今月の聖句 主の慈しみは決して絶えない。主の憐れみは決して尽きない。 |
2001年5月 第484号・内容・もくじ
主の平安を基として
私たちから出る不満、批判、動揺などはすべて私たち自身の内に確たる平安を持っていないことから来る。自ら揺れ動くことのない場に立ちつつ、他人や社会を見つめるのでなければ、そこに真によい何かを注ぐことはできない。
聖書に現れる旧約聖書の預言者や主イエスは、そのような確固たるものを持ちつつ、人々に向かい、社会の腐敗や誤りと戦った。
おお来たれ、来てキリストの僕となれ。何ゆえに世の罪悪を怒り、憤ったままで死のうとするのか。何ゆえに社会が冷たいことを怒るのか。
あなたは、自分自身の不安を周囲の社会や人間に向かって発し続けているのである。
キリストのもとに来て、主の平安を味わってみよ。そこれはすべての思いを越える平安なのである。
その平安を自分の心に迎え入れるなら、そのとき、まわりの木々はあなたに向かって手を打って喜び、周囲の人はあなたの志しを助ける者と変わる。(内村鑑三著「一日一生」より。)
使徒パウロも、
「神を愛する者には、万事がはたらいて益となる」(ローマの信徒への手紙八・298)
と体験的に語っている。
そうした幸いなる所に私たちは招かれている。主イエスは最後の晩餐のときにつぎのような約束を語った。
「私は平安をあなた方に残していく。私の平安を与える。私はその平安を世が与えるような方法で与えるのではない。」(ヨハネ福音書十四・27より)この神からの平安こそ私たちの一番深いところに留まり、私たちの真の出発点となってくれる。それはこの世のように、妥協や駆け引きで与えられる見せかけの平和でない。それは神の国の平和である。
この平安よ来たれ!私たちの上に、そして苦しみ、動揺する者たちのところに
支持率
今度の新首相の支持率は八十%にもなるという。前の首相と比べると驚くべき変化である。不思議なことは、その新首相は前のきわめて支持率の低かった首相を一番に支えた人(森派の会長)であり、もし前首相と基本的に異なる考え方であるなら、そのような前首相を一番に支える行動は取れなかったはずである。
実際、憲法を変えようとする姿勢、防衛問題とか教育基本法への考え方、過去の歴史認識や靖国神社に対する考え方などは、みなよく似ている。そしてよどんだ自民党の体質のなかで長く政治家として生きてきたのであって、新しい党でも何でもない。にも関わらず、このように支持率が異常に上がるのはどういうことだろうか。
これは、いかに日本人の考え方が表面的であるかを示すものである。そしてこの高い支持率はそのうちに下がるのは目に見えている。人間の支持などというものは実にあてにならないものだからである。
以前にも細川の日本新党が出来たときには、細川への高い支持が見られたがまもなく消えていった。
こうしたこの世の状況のただなかにあって、支配者のなかの支配者、王の中の王であるお方、キリストへの高い支持率は二千年も続いている。どんな優れた指導者であっても、体力もすぐに衰え、死後はまもなくその影響力は消えていく。しかし、キリストだけはまったく別である。死後二千年も過ぎたのに、なお、無数の人たちがキリストを心から支持し、そのキリストのために生涯を捧げようとする人が後を断たないのである。
今月の「はこ舟」でも触れているが、中国などでは長くキリスト教が圧迫されていたのに、最近では、数千万の人々がキリストへの信仰を持つようになり、キリストを支持するようになった。死後二千年も経ってもなお、このようにおびただしい人々がその全存在をあげて支持するとは、実に不思議なこと、驚くべきことである。
キリストは新しい政策を訴えることもなく、身振りや手振りで演説することもない、キリストの言葉や言動、キリストが与えるものなどを記した聖書は二千年も変わらない。
それでもキリストを支持する人たちは生まれていく。ここに神の力がはたらいているのがわかる。
だれのところへ行くのか・・不信の海のなかで
私たちはいったいどこに行くべきか、何者のところへと赴(おもむ)くべきなのだろうか。この問は、はるかな古代から現代に至るまで、つねに人間の根本問題となってきた。
その答を与えようと、古来数々の哲学や宗教、思想が生まれてきたのである。
生まれてからすぐに人間は赴くべきところを求める。乳児は、それが母親であることを本能的に知っている。
少し成長しても幼少のときには鳥や他の動物であっても、行くべきところは母親なのである。母親は高等動物たちが行くべきところとして深くその内部に刻みつけられているのがわかる。
そして幼少の時をすぎると、今度は友達、異性、教師、先輩などさまざまの人間のところに行くようになる。そして自分が寄りすがることのできる存在を求めて日々を過ごすようになる。
しかし、なかなか本当に行くべき者は見つからない。多くはこの人こそはと思ってもまもなく期待はずれであったり、裏切られたり、相手の本質がわかってしまい、自分が行くべき相手ではないことがわかる。
そしてまたいろいろの相手を求めていくのである。
こうした探求は、人間はだれでも共通している。しかし、古来からそのような探求によっても本当に行くべき存在はなかなか見つからなかった。そのとき、二千年前に、イエスが現れ、自分こそ、あらゆる人間が来るべき存在なのだ、究極的な存在なのだと宣言された。
ヨハネ福音書ではそのことが第一章からはっきりと強調されている。
「来たれ、そうすれば見る!」あるいは、「来たれ、そして見よ!」(*)(ヨハネ福音書一章39節、46節)という言葉はまさにそうした人間のさまよう実態への呼びかけであり、それまでの長い年月の探求の終わりが来たという宣言なのであった。
新約聖書においても、主イエスは人々がキリストの語る言葉に対して反感を持ったり、受け入れようとしなくなり、多くの弟子たちが離れ去っていったとき、主イエスは十二人の弟子たちに問いかけた。
このために、弟子たちの多くが離れ去り、もはやイエスと共に歩まなくなった。
そこで、イエスは十二人に、「あなたがたも離れて行きたいか」と言われた。
シモン・ペテロが答えた。「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。
あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています。」(ヨハネ福音書六・66~69)
主イエスが完全な真理を語っても、そして驚くべき奇跡を多くされてそれを見たような者であってもなお、信じるどころかイエスから離れていく者が多かった。これは何を意味するのだろうか。しかも特別に選んだ十二人のうちの一人すら裏切っていく。そうした事実によってこの世というものがキリストの真理を受け入れない強い力があるのだと知らされる。
また、イエスの兄弟たちすらイエスを信じていなかったと記されている。
このように不信のただなかにあって、少数の信じることができるのは、まことに、神がそのことを啓示した人だけなのだとわかる。
右にあげたペテロの告白は、ほかの福音書にある、ペテロの信仰告白のヨハネ福音書版であるとも言われている。
イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」
シモン・ペテロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。
すると、イエスはお答えになった。「シモン、バルヨナ、(*)あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。」(マタイ十六・16)
(*)シモンとは、ヘブル語の「聞く」という語から造られた言葉で、神の言葉を聞くことが繰り返し旧約聖書で命じられている。そのことを名前にしている。またペテロ(petros)というのは、ギリシャ語の「岩」(ペトラ petra)からつくられている。また、バルヨナとは、「ヨナの子」という意味。「子」はヘブル語ではベン(ben)であるが、アラム語では、バル(bar)という。メシアとは、ヘブル語では、マーシーァハ、アラム語では、メシーハーという発音になる。英語では Messiah と書き、メサイアと発音する。これは、「(聖なる)油を注ぐ」という動詞(マーシャハ)から造られた言葉で、「(聖なる)油を注がれた者」という意味。神から油を注がれるとは、大祭司や王などが神の本質を注がれるということの象徴的意味がある。そこから、とくにのちの世に現れる救い主を意味するようになった。
この信仰が与えられたからこそ、ペテロはどこまでも主イエスに従っていくことができた。この信仰によってペテロは永遠の命を受けることができた。その命によって多くのものを捨てたその損失をはるかに上回るものを与えられた。
私たちはどこへ行くべきか、どこに最大の信頼を傾けるべきか、どこに心の深いところでの悩みや苦しみ、痛みを訴えるべきなのか、この世のすべてが移り変わるなかで、なにが永遠に変わらないものなのか、どこから生きる力や目的を与えられるのか。まわりの人たちがつぎつぎに死んでいくただなかにあって、死を超える力を持っているのは何なのか。
そうしたあらゆる問題をもっていくべきお方はどこにあるのか。それは古代も現代も変わらない。それこそ問のなかの問である。
現代の日本の人たちはほとんどが唯一の神を知らない。それでは何者のところに行こうとしているのだろうか。
ここで、日本を取りまく国々の人々の心はどこに行こうとしているのか、それをうかがうためにそれらの国々のキリスト者人口の状況を見てみよう。
今日ではロシアもキリスト教が急速にかつての力を取り戻している。一九一七年のロシア革命以来、キリスト教はきびしい弾圧を受けてきて、多くのキリスト教指導者は逮捕投獄され、殺されるキリスト者も続出した。キリスト教会堂も多くが破壊された。
しかし、一九八八年にロシアがキリスト教を受け入れてから千年になる記念祭のとき、当時のゴルバチョフ大統領は、ソビエト時代のキリスト教弾圧を公式に謝罪した。そして国の支援も与えられるようになって、ロシアのキリスト教は活発になっている。現在では、ロシア人口一億五千万の半数を超える人がキリスト者となっいると考えられている。
中国もキリスト者の数は増加の一途をたどり、現在では数千万人になっていると考えられている。(中国には政府公認の三自愛国教会に登録されているキリスト者は一千万人、それとは別の「家の教会」のキリスト者が多数あり、合計では、四千万から、八千万人のキリスト者がいると言われている。・・「世界のキリスト教情報」98年9月7日による)
中国のキリスト者の増加はめざましく、一九九二年の三自愛国教会の信徒は、五百万であったのに、それからわずか五年後では、倍増して一千万人になったと発表されている。
また、韓国は、前大統領の金泳三もキリスト者であったし、現大統領の金大中氏は夫妻ともにキリスト者である。また、一九七一年~一九七三年には、15万人の韓国軍人が信仰告白して、集団洗礼式が行われた結果、軍隊では、キリスト者の占める比率は一九七〇年には、12%であったのに、二年後には、三十五%にも急上昇し、一九七七年には、47%になるに至った。(「世界キリスト教百科辞典」教文館発行による)
現在では人口の25%を越えるキリスト者がいるとされている。韓国の人口は約四千万人であるから、一千万人を越えるキリスト者がいることになる。
それに対して、日本はわずかに百万人ほどである。
それでは、韓国、中国、ロシアについで近い国である、フィリピンでは、どうか。この国のキリスト者人口比率は約94%、その南のインドネシアはイスラム国として知られているが、そこでも10%余りのキリスト者がいる。インドはよく知られているように、ヒンズー教の国である。しかし、そこでもキリスト者の人口は4%ほどあって、比率では日本の四倍以上もある。また、ベトナムのキリスト者は7.5%である。
このように、東アジアの国々などを見ても、日本のキリスト者人口が0.8%というのは、際だって少ないのがわかる。
それでは、アフリカのキリスト者はどうであろうか。アフリカでは、いまから百年前には、キリスト者の人口は世界のキリスト者人口の2%にも満たない少数であった。しかし、二十年前には14%を越え、現在では世界のキリスト者人口の20%ほどになっていると考えられており、将来は中国とならんで重要なキリスト教の地域となるであろう。
ヨーロッパや北アメリカの国々はキリスト教が主体であることは 昔から知られている。南アメリカも同様である。ブラジルでは91%、アルゼンチンは95%ほどであり、一九五九年にキューバ革命が起こり、カストロ首相となってキリスト教を否定する思想のもとでの政治となって以来、キリスト教人口は減少していったが、それから四〇年ほどを経て、カストロ首相も初めてローマ法王を迎え、人口の40%足らずになっていたキリスト者は増加していくと見られている。
このように、世界の状況を見ても、長くキリスト教を否定する思想のもとで政治が行われていたロシア、中国、キューバなどですら、そのような政策の転換が行われ、キリスト教が認められ、大きい力を持つようになりつつある。
こうした世界の現状は、キリストが「あなたたちは、どこへ行こうとするのか」との問いかけに対して、やはり「主よ、私たちはあなたのもとに行きます」という流れを現していると言えよう。
そうした状況と比べるといっそう際だっているのが、日本の現状である。
キリストの力は、ヨーロッパやアメリカ大陸だけでなく、アジア、アフリカといった全世界に及んでいる。しかし、その中で日本だけは、聖書が毎年何十万部も発行され、信じることも自由であるにもかかわらず、キリストを信じて歩もうとする人がきわめて少ない。
そして、ふつうの人間にすぎない天皇を神としてもってきて、それを中心にすえようとしてきた。君が代の強制も、グローバル時代のためということはかくれみのであって、それなら、君が代の歌詞が多くの人たちに問題であったのに、その検討をもしようとしなかった。憲法については検討をする会をもうけている(ただし、改訂論者がずっと多くなっている)。
そのように、君が代についても新しい国歌にふさわしいものを時間をかけて議論し、国民の投票によって決めるべきであったのに、いっさいそのようなことをしようとはしなかった。それはグローバル化に対処することが目的でなく、天皇讃美の君が代を歌わせることが本当の目的であったからである。これは、憲法を改悪しようとする人たちが、よく環境問題が書いてないなどというが、じつはその目的は第九条を変えようとすることが本音であることと似ている。
田中正造や内村鑑三などは、今から百年も昔、明治憲法の時代であっても、足尾銅山の環境破壊問題に真剣に取り組んだのであって、それを封じ込めようとしたのは、憲法の規定がなかったからでなく、利権目的の権力者(経営者、政治家)たちが多くいたからであった。
現在でも環境破壊を見逃してきたのは、憲法のゆえでなく、経済界、政治家や自民党などの利権あさりのゆえであり、また将来への正しい展望がなかっからである。
現在の憲法のもとにおいても環境問題は対処できてきたのであり、むしろ環境問題などに関心を持とうとしなかっ人たちが憲法を変えることに熱心なのである。
戦後の環境問題として最も深刻な事態となったのは、熊本の水俣湾で生じた病である。それは一九五三年頃から水俣病として広く知られるようになった。その原因については、すでに一九五九年に、熊本大学医学部の研究者たちによって、工場から出されたメチル水銀が原因であると究明されていた。しかし、政府がそれを正式に認めたのは、九年も後の六八年であり、会社側も多くの犠牲者が出てもなお工場が原因であることをなかなか認めようとはしなかった。
こうした政治や企業の自分たちの利益を守ろうとする姿勢が多くの犠牲を生んだのであって、憲法に環境問題のことを記述するかどうかの問題ではなかったのだとわかる。すでに現憲法第十三条には、つぎのように記されている。
「すべて国民は個人として尊重される。生命、自由及び、幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政上で、最大の尊重を必要とする。」
水俣病など環境問題は、憲法に記されてている「国民を個人として尊重」しないところから生じているのである。すでに明確に記されているこの憲法の精神を徹底させることで、環境問題のことも含まれてくるのである。
日本はどこに行くのか、憲法の平和主義の源流をたどると、は聖書・キリスト教の精神に行き着く。日本は数百万人の犠牲と、アジア諸国の数千万の犠牲のゆえに、今の平和憲法が与えられ、その方向へと曲がりなりに歩んできた。しかし最近ではその憲法の平和主義を変えようとする動きが次第に強くなっている。そしてその方向は、日本の歴史や伝統重視という名のもとに、天皇中心として戦前の日本のような状態へと方向転換しはじめている。君が代の強制、教育基本法を変えて、日本の伝統、文化を重んじることを強調する。(日本の伝統文化の根本に天皇制があると改悪論者は考えている) その平和主義を捨てることは、キリストの方向から転じることなのである。
我々はどこに行くべきなのか。聖書とキリストこそ私たちがどのようなことがあっても変わることのない目的である。
こうした国際的、または社会的問題から転じて、個人的な苦しみや悩みに直面したとき、どこに行くべきだろうか。
重い病気のとき、死が近づいているとき、将来の不安のとき、孤独のとき、仕事で失敗して見下されたとき、職場、家庭その他の人間関係で苦しむとき、どこに私たちはいくことができるだろうか。
一番簡単なのは、飲食や性など本能的な快楽を満たすことである。酒がいつの時代にもどこの国でも人気があるのはそこにある。もやもやした心を一時的に忘れるために酒に行く。酒が介在する人間の交わりに行く。
どんな人でも人間に頼ろうとする。人間からの励まし、語らい、愛を受けることで自分の闇を解消しようとする。病気の重いときにも医者という人間に行く。たしかに多くの苦しみは医学によって取り去られた。しかし心の苦しみは取り去ることはできない。また、どんな医者も死を取り去ることはできない。
いかなる世の変化、私たちの変化があろうとも行くべきところは、はっきりと示されている。それがキリストである。「はじめに言(キリスト)があった。」とあるように、ヨハネ福音書では冒頭から、キリストが時代の流れとは無関係に永遠に存在し続けていることが強調されており、そこにこそ、私たちは行くべきことが示されている。
キリスト教の人だけが救われるのか。
この問いかけは、よくあります。キリストを信じる者だけが救われるのなら、他の宗教を信じている人はどうなるのかと。
ここで、救いとはどういうことを指しているのか、その意味をはっきりさせておかないとそれぞれが救いという意味を勝手に使っていたのでは、この問題も正しく扱うことができません。
キリスト教でいう救いとは何かを考えるまえに、人間とはどういう実態を持っているかを知る必要があります。
例えば、正しいことを常に行うことができるか、自分の生活、職業の場、友人たちとの関わりにおいて自分の利益とは関係なく正しいことをつねに行ったり、言ったりできるか、また、戦前のように、国全体がまちがった戦争に駆り立てているとき、それを見抜くことができるか、見抜いたとしてその誤りを命がけで発言したりできるか、純粋な愛をだれにでも持つことができるか、ことに病人、老人、死が近づいているような重い病人、ハンセン病とか重い皮膚病で外見でも目をそむけたくなるような人に心からの愛をもって近づけるか、また、自分の悪口を言う人、敵対する人、陥れようとする人をも愛してその人たちのために心から祈ることができるか、朝起きてから、夜床につくまで、ずっと真実なもの、他人の幸いなどを願いつつ生きていけるか、嘘を言うのはよくないとは誰でも知っているが、真実を通すことができているか、病気や苦しみのときにも、どんな苦しみがあっても、いつも堅固な希望をもって前進できるか・中ヲ。
このような事実を考えると、人間はきわめて不信実で、愛がなく、もろいもの、頼りないものだとわかります。ことに、どんなに学問や、芸術、あるいは仕事に有能、スポーツなどができる人であっても、正義は伴わないことが多いし、すでに述べたような弱い者、醜い者、敵対する者への愛などというのは、それらとは何の関係もないのです。学問や芸術、スポーツができるからといってすでに述べたような愛があるなどとはだれも考えてはいません。
こうした人間の弱く醜い本性がある限り、人間には本当の幸いは有り得ない、だからそのような人間の根本的な本質を変えることこそ、真の幸いなのだ、それを受けることが救われるということなのです。
このいわば当然のことのために聖書という本は記されているし、キリストはそのために来られたし、十字架にかけられたのです。
ですから、キリスト教以外の人でも救われるのかという問は、キリスト教以外でもそのような人間の本質を変えることができるのかという問でもあります。
たしかに仏教でもとくに、鎌倉時代の法然、親鸞、道元、日連などといった人たちの生きた姿、あるいはその書いたものなどを調べるとき、じつに真実な生き方をしているのがわかります。これらの人たちのあとに出来た宗派とか大きい教団は、人間的な権力や金の力が入り込んだりして彼らの信仰的な真実をもみ消しているところがあります。
このことを考えると、たしかにキリスト教以外でも人間を変えることができてきた宗教もあると言えます。
そしてキリスト者であると口では言っていても、変えられることなく信仰なき人と同じような状態の人もいます。
聖書はこうした問題をどのように見ているだろうか考えてみます。
まず、自分でキリスト者である、といっているからと言って、あるいはどこかのキリスト教会に属しているからとか、洗礼を受けたからといってそれで救われているとは限らないことです。それは、主イエスはつぎのように言われたからです。
「主よ、主よという者がみな、天の国に入るのではない。天の父(神)の御心を行う者だけが、入るのである。」(マタイ福音書七・21)
とすれば、天の国に入れるかどうか、すなわち救われるかどうかは単に、言葉で表面的に主よ、主よと言ったり、教会に属しているとかではわからないのです。父なる神の御意志を行っているかどうかによって、神が決めることなのです。
ですから、他の宗教でも、キリスト教を知らないままで真剣に真理に従って生きようとしている人は、それが神の御心にかなう程度に応じて神が救いを与えることでしょう。
しかし、キリストのことを知らされているにもかかわらず、それより内容の低い宗教にあえて属していようとするならば、それはなぜなのか、その理由が神によって問われるでありましょう。
宗教は決してみな同じではありえません。その内容に当然のことながら、真理が完全に含まれているもの、真理の一部が含まれているもの、真理がないものなどいろいろとあります。
例えば、オウム真理教や、集団自殺したような新興宗教などもありますし、戦前のように天皇を現人神とする宗教、統一協会のようなまちがった宗教もあります。また、文化の進んでいない国には、かつて人間を生きたまま殺して捧げる風習をもっていたような宗教もあります。そのような宗教が救いを与えるというのは考えられないことです。それは神の本質である真実や愛、正義に反するからです。
真理の度合いがどれほどか、それはやはりその永遠性と、普遍性によって客観的に知ることができます。その点では、キリスト教は、二千年の長きにわたって、全世界にあらゆる状況にある人間をその信徒としてきたのです。真理の度合いは群を抜いて高いといわざるを得ません。
キリストが「私につながっていなければ、投げ捨てられて焼かれる」と言われたので、キリストを知らなかった昔の人も、現代のキリスト者以外の人も、いかに真実に生きた人でも、クリスチャンだと自称する人以外はみんな同じように滅びるのだと主張するような人もいます。
しかし、神の愛や真実はそのような性格のものとは到底思えません。単にキリストの名を知らず、従って信じていなかったといって、悔い改めもしない人殺しや裏切り者たちとともに、闇に投げ込まれて滅びるということは考えられないことです。
このキリストの言葉の意味は、キリストによって完全に表された真理につながっていなければ、最終的には滅びるということです。ギリシャ哲学や、仏教などにも真理のある部分があるはずです。それはキリストの本質のある部分ともいうことができます。
ですから、ソクラテスやプラトンのような真理を求め続けた人、あるいは真実な仏教者などであっても、キリストを全くしらなかったという、ただそれだけで闇に捨てられて滅びるというのでなく、彼らは真理そのものであるキリストの真理のある部分を示されてその真理に忠実に生きたゆえに、神がそのことを見られて何らかの救いに入れられると思われます。
しかし、私たちは、そうした他人の救いについては、確実なことは分からないのですから神にゆだね、私たち自身の救いの確信を与えられることが必要です。そしてその確信を他に知らせることによって他の人の救いがなされるようにと心から願うものです。
カール・ヒルティ
ヒルティについて
カール・ヒルティが日本に紹介されてから百年ほどになる。
ヒルティは、一八三三年スイスに生まれた。父も祖父も医者であったが、母方の祖父も医者であった。ヒルティの母親は、信仰の深い女性であって、「彼女の顔は、心の透明な窓であって、そこから、柔らかな輝きをおびてその気高い魂が現れていた。彼女の清く青い眼には、やさしさと平安が満ちていた」と伝えられている。ヒルティの信仰はそうした母親の信仰によってはぐくまれたのがうかがえる。
一八五四年、法学博士の学位をとり、卒業後は弁護士となった。かれは、信仰あり、正義の心に富んでいたためにたちまち人々の尊敬をあつめて、まもなく州の最も重要な事件はことごとく彼のところに持ち込まれるようになったという。
その後、彼は四十歳のときに、スイスの首都にあるベルン大学の国法学教授となり、その大学の総長にも二度選ばれている。
彼の代表著作の「幸福論」の第一部は、ヒルティが五十八歳の時の著書であって、彼は、若いときにはあえてこうしたキリスト教的内容とか、思想的な内容のものを書かなかった。それは、若い時に書いて、その後に考えが変わったときに、かつて書いた不十分なものによって人々がまちがった道に引き込まれることがないようにするためであったという。
現在、日本で手にはいるヒルティの代表著作(幸福論全三巻、眠れぬ夜のために上下)は最晩年の十年ほどの間に書かれたものである。いかに、かれが、物を書くということに慎重であったかがうかがえる。
ケーベル博士
・初めて日本にヒルティを紹介した人
ヒルティを初めて日本に紹介したのは、ケーベル博士であった。ケーベルは、一八四八年ドイツ系のロシア人としてロシアに生まれた。十九歳のとき、モスクワ音楽院に入り、ピアノを専攻した。そこで学んだのは有名な作曲家のチャイコフスキーによってであった。そこを優等の成績で卒業して、ピアノの専門家となるはずであったが、公衆の面前で演奏するということを嫌って、方向を転じ、ドイツに行って哲学を専攻することになった。 しかし、以後も音楽の研究は熱心に続けられた。東京大学の依頼によって日本に来たときには、東大にて西洋哲学やドイツ文学、ギリシャ語、ラテン語などを教え、さらに上野の音楽学校(後の東京芸術大学)においてもピアノを教えた。
ケーベルは、ヒルティについて、つぎのように述べている。「・中ヲ今の世界は、無信仰であり、物質的であり、キリスト教の真理に背いている。そのような世界において、ヒルティのような、その信仰や人生に関して私にきわめて縁の近い作家に出会ったということは、私にとっては大いなる幸福であり、慰めであった。」
また、つぎのようにも述べている
「朝食をとりながらいつもは聖書のなかの二、三章か、またはヒルティの・磨[れぬ夜のために・を塔kむ。この・磨[れぬ夜のために・cw、私がいつも手近に置いて、また夜よりもむしろ朝、よく休息がとれたきわめてはっきりした頭の状態のときに読みたい書物なのである。」(「ケーベル博士随筆集」岩波文庫)
なお、夏目漱石はケーベルが日本に来た際、彼の初めての講義(美学)を受けた。その漱石は、「ケーベル先生」という短い随筆を書いている。そのなかにつぎのような一節がある。
「東京帝大の文科大学(文学部)に行って、ここで一番人格の高い教授は誰かと聞いたら、百人の学生が九十人までは、数ある日本の教授の名を口にする前に、まずケーベルと答えるだろう。それほどに多くの学生から尊敬される先生は、日本の学生に対して終始変わらざる興味を抱いて、十八年の長い間哲学の講義を続けている。先生がとっくにさくばくたる日本を去るべくしていまだに去らないのは、じつにこの愛すべき学生あるがためである。」(夏目漱石小品集より)
ヒルティの著作の特徴ほか
私が初めてヒルティの名前と「眠れぬ夜のために」という書名を知ったのは、中学生の時であった。一人の国語の教師が、授業のときに、一冊の文庫本を持ってきて、授業の前に紹介されたのであった。「私は眠れないときがよくある。そのとき、この本を読むのです。」と言われた。「体が丈夫でないので、椅子に腰掛けたままで授業をします。」と、病弱そうな痩身(そうしん)の体を椅子に腰掛けて話された光景をいまも思い出す。
その時から、七、八年の後に、私はキリスト者となり、ヒルティをキリスト者としての目で読むようになった。
最初に読み始めたのは、「幸福論」全三巻であったが、第一巻にストア哲学者であった、ローマの哲学者エピクテートスの教えがそのまま掲載されてあって、キリスト教信仰以前にギリシャ哲学に深く共鳴した私にとっては、こうした哲学的な教えにも心がひかれた。ヒルティの著作の特徴は、ケーベルが語っているように、「ヒルティの著書のどこを開いても、どの書物においても、またほとんどどのページにおいても、我々は、明晰に単純に、そして決然として述べられた、卓越した思想に出会う」ということである。
ヒルティの書いたもののなかには、「○○ではないだろうか」とか、「○○かもしれない」といった、自分が確信できないことや、単なる意見はほとんど述べられていない。信仰と、体験から生じた確信をもって書かれているのである。
この点では、私は、内村鑑三の著作、ことに彼の信仰と考え方が端的に表現されている「所感集」のような短文について同様な印象を持っている。そこにはやはり確信のあることがらだけが、簡潔に表現されている。その短文は、かれが月刊で出していた「聖書之研究」誌の巻頭に置かれてあった文章であって、あのように真理を凝縮してわずか数行で表現するのは至難のわざである。
ヒルティのキリスト教信仰の特徴は、神との深い直接的交わりを重視するということにある。そのような、キリストとの霊的な交わりが与えられるようになったのは、キリストが十字架にかかって死んで下さったからであり、ヒルティが強調する神とともにあることは、十字架信仰によって罪をゆるされた者に賜物として与えられることなのである。
十字架信仰によっていかに罪が赦されるか、キリストの十字架の深い意味については、日本の著作としては、内村鑑三のものがとくに深い内容を持っているといえる。そしてそうした赦されたものがいかに歩むべきか、神とともにあることの深い意味、神に導かれる生活とはなにか、真の幸いとは、また日常生活の具体的な問題の対処はいかにすればよいのか、などを求めている者にはヒルティは得難い助け手となってくれる。
ケーベルが、「眠れぬ夜のために」はその題名に反して朝の最も頭がすっきりしているときに読むと言っているのは、当然だといえる。朝の一日の方向を決めるときにあたって、聖書やヒルティのような真理の言葉によって出発することはそうでない場合とは大きい違いを生じるからである。
ヒルティは、ドイツ語圏の国々で広く読まれただけでなく、「幸福論」の内容の抜粋集は、やがてヨーロッパのほとんどすべての言語に訳されたし、日本語にも訳された。ロシアではとくに早く読まれるようになって、幸福論第一部の全訳の初版は二カ月以内に売り切れたという。現在でもヒルティの著作は発行されていて、例えば私の手もとにも、ドイツのヘルダー社から一九九一年に発行された、「眠れぬ夜のために」(Fur Schlaflose Nachte)である。
私たちの夜の定期的な集会(夕拝)や、いくつかの家庭集会において、聖書の学びのあとで、岩波文庫本のヒルティの「眠れぬ夜のために」や「内村鑑三所感集」の一項目ずつを学んでいる。そうすることによって、それらの著作の内容がいかに聖書と関わっているか、かれらが聖書をどのように読んでいるのかも学ぶことができるし、聖書の学びをより深めることができるからである。
つぎにその「眠れぬ夜のために 第一部」から、いくつかを引用して、短いコメントを付けてみる。
○おおよそ人を頼みとし肉なる者を自分の腕とし、その心が主を離れている人は、のろわれる。
おおよそ主にたより、主を頼みとする人はさいわいである。
彼は水のほとりに植えた木のようで、その根を川にのばし、暑さにあっても恐れることはない。
その葉は常に青く、ひでりの年にも憂えることなく、絶えず実を結ぶ」(エレミヤ書十七・5~8、同書二十二・5~8)
この言葉は、最初考えるよりも、多くの真実をふくんでおり、これを信じる者はさまざまの悲しい人生経験を味わわなくてすむ。
すくなくとも私は、これまでの生涯で、人間をあまり頼りとした時は、そのつど、まもなくその支柱をとりはずされてしまった。
これに反して、神への信頼が十分であったとき、それが裏切られたという場合を、私は一度も思い出すことができない。
このことがほんとうに信じられるようになるには、長い時間がかかる。そして、それができる前に、人生はほとんど終りかけている。しかし、そのとき初めて人間を真に愛しはじめる。(十二月六日の項より)
・ヒルティは、家庭環境には幼少時から恵まれ、母親も信仰あつい人であったし、十四歳という子供のときからすでに神の声を聞いたと述べているほどである。そして若いときから一貫してキリスト信仰に生きて、神と人のために生きた人物であったが、それでもなお、右のように、「神への信頼は決して裏切られないこと、人間にあまり信頼したときには必ずそれが取り除かれてしまった」というような真理が体得されるまでに人生の大部分を要したという。
聖書の箇所がいかに深い意味をもち、いかに長い歳月のさまざまの苦しみや困難を経てようやくその意味が明らかにされるかがわかる。
○ひとは他人からなにも得ようと思わないなら、全く違った目で彼らを見ることができ、およそそのような場合にのみ、人間を正しく判断することができる。(四月二十一日)
・私たちはつねにまわりの人間を正しく判断する必要がある。どんな性格なのか、長所、短所、あるいはどんな悩みや問題を抱えているのかなど、できるだけ正しく知らねばならない。それによって私たちがいかに関わるべきかがまったくちがって来るからである。
その際に、ヒルティは、正しい洞察力とは、相手からなにも得ようと期待しないところに得られるという。それは、なにかを期待している、例えば、相手から誉めてもらうとか友達になりたいとか、地位を得る助けにしようなどと考えていると、そのようなことが期待できない人間に対してはそっけなくするだろうし、相手の優れたところも見ようとしないし、悩みなども見抜くこともできない。それに対して何も期待しない心をもって向かうと、相手のありのままの姿が入ってくる。
しかし、人間はなにかをいつも期待している。だから、相手が自分を誤解したり、見下したりすると、とたんに非常な溝が生じてしまう。それは知らず知らずのうちに、相手から認められること、相手からのよい評価を期待しているからである。
まったく何も期待しないなどということが有り得るだろうか。
それは、ただ、私たちが人間から受けるよりはるかに大きいもの、よいものを受けているときにだけ、そのように周囲の人間から期待するものを持たないようになれる。
そしてそれは、新約聖書で記されているように、キリストから満ち満ちたものを豊かに受けて初めて可能となる。キリストが言われたように、ぶどうの木であるキリストにつながっていることによって私たちはキリストからのゆたかな栄養を受ける。そしてそのとき人間から受けるどんなものにも増して魂を満たすものだと実感する。そのとき初めて私たちは、何も期待しないで人間と関わることができる。
靖国神社はなぜ問題になるのか
靖国問題とはなにか、どうして靖国神社に首相などが公式に参拝すると問題があるのか、多くの人にとってはよくわからない問題だと思われる。外務省に不正な金の使用があるといったことは、だれでもすぐにその大体の意味がわかる。こまかなことでなくとも、おおよそのイメージが浮かぶ。不況だから経済のかじとりが重要であるとか、国が莫大な借金を持っているから改革せねばいけないなどという主張も、だいたいはわかる。
しかし、なぜ戦没者を祭ってある靖国神社に首相が公式参拝するといけないのか、その理由についてあまりよくこの問題について聞いたことのない人のために書いてみる。
靖国神社とは、一八七九年六月四日に東京招魂社を改革して、靖国神社と改称したもので、一八五三年以来の国事殉難者、戊辰戦争(ぼしん)の戦没者に加え、西南戦争の戦死者をはじめ、以後日本の対外戦争における戦死者を「靖国の神」となして国家がまつった神社である。
靖国神社は、戦死者を国のために犠牲になったものとして「靖国の神」とし、肉親を失ったことへの悲しみや国家への怒りなどをしずめ、戦死者の遺族には、肉親が「靖国の神」となることによって「靖国の家」という優越感を抱き、誇りとするむきもあった。こうして、戦争を引き起こした責任者である天皇や政治家、軍部への怒りが打ち消されて、逆に靖国に現人神である天皇が参拝してくれるのだ、感謝するべきなのだなどという、逆の感情をすら育成する施設となった。これは日本の軍国主義が考え出した巧妙な施設なのであった。
靖国神社とは、数百万という膨大な人間を「祭神」としている、ほかには類のない神社なのである。これが政治的な大きい問題となるのは、そこにひそかにA級戦犯十四人(東条英機、広田弘毅、板垣征四郎ら)が一九七八年に、ほかの人たちとともに一緒に「神」として祭られたからである。
こうした太平洋戦争での最高責任者たちが、英霊として、神として祭られている神社に、国の代表者である首相が公式に参拝することは、あの戦争がまちがった戦争であるということを、認めないということになる。
英霊とは、本来の言葉の意味は「すぐれた霊(魂)」ということである。アジア、とくに中国のおびただしい人たちの命を失わせ、傷つけてその生活を破壊した侵略戦争を指揮した人たちが「すぐれた霊」であるというのは明らかに、間違ったことである。
そうした過去の侵略戦争への反省と悔い改めがあるのかということと関連しているが、もう一つは、憲法二十条の「国およびその機関は宗教活動をしてはならない」ということに違反するという問題である。
なぜ、このような憲法の規定が生まれたのだろうか。それは、戦前には、天皇が軍隊の最高指揮者でもあり、現人神として崇拝され、その天皇への忠誠を利用して国民を戦争に駆りたてたことへの反省から生まれた。
戦前は、教育勅語への礼拝、皇居への礼拝、神社への参拝、祈願などを国やその機関、とくに教育の場においても強制した。そのことが中国との戦争や太平洋戦争などへと駆り立てていく力ともなったために、国が特定の宗教を国家権力とともに用いて国民を引っ張っていくことを禁じたものであった。
首相として公式に参拝するということは、日本国民の代表者として参拝することであり、太平洋戦争を引き起こした人たち、彼らは無数の人たちが殺戮されたことへの重い責任を持つのであるのに、その人たちの霊を慰め、感謝するということになる。それは、日本の国がそのような姿勢を持つということにもなってしまう。
また、そもそも政府や軍部によって戦地へと引き立てられ、なんの罪もないアジアの人たちを殺し、もともと全く知らないはるか遠くにいた人である、アメリカなど外国の人たちも殺傷し、自分たちも多くが死んだり傷ついた、そのような事態にどうしてなったのか、それは国のほんのひとにぎりの人たちの会議で戦争が決まってしまったからである。戦死者の霊をもし慰めるというのなら、過去の過ちを認め、そのような戦争が二度と生じないようにすることこそ、ふさわしいことである。
さまざまの政治的な打算とか思惑をもって、政治家が靖国神社に参拝したところで、どうして戦死した人たちの霊が慰められるなどということがあろうか。
また、そもそも参拝によって死者の霊が慰められるというのは、まったく根拠のないことでもある。そこには、死者というのは、恨み、苦しんでいるということが仮定されている。しかし、死んだ人間がいまも恨んでいるとか苦しんでいるなどと、どこに根拠があるのか、それはまったく根拠のない思いこみにすぎない。
なぜ、あんな戦争が生じたのか、その反省も悔い改めもしないで、たんに参拝したところで、もし、死者に意識があるとしても、そんな浅い考えで参拝する者を喜ぶこともないであろう。
そんな根拠なき想像でことをするのでなく、明確なことは、戦争があのように膨大な死者を生みだしたということであり、そのような戦争を二度としないあらゆる方策をとるべきことである。そしてそのためにこそ、憲法第九条が作られたのであり、その精神を守ることこそ、戦死者の死を無駄にしない最も確実なことである。
キリスト教においては、死者の霊のために祈ったり、死者の霊を慰めるということは、新約聖書には現れない。励ましとか愛は、生きている者に対してなされるべきものだということははっきりとしている。
死者は神の御手に委ねられたのであって、どのような死に方をしようとも、神の御心にしたがって生きた者は、神のもとに帰って大いなる祝福を与えられているし、神に背き続けた者(真実や憐れみを持とうとせずに偽りや悪意をもち続けた者など)は、生きている時からすでに真の平安をもてないというさばきを受けるのであるが、死後もそうした裁きの続きを受けることになるであろう。
また、靖国神社は、自民党政治家が、選挙のときに票を獲得するための手段としても用いられてきた。靖国神社には二五〇万人余りの人がまつられていて、その遺族たちは日本遺族会を作っている。その会員がおよそ百万人ほどいる。この日本遺族会は、選挙のときには重要な票を集める組織と変貌する。
そのために靖国神社に参拝する議員たちがぞろぞろと合同で参拝したりするのである。それはマスコミを通じて自分たちは靖国に参拝しているのだと報道させることで、日本遺族会などの支持を得ようとする意図がある。もし本当に死者への哀悼の気持ちを参拝によって表したいのなら、朝早く行って個人的に静かに参拝すればよいのである。
戦死者がもし、口があるなら、自分たちの死をそのように利用するなと叫ぶであろう。彼らは、若くして悲惨な侵略のための戦争に聖戦だと偽り称して駆り立てられ、死んでいったのであるからだ。
こうしたさまざまの問題が靖国神社問題にはつきまとっている。過去の戦争の反省、平和憲法との関わり、自民党政治の選挙の道具、死者をどうみるかの宗教問題などなどである。
靖国神社問題は国民を間違った方向へと向けようとする動きである。戦争を引き起こしたことへの悔い改めをせず、戦死した人を神々として英霊としてまつるということが、戦争の反省とは逆の方向へと引っ張っていく力になりかねない。戦死すると天皇や大臣などが参拝するほどの、偉い存在になるのだ、などという受けとめ方になり、戦死がきれいなこと、よいことと感じさせ、そこから戦争そのものの悪魔性をあいまいにさせてしまうことになるのである。
休憩室
○火星の接近
夜中頃には、南の空に夏の代表的な星座であるさそり座が見えてきます。そのさそり座には、赤い一等星が見えますが、その左(東)の方には、赤くて強い輝きの星が見えます。それが火星です。火星は二年二カ月ごとに地球に近づきます。今年の六月二二日が最も近づく日なのです。さそり座の一等星はアンタレスという名です。これは、アンチ+アレス という言葉であり、いずれもギリシャ語でアンチとは「反対、対抗」、アレスとは、火星のことです。それで、アンタレスとは、「火星に対抗するもの」という意味になります。火星に対抗するように赤く、明るい星ということから名付けられています。
○明けの明星
去年の秋から今年の二月頃までは宵の明星として、夕方に目だった輝きを見せていた金星は、現在では朝に東の空で明けの明星として輝いています。夜明け前に東の空を見れば、だれでもただちにわかるすばらしい輝きの星です。
金星のあの強い輝きは、何によってあのように光っているのかといえば、それは太陽の光を反射して輝いているわけです。金星には、とくに濃硫酸の厚い雲が被っていることが分かっており、太陽の光は直接に金星の大地から反射しているのでなく、雲からの反射の光です。
金星の強い輝きは聖書の時代から注目されていました。昔は、電気もなく、夜の闇は現代とは比較にならないほどであり、その闇のただなかに目立つ大きな星は、聖書を書いた人たちにもことに印象的であったのがうかがえます。
返舟だより
○青空が広がり・中ヲ(最近の来信から)
私は周りの目や評価を気にしすぎでした。そのために自分で苦しんでいました。
でも今日神様は見ていてくれていると思っていたら、そして私は一人ではないイエスさまがいてくれていると急にひらめきました。そしたら急に青空が広がりました。
自分が自分がと思っていたことすら分かりませんでした。神様を信じているといって神様の方を向いてなかったのです。向いているつもりだっただけでした。
でも今日それが分かって良かったです。
・この来信にあるように、私たちがキリスト信仰を与えられてよかったと思うことは、苦しみや悩みはいろいろとあるけれども、ある時にそれが急に晴れて、光が射してくるという経験が与えられることです。聖書には何についても、「時」があることが強調されています。神がすべてをご覧になって下さって、神のご計画にしたがって物事をすすめておられるのだからこれは当然のことだと言えます。
旧約聖書のヨブ記もそうした内容です。長い苦しみと闇があるとき、突然にして晴れて、神からの光と言葉が注がれた、それによって苦しみから導き出されたというのです。
○ヒルティ
今月は私が学生時代の終わり頃に初めて読み初めて、卒業後も教員となったとき、生徒の希望者とともに読んだり、キリスト集会の仲間たちとも読書会という形で学んできたカール・ヒルティについて簡単に紹介しました。現代の日本は、何が真理なのか、次第に揺れ動く状況となっていますが、そうしたなかで、聖書の真理へと導く人の一人としてヒルティは今も変わらぬ重要性を持っていると感じています。ヒルティのように、論文でなく、どこを読んでも、どこからでも真理、とくに聖書の真理へと導くことのできる書物はごく少ないのです。
○憲法学者も聖書を知らない?
平和憲法を変えて正式の軍隊を持とうとする動きが強くなっています。先ごろ、早稲田大学教授のM教授の憲法講演を聞く機会がありました。平和憲法の精神を守るべきこと、自衛という名の戦争を認めるとどんな問題が生じるのか、また最近のコソボ問題など人権侵害を守るための戦争だと言い出す人が出てきたが、そのような主張の問題点は何かなど、考えさせる内容がありよかったと思います。あのような考え方を多くの人が知るようになればと願われたことです。
ただ、残念であったのは、あらゆる戦力を放棄するという平和憲法の理念の源流について、質問を受けたときの、その講師の答からすると、どうも聖書のことは知らないのではないかと思われました。すでに旧約聖書に平和主義を思わせる記述があるということ、キリストの有名な言葉や新約聖書の内容についても一般の人はもちろん、学者といわれる人でも聖書の知識はたいへんに少ないことを感じます。日本では聖書はよく売れていても、その内容はごく一部の人にしか知られていないのです。
主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。
彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。
国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない。(イザヤ書二・4)
これは今から二千七百年ほども昔に書かれた書物ですが、神の御意志はこのように、武力による戦いを止めることだとはっきり記されています。キリストの有名な言葉、「剣を取る者は皆、剣によって滅びる」(マタイ福音書二十六・52)も、そうした言葉の延長上にあります。そしてその言葉通りに、主イエスは敵対する人たちにいっさいの武力を用いず、自らは十字架上で殺されることで、神の御意志を全うしました。そして弟子たちも、使徒たちのはたらきの記録の示すように、いろいろな危険のときにも、いっさいの武力をもって反撃することをしなかったのです。
追記
神の言葉
聖書は神の言葉だと言われる。それは変わることのない言葉だからであるし、どんな人にも通じる言葉であるという意味がこもっている。さらに、その言葉が持つ意味が限りなく深いという意味もある。
三十年も読んでいる箇所であっても、ある時には、まったく新しい言葉のように、新しい意味をもって私たちの心深くに入ってくることがある。それは神がその言葉に生きていて私たちに働きかけるからだ。
先日もイエスは言われた、「起き上がり、床をかついで家に帰れ」(マルコ福音書二・11)
という言葉が心に新しい意味をもって感じられた。これはもともと中風の寝たきりの人に言われた言葉である。表面的によめば、健康な私とは何の関係もない。
しかし、ある問題で心が沈む思いをしていた私にとって、それは直接の主イエスからの励ましの言葉のように聞こえてきたのであった。祈りをもって読んでいたときに与えられるとき、それは生きておられる主イエスが私に直接に語り掛けて下さった言葉として感じられた。
聖書の言葉はそのような不思議な力を持っている。印刷された古い時代に書かれた書物にすぎないのでなく、必要な時には、求める者に対して紙面から生きた言葉、神の力を帯びた言葉が私たちの内に飛び込んでくる不思議な書物なのである。