2002年6月 第497号・内容・もくじ
祈りの友
この世において、特に日本では最も取るに足らないものとして見なされているが、神の目には最も力あるものとみなされるものがある。
それは祈りの力である。神など存在しない、個人的に心に祈ったからとて、そんなものを聞いてくれる神など存在しないというのがおおかたの日本人の気持ちである。そうした前提に立って万事がなされている。祈りが力あるもので実際にそれは大きな働きをするなどということは、日本においては、小学校から大学までの長い教育を受けたとしても、一度も耳にすることはないであろう。
しかし、聖書はこの点でもそうした常識とまったく逆であって、随所に祈りがいかに大きい働きをするかを書いてある。聖書とは「祈りの書」とも言えるほどなのである。じっさい、創世記にしても、出エジプト記や、ヨシュア記などにしても、祈りに応える神が先だって進んで戦われるのであった。
旧約聖書のハート(心臓)とも言われる詩編とは、まさに祈りの集大成なのである。
今も活きて働いておられる神、しかも目には見えず、いかなる小さなよきことも見逃さず、悪も心の奥深いところまで見抜く方、そして天地創造の力をも持っておられる神がおられるなら、祈りとはその神に直接に訴えることであり、その神の万能の力を引き出すことになるのだから、最も力あるものとなる。
主イエスも、つぎのように、祈りの力を驚くべき表現を用いて教えられた。
主は言われた。「もしあなたがたにからし種一粒ほどの信仰があれば、この桑の木に、『抜け出して海に根を下ろせ』と言っても、言うことを聞くであろう。」(ルカ福音書十七・6)
イエスは言われた。「信仰が薄いからだ。はっきり言っておく。もし、からし種一粒ほどの信仰があれば、この山に向かって、『ここから、あそこに移れ』と命じても、そのとおりになる。あなたがたにできないことは何もない。」(マタイ福音書十七・20)
この言葉は、私たちの心がまっすぐに神に向かい、ひとすじの心で祈るときには、人間的な予想では決して変わらないと思えるような事態も大きく変えられる、祈りが現実に働いてくるということを意味している。
神を信じるとは、祈りに応える神を信じることである。祈りの力を信じないことは、すなわち神を信じないことでもある。
しかし、祈りの力に信頼するとは、自分の祈りの力を信頼することでない。私たちが自分のなにかにひそかに誇ったりするならば、そのようなところには神の力は働かない。
それとは全く逆に、自分がいかに弱い者であるか、取るにたらない者であるかを思い知って、そこから自分のすべてをあげて神に委ね、神の万能に信頼すること、神の力に寄り頼むことこそ、聖書で言われている祈りである。
私たちは、日々そうした祈りを捧げてともに連なり、互いに祈り合う「祈りの友」でありたい。
何事でも神の御心に適うことをわたしたちが願うなら、神は聞き入れてくださる。これが神に対するわたしたちの確信である。(Ⅰヨハネ五・14)
妨げる力の働くとき
私たちが真理のため、神のために働こう、何らかのよいことをしようと始めるとき、必ずといってよいほどに思いがけない妨げが入る。それは自分や家族の病気や事故であったり、予期しない不都合な人物が現れたり、中傷や誤解、あるいは敵視する者の出現、また予想しなかった問題があるのが後から分かったり、信頼していた人が心変わりするとか…である。
主イエスも伝道のはたらきの最初に、会堂で聖書を読んで真理を語り始めたが、その最初の活動のときに、はやくも、それを聞いた人たちが主イエスを会堂から追い出し、憎しみをもって、崖から突き落とそうとしたと記されている。
これを聞いた会堂内の人々は皆憤慨し、総立ちになって、イエスを町の外へ追い出し、町が建っている山の崖まで連れて行き、突き落とそうとした。
しかし、イエスは人々の間を通り抜けて立ち去られた。(ルカ福音書四・28~30)
真理を語っていたらだれでも納得するだろう、感謝して受け入れるだろうといった甘い予想はこの世では成り立たない。それとは逆に、いかに私たちが真理と一つにされたからといってこの世で安全によい評価を受けていくなどという保証はない。この世にはそうした妨げる力が確かに働く。
しかし、主イエスがその妨げる力のただ中を通って立ち去られたように、私たちもまた、そうした闇の力のただ中を通って御国へと進んでいくことができる。信じる者には主の大いなる御手が導くからである。
空からのメッセージ
夏になると、時折、雨風の後など、空が真っ青に澄み渡り、そこに雄大な雲がむくむくと大空にわき起こるのが見られる。
それは神が私たちへ与える大空からのメッセージである。
その深みに満ちた青色と、立ち上がる純白の雲はいかなる芸術家も到底及ばない、大空というキャンバスに描かれた神の絵画である。
そこに私は神の力を感じる。そして神のはかりしれないお心の一端を感じる。
求めよ、探せよ、門をたたけ
求めよ。そうすれば、与えられる。
探せ。そうすれば、見つかる。
門をたたけ。そうすれば、開かれる。(マタイ福音書七・7)
これは聖書のなかでも最も有名な言葉のうちの一つであろう。そしてほとんどの人はこの言葉の深い意味に感じないままで、忘れていくだろう。
求めていく意思の重要性をこれはきわめて簡潔に述べている。しかもそれは人間にでなく、何よりも神に求めていく姿勢の重要性である。神を信じて求め続ける心は必ず報いられるという約束がこの言葉なのである。
求めたら与えられるといっても、自分が求めているものそれ自体が与えられるとは限らない。例えば、ある病気になったとする。だれでも病気の苦しみと痛みはひどくなるほど耐え難いものがある。それを必死でいやされるように祈っても、病気がなおらないこともあり得る。ついに病気がいやされないまま、死に至ったキリスト者ももちろん無数にいる。
それなのに、なぜこの言葉はかわらぬ力をもって過去二千年の間、人々を惹きつけてきたのだろうか。
それは、神の万能を心から信じ、そこに信頼し、その神に向かって切実に求める心は、神の国に属する何かが必ず与えられるのを実感するからである。たとえ愛するものが祈り空しく若くして召されたとしても、たとえ大きな誤解を親しい者から受け続けているとしても、そのために祈り続けるならば、必ず神の国が与えられる。聖霊のいぶきを受けることができる。そしてそこから、神の国を遠望するかのように、見ることを許されるようになる。
求めているものが与えられないという現実によって、神は求める者のまなざしが、もなおも、遠く、なおも高く引き上げられていくようにと導いていかれる。神に求めよ、そうすれば霊的な視力がますます遠くまでのびていく、深まっていくという恵みが与えられるのである。主はそのような意味でも私たちに約束されている。
まず神に向かって求める心が必要である。そしてそれから具体的に探し、門をたたかねばならない。真理を欲しいという切実な求める心が必要である。ただ求める気持ちだけではいけない。それを理性を用いても、また実行によっても探して行かねばならない。また、じっとしていては開かれない。人間も事柄も、事件も門をたたいていかねばならない。具体的にある人間のところを訪問して門をたたく、また文書の類、書物などでも探す。求めるだけでなく、探さねばならない。
求めよという呼びかけに私たちは神に求めるまなざしを向ける。そしてそこから神の励ましを受けるとき、探していく、それは同じ苦しみを持つ友であるかも知れない、同じように神を信じる友であり、また彼らの賜物を分かち与えてもらうことであるかも知れない。ほかの人にも祈ってほしいと求めること、それは祈ってくれる人を探すことであり、ともに祈ることによって、開かない扉をたたくことである。ともに祈ることは、「二人、三人主の名によって集まるところには、主がともにいる」という約束の通り、そこに主がいて下さるゆえに、一人では開かない扉も開くのである。
門をたたけ、ともに祈りによって開かない門をたたこう。
探せ、自分だけでは探せないところを他のひとの助けによって、探そう。苦しむ人への助けの道は、手段はどこにあるのか、一人で考えても分からないことがある、そんなとき、ともに祈ってその道を探そうとするとき、主が与えて下さることがある。
この世は、神にむかって求め、その神へのまなざしを持ちつつ、この地上の生活で探し続け、門をたたき続けることで成っている。伝道も同様である。求める人はどこにいるのか、探し求める気持ちをもっているとき、神はそのような求める人を近くに招き寄せてくださる。また、固い心になった人をも、動かないような困難な状況に直面しても、不思議な力が働いて、それが開いていく。
主イエスご自身も、この典型であられた。世を徹しての祈り、それは神に求めることであった。激しく求め続けることであった。そして自分に従う者たちを探された。本当に福音を必要とするもの、失われた羊をどこまでも探し続けられた。それはつぎのよく知られた箇所に見られる。
あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。そして、見つけたら、喜んでその羊を担いで、家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』と言うであろう。(ルカ福音書十五・4~6)
主イエスは形式や権力、あるいは伝統や習慣で縛られていた、当時の信仰のあり方に、神の力をもってその扉をたたいた。すると、それまで決して開かないと思われていた新しい命の信仰の世界へと扉が開いたのであった。
今日の私たちはその主イエスが開いてくださった門から導き入れられ、主の平安を知らされた者なのである。
重荷を担うこと
この世では様々の重荷がある。まず病気の重荷、体の痛みや異状による苦しみは忘れることができない重荷となる。痛みがひどくなるとき、ほかのことを考えることも十分にできなくなり、心も明るくならず、生活そのものが重荷となる。
自分の体に関係した重荷は子供のときからある。私も中学一年のときに、左足の骨が炎症を起こし、固いギプスを入れたので歩くこともできなくなり、七ヶ月にわたって学校を休まねばならなくなった。その時の重荷は初めての経験で、今もなおはっきり覚えている。そしてその経験からはじめて私は他人の苦しみに少しなりとも共感することができるようになったのがわかった。
私の場合は、一年足らずでだいたい元通りになったが、生涯にわたって歩くこともできない重荷を背負っている方々も多い。両足で歩くことを当然と思ってそのことに何にも感謝も喜びもないのが大多数であろうが、生まれて一度も自分の足で歩いたこともない人にとっては、両足で歩けるということは、夢のような喜びであるだろう。
こうした体に関わる重荷以外にも、学校や家庭での重荷、職業上での重荷もある。自分の体は何とか大丈夫であっても、家族の介護ということで大変な重荷を背負う場合も多い。ことに痴呆状態がひどくなって家庭で介護するとなると、世話する人にとっては精神的にもたいへんな重荷となる場合がある。病気にしてもそばを離れられない状況となると、病気の本人と介護の家族もともに倒れてしまうほどに心身の重荷が降りかかってくることがある。
母がかつて召される前には、夜も寝られないで付き添っていたがまだ私が若い頃であったのに、夜通し付き添って、さらに翌日もふつうに仕事に出かけるということになると、疲れ果ててしまったことを覚えている。健康なものでもあのように疲れたのだから、介護する人が老齢となれば、その疲労はたいへんなものとなるだろう。
また、自分の心と一つに結びついていた者、愛する配偶者や肉親を突然にして失った場合にも、いやされがたい心の空白は重荷となり、心が晴れず、重い心となってしまうこともあるだろう。
現代の日本のように、いろいろの社会福祉の制度もかなりの程度整い、生活が相当ゆたかになっても、なおいくらでも重荷となることは生じてくる。それゆえ、社会保障などの制度もなかった時代には一般の人々の背負っていた重荷はいかばかりであっただろうか。
病気になっても、医者にもかかれないでそのまま、苦しみや痛みの激しくなるにまかせて、苦しみもだえながら死んでいく、老人や障害者にとってもその苦しみを除いてくれる制度も何もなかった。健康な人も封建体制のゆえに、身分も固定され、居住移転の自由や職業選択の自由もなく、食べ物すら十分にないことが多かった。
こうした時代においての苦しみ、重荷は現代の我々には理解できないほどである。繰り返し生じる戦争などで国土は荒廃して、他国に連れ去られることもあった。
このように考えていくと、この世はたしかにいつまで経っても「重荷」はなくなることがないのがわかる。
主イエスが来られたのはこうしたさまざまの重荷を根底から取り除くためであった。それゆえ、病を治し、ことに重荷となっていたハンセン病の人、盲人や耳の聞こえない人々に近づいてその重荷を取り去ることをされたのであった。
しかし、主イエスが見いだされた本当の重荷は、病気や社会的な問題でなく、一人一人の人間の一番深いところにある重荷は、私たち人間や世界、宇宙をも創造された、真実な存在に背くことだということである。
この魂の奥深いところでの背きがあったら、どんなに健康であっても、また家庭も幸いのように見えても決してその人の魂は深い平安を得ることはできない、心は深い心の自由を実感することはできないということであった。
この世界に存在する真実な存在、完全な正しさや愛を持たれたお方が存在する、それに気付かない限り、私たちは自分がそうした存在に背いていることもわからず、心の重荷の深い理由も分からないことになる。
キリストは、こうした人間すべての内に宿る、最も根源的な重荷の原因を取り除くために来られたのであった。この重荷の根源が除かれるとき、たとえ病気が直らなくとも、生涯にわたって寝たきりであってもなお、心は軽く自由にされ、その心の世界を他者にも伝えていくことすらできるようになる。この魂の奥深いところにある重荷の根源を、聖書では「罪」と言っている。それは表面的に悪いことを指していうのではない、逮捕されるような窃盗とかももちろん罪であるが、聖書では人間すべてのうちにひそむ、真実なる存在へ背く心を指して言っている。
このような目には見えない重荷(罪)が取り除かれることを、イギリスの有名な物語はつぎのように描いている。
さて私は夢のなかで、キリスト者がそこを通っていかなければならなかった大通りは両側がともに壁で垣をしてあった。その壁の名は「救い」であった。この道を重荷を背負ったキリスト者は走った。しかし、それはかなり大変なことであった。なぜかといえば、彼の背には、重荷があったからである。
彼はこうして少し上り坂になっているところまで走った。その場所には十字架が立っていて、少し下のところには、石で作った墓があった。
私はつぎのような情景を夢の中で見た。すなわち、キリスト者がその十字架のところにたどり着いたちょうどその時、彼の重荷は肩からゆるんで背中から落ちた。そしてそれはころがりながら墓の口まできて、その中に落ちて何も見えなくなった。
そこでキリスト者は喜んで晴れやかな気持ちになり、喜ばしく言った。
「彼はその悲しみによって私に安らぎを与え、その死によって私に命を与えて下さった。」
そして彼はしばらくの間じっとそこに立って、十字架を見つめ、不思議な驚きを感じていた。
というのは、「十字架を見る」という単純なことがこのように重荷を軽くするということは、きわめて驚くべきことであったからである。
彼は、それゆえに十字架を見つめた、そしてさらに見つめた。するとついに涙が頬に流れ落ちてきた。彼が涙を流しながら立っていると、見よ! 輝ける三人の者が彼のところにやってきて「平安があなた方にあるように」と言った。
そのうちの第一の者が彼に言った。「あなたの罪は赦された」
そして第二の者は彼の体から、汚れた服を脱がして「代わりの服」を着せた。
第三の者は、彼の額にある印(しるし)を付けたうえで、封印した一つの書物を与え、それを走りながら読み、「天の門」に着いたらそれを差し出すようにと命じて去っていった。
キリスト者は喜びのあまり三度飛び上がり、讃美しながら道を進んでいった。
ここに至るまでずっと、私は罪の重荷を負って来た。
ここに来るまでは、私がそのただなかでいた悲しみを和らげるものはなかった。
しかし、これは何という所なのだ!
この所でこそ、私の幸いが始まるのだろうか。
この所こそ、わが重荷が落ちた場所、
この所でこそ、私をしばっていたものが断たれたのだ。
何とありがたき十字架よ、(重荷を取り込んだ)墓よ、
さらにありがたきは、私のために恥に遭わされたあのお方(イエス)よ。
(ジョン・バニヤン著「天路歴程」より(*)。この本の題名の意味は、「御国を目指す人の歩み」というような意味である。)
(*)ジョン・バニヤン(一六二八~一六八八) イギリスの説教者,寓意物語作者。読み書き以外にほとんど教育も受けず,家業につき鋳掛屋となった。鋳掛屋とは、なべ・かまなど銅・鉄器の穴をふさぐ仕事をする人。一六四四年ピューリタン革命において議会軍に従ったが,まもなく除隊し結婚する。妻の持参した宗教書を読んで感動し,遊びを絶って非国教徒の教会に入る。みずから説教を行い説教者として名をなした。しかし王政復古(一六六〇)とともに,法を犯して説教したというかどで捕らえられ、十二年にわたって監禁された。この監禁中に、霊的な自伝である《あふるる恩寵》を書いて出版した。その後釈放され,再び説教活動を盛んに行ったが,一六七五年再び投獄された。今度は六ヵ月で自由になったが,その投獄中に書かれたのが代表作《天路歴程》第一部である。このように、この作品は、獄中で書かれたという特別な背景を持っている。それは神がそのような困難なただなかで、力を与えて書かせたのではないかと思わせるものがある。この本はキリスト者の天の国を目指す歩みを、霊的に描き出しており、ヒルティもダンテの神曲とともに、導きの生を最も深く描いているものとして高く評価している。また、これは《ロビンソン・クルーソー》《ガリバー旅行記》と並んで,英文学の作品中最も多くの言語に翻訳されている。
この天路歴程に出てくるように、キリストの十字架を仰ぎ、みずからの罪の重荷を軽くしていただいた者は、その喜びはこの物語に出てくるようにほかでは代えがたいのを深く実感する。それゆえに、他者の重荷を見ても、それを見ると少しでも関わりたいと思うようになる。
互いに重荷を担いなさい。そのようにしてこそ、キリストの律法を全うすることになる。(ガラテヤ書六・2)
使徒パウロのこの戒めは、自分自身がまず重荷を軽くして頂いた人への戒めなのである。偽りの宗教者は、このように重荷をたがいに担い合うことをせず、かえって、組織が命令して物を高価な値段をつけて売らせたり、金を無理矢理にまたはだまして出させたり、さまざまのその宗教独自の規定を押しつけて、あらたの重荷を人々に負わせることすらやってしまう。これは現代の偽りの宗教によく見られるところである。
そしてこうした態度は、キリストの時代からあったのがうかがえる。
律法学者やパリサイ派の人たちは背負いきれない重荷をまとめ、人の肩に載せるが自分ではそれを動かすために指一本も貸そうとはしない。(マタイ福音書二三・4)
聖書に記されている警告は万人に対してのものであって、私たちと関係ないのではない。私たちも気をゆるめていると、このように互いに重荷を負うのでなく、互いに悪口を言ったり、重荷をほかの人に負わせて自分だけ楽をしようとしたりする方向に落ちていくことになるだろう。
身動きできない重度の障害者は、だれが見てもその重荷は耐え難いと思われる。しかし、魂の根源的な重荷(罪)を取り除いてもらった人は、健康そうな人よりも深い魂の自由を実感しつつ生きている例も多くある。
例えば、水野源三や星野冨弘などは有名な例であるが、そのようなよく知られるようになった人以外にも多数の人が重い病のただなかで、その重荷が除かれてその幸いを証言し続けていった。ハンセン病の療養所では多くの人たちがキリストによって、最大の重荷が取り除かれ、それによってハンセン病という地上では最も恐ろしい重荷を与える病気とされていたものすら、軽く感じられるようにした例もしばしばみられる。
ハンセン病の治療のために生涯を尽くした一人の医師がいる。その夫人もまた医者であり夫君と同様にハンセン病という悲惨な病人のために日々を生きたのであった。その人たちは、林文雄、富美子夫妻である。文雄は新婚早々であったにもかかわらず、妻富美子との新婚の楽しさを味わうことをあえて退け、結婚して九日目に妻の富美子に遠い沖縄行きを命じて、手当を受けることもできずに各地に隠れるようにして生きていて、苦しみのさなかに置かれているハンセン病の患者たちを慰問させたのであった。その時の富美子の手紙はつぎのようである。
「山の上の隠れ家に一人住んでいる姉妹も、海岸の洞窟にいる兄弟にも、キリストの御名を讃美して祈ることを知っている者たちの割合に多いのに驚き、主の御足跡がいずこの僻地(へきち)にも刻印されていることを思って、いっそう主をあがめ奉る幸せを得ました。」(一九三六年四月二四日付の書簡より おかのゆきお著「林文雄の生涯」二四七P)
ハンセン病の治療を受けることもできず、家族からも捨てられ、迫ってくる痛みの激しさや孤独と生活の苦しさ、食べるものもまともに得られないような恐るべき状態に置かれ、山の上、海岸などで死を待ちつつ生きているような人のなかにすら、キリストを信じて、なお讃美して祈ることを知っている人たちが多くいたという、そのことにキリストが今も活きて働いておられ、二千年前と同様に、最も苦しい人、重荷を背負う人のところに近づいておられることを知って驚かされる。
そのような人の生活はどんなであったろうか、それはまさしく闇、自分の周囲を恐ろしい闇が取り囲んでいる状況であっただろう。しかし、そのような深い闇のただなかにてもキリストは光を与えることができた。キリストが、「星」(明けの明星)にたとえられているのもうなづける思いがする。
このような恐ろしい孤独と痛みの伴う重荷は、私たちの想像をはるかに越えるものがある。そして、よほど愛のある人でもわずかにそこを訪問することしかできなかった。しかしキリストは、山の上の暗い粗末な家にも、波音近い海岸の洞窟にひそむ重い病人のところに毎日、いな、常時ともにいて支え、その重荷を担い続けておられるのであった。
このようなことは、二千年の歴史のなかで、数限りなく生じたことであった。主イエスがつぎのように言われたことは、そうしたすべての預言であり、約束でもあったのである。
疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。(マタイ福音書十一・28)
聖書における平和 その一(旧約聖書から)
だれでも本来は平和を求める。人間が争ったり、武器をもって戦いをするのも、そうした戦いで、平和を乱す者を滅ぼしたなら、そのあとで何らかの平和が来ると思っているからである。また、平和とは戦争がないことだ、と簡単に考えている人も多いだろう。しかし、国家間の戦争がなくとも、人間が心の中で、たがいに憎しみを持っているなら、それは決して平和な状態とは言えない。
平和のために一切の戦力を放棄すると宣言した、日本国憲法は世界大戦の大きな教訓から生まれたものであった。戦力の放棄こそは、最も直接的に平和を維持する道であり、それが他国へも影響を及ぼすであろうと期待された。
去年、アメリカの高層ビルが、飛行機によって崩壊させられてから、世界はいっそう平和の問題を切実に論じることになった。平和を守るために武力を増強するのだという国もあり、そういう方向へ進もうとする日本のような国もある。しかし、これは全く平和とは逆行する道であることを多くの政治家たちは知らない。
このように、平和については、個人的な心の問題から、家族や周辺の社会における平和、さらに日本国全体や国際間の平和などいろいろの領域で論じられている。
しかし、こうしたいかなる平和論も、決して達することができないところに、聖書の平和論がある。それはこの世の平和に関する議論とは大きくかけ離れた内容を持っている。だからこそ、キリスト者はとくに聖書は平和についてどのように教えているのか、すなわち神は永遠の真理の書たる聖書においていかに平和ということを指し示しているのか、それを私たちは学びたいと思う。
旧約聖書における平和
旧約聖書のはじめに置かれていて、旧約聖書全体の基礎となっている、創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記といった書物について、すでに繰り返し聖書を読んできた人にとっても、平和というイメージは少ないのではないかと思われる。
しかし、創世記においてすでに平和への道が暗示されている。第七日目を神がやすまれて、聖別したとある。このことは、新約聖書の時代以降では、主の復活を記念する日と結びついて、それが主の平和を継続的に与えられるための重要な場となっていった。
新約聖書には、私たちの救いを、「神の安息にあずかる」(ヘブル書四・3)という言葉で表現している箇所もある。神の安息にあずかるということは、神の平和を与えられるということである。
そして、エデンの園においてすでに、平和への道と逆の不安への道が示されている。それは善悪の木(*)を食べることが、不安への道であり、動揺への道だということである。アダムとエバが神が命じられたように、エデンの園にあるあらゆるよい木の実を食べることで満足していたならば、その後の動揺と不安、裁きはなかった。このエデンの園からの追放によって、彼らの子供であるカインはその動揺と不安を受け継ぎ、そこからアベルを殺すという大罪を犯してしまう。
そのことが、カインの前途を預言したときに言われている。
「お前は地上をさまよい、さすらう者となる。」
カインは主に言った。「わたしの罪は重すぎて負いきれない。今日、あなたがわたしをこの土地から追放し、わたしが御顔から隠されて、地上をさまよい、さすらう者となってしまえば、わたしに出会う者はだれであれ、わたしを殺すだろう。」…
カインは主の前を去り、エデンの東、ノド(さすらい)の地に住んだ。(創世記四章より)
この箇所を注意深く読むとわかるが、この短いところに何度も「さすらう」という言葉が出てくる。これ以外にも「さまよい」という言葉もある。神に背いた人間の特徴は、このようにたえず、さまよい、さすらい、動揺するということなのである。現代においても、神の平和を持たない者は、このように精神的にたえず、さまよい、さすらっていく。他人がなにかを夢中になって始めるとおのずからそこへと引き込まれ、またそれが飽きると別の人に引かれていく、特別な事件が生じたり、病気になったり、あるいは死が近づいてくるようなときに、人間はどこに魂を安住させるか全く分からなくなる。
魂はもともと主の平和など持っておらず、さまよっているものなのである。行く目的も定かでないなら、どこに向かって進むべきか分からないのは当然であろう。
こうした神に背くという罪は後の人間にもふかく刻まれていくことになり、それが戦争にもつながっていった。
このように、聖書はその冒頭から人間に真の平和が与えられているのに、人間が神に逆らってその平和から追放されたことが記されている。
旧約聖書の言葉では、「平和」は、シャーロームという。(***)旧約聖書のヨシュア記やサムエル記には、しばしば激しい戦いが記されている。ヨシュア、ダビデなどの時代はたえず周囲の民との戦いがあった。そこでは戦いのない社会的な平和ということもはるか将来のことであり、霊的な平和ということもあまり記されてはいない。
つぎに引用する箇所も、イスラエル民族全体を「あなた」と言っていて、民族全体に与えられる平和を祈っている。しかし、これは一人一人の個人にとってもあてはまる真理である。この箇所で言われているのは、個人や民族、国家全体を問わず、その祝福は神によるのであり、私たちへの恵みや、平和も神から来るということである。単なる人間の話し合いや自分の国を武力で守るなどといったことからは、神の喜ばれるような平和は決して来ない。
主があなたを祝福し、あなたを守られるように。
主が御顔を向けてあなたを照らし、あなたに恵みを与えられるように。
主が御顔をあなたに向けて、あなたに平安(シャーローム)を賜るように。(民数記六・24~26)
The LORD bless thee, and keep thee:
The LORD make his face shine upon thee, and be gracious unto thee:
The LORD lift up his countenance upon thee, and give thee peace.
旧約聖書のはじめの部分には、後の時代に現れるような深い霊的な平和ということは現れない。これは平和の原語である、シャーロームという言葉は、創世記から申命記にいたる重要な五書にはあまり現れず、もっと後の時代の霊的直感の深く与えられた詩人、預言者がこの神とともにある平和を知らされていった。(**)
(*)エデンの園にあった、食べてはいけない唯一の木は、「善悪の木」と訳されることが多いが、もとになっている原語は、単に日本語のように道徳的な善悪を意味するのではない。善と訳された原語は「トーブ」であり、「悪」と訳された原語は「ラァ」であるが、それらは、それぞれ口語訳では五十種類ほどの訳語が当てられている。例えば、トーブ
については、愛すべき、祝い、美しい、麗しい、かわいらしい、貴重、結構、好意、幸福、好意、高齢、ここちよい、財産、好き、親しい、幸い、親切、順境、親切、正直な人、善、善人、宝、正しい、尊い、楽しむ、繁栄、深い、福祉、ほめる、まさる、恵み、安らか、愉快、豊か、喜ばす、りっぱなどと訳されている。
「ラァ」については、悪、悪意、悪人、悪事、痛み、いやな、恐ろしい、重い、害、害悪、悲しげな顔、危害、逆境、苦難、苦しい、苦しみ、汚れた、そしる、つらい、悩み、罰、破滅、不義、不幸な、滅び、醜い、物惜しみ、悪い、災いなどである。それゆえ、「善悪の木の実を食べる」とは、「(神を抜きにして、神に背を向けて)好ましいこと、好ましくないことなどの総体、すなわちあらゆることを知る」という意味を持つことになる。実際、神などいないという考え方に立って、科学的なこと、社会的、人間的なことを知り尽くしていこうとしてもますます将来への不安とか希望のない状態がわかるだけであって、その困難な状況を前にするならば、その人の精神はますます暗くなっていくであろう。
(**)シャーロームという名詞は、「平和」という訳語だけでなく、安心、安全、安否、穏やか、勝つ、幸福、親しい、栄える、繁栄、無事、平和、和解、やわらぎ、勝利、健やかなど、三十通りもの訳語があてられている。また、この動詞形である、シャーレームとかシャーラムという言葉は、「完成する、栄える、成し遂げる、平和、平安、真実、正しい、全うする、満ちる」などやはり三十通りほどもの訳語がある。
これを見ても、旧約聖書でシャロームという言葉を私たちの現代の言葉のように、「平和」という意味にだけ限定することができないのがわかる。こうした多様な意味の背後にあるのは、「完成する、全うする」という意味であって、そこから「平和」とか「安全、幸い、繁栄」といった意味が生じてきたと考えられる。神は完全なお方であり、神と結びつくとき何でも、完全への道へと導かれる。
(***)シャーロームという原語の使われている頻度は次のようである。
創世記12回、出エジプト3,レビ記1,民数記2,申命記5回であるのに対して、詩編27回、イザヤ書26回、エレミヤ書28回となっている。最初の五つの書物のうち、創世記はやや多いが、単なる挨拶的な意味で用いられていることが多い。シャーロームという言葉は、その内容が霊的、詩的な直感によって記された詩編や預言者などの文書に多く用いられているのがわかる。
イザヤ書の中から
主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。
彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。
国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない。(イザヤ書二・4)
この有名な箇所は、今から二七〇〇年ほども昔に生きた預言者イザヤによって書かれた。イザヤの生きた現実の世界は、大国アッシリアが自分の国に攻めて来ようとしている危険な状況であった。そこでは、このような剣を打ち直して、鋤とする、国と国がもはや戦争をしないなどということは、およそ考えられないことであった。いつの時代にも、たえず強い国が弱い国を滅ぼしていく戦争はあった。
そしてそれから二七〇〇年経った現在でも、そのような状況は変わることがない。しかしそうした現実の世界のただ中で、この預言者は、ここに引用したような平和の状況が訪れることを知らされていた。それは、政治や社会的な知識の分析や総合ではない。学問的な結論でもない。
ただ、必ず歴史はそのようになる方向に進んでいくという、神の国からのメッセージをこの預言者は聞き取ったのである。
わたしは唇の実り(*)を創造し、与えよう。平和、平和、遠くにいる者にも近くにいる者にも。
わたしは彼をいやす、と主は言われる。
神に逆らう者は巻き上がる海のようで、静めることはできない。その水は泥や土を巻き上げる。
神に逆らう者に平和はないとわたしの神は言われる。(イザヤ書五七・19~21)
(*)唇の実りとは、神への讃美を表す。
このように、以前は国家や民族的な平和という意味でしか現れなかった平和(平安)という言葉が、イザヤ書の後半部では、霊的な平和、魂の平安といった意味でも現れてくる。そしてこの箇所の少し前に、つぎのように言われている。
わたし(神)は、高く、聖なる所に住み
打ち砕かれて、へりくだる霊の人と共にあり
へりくだる霊の人に命を得させ
打ち砕かれた心の人に命を得させる。(イザヤ書五七・15)
心が砕かれ、痛み、悔い改める心が神へのまなざしをしっかりと持つとき、神はそのような魂に神の命を与えられる。その時初めて、その人は神の平和を持つことになる。この世で与えられる真の平和とは、そうした苦しい戦いを通り、自我が壊され、神以外のどこにも救いがないことを知らされて、神への叫びと祈りをもって見上げるとき、初めて上より与えられるものなのである。
エレミヤ書の中から平和
わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。
それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。
そのとき、あなたたちがわたしを呼び、来てわたしに祈り求めるなら、わたしは聞く。
わたしを尋ね求めるならば見いだし、心を尽くしてわたしを求めるなら、
わたしに出会う、と主は言われる。(エレミヤ書二九・11~14)
これはイスラエルの人々が罪を犯して、神に逆らい続けた結果、遠いバビロンに地に捕囚として連れて行かれた。その絶望的状況にある人々にエレミヤがエルサレムから書き送った手紙の一節である。バビロンという遠い国に捕らわれて行くというような民族解体、滅亡の危機にある人々に対して、神の御計画は決して、滅ぼすためでない、希望と平和の計画なのだと確信をもって告げている。そうした神のご意志をエレミヤだけははっきりと聞き取ったのであった。
当時の状況は、人々の目には、最も平和とはかけ離れたものであり、このエレミヤの言葉は人々にとっては驚くべき言葉であっただろう。預言者というのがその名の通り、神の永遠の真理の言葉を預かった者であり、その真理は当時の人々に当てはまるだけでなく、数千年の歳月と国土の制限を越えて、現在にいたるまで、私たちに呼びかける内容となっているのである。
私たちの前途にもさまざまの絶望的状況が生じるかも知れない。しかし、そうしたただなかにこのエレミヤと同じような、深い神の御計画が告げられ、そのような不幸にみえることも、決して災いのためでなく、シャーロームのため、平和のため、平安のためであること、将来には必ず神のもとによき結果となっていくのだと教えられる。
このように、聖書でいう平和(シャーローム)というものは、人間のあらゆる絶望的状況にもうち勝って、神から与えられるものである。そのことを知り、そこに希望を置くときに、人々はいかなる苦境にもうち負かされない力を与えられてきたのである。
旧約聖書では、神ご自身が武力による戦争を命じられることがしばしばあった。それゆえ、当然のことながら、武力による戦争が悪であるとは言われていない。しかし、それはすでに述べたように、ある時期までのことであって、「その時」という未来のある時点においては、あらゆる武器は廃棄されて、鍬(くわ)や鋤(すき)という、農耕具に変えられると預言されている。「その時」とはいつなのか、それは人間の予見することもできない時である。
そうした未来のいつかは分からないが成就する平和とは別に、社会的、また政治的な平和とは違った、心の深い平和(平安)への道がイザヤ書の終わりに示されている。
彼が刺し貫かれたのは、わたしたちの背きのためであり、彼が打ち砕かれたのは、わたしたちの咎(とが)のためであった。
彼の受けた懲らしめによってわたしたちに平和が与えられ、彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。(イザヤ書五三・5)
ここで「彼」とは、はるか後に現れる救い主、メシアを預言的に指している。私たちが真の平和を与えられるためには、武力とか政治の変革、あるいは私たち自身の努力とか心の持ち方とかではない、まったく別の道が必要なのであった。それはそれまで誰も考えたこともない方法によってであった。
それは愛の神、万能の神と同じ本質をもったお方を、傷つけ、苦しめ、刺し貫くといった驚くべき仕打ちを与えることによってであった。こんな方法で平和がほかの人に来るといったい誰が想像したことがあっただろう。ふつうの人間をこのようにしたところで、他の人間全体、後世にいたるまでの世界の人間すべてに平和を与えるなど、考えることもできない。普通の人間なら、自分の心の平和すら保つことは容易でないからである。
混乱と憎しみ、そして飢えや貧困、抑圧などなど、平和とはまさに逆の状況が満ちているこの世界において、そうした闇のただなかに、神の国からの平和をもたらす道が示されたのであった。
このイザヤの預言からはるか七百年もの後、人の子であるとともに、神の子であるイエスというお方が神から送られ、そうしてそのイエスがこのイザヤ書にあるように、傷つけられ、砕かれ、実際に槍で刺し貫かれたのであった。
そしてさらにそれで終わるのでなく、その後二千年間、ずっとそのイエスの十字架の死を、私たちの罪を担って死んで下さったのだと信じるとき、実際に私たちの魂に平和が訪れることになった。これは驚くべきことである。このような人間の魂に関わる最も重大な問題が、いまから二千七百年も昔に神の言葉として、一人の人が聞き取り、それを人々に告げて、文書として書き残されていったが、それがそのまま現実の歴史の中で、長い歳月を通して実現されていったのである。
こうして、旧約聖書では平和とは、現実には訪れてはおらず、ごく一部の人しかそれを実感していなかったようであるが、未来の「その時」には、全世界に武力や戦争が終わるときが訪れること、そして人間全体の罪を担って、私たちに平安をもたらそうとされるお方が現れることを、確かな神のご計画だと預言しているのである。
そしてすでに預言者や詩編などにおいては、神からの平和を実感している人たちの経験がつづられている。
その一部をつぎに取り上げよう。
詩篇の中から
詩編では、神からの平和(平安)については多くの箇所にそれが見られるが、とくに詩編二十三編において、神から与えられる平和が、美しく表現されている。
主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。
主はわたしを青草の原に休ませ
憩いの水のほとりに伴い
魂を生き返らせてくださる。主は御名にふさわしく
わたしを正しい道に導かれる。
死の陰の谷を行くときも
わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。あなたの鞭、あなたの杖それがわたしを力づける。
わたしを苦しめる者を前にしても
あなたはわたしに食卓を整えてくださる。わたしの頭に香油を注ぎ
わたしの杯を溢れさせてくださる。
この詩で言われている状況とは、主なる神が私たちを導くお方となって下さるならば、私たちには欠けるものはなくなるという実感を与えられる。それは、まさに主の平和が与えられていることである。
いかに神を信じていようとも、大きな苦しみや悩みは生じる。神の平和を与えられるとは、決してこの世の苦しみや困難が降りかかってこないということではない。だれにも言えないような困難な問題も出てくる。そうした時にあっても、神がともにいて下さるゆえに、平和を実感する。その平和とは、たんに何も動揺を感じないという消極的な内容でなく、平和という原語(シャーローム)の原意である、「満たされた状態、完成された状態」を思わせるものがある。
「わたしの杯をあふれさせてくださる」とは、神が周囲の状況はいかようであれ、自分の魂の深いところを満たしてくださり、神の恵みであふれるようにして下さるということである。
また、預言者イザヤは大いなる預言者であるが、また稀なスケールをもって万物を見つめている預言者でもある。そのイザヤが最終的な平和とはなにかについてつぎのように述べている。
ついに、我々の上に、霊が高い天から注がれる。荒れ野は園となり、園は森と見なされる。
そのとき、荒れ野に公平が宿り、園に正義が住まう。
正義が造り出すものは平和であり、正義が生み出すものは、とこしえに安らかな信頼である。
わが民は平和の住みか、安らかな宿、憂いなき休息の場所に住まう。(イザヤ書三十二・15~17)
このように、「平和」とは神の霊が天から注がれて初めて訪れるものであり、荒れた野は緑ゆたかな所となり、正義が宿る。そこに永遠的な平和が訪れると預言されている。イザヤの時代は、戦乱のただ中であり、ほとんどだれもそのような状況が訪れること夢にも思わなかっただろう。しかし、まことに預言者は神の言葉を担う人間である。千年、二千年以上の歳月をもはるかに見つめ、必ずそのような時が訪れることを、神が与えられた視力によって洞察することができたのであった。
旧約聖書はこのように、武力による戦いの記事がいろいろ見られるが、それは決して最終的な姿でない。そのようなただなかにあって、未来のある時に聖なる霊が天より下って、文字通りの平和、平安が訪れることを確言しているのである。旧約聖書はそのように、私たちをキリストの時代へと、キリストの平和へと強力に指し示す力を持っているといえよう。
新約聖書に入ると、堰(せき)を切ったように、それまでごく部分的にしか実現していなかった、「主の平和」があふれるようになる。
休憩室
○五月から六月にかけて、小さな山を少し登ったところにある我が家で心に呼びかける声となるのが、ホトトギスであり、アオジ、ヤマガラ、ウグイスといった小鳥たちです。とりわけホトトギスは今年はかつてなかったことですが、深夜午前一時や二時ころにもたびたびあの特徴ある声で鳴き続け、遠いところから呼びかける声のように感じたことです。ほかのものが寝静まっているそのような深夜になんの目的であのように激しい声で鳴くのか、動物学的には不可解なことですが、そのような科学的なこととは別に私には
ことば
(131)ほんとうの幸いのため
ジョバンニは首を垂れて、すっかりふさぎ込んでしまいました。
「何が幸せかわからないです。本当にどんなつらいことでもそれが正しい道を進む中での出来事なら、峠の上りも下りもみんな本当の幸福に近づく一あしづつですから。」灯台守が慰めていました。
「ああそうです。ただ一番の幸いに至るためにいろいろの悲しみもみんな、おぼしめしです。」青年が祈るようにそう答えました。
………
ジョバンニは、ああ、と深く嘆息しました。「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ。どこまでもどこまでも一緒に行こう。僕はもう、あのサソリのように本当にみんなの幸いのためならば、僕のからだなんか、百ぺん灼(や)いてもかまわない。」
「うん、僕だってそうだ」カムパネルラの眼にはきれいな涙がうかんでいました。…(宮沢 賢治著「銀河鉄道の夜」より)
(132)たった一人の祈りであっても
多くの人が去っていった教会の中で、まったく一人であっても、あなたは祈り続けますか。
一人の人が祈り続けることによって、いつかそれが人々の祈りへと引き継がれていくことがよくあるのです。たった一人でも十分なのです。(ブラザー・ロジェ著 「信頼への旅」140P)
返舟だより
四国集会への感謝
○去る六月十五日(土)~十六日(日)は、三年ぶりに徳島にて、キリスト教四国集会(無教会)が行われました。前回の高知での四国集会の後から、祈りを始めて一年間、集会のたびに祈りをもって覚えてきた集会でした。ことに今年に入ってからは、各地での家庭集会においても、絶えず祈り、神がその四国集会を祝福してくださいますように、それが神の栄光のため、苦しむ人や未信仰の人にも働きますように、さらに信仰を与えられている人も、み言葉と聖霊がゆたかに注がれるようにとの祈りを続けてきました。
そうした祈りに主が応えて下さって、今回の四国集会で、特別な重い出来事を抱えて参加された方が、たしかな変化を与えられたという人、やはり厳しい状況のただなかに置かれて、苦しみつつ生きておられる方が、神の愛をあることで実感したと言われた人、今までの四国集会より以上に確かな聖霊のはたらきを感じたと言われた盲人の方、長く集会から離れていた方やキリスト教のことを聞くのは初めてだという老齢の方の参加もあったり、心が不思議な喜びで満たされたと言われて帰って行かれた遠くからの参加者などありました。
また、直前まで入院生活をされていた、高知の林 恵(さとし)兄が、高齢でもあり参加を危ぶまれる状況であったのですが、無事守られて参加され、聖書講話の責任を果たして下さったことも大きな感謝でした。
今度の四国集会を終えての感想は、たしかに祈りは聞かれる、ということです。悪のはびこるこの世においてそれは驚くべきことです。真実の神などいるはずがないと思う人が大多数をしめるこの日本において、たしかな神の御手の働きを実感させていただいた集会でした。
他方、気がかりな方々もおられま。すでに二月からだれよりも早く参加申込をされていた九州の方が、急な手術のために、やむなく参加できなくなったり、北海道の方がやはり体調の不具合のために参加希望を強く願いつつも最終的には断念されたなど、いろいろの事情で参加できなかった人たちも県内外にあったのは、とても残念なことですが、その方々にも主がどうか祝福を与えて下さいますように。
今回の四国集会のために、捧げられた多くの祈りを心から感謝しています。そしてそのような人間ではできない、魂に関わる働きをされる神に、栄光がさらに帰せられますように。
○今回の四国集会では、前回と同様に、四国四県以外に、広島、岡山、兵庫、大阪、滋賀、神奈川、東京、埼玉といった地方からの参加者もあり、申込して参加できなかった人もありましたが、申込してなくて直前に希望されて参加できた方もあり、実質では部分参加も合わせて百十五名ほどの参加でした。
また障害者も多く集うことができました。視覚、聴覚、肢体、知的などさまざまの障害者も集められてともに主のみ言葉に聞き、祈り、讃美できたこと、主イエスを中心としての主にある交わりを多く与えられたことも大きな恵みです。
○また、個人的なことですが、私が京都の学生時代(大学四年のとき)に初めて、キリスト教の講演会に参加して、話を聞いたとき、心に深く残った講演をされたのは、当時京都大学理学部の富田和久教授でした。そのお話のゆえに、私はその冨田氏が責任者であった北白川集会と言う無教会のキリスト集会に、卒業までのごく短い期間でしたが加えて頂いたのです。 冨田氏は今は天に帰られましたが、奥様であられる富田
節氏が今回の四国集会にも参加して下さって、霊の戦いをともにしていただいたのも三十数年前からの神の不思議な導きを改めて思い起こし感謝でした。
○中部地方の方からの来信です。
いつも「はこ舟」感謝しつつ、拝読、かつ朝夕の祈りに貴兄の伝道のお働きのことを他の教友にあわせて覚えている者です。小生、4年ほど前、目の手術のため片方の目を失明し、視力0・2の視覚障害者になりました。…現在八十二歳に近づき、目の衰えを自覚するに至りました。新聞はじめ読むものを極力減らし、必要最小限にしぼるよう努力しています。
「はこ舟」もあきらめようと、一度は考えたのですが、五月号の中「憲法を変える問題」を読み、考えが変わりました。これは絶対止めてはいけない。否むしろ、「はこ舟」のために祈りを深めなければならない、著者をつよめ、導き給えとのねがいを深めなくてはならない、どうにかしてこの「はこ舟」が用いられ、この国の為政者を動かし、今のあり方を根本から変えなければならない、考え方を根本から変えさせねばならないと強く思った次第です。(小泉首相の靖国神社参拝に際して、奉書に筆書きして、諸国つまり中国、韓国との平和を計るべしと、意見を具申しました)…
・高齢であるにもかかわらず、日々祈りに覚えていて下さることは感謝にたえません。そして日本に福音の真理が広がるように、国の方向が正しい方向に進むようにと切実な願いを持っている方がおられるのがわかります。神はそのような心からの願い、神の国(神の御支配)が来ますようにとの祈りを聞いて下さることを信じます。
○関東地方からの来信です。
「はこ舟」を毎月感銘深く読ませていただき、悲しいときは励ましを、さみしい時はお慰めを頂いて大変感謝しています。昨年夫が天に召されました。十数年の闘病生活で、その間に十数回の入退院・通院でございました。そのような時、実姉が、「はこ舟」をカバンの中に入れてくれて、看護の間や待合いの時間に大変読みやすいからと紹介してくれたのでした。今年はじめの号の「道」という詩ではとくに感銘を受けて、自分が今まで歩んできた道の不思議を感じたものでした。…
・「はこ舟」のような小冊子の利点の一つは、このようにどこかに出かける時に持っていくと、本のように重くなく、かさばることもないので、だれでも持ち運びできることにあります。書物に比べて内容はごく少ないものですが、それでも神が用いられるときには、この方のように心のどこかに触れることもあるのだと思われました。すべては人間のわざでなく、「石ころからでも、アブラハムの子を起こすことができる」神のはたらきによるのであり、神の御手を待ち望むばかりです。
○近畿のある方からの来信です。
この五月から主日の礼拝を自宅で守ることが許され、感謝しています。いまは、夫婦で聖書はマタイ福音書を学んでいます。どのようにして進めていくか考えてみましたが、小さな家庭集会として始めていくことに導かれました。…たどたどしい歩みですが、み言葉を信じていきたく思っています。
・キリストを信じる者は、「二人、三人私の名によって集まるところに、私はいる」との主イエスの約束を信じることになります。会堂なく、組織なく、牧師なく、集まる人が少なくとも、そこに主イエスがともにいて下さるとき、なくてならぬ唯一のものがあるのであり、それはエクレシアであり、神の「教会」なのだといえます。新約聖書において、「教会」と訳された原語であるエクレシアとは建物を表していることは一度もなく、主イエスを中心とする集まり、主イエスによって呼ばれた人の集まりを意味するからです。