にまみえて仏の口からこの経典を聞くのと同様になる。・・
しかし、この最高の経典を守る僧侶たちを迷わす者は、生まれつきの盲目となる。またそうした僧侶たちの悪口を言う者たちは、この世においては、白癩(びゃくらい)(**)の病気となる。また嘲笑する者たちは、歯が折れたり、抜けたりする。さらに、忌まわしい唇を持ち、手足は曲がり、目が逆さとなる・・(法華経・岩波文庫版下巻332p~)
(*)今からお謔サ、紀元前後の頃(二千年ほど前)に原型が書かれ、二世紀頃に出来上がった経典で、すべての仏教経典のうちで最も重要な経典の一つとされ、経典中の王とも言われる。数種の訳のうち、鳩摩羅什(くまらじゅう)訳の「妙法蓮華経(みょうほうれんげきょう)」が断然群を抜いて広く読まれ、それが中国や日本の仏教に与えた影響、そしてそれを通じて文学などにみえる反映は、あらゆる仏教経典をあわせたもののなかで最大である。(日本大百科全書による)
(**)ハンセン病。
このように、おびただしい仏教経典の中でもとりわけ重要な法華経において、目や身体に障害が生じたり、ハンセン病になったりするのは、法華経を尊重する僧侶たちを悪く言ったりすることへの罰だと記されているのです。これが仏教経典の代表的なものであり、権威ある著作とされていたからこそ、以後の日本にもこのような考え方が正しいとされていったのがわかります。
しかし、このようなことは、仏教だけでなく、ほかのいろいろの宗教でも言われてきたことです。わが国の盲人福祉の先駆者の一人、岩橋武夫(*)のこうした経験についての文を引用します。
岩橋武夫は早稲田大学の学生時代に失明した。医者に見放される。母親が観音様に二十日間の寒まいりをする。ご利益などなかった。その年の除夜の鐘が鳴り出すとき、彼は自殺しようと計画したが、母親の本能的な勘でみやぶられ、死ねなかった。そのあと親類から天理教の女性の布教師が、彼のもとに送られてきた。この布教師が彼の失明の原因についてこんなことを言った。
「あなたの目が悪くなったのは、ご先祖のお祭をおろそかにした結果です。あなたのおうちが、ご先祖の霊をおろそかにしているため、そのたたりを受けて、目が悪くなったのです。」
この奇怪な言葉に、私は黙っておられなかった。先祖というからには、私の親の何代もの遠くからの親たちであろう。それを祭れば幸福を与え、祭らねばたたるという祖先なら、こちらから縁をきる。・・この破滅のどん底の一家を少しでも救い出してもとの家庭らしい家庭にしようとする決意こそは、墓石を立てたり、祭壇に供物するより、はるかにまさる祖先への孝養だと確信していたからである。(「盲と目あき社会」196p)
現在でも、特別な身体の障害があったり、ガンとか事故、特別な病気や障害を持つようになると、先祖のたたりとかいうことはよく耳にすることです。そのような考え方は、非常に広く世の中に浸透しているのがわかるのです。
このような考え方、宗教的な見方によって、長い歳月にわたってどれほどの障害者やハンセン病患者、あるいは、結核やその他の苦しい病気に悩む人が、さらに宗教上での苦しみを受けてきたか、計り知れないものがあります。
こうした見方に対して、まったく異なる見方を与えたのが、キリストであり、とくに新約聖書の、すでに引用したヨハネ福音書の箇所だとわかります。
岩橋武夫は、盲学校に入学し、英語をふかく学び、外国に点字の書物を注文したとき、最初にロンドンから届いたのが、ヨハネ福音書でした。それを寝食を忘れて読んでいくうちに、それまで、ずっと心にわだかまっていたこと、つまり目が見えなくなることは、先祖のたたりだという問題についての究極的な解答が得られたのです。
それが、ここにあげたヨハネ福音書の箇所でした。自分が目が見えなくなったのは、先祖のたたりなどでは断じてなく、「神のわざが現れるため」なのだと。
こうして彼の後の大きな働きが生まれていくことになったのです。聖書の一言がいかに大きい力を持っているかの実例の一つと言えます。それは単なる書かれた言葉でなく、その言葉の背後に生きた神、全能の神、愛の神がおられ、その言葉を通して神が新しい世界へと導き、たえず神の力を注いでいったから、大きい働きを継続的に生んでいったのです。
(*)岩橋武夫は、大学時代に失明して中退。関西学院大学に転じ、エジンバラ大学を卒業。帰国後、関西学院大学などで教鞭をとる一方、一九三五年日本で最初、世界で13番目の盲人福祉施設、ライトハウスを大阪に創設した。その間二度の渡米により、ヘレン・ケラーと親交を結び、ヘレン・ケラー日本招待に尽力した。大阪盲人協会会長を務め、日本盲人会連合、日本盲人福祉協議会の結成に尽力、中央身体障害者福祉審議会、世界盲人福祉協議会の委員としても指導的地位に立って幾多の業績を残した。(平凡社刊 世界大百科事典による)
また、このヨハネ福音書の箇所に支えられて、やはり全盲という重い障害が神のわざが現れるために用いられた有名な例は、日本点字図書館を創設した本間一夫ですB点字図書館は、現在では全国に見られるようになっていますが、その最初のものを一九四〇年、戦前の多くの無理解のただなかで開いた人です。彼は目が見えなくなってどのようにしたかを振り返ってつぎのように書いています。
「畑の神様、橋ぎわの仏様といったところにばあやに手を引かれて照る日も降る日も毎日毎日通いました。一日でも休むと、信心が足りないと言われるのです。短くお経をあげて、そのすぐあと、私の体をあちこちなでさするのです。私の家は禅宗なのですが、日蓮上人を信じるとなおるというので、私一人が法華宗に籍を移し、おばあさんに付き添われて寒い冬の本堂で「南無妙法蓮華経」の太鼓を打続けました。・・また、石狩川を小さな舟で渡り、観音様にばあやと一緒に一か月こもったこともあります。」(「指と耳で読む」本間一夫著 岩波新書13pより)
こうしたことも、盲になることは、先祖へのおまつりが足りないために、たたっているという考え方からなされたことです。しかしいくらそのようなことをしても彼の心には新しい世界は開かれなかったのです。
彼の魂に光を与えたのは、函館の盲唖院(*)に入学したとき、そこの院長が無教会のキリスト者であったこと、そしてそこにおいて、無教会というキリスト教の流れの創始者となった内村鑑三の「後世への最大遺物」という本に出会ったことが大きいきっかけとなったといいます。
(*)(盲人とろう唖者が学ぶ学校、初期はこのように盲と聾唖の障害者を一つの学校にて教育していた)
点字になっている本は繰り返し繰り返し実によく読みました。なかでも内村鑑三の「後世への最大遺物」には、深く深く教えられました。これは「我々は何をこの世に残していくべきか、金か、事業か、思想かこれらはいずれも残す価値はあるが、誰でもが残すことができない。また本当の最大の遺物でない。誰にでも残すことができる最大の遺物、それは勇ましい、高尚な生涯である。」というのです。将来の方針に悩み始めていた時期だけに、私はこの本から決定的な影響を受けました。(前掲書27p)
さらに、彼は前述した岩橋武夫を知り、盲人牧師の熊谷鉄太郎のキリスト教伝道においての力ある働きも知ることになります。その後、点字図書館というライフワークへと導かれます。そのきっかけとなったのは、やはりキリスト者で、内村鑑三の弟子であった、好本
督(よしもと ただす)(*)の著書です。
その著書には、ロンドンには世界一大きい点字図書館があって、その書だなを連ねると、五・六キロほどにもなるということが書いてあり、それに本間一夫は胸踊らせたのです。
このようにして、本間一夫が日本で最初の点字図書館の創設に向けての精神的な準備がなされていきました。このような盲人の力強い歩みを支えたものが、キリスト教であり、とりわけ、ヨハネ福音書のこの箇所であったといえます。
(*)好本 督は一八七八年生まれ。東京高商(現在の一橋大学)を卒業、のちにイギリスに渡り、オックスフォード大学に入学。若いときに、内村鑑三によってキリスト教信仰を得る。弱視となり、自分の行っていた事業の収益を盲人福祉にそそぎ込んだ。関西学院大学は、日本では盲人を始めて受け入れた大学であったが、この大学の門戸を盲人にも開かせたのも、好本
督の働きであった。そして本間一夫が大きい影響を受けた一人、熊谷牧師が関西学院大学に初めて盲人として入学したときに、その奨学金を提供したのもその好本である。盲人に対して、点字聖書が不可欠だとしてその出版のもとをつくり、また点字毎日という点字新聞の発刊も好本の発想と強い勧めによって始められた。このように日本の盲人福祉の父と言われるほどに大きい働きをした。
以上のように、盲人に深く広い影響を与えたヨハネ福音書九章の内容を考えてみます。
弟子たちがイエスに尋ねた。「先生、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。」
イエスは答えられた。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。」(ヨハネ九・2~3)
ここでは、生まれつき目が見えないという特別な苦しみは、決して親とか本人の罪に対する罰ではない、それは、そのような苦しみを通して愛と真実の神がその働きを現すためだと言われているのです。
神はいろいろのことを通してその働きを現されます。能力のある人、例えば霊的に賜物が与えられて、病気をなおしたり、世のなかの動きを見抜いて指導したり、神の言烽チて警告を与える人、音楽や絵画を通して人々の心をうるおす人、また学問の研究によって病気や社会的な問題の解決に働く人等など。
このようなことなら、だれでもそれは重要だと思います。しかし寝たきりの障害者とか全盲の人のように特別に重い障害であると世の中に役立つことは何にもできないといって、見下され、嫌われ、さらに前述のように神仏のたたりだと言われてきました。
こうした社会の常識に対して、キリストはまったく違った視点を与えたのです。重い障害者もまた神の働きを証しする存在となるのだと。神は健康な人、能力のある人、活動的な人だけでなく、病人や障害者、また老人や子供、あるいは死に近づいたような人ですら、神のはたらきを現すために用いられるのだということです。
この聖書の箇所では、実際に目の見えなかった人が、主イエスの驚くべき力によって見えるようになっています。
土を唾液でこねてそれを盲人の目に塗った、そして「シロアム」という名の池に行くようにと命じました。周囲の人たちはそんなことで生まれてから目が見えないという長い苦しみがなくなると到底思われなかっただろうけれども、この盲人は、意外にも主イエスの言葉をそのまま信じて、その池に連れていってもらって洗ったところ、本当に目が見えるようになったのです。
もしこの盲人がそのような単純なことで治るはずがないと勝手に決めて、池に洗いに行かなかったら見えるようにはなっていなかった。その意味で、主イエスによるいやしを受けるためには、主イエスへの信仰が不可欠だと言えます。
この盲人は、いやしてもらった後で、当時の宗教熱心であり、指導的であった人々(パリサイ派の人々)に問いただされ、イエスは罪ある人、非難されるべき人間なのに、目が見えるようにできるはずはない、と言われます。
しかし、目が見えるようになった人は、つぎのように答えました。
「あの方が罪人かどうか、わたしには分からない。ただ一つ知っているのは、目の見えなかったわたしが、今は見えるということだ。」(ヨハネ福音書九・25)
当時の社会的に指導的人物であろうと、権力家であろうと、事実は変わらないことをこの人ははっきりと述べたのがわかります。どのような無学な人でも、また地位の低い人、見下されているような人でも、神から与えられた経験を持つとき、ひとは強くなる。
キリストの弟子たちは、主イエスが殺されてから、自分たちも捕らえられるのではないかとの恐怖におびえ、また指導者が犯罪人として処刑されたことへのショックから、家に鍵をかけて隠れていたほどです。
そのような弱気になっていた弟子たちが、力強く福音を宣べ伝えるようになったのは、どんな時であったか、それは、主イエスの復活を経験したこと、復活したキリストと同じ本質である聖霊を受けたことによってでした。
イエスは復活された、私たちはその証人なのだ!(新約聖書・使徒行伝二章)
というのが、最初のキリスト教伝道の内容の中心にあったのです。学問もいらない、地位やいろいろの道具も要らない、多くの人間の力や武力も不要だった。必要なのはただキリストが自分たちに現れて下さった、聖霊が注がれたという素朴な実感であったのです。 聖霊によって、それまで見えなかった神の力、神の御支配、神の愛、そして悪が最終的には滅ぶのだということなどが見えてきたのです。
この盲人が見えるようになったという奇跡は、決して生まれつきの全盲の人だけに関係あるのではありません。私たち自身が、キリストの弟子たちもそうであったように、精神の世界での盲人であるからです。そしてその霊的な盲という状態を終わらせ、神と神の国が見えるようになるために、主イエスは来られたとも言えるのです。
イエスは言われた。「わたしがこの世に来たのは、裁くためである。こうして、見えない者は見えるようになり、見える者は見えないようになる。」(ヨハネ福音書九・39)
このように、この生まれつきの盲人の目が開かれたという長い章の最後に、この言葉があるのを見ても、この記事の目的が単に生まれつき全盲の人の奇跡を書くことにはないのがわかるのです。
パリサイ派の人々も自分たちにこのことが語られたのに気付いて、「それでは我々も目が見えないということなのか」と怒って言ったのですが、主イエスは、つぎのように言われました。
「見えなかったのであれば、罪はなかったであろう。しかし、今、『見える』とあなたたちは言っている。だから、あなたたちの罪は残る。」
このように、盲人が目を開かれるという奇跡を伝えたこのヨハネ福音書の有名な箇所は罪を知るのかどうかというイエスの言葉で終わっていることにも注目させられます。実際に主イエスはこのような奇跡をされた、しかしそれだけなら、盲人の人たちだけにしかあてはまらない。ここで言われていることは、人間すべてに向けて言われたことだとわかります。人は、自分たちの罪が見えない、そこからあらゆる災いが生じるのだ、罪が見えないから、それを赦し、清める神もキリストも見えない。不要だと思ってしまう。
神の無限の力、大きさ、その愛や正義の力なども見えない。
私たちが罪を知るとは、自分の弱さ、醜さを知ることであり、自分中心に考えるという根深い傾向を知ることです。自分の心がそのようなみじめなものであることを思い知らされた心こそ、「心の貧しき者」です。
それは、キリストが山上の教えにて冒頭に言われた言葉、「ああ、幸いだ、心の貧しい者は!」ということにつながります。
罪を知り、悔い改め、心を神に方向転換するとき、「神の国はその人たちのものである」との主イエスの約束が事実であることを知らされるのです。
目が見えないということだけでなく、あらゆる苦しみや悲しみ、不幸とされることはすべて、「神のわざがその人に現れるためである」という真理があてはまると言えます。
前述の岩橋武夫のつぎの言葉は、彼もまたこのヨハネ福音書の箇所とマタイ福音書の山上の教えの深い結びつきを実感していたのだとわかります。
「幸いだ、心の貧しい者。天の国はその人のものである。ああ、幸いだ、悲しむ者。その人は慰められる。」
これは実に逆説であるが、また大いなる真理である。イエスは盲人を対象として、宿命観より、使命観へ帰れ、とわれらに教えているのである。苦悩、失敗、悲哀、罪、病気の苦しみなどを含む現実のいっさいは、昨日の単なる結果でなく、じつはよりよい明日のために用意されたものである。きのうは今日に葬らせ、今日を今日から救い出す。ここに、土くれの器(うつわ)も転じて神の栄光を現す器となる。
この霊感を与えられたとき、私は初めて、闇の問題がいっさい解決されたのを覚えた。私の一家は、じつに闇のゆえに、闇を転機として、よりよい生活を与えられたのである。(「盲と目あき社会」朝日新聞社刊198pより)
ここで岩橋が述べているように、「宿命観から使命観へ」との考え方の転換は重要です。人間はともすれば、特別な障害や病気、事故、苦難などがあるとき、それを自分には先祖のたたりでこうなったのだとか、運命だ、もうどうすることもできないのだ、というような考えになることが多いのです。
しかし、キリストの言葉によれば、そうした苦難は決して先祖の罪とかたたりなどでなく、その苦しみや障害、病気などからよきものが生じるようにとの深いご計画によるのだ、特別な苦しみに会っている者はそれだけ特別な使命を神から与えられているのだというのです。
このように、聖書の短い一言がいかに深い闇をも照らしだすか、そして歩めなかった人生の足どりを前進させ、自分だけが立ち直るので終わることなく、数知れない同じ苦しみを持っていた人々への光となり、力となっていったかを知らされます。
それはたしかに神のわざが現されたのがわかるのです。そして今も、さまざまの困難や闇、悲しみが降りかかるただなかで、神はそれらを用いて神のわざを現そうとされているのです。
イスラム教とコーランについて
私たち日本人はイスラム教とかその経典であるコーランについてほとんど知らないのが実状です。ここでは、イスラム教やコーランについて本など購入して調べるということのできない人も多くいるので、そのような人たちのために書いてみます。
(なお、イスラムとは唯一の神、アラー(アッラー)に絶対に服従することを意味し、信者のことをムスリムという。)
イスラム教の創始者であるマホメット(ムハンマド)は紀元五七〇年頃に現在のサウジアラビアのメッカで生まれ、六三二年に死去しています。コーランはマホメットが神から受けたと信じたことを語ったものが集められたものです。彼が最初にメッカで神の啓示を受けたと称するのは、四〇歳頃のことで、紀元六一〇年のことです。
マホメットが理想とするのは、旧約聖書の中心人物の一人、アブラハムの信仰です。日本人にとってイスラム教というのは、キリスト教、仏教、イスラム教と並べていうことが多いために、聖書の宗教、つまりユダヤ教やキリスト教とはまるで別のように思う人が多いのですが、この二つの宗教と深い関係があります。
アブラハムの信仰は、キリスト教においても、信仰の模範の一つとなっていますが、完全な模範はいうまでもなく、キリストです。
しかし、イスラム教はアブラハムの信仰を最終的な模範とし、アブラハムの宗教を復活させることが目標だとしています。
「アブラハムは、ユダヤ教徒でもなく、キリスト教徒でもなく、純正な人、帰依者であった。彼は多神教徒ではなかった。人々のなかで、アブラハムに最も近い者は、彼のあとに従った者、この預言者(マホメット)、信仰ある人々である。」(コーラン第三章67~68)
コーランの中には、アブラハムやモーセ、ヨセフといった旧約聖書の有名な人物の名前がしばしば現れます。その中には例えば「ヨセフの章」と題された章があり、それは旧約聖書のヨセフ物語の記事をもとにした内容だと直ちにわかるものです。ヨセフが兄弟たちのねたみを受けて野の井戸に投げ込まれ、兄弟たちが、父ヤコブに嘘を言うこと、エジプトに売られていったヨセフが、心のよこしまな女性によって、誘惑を受け、それを拒絶した結果、ヨセフは無実の罪を着せられたこと、投獄されたヨセフが夢を説いたことなどほとんど筋書きは同じです。その章は物語で終始している章となっています。これがコーランかと思うような旧約聖書のヨセフの物語の簡略版のような内容なのです。
マホメットが住んでいた地方にはすでにユダヤ人やキリスト者たちがいたし、彼の最初の妻の従兄弟であった人は、キリスト者であったと伝えられ、キリスト者たちが付近に隊商としてやってきたこともあると推測されています。
そうした人たちから聖書の話を聞いて知識としたようで、その知識はかなり不正確です。
例えば、コーランの第十九章は、「マリヤの章」と題されて、新約聖書のルカ福音書の一章をもとにして書かれているのがすぐにわかります。そこでは、ザカリヤやヨハネのこと、天使がマリヤにイエスの誕生を告げたこと、マリヤがそれに答えて「だれも私にふれたこともなく、不貞な女でもないのに、どうして私に子供ができるでしょうか。」と答えたと記されています。これは新約聖書の「どうしてそんなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに」(ルカ福音書一・34)という、福音書の記述を借りてきて、それを少し変えたのだというのがはっきりわかります。
しかし、マホメットは聖書を直接にはよく知らなかった、読んでいなかったと考えられています。先ほどのマリヤの章の28節にはつぎのようにあります。
やがてマリヤはその子(イエス)を抱いて、一族のもとにやってきた。みなは言った。「マリヤよ、お前は大それたことをしたものだ。アロンの姉よ、お前の父は悪人でもなかったし、お前の母は不貞な女ではなかった」
この記述は、旧約聖書にアロンの姉がミリアム(マリアのヘブル語発音)であるという記述を間違って書いてしまったものと考えられています。(旧約聖書・出エジプト記十五・20)つまり、イエスより、千数百年ほども昔のアロンやモーセの姉と、イエスの母とを名前が同じマリヤであったために、混同しているのです。これは、マホメットが聖書を持っておらず、おそらく、旧約聖書や新約聖書の話を周囲の人たちから部分的に耳で聞いて、うろ覚えで書いたからこのような基本的な間違いをしていると考えられています。
また、ほかにもこのような間違いは見られます。
シナイの山で、モーセが十戒を受けている間に山の下では、人々が偶像崇拝をして神への背信行為を繰り返していたときのことがコーランでも書かれています。
「お前(モーセ)の去ったあとで、われらはお前の民(イスラエルの人たち)を試みにかけた。サマリヤ人が彼らを迷わせたのである。」(コーラン二十章85)
と書いてあります。しかしサマリヤ人というのは、モーセよりはるか後の時代に出てくる人のことです。イスラエルの人々を迷わせたのは、サマリヤ人でなく、アロンであったのです。
また、キリスト教の中心的な教義でもある、神とキリストと聖霊が同じ本質であること(三位一体と言われる)を否定しているが、そのことをコーランではつぎのように書いています。
「まことに、神は三者のうちの一人であるなどという人々はすでに背信者である。唯一なる神の他にはいかなる神もいない。・・マリヤの子(イエス)はただの使徒にすぎない。彼以前にも多くの使徒が出た。また、彼の母(マリヤ)は誠実な女であったにすぎない。二人とも、食物を食べていたのである。・・」(コーラン五章73~75より)
このように、三位一体という、キリスト教では、きわめて重要な教義についても、なんとマホメットは、「神とキリストとマリヤ」の三者が一体であると思いこんでいたのがうかがえます。
このように、旧約聖書や新約聖書の引用があちこちで見られますが、このような初歩的な誤りが見いだされるのです。
コーランでは、預言者として、つぎのように、旧約聖書で親しみある名前と、新約聖書からも一部、例えばイエスといった名前があがっています。
「まことに我らがなんじに啓示したのは、ノアとそれ以後の預言者たちに啓示したのと同様である。われらはアブラハム、イシマエル、イサク、ヤコブと各氏族に、またイエス、ヨブ、ヨナ、アロン、そしてソロモンに啓示した。またダビデに詩編を与えた。・・モーセには神が親しく語りかけられた。」(コーラン第四章163~164)
このように、主イエスもコーランにおいては、預言者たちのうちの一人であって、人間のなかまにすぎないとしています。旧約聖書の神が預言者として特別に選んだ人物をコーランでもそのまま、預言者として受け入れているのに、どうして新しい宗教が必要であったのかと疑問になります。それをコーランではつぎのように説明しているのです。
「しかし、コーラン以前にも、導きであり、慈悲として授けられたモーセの経典があった。このコーランはそれを確証するもので、アラビア語で下され、悪い行いをするすべての者たちに警告し、善い行いをする者たちによい知らせを伝えるものである。」(コーラン四十六章12)
つまり、旧約聖書は神からの書であることを認め、それをさらに確証するものがイスラム教では、コーランだというのです。コーランは新約聖書をも部分的に神から下されたものと認めます。
「このコーランは神をさしおいてねつ造されるようなものでなく、それ以前に下されたもの(旧約聖書と新約聖書)を確証するものであり、万有の主よりのまぎれもない経典をくわしく説明するものである。」(コーラン十章37)
このように、コーランを究極的なものとして位置づけます。
そしてユダヤ教徒もキリスト教徒も、その神からの啓示をゆがめてきた、それをアブラハムの正しい信仰に復元するのがイスラム教だという主張なのです。
しかし、キリスト教の内容に影響を受けてつくられたと考えられる教義には、復活、天使や悪魔の観念、それから死後の裁き、天国と地獄などの観念があります。これらは旧約聖書にはないか、あってもごくわずかです。アブラハムの信仰を目標とするといえども、アブラハムにはそのようなことについての信仰内容は見られないので、こうした観念は、新約聖書に影響を受けて作られているのがわかります。
現在深刻な問題となっている、テロはいったいどのようなコーランの内容に基づくのか、それは多くの人にとって疑問となっています。世界宗教とも言われるものが、あのような大量の無差別殺人を教えているのかと。これはもちろん否ですが、聖戦、これはつぎの箇所がもとになっています。
神(アッラー)の道のために、おまえたちに敵する者と戦え。・・お前たちの出会ったところで、彼らを殺せ。お前たちが追放されたところから敵を追放せよ。迫害は殺害より悪い。(コーラン第二章190~191)
このように、言って、イスラム教徒を迫害することは、殺すことより悪いとして、イスラムを迫害する敵がいる場合には、相手を殺すべきなのだとはっきり敵を殺すことを命じています。
こうした戦いのことを聖戦(ジハード)と言っています。そしてこうしたイスラム教徒以外の敵との戦いで死んだ者は、アッラーの神のもとで神からの恩恵を受けて生きている、とされています。(コーラン第三章169~170)
今回のアメリカの高層ビルへの攻撃は、この聖戦と称する戦いだと信じてなされたのが推察されるのです。
マホメットは「剣とコーラン」をもって征服していったと言われます。イスラムの敵には容赦なく処刑するという姿勢、イスラム教の敵は殺すことをすら正当化すること、こうしたことが、現在の一部のイスラム原理主義の者たちが、無差別的なテロを行う宗教上での根拠ともなっています。
このように、イスラム教は、旧約聖書や新約聖書のとくに福音書をも神の啓示とみなし、ユダヤ教やキリスト教からもいろいろとコーランに引用していますが、つぎのような点でキリスト教と根本的に異なっているのです。
コーランはイエスをマホメット同様ただの人間の仲間であるとします。しかし、キリスト教はイエスは神と同質のお方であるということが啓示されるところから出発しています。イエスが人間なら、罪の赦しもできず、復活もありえず、死を超える力を与えることもできない。イエスを人間と同じだとするなら、それは、聖書を用いる宗教の一つではあっても、決してキリスト教とは言えないのです。
そして、信仰の究極的な模範を、イエスやモーセでもなく、アブラハムに置いています。それによって、神がキリストを長い間の預言の成就として、この世に送ったのに、それを無にすることであり、歴史を逆戻りにさせ、イエスより千七百年ほども昔のアブラハムを完全な信仰の模範として、それに帰ろうとするのです。
さらに、武力を用いることを当然とすることや、一夫多妻もキリスト教と根本的な違いの一つです。マホメットは、十数人もの妻を持っていました。その中には、政略結婚のようなものもあったり、わずか六歳の幼女と婚約し、その三年後に結婚しているような例もあります。
このようにつぎつぎとたくさんの女性を妻に迎えるなどということは、キリスト教では考えられないことで、武力の肯定、宗教上の敵を殺すべきだというような点とともに、キリスト教とはきわだった違いだと言えます。
主イエスは、敵に対する態度は究極的にはどのようであるべきか、このことについて、聖書を見てみます。
「あなたがたも聞いているとおり、『目には目を、歯には歯を』と命じられている。
しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。・・
「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。
しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。(マタイ福音書五・38~44より)
また、コーランが宗教上の敵には殺すこと(剣をとること)を命じているのに対して、キリストは、つぎのように言われました。
そのとき、イエスと一緒にいた者の一人が、手を伸ばして剣を抜き、大祭司の手下に打ちかかって、片方の耳を切り落とした。 そこで、イエスは言われた。
「剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる。」(マタイ福音書二六・51~52)
この言葉の通り、武力で敵を征服しようとするものは、必ずまた武力によって滅びていくということは、歴史のなかで繰り返し見られることです。
そして主イエスの霊を最も多く注がれた使徒パウロもつぎのように教えています。
愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せよ。「『復讐はわたしのすること、わたしが報復する』と主は言われる」と書かれている。
「あなたの敵が飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませよ。そうすれば、燃える炭火を彼の頭に積むことになる。」
悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい。(ローマの信徒への手紙十二・19~21)
このような、明白なキリストの教えと、その精神に反して、アメリカやヨーロッパの主要国がいっせいにアメリカとともに武力での攻撃、戦争を始めようとしています。そのようなことは、決してよいことを生み出すことはできないのです。
イスラム教の大きい問題点は、このように、イスラム教に敵対する者を殺してもよいとする、マホメットの教えにあります。
主イエスは、こうした武力によっては決して問題は解決しないということを深く見抜いておられました。そして、そうした武力報復とはまったく異なる道で悪に立ち向かうことを教えたのです。
それは、神の前に静まり、敵のために祈り、あくまで真実な神の力に頼り、その神の裁きに委ねていくということです。ここにこそ、あらゆる紛争の根本的な解決の道があります。
ことば
愛と説得とは戦いの武器より大きな力を持つ。また、もっとも悪しき人間であっても、自分を真に愛していると思った相手には害を加えようなどとは、なかなかしないものである。愛と忍耐こそが、最終的には勝利を得る。(ウィリアム・ペン) (*)
(*)ウィリアム・ペンはキリスト教のクェーカー派の指導的人物の一人。現在のアメリカのペン・シルバニア州という名は、「ウィリアム・ペンの森」という意味である。シルバ(silva)とはラテン語で森の意。
返舟だより
○このところ、体調がとても悪く、家事もあまりできませんでした。そのおかげでテープを二度拝聴しました。もう一度聞きたいテープもいくつかあります。今までも聖書は新約、旧約を何度か読みましたが、どうも表面だけでした。このたびは、聖書の内容を歴史、社会の背景とともに教えて頂き、よく分かりました。私の人生のたそがれに一番大切な神様のみ言葉を聞くことができますことは、こよなき幸せと思います。私は幼児より、右眼の視力がほとんどありませんが、本を読むことはできます。しかし、み言葉をテープで聞くのはまた深い味わいがあります。(関東地方の方より。私たちの日曜日や火曜日の礼拝テープを聞いている人です。)