2004年5月 第520号・内容・もくじ
忍耐と希望 | 地の塩・星のように |
「天路歴程」について | 死の谷をすぎて |
主が共におられる ヨセフの歩み(創世記三十九章より) | ことば |
休憩室 | 返舟だより |
忍耐と希望
聖書においては、「忍耐」と「希望」とは不可分に結びついている。この点では日本語の「忍耐」という言葉とは大きく異なっている。
日本語では、困難な状況にある人に対して「忍耐しなさい」と言えば、それはがまんする、がんばってそれに耐える、という意味になる。国語辞典にも「じっと我慢すること」(学研国語辞典)とあり、広辞苑では、「こらえること。たえしのぶこと。」と説明されている。
ここには希望というのはない。希望はないがただ我慢するだけだということで、事態がよくなることへのあきらめがそこにある。
しかし、聖書において「忍耐」というとき、それはたんなる我慢やこらえるというようなことではない。
あなたがたが信仰によって働き、愛のために労苦し、また、わたしたちの主イエス・キリストに対する、希望を持って忍耐していることを、わたしたちは絶えず父である神の御前で心に留めているのです。(Tテサロニケ一・3)
ここで、パウロが絶えず覚えているのは、信徒たちが信仰によって働き、愛ゆえに苦しみつつ働き、希望と結びついた忍耐ということであった。このように忍耐は直接に希望とつながっていることが示されている。
また、
良い土地に落ちたのは、立派な善い心で御言葉を聞き、よく守り、忍耐して実を結ぶ人たちである。(ルカ福音書八・15)
このたとえにおいても、私たちが実を結ぶのは、み言葉を心して受け入れ、どんなことがあっても、神に希望をおきつつ耐えていく、それが実を結ぶことにつながると言われているのであって、単に苦しみを我慢していたら実を結ぶというのではない。
やはりパウロのよく知られた忍耐と希望に関する言葉にはつぎのような箇所がある。
わたしたちは、キリストのお蔭で、いまの恵みに信仰によって導き入れられ、そして、神の栄光にあずかる希望をもって喜んでいる。
それだけではなく、患難をも喜んでいる。(*)
なぜなら、患難は忍耐を生み出し、
忍耐はよい品性の者とし、さらに希望を生み出すことを、知っているからである。(ローマの信徒への手紙五・2〜4より)
(*)「患難をも喜ぶ」という表現で多くのキリスト者によく知られた言葉であるが、右の聖書の文で「喜んでいる」と訳された原語(kauchaomai ギリシャ語)は、「誇る」という意味も持っているので、新共同訳では、「患難を誇る」と訳している。しかし、日本語では、「誇る」というと、例えば学歴を誇るといった具合に「自慢する」というニュアンスになるが、パウロがこのような意味で患難を自慢しているなどとはもちろん考えられない。
パウロが、何事が起ころうとも、「いつも喜べ、常に感謝せよ」(Tテサロニケ五・16〜18参照)と、教えていることからしても、ここでは「喜ぶ」というのが、日本語としては、パウロの心にあった気持ちに近いと思われる。なお、口語訳、新改訳、文語訳などは「喜ぶ」と訳している。英語訳では、プロテスタントとカトリックのそれぞれ代表的な訳の一つとして知られるつぎの訳はいずれも、「喜ぶ」という訳語を使っている。
・Not only so, but we also
rejoice in our suffering. (New International Version)
・Not only that;let us
exult, too, in our hardships. (New Jerusalem Bible)
患難(苦しみ)に会うことによって、私たちは精神が鍛えられ、いっそう真剣に神を求めるようになる。そしてその真剣に求める心が神によって祝福されて、困難のただなかにおいても神からの喜びを感じることができる。
それは、苦しみは忍耐を生じる、すなわち、神を待ち望むという心を生み出す、そしてそれがその人の性格となり品性となっていく。どのようなことがあっても、神は必ず最善に導くという確固たる希望へとつながっていく。
このように、忍耐という言葉は、単なるあきらめや我慢では決してなく、神を信じ、神に心を注ぎ、神からの助けを待ち望む姿勢なのである。神がおられ、弱きところにかえってその力を注いで下さるのが神であり、愛の神であるならば、その神が単にあきらめと結びついた我慢を求めていることはあり得ない。
このように、聖書においては忍耐とは希望と結びついているがそれは、言葉の面でも明らかである。
主よ、わたしが声をあげて叫ぶとき、聞いて、私を憐れみ、私に答えて下さい。…
わが救いの神よ、私を捨てないで下さい。
たとい父母が私を捨てても、
主が私を迎えて下さる。
私は信じる、主の恵みを見ることを。
主を待ち望め、強く雄々しくあれ!
主を待ち望め!(詩編二十七より)
この詩には、苦しみの中から全力をあげて神を見つめ、神に叫び、救いを求め続ける魂のすがたがある。作者はたとい最も身近で関わりの深い父母が捨てるほどのことがあろうとも、神は見捨てないという確固たる希望を持っている。この詩の最後が、「主を待ち望め!」(*)という言葉で終わっているが、この言葉こそ、「忍耐」という訳語で表されている内容なのである。
(*)このギリシャ語訳(七十人訳)は、「hupomeinon ton kurion」(主を待ち望め)であり、「待ち望む」と訳されるギリシャ語は動詞であり、その名詞形(hupomone)が、新約聖書で「忍耐」と訳されている。
主イエスは、「最後まで忍耐するものは救われる」と言われた。ここでも、単に我慢するというのでなく、最後まで神への希望を失わず、神に待ち望む者こそは、救われる、という意味なのである。それほど、キリスト教における希望は重要なものであるし、そのようにいつまでも、世の終わりまでも続いていくものなのである。
それゆえにつぎのように言われている。
それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。(Tコリント十三・13)
地の塩・星のように
人間はだれでもさまざまの汚れをもっている。正しいことがなしえない。清い心を持続することもできないし、真実な愛を隣人に注ぐこともできない。
このような状況はキリスト者となっても続いていく場合がいろいろある。それを見ていたら、私たちが地の塩だとか光だとか言われても到底そのようには思えない。
しかし、聖書においては主イエスや最大の使徒パウロがつぎのように述べている。
・あなた方は信仰によって義とされた。(ローマ信徒への手紙三・22、五・1、9など)
・あなた方は地の塩である。(マタイ福音書五・13)
・あなた方は以前には闇であったが、今は主に結ばれて、光となっている。(エペソ書五・8)
・あなたがたは、いのちの言葉を堅く持って、彼らの間で星のようにこの世に輝いている。(ピリピ書二・15 口語訳、NRS、NIV など)
・あなた方は自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。(Tコリント三・16)
すでにこのように、事実として語られている。未来に、正しい(義)とされるだろうとか、将来そのうちに、地の塩となるとか、もっと完全になったら光となるであろうというのでない。今すでに光となっており、塩となっているというのが聖書に繰り返し現れるメッセージなのである。
主イエスは、つぎのように言われた。
…あなたがたも同じことだ。自分に命じられたことをみな果たしたら、「わたしどもは役に立たない僕です。しなければならないことをしただけです」と言いなさい。(ルカ十七・10)」
このように私たちが何かよいことをしたとしても、自分を振りかえって何にも取るに足らない僕だと感じる、それが正しい感情だと言われた。
それは神の無限の偉大さの前には私たちのよい行動などまったく取るに足らないし、また罪深い私たちのなすことであるから神の祝福なくば何の役にもたたないと感じるのである。
しかし、そのような役に立たないような者でありながら、それでも、神は私たちを正しい人間(義とされた)とみなして下さる。私たちがそのようにして神の前に正しいとされたのなら、それゆえに私たちは自ずから光となり、地の塩となり、神の霊のやどる神殿となる。
それは私たち自身が光であるのでなく、パウロが「あなた方は、主に結ばれて光となっている」と言っているように、私たちが義とされ、主に結びついているがゆえに、そして与えられた神の言葉や神を仰ぐ心(信仰)、聖霊のゆえに私たちは光となるということなのである。
それゆえ私たちは、地の塩、闇に輝く光だとみなして下さることを感謝し、喜びをもって受ければよいのである。
パウロが、「あなた方は自分が神の霊が宿る神殿であることを知らないのか」と言っているが、人々は自分のことであっても、神が宿る神殿であることに気付かないということがわかる。
同様に、私たちが自分を調べてみて、自分は地の塩だなどと納得するのではないし、また逆に自分は地の塩でない、星のように光ってもいないなどというべきでもないというのがわかる。それはあなたは義とされたのだ、ということと同様に感謝して受け取るべきことなのである。
それは神から見た事実なのである。いかに初歩的な信仰であれ、ひとたび私たちがキリストを信じて、キリストの赦しを受けたときから私たちは地の塩として主が用いて下さるのである。
しかしそれも注意していなかったら、私たちが神から離れて、信仰が変質したり、与えられている神の言葉が失われて人間の言葉や意見、私たちを取り巻く伝統や習慣、あるいは神学のようなものが次第に私たちに与えられた神の言葉を変質させていくのである。それが、主イエスの言われた、地の塩でありながら、その塩が味を失うということである。
じっさい、そのような例を私もいろいろと知っている。若いときには信仰に熱心であったにもかかわらず、次第にその信仰があいまいになったり、伝統的な日本の神社宗教のようなものに近づいていったりしてしまう。戦前の日本のキリスト者が天皇を現人神とする一種の偶像宗教に引っ張り込まれたのもそうした例の一つであった。
復活はキリスト教では、十字架と並んで最も重要なことである。これについても同様なことがいえる。
ふつうには、復活は将来に生じることと思われているが、現在すでに実現しているということが強調されている箇所がある。
それはマルタとマリヤという姉妹との会話のときである。
…マルタは「終わりの日の復活の時に復活することは知っています。」と言った。
イエスは言った。「私は復活であり、命である。私を信じる者は、死んでも生きる。生きていて私を信じる者はだれも決して死ぬことはない。このことを信じるか。」(ヨハネ福音書十一・24〜26)
ここでも、マルタが信じていたのは、世の終わりのときの復活であったが、主イエスが言われたのは、そのような未来のときでなく、今すでに信じるだけで、復活の命を与えられるのだと言われたのである。
さらに、悪との戦いについても同様なことがいえる。キリスト者とは単に自分だけの安らぎの中に安住していることが目標でなく、この世の悪そのものとの戦いの生活を送るようになった人でもある。その意味で、私たちの戦いは最終的に敗北するのか、勝利なのかということは極めて重要なことといえよう。この点についても主イエスはつぎのように言われた。
あなた方には世では苦難がある。しかし、勇気をだしなさい。私はすでに世に勝利している。(ヨハネ福音書十六・33より)
キリストがすでに世の悪に勝利しているゆえに、私たちキリストに結びついている者もまたすでに勝利している。だからこそ主イエスは、勇気を出せと、励ましたのであった。
このように、聖書においては、通常の考え方では未来のこと、しかもいつになったら実現するかわからないはるか未来のことと思われることが、すでに現在のこととして言われている。
そうしたすべてのことは、信仰によって、すでに今、神の御前で義とされているということに出発点がある。それほどにキリストの十字架での死は大きな意味を持っているのである。
「天路歴程」について
私たちのキリスト集会では、毎月一度、日曜日の午後に礼拝集会が終わった後に読書会をしていてもう三十五年以上昔から続いている。今までにカール・ヒルティの著作、「聖潔のしおり」(救世軍の出版物)、ダンテの神曲、ジョン・ウールマンの「日記」、内村鑑三の著作などを読んできた。「神曲」は、長編であるため、毎月一歌ずつ学んでいったが、時折集会の都合などで、読書会を持てないこともあったので、地獄編から天国編までを学ぶのに十二年ほどの歳月を要した。そして現在は一年ほど前から始めた「天路歴程」の学びを続けている。
「天路歴程」とは、今から三百数十年ほど昔にイギリスで書かれた。これは中国語の書名をそのまま日本でも使っているので、わかりにくい題名である。原題は、「巡礼者の前進ーこの世から来るべき世へ」(The Pilgrim's Progress from this world to that which is to come)というもので、神を信じ、キリストを信じる者がいかにして、罪ゆるされ、力を与えられ、守られ、導かれて天の国へと歩んでいくか、その歩みを書いたものである。
著者は、バニヤンといって、とても貧しい家庭に生まれ育った。父親は鋳掛屋をしていた。これは、鍋・釜などを修理する職業で、それは動物を使う興行師や行商人と同様な扱いを受けていて、社会的地位はことに低かったという。イギリスの文学者、作家でバニヤンほど低い地位にあった人はなかったと言われるほどであった。
そのような低き地位にあった人が、世界的な文学作品、しかもキリスト教信仰の上でもとくに重要な内容のものを生み出すことができたのは、神の導きという他はない。
彼は牧師でないのに、説教をしたということなどの理由で、三回にわたり入獄を経験し、合わせると十二年半もの獄中生活を経験している。
そうした経験をもとに、キリスト者であってもたいていの人が共通して経験すること、神の導きと助け、また罪との戦い、さまざまな霊的な困難や試練など、だれも書いたことのないような表現で著者は表現した。
バニヤンは生涯に六十冊にも及ぶ多くの本を書いたが、そのうちで最も重要なのが「天路歴程」でこれは聖書についでよく読まれてきて、過去三百年ほどの間に、百数十国語に訳されてきたという。
バニヤンは、獄中にあっていつ解放されるか分からない、最悪のときには獄屋で病気となり、死んでしまうかも知れないし、六年もの間獄屋に閉じ込められたことが、二回もあったことからして、判決で二度と獄から出てこられないような重い刑になるかも分からない。
こうした不安や苦しみ、孤独、そして真っ暗で、不潔な牢獄での夜の長い苦しみ…こんなただなかでバニヤンは「天路歴程」という名作の着想を与えられていったのである。しばしば偉大な作品は著者自身も思いも寄らない状況のときに作られる。それはいわば神ご自身が人間の予想をこえてなされるということを示すためであろう。
キリスト教の文学作品(詩)としてとくに重要なのはダンテの「神曲」である。これは邦訳で五百頁を超える長編で内容的にも実に深く、しかもキリスト教の重要な内容をもとにしつつ、哲学や歴史、当時のキリスト教界の腐敗、ことにローマ教皇の問題、人間の愛、深い霊的な体験、自然への深い洞察等々、実に多様な世界を詩のかたちで描いたものである。
これは、今から七百年ほど昔、イタリアのフィレンツエという町の政治家であったダンテが自分の町から追放され、家族からも離れ、各地をさすらい、財産も失われてしまったそのような放浪のただなかで神曲は書き始められた。
このように、キリスト教の詩としては聖書を除いて、最もその内容の深さや広さをもって大きな影響を与えてきたダンテの神曲は、著者自身予想もしていなかった苦境のなかで、書き上げられていったのであった。それは神がそうした命の危険が伴う状況のなかで、それまで大切にしていたものをほとんど失った状況のなかで、ただ神への切実なまなざしが生れるようにと、神がダンテに苦難を与えたと考えられるのである。
また、旧約聖書の詩集である、詩編の多くを作り、それらの詩がさらに新たな詩を生み出すことにつながっていったと考えられるダビデも、かれの受けた苦難の数々とそこから真剣に神にすがり、神への叫びが生まれ、それが多くの詩を生み出す原動力になったと言えよう。
詩というものは、深い感動がなければ生れないし、また心がまっすぐに向いていなければ他人の心に響くようなものは生れない。
中国の哲人が言ったように、詩を生み出す心の特質は、「思い邪なし」(*)である。すなわち、自然であれ、人間であれ、見つめるものに対する心がまっすぐでなければ、他者の心を打つ詩は生れない。
(*)子の曰く、詩三百、一言もってこれを覆う、曰く、思い邪なし。…この意味は、「詩経三百編を一言で総括するなら、心の思いに邪なしだ。」(「論語」為政第二の2)
ここでは、バニヤンの「天路歴程」という代表作の中から内容の一部を取り出して、読んだことのない方のために紹介をしたいと思う。ここで「キリスト者」とは、この本に登場する主人公のことである。
キリスト者は人生のあるときに、自分がいかに正しい道からはずれていたか、どんなにさまざまの罪を犯してきたかを思い知り、このままでは自分は滅びていくことをはっきりと知ることになった。その滅びから救われるためには、どうしたらよいのか、それが最も重要な問題となったのである。
キリスト者は野を歩いていて、一冊の書物を読みながら、心に悩み苦しんだ。そして彼から出たのは「救われるためには、私は何をなすべきなのか」という叫びであった。このように目覚めた人間がまず考えることは、自分の現実を知ってそれで絶望したり、それをまぎらわそうとして快楽に走ったりするのでなく、何をなすべきか、ということであった。
聖書においても、キリストへの道を備えるためにあらわれた洗礼のヨハネ(*)は、人々に自分たちがいかに正しい道からはずれて生きてきたか、かれらの罪を自覚させた。すると、人々は初めて目を覚ましたかのように次のように口々に言った。
そこで群衆は、「では、わたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。…取税人も来て「先生、私たちはどうすればよいのですか。」…兵士も「この私たちはどうすればよいのですか」と尋ねた。(ルカ福音書三・10〜14より)
こうして、そのキリスト者が「何をなすべきか」という強い叫びをもっていたとき、導き手に出会った。その導き手(伝道者)は、聖書を手渡した上で、つぎのようにキリスト者に勧めた。
向こうのくぐり門が見えますか。
あの光から目を離さないで、まっすぐにそこに行きなさい。そうすればその門が見える。そこで門をたたけば、どうすればよいかわかる。
こういわれてキリスト者はその光を見つめつつ出発したが、たちまちひきとどめようとする者が現れて何とかして行かせまいとした。それを振り切ってキリスト者は出発した。
しかし、「背負っている重荷」のために早く前進できなかった。この重荷とは、罪の重荷であった。私たちは罪という重荷を軽くしていただかない限り前進が困難だということを表している。
しばらくして彼は同行していた人とともに、沼に落ち込む。
…二人は野原の真ん中にある非常に泥の深い沼地に近づいた。そしてその中に落ち込んでしまった。その沼の名前は「落胆」であった。そのためかれらはしばらく苦しみうめき、ひどく泥まみれになった。キリスト者は背中に背負っている「重荷」のために泥沼に沈みかけた。…
この「落胆の泥沼」にはだれでも落ち込んでしまう。バニヤン自身がそうした中に入り込み、神を信じて這い上がろうとしてもどうしてもできず、苦しみもがいたという経験があったのである。
私たちもまた、信仰をもっていても、なお意気消沈したり落胆して祈る気力もなくなってしまうようなこともある。それはこのキリスト者のように、背中に負っている「重荷」があればなおさらそうである。自分は罪深い者だと知ったとき、さまざまの苦しみや悲しみ、弱気な気持ちがあふれてきて、立ち上がって前進する力をなくしてしまうことがある。
罪人がその堕落した状態に目覚めるときには、いつでもその心に自分はさばかれるのでないかという恐れや神は本当に助けてくれるのか、人間の悪の方が強いのではないのかなどの疑いが生じたり、憂うつな気持ちや無力感が襲ってくる。そうした状態を泥沼にたとえている。
そこから自分の力で出て行くことができず、泥のなかにはまり込んでいきそうになったとき、意外な助け手が現れ、かろうじてキリスト者はそこから這い上がることができた。この泥沼にはまったのも背中の重い荷物のせいであったから、キリスト者はそれをなんとかして降ろしたいと願っていた。
…この重荷を捨てるということは、それこそ私の求めていることです。しかし、自分では捨てることができないのです。私たちのところの人たちにはこのような重荷を私の肩から取りのけてくれるような御方は一人もいません。
それで私はこの重荷を捨ててしまうためにこの道を歩いているのです。…
天路歴程、すなわち天の国への歩みはその最初の段階で、罪の重荷を取り除くということが極めて重要なことになっている。これは重荷があるままでは、旅を到底続けられないし、その重荷のゆえに歩き続けられずに引き返してしまうし、落胆の泥沼に落ち込むし、その上、目的の光も見えなくなってくるからである。
それゆえキリスト者はさらに次のように言う。
背中のこの重荷は、道を歩くときの苦痛や疲れ、飢え、あるいはほかのさまざまの苦難などどんなことに比べてもこの重荷の苦しみが大きいのです。この重荷から解放されさえしたら、途中でほかのどんなことに出会おうがかまわないと思えるほどです。…
私は自分が手に入れたいと願っているものが何であるかわかっています。それはこの重荷がとれて楽になることなのです。…
こうしてキリスト者はその最大の願いであった重荷を取り去っていただくために旅を続けていく。そしてさまざまのところを経てようやくとある上り坂にたどり着く。そこには十字架がかかっていた。キリスト者がちょうど十字架のところに来たとき、彼をあれほど苦しめた重荷は肩からほどけて背中から落ちて、転がりだして近くにあった墓の中に落ち込んでもはや見えなくなった。
十字架を仰いだだけでこのように長い間の重荷から解放されるとは思いもよらなかったことであった。彼は、涙があふれ出て止まらなかった。それは今までのどんなことよりも深い喜びだと感じた。
そのとき、3人の輝く人が彼のところにやってきて、一人は「あなたの罪は赦された」と言い、第二の者は彼のぼろになった衣服を脱がせて着替えの栄光の衣を着せた。また第三の者は彼の額に印を付けて、封印された巻物(聖書)を与えて今後の旅のためになるようにとのことであった。
こうしてキリスト者は、旅の最大の問題であった重荷を解決することができた。それは罪赦されて新しい歩みを始めるということであり、私たちにとっても三百年の歳月を経ても少しも変わらない真理なのである。
私自身、キリストの十字架を仰いで、ただそれだけでキリスト者となり、それまでの重荷を軽くしていただいた。そこから私のキリスト者としての生活が始まったのを思い出すのである。
それはこの本に出てくる、「キリスト者」(バニヤン)の経験と同じであって、同様の経験をした人たちは数知れないであろう。
こうして、重荷を十字架を仰ぐことによって取り去ってもらったキリスト者は天の国への旅を続けていく。そのとき、悪魔がキリスト者を激しく攻撃してくる場面がある。そこでキリスト者は恐ろしくなって、引き返そうか、それとも踏みとどまろうかと激しく動揺しはじめた。
しかし、キリスト者が落ち着いて考えてみると、彼は前には鎧を来ていて攻撃を受けても防ぐことができるが後ろからの攻撃には、一つの矢を受けても倒されると気付いた。それは背中にはよろいを着ていなかったからである。そこで思い切って踏みとどまろうとした。攻撃をしてくる悪魔に打ち勝つには、後ろをみせて退くことが最も危険だとわかったからである。
このことは、著者であるバニヤン自身の経験であった。
神の国への歩みはただ、前進しかない。
しかし、踏みとどまったキリスト者に対して悪魔は襲いかかり、キリスト者が持っていた剣は手から振り放され、まさに殺されそうになった。キリスト者は生きる望みも失いかけた。
そのような時、神の憐れみによって彼は剣をふたたび手に取ってし悪魔に攻撃をかけて退けることができた。キリスト者の剣とは、聖霊の剣であり、神の言葉であった。
悪魔を神の助けによって退けることができたとき、キリスト者は神への感謝と讃美を捧げた。そのとき、彼は傷をいろいろと受けていたが、思いがけず、命の木の葉を幾枚か持った手が彼のほうへと届いたので、それを取って傷につけると、直ちにいやされた。(この命の木の葉のことは、黙示録に書かれてある。)
神を信じて、神の助けと導きを受けて生きてきても、時に押しつぶされそうな苦難や悩み、神はもう自分を助けてはくれないのではないか、そもそも神はいないのではないか、などという深刻な疑問が生じることがある。「天路歴程」においても、すでに見たように、悪魔の激しい攻撃を受けようとしたとき、真剣に天への道を行くのを止めて引き返そうかと悩んだとある。
このことは、ダンテのような、力強い生き方をした人物であっても、同様であった。彼はその人生の途上においてあまりの困難のゆえに、正しい道から引き返そうと思ったことがある。彼はその主著「神曲」のはじめの部分に、彼自身が人生の半ばで深い悩みと苦しみに出会ったことが記されている。
人生の道の半ばで
正しい道を踏み外した私が
目を覚ましたときは、暗い森の中にいた。
その厳しく荒涼とした森が
いかなるものであったか、語ることは実に難しい。
思い返すだけでも、その恐ろしさが戻ってくる。
このような苦しい経験をしてそこから辛うじて脱出することができた。そして、彼方に光に包まれた山が見えた。
しかし、そこに登ろうとすると、途中に恐ろしい三匹の獣がつぎつぎと現れてその山に登ろうとするダンテに襲いかかろうとした。それに直面したダンテは、あまりの恐怖のために、光のさす山に登ることをすらあきらめて再び暗い谷の方へと退いて行った。
それは自分の今まで生きてきたように自分の力や意志で光の山に登ろうとしても人間的な欲望や高ぶり、野心のようなものが頭をもたげてきてどうしても登れないという、ダンテ自身の精神的体験をあらわしていると考えられている。
そのように、前進しようとしてもどうしても進めない、引き返そうとするような弱気、落胆、自分の罪に前途をとどめられてしまうということが、この大作にも最初から描かれている。
そのようなダンテに近づいて新たな道を示してくれたのが、神からつかわされた導き手であった。その導き手に導かれて歩んで行く道筋が神曲の内容となっている。
このように、私たちが正しい目的地を目指して進んでいこうとするときには、必ずさまざまの誘惑が入り込んで私たちを正しい道からそらし、あるいはそこからこの世の世界に引き返そうとさせる。
聖書にある、ユダという人物はそのような闇の力に敗北した例であったし、現在でもひとたび正しい道を歩み始めてもそのうちにこうした苦しみや罪のなやみなどでこの世に引き返してしまうことがしばしば見られる。
そうした誘惑に打ち勝つためにも、絶えることのない祈りやみ言葉の学び、そして自分以外の同じキリストにつながる人たちによる祈りの支えや励ましなどが不可欠なものとなってくるといえよう。
死の谷をすぎて
イラクでの捕虜虐待事件のことが、世界的に報道されている。あの報道に見られるようなことは、イラクだけでなく、アフガニスタンなどでたくさん行なわれているという。
捕虜虐待については、日本が太平洋戦争のときに建設した「死の鉄道」とも呼ばれる泰緬(たいめん)鉄道にかかわることが特に広く知られている。
この鉄道は、アジア侵略を押し進める日本軍がインド侵攻のための軍需物資の陸上輸送ルートを確保する目的で敷かれた軍用鉄道である。タイ(泰)とビルマ(緬甸)を結ぶ415kmに及ぶ鉄道は密林のジャングル、山岳地帯を通り、かつてイギリスが計画を断念したほどの険しい地形の中に建設された。
一九四二年に日本軍が建設を始めたとき、最低五年はかかると考えられた難工事であったが、日本の戦局の悪化に伴い急ピッチで工事を進めるよう命令が下り、一九四三年十月十七日、工事開始からわずか一年三カ月という驚くべき早さで泰緬鉄道は完成する。
工事には連合軍捕虜約6万人、ほかにアジア各国から募集、強制連行された労働者推計20万人が投入された。地理的な悪条件に加え工期の短縮により労働は苛酷をきわめた。猛暑の中、人海戦術でクワイ河沿いのジャングルを切り開き、国境山岳地帯の岩を削る作業が連日長時間続き、追い打ちをかけるように激しいスコールが襲った。
重労働、日本軍による虐待、食糧・医療品の不足、マラリアなどの伝染病によって莫大な数の死者を出していった。その数はイギリスなど連合軍捕虜約一万二〇〇〇人、アジア人労働者数万人。死者の正確な数字は定かではなく、特にアジア人労働者はジャングルの奧に眠る死者の数が二万とも三万ともそれ以上ともいわれる。
このようにわずか一年三カ月で、四万を超えるほどの死者を生み出したのである。これは毎月、二五〇〇人以上も死んでいったことになり、毎日七〇〜八〇名ほどもが命を失っていったことになる。
重い病気になったり、戦争終了後も重い後遺症に苦しんだ人は数知れないであろう。
これはいかに当時の虐待がひどいものであったかを如実に表している。
この事実は、当時捕虜になってこの鉄道建設に従事したイギリス兵が、文字通り死の淵から助かって後に、その体験を発表したことでも知られるし、それを基にして最近ビデオやDVDが発売されて、その生々しい状況をいっそう知ることができるようになった。
その体験を記した書物は、「死の谷をすぎてークワイ河収容所」(*)であり、著者はアーネスト・ゴードンである。
(*)新地書房 一九八一年発行。犬養道子氏はこの本の読後感を「多くを考えさせられる前に、神への感謝がまず湧き、かくも大きな神的なものを悪のさなかにも準備なさる神さまのすばらしさと、それを受けて、生き、死ぬ一人の人間にとって何が可能かを再び見たような気がします。」
なお、犬養道子は、ボストン、パリで哲学、聖書学を学び米国ハーバード大学研究員を経て在欧30年以上に及ぶ。1979年以降は世界の難民、飢餓問題に深くかかわり、各地のキャンプに単身毎年のように飛び回り、1992年以降は戦火のボスニア・ヘルツェゴビナに入り、サラエボに孤児となった青年男女のために奨学金援助やコンピュータスクールを開く。現在も『犬養基金』で旧ユーゴ難民に奨学金を送り続けている。
祖父は犬養毅(元内閣総理大臣)
その収容所においては、さまざまの拷問、射殺、銃剣による殺害、溺死をさせ、強制労働、食物を与えないで苦しめること、疫病にかかっても放置するなどおよそ人間のなすことでないようなことが行なわれていった。さきにあげたおびただしい捕虜の死者はそうした非人間的な扱いを受けた上に、熱帯のジャングルや山岳地帯、危険の伴う河川での鉄橋架設工事などでの過酷な労働のためにおびただしい人間が命を落としていった。
食事もきわめてわずかで副食を与えず米のみ、しかも病気になるといっさい食事を与えないで飢えさせて死に至らせるというものであった。この本には捕虜になった人のうち絵のよく描ける人の書いた挿絵があるが、それには限界を超えたやせ細った捕虜の姿がある。
ソ連に抑留された日本人捕虜は冷遇されたと言われるが、その死者は10%以下、ドイツとイタリアの収容所の連合軍捕虜の犠牲者は4%であったが、このクワイ河収容所では、連合軍の捕虜は10人のうち、2名〜3名、つまり30%近い死者が生じたという。
このような恐るべき捕虜への虐待は、現在のイラクなどで行なわれてきたという虐待とは比較にならない状況であった。
なぜこのような捕虜虐待が起こるのか、それは戦争というものが相手を多量に殺すということを目的とするからである。たくさん殺害することで勝利となるのであって、生かすことが目的にないから、こうしたひどいことが公然と行なわれるのである。
イラクの場合もあのような捕虜虐待が大きく世界的に報道されているが、アメリカがイラクの町を攻撃して、一般人含めて六〇〇名もの人の命を奪ったということは、はるかに大きな問題である。捕虜虐待より、ふつうに生活している人の命を奪い、家族を奪われ、あるいは死は免れても手足を失ったとか、耳や目の機能を破壊し、今後の生活も著しい困難に陥れることがはるかに悪質なことである。
そうした目に遭った人たちは、あの報道であったような虐待よりはるかにひどい状況で今後も生活を続けていかねばならない。
捕虜虐待を問題にする以前にそれを引き起こす戦争そのものを止めるべきであり、そのことを日本の首相もアメリカにはっきりと進言すべきであるのに、イラクで何が起ころうと、日本の首相、政府、与党の人たちは明確な抗議や進言をまったく行なおうとしない。
そしてアメリカの戦争を支持し続けている。それではあのような捕虜虐待を支持していることと同じになる。
太平洋戦争での目を覆うようなひどい捕虜虐待も、結局は戦争の一つの結果なのである。人を殺すことを目的とし、それを公然と認めるような考え方からは当然そのような非人間的なことが生み出されていく。
聖書の精神は、たった一人の命、病気でなんの仕事もできないような人、死を前にしたような人、世の中で何も役に立たないように思われている人をすら、神が深い意味をもって造られた存在として重んじる。そうした聖書の精神といかにかけ離れていることであろう。
戦争になると人間は多くが正気を失う。しかし、さきほどあげた「死の谷をすぎて」という書物のなかで、それほどの暗黒と悲惨のただなかにあって、一部のキリスト者たちが、なお希望と光を持ち続け、生きる力を与えられ、それが捕虜たちにも伝わっていったことが印象深い筆致で書かれている。それは実際にそのような死の谷を通って、キリストによって命を救われてきた人のみが語れる力をもって迫ってくる。
この書物をもとにして作られた、「死の谷をすぎて」という映画を最近見た。捕虜たちの虐待のことと共に、敵をすら愛するというキリストの力が捕虜以外のところにも働くという内容である。そして、この映画にも現れるが、日本軍の通訳をしていた日本人通訳者(長瀬隆)が、一部の捕虜たちの深い信仰に感化され、戦後20数回もタイ地方を訪れて、かつてそこで命をうしなった人たちをしのび、敵同士であった連合軍と旧日本軍の人たちを、そのクワイ河鉄橋で再会させた。そして後に彼はキリスト者となったという。
戦争や恐るべき捕虜収容所の中においてすら全身をもって求める者に働くのは、キリストの力であり、その福音であり、聖書(神の言葉)なのであった。
捕虜の待遇をよくせよ、ということよりはるかに重要なのは、戦争そのものを止めることである。そしてさらに、戦争がないだけでは人間は別の悪に捕らわれていくであろう。私たちの目標は、人間世界をこえた、神のいのちに生かされることなのである。
そしてこの戦争のような文字通りの死の谷は一部の人が体験したことであるが、精神的な意味において、あるいは病気や老齢による「死の谷」は誰もが通っていくのである。そうしたいかなる意味の死の谷をも神によって導かれ、そのかなたの光ある世界へと歩んでいくことこそ、過去から現在までのあらゆる人間の目標だといえよう。
主が共におられる
ヨセフの歩み(創世記三十九章より)
エジプトに売られたヨセフは、エジプト王の宮廷の役人で、侍従長に買い取られた。家族から離れてはるかに遠い異国にあって、奴隷のように売買されたヨセフは、その間どんな気持ちで何を考えていただろう。
創世記では、この間、ヨセフが神に祈ったとか、神からの力づけを受けたとか一切記していない。売られて行ってどうなるのか、それにははっきりとした神の答えもなかった。ヨセフもおぼろげであったと思われる。しかし、神はそうしたヨセフの苦しい歩みのただなかに共におられた。
悲劇的なことが生じようとも、苦しい孤独な状態に置かれようと、主はそうしたことに関わりなく、信じる者と共におられるし、信じる人たちのために働かれる。
神がいるのならどうしてこんなことが生じるのか、というような苦しいことが起きることがある。しかし、他方、神がその困難や苦しみのただなかで働かれる、そして神の業を深く理解できるようになる。
ヨセフは異国の人間に買い取られた人間であったのに、それを不服に思ったり、怒ったり、悲しんだりすることなく、仕事に励むことができた。家族もおらず、兄弟に売り飛ばされたという特異な出来事に対して自分の前途を嘆いたり、兄弟のことを憎んだりして過ごすのでなく、このように前向きに生きることができたのは、なぜか、それは単にヨセフがそのように考えるようにつとめたとか、ヨセフの性格であったとかいうことではなかった。
その理由はただ一つ、主が共におられたということである。この創世記三十九章だけで、つぎのように繰り返しこのことが強調されている。
「主がヨセフと共におられたので、うまく事が運んだ」(二節)
「主が共におられ、主が彼のすることをすべてうまく計らわれる」(三節)
「主はヨセフのゆえにそのエジプト人の家を祝福された」(五節)
「しかし、主がヨセフと共におられ、恵みを施し…」(二一節)
「主がヨセフと共におられ、ヨセフがすることを主がうまく計らわれたからである。」(二三節)
これだけ、「主が共におられる」という事を重複をいとわずに書いてあることは聖書のなかでも他にはみられない。創世記を書いた著者がいかにこのことを強調しようとしていたかがうかがえるのである。
神を信じていたら困難なことは生じないということではない。ヨセフのように兄弟からも憎まれ、売られ、そしてこのように誘惑された上でそれに打ち勝ったが、全くの無実の罪で獄屋に入れられてしまうこともある。
しかし、神はそのわざをなさろうとするとき、まずこのように苦しみを与えてから行なわれることが多い。
ヨセフはこのように奴隷として売られてもその事態を甘んじて受けて、それを神からのものとして歩んで行った。それによって主人に認められ、家の管理や、財産のすべてを任せられるほどになった。他国から買い取られた奴隷にこのような特別な信頼を寄せるということは、人間のなすわざではなかったゆえ、聖書はそれをすでに述べたように「主がともにいて主が栄えさせた」とあるように、それらすべては神がヨセフとともにいてなしたことだと記されている。
このようなふつうでは考えられないほどの恵みを受けたヨセフは、そのような幸いなことばかりが生じたのではなかった。
ヨセフが直面したつぎの大きな試練は、女性から来た。しかもヨセフを全面的に信頼している主人の妻がヨセフを誘惑しようとして、それがヨセフによって退けられるのがわかると、その女はヨセフの衣服を捕らえて引き入れようとした。しかしヨセフは衣服を残して部屋の外に逃れた。そのことで女は怒り、そのヨセフの衣服を証拠のようにして、夫の主人に、ヨセフが自分を誘惑しようとしたのだといって告げ口した。それによって主人は激怒してただちにヨセフを牢獄に入れてしまった。
こうしたいまわしい事件の直前に繰り返し、主はヨセフと共にいたと記されているのに、このようなひどい災難に陥れられるとは、一体神が共にいたのであろうかと思わされるほどである。
しかし、聖書で神が共にいるというとき、決して苦しいことや悲しみがない安楽な生活が約束されているなどとは記されていない。むしろ、神が共にいた人として最も大いなる人物であった、アブラハム、ヤコブ、モーセ、エリヤ、ダビデ、預言者のエレミヤなど、いずれもいろいろの苦しみや困難につぎつぎと直面していった人たちであった。
神がともにいるとは、困難に出会わないことでなく、困難によってさらに深い洞察と力を与えられ、その困難を乗り越えていくことであった。
ヨセフは自分の主人であり、全面的に財産など一切を任されていたほどの信頼を受けていた主人の妻を誘惑するという、最も恥ずべき罪を犯した者として牢獄に入れられた。そのくやしさや、怒りはふつうなら耐えがたい屈辱であったであろう。しかし、ヨセフはこのようないまわしい事態にもなお、前向きに生きることができた。その主人やその妻への怒りや憎しみを持ったままであれば、その背後におられる神を忘れているということになる。神はどのようなことが生じても必ず、自分と共にいて最善になるようにされるということを信じて生きていこうと決心したと思われる。それはかつて、自分は兄弟によって危うく殺されそうになったがそれでも不思議ないきさつで助けられたという事実もヨセフに力を与えたであろう。ヨセフは牢獄に入れられてもなお、無実の罪で牢獄にあるということへの不満や怒りをもって生活することなく、そのようなことがあってもなお、神はおられる、それでも神は働いておられるとの確信をもっていたようである。
与えられた場所が、金持ちの家であろうと、奴隷としてであろうとも、また牢獄という暗くて不潔で死に至る場のようなところであっても、ヨセフの神への信頼は揺るがなかった。
かえって、その与えられた牢獄という場において、真剣に生きるようにした。そこから、獄屋の番人はヨセフにすべての囚人の管理をゆだねるようになった。
このようなことも、ヨセフの能力とか生まれつき、やさしかったとかいうようなことには決して関連づけられていない。ヨセフが困難に出会って心身共に打ちのめされそうになったこともあるだろうが、それでも彼は神に心を向けることを止めなかった。
それは神がそのように背後で働いていたのだ、というのがヨセフの実感なのであった。私たちにおいても、自分がなにかできても、また周囲の状況で認められ、賞をもらっても、また失敗したり、病気となって仕事ができなくなっても、なお、このヨセフのような心で出来事に対処することができるのだと言おうとしている。
主が共にいてくださることから生じる神の祝福、それはこのようにいかに思いがけない事故や人間関係の困難があろうとも、変ることなく続いていく。
人間にとって最も必要なこと、それはこの創世記で見られるように、「主が共にいて下さること」である。そのためにこそ、私たちの方で妨げとなるもの(罪)があってはいけないのであって、キリストはその罪を除くために来られたと言われたのである。
罪が除かれるとき、それは私たちの心で主に背いて生きようとする心が除かれることであり、そのような心に主は来て下さって共にいて下さる。
このような意味のゆえに、主イエスの誕生の記述に際して、マタイ福音書ではこう言われている。
「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。(マタイ福音書一・23)
キリストが来られてから確かに、それまでの遠い存在であった神が著しく近くに来て下さった。それは主イエスご自身、「疲れている者、重荷を背負っている者は私のもとに来なさい。休ませてあげよう。」と言われているし、キリストが私たちのうちに住んで下さることになり、これこそ、神が共にいて下さるということの最も成就したかたちだと言える。
マタイ福音書の最後の言葉は、「世の終わりまで、いつもあなた方と共にいる」(マタイ福音書二八・20)であったが、世の終わりまでしか共にいないのでなく、さらに世の終わりを超えて新しい天と地においても、神は共におられる。
それは使徒パウロが述べているように、この世を去るとは、消滅することでなく、信じる者にとっては、「主とともに住むこと」(ピリピ書一・23)なのである。
聖書は、神が私たちとともにいて下さることをその冒頭の書である創世記からずっと一貫して最後まで説き続けている書である。エデンの園において神がともにいて守り、すべての必要を満たしていたのに、あえて人間は神の愛に背いて神とともにいるという最大の恵みから引き離されていった。
しかし、後に現れたアブラハムという人物において、神が共にいるということはどういうことなのか、そのことを実例をもって人間に示したのであった。アブラハムの子孫が夜空の星のようになるとは、神が共にいる人々が世界に無数にできていくということの預言であった。そしてそれはキリストによって実現されていった。現在も、そして未来にいかなることが生じようとも、神が共にいて下さる人々は限りなく生れていくことであろう。
ことば
(183)(悲しみからの脱却)
まことに人間の魂は、神に向かわないかぎり、どちらに向いても、他のどこにおいても、悲しみに釘付けされるだけだ。(「告白」四・10 アウグスチヌス著 (*))
・これはあまりにも悲観的な見方だというかもしれない。この世にはいくらでもよいもの、美しいものはあるではないか…と。たしかによい人もいれば、美しい自然もあります。しかし、よい人と見える人にも意外な弱点があり、思いがけない病気で弱々しくなってしまい、あるいは、老年となりやがては死にいたる。
そうした将来をも見つめるとき、悲しみが自然に生じる。美しい自然も、それらはいとも簡単に破壊されていくし、またそれを味わう自分もいつかは病気になり、それらをじっさいに味わうほどの健康も失われていく…そこに悲しさがある。それゆえ、ものごとをつきつめて考えるとき、神に向かわない限り、他のどこに向いても悲しみから離れることはできない。それゆえにこそ、私たちは神に向かおうとする心が生じる。
(*)アウグスチヌス(AD354〜430)は、キリスト教会の初期(二〜八世紀)を代表する著作家として最も重要な人物で,かつヨーロッパのキリスト教を代表する一人。「告白」は、三四歳までの生きてきた自分を告白し、自らの回心を神に感謝する内容で、五世紀の作。
(184)(悪を取り去るためには)
…その老漁師は、儀式になれているどこかの宗教家のようでなく、素朴な老人で非常に威厳のある証し人で、真理を説くために遠くからやってきたのであった。
彼はその真理を、眼に見て、手に触れて、現実のことのようにそれを信じ、かつ、それを信じるからこそ愛している人のようであった。その額にも真理そのものが持っているような確信の力があった。…
聞いていたローマの将軍の一人が、最も大きな驚きをもって聞いたのは、その老人が、神は完全な愛であるから、人々を愛する者は神の最も高い戒めを果たすものであると教え始めたときである。…
善人を愛するだけでは足りない。悪人のために祈り、愛さねばならない。愛によってのみ、悪人から悪を取り去ることができるからである。…
(「クォ・ヴァディス」シェンケビッチ著(*)上・270P )著 岩波文庫)
(*)クォ・ヴァディスとは、ラテン語(古代ローマ語)で、「Quo(どこへ) Vadis(行くのか) Domine(主よ)」を短くしたもの。これは(主よ、どこへ行かれるのか )という意味。この作品は、新約聖書の少し後の時代に書かれた「ペテロの言行録」に出てくる内容を、ポーランドの作家シェンケビッチが用いたもの。
。
・ここには、ペテロがローマの町でキリストの証言をしている状況が描かれている。当時キリスト者はローマ帝国によって迫害のただなかにあった。キリスト者の集まりのなかにも、キリスト者を捕らえるために潜入してきた者、信仰もなくして欺くために入り込む者もいた。そうした敵はうちにも外にもいて、キリスト者の安全をおびやかしていた。そうしたなかに使徒ペテロがきて、キリストの証言をし、キリストの教えを伝えている様子が、ノーベル文学賞を受賞した作家のペンによって生き生きと表されている。
(185)私は聖なる波から帰り
新緑の木の葉を新しくつけた
若木のような清新な姿となり
天上の星へと登ろうとする。(「神曲・煉獄編33歌142行以下」)
・これは煉獄編の最後の言葉。原文では disposto
a salire alle stelle (ready to mount to the
stars)であり、「星」という言葉が最後に置かれている。原文ではこの短い箇所に「新しい」という言葉が三度も用いられている。神によって清められ、罪をぬぐい去られ、善きことをゆたかに思い起こすようにして頂いて、さらなる高みへと導かれていく。
休憩室
○春の野草たちの花が咲き終わり、緑の若葉がいっせいに大きくなっています。周囲は緑一色となり、「天路歴程」に現れる、命の木の葉を思い出します。それは、本文で紹介したように、私たちの傷をいやそうとしてどこからともなく、差し出されたものだと書いています。緑だけでなく、青空や白い雲、風の音、そして谷川の水音などいずれも、神が私たちの心の傷をいやすために神から差し出されたもののようです。
○ウツギ(卯の花)
五月に山の多い地方を車で移動していると時折目にとまるのは、ウツギの仲間です。ウツギには、ガクウツギ、マルバウツギ、バイカウツギ(梅花空木)など、いろいろあります。
そのなかで、ウツギは純白の花が、半開きのように咲き、新緑の中にあって目をひくものです。
これは有名な「夏は来ぬ」という歌によってひろく知られています。それは曲がだれの心にも自然に入ってくる親しみやすいよい曲であるとともに、その歌詞が、後に古典文学の権威となった佐佐木信綱による五七五七七の短歌であり、それに「夏は来ぬ」をつけたものであること、その歌詞の内容が初夏のおとずれを印象深く表していることにあります。
最近は静かな自然の清さや美しさを歌ったこのような歌が若い人の心になくなっているようです。このような自然のかおりがたたえられた歌が今後とも人々の心に流れていくようにと願われます。
一)卯の花の 匂う垣根に
ほととぎす 早も来鳴きて
忍び音もらす 夏は来ぬ(*)
二)さみだれの そそぐ山田に
早乙女が 裳裾ぬらして
玉苗植うる 夏は来ぬ
三)橘のかおる軒端の
窓近く 蛍飛び交い
おこたり諫むる 夏は来ぬ
四)楝散る 川辺の宿の
門遠く 水鶏声して
夕月すずしき 夏は来ぬ(**)
五)五月闇 ほたる飛び交い
水鶏鳴き 卯の花咲きて
早苗植えわたす 夏は来ぬ
(*)「卯の花の 匂う」とありますが、ウツギには匂いはなく、これは古語として用いてあり、ウツギの花の「あざやかな白い色が美しく映える。美しく目立つ。」といった意味。
(**)楝(おうち)とは、センダンのことで、初夏にうす紫色の美しい花を咲かせる。
返舟だより
○昨日は集会で使徒言行録2章聖霊降臨により、弟子たちがキリストの復活の証人とされる力を与えられたことを学びました。今日は私たちが心から喜べる憲法記念日です。しかし、ご存知のように厳しい状況にさらされています。世界の平和を祈りつつ、午後の憲法講演会に家族で出かけます。山野には美しいゲットーの花が一杯咲いています。(九州の方)
○「はこ舟」は主人と朝読むことにしています。「はこ舟」はわかりやすい言葉でみ言葉を説き明かして下さいます。私などは、何十年聖書を読んできましたが、最近ようやくイエス様のこと、十字架や復活のことをわからせていただいたように感じます。…私は毎月、治療に行きますが、そのときに受ける特別な治療が涙の出るほど、また死ぬかと思うほど痛いので、イエス様の十字架と自分の罪を思い、祈ります。
病院の待合室で「はこ舟」読む 注射の痛さしばし忘れて
病院に行くときにも御誌を持っていきます。(関東地方の方)
・他にも、このように、ご夫妻で朝に「はこ舟」を読んでいると書いてこられた方があります。この小誌が、朝にみ言葉を届けることができるようにと願っています。
○…「はこ舟」や「野の花」(集会文集)によって見えないイエス様が共に歩いておられるのを感じます。「野の花」のお一人お一人の文章を拝読しながら、皆様が福音を正しく理解され、心からイエス様へ信従されている姿に打たれます。(九州の読者)
○…四月号の、創世記における人物たちの描写のうち、? と思われる内容についての聖書としての意義の説き明かしは、ありがたく伺いました。 真正面から扱って深くえぐったテロ問題については、「善をもって相手に対処する」以外、やはり解決策はないと確信!
(関東地方の方)
○毎月わかりやすく、み言葉をお伝えくださりありがとうございます。今は、「はこ舟」が届くのを心待ちにしております。四月号の創世記に登場するタマルやハンナの姿から、真実な祈り、ひとすじに神に求める心の大切さを強く感じました。私はある病気を持っていて、次第にからだが侵されていく精神的な痛みをつねに感じながら、週三回の通院をしております。「はこ舟」を読ませていただいて、慰められ、元気をもらっています。(北海道の方)