巻頭言

私は確信している。死も支配するものも…どんな被造物も、
私たちの主キリストによって示された神の愛から、
私たちを引き離すことはできない。


(ローマ書八・3839より)


200511月 第538号・内容・もくじ

st07_m2.gifめぐみの深みへと

st07_m2.gif闇のなかの光

st07_m2.gif主イエスの祈り

st07_m2.gif土台と柱

st07_m2.gif 道雄氏、召される

st07_m2.gifことば

st07_m2.gif休憩室

st07_m2.gif編集だより


 

st07_m2.gifぐみの深みへと

聖書には、それを読むだけでだれにでも何が書いてあるか、一応分かると思われるような内容がある。例えば次のような箇所である。

…イエスは、そのうちの一つの、シモンの持ち舟にのり、陸から少し漕ぎ出すように頼まれた。そしてイエスはすわって、舟から群衆を教えられた。

話が終わると、シモンに、「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい。」と言われた。
*

するとシモンが答えて言った。「先生。私たちは、夜通し働きましたが、何一つとれませんでした。でもおことばどおり、網をおろしてみましょう。」

そして、そのとおりにすると、たくさんの魚がはいり、網は破れそうになった。(ルカ福音書五・36

*)「深み」と訳された箇所は、新共同訳では、「沖に」と訳しているが、原語はバソス(bathos)で、「深み」という意味の名詞であるために、例えば英語訳では、「沖」を意味する offing とか offshore といった訳語を用いずに、ほとんどが、「深み」depth あるいは、 「深い水(海)」deep water を用いて Go into the depth のように訳されている。 なお、潜水艦として有名な、バチスカーフとは、バチュス bathus(深い) + スカフォス skaphos(船)というギリシャ語を合わせて作られた言葉である。

このような記事は、ただ読むだけでは、「こんなことがあるはずがない」と思ってすぐに読み過ごしてしまうか、それともすでにキリスト者となっている人なら、「こんなことがあったのか、イエスは、やはり特別な御方だ」と、昔の主イエスに感心してそれだけで終わってしまう。
しかし、この記事は決して過去の主イエスのなさったことを単に書いているというのではない。これは、現代の私たちにもかかわっている内容を持っている。
「夜通し働いたが、何も収穫がなかった」だけでなく、漁師は疲れ切っていた。徹夜で漁をするということは、実に体力を消耗することであり、しかも、その収穫が何もないということであったから、一層疲れは大きかったであろう。
長い間働いたのに、何も残らなかった、という意識は十年、二十年と働いてきたが何も残らなかったという気持ちに通じるものがある。私たちが、もし、目で見えるものを目的として働くなら、ついにそれは消えていくであろう。どんな大きな業績も、何かのきっかけによっていとも簡単に崩壊していくからである。そのことは、旧約聖書の創世記のバベルの塔の記事によっても明らかである。人間が傲慢さをもって何かを作り出したとしても、それは時がきたら簡単に崩れ去っていく。
いくら働いても収穫がない、実りがない、あるいは、何か空しい、心に残らないということは、多くの人が経験する感情である。ことに老年になって自分の過去を振り返ってみるとき、そのことを痛切に感じるようになる人が多いだろう。
実際この感情は、私自身すでに大学のときに感じ始めたことであった。何をしても、空しいのではないか、人間は最終的には滅びるのだ、 実りというのはないのだ、といった考えが頭をもたげてきた。そのような空しさは、青年時代からすでに生じるのであって、壮年期の働き盛りであっても同様である。それゆえに、老年になってからはいっそうその空しさが深まることが多い。自分の生涯は何をしてきたのだろうか。何が残るのか、といった疑問である。
そのような空しさと、実が残らないという実感こそは、私たちの魂の平安や喜び、生き生きした感情をかき消していくものとなる。
このルカ福音書の記事はそうしたさまざまのことを思い起こさせるものを持っている。
「夜通し働いたのに、なにもとれなかった」、この感情を根本から克服するものは何か、それが聖書の大きなテーマともなっている。
この空しさのただなかから、人が予想もしなかった道が続いている。それは、主イエスのみ言葉に聞き、従っていくという道である。とはいえ、そのようなことが、人生の根本的な空しさを克服するなどと到底思えない、という人が多い。
しかし、ペテロは、「しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答えた。ここに大きな分かれ道がある。夜通し働いたということは、相当の疲労がある。揺れ動く舟の上で、夜も眠らず働いたからである。
しかし、それでもなお、主イエスの言葉はその疲労と無力感にもかかわらず、そこから立ち上がらせる驚くべき力を持っていたのである。
そして一見関係がないようであるが、これは、聖書全体を貫いている内容と結びついているのである。それは神は無からの創造ができるということである。
長い間働いて、何も得ることがなかった、収穫は無であった。しかし、無からの創造をなされる神は新たな収穫を生み出すことができる。ここに希望がある。
私たちの過去を振り返って何もよいことはなかった、どんなに努力しても実りはなかった、と思うとき、前途を見つめると無力感にとらわれる。
しかし、そのような過去の状況からは何もよいものが期待できないときであっても、無からの創造をなされる神に希望を持つことができる。
無からの創造など信じられないという人は多い。しかし、無からの創造ができないなら、この地球も十億年も超えたはるかな未来には、最終的には太陽の膨張によって高熱になり、蒸発して無になるという科学的予見を考えたら空しくならないだろうか。それよりもたいていの人にとってはあと七十年、八十年以内に訪れるであろう死の後に、無になってしまうのなら、私たちの努力とか働きとは何になるのか。
後世の人々のためといっても、その後世の人たちも最終的にはみんな死んでいく、とすれば最後には無になっていく、そんなことを考えたらどうして力強く生きて行けるだろうか。
無からの創造がないのなら、私たちの人生は最終的に無になってしまう。何十年の働きも消えていくのである。
この「無から造りだす」ということは、聖書には数多く見られる。
十字架上でイエスと同じように釘打たれた重い犯罪人が、死の直前に、主イエスに心を向けた。主イエスはそれだけで、この犯罪人に主イエスとともに最初にパラダイスにはいることができると約束された。
これも無からの創造である。この重罪人には過去を振り返ってもなにもよいことはなかっただろう。人生の最後が、人々の目にさらしものとなって十字架での処刑ということになったが、それだけならこの人のすべては無になっただろう。しかし、神はこの人がただ主イエスに心を向けただけで、消えてしまおうとする魂を引き上げ、最もよきところへと導いて行かれたのであった。
キリスト教の最大の使徒といえるパウロにしても、キリストの真理がまったく分からずにキリスト教徒たちを激しく迫害して殺すことにまで加わっていた。彼のなかにはキリストの真理は無であった。しかしそのようななかに神は光を与え、キリストの言葉を与え、聖霊を与えてキリストの使徒として新たな創造をされた。ここにも無からの創造があった。
主イエスはヨハネ福音書において、「人は、聖霊によって新たに生れなければ神の国を見ることはできない」と言われた。(ヨハネ福音書三・38を参照)
新たに生れるとは、新たに創造されるのであって、現状がどんなにみじめなものであっても、どんなに罪深いものであったとしても、あるいは以前はどんな状態であってもそれとは全く別に、聖霊によって創造されるというのは、最大の希望となる。
死はふつうには無になることだと思われているし、科学者もそのように考える人が多い。しかし、無からの創造を信じるときには、まったく異なる意味が現れてくる。死という無になることのただ中から神は、人をよみがえらせ、キリストに似たものとして新たに創造されるのだからである。
今まで生きてきたのに、収穫が無であったと感じている人であっても、無のなかから命を創造してくださる神を信じるとき、神は新しく祝福に満ちた収穫を与えて下さるのである。

み言葉に従う
つぎに、このルカ福音書の記事が告げようとしていることは「み言葉に従う」ということである。人間はだれでも、自分の考えに従うか、他人の考えあるいは他人の集合である周囲の人たちや伝統、習慣などに従っている。
いつもおびただしい量の情報が、テレビ、新聞雑誌、インタ-ネットなどで流されている。そこでの言葉は圧倒的多数が、人間の言葉であり、意見や感情である。それらはみんな時代とともに、否、新聞雑誌などであれば、一日のうちに捨てられてゴミとなっていく。
そうしたはかない影のような人間の言葉と違って、永遠に残り続ける言葉がある。いかなる時代の変化や戦争、伝染病、飢饉、災害などいかなる事態が生じようとも、決してその力を弱めることなく続いてきたもの、そして弱った人間に力と救いを与えるもの、それが神の言葉である。
この聖書の箇所でペテロが言った短い言葉は、そうした不滅の言葉の重要性とそれに従う人間のすがたを強調している。
ペテロは漁師としての自分の長い経験があった。夜通し働いて何も収穫がなかったときにはもう体力的にも無理であるし、漁にいっても無駄であると知っていた。しかしペテロはそうした自分の経験を第一にはしなかった。
「しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」という決断は、人間の言葉でなく、神の言葉に従う姿勢をはっきりとさせたのであった。そしてこれこそは、以後地上を去るときまで、ペテロの魂の中心にあったことと言えよう。
クォ・ヴァディスの有名な物語には、終りに近い部分に次のような内容がある。
ローマのキリスト者たちは、ペテロが迫害の激しいローマから逃げていき、別のところで福音を伝えてほしい、と願った。彼は信徒たちの懇願に従って、ローマを後にしていったがそのローマから続く道の途上でキリストが現れ、こう言うように聞こえた。「お前が、わが民を捨てるこの時、私はローマに行って再び十字架につけられるのだ」
ペテロは、それを聞いて深く心を刺され、顔を地に埋めて、身動きも言葉もなく地面に身を伏せていた。そして、恐れは主に会えた喜びに変わり平安をもって再びローマへと道を転じた。
たとえ、キリスト者からの助言や願いであろうと人間の言葉や意見、あるいは願いに聞くよりも、主イエスの言葉に聞いて従っていく、それがここにも見られる。
神の言葉に従ったら明白なよいこと、例えば人々からの称賛や豊かさ、健康、家族の平和、よい職業などが与えられるという保証はない。何が与えられるのかは分からない。歴史的にも、キリストに従ったがゆえに、そうした豊かさや安全、家族との平和などすべてを奪い去られた例は無数にある。
前月号でもそうした一部を紹介したが、日本においても江戸時代には恐ろしい迫害があった。
キリストの言葉、神の言葉に従うことは、何かこの世的によいことを期待してすることでなく、未知の世界に飛び込む決断なのである。
それは神の言葉が何ものよりも強く魂を導き、やむにやまれぬものが内からうながすのである。
パウロもキリストの愛が私に迫っている、と書いている。
こうした神の言葉に従うことの重要性は、聖書では最初に置かれた創世記から一貫して述べられている。聖書とはまさにそのことを説いている書物なのであり、神はそのことを私たちに告げているのである。
そしてまた聖書は最初からいかに人間が、神の言葉に従えないか、という実態をもはっきりと記している。
それはエデンの園におけるアダムとエバの記事である。み言葉に従っていれば生きるのに不可欠のよい食物や見ても美しいものに取り巻かれていた。しかし、人はそうした愛の注がれた神の言葉に背いて食べてはならない唯一のものに誘惑されてしまったのである。
このように、神の言葉に従うことから与えられる恵みの深みということが繰り返し強調されている一方では、そこからはずれ、み言葉に背くことから生じる罪の深み、裁きの深みということもまた聖書では克明に記されている。
キリストに従って、その言葉を聞き取り歩んでいくときには、どこまでも続く恵みの深みの世界へと導かれ、想像することもできない霊的な世界へと導かれる。このことを、パウロは、つぎのように述べている。

…信仰によってあなたがたの心の内にキリストを住まわせ、あなたがたを愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださるように。
また、あなたがたがすべての聖なる者たちと共に、キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解し、人の知識をはるかに超えるこの愛を知るようになり、そしてついには、神の満ちあふれる豊かさのすべてにあずかり、それによって満たされるように。(エペソ書三・1719

これは、恵みの深みの世界である。キリストが私たちの内に住んで下さるということから、そのような目には見えない深みへと導かれていく。キリストが私たちの内に住むということは、キリストの言葉に聞き、従うということがまずなされねばならない。
それゆえにここに引用したパウロの言葉は、たしかに人間が究極的に到達するべき深い霊的世界を指し示していると言えよう。
旧約聖書の古い時代からこうした恵みの深みは繰り返し記されてきた。
ノアは「箱舟」で有名であるが、彼と他の人々との違いは、どこにあったかといえば、日々の生活を神に従ったこと、そして雨のわずかしか降らない乾燥地帯であるにもかかわらず、巨大な舟を造れという一見空しいこと、無意味なように見える神の言葉に従ったことであった。
それによって大洪水という神の恐るべき裁きが降りかかってきたときにもノアは守られ、大いなる神の恵みの道を歩むことになった。
また、アブラハムも同様であって、「私が指し示す土地に行け」という神の言葉を聞いて、それは大いなる力をもって迫ってきたゆえに、住み慣れた故郷を捨ててわざわざはるかに遠いカナンの地に行くようにとの神の言葉に従った。
アブラハムが入っていった恵みの道はたしかにどこまでも奥深いものがあった。そこから、全世界に祝福があふれ、無数の人たちが祝福を受けるという絶大なものであった。
そしてさらに彼は、子供が与えらないという長い間の苦しみの末に、やっと与えられた愛する子供を神にささげよと言われた。そのような考えられないような神の言葉に対してすら、アブラハムはすべてをゆだねて従った。
そうして驚くべき神のわざを体験するに至った。

…あなたがこの事を行い、自分の独り子である息子すら惜しまなかったので、 あなたを豊かに祝福し、あなたの子孫を天の星のように、海辺の砂のように増やそう。
あなたの子孫は敵の城門を勝ち取る。(創世記二二・1617

この恵みの深みとは、全世界に、はるかな未来にわたって及んでいくほどの広く深い恵みであったのである。

また、イスラエル民族をエジプトから救い出したモーセにおいても、王子として育てられたが、自分がエジプト人でなく、ヘブル人であることを知って、同胞であるヘブル人がエジプト人によって苦しめられているのを見て助けようとしてそのエジプト人を殺すことになった。そのことが原因となってエジプト王から命をねらわれているのを知り、はるかな遠いところまで砂漠地帯を越えて逃げていった。そこで結婚し子どもも与えられて、羊飼いとしての生活をしていた。そこに神が現れ、再びエジプトに行け、との命令がなされた。ただの羊飼いにすぎない自分がどうして巨大な権力を持った王とおびただしいエジプトの人たちのただ中に行けるのかと、モーセは強くしり込みした。モーセは、かつてエジプトにいたとき、自分の王子としての地位を犠牲にしても同胞のヘブル人を命をかけて助けようとしたにもかかわらず、まったくよいことにはならず、自らそこを逃げ出していくしかなかったのである。 自分の意志の力、行動力でもって助けようとしても、はじき返されてしまったのである。
それはペテロが一晩中漁の仕事をしても何も得られず疲れ果てて帰って来たのを思い起こさせる。
そのような自分の力の無力さを思い知らされたところに、神の言葉が働いたのである。神はそうしたモーセにその言葉をもって強く迫った。
モーセはついにそのみ言葉に従うことを決断した。そして数々の困難を経てイスラエルの人たちはエジプトから導き出され、途中のシナイの山にて永遠の神の言葉となった、十の基本的な戒め(十戒)を神から受けたのである。
その十戒は現在においても、人間のあるべき基本的なあり方が示されている。この十戒に含まれる精神は、モーセから三千数百年を経てもなおその真理性が変わらないほど、人間の魂の深いところを流れているのである。このような永遠の真理を受けてそれに従って歩むというところに、恵みの深みがあった。そしてそこからはずれ、意図的に背くときどのような滅びの深淵に落ち込んでいくかということも、荒野での四十年の間にイスラエルの民は深く学ぶことになったのであった。
自分の楽しさとか、したいことを追求するのでもなく、単に本で学ぶということでもない。また安全とか安楽を求めていくのでもなければ、自分がそこで幸福になるといった期待でもなく、ただ神からの止むに止まれぬ強い働きかけのゆえに、モーセもまた「お言葉ですから、従っていきます」との心に変えられたのである。
そうしてそこから十戒をはじめとして、神の民の長い歴史があり、旧約聖書が生み出され、それは後にキリストに至るのであって、モーセがもし神に従わなかったらこうしたヘブル人(イスラエル人)の歴史はなく、キリストもなかったのである。
そしてキリストこそ、現実がいかに空しいように見えてもあくまで神の言葉に従うという最大の模範となった。主イエスは、三年間の伝道を通して十二人の弟子たちに多くの奇跡、神のわざを見せた。彼らは主イエスの霊と権威に満ちた教えと行動につぶさに触れることになった。
しかし、それでもなお、弟子たちの代表的な存在であったペテロたちや一般の人々は主イエスが逮捕されたときには繰り返し、イエスなど知らないといい、人々も重罪人のバラバを赦せ、イエスをはりつけにせよ、と迫っていった。そしてイエスは処刑された。
ここにも、三年間の愛と真実をもってなされた行動がすべて無に帰したかと思われるほどの状況があった。しかしそのような現実のただ中にあって、ゲツセマネの園で全身全霊を傾けて祈り、主イエスはあくまで神の言葉、神のご意志に従う道を選ばれた。
そしてそこから計り知れない恵みの深みへと、以後の無数の人たちが導かれていったのである。
私自身もその一人であって、自分の考えや願いだけで行動しているときにはつねにつきまとったある種の不満足、満たされないという気持ち、どこか得体のしれない暗い深みに落ち込んでいくという気持ちがあった。
しかし、ある時、主イエスの語りかけを聞かされた。その言葉に従っていこうとしたとき、今まで、どのようにしても自分の力では消えることのなかった闇の深みは解消され、初めて恵みの深みという世界が存在しているのに目を開かれたのである。
この世にはたしかに、恐ろしい滅びの深み、裁きの深みがある。それは耐えがたい苦しみであり、孤独である。
しかし、そこから神は人間の言葉や考えでなく、み言葉に従う道を啓示して下さったのである。そしてさらに他の人々に伝えるという心を起こして下さった。
このような、一人の魂における根本的な転換は、無数の人々において生じてきたのであった。キリストの力は個人を変え、個人の集りである社会、国家のかたちすら変えていったのである。
み言葉に従うことは、このように単に自分だけの平安や満足で終わるのでは決してなく、必ず他者に波及していくのである。しかもそれは民族を越え、国を越え、時代を越えて波及していく。


罪を知ること
この聖書の箇所で、さらに驚かされる内容が続く。それは、キリストの言葉に従って驚くべき大漁を得たときの使徒ペテロの反応である。一般的には、たいへんな奇跡が目の前で生じたら、それに圧倒され、そのような奇跡を起こした人をまざまざと見つめ、どうしてそんなことができたのか、とかこれは素晴らしい、もっと奇跡を見せてほしい、などという気持ちになるだろう。
特別に珍しいことには人々はいつも群がるものである。野球やゴルフ、あるいは映画スターなど有名人が来たら、多くの人たちは押し寄せる。その心はそのような特別の力を持った人に引きつけられていく。そして少しでもそばに近寄りたいと思って熱心に徹夜で待ったりする。
しかし、ここでは、この予想もしなかった奇跡的出来事を目の当たりにしたペテロは、そのような反応とは全く逆であった。
イエスのもとにひれ伏した。そしてこう言ったのである。

…これを見たシモン・ペトロは、イエスの足もとにひれ伏して、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と言った。(ルカ福音書五・8

ひれ伏すとは、最大限の敬意の現れであり、彼は自分の罪深さを直ちに知らされたのであり、恐れたのであった。それは罪深い者が神のもとに出ることは裁きを受ける、ということを深く知っていたからである。ここでペテロはイエスが神の子であり、神と同質のお方であり、神のように裁きをもなさる方であることを直感的に知ったのであった。
かつて、旧約聖書の預言者イザヤも、神の姿を見たことがあった。それは彼が預言者として呼び出された時であった。

…わたしは、主を見た。主は高く天にある御座に座しておられた。…上の方にはセラフィム(天使)がいて、…彼らは互いに呼び交わし、唱えた。「聖なる、聖なる、聖なる万軍の主。主の栄光は、地をすべて覆う。」…
わたしは言った。「ああ、わたしは滅ぼされる。わたしは汚れた唇の者。汚れた唇の民の中に住む者。しかも、わたしの目は王なる万軍の主を仰ぎ見た。」(イザヤ書六・25より)

イザヤの最初の反応は、やはり自分の罪深さであり、そのゆえに裁かれてしまう、滅ぼされるという気持ちであった。
このように、神を見る、という極めて特別な恵みを与えられた者であっても、それを誇ったり、好奇心をもって近づこうとしたりするのでなく、自らの存在が罪深いということを光に照らされたように鮮やかに知ったのである。
ここに聖書の深い見方がある。私たちが前進するにはまず私たちがいかなる存在であるのかを深く知ることが出発点になる。 それがなかったら、私たちは神をも本当には知ることができない。この宇宙を支配している神は、私たちが罪深い本質であるということを知った上で、神にその赦しと清めを求めるように導かれる。そしてそれを幼な子のように受けとるとき、私たちは初めて前進できるようになる。
ペテロもイエスに従い、大いなる神のわざを直接に経験し、自分の罪深さに光が当てられ、そこから赦しを受けた。そうして初めて彼は使徒として歩み始めたのであった。

イエスはペテロに、「恐れるな、今から後、あなたは人間をとる漁師になる。」そこで彼らは舟を陸に引き上げ、すべてを捨ててイエスに従った。(ルカ五・1011

人間をとる、などという表現は現在の私たちにはなじみにくい。これは、人間を集めて、キリストのもとに連れて行くということである。キリストに従うとき、人は新たな力を与えられる。それは人間の魂に対する力であり、バラバラになっている人間の魂を集めてキリストに結びつけるという力が与えられる。
この世の状況は一つになる方向でなく、次々に壊れて、結びつきが離れていく本質を持っている。一本の木が倒れて放置されると、次第に微生物による分解が進み、風雨により、太陽光線によっても分解が早められ、ついには朽ち果ててしまう。
人間関係も似たところがある。いかにある時期に結びついていても次第に緩くなり、壊れていく。
死によってその破壊はさらに徹底的になされていく。
しかし、主に従う者たちは主と主を信じる人たちの関係が深まり、死後は永遠に結びついているであろう。
キリストの弟子たちは、神の力を受けて、そのように人間を集めてキリストのもとに連れて行き、結びつけていくという働きをすると言われているのである。
困難な時にも、苦しみのときにも、主は言われる、そこから主に信頼して深みへと漕ぎ出せ、と。
その時私たちが従うならば、この世の闇や死の力にさえ打ち勝つ、恵みの深みへと導かれることになるのである。


 


st07_m2.gif闇のなかの光

宇宙というと何を思い浮かべるであろうか。果てのない空間、真空、極低温、星…、といろいろあるだろう。
もし、地球からはるかに遠く離れて恒星の散らばるようなところにまで行ったとしたら、そこには全くの闇とその闇の中に輝く星々の光しかないだろう。それはたしかに闇のなかに光が輝いているという状況であろう。
この世もそれと似ている。至るところで闇がある。いつの時代にも、どのような地域にもさまざまの悪があり、病気や戦争、憎しみや悲しみ…闇がある。
しかし、そのような霊的な闇のただ中に光がある。

…光は闇の中で輝いている。闇は光に打ち勝たなかった。(ヨハネ福音書一・5

この福音書を書いたヨハネはあたかも暗夜における星を見るように、キリストの光が輝いているのをまざまざと見ることができていたのであった。
使徒パウロは、「あなたがたは、いのちの言葉を堅く持って、彼らの間で星のようにこの世に輝いている。」(ピリピ書二・15)と言っている。私たちがこの世の悪に従わず、神に従っていくときには、私たちの内なるキリストが、また私たちの心にあるみ言葉がそのように光を発するのである。
人間はみな死んでいく。そして見えない存在となる。万能の神の愛と力を信じないとき、死によってみんな無になって消えていくとか、生きた人間をおびやかす正体不明の霊的なものになると信じることになる。
しかし、神はその万能によって信じる者をキリストと似た栄光あるものと変えられる。

「キリストは、万物を支配下に置くことさえできる力によって、わたしたちの卑しい体を、御自分の栄光ある体と同じ形に変えてくださる。」(フィリピの信徒への手紙三・21

このように生きているときには、み言葉により、内に住むキリストによって私たちは一つの光となり、地上の生活を終えたときにも、キリストの栄光のような光に満ちた存在に変えられるという驚くべきことが約束されている。
そしてこのことは、主イエスの言われたように、幼な子のような心をもって主を信じるだけでだれにでも与えられるのである。


 


st07_m2.gif主イエスの祈り

祈りはだれでもできる。苦しいとき、追い詰められたとき祈らずにはいられないという心になる。十年ほど以前に、北海道でハイジャック事件があって多くの人質がとられたとき、当時の首相は神を信じる人でなかったが、犯人たちの言うままにするのか、特別警備隊を突入させるべきか、多くの人の命がかかっているゆえに、追い詰められた心になった。それが解決された後に、「あの時は、祈るような気持ちであった」と述懐していた。
本当に苦しいとき、人間の力ではどうすることもできないときには、人は祈るような心になる。
それは動物と根本的に異なるところである。
そのように、祈りはだれでもする。人間は動物とは根本的に異なる存在として造られたことは、次の記述に表されている。

…神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。(創世記一・27より)

神とは目に見えない、霊的な存在である。それゆえ神にかたどって創造されたとは、人間は霊的な存在であるということになる。だからこそ、目には見えない存在との交流ができるのである。それが祈りだといえる。
しかし、こうした人間の本性に由来する祈りは自分中心になる。いつも祈りは自分という存在を中心になされる。
この大きな壁を打ち破るような祈りを初めて明確に示されたのが、主イエスであった。それが主の祈りとして、全世界のキリスト教会で今も祈られているし、個人的にもこの祈りを軸として祈る無数の人たちがいる。
世界で最も繰り返し言われてきた言葉とは、この「主の祈り」であろう。多くの教会では毎日曜日の礼拝のはじまるたびにこの主の祈りがなされるから、世界中の教会を合わせたら、何百万、何千万回もこの祈りは、無数の人たちによって祈られていることになる。
この祈りはなぜ、そのように二千年もの長い間、民族や習慣、伝統の異なる人々に共通して祈られてきたのか、それは、それほどにこの主の祈りが、万人の祈りであり、いかなる時代になっても、この祈りの内容を変ることなく祈ることができるからである。

御国が来ますように。

主の祈りが万人の最も高くて深い内容を込めた祈りであるのは、この一つの祈りをみても分かる。この御国を来たらせたまえ!という祈りは、あらゆる場面で、あらゆる人の願いでもある。御国とは、神の御支配であり、その御支配とは完全な真理、そして真実な支配であり、愛であり正義そのものであるような御支配である。そのような愛と真実が自分の心にも、また他人の心にも、また敵対する人、悪意や中傷をする人たちにも来ますように、という祈りは、すべての人が持つことを本来は願っているはずのことである。
神の御支配の力が自分の心に与えられるなら、いろいろの悪や困難、病気などにも打ち負かされないであろうし、そうした状況に陥ってもその神の御力によってそれらをかえって前進のためのよき経験となし、その神の力によって相手をも変えていくほどになるであろうから。
また敵対する人に、神の国がもたらされるならそのような悪意も滅ぼされて、清い心へと作り替えられるであろう。
人間の集団である社会にあっても同様である。憎しみと不信、差別と搾取などが渦巻くこの社会に神の御支配が来るならば、そうした憎しみに代えて愛が、不信や差別に代えて、兄弟としての交わりへと変えられるであろうから。
私たちはつねに祈る、御国が来ますように、と。

こうした主の祈りの重要性のゆえに、全世界で今日もまたどこかの教会で、だれかがこの祈りを祈り続けているのである。
この主の祈りとは別に、主イエスがなされた祈りがある。それはヨハネ福音書にて詳しく記されている、最後の夕食
*のときの祈りである。

*)通常は、「最後の晩餐」と言われることが多い。しかし、「晩餐」とは、日本語では、「豪華な夕食」を意味するのであって、主イエスや弟子がとった食事は、パンとぶどう酒などのごく質素なものであったから、「晩餐」でなく「夕食」というべきである。

そこでは、イエスご自身が最後のときを直前にして祈ったことが記されている。新共同訳聖書では、「イエスの祈り」と題されている。
主の祈りは、イエスが弟子たちの求めに応じて教えた祈りであり、最後の夕食での祈りは、主イエスご自身が祈った祈りである。
そこには、次のような祈りがある。

…世にいる間に、これらのことを語るのは、わたしの喜びが彼らの内に満ちあふれるようになるためです。(ヨハネ福音書十七・13

…父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。… あなたがくださった栄光を、わたしは彼らに与えました。わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです。
わたしが彼らの内におり、あなたがわたしの内におられるのは、彼らが完全に一つになるためです。(同2123より)

このように、世を去るにあたってキリストを信じる者が一つになるということを特に祈り願っている。それは、キリスト教の歩みとともにさまざまの信仰の形が生れ、その違いを互いに尊重するということでなく、互いに退けあうという風潮があったことが推察される。
このことは、神は愛であり、愛こそが神の根源的な本質であるということと結びついている。憎しみや怒り、妬み、あるいは傲慢や無関心といった感情は、人間を引き離してバラバラにしていく。しかし愛は一つにする。
主イエスが最後の夕食の席で、遺言のようにして語ったと伝えられてきた教えの後の最後の祈りで、このように一つになることが繰り返し強調されているということは、愛の神ゆえのことであった。
神の愛を受けている者ほど、多くの人たちを霊的に見つめる。あたかも高い山の頂上から見つめるように、多くの人たちを翼のもとに集めようとするかのごとくに見つめるであろう。
真理に背くもの、悪を行なっている者、弱っている者、死に瀕しているものなどなどありとあらゆる人間が地上にはいる。そのような千差万別の有り様を示している人間に無関心であるのか、愛を持って見つめようとするのか、それとも敵視したり、軽蔑したり、恐れたりするのか、と問われている。神はそうした一切の人間が織りなす状況を見つめ、絶えず神に立ち返るようにと、語りかけておられる。

こうした祈りの後、イエスと弟子たちはゲツセマネというところに行く。

…それから、イエスは弟子たちと一緒にゲツセマネという所に来て、「わたしが向こうへ行って祈っている間、ここに座っていなさい」と言われた。
ペトロおよびゼベダイの子二人を伴われたが、そのとき、悲しみもだえ始められた。
そして、彼らに言われた。「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、わたしと共に目を覚ましていなさい。」
少し進んで行って、うつ伏せになり、祈って言われた。「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに。」
それから、弟子たちのところへ戻って御覧になると、彼らは眠っていたので、ペトロに言われた。「あなたがたはこのように、わずか一時もわたしと共に目を覚ましていられなかったのか。
誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えても、肉体は弱い。」
更に、二度目に向こうへ行って祈られた。「父よ、わたしが飲まないかぎりこの杯が過ぎ去らないのでしたら、あなたの御心が行われますように。」
再び戻って御覧になると、弟子たちは眠っていた。ひどく眠かったのである。
そこで、彼らを離れ、また向こうへ行って、三度目も同じ言葉で祈られた。
それから、弟子たちのところに戻って来て言われた。「あなたがたはまだ眠っている。休んでいる。時が近づいた。人の子は罪人たちの手に引き渡される。立て、行こう。見よ、わたしを裏切る者が来た。(マタイ福音書二六・3646より)

主イエスがいかに必死で祈られたか、それはこの福音書の記述でよみがえってくる。そしてその祈りには苦しみだけでなく、深い悲しみが宿っていた。何故の苦しみか、それは十字架で釘打たれるという極めて激しい痛みをまざまざと感じたからであろうし、自分がその苦しみから、できることなら逃れたいという気持ちがあって、そこに激しい苦しみがあったからだと考えられる。 このゲツセマネの祈りの中心は、二度繰り返されていることでも分かるように、「御心が行なわれますように」ということであった。御心とは、情緒的な心ではない。日本語では心というと、心やさしいとか、心が動かされるといったように、感情を表すというニュアンスが強い。
しかし、この原語(ギリシャ語)は、セロー(thelo qelw)であって、感情でなく、「意志」を表す言葉である。
それゆえ、つぎに引用したように、英語訳では will が大体において用いられ、あるいはそれに代わる表現が使われている。ドイツ語訳なども同様である。

Yet not as I will, but as you will.
NIV
Aber nicht wie ich will, sondern wie du willst.
Einheits-ubersetzung

人間の戦いとは三つある。一つは自然との戦い、二つ目は、他の人間との戦い、そして三番目は最も困難な戦い、すなわち自分自身との戦いであると言われる。
その戦いの本質はこのゲツセマネの祈りで主イエスが祈られたように、自分の意志や願いを第一にするか、それとも神のご意志を第一にしてそれに従うかということである。あらゆる犯罪や社会の悪、人間同士の争いや憎しみ、分裂などはみなこの、自分の意志、まわりの人間の意志に従っていくところにある。私たちが愛と真実の神、永遠に存在する万能の神のご意志を第一としないかぎり、つねに私たちは人間的な意志、願望を第一にしてしまうのである。
この問題は聖書の最初の書物である創世記から記されていることから分かるように、人間の根本問題なのである。アダムとエバは、神のご意志をとらずに、人間的な意志を第一にしてしまったのである。
このことがあらゆる人間の罪の根源だからこそ、聖書では巻頭に置かれた創世記の最初の部分にあのように記しているのである。
何をするにも、私たちは常に、まず神のご意志を尊重するか、それとも自分の意志、欲望や願いを第一にしようとするかが問われている。
主イエスは十字架を前にしてこの根本問題に真っ向から立ち向かわれたのであった。
このような霊的な激しい戦いをされていたにもかかわらず、弟子たちはみんな眠ってしまっていた。 大いなる試練のときがすぐそこに来ているゆえに、目覚めていなさい、と命じられていたにもかかわらず、弟子たちはみんな眠っていた。そしてイエスが祈りをして弟子たちのところに戻ると共に目覚めて祈っているというのとは正反対の状態、眠りに陥っていたのである。
主イエスが殺されるとまではっきり言ったにもかかわらず、そしてイエスが血の滴るように汗を流して全霊を傾けて祈っているのに、弟子たちはみんな眠っていた、さらにイエスが「目を覚ましていなさい」と命じたのに再び彼らは眠ってしまった。このようなことが三度もあったという。
十一人もの人間がこれほどまでに眠りに負けてしまったということは、意外なことである。誰か一人くらいは起きていたのではないのか、三度もイエスが起こしに来たというのは、あまりにもひどい眠りだ、と感じる。
しかし、ここでは弟子たちとは人間を象徴的に表している。現実の弟子たちがこのようであったということは、人間とは霊的に見れば、みんな眠っている、と言おうとしている。
そのような大いなる眠りのただ中において、主イエスは祈られた。現代の私たちもまた、霊的に見ればみんな眠っていると言えよう。
それは使徒パウロがローマの信徒への手紙で述べているのと同様である。

…次のように書いてある。
「正しい者はいない。一人もいない。
悟る者もなく、
神を探し求める者もいない。
皆迷い、だれもかれも役に立たない者となった。
善を行う者はいない。ただの一人もいない。…」(ローマ信徒への手紙三・1011

こうした状況は人間の心の状態を深く見つめるとき、神の真実や正しさを基準とすればみんな不純であり、霊的な眠りに陥っているということなのである。そのような状況であるからこそ、キリストが来られて眠り続ける人類のために、自ら十字架にかかって人々を目覚めさせ、罪を知るように導き、その罪をみずからが担って死に至ることを考えていたのである。
人間を目覚めさせるために、主は来られた。神ご自身のねがいは、人間が罪に目覚め、キリストを受け入れて罪を赦され、新しい力を得ることであったと言えよう。
バッハが作曲した、キリスト教音楽の代表的作品「マタイ受難曲」に付けられている歌詞は、ゲツセマネの祈りの部分につぎのように記されている。

…わたしは、イエスのもとに目覚めていよう。
そうすれば、我らの罪は眠り込む。(マタイ受難曲Nr.20

Ich will bei meinem Jesu wachen.
So schlafen unsre Sunden ein.

これは、マタイ福音書には記されていないが、現代の私たちの日毎の祈りとなり得る。作詩者は、その点をくみ取ってこのような詩を付けたのであろう。
主イエスは必死で祈りつつ、三度も弟子たちが眠っているのを目撃した。三とは特別な数であり、象徴的な意味を持っている。完全なものを意味しているだろう。それはもう弟子たちの眠りは完全なもの、どうすることもできないほどの眠りであったということなのである。
そうした眠りが世界を覆っているゆえに、どこの国々でもさまざまの犯罪や戦争、憎しみや敵対する心などが絶えないのである。
しかし、そのような眠りの蔓延するただ中に主イエスは来て下さった。このバッハの受難曲の歌詞にあるように、その主イエスのもとで留まるならば私たちは目覚めていることができ、罪が眠り込むのである。
主イエスはこの祈りのとき、深い悲しみに包まれていた。それはほかでは全く記されていないことであって、特異なものと感じられる。

…「わたしは死ぬほどに悲しい」と言われた。苦しみと悲しみが深く刻まれた祈りがゲツセマネであった。その悲しみは自分が十字架につけられる悲しみではない。そうではなく、弟子たちや人間たちのあまりにも罪深い姿のゆえであった。主イエスは神の子として未来のこともまざまざと見ることができた。主イエスが、十字架の処刑を覚悟しつつエルサレムに入ってくるとき、イエスは、つぎのように深い悲しみを表された。

…エルサレムに近づき、都が見えたとき、イエスはその都のために泣いて言われた。
「もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら……。しかし今は、それがお前には見えない。
やがて時が来て、敵が周りに砦を築き、お前を取り巻いて四方から攻め寄せ、
お前とそこにいるお前の子らを地にたたきつけ、お前の中の石を残らず崩してしまうだろう。(ルカ福音書十九・4144

この預言は、実際に紀元七十年にローマのティトス将軍に率いられた兵隊たちによって実現した。おびただしい人々がエルサレムにおいて殺され、神殿は破壊され、ユダヤ人は追放されてその後二千年近くにわたって、世界に離散していくこととなった。
こうした神の民への深い悲しみがあった。ゲツセマネの祈りにおいても、同様に人々のかたくなな心、そのままでは滅んでいくのをはっきりと見抜いていたイエスが深く悲しんだのであった。
このことは、すでにイザヤ書五十三章において預言されている。

…彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた。…
彼は侮られた。われわれも彼を尊ばなかった。
まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった。(イザヤ書五十三・34より)

He was despised and rejected by men, a man of sorrows, and familiar with suffering.
he was despised, and we esteemed him not.Surely he took up our infirmities and carried our sorrows,…(NIV

イエスはこの祈りのときに、苦しみもだえた、と訳されているように、はげしい苦しみに襲われた。そこに天使が現れてイエスを力づけた。そしてさらに必死になって祈られた。汗が血のしたたるように落ちた、と記されている。
こうした霊的な厳しい戦いをされているとき、サタンがイエスを何とかしてこの世の道に引き戻そうとしていた。その悪の霊との戦いのゆえにこのように苦しまれたのである。映画「パッション」において、その冒頭の画面でゲツセマネの祈りのイエスが現れ、そこにサタンが近づいている状況が示されていた。そしてイエスが最終的にサタンを踏みつけて勝利するのであった。
祈りとは霊的な戦いであるということを、このゲツセマネの祈りほどまざまざと示すものはない。
武力や人間の策略あるいは金の力などによらず、ひたすら霊の力によりイエスは悪に勝利された。それゆえに私たちが主イエスを信じるだけで、その勝利の力を与えられるのである。
祈りは、戦いである。私たちの祈りも単に何かの願いごとをするだけのものにとどまってはいけないのであって、目には見えない悪との戦いということがなされねばならない。
使徒パウロも、キリスト者の戦いとは、目に見える人間や組織に対するものでなく、悪の霊に対する戦いであると述べている。
そしてこの戦いの中心は、はじめに述べたように、神の意志をとるか、自分の人間的な意志をとろうとするかである。それゆえに、最も重要な祈りとして主ご自身が教えられた、「主の祈り」においても、この祈りが中心にある。
「御国がきますように。
御心が天に行なわれるとおり、地にも行なわれますように」
というのがそれである。すなわち、ゲツセマネの祈りの核心は、主の祈りと同じ内容を持っているのである。
それゆえに、私たちにおいても、この主の祈りを日々の祈りとして御国への道を歩ませて頂きたいと思う。


…まことに、まことにあなた方に告げる。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできない。(ヨハネ福音書三・3
**


*)一般的には、レオナルド・ダ・ビンチの「最後の晩餐」という絵で知られているので、晩餐という言葉から、キリストと弟子たちとの最後の夕食は豪華な食事であるかのように、思われているかもしれない。しかし、パンとぶどう酒などのごく質素な食事であって、日本語の晩餐といった意味にはあてはまらない。

**)新共同訳では、「はっきり言っておく」と訳されているが、原文は、アーメン、アーメン、レゴー ヒューミーン であり、アーメンが二回繰り返されている。アーメンとは、「堅固にする」という意味のヘブル語「アーマン」と語源的に関連していて、「真実に」といった意味である。はっきりこれは特別な強調である。


三つの福音書
主の祈り、そして最後の夕食での祈り。そして十字架の直前のゲツセマネの祈り、

御旨が天に行なわれると同様に、地でも行なわれますように、という祈りは、ゲツセマネの祈りと共通している。
私たちの最大の困難な戦いは、自分の意志か、それとも神の意志に従うか、である。

弟子たちがみんな眠っていたとは、何を象徴するのか。

ゲツセマネとは、戦いである。キリスト者の生涯も戦いである。

共同の祈りと単独の祈り

共に目覚めていなさい →グレゴリオ1世 (グレゴリオ聖歌 その様式 を完成させた教皇グレゴリウス一世(在位590604)の名にちなんで「グレゴリオ聖歌」)


 


st07_m2.gif土台と柱

耐震データ偽造問題で、多数のマンション、ホテルなどが多額の費用を費やして完成しすでに使っているものもあるのに、壊して建て替えるなど多大の迷惑と莫大な費用が無駄になるという事態が生じている。
建築主の業者に、もっと鉄筋を減らせ、そうしないと他の設計事務所に変える、などと言われたから、それに従ってしまったという。
震度三程度でも、扇風機が倒れそうになるほど揺れたので不審に思った入居者もいたとのことである。
このような事件で考えさせられるのは、根本問題は、そうしたことにかかわっている人間に、しっかりした「鉄筋」が入ってなかったことにある。
人間も建物も同様で、やはり土台が弱かったり、鉄筋が十分に入っていなかったりすると、少しの揺れで倒れてしまうことになる。
人間にとっての堅固な土台とは何か、それは聖書において明確に述べられている。
それは神である。神こそは永遠の土台であり、不動の柱である。このことは、すでに聖書の詩にしばしば歌われている。

…主はわたしの岩、砦、逃れ場
わたしの神、大岩、避けどころ…
主は命の神。わたしの岩をたたえよ。わたしの救いの神をあがめよ。…
主のほかに神はない。神のほかに我らの岩はない。(詩編十八編34732より)

このように、私たちにとっては意外なほどに、神とは岩なり、という言葉が多く使われている。キリスト者であっても、神とはどんなお方かというイメージを描いてもらえば、多くは愛の神、やさしい神、赦しの神、導きの神、といった姿を思い起こすのではないだろうか。
神は万能であり、すべてのよきものを持っておられる方であるゆえに、それもすべて真実な神の姿である。
しかし、この詩ではとくに「岩なる神」ということが強調されている。この世の支配や国々、金持ちなど、人間のなすことはみんな揺れ動き、そのうち衰え、消えていく。
しかし、荒野にそびえる岩山のごとく、いかなる雨風や苛酷な状況にも動かされず幾千年でも変ることなき不動の存在として神を実感していたのがわかる。

わたしは山に向かって目をあげる。
わが救いはどこから来るのか。
天地を創造された神より来る。(詩編一二一・12

山々、これは、この詩の作者が永遠の存在である神の本質に触れていたこと、この世の揺れ動く実態の背後に、確固不動の存在がおられることを深く知っていたことを示している。
この世界には何も「鉄筋」というべきものが入っていない、どちらにでも進んでいく、悪もはびこる、環境も汚される、戦争や混乱は多発する、どこにも脊椎骨のようなものはない、と思っている人が大多数ではないだろうか。
しかし、この詩の作者は、今から数千年も昔にすでにはっきりとこの世界の根本的な構造を見抜いていたのである。それはまさに啓示であって、神から直接に示されたものであった。それゆえにこそ、このように聖書としておびただしい人に読まれ、励ましを与え、光となってきたのである。
私たちも目に見える世界の激動やはかなさに心奪われそうになるときに、この詩の作者のように、岩のごとく動かない神、永遠にこの世界の柱となり、鉄筋となって存在し続ける神を仰ぎ、信頼して歩みたいと思う。


 


st07_m2.gif堤 道雄氏、召される

キリスト教横浜集会の責任者として長く伝道にたずさわってこられた堤 道雄氏が、二〇〇五年一〇月六日に召され、十一月二三日に横浜で告別式が行なわれました。八六歳でした。
堤さんは、徳島と関わりが深く、一九四九年頃に県の徳島学院(救護院)の院長として赴任、そこで毎日曜に日曜学校を開き、讃美歌を教えていました。そのことが原因で、後に県から解雇されることになりました。また、堤さんが院長であったとき、政池 仁(内村鑑三に学んだ伝道者)も初めて徳島を訪れ、堤夫妻に迎えられて徳島学院に泊まったこともありました。 堤さんは徳島で、伝道誌「真理」を発刊され、以後長く継続されました。
一九七一年、五一歳のときに中学の英語教師を辞して、み言葉の伝道のために捧げる新しい生活を始め、八〇歳で「真理の会」から引退されるまで全国各地、そして韓国や台湾、ロシアまで伝道のために行かれました。その後も、キリスト教横浜集会にて聖書講話を続けられました。
堤氏が提言してはじまった全国集会は、もう二〇年近くになります。今年は東京での開催でしたが、その二日前に召されたことも、いっそう印象に残ることでした。
真理の福音の種を蒔き続けて生涯を終えられたその歩みを思い、後に続く私たちも長く記憶に留めていきたいものです。そして堤さんのようなお方がさらに新たに起こされ、闇にある人たちを救う福音の伝道がなされるようにと願っています。


 


st07_m2.gifことば

220)自分の道は、巡りめぐって、いつも自分に帰ってくる。しかし神が我々の道を導いてくれるときは、その道は神へと通じるのである。…
過去の出来事がわれわれに負わせた傷に、神は触れて下さる。そして傷口はふさがる。それはもはや痛まない。それはもはや、われわれの魂を傷つけることはできない。…
あらゆる痛みがなくなり、過去のものとなり、われわれが愛する者のそばにいるかのようになる。


 


st07_m2.gif休憩室

○十一月中旬に松山から大分に向かうとき、佐多岬半島を通りました。この半島は九州に向かって差し伸べるように長くのびています。そこには白い野菊、リュウノウギクがとても美しく、しかも多く見られます。この植物の名前は、竜脳というボルネオやスマトラに自生する樹木があり、香料や薬用になる物質を含み、この物質もリュウノウといいます。この香りに似ているところからリュウノウギクという名がついています。
この野菊は、関東地方から南の本州や四国、九州の一部にあると記されています。徳島でも見られますがどこにでもあるわけではなく、たまに見つかるとその香りや、野生のキクとしては大きく美しい花によろこばしい気持ちになります。
しかし、佐多岬半島では山道のあちこちに多く咲いていて、その群生に驚かされます。
秋の山道を彩る花で、こうした自然に昔から咲き続けてきた花は、神が種をまき、育てて増やし、神の御手によって花開いている感じが強くするもので、目と心を楽しませてくれたことです。

○アサギマダラ
十一月の中頃に近くの花にアサギマダラという美しい蝶がとまっているのが見つかりました。毎年数回わが家のある山付近にも訪れるのです。花の蜜をすってしばらくしてひらひらと周囲を飛び、どこへともなく姿は見えなくなりました。あのようなゆったりした飛び方で弱々しく見える羽でありながら、二千キロもの距離を海を越え、吹きつけてくるであろう風雨にも耐えて飛んでいくということがマーキングによって確認されています。 あの蝶を見たことのある人は、それがそのように長距離を飛んでいくということはとても信じがたいことです。
弱いものにも、神はそのように不思議な力を与えているのを感じます。
私たちも、実に弱いものでありながら、神によって支えられ、力を与えられて霊的な高みへと、地上の汚れからはるかに遠くの清い世界へと導かれるのを思ったのです。
日々見ることのできる、白い雲の浮かぶ青い大空、夜のまたたく星などは、私たちが最終的に導かれていくところを指し示しているように思われます。つねに私たちのまなざしを天に向けるように、との神の私たちへのお心がこもっているようです。
天に宝を積め、といわれた主イエスの言葉も思いだされます。


 


st07_m2.gif編集だより

○来信より
…「はこ舟」(「いのちの水」の以前の誌名)三五四号の中に、「キリストを信じることができたら、一億円の宝くじが当選したよりも桁違いの収穫です」とありました。
私はいまから信じますと言うばかりです。以前から、「はこ舟」を読んだ方がいいと思いつつ、そのままにきました。忘れるほどに。
しかしそのような私であっても、神様は私のことを忘れてはいませんでした。○○県を出てからは涙がでませんでしたね。心から笑う事も出来ませんでした。
しかしそんな中にも神様がいたことが、今わかりました。悔い改めるばかりです。(教会に行ってもイエス様を知りませんでした)今はイエス様が信じられます。(関東地方の方)

・現在は五三八号なので、二〇〇号近く以前の「はこ舟」を読み返したいと希望される方もおられて、郵送したところ、ここに引用したようなことを書いてこられました。
たしかに、人は忘れても神は忘れない、人の心が変わっても、神のお心は変わらない、人は消えていくが、神は永遠に消えないお方、人間は不信実であるけれど、神はどこまでも真実…。


○日本に来ての印象
中国から、日本に来て一カ月になる中国の若い留学生(女性)に、あなたが中国でいたときに思っていた日本と、一カ月を日本で過ごして感じたことと何が一番印象に残っているか、を尋ねたところ、次のように言った。

第一に印象的なのは、自分が中国で日本語を学んでいたとき、ビデオや映画を用いたが、そこでは、日本人が中国人を軽蔑したりしている様がよくあった。しかし、実際に日本に来てみると、そのようなことはなくて、日本人はやさしいと感じた。
しかし、中国との戦争のときには非常に悪い、残酷なことをした。どうしてこんなに同じ民族が変るのだろうか。
また、日本に来て驚いたのは、新聞などが、世の中の悪いこと、犯罪などをたくさん書いている。中国ではこうした暗い記事は小さいこととして、どこにでもあることだから、書かない。そのようなことでなく、国の政治や社会的な問題を中心に書いている。

その人とは別に、ペルーから日本に学びに来ている人(男)に同様に尋ねたところ、彼はつぎのように言った。
まず、日本人は、正直だ。つぎには、安全な国だ。
ということであった。
お二人とも、日本に来て徳島大学で学んでいて、一日の多くの部分は大学生や教師たちとの交わりであり、それゆえに見下したりはしない。帰って親切なひとたちがいるし、正直だとうつったのであろう。
次には、日本は安全な国だということ、これは多くの外国人が感じている。