2005年2月 第529号・内容・もくじ

st07_m2.gif私たちを見つめるまなざし

st07_m2.gif災害の意味

st07_m2.gif讃美の心

st07_m2.gif休憩室

st07_m2.gifことば

st07_m2.gif編集だより

st07_m2.gifお知らせ

st07_m2.gif徳島聖書キリスト集会案内


st07_m2.gif私たちを見つめるまなざし

この世には何も私たちを見つめているものはないのだろうか。私たちの日々の生活を見つめ、罪を犯したときも、また苦しみのとき、悩みのときも深い愛をもって見つめるまなざしなどあるだろうか。
自分を愛してくれる人間はそのような気持で見つめていてくれると思うが、そんな人はいないから自分のことを愛をもって見つめてくれる存在などないというのが、多数の人たちの実感ではないかと思われる。
小さな子供を思う母の心、とくにその子供が病気となり、その原因も分からないときには日夜その子供を見つめ、離れているときもそばにいても、忘れることなく心で見つめ続ける。
しかし、そうした人間の愛情深いまなざしは、一時的なものでしかない。 病気がなおればそうした愛の注ぎは少なくなり、また成長していくにつれて、親子の衝突もあると今度は逆に怒りや反感すら生じてくることもある。
親子の愛でなくとも、人間同士の愛や友情などは概して一時的であり、深いところまで見つめることもできない。たとえ人間的な愛情で結ばれていても、私たちが苦しみ悩むときには、また病気で痛みの激しいとき、それをだれが本当に実感できるだろうか。それぞれの心の奥に宿るものはだれも分からない。
人間の世界ではこのように私たちの魂の深みまで見つめてくれる永続的な存在などは到底持つことはできない。しかしそうした人間の孤独に対して、聖書に記されている神、そしてキリストこそはそのような存在だといえる。
聖書には、そのような神のまなざしが満ちている。というより苦しみや悩みに満ちたこの世の人間に対して愛をもって見つめている存在があることを知らせるための書が聖書なのである。

…しかし、まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのである。(ローマの信徒への手紙五・8

この言葉を言い換えると、私たちが正しいことに反し、真実なことを求めないで自分中心に生きていたとき(罪人であったとき)からすでに、神はその愛をもって私たちを見つめ、さらに神の子キリストを私たちのために地上に送り、十字架にかけて私たちのそうした罪をも身代わりに罰して私たちを救い出して下さった。
そしてキリストの死と復活のあとは、聖霊となり、生きて働くキリストとなって私たちを見守り、助けて下さっている。
聖書にはそのような神のまなざしがたくさん記されてている。以下に述べるペテロについての記事もその一例である。
ペテロは漁師であって仕事をしている最中にキリストによって呼び出されてその弟子となった。そして三年間、キリストに従った。
しかしイエスが捕らえられていくとき、彼としては死に至るまで忠実に主イエスに従っていくと言っていたが、三度もキリストなど知らないと言ってしまった。最初にペテロが思わずそういったのは、年若い女のしもべに「この人もあの人(イエス)と一緒にいた」と言われたときであった。(*
命をかけても主イエスに従うといっていた者なのに、何の権力も地位もないそのような少女に言われて、三年も仕えてきたイエスなど知らないと言ってしまったのである。

*)若い女のしもべとは、原語のギリシャ語では、パイディスケー paidiske といい、これは、子供 パイス pais から作られた言葉であり、少女を意味する。

ここにはいかに人間の決心とか意志、感情などが移ろいやすいものであるか、がまざまざと記されている。
こうした弱さ、醜さというのが、罪であって、これはペテロという人物を通して人間とはそのようなものであることを示しているのである。
このように罪深い存在だからこそ、その罪にもかかわらず私たちを見つめ、その罪を赦し、導いて下さるお方が必要になる。
このとき、主イエスは背いたペテロをも見捨てず、一貫して愛のまなざしをもって見つめ続けておられた。
ペテロの裏切りのまえ、主イエスが十字架に付けられる前日の夜、最後の夕食をしたとき、イエスは、弟子たちのうち、特にペテロに対して言った。

…私はあなたのために、信仰がなくならないように祈った。だからあなたは立ち直ったとき、兄弟たちを力づけてやりなさい。(ルカ福音書二二・32

ここには、弟子に対して彼等がこれからどのようになるのか、すべてを見通しておられたのがわかる。その上で、主イエスは、ペテロの信仰がなくならないようにと祈ったと言われている。
それはペテロを見つめることである。だれかのためになされる祈りとは心で相手を見つめることだからである。
そしてイエスはさらにペテロが立ち直った後に他の親しい信徒たち(兄弟たち)をも力づけるような働きをすると予見していたのである。
そうした上で、三度もイエスなど知らないと言ってしまったようなペテロを、見つめられた。そのイエスのまなざしを受けて、ペテロは「激しく泣いた」と記されている。
それは自分の恐ろしい罪の深さ、自分でも全くわかっていなかった弱さ、それにもかかわらず見つめて下さっているキリストの愛に触れたからであった。
私たちもまた同様な状態であるのに気付かされる。いかに正しく生きようと思っても、また自分にはそんな罪などない、他人のことだと思っていても意外な弱さや罪を見出して罪深い本性を思い知らされる。
しかし、そこに注がれるものがある。それは神のまなざしであり、主イエスが私たちを見つめる目である。
目に見えるもののうちでは最も神秘的な存在といえる夜空の星は、そうした神の私たちへのまなざしを暗示するものと言えよう。
大詩人ダンテが、その主著「神曲」において、地獄編、煉獄編、天国編の三つの最後の言葉を「星」(イタリア語でステレ stelle)という言葉で終えているのは深い意味を持っている。*
ダンテもまた、星をこの厳しいこの世において、神の愛のまなざしと感じていたことをうかがわせるのである。

*)あるアメリカのダンテ注解者がそのことについてつぎのように述べている。
Each of the three great divisions of the poem ends with the sweet and hopeful word stelle.
(「La Divina CommediaCharles H.Grandgent 308P Harvard University Press


星は確かに、いかなることがあろうとも、変わらない神の愛を象徴しているからこそ、神曲の注解者が言っているように、心にやさしく(sweet)、希望を与えるもの(hopeful)と感じられるのである。
そしてそれは夜空の闇のただなかに輝いているように、この世のどんなに暗い状況のなかにあっても、なお私たちに神の愛のまなざしが確かにあることを指し示している。

 


st07_m2.gif災害の意味

去年から今年にかけてだれもが驚くような災害が次々と生じた。私の住む徳島でも、台風が前例のないほどに襲来し、かつそのたびに激しい雨、そのため何十年も耳にしたことがないような大水が出て、かつてない状況が現出した。また、川が氾濫して国道のバスまで屋根近くまでつかったり、新潟では今もなお多数の人たちが厳しい寒さと雪のなかを、仮設住宅など不便な生活を強いられている。そのうえに、インド洋での巨大地震と津波がおそったために三十万人以上の人たちのいのちが失われ、まだまだ病気などのために亡くなる人も予想される。
このような災害をどのように受け止めるべきであろうか。
まず私たちが考えておくべきことは、スマトラ沖の巨大地震、大津波は、昼間の行楽地であったためにその生々しい津波などがビデオで撮影されていて、かつて見たことのないような津波の恐ろしさがまざまざと人々の前に浮かび上がったことがある。
それから行楽地であったために、ヨーロッパやアメリカなどの国々からも多くの人たちが犠牲となったことで一層関心が高められた。また、インド洋沿岸地域の広大な地域となり、多くの国々が関連しているために、政治的にも関心が高く、世界の国々から多数の募金が集められた。
しかし、多数の人たち、貧しい人たちが苦しみ、死んでいくという事態は、あのような地震や津波があったから、今回だけそうであったのではない。
ずっと以前から日常的に、極めて多数の人たちが食物すら欠いていることは、例えば国連の機関の出している記事を調べるならすぐに分かることである。
現在、世界で八億人以上が慢性的な飢えに苦しんでおり、毎日餓死している人数二万五千人にも達しているという。(*
*)(「日本国際飢餓対策機構」や「世界食糧計画 WFPによる。後者は飢餓撲滅を目的として設立された国連最大の食糧援助機関。)
二万人以上もの人が日々飢えで死んでいくということは、一か月で六〇万人以上もの人たちが亡くなっていくということである。この数字は、今回のスマトラ沖の大津波の犠牲者数の二倍以上であり、いかに多くの人たちが貧困で亡くなっているかがわかる。
 このような悲劇的事態があっても、そのために日本やアメリカ、ヨーロッパの国々やマスコミはどれほど報道しているだろうか。そんなことを知らない人がむしろずっと多いはずである。
 このような食べ物がない、という人たちはそれだけで病気になりやすく、やせ細って医者にもかかれずに、生きていくのすらままならないのであるから観光地などへの旅行どころではない。
 このような世界的な飢餓の状況は、もうずっと以前から一部の人たちには知られていたことであるが、新聞やテレビなどではわずかしか報道されないし、政府も力を入れないから一部の人にしか知られていない。
 また、南アフリカはアフリカの中でも、大国の一つであるがそこはエイズの人たちが多数苦しんでおり、多くが死んでいくところでもある。毎日六百~七百人もの人たちがエイズで死んでいるのであって、年間では二十二万人~二十六万人ほども死んでいることになる。
 これは南部アフリカではますます深刻な問題となっており、このままいけば滅んでしまう国もあるのでないかとすら言われているほどである。アフリカ南部の国(ボツワナ)には、エイズ感染者が二五%にも及び、妊娠している女性のうち四三%もの人が、感染していたという。
 また、アフリカの二〇年ほども続いてきたスーダン内戦によって、およそ二〇〇万人にも及ぶ人たちが死んでいった。
 こうしたスーダンの悲劇などは、ごく一部しか知られていない。マスコミでもほとんど報道しないのはなぜか。それはこのような資源も大してないために国際的に重要視されていないからである。
 日本の首相が、平和憲法からしても、イラク派兵ということは間違ったことであるのに、それを人道支援のために行くのだという言葉を繰り返して平和憲法の精神を破ってきた。
 もし人道などというのなら、すでに述べたように毎日数えきれないような人々が飢えで死んでおり、エイズで子供や青年のころに死んでいくという悲劇をなぜ、助けようと言わないのか。
 私たちもテレビや新聞で報道されることだけが、真実だと思ってはいけないのであって、そうした報道のかげに隠れた部分が必ずある。自分たちの国の利益に関係がなかったら、いかに死者が多くとも放置しておく。そしてマスコミも同様である。
 地震や津波で、毎日繰り返し報道されている何分の一かでも、そうした貧困、飢えやエイズなどの悲劇を強調して報道すること、政府もそのようなことにこそ、海外援助協力隊のようなものに力を入れて国際的に実行していくことが、どれほどか世界の平和に貢献するか分からない。
 私たちもマスコミの報道からしか判断できないのでなく、いつの時代にも、報道されている悲劇はごく一部なのだということを念頭において置かねばならないと思う。
 こうした状況は、今に始まったことでない。
 九〇年ほど昔の、第一次世界大戦では、ドイツなどの同盟諸国は死者338万人、英仏などの連合諸国は515万人の死者を出したし、そのときにちょうど流行したインフルエンザは世界で二五〇〇万人もの死者を出している。
 第二次世界大戦では、第一次大戦よりはるかに多い数千万の死者を出している。
 また、古くは中世には、ペストの大流行があり、わずか五~六年の間に、ヨーロッパ全人口の二五%ほど、二五〇〇万人を超える人たちが命を落とした。
 このような特別な事態でなくとも、またそのような記録になっていないアフリカやアジアなど世界の各地でどんな多くの死者や病人、自然災害が生じたか分からないことがずっと多いのである。
 こうした現在の世界各地、そして歴史的に見てみるとき、今回のようなことは特別でなく、たえずこうした大規模な悲劇は生じてきたし、現在は飢え、貧困とエイズということで毎日驚くべき人たちが死んでいるのである。
 今回のインド洋での巨大地震関係だけが注目を特別に浴びているが、それは政治やマスコミの扱い方に因っているところが多い。
 それゆえ、今回のような事態が生じたから神がいないとか言う人もいるが、実はそういう疑問や議論ははるか昔から言い古されてきたことであり、それをキリスト教は克服してきたゆえに、今日まで続いてきたのである。
 キリストはどんな目に会ったか、完全な愛と真実によって生き抜いた人が、あのようなひどい仕打ちを受けて、釘で張り付けられて殺されたということ、それだけ見ても普通の考えからでは、どこに神がいるのか、ということになる。
 そのような残酷な光景をまのあたりにし、さらに「わが神、わが神、どうして私を見捨てられたのか!」と叫んで息を引き取ったイエスを見れば、どこにも神はいない、神の助けなどないと思われるのに、そうした一部始終を見ていたローマの兵隊の百人隊長が、「本当にこの人は、神の子だった」と深く心を動かされイエスを信じるようになったのである。
 キリスト信仰というのは、いかに目にみえる状況がひどいものであっても、そのただなかに神は啓示を与えられ、神の愛と正義を信じる人を起こされるということなのである。
 逆にいかに奇跡を見ても、信じない人は信じないのである。だからこそ、イエスを迫害した人たちは、そうした奇跡を見て、イエスの驚くべきわざを目の当たりにしても信じるどころか、かえってイエスを憎み、迫害するようになったのである。
 神を信じることは、いかなる外的状況の中でも生じることである。それは神がそのように導き、啓示を与えるからである。それはキリストの最大の弟子であったパウロの例を見てもわかる。彼は、キリスト教徒を迫害して殺すことにも加担し、その迫害のさなかで、キリストの光を受けて変えられたのである。
 パウロはまわりの状況によって信じたのでなく、人の説得にも関係はなかった。どこから見ても信じるような理由はなかったが、神はそこに啓示の光を与えたのである。神が光を与え、人はそれを受けたら信じるようになるのであって、そこには周囲の状況とも関わりなく神は呼び出されるというのをはっきりと示している。
 この世は昔から悲しみと苦しみが至る所で存在してきた。それがあるから神がいないというのでは全く人間は神を信じることはできなかったし、神のことが分からなかっただろう。しかし、逆にそのような悲しみや苦しみがあるそのただ中において、神は信じる人を生み出して来られたのである。
 また、人間にとって最大の不幸は死ぬことではない。
 死が最大の不幸だと考えるのは、死んだら終り、死のあとにはなにもない、と考えるからである。しかし、もし本当にそうなら、私たちは事故に遭っても遭わなくても必ず死ぬ。死が最大の悪なら、人間はいかなる人でも最大の悪に向かって進んでいるということになる。それでは、生きることにどんな意味があるだろうか。どんなに善く生きても、すべて最大の悪に向かっているのが事実ならば、善く生きるということ自体が意味を失ってしまうのである。
 このようなことはキリスト教に限らず、すでにギリシャの哲学者も指摘していることである。正義のために迫害され、自ら死刑になることを受け入れたソクラテスは、まわりの人たちに向かって、自らに降りかかった死刑ということは決して災いではないと、つぎのように述べている。

…私の身に降りかかったことは、きっと善いことであると思われる。それで私たちのなかで、死を災いであると信じる者は皆たしかに間違っている。
このことについて私は有力な証拠を持っている。私が出会おうとしているもの(死)が幸いなものでなかったら、いつものあの警告のしるし*が私を差し止めないはずは決してないのである。(「ソクラテスの弁明」四〇・C

*)警告のしるしとは、ソクラテスがすでに子供のときからしばしばあったもので、なにかよくないことをしようとしたら、たとえそれが小さなことがらであっても、必ずそれを差し止める声がするというのであった。ソクラテスがギリシャの悪意ある人々によって死刑が宣告されたとき、それを甘んじて受けようと決断したときに、その声がなにも差し止めなかった。それゆえに、そのことは善いことなのだとソクラテスは確信を持つようになったのであった。

このこと以外に、ソクラテスは、死後に生涯を正しく送った人たちと交わることができるならそれは言葉に言い表せない幸いであると言う。また、
「善き人には生きているときにも、死後にも、悪しきことはひとつもない。」と確信していた。(同41D

 キリスト信仰にあっては、死は最悪のものでないことは、当然のことであるが聖書にははっきりと書かれている。だからこそ、キリストもあのように若くして命を終えたが、それによってキリスト教は全世界にひろがることになった。パウロも、死とは、主イエスと永遠にともにあることで、それを本来なによりも望んでいると述べている。
 悲劇はいつの時代にもある。そこから神は招いておられる。どんな深い悲しみも、もしそこから神に立ち帰り、主イエスによる罪の赦しを経験し、生きて働く神の御手によって導かれるようになったなら、いのちの水を与えられて新しく生まれ変るなら、そこにこそ永遠の幸いがある。
主イエスが、このように祈れと教えられた主の祈り、そこにもこのようなこの世の厳しい現実に向けた祈りが含まれている。
御国がきますように。この祈りは、神の御支配が来ますようにという祈りであり、正義と愛に満ちた神がこの世を支配し、導いて下さいますようにという祈りなのである。そしてそれは神の御手のうちにあるあらゆる良きもの、愛や真実、正義、清さ等々をも意味する。
私たちが身近な人たち、あるいは日本や世界のさまざまの苦しみに満ちた状況を知らされるにあたっても、そのところに御国がきますように、神の御支配がきますように、と祈ることは、神の愛の御手が悲しみを負った人たちのところに差しのべられますようにという祈りにほかならない。
また、私たちの日毎の食物を今日もお与え下さい、という祈りは、自分の食物を下さいという祈りでなく、「私たち」の食物であり、そこには、豊かな日本であっても、食事もできないような方々、それは病気が重度になった場合には、食物の有り余るただなかにて食物を取り入れることができないのである。そのような人たちにも食物を与えて下さいという祈りも含むことになる。
また、世界のおびただしい貧困と飢えに苦しむ人たちに食物が与えられますようにとの祈りともなり、この祈りは著しく広い範囲を含んでいるのである。
さらにまた、主イエスは「人はパンだけで生きるのでない。神の口から出る言葉によって生きる」と言われたし、ご自分のことを、「私は命のパンである。」と言われ、「このパンを食べるならば、その人は、永遠に生きる。」(ヨハネ福音書六・4850より)と言われた。
主の祈りに含まれる「日毎のパンを下さい」という祈りは、通常は口から食べる食物のことを意味しているとされることが多いが、こうした主イエスの言葉を考えるとき、私たちはこの主の祈りが、霊のパン、命のパンであるキリストを私たちすべてに与えて下さいという祈りへと導かれる。
ルカ福音書では、「ああ幸いだ、貧しい者は!」と言われている。なぜ、貧困が幸いなのか、それはそのような中から、神に真剣に求めるときに初めて、命のパンである霊のキリストを魂に受け入れて、そのキリストによって力と慰め、そして永遠の命を与えられることにつながるからである。
「ああ、幸いだ、悲しむ者たちは。彼等は神によって慰められるから」という主イエスの言葉はいつの時代にも生じるそうした数知れない悲しみを背負わされている人への深いメッセージが込められている。
「重荷を負う者は私のもとに来なさい。私がその重荷を軽くしよう」という言葉も同様である。
私たちの世界に満ちている苦しみや悲しみといった状況はつねに存在してきたのであり、そのような闇であるからこそ、神はそこに光を投じて下さったのである。
さまざまの災害や事件という形で現れているように、闇は確かにある、至る所にある。しかし、光も確かに存在する。やはり太陽のように至る所に注がれている。その光を実際に受けたものは、聖書に言われているように、「闇は光に打ち勝つことができなかった」という事実をも体験する。この二つは明確な事実である。私たちは闇の事実の前におののいて打ち倒されてしまってはいけないのであって、もう一つの事実である、光がそこに射しているという事実に固くすがっていくことこそ、求められている。
私たちは、災害などで苦しみにある人たちのことを覚えて祈り、主の御手が触れてくださいますようにと願い続けると共に、身近な人たちで苦しみに遭っている人たちを覚え、できることをなすことの重要性を思う。
そしてどのような苦しみや闇にあっても、光が届かないところがないということを、つねに証ししていきたい。それによって悪に苦しむ人たちが、永続的な光を見出すことを願い続けたい。

 


st07_m2.gif讃美の心

キリスト教信仰においては、讃美というのは不可欠なものとなっている。それは聖書においては、その最初の書である創世記にはあらわれない。ノアが長い洪水の期間における箱船の生活からようやく解放されたときでも、神への感謝をあらわすために祭壇を築いたとあっても、讃美の歌を歌ったとは記されていない。
また、その後のアブラハムやヤコブ、ヨセフといった詳しい記述がなされている重要な人物には苦難も降りかかったが、大いなる喜びもあった。しかしそのときでも、祈りや感謝はあっても、讃美を歌ったということはなかった。
聖書で初めて、神への讃美を歌ったと記されているのは、出エジプト記である。モーセが民を導いてエジプトから脱出したあと、敵がエジプトの戦車すべてを動員して追跡し、間近に迫り、前方は海であり、もうそのままでは全滅するかと思われたとき、大いなる神の御手によって道が開かれ、人々は救われたという記述がある。
その直後に、記されているのが聖書における初めての讃美となっている。

モーセとイスラエルの民は主を賛美してこの歌をうたった。
「主に向かってわたしは歌おう。
主は大いなる威光を現し
馬と乗り手を海に投げ込まれた。
主はわたしの力、わたしの歌
主はわたしの救いとなってくださった。
この方こそわたしの神。
わたしは彼をたたえる。
わたしの父の神、
わたしは彼をあがめる。…」(出エジプト記十五・12

滅びが確定的であったような状況から、神の力によって救われたという疑いようのない事実、そのことへの抑えることのできない感動から初めての神への讃美の歌があふれ出たのであった。
そしてこの讃美に続いて、ミリアム(*)もまた、つぎのような讃美を歌った。

…女預言者ミリアムが小太鼓を手に取ると、他の女たちも小太鼓を手に持ち、踊りながら彼女の後に続いた。
ミリアムは彼らの音頭を取って歌った。
「主に向かって歌え。
主は大いなる威光を現し
馬と乗り手を海に投げ込まれた。」(出エジプト記十五・2021

*)このミリアムはヘブル語でより正確にはミルヤームといい、アラム語では、マルヤーム。ギリシャ語では、マリア(maria)となり、イエスの母の名前がこの名であり、また新約聖書には七つの悪霊を追い出してもらったマグダラのマリアという女性もキリストに救われた重要な人物としてあらわれる。ここから、英語のメアリー(Mary)、フランス語のマリー(Marie)となって広く人名にも使われるようになった。

このように、聖書においては讃美はなんとなくメロディーにひたったり、現代の若者の音楽によく見られるように激しいリズムや音にひたるというのでなく、救いの体験ということ、神のめざましい力と愛への感動が元になっている。
こうした讃美の重要性のゆえに詩編という形になって旧約聖書に多くのページをさいて納められた。
その詩編の成立にはとくにダビデという一人の人間の果たした役割が大きかったと思われる。彼は、すでに子供のときから勇敢であって、だれも向かうことのできない敵の巨人に対して素手同然で向かっていって勝利したり、軍の指揮においてもすぐれた手腕を発揮した。また若いときから楽器(竪琴)の演奏もできるという音楽的な能力にも恵まれていたうえ、詩という形で深い心の経験を表すことができる人物であった。
詩編とは人間の苦しみや悩みを神に訴え、その苦しみから神の測り知れない力と、神の愛や真実によって、救われたということを述べたものである。それはおのずから曲が付けられ、その感動を多くの人たちが歌うということによって共有することになった。
この詩編の讃美がのちのキリスト教の讃美にも流れ込み、それ以後今日まで無数の讃美がなされ、また生み出されていった。
このようにキリスト教の讃美というのは、まず言葉、詩(歌詞)があったのであり、その歌詞の意味をよく知った上で讃美するということが不可欠になる。
もちろんメロディーやハーモニーだけでも私たちの心に安らぎとか喜びを与えるものであるが、それだけではキリスト教信仰の上からは核心を欠いていることになる。
このことに関連して、祈りにおいても似たことがある。
それは異言といわれている祈りである。何を言っているのか分からない霊的に高揚したときに舌が動くというのが異言といわれており、そのことは、新約聖書ではギリシャのコリントという都市のキリスト者に見られた。
意味不明の異言で祈ることが霊的な賜物としてそれをあたかも特別に大事なことのように言い出す人たちがあらわれたため、パウロは、次のように言ってそのような傾向に警告した。

たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、わたしは騒がしいどら、やかましいシンバル。(Ⅰコリント十三・1

だから兄弟たち、わたしがあなたがたのところに行って異言を語ったとしても、啓示か知識か預言か教えかによって語らなければ、あなたがたに何の役に立つか。(同十四・6

このように、意味不明の祈りは、自分自身を霊的に高揚させることにはなっても、他者には何にも役に立たないと言って、意味のわかる言葉で、神からの真理を語ることを強くすすめている。それが次の言葉である。ここで「預言」とは、未来のことを言い当てることでなく、その字のように、神の言葉を預かること、神の言葉を受けて、それを誰でもがわかるように語ることを指している。

皆が共に学び、皆が共に励まされるように、一人一人が皆、預言できるようにしなさい。(同十四・31

このようなパウロの精神は当然、讃美についても同様であったからつぎのように言っている。讃美とは祈りの延長であり、かたちを変えた祈りに他ならないのである。

では、どうしたらよいか。霊で祈り、理性でも祈ることにしよう。霊で賛美し、理性でも賛美することにしよう。(同十四・15

こうした記述から、私たちの讃美も単に音楽的に安らぐとか波立った心を静め、気分転換といったことにとどまらず、神への祈りであり、それが他者にも同じように祈りの心を呼び覚まし、ともに祈り合うことにつながっていくことが求められている。そしてそこに、「二人三人私の名によって集まるところに、私はいる。」との主イエスの言葉にあるように、その讃美と祈りのなかに、主イエスはとどまって下さり、聖霊を注いで下さることが期待できる。

 


st07_m2.gif休憩室

○この頃の星(二月下旬)
夜十一時頃に、東の方をみますと、やや南よりにだれでもすぐに目に入る特別に明るい星が上ってくるのが見えます。それが木星です。木星のすぐ右下に見える明るい星は、乙女座の一等星スピカで、木星の左(東)にはやはりかなり明るい星があり、それは牛かい座のアークトゥルスです。これらの星は、よく目だつので、木星をまず見付けると他の星はここに書いた順で探せばすぐに見つかります。そして、北東の空からは、北斗七星がひしゃくを立てた形になって上ってくるのが見えます。
木星は、マイナス二・五等ほどの明るさを持ち、恒星のうち最も明るいシリウスがマイナス一・五等なので、それよりもかなり明るく、とくに「夜半の明星」と言われたりするのです。
これらの星は夜明けの五時ころになると、木星は、南西の空に動き、乙女座のスピカは木星のすぐ左に見えます。そしてアークトゥルスは、木星の上方、天頂(真上)に近いところに見えます。
都会ではこうした星も建物の照明などのため見えにくいし、高層ビルに囲まれて視界も狭い上に、地上の人工的な光がたくさんあって星の清い輝きがかき消されています。
しかし、そのようななかであっても、これらの明るい星は、見ることができるので、しばし地上の世界から離れて天地創造の神を思い、心を高みに引き上げることはできると思います。

 


st07_m2.gifことば

205)あらゆる種類の失意について心の準備をしておきましょう。私はそのような準備が必要であることがわかるのです。
自分がなすべきことをしてその結果は神にゆだねること、これより他に私たちに何ができるでしょうか。また何をするつもりでいられるでしょうか。
神の御心は、天に行なわれると同様に地にも行われるのです。(「ナイチンゲール言葉集」124頁 現代社)

・私たちがなにかをなそうとするとき、その最悪のことが生じるときの心の準備をいつもしておくということである。一生懸命にやったのに、全く理解も評価もされない、あるいは逆に悪く言われるなど、失望落胆するような事態が生じることをあらかじめ覚悟しておくように言われている。
実際、そのようなことが生じるかも知れないからである。例えば、人にキリスト教のことを紹介しようとするとき、そのために悪く言われることがあり得ると心の準備をしておくことである。また、私たちに何ができるかを祈り、考えてなしたあとは、それがどのように受けとられようと、誤解されようとそれをすべて神に預けておく。これは神を信じることから自ずから生じる姿勢となる。
 ナイチンゲール(18201910)は、イギリスの看護婦。イタリアのフィレンツェ生れ。クリミア戦争に際し多くの看護婦を率いて傷病兵の看護に当り、「クリミアの天使」と呼ばれた。

206)…この一つのことをこそ、真理と認めることが必要である。ー それは善き人に対しては生きているときにも死んでからも、いかなる災いも起こり得ないこと、またその人は、何と取り組んでいても、神々の配慮を受けないということはないということである。(「ソクラテスの弁明」41D)

・この言葉は、ソクラテス(470~前399)が死刑の判決を受けて、死を前にして語った最後の部分にある。これは「弁明」というタイトルで知られてきたが、内容は、弁明というよりは、彼が何を考え、いかに生きてきたかの力強い証言である。彼に言われた罪とは、自分が子供のときから神の霊の語りかけを受けて、間違ったことならどんな小さいことでもそれを差し止める声が聞こえてきた。その導きに従って彼は人間のまちがった考え方をたえず話し合いによって正しい方へと導いていったが、そうしたことが「国家の認める神々を認めないでその代わりに新しい神の霊を信じるようにと教えた」として、青年たちを腐敗させたというのであった。
 このように、聖書の世界を知らされていなかったところにも、正義の永遠的な力を信じ、いかなることがあろうとも、悪が正義に打ち勝つことはあり得ないという確信を持った人が起こされていたのである。
 私は大学時代の後半期にプラトンの著作を初めて知らされ、その深い洞察に魂の目を開かれていった。そしてそうした心の準備を経てキリスト教へと導かれた。歴史的にみても、ローマ帝国の精神的土壌は、ギリシャ哲学がもとにあり、それによって耕されたところに、キリスト教が入っていったのであった。

 


st07_m2.gif編集だより

○一月号の新しい誌名「いのちの水」を見て、魂をうるおす「いのちの水」という意味だと知って、サマリヤの女が水を汲みに来て、イエス様からいのちの水を教えられたことを思いだしました。
私は、讃美歌273番の四節を口ずさみました。(*)…(関東地方の方)

*)君はいのちの みなもとなれば
たえず湧きいで こころに溢れ
我をうるおし、渇きをとどめ
とこしえまでも やすきを賜え。


○…私は、大学時代にヨハネ伝四章の、サマリヤ女のスカルの井戸での「いのちの水」の礼拝講話に打たれて無教会に導かれました。この時代に「はこ舟」から、「いのちの水」という誌名になりましたことは、まことに適切で時代の要請でもありましょう。…ヒルティの「力の秘密」という論文など何回読んだことでしょう。まさに若き日の羅針盤でありました。…(関東地方の方より)

 


st07_m2.gifお知らせ

○四国集会…五月十四日(土)午前十時~五月十五日(日)午後四時まで、キリスト教四国集会(無教会)が、徳島市で開催されます。徳島での開催のときには、近畿、中国、関東地方などからの参加者もあり、どなたも自由に参加できます。テーマは「祈りと讃美」です。今月号に書きましたように、この二つは本来一つのものです。苦しみのときにも祈りによって力を与えられ、また他者とも祈りによって深いところでともに歩むことができます。「祈り、かつ働け」という有名な言葉がありますが、その二つのことによって神は私たちにそのわざを示して下さり、そこから神に感謝と、讃美が生れます。この世の闇にあっても、なお神を讃美することができるならそれは人生の目的を達していると言えます。
・聖書講話は 関根 義夫(浦和聖書集会)、冨永 尚(松山聖書集会)、原 忠徳(高知聖書集会)吉村 孝雄(徳島聖書キリスト集会)の四名。
・証し(信仰の歩みの証言)は、四国内外から五名前後の方々にしていただきます。
・特別讃美として、独唱、コーラス、手話讃美、楽器演奏など。 また今回のテーマに合わせて、小グループに別れての祈りの集まりもあります。祈りについては、議論とか講話以上に、まず祈り合うことが重要だからです。

 


st07_m2.gif徳島聖書キリスト集会案内

・場所は、徳島市南田宮一丁目一の47 徳島市バス中吉野町4丁目下車徒歩四分。
(一)主日(日曜日)礼拝 毎日曜午前十時三十分から。
(二)夕拝 毎火曜夜七時30分から。 毎月最後の火曜日の夕拝は移動夕拝で場所が変わります。(場所は、板野郡藍住町の奥住宅、徳島市国府町のいのちのさと、吉野川市鴨島町の中川宅)です。
☆その他、読書会が毎月第三日曜日午後一時半より、土曜日の午後二時からの手話と植物、聖書の会、水曜日午後一時からの集会が集会場にて。また家庭集会は、板野郡北島町の戸川宅(毎週月曜日午後一時よりと水曜日夜七時三十分よりの二回)、海部郡海南町の讃美堂・数度宅 第二、第四火曜日午前十時より)、徳島市国府町(毎月第一、第三木曜日午後七時三十分より「いのちのさと」作業所)、板野郡藍住町の美容サロン・ルカ(笠原宅)、徳島市応神町の天宝堂(綱野宅)、徳島市庄町の鈴木ハリ治療院などで行われています。また祈祷会が月二回あり、毎月一度、徳島大学病院8階個室での集まりもあります。問い合わせは次へ。 ・代表者(吉村)宅 電話 050-1376-3017