2002年9月 第500号・内容・もくじ
平和は川のように
私たちが自分の浅い考えや自己中心的な発想で歩んだり、この世のさまざまの考えに流されて歩むのでなく、真実な神、万能の神を信じて導かれて歩むという道が聖書には示されている。
私たちが神に心を向けているなら、平和は川のように流れてくる。神の言葉に耳を傾けていくだけで、神の恵みが海の波のように満ちているのが実感できるようになる。今から二五〇〇年も昔から、すでにこの世の背後にこうした世界があるのが知らされていたのに驚かされる。
真の平和が見失われているこの世界にあって、私たちが心の耳を傾けるべきは、こうした聖書の言葉である。
聖なる神、あなたを贖(あがな)う主はこう言われる。
わたしは主、あなたの神、わたしはあなたを教えて力をもたせ、あなたを導いて道を行かせる。
わたしの戒めに耳を傾けるなら、あなたの平和は大河のように、恵みは海の波のようになる。(イザヤ書四八章より)
キリストの力と驚き
マルコ福音書の最初に記されている記事によれば、主イエスが最初に会堂に入って教え始めたとき、人々には非常な驚きがあったのが記されていて、しかもこの「驚き」が二回、繰り返されていることからも、このことが強調されているのがわかります。
イエスは、安息日に会堂に入って教え始められた。
人々はその教えに非常に驚いた。律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。…
そのとき会堂に汚れた霊に取りつかれた男がいて叫んだ。…
イエスが、「黙れ。この人から出て行け」とお叱りになると、汚れた霊はその人にけいれんを起こさせ、大声をあげて出て行った。
人々は皆驚いて、論じ合った。「これはいったいどういうことなのだ。権威ある新しい教えだ。…」(マルコ福音書一・21~27より)
これはこの福音書を書いたマルコの驚きをも反映しているであろうし、キリストを信じるようになったものがその程度の多少はあれ、だれもが感じることなのです。
私たちの心は本来は、善いこと、美しいこと、真実なものに驚き、感動するように造られています。だれでも嘘に対しては嫌悪感を持つし、美しい風景に感じる。
けれども、だんだんとこの世の醜さに触れて、そうした良いものへの驚きや感動がなくなっていく。そしてこの世の事件や悪いこと、本来悲しむべきこと、目をそむけるべきようなことに驚き、関心をもってしまうようになる。テレビや雑誌の数々の悪や罪についての報道や番組などが強い関心を呼び、たくさん読まれるのもその現れと言えます。
しかし、そうしたただ中で、この福音書が強調しているように、キリストが私たちのところに来られるときには、神の力に驚き、その力が今も働いていることに心を動かされるようになります。
キリストを信じることとは、そうした新しい感動を与えられることなのです。ことに、この箇所で言われているように、人間の心に宿る汚れた霊、悪の力を追い出されるということに最大の驚きを感じるのです。
この箇所にあるようなことは決して特異なことでありません。「汚れた霊」とかいったことは私たちは話題にはしないことです。ですからこうした用語があるために、何かこんな記事は私たちには何の関係もないと思ってしまいがちです。
しかし、私たちは、それぞれの心の中に、そしてその人間の集団である社会全体に入り込んでいる、汚れた霊、言い換えると悪の力につねに悩まされています。毎日の生活における悩みや問題はみな、そうした何らかの悪の力に支配されているからであり、国家同士の戦争や争いなどもみなそこに宿る悪の力の故です。
そうした悪の力そのものを人間とは全く異なる力と権威をもって追い出すのがキリストの働きなのです。本当にキリストを私たちが心に受け入れるとき、たしかに闇の力が追い出されるのを感じます。信じたからといってまったく人間が善くなるのでなく、まだいろいろと罪が残っているのですが、それにもかかわらず、それまではどうすることもできなかった魂の深い部分を支配していた悪の力が追い出されたという実感を与えられます。
そこに私たちの驚きの原点があるのです。
キリスト教では十字架がそのシンボルとなっています。それも、人間の奥に宿る悪の力、罪の力をキリストが十字架上で死ぬことによって滅ぼしたことが意味されていて、やはり人間から汚れた霊、悪の力が追い出されたという象徴であるからなのです。
ヨハネ福音書のはじめの箇所に、
「わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。」(ヨハネ一章16)
と記されているのも、それを書いたヨハネ―すでに相当高齢になっていたと推測されています―の深い驚きが感じられます。最晩年になって、この世の数々の悲哀や悪に心が枯れてしまうのでなく、神(キリスト)から満ちあふれる豊かさを受けて、恵みのうえにさらに恵みを受けてきた、という実感は深い魂の驚きから生じているのがわかります。
私たちはだれでも、主イエスを信じて歩むなら、こうした驚きの生活へと導かれていくのだというのが、こうした福音書が告げようとしていることなのです。
神のさばき
現代では、神の裁きなどということは、日本においては全く言われない。小学校から大学までの長い学校教育においてもそのようなことは、私自身もただの一度も耳にしたことはない。
しかし、これはきわめて重要なことであり、現代も古代からずっと変わることなく存在している事実である。
例えば、神は真実で愛のお方であるゆえ、そうした神の本質に反することを続けるならば、必ず裁きがある。例えば、嘘は明らかな神への背きである。だから嘘をやったり、嘘を言えば裁きがある。先頃から大きな問題となっている、日本の代表的な会社がつぎつぎとその社長などが辞職していったのも、要するに嘘をやっていたからである。日本の代表的企業の社長や会長であっても、何十年もの経験と経営手腕があり、経済界や政治の世界にも幅広い人脈を持っていて、金もありあまるほどあってもなお、嘘をやっていたことが明らかにされると、たちまちその地位から崩れ落ちる。雪印食品のように会社そのものまで、崩壊してしまうこともある。
こうした事実は、神の真実に反すると、神はひとたびその御手を伸ばすならいとも簡単に、会社などつぶされてしまうということである。
しかし、多くの人は考えている。それは偶然なのだ。同様な嘘をやっている会社はいくらでもあるではないか。それなのに裁かれない。それは神がいるからでなく、偶然見付かっただけではないかと。
たしかに雪印食品のように、虚偽をやっているのは、多くの会社も同様であろう。しかし、それが摘発されないからといって、神の裁きがないというのはまったくの間違いである。
そのような考えをもってやっている人間の心に裁きが下されているからである。私たちの心が嘘を言っても平気になっていけば、真実ということに対しての感動がなくなっていることであり、それは真実そのもののお方である神からの喜びや平安を感じることができなくなっていることを示している。そこに裁きがある。
そうした神の国の喜びというものに全く感じなくなってしまった魂は、だんだんと表情や声、まなざしにまで、変化が生じてくる。それは若い時にすでに現れている場合もよくある。最近の高校生などの表情が、ゆるんでいて、目にも輝きがなくなってどこかよどんでいる者が多いということは、それを現している。また、だれでも中年以降になってくると、そうした神の国の真実や清さに対して背を向けてきた者は、やはり目がよどみ、声もどこか濁ってくることが多いし表情も変質してくる。
こうしたことは実に不思議なことである。
裁きとは、決してこのように、世の終わりだけにあるのでなく、今も現に行われており、それは変わることがない。
しかしそうした裁きは、じつは神の大いなる恵みやそのもとになっている愛を現しているのである。神は愛であるからこそ、間違った道を歩む者に警告を発して、それを見るものもそれが間違っているということを知らされていくようにされている。
神の国に反することを続けるなら、必ず裁きがあり、神の国からの水路は断たれる。しかしそれを気付いて、神に赦しを求めるとき、必ずふたたびその水路は開かれて、御国からのいのちの水は流れはじめる。
嘘と真実
最近のニュースで大々的に報道されたこと、外務省関係の問題、鈴木宗男議員に関係する問題、秘書給与の流用問題、雪印食品のこと、日本ハム、そして東京電力など一連の事件は、みな何らかの嘘が関わっている。政治家たちが、国のため、地元住民のためなどといいながら、実は自分の利益のためにやっていたというたぐいの嘘は昔からいくらでもある。
長い伝統のある会社が、わずかの期間に行った虚偽によって無惨につぶれてしまった。
さらに北朝鮮でも日本人の拉致などないと言い切っていたにも関わらず、それを国家の代表者が認めたことで、国家自体が大きな嘘を長年にわたってついてきたということも明らかになった。
あれほど明白に拉致などやっていないと言い切っていたにも関わらず、掌を返したように、実は、拉致をやっていた、そして多くの拉致された人たちの命まで失われていたと明らかにして、謝罪した。
東京電力にしても、もう何年も前から原子炉の重要な部分に生じたひび割れなどのトラブルを隠して、虚偽報告をしていたことが、発覚して社長や会長などが辞任せざるを得なくなった。
こうした事実に接して分かることは、この世はいかに嘘が多いかということである。日本の代表的な企業であり、信頼されていたはずの会社が長い間信じられないような嘘をついてきたとかの事実を見れば、ほかの企業も同様ではないのかと当然疑いが生じてくる。
だが、こうした事件はある意味では当然生じることである。なぜなら人間そのものが不真実であり、嘘に満ちた存在だから、そのような人間の集団もやはり嘘が横行するということになる。
北朝鮮の拉致と死亡という事実に対して、当事者には、深い悲しみと、強い憤りが生じていることは当然の反応である。何の罪も犯していないのに、突然連れ去られ、どんな仕打ちを受けたのか分からない状態で、死亡したと知らされては耐え難い思いであろう。
日本は、今回のことで北朝鮮がひどいことをしたと声を大きくして非難しており、それは当然のことである。今後とも、なぜそのような仕打ちを受けたのかについての詳しい説明が必要であり、当事者たちへの十分な対応がなされねばならない。そして今回のことで、単に北朝鮮を非難、攻撃するだけでなく、二度とそのようなことが生じないようにするには日本としてもどうすべきかが問われている。
しかし、何かの問題が生じたとき、目先のことだけを見ていたのでは問題の真相は明らかにはならない。現在の問題は、過去から流れてきたのであり、つねに歴史的にものごとを見ることが必要である。
今回の問題においても、朝鮮半島と日本の関わりについて過去の歴史から学ぶ必要がある。
過去において日本はそのような拉致をしたことがなかったのか、拉致した人を殺害したことはなかったのだろうか。あるいは不法に他国の人々の命や財産を破壊したり奪ったことはなかったのだろうか。 それは少し調べるとただちに判明することである。
戦前は、日本が、十人、二十人といった程度でなく、桁違いの百万人以上の朝鮮半島の人々を拉致して、劣悪な条件での強制労働や従軍慰安婦などとして用いてきたと言われている。そしてこのようなおびただしい人々の苦しみに対して何ら償おうとしなかったのである。
また、中国に対しては、十五年ほどにわたる長い戦争において、それよりもはるかに膨大な人々を攻撃し、住居を破壊し、二千万とも言われる人々を殺傷していった。こうした想像を絶するような野蛮な行為の前には、今回の北朝鮮の拉致と死亡といったこともかすんでしまうほどである。
また、政府の嘘ということでは、戦争がはじまると、軍部や政府にとって都合の悪いことは、つぎつぎと嘘でごまかしていく。今から五十数年前には、太平洋戦争を引き起こしたが、わずか半年ほどたった一九四二年六月に、太平洋のミッドウェー海戦において、貴重な空母四隻、三二二機もの飛行機、そして三五〇〇人もの兵士が戦死するという、大敗北を喫した。
にもかかわらず、海軍はこの敗戦を完全に偽ってあたかもめざましい戦果をあげたかのような発表をした。マスコミもその偽りを発表した。こうして四年近くにわたる太平洋戦争ははじまってから半年ほどで軍部が国民に大きな嘘をついて、その後もこうした偽りが発表されていくことになる。
この太平洋戦争が起きる原因となった中国との戦争の始まりも、また嘘から始まっている。そのきっかけは、一九三一年の満州事変であった。それは奉天近くの柳条溝で満鉄の線路が爆破されたことに始まる。それは中国軍が爆破したのだといって中国を攻撃する口実とされて、中国との長い戦争が始まった。これが後の太平洋戦争へとつながってしまったのである。
しかし、これは実は日本の軍部が計画的に爆破したのであった。それを中国軍がしたのだと虚偽を発表した。
このように、中国をはじめとして、アジア、太平洋地域での十五年にもわたる長期の戦争が嘘から出発しているのであって、嘘がいかにはかりしれない害悪をもたらしたかを証明していると言えよう。
また、日本の基本方針となっているはずの、非核三原則とは、核兵器に関して,(1)持たず,(2)作らず,(3)持ち込ませずという内容を持っている。一九六八年に佐藤栄作首相が国会で答弁をして以来,国是として歴代政府によって受け継がれてきた。しかし、一九七四年には、アメリカの元海軍少将が、アメリカ両院合同原子力委員会で証言をして、核兵器を装備した艦隊が外国の港に入る時、核兵器をはずすことはないと言ったこと、また、一九八一年のライシャワー元駐日アメリカ大使がアメリカ艦船は核を積んだまま日本に寄港していると発言したことなど、重要な地位にあった人が公然と証言しているにもかかわらず、日本政府は、歴代の首相もそのような核の持ち込みはないなどと、強弁している。
これなども、政府が明らかな嘘を言っているということである。一方で、核を搭載した艦隊などは入らせないことは、日本の基本方針であると言っておきながら、アメリカで公然と高い地位にあった人物がアメリカ議会のような公的な場で、核を積んだ艦船が日本に寄港してきたと証言してもなおかつ、そんなことはないと主張している。
この問題はもともと、核兵器を積載して航行していると思われる,航空母艦,原子力潜水艦などが日本に寄港するときだけそれを取りはずすとは考え難いことから、ずっと以前から核を持ち込ませないということは、すでに偽りであることが指摘されていたのであった。
一部の食品会社が、外国の牛肉を有名な和牛肉だと偽って販売したり、政府からの補償金を虚偽によってだまし取ったとかの事件によってうっかりすると、あたかも嘘をやっているのは、そうした一部の者だとか北朝鮮だけが大嘘をつくテロ国家だと思いこむかも知れない。
しかし、実はすでに述べたように、こうした嘘は、日本のかつての政府にも現在の政府にも見られることなのである。
また、アメリカが正義の戦争だといって、アフガニスタンに対して報復の攻撃を行う際に、こともあろうに、正義の戦争だとか神の守りがあるようになどと言っているのも、大きな嘘がある。
なぜかというと、キリストは報復することは間違ったことだと明白に教えておられるからである。
このように見てくれば、大きな問題、国家的、世界的な困難や危険、戦争などもそのもとを突き詰めて調べていくとどこかに嘘があり、いたるところに真実に反することがあったために、人間同士、国家同士の憎しみが生じて、争いとか戦争という事態へと進んでいってしまうのである。
歴史を見ると、このような不真実、嘘をもって物事をなしていくことは、決して永続的なよいものを生み出さず、なにかのきっかけで滅んでいくのがわかる。虚偽はあるところまでは栄えることもあるが、突然崩壊してしまうじつにもろい本性を持っている。
他方、真実はいかに誤解され、中傷され、また真実を主張するものを殺すようなことがあっても、それによって決して滅びることはなく、かえってその真実の力は後世に伝わっていく。それは神がそのようにされるのである。その典型がキリストであった。
人間社会の嘘に満ちた状況に対して、キリストは真実な世界があることを宣べ伝えるために来られた。私たち自身は決して世の中全体にしみこんでいる嘘の体質から完全に出ることはできない。
それならどうしたらよいのか。それはそのような嘘、不真実な本性そのものを主イエスが担って十字架にて死ぬことによって、私たちの身代わりになられたのである。
自国の正しさだけを主張し、他国の非を非難、攻撃するだけでは決して真の解決にはならない。歴史をふり返りつつ、双方に非があり、嘘があり、弱い立場の人々を犠牲にしてきたこと、罪があることに気付いて、双方が真実に立ち返るのでなければ本当の出発はできない。
私自身のことを振り返ってみても、聖書やキリストのことを知るまでは、人間そのものに宿っているこうした不真実な本質に気付かなかった。しかし、聖書の内容をより深く知り、キリストのことを知らされて、いかに人間は真実がないかを知らされたのである。そして聖書とキリストはそうした不真実な人間が真実なものとみなされる道が記されてあるのだと分かってきた。
キリストは不信の海のなかに、真実そのものの道をまっすぐに神の国に向かって備えてくださったのである。
苦しみの中から 旧約聖書・詩編五六編より
神よ、わたしを憐れんでください。
わたしは人に踏みにじられている。
私に敵対する者が絶えず私を苦しめ、
陥れようとする者が
絶えることなくわたしを踏みにじる。
…
恐れを心に感じるとき
わたしはあなたに依り頼む。
私は神の御言葉をたたえます。
神に依り頼めば恐れはない。
肉にすぎない者が私に何をなしえようか。
彼らは、たえず私の言葉をあざけり、
その計画はみな私を害することに向けられている。
待ち構えて争いを起こし
命を奪おうとして後をうかがう。
…
あなたはわたしの嘆きを数えられた。
あなたの記録にそれが載っているではありませんか。
あなたの革袋にわたしの涙をたくわえてください。
私が神を呼べば、敵は必ず退き
それによって神はわたしの味方だと知る。
私は神にあって御言葉をたたえる。
私は主にあって御言葉をたたえる。
神に依り頼めば恐れはない。
人が私に何をすることができようか。
神よ、あなたに誓ったとおり
感謝の献げ物をささげます。
あなたは死からわたしの魂を救い
突き落とされようとしたわたしの足を救い
命の光の中に
神の御前を歩かせて下さる。
この詩には、嘆きと苦しみ、悲しみのただなかにおいて、神に必死に頼って悪の力から逃れ、新しい力を得ようとしている一人の魂の姿が浮かび上がってくる。
この詩の冒頭は、「神よ、私を憐れんで下さい!」(*)という叫びから始まっている。
「神よ、憐れんで下さい!」という言葉は、聖書のなかに多くの祈りの言葉があるにもかかわらず、この言葉が、ミサ曲でとくに繰り返し歌われる。(**)それは、この短い一言のなかに、キリスト者の心の願いのすべてを託すことができるからである。
(*)これは、ヘブル語の原文では、ホンネーニ エローヒーム という二語の表現である。ホンネーニとは、ハーナン(憐れむ)という動詞の命令形に、「ニ」という接尾辞がついたもので、「ニ」は、「私を」という意味を持つ。エローヒームは、「神」。これは、ギリシャ語では、エレエーソン メ キューリエとなる。(「神」を「主」と言い換える) エレエーソンとはエレエオー(憐れむ)という動詞の命令形、「メ」は「私を」という意味。これは、キリエ エレイソンという言葉で、ミサ曲ではよく知られた言葉である。キリエとは、ギリシャ語で「主よ」という意味なので、キリエ エレイソンとは、「主よ、憐れんで下さい!」という意味になる。
(**)通常のミサ曲は、キリエ、グローリア、クレド、サンクトゥス、アグヌス・デイ(アーニュス・デイ) という部分からなっている。キリエ(KYRIE)とは、「主よ!」という意味のギリシャ語、グローリアは、「栄光」、クレードー(CREDO)とは、「私は信じる」、サンクトゥス(SANCTUS)とは、「聖なるかな!」、アグヌス・デイ(AGNUS DEI)とは、「神の子羊」という意味である。
最初の、キリエの部分だけが、ギリシャ語で、あとは、ラテン語。キリエの部分は、「主よ、憐れんで下さい!キリストよ、憐れんで下さい」という言葉の繰り返しである。グローリアの部分は、キリストが生まれたときに天使たちが歌った、神に栄光あれ、という讃美と共に、キリストに対して、罪を除いてくださることを待ち望んで、「憐れみたまえ」という言葉も含まれている。そして最後の、アグヌス・デイの部分も「私たちを憐れんで下さい!」という祈りが含まれている。
このように、ミサ曲の五つの構成部分のうち、三つの部分に「主よ、憐れみたまえ!」が含まれていて、神への礼拝の中心に罪の赦しを願い、さまざまのこの世の苦しみや悩みからの救いを願って、主の憐れみを切実に求める心が反映している。
私たちは罪の重さを考えるとき、裁かれてしまっても当然という存在でしかない。そのような人間にすぎない私たちが神に向かって祈る言葉は、「どうか、そのような無に等しいような存在である私を憐れんで下さい、赦しを与えて下さい」という祈りになる。人間のそうした最も深い心の願いに応えて、神はキリストを送って下さって、ただ信じるだけで、私たちの罪を赦し清めてくださるようになった。それは人類全体の切なる願いに神が応えて下さったのであった。
しかしそのように赦しが十字架のキリストの死によって与えられても、なお私たちは日々に罪を犯してしまう存在である。それで、日々の私たちの願いは、やはり「私を憐れんで下さい!」という短い言葉に込められるのである。 パウロのような大使徒であっても、「自分の死のからだをだれが救ってくれるのか!」と苦しい叫びをあげざるを得なかったのである。このような自分をどうか憐れみたまえ!ということは万人の心の奥深くにある。ただそれが人間の根本的な願いであるということを自覚していない人も多い。罪に気付いていない人は、その叫びを本来持っていながら、まだ自分で気付いていない状態といえる。
この詩の作者も、まず冒頭において「神よ、私を憐れんで下さい!」という簡潔な叫びから始めている。その短い叫びはそのまま彼の祈りが凝縮されたものであっただろう。私たちの内にある罪、あるいは病気の苦しみ、また、外にあるさまざまの悩みや問題、それらすべてにおいて、私たち自身の力はあまりにも小さい。その小さな自身を知らされるときには、立ちはだかる困難を前にしてたじろぎ、恐れてしまう。
もし私たちが神とキリストを知らないなら、そこから心を暗くして引き返すしかないだろう。善や正義などということに向かっては歩いて行けないと感じるからである。
しかし神はそうした叫びに応えて下さる。この詩の作者も同様であった。そのような恐れのただ中から、神にまなざしを向けて、
「私はあなたにより頼む。神により頼めば恐れはない。敵対するものが私に何をなしえようか。彼らももろい人間に過ぎないのだ。」
という心へと変えられていく。
しかし、そのような信頼もしばしば揺るがされ、再び恐れと神への真剣な叫びへと戻ることもある。命をねらおうとまでしている敵対者が、この作者のまえに立ちはだかっていた。
そうした状況において詩の作者はあくまで神に頼り続ける。それは神は人のあらゆる悲しみや苦しみをすべて見て下さっているという確信からであった。
あなたはわたしの嘆きを数えられた。
あなたの記録にそれが載っているではありませんか。
あなたの革袋にわたしの涙を蓄えてください。
神は、私たちの苦しみや悲しみを決してなおざりにされることはない。この詩の作者の確信はここにあった。なおざりにするどころか、宇宙の創造主であるにもかかわらず、小さな私たちの苦しみや悲しみを一つ一つを数えてくださった、それほどに一つ一つと覚えていて下さるという実感がある。
さらに、涙を神の革袋に貯えてくださるということも知っていた。それゆえにこのように、神に祈り願うことができた。
私たちの悲しみが深いほど、それは人には言うことができないだろう。誰にもわかってはもらえない、当事者だけが知っている深い心の傷というのがある。そのような傷をかかえて一人苦しむとき、神はそのような悲しみや傷みのすべてを一つずつ覚え、その涙を、その悲しみを一つも失われないように持っていて下さる。そしてその悲しみを決して無駄にはなさらない。
ああ、幸いだ、悲しむ者たちは。
彼らは、(神によって)励まされるからである。(マタイ福音書五・4)
悲しみの深い意味は、パウロもよく知っていた。
神の御心に適った悲しみは、取り消されることのない救いに通じる悔い改めを生じさせ、世の悲しみは死をもたらす。(Ⅱコリント七・10)
こうした苦しい経験を通して、この詩の作者は、確信へと導かれる。
私が神を呼べば、敵は必ず退き
それによって神はわたしの味方だと知る。
この作者の確信は、現代に生きる私たちにとっても、是非とも与えられたいものである。私たちに反対するもの、それは人間であったり、私たちの内にある罪の思い、狭い考えであったりする。またあるときは、病気であったり、将来の不安や心配であったりする。
そうしたものは、私たちが神に従って歩んでいこうとするときに反対するもの、敵対するものとなるが、もし私たちが神に向かって、心を込めて祈るとき、そうした力は必ず後ろに退く。
こうした経験を重ねたとき、この詩の作者は神をたたえ、神の言葉への讃美が生まれていく。
私は神にあって御言葉をたたえる。
私は主にあって御言葉をたたえる。
神に依り頼めば恐れはない。
このような作者の人生の経験は、この詩の最後の言葉に結晶している。
あなたは死からわたしの魂を救い
突き落とされようとしたわたしの足を救い
命の光の中に
神の御前を歩かせて下さる。
この詩の作者にとって、神とは単に宇宙の創造者であって、私たちの心の問題と無関係に存在しているのでなく、いかなる人間もできないような仕方でもって、私たちが苦しい問題に直面したときにも、そばに来て助けて下さり、その恐ろしい死の闇から救い出してくださるようなお方なのである。
神など存在しないという根拠として、よく持ち出されるのは、神がいるのならどうしてこんなに世の中に悪が多いのか、ということである。
しかし、そうした無神論の考えをいかなる議論よりも打ち砕くのが、この詩の作者が体験してきたような、死の淵から救い出された、まさに突き落とされようとしたところから助けられたという実感なのである。そうしてたんに危険から救われただけでなく、それまで知らなかった「命の光」というものを与えられて、新しい歩みができるようになっていく。
この命の光ということは、旧約聖書ではこの箇所以外には、ヨブ記に一度しか現れない言葉である。(*)
(*)「しかし神はわたしの魂を滅亡から救い出された。わたしは命を得て光を仰ぐ」と。
まことに神はこのようになさる。人間のために、二度でも三度でも。
その魂を滅亡から呼び戻し命の光に輝かせてくださる。(ヨブ記三三・28~30)
なお、ヨブ記は旧約聖書のなかでも、新約聖書に近い時代(紀元前五世紀頃)に書かれたとされている。
旧約聖書では命の光というのは、まだほとんど知られていなかったと言える。しかし、この詩の作者は特別に苦しみや悲しみの経験を通して、この世界には、そのような暗黒と死の世界から救い出され、新しい命を与えられつつ、神の光に歩むことができる世界があるということを啓示された。
ふつうの自然の命や物理的な光とは全く異なる、命の光があるということは、このように死の蔭の谷から救われた者に初めて啓示されたといえる。その点ではヨブ記も、また旧約聖書では、神を信じて生きる正しい者になぜ恐ろしい苦難が降りかかるのかということをテーマにした詩的文書である。苦難のひどい状況からこうした新しい時代を先取りするような、深い経験が与えられるのがわかる。
新約聖書ではこの「命の光」は、前面に現れてくる。
イエスは再び言われた。「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」(ヨハネ福音書八・12)
キリストこそは、闇に輝く光として来られたお方である。また、朽ちることのない神の命である、永遠の命を与えるために来られたのであって、キリストを信じる者には誰でもが命の光を与えられることになった。
私たちのこの世での苦しみや悲しみは、命の光へ導こうとされる神の導きなのだと知らされる。
他者のために祈ること
モーセが手を上げているとイスラエルは勝ち、手を下げるとアマレクが勝った。
しかしモーセの手が重くなったので、アロンとホルが石を取って、モーセの足元に置くと、彼はその上に座した。そしてひとりはこちらに、ひとりはあちらにいて、モーセの手をささえたので、彼の手は日没までさがらなかった。(出エジプト記十七・11~12)
この聖書の言葉によって、戦いにおけるモーセの役割がうかがえるとともに、いかに祈りが重要であるかが示されている箇所です。これは単に戦いにおける祈りの重要性を示すにとどまらず、同胞への祈りであるとも言えます。
すでに古い時代からこのように他者のために祈るということが象徴的な表現で記されています。モーセが手を上げているとは、祈っているということです。モーセの手が重くなったとは自分だけでは祈りが続かなくなったということであり、そのような時には他者によって支えられる必要があるのです。
このことは現代の私たちにおいても当てはまります。私たちも祈ります。それによって悪の霊との戦いに勝利が与えられることを期待できます。しかし自分自身が疲れや苦しみに遭ったときには祈れなくなることもありましょう。そんな時でも誰かが祈りを続けていくことが重要なのです。
そうした祈りの人の周りには、いわば天使がいてその祈りを助けてくれるように思われます。み心にかなった祈りとは、私たちの自我中心の心が砕かれてなされる祈りであり、また幼な子のような心でなされる祈りであり、そのような祈りはまっすぐに神のもとに届くように思われます。そしてそのように幼な子のような心をもって祈る者の周りには、天使がいる、しかもその天使は神の御顔を仰いでいるほどに最も近くにいる天使であると主イエスは言われたのです。
これらの小さな者を一人でも軽んじないように気をつけなさい。言っておくが、彼らの天使たちは天でいつもわたしの天の父の御顔を仰いでいるのである。(マタイ福音書十八・10)
このような祈りは主の祝福を受けるゆえに、続けられていく、そしてそれは互いに支え合う祈りとなります。それはそのような祈りを主イエスが支えられるからです。
主はつぎのように言われました。
しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。(ルカ福音書二十二・32)
主イエスは、自分自身が十字架上で釘付けになるというこの上もない苦しみに会いながらも、「彼らの罪を赦してください」と祈ったとも伝えられています。
そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」(ルカ福音書二三の34)
使徒の働きを記録した文書(使徒行伝)においても、最初の殉教者となったステパノという人は、やはり殺されるとき、つぎのように言ったのです。
それから、ひざまずいて、「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」と大声で叫んだ。ステファノはこう言って、眠りについた。(使徒言行録七・60)
このような死を前にした時ですら、自分を殺そうとしている憎しみにあふれた人々のために祈ることができる魂は、当然、日頃のさまざまの状況におかれた人々のために祈ることができただろうと思われます。
自分のためだけなく他人のためにも絶えず祈る心、そこにとくに主はともにいて下さるのです。
主ご自身が、私たちのために祈ってくださっている。それは主イエスは愛であるから。そして主は真実なお方であるから。
敵のために祈れ、苦しみを与えようとするもののために祈れと言われた主御自身は私たちのために祈りを続けていて下さる。モーセの手は疲れることがあったが、主イエスの手は決して疲れることはない。それは神の御手だからです。
キリスト者は本質的に祈りで結ばれた人たちだと言えます。キリスト者とは、キリストのからだであり、苦しみをある部分が味わうとき、他の部分もともに苦しむとあります。そうした心は祈りの心の現れです。絶えることのない祈りの心だけがそのように他者の痛みを、程度は少しであるにしてもわがもののように感じるからです。私たちの苦しみを御自分の苦しみとして感じてくださってご自身をも捧げられた主が共にいて下さるとき、初めて私たちも少しでもそのようにしていただけるのです。
「祈りの友」という祈りを主とする集まりを初めて提唱した内田 正規(まさのり)(*)は、つぎのように言っています。
「…私たち病める者、ことにながい、病床生活をよぎなくされている者の最も尊い仕事は祈りであると思います。いかなる重症患者も祈りだけはできます。…
幸いにも、憐れみの父なる神を知ることができ、救われて病床に感謝の生活をおくっている私は、同じ病気になやみ苦しんでいる人たちを思うと祈らないではいられなくなりました。そこで私は毎日、朝夕の祈りのときに病気の友たちのために祈ることにしていました。…
私は病気によって信仰に導かれたのでありますから、病友の一人でも多くがこの病気を通じて神のふところに入れられて、神のみ恵みによっていやされることを祈るものであります。」
(*)一九一〇年岡山市生まれ。一九四四年、三三歳で召される。一九三二年一月に当時では死の病として恐れられていた結核に苦しむ人たちに、自らも結核で苦しんでいた内田が呼びかけてその救いのために共に、時を定めて祈ることを提唱し、そこから「祈の友」という集まりが生まれた。ただ、互いの祈りを目的とするこの「祈の友」は七〇年の歳月を、数多くの病の人たちの祈りを軸とし、さらに健康な者もともに祈る集まりとして今日まで続けられてきた。
この「祈の友」の祈りの中心は、他者のための祈りです。
私たちの精神が十分に発達していないときには、祈りも自分中心となり、困ったときの神頼みという言葉のように、自分が病気とか家族の問題、あるいは仕事の上での困難など、なにかの事情で困ったことが生じたときだけ祈るということになります。
旧約聖書に見られる祈りは、とくに詩篇に集中的に記されています。
呼び求めるわたしに答えてください
わたしの正しさを認めてくださる神よ。苦難から解き放ってください
憐れんで、祈りを聞いてください。(詩篇四・2)
神よ、わたしを憐れんでください
御慈しみをもって。深い御憐れみをもって
背きの罪をぬぐってください。(詩篇五十一・3)
このように、何よりもまず自分が置かれている苦しみや悲しみの中からの叫びとしての祈りがあります。これは現代の私たちにとっても同様で、さまざまのこの世の問題に苦しみ悩みが生じるのは誰にとっても同様です。そうした中から、神を信じる者は神にむかって力を求め、救いを祈るのは最も自然なこと、そこに力の源があるのです。
こうした出発点に立って祈るとき、神は何らかの力や救いを与えて下さる。そこから他者への祈りも芽生えてきます。
旧約聖書の詩編にも、そうした他者への祈りは見られます。
救って下さい、あなたの民を。祝福して下さい、あなたの民を。
とこしえに彼らを導き養ってください。(詩篇二十八・9)
また、つぎの詩は、神のはたらきを後の世まで宣べ伝えさせて下さいとの祈りです。
わたしの口は恵みの御業を
御救いを絶えることなく語り
なお、決して語り尽くすことはできない。
しかし主よ、わたしの主よ
わたしは力を奮い起こして進みいで
ひたすら恵みの御業を讃えよう。
神よ、わたしの若いときから
あなた御自身が常に教えてくださるので
今に至るまでわたしは
驚くべき御業を語り伝えて来ました。
わたしが老いて白髪になっても
神よ、どうか捨て去らないでください。
御腕の業を、力強い御業を
来るべき世代に語り伝えさせてください。
(詩篇七十一・15~18)
ここに切実な心で祈っている心にあるのは、神の驚くべき愛と正義のわざを、まだ知らない人たち、後の世の人たちにも知らせることができるように、との深い愛の気持ちです。まだ、見てもいない、自分とは直接に何の関係もない人々に対して、神のわざを伝えさせて欲しい、彼らが何としてもこの大いなる神のわざを知ってその力を受けて欲しいというあふれるような愛の心があります。
このような他者への祈りは、すでに創世記においてアブラハムが滅び行くソドムとゴモラの町々のために真剣に祈っている姿のなかに見られます。
さらに、そうした他者への祈りは、旧約聖書では預言者といわれる人たちによって深い祈りとなって後の世に流れていきます。
主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。
彼らは剣を打ち直して鋤とし
槍を打ち直して鎌とする。
国は国に向かって剣を上げず
もはや戦うことを学ばない。
ヤコブの家よ、主の光の中を歩もう。(イザヤ書二・4~5)
イザヤとは、今から二七〇〇年ほども昔、はるかな古代に現れた預言者です。そのような大昔、日本では文字もなく、文書もまったくなかったような原始時代に、数千年を経てもその真理が少しも衰えないような光が輝いていたのがわかります。
これは、直接的には、「ヤコブの家」すなわち、当時のイスラエルの人々、神の民とされていた人々への呼びかけです。唯一の神が存在しているなどということは、全世界で、このイスラエルといわれる人々だけに知らされていたことです。その人々に対して神の定めたときには、あらゆる武力、戦争がなくなって、神からの平和に生きるようになる、そうした未来の輝かしい世界に入れて頂くために現在必要なことは、神の光に歩むことだと、呼びかけている。それは同胞のイスラエルの人々への呼びかけでありながら、じつは、その後の数千年にわたる世界の人々へのメッセージとなっています。
他者への祈りとしてこのように雄大なものがあるでしょうか。自分だけの祈りから少し成長すると、私たちは身近な家族や友人、同じキリスト集会の人たちへの祈り、知人への祈り、ほかの様々の関わりある人々への祈りと広がっていきます。しかし、数千年もの期間にわたる、世界の人々を視野に入れた祈り、というのは通常の人のなかには生じないはずのものです。
これは、神がイザヤという預言者に臨んでこのようなスケールの大きい、しかも深い祈りをさせるようにうながしたからだと思われます。
預言者とは、神に背き続けている当時の人たちのために祈り、神の言葉を命がけで伝えた人々のことです。預言者が語った言葉は、その当時の時代への言葉であって、現代の私たちにはたいして関係はないと思っている人も多いようです。しかし、預言者たちが神から受けた言葉は、そこからあふれ出て世界の人々への祈りとなっているのです。
闇の中を歩む民は、大いなる光を見
死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。(イザヤ書九・1)
このようなイザヤの言葉は、預言だと言われています。未来に救い主が現れる、それをこの言葉は預言しているのだと。その通りです。しかしこうした言葉は、預言者に多くありますが、それは単に未来に起こることを予告しているといっただけのものでは決してありません。
多くの混乱と苦しみに置かれている人々に対して、それがなぜ生じているのかその原因を指摘し、裁きを告げることもみなその奥には同じ目的があります。
それは、深いところで流れている他者への祈りです。どうか人々がよくなって欲しい、間違った道を歩いて裁きを受けて滅びることになってはいけない、神の道を正しく知って歩いて欲しい、間違っているところに気付いて悔い改め、神の道に立ち返ってもらいたい、神とともに歩む幸いを知って欲しい…という切実な祈りが背後にあるのです。
だからこそ、間違った道を歩んでいく人々はそのようなことでは必ず滅びる、神の裁きの手によって大いなる苦しみや悲しみが生じると警告し、またいかに弱い者たちであっても、罪を犯してしまった者であっても、悔い改めることによって神は大いなる救いの道、幸いの道へと導かれるのだということを知らせるために、このように随所で希望の光が存在していること、決定的な希望が訪れることを予告しているのです。
そむく者にもそのようにして愛を注がれ、何とかして救いを与えようとされる神の愛を知って、立ち返って欲しい、との願いがあります。
闇の中を歩む民、死の蔭の地に住む人々が大いなる光を見たというのは、そのような光が臨むのだから、あなた方、罪を犯した者、裁きを受けた者も希望を捨てるな、あなた方も救われるのだ、ただ神を仰ぎ、立ち返るだけでよいのだ、との祈りの込められた呼びかけとなっているのです。
預言者の言葉それ自体が、当時の人々への、そして後の幾千万という人々へのとりなしの祈りなのです。 こうした深い他者への祈り、人々が真理を知って罪を赦され、神の平和と神の国の幸いを与えられるようにと、キリストを神はこの世界に送って下さった。
そしてキリストが来られてからこの他者への祈りは、旧約聖書のときのように、特別なきわめて少数の預言者といわれる人々だけでなく、キリストを信じた人すべてがこのような他者への祈り、とりなしの祈りができるようにして下さったのです。
それが信じる者に与えられる聖霊のはたらきです。つぎにあげる使徒パウロの言葉にあるように、私たちの不十分な祈りをも、私たちに与えられる聖霊がとりなしてくださって、最善の祈りとしてくださるというのです。私たちの祈りの心が不十分でさまよいがちであっても、小さな祈りの芽を持っている限り、そこに聖霊が注がれてその小さな祈りに水を注ぎ、正しい祈りへと導いて下さる。
同様に、(神の)霊も弱いわたしたちを助けて下さる。
わたしたちはどう祈るべきかを知らないが、(神の)霊自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからである。…
(神の)霊は、神の御心に従って、聖なる者たちのために執り成してくださるからである。
神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っている。…
もし神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できようか。
わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがあろうか。
だれが神に選ばれた者たちを訴えるのか。…
だれがわたしたちを罪に定めることができようか。
死んだ方、否、むしろ、復活させられた方であるキリスト・イエスが、神の右に座っていて、わたしたちのために執り成してくださるのである。(ローマの信徒への手紙八章より)
私たちも自分の信仰が小さいとか祈りが弱いといって祈りをしないのでなく、私たちの祈りをとりなして導いて下さる神と聖霊を信じて祈りを続けたいと思います。
あなたがたの中で苦しんでいる人は、祈りなさい。喜んでいる人は、賛美の歌をうたいなさい。…
信仰に基づく祈りは、病人を救い、主がその人を起き上がらせてくださいます。その人が罪を犯したのであれば、主が赦してくださいます。
だから、主にいやしていただくために、罪を告白し合い、互いのために祈りなさい。
正しい人の祈りは大きな力があり、効果をもたらします。(ヤコブの手紙五・13~16より)
このように使徒ヤコブが教えています。パウロは互いに祈り合うということについてもその重要性を繰り返し私たちに告げています。
終わりに、兄弟たち、わたしたちのために祈ってください。
主の言葉が、あなたがたのところでそうであったように、速やかに宣べ伝えられ、あがめられるように、
また、わたしたちが道に外れた悪人どもから逃れられるように、と祈ってください。…
主は真実な方です。必ずあなたがたを強め、悪い者から守ってくださいます。(Ⅱテサロニケ三・1~3より)
キリストを信じる者とは、このように互いに祈り合う間柄だと言えます。
それは、単独で悟りを開くのでなく、また精緻な思索で孤高の存在となるのでなく、また特定の指導者が命令通りに動かすのでもなく、組織の歯車のように機械的に動かされるのでもない、また信仰箇条だけを信じているとか聖書を研究するのが中心となってしまった知的集団でもありません。
キリスト者とは、キリスト(聖霊)に導かれ、ともにいて下さるキリストにあって互いに祈り合い、そこで示されたことを各人が自発的になしていく人たちのことです。
私たちがこのように日々互いに覚えて、祈り合って生きること、それがキリストのからだとして生きるということだと言えます。
「主の祈り」
だから、こう祈りなさい。『天におられるわたしたちの父よ、
御名が崇められますように。
御国が来ますように。御心が行われますように、
天におけるように地の上にも。
わたしたちに必要な糧を今日与えてください。
わたしたちの負い目を赦してください、
わたしたちも自分に負い目のある人を
赦しましたように。
わたしたちを誘惑に遭わせず、
悪い者から救ってください。』
祈りの文で最も広く知られているのは、「主の祈り」です。弟子たちが自分たちにもいかに祈るべきか、どんな祈りが最も神の御心にかなった祈りなのかと尋ねたときに、答えられた祈りで多くの教会では礼拝のときに毎回この主の祈りがなされています。
主の祈り、それはこうした他者への祈りが最も簡潔に、また広くそして深い内容をもっているものです。「御国が来ますように」とは、神様の真実で愛の御支配が自分や他人、そしてこの世界全体に来ますようにとの願いです。壊れた心をかかえて苦しむ人間や家庭や社会に神様の御支配が来ますように、神の愛と真実が注がれますようにとの願いです。だからそれはあらゆる他者への祈りとなることができます。
本来なら罪ゆえに滅びてしまうはずの自分がこのように生かされ、救われたことは何にも変えることができない、だからこそそのような神の力がこの世のすべてに及ぶようにとの願いです。
「ご意志が、天に行われるように、地上でも行われますように。」
この祈りも同様で、地上では悪の意思が至るところではびこっているのが感じられます。
しかし、そのようなただ中で、神のご意志が行われますようにとの願いがこの祈りです。ここにも、周囲のさまざまの人々の心が、不純な人間の意志によって動かされている、だからこそ、真実そのものの神のご意志が為されますようにということも、他者へのとりなしの祈りであり、他人の前途をいつも心にかけていることを伺わせるものとなっています。
このように、他者への祈りということは、旧約聖書にはまだごく一部の内容にしか載っていないのですが、新約聖書の時代、キリストが来られてから、全く違ってきて、それが中心的な内容になっています。
それは隣人を愛せよ、敵のために祈れ、と言われた主イエスのお心に従うことであり、また実際そのようにして前に進んでいこうとするとき、神は必ず救いの御手を差し伸べられるのです。
五〇〇号の感謝
「はこ舟」は今月号で五〇〇号となり、これまでの長い年月を主が守り、導いてきて下さったことを思います。「はこ舟」のために多くの協力者が与えられ、祈りや協力費が捧げられ、制作に必要なコンピュータや印刷ソフト、プリンタなども与えられて今日に至っています。
それで、ここでは「はこ舟」誌の歩みの一端を記しておきます。
「はこ舟」誌が発刊されることになったいきさつは、創刊号によれば次のようなことでした。
今から四六年あまり前の一九五六年三月の第二日曜日の集会のときに、印刷物発刊の話が出て、そのとき現在も私たちの集会員である垣塚千代子姉が謄写刷りを奉仕したいからとの申し出があり、集会員の賛成も得られて早速有志が原稿を引き受けられ、徳島聖書研究会(徳島聖書キリスト集会の最初の名称)の同人誌として、月刊の印刷物が出されるということになりました。
翌月四月八日に第一号が発刊されています。そのあと、当時本県の地方課長をしていたY氏から思いがけない献金があり、第二号からは活字印刷となったので、謄写版刷りは創刊号のみでした。
その時に名称がいくつか考えられましたが、結局「はこ舟」となりました。それについて「はこ舟」の最初の編集者であった、太田米穂氏はつぎのように書いています。
「旧約聖書のノアのはこ舟の記事にあるように、私たちは罪深い悪の生活をしている以上、神の裁きを受けることによって滅びる他はないような存在です。
しかし、ただ一つ幸いなことは、イエス・キリストを信じることによってのみ神さまの前に正しい人であると認められ、その救いのはこ舟に助け上げられることが約束され、この世の滅亡のときが来ても、キリストの恵みによって新天地に住まう資格が与えられるので、ノアのような正しい人でなくても、ただキリストの名を信じるだけで、正しい者と認められる。
これがすなわち真の福音というものであります。現代の私たちもそのような救いの「はこ舟」に乗り込んで、滅びから免れるようにと、みなさんにお知らせする手紙の代わりのプリントの名としました。私どもはこの新天地に住まうべき望みを確信し、まだ見ぬその事実を確認して、一歩一歩聖書と日々の生活から体験しつつ前へ前へと進むのであります。」(「はこ舟」一九五六年四月創刊号より)
ちょうど「はこ舟」が創刊されたのと同じ月に(一九五六年四月十九日)、当時東京大学総長であった、矢内原忠雄(やないはら ただお)が徳島での全国学長会議に参加のため、徳島を訪れました。矢内原(やないはら)は、無教会のキリスト者の有力な指導者として全国的に広く知られていた人であり、徳島聖書研究会にも矢内原忠雄が参加されて特別集会となりました。それで「はこ舟」の第二号は、「矢内原忠雄先生来徳記念特集」と題されています。また、「はこ舟」のレイアウトなどについては、次のように記されています。
「ちょうど、矢内原忠雄先生が来徳された記念にもと、同先生発行の『嘉信』型を模倣して活字印刷発行した次第である。…」
以来、四六年という歳月が過ぎていきました。その間、最初の編集責任者であった、太田米穂氏が一九六五年に召されて、杣友(そまとも)豊市氏が次の編集を担当することになります。
杣友さんは、当初「はこ舟」といった印刷物を出していくことには反対の立場でした。
編集者であった太田氏が高齢の上、交通事故で入院したため、「はこ舟」編集ができなくなったとき、杣友さんは、一九六五年の日記には、「はこ舟百十三号にて休刊と決した。」と書いています。この時点では、杣友さんは「はこ舟」を継続する意思がなかったのです。
しかし、その少し後の日記には、「太田様から、「はこ舟」を休刊せぬようと言ってきたので、次の段取りを始めた。政池 仁(まさいけ じん)先生からも、太田兄から電話があって休刊になると知ったが、休刊するなと言ってきた」
と記しています。このように、最初の編集者の太田さんや、当時無教会のキリスト者の指導的人物の一人であった政池 仁氏からの励ましによって、休刊にしようという考えを変えて、続けることになったのがうかがえます。
こうした初期の経過を経て、数年後には、つぎに述べるように杣友さんにとって「はこ舟」の編集は神から自分に委ねられた仕事なのだと示されていったのがわかります。
初めて私が徳島聖書集会(杣友さんが代表者となってから、徳島聖書研究会という集会名は、徳島聖書集会となった)に参加して、二回目の集会で、杣友さんがつぎのように言われたのを今もはっきりと覚えています。
「私は、かつては『はこ舟』を出そうと言う提案には反対であった。矢内原忠雄、塚本虎二(つかもと とらじ)、黒崎幸吉(くろさき こうきち)、政池
仁(まさいけ じん)…など、立派な無教会の先生方の月刊の印刷物がたくさんあるのだから、これ以上くず箱のゴミを増やさないほうがよいと言って反対した。しかし、現在(一九六八年)では、定期的な発行はなかなか困難だから止めようかと思うこともあったが、神様から、発行を止めるな、と言われて続けています。」
穏やかな表情で独り言のように静かに言われたのです。当時の私は信仰を与えられて、一年半ほどでしたから、神様が「発行を止めるな」などとはっきり言うのだろうか、とふと思いつつも、いかにもさりげなく言われる杣友さんの姿を見るとそれは事実なのだと直感したものでした。
そしてそれ以後、「はこ舟」発行に関して杣友さんがいかに力を注いでおられるかもつぶさに知ることになりました。
一九六五年に杣友さんが「はこ舟」の編集を太田さんから引き継いだとき、すでに七〇歳でした。それから二八年間ほど続けられ、九八歳になる直前まで、編集を続けてこられました。このような高齢になるまで、月刊の印刷物の編集を実際に続けてきたというのは、ほかにはほとんど例がないのではないかと思われます。神からの励ましと支えによって、それを神から自分に任された大切な仕事だと知っていたからそのように情熱を傾けられたのだと思われます。
引き受けて数年後の日記には、
「…『はこ舟』編集を辞退しようかと考えたが、これは自分の信仰不足のためにこんな考えになったのである。大いに反省。私がまず先頭に立とう。そしたら孫も子も友人も動くであろう。」
と書かれています。
杣友さんにとって、「はこ舟」を書くということは、決して老人の余暇を使う趣味的なものでなく、それは神の国のための戦いという象徴的意味があったのです。「はこ舟」を伝道のために用いるわけですが、神の言葉に関して書き続け、それをこの世に提供していくということのなかに、サタンの力に対抗していく、戦いの旗印なのだという気持ちであったのがわかります。
九八歳が近づき、いよいよ限界に来たことがわかり、私(吉村 孝雄)が編集責任者として続けていくことになりました。一九九三年四月のことです。
なお、個人的なことですが、私(吉村)は、大学四年の初夏に、京都の古書店で、その矢内原忠雄の一冊の本を読んでキリスト教信仰を知らされた者です。当時私が在学していた大学の理学部には冨田
和久(とみた かずひさ)氏という、矢内原の信仰上の弟子がおられて、私もその冨田氏が主催している無教会のキリスト集会に参加することになり、キリスト者としての一歩を踏み出すことになったのです。
「はこ舟」が創刊されたちょうどその時に矢内原忠雄が徳島に来て、記念集会をされたこと、私が信仰を与えられたのも矢内原の本であり、初めてのキリスト集会に参加したのも矢内原の信仰上の弟子が主催している京都の集会であったことなど、ふしぎな導きを感じています。
そしてその一年後に徳島にかえって高校の理科教員となりましたが、そこで当時は隔月発行となっていた「はこ舟」に出会ったわけです。そのときには、杣友(そまとも)豊市氏が編集者でした。そしてその少し後から私も「はこ舟」に時々投稿するようになり、一九七五年秋に、杣友さんと話し合って隔月発行を毎月発行に変えること、毎月の原稿と出版のための費用を杣友さんと私とで半分ずつ受け持つことにして、それから私も毎月定期的に書くようになりました。
「はこ舟」は、現在は、原稿は吉村個人が書いて、レイアウトなども一九九六年からは、私のパソコンで仕上げて、それを印刷所に持っていき、増刷とのり付けをしてもらっています。これはパソコンがなかったらずっと費用も時間もかかって多くの人に気軽に用いて頂けなかったと思います。こうした印刷物の制作にはパソコンはとくに有益なものとなっています。
「はこ舟」のような月刊の印刷物を続けていくのはなかなか大変で、毎日のように県内各地での集会を持っていることもあって、時間的に執筆するのが困難なことも多くあります。そうしたなかでともかくも今日まで続けられてきたのは、神の支えと導きによって書き続けることができたこと、集会員や読者の方々の祈りと支えによって今日があると感じます。
この「はこ舟」はいろいろの人によって、聖書の学びの一つの手段として、また知人にキリスト教を知らせるためにも用いられてきました。今日まで、主がそれを用いて下さっていることを知らされて感謝です。
この「はこ舟」が神の国のため、神の言葉を告げる器として継続され、用いられるように、今後ともご加祷下されば幸いです。
休憩室
子供の詩から
きせつのプレゼント
神様は、
きせつごとにプレゼントをくれる
春は、
少し寒いから温かい風と花をくれる
夏は、
暑いだけじゃさみしいから、
せみの鳴き声をくれる
秋は、冬ごもりする動物のために
果物をくれる
冬はしんとして、さみしいから
雪をくれる
神様は、
きせつごとに、プレゼントをくれる
これは小学五年の女生徒が作った詩です。朝日新聞に掲載されていたものです。
一般の新聞や雑誌に、天地創造の神のことが出てくるのはほとんど見たことがありません。「読者の声」の欄においても、そうした内容のものは除いているようです。
そうした中では、このような詩は、珍しいことです。
なお、この詩の評者はつぎのようにコメントしています。
「…神の視点で愛の心を歌うのです。創造主(神)の愛を季節(自然)に重ねて歌ったところが光ります。しみじみとした感動のこみ上げてくる詩です。」
ことば
(142)人間がその身体で、善と真とを健康に益あるものとして感じ、反対に悪や偽りや不純を、それがたとえどんなに快いかたちをしていても、気づまりや不健康なものとして感じるようになったとき初めて、その人はまさにあるべき通りの人間に、また最良の場合にありうる通りの人間になったのである。
それまでは、どんな立派な原則に従って生きようとも、いぜんとして悪の影響のもとにあるのだ。(ヒルティ著「眠れぬ夜のために」 第一部 四月十七日の項より)
・このように、心とからだ全体で、善きものや真実なものを心惹かれるものとして感じるとき、たしかに悪をも直感的に嫌悪を感じて退けることができると思われます。そしてこのためには、そのような善きものの根源である存在(キリスト)が私たちのうちに住んでくださることがぜひとも必要なのです。
(143)始めることを忘れなければ、人は老いません。七十五歳を過ぎてこそ始める必要があるのです。…
志(こころざし)は高く、暮らしは簡素に。
生活習慣の大切さに早くから配慮した人の人生は実りも大きく、侮った人の人生はむなしいものになるでしょうね。(「朝日新聞」二〇〇二年二月二五日」より日野原
重明氏の言葉)なお、日野原氏は九〇歳、聖路加国際病院の理事長など六つの財団のトップを務めている。現在も医者として診察を続けており、この朝日新聞の記事も、移動の車中でようやく実現したとのことです。現在も国内各地だけでなく、外国にもしばしば講演に出かけている。聖路加とは、ルカ福音書を書いた、聖ルカのこと。
・老年になっても新しいこと、良きことを始めるには、内にそのようにうながすものをもっていなければそうした心は生じません。そのようなものがなければ、もし初めても永続できないと思われます。死が近づいてもなお、日々新しくする力を持って、新しい心を与えるもの、それは死を克服されたキリスト以外にないと信じます。
「造り主の姿に倣う新しい人を身に着け、日々新たにされて、真の知識に達する。」(コロサイの信徒への手紙三・10)
この「新しい人」とは、いまも生きて働くキリストであり、聖霊を日々受けることを意味しています。
(144)伝道と十字架
伝道は人を救うことである、救いのためには、犠牲は不可欠である、犠牲がなくして救いはない、救いにつながらない伝道は伝道でない。伝道は単なる説教ではない、また著述ではない。
伝道はひとのために、あるいは人に代って苦しむことである。
十字架を負うてキリストの後に従うとは、ただに自分に臨んだ艱難に耐えることではない、ひとに代ってその罪を担うことである。
伝道は十字架である、犠牲をもって人を救ぅことである。(「聖書之研究 一九一三年四月号」)
・最大の救いを人類に与えて下さったキリストは、全くの無実であるにもかかわらず、最大の犯罪人として十字架で釘付けられたことを思います。私自身は、一冊の本でキリスト教信仰を与えられましたが、その背後にそれを書いた著者が信仰によって多くの苦しみを担って来られたことを後で知らされました。キリストの福音が伝わる背後には、つねに誰かがどこかで苦しんだ跡が刻まれています。