2006年10月 第549号
主はわが光、そして命 祈りの人 好本 督 |
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主はわが命、そして光
この世には、光と命はどこにでもある。昼間は外は明るく太陽の光でいっぱいであるし、人間や動物など、そして植物のいのちは至るところにあふれている。目には見えないところでも、地中にも細菌という微生物たちのいのちが無数に活動している。
しかし、そうした目に見える世界から、心の世界に目を転じるとき、逆にいたるところに闇があり、生き生きした命、真実に生きている命は本当に少ないのに驚かされる。
光と命、それは目に見えるもの、また目には見えない霊的な意味においても、だれにとっても最も重要なものであるということはただちに分かる。そして光は、人間だけでなく、動物や植物にとっても、命と直結している重要なものである。
光なくば、植物は育たない。植物の緑の葉は、白色光の内、赤や青紫の光を吸収するから、緑色に見える。その光のエネルギーによってブドウ糖をつくり、それをもとにして、植物の細胞壁をつくり成長し、またさまざまの果実の甘さやデンプンなども造っている。
身近にあるコピー用紙や新聞紙などを見て、ここに太陽の光のエネルギーを感じる人は少ないだろう。しかし、紙の原料は木である。木は、その緑の葉のなかで、光合成によって水と二酸化炭素をもとにして、太陽光のエネルギーによって、水を分解し、そこでできた水素原子と二酸化炭素を構成する炭素と酸素を結合させて、ブドウ糖をつくり、そのブドウ糖分子を多数結合させて紙の本体であるセルロースが造られている。
私たちの食物はもとを正せば太陽の光のエネルギーによっている。
このように、目に見える世界において光はきわめて重要であることはすぐにわかる。光がなかったら植物の光合成は行なわれず、植物は成長することができない。人間の食物は相当部分が野菜、果物といった植物に由来するものである。牛や羊など動物の肉ですらも、さかのぼって考えると家畜が草やとうもろこしなどを食べて成長していくことによっている。植物に貯えられた光のエネルギーを私たちの体に取り入れて活動しているのであって、太陽のエネルギーで私たちは手足を動かし、考えたり行動したりしていると言えよう。
こうした太陽の光のエネルギーは絶大なものであることはすぐにわかる。それゆえに多くの国々では太陽を神として拝むことが行なわれてきた。日本も初日の出を見て、太陽を拝む人が多い。
しかし、聖書はそのような絶大なものである太陽の光が最初にあるのでなく、太陽や星の光よりも根源的な光があることを冒頭に示している。そしてその光こそが決定的に重要だと暗示している。
創世記では、太陽が第一に造られたのでなく、まず光が最初に創造されたとある。そしてその光こそがあらゆる存在の根源にあると言おうとしている。太陽や星、月なども、さきに創造された光を分け与えられて光っている、という。神は光を創造され、それを太陽や星など天体に与え、さらに霊的な光を人間にあたえようとされる。
聖書において、最初に混沌と闇、そして深淵があった。そこに第一の創造として光の創造が記されている。ここに神の本質がすでに表されている。神は闇と混沌のただなかに光を創造しようとするのが、その本性なのである。
この世はさまざまの悪がいたるところにある。私たちの心にすでに存在している。清い愛がないこと、正しいことを主張したり実行できないこと、自分中心に考えて行動してしまうこと、自分の感情に引っ張られて周囲の人に真実な愛をもって対処できないこと…、そのようなだれの心にも生じる闇の部分が、膨らんでいくとき、それは大きな犯罪となったり、分裂、テロや戦争となっていく。
それがこの世なのだとあきらめる人が多数を占めているであろう。
しかし、そのような中で、聖書においては光を創造することが第一であったことの意味を考えたい。光は人間が努力して造り出すものでなく、闇のただなかに神ご自身が創造されるのである。
聖書全体がそうしたメッセージに満ちている。
エデンの園、それは創世記の二章において水の豊かに流れるところとして描かれている。そして水とは、命のシンボルのように用いられることが多い。これらのことを考えると、創世記の一~二章ですでに、光と命が与えられているのが分かる。
また、創世記一章には、神が光を太陽や星々に分かち与えることが記されている。太陽の光が地球上において、生物のエネルギー源になっている。私たちがこうして動き、考え、物事を処理していくことができるのも、そのエネルギーは太陽から来ている。
旧約聖書のヨブ記には、深い嘆き、苦しみがある。彼は突然、まったくの闇の中に突き落とされた。そこから必死に光を求めようとあえぎ苦しむ姿が描かれている。聖書の中では、ヨブ記においてとくに「光」という言葉が最も多く用いられているのはその恐るべき闇のゆえに、そこから光を求める切なる心が全体にあるからであろう。(*)
どうして光を下さらないのか、ヨブの深い嘆きは、そのまま現代に生きる人々の嘆きと重なる。
(*) ヨブ記 35回(口語訳36回、新改訳29回。)、詩編 32回(口語訳 28回、新改訳25回)、イザヤ書22~23回 創世記4回(一章のみ)、出エジプト記 4回、レビ記 3回、申命記 1回、ヨシュア記、士師記共に 0。サムエル記は上下合わせて1回、歴代史上下も合わせて1回。エレミヤ書
4回、エゼキエル書4回、アモス書~マラキの小預言書を合わせて14回程。
このように、旧約聖書において、「光」という語は、ヨブ記が特に多く、詩編、イザヤ書と合わせて三つの書が群を抜いて多く現れるのが分かる。
ヨブ記のテーマは、神を信じ、神への畏敬を持ちつつ日々を過ごしていたにもかかわらず襲ってきた苦難についてである。ヨブは、七人の息子、三人の娘という豊かな祝福にも関わらず、神を忘れることなく、また神に背くことの罪の重さに鈍感になることもなかった。
また、息子たちが心のなかで、万能の神、正義の神などいないと思ったかも知れないことを思い、息子たちの罪を赦してもらうため、家畜などを焼いて神に捧げるという当時の儀式をおりにふれて行なっていた。そしてそのような罪を犯していたらそれを清め、赦されるようにと願ったのである。
そのように、信仰深い生活をしていたヨブに、誰一人想像もしなかったような事件が突然生じて、ヨブには激しい苦難が襲いかかり、財産も失い、子供たちも失った。さらに自分は
耐えがたい病苦にさいなまれ、妻からも「神をのろって死んだらいいのだ」とののしられる事態となった。
…すると彼の妻が彼に言った。
「それでもなお、あなたは自分の誠実を堅く保つのですか。神をのろって死になさい。」
しかし、彼は彼女に言った。
「あなたは愚かな女が言うようなことを言っている。私たちは幸いを神から受けるのだから、わざわいをも受けなければならないではないか。」
ヨブはこのようになっても、罪を犯すようなことを口にしなかった。
(旧約聖書・ヨブ記二・9~10)
そのような状況に追い詰められてヨブは、それまでどんな苦しみに遭遇しても神から来たこととして甘んじて受けていたが、いよいよ体の絶えがたい苦しみに日夜さいなまれるようになって次のような激しい言葉を出すに至った。
…やがてヨブは口を開き、自分の生まれた日を呪って、言った。
わたしの生まれた日は消えうせよ。男の子をみごもったことを告げた夜も。
その日は闇となれ。神が上から顧みることなく
光もこれを輝かすな。
暗黒と死の闇がその日を贖って取り戻すがよい。
密雲がその上に立ちこめ
昼の暗い影に脅かされよ。
闇がその夜をとらえ…
喜びの声もあがるな。…
その日には、夕べの星も光を失い
待ち望んでも光は射さず
曙のまばたきを見ることもないように。…
なぜ、わたしは母の胎にいるうちに
死んでしまわなかったのか。
せめて、生まれてすぐに息絶えなかったのか。(ヨブ記三・2~11より)
このように、闇、夜、暗黒、死、暗い影、といった様々の言葉がこれほど連ねられているのは聖書全体のなかでも、この個所だけである。自分が生れてきたことをこれほどまでに嘆き、のろい、叫ぶほど、ヨブの信仰が根底から動揺し、自分が何のために生れてきたのか、生きる喜びも信仰による心の平安もみんな失ってしまった一人の信仰者の赤裸々な姿がここにある。
これほどまでにこの世の現実の苦しみは不可解であり、また耐えがたいことが生じるということがこのヨブの叫びに表されている。
このようなこの世の闇は、どうしてそのようなことが生じるのか全く見当もつかない。真実なもの、清いもの、そして宇宙の創造主たるお方をみつめて、そのために生きてきたのに、どうしてこのような理不尽なこと、恐ろしい苦しみが襲ってくるのか、愛と正義の神、真実な神がおられるなどというのは、幻想にすぎなかったのか等々とつぎつぎと疑問がもたげてくる。それゆえに一層光を求める祈りは切実になる。
このような闇にかかわるさまざまの言葉が連ねられているのは、この世の現実の状況を見ると、こうした恐ろしい闇に包まれてどうしようもない人は数限りなくいるという実態が背後にある。
ヨブ記と同様に、旧約聖書の詩編にもやはり闇のなか、苦しみのなかに置かれた魂の叫びはたくさん含まれており、そのためにこれらの書物で、「光」という語が最も多く用いられていると考えられる。
その詩編のなかから、光を求め、神が光であることを確信する詩をあげてみよう。
…主はわたしの光、わたしの救い
わたしは誰を恐れよう。
主はわたしの命の砦
わたしは誰の前におののくことがあろう。 (詩編二七・1)
この世は恐れで満ちている。何が生じるかだれもわからない。病気や事故、家族その他における人間同士の争い、憎しみ、事件、戦争や自然災害などなど、どんな人でも、またいつの時代でもこうした予期しないことによっておびやかされている。
旧約聖書の詩編はそうしたさまざまの恐れのただ中から、神への切実な祈りが集められている。
ここにあげた、詩においても、恐れが取り巻いていることは、上の言葉のすぐあとに続くこの詩の作者の置かれている現状によってわかる。
…悪をなそうとする者が迫り、私を食いつくそうとする。陥れようとする者、貪欲な敵対者、群がる敵、偽りのことを、私に関して言い広める者等々がいる…(詩編二七の2~12節より)
このように、悪意をもって迫ってきて苦しめようとする闇の力に囲まれるなら、ふつうなら、そのような敵対する者たちに対して、人間的な敵意や復讐あるいは、恐怖の心で圧迫されるという状態になるだろう。
しかし、この詩の作者は、そのような人間的な袋小路に陥らなかった。もし自分が相手を憎しみや敵意をもって対するなら、自分はまさにそのゆえに闇に引き込まれ、敗北していくこと、滅びに至ることを知っていた。
そのようにこの詩の作者を支えたのが、神の光であった。
この詩の冒頭に、「主はわが光、わが救い、私はだれを恐れようか」という確信からはじまっているのは作者の心の内での激しい戦いを通しての確信なのである。憎しみや敵意という闇を受けて、自分も憎しみをもって返すなら、新たな闇を自分の内にまねき入れることになる。それこそが悪の力への敗北に他ならない。
そうした状況においての真の勝利の道は、ただ一つである。それこそは、神の光を受けることである。神の命を頂くことである。そのような光を受けることによって、恐れは消えていき、敵意や憎しみという闇のなかにひとすじの道があることを示される。そして神のいのちを受けることによって、そのような道を歩いていく力が与えられる
この道は、はるか後になって、主イエスが明確に指し示すことになった。
…イエスは再び言われた。
「わたしは世の光である。
わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」(ヨハネ福音書八・12)
この主イエスの言葉も、すでに引用した詩編二七編の最初の言葉と同様に、光と命とが深くかかわっていることが示されている。
暗闇、すなわち敵意や憎しみ、ねたみ、疑いあるいは不安や恐れ、さらにいろいろの欲望に引っ張られて歩むという光なき道でなく、神の命と愛を頂いて、闇の力に縛られている他者のために祈り、いのちが注がれるようにと祈ること、それこそは闇のなかに輝く光に導かれて歩む道。
それが命の光であると言われていること、これにもさまざまの意味がこめられている。
私たちが真実と愛の神を信じないなら、この世の中には本当の真実や愛はない、結局は、悪の力が強いのだと信じることにつながる。そのような考えであれば、行き着く先は当然、善よりも強い悪に呑み込まれ、死に至り、滅びることになる。
しかし、いのちの光を信じることによって、私たちは、神からの愛を受けて、その愛を働かせることによって悪のなかを通り抜けて歩む道を開かれる。そして導かれていく。それは、最終的には神の命を受けることであり、復活の命が与えられることになる。
主イエスはそのような命の光を与えられる道を私たちに指し示して下さっているのである。
聖書の詩編には、光に満ちた詩が多くある。その中に書かれている詩の内容は、単に人間の個人的な悲しみや苦しみを歌ったのではない。それだけなら、私たちにはその悲しみや苦しみに共感して、ともに悲しみや苦しみに浸るだけで、そこから立ち上がる力を与えられることはない。日本の万葉集や古今集その他の歌集は古い時代から流れている日本人の心の世界を知るために不可欠の詩集である。それらによって、私たちは古代人の心にある繊細な感情やゆたかな表現を知り、私たち自身の心の感性を養う一助にすることができる。
しかし、それらによって深い悩みや絶望から救われた、といった人がどれほどいただろうか。それらの歌自体がそうした救いや光を知らない人達の作品なのであるから、それを読む人達が絶望から救われるというようなことが起こりそうもないのは予想できる。
しかし、聖書の詩は、全くそれらと異なる本質を持っている。それは個人の心の苦しみや悲しみ、叫びあるいは神への讃美などでありながら、それがその背後に神の愛や真実、力を感じさせ、神がその背後で語らせているのを実感し、神がそれらの詩の作者を通して語りかけているのがわかる。すなわち、旧約聖書の詩(詩編やイザヤ書、その他の預言書などに多く含まれる詩をも含めて)は、神からの永遠の真理のメッセージなのである。
こうして見るとき、次の詩編は最も有名なものであるとともに、神の光と命をたたえたものであると気付く。
…主はわが牧者、私には欠けることがない。
主は私を緑の牧場に伏させ
憩いの水際に伴われる。
そして魂を生きかえらせて下さる。
主は御名にふさわしく、
私を正しい道に導かれる。
死の陰の谷を歩むとも、
私は災いを恐れない。(詩編二三・1~4より)
冒頭の短い言葉がこの詩のすべてを凝縮したものである。主は私の牧者である。それゆえに私は欠けることがない、という。これは、すでにあげた詩編二七編の最初の言葉と共通するものを持っている。
「主はわが光である」ということは、この第二三編の「主がわが牧者である」ということと同じような意味になる。光であるからこそ、人間的な憎しみや絶望、敵意などという闇の道に迷い込むことなく、神の国への道をその光に導かれて歩むことができる。それは、「主はわが牧者」であるということである。
「私の命の砦である」ということは、主が、憩いの水際に伴って、緑の牧場にて食べさせて下さるということに対応している。そして、このあとに続く、「死の陰の谷を歩む」という状況は、詩編二七の著者が敵意のただなかを歩むということに通じる内容となっている。
神からの光こそは、私たちが正しい道を歩むときの導きとなることは、キリスト教の古典として有名な、バンヤンの「天路歴程」にもみられる。この本の最初のところで、自分の魂にどうすることもできない重荷を感じて、そのままでは滅びてしまうことを強く感じていた一人の人間が現れる。彼は、救われるためにはどうしたらいいのだろう、と真剣に求める。そのとき、一人の伝道者と出会い、助言を与えられる。
…伝道者「向こうのくぐり門が見えますか。」(*)
男は言った、「いいえ」。
それから相手が言った、「向こうの輝く光が見えますか。」(**)
「見えるように思います」と彼は言った。
そこで伝道者は言った、「あの光から目を離さないで、まっすぐにそこへ登っていきなさい。そうすればその門が見えるでしょう。そこで門をたたけば、どうすればよいか聞けるでしょう。」(「天路歴程」42頁 新教出版社刊)
Do you see yonder wicket-gate? The man said,No. Then said the other, Do you see yonder shining light ? He said , I think
I do. Then said Evangelist, Keep that light in your eye, and go up directly
thereto:so shalt thou see the gate; at which when thou knockest,it shall be told thee what thou shalt do.
(原著者のバンヤンによる引用聖句)
(*)「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。 しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。」(マタイ七・13~14)
(**)あなたの御言葉は、わたしの道の光、 わたしの歩みを照らす灯。(詩編一一九・105)
この助言を受けた男は、落胆の沼に落ち込んだり、さまざまの不安や誘惑にさらされ、道をはずれたりしつつも、かろうじてその門のところに達することになる。そしてそこで新たな導きを受けて狭いがまっすぐな道を歩んでいく。そうして様々の困難を乗り越えて、キリストの十字架へと導かれていく。そしてその十字架をみつめることによって長く苦しんできた重荷が落ちてなくなってしまうのを経験したのであった。
このように、人間が正しく道を歩んでいくには、前方の光をみつめていくことが出発点にある。十字架によって重荷を除かれた後も、やはり前方には光がある。いろいろな疑いや困難、弱さなどが打ち倒そうとすることがある。しかし、そのような闇のなかにも、一度神とキリストを信じて歩み始めたものには、どこか魂の奥に一つの光るものを感じることができる。
著者のバンヤンは、前方に輝く光の関連個所として、「あなたのみ言葉は、わたしの道の光。わたしの歩みを照らす灯」という詩編一一九編の105節を引用している。この聖句は、讃美にも取り入れられ、多くの人に愛されてきた言葉である。天の国を目指して歩むものにおいては、キリストを信じたときから魂の奥の一点で光り続けているその光をどんなに苦しくとも、見つめ続けていくことが求められている。
聖書の巻頭に、神の光が射してくると、混沌が変えられ、闇が失せていくことが記されている。
たしかに天よりの光は、私たちの心にある汚れたものを、吹き去らせる力を持っている。使徒パウロの劇的な回心は、まさにそうであった。律法とユダヤ人としての誇り、伝統、みずからの人間的な思いなどなどが混沌として混じり合っていた。そしてキリスト者をどこまでも迫害していくという闇があった。しかし、キリストの光が突然射してきたときから、そのような混沌がみるみるうちに整然とした世界へと変えられていった。そして彼の前途には、キリストという命の道がまっすぐに神の国に向かって続いているようになった。
パウロにあっては、神からの光は、そのまま新たな永遠の命を与えられることと結びついていたのである。 そしてこのことは、主イエスが、「私に従ってくる者は、命の光を持つ」(ヨハネ八・12)と言われたように、パウロだけに限ったことでなく、イエスを信じ、従っていこうとするものすべてに約束されたことなのである。
そして、神を信じ、キリストが私たちの罪を赦し、永遠の命を与えて下さるお方であると信じることによって最終的にこの世の闇から私たちは解放されることが約束されている。
新約聖書に最も深いつながりのある旧約聖書・イザヤ書の後半の部分に次のような個所がある。
…太陽は再びあなたの昼を照らす光とならず
月の輝きがあなたを照らすこともない。
主があなたのとこしえの光となり
あなたの神があなたの輝きとなられる。(イザヤ書六〇・19)
このような深い意味をたたえた言葉が、今から二五〇〇年ほども昔に語られていたことに驚嘆させられる。神ご自身が、あの絶大な光を持った太陽すら及ばないような光となられるという。それほど神の光はまぎれもないもの、決して消えることのない永遠の輝きをもったものとなるというのである。
歴史や科学、政治経済や教育などのあらゆる方面において、世の中の考えで突き詰めていけば何か薄暗いもの、闇の力が働いているようなものを感じざるを得ないのであるが、それとはいかに大きく異なっているかを知らされる。宮沢
賢治の「銀河鉄道の夜」という作品は有名であるが、そこには何か悲しい雰囲気と暗いものが立ち込めている。主人公のジョバンニとカンパネルラの二人が乗った銀河鉄道の旅の終りのところで、次のような個所がある。
…「あ、あすこ石炭袋だよ。空の孔だよ。」カムパネルラが少しそっちを避けるようにしながら天の川のひととこを指さしました。
ジョバンニはそっちを見てまるでぎくっとしてしまいました。天の川の一(ひと)とこに大きなまっくらな孔(あな)がどほんとあいているのです。
その底がどれほど深いかその奥に何があるかいくら眼をこすってのぞいてもなんにも見えずただ眼がしんしんと痛むのでした。ジョバンニが云いました。
「僕もうあんな大きな暗(やみ)の中だってこわくない。きっとみんなのほんとうのさいわいをさがしに行く。どこまでもどこまでも僕たち一緒に進んで行こう。」…
「カムパネルラ、僕たち一緒に行こうねえ。」ジョバンニが斯う云いながらふりかえって見ましたらそのいままでカムパネルラの座っていた席にもうカムパネルラの形は見えずただ黒いびろうどばかりひかっていました。
ジョバンニはまるで鉄砲丸のように立ちあがりました。そして誰にも聞えないように窓の外へからだを乗り出して力いっぱいはげしく胸をうって叫びそれからもう咽喉いっぱい泣きだしました。
もうそこらが一ぺんにまっくらになったように思いました。…
ここでジョバンニは目を覚ます。(そしてその後、カンパネルラは友を助けようとして自ら溺れて行方不明になったことが続いている。)
この銀河鉄道の旅の終りにこのような、前方に果てしないまっ暗な深い闇があるのが示されている。その闇を見つめようとしたら目がしんしんと痛む、という。これはこの世の闇のことを考えていたら、胸をさすような痛みがあるということを暗示するものである。
そしてジョバンニがそんな闇はこわくない、どこまでも一緒に行こうと友達のカンパネルラに語りかけたが、そのカンパネルラは突然消えてしまい、ジョバンニは一人ぼっちになる。その孤独に激しく泣き始めた、そこらがまっ暗になったような気がしたというので、銀河鉄道の旅が終わっているのは、象徴的である。
どんなによいことを考えてもどこか前途には暗いものがあり、どこまでも一緒にいて共に進みたいと思っていてもそれが引き裂かれ一人になってしまう、といった淋しさ、この世の悲しさがこの物語には漂っている。
ここにははっきりした光がないのである。日本の文学には夏目漱石とか森鴎外、芥川龍之介といった人達の作品においても、やはり闇に輝く光というのがない。私自身中学から高校時代に漱石とか森鴎外などの作品を次々と読んでいったがまったく光は与えられず、かえって漱石の晩年の作品になるにつれて重苦しい雰囲気がたちこめていて、何等力も光も与えられなかったのを覚えている。
それに対して、聖書にはさきほどあげたイザヤ書の個所など、なんと聖なる光に満ちていることであろう。そこには永遠の光がしずかに射しているのを実感させるものがある。こうした光を受けているからこそ、ダンテの名作の神曲では、地獄篇、煉獄篇、天国篇の三つの大きな内容の最後にすべて、永遠の光を象徴する「星」という言葉で終えられているのである。(*)
私たちがたとえ地獄のような苦しみや闇の中に置かれることがあっても、なお、そこから出てくるときには前方の高みには永遠の光が輝いていることを指し示すものとなっている。
それはまた、すでに述べたように、「天路歴程」の著者のバンヤンがその著のはじめのほうで、前方に輝く光を見よ、との勧めを書いているのとも共通している。
創世記の最初に、そのような闇に勝利する光の創造がこの世への宣言のように記されているし、新約聖書で最後に書かれたヨハネ福音書にも、その創世記の記事と並ぶように、闇に打ち勝つ光が存在することが、冒頭に記されている。
聖書全体の基本的メッセージが、ここにある。
これこそ、ますます闇の力が押し迫るように思われる現代への福音なのである。
(*)日本語訳では、「星」が最後にならないが、原文では次のように、星 stelle が最後に来る。 参考のために、イタリア語の原文と英語訳(J.D.Sincleir訳)、原文の逐語訳などを付けておく。なお、イタリア語の星(stelle)は、ラテン語のstella が語源になっている。ギリシャ語では、星のことを asterとか、 astron という。これらは英語の star という語の語源にもなっている。
・(地獄篇の最後の行)そして私たちは外に出て、ふたたび星を見た。
(原文)E quindi uscimmo a riveder le stelle.(逐語的な訳…そして、出た、ふたたび見る、星)
・(英語訳)and thence we came forth to see again the stars.
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・(煉獄篇の最後の行)清められ、星々をさして昇ろうとしていた。
(原文)puro e disposto a salire a le stelle.(清い、準備できている、上る、星)
(英語訳)pure and ready to mount to the stars.
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・(天国篇の最後の行)愛、それは太陽と他の星々を動かす
(原文)l'amore che move il sole e l'altre stelle. (愛、動かす、太陽、他の、星)
(英語訳)the Love that moves the son and other stars.
次の言葉は、聖書の最後の巻である黙示録の終りに近いところに現れる言葉である。
…もはや、夜はなく、ともし火の光も太陽の光も要らない。
神である主が僕たちを照らし、彼らは世々限りなく統治するからである。(黙示録二二・ 5)
これは、すでに述べたようにこの黙示録が書かれるより五〇〇年以上前からすでにイザヤ書によって記されており、神の啓示が一貫してこのことを人間に告げようとしているのがうかがえる。
ここに、「主はわが光、そして命」ということが完全に実現された状況が啓示として記されている。目に見えるところをみていたら、どこに光があるのか、朽ちることのない命などどこにあるかと思われるであろう。しかし、私たちが信仰の目をもってこれらの聖書の言葉を読むときには、たしかに、すでに現在においても、万能の神とキリストこそが永遠の光で私たちを照らしているのを感じることができるし、世の終わりにおいてこのことが完全なかたちで実現されるのを信じることができる。
主はわが光、そして命 祈りの人 好本 督
以下の記述は、「主はわが光」という書を紹介するために書いたものである。この本は好本 督著で、一九八一年 日本キリスト教団出版局から発行された。しかし、大分以前から絶版となっており、インターネット古書店でも見つからない状態である。
私は、今回一〇月八日に福岡市で、文中にも出ている、盲人の平方龍男の創設した信愛ホームの九州地区の卒業生たちの集まりで話すことになり、あらためてこの本を読み直したが、好本督の信仰と祈り、それに応えて下さる生ける神に心を動かされた。そしてこの今は手に入らない書物にこめられた真理を少しでも紹介したいと願い、ここにそのごく一部であるが掲載した。
なお、この書は、一九六七年に待晨堂から出版された好本督著の「わが隣人とは誰か」という内容を活字を少し大きくしてそのまま収録し、その後に、「好本督の信仰と生涯」という六〇頁ほどの文を合わせた書となっている。「わが隣人とは誰か」という本は、私が大学四年のとき初めて参加した京都の北白川集会の責任者であった富田和久氏が私に「この本を書いた好本督さんに私がイギリスに留学していたときお世話になったことがある人だ」と言われ、個人的に私に下さった本である。
現在もその本は手許にある。この本が出版されたと同じ年に私はキリスト教信仰に導かれたこと、とくにその本を好本督と直接に交わりのあった冨田氏から手渡されたこと、そして当時は盲人とは全く関わりがなかったが、十三年ほど後になって、予期していなかったことから盲学校に転じることになり、現在の私たちのキリスト集会に多くの視覚障害者が加わるようになったのも神の導きと感じている。
キリスト者は祈りの人である。生きてはたらく神がおられ、またキリストが生きて今も私たちを愛をもって見つめておられる、と信じる者がキリスト者であるならば、その生きた神とキリストから絶えず励ましを受け、罪の赦しを受け、自らの痛みや悩みを訴え、また神からの語りかけを聞き取ろうとするようになるからである。
キリスト者として知られた人の伝記を読むとほとんど例外なく、彼らは祈りの人であったのがわかる。キリストご自身が、しばしば人を退け、弟子たちとも離れて一人で祈った、あるいは、夜を徹して祈った、などと記してあることから、イエスこそが最大の祈りの人であったことを知らされる。
また、パウロも絶えず祈れ、と説いて、祈りが特別な時だけでなく、朝から晩まで絶え間なくなし得ることであると言っている。
このような祈りに包まれた人達のなかで、ここでは、日本の盲人の福祉のために多大のはたらきをした好本督(ただす)という人のことについて紹介しておきたい。
好本は、一八七八年大阪で医者の長男として生れた。東京高商(現在の一橋大学)に入学、このころ聖書と内村鑑三に出会ってキリスト者となった。大学を卒業後、ヨーロッパに出向き、イギリスのオックスフォード大学に入学。そこで多くの信仰深いキリスト者と出会い、自らも聖霊に導かれ、讃美歌を愛好し、祈りと思索を深めた。この頃、オックスフォード大学の医学部主任教授であった、ウィリアム・オスラー(*)と出会う機会があった、オスラーから、「平静(tranquility)」(原題はラテン語)という題の本が贈られた。この本の内容は、好本の信仰的あり方と重なるものであった。
(*)カナダ生れの医学者。(一八四九~一九一九)牧師の子として育ち、聖職者を目指したが、すぐれた医学者の影響を受けて、医学者への道を歩む。一八歳のとき、ある牧師から紹介されたトマス・ブラウン著の「医師の信仰」という本を購入し、生涯その書を座右に置いた。晩年になり、命の終りが近づいたときに、自分の柩の上にこの本と白い百合を置いてほしいと希望したというほどであった。彼は、ジョンズ・ホプキンズ大学の医学部の内科教授となり、そのときに新しい構想の医学教育を打ち立てた。それは、医師となるためには、カレッジ卒業生が、四年間の医学教育を受けることを提唱し、臨床教育を病棟で行った。近代医学教育がここに始まったと言われる。それが日本にも伝わり現在までの医学部教育につながっている。また、一八七四年に今日では広く知られている血小板の血栓形成作用を発見した。上述の「平静の心」という著書の中で、医学生にとくに推薦すべき書物として、第一に聖書、そしてシェークスピアの著書、モンテーニュ、プルターク、マルクス・アウレリウス、エピクテートスなどのストア哲学者のもの、セルバンテスのドン・キホーテなどをあげている。
なお、このオスラーの「平静の心」という本に敗戦直後に出会って、オスラーを知り、以後ずっと大きな影響を受けて、「オスラーを師として私は生きてきた」と記し、その著書でも繰り返しオスラーに言及し、日本オスラー協会長となって、オスラーの思想を広めているのが、聖路加(ルカ)国際病院の日野原重明氏である。
このような勉学の後に、帰国し早稲田大学で教鞭をとっていたが、二八歳頃の若いときから、彼はすでに盲人全体の福祉のために、「日本盲人会」をつくっていた。そしてこの会の存在によって、戦後、岩橋武夫らの努力によって、日本盲人会連合という会の結成へとつながっていった。
なお、岩橋武夫は、日本ライトハウス(「光の家」の意)を創設したが、この岩橋が一九二五年にイギリスの大学に留学するときに、とくに便宜をはかり援助したのも、好本
督であった。
好本は、この日本盲人会とは別に、盲人キリスト信仰会(*) という団体をつくった。一般の盲人の福祉のためには、日本盲人会、そして盲人福祉の根幹をなすと確信していたキリスト教信仰を広めるための団体を別個につくるという視野の広い見方を持っていたのである。
(*)この盲人キリスト信仰会は、戦後、日本盲人キリスト教伝道協議会となり、その初代委員長に好本 督が選ばれた。この盲人伝道協議会は今日も続いている。
このために、好本は、とくに信仰的にすぐれた人達を集めた。それらの人達とは、中村京太郎、平方龍男、秋元梅吉らである。
中村は、盲人として初めて公費での留学生としてイギリスに学んだが、そのときに生活の面倒を見たのが好本 督であった。中村は現在も発行が続けられている「点字毎日」の創刊のときの編集主任となった。これは毎日新聞社の発行によるもので、一般の大新聞社がこのような点字の新聞を発行することは異例のことであった。当時世界では点字新聞は二つあり、それはいずれもイギリスであったが一般の新聞社が発行するのは点字毎日が初めてであった。
こうした異例のことが生じたのは、好本の祈りの結果であった。当時の毎日新聞社の外信部長が次のように語ったという。
「…好本さんは自分の使命は盲人に尽くすにあり、と考えるようになった。その一つが点字新聞に現れただけである。
…朝から晩まで機会あるごとに、いつもお祈りをしていた。その祈りに応える神様からの声の一つの現れがこの点字新聞になったのだ。」
そして、平方龍男(たつお)は、後に鍼医(はりい)として広く知られる人物となり、東京に信愛ホームというキリスト教精神によって鍼(はり)治療のより高度な学びと訓練をする施設を創設し、それは今日まで続いている。
また、秋元梅吉も、盲人の福祉のために、一九一九年、「盲人基督信仰会」を創立。これも現在も「東京光の家」と改称されて続いている。
このように、神の光が内村鑑三に臨み、それがさらに好本 督にもその光は照らし、そして前述の中村、秋元、平方らにも神の光は照らしていき、その人達へと盲人への働きは受け継がれ、現在まで脈々として続いているのであり、神の光の力の広がりとその永続する力に驚かされる。
光あれ! との創世記最初の言葉は、このように、永遠性を持っているのである。
それは闇に輝く光であるが、それは一時の闇やある特定の場所だけに輝く光でなく、その光をいかなる社会の変動も消すことはできない。
これは内村鑑三や好本 督らの大きな人達だけにその光が及んだのではもちろんない。無名の数知れないキリスト者たち、盲人の信徒たちにも同じような光がその魂に射し込み、それによって動かされ、こうした永続的な事業となっているのである。
さらに、好本が力を注いだ事業として、点字の聖書を全巻刊行するということであった。これは、
亜鉛板に点字を脚の力で製版機のペダルを踏んで一字ずつ打っていくのであり、相当な体力が要求される。このために信仰のしっかりした一人の盲人の青年が選ばれ、彼は二年がかりで、毎日のように打ち続け、六〇〇万字に及ぶ聖書全巻の点字製版を完成させた。好本は、その青年を励まし、その間の生活費をもひき受けるなど経済的な援助も惜しまなかった。
このように、盲人の福祉においてとくに選ばれて多くの働きをした好本 督は、若き日に死を思うほどの苦しみと悲しみの体験を通ってきたのであった。そこから上よりの光を受け、キリストの導きを受けるために、祈りに徹してその苦しい状況を乗り越えていくことができたのである。
彼にとって若き日のとくに重要な出来事は、次のようなものであった。
盲人の福祉のために、 事業を起こしたとき、彼がイギリスに滞在中に、好本が会社を任せていた支配人が富を急増させようとし、ある詐欺師にだまされて投機に手を出して、多額の損失を出したのであった。そのため、神戸の彼の会社を破滅に導いただけでなく、好本の父の財産まで使い果たしてしまったのであった。この大きな災難のために、病気がちであった父が急に悪化し、危篤状態に陥った。
そのことを好本は、イギリスにいたときに知らせを受けて、大きな衝撃を受けてただちに日本に帰ることになった。それは、一九一三年の十二月であり、まだ、日本へ帰るには、極寒のロシアを通って帰らねばならなかった。その途中、ロンドンで買った切符が無効だと言われ、先への旅行はできないと言われた。駅長に懇願してようやく難を超えたと思ったのも束の間、今度は、スリによって財布と旅券が盗まれ、途方にくれた。もはや異国でどうすることもできない。このとき、病床にて苦しむ父のことが思い浮かび、寒さにふるえつつも、彼がしたことは、ひざまずいて長い間祈ることであった。そのような状況において、ただ一つなし得ることは、一羽のスズメをも忘れることもないと記されている全能の神に頼ることだけであった。熱心に長い間祈り続けたとき、彼は平安を取り戻した。そうしてようやく眠りにつくことができた。翌朝、彼がまずしたことは、祈ることであった。
そしてまず心に浮かんだのは次の聖句であったという。
…イエスはすぐに手を伸ばして捕まえ、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われた。
そして、二人が舟に乗り込むと、風は静まった。(マタイ福音書十四・31~32)
… 心を尽くして主に信頼し、自分の分別には頼らず
常に主を覚えてあなたの道を歩け。そうすれば
主はあなたの道筋をまっすぐにしてくださる。(箴言三・5~6)
このようにして、祈りによって途中の長い旅路をも無事に乗り越え、ヨーロッパを出発して二週間後にようやく日本(門司)に着いた。そこで彼がまずしたことは、近くの丘に登り、祈ったことである。
そして、「お前が信仰さえ失わなかったら、災いは転じて幸いとなり、すべてのことはお前の周囲の者に益となるのだ」という神からの安心が与えられた。そうして神戸の家に着いたが、家は深い悲しみに沈み闇に包まれているような状態であった。父はやせ衰え、母は看病で疲れ果てていた。彼は自分の部屋に退いて、ふすまを閉めてひざまずいて祈った。
父のいのちは二ヶ月ほどしかもたないだろうと医者が言った。
好本は、それから毎日さまざまの関わりある人達との交渉にエネルギーを費やし、身も心も疲れ果てて帰って来るという状態を繰り返した。彼は、そのようななかでも、わずかの夕食をとると、自分の部屋に退き、数時間を思索と祈りに費やす、そうした日が続いた。死が間近いといわれた父は大切にしていた書画をすべて、ある人から提供せよと言われた。破産という状態であれば相手の申し出に逆らうことができず、長い間手許において愛着のあった書画をすべて失うことになり、父は非常に悲しんだ。しかもその一つ一つを父以外の家族が、数台の荷車に積んで遠いところまで運んでいくことになった。その様子をみていた病床の父の落胆は大きかった。形ある宝に執着するわけではなく、地上の命の終りが近いといわれている父を苦しめその寿命を短くすることが好本には耐えがたかったのである。
そのような状況にあって、彼はどうかこの場を救って下さいと祈らずにいられなかった。何時間祈ったか分からなかった。ところが彼がまだ祈り終わらないうちに、電話がかかってきて、運ばれた荷物をすべてお返しするから、というのであった。
そのことから一か月ほど後のことである。彼は巨額の手形を支払わねばならなかったがその費用がなかった。銀行からは矢のような催促がある。その銀行員は好本たちが被った多大な苦しみに大いに責任があった人なので、そのような人物に支払いを延期してくれるように懇願するのは耐えがたいことであった。
このような苦しい状況に陥ったのは、好本の責任ではなかった。彼はイギリスにいて、その不祥事の直接の責任者でなかったからである。しかし、彼が会社の最終的責任者であるゆえに彼が全責任を負っていかねばならないのであった。
このような事態に直面して彼はあまりの苦い杯のためにあらゆる人に反抗したい気持ちとなった。
そのようなとき、彼は部屋に入って、聖書を読んだ。そのとき、神の言葉から流れ出てくる聖霊の光に照らされて、心に広がっていた闇は朝霧のように晴れた。すべてのことは、主がよしとされるときに解決し、現在の苦難は両親にとってもまた関係者にとっても、祝福に変るにちがいないということが、彼にははっきりと分かった。
自分たちを耐えがたい苦痛の深淵に投げ込んだ者たちに対して、彼は怒りの心をおさえることが難しかった。好本とその家族たちはまったく何の悪いこともしていないのに、彼らは平和の家であったものを悲惨と苦悩の家に変えてしまった。
「主よ、あなたは友に裏切られることがどんなものであるかを、よく知っておられます。あなたを見上げることによって、平和を持てるように助けて下さい」と祈った。
ある人々は、そのようにひどい目に陥れた犯罪者たちを訴えるようにと、好本に、強く勧めた。しかし、ひざまずいて祈って考えるとき、「父よ、彼らをお赦し下さい。彼らは何をしているのか分からずにいるのです」(ルカ二三・34)と主が十字架に付けられたときに祈ったあの言葉を思いだして好本は自分を苦しめた人々に対して、憐れみの情を禁じ得なかった。
そして好本は、彼らを赦すことができるように、また彼らが救われるように、恵みを願った。もし彼を苦しめた人々を訴えていたならば、一層悪意を引き出すばかりであったろうし、誰にも決してよい結果をもたらさなかったであろう。
また、ある友人はそのような不正なことをした者たちを会社から放逐するようにと忠告してくれたが、キリスト者として好本は、自分が彼らの責任を負うべきだと考えた。彼は彼らのために祈り、間違った道から彼らを連れ戻したいと思った。
真夜中に一人外に出て、夜空に光る満月を見つめ、近くのせせらぎの音を聴いていると、心には主にある安らぎが与えられた。月をじっとみていると、次の聖句を聞くようであった。
… しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。
あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。(マタイ五・44~45)
彼がそうした日々を送っているとき、深刻な会社の状況を立て直すための連日の悪戦苦闘の日々に疲れ、ある墓地まで来た。そのとき、「ここにこそあらゆる悪人も疲れた者も休みがある」(ヨブ記三・17)との言葉が思いだされた。彼は、もし自殺が罪でなかったなら、自分の生命を断つこともためらわなかっただろうと書いている。それほどに当時の苦しみは大きく、前途への道が開けてこなかったのであった。
しかし、それは無責任であり、悪魔の誘惑に屈することであると知り、全力を尽くしてこの窮地から脱するべく生きていかねばならない、との思いへと変えられた。
彼はこのときほど熱心に祈ったことはなかった。
そして「キリストを信じて従え、戦い続けよ、そしてその結果を神に委ねよ、『神は、神を愛する者たち、すなわち、御計画に従って召された者たちとともに働いて、万事を益となるようにしてくださる』(ローマ八・28)のだ」これが彼の必死の祈りに対する神からの答えであった。
次の年になり、少し前までは彼の最も手ごわい敵であって彼を苦しめることに関わった数人の人達から、心のこもった感謝の手紙と盲人福祉のための多額の献金が送られてきた。しかも彼らのある者たちは聖書を読み始めているということであった。これらすべては神のすばらしい恵みによるものであった。
もし、この世の方策をもって彼らに対処していたら、彼はきっと打ち負かされていたという。しかし、自分の利害を顧みないで事にあたったために、大きく状況が変わり、神の力によって彼らの心まで変化していったのであった。
好本はこうした出来事の背後に祈りがあったことを述べて次のように言っている。
…祈りとは、私たちのうちにはたらく聖霊を通して、主のみまえに私たちを引き寄せる神のわざである。だからそれは神の愛のあらわれ以外の何ものでもない。それは私たちが神をとらえるということではなくて、神が私たちをとらえて下さることである。
祈ることは、私たちが神の「静かな細い声」を聞くことであり、私たちの態度は、「しもべは聞きます。主よ、お話下さい」(サムエル記上三・9)ということになる。
ルターが言ったように、「神が私たちの願いを聴いて下さるということは、すばらしいことである。だが、それよりはるかにすばらしいことは、神が私たちに語りかけて下さることであり、また私たちが神に聞くということである」
しかし、神の声を聞くというだけでは十分ではない。私たちは神の御心を行なうように心がけねばならない。聖霊によって導かれ奉仕することは、すなわち隣人に仕えることを通して、自ずから、神のみわざにたずさわるという計り知れない特権に他ならない。助けてやるというような精神でなく、それを喜びと思い、彼らに仕えることを特権と考えるのである。
御心を行なうことは、私たち自身の力ではできないことであるが、しかし、パウロも言っているように、「私を強くして下さる方によって、何事でもすることができる」(フィリピ書四・13)し、また「私の力は弱いところに完全にあらわれる」(Ⅱコリント十二・9)のである。…
ここには、彼が死を思うほどに追い詰められた困難な状況から脱することができた、その理由が語られている。
このような真実な祈りは必ず何かが周囲で起こってくる。それは彼の死に近かった父が元気を取り戻し、二か月の命といわれていたほどに病状は重かったにもかかわらずその後も二年を生きることになり、その晩年になって聖書を読み、キリスト信仰へと導かれていったことであった。
そしてその父の最期をみとった彼の母から聞いたことでは、父の語った最期の言葉は、彼や家族をほとんど破産状態に陥れたその災難の責任者である男に、送金するように頼んだことであったという。
そして父の葬儀は、不思議な導きによって関西学院大学の礼拝堂で行なわれることになった。さらにそのときの弔辞を読んだのは、好本とその一家をどん底に突き落とした人であった。その人はそれを読みながら、途中で感極まり、泣き崩れてあとを続けることができなかったという。
この短い紹介によっても、好本 督が盲人の福祉において実に多方面に渡り、それらが盲人のさまざまの方面において計り知れない益をもたらすことになったのがわかるが、それは彼自身が述べているように、神の愛と真実をどこまでも信じ続け、そこに身を委ねることであり、それをなさしめたのが祈りであった。祈りこそは神の御手が働く場を生み出すものなのである。
平和主義と啓示
北朝鮮が地下の核実験をしたという。それに対して、自民党の幹部が「日本が攻められないようにするために、その選択肢として核(兵器の保有)ということも議論としてある。議論は大いにしないと(いけない)」と述べた。また、外務大臣が、核兵器を持つ議論をやるべきだといったニュアンスの発言をし、さらに首相も、こうした発言に対して、「議員個人の発言まで(抑制できない)。日本は言論が自由だ」として暗に認めるようなことを言っている。こうした議論の背景には、自民党がずっと以前から持ってきた核武装に関する考え方がある。
岸信介は、今から四〇年以上前に、すでに防衛のため核保有は可能と述べ、佐藤首相は「日本の核保有が妥当と確信する」が本音だったいう。
また、安倍首相も、二〇〇二年に当時官房副長官であったが、「小型であれば原子爆弾の保有も問題ない」と発言して問題になったことがあるし、当時の福田官房長官も非核三原則の見直しにつながる発言をしている。
このように、核武装ということは、自民党においては相当以前からの考え方であったのがわかる。戦前に戦艦大和のような世界一という巨大な軍艦を建造して、他国への攻撃に備えるという発想はかたちを変えて、核武装への願望という形となって、自民党に流れていると言えよう。
しかし、その世界一の戦艦も何等日本を守ることはできなかった。かえって大和に象徴されるそうした武力増強路線は世界戦争への道を開くものとなり、おびただしい人の命を奪う事態へと進んでいったのである。
北朝鮮が核兵器を持つ、だから日本も持つべきだ、それは一見わかりやすく見える議論である。自分と相手国だけを見つめての判断だからである。外側に現れた現象をみて、目先の判断で事柄を決めようとする。それがこれからの世界全体にとってどういうことを意味するか、過去の歴史はそのようなことに対してどのような方向を指し示しているかというような大局的な視野を全く持たないのである。
目に見える現実だけをこのように見つめるだけでは、決して真理は見えてこない。
死んだ人間のからだという目に見えるものだけを見ていたら、復活などという真理は到底入ってこないし、無惨にも血が滴り落ちるほどに鞭打たれ、そのあげくに、十字架ではりつけられたキリストだけを見ていれば、どこにもそれが罪の赦しだとか勝利などとは見えてこない。
平和主義の考えも同様である。他国のミサイルや核兵器などとその威力だけを見ていたら、恐れを抱いてそれらを自分たちの国も持つのが当然だ、という考えは起こっても、だから武力はいらない、といった考えは生れない。
復活にしても、十字架による罪の赦しの福音、あるいは平和主義などの真理は、この世的には到底受け入れられないのは共通している。それらは、二千年前からキリストがあざけられ、またパウロも言っているように、世間の人間からは愚かなものと見えるのである。(Ⅰコリント一・18)
平和主義は聖書のキリストの言動に深く根ざした考え方である。
それゆえ、それは人間の議論や思索の結果でなく、天からの啓示なのである。
それは、愛の神が生きておられるとか、復活や十字架による罪の赦しの真理、あるいは、キリストが神と同質であると知ること同様に、次の言葉があてはまる。
「あなた方にそうした真理を現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。」(マタイ福音書十六・17)
詩の世界から
水野源三の詩から(*)
○生かされている
梢で百舌が鳴き
庭に菊が香る
昨日も今日も
私は生かされている
神様に愛され
人々に愛されて
(*)水野源三(一九三九~一九八四)九歳のときに、赤痢にかかり、命はとりとめたが全身が動かなくなり、言葉も出なくなった。後にキリスト信仰に導かれ、まばたきをもって、母親が示す五十音図の単語を示して詩を作るようになった。
彼の詩は、新聖歌には、「朝静かに」三三四番、「もしも私が苦しまなかったら」二九二番が収められている。
静かな日、寝たきりの作者は、近くの木のこずえに鳴くモズの強い呼びかけのような声を聞く。それと対照的に静かに秋を表して咲いている庭の菊。その色彩が心に喜びを与え、手にとるものには香りをもって迎える。私たちが神に深く結びついているほど、なんでもない普通の日常的なことの中に、深い神の愛を感じるようになる。神は万事にいのちを与えるお方であり、私たちの心の感性にも鋭敏さを増し加えるからである。
そのような神の御手のわざである自然の生きた姿に触れて、自分もまた神の生きた御手によって支えられ、生かされているのに改めて気付かされる。神の愛と、人の愛という最も大切なものによって包まれている自分を新たに見つめて感謝へと導かれる。
○キリストを知りたい願い あの胸に 起こしたまえと ひたすら祈る
・私たちがいくら言葉で語っても、また働きかけても、キリストを信じ、罪の赦しを受けるということ、そしてそこに神の愛を実感できるようになるのは、神ご自身の御手がのぞまなかったらできないことである。主よ、そのようにあの人の魂に触れてください、という願いこそ、他者への主にある愛のあらわれだと言えよう。私たちの願いもまたこの歌の願いと重なる。
テニソンの詩から
私は、これまでに出会ったものすべてのものの一部分である。(「ユリシーズ」第18行 )(*)
I am a part of all that I have met.
老年になった古代の英雄(オデュッセウス)が、その年に至るまで数々の劇的な経験を経てきたゆえに、自分はこれまで出会ったあらゆるものからいろいろなものを得て、それが現在の自分を形作っているというのがこの言葉の直接的な意味であるが、この短い言葉はさまざまの人によって引用されてきた。
私たちは自分の能力や努力で現在を勝ち得たのだ、などと言ってはならない。私たちが過去に出会ったあらゆる人、書物、経験などが私たちの内に流れ込み、それらが現在の私たちを作り上げている。自分の努力で成し遂げたのだ、という人がいるかも知れない。しかし、そのように仕向けた人や書物、あるいは直接的な人との出会いの経験があったのであり、それによって努力していこうとする気持ちになったのである。
そしてその努力の過程でもさまざまの人と出会って導かれていったのである。
この詩句ははじめの方にあるが、終り近いところに次の言葉がある。
さあ、友よ、
さらに新しい世界を求めるのに遅すぎるということはない。
出発するのだ、整然と部署につき、
波音響く海を超えて行くのだ。
私の揺るがぬ目的は、死に至るまで、
星の沈む西の海のかなたまで、
進んでいくことなのだから。
…
時と運命によって弱くなったが、我が意志は固く
戦い(努力し)、求め、見出していく、 屈することなく。(「ユリシーズ」より)
…Come, my friends,
'Tis not too late to seek a newer world.
Push off,and sitting well in order smite
The sounding furrows; for my purpose holds
To sail beyond the sunset ,and the baths
Of all the western stars,untill I die.…
…
Made week by time and fate,but strong in will
To strive,to seek,to find,and not to yield.
(*)テニソン(一八〇九~ 一八九二)イギリスの代表的詩人の一人。一八五〇年ワーズワースの後継者として桂冠詩人となった。 このユリシーズとは、ホメロスの作と伝えられるオデッセーに登場する人物、オデュッセウスのラテン名ウリッセースの英語読み。
ここに一部を引用したのは、そのオデュッセウスという人物をタイトルにした短い詩。テニソンが親友の死の少し後に書いたもので、特別に親密であった友の死という精神的な打撃にもかかわらず、前進しようとする力強い心を、古代の老英雄に託して表現したもので、年老いても家族との安全な生活にひたることなく、人生の戦いに勇敢に立ち向かっていき、さらなる未知の世界へと踏み出していくという内容になっている。
私たちの目的地は神の国であり、いかに年老いても、この世の荒波を超えたところにある神の国を目指して進むことにあり、それを目指すのには遅すぎるということはない。それぞれの部署(与えられた状況)に就いて、そこから主の導きによって出発し、進んでいくのである。
ことば
祈り―その中心は「主の祈り」である―は、隣人との交わりのなかで、その衝動を覚えるのである。祈りにおいて、いかに卑しいものであっても、そこでキリストの働きにあずかるこの上なき特権を得る。(「主はわが光」19頁 好本 督著 日本キリスト教団出版局 一九八一年)
・祈りとは他者への祈りがここではとくに重視されている。私たちは自分自身の苦しみや痛みのなかから、その痛みや苦しみをいやして下さいと祈らずにいられない。しかし、それはキリストの愛がその人に注がれていなくてもできることである。神を信じていない人すら、困ったときの神頼みと言われるように、自分のことならどんな人でも祈る。
しかし、他者への祈り、ことに自分に対して害悪をなした人がよくなるようにとの祈りは、キリストの愛が私たちに注がれていなかったらできない。
隣人との交わりの中で私たちは自分が罪を犯し、また他者が私たちに罪を犯す。そうしたとき、自分自身の弱さ―罪―そのものについて神に祈り、力を与えて下さいと祈らずにいられない。
神を愛し、隣人を愛することが最も重要なこと、と主は言われた。それはそのまま祈りについていうことができる。神を愛するとは、神に心を注ぎだすことであり、それはそのまま神への祈りとなる。そして隣人を愛するとは、感情的に好きになることでなく、その人の前途が最善になるようにと祈ることであるからだ。
休憩室
○次の記事は、定期的に送られてくる国際的なニュース記事のコラム的な記事にあったものです。
…オーストリア国で薬局名を見ると、「慈善深い兄弟の薬局」「聖母の薬局」「神のまなざしの薬局」「3位1体の薬局」など、キリスト教と密接な関係のある薬局名が多いことに気が付く。当方が以前住んでいた近くには、「神の摂理のための薬局」という名前がついた薬局があった。
オーストリア薬局会の広報担当者は「昔は医薬メーカーなどは存在しなかった。カトリック教会側が修道院で薬草を調合して、病の信者たちに与えていた。薬局は修道院内の薬草保存場所を意味した。だから、その伝統を受けて呼称する薬局が多い。オーストリアだけではなく、ドイツなどキリスト教文化圏では神の名がついた薬局名が少なくない。もちろん、現代的な薬局名もある」と説明してくれた。
同広報担当者によれば、ヨーロッパでは、病気を治療するのは薬ではなく、「神の癒し」によるものだという捉え方が依然、強いという。…
・薬がなおすとか医者がなおす、あるいは自然治癒力がある、自分の努力でなおす、といった様々の表現があります。しかし、医者の能力、化学的に合成された薬や薬草の力といっても、そうした能力や力を与えたのは、神なのです。
神が万能であると信じるなら、それゆえに万物を創造し、今も支配していることは当然になります。現在支配していないような神なら、万能ではないからです。
人間の能力も化学反応を起こす物質の本性、あるいはそれらを支配している科学的法則もすべて神が創造し、いまもそれを支配しているわけです。だから、医者の技術であろうと、薬や薬草、あるいは自分の努力であろうとそうした力を与えた神がもとにあると言えますから、究極的には神の力によっていると言えます。
○地名とキリスト教
アメリカ大陸にある地名を見ると、キリスト教と関係のある地名が多いのに驚かされます。
ロス・アンジェルスという地名は、Los Angels (ロス・アンヘルス)であって、スペイン語の 「天使たち」(英語では、the angels) です。 (los は、英語の the にあたる定冠詞で、複数形の男性名詞につく。女性複数名詞には、las となる。)
同じく、カルフォルニア州の都市で有名な、サンフランシスコは、キリスト教のフランシスコ会の修道士が創設者の聖フランシスコを街の名に付けたのが地名の由来となっています。
また、チリの首都でもあり、他にも十ほどもの地名となっている、サンティアゴ( Santiago) とは、スペイン語で聖ヤコブ(San Jacob)のことですが、発音が大きく違っているので、ヤコブとは思えないほとです。ブラジルの大都市サンパウロは、キリストの最大の弟子と言える、聖パウロのことです。
また、中央アメリカにある、エル・サルバドル(El Salvador)という国の名は、スペイン語で「救い主」を意味する語で、キリストのことなのです。(El は男性名詞単数につける定冠詞、Salvador は救い主の意で、英語には、語源的に関連した salvation 「救い」という語がある。)そして、この国の首都は、サン・サルバドルで、これは、「聖(San)救い主」という意味なのです。
また、キューバの南にある島国で、ドミニカという国があります。このドミニカという名は、後述するドミンゴと同様に、「主の日」という意味を持っています。そしてドミニカ共和国の首都は、サント・ドミンゴ(Santo Domingo)であり、Santoは、聖、 Domingo とは、「日曜日、主日」という意味ですから、この首都の名の意味は、「聖・日曜日」ということになります。この日曜日とか主日を Domingo というのは、ラテン語の「主」という言葉が、ドミヌス Dominus であり、それから生じた言葉だからです。
以上のような例はほんの一部にすぎません。最初に町を造ろうとした人達が、どんな名前を付けるか、それは人々の理想とか期待を象徴するものです。
次々と新しい町をつくるときに、キリストと関連ある名前を付けていったのは、キリストの祝福を求める心の一つの現れであったと思います。現代に生きる私たちも、日常に出会う物事、自然の風物にも絶えず、キリストとの関連を見出し、神の祝福を願う気持ちを持っていたいものです。
編集だより
今年の八月に、今から五十年程も前に映画となって広く知られている「二十四の瞳」のDVDが発売されました。私はまだ小さい子供のときに、父親に連れられて見たのですが、とても強い印象が残りました。主演の高峰秀子という女優と十二人の子供たちの織りなす光景はあれから半世紀を経ても消えません。純真な子供たちが成長していったのに、戦争によって次々と死に至っていく、その哀しさというのも感じたことです。それから、「♪からす
なぜ鳴くの…」という歌も同時に私の幼い魂に焼き付けられたように残っています。
ある県外の方から、次のような来信がありました。
…この映画は全くみておりませんでした。その頃は、病気になっていたために見ることができなかった状況だったことを、今思いだしたところです。子供たちの純朴な魂、こどもは本来こういうものなのかとしらためて教えられる気がいたしました。
教え子のつらさや悲しさをともに泣くことができる教師。時代の背景も環境も超えて、示される心の真実をおもいます。また、初めから終りまで、讃美歌の「いつくしみ深き」の曲など、あんなに多くの歌曲が用いられていることにも驚き、印象深く心に残ったことでした。
すぎた歳月は次第に消えつつありますが、こうしたことを通して、当時のことを思い起こすとともに、私の歩みも常に善き力に守られ、支えられてきたことを、心に覚えることができました。とても不思議な気がいたします。…
○…詩編とは、数千年も昔の人の心がそのままに残っている「心の化石」である。それは苦しい人が光を見出せる。今も生きて働く。悩める人に力を与えるものとして、詩編をじっくり味わって読みたくなりました。
叫ぶ相手がいる、そして罪を贖い助けてくれる相手(神)がいることの幸せ、喜びを教えて頂きました。
「聖書における平和」では混沌と、光との対比で、そのことが創世記のはじめに書かれていて、そして黙示録にも示されていることを知ったとき、本当に驚きでした。
聖書ははじめから終りまで、一本の幹のように「主の平和」が貫かれて示されていることを知りました。人生のそしてこの世の到達点、究極的目的地として「神からの光」を仰ぎ、そして求めていけばよいとの示しは、私の心に時々襲う不安や迷い、恐れの霧を消し去ってくれた思いがしました。力を与えられました。(中部地方の方)
お知らせ
○集音器
以前にも集音器を紹介したことがありますが、今度紹介するのは、それとは別のものです。老人性の難聴であれば、とくに日曜日の聖書講話のような、特定の人の講話を聞いたり、一対一で話すときなどは、この集音器が効果的です。
病院などで、難聴の人と個人的な話しをするとき、大きい声で言わねばならない人がいます。大部屋ですと個人的な話しなのに周囲の患者さんにも聞き取られてしまい、不都合が生じることがあります。そんなとき、この集音器があると、ごく小さい声で話しても、相手に聞き取ってもらえるので、便利です。
新聞などで広告に出ている補聴器はデジタルのものが多く、数十万円もする高価なものもよく見られます。
しかし、この集音器は、新聞の通信販売で時折見かけるものは、本体、送料、税込みで一万円余りになっています。 しかし、インターネットでは現在のところもう少し安価(八千円程度)で購入できるのを確認済みです。
補聴器や集音器は人によって使う状況が違っていること、その人の聴覚障害の状態によってもそれらの器具が合わない場合もあり、実際に使ってみないとはっきりしたことはいえないという不便さがあります。しかし、この集音器で相手の会話がよく聞き取れるようになったという人もいろいろありますので紹介しておきます。問い合わせは吉村
孝雄まで。
< 製品仕様 > 品名 小型多目的集音器「スーパーサウンドハンター」NHC NH-880
サイズ(約):全長10×幅4×厚さ1.7㎝×重さ55g(電池含む)/電源:単4乾電池×2本(付) 付属品:片耳用イヤホン、単4アルカリ乾電池