2004年11月 第526号・内容・もくじ
変わらぬ流れ
台風の大雨が過ぎて数週間が過ぎた。小さな山であるが谷からあふれ出るような大量の水の流れもおさまり今では澄んだ水が天然の音楽を奏でながら流れている。
これらの水は昼夜を分かたずどこからともなく水が集められて流れる。それをたどれば樹木の生い茂る山々の大地を通って流れてきたのである。音もなく木々やその下の土の中を通り、地下にある固い岩に沿って下へと少しずつ流れ、それがこのような清い谷川となっている。
この流れは何か月も雨が降らなくとも、止まることがない。山々を見てもただ、樹木が生い茂り、野草が覆い、山肌にはどこにも水は見えない。
しかし、それらすべてを支えている山の深いところで水は流れている。
それは、真理の流れと似ている。
「エデンから一つの川が流れ出ていた。園を潤し、そこで分かれて、四つの川となっていた。」(創世記二・10)
この聖書の最初に現れる記事は、神の国から今もあふれ出ている命の水の流れを象徴的に指し示すものなのである。
この世界にはどこにも神がいるようには見えない。それどころか混乱や悲劇、苦しみが至るところにある。
それでも、そうした表面の人間の姿の背後には、神のいのちの流れがある。そしてそれに目を開かれてそこから汲み取るものに、神の国を見させ、私たちの内部を清め、力を与えられる。
愛と視力
神からの愛は視力を与える。それは見えないものを見る視力である。
こうした愛なき者はわずかしか見えない。深くは見ることができない。人間が自然に持っている愛といわれているものは、逆に霊的な視力を狭める。「愛は盲目である」などといわれるのはそれである。
聖書に言われているような愛がなければ、人は、自分の気に入るもの、力強いもの、有名なものあるいは美しい者だけ、しかもその表面だけをみようとする。
そして弱い者、傷ついた者、あるいは敵対する者たちの背後にある神の御手が見えない。
主イエスが言われた、敵を愛し、迫害する者のために祈れという言葉は、彼等がもし立ち返るときにはどんなに人間に変ることができるかを見つめて言われた言葉である。
主イエスが裏切ったペテロをも深い愛のまなざしで見つめていたのは、そこからどのように変わることができるかを見つめていたからでもあっただろう。
聖書にはそうした神の愛を注がれた人たちがどのように見つめ、生きたかが記されている。
主イエスより六百年ほども昔に現れたエレミヤもその一例である。彼は、大国の攻撃によって国が滅びようとする危機的状況にあって、その原因を深く見つめて神の言葉をもって警告した。真実に背き、神の言葉に従わずにまちがったもの、偶像に従いつつある人々に対して、エレミヤが深い悲しみを持って語ったのは、彼等の前途にある大いなる裁きを見つめていたからであった。
そしてさらに彼は、その裁きのはるか彼方にある救いをも見つめていた。
神の深い愛を与えられていたエレミヤはその双方を見つめることができた深い霊的を与えられていた。
私たちが神からの愛を受けているほど、身近な人間や日々に接する雲や青空、雨や風、あるいは草木などの本性を見る視力を与えられる。それは時間を超えて未来のことすら見える視力ともなることがある。使徒パウロの手紙などにはそのような遠大な前途のことが見えていたことがうかがえる記述がいろいろと見出される。
主イエスがこの世に来られたのは、「見えない者が見えるようになるためだ」(ヨハネ九・39)と言われている。それゆえ、私たちが絶えず幼な子のように主に向かって求めていくとき、いっそう霊的な視力を与えられると信じることができる。
思いがけないところに
山道を歩いていると、思いがけないところに草や木の芽が出ているのに気付く。自分で種を蒔いてもなかなか出てこないような野草や草花が、石垣の間、岩間などの条件の悪いところ、あるいは草の繁っているただなかから芽生えたり、またどこにも見られない珍しい木が芽生えていることもある。
また、めったに見ることができない野草が、一つだけ谷間に育っていたりするのに出会うこともある。
小鳥に食べられた種が落ち、また水の流れで移動し、風に種が飛ばされるなどして、種は運ばれ、その場所の土や水などの有無、土質などさまざまの条件が重なって種は芽生える。しばしばそれは意外なところで芽生えてくる。
かつて、徳島県の中央部に近い千メートルあまりの山頂付近にだけ群生しているカタクリに出会って予想してなかっただけに、とても意外で驚いたことがあった。カタクリは、植物図鑑のうちには本州と北海道というように自生地を書いてあるのもあり、四国ではかなり高い山々を歩いても見たことはなかった。それが、突然目の前に現れたあの時のことは忘れられない。
と同時に、どうしてこの山のこの付近だけにあるのだろう、いつから、どのようにしてここに育つに至ったのかと、興味深く感じたものである。
福音も同様で、思いがけないところに、また予想しないような人のところから芽を出して、育っていく。主イエスがこうした種と発芽のことをたとえに用いられたのが意味深く感じられる。
新約聖書においても、十二弟子たちのうちには人を宗教的に指導するなど思いもよらなかったはずの漁師たちが何人も選ばれた。
また人々が汚れているとして見下していた、異邦人の女性が驚くべき真実な信仰を持っていたり、キリストのことなどほとんど伝わっていないと思われるハンセン病の人や、周囲の人たちとの交際もごく狭かったと思われる全盲の人たち、あるいはユダヤ人を抑圧して支配しているローマ人の兵隊の幹部のような立場の人が、主イエスに「主よ」と言ってひれ伏してその信仰を表すなど、種が落ちる不思議さをそのまま表していると思える例が多く記されている。
キリストの最も重要な弟子パウロがまさにそうであった。キリスト教徒を迫害しているさなかに、天からの光を受けて突然変えられたのである。そしてパウロのうちに蒔かれた福音の種はいかなる困難に出会っても成長し続けていき、広く世界に伝わることになっていった。
現在においても、私どものキリスト集会に集うようになっている人たちはそれぞれ本人も思いがけないことから集うようになったと感じているであろうし、私自身もそうである。キリスト教などおよそ私の心のなかにはなかったのであったが、不思議ないきさつから福音の種が蒔かれて芽生えたのである。
またこれは個人だけでなく広く世界の国々を見ても同様なことが言えるだろう。どの地域にキリストの福音という種が落ちて芽生えるか、それは分からない。現在では中国とかアフリカなどで多くの種が芽生えている。それも数十年前ならだれも想像しなかったことである。ことに中国は神の存在そのものを否定する思想のもとで国が動かされているのであったから、そのうちわずかに残るキリスト教も消えてしまうのでないかと思われていたほどである。
しかし、現在では中国は世界的に見ても最も多くの人たちがキリスト教信仰へと導かれつつある状況だという。
聖霊は、風のように、どこから来てどこへいくのかだれも知らない。しかし一度聖霊が与えられるなら、その人は魂の内からいのちの水が流れだすようになる。聖霊という風を用いて、神は今後とも福音という真理の種を蒔き続けて下さり、人間の予想もしないような人や場所において芽を出し、力強く成長を続けることを信じることができる。
私たち個人の心の中にも、苦しみと悩みの暗い状況のただなかに、思いがけないときに、祈りや集会のとき、あるいは人からの言葉や出会いなどを通じて、天からの福音の種を蒔いて下さり、その重苦しい心を一掃して下さる。
人間の予想を超えていることだからこそ、私たちはこのことを知って平安を与えられる。私たちがどんなに道がふさがっていると感じて、希望がないと思われても、神がひとたびそこに福音の種、あるいは平安の種を蒔かれるならただちにそこから芽が出てくるからである。
私たちは、それぞれの人たちが自分自身の苦しみの中に、そして周囲の世界にある暗闇に、神がその全能の御手によって光の種を蒔き、多くの人たちが救われるようにと主の御手の働きを待ち望んでいる。そして私たち自身もひとたび真理の種を蒔かれた者は、少しでも主に用いられて福音の種まきを続けていきたいと願っている。
伝道について 吉村 孝雄
伝道とはキリストの福音を伝えることである。福音とは、十字架による罪の赦し、死の力に勝利する復活、この世のあらゆる問題の最終的解決としての再臨、これがその基本にある内容である。これらはすべて、人間の直面する根本問題への解決を指し示すものであり、それゆえにこそ、喜びの知らせ、すなわち福音なのである。
私はこれを大学四年の時に知らされて、それまでの闇と苦しみの生活から引き出された。それがそれまでのどのような経験にもまして深く魂を揺り動かすものであったので、将来の方向も転換し、一年後から職場となった高校で、放課後の自由参加の聖書の会などで伝え始めた。そのとき、私は信仰の経験もなく、聖書に関する知識にもわずかであった。しかし、神が働かれたために、最初の年からその後次々と転じた学校においても信仰を持つ人たちが現れた。
こうした自分自身の経験から、そして聖書の記述から言えることは、み言葉を伝えることはキリストがあれば足りるということである。キリストによって自らが闇の中から救われ、新しい力を与えられ、この世に神の愛が実際に存在し、生きて働くキリストがおられるということを魂において深く確信し、キリストに導かれつつ伝える。そしてそこにキリスト(聖霊)が働いて下さるなら、それだけで伝わる。他にはなにもいらないのである。それがあれば、思いがけないときに必要な人や書物、あるいは費用なども備えられる。まことに「主の山に備えあり」(創世記二二・14)である。
主イエスの弟子たちはきわめて重要な時にイエスなど知らないといって逃げてしまったため、自分たちの弱さ、主を裏切った罪というものに打ちひしがれていた。
しかし、祈って待てという、復活のイエスの言葉を信じて待っていたときに、聖霊が突然注がれたのであった。そこから彼等の伝道が始まった。聖霊こそは伝道への原動力なのである。
パウロにおいても、旧約聖書の多くの知識を身につけ、すぐれた教育を受けたがキリストの真理は全く分からなかった。むしろキリスト者を迫害するばかりであったが、そこに復活のキリストが現れ、パウロに聖霊を注いだ。そのときからパウロはキリストを宣べ伝える者と変えられたのである。
彼には十二弟子たちのようにキリストからの詳しい教えというのは受けてはなかった。 しかし、生けるキリストが働きかけたゆえに、後の大いなる働きがなされることになった。
聖霊とはキリストの霊である。キリストはどのような人にまず近づいたか、それは失われた一匹の羊であり、当時だれも相手にしなかったような重い病人や障害者、そして悩みや悲しみに打ちひしがれている人たちであった。
現代の私たちにおいても、キリストをまず身近な弱い立場にいる人にまず伝えようとすること、それは主の御心にかなったことであるがゆえに祝福される。主はそうしたことをともに導いて下さる。
福音伝道こそは、キリスト者に与えられた最大のつとめであり、また特権であり、また戦いであり、喜びでもある。
キリストの福音こそはあらゆる問題の根本的解決を与えるものであるからだ。
その福音を伝えることにおいては、キリスト者すべてが招かれている。キリストの罪の赦しに、また生ける神が現実におられるということに心揺り動かされた経験を持つならば、それをもとにして各人が可能な方法で伝えることができる。
重要なことは、周囲の人がどう言うかとか、自分には経験があるか、聖書の知識、聖書の原語であるギリシャ語などを理解しているか、等々そうしたことを考える以上にまず自分のうちに働くキリストがどう言われるか、を聞き取ることである。
福音が絶えず命の水の川のように流れ続け、伝えられていくということは、神のご意志である。それはすでに旧約聖書にもしばしば見られる。
「…今に至るまで、私は驚くべき御業を語り伝えてきた。…御腕のわざを、力強い御業を来るべき世代に語り伝えさせてください。(詩編七一・17~18)」
福音を伝えることは、深い神の御計画であり、神のご意志である。それは世の終わりまでなされていく。
「そしてこの御国の福音は、すべての民に対してあかしをするために、全世界に宣べ伝えられる。そしてそれから最後が来る。」(マタイ二四・14) 私たちが幼な子のような心をもって神を仰ぎ、その心をもって福音伝道にかかわるとき、それは神のご意志にかなったことであるゆえに必ず祝福される。福音を受けるもの、伝えるものの双方に恵みを受けるこの福音伝道へと神は私たちすべてを招かれている。
真理は単純である。それゆえ真理を伝えること、福音伝道もまた単純である。
生きるはキリストとパウロは言った。キリストが私たちに罪の赦しを与え、心動かし、キリストが力を与え、なすべき道を教え、必要な人やものに出会う機会を与え、闇にある人の心に触れさせる。み言葉を伝えることもまたキリストである。(これは、今年の十月十日に福岡市で開催された無教会のキリスト教全国集会における発題で語った内容の要約です。)
み言葉に聴く
聖書は二千ページにも及ぶ書物である。その最初に「神が言われた」として記されているのは、何であろう。そこで神の言葉として作者にだれが聞いたのか。現場にだれもいなかったのにどうしてあのようなことがわかったのか。それは聞き取った人がいたからである。神にとくに選ばれた人が、神に近づけられ、天地創造という本来だれも見たことも聞いたこともない全くの神秘の事柄について、神から告げられたのである。
それは言い換えると、特別な霊的な耳が与えられてそのようなことを聞き取ることができたと言えよう。
地が混沌であり、闇がすべてを覆っていたこと、神の霊(風とも訳される)が一面を動いていた。(吹きつのっていた)といったことも、神から告げられたからこそ、それが単に大昔の想像の話というのとは全くことなる深い意味を持ち、人間の歴史において測り知れないインスピレーションを与えてきたのであった。
そしてこの創世記を記した人には、神が明確につぎのように言うことによって、宇宙の根本問題の解決の道が開かれることを知らされた。それが次の言葉であった。
光あれ!
この一言で光が闇と混乱と底知れない深淵で覆われた世界に革命的な変化を与え、いのちを与えることになった。
こうして、聖書という書物は、聞き取ることから出発していると言えるのである。
人間の声以前に神の声がいつも語りかけている。それは、主イエスが、神の愛は太陽のようにまた雨のように万人に降り注いでいると言われたことでも示されている。それは言い換えると、神の愛から出た言葉は万人に語りかけられているということでもある。愛は無関心ではない。いつも他者に働きかけるのが愛の本質であり、いつも語りかけようとするからである。
そのことをよく表しているのが、星や太陽、山々や海などの自然である。
天は神の栄光を物語り
大空は御手の業を示す。
昼は昼に語り伝え
夜は夜に知識を送る。
話すことも、語ることもなく
声は聞こえなくても
その響きは全地に
その言葉は世界の果てに向かう。(旧約聖書・詩編十九・2~5)
ここでは、星や太陽など天体をとくに取り上げて、それらに神の栄光(力や永遠性、美しさや清さなど)が現れていること、そして、天体はかわることなく沈黙の言葉で世界に語り続けていることが書かれている。
自然の世界はいつも我々に語り続けている。風の音、波や木々の奏でる音、そして谷川の流れ、さらに植物の一つ一つもまた私たちへの神からのメッセージがたたえられている。巨木はことに沈黙でありながらそのかたわらに立つ者に不思議な力をもって語りかけてくる。長い歳月を幾多の風雨や寒さに耐えて数百年を成長し続けたゆえにそこにはまた他にはない独特のものがあり、それはおのずと私たちに語りかけてくる。
人間は変わりやすい。しかし、そうした大木からの語りかけは、変わることのない存在の力が感じられ、無言でありながら、私たちをほっとさせ、力づける。
またそれと対照的なわずか1ミリ前後しかないような小さな花を持つ小さな野草においても、それぞれに、私たちへの語りかけを持っている。
野草のなかには花壇にあるような大きな花を咲かせるものもあり、目を覚まさせるような深いブルーの色を持つ花、カラスウリのように複雑なレース模様の花など、実に千差万別であるが、そうした花や葉の形、さらに全体としてのすがたにおいても心して見つめる時にはさまざまの語りかけが感じられる。
主イエスが、「野の花を見よ」と言われたのは、野の花からも神のメッセージが私たちに向けてなされているからである。
また、雷のすさまじい音や稲妻の光は、たんに恐いという感じで受け止めている人が多数を占めているであろうが、聖書の世界では、そのような恐れをもたらすような現象も、神のご意志の現れなのである。
神は御手に稲妻の光をまとい
的を定め、それに指令し、御自分の思いを表される。(ヨブ記)
三日目の朝になると、雷鳴と稲妻と厚い雲が山に臨み…
モーセが語りかけると、神は雷鳴をもって答えられた。(出エジプト記一九章)
有名な十戒が与えられる前には、このように神が近づき、稲妻や雷をもって神は答え、その後、十の最も基本的な戒め(教え)を与えたのであった。
このように、野の花のような可憐なものとは全く異なる荒々しく恐怖を呼び起こす雷や稲妻といった自然現象も神のご意志と深い関わりがあるものとされている。
神は愛である、神はやさしいお方であり、慰めの主であるというイメージからは、あの雷の轟音とか稲妻がその神のお言葉を象徴するものであり、ときには神の言葉そのものでもあるといったことは、多くの人たちにとっては到底想像できないことであろう。
しかし、自然の全体が神の御手のわざであり、すべてに神はそのご意志を表しているのが、特別に聖霊を注がれた人には分かっていたのである。
神の言葉は常に語りかけている。それはすでにあげた詩編十九編で表されているように、とくに自然において見ることができる。
「語ることもなくそれでも神の栄光を語り続けている。」
そしてその語り続けられている神の言葉はつぎの主イエスの言葉からもいえる。
しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。
こうして、天にいますあなたがたの父の子となるためである。天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さるからである。(マタイ五:44~45)
敵対するもの、自分に対して悪意を持って向かってくる者に対しても祈ること、その人が神のよきもので満たされるようにと祈ることは、太陽の光や雨がどんな人にも注がれているのと同様だと言われている。主イエスは最も身近な自然をもこのように、深い神の愛を象徴的に表しているものとして見ておられたのである。
そのような無差別的な愛をもって注がれているのが神の愛であるならば、当然その愛はまた語りかけておられるといえる。愛とは、無関心や放置するものでなく、絶えず語りかけるという本質を持っているからである。
青い空や雲、夜空の星や風のそよぎ、動くことなき山々の連なり、またさまざまの野草たちの花等々それらは心開いて見つめる者には常に言葉を語りかけているのを実感することができる。
「聞け、あなた方、私の創造のわざがその栄光を語るのを!」と。
同様に神はまた人間の理解できる言葉をもって語りかけておられる。それが最も明らかに示されたものが、聖書だと言えよう。
聖書には、神がいかに人間に語りかけたか、そして人間がいかにそれを聞き取り、それに従ったか、また聴こうとせず、背いたか、が記録された書物なのである。
旧約聖書に現れる最初の人間として描かれているアダムとエバは神の声をはっきりと聞かされていて、そこにはあらゆる良い木の実があり、自由に食べて生きることができるようになっていた。にもかかわらず、エバはヘビの言うことを聞いて、そこからアダムも神の声に反対する内容にもかかわらずエバの声に聞いて、楽園から追われることになったのである。
このように、私たちが本来約束されているよきところから追われるのは、実は神の声に聞かないところに原因がある。このように聖書は創世記という最初の書物から、神に聞くことと人間あるいはサタンに聞くことの二つを並べて置くことによって、いかに神に聞くことが決定的に重要であるかを浮かび上がらせている。
「箱舟」と大洪水でよく知られているノアにおいても、周囲の人がみんな人間の声に聞いてまちがった道を歩んでいたのに、一人神の声に聞いてそれに従った。それが救いにつながったのである。しかし、救われてから安定した生活となってからノアは油断して神の声に聞かなくなって、醜態をさらしたことが記されている。
いかに、特別に神によって選ばれ、特別に神の声を聞いた人であっても、絶えず目を覚ましていなかったら神の声でなく自分の声、人間的な声に聞いて神から離れていくことが示されている。
モーセは歴史のなかでも最も神の声を聞いた一人であった。自分の考えで人を助けようとしたが、それはもろくも崩れて遠く離れたところへと命からがら逃げていくしかなかった。そこで結婚もし、羊飼いとしての静かな生活をしていたモーセに神が語りかけ、それとともにエジプトにあって、絶滅の危機に瀕した同胞を救い出し、「乳と蜜の流れる地」へと導いていくようにと使命が与えられた。羊飼いというまったく政治的なこととは無関係な生活をしていた時であっても、神は風が思いのままに吹くように思いがけない人間を選んで語りかける。
モーセは自分はエジプトの王に対して何ら力もなく、武力もなく、対抗するような兵力、部下もない、語る言葉もないと強くしり込みするが、神は助け手を与える。このように、神が語りかけるときには、それに聞いて従うだけの必要な力をも共に与える。力以外に必要なもの、人間やお金、場所、ものなども与える。
エレミヤは、旧約聖書に現れる最も偉大な預言者の一人であって、祖国がまちがった道を歩み、神でないものに従ったために、当時の大国であった新バビロニア帝国に滅ぼされようとしていた。このような国が滅びるという重大なときに、エレミヤは神からの声を聞いた。
エレミヤもまた、その声に最初はとまどった。
「わたしはあなたをまだ母の胎につくらないさきに、あなたを知り、あなたがまだ生れないさきに、あなたを聖別し、あなたを立てて万国の預言者とした」。
その時わたしは言った、「ああ、主なる神よ、わたしはただ若者にすぎず、どのように語ってよいか知りません」。
しかし主はわたしに言われた、「あなたはただ若者にすぎないと言ってはならない。だれにでも、すべてわたしがつかわす人へ行き、あなたに命じることをみな語らなければならない。
彼らを恐れてはならない、わたしがあなたと共にいて、あなたを救うからである」と主は仰せられる。
そして主はみ手を伸べて、わたしの口につけ、主はわたしに言われた、
「見よ、わたしの言葉をあなたの口に入れた。
見よ、わたしはきょう、あなたを万民の上と、万国の上に立て、あなたに、あるいは抜き、あるいはこわし、あるいは滅ぼし、あるいは倒し、あるいは建て、あるいは植えさせる」。(エレミヤ書一・5~10)
このようにして若者であったエレミヤは、神からの語りかけを受けると同時にそれを実行するための言葉を与えられ、この世の権力者や周囲の人間に抗して立つ力を与えられた。神が語りかけるのは、無駄に語りかけるのでない。それが全く従えないようなことなら、語りかけることに意味がない。人間は何かを命じたり語りかけてもそれを実行する力をも与えることはできず、強制的になるばかりで反発を生じさせることが多い。
神によって召された預言者であったらいつでもそのような神の力で満ちているかというとそうではない。
例えば、キリストよりも八百年以上も昔に現れた預言者エリヤは、神からの言葉を受け、貧しさのために死ぬばかりになっていたある女とその子どもを助けた。エリヤはその女のもとに残っていた一握りの小麦粉とわずかな食用油をもとにして、驚くべきわざを起こしてその女が日々食べていけるようにした。その子どもが死んだときにも、神からの力によってよみがえらせることすらできたと記されている。
そうして、偽預言者たち、人々をまちがった道に連れていって大きな災いを国に起こした偽りの宗教家を集め、彼等の無力と腐敗ぶりを、天からの火を呼び寄せて神の力を示すこともできたのであった。
そのような聖書全体を見ても異例な力を与えられていたエリヤであったが、当時の悪にとらわれた王妃がエリヤを激しく憎み、今日明日中にエリヤを殺すと宣言して迫害をはじめたとき、エリヤはそれを聞いて、遠く直線距離でも、一五〇キロも離れているベエルシバまで逃げて行った。そしてさらにそこから従者をおいて、一人砂漠のようなところを一日歩き、とある木の下に来て、「主よ、私の命をとってください。」と苦しみのあまり祈って神に訴えた。これはもう死にたい、という意気消沈したうめきと言えよう。
あれほどの力を与えられながらこのような弱さのなかに陥っていくのは意外な気がするが、これは聖書という書物が人間の本質を深く見抜いているからである。人間とはこのように本質的に弱く、悪に立ち向かってはいけないようなものなのである。しかし、そのような人間の弱さのただなかに、神が来て下さるというのが聖書の一貫して告げている真理である。
このエリヤの精神的な危機にも、神は驚くべき方法によってエリヤを救い、体力を与え、そこからかつてモーセが神の言葉を受けた遠い山にまで行くことになった。そうした長い旅をも主が支え、導かれた。目的地の山に着いたエリヤはまだ霊的な力は与えられておらず、自分の使命も分からないままであった。
神から、「エリヤよ、お前はここで何をしているのか。」と問われた。それはエリヤが霊的に立ち直っているかどうかを問いただしたのであった。
しかし、エリヤは神の山(ホレブの山)まで、はるかな遠いところまで来ることができても、まだ自分のなかには悪の力への恐れが依然として根強く、今後どうしたらいいのか分からない状態であった。それは次のような答えに現れている。
…エリヤは答えた。「わたしは万軍の神、主に情熱を傾けて仕えてきました。ところが、イスラエルの人々はあなたとの契約を捨て、祭壇を破壊し、預言者たちを剣にかけて殺したのです。わたし一人だけが残り、彼らはこのわたしの命をも奪おうとねらっています。」(列王記上十九・14)
こうした不安のなかにあったエリヤの前に嵐のような風や地震などが生じたがそうした荒々しい状況のなかからは神の声はなかった。その後に静かな細い声が聞こえてきた。その声によってエリヤははじめてひそんでいた洞窟から出て神の御前に立った。
神はそのときはじめて新しい使命と、それに従う霊的な力ををエリヤに与えたのである。あれほど弱気になって死を求めて死は確実にすぐ間近に迫っていたほどのエリヤが、別人のように立ち直ったのであった。
ここに、人間の声に聞くことがいかに人を弱くさせ、この世の力に押し流されていくか、そしてその逆に、神の声に従うことがどのように人間を変えていくかが印象深く描かれている。
現代の私たちにおいても、周囲のさまざまの混乱に満ちた出来事、外面的に大きな変動などを見つめているだけでは私たちは決して新たな力を得ることもできず、立ち直ることはできない。私たちの心のなかにいろいろの声が鳴り響いているときそれらに巻き込まれてしまうと、人間的な感情で他人を非難したり、自分の弱さに落胆したり不安や不満が生じたりするばかりである。
しかし、大きな混乱に巻き込まれてもそれが過ぎ去るのを待ち、一人神の御前に立って静まるときに、このエリヤが聞いたような、「静かな、細い声」を聞くことができる。そうしてその声は霊的に立ち上がる力を与えてくれるものとなる。
この箇所について、ヒルティは次のように述べている。
いわゆる「神の探求」については、列王紀上第一九章、特にその11~12節(*)にこの上なく見事に描かれている。それには、人生目的に対する絶望や火や嵐がつねに伴いがちである。
しかし、正しいものは静かな説き勧めの声をもって訪れてくる。…
パウロのように、かすかな神の声に向かって開かれた耳を獲得するまで、忍耐し抜く者はきわめてまれである。
けれども、あらかじめ疾風怒涛の苦悩の時期を経なければ、人の心は十分に開かれることがない。(「眠れぬ夜のために」第二部 五月九日)
(*)主は、「そこを出て、山の中で主の前に立ちなさい」と言われた。見よ、そのとき主が通り過ぎて行かれた。主の御前には非常に激しい風が起こり、山を裂き、岩を砕いた。しかし、風の中に主はおられなかった。風の後に地震が起こった。しかし、地震の中にも主はおられなかった。
地震の後に火が起こった。しかし、火の中にも主はおられなかった。火の後に、静かにささやく声が聞こえた。
使徒パウロは、主イエスの光を直接に受けた後、キリストの福音を伝えるものとしてとくに選び出された。しかし、人生の新しい方向を目指して歩むことを、家族親族のだれにも相談もせず、またすでにキリストの使徒としてキリスト者を指導していた主イエスの十二弟子たちのところに行って教えを受けようともしなかった。一人アラビアに退いたのであった。(ガラテヤ書一・16~17)
そこでパウロは、主に導かれて一定の期間を、新しい使命について主イエスからの直接の示しと力付けを受けていたと考えられる。それは自らのそれまでの激しい動き移る人生の雑音から離れて、静かな細い主の御声に聞き入るためであったろう。
私自身の現在までの歩みのなかでも、信仰を与えられてから何度か大きな分かれ目に立たされてきた。教員になること、それから全日制高校の教員から、夜間定時制教員に転勤希望を出すこと、また激しい暴力と混乱の夜間高校に勤務してそれにいかに対処するか、そのまま他の教員のように、彼等の想像をはるかに超える暴力や荒れ果てた行動を見過ごして、ただ時間が過ぎるのを待つだけ、そして転勤を待ち続けるといった姿勢をとるのかどうかという大きな問題があった。さらに盲学校に転勤してからそこでの驚くべき長い年月にわたる不正なことに直面してそれを黙って見過ごすか、明るみに出すかの問題、また、ろう学校に勤務して半世紀を超えて手話を禁止し、手話を罪悪視してきたろう学校教育に手話を導入することの必要性を日増しに痛感してそれを実際に何十年というろう教育のベテラン教師の反対のただなかで、手話を教育に導入すること等々、それから個人的な問題においても、困難な決定をせねばならないようなこともあった。
それから、私の決定によっては一生の方向が変るというようなことが迫ってきた。それは、教職を辞めてみ言葉を伝えることに専念することを決めるときであった。教員としての仕事の他に、日曜日の礼拝集会とともに、週に何回か持つようになっていた集会があり、それとの兼ね合いが次第に困難になってきていた。教員を一度辞めたらもう再度戻ることはできない。
このような様々の状況において、自分がこうしたい、といった自分の願いを第一に持ってきていたら、それはたいてい安易な道、反対を受けない道であったが、そうすれば私の人生は全く異なるものとなっていただろう。それは今日までに与えられた数々の祝福や恵みが与えられなかったということである。神からの祝福を受けるということはどんなことなのか、それはこうした現実の困難に直面して、人間の声でなく、神からの静かな細い声に聞いて、神を信じて決断したことがその祝福を受けることと深くつながっているのが分かった。
静かな細い声に従うと本当に困難な事態となり、心身ともに疲れるような状況にと巻き込まれたこともあった。しかしその困難を経て最終的には、はじめには予想しなかったような助けが現れたり、荒々しかった人間が急に変化して私を受け入れるようになったこととか、意外な人が現れて助けられたり、それは実際に決断してみないと決して分からないことであった。神のなさる事はまことに深く、だれも予想も考えもしないようなことなのだと知らされた。
神の声かどうかはっきりとは分からないこともある。そのような時には、決断せねばならない最後のときまで祈り求めて神の示しを受けようとする。それでもはっきりとした応答を感じられないときには、思い切って困難な方を選んだこともあった。どちらが神の声の示す方向か分からないときには、このようにいずれか一方を信じて選ぶことで、そのようにすればたとえまちがっていてもあとから主イエスが軌道修正して下さるのである。
天よ、耳を傾けよ、わたしは語ろう。地よ、聞け、わたしの語る言葉を。
わたしの教えは雨のように降り注ぎ
わたしの言葉は露のように滴る。若草の上に降る小雨のように
青草の上に降り注ぐ夕立のように。(申命記三二・1~2)
モーセは神から示されて、人々に対して神がいかに真実と慈しみに満ちたお方であるかを語る。それとともに彼等の不信とそこに下される神からの裁きをも予告する。
神からの言葉は、霧のように、若草の上に降る小雨のように注がれる。モーセは自らが受けた言葉はこのような命を与えるものであると知っていた。ここで、雨とか霧、あるいは夕立といったような多様な言葉で言われている。それは神の言葉がしずかに注がれ命を与えるものだということが暗示されていると言えよう。
たしかに、静かに語りかけられる神からの御声に耳を傾けるとき、それは私たちの魂を生きかえらせる雨となる。
現代において、新聞やテレビ、雑誌などの内容は騒然としたもの、混乱を究めた世の中の状況をそのまま写したようなものである。それらは私たちに、降り注ぐ雨のようにいのちを与えるものでない。
しかし、自然も聖書も歴史も、そして現代に生きる私たちに日々告げられているニュースや出来事も実は、そうした神からの語りかけに満ちている。それを聞き取るかどうかである。
すでに述べたように、真に神の言葉を聞き取るならそれとともに、力が与えられる。立ち上がるようにと仕向けられる。
主イエスも、父から聴いたことでなければ何一つできない、と言われた。
「よくよくあなたがたに言っておく。子は父のなさることを見てする以外に、自分からは何事もすることができない。父のなさることであればすべて、子もそのとおりにするのである。…私は自分では何もできない。ただ、父から聞くままに裁く。(ヨハネ五・19~30より)
私たちは神に聴く。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして神を愛しているのなら、そのような者は自然に神の言葉に聴こうとする。人は、見下している者、無関心な者、あるいは嫌悪感を持つ者の言葉には耳を傾けない。しかしだれでも愛する者の声には耳を傾けるからである。
そしてみ言葉とは、愛する神からの言葉であるゆえに、それは単なる命令だけでは決してない。聖書にも、「み言葉は蜜よりも甘い」(詩編十九・10)と言われているとおりである。
聖霊に従って歩む、それは生きて働くキリストに聞くことと同じである。使徒言行録においても、パウロが異邦人への伝道を志したのは、彼自身の意図ではなかった。それは祈りにおいて、心を一つにしていたときに注がれた聖霊が語りかけたのであり、その聖霊の声に信徒が聴いたのである。
さらに、パウロは現在のトルコ地方にみ言葉を伝えたいと考えていたが、それを禁じた声があった。それに従って彼はヨーロッパ(マケドニア)にと転じたのであった。それがキリスト教がヨーロッパを中心にして世界にひろがっていく最大のきっかけとなった。
このように、まず私たちは神からの語りかけ、主イエスからの語りかけに耳をすませて、聞き入ることの重要性を知らされるが、そのことを印象深い筆致で私たちの前に置かれているのが、マルタとマリヤの記事である。
一行が歩いて行くうち、イエスはある村にお入りになった。すると、マルタという女が、イエスを家に迎え入れた。
彼女にはマリアという姉妹がいた。マリアは主の足もとに座って、その話に聞き入っていた。
マルタは、いろいろのもてなしのためせわしく立ち働いていたが、そばに近寄って言った。「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください。」
主はお答えになった。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。
しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」(ルカ十・38~42)
いくら自分でよいと思うことをしていても、まず主に聞き入ることがなければ、周囲の者の無理解やその他そのうち不満が生じてくる。マルタがこのような不満を言ったのは、彼女が主イエスの声に聴こうとしていなかったことがもとにある。主イエスが何を一番求めておられるのか、その声なき声に心の耳を澄ましていたなら、マリアが一生懸命に主イエスに聞いていることを見て、いっそう深くイエスの言葉がマリヤの魂にしみわたるようにとの祈りをもって台所仕事をしたであろう。マルタは自分の内なる声、すなわち自分を第一にしてもらいたいという人間的な声に聞いたのである。そこから、イエスとマリアに対して不満を持ったのである。
このように、人間的な自分中心の願望に聞くことは、霊的な力を失わせるものとなる。マルタはこのように不満を両者に向かって言うことによって、妹のマリアをもイエスをも本当には愛していなかったことが明らかになったのである。
第一に必要なことであるとともに、はじめから終りまでもずっと必要なのが、このマリヤのように主の膝もとにて、主の御声に聞き入ることだと言えよう。そこからすべてが始まる。
その御声を聞き取ったとき、それを実行するための力をも添えて与えられるし、神がそのことを通してさまざまの導きを示し、具体的に助けられるからである。そして全体として、神の国のための働きへと導かれることになる。
平和への道を妨げる動きー武器輸出解禁の動きー
首相の私的諮問機関である「安全保障と防衛力に関する懇談会」は十月四日、武器輸出の一部解禁を含む報告書を発表した。
武器輸出三原則とは、次の内容を指している。
(1)共産圏向けの場合、(2)国連決議により武器などの輸出が禁止されている国向けの場合、(3)国連紛争当事国またはそのおそれのある国向けの場合。
このような場合には、武器を輸出しないというものである。
その後、一九七六年になって三木武夫首相が、対象地域以外への武器輸出も「慎む」、かつ、武器製造関連設備も武器に準じて扱うなど、より厳しい規制を設けたことで、三原則以外の国にも武器を輸出することは慎むということになり、事実上一切の武器輸出が禁じられたことになった。
そのような三木内閣の政府統一見解は、「平和国家としての我が国の立場から、それによって国際紛争等を助長することを回避するため」、「憲法の精神にのっとり」、武器輸出を慎む方針を明らかにしていた。
一九八一年には衆参両院本会議が、政府に武器輸出3原則のための実効ある措置をとるよう求める決議を全会一致で可決したが、一九八三年、中曽根康弘内閣になってから、アメリカに対してだけは日米同盟上この三原則を緩め、武器技術に限って供与する途を開いた。
そして最近では、財界(*)からも自民党からも、この三原則をなくそうという動きが次第に強くなっていた。
(*)財界の代表的な団体、日本経団連の会長は自動車産業で世界第二位のトヨタの会長であり、副会長は、日本のトップ財閥三菱グループの中心企業で日本の軍需産業のトップでもある三菱重工業の会長である。なお、日本の軍需産業は、九九年の契約額上位から順にあげると、三菱重工業、川崎重工、三菱電機、東芝、石川島播磨重工、日本電気、日立造船、日産自動車などとなる。軍需産業は、発注者が国であるから、安定している上に、不況のあおりを受けにくいということで、企業としては経営上有利となることから、これらの会社が利益を重視するために関わりを深めていこうとしている。
今回の報告書はこれを更にゆるやかにするものであるが、最終的にはこれらの三原則を排除してしまおうとする意図が感じられるものである。そして企業が軍事産業にさらにいっそう関わり、利潤をさらに多くあげようとしたいのであり、政府やアメリカも日本の軍事産業が増大し、日本の武器輸出が自由にできるようになった方がさらに日米の軍事的な同盟を強固にするためには、利益があるとみなして、このような武器輸出三原則を緩和する方向へ向かおうとしているのである。
これは、平和憲法をもって、世界の平和にどの国よりも貢献しようという旗印をもっている日本が、武器を輸入したい紛争当事者の国にも輸出することに道を開くものである。こんなことになれば、平和主義という最も世界で貴重な原則をもってそこに世界で、独自の地位を占めて活動すべきなのに、他方で、武力を用い、戦争で相手国を破壊しようとする人たちにその武器を売って利益を得ようとするなど、日本の正しい進路を誤らせるものである。
財界は、こうした軍事産業を増大させるために、武器輸出三原則をなくそうとしているが、その三原則を生み出した元に、平和憲法があるため、財界は平和憲法を変えてしまおうという意見が強くなっている。
このようなさまざまの方向から、平和憲法をなくしてしまおうという動きが見られる。しかしこうした動きは、世界全体の平和や、人間の過去の武器を使った大きな罪、あるいは、実際に用いられた武器によってどれほどの弱い立場のアジア、アフリカあるいは中南米の人たちが苦しめられてきたかについて、全く見つめようとはしていない。
私たちは、武器を取らない国という真理を維持するためにも、このような間違った動きに注目し、真の平和の道を見失ってはいけないと思う。
ことば
(198)私が固く信じていることは、神はあらゆる人々に日々ご自身を啓示しておられるということである。
しかし、私たちはその「静かな細い声」(*)に自分たちの耳を閉じており、目の前にある「火の柱」(**)にその目を閉じているのである。(ガンジー著 「若きインド」一九二五年五月二五日(***))
My firm belief is that He reveals Himself daily to every human being but
we shut our ears to the 'still small voice.' We shut our eyes to the Pillar
of Fire in front of us.(Young India )
(*)今月号の「はこ舟」でも触れた、列王記上一九・12に見られる言葉。
(**)主は彼らの前に行かれ、昼は雲の柱をもって彼らを導き、夜は火の柱をもって彼らを照し、昼も夜も彼らを進み行かせられた。(出エジプト記一三・21)
(**)インドの政治家・思想家。(一八六九~一九四八) イギリスに学び、弁護士を開業。初め南アフリカでインド人に対する人種差別政策の撤廃運動に従事。一九一五年インドに戻り、非暴力・不服従主義によりインド民族運動を指導。イスラム教徒とヒンドゥー教徒の融和に腐心したが、インド独立後まもなく狂信的ヒンドゥー教徒に射殺された。アメリカのキング牧師は、ガンジーの非暴力の精神に深く影響されて、黒人差別撤廃運動にその精神を取り入れた。
○今月号で述べたように神の愛は太陽の光あるいは、雨のように万人に注がれているゆえに、万人に語りかけておられると言える。そうした神ご自身に私たちがいつも接しているために、私たちは「目覚めていなさい」、と主イエスからも繰り返し教えられている。(マタイ福音書二四・42、二五・13)
(199)もしあなたが、誠実であろうとするならば、だれがあなたにそれを許さないだろうか。…人間は誠実(*)のために生れてきたのであって、それを覆す者は、人間固有のものを覆すのである。(エピクテートス「語録」第二巻二、四章より)
(*)「誠実のために」pros pistin 。誠実と訳された pistis は真実、信仰とも訳される語。地位を高めるということ、財産家になるとか有名になることは、無数の妨げがある。何かの事故や病気となっても直ちにそれはかなえられなくなる。しかし、私たちが真実なものになろうとすることは、たしかにどのようなものも妨げることはできないはずのものである。不正を受けても相手のために良きことがあるようにと祈る心は真実な心であるが、そうした心の方向は私たち自身が決めることができるし、力足らなければ神に求めていくことができるようになっている。人間とは単に享楽や飲食などのために造られたのでなく、「真実」というものに向けて創造されたというのは動物との根本的な違いの一つといえる。
私たちが本当に真実であり得るのは、不信実な本質たる罪赦され、完全に真実なお方である神にたえず導かれるときである。
(200)伝道は忍耐のわざである。福音の種を蒔いてその生育を待つことである。雄弁でもなく、交際でも、なく、学識でもない。忍耐であり、忍耐をもって待つことである。
すべての才能において欠けることがないほどであっても、忍耐という一つのことにおいて欠けているものは、この聖なる働きに入ることはできない。(内村鑑三「聖書之研究」一九〇五年一〇月)
休憩室
○冬の季節となり、夜空には最も親しまれているオリオン座が東から上ってきて、夜の九時ころには東に見えています。
この数か月、明け方には、金星と木星が上下に並んでとりわけ美しい輝きを見せています。六時ごろでも、夜明けが遅いので、これらの星がはっきりとみえています。この時刻には、最近では、火星が東から上ってきて、東から順に、火星、金星、スピカ(乙女座の一等星)、木星、レグルス(しし座の一等星)、土星とずっとほぼ一列にならんで輝いています。この列の最後になっている土星は、もう西よりの高い空にみえるようになっています。
そしてその列の左側(北東の空)には、北斗七星が立ち上がってきてその広く知られた姿を見せています。
今年は、金星を第一として木星、土星、そして火星といった強い輝きの惑星が次々と夜明け前の夜空を飾るように現れるので、夜明け前に起きることの多い人にとっては朝一番に心に天来の光を受けるような気がすることと思います。
返舟だより
○十一月十九日(金)から二十三日(火)まで、松山、熊本、福岡、大分、別府、広島(二箇所)、岡山などでの集会と訪問を与えられ、み言葉を語る機会が与えられました。松山では二宮さん宅での山越集会があり、神奈川県からの参加者もありました。み言葉を中心として様々の方々との交わりが与えられて、ともに歩んで行けることを実感し感謝でした。
また、熊本では、ハンセン病療養所である国立療養所・菊池 恵楓園(けいふうえん)からの参加者が二名ありました。そのうち、Nさんは全盲となり、また全身の感覚もなくなっており、両手も不自由となってものをつかむこともできない状況ですが、霊的には主によって支えられ、力を与えられておられるのが分かりました。ほかに全盲の方が四名と、遠く福岡からも二名の参加者があり、健常者の参加者とともにこのようにキリストをもとにして一つにならせて頂ける幸いを思いました。
なお、このときに、松山市から熊本に渡る途中の、愛媛県佐多岬半島や、大分県竹田から阿蘇に至る山道では、晩秋の野菊(リュウノウギク、シマカンギク、ヤマシロギク)や、ヤマハッカなど、いろいろの植物が見られたので、その一部を採取して持っていきました。病気のために視覚とともに、手の感覚や嗅覚もなくなっているNさんは、その植物を舌で触れたり歯で噛んで植物の感触や味わいに触れておられました。神様の御手のわざをそのようにしてわずかにでも感じ取ろうとされる方もおられるので、目もみえて、手でも触れ、香りも味わうことのできる者は、それらの感覚を十分に生かして神の御手のわざであり、み言葉の一つの現れである自然に対していっそうの愛をもって接すべきことを思いました。
土曜日の夜は、福岡県宗像郡福間にお住まいの、大園兄宅にてお世話になり、よき交わりの機会となりました。日曜日は、福岡聖書研究会と天神聖書集会との合同の集会で、み言葉を語る機会が与えられました。その後、短い時間でしたが、一部の参加者とともに昼食をいただき、主にある交わりのひとときをも与えられて感謝でした。
午後は、大分市に移動し、盲人信徒修養会での聖書講話を受け持ちました。視覚障害者の方々以外に、別府聖書集会の方も数名加わっておられ、会の後に、その方々も含めて夕食のときを与えられ、ここでも交流がなされました。
その翌日は別府市の教友を訪問し、そのうちの一箇所では短時間でしたがともに祈りとみ言葉と讃美のときが与えられました。その後広島県の宮島におられる谷口
与世夫(よせお)兄を訪ね、そこで四人の小集会となりました。参加者の一人Mさんは、以前高松市在住で、その方のところで四年ほど私が毎月一度訪問して集会がなされていたのですが、二年ほどまえに広島に移られた方でした。
谷口兄は奥様を天に送られても霊的にはともにおられるご様子で、主からの御力を頂いて支えられておられるのを感じました。谷口兄は、時々に発行されている「落ち穂」という印刷物を、最近合本にされて多くの人たちに喜ばれているようです。
谷口宅での小集会のあと、そこから一四〇キロほど離れた、広島県比婆郡東城町の沖野利之兄宅に移り、夜の集会がなされました。今年は初めての参加者も三名ほどあり、また沖野兄のお孫さんである、小学校四年の子どもも参加してともに学びと讃美、感話がなされました。初めての参加者のうちの一人は、はじめのみんなの一人一人の祈りのとき、このように祈るのは何十年ぶりと言われていました。沖野兄の祈りを主が聞かれて、主がそのように引き寄せられたことを思って感謝でした。その日は沖野宅にて宿泊、翌朝は、澄み切った秋の冷気が周囲を覆っていて気温は二度しかなく、徳島では真冬のような厳しい寒さでした。
その後は岡山市の香西兄宅を訪問して短い時間でしたが、み言葉をともに学び、祈りのときが与えられました。
なお、比婆郡東城町の沖野宅から岡山市に行くとき、国道でない山の中を通る道に入ったため、急な狭い山道を深い谷に降りていくことになって、時間がかかりましたが、思いがけず中国山地の奥深くにある晩秋の美しい紅葉や黄葉の自然林の中を通ることができました。その多様な色彩と樹木の立ち並ぶ沈黙の讃美は心に迫るものであり、山々から無数の讃美の声がそこから発せられてくるように感じました。
人間の意見や議論もそれなりに私たちの必要とするものですが、しかしそれらは救いをもたらしたり、絶望的な悲しみや苦しみ、あるいは孤独にある人の魂を立ち上がらせることはできないことです。それはただ、神のみ、神の言葉のみがなしうることであり、各地で語らせて頂いたいのちのみ言葉が参加者一人一人の心のうちにとどまり、さらにそれが他者にも伝わっていきますようにと祈り願うものです。