2006年11月 550号・内容・もくじ
秋の山
中国山地を車で南下していたとき、周囲の山全体に広がる鮮やかな黄葉、紅葉に心動かされた。前方の全体に巨大なキャンバスがあるかのようであって、そこに見えざる手によって創造され、描かれた一大芸術が次々と現れた。
夏には緑一色であったはずの樹木の葉は、茶褐色や黄色、赤色などさまざまの色合いとなっていた。神の御手に触れるとき、無数の木々の葉があのように変化ある色彩となる。人工的な杉の植林がないところでは、かくも美しい秋となるのかと驚かされる時となった。
人間も、ひとたび神の御手が触れるなら、その折々に多様な輝きと色合いを持つ存在となるのだろう。
生きている人のために
自らの命を断つ子供たち、亡くなった子供に手を合わせる姿がよく報道される。しかし、死んだ者に手を合わせ、祈るとももはや帰ってくることはない。
祈りの心、祈りの手は、生きている人間に向けられねばならないのである。
いじめを受けている人、いじめをしている人の双方に対して、彼らの心が支えられ、また悪しき心がなくなるようにとの、祈りの手と心が向けられることこそが、必要なのである。
今日の学校において、目先の成績をあげることばかりであって、祈りの心が全くない。祈りの重要性など教えられることは皆無なのである。
しかし、祈りなくば、人間の心は静まることがなく、人間を超えた存在からの力を受けることもできないのである。
教育の基本の真理
一九四七年三月から施行され、六〇年ほどの間日本の教育の根本指針とされてきた教育基本法は、その前文に、「真理と平和を希求する人間の育成を期する…」とあり、その第一条にも、「真理と正義を愛し、個人の価値を尊び…心身ともに健康な国民の形成を期して行なわれなければならない。」とある。
しかし、私自身の学校教育のなかで、中学や高校、大学を通じて、教育の場で「真理を愛する心」などということは耳にしたことがない。このように基本法の根本精神を表す前文や最も重要な第一条の双方に重ねて書いてあるほどであるにもかかわらず、真理とは何か、正義とは、平和とは、といった基本的な意味すら考えるように仕向けられたこともなく、授業でも語られたことがないのは実に奇妙なことだと言えよう。
それは教育基本法の前文や第一条の精神が無視されているのであって、そこから、高校での社会科の必修科目である世界史などを教えずに放置しておくなどという発想が生じているのである。
真理そのものを重視するなら、長い人間の歩みでどんなことが真理として重んじられたのか、どのような人が、いかに困難な状況にあって真理に従って生きたのか、といった歴史や倫理はおのずから重要な教科となるし、世界のさまざまの動きのなかにいかに真理が働いているか、といったことを知るためにも世界史は不可欠な教科となる。
真理に背を向け、目先のことや、生徒や保護者に迎合し、教師や校長の側もそれで評価されることを願っているからこそ、点数をあげることを至上目的とする受験教育に最大の重点を置くということになっていく。
しかし、いかに教育基本法を変えようとも、本当に人間を造る真理そのものは変えることができない。人間の目に見えない奥深いところでその魂を真に良くすること、造り上げることは、法律とか人間の強制では決してできないのである。
それは、この世のさまざまの議論とは全くちがって、神が私たちの魂に触れるのでなければ人間は本当にはよきものへと教育されないからである。
教育とは、その言葉は、教え、育むということであり、英語では、educate であり、それはラテン語の educo(エードゥーコー) に由来する語であり、「引き出す」という意味を持っている。人間を、真に内にあるよきものを引き出し、育て上げることができるのは、いったい何なのか。
英語や数学、音楽などの教科においてはたしかに教える教師がすぐれていたらその生徒に与えられている能力をより効果的に引き出すことができるのは容易にわかる。しかし、引き出そうとしても元からないものは引き出せない。誰であっても人間を兄弟として愛する、たとえ敵対するような者であってもその人のためによきことを祈る心、などといったものは生まれつき持っていないのであって、引き出すこともできない。
そしてそのような無差別的に人間を大切にし、愛をもってする心こそ、最も重要なものであり、そのような心こそ、どんなことよりも価値あるものである。
しかし、それはいかにすぐれた教師といえども、またどんな設備や法律を作っても引き出すことができない。
それは、人間を超えたところから与えられなければならないのである。
そのことを、聖書においては、すべての人間は罪あるものであり、神とキリストへの信仰によりその罪が除かれ、神からの聖なる霊を受けて初めて、人間は真になるべきものへと変えられ、造り上げられていくと、明確に主張している。そしてこのことは、二千年の間、無数の人たちがこの真理を体験してきたことである。
教育基本法の条文は変えられようとも、教育の基本となる真理そのものは、神とキリストによるのであって、決して変えることはできないのであり、今後どのような状況が訪れようとも、人間を本当に育み、造り上げるのは、神とキリストであり、上より与えられる目には見えない力(聖霊)であり続けるのである。
いじめの背後にあるもの
最近毎日のようにいじめの記事があり、自殺までするということが繰り返し報道されている。そしてそうした記事から受ける印象は、いじめる子供は悪く、いじめられるこどもは弱い、犠牲者だ、というものである。
最近、京都大学大学院の木原助教授らのグループが全国の高校生六四〇〇人を対象にして、いじめの実態調査を発表した。それによると、いじめと、いじめられることの両方を経験したのが、男子では、二八・七%、女子でも十六・七%で、いじめられただけ、とかいじめをしただけ、というのを抜いて最も多かったという。
そして、小学生のときに「いじめをした経験がある」子供は、六三・四%もあり、「いじめられた経験がある」のは、五五・六%、女子でもいじめた経験を持っているのは、五八・一%、いじめられたのは、六二・七%だという。
これを見ると、相当数が、いじめられるだけでなく、ほかの子をいじめたことがあり、被害者がまた加害者となっている実態が浮かび上がってくる。こうした調査は今回のが初めてだというが、この調査をした木原助教授自身が、これほどまで両方を経験している子供が多いとは予想外であったと言っている。
この数値は、実際に見えるいじめをしたり、されたという経験の調査であり、心の中で他者をいじめたいという気持ちははるかに多いと考えられる。
これは、制度とか環境などによらない、人間の深いところにある、自分中心の考えや感情によっていじめが生じているからである。
いじめるとは、愛とは正反対の感情であり、相手の苦しみを少しでも軽くして共に担おうという心とは逆に、相手に心の重荷を押しつけよう、苦しめようという心であり、人間の心の深いところに働く闇の力からきているのを思わせる。
こうした他人を苦しめようという心は、何も子供だけでなく、大人の世界にも至るところにある。国家、民族同士といった大きな規模においても、はるか昔から続いている。戦前の政府が、治安維持法で逮捕した思想犯や戦争に反対したキリスト者などをさまざまの方法で苦しめたが、それは国家権力によるいじめであったし、さらにさかのぼって江戸時代ではキリストを信じているというだけで捕らえられ、厳しい拷問がなされた。それは厳しい寒中に氷の張る池に投げ込んで、また引き揚げるといったことを繰り返したり、水牢に入れる、人が重なり合うような狭い牢獄に何十人も閉じ込めて飢えと排泄物の汚れで苦しめる等々、すさまじい迫害を行なった。これらもいじめの極限状況であった。
つい六〇年あまり前にも、日本は中国や韓国に行って、戦争で捕らえた人たちを命を失うほどに苦しめたことがあった。戦争とは大規模な、国家的いじめなのである。
これらはすべて人間がその奥深いところに愛を持っていないこと、それゆえに状況の変化でどんなことを他者に対してしてしまうか分からない。
結局、いじめの根本問題は、人間の魂の変革なければいじめはなくならないということである。子供の世界だけでなく、大人になっても、否、死に至るまで、何らかのいじめを受け、また他人にいじめをするのが、この世の実態なのである。
これは、他者の本当の幸いのために、祈り、祈られること、互いに他者の重荷を負う、という姿勢といかに違っていることだろう。
このような暗い現実からの救いのために、主イエスは来られたのだと分かる。キリストが一人一人の内に住むようになるとき、私たちはいじめ、いじめられるという世界から、祈られ、祈るという神の御手に置かれる世界へと移っていくことができる。
真の伝統と文化
今回の教育基本法の改訂で繰り返し強調されたのは、「伝統と文化を尊重し、わが国と郷土を愛するとともに…」(与党の改訂案の第二条第五項)ということである。
そのように特別に尊重すべき伝統とは何かが問題である。これは戦前に実に熱心に、厳しい強制をもって尊重させたことである。伝統の最たるものとして天皇を現人神とまで持ち上げて、国民に強制的に最敬礼することを命じた。そしてそれと関連して君が代や日の丸を戦争を遂行していく上での重要な手段の一つとして用いた。
日本の文化と伝統を重んじるということから、英語まで敵性言語だとして禁止するようなところまで行ったし、日本が征服した領地、例えば朝鮮半島の人たちにはわが国の伝統と文化であるとして、神社参拝をも強制した。障害者差別や部落差別も、男尊女卑ということもなども当然のことのように行なわれてきたゆえに一種の伝統ということになるが、このように間違ったものもいろいろとある。
日本という小さな国にしか通用しないものは真の価値ある伝統や文化とは言えない。
我々の本当の伝統や文化は、そのような小さく狭いものではない。
それは天にある。神の国にあるもの―神の愛や正義、真実、清さ等々、そしてそれらをもとにして生み出されたものこそ、真の人間全体の受け継ぐべき伝統であり、文化なのである。
光射す道
はじめに神は天と地とを創造された。地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。神は「光あれ」と言われた。すると光があった。
これは、聖書の根本的な真理を述べたものである。天地を創造された時には、混沌と空虚、闇と得体の知れない深淵があった。しかし、そのような暗黒と深淵のうえに、神からの霊は吹いていた。今も、同様である。どのような暗黒であっても、計り知れない深みであっても、そこには神からの風が吹いている。霊の風が吹いている。
そして、光あれ、と神が言われる。このように、聖書は最初から、人類全体に対しての永遠のメッセージを告げることからはじまっている。
そしてその光は、深い闇によって覆い隠される。それが、カインとアベルの事件である。最初の家庭が兄弟殺し
をするという目をそむけたくなるようなことをする。そのような闇はノアの記述においても、みられる。
主は、地上に人の悪が増し、常に悪いことばかりを心に思い計っているのを見て… (創世記六・5)
ここに記されているように、光が射しているのに、それをさえぎってその光を受けようとしないのが人間なのであった。そうした闇にあっても一人の人間がその神の光を十分に受けようとした。それがノアである。「ノアは、神と共に歩んだ」とある。これは、光なる神と共に、ということであるから、光を受けて歩んだのを示している。
こうした光を受けた人が次の世代への大きな橋渡しとなっている。神の言葉、命と光を受ける者こそは、同時代の人達に神への橋渡しをするだけでなく、未来の世代へと橋渡しをするものとして用いられる。祭司とは、ラテン語では、「橋を造る」(*)という意味の語である。
(*)ラテン語の祭司という意味の言葉は、ポンティフェックス pontifex であるが、これは、ポンス pons (橋)という語と、ファキオー facio (作る)という語からできた言葉であり、「橋を作る」という意味になる。
その後、長い世代がすぎて、バベルの塔が建てられたことが記されている。
…世界中は同じ言葉を使って、同じように話していた。
東の方から移動してきた人々は、「れんがを作り、それをよく焼こう」と話し合った。石の代わりにれんがを、しっくいの代わりにアスファルトを用いた。
彼らは、「さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう」と言った。
主は降って来て、人の子らが建てた、塔のあるこの町を見て、
言われた。「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなことをし始めたのだ。…降って行って、直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう。」(創世記十一・1~7より)
世界中は同じ言葉を使って、同じように話していた。それゆえ、人々の間には、一つの言葉で通じ合えるゆえの一致があったと言えよう。しかしそうした一致を覆したのは、人間の傲慢さであった。「天まで届くような塔のある町をつくって、有名になろう。」という一言が記されている。
このような、人間の技術の力で大きなことができる、天にまで届かせるといった考えは、現代でいえば、科学技術など人間のわざで特別に人間を惹きつけるものを造り、そうしたものによって人間の心を一つに結びつけようとすることに相当する。
科学技術でなくとも、さまざまの人間の文化、例えば、スポーツ、音楽などの芸術、学問もそれぞれに人間を一つにするところがある。例えば、ベートーベンの第九交響曲の歓喜の歌のコーラスを共にすることによって、関係のなかった人達が一つになる、というようなことは多くある。スポーツの観戦で、同じチームを応援することによってやはり子供も大人も、性格が全く異なるような人も、一つになってくるというようなことである。
しかし、そうしたことが、人間の力に頼って人間の力によって一つになれるのだと、思うとき、そこに大きな誤りが生じる。確かに前述のような人間の営みによって部分的、あるいは表面的に、そして一時的に一つになることはある。しかし、一度病気になってそのようなコーラスができなくなった途端に一つと思っていたことが実は影のようにはかないものであったことに気付くのである。
世界中が、同じ言葉で、分かり合える状況にあった。しかし、そのような一致を真理のために用いるのでなく、人間を統合して、どこまでも大きなものをつくること、そしてその権威、力を誇示するために一つの言葉を用いようとした。日本など、戦前は、となりの国を占領して自分の国とし、自分の国語を強制的に使うようにした。このように、一つになるということは、しばしば悪用される。
レンガを用いて造った、そこにももろさが象徴的に現れている。エジプトのピラミッド、イスラエルの神殿などの例でもうかがえるように、この地方の建物は概して石によって造る。しかし、このバベルの塔は土を焼いたものであるレンガで造られたと記されている。
現在においても、強固な石であるキリストの代わりに、もろい単なる日本の伝統とか文化というものを土台としようとしている。例えば、戦前の日本では伝統の根源は天皇だとされていて、かつての教育勅語は、教育の根源は天皇にあり、という内容であった。
天皇というふつうの人間を神だとして、祭り上げることによってその天皇の名によって強制的に、人間を一つにしようとした。八紘一宇(*)というのが戦前の合い言葉のようなものであったが、それはバベルの塔に関して書かれていることが現在においても行なわれていることを示す実例だといえよう。
(*)八紘一宇という言葉に含まれる、「紘」とは、「(張りわたした)つな」のことで、「八紘」とは、「大地にはりわたした八本のつな」の意味となり、「大地の八方のはて」を意味する。また、「宇」とは、「大きな屋根、家」を意味する。それゆえ、八紘一宇とは、「世界を一つの家にする」という意味となり、その家長に天皇がなるのだ、といったことが言われていた。太平洋戦争のときに、日本のアジアへの侵略戦争を正当化するためにこのような言葉が標語のように用いられた。
このような、状況を見抜いてこの個所は書かれているといえる。創世記には素朴な神話的なように見える表現の中に、こうした深い洞察が随所に折り込まれている。強制的に権力や武力で一つにされたとき、その集団は国家であれ民族であれ、自由を失う。そして方向が間違っていく。これは、戦前においても、日本やドイツ、イタリアなどでとくにみられた現象であるし、戦後には、ソ連や中国、東ヨーロッパなどで、そのようなかたちで一つにされていった。また、現在では、イスラム原理主義と称する人達の一部が、暴力、テロをもって、異なるあり方をしようとする人達を締め出していこうとしている。
現代では、核兵器がこうした「バベルの塔」のごときものになっている。核兵器を造り、それによって世界をこのような、権力やそこから作り上げた組織、王、支配者などによって一つにしようというのである。核兵器を持った国が中心となって一つにしようというわけである。日本もいわゆるアメリカの核の傘の中にいることで安全を保っているのだ、だからアメリカとの同盟が重要なのだ、といわれる状況がある。
再び、バベルの塔の記事に戻ると、このような人間のやり方を神は見つめておられる。そして時至ってその間違った動きにさばきを行なわれたと記されている。それが、「言葉を乱す」ということであった。人間的な考えや組織といったもので一つにしようということは、必ず壊れていく。その最初の現象は、「言葉が通じなくなる」ということである。戦前のような権力で支配しようとすること、天皇を現人神として礼拝を強要していくこと、そこから日本しか通じない状況となっていった。八紘一宇、天皇が現人神である、聖戦、鬼畜米英、一億総玉砕、等々といった言葉は、日本しか通じないものであって、そのようなことを国民全体が常にふりかざしていくという異常な事態となった。
現在において、イラク戦争という世界的な問題において、アメリカが突出してそれを正義の戦争だと言ってきたが、アメリカがその軍事力や富の力という、バベルの塔のようなものをバックにして強引に事をなそうとすることによって、次第に世界の国々と言葉が合わなくなっていった。言葉とは、心の外に出たものであって、心が一致しなくなっていったと言えよう。
このようなことは、こうした日本や世界の歴史や社会的状況だけでなく、もちろん個人においても成り立つ。自分が、目立つこと、注目されることをして有名になろうといった心は、必ずさばきを受ける。そして他者との心の真実な交わりは必ず壊れていく。それは神がなされることである。
自分中心の心を第一にする、これは神からの光を妨げることになる。
そうしたあり方に対して、光を受けた道を歩む場合には、武力や権力なくして一つになる。キリストの弟子たちは、主イエスが逮捕されたとき、自分たちが逮捕されるわけではなかったにもかかわらず、主の後についていくこともせず、逃げてしまった。しかし、その後、復活されたイエスの言葉を思いだして、一つになって真剣な祈りを捧げていた。復活のキリストを一番大切な存在として受けとる心は、おのずから一つになっていく。
そうしてそのような一つになっての熱心な祈りによって聖霊が授けられ、その聖霊はさらに信じる人達を一つに結びつけ、財産をも捧げ、共有しての生活という驚くべき状況がはじまったのであった。
それゆえ、一つになるのは、神によってであり、神の光を受けるときに、永続的な関わりが生れる。
聖書においては、バベルの塔の建設が神のさばきを受けて、人々は通じ合うものを失ったという状況になった。そうした人間の歩みのなかに、神の時が訪れて一人の人間(アブラハム)にとくに光が当てられた。
その光は、神を示し、神の言葉だと確信させるものであった。光のゆえに周囲の人達が分からなかったことをアブラハムだけが理解し、その確実さをもその光のゆえに悟ることができた。それゆえに彼は旅立った。神の言葉が聞こえた、ということは、霊の目でその言葉を語りかけたお方を見たということでもある。
アブラハムに語りかけた神は、彼が親族とともに留まろうとしていたところで、アブラハムに語りかけた。そこに安住してはいけないこと、神の指し示す地に行かねばならないことを語りかけた。そしてアブラハムはその言葉に従って出発した。
アブラハムの孫であったヤコブにおいては、ヤコブを殺そうとする兄から逃れ、遠く離れた土地へと旅立っていった。そのときには、彼はただ自分の命を守るため、母親の命令に従って出発した。また、この遠い地への旅立ちは、エサウが神を知らない民族の女と結婚したゆえに、ヤコブには同じ神を信じる親族と結婚させたいとの願いもそこにあった。
いずれにしても、一人で親元から旅立って未知のところへと赴くとき、神が現れたのである。それはそこに光が射してきたことを意味する。未知の道であっても、そして、まだ信仰といってもごく未熟な者であっても、天来の光が注がれる。
…ある場所に来たとき、日が沈んだので、そこで一夜を過ごすことにした。…彼(ヤコブ)は夢を見た。
先端が天まで達する階段が地に向かって伸びており、しかも、神の御使いたちがそれを上ったり下ったりしていた。
見よ、主が傍らに立って言われた。
「わたしは、…主である。あなたが今横たわっているこの土地を、あなたとあなたの子孫に与える。
あなたの子孫は大地の砂粒のように多くなり、西へ、東へ、北へ、南へと広がっていくであろう。地上の氏族はすべて、あなたとあなたの子孫によって祝福に入る。
見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない。」(創世記二八・11~15)
危険と孤独、そして不安をかかえての道において、このような天の世界が開かれ、そこからまざまざと神の祝福を見て、神からの祝福と約束の言葉を受けた。これこそ、現代の私たちにとっては、御国への道を象徴するものである。
このような聖書の記述に対比して、日本の作家の世界を見てみたい。
光なき世界
夏目漱石は、日本での代表的作家である。彼が書いた作品のうち、「こころ」は、死の二年前に書いたものであって、晩年の漱石の精神的な世界が現れている。そしてこの作品は、岩波文庫のうち、最もたくさん読まれてきた本である。
しかし、それは、そのタイトルが、だれにでも関心のあるものであるからだろう。「こころ」といえば、だれにでもイメージが湧く。心に喜びや不安、安心、怒りなどを感じるのは人間ならだれでも持つ感情だからである。
しかし、この作品の内容は、私たちの心を強くしたり、明るくしたり、あるいは清めたりするであろうか。私は中学から高校にかけての年代に読んだとき、何か暗くてもやもやした心になったことを覚えている。それは当然であった。
男女の心の問題で、自分の心の中を遺書というかたちで書き綴ったものであるが、それはごく親しい存在であった友人が、自分の心を惹いていた女性と心が通うようになったことを知り、その友人を裏切るようなかたちで、自分がいわばもぎ取ってしまったように結婚したことから、その友人が、自殺してしまう、そこからその女性と結婚した人が長い苦しみをその心に持つようになり、ついにその重さに耐えられなくなって、自らの命を断ってしまうというものである。人間の心がいかに罪深いものであるか、そしてその暗い力に勝つことができずに打ち負かされていくか、またその罪を感じて苦しむ心をだれにも訴えることができない孤独と重苦しさが一貫して漂っている。
これはまさに光なき道である。友人もその闇を脱することができなかった。遺書を書いた当人も同様である。
この本の中に、罪の根の深さを記したところがある。善良に見える人間が、突然悪人になる、という。
…しかし、悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型に入れたような悪人は世の中にあるはずがありませんよ。
平生はみんな善人なんです、少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。…(「こころ」二八より)
「こころ」の主人公そのものが、そうした人間であること、また作者の夏目漱石自身が自分の内にそうした本性があることを知っていたことを示している。主人公の「先生」が、友人が自らの命を断ったのを知ったとき、その主人公の心が次のように書かれている。
…私は棒立ちに立ちすくみました。それが疾風のごとく私を通過したあとで、私はまた、ああしまった、と思いました。
もう取り返しがつかないという黒い光が、私の未来を貫いて、一瞬間に私の前に横たわる全生涯をものすごく照らしました。そうして私はがたがた震え出したのです。…(「こころ」四八より)
自分の奥底にあった自分中心の考え、それが親しかった友が命を自ら断ってしまうという重大なことへとつながってしまったのだと分かったときの内面に生じた世界がリアルに表現されている。
それまで自分がこんな悲劇の引き金を引くようになるとは全く考えてもみなかった。
「先生の前途には、黒い光が未来を貫いて全生涯をものすごく照らした」という表現のなかに、人間が心ならずも犯してしまった罪によって取り返しのつかない事態が生じ、そのために、自分の生涯は黒い光で照らされてしまうという意味が含まれている。
これは赦されない罪を犯して取り返しのつかない事態を招いてしまった人間の心の世界の断面を鮮やかに浮かび上がらせている。このような黒い光に照らされ、以後真実な喜びを感じることができなくなった人、生きる力を失い、ついに生きていけなくなった人が数知れずいることであろう。
漱石の作品にあるのは、人間の中に潜む自分中心という悪、すなわち聖書でいう罪ということであり、気付かないような心の奥底に潜む暗いものをこのような形で、明るみに出したのである。
しかし、そうした人間の罪を知ることだけに、心を鋭くしても、そこから出て行くところがない。そのような重苦しい人間の奥深いところの現実を明るみに出され、登場人物の内に、そして著者の心の内にある深い闇を知らされ、さらにそれが自分の内にもあることを知らされる。その闇を照らす光がないなら、その自分中心という罪を深く知れば知るほどますます人間の心は立ち上がれなくなっていく。
今もそうした黒い光に自分のこれからの道を照らされ、どうすることもなく崩れ落ちていく魂が無数にいるであろう。
つぎにもう一人の文学者をあげよう。それは石川啄木、教科書で必ず出てきた人物である。
はたらけど
はたらけど猶わが生活(くらし)楽にならざり
ぢっと手を見る
という詩は今も覚えている。しかし、この有名な詩のすぐ手前には次のような詩がある。
どんよりと
くもれる空を見てゐしに
人を殺したくなりにけるかな
一度でも我に頭を下げさせし
人みな死ねと
いのりてしこと
初めてこの詩を目にしたとき、教科書に必ず掲載される明治時代の代表的詩人の一人というような人の内面がこのようなものを持っていたのかと驚かされた。これは、真の光を知らなかった詩人が、人間がその奥深いところで持っている暗い罪をリアルに表現したものだと感じたのである。啄木は、生活を正しくすることができず、「その経済生活は無茶なもので、家族を友人の手にまかせたまま、送金もせずに放置するなど、無軌道放縦をきわめた」という。(伊藤整の「詩人の肖像」による)
それは、繊細な感受性が光を受けなかったゆえに、満たされることがなかったゆえであろう。
しかし、このような暗い心情が人間のなかにあるのをすでに聖書は数千年も昔に明確に記している。聖書で初めての家族であるアベルとカインの間に生じたことである。カインはねたみから、アベルの命を奪ってしまったという記述である。
人間は相手を愛することができず、ねたみや憎しみを持つような心、相手が気に入らないと、その存在を抹殺してしまおうとするような心が潜んでいる。
こうした暗い心がだれにでもあるが、それは幼いときには目立たずにいるが大人になるにつれてそれがふくらんでくる。そこからさまざまの犯罪やよくないことが生じていく。
最近のいじめの多発ということ、子供の自殺などということも、じつはそうした内にひそむ人間の闇の部分が、ゲームや俗悪な番組などによって早くから触発されてきたことにある。
それゆえ、法律とか制度とかがどのように変えてもだからといって、そうした人間の内に宿る深い闇が消えることはない。
日本の文学にはこうした死の力、闇の力を越えることのできない暗さがたちこめているのが多い。すでに芥川龍之介、川端康成、有島武郎、三島由紀夫、太宰治、最近では江藤淳など、自らの命を断った著名な文学者、作家が多い。漱石のような博学多才な人であっても、その作品には死の力、罪の力を越えることのできない暗さが漂っている。
「アンナ・カレーニナ」が指し示すもの
以上のような、日本の代表的作家の内面の世界と対比して、ロシアの思想家、文学者でもあったトルストイの作品について見てみよう。彼の代表作の一つ、「アンナ・カレーニナ」は、まさにこの黒い光に照らされ、生涯を照らしだされて生きていけなくなった一人の女性の魂の風景が描かれている。
「…愛の終わるところには、もうきっと憎しみがはじまっているものだから。…どこまで行っても家ばかりだ…そして家の中には、どこへ行っても人がいる…。どれくらいいるのか見当もつかない。そしてそれがみんな憎み合っているのだ。…いったい、私たちはみんなお互いに憎み合い、そして自分をも他人をも苦しめ合う、ただそれだけのためにこの世に放り出されているのではないだろうか?
」…
そして彼女は愛と名付けていたもののことを、嫌悪の情をもって思い起こした。
「…みんな同じことなんだわ。どこへ行っても、いつの世にも。」
…もう何も見るものがないという時に、なぜロウソクを消してはいけないのだろう? だけどどうして消したらいいだろう。…何もかもみんな本当じゃないわ、みんな嘘だわ、みんな偽りだわ。みんな邪悪だわ…」
このように、自分がそれまで愛だと思っていたものが、まったくそうでなく、憎しみに容易に転化することを知ったとき、一番大切に思っていたものがそんな本性を持っているのだとわかり、この世に絶望していく。この世のものがみんな嘘なのだ、真実などあり得ない、と思うようになったとき、生きていく力も失せていく。まわりの人からうらやまれるようなこの世のはなやかな生活や生まれつきの美貌などは、そうした闇の力には何の対抗する力も与えることができなかったのである。そして、ついに走り来る列車に身を投げてしまう。
…彼女は、車輪の下に倒れ込み、すぐまた立ち上がろうとするように膝をついた。とその瞬間に彼女は自分のしたことにぞっとした。
「私はどこにいるのだろう。私は何をしているのだろう。何のために?」
彼女は身を起こして飛び去ろうとした。だが、巨大な、無慈悲なものが彼女の頭をぐわんと突いて、その背をつかんで引きずった。「神様、お赦し下さい!」と彼女は口走った。
不安と、欺きと、哀しみと邪悪に満たされた書物を彼女に読ませていたロウソクが、いつにも増してぱっと明るく燃え上がり、今まで闇に包まれていた一切のものを彼女に照らして見せたと思うと、たちまち音を立てて暗くなり、そして永久に消えてしまった。(「アンナ・カレーニナ」トルストイ著 第31章より」)
アンナが読んでいた書物とは、この世であり、それを読むために彼女が用いていた「ロウソクの光」とは彼女の理解力や判断力であった。しかし、そのような光によっては世の中の不安や哀しみ、そして悪しか目には入らなかったのである。それは、すでに述べたように夏目漱石が「黒い光」といっているものと似通ったことだと言えよう。それは、最終的には人間の命を支えるものでなく、ついには滅びへと向かわしめるものでしかなかった。
しかし、こうしたアンナの悲劇的な最期後は、人間に深くまとわりついている闇の力の延長上にあるゆえに、単に小説上でのことでなく、いつでも人間が直面することを暗示していると言える。
トルストイのこの作品では、このアンナの闇に向かう歩みと平行して、もう一組の男女が対照的に描かれている。それは、レーヴィンとキティである。
このレーヴィンこそが、この「アンナ・カレーニナ」という作品の本流なのである。この世には、二つの大きな流れがある。一つはアンナとウロンスキーという一組の男女に象徴された流れ―これは、すでに述べたように最終的には破滅へと向かう流れであり、そしてもう一つがレーヴィンとキティという一組の男女に象徴された流れであって、それは、神の国へと向かっていく。
レーヴィンの心には、アンナの死後に大きな変化が生じていく。彼は、「自分とは何であるのか、また何のためにこの世に生きているのであるか」ということが次第に大きな問題となっていく。
…終日レーヴィンは、管理人や百姓たちと話していても、家で妻や子供たちなどと話していても、この、ただ一つのこと―そればかりを考えていた。そして、「自分とは何者か、自分はどこにいるのか?
何のために自分はここにいるのか?」こういう自分の疑問に答えになりそうなことを、あらゆるものの中に求めていた。
結局みんな死んでしまうのだ。自分も埋められてしまって、何も残らなくなってしまうということなんだ。こうしたすべての仕事など、何のためなのだ …という疑問である。そのようなとき、ある農民との会話のなかで強く引かれる言葉があった。その百姓が知人の老人フォカーヌイチについてこう言った。
…「フォカーヌイチこそは、まっとうな年寄りだ。あの人は、魂のために生きている。神様を覚えている。」
どんな風に神様を覚えているのだ? どんな風に魂のために生きているんだ?」とレーヴィンはほとんど叫ぶように言った。「分かりきったことじゃありませんか。真理に従って、神様の言葉に従って、生きていくだけですよ。」
「そうだ、そうだ、じゃさようなら!」とレーヴィンは向きをかえて急ぎ足でわが家に向かった。
「フォカーヌイチが魂のために、真理に従い、神の言葉に従って生きている」と言った、農民の言葉を耳にすると同時に、おぼろげではあるが、意味深い考えが群れをなして、今まで閉じ込められていたところから、急に飛び出して来たかのようであった。
そしてそれらの考えは、みな一様に、一つの目的に向かって突き進みながら、その光で、彼の目をくらませながら、彼の頭の中で渦巻き始めた。
レーヴィンは、これまで一度も経験したことがない精神の世界に聞き入りながら、広い街道を歩いていった。
農民の言った言葉は彼の心に、電気の火花のような作用を起こして、これまで一時も彼を離れたことのない、断片的な、力のない、ちりぢりばらばらのおびただしい考えを、突如として変形させ、一つのものに結合した。(*)(「アンナ・カレーニナ」第八編12より)
(*)印象的な個所なので、一部の英訳をあげておく。
The words uttered by the peasant had acted on his soul like an electric
shock, suddenly transforming and combining into a single whole the whole
swarm of disjointed, impotent, separate thoughts that incessantly occupied
his mind.
ここには、トルストイ自身の大きな魂の突然の変化を背後に感じさせるものがある。彼自身、若いときからさまざまの罪、欲望に悩まされ、魂はさまよってきたのであったが、あるときから根本的な変化を遂げて、それまでとは全くことなる内容の作品を書き始めた。それは、福音書の山上の教えにあるような内容に沿ったものとなった。
目に見える財産、地位、名声あるいは自分の考えや欲望のために生きるのでなく、目に見えない魂のため、神のために生きるということに、決定的な転換を遂げたのであった。
… 自分たちのためでなく、神のために生活する。いったいどんな神なのか。あの男は自分たちの必要のために生きてはならないと言った。…そして神のために生きなければならないというのだ。しかも、どうだろう。この無意味に見える言葉を私は理解しなかっただろうか。あいまいな不確実なものとでも思っただろうか。
いやいや、私はあの男の言ったことを、彼が理解していると全く同じに、完全に理解したのだ。…真理のため、神のために生きなければならない、と言った。すると私は、ただその短い言葉だけでそれを理解してしまった。…私は過去において自分に生命を与えていてくれるその力を理解したのだ。
私は虚偽から解放されて、主人を認識したのだ。…
今や彼には、自分が生活を続けることができたのは、ただただ自分が育まれた信仰のおかげにほかならないことが明らかになった。
『もし自分がこの信仰を持たず、自分の必要のためでなく、神のために生きねばならないということを知らなかったら、私はどんな人間になっていただろう。略奪したり、嘘をついたり、人殺しなんかもしたかもしれない。現在自分の生活の喜びとなっているものが、一つも自分のためには存在しなかったかもしれない。』…
私は、あの農民と共通のこの喜ばしい知識(神と魂のために生きること)を、私の魂に平安を与えてくれる唯一のものであるこの知識を、いったいどこから得てきたのだろう。どこから取ってきたのだろう。…そうだ、私が知っているこのことは、理性によって知っているのではない。それは自分に与えられ、自分に啓示されたのだ。…
こう言って、レーヴィンは長い魂の遍歴についに終りを告げて、明確な目標を与えられ、生きる意味を確信するに至った。そしてそのような重要なことを、学者や宗教家、あるいは芸術や政治などの有名人からでなく、学問もなにもない庶民である老人の農夫との対話から得たのであった。
真理はこうして幼な子のような心もて神を仰ぐ者に啓示されるということを示している。
この作品の最後は、自分が今までと同様にいろいろと罪も犯し、感情的になるかも知れないが、これからの全生活は、自分に今後何が生じようとも、生活の一つ一つの時が、今までのように無意味でなくなり、良き意味を持ってくるのであり、その意味を自らが与えることができるようになるということで終わっている。神と、人間の魂のために生きることこそ、人間の目的だという真理を見出したとき、生活のあらゆることが良き意味をもって迫ってくる。そうした深い魂の感動とそこに与えられた力が、その後のトルストイの三〇年余りの驚くべき著作活動、しかもそれが、しばしば国家的、宗教的な権力との戦いともなっていくのである。
そして、トルストイは、この作品を完成させた後、翌年にそれまでの自分の生きてきた道を鋭く見つめて、告白をし、「懺悔録」を書いて、その後新約聖書の福音書の精神をもとにした民話などを書くようになった。その福音書の精神によって、戦争への反対を強力に主張するようになった。
そしてこのキリストを模範とする非暴力、非戦の思想が後に、ガンジーに大きく影響を与え、そのガンジーの思想と生きた歩みが、アメリカの黒人牧師、マルチン・ルーサー・キングを非暴力の抵抗運動の指導者とするのに強力な導きとなったのであった。一人の人間の魂に示された光の射す道、それはこのように、単に個人の平安を得るという狭いところにとどまるのでなく、広く世界へと広がり、現在もその余韻を残し続けているのである。
このように、トルストイが福音書の中に見出した光は、その後も世界的に重要な社会的、政治的な動きのなかにも、射していったのである。アンナ・カレーニナという作品は、闇の道、死に至る道と、光射す道とが徐々にはっきりとその違いをあらわしていくその道程を指し示しているのであり、単なる恋愛文学とは全くその性質を異にしている。
そして自らの歩みをそこに投影させ、それゆえにさまざまの登場人物が読む者にありありと生きて働いているように感じさせることになっている。
日本の文学者、詩人たちが光の射す道を見出せなかった人が実に多いのに対し、米英やロシアの文学にはトルストイのように光射す道を知ったものが多い。それはいうまでもなく、聖書とキリストがあったからである。
旧約聖書においてすでに、この闇と混乱の世界に光が射している、しかもそれは神の光であり、永遠の光なのである。
イスラエルの民がエジプトにて苦しい労働を強制され、それにもかかわらずに増え続けるために、生れた長男はナイル川に投げ込めとの命令が下され、民族が滅ぶという瀬戸際に追い詰められる、闇に包まれた状況におかれた。そのとき、神の強力な光がモーセという人間に注がれ、彼は万難を排してエジプトからイスラエルの人々を救い出すという大事業に着手する。神の光が射した者には、だれも考えたことのない力と独創的な考えが与えられるからである。そして生きることの困難な砂漠地帯を、昼は雲の柱、夜は火の柱が彼らを守り、導いたと記されているように、光射す道を、「乳と蜜の流れる地」へと神に導かれて人々と歩んで行った。
そしてさまざまの苦難を経て、ついに目的地について民はしばしば大きな罪を犯す。しかしそれにもかかわらず、神は特別な人を選んで、光の道を示し民を警告し、神の道の歩みをさせたのであった。
キリストより千年ほども昔、羊飼いの息子であったダビデは数々の苦難を経て王となり、多くの詩編のもとになったと思われる重要な詩の数々を作り、光を受けた魂がいかなるものであるかを示し、以後三千年にわたって絶大な影響を世界に与えたのである。
そのなかで最もよく知られた詩編と言えるものは次のような内容を持っている。
主はわが羊飼い、
私には乏しいことがない。
主は私を緑の牧場に伏させ、
憩いのみぎわに伴って下さる。
たとえ死の陰の谷を歩むとも、災いを恐れない。
主が共にいて下さるから。
これは、まさに光射す道を歩んでいる魂の姿である。死の苦しみが襲いかかってくるようなときであっても、神からの光を受けるゆえに恐れないで歩み続けることができる。 たとえ敵のただ中であっても、その中で心によき賜物を与え、満たして下さるという言葉がこのあとに続く。
死の陰の谷、それは黒い光の射す道であり、そこを歩くときに天よりの光なければ、すでにあげたトルストイの作品の中のアンナのように、また漱石の「こころ」の主人公のように、ついに倒れてしまうであろう。
しかし、そこに主の光あるゆえに、そのような暗い道がうるおいある道となり、憩いの水ぎわへと導かれる道となり、よき魂の食物を与えられ、新たな力を与えられて歩むことができる。
この詩編とともに、主イエスの十字架上での出来事をリアルに預言している詩編二二編について見てみよう。
わが神、わが神、
なぜわたしをお見捨てになるのか。なぜわたしを遠く離れ、救おうとせず
呻きも言葉も聞いてくださらないのか。…
わたしを見る人は皆、わたしを嘲笑い、
「主に頼んで救ってもらうがよい。主が愛しておられるなら
助けてくださるだろう。」
わたしを遠く離れないでください
苦難が近づき、助けてくれる者はいないのです。
あなたはわたしを塵と死の中に打ち捨てられる。
骨が数えられる程になったわたしのからだを
彼らはさらしものにして眺め
わたしの着物を分け
衣を取ろうとしてくじを引く。
主よ、あなただけは
わたしを遠く離れないでください。わたしの力の神よ
今すぐにわたしを助けてください。(詩編二二・1~20より)
もう生きる希望もないほどに激しい苦しみの連続から神に向かって叫び続ける魂の姿がここにある。神が見捨てたのだとしか思えないほどの恐るべき状況に投げ込まれた姿は、十字架上でのキリストが受けたあざけりの一部がそのままであるし、ことに冒頭に置かれた、「わが神、わが神、どうして私を見捨てたのか!」という叫びは、そのまま主イエスの最期の叫びとなっている。それほどにこの詩は果てのない闇に置かれた人間の状況を表している。
しかし、そのような死の淵にあって、どれほどの歳月が経った後であろうか。神からの光が射してこの作者は救われ、次のように神の力と愛を広く伝えずにはいられなくなったのであった。
わたしは兄弟たちに御名を語り伝え
集会の中であなたを賛美します。
主を畏れる人々よ、主を賛美せよ。主は貧しい人の苦しみを
決して侮らず、さげすまれません。御顔を隠すことなく
助けを求める叫びを聞いてくださいます。…
地の果てまで
すべての人が主を認め、御もとに立ち帰り
国々の民が御前にひれ伏しますように。
子孫は神に仕え
主のことを来るべき代に語り伝え
成し遂げてくださった恵みの御業を
民の末に告げ知らせるでしょう。(同25~32より)
このように、いかに深い闇と絶望的状況に置かれていても、神を信じて叫び続ける者に神は光を与えられ、その人は滅びから救い出され、新たな光の射す道を歩み始める。
こうした光の道は、さらに旧約聖書の預言書にもはっきりと見ることができる。とりわけ、イザヤ書の後半には旧約聖書全体で最も意味深い光を預言者に注ぎ、そこからキリストの受難という福音の中心にかかわることが示されている。これはその預言から、五百年余りも後になってイエス・キリストがこの世に生れて実現するような遠大な出来事が預言されている。いかに大いなる光が注がれたかがうかがえる。時代を越え、あらゆるこの世の転変を越えて光は射しているのがわかる。
また、そのイザヤ書の最後の部分には、「新しい天と地」ということが啓示されている。この世の腐敗や混乱と闇はいつまでも続くものではない。それは神の定めたときまでであり、時至ればすべてのものが新しくされる。
見よ、わたしは新しい天と新しい地を創造する。
初めからのことを思い起こす者はない。それはだれの心にも上ることはない。
代々とこしえに喜び楽しみ、喜び躍れ。…(イザヤ書六五・17~18より)
このイザヤに与えられた光は、世の終わりまで照らしだしてその結末を指し示すほどの力を持っていたのである。このような不滅の光によって照らされて歩むのが、神を信じる人たちである。
さらに、旧約聖書の最後には、次のようにある。
…しかし、わが名を畏れ敬うあなたたちには
義の太陽が昇る。
その翼にはいやす力がある。あなたたちは牛舎の子牛のように
躍り出て跳び回る。(マラキ書三・20)
ここには、創世記の冒頭にあった、闇に光あれ、との言葉に呼応するように、悪へのさばきが行なわれるそのただ中に、正義の太陽が昇る、と預言されている。神を信じて歩んできた者たちには、永遠の光が射してくるということなのである。
それはまた、旧約聖書においてもすでに、その巻頭から、終りまで、光ある道を宣言しているといえよう。
このような光の預言は、キリストにおいて完全に実現されることになった。それゆえ、ヨハネ福音書の冒頭に、創世記の光こそは、キリストであると記している。
言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。
光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。(ヨハネ福音書一・4~5)
ここで「言」と訳されているのは、イエスが地上に来るまでの存在を表しているゆえに、霊的なキリストとして受けとることができる。キリストこそ神のすべての本質を受けて、地上に来られたのであり、まさに闇に輝く光そのものであるとこのヨハネ福音書の冒頭は宣言しているのである。
それゆえ、キリストと共に歩むことはそのまま、光射す道を歩むことになり、主イエスが、「私に従う者は暗闇の中を歩まず、命の光を持つ」(ヨハネ八・12)と言われたのであった。
そして新約聖書の最後には、キリストご自身が次のように語ったと記されている。
…私は、ダビデのひこばえ、輝く明けの明星である。(黙示録二二・16)
このような存在であるキリストを待ち望むということこそ、キリスト者の願いとなる。いかなる混乱や戦争、飢饉、ひどい感染病等々がいかに襲ってこようとも、神とキリストの光はいつもこの世界に輝き続けていく。そして再び新たな光たるキリストが来られてすべてを完全になされることを信じて歩みを続けさせていただきたいと思う。
「あなたの御言葉は、わたしの道の光、わたしの歩みを照らす灯。」 (詩編一一九・ 105 )
詩の世界から
星の光を
貝出 久美子
雨のように降り注ぐ
この清らかな星の光を
天を仰いで両手に受けよう
あふれるほどに光を受けたら
この世の闇に届けに行こう。
夜空の闇の深いほど
この世の闇の深いほど
星の光は強く輝く
キリストの光は強く輝く(詩集第四集 「ともしび天使」より)
星
伊丹 悦子
ひとつの星を
胸に抱いて生きる
だれに言われたことでもないけれど
しずかに
しずかに
しずかに
だれの心にも
澄んだ かすかなあの声が
きこえるように
ひとつの星を
胸に抱いて眠る
くらい夜にも輝きわたるように
真(まこと)に美しいものよ
だれのこころの内側にも
宿ってください
(貝出、伊丹両氏とも徳島聖書キリスト集会員)
星は輝く
…星はおのおの持ち場で喜びにあふれて輝き、
神が命じると、「ここにいます!」と答え、
喜々として、自分の造り主のために光を放つ (旧約聖書・続編 バルク書三・34~35)
The stars shone in their watches, and were glad;
he called them, and they said, "Here we are!"
They shone with gladness for him who made them.
・星の輝きを見てこの著者は、輝かしい喜びがそこにあるのを感じ取ることができた。ふつうに見ていればそのような喜びなど、到底星の光のなかに感じられないだろう。神の御手に触れていただいた魂は、星にすら、神の喜びが満ちているのを知っていたのである。
煉獄の旅を終えて
私は新緑の木の葉を新しくつけた
若木のような清新なすがたとなって、
聖く尊い波の間から戻ってき、
星をさして昇ろうとしていた。(ダンテ作 「神曲」平川訳 煉獄編の最後の部分)
さて、かのいとも聖なる波より引き返したる我は、
あたかも新しき葉をもて
新しくされたる新しき草のごとく、
天上の星にのぼりゆくにふさはしく、
清らかなりき。(「神曲」生田長江訳 一九二九年 新潮社版 世界文学全集より)
休憩室
○レクイエム
クラシック音楽とくに、キリスト教音楽を愛好する人たちによく聴かれているのは、レクイエムという音楽で、特にモーツァルトやフォーレ、ヴェルディのものが有名です。レクイエムという言葉は、「鎮魂曲(ちんこんきょく)」と訳されています。しかし、鎮魂とは、「魂を鎮める」
ということで、これは、死者の魂がそのままにしておくと、祟りや自然災害などを起こすというように信じられていました。そのために、遺族たちがいろいろな供え物を捧げるなど儀式を続けて、それを鎮めるということが行なわれていたのです。これは現在でも、死者に食物を供えるのはそうした意味があります。とくに、災害や戦争、事故など突然の死においては、肉体と魂が突然切り離されるので、魂が不安定で落ち着き場を求めて、他人を苦しめたり、天地異変とか疫病の流行となったり、作物の害虫がはびこったりすると考えられていました。そうした、落ち着き場のない魂を、中世では、御霊(ごりょう)、怨霊(おんりょう)、物の怪(け)などと言い、近世では、無縁仏(むえんぼとけ)、幽霊などといいます。
こうした魂を鎮めるのが、鎮魂(たましずめ、ちんこん)ということであり、これはキリスト教とは全く無縁の日本の古代からの宗教的考えに由来するのです。
レクイエムという語は、ラテン語の requiem であり、これは、requies (静まること、休養)の対格(英語でいえば、目的格)の形です。なぜ、対格なのかと言えば、レクイエムという音楽は、「永遠の安息を彼らに与えたまえ
、主よ」という言葉から歌い始めるので、安息という語は対格となります。そしてこの歌の最初の出だしが原文では、requiem aeternam dona eis,… となっているからです。この語は、re (繰り返しや強調を意味する接頭語)と、 quiem から成っていて、後者は、ラテン語の quiescere(クイエースケレ 休む)、 quies(クイエース 休息、安静)などの関連語で、休む、静まる という意味を持っています。これは、英語の quiet(静かな)の語源にもなっています。
このようなことから、レクイエムという言葉は、「死者に永遠の安息が与えられますように」、という祈りのなかの、「安息」と訳された原語なのです。 キリスト者は死ねば、主イエスと同様に神のもとに帰るという信仰があります。神のもとでの永遠の安息を祈り願うのがこの、レクイエムという音楽なのです。
それゆえ、魂が荒ぶって、人間に祟り、病気や天地異変などを起こすからその魂を鎮める、という意味の鎮魂とは、意味が全く違うのです。
このように、日常的にごく普通に音楽の世界で使われている語が、本来の意味と全く違う意味の言葉に訳されてそれがマスコミでも文化人の世界も使われています。
これも、こうした鎮魂といった言葉の意味について学ぶところがなく、だれかが訳せばそのまま間違った意味のままに広がっていったといえます。
○晩秋の山野
秋になると野山には、ヤマシロギク、リュウノウギク、ノコンギク等々のキク仲間や、ツリガネニンジンやリンドウなどのようなさまざまの美しい野草が花開きます。
そしてさらに秋が深まってくると、人間は、寒さによっては動きが鈍くなってしまうだけですが、植物は、晩秋になるにつれ、その寒さによってカエデのなかまやヤマハゼなどの葉は美しい赤色となり、さらにクヌギやコナラなどは黄色や褐色のさまざまの変化に富んだ色となります。
また、冬の寒さによって水粒は美しい氷の結晶となって雪を降らせ、山々は真っ白い姿となって見る人の心を清めます。春の温かさによって芽生え、花咲き、その新緑と花の美しさを繰り広げます。夏の暑さや雨によって植物たちは成長し、果実や種を成熟させます。
雨風も暑さ寒さもすべてを取り入れて、植物はその多様な姿を生み出しています。
使徒パウロは、「私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っている。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ている。」と言っていますが、これはどんなことが降りかかってきてもそこから何かよきものを受けとっていき、実を結ばせていくことと似たところがあります。
ことば
(246)いまだ道を知らざれば、夢見て覚めざるがごとし。
心を正しくする道は、まづ善を好み、悪を嫌ふこと、真実なるを本(もと)とすべし。(貝原益軒著「大和俗訓(やまとぞっくん)」岩波文庫 81P 、86P)
・これは、儒学者の言葉であるが、キリスト者にとっては、道とはキリストである。何が正しい考え方なのか、何が価値あるものなのか、その道の行き着く先は何であるのか、その道を歩むときに何が与えられるのか等々、すべてキリストが示し、与えて下さる。それを知らなかったときには、私自身、どんなに高校や大学で学んでも、魂に力を与えてくれないものであった。その時の状態はまさに夢の世界に生きているような空しさがあった。
心を正しくする道とは、まず善を好み…とある。 まず何かをする、ということでなく、まず善を好む、すなわち、善を愛するということ、それによっておのずから悪を(悪人でなく)憎むことになり、真実をもとにすることになる。主イエスが、まず神を愛せよ、と言われたことに通じるものがある。
ここに引用した大和俗訓は、「誰にでも分かるようにやさしく説いた教え」、という意味で「俗訓」という題名となっている。一七〇八年刊行。貝原は、江戸前期の学者。(1630~1714) 彼は、ここにあるような人間のあり方に関する著書だけでなく、植物、薬草などに関する学者でもあって、「大和本草(ほんぞう)」という著書では、一三六二種の植物を主とする薬物を記載した。
(247)聖句を暗唱することは、力を得ることである。詩編七三編の聖句を暗唱していると、急に力が心からわき上がって、私は力強く空を見上げた。…
…私はもうすっかり疲れ切り、空気のもれた風船玉のようになった。それで、心に力をつけようと思い、聖句を暗唱した。聖句はいつでもすばらしい霊の食物であった。
(「たとえそうでなくとも」安利淑著 102、475頁)
・安利淑という女性は、韓国生れ。日本の統治中の韓国では、神社参拝が学校でも強制的に行なわれた。キリスト者であった安女史は学校の教師であったが、生徒や教職員全体の学校行事としての神社参拝のときに、天皇や天照大神に向かっての最敬礼をしなかったがゆえに、教師を続けることもできなくなり、いろいろな迫害を受けた。その時の詳しい記録が、「たとえそうでなくても」である。
その書物には困難な生活の中で、聖句や讃美の歌詞が力づけてくれたことを随所に記している。聖書の言葉はとくに主のために困難な歩みを始めた者にとって一層の力を与えてくれるのがよくわかる。
編集だより
来信より
○「いのちの水」誌の十月号拝読、「祈りの人・好本 督」を読みまして、心洗われました。祈りは力であり、必ず神の御心に届くことを教えられました。心を込め、誠実に、すべてを投げ出して祈ることの大切さ、また、そのような祈りを神様は求めておられ、その祈りには必ず応えてくださることを教えて頂きました。小生、もっともっと真剣に、また祈りの生活をしなければと、大いに反省させられました。
また、メールの「今日のみ言葉」一四九号の「イエスが真ん中に立ち」をありがとうございました。前記の「祈りの人」と相通じる内容であることを改めて知らされました。祈りはイエスを迎え入れることであり、常に心を開き、イエスをむかえる祈りをしていきたいと思います。「ツルボ」の写真の美しさに驚きます。青紫と緑の美しさに、神の御業の偉大さを思います。…(中部地方の方)
○「祈りの人、好本 督」のご本の紹介、本当に心打たれ、また、神への祈りの力、神の愛を心から知らされ、何度も拝読し、力を得ています。好本 督が、ウィリアム・オスラーと出会われたということも、何と不思議な神の摂理でしょう。(オスラーの「平静の心」という本の一部のコピーが私の手許にあります。)吉村様が、冨田先生から手渡された御本の著者のように、後になって視覚障害者の教育や伝道に関わられたことも、奇しき神の光、力が及んでいることを心から知らされました。(関西の方)
○今号は、好本 督の祈りと信仰に深く感動しました。真理を教えられました。このような人こそ、真のキリスト者だと思いました。…(関東地方の方)
○…今、祈る人の少なさを痛感させられます。祈りについて真剣に考え、神様に心をさらけ出して祈ることができる者になりとうございます。
十月号で紹介されていました好本 督(ただす)先生の衣服はいつもズボンの膝が一番先に傷んだそうです。膝をついて祈られたからです。
いじめについて多くの議論がなされていますが、その原因や解決の道について、信仰との関わりがあまりにも語られずにいます。
子供のころ、視覚障害のことでいじめられたという人が身近なところでも多くあります。信仰によって初めてそのようないじめられる苦しみを乗り越えることができたと申します。
失明を恩寵(おんちょう)ととらえることができた、新しくされた人たちは幸いでございます。
神の光が弱い魂に注がれますよう、祈っております。(関東地方の方)
○ ある県外の方から「二十四の瞳」という映画(DVD)について、次のような来信がありました。
「…この映画は全くみておりませんでした。その頃は、病気になっていたために見ることができなかった状況だったことを、今思いだしたところです。子供たちの純朴な魂、こどもは本来こういうものなのかとあらためて教えられる気がいたしました。
教え子のつらさや悲しさをともに泣くことができる教師。時代の背景も環境も超えて、示される心の真実をおもいます。また、初めから終りまで、讃美歌の「いつくしみ深き」の曲など、あんなに多くの歌曲が用いられていることにも驚き、印象深く心に残ったことでした。
すぎた歳月は次第に消えつつありますが、こうしたことを通して、当時のことを思い起こすとともに、私の歩みも常に善き力に守られ、支えられてきたことを、心に覚えることができました。とても不思議な気がいたします。…」
・今年の八月に、今から五十年程も前に映画となって広く知られてきた「二十四の瞳」のDVDが発売されました。私はまだ小さい子供のときに、父親に連れられて見たのですが、とても強い印象が残りました。主演の高峰秀子という女優と十二人の子供たちの織りなす光景はあれから半世紀を経ても消えません。純真な子供たちが成長していったのに、戦争によって次々と死に至っていく、その哀しさというのも感じたことです。それから、「♪からす
なぜ鳴くの…」という歌も、戦争によって次々と亡くなっていく若者たちへの悲しみと混じり合って同時に私の幼い魂に焼き付けられたように残っています。
お知らせ
○林 恵兄、召される。
無教会高知集会の代表者であった、林 恵兄が、十一月二十日(月)に召されました。八五歳でした。同志社大学文学部神学科を二年中退され、一九八〇年まで、高知県内の小中学校の教諭、校長を歴任され、そのかたわらで、キリストの福音を伝えられました。近年は高知無教会集会と、加茂キリスト教会の代表者としてみ言葉を語り、信徒を支えての日々でした。林兄は、「ちいろば先生」で広く知られている榎本保郎の親友でその交わりは終生続けられました。今は、天の御国において地上での働きを主によって導かれて走り通したその平安を与えられていることと思われます。
残された方々、そして高知聖書集会の上に今後とも、変ることなき主の導きを祈ります。
○一二月の私(吉村 孝雄)の予定。
・12月10日(日)、大阪市にて、「平和への道」と題して語ることになっています。会場は、アピオ大阪市立労働会館(大阪市中央区森の宮中央 1-17 電話 06-6941-6331 JR環状線・地下鉄「森の宮」 下車三分) 午後二時からの開会で私の前に狭川育久氏の講演があります。
問い合わせ先 072-879-2613(藪本氏)
・12月17日(日)午前10時~12時 神戸市上田宅での集会。
・同日午後 二時~ 高槻市の那須宅での礼拝集会。
○クリスマス特別集会
12月24日(日)午前10時~午後2時 場所は徳島聖書キリスト集会の集会場です。