20033月 第506号・内容・もくじ

リストボタン応答してくださる神

リストボタンナイチンゲールの苦しみ(伝記からの紹介)

リストボタン愛と時間

リストボタン悪を滅ぼすもの

リストボタン戦争と平和について 内村鑑三(*)の言葉から

リストボタンキリストから呼ばれた人 水野源三 詩

リストボタン 返舟だより


st07_m2.gif応答して下さる神

 聖書に言われている神、唯一で天地創造の神を信じる人は、日本ではごく少ない。世界的にみても異例のことである。
 どうしてそんな神を信じられないかというと、この世の数々の矛盾や戦争、暴力などがあるのにそんな神がいるはずはないという気持ちも一因である。このように、目に見える出来事を見ているだけでは、私たちは決して唯一の神を信じることなどできないだろう。
 逆に神などいないと思わせるようなことはいくらでもある。
 しかし、そのような悪や混乱のただなかで、どうして世界の数知れない人々が唯一の神を信じることができるようになったのだろうか。
 それは私たちに答えて下さる神を実感したからである。もともと、信仰の父と言われるアブラハムも、神からの語りかけをはっきりと感じて、その神に応えて従ったのであった。応答して下さる神を実感したとき、人はいかなる矛盾や混乱にもかかわらず神を信じるようになる。それは当然であろう。神からの語りかけ、神の平安、神の国の喜びを実際に感じるのであるから神がおられるのを疑うことができなくなるのである。
 そうした応答して下さる神ということは、すでにキリストより五〇〇年以上昔から旧約聖書(イザヤ書)に記されている。ここではそうした箇所から学んでみたい。 

イザヤ書とは、今から二五〇〇年以上も昔に書かれた書物である。イザヤという人物が神の言葉を受けて、語った期間(預言者として生きた期間)は、紀元前七四〇年からおよそ六〇年ほどにもわたると言われる。しかし、以下にあげた、六五章を含む五六章以降は、内容や言葉、書かれている状況などからもっと後期の、キリストより、五百三十年ほど前に特別に神の霊を受けた人によって書かれたものと考えられている。
 旧約聖書には民族としての苦難に直面した状況がしばしば生々しく描かれている。外国の大国が責めてきて、それによって町々は破壊され、多くの人は傷つけられ、殺された。その上、数知れない人々が遠い異国であるバビロンへと連れて行かれたのであった。そのような事態になって、どうして神は聞いて下さらないのか、という深刻な疑問が人々の間に生じてきたのである。

…神はどこにおられるのか。
モーセによって海のなかにも道をつくって、襲ってくるエジプトから救い出された神、
そして民のうちに、聖なる霊を置かれた神、
その神は、どこにおられるのか、…

どうか主よ、天から見て下さい。
わなたの熱情と力ある御業、
あなたのあふれる思いと憐れみとは
いま、抑えられていて、示されていない。 (イザヤ書六十三章1115より)

私たちの聖なる町々は荒野となった。
私たちの輝きであり、聖所であり、先祖が神を讃美した所は、
火に焼かれ、廃墟となった。
それでもなお、主よ、
あなたは、黙して私たちを苦しめるのですか!(同六四・911より)

 このように、苦難のときには神がおられるということがわからなくなる。かつては海に道をつくってその万能を現された神、その神の働きは今はまったく見られない。どうか主なる神よ、私たちにあなたの御業を示して下さい! あなたの憐れみや愛がどこにも感じられないのです!

 こう神に向かって叫ぶ心の状態がこの箇所ににじみ出ている。
 私たちもまた、しばしばこの著者と同様に、神に向かって訴えることがある。「神が私のこの苦しみをどうして見ては下さらないのか、神は愛であると言われているのに、そしてかつてはその愛を実際に感じていたのに、今は私にはその憐れみすらも抑えられて感じることもできない…」と。
 このように、神を信じる人があまりの苦しみや悲しみに打ち倒されそうになりつつも、必死で神に、み姿が見えるように、そのわざが分かるようにと、懸命に神に向かって叫ぶ姿がある。
 こうした叫びは旧約聖書の詩集といえる、詩篇にも多く見られる。
 そしてそのような叫びと祈りこそは、神のみ許に届けられる。このイザヤ書においても、つぎのような神からの応えが記されている。
 それが次の聖書の言葉である。

わたしに尋ねようとしない者にも
わたしは、尋ね出される者となり
わたしを求めようとしない者にも
見いだされる者となった。わたしの名を呼ばない民にも
わたしはここにいる、ここにいると言った。

 背く民、思いのままに良くない道を歩く民に
絶えることなく手を差し伸べてきた。(イザヤ書六五・12

 人間がまず働きかけたのでなく、まず神の側からこのように、たえず働きかけておられるのであった。聖書においては、このことが基本的な事実となっている。神など存在しないと考える人にとっては、人間か、偶然か、あるいは運命などのいずれかが人間を動かしていると考えている。
 しかし、神を信じる者にとっては、その神は生きて働いておられる神であるゆえに、必ず聞いて下さっているし、その応答を与えて下さる神なのである。
 人間でなく、神の方からまず、働きかけていて下さっている。ここに神の愛がある。神の生きた命がある。人間であっても、心が愛にうるおされているとき、苦境にある者を放置しておくことはしないであろう。相手が来るのを待つのでなく、こちらから出かけていくだろう。それと同様に、神は完全な愛のお方であるから、人間が求める先から私たちに働きかけてくださっている。
 まだ尋ねようという意思がないような者にすら、神は現れて下さるのである。

わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さった。(Ⅰヨハネの手紙四・1019

 ヨハネの手紙が繰り返し強調しているのは、このことである。これは一見意外なことが言われているようであるが、これは神の愛にふさわしいことなのである。
 愛するとは大切に思うということである。キリシタン時代には、「愛」という言葉は、「執着」というニュアンスが強いために、聖書に現れる神の愛のことを、「ご大切」と訳した。それは、神の愛のある側面を言い表している。あるものを愛するとは、それを大切に思うことである。私たちは神を大切な存在としては、だれでも全く思ってもいなかっただろう。私自身、愛や真実に満ちた神が存在するなどとは夢にも思わなかったし、周囲の生徒や教師たちも同様であった。私は神を大切なものとはまったく思っていなかったのである。しかし、驚くべきことに、一見いないと思われる神が、私のことを「大切に思ってくれていた」ということに気付いたのは、ずっと後であった。
 
 このように、神の方から私たちに絶えず語りかけてくださる、応答してくださる神の姿は、つぎの箇所にも印象深いかたちで記されている。

彼らが呼びかけるより先に、わたしは答え
まだ語りかけている間に、聞き届ける。 (イザヤ六五・24

 神の定めた時至れば、新しい天地が創造される。そのときには一切が新しくされる。その重要な内容がこの言葉で現されている。それは魂の深いところで応答して下さる神ということである。
 私たちは人間関係でも、応答の欠如によって悩まされていると言えよう。
 だれかに何かを話しかけても、その人が返答もしないとき、その人間関係は成り立たない。同様に、手紙を出しても返事も来ないという状態になると、その両者の関係はすぐに冷えていくだろう。
 山や川、大空など自然に対しても同様であり、私たちがそうした自然に呼びかけるとき、自然が応えてくれると実感するとき、その人はますます自然との対話、交わりの世界へと進んでいく。実際はしばしば逆であって、私たちが呼びかけるよりずっと先から、自然の方からありとあらゆる変化や美しさ、力、壮大さ、清さなどをもって、私たちに語りかけているのである。しかし、私たちの方がそれに全く反応せずに、答えもしない。そのような状態では自然と人間との関わりは深まらず、消滅してしまう。
 また、応答があってもそれが不真実なもの、愛のない応答であればいっそう互いのつながりを弱めたり、断絶したりすることになる。例えば悪口、非難の言葉の応答となると、そのような応答などはしないほうがよい。結局私たちが求めているのは単なる応答でなく、愛と真実のある応答だということになる。
そしてそうした応答を人間は十分になすことは到底できない。精一杯真実に応答したと思っても、自分の弱さが分かっていないからそれが大きな嘘となり、不真実となる場合がある。
 聖書の例でいえば、ペテロは主イエスがもうじき殺されるとほのめかしたとき、「死んでも従っていきます!」と勇気ある応答をした。しかしそのすこし後になって、主イエスが捕らわれていった後で、三度も激しく主イエスと関わりある人間でないと言ってしまったのである。
 このように、命がけで、主に従っていく、という真実にみえる応答は嘘となり、不真実な応答にすぎなかったことになる。
 人間同士で真実な応答を求めていっても、このように誰もがおそらく私たちはすべて不真実な応答関係にあることを思い知らされるであろう。人は未来に生じることは分からないし、現在生じていることにも考えが様々であり、また見抜くことができないために間違って事態をとらえていることも多い。そうなるとやはり不真実な応答だということになってしまう。
 こうした中で、ただ神、あるいは主イエスの応答だけが、真実なものだと言えよう。このイザヤ書の箇所は、私たちの前途がこのような生き生きとした神との応答があるものに変えられるという約束である。そしてその約束は、はるか未来とか世の終わりなどの、いつか分からないような遠くのことでなく、私たちが生きている今、部分的にせよ与えられるという約束でもある。
 福音書において、こうした神の応答、主イエスの応答ということはどこに記されているだろうか。
 応えて下さる神がもし、はるか彼方にのみ存在するのなら、十分な応答は期待できない。しかし私たちのすぐ近くにいて下さるならば、すぐに答えて下さるであろう。
 キリストの復活以後は、そうした応答してくださる神は旧約聖書のときと比べると比較にならないほど近くに来て下さった。それは、パウロが述べているように、私たちの内にキリストが住んでくださっているほどである。私たちのからだは、神が住んでいるのである、あなた方はそれが分からないのか、とパウロがギリシャのある都市の信徒たちに教えている箇所がある。

あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのか。…あなたがたは神殿なのである。(Ⅰコリント 三・1617より)

 また、私たちの存在の中心にキリストが住んで下さっていることについてはつぎのように言われている。
信仰によってあなたがたの心の内にキリストを住まわせ、あなたがたを愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださるように。(エペソ書三・17

 また、次の箇所はよく知られている。

生きているのは、もはやわたしではない。キリストがわたしの内に生きておられる。(ガラテヤ人への手紙二・20より)

 これらに共通しているのは、キリストは旧約聖書の時代と違って、いかなるものよりも近いところ、すなわち私たちの魂の内に住んで下さっているということである。
 私たちの内に住んで下さっているのなら、最も近い存在であり、いつでも会話ができる状態にある。
さらに、キリストは最後の夕食のときに、聖霊を待ち望む者すべてに与えると言われた。
 その聖霊による新しい交わりこそは、ヨハネがその手紙で述べているように、神の命との交わりなのである。

わたしたちが見、また聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたもわたしたちとの、(神のいのちによる)交わりを持つようになるためである。わたしたちの交わりは、御父と御子イエス・キリストとの交わりである。(Ⅰヨハネ一・3

 このような、神とキリストとの交わりとそれを基にした他者との交わりにおいては、いつもふさわしい応答が与えられる。応答の欠如に悩む現代、愛の冷えてきつつある人間関係のただなかにあって、真に私たちを満たしてくれるのは、このような生きた応答の世界であり、それが聖書の約束していることなのである。

 


st07_m2.gifナイチンゲールの苦しみ(伝記からの紹介)

 看護の世界で、ナイチンゲールと言えば、現在でも世界的にその名を知られている。しかし、彼女の心にどのような世界があったかは、日本ではほとんど知られていないと思われる。
 彼女の伝記は、子供用の伝記やマンガなどではよく見かけるが、以前には正式な伝記は一般出版社からは出ていなかった。しかし、一九八一年に上下二巻で、計八〇〇頁を超える詳しい伝記が出版された。
*
 私はそれによって初めてナイチンゲールの歩んだ跡を詳しく知ることができた。ここでは、こうした本に親しむ機会がない多くの人たちに、ごく一部であるがとくに彼女の若いときの内面の戦い、苦しみなどを中心にして紹介したいと思う。

*)「フロレンス・ナイチンゲールの生涯」現代社

 ナイチンゲールは一八二〇年、家族が旅行中に、イタリアで生まれた。生まれた地名をとって、フローレンスと名付けられた。彼女の両親は豊かな家に育った人たちで、何年でも外国旅行する余裕があるような人であった。家族で、晩餐会、舞踏会などをして客をもてなして過ごすような社会階級の一員であった。
 ナイチンゲールはこのような華やかな家庭に育ったが、その心の内にはそうした華やかさにうち解けない全く別の風が吹いていた。
 彼女は、まだ十六歳のとき、神の声を聞いた。彼女は、若い頃から個人的なメモ、日記のようなものを書き留める習慣があった。彼女の家庭は、家族同士の対立と性格の対立などから穏やかなものではまったくなく、家族のなかにうち明ける相手がいなかったことも影響して、フローレンスはことあるごとに、自分の本当の気持ちや考えを書き留めていったのである。それは小さい紙切れや、吸い取り紙、カレンダーの裏、手紙の余白など手当たり次第に用いたという。それらが残されているために、ナイチンゲールの若いときからのさまざまの苦しみや悩みをつぶさに知ることができる。
 彼女が受けた、決定的なことであった神からの呼びかけということも、その私的なメモの中に書かれている。
「一八三七年二月七日、神は私に語りかけられ、『神に仕えよ』と命じられた。」
 このとき、彼女は、十六歳であった。そしてこのような「神の声」は、生涯のうちで、四度語りかけてきたという。そしてそれは初めて病院勤務の職に就く前や、彼女を看護婦として世界的に知られるようにしたクリミヤ戦争の前など、彼女の人生のうちで、とくに重要な時に語りかけてきた。
 しかし、初めて神からの語りかけを聞いた時には、どのようにして神に仕えるのかはわからなかった。彼女がそれ以後、耐え難いようなさまざまの苦しみに遭遇しながらも、看護婦の道へと進むことができていったのは、その「声」の主である神への信頼と、神からの見えざる導きによっていたのである。
 看護婦の道に進むことがどうして耐え難いような苦しみを伴ったのか、それは現在の看護婦(看護師)の社会的地位を見ていてはまったく分からない。
 以前からナイチンゲールは悩み続けていたことがある。それは自分の罪であった。
 「私はあらゆることを他人からの賞賛を得るためにやっている」と書いて、自分は人間の集まりのなかで、注目の的になっていないと気がすまないところがある自分に気付いたと述べている。神から、「私に仕えよ」との声を聞いたが、それが具体的に何を意味するのかなかなか分からなかった。神からの答えを与えられるためには、こうした社交界で人に目立ちたい、誉められたいといったような気持ちにうち勝たねばならないのだと悟った。

二十四歳になる少しまえに、つぎのようなことを書き残している。

「私のように二重、三重もの罪を犯した人間が、さらに罪を犯すとどうなるか、この苦しみはだれにもわからないだろう。神をこれほど苦しませた人間はいないだろう。誰にもまして恵まれた環境にありながら、私は罪を犯してしまったのだ。」

 ここでいう罪がどのようなものであったのかは分からない。罪とは心の汚れであり、不純な心であり、愛のない心、自分中心の心である。それは聖書やキリストの言動に示されているどこまでも高い標準と比べるようになると、自分の罪ふかさが浮かび上がってくる。
 彼女が二十四歳のころに書いた手紙にはつぎのように記されている。
「何千、何万の苦しんでいる人々の存在を思うとき……農民たちの小屋という小屋には、同情さえも受け付けない苦しみが満ちているのを目にするとき ― そうしてこの世はすべてあいも変わらず朝ごとに同じことを繰り返している。 ― そしてこのさまよえる地球は永遠の沈黙を守りつつ、何事もないかのように、これまた冷徹な星々の間を、その単調な軌道のうえを、容赦なく回り続けるのです。こんなことなら死よりも、生きている方がいっそうわびしいというものです。」
 目覚めてきた魂にとって、苦しみがかくも至るところにあること、そしてそれがどうしようもなく存在して続いていること、人間はそうした広範囲の苦しみに対してほとんど何もできないこと、この広大な宇宙のなかで、地球や星々はそうした苦しみをまったく知らないかのようにまわっている。こうした何の言葉も暖かみもない、星々の世界にそのまま飲み込まれていくのか、この人生が謎のようなものを含んでいるということを、ナイチンゲールは若きときからこのように深刻に悩んでいたのがうかがえる。
 その一年ほどあと、彼女は、ある社会的地位もある人から結婚の申し込みを受けた。彼女は、ふつうの上流階級の人生を送ることを断念していたために、その申し出を断った。しかしそれによって相手の人は打撃を受け、その家の人とは絶交になった。それまでにも数々の悩みと苦しみにさいなまれていた彼女は、そのことによっていっそう苦しみもだえた。
 
「ああ神様、神様、どうしてあなたは私を見放されたのですか!」という以外に言葉もありません。もう私にとっては人生は真っ暗闇です。このようなとるに足らないことでどうして私たちはこんなに苦しまねばならないのか。…」と、このころの手紙には書かれてある。

 ここで、少し病院に関わる歴史的なことに触れておきたい。
 ヨーロッパの病院は、中世において、キリスト教の愛の精神によって、貧しい人々、病気の人々などを、収容して世話をする施設にその起源がある。日本における病院
*もそのヨーロッパのキリスト教精神から生まれた制度をモデルとして造られていったものである。

*)日本では、「病院」という言葉は、一七八七年刊の森島中良編の「紅毛雑話」にオランダの病院の紹介がなされたときに用いられたのが最初である。

 ナイチンゲールの生きた時代は、日本では江戸時代にあたるが、その頃は、病院で病気治療を受けるどころか、たべる食物すらないという大飢饉が、寛永の飢饉、享保の飢饉、天明の飢饉、天保の飢饉など、四回も発生している。天明の大飢饉の時など、東北地方では、飢え死にや栄養不良からくる多数の病死などで、村の人口の三分の一にまで、減少してしまったところもあるほどであった。徳川幕府は農民に対して「生かさぬように、殺さぬように」圧制を続けていったから、病院のような施設を造って病人を集めて治療しようというような発想はとても出てこなかった。
 このような日本の状況に対して、ナイチンゲールの時代のイギリスにはすでに各地に病院があった。しかし、病院の状況は現代と比べると考えられないほど劣悪なものであった。
 それは悲惨と堕落、不潔の巣窟のようなところであった。部屋は現代のような電灯がなかったから、薄暗く陰気で、汚物と衛生設備が整っていないために生じる病院特有の悪臭は当然のこととして放置されていて、その臭気があまりにも強烈なために、初めて病棟に足を踏み入れた人は吐き気を催すほどであった。さらに、床は掃除もされず、患者の屎尿設備もないために、汚れがべっとりとしみつき、それを洗うととても石鹸水と思えないような悪臭を放つのであった。
 冬は暖房のため何ヶ月も窓を締め切ってしまうので、壁は冷やされて生じた水滴がしたたり落ち、カビやコケが生えてきて、異様な臭気が出てくる状態となる。
 患者はコレラがひそむ貧民窟といわれるようなところや家畜小屋、地下室などから続々と来て、いろいろの酒類も持ち込まれ、目を覆うような凄絶な光景が繰り広げられ、半死状態の患者同士が争ったり、警察が呼ばれたりすることもあったという。病人は汚れきって入院し、からだを洗うということはほとんど全くなされなかった。ベッドもまた不潔で、新しい患者が入ってきても、前の患者が使ったままのシーツをそのままにして寝かせるのが当たり前で、洗濯などまずされなかった。
 しかしこのような驚くべき状況すら、ナイチンゲールを妨げるものではなかった。それ以上に困難な障害となったのは、当時の看護婦たちの不道徳さにあった。社会的身分のある子女が看護婦になるということは当時はあり得ないことであった。彼女たちは、病棟のドアの外の階段の踊り場にある木製の檻(おり)のような部屋で寝泊まりしていたが、ふつうの女性なら到底寝られるような場所でなく、騒音もひどく、夜勤の看護婦が昼間に休憩するなど不可能であり、光もなく風も通らない。また看護婦たちは、病室以外に住居を持たず、病室で生活し、眠り、そこで炊事することもあったほどである。
 一名の看護婦がおびただしい患者を受け持ち、夜勤看護婦一名が、四つの病棟を受け持っていた例もあったという。
 しかも、看護婦たちは大酒のみで、婦長も同様であった。また、看護婦の寝泊まりする場も男子患者の病室で一緒に寝泊まりするようなことも公然と行われていて、品性の堕落したような女が多かったという。
 このような状況を知れば、当時のふつうに育った女性が看護婦になるということがいかに考えられないことであるかがわかる。ナイチンゲールの場合は、上流階級の人で、いわゆる貴婦人たちの社会にいたので、そのような人が、こうした職業に就くことはいまわしいこと、考えられないことであった。「病院」の看護婦になるということは、当時は「世にも恐ろしい言葉」であったという。
 ナイチンゲールが二四歳になったとき、アメリカの社会事業家で盲学校も初めて創設したサムエル・ハウ博士と会う機会があった。そのとき、彼女は自分のような、上流階級にある若い女性が病院などで看護婦の仕事に一生を捧げることについてどう思うか尋ねた。そのとき、ハウ博士はつぎのように答えた。

「それは確かに異例のことです。しかし私は『進みなさい』と言いましょう。
 もし、そのような生き方が自分の示された生き方だ、自分の天職だと感じるのであれば、その心のひらめきに従って行動しなさい。他者の幸いのために自分の義務を行っていくかぎり、決してそれは間違っていないということが分かってくるでしょう。
 たとえ、どんな道に導かれようとも、選んだ道をひたすら進みなさい。そうすれば神はあなたと共にあるでしょう。」 

 ナイチンゲールの後の生涯はこの言葉に沿っているのがわかる。彼女が看護婦として歩もうとする道にいかに多くの障害があったか、それを詳しく知るにつけても、まったく道のないところをある強い力に引かれて行ったという感を受ける。彼女はときには動けなくなり、またときには後退し、ときにはいわば迷路にはまりこむというような困難な歩みを続けていったのである。そして確かに神は彼女とともにおられて、最終的には彼女のはたらきを用いられたのだとわかる。
 このような励ましの言葉を受けたこともあって、彼女が神からの声を聞いてから七年の歳月を経てようやく、自分の天職は、病院に収容されている病人のなかにこそあるという認識に達した。 彼女が看護婦になることを両親に言ったときに、当然のことながら両親は嫌悪感とともに激しく反対したのも、当時のこうした看護婦社会の実態を見ればうなづける。
 翌年二五歳のとき、彼女は両親や家族に自分の希望を言った。母親は驚きと恐れのために、震え上がった。それは病院のむかつくような面より以上に、医者や同僚看護婦たちの品性によって汚されるという思いであった。なおも彼女が自分の希望を主張したとき、母親は恐れから怒りに変わった。そして娘が品性卑しい医者と隠れた恋に陥るような恥知らずなことに心を奪われているとか、社会の下層階級から来ている看護婦たちによって汚されるというようなことを言った、そして母親は激しく泣いた。母親にとって、娘のフローレンスは自分がながらく築いてきたものを根底から打ち壊していくように見えたのであった。
 母親は看護婦になるなどは恥ずべき願いだとし、父親も「看護などという愚かなことを!」と軽蔑をこめて語った。
 こうした強い反対にあって、ナイチンゲールは家族のなかでも全く孤立し、彼女は敗北感と、無力感にうちひしがれ、何をする元気もなく、ふさぎ込んでしまった。「年ごとに若さを失っていくだけで、私が生き続けていても何に得るところもありません。…私は塵芥(ちりあくた)ほどの価値もない人間です。ああ、何か、強い力が働いて、このいまわしい人生を過去に押しやってくれないものでしょうか。」とこの頃の手紙に書かれている。
 この頃の彼女がいかに、精神的に打撃をうけ、悩み抜いていたかはこの頃のメモなど書かれたものによく表れている。

 やはり二十五歳のころ、彼女はつぎのように書いているという。

「…私はどん底まで落ち込んだ。私のみじめさと心の空しさはとても筆舌に尽くせるものではない。」
「…今朝の自分は、涙に魂までも流れ果てる思いである。胸をえぐる悲しみ、孤独の苦しみ、このどうしようもない淋しさ、……」
「もう私は生きていけない。主よ、どうかおゆるし下さい。そしてどうか今日私に死を与えて下さい。」
「…黄泉(よみ)の悲しみが私を取り巻いている。どうか神様が私の魂を黄泉の世界に捨ておかれませんように。」
「…鋤で魂をえぐられる思いだ。」

 こうした苦しみはなおも続いていく。彼女が三十歳になったころに彼女はだれにも言えない心のなかの叫びや苦しみを書き記していた。それは鉛筆のなぐりがきで、筆跡も不安定、判読できないほどのものであった。
「三月七日 神は朝、私を呼ばれて、神のために、ただ神のためだけに、わが身の名声を顧みずに、善をなす意志があるかと問われた。」

三月八日 つぎの質問についてじっくり考える。女子修道院長はこう私に問うた。「あなたは、全世界を支配されている神と、あなたの小さな名声との板ばさみになって、万が一にも迷うのですか。」

五月十二日 今日で私は三〇歳、キリストが伝道を始められた年だ。もう子供っぽいことはたくさん。人を好きになることも、結婚ももう結構。
 主よ、どうぞ御心のみを、私への御心のみをなして下さい。主よ、御心を、御心を。

五月二十一日 私は三〇歳。…ただ神の御心のみを全うし、自分の栄光を願うことのないように…。

六月七日 …こんな最悪の状態に落ち込んだことは初めてだ。三〇歳になったら、自分の魂はいやされると思っていた。もう八ヶ月間も…ただの一日たりとも私は罪を犯さなかった日はない。…この実に憐れむべき私を、この死のからだから救い出してくれるのは誰であろうか。
六月一七日…一晩中眠れず、肉体も精神も衰えきって、もうだめ…。私は奴隷同然。…ただもう眠ること以外にこの世では望むことはない。
七月一日 寝床に伏し、神に救いを求めて祈る。

 以上のような記述は、だれにも見せるということがないはずの紙切れやノートの端などに自分の心の叫びとして、また孤独な彼女が書くことによって気をまぎらわせ、倒れそうになっている心、誰とも深い交わりのできない苦しみをただ書かずにいられない気持ちから書き続けたその内面をよく表している。
 こうした深い苦悩と悲しみ、孤独のなかで、彼女は三〇歳を過ぎても苦しみ続けたのである。貴婦人といった生活を約束されていた時代において、そこから自由に出て、自分の天職だと信じる方向に進むことがきわめて困難であって、そのために家族とも周囲の人たちとも大きな分裂や戦いを余儀なくされていったのがよくわかる。
 そしてそのような苦しみと孤独のなかから、どこかにその倒れそうになる心を抱えて書かずにはいられなかった気持ちが、彼女のこうした私的メモには赤裸々に現れている。
 死ぬほどの苦しみ、死んだほうがましだというほどの苦しみと絶望感は、聖書における、ヨブを思い出す。ヨブは信仰深き人間であったが、突然のおそるべき不幸というべき出来事がつぎつぎと生じて、自分自身のからだにも、ハンセン病のようなたえがたい病気が現れ、耐え難い苦しみとなった。そのときに、ヨブは自分が生まれたことも忘れられたらよいのにと強い願いを持つようになった。

…わたしの生まれた日は消えうせよ。男の子をみごもったことを告げた夜も。
その日は闇となれ。
なぜ、わたしは母の胎にいるうちに
死んでしまわなかったのか。
せめて、生まれてすぐに息絶えなかったのか。
静けさも、安らぎも失い
憩うこともできずに恐れふるえる。(旧約聖書・ヨブ記三章より)

 こうした深い苦しみは、旧約聖書の詩篇二三編にある、「死の陰の谷」を思い起こさせる。
 また、中世の大詩人ダンテは、やはりさまざまの大きな苦しみをなめた人であった。彼の詩「神曲」が、七〇〇年にわたって、大きな影響を与えてきたのは、なぜか。それは一つには彼の深い苦しみがもとにあったからである。そのことは、神曲の冒頭の部分でうかがうことができる。

人生の道のなかばで
正しい道を見失い
目覚めたときには暗い森のなかにいた。
その森が、いかに厳しく、荒れ果てていたか、
そのありさまを語ることが、いかに難しいことか!
その森のことを思い出すだけでも、恐れが新たとなり、
死の苦しみにも劣らないほどの苦しみとなる。(神曲・地獄編第一歌より)

 ナイチンゲールの味わった苦しみはこのような苦しみと同様なものであったのが推察できる。
その深い闇を通っている間は、私たちはそれが後になってよい実を結ぶのだなどとは到底考えることができない。ただ、襲いかかる苦しみや痛みに必死に耐えて、一日一日を過ごすのが精一杯なのである。耐えきれないと思う心も押し寄せる。そのようなとき、「主よ、どうして私たちを捨てられるのか、どうして来て下さらないのか!」という深刻な疑いが生じることになる。
 しかし、神は人間に数々の重荷や苦しみを与えることによって、人間の考えや計画をはるかに超えたところで、神が導いておられるのを学びとるようにされる。
 ナイチンゲールはこのような長い孤独な苦しみと戦いに耐えつつ、看護婦を目指して歩んでいった。その結果、彼女の歩みは看護という世界にまったく新しい世界を示していくことにつながっていった。 神が何か大いなることを人にさせようとするときには、まずその人を深い苦しみに落とすといわれるが、ナイチンゲールの場合もまさにそうであったのである。
 聖書にも、使徒パウロが神の光を受けて、キリスト教の迫害者から突然変えられたとき、パウロに新しい使命が告げられた。その時に、主の言葉が次のように告げられた。

… すると、主は言われた。「あのパウロは、異邦人や王たち、またイスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器である。
わたしの名のためにどんなに苦しまなくてはならないかを、わたしは彼に示そう。」(使徒行伝九・1516
 
 私たちはこうした歴史における実例を知ることによって、神の導きがどのようなものであるかを改めて知らされる。

 


st07_m2.gif愛と時間

 愛とは時間をかけることである。ふつうの人間的な愛で愛しているものにも、時間を注ぐ。心でいつも思うということは、いつも時間をそのためにかけているということである。
 何かを、私たちが愛しているかどうか知りたかったら、そのためどれほど時間をかけているかを見ればわかる。
 主イエスは、夜を徹して祈られた。それは神からの力を受けるため、そしてその神の力によって周囲の人間のために祈りを注いだからであった。
 愛はまた祈りと結びついている。私たちが神の愛をもって、ある人を本当に愛しているときには、絶えず祈る心で見つめることになる。祈る時間を持たないということは、愛する程度が少ないということになる。
 神を愛し、人を愛せよと言われた。自然のままの人間は、自分のために時間を使う。自分だけを愛しているからである。そうした本性から脱して、自分の外側にある存在、神と他者に心のエネルギーを注げと言われている。
 神に心を注ぐとき、私たちはたしかに力を受け、平安を与えられる。たとえそのような力や平安がすぐに与えられないような時でも、あきらめないで神に心を向け続けているとき、時がくると新しい力が与えられる。さらに不思議なことが生じたり、必要な人との出会いが与えられたりする。
 老年や病気になると、ふつうの仕事はできなくなる。しかし、時間が与えられる。それはまず病気がはやく治るための休養のためであるが、それはまた他者への祈りのためにも与えられているのだと言えよう。
 今から七〇年ほどまえに始まった「祈の友」という集まりが、いまも続いている。それはもともと結核の重症患者から生まれたもので、病気が重くてふつうの仕事はできなくとも、隣の病棟の病者のために祈ることができるということから始まったのであったのも、病気が祈りの時間を与えるものだということを思い起こさせる。
 神への愛のために時間を用い、人に対しても神から受けた愛をもって時間を用いること、そこに祝福がある。

 


st07_m2.gif悪を滅ぼすもの

 今度のイラクに対する戦争はテロの悪魔との戦いだという。ここには、悪は武力でなくすことができるという考え方がある。
 しかし、そもそも悪は武力によってなくなるのか。悪そのものと悪人とは、全く異なる意味がある。 誰か悪人がいるとして、その悪人を死刑にしたところで、その悪人が持っていた悪はなくなるだろうか。決してなくなりはしない。その悪は形を変えて別の人間や国を動かしていくだけである。
 それは、具体的にはより広範囲のテロや混乱が生じること、あるいは、軍備のさらなる拡大競争という形となる可能性が高い。それとともに、国々が正義を軽んじ、目にみえない真理を無視して、武力に頼ろうとし、必要なときには相手を武力攻撃しても構わないといった発想がはびこることである。また、一般の民衆のなかに、戦争を引き起こすことになった当事者であるフセインとかアメリカへの怒りや憎しみを造り出して、不安な暗い心を生み出すことである。
 個人の場合について考えても、死刑をどんなに増やしても、やはり悪はなくならない。死刑を増やして悪が一時的に減るようなことがあるとしても、それは恐怖からであり、悪を内在化させただけで、悪そのものも滅ぼすことにはつながらない。
 逆に善もまた、死をもってする迫害によっても滅ぼすことはできない。江戸時代はキリスト教徒であるというだけで、死刑にすることが行われたほどであったが、ついにキリスト教を滅ぼすことはできず、そのような政策を実行していた徳川幕府が滅んでいったのである。
 戦争によって一時的に悪い支配者を倒すことはできるかも知れない。しかし軍事力という人の命を奪う力によって悪人や悪い政府を倒しても、彼らを動かしていた悪そのものを倒すことはできない。
 また、戦争になると、弱い立場にある、子供や老人、病人や障害者の人たちが犠牲となったり、大きな苦しみを受けることになる。そのようなことを引き起こすこと自体が大いなる悪である。悪を滅ぼすといいながら、一般の市民を無差別的に殺傷するというひどい悪を犯していくのである。こういうことだけ考えても、武力が本当に悪そのものを滅ぼすことはあり得ないのがわかる。
 悪とは霊的なもの、目には見えないものである。人間が悪いことをするのは、悪の霊がその人間に入って悪をさせるのである。このことは、ときどき普通の生活では到底犯罪など犯さないような人が、思いもよらない悪事をして明るみに出るということからもわかる。そうした悪事は、人間を動かして悪へとさし向ける目に見えない力(そうした力を聖書では悪霊とかサタンといっている)がなさしめているのである。
 同様に善というのも、霊的なものである。究極的に善きものは、聖書では聖霊と言われている。
 聖書の真理は、悪の問題についてどう言っているだろうか。ある種の人間だけが悪人であって、あとは善人であるなどとはまったく言っていない。人間はもともと、悪の霊にとりつかれている。それゆえ、真実なことに背き、自分中心に生きている。そのことを罪といっている。
 罪があるかぎり、人間はいつ突然に変わってひどいことをするかも知れないのである。
 今回のような戦争を起こす考え方の誤りの第一は、このように、悪は武力によっては滅ぼされないという事実を知らないことである。
 つぎに明白な間違いは、自分たちアメリカは正しい、相手だけが悪いのだという発想である。この点もキリスト教の教えからいうと、本来人間はみんな悪いのであって罪を犯している存在なのである。このことを知らず、間違っている点を悔い改めようとせず、相手だけを悪人だとして攻撃することは無知以外のなにものでもない。アメリカも奴隷制度や、ベトナム戦争など、多くの点で歴史的にも間違いを犯してきたし、現在も地球環境の改善に真剣に関わろうという国際的な努力からはずれていったり、罪深い国家なのである。
 こうした間違いに関してキリストの言葉、すなわち神のご意志を記している新約聖書は全く新しい道を指し示している。それは悪人を殺すことでなく、神の愛の力によって内部から悪を滅ぼす道であった。
 その出発点として、キリストは自ら十字架にかかり、万人の罪を身代わりに負って死なれたのであった。その十字架の死を自分の罪のために死んで下さったのだと信じて受け取ることによって私たちは、自らのうちに巣くう悪の力に勝利するようになる。そしてさらに聖霊という善き霊を受けることが約束されている。
 その聖霊によって私たちは、敵対する者にも、彼らが死んで滅びてしまえという心でなく、彼らの心から悪の霊が追い出されて、代わりに善き霊によって変えられて善き人になるようにとの祈りが起こされる。そうした祈りによって、神が相手の心の根源を変えられるのである。それが本当の意味で、悪を滅ぼすことになる。
 キリスト者とはこうした道をキリストにより、聖書によって知らされた者である。それゆえいかに少数の者しか賛成しないとしても、悪を滅ぼす究極的な道を変わることなく、掲げていきたいと願う。

 


st07_m2.gif戦争と平和について   内村鑑三(*)の言葉から

 現在のような世界の各地で動乱が発生している状況のもとで、私たちキリスト者はいっそうこの世が与えることのできない平和、主の平和(平安)を保っていることが必要であるし、またその平安をもってさまざまのことを見つめていくことが求められている。
 今からおよそ百年ほど前、日露戦争の始まったとき、日本中が戦争をあおる雰囲気で満ちていた。しかし、そのただ中にあって、内村鑑三という一人の真理の証人がいかにそのような状況を受け止めていたか、その一端を学びたいと思う。
 なお、内村の文は百年ほど前の力強い文語であるが、現在では使われない表現や言葉もあって、意味がよくわからないという声をたびたび聞いてきたので、現代のわかりやすい言葉にして記し、そのあとの○印は筆者の補足説明、感想などを記した。内村の原著を持っていて、原文がよくわかるという人は原文のままがよいのは当然であるが、これからの世代の人に対しては、もはや一種の翻訳が必要となっている。ここでは文語表現のよくわかる人だけでなく、だれでもがわかる表現で紹介したいと思う。

*)内村鑑三(一八六一~一九三〇)は日本の代表的なキリスト者。無教会といわれる、聖書の原点に立ち帰ることを強調する信仰のあり方は彼によって始まった。高崎藩士の長男として江戸に生まれ、札幌農学校(現在の北海道大学)に入学。ここで「少年よ、大志を抱け」という言葉で有名なクラーク博士によってキリスト者となった。卒業後は水産研究に従事したが、結婚に破れて深刻な悩みと苦しみを抱えて渡米し、アマースト大学に学んだ。そこで総長のシーリー博士と出会い、十字架の信仰による救いを得て深い平安を与えられた。そのことが以後のかれの生涯を決定付けたほどに重要な出来事となった。帰国後、旧制一高の教員のとき、教育勅語に敬礼を拒んだことが不敬事件として大きな問題となり、大きな苦しみとなった。これは内村鑑三不敬事件として知られている。しかしその間に「基督信徒の慰め」「求安録」「代表的日本人」などの名著が生まれた。さらに「万朝報」(よろずちょうほう)「東京独立雑誌」によって社会評論に健筆をふるい、足尾銅山鉱毒事件にかかわり,あるいは日露開戦に際しては非戦論を貫くなど、広い分野で神の言葉に立った言動を続けた。一九〇〇年創刊の「聖書之研究」誌によって、内村の信仰と、彼の聖書の深い読み方が全国的に知られるようになり、キリストの福音伝道に大いに貢献し、今日まで永続的な影響を与えてきた。

静けさのあるところ

 静けさは天然にある。神の造った天然にある。静けさは聖書のなかにある。神が伝えた聖書にある。
一輪のオダマキが露に浸されてその首(こうべ)を垂れているところにある。
 一節の聖句がわが心中の苦悶をなだむるところにもある。怒涛四辺に荒れるときに、私は草花に慰めを求め、聖書にこの世が与えることのできない平安を求める。

○聖書の言葉は、過去数千年を通じて、変わることなき真理を保っている。過去の歴史のなかには、戦争、飢饉、自然災害、病気、あらゆる事態が生じてきた。しかしそのようないかなる動揺と混乱においても、聖書の言葉は永遠に不動の神の言葉であるがゆえに、揺るぐことはなかった。現代の私たちもその歴史のなかを生き抜いてきた神の言に頼ることによって、この世の新聞や雑誌、テレビなどの与えることのできない平安を与えられる。
 また、身近な自然のすがたも同様で、それもこの世の人間社会が持っていない清さと平和を宿している。数千年といわず、何万年も変わることのないような静けさが小さな野草の花にはある。空のしずかな広がりや夜空の星の輝きもまた変わることなき平安を目で見えるかたちで私たちに示してくれている。そうしたところにつねに私たちの魂はとどまって平安を与えられる。

戦闘の止むとき

 勝つことが必ずしも勝つことでない。負けることが必ずしも負けることではない。
 愛すること、これこそ勝つことである。憎むこと、これ負けることである。愛をもって勝つことだけが永久の勝利なのである。愛はねたまず、誇らず、おごらず、どこまでも神への希望をもって忍耐をする。そして永久の勝利を得て永久の平和を与えられる。世に戦闘の止む時とは、愛が勝利を得たときだけなのである。

戦時の事業

 今や世に「燃える木」を投げ込む者は多く、静けさを世に提供する者は少ない。戦争を勧める者が多く、平和をうながす者は少ない。この時にあたってわれらは主の静けさの内にとどまり、この主の平和のうちにあって戦争に向けて熱している同胞に主の清涼を分かちたく思う。敵対心のゆえに心が渇いてしまっている者たちに、平和と友好の清水を提供したいと思う。戦争に関わる騒がしさを静めるために福音の清い音楽を提供しよう。
 平和はこの世から出ることなく、天より来る。天の神を世に知らせて、地は初めて平和に回復するのである。

騒乱にいかに対するか

 戦争などの騒乱はこの世では常に生じている。波は海にはつねに見られるのと同様である。この世にあって騒乱を避けようとするのは、海上に浮んでいながら揺られまいとするのと同様である。
 もし私たちが、この世とともにありつつも、騒乱に巻き込まれないようにしようとするなら、岩に頼らねばならない。「幾千年を経てきた岩」に頼るのである。
 この世はこの世にとどまっていたままでは救うことはできない、世を離れ、自分の身を「永遠の静けさ」(神のもと)に置いて、上と外からこれを救おうとするのである。それゆえに聖書は言う、「あなた方は、かれらの中より出で来なさい」と(コリント後書六章十七節)

喜びの由来

 喜びは勝って来るのではない。また負けて来るのでもない。
 喜びは神がつかわされたそのひとり子を信じて来る。キリストの福音は戦時となっても必要である。また平常のときにも必要である。
 世に死と涙とのある間はその必要がなくなるという時はない。ゆえに「私たちは道を宣べ伝えなければならない、時を得ても時を得なくても励んで福音を伝えようと努め、さまざまの忍耐と教えをもって人をさとし戒め勧めなければならない」(テモテ後書四章二節)

我々の非戦論

 非戦を論理的に説くことはむつかしい。しかしイエスキリストを信じることによって、あらゆる争闘は私たちが忌み嫌うものとなったのである。私たちの理性が納得させられる前に私たちの心が感化されたのである。どうしてそのような変化が生じたのか、その理由は説明できない。しかし私たちが、ひとたび心にイエスキリストを宿してからは、怒りや憎しみの角(つの)はことごとく折れて、柔和を愛する人と変えられたのである。私たちの非戦論はこの心の大いなる変化の結果にほかならない。

○非戦論は、現在の日本の平和憲法というかたちで、具体化されている。しかしこの憲法にも反対論があとを断たないことでもわかるように、だれもが納得するような論理的説明というのはなかなか難しい。
 それはこの非戦論というのが、愛と真実の神が正義の神でもあり、万能でもあるゆえに必ず神が最善になされるということ、また悪は時が来れば裁かれるという信仰から来ているからである。そしてキリストを信じてそれまで経験できなかった魂の平安を与えられた者は、そのような比類のない価値あるものを与えたお方が、決して武器をとらず、みずから十字架にかかって死なれたことを知るとき、他者への怒り憎しみといった感情はおのずと鎮められる。
 さらにキリストの霊である聖霊を少しでもうけるとき、武器をもって相手を殺害するなどという戦争行為には自ずから加わらなくなる。キリストによって私たちの心情の根本的変化が生じ、おのずから戦争への反対の心を生み出すのである。

イエス・キリストの御父

 神は昔は万軍の主として現れた。しかし今は十字架上のキリストとして世を悔い改めに導かれる。昔は正義の剣をもって背信を重ねる民を罰せられた。しかし今は愛の心をもってかたくなな心を砕かれる。さきには外より責められた神は今は内より説き勧められる。さきには厳格なる主であった神は今は柔和なる夫として現れてくださった。
 わが神は剣を抜いて異教徒を滅ぼした旧約聖書のヨシュアやギデオンたちの神ではない、世の罪を担って十字架に釘づけられたイエスキリストの父なる御神なのである。

○旧約聖書に現れる神と新約聖書にキリストによって現された神の性質とを比べると、重要な違いを見せることの一つが、戦争にかかわることである。旧約聖書においては神ご自身が偶像を拝む民と戦い、滅ぼすことを命じておられる。
 しかし、新約聖書にあらわれるキリストは武器による戦争とか戦いを全面的に退け、神の愛の力によって神が働かれることを待ち望むのである。それはまた、祈りの力でもある。キリストの精神を最もふかく受けついでいる使徒パウロも同様である。

 あなたがたは、できる限りすべての人と平和に過ごしなさい。
 愛する者たちよ。自分で復讐をしないで、むしろ、神の怒りに任せなさい。なぜなら、「主が言われる。復讐はわたしのすることである。わたし自身が報復する」と書いてあるからである。
 むしろ、「もしあなたの敵が飢えるなら、彼に食わせ、かわくなら、彼に飲ませなさい。」悪に負けてはいけない。かえって、善をもって悪に勝ちなさい。(ローマの信徒への手紙十二・1821

愛の十字軍

 私は何によってこの世界を救おうか。武力によらず、天国の喜びを世に提供して救いたいのである。すなわち新しい愛の心の力をもって、世のすべての低く卑しい心を排除し、これに代えて天の高き心を用いようと思う。異端を撲滅するための十字軍を起こすのでなく、痛める者をいやすためのよき香りともいうべきものを提供したい。私は愛と喜びと希望とをもって世を征服したいと願うのである。

○この世で真に力あるものは、武力とか憎しみや敵対心ではない。最もこの世で強力なものは神であり、その神が送って下さったキリストである。そのキリストの心に信頼し、すがる心は神の力を呼び覚ますゆえに最も強いものとなる。そしてキリストの心とは、神の国にある愛や喜び、希望であり、それらこそが真に力あるものなのである。御国を来たらせたまえ!という、主の祈りにある言葉は、この願いにほかならない。

 


st07_m2.gifキリストから呼ばれた人    水野源三 詩
一、
キリストのお召しを 受けしひとびとは
まる木橋をわたり ほそき山道行き
何よりも尊き 失われたものに
めぐみふかき神の 御救いを伝える

○キリストから呼び出された人は、たとえ困難があっても、み言葉を伝えるべく前進していく。丸木橋とはうっかりすると転落する危険がある場所であり、そうした場面は一人一人にも生じるものです。昔から、困難と危険のただなかを通って御国のために進んでいく人が絶えなかったし、キリスト者はすべてそのような細い道を、主の導きによって進むようにと言われています。
 この詩に現れる、「お召しを受ける」といったような表現は現代では使わないために、意味がはっきりとれないという人も多くなっています。日常のふつうの会話の中では、ほとんどだれも「召す」などという言葉は使わないと思われます。
 これは邦訳聖書にもよく出てくる表現ですが、 この言葉のもとにある原語(ギリシャ語)は、ごく普通の「呼ぶ」という言葉です。ですから、「キリストのお召しを受けた人々」とは、「キリストから呼ばれた人々」という意味です。これは現在のキリスト者(クリスチャン)といった意味で使われていました。ですから、キリスト者はだれでも、神から呼ばれた人、召された人だと言えます。つぎの箇所はその一例です。

神に愛され、召されて聖なる者となったローマの人たち一同へ。(ローマの信徒への手紙一・7
 
 この箇所でもわかるように、ローマにいるキリスト者全体が、神から呼び出された人たちだとされているのです。
 この詩はそういう意味で、特別な伝道者だけを意味するのでなく、キリスト者みんながこのように変えられていくことが目標とされているのです。

二、
キリストの御愛を 受けし人々は
風そよぐ木の下 星あかりの部屋で
何よりも尊き 失われたるものが
恵み深き神へ かえるよう祈る

○キリストを信じた者とはすなわち、キリストの愛を実感した者。そして、キリストの愛を受けるとき、祈りが、その人たちの自然な姿となっていきます。その祈りは失われた者、傷ついた者、そしてみ言葉のために働く者のため注がれるようになっていきます。祈りが呼吸のごとくになって、日々を生きつつ、祈りによって神の国の命をたえず受けて他者へと送り出すように導かれていきます。

三、
キリストの恵みを 心に宿すひとびとは
おのれすてさりて 愛のわざをばなし
なによりも尊き 失われたるものに
めぐみ深き神の 慈愛を証する

○「失われたるもの」、それは苦しみと闇にある者、道を見いだすことができずに、立ち上がれない者。キリストの恵みを受けたとき、その心はそうした失われた人にまず向けられていきます。
 キリストの恵みを受けた心とは、主の愛を注がれた心であるゆえに。キリストの心はまず元気で思うままに過ごしている者や、能力があって周囲から賞賛されているような者でなく、まず失われた者に注がれるからです。

 


st07_m2.gif返舟だより

○文集「野の花」についての来信から
…「はこ舟」や文集「野の花」をお送り下さいまして本当にありがとうございました。読み通すのに日時がかかり、お礼の応答が遅くなり申し訳なく存じております。殊に、文集に収められた文の数々に表された、信仰の喜び、感謝、希望…が皆様お一人おひとりの文面に溢れ、小生も励まされ、喜び、反省することしきりでございました。…  (関東地方の方)

○会社を支えたもの(最近の来信より)

 …企業も私は根本精神は心をこめて、よき製品をつくり、それを廉価で販売すること、しかし企業努力、創意工夫は必要と思います。しかし、そうした縁の下の力持ちばかりでは、押しつぶされてゆくのでしょうか。私は私の里が、呉服の製造卸でしたが、親族の者が染め物の指導の方を担当し、心を込めていい商品を作ってきました。利益よりもまず、能力と体を精一杯使って心を込めて、いい色のいい製品を作ることにかけてきました。
 その結果、この不況下に昨年、黒字で借金も一銭もなく、(経営していた親族の者が高齢となったので)会社を終えることが出来、会社は○○会社や他の何社かが株を買って引き継ぐことができたのです。本当にこつこつと、ただ、みんなが着て喜ぶいい物をと、心をこめてしたことが神様が支えてくださったと嬉しいでした。(その着物は○○会社の全国のデパートでのブランド商品となっていたものでした)
 一人一人が、自分の利益、目先の利益よりも本質的なことに目を向けて、地道に働けばと思うのです。愛真高校の目標に心から同感しつつ、こうした小さな働きや動きがいつかみのる日を心から神様に祈ります。…(関西の読者の方より)

○会社や国家社会では、個人の真実な心などが通用しない、駆け引きや策略、偽りが当然なのだという議論はよく耳にします。現在のような戦争の前触れのような状況になってくるといっそう国同士もそうした不真実な駆け引きをもって自国だけの利益を第一にしようとしています。外交ではいかにたくみに嘘をも用いるかだなどということをいう政治家もいます。しかし、そうしたことはすべて神を知らないことからきます。主イエスはそうした言動について、「あなた方は聖書も神の力も知らないから、思い違いをしている。」(マタイ二二・29)と言われるでありましょう。