今月の聖句 |
2002年1月 第492号・内容・もくじ
道
後ろを振り返る
そこに道が続いている
船が海原を通っていくときに後に道を残していく
そのように、はるか遠くまで、道すじが続いている
いろいろのことがあった
敗戦の混乱のただなかで中国で生まれ
幼少のころに重い病で死に瀕したこともあった
はっきりと記憶にあるのはその頃からのことだ
脇道もあった
危険な道をも通った
それらのさまざまの分かれ道は薄らいで
今残って見えるのは、遠くから今に至る一筋の道
それはただ、見えざる御手によって導かれた道
そして前方を見る
何が生じるかわからない
人は自分でその道を決めることはできない
いかに安全であろうとしても
思いがけない困難が降りかかり
今までのすべてが崩れ落ちるようなこともあるだろう
脇道に引き込まれそうになることもあるだろう
地雷を踏むように、突然足もとが炸裂し
死の蔭の谷を歩み
孤独と病の苦しみにさいなまれる状況に追い込まれるかもしれない
前途を覆いそうになる雲が見えることもある
現にそのような状況に置かれている人たちもたくさんいる
しかし、後方はるかから続いてきたこの道は
必ず現在のこの地を通って、かなたの御国へと続く
私はそれを信じる
戦いの主
キリスト教は戦いの宗教である。
同時に愛の宗教である。このふたつは相容れないと思われるだろう。たしかに我々の戦いというイメージは殺戮と結びついている。それは愛とは正反対である。
旧約聖書ではじっさいに武力を用いての異民族との戦いが記されている。万軍の主という言葉は、そうした戦いの神というイメージに合うものであった。
しかし、キリストが現れてからそうした武力による戦いというのは意味を失った。そしてはるかに深い霊的な戦いこそが本当の戦いであることが明らかにされたのである。
愛されるとは何か、それは私たちの苦しみの根元を取り除いてくれることである。そしてその上で、最もよきものを与えられることである。苦しみと悩みの根元をそのままにしておいては、いかによいものであってもそれが本当によいものと感じられないからである。
私たちの一人一人の心に苦しみの根元を置こうとする、ある力が存在する。そのような闇の力はだれの心にも働いている。
ある人が「自分ではどうしてこんな心が、と思われるような暗い心が、ふと他人に対して生じることがある、冷たい気持ちが、また高ぶる心が、ときに残酷なような気持ちすらが生じることがある」と言われた。
程度の多少はあっても、人には自分ではそんな気持ちや心の動きはあって欲しくないのに、どこからともなくそんないやな気持ちが飛び込むことがあるだろう。この世のあらゆる問題や不正、困難、犯罪などはすべてそうした闇の力、暗い衝動に動かされての結果である。
キリストはそうした悪の力に対する戦いを真正面から行うお方なのである。
その意味で、キリスト教は戦いの宗教なのであり、たしかに人間性の奥深くにひそむ闇の力を明らかにし、そこに光をあて、その闇の力の根元を除くために、この世に来られたのであった。
闇の力とは、たんに殺人や盗みなどをさせるだけでない。私たちを自分中心にしてしまうことも、人から評価されなかったらその人を憎んだり、ねたんだりする心、あるいは、病気や事故などで苦しみに会ったとき絶望しそうになる心、この世の真実を疑い、そんなものはないと思わせるような力、それらはみんなそうした闇の力のはたらきなのである。
そうしたさまざまの闇の力との戦いこそ、キリストの目的であった。
私たちがたとえ大事な家族を事故で失ったときであっても、その悲しみにうち倒されないようにしてくれるなら、また憎しみが燃えそうになるときにも、その憎しみの炎を消して、しずかな祈りの心を生み出すように導く、そのためには、その闇の力との戦いがなければならない。そしてその戦いに勝利してはじめて私たちは本当の平安が与えられるし、そのような勝利への力を与えるものこそ本当の愛である。
キリストが十字架にかけられたのもそうした闇の力との戦いに勝利するためであった。悪との戦いに完全に敗北したように見えるあの、十字架での死が、歴史上で最も大いなる勝利の
キリストの生涯は単なる教えでなく、また奇跡をおこなって人々を驚かせるためでもなく、こうした戦いこそがその本質にあった。これは目には見えない戦いであって、最大の使徒パウロもまたそのキリストの戦いをキリストの力によって続けるのがその生涯の目的となったのである。
わたしたちの戦いの武器は肉のものではなく、神に由来する力であって要塞も破壊するに足りる。(Ⅱコリント十・4)
キリスト者の戦いとは、肉のものでない、つまり、目に見える武器や策略を使うのでく、神からの力そのものが武器である。それがあれば、どんなに強い敵の力をもうち破ることができると言われている。パウロはキリスト教伝道の生涯であったが、それは言い換えるとこの神の力による戦いの生涯であった。
「私はすでにこの世に勝利している」という主イエスの最後の夕食での言葉は、私たちが自分の力で戦わねばならないと、恐れるとき、そうでない、あなた方の戦いはすでに私が代わりになしとげて、勝利しているのだという励ましであり、約束なのである。
生と死
最も鋭く対立するように見える、生きることと死ぬことと。死んだら永久に帰らない、すべては消え失せてしまう。そこには最大の断絶がある。
そのようにほとんどの者は考えている。
しかし、新約聖書、とくにヨハネ福音書はそうした断絶でなく、信じる者には、ずっと続いているということを明確に示している。私たちのこのせいぜい七〇年から九〇年ほどの命は、死によって破壊されたり消え失せるのでない、それは何という大きな啓示であったことだろうか。
イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。…生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」(ヨハネ十一・25~26)
主イエスは二千年前に、十字架上で殺された。しかし、復活していまも生きて働いておられ、無数の人々を救って来られた。このヨハネ福音書の言葉のように、確かにイエスは決して死ぬことはなかったのである。キリストを信じる者も、またそのように、死んでもなお、生き続けるような存在に変えられる。
飽食と飢餓
現在の世界は八億人もの人たちが、食物もわずかしかなく飢えた状態にあるという。毎日数万人もの命が飢えと貧困のために死んでいる。アフガンの問題がアメリカの攻撃でにわかに光が当てられると、たちまちアフガンの問題が最重要問題であり、世界の他の地域では、難民とか飢餓の問題はあたかもなくなったかのように、マスコミでもアフガンのことばかり述べている。
世界の食糧は、必要量の一・七倍もあり、飢える人たちが大量に出るのが不思議なほどである。しかし、日本やアメリカ、ヨーロッパなどの豊かな国々が、そうした貧しい国々の食料を大量に輸入し、それの相当部分を家畜の餌にして、肉を食べているのである。牛肉一Kgを生産するには、最低でも八Kgの飼料が必要。その餌になるトウモロコシや大豆はほとんどが外国から輸入されている。
飢えた貧しい国々からそうした貴重な食物がなんと動物の餌にするために、外国に流れ、自分たちは食べるに必要なものすらごくわずかしか残らないという状況になっている。
なんと不正な状況だろうか。
これは政府の政策や啓蒙も必要だが、根本的にはそのようなぜいたくな食事でなくとも、十分に満足を感じるような、心の変革が必要だといえる。
その変革のためにキリストは来られた。そしてキリストを本当に受け取った人は自分から少しずつでも変わっていくのがわかる。
どんなに貧しくとも、悲しみに包まれていても、もしその人がキリストを知ったなら、神の国が与えられ、そこから満足と喜びがわいてくる。
それを主イエスはつぎのような有名な言葉で述べている。
イエスは目を上げ弟子たちを見て言われた。
「貧しい人々は幸いである、なぜなら、神の国はあなたがたのものだからである。
今飢えている人々は、幸いである、なぜなら、あなたがたは満たされるからである。
今泣いている人々は、幸いである、なぜなら、あなたがたは笑うようになるからである。
しかし、ああ、災いだ、富んでいるあなたがたは!あなたがたはもう慰めを受けているからである。ああ、災いだ、今満腹している人々は。なぜなら、あなたがたは飢えるようになるからである。
ああ、災いだ、今笑っている人々は。なぜなら、あなたがたは悲しみ泣くようになるからである。
(ルカ福音書六・20~21)
極度に貧しい国で生きていながら、他人の苦しみを見て分かち合うということを実際に経験して、心動かされた、日本人の経験が一冊の絵本になっている。
そのような分かち合う心、それはキリストがそこにおられてそのような気持ちにさせているのである。それこそ、ここで言われている、「貧しい者は幸いだ、神の国はその人たちのものである」ということの一つの意味だと言えよう。
そして豊さを存分に味わっている人たちは、飢えるようになる。事実、そのようにぜいたくな食べ物でなければ気がすまないというところに、すでに精神の貧困があり、「飢え」という状況がある。
高価な香油を注ぐ
主イエスが十字架に付けられる少し前に、高価な香油を注がれるという出来事があった。これは、マタイ、マルコ、ヨハネの三つの福音書に共通して書かれている。そしてルカ福音書においても、少し違っている点があるが、やはり香油を注ぎかけたという点では共通している。
これを見ても、この香油を注ぐという記事の重要性がうかがえる。マタイ、マルコ、ルカの福音書はだいたい共通点が多いが、ヨハネ福音書は相当内容が異なっている。
そのため、この四つの福音書すべてに記されている内容は、五千人のパンの奇跡など少ししかない。
この日から、彼らはイエスを殺そうとたくらんだ。
それで、イエスはもはや公然とユダヤ人たちの間を歩くことはなく、そこを去り、荒れ野に近い地方のエフライムという町に行き、弟子たちとそこに滞在された。…
祭司長たちとファリサイ派の人々は、イエスの居どころが分かれば届け出よと、命令を出していた。イエスを逮捕するためである。
過越祭の六日前に、イエスはベタニアに行かれた。そこには、イエスが死者の中からよみがえらせたラザロがいた。
イエスのためにそこで夕食が用意され、マルタは給仕をしていた。ラザロは、イエスと共に食事の席に着いた人々の中にいた。
そのとき、マリアが純粋で非常に高価なナルドの香油を三百グラムほど持って来て、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香油の香りでいっぱいになった。
弟子の一人で、後にイエスを裏切るイスカリオテのユダが言った。
「なぜ、この香油を三百デナリオンで売って、貧しい人々に施さなかったのか。」
彼がこう言ったのは、貧しい人々のことを心にかけていたからではない。彼は盗人であって、金入れを預かっていながら、その中身をごまかしていたからである。
イエスは言われた。「この人のするままにさせておきなさい。わたしの葬りの日のために、それを取って置いたのだから。(ヨハネ福音書十一・53~十二・7より)
マリアが注いだ香油は高価で純粋な香油で、値は三百デナリオンだという。当時の一日の賃金が一デナリオンであると記されているからこれは現在の日本の状況で考えると、一日の賃金は一万円ほどと見るならだいたい三百万円もの高価な香油だということになる。
これを主イエスの足に注いで使ってしまうということは、じつにもったいないことだ、そんなことをしないで貧しい人たちに与えたらたくさんの人を喜ばすことができたのに、というユダの言葉はごくふつうの考えだと言えよう。ユダとはキリストを裏切った者であり、ダンテの神曲でも最も深い地獄に置かれているのであるが、このあたり前と思われる言葉がユダの言った言葉だとされているところに、聖書がいかに常識的な考え方と異なるものであるかがよく現れている。
貧しい人たちがいるとき、お金を分かち与えること、一時の食物を与えることは、社会に福祉的な制度がなかった時代には特別な必要性があっただろう。そして実際にキリスト者たちは多くの貧しい人たちに食物やお金を与えた。しかし、お金とか食物、衣服などは一時の必要としては重要であるが、それが永続的になると、依頼心を起こして仕事をしなくなるし、強いものが多く奪っていくという事態も生じる。そこで新たな混乱や紛争が生じることになる。
目にみえる物を与えても、それだけでは永続的な力を発揮することができないのである。ヨハネ福音書の著者はこの点を深く見抜いていた。それゆえに、マリアが持っていたような主イエスへの深い信仰と愛、捧げる心こそが、永続的な力と影響を生み出すのであると言おうとしている。
これは今日のようにたえず経済問題、要するに金の問題が最大の問題であるかのように、毎日の新聞やテレビなどで報道されていることへの鋭い反論だといえよう。主イエスのためという純粋な心があるとき、そこには計算がなくなる。損得もなくなる。一度しかない命すら捧げてもよいとまで心は変えられていくのである。
当時の最も地位のある人たち、祭司長、律法学者、パリサイ派の人たちが揃って主イエスに敵意を持ち、殺そうとまでしていること、そして弟子たちすらイエスの死のことが受け入れられなかったとき、このマリアという女性は、自分では気づかないうちに、キリストの死のために準備をしていたことになった。
この女性の名はマリアと言われ、それはマルタの姉妹であった。この姉妹についてはルカ福音書に記されている。マルタは、イエスをもてなすことに一生懸命になっていたが、妹のマリアが手伝うことをせずに、じっと主イエスの言葉に聞き入っていたことに心が揺れ動いてイエスに対して、妹のマリアを叱ってくださいと頼んだことがあった。
一行が歩いて行くうち、イエスはある村にお入りになった。すると、マルタという女が、イエスを家に迎え入れた。
彼女にはマリアという姉妹がいた。マリアは主の足もとに座って、その話に聞き入っていた。
マルタは、いろいろのもてなしのためせわしく立ち働いていたが、そばに近寄って言った。「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください。」
主はお答えになった。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。
しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」(ルカ福音書十・38~42)
常識的には接待をしないで、じっと聞き入るばかりの妹が叱責されるのが当然と思われるが、主イエスは、マリアがみ言葉にじっと聞き入る態度を祝福された。これによって最大の主イエスへの接待とは、その語るみ言葉に聞き入ることだということが暗示されている。
いま取り上げているヨハネ福音書においても、マルタは準備をしていたが、マリアは高価な香油を持ってきて注ぎかけたという。
イエスの言葉にじっと聞き入るということは、イエスの持っているものを受けようと真剣になっていることである。ここでの高価で純粋な香油を注ぐということは、自分の持っている最もよいものを主イエスに差し出すことである。なぜこのような心が生じたのか、それは、主イエスにまず聞き入るということから、イエスに満ち満ちているものを受けるということがあった。
わたしたちすべての者は、キリストに満ちあふれた豊かさの中から、めぐみの上にさらにめぐみを加えられた。(ヨハネ一・16)
マリアは主イエスにじっと聞き入ることによってこの豊かさからの恵みを受け取り、そこから捧げる心が自然に生まれたのである。
主イエスから受けることなくして、イエスに捧げようという心は生まれない。神から受けたと感じたことがないものは、むしろ神をのろうことすらある。どうして運命はこんなに自分にきびしいのか、なぜ神がいるならこんな目に自分を会わせるのか等など。
マリアはイエスのみ言葉に聞き入ることから深い平安と力、そして励ましを受けたのであった。さらに、「そこには、イエスが死者の中からよみがえらせたラザロがいた。」と記されているように、死んでしまった兄弟のラザロを復活させて頂いた何にも代えがたい経験があった。この一言はマリアがいかに感謝していたかを示すものである。それを言葉で表すことなく、行動で示したのであった。
マリアが三百万円にも値するような高価な香油を注いだということから、どのようになったか。それを福音書はつぎの一言で言い表している。
家は香油のかおりでいっぱいになった。
これは何でもないような言葉である。しかし深い意味がこめられた一言だと言える。マリアのこうした行動は決してマリア一人で終わったのでない。その後二千年にわたって全世界で数知れない出来事の象徴的出来事となった。この出来事は初めて聞いたときには、当時のキリスト者にとっても、にわかには信じがたかったのではないだろうか。ふつうの庶民であったマリアやマルタといった女性ばかりに見える家庭に、数百万円もの高価の香油があったこと自体が常識的には不可解だし、それを家族のマルタやラザロの許可もなく勝手にあっという間に使ってしまったこと、そんなことがあり得るだろうか、という素朴な疑問を持たれることがあっただろう。しかし、この出来事はそうした疑問を吹き飛ばすように、この事実が現に当時のキリスト者たちの行動においてつねに生じていたことであったので、自然に受け入れられたと考えられる。
ヨハネ福音書はキリストが処刑されてから六十年ほども経った、紀元一世紀の終わり頃に書かれたといわれている。その時にはローマ皇帝ネロの迫害が始まってからもうだいぶ経っていて、多くの人たちが殉教していったのは広くキリスト者たちに知らされていた。
彼らは自分が持っている最も重要なもの、高価なものである命を、キリストのために捧げた。それはこの一人の女性が数百万円ともみなされるような、考えられないような高価な香油をイエスに捧げてしまったのと本質的に同様な意味を持っている。そして香油の香りが部屋中に満ちたと記されているが、キリスト者たちの殉教のすがたが、キリストの香りを徐々にローマ帝国中に満ち広がらせることになったのである。
キリストご自身が実は、そうした世界に満ちる香りの元となられたお方なのである。使徒パウロのつぎの言葉はそうした意味が込められている。
キリストがわたしたちを愛して、御自分を香りのよい供え物としてわたしたちのために神に献げてくださったように、あなたがたも愛によって歩みなさい。(エペソ書五・2)
キリストが香りなら、キリストに従うものもまた香りとなると言われている。
救いの道をたどる者にとっても、滅びの道をたどる者にとっても、わたしたちはキリストによって神に献げられる良い香りである。(Ⅱコリント二・15)
このようにして、高価な香油を注いだマリアの行動は、ただ一回きり生じた出来事でなく、以後の無数のキリスト者たちの生涯や存在そのものがこの世界において、香油となり、キリストの香りを漂わせるものとなるという預言的行動となったのであった。
河口の浅瀬を越えて テニソン作
日は沈み 夕べの星が輝く
そのとき、私を呼ぶ一つのさやかなる声が聞こえる!
海に私がこぎ出すとき、
浅瀬にうち寄せる潮の音はないであろう。
潮は満ち満ちていて、流れつつも眠るがごとく
波音も泡もない。
無限の深みからやってきた魂が
再び、魂のふるさとに帰るとき。
夕暮れ迫り、夕べの鐘は鳴り、
その後に闇(死)が訪れる。
私が船出しようとするとき、
そこには別れの悲しみはないだろう。
潮の流れは、時間と空間の限界を超えて
私を運んでいく。
わが希望は、わが導き主を顔と顔を合わせて仰ぐこと、
浅瀬を越えていったその時に。
テニソンとは、十九世紀のイギリスを代表する詩人であった。詩人とは、暇にまかせて響きのよい言葉を並べる人ではない。それは自らの精神にて体験された経験を短い、しかも的確な言葉で表すことであり、一般の人が見過ごす日々の出来事や、自然、歴史などのなかに、宇宙の真理をありありと見てそれを簡潔な、韻律ある言葉で表し、人々を真理の世界へと招くところに深い意義がある。
旧約聖書のイザヤ書、とくに後半部には多くの霊的な内容が詩のかたちで表現されているし、詩篇の人間の内部で何が体験されるのかということが、特別な言葉の力をもって表現されている。
ダンテの詩も、苦難のただなかで、歴史のこと現実の世界のこと、そして自らが体験した神との深い交わりが、壮大なスケールをもって描き出されている。
テニソンのこの詩は、この大詩人が世を去る二年前、八十一歳の秋のある日に、身内の者に語ったところによれば、一瞬にしてひらめいたという。あたかもこの世を去るときの白鳥の歌のごとく、生と死とを見つめて歌われた詩となった。
テニソンがいよいよ死を迎えたのは、それから二年後であったが、その時、その身内の者に「覚えておいてくれ。私のこの詩は、私の詩集のどんな版にも、必ずその終わりにのせるように。」と言い残したという。
夕べとなり、暗くなるが、そのときに星は輝き始める。星は、地上にて見えるもので最も神秘なもの、決して人間によって破壊も汚されることもなく、永久的にそのすがたを変えないもの、それは人間の世界を越えたなにかを指し示す。それはこの詩人にとって神の国の光を暗示するものであった。自分が死を迎えるとき、それは暗いだけのものとか不可解な謎の世界に無理やりに引きずり込まれるのでもない。また無になってしまって消えてしまうのでもない。
そこに地上ならぬ光が輝き、その彼方から、一つの声が聞こえる。それは澄み切った声であり、その響きゆえに神の国からの呼びかけだとわかる。人生の終わりに際してこういった、クリアな声が聞こえてくるのはいかに幸いなことだろうか。この声は、しかし終わりのときになって初めて聞こえるのではない。すでにヨハネ福音書では繰り返し、この声に従うことがキリスト者の日々の歩みであることが記されている。
わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従う。わたしは彼らに永遠の命を与える。彼らは決して滅びず、だれも彼らをわたしの手から奪うことはできない。(ヨハネ福音書十・27~28)
この詩の題となっている、浅瀬(bar)とは、大きい川の河口にある砂の堆積したところ、砂州をいう。その砂州を越えると、先は広大な海である。その海はこの詩では、死後の世界すなわち神の国を表している。死後の神の国へは、浅瀬を越えていく。死を迎えるときには、死後の無限の世界は音もたてることなく、その深い意味を暗示するかのように、静まって自分を迎えようとしている。その沈黙は神の国は満ち満ちたものが存在するからである。深いものは音をたてずに流れてくる。
みずからの生涯は、もう終わろうとしている。その予告のように人生の夕闇がひしひしと実感され、死の世界が間近に迫っている。しかしこの世からの最後のときにも、私には別れの悲しみ、つまり死の悲しみは感じないだろう。
それは、なぜか。
海、すなわち死は私を時間や空間を越えたかなたへと持ち運んで行くのかも知れない。
しかし、私には希望がある。
この世を終わりまで導いてくださった主イエスを顔と顔を合わせて見るということがそれである。
わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる。(Ⅰコリント十三・12)
この詩の作者は、地上の生活を導いてくださる主イエスのことを、パイロット(Pilot)と言っている。(英文の原詩参照)現在ではこのパイロットという言葉は、日本語では飛行機の操縦士しか意味しないようになっている。しかし、もともとこの言葉は、ギリシャ語のペードン(pedon)という、舵を意味することが語源であり、舵取りの意味を持つようになり、英語では少し語形が変化して現在の形になっている。それゆえ、もともとは舟の舵取りであり、水先案内人のことなのである。
現在の讃美歌にも主イエスが水先案内人であることを内容としたのがある。
果てしも知れぬ うき世の海の
浅瀬荒波 いわおの中を
主よ、水先の導(しるべ)したまえ。
指し行く浜辺 間近くなりて
磯打つ波の 逆巻くときも
主よ、水先の導(しるべ)したまえ(讃美歌二九二番より)
ここに引用した讃美歌の原詩は、「救い主なるイエスよ、私を水先案内して(導いて)ください。」Jesus, Saviour pilot me という言葉で始まっている。
死という未知の世界へと私たちはすべて進んでいる。それは果てしなく広がる大海原へと舟を進めていくのにたとえられるが、それは適切な水先案内人を与えられているとき、暗闇に沈み込むことでなく、光に満ちた主イエスにまみえることなのである。そしてそこに行く前から、この詩人のように、個人的に私たちを呼ぶ声を聞いて主の平安を与えられつつ、水先案内人たる主イエスに導かれていきたいと思う。
死ぬと人はどうなるか
慰霊
日本では死者に関する儀式をするときには必ずといってよいほど、慰霊ということが言われる。毎年八月十五日前後の頃とか、今年では一月十七日には阪神大震災の犠牲者の慰霊祭が各地で行われたというような見出しで記事が書かれている。
徳島県鳴門市には、ベートーベンの第九交響曲が日本で初めて演奏された場所がある。その近くにそれを演奏した兵士たちで捕虜収容所で亡くなった者たちの石の碑がある。そこには、ドイツ語と日本語でつぎのように書かれている。
第一次世界大戦中の日本での捕虜生活の内に没した兵士たちの霊を祀る。
Zum Gedenken an die im Ersten Weltkrieg in japanischer Kriegsgefangenshaft verstorbenen Soldaten.
ここで注目すべきは、ドイツ語では、「~への記念に」(Zum Gedenken)となっているのに、日本語では、「霊を祀る」という表現になっていることである。「~を記念すること、思い出すこと、覚えておくことと」と、死んだ人の「霊を祀る」というのとでは、全く意味が違うのである。
霊を祀るということは、神を祀るということと同様に、それは礼拝の対象となる。だから、日本では○○神社では○○が祀られてあるというと、その○○を拝む、神として拝むのである。そして靖国神社のように死んだ人はどんな悪事をした人でも一種のカミになったとして、礼拝したりする。これは物事の善悪にかんする感じ方にずいぶん大きい違いをもたらすことになる。
しかし、ドイツ語の文を見てもわかるが、キリスト教の浸透している人々においては、このように死者に対して拝むとか礼拝するなどということは決してない。
さらにこの石碑の別の面には、つぎのような言葉が書いてある。
「この碑はドイツ連邦共和国政府の委託により建立され、一九七六年のドイツ国民慰霊祭の日に…」
Dieser Gedenkstein wurde errichtet in Auftrag der Deutschen Bundesregierung und eingeweiht am Volks-trauertag 1976…
ここで、ドイツ政府の委託ということで、この碑は、ドイツ語原文では、「記念の(石)碑」(Gedenkstein(*))であるのに、単なる「碑」と訳しており、「記念」という語をわざわざ削除して日本語訳としている。また、ドイツ語の「悲しみの日」(trauertag)を、全く異なる意味の「慰霊祭の日」と訳している。
(*)「gedenken」とは「覚えておく」、「Stein 」とは英語のstone で、「石」の意味であり、Gedenksteinとは、記念碑という意味になる。
このように、死者を記念するということを日本では使わないで、慰霊という言葉を使うのである。慰霊とは、霊を慰めるという意味であるが、死者は生きている人に慰められる必要があるという断定からこの言葉がある。それは死者がみんな一様に悲しんでいる、とみなしているから慰める必要があるということになるが、そもそも死者がみんな悲しんでいるなどということは全くわからないことである。
例えば、キリストはわずか三十三歳という若さで、なんの罪もないのに、最も重い刑罰を与えられて、十字架上ではりつけにされて殺された。仏教的にいうなら最も呪われた死に方だから、死んで深い悲しみや恨みを持っているからたくさんの供養をし、慰霊をしなければ、その死者は幽霊のようなものになってたたってくるということになる。
しかし、キリストが十字架で殺されて、あの世で泣いているとか自分を殺した人たちを恨んでいるなどということは、およそこっけいなほどのことである。十字架で処刑されているときからすでに、人々の罪を深く知って、その罪を赦してくださいと、神に祈られていたからである。キリストは十字架で処刑されてのち、三日目には復活して神のもとに帰り、神と等しい存在となられたのであった。
捕虜として死んだ人たちも、寿命での自然な死もあれば、神を信じて捕虜の境遇も感謝して生きた人もいるだろうし、不満をもって死んだ人もいるだろう。日々を感謝して神のもとに帰った人は、地上の喜びをはるかに越えた清い喜びと平安を与えられているはずであって、地上の悩み多い人間がその死者の霊を慰めることなど、まったく無意味だということになる。
しかし、日本の方式では、そうした人も一律に、死者としてなぐさめるということになるがこんな不合理なことはない。
法事
日本の宗教的な考え方では、死んだら信仰あつい人も悪人でも同じように、死後は行き先が決まらないので、地上に残った人が、その人の魂の安定化のために法事と称するいろいろの儀式をすることになる。死んだ後の魂は不安定で生きている人にたたりや災いをもたらす恐れがある。だからそれを防ぐために、法事をするというのが、もとにある考え方である。そしてこれは仏教の教えだと思われているが、インドで生まれた本来の仏教にはそのような、魂を鎮め安定化するためのものでなく、四十九日の間に天界や人間界、畜生界などに生まれ変わるのであり、その行き先が決まっていないから、儀式をするのだとされていた。
(「日本の仏教」渡辺照宏 108P 岩波新書他)
それが中国に入って三回忌までするようになった。さらに日本に入ると、魂が鎮まるまでは死後三十三年から五十年かかるとされていたので、七回忌、十三回忌、…三十三回忌と追加されていったのである。これは時代とともに増え続け、現在では五十回忌が行われるようになった。五十回忌は一九五五年ころ以降になって追加されていったと言われている。
このように、日本では仏教と思われているが実はそうでなく原始的な日本の宗教の習慣から来ている風習に仏教の衣を被っているという状態になっているのである。
ギリシャの哲学の場合
また、死後の魂に関する、このようなことは、キリスト教以前のギリシャ哲学の英知ある人々もすでに知っていた。今から二四〇〇年ほども昔に、ギリシャの哲学者、ソクラテスはつぎのように述べている。
私がこれから行く死後の世界は、第一にこの世の神々とは別の賢明で善い神々のもとへであり、またこの世の人々よりもすぐれた、すでに亡き人々のもとへであると考えている。だから私は死を厭わないのである。…この上もなくよい主人(神々)のもとへ行くということは、なにかこのようなことで断言できることがあるとすれば、これこそまさにそうだということを知っておいてもらいたい。私は死んだ人にとっては、何かがある、しかも昔から言われているように、善き人々にとっては悪しき人々にとってよりもはるかによい何かがあるという希望を持っているのだ。(「パイドン」63BC)
このように、これから裁判を受けて、毒殺されることを予感していたにもかかわらず、殺された後は、最善の世界へと導かれることを信じていた。ソクラテスの弟子たちの後に残った者が、ソクラテスの霊を慰めるなどといえば、それは逆であって最善の神のところに行ったソクラテスの方が、地上の闇に生きている者を慰めるのだというだろう。
このように、キリスト教以前の四百年ほども昔の、ギリシャ哲学の時代から、死者の霊を一律に慰める必要などはないということを一部の英知ある人は知っていた。
また、今日の仏教式の法事では、遺族が死者のために食物などを供することで、死後にたたるような霊にならずに静まった霊になると考える。あたかも人間が死者の運命を左右する力があるかのようなことを言う。しかし、すでに述べたプラトンはこの点でも、すでにそのようなことは無意味であるとその最晩年の著作で語っている。
人が死んだときには、その人の真の自己(魂)は、他の神々のところに行っている。それは、自分が生きているときになした言動の説明のためなのである。
死後に神々のところに赴くということは、善き人々(正しく生きた人々)には自信をもって迎えられることであるが、悪しき人にとっては(神々の裁きを受けるのであるから)きわめて恐ろしいことである。
…人間がいったん死んでしまうともうどんな助けも届かない。生きている間にすべての近親者は彼(不正に生きていた人)を助けるべきだった。(プラトン著 「法律」第十二巻9より)
キリスト教では
この点ではキリスト教も同様である。死んだ者のために祈ってその人が受けるべき刑罰を軽くできるというようなことは全く記されていない。死後の魂は主イエスも言われたように、神の手にあり、人は生きているときの言動や、地上にある間に神に心を向けたか、キリストを仰ごうとしたかなどによって神が適切なさばきをされるのである。
体を殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄(ゲヘナ)で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。(マタイ福音書十・28)
キリスト教では、地上の命ある間に、神とキリストを信じるようになった者は死後は復活して、主のように変えられて、主とともに永遠の命を与えられる。
わたしたちは皆、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていく。これは主の霊の働きによる。(Ⅱコリント三・18)
主と同じ姿に作り変えられるなら、主と同じように霊的存在となり、時間や空間を越えた存在になると考えられるし、主イエスの言葉によると、天使のような存在になるとも言われている。
主イエスを復活させた神が、イエスと共にわたしたちをも復活させ、あなたがたと一緒に御前に立たせてくださると、わたしたちは知っている。(Ⅱコリント二・14)
また、このような言葉によって私たちは復活のとき、ほかの復活した人々とともに神の御前に置かれるとあり、復活した人々はともに出会うことになるだろう。主と同じすがたに変えられるのなら、当然肉体を持っているときのような制限がなくなるので、イエスのもとに復活している人たちとともに会うことになると考えられる。
また、キリストのもとには神の国の賜物が満ち満ちていると記されている。つぎのように生きているときからすでに信じる者にはキリストの恵み、すなわち神の国の恵みがあふれるばかりに与えられたのであって、死後はキリストのすがたと同様に変えられるのであれば、なおさら完全に与えられるであろう。
わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。(ヨハネ福音書一・16)
この意味は、私たちにとってよきものはあらゆるものがある、しかも地上で経験されたことの完全なものがあるということである。だから肉親や親族、友人などで、最もよき心情のつながりで結ばれていたものは、そのような最もよき感情をさらに完全にした心が与えられるであろう。
このようなことから考えると、たとえ死に方がどんな状態であっても、生きているときの心によって神が一人一人を裁き、神のみもとで永遠の命に安らうか、または何らかの裁きを受けるかということになる。これは生きているときの言動、心の方向によって神がなさることであって、人間は関わることができない。また、ある人が息を引き取る寸前までどのような心が動いたか、罪を悔い改めたか、神を仰いだのかなどは、他人にはその本当のすがたは決してわからないのであって、ただ神のみがそれを知っておられる。だから元気なときに信仰がなかったから滅びるなどと簡単に決めしてまうことはできないのである。
死後の魂の運命について人間がどうこうできるとは聖書では記されていない。
私たちは死んだ人のことについては、何ら根拠のない習慣によって縛られるのは意味のないことであるし、これから育っていく若い人々に、宗教とは無意味な面倒なことだと思わせることにつながる。
すべてを最善にして下さる神、どんな重い罪であっても心から悔い改める者にはすでに生きているときから、その罪の赦しを与え、神の国の賜物をゆたかに与えて下さる神を信じて、死後もそのような愛をもって死者を扱ってくださるのだと委ねることができる。
ことば
(118)聖書と活けるキリスト
聖書は大である。しかし活けるキリストは聖書よりも大である。我らがもし聖書を学んでキリストに接することがなかったら、われらの目的を達したと言うことはできない。聖書は過去における活けるキリストの行動の記録である。
われらは今日キリストの霊をうけて、新たに聖書を作るべきなのである。古き聖書を読んで新しき聖書を作らない者は聖書を正当に解釈した者ではない。聖書はなお未完の書である。それゆえわれらは、聖書にその最後の章の材料を提供すべきなのである。(内村鑑三「聖書之研究」一九〇四年十二月号)
○新しい聖書をつくるべし、といわれてキリスト者の中には驚く人が多いと思われる。聖書は完結したものであってそれは神の霊が書かせたものだ、それに付け加えるなどととんでもない、と思う人がほとんどのはずである。内村は人間がさらに書き加えたものを聖書として出版せよなどとはもちろん言っていない。
ここで内村が言っているのは、キリストは今も活きて働いておられる。過去に聖書を書いた人たちは活きたキリストに働きかけられて、み言葉を与えられ、それを書いたのが聖書となったのである。それなら、今も活きたキリストが働いて、キリスト者に語りかけているのであるから、キリスト者はその神からの語りかけを受けて何らかの各自ができる方法によって、世に提供するべきだし、そうできると言っているのである。今も活きておられるキリストの言葉を受けて、この世のなかに聖書のいわば終わりの章を、祈りや言葉、文章や行動という形で書き加えていくべきなのである。それほど神は昔も今も永遠の命を人々に注ぎ続けておられる。
(119)不幸の極
病気になってもよい、私はただ神の聖意を知りたい。貧しくともよい。私はただ神の聖意を知りたい。人に憎まれてもよい。私はただ神の聖意を知りたい。
私の不幸の極(きわみ)は神の聖意を知ることができないことにある。私は病気を怖れず、貧困を怖れず、孤独を怖れず、私はただ神に棄てられてその聖意が私に伝えられないことを怖れる。
神よ、私にいかなる苦しみを下されようとも、あなたと私との間に霊の交わりを断つことがないように、と祈り願う。(同右 一九〇二年六月)
○この世には、人間の意志と神の意志がある。人間の意志、それは至る所にみられる。まず自分の利益、自分の楽しみ、自分が評価されること、自分を守ることを第一にしようとする心、それは人間の意志である。しかし、神の意志とは、最善のこと、最も愛に満ちたお方の心である。
宇宙を創造されたお方、万能の神が最も求めておられることは何だろうかと尋ねる心、それは神のご意志を第一にしようとする考えである。神のご意志がわかるということは、神にまっすぐに向かっているということであり、そこから正しい判断力とか、苦しみに耐える力、汚れたことに染まらない勇気、弱い立場の者への共感などが自然に与えられる。それゆえ、内村はまず神のご意志を知ることを第一の願いとしているのである。
(120)菜食主義的な生活法は、原則的にいえば、たしかに最良のものである。けれども、なによりも先ず、文明化した人類をもう一度そういう暮し方にもどし、また一般に、生活法をもっとずっと簡素なものに慣れさせねばならないだろう。いわゆる文明こそが、この単純な生活から人類をひき離してしまい、そのことが結局、人類の損害となったからである。(「眠れぬ夜のために・第二部 一月十一日」ヒルティ著)
○今回の、狂牛病問題は政府のやり方のずさんさがまたしても露呈したが、このような機会にこそ、食物の問題を考え直すことは重要である。牛肉を生み出すには、アジア、アフリカの貧しい国々から大量の食物を輸入し、それを牛などの家畜に与えて肉を作るとい方法を取っている。そのためにそうした国々の飢餓状態がなくならないということにもつながっている。菜食を主とする食事というと、従来は単に個人の健康維持法といった狭い範囲のことと考えられていたが、今日では世界の貧困や飢えている人々とのつながりにおいても考えねばならない状況となっている。
タンパク質を摂るのに、肉でなく、大豆などの植物で摂るということ、豆腐、納豆、みそを多用することなどが今後ますます重要になってくるだろう。
ヒルティはすでに百年も前に、このように文明化した人類をもう一度、簡素な生活に戻って行かねばならないことを説いている。最近では、自転車道路を造り、自転車をもっと多く使うことなどが提唱されているが、冷暖房を使う時間をなるべく少なくし、寒いときは暖房を強めるのでなく、服を多く着る、暑いときはなるべく扇風機で我慢できるようにする…など具体的に一人一人が真剣に考えていかねばならなくなっている。
(121)愛をもってすれば、あらゆるものにうち勝つことができる。愛がなければ、一生の間、自己とも他人とも戦いの状態にあり、その結果は疲労困憊に陥り、ついにはべシミズムか人間嫌いにさえ行きつくほかはない。
しかしながら、愛の実行はつねに、初めそれを決心するのはむずかしく、やがて神のみ手に導かれてそれを行いうるまで長い間たえず習得すべきものであって、愛は決してわれわれにとって自然に、生まれながらに備わっているものではない。ついに愛をわがものとした人には、他のいかなるものにもまして、より多くの力ばかりか、より多くの知恵と忍耐力をも与えられる。なぜなら、愛は永遠の実在と生命の一部分であって、これは、すべての地上のものとちがって、老朽することがないからである。(「眠れぬ夜のために」 第二巻 一月九日の項)
○ここでの愛はもちろん人間の愛でなく、神の愛、神から受けた愛のことである。それはこの「愛は決して自然に生まれつき備わっているのでない」と言っていることからもわかる。神の愛を受けてそれをもってすれば、あらゆるものにうち勝つ。ヒルティのこの確信は彼の生涯の結論でもあった。それゆえ彼は、その墓碑銘にこの言葉(ラテン語)を選んだのであった。次にその原文をあげておく。
「AMOR OMNIA VINCIT」 アモール(愛) オムニア(すべて) ウィンキット(勝つ)
休憩室
○ウメと星
冬の植物といえば、必ず新聞やニュースで目に触れるのは、ウメとスイセンだと思われます。このいずれもが香りがよく、姿や花の色なども美しいものであるためにいっそう昔から人々の心を引きつけてきたのだと思われます。
また、このいずれも野性的で、温室とか花壇で肥料や温度あるいは害虫などを気にしたりせずとも、たくましく育っていくことも広く知られている理由の一つでもあろうと思います。
さらにウメはその花や香りもよいだけでなく、その果実もまた薬用として日常の常食としてまた弁当のようなものにまで昔から今に至るまで広く用いられていることもあります。
ウメと言えば、おそらく現代の多くの人たちにとっては、梅干しや梅酒のほうがずっと身近に感じていると思われます。それらは大都会のデパートやスーパーでもいつも売られているからです。しかしウメの自然の状態の花に接することができるのは、田舎や山間部の地方の人でなければ容易には触れられない人が多いはずです。また、最も寒いときに咲くウメの花を味わう心のゆとりを持っていない人が多くなっています。
聖書の世界では、花はウメとほとんど同じ白い花を冬に咲かせる樹木があります。それはアメンドウ(アーモンド)です。旧約聖書でも特に重要な預言者の一人であるエレミヤに最初に臨んだのが、このアメンドウの花を神が指し示したことでした。神は自然の風物を用いても語られるという例です。
主の言葉がまたわたしに臨んで言う、「エレミヤよ、あなたは何を見るか」。わたしは答えた、「アメンドウの枝を見ます」。 (エレミヤ書一.11)
アーモンドには二種あって、野生のアーモンドは白い花をつけ,その種子は苦味を帯びています。もう一つは栽培品種で赤い花をつけ,種子はおいしく、菓子として用いられています。聖書に出てくるのはもちろん野生種の白い花を咲かせる方です。
まだ若かったエレミヤに対して、神がたえず目を見開いて民を見張っている姿をアメンドウの白い花に目を向けさせることによって象徴的に述べています。
星と詩
興味深いのは、日本の古代での代表的な歌集である万葉集には、サクラの歌は38首、ウメの歌は104首と、圧倒的にウメが多く歌われているということです。ウメよりはるかにサクラが華やかで春の暖かい頃に咲くのでよく目立つから多く歌われていると思われますがそうではないのです。
もっとも当時のサクラといえば、現代のようなソメイヨシノでなく、自然の山に多いヤマザクラが多かったと思われます。古代人の方が、現代人よりもウメの花の良さをより深く知っていたのがうかがえます。寒中に単独で花を開くウメの良さを感じ取る心は、夜の闇のなかに清い光を沈黙のうちに投げかけてくる星の良さを感じることに通じると思われますが、意外なことに万葉集では星はほとんど読まれていないのです。夕方に断然他の星の輝きを圧して光る金星は夕づつの名で詠まれていることと、天の川などをのぞくと、星の歌は万葉集の四千五百首のなかでわずかに二首しかないということです。
それに対してギリシャや中国の古代の詩には星は多く現れるし、聖書には旧約聖書では七十回近く現れ、新約聖書では三十回ほど現れることと考え合わせても、日本の万葉集に星がきわめてわずかしか現れないのは特異なことだと思われるのです。
地上の制約を超えた、遠大なものを見つめるという心が乏しかったのだろうかと思わされるのです。唯一の神を見つめる心とは、星を見つめる心と通じるものがあります。キリストも明けの明星にたとえられているほどです。
お知らせ
○四国集会
今年の徳島でのキリスト教四国集会(無教会)は、以前の「はこ舟」で五月開催と書きましたが、いろいろの都合で変更となり、六月十五日(土)~十六日(日)となりました。会場は徳島市の眉山会館です。予定に入れておいて頂ければ幸いです。四国集会という名称ですが、従来から県外の方々の参加も自由なので、京阪神方面とか九州、関東方面からも参加者がありました。今年もそうしたいろいろの地域からの参加者も交えてともにみ言葉を学び、主にある交流が深められ、ともに前進していくための場となればと願っています。この会が主の祝福を受けるものとなりますよう、ご加祷下されば幸いです。
○私たちの集会で発行している「野の花」文集ができました。この文集も誌上のエクレシアとなり、それらの文が主によって用いられること、そして御名があがめられることを目的としています。
返舟だより
ある若い友人からつぎのようなメールがありました。現在は外国にいますが、旅立つ直前に送られてきたものです。少し長いのですが、一部を引用します。
本当のことを言うと僕の方も今にも倒れそうで悩み続けています。本当に何も手につかないといった状態です。
けれど聞かずにはおれません、死んでしまうとはいったいどういうことなのでしょう?死ぬとどうなってしまうのでしょう?
母や父やほかの人達の言うように何も無くなってしまうのでしょうか?
これは、ぼくにとって本当に悲しいことです。今まで生きてきたことも全て消えてしまう、人生に何の意味も見出せなくなってしまいます。
自分がこの疑問についてずっと悩んでいたからというのもあるのです。はっきり言って不安で一杯です。いくら悩んで、答えを見つけようとしても答えが出ません。
僕は人よりも「死」というものが幼い頃から人よりも身近にありました。最近の飛行機事故など、そういった一連の事件を目のあたりにしたからかもしれません。…本当に神様はいるのでしょうか?
永遠なんて本当に在るのでしょうか?僕はここ何年間か自問自答してきました。死ぬってどういうことだろう…。
どうして生きているのだろう…。生きるって何だろう…。本当に死んでしまうと真っ暗になって、何も無くなってしまうのだろうか?
このような疑問はこの友人が書いているように、どんなに考えても答えが出てこない、それは当然だと思われます。
こうした問題に対して平安が与えられるのは、人間の思索や、経験、学校の学びなどではないからです。
それは神からの啓示が必要だからです。
私もそれについて説明しましたが、その説明とか祈りを、神ご自身が用いてくださって、この友人に神からの啓示が臨むのを待ち望むばかりです。