今月の聖句

「聖霊の火を消してはならない」

(Ⅰテサロニケ五・19



聖霊は自分一人がそれ楽しみのために用いるためならば与えられない。
聖霊はその力を用いて神の事業をなすために私たちに注がれるのである。
聖霊に接して、何らかの行動へと向かおうとしない者は、聖霊の火を消す者である。
神の恵みを拒む者である。
 私は恐れる、聖霊がついに自分を離れ去って、
私が再び聖霊の賜物を受けられなくなる時が来るのではないかと。

(内村鑑三所感集より)



20016月 第485号・内容・もくじ

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リストボタン天地に満ちているもの

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リストボタン人生の詩

リストボタンハンセン病とキリスト教

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リストボタン休憩室

リストボタン返舟だより

 


st07_m2.gif力ある一言

 この世には言葉があふれている。テレビ、ラジオ、新聞、雑誌、インターネット、携帯電話などなど。そのような言葉の洪水のなかで、永続的な力を与え続ける言葉、正しい道を指し示し、その道を歩ませる力を与える言葉はどこにあるだろうか。
 聖書には、そうした人間の言葉の洪水のただなかに、まったく違ったところから語りかけてくる言葉があることを、一貫して述べている。
 聖書の巻頭には、完全な闇と深い淵、そして風が吹き荒れているような状況のただなかで、光あれ!との神の一言がすべてを変えていった。

 新約聖書においても、主イエスこそは、その力ある一言を持っているお方だと啓示され、見抜いていた人がいたことが記されている。
 「私の家に来てもらうには及ばない。ただ、イエスが一言、言われるなら、その通りになる」と確信していたローマの軍人がいた。

すると、百人隊長は答えた。「主よ、わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。ただ、ひと言を言って下さい。そうすれば、わたしの僕はいやされます。(マタイ福音書八・8

 当時のユダヤ人とローマ軍人とは対立関係にあったので、そうした状況を考えると、この百人隊長は驚くべき人間であった。征服した相手国の若い一人の人(イエス)を、神の言、すなわち神の力をもった言を持っているお方だ、と見抜いていたのである。
 イエスの一言で、重い病気で死にかかっている者ですら、いやされると信じていた。
 現在もそうした力ある一言がある。そしてそのような一言は、日常生活のただ中においても私たちの中に語りかけている。

 


st07_m2.gif天地に満ちているもの

主よ、あなたの慈しみは天に至り、
あなたの真実は雲にまでおよぶ。
あなたの正義は大いなる山のよう、
あなたの公正は深き淵のようだ。・中ヲ

あなたの恵みは何と尊いことか
人の子らはあなたの翼の陰に身を寄せる。(旧約聖書・詩篇三十六より)

 近ごろのさまざまの異様な事件は、私たちの心を曇らせる。
 こうした出来事が大々的にマスコミや新聞で報道されると、いっそうそうした悪の霊的な力が国民に迫ってくる。こうしたニュースを見つめるほど、悪の力を人々は実感して、それに打ち勝とうとする力は弱められ、悪に勝利する力があるという確信などが打ち消される方向に働くだろう。
 悪の力を弱めるには、それを見つめていても何にもならない。悪の力を弱くするには、悪と反対の真実や清いもの、真実なものを見つめることだ。このことは、私たちが日常の生活で実際に体験できることである。例えば、私たちに悪意をもってくる人のことを嫌悪や憎しみで見つめていても、その悪は弱くはならず、かえって私たちの心に巣くってしまう。
 しかし私たちがそれと逆の方向、真実な愛と清さに満ちた存在(神)を見つめるとき、悪の力はいつしか弱まっていくのを実感できる。そうして神の力を受けて始めて悪にも動かされないように変えられていく。
 この世の悪がこんなに蔓延しているのに、どうしたそんな清いもの、さわやかなものがあろうかと疑問を呈する人も多い。しかし、それは数千年前から同様であって、いつの時代にもそれぞれ悪ははびこり、弱い者は餌食とされ、病気に苦しめられてきた。しかしいかに闇が深くても、そのただ中から真実なもの、変わらぬ愛を見つめる人たちが起こされてきた。聖書はその記録である。
 はじめにあげた言葉は、旧約聖書の詩集である詩篇という書に収められている。

神の慈しみは天に至り、神の真実は雲に至る。

 今から数千年も昔にこのように深く、真実な愛、変わることなき心が天地に満ち、神の正義は不動の山、神の山のように変わることがないことを実感していた人がいた。それは驚くべきことである。
 このようなことは目に見える世界をいくら見てもわからない。科学技術をどんなに学んだり、用いてもこうした方面の確信を与えることはできない。
 しかし、神からの直接の示しを受けるときに、この作者と同じ実感を与えられるだろう。キリストが来られてからは、聖なる神の霊が与えられるようになり、その聖霊がこうした真理を教えてくれるようになった。
 これからの時代は、マスコミやインターネットなどで以前よりはるかに、移り変わる情報や間違った情報、あるいは心に暗い陰を落とすような情報が飛び交う状況が作られていく。そして多くの人たちがそれらに揺り動かされるだろう。
 そうした予測のつかない状況を前にして、そのような揺れ動いてやまないものでなく、動かない神の真実、天地に満ちている神の変わらぬ愛を、多くの人が実感しつつ歩んでいければと願っている。

 


st07_m2.gifパウロの祈り(その二)

 パウロはどんなことを祈っていたのか、それを知ることは私たちの日ごとの祈りが正しく導かれるためにも重要なことです。
 新約聖書にはパウロの手紙が十三も収められています。それは十二弟子の代表的な人物であったペテロの手紙の十倍ほどの分量にもなっています。パウロの手紙以外の手紙を全部合わせてもパウロの手紙の三分の一程度にしかならないのです。それほどにパウロが書いたものは特別に神からの啓示がはっきりと示されていたということがわかります。他の弟子たち以上に神はパウロに多くの言葉を語りかけ、それを聖書として永遠に宣べ伝えるようにされたのがわかるのです。
 
恵みと平和を祈ること
 そのパウロの手紙の冒頭には、そのすべての手紙につぎのような言葉がみられます。
「父である神と主イエス・キリストからの恵みと平安(平和)があなた方にあるように。」
 ほかの人が書いた手紙(ヘブル人への手紙、ヤコブの手紙、ヨハネの手紙など)には、ペテロが書いた手紙以外にはこのような言葉は見られません。さまざまの状況のもとにある各地のキリスト者に宛てる手紙においてはその状況にふさわしい内容を書いたのですが、この「恵みと平和」ということを手紙の冒頭において祈ることは、すべてに共通しています。ここにも、パウロがいかにこの「恵みと平和」ということを重要視していたかがわかるのです。
 これは単なる形式的な挨拶ではありません。
 日本語では恵みといっても、とくに深い意味はなく、雨があまり降らないときに、降るとそれを恵みの雨だといったり、地位の高い者が低い者に何かを与えるときに「恵んでやる」というように使ったりするので、大した内容を感じないことが多いのです。
 しかし、新約聖書では、とくに重要な内容を持っています。それは、とくにパウロがこの言葉に重要な意味を持たせて用いたからです。この恵みという言葉の原語(ギリシャ語)は、カリス(charis)といいます。
 この言葉は、マタイ福音書やマルコ福音書では全く用いられていないし、ヨハネ福音書ではその第一章にだけ三回だけ用いられ、ヨハネの手紙でもほとんど用いられていないのです。
 しかし、パウロの手紙では百一回も用いられているのです。 (なお、ペテロの第一の手紙と、使徒行伝ではやや多く、それぞれ十回、十七回用いられています。)
 なぜパウロはこのように「恵み(カリス)」という言葉を特別に多く用いたのか、それはキリスト教の根本にかかわる重要性を持っています。
 私たちは、どんなによいことをしようとしても、できない、かえって自分中心に言ったり、行ったりしてしまう。愛や正義、真実などのことをいくら聞いても、そのような心で日常を過ごすことができない、なにか私たちの心には不純なものがあります。そのようなことを思ったら、心に深い平安やさわやかさもなく、新しい力も湧いてきません。
 しかし、不思議なことに、そうした弱さや醜さをもったままで、キリストはそのような醜さ、すなわち罪のために死んで下さったのだと信じて受けるときには、そうした不満足や欠けた自分へのみじめな感情が消えて、心に自由と平安が与えられます。これがキリスト教信仰の根本にあります。
 パウロ自身も、みずからユダヤ人として、律法を精いっぱい守ろうとしても守れない自分に気付いていました。キリスト教とは、自分たちが千数百年も前から神からの直接の言葉として何より重んじている、モーセの律法を軽んじて無視していると思いこんで、キリスト教を徹底的に迫害していこうとしていました。
 そうした状況は大きい罪でありましたが、パウロはそれに気付かなかったのです。
 そんな自分であるのに、意外にもキリストが自分のそんな罪を責めるのでなく、かえって、神とキリストに立ち帰れと呼びかけをして下さり、自分のためにキリストが死んで下さったということを信じて受け入れたときには、それまでにかつて経験したことのない平安が与えられたという実感が与えられたのです。
 そのように、まったく自分には与えられる値打ちがないのに、ただで与えられたその平安や自由をパウロは「恵み」と言っているのです。
 キリスト教の中心の真理を記しているローマの信徒への手紙につぎのように記されていることはそのようなことなのです。 

人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、ただキリスト・イエスによる贖い(あがない)の業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。(ローマの信徒への手紙三・2324

 このパウロの表現はあがないとか、義とされるなどというふつう日本語としてはほとんど使われない訳語があるので、初めて読む場合には意味がよくわからないままになります。
 しかし、これは要するに私たちは何にもよいことができないし、していないのに、それでもキリストが十字架で死んで下さって、神との平和な関係を与えられ、平安を与えられるということを述べているのであり、これはパウロを最も支えていた真理であったのです。
 そのことはすぐに平和ということにつながっていきます。
 普通、平和というと、戦争がないことをだれでも連想します。しかし、新約聖書では、そのような外的なことよりも、キリストによってなされた平和が中心にあります。人間が、不信実であり、憎しみとか自分中心に考えるのは、真実や愛そのものである神に背を向けているからだ、つまり神に敵対しているからだと言えます。そのように神に背を向けることは、私たちの本性に根深くあります。
 そうした深い神への敵対の本質を罪といいますが、その罪がキリストの十字架の死によって打ち砕かれたのです。それを信じる者は、自ずから神への敵対の心が消えて、神との深い結びつきを実感するようになります。そのことをパウロはつぎのように述べています。
 
このように、わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており・中ヲ(ローマの信徒への手紙五・1

 このように見てくると、新約聖書においてとくにパウロが「恵みと平和(平安)」と繰り返し述べている理由がはっきりしてきます。それはキリスト教信仰の中心にある真理なのです。パウロ自身がその生涯で最も深くキリストの愛を知らされたこと、赦しを受けて、新しい命に変えられたこと、それをこの二つの言葉で表しているのです。
 だからこそ、彼はその手紙の初めにそれを読む信徒たちに必ず神からの「恵みと平和があるように」と祈っているのです。
 このような意味での恵みと平和を祈ることは、その程度の多少はあれ、その後に続くあらゆるキリスト者の願いともなってきたのです。

各地の信徒のことを覚えて祈る
 パウロの祈りの特徴の一つは、いつも各地の信徒を思い出して、心に覚えて祈ることです。この祈りは新約聖書のパウロの手紙にもいろいろの箇所で現れます。
 本来、神の愛は、一人一人に及んでいるはずのものです。雨や太陽は悪人にも善人にも同じように注がれると主イエスも言われた通りです。
 悟りを開くといった抽象的な祈りでなく、具体的に人を思い起こしてその人のために祈ることの重要性をパウロは私たちに示しています。そうした心から個々の人の苦しみや問題をいつも覚えてその問題が神によって解決されるようにとの祈りへと導かれます。
 そうしたパウロの祈りを新約聖書からつぎに取り出してみます。

神が証ししてくださることですが、わたしは、祈るときにはいつもあなたがたのことを思い起こし・中ヲ願っています。(ローマの信徒への手紙一・9

わたしは、あなたがたのことを思い起こす度に、わたしの神に感謝し、あなたがた一同のために祈る度に、いつも喜びをもって祈っています。・中ヲ監禁されているときも、福音を弁明し立証するときも、あなたがた一同のことを、共に恵みにあずかる者と思って、心に留めているからです。わたしが、キリスト・イエスの愛の心で、あなたがた一同のことをどれほど思っているかは、神が証ししてくださいます。(ピリピの信徒への手紙一・18

わたしたちは、いつもあなたがたのために祈り、わたしたちの主イエス・キリストの父である神に感謝しています。(コロサイの信徒への手紙一・3

わたしたちは、祈りの度に、あなたがたのことを思い起こして、あなたがた一同のことをいつも神に感謝しています。あなたがたが信仰によって働き、愛のために労苦し、また、わたしたちの主イエス・キリストに対する、希望を持って忍耐していることを、わたしたちは絶えず父である神の御前で心に留めているのです。(Ⅰテサロニケ一・23

このことのためにも、いつもあなたがたのために祈っています。どうか、わたしたちの神が、あなたがたを招きにふさわしいものとしてくださり、また、その御力で、善を求めるあらゆる願いと信仰の働きを成就させてくださるように。(Ⅱテサロニケ一・11

 このように、各地の信徒のことを絶えず思い起こし、神に感謝し、そして神の恵みと平和が与えられ、さらに信仰が深められ、主の導きに歩むようにとの祈りであったのです。 

わたしは、あなたがたのことを思い起こす度に、わたしの神に感謝し、あなたがた一同のために祈る度に、いつも喜びをもって祈っています。(ピリピ 一・34

 パウロの祈りは、感謝をもって始めています。しかし、私たちの世の中には感謝できることもありますが、しばしば感謝どころかどうして自分にはこんなことが生じるのかと周囲の人や社会に対する悲しみや、神への不満、怒りなどが生じてくるものです。
 パウロ自身、各地のキリスト者の集まりについても

労し苦しみ、たびたび眠られぬ夜を過ごし、飢えかわき、しばしば食物がなく、寒さに凍え、裸でいたこともあった。なおいろいろの事があった外に、日々わたしに迫って来る諸教会の心配ごとがある。(Ⅱコリント十一・2728より)

 こうした心配や悩みをもっていたが、同胞であるユダヤ人についても絶えず心に痛みを感じていたのです。

わたしには深い悲しみがあり、わたしの心には絶え間ない痛みがあります。
わたし自身、兄弟たち、つまり肉による同胞のためならば、キリストから離され、神から見捨てられた者となってもよいとさえ思っています。(ロマ九・23

 このように悩みや苦しみ、悲しみを持っていてもなお、パウロは各地のキリスト者のことを思い出すたびにすでにあげたように、感謝をもって手紙を書き始めているのです。
 これを見ても、キリストに深く結ばれるときには、どんなに重い悩みを持っていてもなお、感謝とか喜びが主ご自身から直接に与えられるのだとわかります。
 ああ、幸いだ、悲しむ者は! という主イエスの有名な言葉は、パウロのように、悲しみのただなかにおいて、主イエスと深く結びつくことを与えられていた人の経験なのです。
 こうした感謝の心は、主から来るものであって、人間が創り出したりできないものです。私たちは誰かのことを思い出すとき、いつも感謝をもってすることができるだろうか。人間の感情は、感謝というものでなく、好感を持っている人は自然な喜ばしい感情が生じますが、何か心が合わない、という人とは、そのような感情は生じないし、また心でどこか反感を持っているときにはなおさら感謝などは生じてこないわけです。
 またそうでない場合には、無関心であり、大多数の人に対する私たちの感情はそのようなものです。
 しかし、パウロの祈りによって私たちが知らされるのは、人々を導く神に対して深い感謝を神に捧げていたということです。
 パウロは各地にキリストの福音を宣べ伝え、それによってキリスト者となった人々も多く生じました。そうした人々はパウロにとっては、霊的な子供といえる人々であったのです。
 パウロは復活のキリストから直接に導かれ、聖霊を豊かに注がれて、福音を伝えて行ったのです。そのようなパウロに比べると、各地のキリスト者たちは信仰を持ったばかりで、パウロとは霊的には親子のような大きい差があったのです。
 しかしパウロはそのような信仰的にも未熟なと思われる人々にも、ある願いを持っていました。それは、自分のことを祈ってほしいと頼むことでした。

同時にわたしたちのためにも祈ってください。神が御言葉のために門を開いてくださり、わたしたちがキリストの秘められた計画を語ることができるように。・中ヲわたしが語るべきことをはっきり語って、この(キリストの)計画を明らかにできるように祈ってください。(コロサイ書四・34

兄弟たち、わたしたちの主イエス・キリストによって、また、霊(聖霊)が与えてくださる愛によってお願いします。どうか、わたしのために、わたしと一緒に神に熱心に祈ってください。(ローマ書十五・30

 右のような箇所は、いかにパウロがキリスト者たちの祈りを求めていたかを示しています。また、次の箇所はキリスト者の祈りがキリストの霊と並べられてあるというところに、パウロがいかにキリスト者の祈りを重要視していたかがうかがわれるのです。

あなたがたの祈りと、イエス・キリストの霊の助けとによって、このことがわたしの救いになると知っているからです。(ピリピ書一・1920

 これは意外なことです。例えば、画家の大家がいるとします。その人が、まだ絵を描き始めたばかりの人に対して、絵のことで助けて欲しいと頼むことなど有り得ないと思われます。スポーツなどでも同様です。
 しかし、キリスト教の世界では、信仰をもってまもないような人、信仰的にはまだまだ不十分であったはずの人からでも、祈りという最も重要なことをともにして欲しいとパウロは願っています。
 ここに祈りの世界がほかの世界と違うところがあるのに気付くのです。それは、キリストを信じる人の集まりはキリストのからだであると言われているからです。一つのからだなので、例えば、指の先の小さなところを通る血液は全身を通っていくように、ある小さい指先が傷ついても全身でその痛みを感じるわけです。
 同様に、私たちが本当のキリスト者であればあるほど、一人のキリスト者の痛みや喜びは他の人にも伝わるし、ある人の祈りはちょうど血液が全身をめぐるように、他の人にも伝わっていくのです。
 パウロよりはるかに信仰的に遅れている人、まだまだキリスト者としては不十分であっても、その人たちの祈りは、パウロ一人で祈るよりずっと力あるものとなるのを知っていたのです。
 祈りは呼吸のようなものであると言われます。また他方祈りは心臓のようなものでもあります。心臓が血液を全身に送り出しているように、祈りは目に見えないものを送り出していくからです。祈る人自身にも、また祈る相手に対しても。


st07_m2.gif人生の詩  ロングフェロー

未来をあてにするな、それがいかに快いものであっても!
死にたる過去にはその死にたる者を葬らしめよ!
行動せよ、生きている今、行動せよ!
内に勇気を持ち、高きにいます神を仰ぎつつ!

偉大な人々の生涯は教える、
われらも生涯を気高くして、
この世を去る時、時間の砂浜に
足跡を残していけることを。
その足跡を、おそらくは他の人が、
生涯のうちで厳粛な大海原に船を進めているとき、
孤独な、絶望的になった人たちが、
目にとめて、勇気を奮い起こすこともあろう。

だから私たちは、奮起して励もう、
どのような運命にも勇気をもって。
絶えず成し遂げ、絶えず追い求めつつ、
学ぼう、働くこと、そして待つことを。

ロングフェロー(一八〇七~八二)は、アメリカの詩人の中では、世界で最も愛された詩人であったと言われている。母校の大学で六年、ハーバード大学教授を十八年勤めたが、詩を生み出すためには、教授の職が妨げとなることを知って、退職して創作に専念した。ヨーロッパ留学中に最初の妻を失い、その後、再婚した二度目の妻も、火傷で失った。そうした心の傷を受けつつも、ダンテの神曲の英語訳を完成した。ここにあげた「人生の詩」は、一八八二年に日本でも訳され、英語の教科書にもよく採用された。
 なお、私は彼の長編詩「エヴァンジェリン」を三〇年余り前に岩波文庫で読んで、その自然描写の美しさが今も心に残っている。

 私たちは学校教育のなかで、ヨーロッパやアメリカの詩などを学ぶ機会はほとんどなかった。ロングフェローとか言ってもたいていの日本人は知らないのではないかと思います。
 ここにあげた詩は、彼の「人生の詩」の後半部です。これはキリスト教的な内容を持っていて、わかりやすい内容となっています。
 冒頭の言葉、「未来を当てにするな、それがいかに快いものであっても」という言葉は、未来はいっさい信じるなということではありません。
 現在のなすべきことをしようとしないで、いたずらに来るかどうかわからない将来の楽しげなことを思い浮かべて、それを当てにしている人への警告となっています。
 私たちが与えられている三つの時間、過去(Past)、現在(Present)、未来(Future)を取り上げ、それぞれを詩人は末尾の原文でわかるように大文字で書いて、比較対照させています。人間はどうしようもない過去にとらわれ、また実現する何の根拠もない未来を勝手に都合のよいように作り上げてそれに期待し、肝心の現在をおろそかにすることを、この詩は強く警告しているのです。
 人間の都合のよい未来を当てにするのでなく、未来をも神が最終的に最善になされるという信仰はキリスト教信仰の根本をなすことの一つです。
 
「死んだ過去は、死んだ者に葬らせよ」という言葉は、主イエスの、

私に従え。死せる者たちに、自分たちの死者を葬らせよ。(マタイ福音書八・22

という言葉を用いています。過去のことにとらわれて、自分の過去の失敗とか罪を見つめて苦しんでいても、そこからはよいものは生じない。また、過去のよき時代をいたずらに懐かしがっていてはなんの益にもならない。
 私たちの「死んだ過去」、罪というものを最も根本的に葬ってくれたものは、キリストの十字架であったのです。十字架で私たちの死んだ過去が葬られたと信じるときに、私たちは実際にそうした過去からの自由を感じるからです。
 現在を歩むこと、それもこの世の見せかけばかりの風潮に押し流されるのでなく、変わることのない真理、主イエスに従って前を見つめて進むことがここで言われています。
 今できることを為せ、というのがこの詩のつぎに言われていることです。主イエスに従っていくなら、おのずから為すべきことが示されるものです。

心に勇気(heart)をもって、高きにいます神を仰ぎつつ

 この言葉は、私たちの内に主イエスが住んで下さるようになるなら、実現することです。私たちが主イエスを受け入れるとき、キリストは私たちの内に住んで下さると記されています。キリストは神の力であるゆえに、キリストが内にいるとき私たちは絶えず新しい心とされ、前向きの心を持ち続けることができます。
主イエスも、つぎのように言われています。

あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。(ヨハネ福音書十六・33

 心の中に上よりの力を実感すること、それがなければ前進していこうとする気力は出てきません。内なるキリストを実感しつつ、あらゆるこの世の汚れに染まずにおられる神を仰ぎつつ歩むこと、それがキリスト者に与えられた大きい恵みだと言えます。
 つぎにそのように生きるとき、私たちは時間という砂浜に足跡を残していくことになり、それは神によって用いられ、後から続く人々に励ましと力を与えることになるわけです。実際私たちは過去の信仰に生きた人たちのことを聞いたり、書物で読んだりして、多くの人が励まされ、新しい生き方を見いだして歩き始めたということは実に多いのです。
 私も書物によって、そのときにはすでにこの世にはいなかった人の足跡を見いだして、そこから大きい励ましと導きを与えられたことが多くあります。
 聖書という膨大な書物は、アブラハム、モーセ、ダビデ、預言者、使徒たちなど、「心に勇気を持って、高きにいます神を見つめて」歩んだ人々の足跡の集大成でもあります。 
 この詩の最後が「待つ(wait)」という言葉で終わっていることも、心に残ります。たしかに私たちの最後の試練は待つことができるかどうかだといえます。
 私たちの家族から始まる身近な人たちの問題を神が最善にしてくださることを信じて待つ、キリストが再び来られることを待つ、神が最終的に悪を滅ぼされることを待つ、病の耐え難い苦しみのときにも、復活の朝を待ち続ける・中ヲ。
 聖書の世界で「待つ」とか「忍耐」というとき、それは単に希望なくして時間の流れるのをいたずらに待っているのではないのです。それは、神が必ず最後にはすべてを最善にして下さるという壊れることのない希望をもって生きることです。
 忍耐と待つと言う言葉はそのまま、神と結びついた希望に他ならないのであって、「信仰と希望と(神の)愛」はいつまでも続くと聖書にある通りです。
 聖書の最後の言葉が、「主よ、来て下さい!」という言葉であり、不屈の希望をもって待ち続ける姿勢を表していることも意味深いものがあります。


Trust no Future, howe'er pleasant

Let the dead Past bury its dead !
Act, - act in the living Present !
Heart
* within, and God o'erhead !

Lives of great men all remind us
We can make our lives sublime,
And, departing, Ieave behind us,
Footprints on the sands of time ;
Footprints, that perhaps another,
Sailing o'er life's solemn main,
A forlorn and shipwrecked brother,
Seeing, shall take heart again.

Let us, then, be up and doing,
With a heart for any fate ;
Still achieving, still pursuing,
Learn to labor and to wait.

*heart というと、たいていの人は「心」という意味を思い浮かべますが、
この言葉には「勇気」という意味もあります。 

 

st07_m2.gifハンセン病とキリスト教

 先ごろのハンセン病訴訟の控訴を断念したというニュースは、特別な感慨をもって受けとめた人が多かった。このような苦しみに置かれた人たちの側に立って政府がはっきりと態度を示すということは、今までにほとんど見られなかったことだからである。水俣病に代表されるようないろいろの公害病などへの政府の対応は、たいていは患者の側に立つものでなかった。
 例えば、瀬戸内海の長島は周囲十六キロメートルの小さい島であるが、そこに長島愛生園と邑久光明園という二つのハンセン病療養所がある。最も狭い所では対岸まではわずか三十メートルほどしかない。そこに橋を架けて欲しいという切実な願いが一九七〇年から始まって、何度も入園者が運動し、陳情に出かけ、厚生省の前で座り込みもして、厚生大臣に直接に訴えた。そのようにして陳情を続けて、架橋の予備調査の費用が認められたのは十年も後であり、橋が完成したのは、運動を始めて十七年もの後になっていた。
 今回は、小泉首相が高い国民の支持があるということで、その支持を継続するためにも控訴断念ということになった。かつて小泉氏は厚生大臣であったが、そのときには今回のようなハンセン病についての議論などはまったくなかったのである。
 政治というのは、昔から苦しむ人たちのために親身になって費用やエネルギーを注ぐということをしてこなかったのである。
 ここでは、日本においてハンセン病の人たちにキリスト者がいかに関わってきたかの一端を記したい。そうしたことは、一連のハンセン病報道でもほとんど見られなかったからである。
 
 ハンセン病とは、らい、らい病、天刑病、レプラなどと言われて、顔や手足の変形、そして手がなえて、脚をも切断に至る人もあり、重い皮膚の病状を呈する他、失明にも至るために、この世で最も不幸な病気であるとも言われてきた。紀元前二千四百年もの昔、エジプトの文書にらい病のことがすでに記録されているので、人類最初の疫病とも見られている。
 この病気の病原菌は、一八七一年にノルウェーの細菌学者ハンセンという人が発見した。潜伏期間が五年~十年以上と長いためにどこから感染したのかも特定しがたい場合が多い。一九四三年以降は、プロミンという薬がハンセン病に驚くべき効果があるのが発表され、治る病気となった。
 なお、らい病という名は、長い間、いまわしい病気の代表のように用いられて、この病気の人たちを汚れたとか、見下すニュアンスがしみこんでいるので、最近は、菌の発見者の名をとってハンセン病と言われるようになった。
 日本でもハンセン病は最も悲惨な病気とされて、家庭や社会から閉め出された、ハンセン病にかかった人たちは四国八十八箇所の寺などを遍歴したり、あちこちさまよっていた。明治になっても、この病気に対する偏見と恐怖は変わることなく続き、多くのハンセン病人は昭和初期までは、乞食の姿で、全国を放浪していた。このような悲惨な状況にあった患者を救う事業に最初に手をつけたのは外国人のキリスト教宣教師であった。 
 一八八七年(明治20年)、カトリック教会の神父であったテストウィドは静岡御殿場地方を巡回していたとき、夫に捨てられた女性のハンセン病患者が、水車小屋の中で手足の不自由なためにはいまわって泣いており、彼女は一日一椀のご飯を食べてかろうじて命をつないでいるのを知った。神父はこの女性をみて、驚き、悲しんだ。そして何とかして彼女を救い出したいとの熱情から、御殿場に一軒の家を買い求めて、六人の患者を引き取った。そこから二年後に、御殿場神山に病院ができて復生病院と名付けられた。これが日本で最初のハンセン病の病院であった。
 その七年ほど後に同様なことは、プロテスタントでも生じて、東京で一八九四年にプロテスタントの女性宣教師、ヤングマンらの組織する伝道団体によって東京目黒にらい病院が作られ、さらに熊本においても、一八九五年にイギリスの女性宣教師であったハンナ・リデルによって回春病院が作られた。
 そしてその数年後、新たに熊本に一人のカトリックの神父が家を購入して三〇人ほどの患者を収容する新しい病院が作られた。
 一九一六年には、聖公会の女性宣教師コンウォール・リーは群馬県草津にらい病院を開設した。ここでは、有名な温泉があったので、ハンセン病にも効果があるとのことであったが、一時的的に病気が治ることはないので、そこで金を使い果たした患者たちは帰ることもできず、付近に仮小屋を建てて住み着いて苦しい生活を余儀なくされ、そこからさまざまの犯罪や乱れた生活に転落するものもいて、目を覆うばかりの状態であったという。それを何とか助けたいとの一心から、らい病院を作ることになった。
 ハンセン病の人たちは、それまで社会的に放置され、国も社会もハンセン病の人たちを見捨てていたため、社会の冷たいさげすみと恐怖と嫌悪の目にさらされ、寺や神社をさすらい、そのあげくに病気が進行して苦しみと孤独のなかに表現しがたい闇のなかで死んでいく状態であった。
 そのような時、彼らの友となり、その苦しみを共有しようとして病院を作り、そこで働こうとするキリスト者の医者や看護婦が現れた。
 それは、この世的には暗黒の中へと入っていくことであり、人間的な栄達とかを求める感情では到底できないことであり、彼らの内に住んでいたキリストがそのように働きかけたのである。
 今から七十年ほど前、東京のらい療養所であった全生病院では、患者数八百人ほどいたが、そのうちで、病気が原因で失明した人が驚くべきことに百七十人もいたという。それほどハンセン病が強くはびこっていた。
 その頃その病院に医者として赴任した林文雄は北海道大学医学部出身のキリスト者であって自ら、父の強い反対を退けてそこに勤務した。(彼は、後に鹿児島に設立されたハンセン病院、星塚敬愛園長となった。富美子夫人も医者であり、林夫妻はともに生涯をハンセン病者のために尽くした。)
 この林文雄がハンセン病の病院にて何を感じて、何を学んだのか、その伝記から長くなるが一部を紹介したい。こうした書物に実際に触れることのできる人は少ないと思われるし、ハンセン病の治療に生涯を捧げたキリスト者の医者が何を感じたかを知る一端となるし、私たちにも学ぶところが多いからである。次の記述は、林文雄がハンセン病の病院に初めて赴任したときのことである。
・中ヲ・中ヲ
 そこでは、膿にまみれた顔、鼻が欠けた異様な顔の人、病気のため目をえぐり取られた悲惨な顔、手や足のない人、全身が潰瘍(かいよう)で、包帯に包まれた人々の群れがひしめいていた。あまりの悲惨とこの世ならぬ光景にたじろぎを覚えた。独特の悪臭にも悩まされた。しかし、そう感じたのは少しの間で、その時の日記には、つぎのように書いてあった。「しかし、美しいが高慢な婦人、傲慢な態度の紳士を見るよりもはるかに心持ちがよい」と。

 林文雄がそれまでに与えられていたキリスト信仰の目をさらに開くことができたのは、ハンセン病の患者たちの生活に直接に触れたからであった。そこは、前述のように恐ろしいまでの苦悩に満ちた世界であったが、他方では、互いに助け合い、ともに病気の苦しみを分かちあい、励まし合う人たちが多くいたということであり、またそこで働く人々が美しい心をもってただひたすら、ハンセン病の患者の喜びを自分の喜びとし、ハンセン病の人の悲しみを自分の悲しみとするような生活をしているのにも出会った。 
 さらに、「ハンセン病患者の末期にある人たち、手足がくずれ、顔もくずれ、目は見えなくなり、重症者の部屋の片隅に悩む病人、その人たちが私の目を開いてくれた」という。
 林は医者であって、患者の治療をする役目であったし、精神的にも患者を教え導く立場であった。しかし、そうした患者との関わりのなかで、かえって自分が重症の病人たちから霊感を受けて、新しい世界に生まれ変わることになった。
 彼はつぎのように書いている。

「一人の重病のらい者が机を前にすわっていた。彼はのどが狭くなって声を出すことができぬ病状が寒さのため進んだのであろう。一息一息が苦しい。あと何日もつかが問題である。
 しかし彼はにこやかに笑っていた。そして机の上には大きな字の聖書がある。彼は静かに薄暗い室の隅で聖書に親しんでいた。私は非常にこれに打たれた。…
 全生病院に八木というらい者がいた。やはり重症の病人である。しかし彼の顔は常に輝いていた。彼ののどは侵されていたが、なお大いに立派な声を出した。そして常に祈り、常に暗記して讃美歌を歌った。
 彼は先日亡くなったが、皆に別れを告げ、葬式の聖歌をえらび、『おお感謝すべきかな、私の胸の中にはキリストの十字架の血が流れている』と叫んで召された。
 多くのらい菌が巣喰うて、むしばめるだけむしばんだ肉体、世の人の目から見たら汚れたもの、最も汚れたものである、そのらい者が『私の胸には神の子の血が流れる』と叫んでにこやかに主のもとに帰った。
 大田というらい者がいる。身に六十幾つの傷を持つ者で気管切開をし、カニューレ(挿入された管)で呼吸して十年以上になる。しかし今は全生病院の聖者である。
 また、らい者の祈りを聞くものは胸打たれる。
 『私が癩にかかったことを感謝します。もしかからなかったら、世の人と同じように自分のしたい放題のつまらないことをして一生を空しく終わったでしょう。しかしらいになり、肉体の頼りないことを示され、真の救い主を与えられたことを感謝します』、『らい者となりすべての人に憎まれたことを感謝します。すべての人に憎まれたればこそ、ただ一人愛し給う主を見出すことが出来ました』。
 彼らの祈りはこのように祈られる」。

 これは、今まで文雄の考え、見てきた世界とは全く別の世界であった。
 らい病院の片隅に、世のすべてのものから引き裂かれて、ひとり病苦に苦しむらい患者が、ただ主イエスを信じる、ただそれだけのゆえに何人も奪うことのできない、あふるばかりの喜びを体験し、希望に眼を輝かせているのである。
 そして、これこそ今まで文雄が願い求めて、得ることのできなかった世界の消息であった。しかし皮肉にも、それは文雄が求めれば得られるであろうと思って求めた場所とは全く反対の場所にあることを知ったときの文雄の驚きは大きかった。「私は太陽、星、花の美しさに神を見ていた。しかし、何も見ることのできぬ、また知覚を失って、何も感ずることのできぬらい者が『神は愛なり』と叫ぶのである。
 私は立派な行ないがキリスト者的であり、また喜びであると思うていた。しかし、そうではなかった。一日何もできぬ盲人の重症者が動かない喜びにみちている。これはなぜであるか」。
 文雄は今まで、大きいもの、美しいもの、明るいもの、そして何かキリスト教的徳目の実践こそがキリスト者であることの証しであり、信仰の徹底であると考えてきた。ところが、今見る世界はまさにその正反対であった。
 小さいもの、弱いもの、醜いもの、動けないものの中に、「神の愛」が宿り給うているのである。文雄はこの現実の前に、従来持っていた価値観を根本的にくつがえされてしまった。これは文雄にとって大きな啓示的体験であった。
 そして、よく見ると、これらの患者たちは、一様に、聖書をむさぼるように読んでいた。このことを発見して、文雄もまた、改めて聖書をとり、「同じ恵みを与え給えと祈りつつ」(同上)読みかえした。今までも聖書を何回も読んできたが、こんどは不思議なことに、目からうろこでも落ちたように、次々と新しい世界をそこに発見して驚くのであった。(「林文雄の生涯」おかの ふみお著 新教出版社刊より。表現を一部わかりやすくした箇所もある。)
 こうして彼は、キリストの十字架による罪のあがないの信仰の深い意味に霊の目を開かれ、新しい天と新しい地を見たというほどの経験を与えられ、それまでのキリスト教信仰が根本から新しくされたという。
 このように、ハンセン病患者のために、自分の生涯を捧げたいと思って、赴任した一人の医者が、思いがけずに、その患者を通して自分の信仰に深い転機を与えられて生涯の感謝となったのであった。
 人を真に助けようとするものは、その相手によって助けられるという真理を、林は深く体験したといえよう。
 神がハンセン病という重い病の人をも「神のわざが現れるため」に、神の国のために用いておられるということを、患者たちの実態や、自分自身の魂における大きい変化によって知らされたのである。
 このように、闇がいかに深くとも、そこに神の光が輝くのだと知らされる。その光のもとは、二千年前に地上に来られたキリストにある。キリストは、当時の社会がやはり同様に排斥し、汚れた者としていたハンセン病の人に、深い愛をもって接し、決して触れてはならない存在であったハンセン病の人に自ら手を触れていやされた。それは、キリストこそは、ハンセン病という最も苦しい病気、孤独な病気の闇にも手を差し伸べるお方なのだということを長い歴史にわたって預言するものともなったのである。
 キリスト以前の時代には、旧約聖書に記されているように、神を信じる人たちもハンセン病の人には触れてはいけない、隔離して社会的にも排斥するということがなされていた。それを決定的に変えたのがキリストであった。
 ハンセン病の病院にいる人たちは老齢化し、日本では次第に忘れられていくだろう。現在、ハンセン病の療養所にいる人たちの数は四千四百名、毎年二百人以上が死去している。そして、十二年ほどすれば、その数は二千人以下となる見通しだという。
 しかし、まだ世界にはインドやアフリカなどを中心として一千万人を越えるという多数のハンセン病の人がいる。そしてハンセン病とは別のさまざまの病があるし、豊かな社会にも蔓延していく心の病がある。
 最近の現在の日本はとくにオウム真理教事件以来、特異な状況が目立つ。それはそうした心の病が深く進行していきつつあるのを思わせる。
 そのようなときに、何がいったい根本の解決の力を持っているのか、ほとんどの人たちは分からない状態である。二千年もの長い歳月を、いかなる闇にあっても光を照らし、魂をいやし、力づけるキリストの真理がこれからの世界に、いっそう貴重なものとなっていくであろう。それはハンセン病の人たちが直面させられた苦しみと深い闇をも、なお照らし続け、生きる希望と力を与え続けたという事実を知るときいっそう明確な確信となってくる。

 


st07_m2.gif教科書問題

 「新しい教科書をつくる会」が、歴史事実を曲げて教科書を造りそれを、多額の費用を使って宣伝し、教育委員会が採用するようにと働きかけているとして大きい問題になっている。
 中国やアジアの国々を侵略して、日本が支配しようとする目的のもとに戦争を始めたにもかかわらず、それをアジアの解放のためであったなどという主張は、事実を明らかに曲げたものである。
 最近、日本が中国にしかけた戦争の実際の記録映画を見たが、上海事変といわれていたものがいかに本格的な戦争であったか、そして三五〇万人の大都市に、日本が航空機を使って爆撃し、多くのビルが倒壊し、家が焼かれ、数しれない人々が傷つき、死んでいったのを見た。その後で戦場となった所が、南京であり、そこで有名な大虐殺が行われた。
 しかし、大虐殺は決して南京だけでなかった。上海を陸と空から攻撃し、大都市を飛行機で襲って火災にし、破壊していったことでどれほどの人たちの生涯が取り返しのつかない状態となり、また命も失われたことだろうか。そんなことはまさに虐殺に他ならない。手足は損なわれ、家は焼かれ、家族はばらばらになって、住む所もなくなった人たち。右往左往するおびただしい人たちの上に、倒れかかる高層ビル、燃え上がる町並み・中ヲそのような恐ろしい殺戮行為がなされていたのに、日本人のいったいどれほどがその真相を知っていただろうか。
 虐殺とは辞書によれば「むごたらしい仕方で殺すこと」だと書いてある。とすれば、砲弾にあたって、手足を打ち砕かれ、内臓を損傷され、また建物の倒壊で体を挟まれたり埋まったりして、地獄のような苦しみにさいなまれつつ死んでいった人たちは、まさに虐殺されたことになる。南京だけでなく、上海でも大量の虐殺は行われたのである。
 そしてさらに言えば、戦争とはそのように人間をどんなに苦しめて殺そうとも、平気になってしまうものであり、戦争そのものが、虐殺をさせるものなのである。
 最近このような戦争のときのフィルムを直接に見ることができるようになってきたが、それでも実際に見る人はごくわずかであろう。
 こうした激しい戦争であったことは、私なども最近までは知らなかったことであった。私は大学入試に日本史を選んだし、当時は理科系であっても数学、英語などと同じ配点であったために、相当に詳しく学んだつもりであった。
 しかし、「事変」という呼称にごまかされて、その残虐性などもまったく教えてもらうこともなく、参考書も何冊か学んでもごく簡単にしか書いていないのであった。
 ときどき言われるように、特定の場所でだけ、虐殺があったのでなく、戦争とは要するに他国の何も罪のない人々、本来は敵味方などなかった、たがいに知らない人々を虐殺することが目的の行為なのである。
 兵士も普通の市民も同じ人間であり、一人一人は神の前に同じ重さを持っているはずである。だれがむごたらしく殺されても同じように虐殺である。
 このようなことをほとんど何も知らないままで、日本人は成長している。つい五〇年余り前まで、そのようなことをしてしまったのに、そのような侵略行為をなんら反省も悔い改めもしないで、逆にそのような戦争を肯定し、自分たちは正しかった、アジアの解放のためだったのだなどということは、いかにも不正な態度である。
 
 一九九五年八月十五日、当時の村山首相は、つぎのような談話を発表した。

「・中ヲ今、戦後五十周年の節目に当たり、われわれが銘記すべきことは来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります。
 わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。
 私は、未来に過ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫(わ)びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧(ささ)げます。
 敗戦の日から五十周年を迎えた今日、わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。・中ヲ」

 この首相談話は、今から読んでも当然のことであって、こうした過去の罪を認め、それを反省し、悔い改めるのでなければ、かつてのようなおびただしい悲劇を生んだ戦争を再び始めるかも知れないということになる。
 しかし、この「新しい教科書をつくる会」の会長は、この村山首相談話を「左翼容共政権の政治政策であるがゆえに偶然にできたものだから、破棄すべきだ」と言ったという。
 ここには、罪を認めようとしない、従って悔い改めようとしないかたくなな、傲慢さがにじみでている。
 キリスト教とは悔い改めの宗教である。罪を認め、その赦しを乞い、そこからのみ本当の新しい出発ができる。悔い改めて神に立ち帰ることによってのみ、私たちは正しい道を歩いていると言える。
 しかし、この教科書を作って宣伝している人たちはそのような悔い改めを拒否する人たちである。
 このような姿勢をもった人物が主導した教科書が文部省の検定に合格し、しかもそれを多くの自民党の人たちが後押ししているというような状況がある。
 かつての戦争のようなあれほどの悲劇を起こしてもなお、そのことを深く認識できない人たちが多くいるのはまことに残念なことである。私たちは、あくまでキリストや使徒たちの教えを原点としつづけていかねばならない。

 


st07_m2.gif休憩室

○ビワ 六月の果物のなかで昔から日本になじみが深いのが、ビワです。私たちの集会場の庭にあるビワも実を多くつけています。日本では、ただビワの実を食べるためだけの樹木として見られているし、その葉が大きいので嫌がられることも多いようです。
 しかし、私の手元にあるアメリカ発行のある園芸図鑑を見ますと、ビワの園芸樹としての特質を次のような一言で説明してあります。
「立派な(美しい)葉をもった、常緑の木」(an evergreen tree with handsome foliage. なお、handsome という語は、普通に知られている美しいという意味の他に、堂々とした、立派なという意味があります。)
 またその用途としても「その装飾的な葉のゆえに、ほかの木とは隔離して用いられる。または温かい地方では果樹として」用いられると説明してあります。
 このような記述からわかるのは、ビワはアメリカなどでは、その立派な(美しい)葉が主たる目的で用いられるということなのです。
 ビワの木をこうした目的で植えるなどということは日本では聞いたことがありません。ましてビワの葉を立派とか堂々として美しいというようなニュアンスでは決して見ないのです。むしろ逆にその常緑の大きい葉が日陰を造るので嫌われることが多いのです。 
 同じ一つの植物であっても、いかに異なる受け入れ方があるかを知らされます。
 一つの物事も同様で、ある人によっては全く違ったように受け取られることがあります。
 ある習慣とか伝統も他国では、まったくなされないこともよくあります。
 しかし、キリストの真理は、どんな風俗や習慣の人にも、またどんなに伝統や生活が違っている人にもそのままで全世界共通に通用するということは、驚くべきことです。人間にはじつに多様な性格や習慣があるのに、そうしたあらゆる伝統、習慣を越えて共通して伝わるものがある、それがキリスト教の真理だと思われます。

○六月の野草
 ・野山に咲く野草のうちでは、私にとってとくにウツボグサとオカトラノオが身近なものです。ウツボグサは、その青紫色の美しい花がその素朴な姿とともにだれにでも心に残る野草と思われます。咲けば心安らぐような美しい花ですが、それが終わって花が枯れるとその花穂(かすい)が、茶褐色となり、それ全体がその方面ではよく知られている薬草となります。それは夏に枯れる草という意味で夏枯草(かこそう)と言われます。
 薬草というと、たいてい根や葉が多いのですが、このように花の終わった後の枯れたものが用いられるというのは少ないように思われます。
 オカトラノオは純白の花が、トラノオのように美しい花穂となって次々に咲いていく花です。これも見つければ誰もが心に残る花だといえます。
 こうした花を山野で見つけると、神の国の静けさや美しさ、あるいは清さなどをしのばせてくれるものです。

○ホトトギス
 五月の終わりから六月にかけて、わが家の裏山で、ホトトギスの印象的な鳴き声(キョッキョ・キョキョキョ)がよく聞こえてきました。小さな谷を越えて朝や夕方、そして時には夜でもその強い鳴き声は響いてきたものです。鳥には多くの種類があり、さえずり、鳴き声はいろいろですが、ホトトギスはとりわけ心になにかを訴えようとしているような力を感じます。
 ホトトギスは、万葉集、古今和歌集、源氏物語、枕草子などにも取り上げられ、古くから特別な鳴き声が多くの人の心を引きつけてきたのがうかがえます。
 近代においても、徳富蘆花の有名な長編小説「不如帰」(ホトトギス)の題名にも使われ、正岡子規が援助して創刊され、高浜虚子が継承した日本の俳句誌として広く知られている「ホトトギス」にもその名が用いられています。

 


st07_m2.gif返舟だより

祈りによる支え
 高齢であって、しかも以前に大きい病気をしてきた方が、最近入院され、一時は重い症状となって案じられましたが、最近退院されました。その方からの来信です。
「地上の命を延ばして下さった聖心を神様のご用と祈りで過ごしていきたいと願っております。
 この度の病床で一番感じたのは、多くの主にある兄姉の方々の祈りに励まされたことで、祈りの大切なことを知らされました。」

 病の苦しいときに、私たちは医者と身近な家族に頼ります。薬にも頼ることが多くなります。しかし、心の奥深いところでの支えはそうしたものでは与えられないのです。病気の痛みや不安は何ものも埋めることのできない闇ができることです。
 そのような闇に光を与え、支えてくれるのは神であり、主イエスです。そしてその主イエスのお心を具体的に現している同じ信仰の友の祈りです。祈って下さっているという実感によって、自分は苦しくて祈れないけれども、友人のとりなしの祈りによって不思議な安心が与えられたことを私も記憶しています。

 また、近畿地方のはこ舟読者の方からはつぎのような来信がありました。
「想像もしなかった苦難の日々でしたが、これも皆様がたの温かいお祈りと御支え、そして学びなどを通して、まず私がいつも主に結び合わされて支えられ、一歩一歩、歩んでこれましたこと、感謝いっぱいです。
 まだまだ、さまざまの試練がありますが、・激D放さず、見捨てず、共に歩んで下さる主・を泣cいで祈り続けてまいります。」

 自分の祈りが不確かなものに感じられるとき、他者の祈りにいっそうの確かさを感じることが多いものです。自分が非常な悩みとか苦しみにあるときには、十分に祈れない、祈りの気持ちになれないことすらあります。ただ叫ぶだけしかできない状態にもなります。しかし、そのような時でも、同じキリストにつながる人が祈ってくれているという実感があるときには、大きい支えになります。
 キリストを信じる人はキリストのからだである、一つのからだであると言われました。これは決して言葉だけのことではありません。苦しみをともに苦しんで下さっている人がいるということで、その祈りが伝わってくることから、実際に一つの体なのだ、と実感するのです。

「今日のみ言葉」への来信から
 何時も今日のみ言葉を有り難うございます。主人の方から社員にメールで送らせていただいております。聖書に接した事のなかった人々に、聖書の言葉を、眼にしていただくだけでも、意味のある事と、感謝申し上げております。
 今回の、"今日のみ言葉"「立ち帰って」の箇所は、矢内原忠雄先生が、特愛の箇所と聞きました。先生の最期のご病室にはこの聖句が書かれていたと、聞いたように記憶しております。 戦時中も戦後も先生の心の中にしっかり置かれた聖句であると思いますし、今生きる私にも、「立ち帰って、静かに」「安らかに信頼して」と、平安と慰めと力を与えられる「み言葉」でございます。(東北地方の方から 「今日のみ言葉」への返信より)
・ここで触れられている「今日のみ言葉」は、一か月に数回希望の人にインターネットメールでお届けしているものです。聖書の言葉と、その英語訳、そしてその聖句への簡単なコメント、それに私が撮影した植物などの写真を添付しています。ご希望の方は、つぎのアドレスに申込していただければ、お届けします。(費用は不要です。)
 typistis@m10.alpha-net.ne.jp (なお、このアドレスのうち、TY は私の名前より、pistis とはギリシャ語で「信仰」という意味です。)
 現在は、私からは九十名ほどに送っていますが、受け取った方の中にはここに返信をあげた方のご夫君のように、経営している会社の社員にそれを転送されている人、また自分の出している定期的なメールなどに転載して用いておられる方、あるいは個人的に知人、友人に転送しているとの連絡を頂いた方、印刷して別の人に手渡す人などもいます。
 神の言こそ、過去から現代にいたるいかなる時代の混乱や闇にも光と命を与える唯一のものであり、インターネットという新しい手段を神が用いて下さることを祈っています。