巻頭言 |
2006年12月 550号 第551号・内容・もくじ
晩秋から初冬にかけて、わが家に至る山道には、クヌギの木の葉が敷きつめるようになる。道のそばにある、かなり大きいクヌギの木は、他の木々の紅葉が終わる頃に、その葉を落としていく。その役目を果たした後に、しずかに地面に落ちてくる。茶褐色のその大小さまざまの枯れ葉、目立つ鋸歯(きょし)は、ほかの木々の枯れ葉と異なる特徴をもって、道に広がる。
その一枚一枚が異なるかたちであって、道一面に落ちたその葉は、あらたな役目をするべく待機しているかのようである。
そしてその葉それぞれが、枯れ葉であるのに、生きているように感じるほど、その一枚一枚が自然の美しさ、緑色のときの葉とはまた違ったよさをたたえているのに気付かされる。
春の芽を出す時、長い穂のような花、そしてそれらの成長や結実をささえる緑の葉のはたらき、役目を終えて、枯れ葉となるが、それはまた、微生物のはたらきによって分解され、二酸化炭素などの気体となって大気中にかえるものもあれば、また葉の成分のうち、灰分(金属化合物)は地中に戻っていく。そしてまた新たな植物の栄養分となる。
静かな人知れないところでの循環が続いていく。
私たち人間も、年老いて枯れていくようになる。しかし、そこにもまた別の美しさがあり、つとめがある。この世から去ったあと、見えなくなったようでも、何かを後の世に残していくのである。
クヌギの葉で敷きつめられた道を歩きながら、私たちの道もまた、過去の無数の人たちの生み出したもの、残したもの、さらには、神によってさまざまの必要なものが敷きつめられた
道を歩いているのだと思った。
到来(アドベント)
主イエスが伝えたことを一言で表すと「天の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」(マタイ四・17)ということであった。
天の国ということは、神の国と同じであり、主イエスが言われたことは、神の御支配は近づいた、もうそこに来ている。という意味である。
この世はだんだん暗いものが近づいているのでないか、環境問題や世界の核兵器の増加、テロや人間不信、戦争の危機等々、ニュースの報道だけを見ている
と、そのような気持ちになりかねない。
しかし、聖書はそうした闇が近づいていると見えるこの世のただ中に、「神の国が到来したのだ!」と、力強く私たちに告げているである。
いつ来るのか、どこにそのような神の国があるのか、と問う人に対して、主は、「あなた方のただ中に、すでに来ている」と言われる。(ルカ福音書十七・20)
新約聖書にはこうした到来の足音が満ちている。主イエスの誕生そのものが、神の国の到来なのである。そのことを受け入れるとき、さらにこの世界に神の国が来ますように、と祈り願うようになる。
それゆえに主イエスは、何を祈るべきかとの問いに、「御国が来ますように」との祈りを、私たちの究極的な願いであると示されたのである。
クリスマスの前の数週間をアドベントという。この語の原意は「到来」ということである。日本語では「待降節」と訳されるが、降誕を待つというのでなく、すでにキリストが到来して下さっていることを感謝する日なのであって、クリスマスとは、人間の誕生日祝いのように、イエスに向かって「誕生日、おめでとうございます」という日なのではない。
主イエスがすでにこの世界に来て下さっていることを覚え、「ありがとうございます。」と心からの感謝を捧げる日なのである。
さらに、そのキリストが一層私たちの一人一人の魂の内に、世界の人々の集まりの中に来て住んで下さるようにと、待ち望み、祈り願う時なのである。
キリストはすでにこの世に来て下さっているゆえに、私たちはただ心の扉を開けばよいのである。
そしてその「到来」を待ち望む心は、どこまでも広がっていき、世の終わりにキリストが再び来られる、との約束が成就しますように、との祈りへとつながっていく。キリストがこの世に再び来られること(再臨)のことも、アドベントというのも、私たちの心が見つめるべきものが、キリストが来られること、であるのを示すものである。
夜空に輝く星、夕日の輝かしい姿、茜色に染まった朝焼け、野草たちの花の美しさ、大波の打ち寄せる音とその姿等々、身の回りのさまざまの自然の姿は、神の国がそこに来ているのだということを指し示すものだと感じられてくる。
いつどのような時代にあっても、私たちが心の耳をすませば、時代の崩壊の足音ではなく、神の国の到来の静かな響きが聞こえるように、この世は造られているのである。
クリスマスと新年
キリストへの礼拝の日、それがクリスマスである。
マタイ福音書では、東の博士たちがはるかな遠くで星を見たということから始まっている。星を見た、そして未知の遠いところへと旅を始め、ついに到着したということ、それは一見こどもの物語のような雰囲気がある。じっさい、この東方の博士たちが、馬小屋で生れたイエスのもとに来る、ということは、子供の絵本に繰り返し描かれてきた。それだけに、何か現代の複雑極まりない世界には関係のない架空の物語のように受けとる人も多いだろう。
しかし、このことは、さまざまのことを私たちの心に投げかけてくる。想像の世界のことでなく、現実に私たちが経験する喜ばしい事実、そしてそれと並んで厳しい現実をも指し示す内容なのである。
私たちは、このような「星」を見るまでは、闇の中をさまよい、歩むべき道も分からず、疲れ果てていく。しかし、突然私たちの生活の闇のなかに、天からの光が射してくる。そしてそ
の光は私たちの魂を導く力をもって迫ってくる。 その力によって私たちは、その光のみなもとへと、歩み始めるのである。
旧約聖書の預言者と言われる人たちがいる。キリストが現れる五百年以上も昔から、将来において民を救う神の人が現れること、その人は特別に神の霊にあふれ、その神からの力によって支配し、弱きものを助け救うことが特別に知らされ、それを予告したのである。
このような預言者と言われる人々もまた、時代の闇のただ中で、「星を見た人」なのである。
そうしてその星をいわば胸に抱いて語り続け、ときには命をも犠牲にしてその星の光の示す道を歩んで行ったのである。
今も、星は神のご意志に従って、私たちの全く予想もしないところに輝くのである。ここに私たちの希望がある。
私たち自身の心にも、もうどうにもならない、という倒れてしまいそうになる時にあっても、きっとそのような星が再び輝き始めるであろう。
この世の不幸の極みにあるような人の心にも、どんな方法もないような、遠い国の虐げられた人たちにも、このはるかな東方で輝いたという星は、だれも予想できないような場所で輝き始めることが期待できる。神の御手は万能であるからだ。
新しい年、それは単にカレンダーが二〇〇七年になった、ということにとどまるなら、そのような新しさは、日常の生活の中では、たちまち数週間もすれは消えていく。
しかし、このような星が私たちの魂の内で輝き続けるとき、日々新しいものとして感じられるようになる。
「 私たちは聖なる霊の導きによって生きているなら、そのような霊の導きにしたがって前進しよう。 」と使徒パウロは呼びかける。私たちを導き、迫ってくるのは、この世の闇でなく、キリストの愛なのであり、それゆえにパウロは「キリストの愛が私たちを駆り立てている」(Ⅱコリント五・14)と言うことができたのである。
平和への道
平和はだれしも望むところである。平和という言葉でまず連想するのは、戦争がないこと、である。戦争によっておびただしい人命が失われ、傷つき、また自然も破壊される。ベトナム戦争の時のように、大量の枯葉剤が使われたり、劣化ウラン弾など放射性物質などが使われることもあり、そのような場合には、戦争が終わったあとも、長期にわたる苦しみを戦場となった地域の人たちに与え続けることになる。
それゆえ、戦争を好む人はだれもいないはずである。自分の家や家族が好んでそのような戦争に巻き込まれたい、などという人はまずだれもいないだろう。
にもかかわらず、戦争は古代から数知れず生じている。民族間、国家間といった広範囲の戦争はどのような民族においても生じてきたと考えられる。
古代ギリシャの特に重要な作品はホメロスのイリアスであるが、これも戦争の文学である。
それに対して、平和ということはどのように考えられてきたのであろうか。そのことについて聖書の記述を見てみたい。
まず、創世記においては、例えば新共同訳では、創世記からレビ記まで、一度も平和という訳語は使われていない。つぎの民数記でようやく一度あらわれる。
平和という言葉の原語(ヘブル語)は、シャーロームである。このシャーロームという原語自体は、創世記でも十五回ほど使われている。しかし、それらは、「安らかに先祖のもとに行く(死ぬこと)」とか、「彼らは安らかに去って行った」「彼らは、元気(無事)か」といったように、社会的平和といった意味では用いられていないのである。
このように、旧約聖書においてはその最初の重要なモーセ五書(創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)にも、一度も社会的平和、戦争のない平和といった意味では出てこない。
その後の、ヨシュア記、士師記、サムエル記に至る書物においてもほとんどみられない。
わずかに、以下のような箇所があるだけである。
・イスラエルとアモリ人との間は平和であった。(サムエル記上七・14)
・ヨアブは彼らを殺し、平和なときに戦いの血を流し、腰の帯と足の靴に戦いの血をつけた。(列王記上二・5)
・ソロモンはティフサからガザに至るユーフラテス西方の全域とユーフラテス西方の王侯をすべて支配下に置き、国境はどこを見回しても平和であった。(列王記上
五・4)
・見よ、あなたに子が生まれる。その子は安らぎの人である。わたしは周囲のすべての敵からその子を守って、安らぎを与える。それゆえ、その子の名はソロモンと呼ばれる。わたしは、この子が生きている間、イスラエルに平和と静けさを与える。(歴代誌上二二・9)
新共同訳の訳語として、「平和」というのが使われていても、それは、ほかの訳で、「元気に、穏やかに」と訳されているような場合であり、社会的な平和を指してはいない。
例えば「アブネルは平和のうちに出発した。」(サムエル記下三・21)というのは、口語訳、新改訳では「アブネルは安心して出発した」というようになっている。
このように、旧約聖書では全体として見るとき、現在私たちが絶えず目にするような社会的な平和という言葉はわずかしかない。
戦争とは何が原因で生じるか、それは権力や物に関する欲望が背後にある。それゆえ、聖書は戦争の根源にあるものに最初から集中しているのである。
そして、シャーロームという言葉そのものも、戦争がない、何も混乱がない、といった否定的な表現を持っているのでなく、そのもとにあるヘブル語の動詞、「シャーレーム」とか、「シャーラム」という語は、「完成する、満たす、全うする」というように訳されていることからもわかるように、戦争がない状態というのは、そうした完成された状態からおのずから生じる状態だと言える。
聖書は、「まず国家や民族同士の戦争のない平和な状態を求めよ」というようには記していない。それは、そのようなことは、人間の力によっては実現されないからである。人間が求めるべきこと、そして地上の人間に与えられることは、一人一人がまず神の国と神の義を求めていくことなのである。そして、真剣に求めるものには必ず与えられると約束されている。
創世記からはじまる旧約聖書のはじめの方に置かれている内容、それは現在の日本語訳聖書では五百頁ほどにもなるが、そこで一貫して言われているのは、国々の戦争を止めよ、ということでなく、神の言葉に聴き従うということである。
闇と混沌、混乱のただなかに、神が「光あれ!」と言われたことが聖書の最初に書いてあるが、これが平和についてもその根源的真理を深くついたものとなっている。
どんなに闇が深くとも、神が「光あれ! 」と言われるなら、そこに光が存在し、秩序が生れていく。それはまさしく本当の平和への道が暗示されていると言えよう。
闇と混乱とは、そのまま人間の心の深いところでの状態であり、その闇や混乱から戦争へとつながっているのであるから、そこに光が臨むことによって真の平和がもたらされる。
その意味で、真の平和への道はすでに創世記から記されているのである。
この究極的な平和への道は、人間の努力とか計画、会議、あるいは武力などによってはなされない。ただ、神が時至って、「光あれ!」と言われたとき、神の御手が働いたときに、いかなる闇であってもそこに光が及ぶ、ということなのである。
そしてそれによって、混沌から秩序へと向かうことが創世記第一章では示されている。
戦争とは、大量殺人、強盗、欺き、破壊、暴行などありとあらゆる悪がそこから生じる。それはまさに闇とその果てしない深み、そして混沌とした状況である。しかし、そこに光が与えられることにより、闇の力は退き、混沌は、秩序となっていく。これこそは、神に由来する平和である。
創世記にはもう一つの天地創造に関わる啓示が記されている。それは、第二章である。そこでは、最初にあったのは、渇ききった状況であり、草木もまったくなかった。それはこの地方のあちこちに広がる砂漠地帯の状況を反映している。
このように、創世記の第一章~二章にかけて、人間の最も困難な状況は、闇と混乱、あるいは水がない渇ききった状況ということで描写されていると見ることができる。
そして闇と混乱のただなかに光あれという神の言葉によって光が生じたように、第二章では、砂漠の状況のただなかに水が地下から湧き出て、潤すようになったと記されている。その水は、エデンにその源があり、エデンに造られた園を潤し、さらに、四つの川となって世界を潤していった。(*)
(*)四という数は、全世界を象徴するものであり、四つの川が流れていくということは、世界中を潤すという意味がこめられている。
憎み争う心、復讐やねたみといった心はうるおいがない。人間が闘争的になるのは、渇いているからである。深いところで満たされないからである。こうした渇きこそが、人間同士の争いの根源となる。もし、私たちが、魂の深いところで神からのいのちの水によって満たされ、潤されているなら、他人からの攻撃や不正を受けても、打撃を受けず、それを静かな心をもって受けとることができるだろう。
このように、深い闇の心、そして渇ききった心こそは、戦争の根源であるといえるが、その二つの究極的な解決の道があることを、聖書はその巻頭にはっきりと示しているのである。
そしてそれははるか後になって、キリストが現れるときまで、地下深くに流れる水のように時折表面に現れるものの、大多数の人間にはなかなか気付かれないものとなった。
神による平和への究極的な道を人間は拒み、神に聴き従うことをせずに歩んできた。そのことは聖書にもはっきりと記されている。それが、最初の家庭の状況である。
アベルとカインは、アダムとエバの間に生れた、初めての兄弟であったのに、カインはアベルを殺してしまった。兄弟の命を奪うという悲劇は、これから歩む人類がいかに神の光とあふれる水を無視していくかの象徴として記されている。それは、憎しみやねたみ、あるいは欲望のゆえに、武力、暴力によって相手を打ち負かすことであり、それが肥大したのが部族や国家の間の戦争なのである。
その後、ノアの記事によって記されているのは、「地上に悪が増して、常に悪いことばかりを心に思い計っている」ということであった。
こうして平和の道は閉ざされ、多くの人間が裁かれ滅んでいく。しかし、神の光を仰いで信仰によって生きたノアからは、その信仰を受け継ぐ人達がつづき、聖書の記述はアブラハムへとつながっていく。
そして神は、カナンという特定の地を選んで、そこへとくに選んだ人間、アブラハムを導くことによって、神に導かれる人間の生き方を後の人類に指し示したのである。アブラハムはもともとは、今のイラク地方にいたと考えられる。そこで、最初にカナンへ行くようにとの示しを受け、さらに、そのカナンへの旅の途中にあるユーフラテス川の上流へとさかのぼったところにあるハランという所まで来てはっきりと神の祝福と導きの言葉を聞き取った。このアブラハムに語りかけられた神の言葉、そしてそのみ言葉に従って祖国や慣れ親しんだ人達、総じて古いものを離れて、神の示すところへと歩んでいくこと、それは、あらゆる人間の地上での歩みのあるべき姿を指し示すものとなった。
アブラハムは、自分自身も神による豊かな祝福を受けるが、アブラハム自身は他者の祝福の基にもなると約束されている。神からの祝福を豊かに受けることこそ、本来、シャーロームという言葉が内に持っている内容である。シャーロームとは、すでに述べたように、「完成された状態、満ち足りた状態」を表す言葉だからである。人間が完成された状態になる、それは自分の努力や生まれつきの才能でなく、神からの祝福を受けることによってである。
アブラハムが受けた祝福は、その子孫に及んでいく。
子孫は飢饉のためにエジプトにわたってそこで大いなる民族となるほどに増えていった。しかしそこでの四百年にわたる奴隷の苦しみからの解放はモーセによって行なわれることになった。
何一つ武器を持たず、兵力を持たずにモーセはただ神の力、神の祝福と導きだけを信じてエジプトへと向かった。当時の最大の帝国に向かってその圧倒的な力と戦うのに、素手で立ち向かったのである。
ここに、武力によらずに大いなることがなされるということがはやくも示されているのである。この世の巨大な力と戦うために、武器、そしてそれを使う人間の数が多いほどよいというのが、普通の考え方である。しかし、聖書においては、真の戦いは、そのような人間の数や武器によるのでなく、神への信仰によって、神ご自身が戦われるということが繰り返し現れる。
実際、モーセはエジプトの権力や武力などを前にして、ただ信仰のみによって近づいていった。そしてその信仰によって不思議なわざが行なわれ、ついにモーセは何一つ武器を使うことなく、この世の最強の権力や武力に勝利して民が解放されることになったのである。
これは、はるか古代の単なる物語ではない。この基本的な信仰的姿勢こそ、永遠なのであり、現代まで無数の真剣なキリスト者たちがその道を歩んできたのである。
さらに、モーセが、アマレクという民族と戦ったとき、モーセは神の杖を手に持って、丘の頂上に立った。そこで、彼が手を上げている間は、優勢になり、手を下ろすと敵が優勢になったとある。(出エジプト記十七・11)
この記事も戦いに勝利するのは、武器や兵士の数ではなく、神への信頼と祈りであることが暗示されている。神の民が勝利するのは、神の力によってなのである。
また、ヨシュア記においては、エリコに初めて攻撃するときに、神は、あらかじめその町をモーセたちに渡すと約束した上で、七人の祭司が七日間、神の箱を前にしてエリコの町の城壁のまわりを回ること、その七日目は、町を七周回ることなどが命じられた。町はこの城壁に囲まれているので、この城壁を崩すことは最大の戦いなのであった。その城壁を崩すのに武力とか人間の数でなく、ただ神の言葉を納めた、神の箱を七人の祭司に先導させて町を回るという、驚くべき仕方を命じられたのである。そして、その言葉に従ったとき、エリコの町の城壁は神の力によって崩された。
ここにも、本当の戦いは、神の力による、ということが素朴な形で表されている。
それから後の時代になって、まだ王が現れていない頃、ギデオンという人が特に神から召されて、指導者となった。彼は、ミデアン人たちと戦うために呼びだされたのであったが、いざ戦いがはじまろうとするとき、神はとくにギデオンに言われたのである。
…あなたの率いる民は多すぎる。そのままでもし戦いに勝利すれば彼らは自分の手で勝利したと考えて高ぶるであろう。それゆえ、兵士たちの数を減らせといわれたのである。そしてもともと集まっていた兵士たちの百分の一という少ない数に減らした上で、戦うように命じられた。神は、ギデオンに、「私があなた方を救うのだ」と繰り返し約束された。そしてその少数の兵士たちによって、たしかに神は勝利を与えられたのである。
ここにも、武器、兵士たちの数や策略によって勝利するのでなく、神の力によることが示されている。
また、ダビデはイスラエルの歴史では最大の働きをした王であったが、彼もその王位を獲得したのは、まったく自分の武力とか部下を統率する能力などではなかった。彼が仕えたサウル王は、ダビデが並外れた勇者であり、多くの敵に次々と勝利していくのを目の当たりにして、ダビデに強い憎しみを持つようになった。そして繰り返しダビデを攻撃し、殺そうとする。しかしそのようないかなるサウルの悪意ある攻撃にもかかわらず、ダビデは一切武力で対抗しようとはしなかった。ただ、神にゆだねて自分は殺されることすらも覚悟して、荒れ地をさまよった。あるときには、敵地へと入り込み、気の狂った真似をして、敵の警戒心を失わせ、それによってサウル王からの迫害を逃れたことすらもあった。
そうして長い忍耐と苦しみの生活は、ついにダビデが何一つ武器や人間を用いて攻撃することもなく、敵対するペリシテの軍によってサウル王は殺害され、その王子も死んでいく。
そしてダビデは、ただ神に頼り、神に叫ぶのみであったにもかかわらず、サウル王の長い執念深い攻撃から逃れて、ダビデが新しい王となったのである。
ここにも、武力によって敵を滅ぼそうとするのでなく、神への信仰によって待ち望むという姿勢がはっきりと示されている。
旧約聖書においては、戦いを神ご自身が命じられているところも、モーセからダビデに至る記述の中にしばしば見られるし、敵を滅ぼし尽くせ、といった命令もあり、私も数十年前に初めて聖書を通読していったときにも、驚かされたものである。
このような記述があるゆえに、旧約聖書は聖戦を神が命じている、ということだけが取り上げられ、一般的にもそのような内容だけだと思われている傾向がある。
しかし、一方では、すでに見てきたように、そのような聖戦の記述とともに、武力によらない神の力による霊的な戦いが示されており、モーセの時代、すなわちキリスト以前千数百年も昔から、すでに神ご自身が戦うゆえに、ただ信頼をしていることの重要性が記されているのであって、それは、聖書を一貫して流れる川のようなものである。
この流れが、ダビデより数百年あとの預言者にも流れ込み、イザヤ書やミカ書という預言書につぎのように記されている。
終わりの日に
主の神殿の山は、山々の頭として堅く立ち
どの峰よりも高くそびえる。国々はこぞって大河のようにそこに向かい
多くの民が来て言う。
「主の山に登り、ヤコブの神の家に行こう。主はわたしたちに道を示される。わたしたちはその道を歩もう」と。主の教えはシオンから
御言葉はエルサレムから出る。
主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし
槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず
もはや戦うことを学ばない。
ヤコブの家よ、主の光の中を歩もう。(イザヤ書二・2~5)
このように、かつて創世記で預言的に記されていたこと、エデンから一つの川が流れ出て、園をうるおし、さらに全世界をうるおす流れとなっていくということ、その流れに浸された人々は、世界の各地からエルサレムに向かうという。エルサレム、それはそこに神の言葉があり、神がおられるところだとされていた。
要するに、世の終わりには世界の民が神の言葉へと、神へと集められてくる大いなる流れがあり、そこに身を浸す者たちは、もはや武器をとらず、戦争によって互いに殺し合うということを廃し、主の光の内を歩むようになるというのである。
神の言葉が中心になって、そこに向かう大いなる流れが生じるという。
この大きな流れは、形を変えながらも現在も見られるのであって、一部の人たちには、特にその啓示がはっきりと示され、歴史のなかにも刻まれている。それは、例えば、クェーカーやトルストイ、ガンジー、マルチン・ルーサー・キング、そして無教会の内村鑑三などに啓示され、現実の世界のなかで、武器をとらず、もはや戦うことを学ばないで、主の光の内に歩んだのであった。
そのうち、クェーカー(*)のキリスト者たちにおいては、新約聖書の非暴力による戦いを支持する箇所(**)を根拠としているが、それとともに、抵抗することなしに、十字架の道を歩まれたキリストの模範と、キリストを信じる人に同じように歩むことを指し示す新約聖書の精神全体が、この平和主義の根底をなしている。
彼らは、周囲の状況や意見などよりも、新約聖書そのもの、キリストご自身を単純率直に受け入れたのである。
真理は、つねにキリストにあり、キリストからの啓示を書き綴ったのが新約聖書であるから、彼らの主張は単に一つの教派の主張というのでなく、キリストご自身、新約聖書それ自体に根ざしている。それゆえにその平和主義の主張は、迫害に遭っても消滅することはなかった。
(*)クエーカー(Quaker)は、キリスト教の教派の一つであるキリスト友会(-ゆうかい、Religious Society of Friends)に対する一般的な呼称。この派の創始者は、ジョージ・フオックス(一六二四~一六九一)。クエーカーというのは、神の言葉(キリスト、聖霊)によってふるえる(quake)ほどの感動をしたからと言われている。会員自身はこの言葉を使わずに、主イエスが、「あなた方を友と呼んだ」と言われたことから、友会徒(Friends)という呼称を用いている。
(**)敵を愛し、自分を迫害する者のために祈れ(マタイ五・44) 、「剣を取る者は剣によって滅びる」(マタイ二六・52)他。
彼らの考え方をさらに引用しておく。
… 友会徒(クェーカーのキリスト者)は、平和の世界をもたらす唯一の方法は、たとえそれが危険をはらんでいてもそれを恐れず、今、ここで始めることだ、と信じている。
ホーグという一人の友会徒が、その平和の原理を説いたとき、聞いていた人が、「もし、世界があなたのような心がけだったなら、私はその考えに従おう」と言った。そのとき、ホーグは「それなら、あなたは一番最後によい人になろうと考えているのです。私はいち早くよき人になって、他の人に模範を示したいのです。」と言ったという。
大きな問題を照らす光は、まず、はじめに、自分の確信に従って生きようとする個々の真実な人々の中に起こって、そこから徐々に広まっていくということは、無限の英知のお方である神の御旨なのだと思われる。(*)(ハワード・ブリントン著 「クェーカー三百年史」212P~213より)
(*)It seems to be the will of Him who is infinite in wisdom that light upon
great subjects should first arise and be gradually spread though the faithfulness
of individuals in acting up to their own convictions. (Howard H. Brinton 「 Friends for 300 years」162p )
真理は、まず一人の中に示され、さらに、そうした一人一人の、真実さ、ーそれは神、主イエスと結びついて与えられるものであるがーそれによって波のように広がって伝わっていく。これは、主イエスが、パン種のたとえで言われたことを思い起こさせる。
… イエスは、別のたとえを持ち出して、彼らに言われた。「天の国はからし種に似ている。人がこれを取って畑に蒔けば、 どんな種よりも小さいのに、成長するとどの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て枝に巣を作るほどの木になる。」
…天の国はパン種に似ている。女がこれを取って粉に混ぜると、やがて全体が膨れていく。(マタイ福音書十三・31~33)
たしかにこの真理のパン種、あるいはからし種のような小さな、目に見えない真理は、まずキリストのうちに明確に宿り、それをはじめは理解できなかった弟子たちのうちにも伝わり、さらに次々と厳しい迫害と苦しみを受けるなかにおいても、広がっていった。そして、その流れは、このクェーカーのキリスト者たちにも及んでいったのがこのような記述を見てもうかがえるのである。
そしてこの真理は、歴史の中では目立たないようになることもあるが、神の定めたときに再び歴史の前面に現れてその流れを世界に知らせることがしばしば生じる。クェーカーのキリスト者たちが命がけで主張し、その真理を生きた非暴力ということは、意外なところへと伝わっていった。それはロシアのトルストイである。
トルストイは、一八八四年に書いた「わが信仰はどこにあるか」という著書のなかで、次のように述べている。
… 私は五十五年間、この世に生きてきた。そして幼年期を除いては、…一切の信仰を失ったという意味での、ニヒリスト(*)として生きてきた。
五年前、私はキリストの教えを信じるようになり、私の生活は突如として一変した。…
十字架にかけられた盗人がキリストを信じて救われた。…私もちょうどこの十字架上の盗人のように、キリストの教えを信じて、救われたのだ。…
私にとって一切の鍵であったのは、マタイ福音書五章39節の「目には目、歯には歯をと言われている。しかし、私はあなた方に言う。悪しき者に手向かうな」という箇所であった。
私はいきなり、しかも一度でこの一節をじかに、素直に理解できた。…この言葉は、突如として私には、まるで今までついぞ読んだこともなかったような、全く新しいものに思われてきた。…
キリストは決して頬を差し出せ、苦しみを受けよ、と言っているのではなく、「悪もしくは悪しき者に逆らうな」、と言っているのである。この言葉こそ、私にとっては、一切を啓示してくれた真の鍵であった。これらの言葉を素直に理解しただけで、キリストのすべての教えの中で、もやもやしていたことがことごとく理解しやすくなったのである。…
幼少のときから私は教えられたーキリストは神であり、その教えは聖なるものであると。しかし、同時にまた、悪しき者には抵抗すべしと教えられ、悪しき者に対して忍耐するのは恥ずべきことと吹き込まれた。戦うことも、すなわち、殺人によって悪しき者に反抗することも教えられた。…
しかし、悪への無抵抗ということこそは、人間の共同生活の基礎たるべきものであり…
キリストは、言う、「あなた方は、法律が悪を矯正するものと思っているがーそれはただ、悪を増大させるだけである。悪を根絶する道は、ただ一つ、一切の差別なしに、万人に対し、悪に報いるに善をもってすることである…。」と。
…悪に対する無抵抗というキリストの教えは、私がそれまで全く知らなかったもの、全く新たなものとして私の前に立ち現れたのである。(「わが信仰はどこにあるか」トルストイ全集第十五巻6~34Pより)
(*)真理・価値・権威、制度、超越的なものの実在などをすべて否定する考え方。
この文章は、いかにトルストイが福音書の主イエスの言葉のうち、とくに「悪人に手向かうな、敵を愛し、迫害するもののために祈れ」という言葉から、革命的な変化を受けたかを情熱的に表している。
彼は、十字架による罪の赦しということは十分な啓示を受けなかったとみられるが、この悪への無抵抗ということについては、当時の多くのキリスト教の指導者以上に、特別な啓示の光を受けたのがこうした著作ではっきりと示されている。
神は、とくにご自分のご意志をはっきりと人間に示すときに、特別にその目的に合った人を選び取る。トルストイはこの悪への無抵抗ということに対する、神の特別な選びの器であったと言えよう。
その著作から、七年ほど経って書き始められたのが、「神の国はあなた方の内にあり」という著作である。この書の冒頭に、次のようにある。
…私の著書に対する最初の反響の一つは、アメリカのクェーカー派からの手紙であった。クェーカーは、これらの手紙の中で、キリスト教徒においては、あらゆる暴力や戦争をしてはならないという、私の主張に対して共感を表しつつ、二百年以上も事実上、暴力をもって悪に抵抗するな、というキリストの教えを信じ、過去においても、現在においても、自分を守るために武器を用いたことがないという自分たちの派の方針の詳細を私に知らせてきた。…(「トルストイ全集第十五巻158頁より」)
このように、トルストイの前述の著作にいち早く反応し、その共感を示したのがクェーカーであった。
そして、さらにトルストイは、ロシアにおいて生れたキリスト教の一つの教派で、徹底して非暴力を主張した人たちが、迫害され、千人あまりも処刑され、さらに彼らは、国外追放されることになったことに強い関心を示した。彼が、最後に書いた大作、「復活」は、このドゥホボール教徒二万人以上をロシアからカナダに移住させる費用を生み出すために書かれたほどであった。トルストイは、五十七歳のときに、著作物に対する印税を受けとらないという決断をしたが、それをあえて破って印税を受け取り、それを彼らの移住資金にあてたのである。
このような、全く芸術とは無関係の、社会的な援助という動機で書かれた世界的な名著というのは、古今を通じてこのトルストイの「復活」しかないであろう。そうした目的での著作であったにもかかわらず、この作品は、高い評価を受けることになった。(*)
(*)ロマン・ロランは、次のように評したという。
「…『復活』は、ある意味でトルストイの芸術的聖書である。それは最後の華であって、恐らくは最高峰であり、その見えざる山嶺は、雲の中に没している。」
また、ロシアの思想家クロポトキンは次のように評した。「七十歳にも達したこの作者が、この小説において示した力と若々しさに接して、単に、驚嘆すべきものがあると言っただけでは言い足りない。もし、トルストイが『復活』以外に何も書かなかったとしても、なおかつ,彼は大作家の一人として認められたであろうと思われるほどに、この作品の絶対的な芸術性は高いものである。」(世界文学全集第二八巻「復活」 一九二七年 新潮社刊 より」)
こうして、全身全霊をあげてというべき、驚くべき情熱をもって、トルストイはキリストの無抵抗のあり方を主張し、擁護し、そのために、新たな大作を生み出したのである。彼の著作はロシアでは次々と発行禁止となっていったが、そうした弾圧にもかかわらず、次々と写本などによって広がり、国外にも知られるようになった。トルストイが広く世界的に知られるようになったのは、「戦争と平和」とか、「アンナ・カレーニナ」といった大作によってより、まず、こうしたキリスト教に関する著作によってであったという。
内村鑑三もトルストイの持つ深い意味を、とくに彼の非戦の立場からも特別な共感をもっていたのは次のような言葉からうかがえる。
トルストイ一人は、ロシアの一億三千万の民よりも大である。キリスト一人は世界十三億の人よりも大である。米のルーズベルトとイギリスのチャムバレーンとが戦争の利益を説いても、我々は彼らに聴く必要はない。全世界の新聞記者は筆を揃えて戦争に賛成をしても我らは彼らに従う必要はない。われらはただ主イエスキリストの言に聴けば足る。世がこぞって戦争を讃美するときに、われらは天よりお降りになった神の子の声に聴いて、我らの心を静めるべきなのである。(「聖書之研究」一九〇四年九月)
今の世界に二大偉人がいる。その一人はロシアのトルストイであり、他の一人は米国のカーネギーである。前者は終生、非戦を主張し、後者は廃戦を生涯の業としている。この二人に比べるならば、法王は光を失う。もしキリストの弟子であるにもかかわらず、戦争を認めるというのなら、その者はどんな罪悪をも認めることになる。…今のいわゆるキリスト教の指導者たちは戦争を認めて、軍旗を祝福して恥じるところがない。
ここにあげた二人のような人物は、誠に人類の現在の王と称することができよう。(同一九〇九年 九月)
トルストイ翁逝く。…彼の存在によって日露戦争に破れたロシアはなお、世界に重要な位置を占めることができた。彼のような者がいない日本は、戦争に勝利したといえども、なお戦いに勝ちし日本になお劣った点を感じさせる。そして、今やこの人は逝(い)った。
トルストイが忌み嫌ったものが二つあった。その一は戦争であり、もう一つは教会であった。かれは戦争を嫌ったゆえに戦争を助けた教会を嫌ったのである。ロシア正教会はかれを破門した。…
ロシア正教会はトルストイを破門したが、神はその正教会を破門されたのである。(一九一〇年一二月)
このように、内村鑑三は、周囲のあらゆる政治的、宗教的な圧力にもかかわらず、非戦を貫いたトルストイの姿に深く共感しているのがわかる。最後に引用したのは、トルストイが死去したのが、その年の十一月二十日であったから、ただちに内村はこの文章を書いたのがうかがえるし、そこに彼のトルストイへの強い関心が現されている。
このトルストイの著作に強い影響を受け、世界的に大きな影響を与えたのが、インドのガンジーであった。
彼は若いとき、アフリカにいるときに、ひどい人種差別を受け、その撤廃のために非暴力の方法によってそのような差別的法律に反対する運動を始めた。ガンジーは、イギリスで学んだときにキリスト教に触れていたが、その後も南アフリカで、クェーカーのキリスト者たちとも強いつながりを保った。差別に非暴力の手段で抵抗するうちに多くの人たちが逮捕され、その家族を支えるための場としてつくられた施設が、「トルストイ農場」と名付けられたことをみてもトルストイの影響の大きいことがうかがわれる。
彼は、次のように言っている。
…新約聖書からは、(旧約聖書とは)全く違った印象を受けた。とくに山上の垂訓(マタイ福音書五章~七章)は、私の心に直接に通じるものがあった。…「しかし、私はあなた方に言う、悪しき者に逆らうな。もし人があなたの右の頬を打つなら、左をも向けよ。」という一節は私の心をこよなく喜ばせた。このような態度は、宗教の最高のあり方として、非常に強く私の心に訴えるものがあった。…
トルストイの著作「神の国は汝らの内にあり」は、私をとりわけ惹きつけた。それは私に永久的な印象を残した。」(「ガンジー」89頁、131頁 スタンレー・ジョーンズ著 一九五五年刊)
ガンジー自身は、ヒンズー教徒であると言っているが、このように彼の生涯を決定的にした非暴力による戦い、ということは新約聖書のキリストの教えと、それを情熱的に説いたトルストイの影響が最も大きく働いたのであった。
彼は、非暴力の教えを、インドの書物からも学んだが、こう言っている。
「その教えー悪に対するに善をもってなすーが、私の指導的原理となった。私はそれに強い熱情を感じた。…私の心の中にしっかりとこれを結びつけたのは、新約聖書である。」(同右
)
また、ガンジーに最大の影響を与えた書物、または人物は誰か、との問いに答えて、
「書物では聖書、人物では、ラスキン、及びトルストイ」と答え、後年になってインドの古い書物であるギータを付け加えたという。
そして彼が終生の住み家とした小屋のような家には、電気もなく、小さな机、書棚があり、そこには、インドの古い書物ギータと共に、ヨハネ福音書が置かれ、文鎮には、「神は愛なり」という、ヨハネの手紙にある言葉が刻まれていた。また、壁の一方には、キリストの絵がかけられていた。
(「ガンジー」カルヴィン・カイトル著 二二四頁 一九八三年刊)
このようにして、キリストの非暴力による戦いの精神は受け継がれ、さらにこのことは、アメリカの黒人の差別撤廃運動に決定的な足跡を残した、マルチン・ルーサー・キングにつながっていく。キング牧師は、ガンジーの影響を強く受けたことを繰り返し述べている。
こうした大きな流れ、もとをたどっていくと、結局はキリストにその源がある。そのキリストに二千年を超えたそのような現実的な力を及ぼすのは、「悪人に手向かうな。敵を愛し、迫害するもののために祈れ」と言われた主イエスの教えが、単なる教えでなく、背後に神の力と権威があるからである。大地の下を地下水が流れているように、この世界の奥深いところに神の真理がその力とともに流れているからである。
主イエスが、「天地は滅びるであろう。しかし、私の言葉は滅びることがない。」と確言された通りである。
アメリカはキング牧師の働きを国家的重要性を持つものとし、永久的に記憶に残すべきとして、彼の誕生日(一月十五日)を記念して、一月の第三月曜日を国家の祝日にしている。誕生日が祝日になっているのは、他にはワシントンとリンカーンだけだから、アメリカの歴史で特に重要な位置づけがなされているのである。
キング牧師は、その短い生涯の終りに近い頃、はっきりと平和への道を聖書にあるように、啓示されていた。
…今日も、そして明日も困難に直面するとしても、私にはなお夢がある。それはアメリカの夢に深く根ざした夢なのだ。
つまり、いつの日か、この国が立ち上がり、
「我らは、これらの真理を自明のものとして承認する。すなわちすべての人間は平等に造られている」(独立宣言の一句)というこの国の信条の持つ真の意味を生きるようになるという夢なのだ。
…
私には夢がある。ジョージアの赤色の丘の上で、かつての奴隷の子孫とかつての奴隷を所有した者の子孫が同胞として同じテーブルにつく日が来るという夢が。
So even though we faces the difficulties of today and tomorrow,
I still have a dream. It is a dream deeply rooted in the American dream.
I have a dream that one day this nation will rise up and live out the true
meaning of its creed. "We hold these truths to be self-evident: that
all men are created equal."
I have a dream that one day out in the red hills of Georgia the sons of
former slaves and the sons of former slave owners will be able to sit down
together at the table of brotherhood. I have a dream !
…ミシシッピーの全ての丘から、自由の鐘を鳴らそうではないか!
すべての山々から、自由の鐘を鳴らそうではないか!
そして、私たちが自由の鐘を鳴らす時、
私たちがアメリカの全ての村、すべての教会、全ての州、全ての街から自由の鐘を鳴らすその時、
全ての神の子、白人も黒人も、ユダヤ人も非ユダヤ人も、プロテスタントもカトリックも、
皆互いに手を取って古くからの黒人霊歌を歌うことができる日が近づくだろう。
「自由だ!ついに自由だ!全能の神よ、感謝します。ついに我々は自由になったのだ!」と。
Let freedom ring from every hill and molehill of Mississippi and every
mountainside. …
When we let freedom ring, when we let it ring from every tenement and every
hamlet, from every state and every city, we will be able to speed up that
day when all of God's children, black men and white men, Jews and Gentiles,
Protestants and Catholics, will be able to join hands and sing in the words
of the old spiritual,
"Free at last, free at last. Thank God Almighty, we are free at last."
このキング牧師の演説には、彼が、すでに引用した、旧約聖書の次の箇所と相通じるものがある。
終わりの日に
主の神殿の山は、山々の頭として堅く立ち
どの峰よりも高くそびえる。国々はこぞって大河のようにそこに向かい
多くの民が来て言う。
「主の山に登り、ヤコブの神の家に行こう。主はわたしたちに道を示される。わたしたちはその道を歩もう」(イザヤ書二章より)
キング牧師のあの数々の危険に直面してもあくまで、キリストの精神に従って非暴力の抵抗を示したその背後には、このように、神からの啓示を受けていたという事実がある。啓示は単に未来のことを知らされるということに終わるのでない。それは、力を伴うのである。
このように、聖書の表現では、啓示を受けた、ということを、キング牧師は、より一般的にわかりやすい言葉、「夢がある」という表現を用いた。旧約聖書では、しばしば、「幻」と訳されているが、これは適切な訳語ではない。原語としては、ハーゾーンが、主として用いられていて、ハーザーという「見る」という動詞の名詞形であって、英語訳聖書では、vision と訳されている。これは、日本語の「幻」という語は、「実際にはないものが、あるように見える」 のであるが、聖書に言う預言者が見ることを許された「幻」はそのようなものではない。
例えばイザヤ書の冒頭に、「イザヤの見た幻(ハーゾーン)」とある。これは、イザヤが霊的に引き上げられて、普通の人には見えないものが、見えるようにされたのである。これは霊的な現実のことを、ベールをとって見させていただいた、ということなのである。
キング牧師は、一九六八年四月三日、暗殺される前夜におどろくべき演説を行なっている。
…私自身、自分の身の上に何が起こるか分からない。これから相当困難な日々が私たちを待ち受けている。しかし、私はそんなことはもう気にならない。
私はすでに山の頂きに登ってきたからだ。…今はただ神の意志を現したいという気持ちでいっぱいだ。神は私を山の頂きまで登らせて下さった。その頂きから約束の地が見えた。
…分かって欲しいのは、私たちは一つの民として約束の地に行くのだということだ。だから今私は喜んでいる。私はどのようなことにも心は騒がない。
主が栄光の姿で目の前に現れるのをこの目で見ているのだから。
この生涯で最後の演説は、差別と悪に満ちた現実と、神の究極的な喜ばしい世界とが重なり合った緊張ある内容となっている。暴風雨警報の出ている中、立錐の余地もない一万一千人の人たちを前に、準備する時間もなく、原稿も用意することなく、彼は演説に臨んだ。そして霊に導かれるままに語ったのであった。
彼は、「すでに山頂に登ってきた」といった。これはモーセが、約束の地を前にしてヨルダン川の東の山の頂きからその場所を見つめたという聖書の記述が背景にある。しかしそれにとどまらず、預言者たちが霊によって引き上げられたということと同じであって、彼の魂の目は、はっきりと神の約束の地、そして世の終わりのときに、すべての差別もなくなって、真理のもとに流れてくる、という預言者イザヤと同様の啓示を受けていたのであった。
この神の国を目指す流れが歴史の中においても確固として存在し、それは多くの名も知られない人々の心の中を流れ、適切なときにすでに述べたような特別な証し人が起こされてきた。
しかし、それが地上において現実になるためには互いに憎み合い、攻撃しあうような本性そのものが打ち砕かれねばならなかった。その目的のために、人々の罪を担って、自らの命を捨てるようなお方が現れることが預言された。このような人間が現れることが、不可欠であるのを、イザヤ書五十三章は述べている。
彼は軽蔑され、人々に見捨てられた…
彼の受けた懲らしめによって
わたしたちに平和が与えられ
彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。(*)
…わたしたちの罪をすべて
主は彼に負わせられた。
屠り場に引かれる小羊のように
彼は口を開かなかった。
捕らえられ、裁きを受けて、彼は命を取られた。
彼の時代の誰が思い巡らしたであろうか
わたしの民の背きのゆえに、彼が神の手にかかり
命ある者の地から断たれたことを。…
わたしの僕は、多くの人が正しい者とされるために
彼らの罪を自ら負った。
彼が自らをなげうち、死んで
罪人のひとりに数えられたからだ。(イザヤ書五三章より)
こうして真の平和のためには、特別なお方の犠牲による死があるのだということが預言され、ずっと後になって、たしかにキリストが現れ、この預言通りに生きられたのであった。
イザヤ書で預言され、キリストにおいて完全に実現された平和への道、それは、他者の罪を担うために、自ら命を捨てるというキリストの犠牲によって成就された。
さらに、イザヤ書には、最終的な平和ということも記されている。それは、世の終わりを見つめてのことである。
それは新しい天と地という言葉で表現されている。
見よ、わたしは新しい天と新しい地を創造する。
初めからのことを思い起こす者はない。それはだれの心にも上ることはない。
代々とこしえに喜び楽しみ、喜び躍れ。わたしは創造する。見よ、わたしはエルサレムを喜び躍るものとして
その民を喜び楽しむものとして、創造する。(イザヤ書六五・17~18)
わたしの造る新しい天と新しい地が
わたしの前に永く続くように
あなたたちの子孫とあなたたちの名も永く続くと
主は言われる。(イザヤ書六六・22)
しかし、このイザヤ書の箇所とその前後を読むと、「新しい天と地」は、まだイスラエル民族や彼らの信仰の中心であったエルサレムのことと結びつけられて記されている。しかし、この箇所は、将来の全世界、さらに宇宙に生じる最終的な状況を預言するものとなった。
このことは、主イエスが次のように言われたことと深くつながっている。
…その苦難の日々の後、たちまち
太陽は暗くなり、
月は光を放たず、
星は空から落ち、
天体は揺り動かされる。
そのとき、人の子の徴が天に現れる。(マタイ二四・29~30より)
このように、すでにあるこの世界(宇宙)が過ぎ去るということが言われている。主イエス自身も、「天地は滅びるが、私の言葉は決して滅びない」(同35)と言われた。
この目に見える天地宇宙は滅びる、と言われる。しかし、滅びないものがある。ここでは、キリストの言葉である。キリストの言葉とは、神の言葉であり、神のご意志に他ならない。そしてその神の万能のご意志によって、世の終わりには新しい天と地が創造されるということが、聖書の最後の巻である黙示録に記されている。
わたしはまた、新しい天と新しい地を見た。最初の天と最初の地は去って行き、もはや海もなくなった。
(黙示録二十一・1)
これは、主イエスの言われた言葉、「太陽も月も暗くなり、星も光を失う」ということは、「天地が滅びる」ということであり、その上で、新しい天と新しい地が生じる、ということである。
ここに、聖書における平和の究極的な姿がある。今の人間や世界をどれほど改善しようとしても、人間の本性はよくならない。これは、戦後六〇年を振り返ってもわかる。教育は戦前よりはるかに普及し、物質的にも世界最高レベルといえるほどに豊かになっている。しかし、だからといって平和が来るのではない。
イザヤ書や黙示録で言われているように、この世の延長上に究極的な平和が人間の努力や会議などで来るのでなく、神の万能の力によって新しい天と新しい地がもたらされることによって来るのである。それは、キリストが来られてからは、キリストが再び来ることによってであると記されている。このように、世界の平和というのは、信仰によって啓示されるものなのである。
そのように、究極的な平和ということを指し示しつつ、この世に生きる人間にその平和の本質的なものを実感することができるような道を開いて下さった。それが次のよく知られた意味深い言葉である。
、
…わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心配するな。恐れるな。(ヨハネ十四・27)
この、主の平和を与えるという約束と、主イエスこそが闇に輝く光である、ということとは深くつながっている。神の光を受けるならば、私たちの魂は平和を与えられるからである。
…わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。…(ヨハネ福音書八・12)
これは、この同じ福音書の最初にある次の言葉と響きあう言葉である。
…光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。(ヨハネ一・5)
光はいかなる闇にあっても、そこに注がれることができる。聖書の最初にある、果てしない闇が混沌と深淵を覆っていたがそのただなかに「光あれ」との神の一言によって光が生じたという箇所は、このキリストの存在によって完全なかたちで成就したのである。
平和への道、それは聖書の最初から、一貫して示され、いかなる時代の変革や状況にもかかわらずに続き、存在してきた。私たちはこの永遠の平和への大道を示されているのであって、私たちの真剣な求めによって、それは今後とも、消えることなく、はっきりと示され続けるであろう。
ことば
(249)神の愛の種から
この世に、真実にまさって確実なものがあろうか。 救世軍はただ、世の中の貧しく、あわれな人々を助けたいとの一念から、生れたものである。救世軍は造り出したものではなく、進化してできたものであり、また成長したものである。
救世軍(*)は、ただその初めは、私の小さい胸の中に置かれた、神の愛と名付ける種子が成長し大きくなったものに過ぎない。(「ウィリアム・ブース」36P 山室武甫著 玉川大学出版部)
・主イエスが、種まきのたとえで言われたことが、実現している例の一つであるが、このように広く知られるようになったことだけでなく、あらゆる真によきことは、そのたとえで言われていて、ここでもブースが述べているように、一人の小さな胸の中に蒔かれた神の愛という種から始まる。
そのことは、私たちを励ます真理となっている。 能力とかお金、あるいは人間などから出発するのでなく、どんな状況であれ、神の愛の種はいかなる人の胸にも蒔かれ得るのであり、そこからたえずよきものが成長していくと約束されているからである。
(*)救世軍は、一八六五年にイギリスのメソジスト派の牧師、ウィリアム・ブースと妻キャサリンによって、ロンドン東部の貧しい労働者階級に伝道するために設立された。当初は「キリスト教伝道会」と称したが、キリスト者とは目に見えない悪との霊的な戦いに召された兵士であるという聖書の教えによって、一八七八年に「救世軍」と改称した。
現在では、救世軍はイギリスで政府に次ぐ規模の社会福祉団体であり、伝道事業とともに、百十一の国と地域で一万二千ヵ所近くの社会福祉施設、教育機関、医療施設を運営する、キリスト教(プロテスタント)団体となっている。)
ヒルティも彼と同時代に生れたこの救世軍をいち早くその真価を認めて、その著書でもしばしば触れている。
なお、創始者のウィリアム・ブースは、救いについて 「我々は主張する、主イエス・キリストにより、信仰、希望および愛は、何らかの決まりや洗礼などの儀式などの有無にかかわらず、人を天国に送る。」と述べている。これは、ローマ書、ガラテヤ書などに強調されている、「人が義とされるのは、信仰による」や、「尊いのは愛によって働く信仰である。」(ガラテヤ書五・6)、「割礼の有無は問題でない。ただ新しく造られることこそ、重要なのである」(同六・15)、「ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなた方はまもなく聖霊による洗礼を受ける」(使徒一・5)などに根拠をもった主張であり、この聖書的根拠と、禁酒をとくに強調してアルコール中毒から立ち直ろうとする人への誘惑とならないために、そして形式主義に流れることを排するために、救世軍では、水の洗礼、ぶどう酒を使う聖餐などの儀式は行なわない。
ブースは、「救世軍に属する人は、あらゆる点で宗教的でなければならない。彼がとるすべての食事は一つの礼典であるべきである。そしてすべての思想も行いも、神に対してなされる働きであるべきである。」と述べている。(同書一三〇頁)
(250)主イエスが祈って下さる
時間になっても祈りに集中できないとき、簡単な解決方法があります。
私の心の中におられるイエス様に、どうか、私のために祈って下さい、私の心の静けさの中で、どうか天のお父様にお話しください、とお願いすればよいのです。
(あなたが神に)話すことができないときは、イエス様が私のために話して下さいます。祈れないときには、イエス様が祈って下さいます。ですから、私たちはこう言うのです。
「私の心におられるイエス様、私はあなたの真実な愛を信じています。」(「マザー・テレサ 日々のことば」五四頁)
When the time comes and we can't pray, it is very simple : if Jesus is
in my heart let him pray,let me alow him to pray in me,to talk to his Father in the silence of my heart. if I cannot speak,he will speak for me; if I cannot pray, he will pray. That's why we say :
"Jesus in my heart , I believe in your faithful love for me."(「THE JOY IN LOVING」98P)
・私たちが祈れないときがある。心が重く、あるいは魂の疲れや動揺のために祈る心すら失いそうになることがある。そのような時に、私たちの意志や気持ちに頼るのでなく、主イエスに頼ることができる。主イエスご自身、弟子たちのために祈った、と記されている。「しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。」
(ルカ二二・32)
キリストは完全な愛のお方であるゆえに、私たちが霊的に立ち上がれないような時にこそ顧みて下さる。キリスト者同士でも、祈られ、祈る関係であるなら、主イエスも私たちのために祈って下さることを信じることができる。
日常のいろいろの心にかかることも主イエスに委ねるように、祈れない私のために祈って下さい、と委ねることができるのも大きな恵みである。
(251)奇跡
驚くべきこと、救いへと召されたことは。
心が揺るがないのは、ただ奇跡による。
夜から光にいたる道は
すべての段階が奇跡に満ちている。
(ヒルティ著 「眠られぬ夜のために」第一部 12月20日の項より」)
WunderbarzumHeilberufen,
NurdurchWunderwankst du nicht;
WunderbarsindalleStufen
Auf demWeg von NachtzumLicht.
・この短い詩において、原文では「驚くべき、奇跡のような」という意味の wunderbar や、その名詞 Wunder(英語の wonder に相当するドイツ語) が三回も用いられている。それは私たちが個人的に神から呼ばれ、救いへと導かれたことは、奇跡としか言いようのないことと実感するからである。
いろいろこの世には、次々と心を暗くするような意味での驚くようなことが生じる。しかし、一度、魂の深いところで、ここに言われているような「驚くべきこと、奇跡」を体験した者は、周囲でのどのようなことが生じても、動かされなくなる。それは、人間の意志の力とか学識や経験などから来るのでなく、この詩が言っているように、やはり神の力による支えであり、「奇跡」なのである。
さらに、私たちがかつての闇の生活から、こうした光ある世界へと導かれたこと、そしてその歩みの一つ一つに、神の御手が働いていることを実感するゆえに、奇跡だと感じる。
休憩室
○滝廉太郎
「荒城の月」は昔から特に有名な曲ですが、これを作曲した、滝廉太郎とキリスト教との関係は、最近までほとんど知られていないことでした。
滝廉太郎は、二十一歳の時、すなわち一九〇〇年十月七日に、東京の麹町下二番町にあった博愛教会で洗礼を受けています。津田塾大学の創設者として有名な津田梅子は、この教会員でした。
「荒城の月」は、滝廉太郎が受洗した年に作曲されたということで、この曲は彼のキリスト信仰の心を反映しているのではないかと考えられています。
キリスト者となった翌年、日本人の音楽家として二人目で、ドイツのライプチヒ王立音楽院に留学しましたが、二ヶ月後に肺結核を発病し、帰国。一九〇三年、二十三歳で死去しています。
カール・ヒルティを日本に初めて紹介した、ケーベル博士は、キリスト者で、東京帝国大学で哲学を教えるとともに、音楽家(ピアニスト)で、東京音楽学校(現在の東京芸術大学の前身)でも教え、そこで、滝廉太郎にもピアノを教えました。
なお、荒城の月の作詩者である、土井晩翆自身はキリスト者でなかったけれども、彼の妻と長女は熱心なキリスト者であったということが分かっています。そのために、荒城の月の歌詞にも、この世が移り変わるのに反して、天の光の永遠を歌っているのはそのようなキリスト教的な影響があったのではないかとも考えられます。
(土井晩翆は、東京帝国大学英文科卒業後、詩集「天地有情」を発表。仙台の第二高等学校教授。文化勲章受章。)
三)いま荒城の夜半の月
かわらぬ光誰がためぞ
垣に残るはただ葛
松に歌うはただ嵐
四)天上影はかわらねど(*)
栄枯は移る世の姿
写さんとてか今もなお
ああ荒城の夜半の月
(*)ここでの「影」とは、古語としての意味で「光」という意味で、天にある光は変ることがないが、この世はたえず栄えまた衰える、ということである。なお、広辞苑にも、「影」の説明の第一に、「日・月・灯火などの光。」と記して、その本来の意味をあげている。星影とか、月影などという言葉は、古くから使われているがこれらも、星の光、月の光
という意味。
この荒城の月は、キリスト教とは関係のない歌と思われてきましたが、最近になって、すでに述べたように滝廉太郎自身がキリスト者であったこと、さらに、この曲が、日本人のある神父の紹介からベルギーの修道院の聖歌隊の指揮者の心に残り、そこでの聖歌として祈りの歌となって用いられていることが判明しています。その聖歌を含むCDも日本で販売されており、私はその一部を聞いてたしかに静かな祈りをうながす曲として用いられているのを感じました。
(この記事は、「讃美歌・唱歌とゴスペル」二〇〇六年十一月 創元社発行 などによる紹介です。)
全く日本的な作曲家だと思われていた滝廉太郎にキリスト教の命が流れていること、また作詞者の土井晩翆にもその家族にキリストの光が射していたことなどを知ると、いかにキリストのいのちの水が、多方面に深く浸透しているかを改めて知らされる思いです。
編集だより
○この一年も、主に導かれ、読者の方々、そして私どものキリスト集会の方々に支えられて、「いのちの水」誌の発行を続けることができたことを感謝します。この小さな印刷物ですが、タイトルのように神のいのちの水が少しでも注がれることに用いられますようにと願っています。
○今月号の「平和への道」という文は、十二月十日(日)の午後二時から大阪市中央区 アピオ大阪市立労働会館で行なわれた、クリスマス講演会で語ったことをもとにした内容です。
当日は、引用したキング牧師の、一九六三年八月二八日の、ワシントンD・C リンカーン記念聖堂での演説の録音の一部を聞いて頂きました。
I have a dream という有名な演説で、特にその終りの言葉、「ついに、自由だ…」の部分、「Free at last, free at last. Thank God Almighty, we are free at last.」と語る彼の言葉には、あたかも背後に目に見えないお方がいて、彼に語らせているかのような力強さがみなぎっています。
今も、神は、私たちの背後にいて、「ここに真理が、自由がある」と語りかけて下さっているのを思います。
○来信から
・「いのちの水」11月号では漱石の「心」とトルストイの「アンナ・カレーニナ」が取り上げられていまして、懐かしく思い出されたことがあります。
高校時代に私はこの二作品を、文化祭で研究発表したことがあったのでした。両者とも 自殺 という悲劇で終わっていますが、その原因を考えるべく研究し始めたのでした。キリスト教にホンの少しふれていた時期でした。「心」には心の重荷から開放されるヒントは見出せなかったけれど、思春期の私には「心」の重苦しい心の内面に自分を重ねて惹かれるものがありました。
「アンナカレーニナ」ではレーヴィンこそトルストイ自身であるとわかり、光の道があることを知りました。 「いのちの水」を拝読し、後者を再び読み直したいと思いました。(関東地方の方)
・「いのちの水」誌から、私の今に呼びかけて下さいます様々の神様の細きみ声が、聞こえてきます。そして何よりも「祈りの心、祈りの手は生きている人間に…」との言葉を大切に心に受けました。
十月に日光に行ったとき、いろは坂を上るほどに深まる紅葉に、神様に導かれて歩む人生の秋の彩りを思いました。
そして「九十の坂は胸突き八丁」と言われながらも、「主に負われて百歳」を豊かに生きられたK先生のことを天国に偲びました。(関東地方の方)
お知らせ
○十二月三十一日(日)は今年最後の主日礼拝で、いつもと同様に午前十時三十分からの開催です。また、その翌日の一月一日は、二〇〇七年の元旦礼拝で、例年のように午前六時三〇分から始まります。三十一日の礼拝が前日にあって、礼拝が続きますが、新しい年を神の言葉によって始めることができる恵みを共にできますようにと願っています。
○一月の、鈴木宅での小羊集会は、いつもの第一水曜日でなく、第二水曜日の一月十日午後三時三十分からとなります。
○以前にも紹介したことがありますが、パソコンでインターネットを用いている人は、つぎのサイト(高槻市の那須 容平さんによる)によって、私たちの徳島聖書キリスト集会の日曜日の礼拝の聖書講話をそのまま、ダウンロードして聞くことができます。http://www.geocities.jp/ekklesiajapan/
○二〇〇七年の四国集会の予定が高知県の甲藤 浩三兄から送られてきました。
・主題「一人も滅びないで」
・日時 五月十二日(土)十二時~十三日(日)十二時まで。
・場所 高知共済会館
〒780-0870
高知市本町五丁目三~二〇(高知市役所の西隣り。玄関前の道を隔てた前方に駐車場がある。)
この四国集会も主の祝福と導きを受けて、御心にかなうものとなりますようにと祈ります。