20017月 第486号・内容・もくじ

リストボタン待ち続ける神

リストボタン分かたれた人々 聖ということ

リストボタン統とそれを超えるもの  (教科書問題 二)

リストボタンことば

リストボタン返舟だより


 

st07_m2.gif待ち続ける神

 神は私たちが繰り返し断っても、なお待ち続けていて下さるお方だ。神が私たちを招かれているのに、なお、背を向けて、罪を犯し続けていた。
それは神からの招きを断っていたことだ。
 それでもある時、ふと気付いて神に立ち帰ったら、神は喜んで迎えて下さった。大いなる愛を注いで下さったと感じた。
それによって、神は自分をずっと待ち続けて下さっていたのだと実感する。キリスト者はだれでもこうした経験を心に持っているだろう。
 放蕩息子の有名なたとえ話も同様だ。父の心に背を向けて、長い間、悪い遊びに明け暮れし、どうにもならなくなったとき、やっともとの父親のところに帰ろう、たとい奴隷のようになってもかまわないと覚悟して帰った。そうすると、思いがけず、父は遠くから走り寄って、最大限の歓迎をして受け入れてくれた。
 息子が父親の心に背いて放蕩のかぎりをしていたことは、父親の愛を断っていることであった。しかしそうして長く父の愛に背を向けていた息子をもずっと待ち続けていたのが父であり、神の心なのである。
 だれからも待たれていない人は多くいるだろう。だれも遊び相手がない、親からも冷たくされる子供、あるいは家でこもりきりとなっている人、病気となり、老年となって帰るところもない、子供もいない、いても相手にしなくなった、だれも待っていてくれる人などいない、しかし、そのような人たちでも喜びをもって待っていて下さるお方がいる。それが神であり、主イエスなのだ。
 仕事や学校が終わって帰宅したとき、だれも待っていない家、あるいは、家族はいても自分を待ってくれてはいない場合と、だれか待っていてくれている人がいる場合とでは大きく違った気持ちになるだろう。このごろの子供の心がすさんできているのも、一つには、夫婦がともに外で働いていて、家に帰ってもだれも待ってくれていないという状況が影響しているとも言われている。
 地上の命が終わるとき、だれも知らない、死の世界へと一人引き離されていくような状況となる。しかし、そこでも神は大手を広げて復活の新しい命を与えようと待っていて下さる。
 キリスト教にいう神は、どんな人でも、神に立ち返ってくるのを待っていて下さる神なのである。

 


st07_m2.gif神はわが力(詩篇四六編)

神はわれらの避けどころ、また力
苦しみ悩みのとき、必ずそこにいて助けて下さる。
それゆえに、私たちは決して恐れない。
地が姿を変え、
山々が海の深みに移るとも

一つの川がある。その流れは、神の都に喜びを与える。
神はその中にいまし、都は揺らぐことがない。
朝早く、神は助けを与える。
すべての民は騒ぎ、国々は揺らぐ。
神が御声を出されると、地は崩れる。

万軍の主はわれらと共におられる。
ヤコブの神はわれらの避けどころ。

来たれ、そして見よ、主のなされることを。
主は驚くべきことを、この地においてなされる。
地の果てまで、戦いを断ち、弓を砕き矢を折り、盾を焼き払われる。
「静まれ、そして知れ、わたしこそ神だということを。
わたしは国々において高く、この地で高くされる。」

万軍の主はわれらと共におられる。
ヤコブの神はわれらの避けどころ。

 この詩は、百五十編が収められている旧約聖書の詩集(詩篇)の中でもとくによく知られているものの一つであり、「かつて書かれた最も雄大な信仰の詩の一つである」とも言われる詩です。
 従来の讃美歌には、この詩を元にした讃美歌が二つ収められており、いずれもよく愛唱されているものです。そのうち一つは、宗教改革者、マルチン・ルターの作詞、作曲したものとして広く知られています。これは、命の危険にもさらされていたルター自身の信仰と確信がよく表されているものです。 
 「この詩はルターの讃美歌(「神はわがやぐら」讃美歌二六七番)によってキリスト教信仰の最高の反響を見いだしたばかりでなく、旧約聖書の詩と信仰を最も力強く証しするものに数えられる。」(ドイツ旧約聖書注解 ATD)とも言われています。
 この詩は作られて以来、さまざまの人の心に触れて、こだまのように深い共感を生み出してきた。それらの内でルターの讃美歌はキリスト教信仰の形をとった最も価値ある表現となったということです。
 これは、実際無数の人々の心を励まし、支えとなったと考えられます。ここでは、戦前の韓国において、キリスト教迫害を受けた韓国のキリスト者の文からあげておきます。これは、戦前において韓国で、学校の教員や生徒たちが神社参拝を強制されたとき、一人の女性キリスト者の教師がその強制を拒み、神社礼拝しなかったときの経験を記したものです。

 突然大きなどなり声が上がった。「気をつけっ!」こだまとともに山の上の大群衆は、列に沿って直立した。号令はまた大きくひびいた。「まことの生き神であらせられる天皇陛下と、天照大神と、皇大神宮、八百万(やおよろず)の神に向って最敬礼!」
 大群衆は・中ヲいっせいに最敬礼をした。一番前に立っている私は、だれもが見える所で、直立したままで顔を高く空に向けていた。
 波立っていた不安のなやみや恐れは、いつの間にかきれいに去って、ただ静かである。はっきりした意識が「責任は果した」とささやぐように感じられた。…「イエスさま、すべてはこれで終りました。私は私としてせねばならないことをしました。このあとのことはみなあなたにおまかせします。ひたすらあなたにきき従う道しかなくなりました。」・中ヲしかし山をおりて来るにつれ、心にはまたいつのまにかやみが襲って来た。高官や、警官や刑事たちは、もちろん私の直立不動の姿勢をはっきり見たはずである。さて今から私を引っ張って行って、叱ったり、なぐったり、蹴ったり、目玉がとび出るほどほっぺたをぷんなぐったり、またきたない言葉でイエスのみ名をけがし、のろい狂うであろう。…
 あの威張りちらす男たちに、鞭でうたれて果たして忍ぶことができるだろうか。思わず身ぶるいがした。・中ヲ
 あの狼のように残忍な警官たちの鞭はどんなに痛いだろうか?果たして耐え切れるだろうか、死ぬことはすこしも恐しくない、しかし死なずに拷問を受け通して行かねばならないのだから怖い。このからだでどれくらい耐えられるだろうか、歩いている足もとがふらふらとなって、目まいがした。拷問のため半殺しのまま彼らにまいってしまうようなことになれば、どんなことになるだろう。目先がまっくらになって、道が見えなくなるような気がした。
 しかしすでに戦いは始まった。今になってしりぞくことはできない。いやでもおうでも闘う道しかない。私は罪だらけの人間であり、弱虫である。私にいったいなにができるというのだろうか・中ヲ。
 このとき、私は心をさらに開いて、イエスさまを仰いだ。そしてヨハネ福音書第十四章のお約東の言葉を思い起した。・中ヲこれらのみことばを暗唱しているうちに、私の心は真暗な闇に火がついたように、明るくなって来た。私はまた青い大空を見上げた、雲がいつもと違ってほほえむように見えた。そしてにわかに歌が心に湧きおこった。

 いかに強くともいかでか頼まん
 やがては朽つべき人のちからを
 われとともに戦いたもうイエス君こそ
 万軍の主なるあまつ大神(讃美歌二六七番二節)
 
 マルチン・ルターの作ったこの歌をうたいながら、私は彼の説教を聞いている気がした。彼の真理のための戦いは、当時最も勢力のあった法皇を相手どったものであった。虐殺と迫害のもっとも恐しい暗黒時代であった。…(「たとい そうでなくとも」安 利淑(アン イ スク)著 910P

 このように、迫害を受けることが確実な状況となってきて、今後身に受けるであろう、苦しみ、困難を前にして恐れでひるむときに、浮かんできたのが、主イエスの言葉であり、またこのルターの讃美歌であったのです。
長い歴史のなかには、現在のように、人権というものが認められていない時代が長く続き、そのような状況においては、支配者の間違った政治を批判すると、現実に命の危険が迫り、捕らえられ、長期にわたる暗くて陰うつな牢獄に閉じこめられ、ひどい扱いを受けることになるということが現実に多くみられたことです。

 「神は私たちの避けどころ」と冒頭に言われています。ルターの讃美歌をもとにした、従来の讃美歌二六七番では、「神はわがやぐら」と訳されていましたが、「やぐら」といっても現在の多くの人々にとっては、「火の見やぐら」とか「やぐらこたつ」しか思い出せず、意味がよくわからないので、新しい讃美歌21では、最初に「神はわが砦」(三七七番))となっています。

 なおこの讃美歌の英語訳も、砦とか要塞を表す fortress という訳語を用いています。ルターの讃美歌の原文は、Ein' feste Burg ist unser Gott で、「我らの神は堅固な城(または避け所、安全な場所)である。」

 この詩で第一に言われていることは、絶えず敵が襲ってくる危険のただなかにあって、そうした危険から身を守り、避け所となってくれるのが神である、ということです。
 また、砦とは、守りと攻撃の両方に用いられるものです。敵が遠くから近づいているときには、すみやかにその敵を発見し、味方を守り、適切な攻撃をするためのものです。
 「神がわが砦」といえば神が、敵(悪)から守り、私自身が悪に攻撃されて滅ぼされないように、神ご自身が悪を攻撃して、私を守って下さるという意味になります。
 聖書にいう神を信じるとは、つねに悪との戦いの日々となるということです。神ご自身が「万軍の神」といわれるように、万物を支配しておられ、その力をもって悪と戦うという性質を本質的に持っておられるのです。
 宗教や信仰というと、単に一時的な個人的な安らぎを求めたり、自分の願いをかなえてくれるためのものだと考えている人が多いのです。しかし、そうした個人の平安も、じつは悪の力が克服されて初めて与えられるものです。私たちの心の内に、悪の力、罪の力が強い場合には、たえず、心は動揺するのは当然です。
 主イエスも最後の夕食のときに教えた言葉の最後に、「これらのことを話したのは、あなた方が私によって平安を得るためである。・中ヲ私はすでに世に勝利している。」(ヨハネ福音書十五・33と言われて、キリストが、すでにこの世の力(悪の力)に勝利しているからこそ、信じる者は、やはりその勝利を得て、平安を与えられるのだと言われています。
 この世はいつの時代にもいたるところに悪があります。そうした悪を放置して、認める神であるなら、そのような神は不正な神であり、万能の神ではないことになります。
 私たちが個人的な平安を与えられるためにも、まわりに悪があり、私たちの心のなかに憎しみや妬みや利己的な欲望などの汚れた心があれば、平安はないわけです。
 だから個人的な平安を与えられるためにも、悪を滅ぼすことは当然結びついてきます。 
 「苦しみ悩みのとき、そこに神の助けが必ず見いだされる」(原意)
 これは、どこにも助けがないと思われるときに、主が最も力ある助けとなって下さるのが見えてくる。あるいは、具体的な助けを送って下さるというような意味です。
 人間の助けは、しばしば失われ、頼りにならない。人間は弱く、不信実であるからです。しかし、神は変わることなき助けであり、力となって下さる。
 アブラハムがかつて神の言葉に従って、イサクを捧げよと言われたとき、その言葉の意味がはかりかねましたが、それでもすぐ翌朝早く出発して、相当の時間をかけて、目的地にたどり着いたことが書いてあります。そこで、いよいよ息子を捧げようとしたとき、小羊がそばにいるのを見いだしたことが書いてあります。そこで、アブラハムは、その場所を「ヤーウェ・イルエ」(主は見ておられる、主は私たちが本当に必要とするものを備えて下さっているという意味)と名付けたと書かれています。

私たちは恐れない、
たとえ、地が変わり、山が海の深みに移ることがあろうとも
 
 全地を創造した神に深く結びつくほど、私たちもまたそのような大きい力を受けて、この世につきものの恐れに押しつぶされないで生きていくことができる。天地を創造した神は、いかにこの世が動揺しようとも、神はそれらいっさいの上に立っておられる。それゆえ、もし私たちがそのような神に信頼し、結びつくときには、私たちもまた動揺することのない、力と確信を与えられることをこの詩は歌っているのです。
 聖書の最初の言葉は、神が天地を創造されたということ、神の言によって創造されたということです。私たちは小さく狭い考えにとらわれますが、聖書はつねにこの世の根源の力、天地創造をもされた神の力へとさかのぼって見つめているのがわかります。
 命まで奪われるというような迫害の時代には、だれしも恐れでいっぱいになっただろうと思います。少数の人たちがそうした恐れをも超えて、この詩にあるのと同様な力と勇気を与えられて進んでいったのです。
 しかし、そのような強靭な勇気や恐れなき姿勢とまではいかなくとも、私たちの日常生活の中で直面するいろいろの恐れを取り除いて下さるということは、神を信じる者はだれでも、経験することができます。そしてたいていの人にとって、毎日のそうした恐れを除いてくれるお方がともに歩んで下さるということが、大きい平安を与えてくれるのです。
 しかし、神を信じないなら、恐れるのが当然となります。自分の思ったことを言ったり行動したりすれば、どう言われるか、どんなに思われるか、友人や親族からも捨てられるのでないか、地位がなくなったり、生活できなくなるのでないか、また、周囲のどんな悪人に襲われるかわからないし、病気のこと、将来の老後のこと、また死の彼方には何があるかわからないからです。
 そして人間の弱さのために、他人を助けることはごく少ししかできない、神を信じないなら、そのような弱々しい人間である自分や他人という人間にしか頼ることはできず、人間をはるかに超えた力にはひとたまりもありません。
 
 このような、苦しみ悩み、混乱と、恐れの世界を示した直後には、まったく異なる情景が記されています。
 それは、聖書の初めから終わりまで、さまざまの箇所で現れる川あるいは水の深い意味です。

一つの川がある。その流れは、神の都に喜びを与える。
神はその中にいまし、都は揺らぐことがない。

 この世の混乱と恐れを引き起こすような出来事、悪の力が支配しているようなただなかに、それとまったく対照的な静けさがある。水の流れがある。それがこの節です。
 それは神のいのちの世界であり、揺らぐことのない世界です。神は岩であり、不動のお方です。それとともに神ご自身がゆたかなうるおいと命に満ちた存在であることがこのような表現で示されているのです。
 神の都、それはエルサレムを指しています。そしてエルサレムは標高八百メートルほどの山の上の町であり、雨量も少ない地方であり、六月から九月にかけては全く雨が降らない。そのような状況のただ中において、エルサレムに川の流れがあるというのは深い象徴的な意味を持っているのがわかるのです。
 この水があふれ、流れるという記述は聖書では、創世記のはじめから見られます。エデンの園には、一つの川が流れ出て園をうるおし、さらにその川は四つの大きい川となって流れ出て、世界をうるおすようになっていることが記されています。(創世記二章)
 また、旧約聖書のエゼキエル書にはやはり、エルサレムの信仰の中心地(神殿)から水が流れ出るということが記されていす。

彼はわたしを神殿の入り口に連れ戻した。すると見よ、水が神殿の敷居の下から湧き上がって、東の方へ流れていた。神殿の正面は東に向いていた。水は祭壇の南側から出て神殿の南壁の下を流れていた。・中ヲ
 川が流れて行く所ではどこでも、群がるすべての生き物は生き返り、魚も非常に多くなる。この水が流れる所では、水がきれいになるからである。この川が流れる所では、すべてのものが生き返る。・中ヲ
 川のほとり、その岸には、こちら側にもあちら側にも、あらゆる果樹が大きくなり、葉は枯れず、果実は絶えることなく、月ごとに実をつける。水は聖所から流れ出るからである。その果実は食用となり、葉は薬用となる。(エキエル書四七章より)

 ここで言われている神殿はエルサレムにあり、すでに述べたように、かなり高い山の上の町であり、雨量も少ない所であることを考えると、いっそう驚かされる記述です。エゼキエルは特別に深い神との交わりのなかで、霊的にたかく引き揚げられ、ふつうの目には見えない命の水の流れをありありと見ることを与えられたのです。
 神とともにあるときには、神ご自身の源泉から、いのちの水が湧き出るという事実は、新約聖書でも強調されています。
 ヨハネ福音書でも「私を信じる者は、その内部からいのちの水がわき溢れる」との主イエスの言葉が記され、聖書の最後(黙示録二二章)にも、「神と小羊(キリスト)の玉座から流れ出て、水晶のように輝く命の水の川をわたしに見せた。」とあります。
 
 神がともにおられるならば、命の水にうるおされ、しかも動かされることはないけれども、真実の神、正義の神に従おうとしないで、不正なことを追求する国や人々にたいしては、動揺がその報いとなり、神の時が来るならその一声にてそれまでの悪への裁きが行われる、そして国々には大きい混乱が生じることになります。

朝早く、神は助けを与える。
すべての民は騒ぎ、国々は揺らぐ。
神が御声を出されると、地は崩れる。

 神は、私たちを待っていて、神にすがろうとする者を助けられる。それをこのように、「朝早く助けを与える」と表現しています。
 多くの他の民や国々は歴史のなかで、さまざまに揺らぎ、崩れていきました。神のさばきをうけて、どんなに強力な国であったようにみえても、歴史の中では裁かれ、溶けるように、また崩れるように消えていったのです。
 そうした過去の歴史で生きて働いた神は、現実の敵の攻撃においても、また働いて下さる。過去だけの神でなく、今も生きた助けを与えられることが強調されています。
 天地創造という究極の出来事へと立ち帰るまなざしを持っているこの作者は、また長い人間の歴史をもたえず振り返り、そこに神の導きと裁きを読みとることができたはずで、神の一言によって、そうした裁きは歴史のなかで現実に生じてきたし、今もそうであることをこの詩の作者は知っていたのです。
 
万軍の主はわれらと共におられる。
ヤコブの神はわれらの避けどころ。

 神のことを「万軍の主」というのは、現代の人にとっては、不可解な言葉と感じられることが多いはずです。しかし、これは、旧約聖書では、二五〇回ほども現れるし、とくに預言者では、イザヤとかエレミヤなどはそれぞれ五十六回、七十一回など、驚くほど多く使われているのです。
 この「万軍」と訳された言葉が最初に出るのは、創世記で「天と地のすべての万象」という語の「万象」です。それは、太陽、月なども含めた天の星々や天地に存在するいっさいをも含めた言葉として、さらにイスラエルの軍勢をも意味することがある言葉です。
 この世は悪の力が満ちているように見えるが、本当は、神は天地万物を支配している万能の神であることを強調する表現なのです。
 それらをも、悪との戦いの軍勢としている。天の星たちは単に輝いているだけでない、それは神のしもべとして、悪と戦う力を表しているものだこの時代の人々は信じていたようです。
 こうした天地のいっさいを創造し、支配して悪との戦いをされ、勝利される神であるからこそ、万軍の主という言葉この短い詩のなかで、二回も繰り返されているのです。

来たれ、そして見よ、主のなされることを。
主は驚くべきことを、この地においてなされる。
地の果てまで、戦いを断ち、弓を砕き矢を折り、盾を焼き払われる。
「静まれ、そして知れ、わたしこそ神だということを。
わたしは国々において高く、この地で高くされる。」

 神を信じる者は実際に神のなされる働きを見るようにと招かれています。過去になされただけでなく、現在も生きた働きをされる神は現実に働いておられるからです。
 いつか神の時が満ちたときには、神は最終的には、地の果てまで、戦いを終わらせるし、あらゆる武器を廃絶されると言われているのです。
 ここに、世の終末へのまなざしがあります。私たちのあらゆる願いや祈りが聞かれ、魂の深みに刻まれたような悲しみや苦しみなどもすべてが消えていくときを待ち望むのです。
 「静まれ!」この神からの命令は、いまの私たちにも言われています。私たちは、日頃の目に見える世界の混乱したただ中から離れ、静まるときに初めて、過去や現在、そしてはるかな未来になされる神のわざをも示され、確信へと引き戻されるのです。
 終末のときには、完全な平和が訪れ、神は全地においてあがめられると言われます。
 新約聖書の最後の書物においては、それは新しい天と地の出来事であり、古い天地は過ぎ去ったのちのこととして記されています。
 この詩はこのように、天地創造という根源にさかのぼり、歴史において働かれた神は現在においても働かれる確信を述べて、さらに終末への希望に満ちてこの詩を終わっています。 
 悪のいかなる強靭な力が襲ってこようとも、それにはるかにまさる神の力への不動の確信が、この詩の随所に刻まれています。
それは神があたかもこの詩の作者を用いて、後の時代のこの詩を読むあらゆる人に同様な確信と力を刻もうとしたかのようです。

 この詩篇四十六編をもとにして作られたルターの讃美歌(讃美歌21の三七七番)をつぎにあげておきます。
(従来の讃美歌では、「神はわがやぐら」讃美歌二六七番)

1)神はわが砦、わが強き盾、
  すべての悩みを 解き放ちたもう
  悪しきもの おごり立ち、
  邪(よこしま)な企てもて 戦いを挑む

2)打ち勝つ力は 我らには無し
  力ある人を 神は立てたもう
  その人は主キリスト、万軍の君、
  われと共に 戦う主なり

3)悪魔世に満ちて 攻め囲むとも
  我らは恐れじ 守りは固し
  世の力騒ぎ立ち 迫るとも
  主の言葉は 悪に打ち勝つ

4)力と恵みを われに賜わる
  主の言葉こそは 進みに進まん
  わが命 わがすべて 取らば取れ
  神の国は なおわれにあり
 
 なお、ルターの原作に触れるため、最初の部分だけを参考にあげておきます。
これは、右にあげた讃美歌21の一節の初めから二行目まで「神はわが砦 わが強き盾 すべての悩みを解き放ちたもう」の原文です。

Ein' feste Burg ist unser Gott,
ein' gute Wehr und Waffen,
er hilft uns frei aus aller Not,
die uns jetzt hat betroffen

堅き砦、それは我らの神
よき守りであり、武器となって下さる
神は我らを襲う、あらゆる困難から
我らを助けて自由として下さる

 


st07_m2.gif分かたれた人々 聖ということ

 聖書では、「聖」という言葉が多く出てきます。書名からして、「聖」書という名がついているので、聖という言葉は、なじみがあります。

 しかし、私たちはこの聖という言葉は、「聖人」という言葉を連想して、聖人とは完全無欠な人であり、儒教では聖人というと最高の人格者を意味する言葉なので、歴史のなかでもときどき聖人という人が出てくるのであって、私たちのまわりには、そんな人はもちろん見あたらない。だから、聖という言葉も同様に、私たちと遠く離れた言葉だというイメージがあります。じっさい、日常生活で、聖という言葉を使って会話するなどということはまずありません。
 しかし、聖書のことを中国語では「聖経(sheng jing)」といい、日本と同様に聖なる書という名称です。
 また、聖書には、新約聖書のパウロなどの手紙には、その冒頭に「コリント(ギリシャの地名)における聖なる人たちへ」などというように、しばしば見られます。
 ここでは、聖とはどういうことなのかを考えてみます。

 私たちに最もなじみのある、「聖」という漢字は、語源辞典を調べると、意味を表す「耳」と「口」と音を表す「王」(王でなく、テイ。この音の意味は、「通る」、または「聴く」)から成る。だから、この言葉の意味は、「耳の口が開いて、(通じて)普通の人には聞こえない神の声が聞こえる」という意味だと説明されていたり、「耳」と「呈」から成り、呈は、まっすぐに差し出すという意味であるから、「耳がまっすぐに通っていること」などと説明されています。
*
 
*)「漢字源」藤堂明保著 学習研究社、「漢字の起源」加藤常賢著 角川書店、「漢字の語源」山田勝美著 角川書店などによる。

 このように、中国では、「(真理を)聴く耳を持っていること、神の声が聞こえる」ことを聖と称していたのがうかがえます。言葉とは、宗教、思想や文化など人間の精神的なものの結晶であり、化石であると言われるのはこのように古代人の考えの一端をうかがうことができるからです。
 これは、主イエスご自身も、「耳あるものは聴け」と言われたことがあり、また、神の声を聴こうとする姿勢が重要であることは、旧約聖書以来、多くの箇所で示されていることであり、人間にとって、人間の声や意見だけに聴くのでなく、人間を超えたものの声を聴こうとすることの重要性を示しています。

 しかし、聖書において「聖とする」、あるいは「聖別する」と訳されている原語はそうした意味とは異なる意味を本来持っています。聖書でこの言葉が最初に現れるのは、創世記の初めの方です。

この日に神はすべての創造の仕事を離れ、安息なさったので、第七の日を神は祝福し、聖別された。(創世記二・3

 聖という語を見ると、日本語では聖人との関連で、なにか完全無欠のものを連想しますが、聖書ではそういう意味が本来ではなく、「分けて置く」というのが原意だと考えられています。(例えば、BROWN,DRIVER,BRIGGS の ヘブル語辞書には、「離れていること、分離されていること」apartness という意味を最初に書いてあります。 )

 このことは、すでにあげた、創世記の箇所を見てもうかがえます。第七の日を「聖」とするということは、それを普通の日のように仕事とか娯楽などに使うのでなく、別に神のために分けておくという意味です。そうした意味をこめて、新共同訳や口語訳では、「聖別」という訳語をつけてあります。なお、新改訳は「聖」とされたとしています。
 また、現代の英語訳のなかにも、その意味をくんで、「神は第七の日を祝福した。そしてその日を特別な日として別に分けておいた。 He blessed the seventh day as a special day 」と訳しています。(Today's English Version
  このように理解して初めてその意味がはっきりとしてきます。もし、この聖とするというのを、聖人というのが完全無欠な人だからといって「第七日を完全無欠な日にする」などというように思ったら何のことかわからなくなってきます。

 また、「すべての初子(ういご)を聖別してわたしに捧げよ」(出エジプト記十三・2
 という言葉も、初めて生まれた子供を神のために「特別に分けて置かれたもの」として、神に捧げよということです。

 また、次のような例も参考になります。 

あなた方はわたしのものとなり、聖なる者となりなさい。主なる私は聖なる者だからである。わたしはあなた方をわたしのものとするために、諸国の民から区別したのである。(旧約聖書 レビ記二十・26

 ここでは、「聖とする」ということを、神がとくに「区別した」と言われています。この区別すると訳されている語は、分ける、分離するという意味を持った言葉です。アブラハム以来、次第に増えて広がった民の特徴とは、神がとくに一般の民と区別して、分離して神の特別な用に用いるためであったというのがこの箇所からもうかがえます。

 このような意味が、新約聖書になっても、受け継がれています。多くのパウロの手紙が新約聖書におさめられていますが、そこでつぎのような言葉がしばしば見られます。
「神に愛されて召されて聖なる者となったローマの人たち一同へ」(ローマの信徒への手紙一・7
「キリスト・イエスによって聖なる者とされた人々、召されて聖なる者とされた人々へ。」(Ⅰコリント 一・2

 ここで、「聖なる人々」と言う言葉が出てきます。これは日本語では、この世の最高の徳を身につけたひとたち、つまり聖人たちというような意味に受け取ってしまう可能性が大きいのです。
 しかし、例えば聖なる人たちと言われている、コリントの信徒たちがどんな状況であったかは、その人たちに宛てた手紙の内容を見ればわかります。

 わたしの兄弟たち、実はあなたがたの間に争いがあると、クロエの家の人たちから知らされている。あなたがたはめいめい、「わたしはパウロにつく」「わたしはアポロに」「わたしはケファに」「わたしはキリストに」などと言い合っているという。
 キリストは幾つにも分けられてしまったのか。パウロがあなたがたのために十字架につけられたのか。あなたがたはパウロの名によって洗礼を受けたのか。(Ⅰコリント 一・1113
 また、別の箇所では「あなた方は、霊の人でなく、肉の人である。互いの間にねたみや争いが耐えないようでは肉の人であり、ただの人として歩んでいるではないか。」(同三・13より)
 あるいは食事のときに、パンとぶどう酒でキリストが死なれたことを記念し、信仰によってパンをキリストのからだとして受ける際にも、ある人は勝手に先に食べてしまい、あるひとは、すでに多くのぶどう酒を飲んで酔っているほどであり、その状態をパウロは厳しく非難しています。(同十一章)

 このような箇所を読むと、この手紙が、コリントの「召されて聖なる者とされた者へ」と書かれていても、聖なる人々という言葉は、決して、私たちが想像するような「完全な徳に達した人々」などではなく、キリストから呼ばれたことを感じて、キリストの集会に集まるようになったけれども、まだまださまざまのこの世の汚れや習慣を持っていて、自分中心の考えに流されて、聖霊中心まで到底達していない人も含まれていることが分かります。
 新約聖書で「聖なる人々」と訳されている言葉は、このように、およそ私たちの想像するような「聖人」ではないのです。
 このように、聖書の日本語訳のままで理解しようとしても、どうしてもうまくいかない場合もあります。それは、もとの原語と日本語に訳された言葉の意味が必ずしも同じでないからです。場合によっては、相当違っていることがあるからです。

 例えば、愛という日本語で思い出すのは、大多数の人たちは、男女の愛であり、それから親の愛であり、隣人への愛ということも思い出す人も少しはいるでしょう。
 しかし、新約聖書で愛というとき、それか神からの愛、その愛を受けて、神を愛する愛を指しているのであって、男女の愛や親子の愛などはまったく現れてこないのです。
 
 聖なる人々とは、神とキリストを信じて「神のために分かたれた人たち」ということです。召されて聖なる者とされたということは、とても不十分な人であっても、神(キリスト)から呼ばれて、(「召」すと訳された原語は、「呼ぶ」という意味」、神のためにとくに用いるべく、分かたれた人たちということになります。どんなに欠点が多くても、またいかに過去において、重い罪を犯したものであっても、そして人々から見下されているような病気や障害を持っているような人であっても、ひとたび神から呼び出されてキリストを信じるようになった人は、神のために分かたれた存在となったのです。
 分かたれた者は、そのことを深く知るようになり、それとともにいっそう神を求め、神からの聖霊を受けたいとの願いを起こすことになります。そして与えられた聖霊こそ、私たちを内からも外からも変える力を与えてくれることになります。
 新約聖書が書かれた時代は、キリスト者(原語のギリシャ語では、クリスティアノス christianos 英語では、クリスチャン)言葉はまだほとんど使われていなかったので、キリスト者のことを、「聖なる人々 ギリシャ語では、ホイ・ハギオイ hoi hagioi 」と呼んでいたのです。これは本来、「神のために分かたれた人々」というような意味だからです。

 この言葉(ハギオス)とその関連語(聖とする ハギアゾーなど)についてイギリスの新約学者、W・バークレイの説明を参考のためにつぎに引用しておきます。

 ハギオス(hagios)というギリシャ語は、ふつうは、「聖なる(holy)」と訳される。しかし、このハギオスというギリシャ語の元にある意味は、「他の物とは異なっている」という意味である。ハギオスである物とは、他のいろいろな物とは、異なっている物だということである。一人の人間がハギオスであるとは、他の人々とは分かたれている、分離されているということである。だから、聖堂がハギオスであるとは、それが他の建物とは異なっているからである。祭壇がハギオスであるとは、その祭壇がほかの通常の物の目的とは異なる目的のために存在するからである。神の日(安息日、聖日)がハギオスであるというのは、それが他の日々とは異なっているからである。聖職者がハギオスであるのは、その人がほかの人々とは区別され、分かたれているからである。W. Barclay ;The Gospel of Matthew Vol.1 205p

 聖書という名前も確かに、この世のあらゆる書物から「分かたれた書物」だと言えます。この地上には、今までに無数の書物が書き残された。しかし、それらはほとんどみんな消えていった。ごく少数は残っていて一部の人たちに古典として読まれています。
 しかし、それでも、全世界の人々が、無学な人も学者も病人も、未開といわれている地域の人たちも、天才的な学者も、あらゆる民族、能力の人たちがいまもなお、熱心に生涯の書物として読んでいる書物、そして二千を超える原語に訳されているのは、聖書のみです。
 聖書のうちの旧約聖書にはカインとかダビデの罪、イスラエルの人々の背信行為とか、複雑な儀式などの、一般的の人にとっては読みたくないような内容も時には含まれています。それは聖なる本というイメージで浮かぶような、完全なよいこと、心をうるおすようなことばかりが書いてあるのでは決してありません。 
 しかし、そうした内容も含めて全体として聖書は驚くべき神の御意志を記してあり、書かれたことは何千年を経ても変える必要のない真理がその根本を流れています。そういう意味でたしかに、ほかのあらゆる書物と「区別され、分離された書物」であり、すべての滅びへと向かわせる力を超越している本だといえます。

 神のご計画のために、とくにこの世から呼び出され、選び出されて、分かたれた人々、それこそ、キリストを信じる人たちです。キリスト者となるように呼び出された人たちは、決して人格者でも、心のきれいな人でも、愛のあるでもなかった。それどころか、重い刑罰を受けるほどの罪を犯した人もいました。
 能力的にも、決して学者とか特別な音楽や絵画の才能がある必要もない、ただの漁師であっても呼び出され、神のためにこの世の人々から分けられていく人たちがいます。 
 聖書のはじめの創世記にも、最も劇的に神のご計画のために、呼び出され、分かたれた人がいました。
 それはアブラハムであり、モーセであり、ダビデといった人々がそうです。
 住み慣れた場所、親族、友人、仕事などいっさいを捨てて、ただ神から呼び出され、神が示す土地に向かって旅だったアブラハムは、神に呼び出され、神の特別な計画のために分けて置かれることになった。そしてそのアブラハムの魂の中心にあったのは、唯一の神からの声を聴き、その声に従って千五百キロにも及ぶような距離を旅し、目的地に到着した後も、その神への信仰を守り続けていったのです。
 今日、ユダヤ人といわれる人々も、元はといえば、このように現在ではイラクという国の南部にあたる所に住んでいたありふれた人であった。
 そのごく普通の人が、なぜそれから数千年もの歳月を経て、本質的な部分をキリスト者たちにも伝わっていくことになって、全世界に満ちるようになったのか、それは神のわざとしか言いようがありません。
 旧約聖書は、神によってこの世から分かたれた人々の記録でもあります。そして新約聖書は、そうした人が全世界に広がっていく過程で書かれた書物なのです。
 カトリック教会では、特別に認定された人だけが聖人とされます。しかし、聖書ではキリストを信じた人がみな、神のため、キリストのために分けられた人であり、この世から分離して頂いた者であるから、みんな、「聖なる人(聖徒)」と言えるのです。しかし、繰り返しますがそれは決して完全な人といった意味ではありません。
 神とキリストを信じる私たちもまた、キリストの十字架によって罪を赦され、それによって清くされ、この世の汚れから分かたれ(キリストの聖性にあずかり)、導かれる日々となっていく、それが神の私たちへのご計画だと言えます。

 


st07_m2.gif伝統とそれを超えるもの(教科書問題 二)

 多くの問題点を持ちながら文部科学省の検定を合格した「新しい歴史教科書」の問題点はいろいろあるが、ここではとくに日本の伝統と文化を強調していることの問題点をあげたい。
 この教科書では、最初のカラーグラビアに縄文時代の土器や、半分以上を占める仏教関係の内容がある。そこですぐに気付くのは、つぎのような記述である。
「それらの形は、世界美術の中でも類例のないものである。」
「飛鳥時代は、ギリシャの初期美術に相当するといってよい」
「興福寺の・中ヲなどはイタリアのドナテルロや、ミケランジェロに匹敵するほどである。」
鎌倉時代の項には、「十七世紀ヨーロッパのバロック美術にも匹敵する表現力を持っている」
 これらを見てすぐにわかるのは、何かというと、ヨーロッパの○○に匹敵するとか、相当するなどという言葉を使うことである。自分よりずっと能力のある人物に向かって、自分はその人に匹敵する、相当するのだと一生懸命に背伸びして言い聞かせようとしているかのような雰囲気がある。
 この最初のグラビアの書き方でもうかがえるが、この教科書の底に流れている考えは、日本はこんなに立派なのだ、日本の伝統はこんなに優れているのだ、日本は悪くないのだ・中ヲという自画自賛である。
 もし、ある人間が、自分はこんなによいのだ、自分は○○の有名な人と匹敵するのだ、などと繰り返し言っていたらどうだろうか。そして自分のかつての罪や失敗、欠点を極力伏せて、なかったことにすらして自分の自慢話ばかり言っていたらそのような幼い状態、狭い心では相手にされないだろう。
 そしてこの教科書の最後には、つぎのように書いてある。
「日本人が外国の文化から学ぶことにいかに熱心で、謙虚な民族であるかということに気がついたであろう。外国の進んだ文化を理解するために、どんな努力もしてきた民族であった。」ここでも、やはり自画自賛である。
「・中ヲそれでも(日本は)自分の国の歴史に自信を失うということがずっと起こらない国であった。・中ヲところがここ半世紀は必ずしもそうとはいえない時代になってきた。なぜ・中ヲ自国の歴史に自信を失わないできた日本が、最近そうでなく、ときどき不安なようすをみせるようになったのだろうか。・中ヲ」と述べて、その理由として
「外国の文明に追いつけ、追い越せとがんばっているときには、目標がはっきりしていて、不安がない。・中ヲところが今は、どの外国も目標にできない。日本人が自分の歩みに突然不安になってきた理由は、たしかに一つはここにある。・中ヲ
 本当は今は、理想や模範にする外国がもうないので、日本人は自分の足でしっかりと立たなくてはいけない時代なのだが、残念ながら戦争に敗北した傷跡がまだ癒えない。 ・中ヲ何よりも大切なのは、自分を持つことである。」
 この教科書は、自信を持つとか、自分の足で立つということを、日本は優秀だ、日本は悪いことをしていないなどと、自らの弱さや、罪を見つめることをしないで、自分で自分を誉めて、日本はこんなに偉大なのだ、などと思いこませようとしている。
 最近日本人が自分の歩みに突然不安になってきた、という。しかし、戦前はどうだっただろう。自分の歩みに不安であったからこそ、国民をあざむき、アジアの無数の人たちの犠牲を生みだすことになった戦争を始めたのである。
 また、江戸時代にしても、キリスト教迫害のためにわざわざ、鎖国をしてオランダ、中国だけに限って、それ以外とは通商や来航も禁止してしまった。しかも、その二国とも、長崎一港だけに限ってのことであった。これは、著しい国家的不安からの政策である。それ以前においても、戦国時代といって、長い混乱の時代が百年も続いた。この時代に一般の民衆は到底自分の国に自信を持つなどという判断を持てなかっただろう。生活に必死にならねばならないのであり、多くの戦乱で生活が踏みにじられる人たちも多かったからである。
 なにもこの教科書の著者が言っているように、一般の民衆が自分の国に不安を感じるのは、今に始まったことでない。いつの時代にも食物も十分でなく、病気になっても医者にもかかれず、そもそも外国のことなど、ほとんどわからないのが普通であった。
 日本においても、せいぜい外国といっても、大多数の民衆にとっては、朝鮮半島や中国のことがごくわずか知られている程度であったろう。文字もわからず、新聞やラジオもなく、教育もない時代であれば当然であり、生きていくだけでも、たいへんであったのであり、一般の人々にとっては、自分の国は他の国と比べて立派なのだとか考えることもできなかったわけである。
 個々の人間やその集まりから成る国家の不安、それは、自分の優秀性を知らないからでない。自信を持たないからではない。
 それは確固不動の真理を知らないところから来る。永遠の真理を知った者は、いたずらに自分はこんなに優秀だなどと繰り返し言い聞かせる必要もなくなる。逆に、自分の弱さや欠点を深く知り、その上で、人間を超えた力を持っておられる存在である神からの力と導きを受けようとする。その上で自分に与えられた役割を知って果たそうとする。
 こうした基本的な考えは、個人と国家であっても同様に成り立つ。個人にとって、真理であることは、その個人の集合体である国家、社会にとっても同様に成り立つというのは、聖書の一貫した主張である。

正義は国を高め、罪は民の恥となる。(箴言十四・34
 
 この聖書の言葉は、国を偉大なものとするのは、自信を持つとか、伝統を重んじるとかでなく、正義だと言っているのである。そこに住む人々、指導的人物たちが、何が正しいことかを知り、それを実行していくところに、国が高められる道があると指摘しているのである。
 伝統と文化というが、伝統にもいろいろある。人間にしても、昔からの伝統を守って、女は汚れていると見なすのがよいのか、また部落民とか障害者を差別して見下すのが従来からの長い伝統であったが、そんなことをしてよいのか、女性には教育させないというのが、日本の伝統ではなかったのか、女性は名前すら与えられない、金や権力のある男は何人の妻を持とうとも当然とされていたのも、日本の伝統的考えであった。人間は休みなく働かせる、それが日本の伝統ではなかっただろうか。死んだ者は汚れているという伝統的な考えが残っているが、それは全く根拠のない迷信にすぎない。
 このように、昔からの伝統、文化を重んじるということをそのまま採用するなら、例えば、大相撲の土俵に女性が上がることを禁じるなど、それは女性は月経という出血があるから汚れているというおよそ、古代の無知な時代からの伝統的考えを守っているからそうなるのである。
 そもそも、今の日本の伝統、文化を重んじるなどといっている人は、それなら日曜日を休むという基本的なこと、生活の根本にしみこんでいることは、日本の伝統でないことを知っているのだろうか。それは全く、キリスト教の伝統なのである。日曜日とは、キリストの復活の記念と安息日のふたつの精神が一つになって続いてきた伝統なのである。
 また、ふだん圧倒的な人たちが用いて着ている洋服はその名の通り、西洋の服であり、西洋の習慣と伝統なのである。あるいは、椅子やテーブルでの生活、ガラス窓、カーテン、洋間・中ヲなどなど日本の伝統でないものばかりである。
 それらを日本の伝統でないからといって、軽視したり廃棄する人がいるだろうか。今回の教科書で日本の伝統と文化をと繰り返し強調している人たちもやはり、日常生活では洋服を来て、椅子やテーブルを使う生活をしているのである。こうした生活の基本的なところで、わざわざ日本の伝統といって、学校でも畳でするなどという必要など全くないからこそ、圧倒的多数がそうした日本の伝統でないものを用いて生活しているのである。
 日本の伝統、文化の代表的なものとして天皇制がよく引き合いに出される。しかし、これも、戦前のように、天皇を現人神だとして、ただの人間であるのに、神だとして崇拝を強要し、天皇の名によって戦争をし、多くのアジアの人々を苦しめることになったなど、単に伝統、文化などを重んじてもそれだけでは何にもならないということをはっきりと示すものである。
 また、古くから日本に住んでいたのはアイヌ人である。現在もアイヌはごく少数になったが、日本を構成する国民の一部となっている。この国土にきわめて古い時代からある伝統といえば、アイヌの伝統もそれに含まれることになる。
 しかし、日本の伝統を重んじるべきだという人たちはアイヌを重要視するとかいった主張は耳にしたことがない。それどころか、天皇中心の政治を目指して日本の伝統を重んじた明治政府は、一貫してアイヌの人たちの伝統を奪う方式を取ってきた。男子の耳輪の禁止、アイヌ固有の生産方式である、狩猟、漁労法を禁止して、アイヌ側の反対を押して強引に実行され、日本語への移行と日本文字の使用が奨励された。そして、たびたびより悪い土地への強制移住をさせられ、対等に産物を売買できる関係から、漁場の労務者へと変質させられ、徹底的に酷使されるようになった。
 そしてアイヌの人のことを、蝦夷地に住むゆえ蝦夷人という呼称から「旧土人」という差別的な呼称に変えた上、天皇の民(皇民化)とされて、アイヌとしての伝統や文化が否定されていった。
 また、太平洋戦争のとき沖縄の地上戦においては、伝統や文化が相当違っている沖縄の人たちが日本軍人によって殺害されることも多かった。
 このように、伝統と文化を重んじると称するが、そういう人たちは、他の伝統や文化を強引に踏みにじるといったことを伴ってきたことが多いのである。
 また今回の教科書問題で批判の的になった教科書は、日本の伝統、文化を強調しているが、その教科書でカラーグラビアとして掲載されているのは、仏像や仏画など仏教関係が圧倒的に多い。グラビア全十五頁のうちで、九頁までが仏教関係なのである。そして本来の日本の伝統である神社関係のグラビアは一つもない。
 しかしそうした仏像などはもともと日本の伝統になかったのであり、仏教そのものがはるか遠いインドの宗教として生まれ、中国にはいって、経典も漢訳され、中国文化の色を深く受けた上で日本に入ってきたのである。
 キリスト教にしても、ヨーロッパの伝統とか文化だと考えている人がほとんどであるが、じつはキリスト教は、ヨーロッパで生まれたものでなく、アジア東部の乾燥した地帯、今日ではパレスチナと言われている地方で生まれたものであって、その砂漠的風土で生まれた本質を色濃く持っているのである。
 このように考えてくると、日本の伝統、文化と思われているものも、実はインド、中国、朝鮮半島の文化、伝統が相当多くあるのがわかる。
 アメリカの伝統、文化といっても、そもそも現在のアメリカ人というのは、イギリス、ドイツ、フランス、ロシア、ユダヤ、スペインなどヨーロッパのさまざまの人種、またアフリカの黒人やアジアの日本人やベトナム、中国、韓国人などじつにさまざまの人間の集まった集合体なのである。
 もし、アメリカの最も古い伝統と文化というのなら、はるかな古代から住んでいた、インディアンと言われる人たちの伝統と文化ということになる。しかしまったく、習慣や風俗、宗教の異なった現代のアメリカ人たちに、そのような特定の民族の伝統や習慣をたんに、古いからといって現代住んでいる民族が重視してそれを取り入れる必要などどこにあるだろうか。
 アメリカやロシア、中国など、多種多様な民族が集まった状態においては、ある人たちの伝統や文化は、他の人たちにとってはまったく異質の文化と伝統でしかないのである。 日本はたまたま大陸から遠く離れた東の果てにあり、しかも島国であったからこそ、昔から一つの民族のように錯覚してきたに過ぎない。日本には、すでに述べたようにアイヌ人が古くから住んでいたし、朝鮮半島や中国からも多くの人たちが入ってきて、日本人と結婚してきた。
 そこにおいて固有の伝統、文化はじつに多くの種類があり、どれか一つを強調してそれがアメリカの伝統と文化だと主張することはできないのである。それぞれの民族によって全く伝統、文化が異なっているからである。
 多くの宗教や伝統の違う民族が集まっているという点では、ロシアや中国、インドなどもそうであり、ほかの多くの国々においても、さまざまの民族が集まってできている国は多くある。
 このように、多くの民族が混じり合って一つの国を作っているのが実態であって、初めから単一の民族でずっと現在まで続いてきたなどという国はそもそも有り得ない。一つの国もたえず、戦争や交流があって、国境自体がたえず変化していくし、いろいろの民族が混じり合っていくものである。そしてその混血や国土がどのように変わっていったか、厳密に確認や証明することなど到底不可能である。
 そうした混じりあっているのが常である国家において、特定の伝統をとくに強調していけば、異なる伝統を持つ人たちは追いやられる。宗教にしても文化の一つの現れだが、それを絶対として他者を受け入れないときには、対立が生じてくる。
 朝鮮半島を支配したとき、日本の伝統である、神社参拝や、人間にすぎない天皇を神とするような日本独自のやり方を朝鮮の人たちに強制したし、日本語をやはり強制的に使わせようとした。それは、深い対立を生みだしただけで、何のよいこともなかった。
 そのような時代の一人の女教師、安利淑(アン・イ・スク)の実際の体験の記録が今から三十年ほど前に、出版された。彼女は、韓国のミッションスクールの女性教師であったが、周囲のキリスト者の教師たちもこうした圧迫のゆえに、神社参拝への押しつけに反対できずに、生徒たちとともに神社参拝ということを不本意ながらもするようになっていた。そして学校では、毎月の一日に神社に強制的に行かされて、神社参拝を強制されたのであった。
 このとき、著者は、本当の神でないものに向かって最敬礼することを、偶像への礼拝であり、なんとしても避けなければならないとの確信が生じてきて、その最敬礼をしなかった。直ちに、捕らえられることがわかっていたので、自分の家からも出て行った。そしてさまざまの出来事ののち、東京において逮捕され、死刑の宣告を受けた。しかし、日本の敗戦によって、解放され、アメリカに渡り、現在はアメリカの韓国人の教会の牧師をしている。
 この書物は戦前の韓国でどのような迫害が行われていたかがわかるが、次のように記されている。

 「日本人は、その八百万(やおろず)の神々を偶像化して、それをアジア東部に強制的に広めるために、都市や郡や村々にまで、一番高くよいところに日本の神社を建てて、官吏たちに強制参拝させた。そして学校や官庁や各家庭にいたるまで、神棚を配り、強制的に拝ませているのである。
 ついに教会の聖壇にまで神棚が置かれた。クリスチャンたちが、礼拝する前に、まず日本の神棚に最敬礼をさせるため、刑事を教会に配置した。日曜日になると、各教会に、刑事たちが鋭い目を光らせて、信者の行動を監視していた。ときには征服の警官が聖壇に立って信者たちを見おろしながら、タバコを口にくわえ目を光らせている。もし、牧師が反対するか、不遜な態度に出たらすぐ引っ張っていって、耐えきれないほどの拷問にかけて半殺しにするのであった。その牧師や伝道師が引っ張られていくと、その家族たちには食物の配給を全然与えずに飢えさせ、虐待を重ねている。・中ヲ」(前掲書 6P

 このように自国の伝統や文化を特別に重んじるという傾向は、それが権力と結びつくと同じように別の伝統文化を持っている人々を平気で弾圧するという傾向を生むことが多い。
 それゆえに、人間にとって、最も重要なことは、個々の伝統や文化でなく、そうした多様性のある伝統や文化を超えて、人間それ自体の本質にかかわるものこそ真に価値あるものなのである。
 それこそ、聖書で一貫して言われている、真実や、正義、愛なのである。真実のないところで、また不正や殺戮を平気でしているところで、かつて、アジアの国々で行ったように、日本の伝統だといって、神社参拝を権力で強制していったい何の価値があろうか。
 そんなことはなんの意味もなく、有害無益であったからこそ、戦争で日本が負けると、たちまちそんな強制は跡形もなく消えてしまい、それは愚かな政策の見本のようなものとして引き合いに出されるものとなってしまったのである。
 最も日本の伝統と文化が強調され、英語ですら、敵の言葉だといって排斥すらされたのはつい、五十数年前である。
 そのことを考えても、各国の伝統や文化をこえた、どこの民族や国においても、同じように通用する真理こそ、根本なのだとわかる。そのような普遍的な真理を知って始めて、各国の伝統や文化というものも正しく評価できるようになる。
 そして聖書が初めて世界に示した唯一の神とキリストこそは、どのような伝統や文化の人の根源にある人間の本質に関わる真理である。だからこそ、キリスト教は世界のほとんどの地域と民族にわたって受け入れる人が生じてきたのであった。
 この真理を知って始めて、それぞれの民族や国が持っている伝統や文化をも正しく位置づけし、はじめにあげたような、間違っている伝統(女性は汚れているとか、人間を神とするなど)を正し、人間にとってよき伝統や文化を育てていくことができる。そして、人間の本質に関わる真理であるがゆえに、そうした異なる伝統を持っている人々とも同じ真理を共有して交わりを持ち、共に歩んでいくことができる。

 


st07_m2.gifことば

ライを病む我が身かなしく事ごとに楯つきし日よ母も老いたり
むらさきの花穂したしく手を触るる 垣根の下のヤブランの花         (宿里禮子)

・このことば(短歌)を残した著者は、十一歳の時に発病し、長島愛生園(ハンセン病療養所)に入所した。母もハンセン病者。自分のつらく悲しい運命を同じ療養所にいた母にこんな病気になるくらいなら生まれて来なかった方がよかったと言って何度も母に楯ついてことを深い悲しみをもって思い起こし、歌ったもの。そのような彼女を慰めたのは、夏に咲くヤブランであった。

神と悪魔

 神は助け、悪魔は挫折させようとする。神は善を見るに早く、悪魔は悪を探ることに巧みである。善を残して悪に覆いをかけようとするのが、神である。悪をさらして善を追いだそうとするのが悪魔である。
 神の前に出るならば、小さな善であっても植物の芽が日光を受けたように成長する。しかし、悪魔の息に触れるなら、小さな悪も大きい悪となって現れてくる。神は奨励する者であって、悪魔は望みを失わせる者である。(内村鑑三「聖書の研究」一九〇三年)

・これもまた、内村自身の経験に裏付けられた確信だと言える。自らが神の前には、小さき者、罪深き者であることを知っていた内村は、そのような小さき者を人間が攻撃するようには決して攻撃せず、自らの内にある小さき善、神を仰ぐ心をば取り上げて下さって、大きく育てて下さったのを実感していたのである。
 神はたしかに私たちが望みを失い、自分の罪に倒れそうになっても、なお、そのような者を憐れんで下さり、「立ちなさい!」と励まし、力を与えて下さる。神はまことに、小さき善を認め、奨励して下さる方である。

信仰における三つの支え

 私は聖書と天然と歴史を極め、それら三つの上に私の信仰の基礎を定めたい。神の奥義と天然の事実と人類の経験・中ヲ私の信仰をこれら三つの上に築くならば、誤りがなくなるであろう。科学をもって、聖書にまつわろうとする迷信を退け、聖書をもって、科学の傲慢さを退け、歴史が与える知識によって二者の平衡を保つ。これら三つは知識の柱である。そのうちの一つが欠けるなら、我らの知識は欠点あるものとなるし、我らの信仰は健全とはならない。(同右)

・聖書(神の言)と自然と歴史、この三つを内村はしばしば取り上げる。そして聖書そのもののなかに、この三つの重要性がつねに表されている。人間が神からいかに愛されているか、罪の赦し、聖霊、生きた導き等など。また何を為すべきでないか、罪の厳しい指摘等が聖書にある。そして、自然はその神が創造したものであるゆえに、神の心や御意志がそこに刻まれている。実験や研究のなかった古代において、素朴に自然を見つめるだけで、神の性質や御意志をそこに実感できる。大空や夜空の星、夕焼けや広大や海、山々、繊細な美に満ちている植物たち、これらはみな神の心と御意志の目に見える現れである。
 そして、そうした自然の研究と実験によって見いだされた科学の法則もまた神のわざを表している。しかしそれはうっかりすると、その法則のあまりにも整然として驚くべきものを生み出すがゆえに、その法則を成立させている神そのものを見失って、科学を偶像化する。そうした傲慢さを聖書はまたつねに警告する。
 また、神の御意志は、長い時間の流れのなかで、表されていく。それが歴史である。それゆえ旧約聖書の相当部分が歴史書となっている。真理でないもの、それは一時的には栄え、もてはやされることがあろうとも、必ず長い時間の流れの中で消えていく。
 神の言と自然と歴史、この三つはたしかに私たちがつねに忘れてはいけないものである。

 


st07_m2.gif返舟だより

○来信から
 内村先生の文章は心に深くしみこみますが、四十二歳の私が読んでわかりにくい言葉があったとき、どういう意味かわからずに困ることがあります。今回の、「はこ舟」による解説で「胸いっぱい」と書かれていますが、内村先生は、「満腔(まんこう)」と書かれており、私にはその意味が分かりませんでしたが、今回説明でよく分かりました。
今回のように現代の分かりやすい表現と照らし合わせると大変参考になりました。
 六月号四八五号のロングフェローの「人生の詩」の第六連~九連は本当にすばらしいと思います。英語の原文で読み、和訳で読むとさらに深みが湧いて本当に素晴らしいです。
・このように、内村の文章は現在の一般的な人にはすでにわかりにくくなっていて、そのためにわかりやすく表現することの必要があります。

○今日は、「はこ舟」六月号のハンセン病の所を読ませて頂きました。ふと、『肉体は朽ちても魂の上に人間の尊厳があると言う事です。』と言ったキリスト者で看護婦だった井深八重さんの事を思い出しました。わたしは高校を卒業した後、国立療養所長島愛生園附属看護学校に進学しようと思っています。しかし長島へ行くということはそれからの多難な人生を意味します。それでもわたしはキリストの内にあるならどんな苦しみにも耐えて行けると信じています。神様が長島への道をお開きになるならわたしその道を進んで行こうと思っています。どうか道が示されるようにお祈り下さい。(ある高校生からのメールより)

○ハンセン病者と、教科書問題に関する記事、どちらも強い関心を持ちました。特に前者については、小生も高校生の頃、青森県にあった療養所を訪問し、強烈な印象を受けましたので、内容がとても身近に感じられました。療養所で共にもった礼拝の折、彼らの讃美する歌声に込められた力と喜びと希望は、今も強く脳裏に焼き付いています。そして、仲間と讃美するとき、あの時聞いた歌声をいつも思い返します。小生の宗教的原体験の一つといってよいかも知れません。(中部地方の方)

○集会場の拡張工事が、部屋の内部の方は、ほぼ終わりに近づいています。今までは、狭い部屋に二十五人前後の人が入っていたので、真夏になると、クーラーもきかず、三十度にもなる部屋でいくつもの扇風機を回してしのいでいましたが、ようやくそうした状態も終わりになりました。

○六月のキリスト教(無教会)四国集会は高知の方々の一年間にわたる祈りを伴う準備によって、恵まれた集会となりました。四国四県の他に阪神地方、広島、東京などからの参加者もあり、六十数名の参加でした。「祈り」という主題のもとで、学び、祈り、讃美できたこと、主にある交わりを新しく与えられたことなど、多くの恵みを与えられた集会でした。来年は、徳島での開催です。