2005年6月 第534号・内容・もくじ
閉じられていくこと、開かれることと
私たちはすべて老年に向かっていく。老年とはさまざまのよきものが次々と閉じられていくことである。健康で自由に仕事や遊び、趣味、旅行などできていたのが、次第に一つ一つできなくなっていく。車にも乗れなくなり、歩くことすらままならないようになる人も多いし、寝たきりとなっていく場合もある。
そしてついにはこの命さえも閉じられていく。
しかし、このような現実にあって、開かれていく世界がある。それは目には見えない天の世界である。
閉じられていくのは、目に見える世界であって、目には見えない天の世界はだれも閉じることはできないし、究極的なよきもので満ちている世界であるゆえに、古びることも変化することもない。
そこに通じる道は、過去の経験でもなければ、経歴やこの世の業績、健康、病弱、あるいは過去の罪や善行ですらない。ただ幼な子のような心をもって、罪の赦しを受け、神を見つめることである。
実際、老年にならなくとも、病気になって動けなくなっていけば、娯楽やこの世の楽しみは確実になくなっていくのであって、何か本当によいものを見つめようとすれば、いやおうなく、天の国へとまなざしを向ける他はなくなっていく。
神は病気や老年ということを用いて、この世のものを閉じていき、人間が、神を仰ぐという狭き門から入り、天の国への細い道を通っていくように仕向けておられる。ただその単純なことによって、天から神の国のよきものが流れてくるようにしてくださる。そしてその彼方には、無限の清い世界、苦しみも悲しみもない世界、もはや決して閉じられることのない世界が開けていて私たちを待っているのである。
何か美しいことを
私たちは、周囲の世界に対して何か善いことをするか、あるいは何かよくないことか、それとも無関心であるかである。
満員の通勤電車に乗っているとき、あるいは無数のひとたちが行き交う朝のラッシュ時のときに、周囲の人たちに対して最も多くの人が互いに抱いているといえるのは、互いに知らない者同士なのであるから、おそらく無関心であろう。
しかし、会社なり、学校なり、勤務先についた途端、そのような無関心ではなく、出会う同僚や人々に対して何か善いことを思うか、よくないことを思うかいずれかになる。
自分に対して好意的な人には何かよいことを考え、無視するような人、敵対的に出てくるひと達には何か悪しき感情をもつようになるのが多いだろう。
しかし何か善いことといっても、自分の好意が持てる人だけに何か善いことを考えるのは、主イエスによれば、それも何の善いことでもないという。
…敵を愛し、自分を迫害する者のために祈れ。…自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな報いがあろうか。(マタイ五・46)
とすれば、本当の意味で「何か善いこと、なにか美しいこと」というのは、実はだれでもなかなかできていないということが分かる。
自分に悪意を持つ人にも、無関心な人、攻撃的な人にも、相手を選ばないでなされる善きことこそが、本当に神の前でよきことになる。このようなことが一体できるのだろうか。
そういうことは、人間にはできないことである。私たちはある人の苦しみに感じて祈りを込めていれば、またある人に時間をかけてかかわっていたら他の人のところには行けないし、同時に多くの人のことを祈り、考えることもできないから、ある人にかかわっているときには別の人のことは忘れていなければならない。
このようにいかにしても人間の愛などは限定されているし、偏ったものでしかない。
しかし、自分の好き嫌いでなく、どんな人であっても、自分の身近にいる人、たまたま出会う人、それは行きずりの人であったり、会社の同僚や知人、あるいは外国の人であったりするだろう。そのようなさまざまの人たちをだれでも同様に善き心をもって見つめようとすること、それは可能だという。
不可能なことなら、主イエスもこのように「隣人を愛せよ、敵を愛し、そのために祈れ」などと命じたりしないからである。
このような無差別的な愛は、自然の人間にはない。ただ神からの恵みとして与えられるのだと聖書では記している。
そしてそれが可能であることを示すかのように、神は「何か美しいもの、何かよいもの」を数知れないいほど多く、身の回りの自然のなかに刻み込まれている。夜空の星のまたたきは、いつも何か美しいものであり、何か人の心に清いものをよみがえらせるものである。白い一片の雲であっても、風のそよぎも、川の流れにしても、それらはみんな、何か美しいものをたたえていて、心して見るときには、私たちにもそれを注いでくれる。
山川、植物など自然の純粋さは、神のお心が、絶えず何かよいもの、何か美しいものを私たちに与えようとしておられるそのお心を表している。
これらの自然の風物は、神から創造されたそのままの姿であるゆえに、何かよいものをたたえているものが実に多い。
私たちも神に創造されたままのようにまっすぐにされるとき、つねにそうした状態になるだろう。それが主イエスの言われた幼な子のような心で神を仰ぐような心である。そしてそれは神から新しく、造りかえられることによって初めてできるようになる。
そしてそのとき、私たちは聖書にあるように、キリストが内に住んで下さるゆえに、そのキリストがたえず何かよいものを私たちに提供し、それを私たちも外部に向かって注ぎだすようになる。
それは祈りの心がもとにある。何か美しいもの、よいもの、それは祈りからなされる。寝たきりの人であっても、周囲にそのような祈りを注ぐことによって何か美しいものを絶えず提供することになる。
こうしたことについて、つぎの言葉をあげる。
ヒューマニズムだの、永遠の平和だのについて、あまり多く語らないほうがよい。
あなたは出会う人ごとに、「なにか善いこと」があるようにと願っているか。もしそうならば、あなたは人間らしい親切な心の持主だが、そうでなければ、あなたの言葉はただ口先きだけのことである。(「眠られぬ夜のために下・六月五日」
Reden Sie nur nicht so viel von Humanitat und ewigen Frieden.Wunschen Sie jedem Menschen,dem Sie begegnen,etwas Gutes? Dann sind Sie human und freundlich gesinnt,sonst aber sind das blosse Redensarten,…
主イエスは、隣人を愛せよと教えられた。遠いどこかの国のことばかりをいくら議論しても単なる議論で終わることもあり、自分がそのような遠いところにまで配慮しているといった秘かな虚栄心から言う場合もある。そしてすぐ近くにいる私たちの隣人に対しては祈りや必要な見舞いとか訪問もしない、といったことになることがしばしばある。
「巧言令色 少なし仁」、という有名な言葉がある。(「論語 学而第一の三」)これは、言葉づかいがうまく、表情も人を引きつけるような人が、かえってその中には本当の仁(愛)がない、という意味である。この箇所を註解した、今から八〇〇年余り昔の、中国の高名な儒学者である、朱熹(しゅき)は、そのような口先や表情だけよいものには、愛は少ないどころか、「絶無」であると註解している。
たしかに、主イエスはいつも人を引きつけるようなにこやかな表情をしていたとは書いてない。むしろ哀しみの人と言われたほどであったし、代表的な預言者の一人であったエレミヤなども、その心を表しているとされる哀歌には悲痛なものが流れている。
深い真実な愛とは、そのような表面の言葉や表情ではなく、その内面にたたえられたものなのである。
また、ここで、「何か善いこと」(something good)を出会う人ごとに願っているか、ということが問われている。自分の気に入った人にだけ、善いことを考えても何にもならないと、主イエスも言われた。出会う人、それが敵対するような人であっても、利己的な人であっても、その人間がどんな人かにかかわらず何かよいことをその人のために願うことのできる心、これこそ、キリストの愛が注がれた人の特質だと言えよう。
これに似た言葉につぎのようなものがある。
Something beautiful for Gott.(何か美しいことを神のために)
これは、マザー・テレサについて、あるイギリス人によって書かれた一冊の本のタイトルであり、その本のはじめにある著者の60頁ほどの文章のタイトルにもなっている。(「Something Beautiful for God」 Malcolm Muggeridge著 Collins 一九七一年 )
彼女の生き方がこの一言によって表されている。マザーは、主イエスが言われた、福音書の言葉をそのまま生きていった人であった。
…そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』(マタイ二五・40)
これは主イエスが、世の終わりのときに祝福される人と裁かれる人に分けられると言われたが、その時の言葉にある。人知れず、飢えている人に食べ物を与え、獄にいるような暗い恐ろしい状況にある人には訪ね、病気のときに見舞い…そのような弱い立場にある人はごく小さい存在とみなされ、周囲からも注目もされない。しかしそのような小さき人々への愛をもって助けるが、そのようなことをなしつつも、本人はそれを覚えていないほどに自然になされることがある。そのようなことこそ、「神のためになされた、何か美しいこと」である。
「私に結びついていなければ、あなた方は何もできない。」(ヨハネ福音書十五・5より)この、主イエスの言葉は、キリストにつながっていなければ、私たちは何か美しいこと、何かよいことはできない、ということである。
この世には、そのようなことと逆のことが実に多い。ニュースなど見てもいつも何かよくないこと、何か汚れたことが降り注いでいるように見えるほどである。
老年の人からせっかくよい本を読んでも、また聞いてもすぐに忘れる、とか礼拝集会に参加して学んでもすぐに忘れてしまう、と嘆きの声を聞くことが折々にある。しかし、結局のところ私たちがいろいろ覚えても、そこから何か美しいもの清いものをくみ取るのでなかったら究極的には役に立たないといえよう。
礼拝にしても書物や学びにしても、どれだけ覚えているかということではなく、何か清いもの、なにか美しいものを神から受けとるためなのである。
賛美を歌う、祈る、ただそれだけでも、神は私たちに天の国の何か聖なるもの、清いものを注いで下さることがよくある。神は私たちにそうしたものを与えようといつも待っておられる方なのであるゆえにそれは本来だれにでも、心から求めるものに与えられる。
この暗い出来事の多い世にあって、陽の光りがいつも降り注いでいるように、何かよきもの、美しいものが天から注がれているのをつねに実感できるようにならせていただきたいと思う。
器なる人間
私たちは何かを独自にできるものではない。単なる器である。しかも壊れやすく、よごれた土の器である。しかしそのようなものに、神は天の国のよきものを盛って下さる。そしてそれを他者に提供するように仕向けて下さる。
その最たるものは福音である。信仰であり、それに基づく希望であり、神からの愛である。
それらはみんなもともと自分にはなかった。いまも私は壊れやすく、よごれた器である。しかしそれでも主は私を愛して下さるのを感じる。二十一歳のときから、そのような神の愛というものがあるのを突然知らされて以来、今日までの数十年をも、壊れた器がさらにひびが入り、欠けたようになってもなおそこに天の宝を置いて下さる。そしてそれを使うようにと言われる。
世界的に有名な人物であっても、その人間それ自体が罪がないとかいうのでなく、やはり罪人であり、汚れたものであり、弱い土の器にすぎない。
モーツァルトは多くの人によって親しまれ、愛されている。モーツァルト自身は聖なる人間といった人とはほど遠く、ごく普通の人間にすぎなかったようである。そのようなどこにでもいるような人間のどこからあのような天使が歌うような音楽が生み出されるのか、不思議に思われる。
また、ベートーベンもおそらく最も多く演奏される作曲家ではないかと思われるが、彼もときには激しい感情をもって怒り、悲しみ、悩んだ普通の人間であり、およそ聖なる人というタイプではない。にもかかわらず、彼の音楽がいかに多くの人たちを力づけ、奮い立たせたか、またこの世の、よごれて混乱した世から引き上げて別の世界を展望させるように導いたか、計り知れないだろう。
こうした人々、それは神がその土の器にすばらしい音楽を注がれたのだ。
欠点がある、未熟である、罪を犯す者でしかない…そのような者は神が使われないのだろうか。そうでない、もしそうなら、地上には誰一人使われるものがいなくなる。パウロが述べているように、神の目から見るなら、「私たちには優れた点は全くない。みな罪のもとにある。」(ローマ三・9)という状態だからである。
主イエスが最初に行った奇跡は、婚礼の席にあって、ぶどう酒が使い果たされてなくなった、そのとき、僕たちに、空の水瓶に水をいっぱい満たすようにという命令であった。その意外な言葉に驚きつつも、僕たちはその大きな水瓶に水を満たした。そうしてそれを運んでいった。すると、それらはぶどう酒に変わっていたというのである。(ヨハネ二章)
これは、主イエスの言葉に信頼してゆだねるとき、土のみずがめに入れたただの水が、香り高いぶどう酒になったように、私たちも土の器であるにもかかわらず、そこにキリストの香りのあるものを注いで下さるのである。
病身のからだであっても、しばしば健康なものにまさるものをそこに盛って下さり、それをこの世に証しとして用いることができるようにして下さる。
…わたしを苦しめる者を前にしても
あなたはわたしに食卓を整えてくださる。
わたしの頭に香油を注ぎ
わたしの杯を溢れさせてくださる。(詩編二三・5)
この有名な詩において、旧約聖書の詩人が歌っていることも、同様である。敵対するものに囲まれたただなかにあっても、なお、土の器なる私たちに豊かなよきものを注ぎ、あふれるほどに与えて下さるということである。
この世の闇と嵐のなかで
この世は闇であり、また嵐が吹き荒れて私たちをまっすぐに歩けないようにしてしまうことが多い。新聞に出てくるような犯罪や、事件、社会問題などはみんなそうした嵐に吹きさらされ、よき心もどこかに吹き飛ばされてしまって考えるだけでも恐ろしいようなことをしてしまうのであろう。
この世はそのような闇と嵐、波の荒れ狂う海のような状況にたとえられることが満ちている。平穏な生活を送っていると思われる人もいるであろうが、いつ交通事故や事件、あるいはガンなどで突然にしてそのような吹き荒れる嵐、波風に呑み込まれるか分からない。電車の脱線衝突事故で多数の人が亡くなり、重い怪我をしたことなど、その直前まで平和な生活をしていた人も誰一人予測できないままにあのような事態となった。
この世の荒波に呑み込まれるということは、聖書の最初から見られる。アダムとエバという最初の人間が、せっかく神がこの上もないよい状態になされたエデンの園において、食べるものも、見るものもすべて美味で、美しいという何不自由ない生活を与えられていたのに、アダムとエバを呑み込もうとする波が襲ってきたとき、いとも簡単にそれに呑み込まれ、みずからその恵まれた生活から追い出される原因を作ってしまったと記されている。
それが、食べるなと、言われていた園の中央の木の実を食べることであった。
そのように一度闇の力に呑み込まれた人間の心の中にどんなに恐ろしい暴風が吹き荒れるか、それはやはり聖書においても、最初から記されている。
それは聖書で最初の家族の中で、カインとアベルという兄弟がいたが、その弟アベルが、恵まれているということのゆえに、カインが怒り、アベルを撃ち殺すといった恐ろしい出来事である。このような読みたくもないような出来事がなぜ聖書の最初から書いてあるのかと、初めて聖書に触れたときに思ったものである。
聖書における最初の人間関係である、アダムとエバが、愛と真実の神に従おうとせず、エバがまず闇の力に引き込まれ、アダムもそのエバによって同様に引き込まれてしまったこと、また最初の家庭の記述が、兄が弟の命を奪うというような内容であること、それはいかに人間がこの世の闇の力、荒波に呑み込まれていくかという現実をリアルに記していると言えよう。
こうしたこの世の嵐や波、あるいはさまざまの苦しい問題に対して、聖書はどのように言っているのであろうか。
それは聖書全体にわたって述べられている。
最初に現れるのは、「主の名を呼ぶ」ということである。
「主の御名を呼び始めたのは、この時代のことである。」(創世記四・26)という一言の記述が、そのことを表している。この世の闇の力に呑み込まれないようにするために、主の名を呼ぶということ、それはまず、主なる神を信じて、主を仰ぐということである。
そしてやはり創世記の初めの部分、その五章につぎの言葉がある。
「エノクは神とともに歩み、神がとられたのでいなくなった。」(創世記五・24)
このように、すでに創世記のはやい段階から短い言葉ながら、はっきりとこの世の荒波からの救いの道が暗示されている。主の名を呼び、主とともに歩むということこそ、あるべきすがたであり、そこにこそ人間の生きるべき道があるということなのである。
その後、創世記に記されているのは、ノアの洪水のことである。人間が増えていくにつれてさまざまの罪を犯し、真理に背く生き方をするために、神がそうした悪を滅ぼそうと大洪水を起こされた。しかしそのなかで、ノアだけは異なっていた。
「ノアは正しい人であって、その時代にあっても、全き人であった。ノアは神とともに歩んだ。」(創世記六・9)
ここにノアの正しいというのは、神と共に歩んだことと結びつけられている。神と共に歩むことにより、悪から守られ、悪の攻撃を受けても神からの導きと力によってそれに引き込まれないようになる。
その後、旧約聖書でとくに重要な人物の一人である、アブラハムもこうしたこの世の闇に引き込まれないようにするために、神はとくにアブラハムを選んで、その歩むべき道を示した。神は、現在のイラク地方に住んでいたアブラハムを呼び出し、はるか遠くのカナンの地(現在パレスチナと言われている地方)に行くようにと命じた。アブラハムは、そのような驚くべき言葉に対してそれを拒絶するのでなく、それが神からの言葉だと信じて受け入れ、自分のすべてをかけて神の言葉に従って旅立った。
アブラハムのその姿勢は、つぎの言葉に表されている。(なおアブラハムは以前の名をアブラムと言っていた。)
「アブラムは、主の言葉に従って旅立った。…アブラムは彼に現れた主のために、そこに祭壇を築いた。…主の御名を呼んだ。」
このように、神からの呼びかけに従って、未知の場所であり、途中が危険なことも予想される上に、目的地に着いてもどうなるか分からない、しかし神の導きを信じてそこに向かっていくこと、このことが、この世の荒波に打ち勝つことにつながる。
私たちには神からの語りかけか、もしくは偽りやすい人間からの語りかけを信じてそれに従っていくか、いずれか二つなのである。人間からの語りかけは、どこに導いていくか、それは空しいところ、滅びの場である。
動揺して終わることがないところである。
人間はじっとしていたら、この世の波に呑み込まれないのではない。それは逆である。 人生の海には嵐があり、深淵があり、闇がある。そこを歩んでいくことができるのは、ただ神からの導きを受け、その導きの言葉を信じて前進する者だけである。
このように、闇の力である波が襲いかかろうとするとき、たいていは恐れる。そしてその恐怖こそが最も波に呑み込まれることにつながるのである。
聖書には、このような世の荒波にほんろうされた例も多く記されている。モーセによって導き出された人々は、長い荒野の旅路をしばしば悪の力にさらされ、引き込まれてしまうことが多くあった。そのような中でも神の憐れみによって襲いかかる波にも風にも動かされないで前進した人々も起こされていった。
また、滅びようとしたときに罪を悔い改め、ふたたび神の御手によって守られて歩む人たちもあった。こうして神を信じる人々は数千年を経ても滅びることなく今日に至っているのである。
しかし、聖書には最も重要な人物の一人であり、大いなる働きを神の力によってなしつづけた人であっても、闇の力にのみこまれ、重い罪を犯してしまった人の例も赤裸々に記されている。
それは今から三千年ほども昔のダビデの例である。神のしもべとして、神のみ言葉のままに生きて、王となった人でありながら、生活が安定したときにとりかえしのつかない罪を犯してしまった。
しかし、そのような者でも、悔い改めによって赦された。若いときから仕えた王にかえって迫害され、命をねらわれて放浪したときの苦しみ、その間は一貫して敵であっても憎しみを返さず、神の導きに従った。そして罪を犯し、悔い改めて以後は、その罪の罰として家族に大変な混乱と悲しみが生じ、その苦しみをになって生きなければならなかった。
ダビデの生涯はこの世の闇の力との戦いであり、それに危うくのみこまれ、滅びるかと思われるほどに深い淵に落ち込んだ者の歩みであり、そこから神の憐れみにより、引き上げられた記録である。
その後に、王国は分裂し、人々の信仰も不純となり、真実な神への信仰が忘れられ、偶像崇拝が起こり、その結果として多くの不正が行われるようになった。すなわち世の荒波につぎつぎとさらわれていったと言えよう。
このようなときに、闇の力に引き込まれた人々を救うため、遣わされた人たちが預言者であった。どこからまちがったのか、どうしたらその闇の中から救われるのかを命がけで伝え、警告したのである。彼等の働きによって滅びの波間から辛うじて救われる人たちもあったが、多くは預言者たちの警告と悔い改めの勧めにもかかわらず、そのままこの世の滅びの波に呑まれていった。
そして国も滅び、多くの民が遠い外国に捕虜として連れ去られていくことにもなった。
しかし、いかにこうした事態が繰り返されようとも、預言者たちが語った神の言葉は押し流されることはなかった。世の荒波にも呑まれず、国々の移り変わり、制度や国境の変化、天災、飢饉、戦争などありとあらゆる荒波にもかかわらず、生き続けてきた。
それはまさしく奇跡である。
こうした数々の歴史の果てに、キリストがこの世に遣わされた。キリストは、この世のあらゆる闇の力、荒波に打ち勝つ力を与える存在として来られた。私たちのうちに内在する、闇の力、すなわち罪の力を自らが十字架にかかることによって滅ぼし、私たちが罪の力という波に呑み込まれないようにして下さったのである。
こうした主イエスの姿は、福音書においてつぎのような記事にも表れている。
夕方になったとき、弟子たちは海(*)ベに下り、
舟に乗って海を渡り、向こう岸のカペナウムに行きかけた。すでに暗くなっていたのに、イエスはまだ彼らのところにおいでにならなかった。
その上、強い風が吹いてきて、海は荒れ出した。
四、五キロメートルほどこぎ出したとき、イエスが海の上を歩いて舟に近づいてこられるのを見て、彼らは恐れた。
すると、イエスは彼らに言われた、「わたしだ、恐れることはない」。
そこで、彼らは喜んでイエスを舟に迎えようとした。すると舟は、すぐ(**)、彼らが行こうとしていた地に着いた。(ヨハネ福音書六・16~21)
(*)海と訳されている原語は、サラッサ (thalassa)である。これは地中海など、一般の海を意味するが、海だけでなく、水の大きなひろがりをも指す言葉であって、この箇所では、ガリラヤ湖を意味しているので、新共同訳では「湖」と訳してある。 しかし、外国語訳では多くが、「海」(sea)を用いている。
なお、湖というギリシャ語は、別にあって、リムネー(limne)というのがあるが、この箇所ではこのサラッサが使われている。ルカ福音書では、リムネーという語が五回ほど用いられているが、ヨハネ福音書では用いられていない。
とくに「海」という言葉がここでは、人間を滅びに引き入れようとする力を持ったものだということが暗示されている。日本でも、「うみ」という言葉は、水の広大なひろがりを指していう言葉であったのは、水のうみを「みずうみ」(湖)と言い、塩分を含んだ海を、しおうみ(潮海)
といっていたことからもうかがえる。
(**)「すぐに」と訳されている原語は、エウセオース eutheos であり、新共同訳では「まもなく」と訳しているが、ほとんどの英語訳では、immediately (直ちに)と訳している。岩隈直訳、岩波書店から発行の新約聖書でも同様に「直ちに、すぐに」と訳している。イエスを迎えようとしただけで、ただちに導かれることの不思議さが強調されていると考えられる。
これは、おそらく初めて読む人にとっては奇妙なおよそありそうもないことが書いてあると思って、気にもとめずに読み進むのではないかと思われる。実際私が初めて聖書を読み始めたとき、何ら説明もなく、註解書のようなものも参照せずに読んでいったがこのような箇所は、何か不思議な思いがしたが、ほとんど深く心には留めないで過ぎた。
しかし、ヨハネ福音書には、最後に書かれた福音書だということもあり、キリスト教が告げ知らされるようになって、五十年ほども経っていたこともあり、単に主イエスの言動を書き記したというのではないのが感じられる。
それは、半世紀にわたるキリスト者の信仰の体験、霊的な喜び、平安、忍耐、勇気などが背後にあるのがわかる。それらをこの福音書を書いた著者自身が深く体験してきたことであり、さらにそれについて神、聖霊からの霊感があったのが感じられる。
ここにあげた箇所も同様で、ここにはキリスト教が宣べ伝えられて五十年ほど経ったときの、当時の深いキリスト者の魂の経験が感じられる。
聖書で海という言葉を使うとき、現代の私たちのイメージとは全く異なるものが含まれている。 現代の私たちは、海というとどこまでも広がる青いひろがりであり、美しさの満ちた風景であり、またさまざまの種類の船が行き交う場であり、また泳ぎなど遊びの場でもある。
そのようなイメージのどれとも合わないのが、聖書における海である。海はどこまで続くか分からない広大さと無限の深みがあると古代では考えられていた。そしてひとたび荒れ狂うとき、船もその大波にのみこまれ、二度と帰って来ることはできない。そして海の中は少し深くなると暗くなる。深いところでは真っ暗な恐ろしい世界だと考えられていた。
それゆえに、旧約聖書ではサタン的な存在が、海にいると暗示する箇所がある。
その日、主は厳しく、大きく、強い剣をもって、逃げる蛇レビヤタン…海にいる竜を殺される。(イザヤ書二十七・1)
ここで言われているのは、神の定めたときには、神に敵対する勢力を大いなる力をもって滅ぼされるということである。「海にいる竜」とあるように、そのような闇の力を持ったものが、海にいるとされている。
さらに、旧約聖書のダニエル書にも、大海が波立ったときその海の中から、現れた獣がいくつかあった。それらは当時の世界を支配しようとした国々を表していたが、そのうち最後の獣から出た角で象徴されている、強い力を持った王は、サタン的な存在であった。その王について次のように言われている。
…彼は、いと高き方(神)に敵対して語り
いと高き方の聖者らを悩ます。…(ダニエル書七・25)
このように、神に敵対視、神を信じる真実な人たちを迫害する者もまた、海の中から出てきたと記されている。
こうしたことを受けて、新約聖書の黙示録でも、次のように記されている。
…わたしはまた、一匹の獣が海の中から上って来るのを見た。…(この獣の)頭には神を冒涜するさまざまの名が記されていた。(黙示録十三・1)
このように、神に敵対する闇の力をもった存在が、やはり海から上がってくるというように記されている。
これらの箇所からもうかがえるように、古代人には海というのはその無限の広さと深さ、一度荒れ狂うとき、何者もそれに抗することができず、のみこまれていくということを知っていたのである。
主イエスが、海の上を歩くといった記述は、そうした背景を知った上で受け止めるとき、これは闇の力、私たちをのみこもうとする力をも支配されているということを暗示しているのである。
たしかに、キリストの力はそのような驚くべきものであり、私自身、かつて二十歳を過ぎたころからますますさまざまの苦しい問題に悩まされ、どうしてもその闇の中から脱することができずに深い闇に落ち込んでいくという実感を持っていたが、それはまさに底知れないところに落ちていくとか、人間の力を超えた荒波にのみこまれていくということであった。
キリストはそこから私を引き出して下さった。それが現在までずっと私の原点となり続けている。私たちは自分を超えた得体の知れない力に引き込まれて沈んでいく。それは人間ではどうすることもできない。しかし、そこから、また人間を超えた力で引き出されるのである。
闇のただなか、海が荒れ狂い、風が吹きつのるなかに、何者かが現れたものだから、弟子たちは恐れた。彼等を滅ぼそうとする嵐や海の力と同様な霊的な何かではないかと恐れたのである。
しかし、そうした闇の力におびえる弟子たちに、主イエスは言われた。
「恐れるな、わたしである!」
この言葉は実際に、その時、弟子たちに言われたのであるが、後に続く無数のキリストの弟子たち、キリスト者たちに向けて言われたものであった。私たちはいつも何かに恐れている。子供のときから、夜が恐い、夢を見ておびえたり、悪いことをする同級生を恐れ、また今日では戸外で遊ぶこともままならない。誰かが誘拐するかも知れないなどと恐れなければならなくなってしまったからである。
そうした単純な恐れから、精神的な恐れ、人間から冷遇され、見下され、あるいは仲間外れにされることを恐れる。社会に出ても同様である。これは地位が低くても高くても同じで、いかなる場にあっても人間は何かをいつも恐れている。大会社の社長とか国の代表者、首相とかであっても同様で、地位が高くなるほど、一言言うにも、周囲がどういうか、といちいち恐れながら言わねばならなくなる。
地位が低いときも、周囲の冷たい仕打ちや将来のことを思って恐れがあり、職業生活がやっと終わっても老後の恐れ、健康不安やガンなどへの恐れ、死という得体の知れないものが近づくという恐れがある。
それらはすべて、この世の荒波、夜の闇、荒れ狂う嵐のなかにある人間の恐れだと言える。こうしたすべての人の、あらゆる種類の恐れに対して、この主イエスの言葉は発せられている。
「わたしである!」という言葉は、単に夜の闇に誰か分からないから、主イエスが私だ、と名乗ったというだけのものではない。この原語は、エゴー(わたし)・エイミ(~である、存在している)
(ego eimi)であり(*)、単に、ふつうの私たちの会話で、「私です」といった簡単な意味ではない。これは、すでに旧約聖書の出エジプト記に、モーセが神から召されたとき、神の名を「在りて在る者」だと言われたが、そのギリシャ語訳聖書では、このエゴー・エイミという表現が用いられている。(**)
(*)「エゴー」は、エゴイズムという言葉で知られているし、エイミ(eimi)は、英語の 「am」と語源的につながっている。
(**)「エゴー・エイミ・ホ・オーン (ego eimi ho on)」となり、英語訳では、I AM WHO I AM.と訳されている。
ここには神とは、永遠の存在者だという意味が込められている。ヨハネ福音書におけるこのエゴー・エイミという表現は、そのことを暗示するものである。
この特別な表現は、ヨハネ福音書に多く用いられている。マタイ、マルコ、ルカなどの福音書ではそれぞれ三~四回用いられているだけだが、ヨハネ福音書では、二十四回も現れる。それはこの福音書では、冒頭から、キリストが神と同一であることを宣言し、それから福音書が始まっていることと同じように、キリストの神性を強調する意味を持っている。
次の箇所もそうした一例である。
ユダヤ人たちが、主イエスを憎み攻撃してきたとき、主イエスは次のように答えた。
…イエスは言われた。「はっきり言っておく。アブラハムが生まれる前から、『わたしはある。』」(ヨハネ八・58)
ここで、特に「わたしはある」という特異な表現で訳されている原文が、この「エゴー・エイミ」なのである。この箇所はそれがはっきりとわかる。主イエスは、単に家畜小屋で生れてから存在し始めたのでなく、キリストより千五百年以上も昔の、アブラハムが生れる前、永遠の昔から存在し続けていたのであり、それは人間でなく神であるからである。
これはヨハネ福音書冒頭の、「はじめに言があった。言は神とともにあった。言は神であった。…言は肉体をとって私たちの間に宿った」という記述と、キリストの神性を強調しているという点で、相通じるものがある。
荒海にほんろうされ、夜の闇に嵐が吹きつけるといったどうすることもできない状況のなかに、キリストがそのただ中に現れ、「恐れるな、神である私がいる!」と語りかけて下さるというのである。
私たちは結局本当に苦しいときには難しい本とか議論は何一つ役に立たない。単なる腹痛や歯痛でもひどくなればじっとしておれないほどになる。そのような苦しみのときにだれが難しい研究や議論を読もうとするだろうか。
どうすることもできない苦しみや痛み、絶望のなかにおいては、私たちはただ、「主よ、助けて下さい、憐れんで下さい!」と叫ぶしかできないのである。そしてそのような人間の心を深くご存じである神は、またこの主イエスの言葉をもって語りかけて下さる。「恐れるな、神なるわたしが共にいる!」と。
そしてこの語りかけは、キリスト以前ずっと前から、しばしば神から人間に対してなされていた。
…恐れるな、わたしはあなたと共におる。(イザヤ書四十三・5)
…恐れるな!あなたがどこに行ってもあなたの神、主は共にいる。」(ヨシュア記一・9)
Do not be afraid, for the LORD your God is with you wherever you go.
この世は恐れで満ちている。だからこそその恐れを取り除く御方が必要なのである。それはいくら学校、大学で学んでもそのような恐れを除く力は与えられない。それは、万能の神、天地創造の神であって、しかも私たちのその弱さをすべてご存じであり、さらに私たちを愛をもって導いて下さる御方にして初めてその恐れが除かれる。
主イエスも、こうした恐れを除くために、しばしば恐れるな、と諭された。
…体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。(マタイ十・28)
真っ暗な夜の海、そこでの嵐と荒波にもまれるということは、比喩的にみれば、今も無数の人々が、病気や飢餓、人間関係、職業上の問題などで、日々経験していることである。
そこから脱する道を見出すことができないとき、私たちは生きる力を失う。
しかし、そこから脱する道は驚くほど単純なのであった。それは、次の表現に表されている。
…彼らは、イエスを舟に迎え入れようとした。するとすぐに彼らが行こうとしていた地に着いた。(ヨハネ 六・21)
弟子たちは、荒海にあって近づいて下さったのが主イエスであると分かって、舟に迎えようとしたら直ちに目的地に着いたという。このとき舟は、まだ闇のなかを、湖の中程であり、まだ数キロは目的地までにあったと考えられる。それでも、すぐに着いた、と記されている。しかもそれは嵐のような風、荒れる海、暗闇のただなかである。いかに、主イエスの力が大きいものか、そして弟子たちとしては、ただ迎え入れようとしただけ、キリストを仰ぎ、心から信頼して仰ぐだけで、そのような闇と荒波を越えて導かれていくということなのである。
目的地、すなわち神の国であるが、日々の困難や悲しみをも越えて主イエスは私たちを導いて下さる。それはなんと感謝すべきことであろう。苦しみを耐える力を与えて下さること、それを次のように主イエスは言われた。
…小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。(ルカ十二・32)
神の国とは、神の御手にあるもの、神の愛による御支配のうちにある、あらゆるよきものを意味している。そこには忍耐する力もあれば、希望もある、神の愛もあり、心に吹き込むさわやかな風もある。いのちの水の流れもある。
それらすべては神の国であるが、私たちが恐れのうずまくこの世にあっても、ただ幼な子のように神を仰ぎ、キリストに信頼していくとき、滅びるほかはなかったこの身が導かれていくのである。
このような、神による平安がこの世の嵐のただなかで与えられるという経験はキリスト者が共通して与えられてきたものである。それゆえに、つぎの讃美歌はそのふさわしいメロディーとともに、愛唱されてきた。
しずけき河の きしべを
すぎゆく ときにも
憂き悩みの 荒海を
わたりゆく おりにも、
こころ安し、神によりて安し(讃美歌五二〇番より)
神によりて安し、という。それは主イエスが、「私の平安を与える」と最後の夕食のときに約束されたものである。この世のいかなるものによっても与えられない、神のもとにある平安、それをこの讃美は歌っている。
もう一つ次の讃美も聖歌のうちでも特に広く親しまれてきたものの一つである。
人生の海の嵐に もまれ来しこの身も
不思議なる神の手により 命拾いしぬ
悲しみと罪の中より 救われしこの身に
誘いの声も魂 揺すぶること得じ
いと静けき港に着き われは今安ろう
救い主イエスの手にある 身はいとも安し(新聖歌二四八番より)
主イエスこそは荒波と嵐を越えて私たちを守り、導き、魂の港へと伴って下さるのである。
靖国神社の問題点について(その2)
首相の靖国神社参拝のために、中国や韓国との関係が悪くなっているため、さまざまの方面から中止するようにと働きかけが生じている。首相経験者たちが、そろって小泉首相の靖国神社参拝を中止するようにと呼びかけたという前例のないようなことも生じている。
自分の個人的な気持とアジアにおける日本はいかにあるべきかという大きな視野とを混同してしまって、いっそうアジアの国々との関係を悪化させ、戦後六〇年を経ても、なおアジアから親しみと尊敬などを得られない日本の状況が今回の問題でいっそう明らかになっている。
靖国神社の歴史とか問題点については、本誌の二〇〇四年十二月号に書いたが、さらに前回のものを補う目的でいくつかの点を書いておく。
靖国神社は、もとをたどっていくと、徳川幕府と尊皇攘夷派との抗争が激しくなっていた頃にその源流がある。その頃、幕府の井伊直弼が、反対派を弾圧し、多くの尊皇攘夷派の指導者たちを処刑した。それが大きなきっかけとなって、幕府打倒の動きが激化していった。そうした状況のもと、尊皇攘夷派は、自分たちの同志の名誉回復のために動きだした。
それが、一八六二年に、孝明天皇が、尊皇攘夷派の志士たちの霊魂を招いて、祭をし、子孫にも祭らせるという布告をだし、その年末に実際に京都東山で、初めての全国的な招魂祭が行われた。
明治維新になる前から、すでにこのような天皇側につくものを特別に祭るということが行われるようになっていたのである。
その後、徳川幕府が倒れ、天皇制の新政府がまず手がけたことの中につぎのようなことがある。
それは、祭政一致である。政治と天皇を現人神とする宗教が一つであるとし、神祇官(じんぎかん)という官庁を特設し、神々を祭ることを政治の中枢においたのである。これは神道を国教とする方針を明確に示したものであった。そこから、続いて江戸幕府の厳しいキリスト教禁制をそのまま踏襲し、キリスト教を厳しく禁じる政策を継続することにした。
このように、江戸時代から新しい明治の時代になったのであるが、その本質は、ただの人間である天皇を現人神とし、古代の神々を重んじ、キリスト教の真理を全面否定するというおよそ誤ったものであった。
キリスト教は、ヨーロッパの歴史を支え、弱者を重視し福祉の源流となり、また、敵をも愛するという人間関係の究極的なあり方を示し、真理探求の精神を大学という形で世界に広めていくことにもつながったものであり、愛や真実、清さという人間の最も根源的な要求を満たしてきたものであったにもかかわらず、その真理をまったく認めることができなかったという、極めて狭い認識から出発していた。
これが誤ったことであったのは、その後六年ほども経って、諸外国の激しい抗議によってようやくキリスト教禁止という方針を撤回したのであったが、祭政一致という誤りはその後もずっと受け継いでいった。そしてそれが太平洋戦争において、日本人だけで二五〇万人(*)、中国やアジアの人については、二〇〇〇万とも言われる膨大な命を奪うような悲劇を起こしたのであった。
局地的な紛争が暴走してあのような大戦争ともなっていったのは、天皇を現人神だとして、その命令を絶対視させていくことと深く結びついていた。現人神なる天皇が戦争を開始決定し、戦争へと駆り立てていくはたらきをしたのである。
(*)日本人だけでも、15年間で二五〇万人もが死んだということは、平均すると毎年十七万人近くとなり、毎月一万四〇〇〇人ほどものひとたちの命が十五年間も続けて失われていったことになる。アメリカで、航空機が乗っ取られて、高層ビルに激突され数千人の命が失われて、世界に衝撃を与え、現在もその影響が続いているが、それと比べてもいかに戦争の犠牲が途方もなく大きいものであるかがうかがえる。
このことは、一九三七年五月に文部省から発行された「国体の本義」という本にも書かれている。この頃はすでに中国との戦争を始めており、太平洋戦争へと徐々に向かっている時代であった。そのようなときに政府がどのような考えを国民に押しつけようとしていたかが分かる。
この本に次のようなことが記されている。
…祭祀(さいし)(*)と政治と教育とが根源において一致するわが国の特色をよく明らかにしている。わが国は現人神(あらひとがみ)にまします天皇の統治したまう神国である。天皇は、神をまつり給うことによって天つ神と御一体となり、ますます現人神としての御徳を明らかにし給うのである。」(「国体の本義102頁、ここでは現代表記にしてある」)
(*)祭祀(さいし)とは、神や祖先を祭ること。
このように、次第に戦争が激しくなりつつあるときに、政治と、天皇を現人神とする宗教、そして教育が根源において一致するというような本を政府が出すというところに、中国戦争、太平洋戦争といった戦争がこのような発想が根底にあって押し進められたということが分かる。
そしてこうした一連の動きを助け、強化するために靖国神社も大いに用いられたのであった。
一般の神社は、内務省が管轄するにもかかわらず、靖国神社だけは一八八七年から、内務省から離れて、陸・海軍省の管轄となったことを見ても分かるように、本質的にこの神社は軍事的な目的にそっていたのである。
それは、この神社はもとは東京招魂社と言われていたのを、靖国神社という名前に変えたがその名前そのものが国家的、軍事的な意味合いを持っている。招魂社という名前は、文字通り、すでに死んだ人間の魂を呼び戻して、それを祭るというものであった。そこでは国家的な色彩はまだ希薄であったといえる。すでに述べたように、招魂社というもののもとは、孝明天皇が尊皇攘夷派のゆえに命を失った者たちの名誉を回復させるという党派的な発想から生れたのである。
しかし、それでは政府の都合のよいように用いるためには不十分だということで、陸軍省で議論が始まり、その結果、中国の歴史書「春秋」の中から、「国を靖(やす)んじる」という言葉を選んで採用し、一八七九年に靖国神社となった。靖国という用語は日本では大体において使われていなかったのであり、この意味には、「安国」という言葉があった。「立正安国論」という日蓮の一二六○年の著にある通りである。
あえて、そうした日本の言葉を使わずに、中国の言葉を持ち込んだのは、「安国」というのが、仏教でよく用いられていたからだという。
このように、国を靖んじるという目的を鮮明に打ち出して、いっそう、軍事目的にかなった神社としての様相を呈していった。
尊皇攘夷派の志士たちの名誉復帰のためといった、党派的な目的から、大きく変質して国を動かすいわば道具、手段として存在し始めたのである。そのためには、内容を選ばない。それゆえに、戦争で死んだ者だけを特別にして、それを神々として祭り、際限なく増やしていくという、世界にも前例のない宗教施設となっていった。
戦争の犠牲者全体を記念するのでなく、軍人を圧倒的に重視し、それを神としてあがめるということ、それは戦争を押し進めようとする発想から出ているというのはすぐに分かることである。
また、一八八二年に靖国神社境内に遊就館というのをつくり、そこに刀剣や軍人らの遺品などが置かれ、日本最大の刀剣の陳列場となり、国民に軍国主義を鼓舞する施設となった。
現代ではその遊就館はどうか。やはりその性格は変わっていないといえる。そこには、まず玄関ホールには零式艦上戦闘機ゼロ戦を展示し、大展示室では、艦上爆撃機「彗星」、人間魚雷「回天」、ロケット特攻機「桜花」、九七式中戦車などの大型兵器が置かれてある。
神社にこのような巨大な戦争用の兵器が陳列されているということからも、この靖国神社が平和を祈念するというのでなく、戦争を肯定して美化する方向を持っているのがうかがえるのである。
首相は、平和を祈るために靖国神社に参拝するというが、靖国神社の歴史とどんな目的でそれが作られ維持され、用いられてきたかを知れば、そのような首相の言葉がいかに無意味であるかが浮かびあがってくる。
首相の靖国神社参拝が、現在のように大きな政治、経済問題になっていても、それでもなお参拝を支持する国民が多いのは、中国や韓国の強い姿勢に反発するといった表面的な理由によることが多いと考えられる。
また靖国神社は、太平洋戦争が中国などへの侵略戦争であったことすら認めようとせず、 次のような驚くべき見解をもっている。
「大東亜戦争(太平洋戦争、日中戦争)は、日本の自衛のために行われたのであり、東アジアを自由で平等な世界を達成するためのものであった。 日本は中国・韓国に対して謝罪するべきではない。」
もし、ここに述べたような事実や、去年の本誌十二月号に述べたような靖国神社の本質を知っていたら、真の平和を願い、かつての戦争の悲劇を深く知るほど、そもそも靖国神社に参拝するということ自体、考えられなくなるであろう。
それは政治や経済問題以前の問題なのである。
戦争で捕虜に対して死に至るような拷問をやり、一般の女子や子供を襲ったり、どんな残虐なことをした兵士も、死んだらみんな同じように「神」となって、尊敬し拝む対象になるということは、理性的な判断では到底受け入れられないことである。
そもそも二四七万人にも及ぶ、正体不明のどんな善人か悪人かもわからない人たちをみんな同様に扱って、これら膨大な人間を神としているのである。
そしてそれらのうちの二百十三万に及ぶような「神々」が、六〇年あまり前の太平洋戦争での死者であり、その圧倒的多数が軍人なのである。
こうした混乱はそのもとをつきつめると、人間を簡単に神々とする発想にある。人間がいかに醜く、また弱いものであるかは、日常的に自分自身や他人で明白だと言えよう。しかしそうした事実にもかかわらず、人間を神々として崇拝するというようなことが、日本の代表者である首相や多くの国会議員たちによって行われているほどに、日本においては、目には見えない問題に対しては真理が見えていないのである。
聖書においては、驚くべきことに、すでに三〇〇〇年以上も昔から、人間やほかの者を神々として崇拝することは、明白な悪として記されているのと大きな違いである。
ただ、神だけを崇拝すべきこと、そしてその神の御性質がだれにもはっきりと分かるように、神はキリストを送られ、キリストの言動を見れば、私たちが崇拝すべき神とはどんな御方であるかが明らかになるようにして下さった。
しばしば宗教の名において、まちがったこともなされてきた。しかしそれらはどこがまちがっているのか、人間の狭い視野からの議論でなく、キリストの言動に照らしてみる時明白である。
現在の靖国神社参拝問題も、来年九月に首相の任期が終われば、次の首相になる人によってはすぐに参拝中止するであろう。しかし、そうなっても、問題の根本は少しも変わらない。
私たちが真に重んじ、礼拝する対象は人間でなく、唯一の神であり、キリストによって表された愛と真実をもった神であるということであり、それが受け入れられないかぎり、いつまでも日本と中国や韓国の問題は続くし、霊的な意味において、日本人の前途にも暗雲が常に垂れ込めていることになるだろう。
ことば
(210)愛によってのみ「見える」ものが世の中にある。だから私たちは聖書のなかに出てくる盲人と同じく、「主よ、見えるようにして下さい。」と祈らなければならないのだ。日常生活の随所にいらっしゃる主のお姿に気づくように。(「愛をつかむ」渡辺和子著)
この世では逆に「愛は盲目」であるという。それはこの世の人間的な愛、自分中心の愛はまさにそうである。ふつうの男女の愛というのはたしかにほかのことが分からなくなるようになってしまうことが多いし、親子の愛なども同様にほかの子供は見向きもしないで、ただ自分の子供だけが成績がよかったらいいなどと願う、狭いものである。
しかし、神からの愛を受けるとき、それはすべてを見通す神に由来する愛であるから、そのような愛を受けるほど、燃えるような心であると共に理性的となり、また相手の心を理解し、あるいは見抜き、本当に大切なことが見えてくる。また周囲から無視されているような人や敵対するような人間の中にすら、そこに大切なものが神のお心を通して見えてくる。
たしかに学問などを通しても、また経験を通しても見えてくるものがあるであろうし、それは数々の自然現象を科学的に説明できるようになったことでも分かる。
しかし、病気や障害のために弱い人、老齢のため死が間近にせまっている人や、苦しみや悲しみにうちひしがれている人、あるいは敵対する人、さらには自分自身にふりかかってくるさまざまの苦難のなかに大切なものが見えてくるというようなことは、学問をいくらしても、経験がいくら豊かであってもそれだけでは決してできないことである。
それはただ神の愛によってのみ可能となってくる。
(211)モーツァルトへの感謝の心は、次のことにつきる。彼の音楽を聴くとき私はいつも、夜であっても昼であっても日の光を受けているときも、嵐のときも、いつでも、善にして秩序ある世界の入り口に立たしめられる。そして聴くたびに、勇気を与えられ、純粋さと平和を贈られるのを実感する。(「モーツァルト」カール・バルト(*)著16頁 新教出版社 )
(*)バルトは、宗教改革を導いたルター,カルヴァン以来最大のプロテスタント神学者といわれ,その影響力は世界の教会に及んでいる。
・音楽のよさは、バルトが述べているように、この世のよごれたところから別の世界へと導いてくれるところにある。キリスト者とは聖霊によって導かれる者だと言えるが、キリスト教をその源泉として持っている古典音楽もまた、私たちの心を引き上げ、導いてくれるものとなる。
お知らせ
○吉村(孝)は、七月十五日(金)~七月十八日(月)まで、北海道の瀬棚郡にて、去年と同様に聖書講話を担当します。
今回は、「平和」と「信仰の継承」がテーマ。社会的な平和と、主イエスが約束された、神から与えられる霊的平和があります。 また、信仰の継承ということにも、家族への継承と、周囲の未信仰の人たちへの信仰の継承(伝道)という意味があります。
帰途は、七月十九日(火)は札幌にて集会があり、二十日(水)の夜は、山形で小集会、二十一日は昼前から午後にかけて、東京八王子市にてやはり小集会の予定です。こうした各集会についての問い合わせは吉村(孝)まで。
著者・発行人 吉村孝雄 〒七七三ー〇〇一五 小松島市中田町字西山九一の一四
電話 050-1376-3017 「いのちの水」協力費 一年 五百円(但し負担随意)
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