巻頭言 |
2006年1月 第540号・内容・もくじ
地上の声、天上の讃美
もし、この世界を地球のはるか上方から見るとすれば、この地上には喜びの大いなる讃美はどこにあるだろうか。戦争、内戦、飢餓、対立、病気等々、喜びの声でなく、悲しみ嘆きの声のみが聞こえてきそうである。
ところどころ大歓声がある。それは野球場やサッカー場からである。しかしそれは実にはかない。勝ったといって大歓声があったかと思うと次のときにははや何の音もないということもある。高みから見るとすればそのような喜びのような声はほんの一瞬で消えるはかないもの、として聞こえるだろう。
しかし、もっと上に、霊的なたかみに引き上げられるなら、そこでは、おびただしい天使たちの大いなる歌声とも祈りともつかないものが聞こえてきたという。
私は多くの天使の声を聞いた。その数は万の数万倍、千の数千倍であった。天使たちは大声でこう言った。
「ほふられた小羊は、
力、豊かさ、英知、霊的な力、栄光そして讃美を受けるにふさわしいお方!」
(黙示録五・11~12より)
このような壮大な讃美があるだろうか。その声はどれほど大きく力あるものであるか、想像もできないほどである。
地上で迫害の嵐が吹きすさぶただなかにあって、霊的な高みではそれをかき消す膨大な天使たちの、しかも大声での讃美が響きわたっているという。
黙示録の著者が受けたこの啓示は、ローマ帝国の荒々しい迫害のただなかにあって与えられたものであった。
それは現在においても、この世界の中で光を見ることができず、苦しみのただなかにある人間への励ましであり、招きである。
世界がどのような状態であろうとも、天上の讃美は今も響いている。どのように、わたしたちが今、希望を失い、暗い状況が取り巻いていても、霊の目で天を仰ぐとき、天上の讃美は力強く私たちを招いているのである。
二つの現実の世界
最近は暗い事件が多い。しかし、それは目に見える世界のことである。私たちの存在そのものが、目で見える体と、精神とか心とか霊、あるいは魂などいろいろと表現されている目には見えない部分から成り立っている。
そして目には見えない部分こそ重要である。この世を暗くするような事件はたいてい、目に見える体は元気だか、見えない部分である心、精神が悪の力に負けた人たちによって起こされている。
この世もまた同様であって、目に見える世界だけが現実の世界ではない。混乱や戦争、飢餓などいろいろと暗い現実はいつの時代にもある。
しかし、それだけが現実なのでない。もう一つの目には見えないが、現実に存在する世界がある。
そこでは清い水が流れ、いのちにあふれた存在があり、賛美がある。いかなるこの世の暗雲によっても曇らされることのない清澄な世界がある。
聖書には、この二つの現実が他のいかなる書物に増して最も鋭く見つめて記されている。
そして目には見えない世界こそが、いかなる災いや混乱、時代の変化にもかかわらず消えたり滅びることなく永遠に存在し続ける世界なのである。その世界を見つめつつ、見える世界を見る、それこそが本当に現実を見るまなざしなのである。
平和主義はなくならない
今、日本の憲法に基づく平和主義は、大きな転機にある。数千年前の旧約聖書に早くもその淵源を見ることができるこの平和主義はその真価を知らない人たちによって大きく揺さぶられている。
すでに世界有数の軍事力を有するに至った現状では、この憲法は空洞化され、その平和主義は風前のともしびのように見える。
昨年の選挙で自民党が大きく数を伸ばしたことが、そのともしびを吹き消す強い風のように吹きつけている。
もう少しその風が強くなれば吹き消されるのではないかという現実の状況がある。
しかし、吹き消されないものがある。いかに世情が変わろうとも、天地異変が起きようとも決して消されることのないものがある。
それが、キリストの平和主義である。キリストの存在そのものが、究極の平和主義である。いかに政治の状況や若者の動きが変化しようとも、吹き消されることはありえない。
逆にキリストの真理を消そうとするようなことをもしも本気で試みようとするものがあれば、そのような者こそ吹き消されていくであろう。
すでにこのことは、主イエスが言われたことである。
…この石の上に落ちる者は打ち砕かれ、この石がだれかの上に落ちれば、その人は押しつぶされてしまう。」(マタイ福音書二一・44)
キリストによって各人の罪が赦され、清められ、そこから神との平和(深い結びつき)が与えられる。その平和こそ、あらゆる平和の根源である。この神との平和が何より重要であるというのが、聖書の平和主義である。
このような平和主義を壊そうとするなら、そのような者こそ砕かれてしまうであろう。
国会や特定の政党などのかけひきや芝居がかった選挙などでは決して廃棄されない「キリストの平和」は、この世界の目には見えない土台に永遠に書き込まれているのである。
英知の言葉から (その2)
罪を隠している者は栄えない。告白して罪を捨てる者は憐れみを受ける。(旧約聖書 箴言二八・13)
No one who conceals transgressions will prosper, but one who confesses
and forsakes them will obtain mercy.
(New Revised Standard Version)
この聖書にある言葉から、ここでは、罪を告白すること、そしてそれを捨てることから与えられる恵みについて考えてみたい。
「栄える」とは、この箇所の古代ギリシャ語訳は、「よき道を行く」euodoo (eu 善い hodos 道)という言葉であるが、罪を隠しているなら、日々の私たちの歩みはよいものが伴わない。
それに対して、私たちが祝福され、人生の歩みのなかで真によきことが生じていくということのために、すなわち、私たちの心の世界が広がり、深くされ、また精神の世界が力を得、そして良き何かを周囲にもつねにもたらしつづけることができるようになるためには、その出発点として、罪を告白して赦しを受けることだと言われている。
そのためには、罪を知らねばならない。知らない罪を捨てることはできないからである。
罪を捨てるとは、どのようにしてできるのか、それは悔い改め、十字架を信じるだけでよい、という新しい道が開かれたのである。
およそ栄えるということが、このような罪の告白とそれを捨てることが出発点にある、というようなことは、私自身キリスト教を知るまでは考えたこともなかった。栄えるためには、当然能力が必要であるし、また努力して他の者との競争に打ち勝たねばならない。
そして栄えるということを、この世で認められること、ほめられること、他者よりも抜きんでることだと思い込んでいた。
しかし、聖書でいう本当の意味で栄えるとは、完全な栄光を与えられていたキリストの例でもわかるように、そのようなこの世的なことではない。それはむしろ苦難であることが多い。本当の栄光は、神に用いられることである。
それが主イエスのように大いなる苦難を伴うこともある。
罪を隠さないで、信仰的に、霊的に信頼できる人に告白すること、それはたしかに深い意味のあることだと言えよう。それは自分の罪を捨てることにつながる。他者に告白することによって、その罪との決別を刻印することになる。そしてその罪を告白した相手の人とともに祈り、赦しと清めを受けることができる。
告白ということでは、福音書の書き方にすでに、使徒の告白が含まれている。福音書が書かれたとき、すでに使徒ペテロはキリスト者の集り(教会)のなかで最高の権威者、指導者であった。しかし、福音書には、そのペテロを称えたりする言葉は全くなく、逆にペテロが、主イエスが捕らえられたときに逃げてしまって、さらに三度もイエスなど知らない、といって否定したことをそのままに書いている。
また、後にはペテロ以上の大きな働きをすることになって、その多くの手紙が聖書に収められたパウロも次のように告白している。
…以前、私は神を冒涜する者、迫害する者、暴力をふるう者であった。…
「キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた」という言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値する。わたしは、その罪人の中で最たる者である。(Ⅰテモテ一・15)
…わたしはこの道(キリスト教)を迫害し、男女を問わず縛り上げて獄に投じ、殺すことさえした。(使徒言行録二二・4)
こうした告白によって自分がいかに弱く罪深い者であるかを周囲に知らせしめ、そのような者であるにもかかわらず、憐れみ、罪を赦して下さるキリストの愛を伝えようとしているのである。
告白ということについて、古代からよく知られている書物がある。
それはアウグスチヌスの「告白」である。ここには、彼の若い時代に犯した罪の歩みを具体的に告白するとともに、そのような罪をも赦し救い出して下さった神への大いなる讃美と感謝が記され、さらに聖書の霊的な説き明かしも添えられている。
「告白」という言葉の原語は日本語の告白というだけでなく、罪を告白すると同時に、感謝する、讃美するという意味を持っているので、アウグスチヌスはその双方を重ねて用いているのがうかがえる。
(*)「告白」という語は、ラテン語ではコーンフェシオー(confessio)であるが、 聖書のラテン語訳では、例えば、「喜び歌い、感謝をささげる声のなかを共にすすみ…」(詩編四二・5)の箇所のように、「感謝」とも訳されている。
彼の告白はだれに向かってなされているか、それはまず神に向かってであると思われるであろう。しかし、意外なことであるが、アウグスチヌスはこう言っている。
…私はだれに向かってこのようなことを話しているのか。神よ、あなたにではありません。みもとにあって人々に向かって話しているのです。
では何のために。 ― それは私と、まただれであれ、これを読む人が、自分たちは何という深い淵からあなたに向かって叫ばねばならないか、を考えるためです。じっさい、告白する心と、信仰によって導かれて生きることこそが、あなたの耳に一番近いのです。(「告白」94頁 「世界の名著」14 中央公論社刊)
なぜ、アウグスチヌスは、自分のこれから告白していこうとすることが、神に対してでなく、人に対してであるのか、それは、すでに彼は神への告白を十分になしていて、そこから大いなる祝福を与えられ、確固たる歩みを続けているからであった。
この箴言で言われているように、まず神に向かって告白し、神からの憐れみを豊かに受けて、そこから大いなる霊的なキリスト教信仰の指導者となっていったのである。
それゆえに、つぎにはその告白を周囲の人々に向かってしているのである。
人が神にむかって叫ぶ。それは憐れみや励ましを求め、また赦しをいただくためである。しかし、そのためには、自分自身が、深い罪の淵にて滅びのただなかにあることを深く知らなければならない。
彼が、「神の耳に最も近いものは、罪を告白する心と、赦して下さった神への感謝、讃美を伴う信仰の歩みである」というとき、彼自身はすでにそのことを深くじっさいに経験したのであった。罪を犯し続け、悔い改めのないときには、平安はなかったが、ひとたび心から悔い改めたとき、神はその赦しを求める叫びをただちに聞いて下さり、それ以後の歩みの中からの祈りをも近くにあって聞いて下さっていると実感していた。
それは、神ご自身のことをしばしば、「喜び」であり、「慕わしい存在」と呼んでいることからもうかがえる。(*)
(*)神に呼びかけるとき、アウグスチヌスは、「決して偽ることのない慈愛、祝福された慈愛よ!」と言うことがある。ここで「慈愛」と訳された原語は、ドゥルケードー
dulcedo であって、これは、英語の sweet と似ていて、食物などの味わいの「美味、甘い」ことにも、また心の「喜び」といったことにも用いられる。
この世では与えられない、神とともにある喜びを意味するから、ドイツ語訳では、Wonne(大いなる喜び) と訳している。(1955年 KOSEL-VERLAG社刊のもの)また、ロエブ・クラシックライブラリ版では、大文字を用いて、thou Sweetness never beguiling ,thou happy and secure Sweetness ! と訳している。 このような場合の、sweetという言葉は、日本語には適切な訳語がなく、「甘美」とか訳すると、原語のニュアンスが変わってしまう。これは、魂に深い安らぎと潤いを与えてくれる喜びそのものを指している言葉で、ダンテの神曲にもこの言葉から派生したイタリア語(ドルチェ dolce)が、「慕わしい、愛すべき、やさしい」というような訳語で百回以上も用いられている。(なお、この語は、英語では sweet と訳されることが多い。)
なお、「慈愛」とか「慕わしいもの」と訳したのは、一九二八年 春秋社発行の「世界大思想全集」第四巻の「随想録・懺悔録」40頁である。
アウグスチヌスの告白は、このように、まず直接に神に告白し、そこから神の大いなる赦しとそれに伴う喜びを与えられ、神が自分の魂のすぐ近くにきて下さったことを体験し、(それがすでに述べたように
dulcedo という語で表されている)そのゆえに、そのような罪の赦しと神の愛を何とかして知らせたいという思いで、告白という書物を著したのである。
こうした罪の告白が人間の魂の真の出発点をなすことは、古く今から三千年ほども昔から旧約聖書の詩編で言われている。
いかに幸いなことか。
背きを赦され、罪を覆っていただいた者は。…
わたしは黙し続けて
絶え間ない呻きに骨まで朽ち果てた。
御手は昼も夜もわたしの上に重く
わたしの力は
夏の日照りにあって衰え果てた。
わたしは罪をあなたに示し
咎を隠さなかった。わたしは言った。
「主にわたしの背きを告白しよう」と。
そのとき、あなたはわたしの罪と過ちを赦して下さった。…
あなたはわが隠れ家。
苦難から守って下さるお方。
救いの喜びをもって
私を囲んで下さる方。
神に逆らうものは悩み多く、
主に信頼するものは、慈しみで囲まれる。
主によって喜び踊れ。
すべて心正しき人よ、喜びの声をあげよ。
(詩編三二編より)
ここに、魂の真の喜びは罪が赦されたところにある、ということが実際の経験を通したことがありありと感じられる言葉で言われている。自分の罪を認めないうちは、心が荒れ、苦しみばかりであった。しかし一度自分の罪を明らかに示され、それを神に告白することによって、この作者はかつてない魂の深い平安と喜びを与えられ、立ち上がる力を与えられたのである。
人間は、楽しみや喜びというのは、よき家族、友達、健康、お金、職業…といったことにあるとほとんどが考えている。そしてそれは一般的な考え方から言えばたしかにその通りである。それらが全くなかったら、到底喜ばしい日々とはならないだろう。
しかし、それらがすべて与えられるなどということは、まずあり得ないし、与えられていると思う場合でも必ずそれらは年月とともに失われていく。
聖書の世界では、そうした時間が経てば失われたり、何らかの事件や事故、状況でたちまちなくなるもの、あるいは生まれつきとかで与えられないものを目的とするのでなく、だれでもが与えられる喜びを一貫して述べている。
それがこの箴言や詩編で言われている、罪を知り、その罪を赦され、除かれるということ、そこから神との霊的な愛の交流が与えられることなのである。
キリストが地上に来られたのも、単によい教えを述べるためでなく、この罪の赦しと喜びを与えるためであった。
そしてそれを受けたものはたしかにこのことこそが、真の幸いなのだと深く実感してそれ以外のものと取り替えようとは決して思わなくなるのである。
幻がなければ民は堕落する。(箴言 二九・18)
Where there is no vision, the people perish.(KJV)
この言葉は、このままでは本当の意味は伝わらない。なぜかと言えば、ここで「幻」と訳されている言葉の原語(ヘブル語)の意味は、日本語とは異なっているからである。「幻」という言葉は、例えば広辞苑では次のように説明されている。
「実在しないのにその姿が実在するように見えるもの。」
それゆえ、この訳語のままであれば、「実在しないものだが、実在するように見えるものがなかったら民は堕落する」、などという奇妙な意味になる。
このような不可解なことを言っているのではない。それでは意味が逆になってしまう。
この聖句の意味は、「神の国という確固たる実在を見つめていない民は滅びる」、という意味なのである。
この「幻」と訳された原語(ヘブル語)は、ハーゾーンといい、これは、ハーザー(見る)という動詞から作られた言葉である。それゆえ、実際に霊的な目で見たこと、なのである。本当は存在するのであるが、大多数の人たちには隠されている。しかし、特別に神に引き上げられた人はそれを見ることを得させていただくのである。英語訳では、この言葉は、多くが vision(見ること) と訳しているのもそのような意味を原語が持っているからである。
神に選ばれた人が、神によって特別に霊的なものを見せられたことを言うのであって、単に神秘的なことを見るだけでなく、霊的に引き上げられて与えられた神の言葉をも指す言葉である。
それゆえ、旧約聖書のなかで最も重要な書物の一つであるイザヤ書の冒頭に、このイザヤ書全体をあらわす言葉としてこの言葉が用いられている。
…アモツの子イザヤが、ユダとエルサレムについて見た幻。(イザヤ書一・1)
ここで「幻」と訳された原語は右と同様に、ハーゾーンであり、イザヤ書という大きな書物全体が、霊的に「見たこと」となっている。それは、霊的に引き上げられることによって見て、聞いたことも含まれている。だから「預言」という意味をも持っているのである。
預言とは、神の言葉を預かるということであり、単に未来のことを言うことではない。
神から特別に高められて、神の国を見せていただき、神の言葉を預かった、受けたということの記録がイザヤ書であると言おうとしているのである。
それゆえ、英語訳にも、この言葉を「啓示(revelation)」とか、「預言(prophecy)」と訳しているのもある。(NRSV、NIVなど)
こうしたことから、この言葉を本来の意味に従って訳すと、
「神の国を見つめることをしない民、啓示なき民は滅びる。」
というような意味になる。さらに、神の言葉なき民は滅びる、とも言える。
これは、前方に見つめるものを持たないとき、人間は混乱し、精神に確固たる秩序を失い、荒廃するということである。この世がまさにその通りである。神の国を見つめないで、金や快楽、地位、名声などを見つめていくときには、人間は手綱を失った馬のようにめいめいが勝手な方向にいき、互いに争い、憎んだり、戦ったりするようになる。そのあげくには滅びということになる。
戦争というのも、自国の利益を見つめ、またそれを推進する軍人や政治家は自分の力を誇示し、増大させるために始めたりする。そしてその結果はというと、おびただしい人たちの命を奪い、混乱し、荒廃する。
しかし、もし私たちが神を霊の目でしっかりと見つめ、前途に与えられる神の国を目指して歩むときには、周囲の混乱やざわめきにもかかわらず私たちは自ずから整えられ前進していくことができる。
重いからだの障害や病気、あるいは迫害や貧しさのただなかにあってもなお、深い平安や喜びを持っている人たちがキリスト者のなかにはいつの時代にも存在してきた。それはまさに、こうした霊のまなざしで見つめるものをしっかりと持っていたからである。
キリストはそうした霊的実在を見つめて生きた最高の模範であった。主イエスは、つねに神の国を見つめ、さらに十字架につくことを見つめて生きられた。そのために、わずか三十三歳で処刑されたが、その見つめていた神の国へと引き上げられ、神の右にあり、聖霊というかたちで、私たちのところに来て下さっている。
霊的なものを見つめるそのまなざしが強固であればあるほどに、あたかも渦のなかに周囲の水が引き込まれるように、周囲の者をもそこに引きつける。そして波動のように周囲にその力は伝わっていく。混乱していた人間は立て直される。
黒人解放のために命をかけて働いた、マルチン・ルーサー・キング牧師は、真の意味の「幻」(ビジョン)を持っていた人である。彼は黒人差別と不法の混乱のただなかにあったにもかかわらず、しっかりと見つめるものを持っていた。それは不滅のものであって、他の人にはぼんやりしていても、彼にはまざまざと見えたのである。
それが、一九六三年にワシントンで行なわれた次の彼の有名な演説からうかがえる。
私には夢がある。
いつかジョージア州の赤い丘で以前の奴隷の子と、以前奴隷を所有していた者の子が兄弟のように同じテーブルにつくのを。
私には夢がある。
いつか不正と圧制の熱気による蒸し暑さに苦しむ砂漠の州、ミシシッピーが自由と公正のオアシスに変わるのを。
私には夢がある。
いつか私の4人の子供たちが肌の色ではなく、彼らの人格で判断される国に住むのを。
私には夢がある。いつの日にか、荒れ地は平らになり、ゆがんだ地も真っ直ぐになり、そして主の栄光が現れる。(イザヤ書四〇・4~5)
これが我々の希望なのだ。この信仰をもってすれば、我々は絶望の山から、希望の石を切り出すことができ、この国の騒々しい不協和音を美しい兄弟愛の交響曲に作り替えることができる。(*)
この信仰をもってすれば、我々は共に働き、共に祈り、共に戦い、共に投獄され、またいつの日か解き放たれると固く信じつつ共に自由のために立ち上がることができるのだ。
(*)キング牧師の力強い表現を感じてもらうために一部、原文をここに引用しておく。
With this faith we will be able to hew out of the mountain of despair a
stone of hope.With this faith we will be able to transform the jangling discords of our nation
into a beautiful symphony of brotherhood. (hew 切る)
これはまさに、啓示を受けた人の言葉であり、真の意味の「幻」をはっきりと見ていた人の言葉である。はるか二五〇〇年ほども昔の旧約聖書での預言が成就される未来をまざまざと神に引き上げられて霊的な目で見ることができたのであった。
さらに、この演説の五年後(一九六八年)、テネシー州の大聖堂では一万人以上の人たちが集まっていた。そこで、彼は驚くべき演説をした。その最後の部分は次のような内容である。
…自分の身の上に何が起きるか分からない。これから相当困難な日々が私たちを待ち受けている。しかし、私はそのことはもう気にならない。
なぜなら私は山の頂きに登ってきたからだ。…今はただただ神のご意志を現したいだけの気持ちでいっぱいだ。神は私を山の頂きまで登らせて下さった。その頂きから見渡した。そのとき私は約束の地を見た。
みなさんと一緒には約束の地には行けないかもしれない。しかし、知っていただきたい。私たちは一つの民として約束の地に行くのだと。だから私は、喜んでいる。私の心はどんなことにも心配していない。どんな人間への恐れもない。
主が栄光の姿で私の前に現れるのをこの目で見ているのだから。(「私には夢がある ― キング説教・講演集」新教出版社245~246頁)
I don't know what will happen now. We've got some difficult days ahead.
But it doesn't matter with me now.
Because I've been to the mountaintop. … I just want to do God's will. And He's allowed me to go up to the mountain.
And I've looked over. And I've seen the promised land. I may not get there
with you. But I want you to know tonight, that we, as a people, will get
to the promised land. And I'm happy, tonight. I'm not worried about anything.
I'm not fearing any man. Mine eyes have seen the glory of the coming of
the Lord.
このように、彼がその戦いの年月を通して一貫して見つめてきた神の国、彼はそれを「約束の地」と表現しているが、それを彼は、霊的に引き上げられてまざまざと見ることを許されたのであった。
そしてさらに主イエスご自身がその約束の確実さを保証するかのように自分の前に現れるのを目の当たりにした。
これは旧約聖書に預言者や神に引き寄せられた人たちが見ることを許された聖書の意味における「幻」と同様なものであった。それはまぎれもなく存在するものであり、ただ預言者やキング牧師たちのようにとくに引き上げられた人たちは何にもましてその実在を実感することができたのである。
キリストも、死が近づいてきた頃、高い山に三人の弟子たちだけを連れて、祈るために登ったことがあった。そのときにイエスの衣が真っ白に輝き、その顔も太陽のように輝いたことがあった。(マタイ福音書十七章)
パウロ自身も、第三の天(楽園)にまで引き上げられ、語ってはならない言葉、語ることのできない言葉を聞いたと証ししている。(Ⅱコリント十二・2~4より)
このように、新約聖書においてもはっきりと「見ること」ができた人たちのことが記されている。
キング牧師の体験はこうした延長上にあると言えよう。
そして、このことは、キリストの時代からはるかにさかのぼってモーセやアブラハムという人たちからすでに始まっていたのである。彼らは、三千数百年以上も昔の人たちである。アブラハムは今のイラク地方で暮らしていたとき、神が現れ、見つめるべき土地、「幻」をはっきりと示された。そして彼はそのときから故郷を捨て、旅立った。その後はいろいろな波がありながらも一貫して神の指し示すものを見つめて生きることになった。
モーセも同様であった。キング牧師が用いた表現である「約束の地」は、モーセも多数の民を導いて、その四十年の荒野の厳しい旅を通じて命がけで見つめてきたものであった。
聖書はその全体が、このようにたしかに存在する目には見えない神の国、約束の地をめざす人々の記録なのである。そこに向かって人間は歩む。何か自分たちでは分からないある大きな力、流れに乗って進んでいくのである。
そして真剣に見つめる度合いが強いとき、必要なときに、神はそうした人を引き上げて実際にありありと神の国を見させて下さるであろう。
私たちは、そのようにはっきりと神の国、あるいは約束の地を見ることはできないかもしれない。しかし信仰が与えられている。信仰とは、まだ見ないものをもあたかも見たかのように、力を与えられて生きることであり、前進することである。
キリスト教信仰を与えられるということは、すなわち大いなるビジョン(神の国)を与えられるということ、生涯をかけて見つめるべきものが与えられるということである。
その道を歩むこと、それはキリストを信じるだけで、イエスご自身が道であるゆえに、だれでもがその道を歩み続けることが与えられているのである。
休むことの聖書的な意味
休みはいかにあるべきか、このようなことはあまり問題とならないだろう。それは週に何日休みがあるか、昼休みが何時間あるか、といったことはよく話題になっても、休みそのものがいかにあるべきなのか、そのようなことはたいてい話題にもならない。
とにかく仕事がないこと、休みがあればよいのであって、その休みがどんな内容であるべきなのか、それは個人的な問題だから、せいぜいじっとしていないで散歩するとか、趣味に打ち込むとか、ボランティアをやるのがいい、といったことである。
こうした一般のマスコミや人々の考えることと根本的に異なることが、聖書では書かれている。
そしてその聖書のとらえ方こそが、世界中へと広がって現在の日本のようなキリスト者が一%程度しかいないような国でも、そうした考え方が基本となっているのである。
それは聖書の最初からその問題は天地創造という最大の宇宙全体に関することと、結びつけて記されているのであって、休みということが人間がふつうに考えるような、単なる仕事をしないでのんびりする時、といったとらえ方ではない。
その最初の記述を見てみよう。
天地万物は完成された。第七の日に、神は御自分の仕事を完成され、第七の日に、神は御自分の仕事を離れ、安息なさった。この日に神はすべての創造の仕事を離れ、安息なさったので、第七の日を神は祝福し、聖別された。(創世記 二・1~3)
第七の日に創造の仕事を完成したから、その仕事を離れて休んだ。それだけでなく、その日を祝福し、聖別されたという。仕事を離れて休むといえば、ふつうはのんびりと娯楽、飲食、会話などに時間を使うことである。
しかし、神はその第七日を単に休んだというのでなく、「完成された」という表現になっている。創造のわざは六日であったのだから、ふつうなら、六日で創造のわざが完成された、と表現するであろうが、創世記の記述はそうでなく、「七日に完成した」というのである。
休んだ、とあるのにその日がなぜ、完成したことに結びつけられているのか。それは、この第七日に込められた祝福と聖別があってはじめて完成するからである。
これは、この第七日の安息ということが、以後、世界の歴史の中でも極めて重要になることを早くも暗示していると言えよう。
人間を祝福するというのは、わかりやすいが、特定の日を祝福するというのは、考えにくい。日とは時間であり、どの時間も同じように流れていくからである。
このようなことは、たしかに人間が考えたものでなく、神からの特別な啓示であった。それゆえに、この特定の日を休むという考え方が、今日ではキリスト教やイスラム教(*)にも深く入って、ユダヤ教と合わせるなら全世界において、一週間に一度休む、そして礼拝の日とするという習慣が定着するようになったのである。
(*)イスラム教では、ムハンマド(マホメット)が迫害されたメッカを脱出したことは、イスラム史上もっとも意義深いでき事であり、この日をもって、イスラーム教の成功と拡大への出発を画したものとされている。それが金曜日であったので、それを記念して休みとしている。
ユダヤ教においては安息日(*)は現在の私たちの暦でいう土曜日であった。その日に祝福を置かれたが、キリストが日曜日に復活されてから、この週に一度の安息日は日曜日に移されて以後日曜日がキリスト教の安息日となっている。
(*)安息日の読み方は、新共同訳では、「あんそくび」としているが、口語訳、塚本訳、それから最近新しい訳となった新改訳、やはり最近出版された新約聖書翻訳委員会訳(岩波書店刊)などでは「あんそくにち」、カトリックのバルバロ訳や、フランシスコ会訳では、「あんそくじつ」と読ませている。そのために広辞苑では、「あんそくにち」という読みを主としつつ、ほかの二つの読み方も入れている。
神が創世記に記されているように、第七日をとくに祝福し、聖別したというその祝福が、ユダヤ教からキリスト教に広がってその意義が発展した。さらにはその余波がイスラム教にまで広がったということになり、その歴史的な意義は極めて大きいということになる。
このように、聖書に書いてあることは単なる古代の記録でなく、それが数千年を経てもなおその影響が脈々として生きて働き、歴史の上で、社会的にも政治的にも大きな力をもってきたのである。
聖書は他の昔の小説や古代の神話とはそういう点で根本的に異なっている。
安息日において、祝福し、聖別したとはどういう意味なのであろうか。それは、一言で言えば、神と結びつけたということであり、あらゆるよきものの源泉である神との結びつきがあるゆえに、そこに特別なよきことが生じるようにした、ということになる。
多くの人は聖書というのは単に心の問題、神という何だか分からないものについて書いてあるのだから自分はそんなものは信じないし、民族的に固有の宗教があるからそれでよい、と思っている人が多い。だからこそ、聖書を真剣に読む人は日本ではごく少ないのである。
しかし、週に一度休むという安息日の考え方がなかったら、社会的にも全く異なる状況になっていただろう。権力や金を持つ者たちが、弱い立場の労働者たちを圧迫して過重な労働をさせることが長く続いていたであろう。
徳川幕府の要求は、農民に対しては、「生かさぬように、殺さぬように」と言われたほどに、情け容赦のないものであったから、一週間に一度休ませる法律を作るなど考えられないことであった。
日本で、日曜日が休日(安息日)という欧米キリスト教国の習慣が取り入れられて実施されたのは一八七六年であり、今から一三〇年ほど昔である。これは、明治時代にはいって、一〇年も経たない時であり、キリスト教禁止令を廃止してからわずか数年しか経っていない。
キリスト教をようやく邪教扱いすることを止めたのが一八七三年、それからわずか数年で、キリスト教の復活と旧約聖書の基本的な戒めに現れる安息日という重要な内容にかかわっている日曜日を官公庁や学校で休みとすることは、本来なら到底できないことであっただろう。それは、明治政府の誤りを公然と認めることであったからである。
明治政府がそのように早い段階でキリスト教の重要な制度を取り入れなければならなかったということは、それだけキリスト教の真理を証明するものだということになるからである。
安息日の祝福ということは、このように、三百年もの長い年月をキリスト教に対して苛酷な迫害を続けてきた国家をすら、その制度を取り入れざるを得ないようにするほどの力を持っていたということになる。
日本に歴史はじまって以来、初めて一般の人たちの仕事をも週に一度休ませるという、大きな改革の扉が開かれたのであり、それをいわばこじ開けたのが、安息日の制度であったと言えるし、それほど、この安息日の祝福の力ははるかな遠い国へと及んでいったのである。
これも安息日に神が祝福を置いたということの、歴史における現れの一つなのである。
これが特別な祝福を内に持っていたゆえに、次に示すように、後にユダヤ人の最大の出来事といえる、エジプトからの脱出と深い関係を持つようになった。これは、まさに滅ぼされようとしていたところから一方的な神の力によって救い出された出来事であった。
…安息日を守ってこれを聖別せよ。あなたの神、主が命じられたとおりに。
六日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、
七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、牛、ろばなどすべての家畜も、あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である。そうすれば、あなたの男女の奴隷もあなたと同じように休むことができる。
あなたはかつてエジプトの国で奴隷であったが、あなたの神、主が力ある御手と御腕を伸ばしてあなたを導き出されたことを思い起こさねばならない。
そのために、あなたの神、主は安息日を守るよう命じられたのである。(申命記五・12~15より)
このように、創世記で言われているように神が七日目に創造のわざを休んだということから、一般の人々だけでなく、奴隷たちや家畜までも休ませよ、と命じられている。このように、安息日の戒めとは、単に仕事をしてはならない、という命令でなく、神の深い愛の現れなのであった。
安息日を守ることがそのように、社会的にも愛を行なうことにつながる。そこにも安息日の祝福がある。
この安息日のことが、はっきりとした戒めとして記されているのは、モーセがエジプトから民を導き出す途中で、シナイ山にて直接に神から啓示された十戒においてである。
十戒のことは、映画で広く知られているが、その深い内容は映画ではとてもわからない。
そこには、つぎのように記されている。
安息日を心に留め、これを聖別せよ。
六日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、
七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、家畜も、あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である。
六日の間に主は天と地と海とそこにあるすべてのものを造り、七日目に休まれたから、主は安息日を祝福して聖別されたのである。(出エジプト記二十・8~11)
ここにあるように、単に仕事をしてはならない、というのでなく、奴隷も、家畜や一時的にとどまっている外国人をも含んでいて、社会的な愛が実践されるようにという戒めとなっている。
そしてそれだけでなく、安息日を守ることは、神が天地を創造されたお方であり、万物をご支配なさっているということをたえず思い起こす、そこに信頼と信頼からくる感謝をも呼び覚まされるようにという神のお心が背後に感じられる。
私たちが苦難のとき、また平常の生活のときでも、常に思い起こすべきは、この世界は偶然でも得体の知れない運命が支配しているのでもなく、あるいは、大国の支配者や武力、経済力などが支配しているのでなく、背後ではすべてを神が支配しているのであること、これは信仰者の基本的なあり方である。
このことは、つぎのように古く、アブラハムの時から天地の神を思って祈る形が記されている。
…アブラムはソドムの王に言った。「私は天と地を造られた方、いと高き神、主に誓う。…」(創世記十四・22より)
また、旧約聖書の詩編は祈りの集大成のようなものと言えるが、そこにも、天地創造の神を見つめて祈る姿が見られる。
いかに幸いなことか…
主なるその神を待ち望む人
天地を造り
海とその中にあるすべてのものを造られた神を。(詩編一四六・5~6)
安息日を守るということは単に休みをとることにとどまるものでなく、ここにあげたアブラハムや詩の作者たちの思いのように、天地創造の神を思い起こし、全世界、宇宙が愛の神の御手によることを深く思い、現在の世界のために祈り、また神が必ず最善にされるということへの確信を新たにする時なのである。
そしてさらに、仕事を休むということとは本来は全く別の事柄、エジプトで奴隷状態になって滅ぼされようとしていたところからの解放された記念のために、という新たな意味づけが加えられた。
もしエジプトからの脱出と解放がなかったら、イスラエルの民族は消滅していたのであって、彼らの今日あるは、その時の神の一方的な助けによる。
そのことを歴史を通じてずっと思い続け、感謝し続け、神の新たな力をいつも思い起こすために、それが本来は全く関係のなかった安息日と結びつけられることになった。そうして出エジプトという重要なことが民族全体の最大の出来事、神の愛の歴史的な証拠として刻印されることになったのである。
さらに、イスラエルの人たちの歴史において、とりわけ重要な出来事の一つであったのは、紀元前五八七年~五三八年のバビロン捕囚であるが、その国家的、民族的な大きな苦難の時においても、この安息日の祝福が生きて働くことになった。
バビロン捕囚とは、新バビロニア帝国によってユダ王国が滅ぼされ、民の主だった人々が遠いバビロン(現在のイラク地方)へと捕囚として連れて行かれた出来事である。その時、神殿というそれまでの信仰生活の中心を失った、捕囚の民たちは、そこで意気消沈して信仰を失ったのでなく、新たに会堂を建て、そこで安息日に集り、聖書を読み、ともに礼拝するという方向に導かれた。
そうすることによって民族としてのつながりが保たれ、人々は信仰を失うことなく、異邦の土地で五〇年にわたる捕囚生活を送ることができたのであった。それだけでなく、現在のかたちの旧約聖書へと編集がすすんだのは、このバビロン捕囚の時であった。
このようにふつうならはるかな遠い外国に捕虜として連れていかれ、そこで五〇年も経てばたいてい混血もして、土着の民と一緒になって民族としては消滅してしまったであろうが、安息日に会堂に集り、聖書をともに読み、礼拝するということが、その民族の結束を守り、崩壊から守ったのであった。
このことを見ても、いかに安息日を守るということが重要であったかがわかる。
ここにも、創世記で言われている、「安息日を祝福し、聖別された」ということが具体的に歴史のなかでその意味が明らかになっている。捕囚となっても、新たに聖書の編集が行なわれ、会堂をもとにした礼拝の形が確立されるというよきものが生み出されたからである。
神の祝福を受けるというのは、いかなる状況になってもそのただ中から驚くべきよきものが生じることなのである。
神がして下さった大いなるわざをつねに感謝をもって思い起こすことこそ、新たな力の源になる。逆にそうしたことを忘れてしまうことからは何もよいことは生じない。受ける値打ちがないにもかかわらず、一方的によきものを下さったという意識は、つねに新たな喜びとなり、力となる。
それこそ、祝福と言えよう。
私たちにおいても、自分が過去に置かれていた特別に苦しい状況から救い出されたということ、そのことを新鮮な心で思い起こすことによって新たな感謝となり、神への新しい思いが生れる。
安息日を聖別した、とあるが、このように過去の特に重要なことを思い起こし、新たな感謝を捧げる日とすることは、聖別するということにふさわしい内容になる。
安息日は元は、土曜日であったが、キリスト教の時代になって、キリストの復活が日曜日に起こったことから、日曜日に移された。それによって、「聖別」されたということが格段にその意味が深められることになった。それは、キリストの復活を単に思いだす、ということでなく、キリストの復活のいのちを新たに受ける日、新たにされる日となったのである。
たしかに、キリスト教になって、キリスト教の最大の出来事といえる復活がなされ、それゆえにその復活を記念するためにそれまでのユダヤ教の土曜日の安息日が日曜日に移されて、日曜日には、旧約聖書の安息日の精神とキリストの復活を記念し、罪赦された者が、復活の力を受けるという最大の祝福がさらに加わることになった。
しかし、次第に、安息日の制度は、本来の深い意味から大きくそれて、病人が苦しんでいてもいやすこと、荷物を運ぶこと、食事の準備のための火を起こすことなども禁じられ、
歩く距離を制限して一km程度としたり、さまざまのことが禁止されるに至った。
どんなよい決まりであっても、それがいのちを失い外見上のことだけを重んじるようになってしまうとかえって多くの害をなすようになる。そして形式化にとどまらずさらに別の外見上のこと、表面上のことがますます加わるようになっていくと、本来の真理が失われていくということもしばしば見られる。これは、宗教においても教育や、伝統的な習慣などにおいても同様である。
仏教における形式化
例えば、だれにでも身近な仏教について見てみよう。
仏教においては死者儀礼(葬式、法事、死後の供養など)が重んじられているのは、私たちの周辺で常に見聞きすることができる。
しかしこうしたことは、本来の仏教ではないことは、次のように、すぐれた仏教学者が明確に指摘している通りである。
現在の日本では彼岸というのは仏教の重要な行事が行なわれる期間であるが、これも、本来の仏教にはなくて、日本で平安朝のころから発達して次第に年中行事化していった。
春秋二回の彼岸は仏教の生れたインドにも中国にもたしかな先例がない。わが国では、平安朝のころから始まったらしい。…(「日本の仏教」渡辺照宏著 114頁 岩波書店。著者はインド哲学者、仏教学者、東洋大学教授であった。)
今では、人が死ぬと戒名がつくが、戒名は仏教の信仰に入ったしるしとして付けるのが中国や日本の風習であった。しかし江戸時代になると、死んで初めて特別な名を付けることが一般に行なわれた。キリシタン改めの関係上、死ねば必ず仏教の儀礼を用いるということになり、その習慣が現在まで続いている。
…位牌も鎌倉時代から行なわれたが、やはりキリシタン改めの影響で普及されるようになった。位牌を置く場所としての仏壇が一般家庭に設けられるようになったのも、江戸時代のことであった。ただし、浄土真宗の信者においては、仏壇は阿弥陀仏をまつるところとしての本来の意味を忘れなかった。(同上116頁)
シャカムニ(釈迦牟尼)(*)の教団において、死者儀礼が僧侶の仕事ではなかったことは、言うまでもない。それは世襲のバラモン(**)の仕事であった。…
死者儀礼が形式化したことによって、生死に対する真剣な追求までが見失われてしまった。もし、仏教が将来生きる道があるとすれば、形式だけで事足れりとする葬式屋根性を捨てて、生死について自らも確信を持ち、他にも示すことができるような方向に進む他はあるまい。
(同上 120頁 )
インドの仏教教団は簡易な生活様式を尊び、僧侶の衣は柿色の一色で、所持品も生活上必要な最小限度にとどめられていた。…しかし、中国から日本に来た仏教では、色とりどりの衣の上に、金襴の袈裟をかけることさえした。インドの僧侶は金銀を身につけることは絶対に許されない。…寺は、僧侶の修行の道場としてよりも、見物人に興行を行なう場所とさえなった。(75頁)
(*)仏教の開祖で、姓は、ゴータマ、名は、シッダルタ。「牟尼」は聖者の意。その生没年代は、前五六六~四八六年、前四六三~三八三年など諸説がある。シャーキヤ‐ムニ。釈尊とも言う。
(**)インドの僧侶をいう。
このように、彼岸の行事や、葬式、法事、戒名、仏壇、位牌などといった最も仏教と関連が深いと思われているものも、実は、本来の仏教にはなかったものだと仏教学者が強く批判しているのである。
そしてそのような形式化を押し進めることになったのは、徳川幕府がキリシタン迫害のために、すべての人をどこかの寺に所属させるという方策を取ったことであった。国民がみんなどこかの寺に所属することになり、昔のことであるから、病気や死産などしばしば葬式が生じる、そのたびに謝礼が寺に何ら努力なしに入ってくるという状況になってしまった。それは仏教が渡辺照宏氏の表現によれば、「葬式屋根性」に陥り、形式化へと変質していくことにつながった。
しかし、こうした仏教における形式化は、形を変えてどのような宗教にも生じてくると思われる。ユダヤ教の安息日においても、本来の深い意味が見失われて、外側の形だけを厳密に守らねばならないとする風潮が次第に強くなっていったのである。
神殿においても、形だけの礼拝が行なわれ、そこで商売が行なわれる場にもなっていたということで、主イエスは「わたしの家は、祈りの家であるべきであるのに、強盗の巣としている」と厳しくそのことを指摘して、止めさせたことさえあった。
主イエスの戦いはこうした信仰の形式化、形骸化との戦いでもあった。
その具体的な内容が聖書には記されている。ここでは安息日に関する一つの例をあげる。
安息日に右手が萎えていた人がいた。右手が萎えていたらふつうの仕事はできない。このような人が過去にどんなに苦しみや悲しみがあったかを全く理解しようとせず、ただ、安息日に治療行為をしてはいけない
、という律法を守るかどうか、という一点だけでイエスに注目していた。
安息日とは、どんな意義をもつのであろうか。それはこれまでに述べたように、単に仕事を休むということではない。安息日に関する最初の聖書の記述は、神が創造のわざを休んで、聖別して神からの祝福を受けるためのものであった。その祝福とは、神の道を歩めるようにして頂くことであり、数々の神の国の賜物を受けることであった。それは究極的には、愛を持つことである。神の祝福を受けた最も大いなるかたちは、愛を持つ人間となることである。
この人はこのルカ福音書では、一言もしゃべってはいない。不思議なほど沈黙している。 その沈黙は、過去の苦しい生活、そしてイエスこそは、自分の積年の悩みを解消してくれるお方だと、直感していたようである。
だからこそ、起き上がれ、真ん中に立て、と命じられたときに、その人はすぐさまそのイエスの言葉に従って行ったのである。
ここで、主イエスが命じられた言葉、「立って、真ん中に出なさい」と訳されているが、原文では、「起き上がれ、そして真ん中へ立て」(egeire kai stethi)である。
そして、この「起き上がれ」と訳されている原語(エゲイロー egeiro)は、またこの箇所と同じ内容を伝えているマルコ福音書では重要な英語訳聖書では、「立て」と訳されている。(・Get up and stand in the middle!' (NJB) ・ Stand up in front of everyone."(NIV)
そのイエスの言葉にただちに従って、右手の萎えた人は、「身を起こして立った」とある。ここでの「身を起こして」と訳された原語は、アニステーミ「anistemi」で、「立つ」(ヒステーミ)の強調形であり、新約聖書では、「復活する」という訳語でしばしば用いられている。そして、さきほどあげた、エゲイローという言葉もまた、「復活する」とも訳される言葉である。新約聖書で最も復活ということが、詳しくその重要性が説かれている章では一つの章だけで、十九回もこのエゲイローという言葉が用いられている。(Ⅰコリント十五章4、12、13、14節など)
ルカ福音書においてこの、「復活する」とも訳される原語(*)が特に多く用いられていることは、ルカが、とくにこのことを示されていたことがうかがえる。
(*)この原語 アニステーミ(anistemi)は、マタイ福音書では四回、マルコでは一七回、ヨハネでは八回しか使われていないが、ルカ福音書では二七回も使われている。
私たちは、主イエスの言葉によって、萎えていた魂が立ち上がることができる。そのことを、ルカ福音書はとくに強調している。放蕩息子のたとかの話しの中においても、二回「立つ」という言葉が用いられている。(新共同訳ではそれは分かりにくく訳されている。)
それは、放蕩の限りを尽くしてやっと自分の罪に気付いたこの息子が、その罪を悔いて神を見あげ、立ち帰ろうとしたときに書かれている。
この世はたえず、心身を萎えさせることで満ちている。そのようなただなかにあって、とくにルカ福音書は、立ち上がらせる力を与える方としての、イエスを強調しているのである。
安息日を形式的に守ること、宗教において、このように決まりを守ることは重要であるが、それが目的になってしまうことがある。決まりは何のためか、を考えなくなるのである。
安息日の規定も、はじめに述べたように、神への礼拝であるが、それは神を礼拝することによって、神の本質たる聖霊を受け、その聖霊の実りの中心である愛を受けるためである。
それゆえ、苦しむ人や、困難にある人への愛を、表面的に規定を守ること以上に重んじるべきなのである。
主イエスは、形式化した安息日規定を正しいあり方に立て直すために、わずか一言でそのあり方を示された。
「人の子(キリスト)は安息日の主である。」(ルカ福音書六:5)
それは、安息日を形式的に守るのでなく、そこに人の子すなわちイエスを主とすることだとされたのである。
イエスを主とする、それはイエスご自身を中心に置く生活とすることである。ここに、キリスト教会が二千年守ってきた、日曜日の礼拝の精神も含まれている。礼拝とは主イエスを中心に置くことである。復活のキリストを中心に据えることであり、そこからその復活のキリストの復活の力、死に打ち勝つ力を与えられることである。また、それまでの罪をキリストの十字架を仰いで赦しを受けることである。キリストと同一の本質を持つ聖霊を受けることである。そしてそれを受けた上で、愛と真実を主とする生活へと導かれることである。
ここから、さらに私たちはキリストを中心に据えた安息とは、実は「主の平和」であることだと分かる。キリストこそは、安息日の主であるということは、さらにキリストこそは魂の安息の主なのであり、それこそが、福音書で強調されている、「主の平和(平安)」なのである。
主イエスが最後の夕食のときに告げたこと、約束したことは、聖霊を与え、キリストの平和を与えるということであった。それこそが、真の安息にほかならない。
「重荷を負う者は、私のもとに来れ、そうすれば、休みが与えられる。」 (マタイ福音書十一・28)と言われた。ここにも、主の平和がある。キリストのもとに憩う魂の休みこそ、真の平和だからである。
このように、考えていくとき、安息日とは、日曜日だけでないのがわかる。それは主の平和を与えられているなら、すべての日が、「安息日」となり得るからである。
特定の人間だけが、招かれているのでなく、すべての人間が招かれ、決まった人だけが、聖人なのでなく、主を信じる者はみんな聖徒であり、特定の人だけが先生でなく、みんなが兄弟姉妹なのである。一部の人だけを愛するべきでなく、だれでも愛すべきであり、敵対する人すら受け入れてその人のために祈るべきと言われる。
キリストを中心とするときには、特別な能力のある人だけが大切なのでなく、病気の人も、子どもも老齢の人も、健康な人、障害者、それぞれみんな大切な存在となる。
こうして、「人の子(キリスト)を中心とするところには、さまざまの分野で、視野が広がっていく。
しかし、特定の日を守らなくともいいのではない。日曜日を主の日として大切にし、ふだんは仕事とかその他のことでいろいろと心身ともに使わねばならないが、その日こそはとくに「人の子、キリスト」中心にすることによって、一週間の罪を清められ、この世にまみれそうになった魂が再び新しい霊の水、いのちの水を受けることになるからである。そして新しく再創造されるからである。
私自身、公立高校の教員をしていたころ、日曜日の行事があるときに、それをそのまま従って日曜日の礼拝集会を休むか、どうするかで非常に苦しんだことがあった。
そして苦しい決断をして、あくまで日曜日の礼拝を優先させることに決断したが、それによって予想されたような非難もあり、困難な事態も生じたが、最終的にはそうしたことを通してかえって、同僚や、生徒たちに私自身がどうしてそのようにまでして、日曜日を休むのかを真剣に説明し、自らの信仰を表明することへとつながった。そして道のないようなところに、不思議と歩んでいける道が開いていったのであった。
安息日を聖別し、祝福する、と言われたはるか古代の神のことばは、数千年を経た現代においても、まさに真理であることを身をもって体験させていただいたのである。
そうすることによっていっそう真剣に安息日を守り、そこで聖霊とみ言葉を受けて、それを勤務にも、日々の生活にも用いていくことが許されたのであった。
もし、私がかつてのあの苦しい決断に際して、ふつうの生き方、すなわち行事があれば、日曜日礼拝も休むということをしていたら、その他のことが生じても簡単に礼拝を休んで、それを優先するということになっていっただろうし、そうすれば、現在私たちが受けているような祝福は到底考えられない。
すべての日が安息日のように生きる、それは究極的な目標である。しかし現実の私たちは簡単なことで罪を犯し、この世のことに引っ張られる。そして人間の力を恐れる。そうした私たちであるからこそ、週に一度はそれらを振り捨てて、神への礼拝の座につかねばならないのである。
週に一度を、聖別して神に捧げること、そこには数千年を経ても変ることのない、祝福の源泉があるのである。
ことば
(224)沈黙からはじまるもの
沈黙の実は、祈り
祈りの実は、信仰
信仰の実は、愛
愛の実は、奉仕
奉仕の実は、平和(「マザー・テレサ書簡集」ドン・ボスコ社 146頁 )
・マザー・テレサは早朝から長い祈りの時間を持っていた。そこから日々霊的に新しくされ、力を受け、信仰をたしかなものとし、聖霊を受け、その聖霊の実として愛を受け、人々への奉仕のわざが自然になされ、それは生涯持続した。
こうして互いに仕えあうところに真の平和が生れる。
私たちにおいても、つねに主の御前に静まり、御声を待ち望むことが求められている。
(225)愛によってのみ
…しかし、最も大きな驚きがこの若い人をとらえたのは、その老人(ペテロ)が、神はさらに完全な愛であるから、人々を愛するものは神の最も高い命令を果たすのものであると教え始めた時である。しかし、自分と同じ民族の人を愛するだけでは足りない。人となった神はすべての人間のために血を流し、異教徒の間にもコルネリウスのような弟子を見出したからである。
また、我々に善きことを行なう人々を愛するだけでは足りない。キリストは自分を死に引き渡したユダヤ人をも、自分を十字架にかけたローマの兵隊をも赦した。
であるから、我々に不正を加える人々を赦すばかりでなく、それを愛して、悪に対するに善を報いなければならない。
善き人を愛するだけでは足りない。悪人をも愛さなければならない。
愛によってのみ、悪人から悪を取り去ることができるからである。…
その若者はもう、その老人の言葉に少しも新しいことがないとは考えず、驚きをもって自分に問いをだしていた。…それは彼にとって何か聞いたことのない新しい観念であった。例えば、仮に、この教えに従っていく気になったとすれば、自分の考えも、習慣も性格も、今までの本性すべても薪の山にのせて灰になるまですっかり焼き尽くし、何か全く別の生活と新しい魂で満たされなければならないと感じた。…
心のなかでこの教えを拒もうとしたが、それに背を向けるのは、花の咲き満ちている草原に背を向けるようなもので、その人の心を惹く芳香を一度でも嗅げば、他のことはすべて忘れてそればかりに憧れるようになるのだと感じた。
この教えには少しも現実性がないようであるが、しかもこれに比べると現実はいかにもみじめなものであって、それに考えを向ける値打ちがないように思われた。…(「クォ・ヴァディス」上巻271~272頁より。)
ローマの迫害の嵐が吹きすさぶ中、迫害を逃れてローマを去ろうとしていたペテロに、復活のキリストが現れてどこかへ行こうとするのに出会った。ペテロは「主よ、どこへ行かれるのか!」と驚いて問うた。それは当時のローマの言葉では、クォ・ヴァディス・ドミネ
(Quo Vadis Domine)であった。クォ(どこへ) ヴァディス(あなたは行く)、ドミネ(主よ)。
キリストは、お前が逃げていくなら私はもう一度ローマで十字架にかかるために行くのだ、との答えを聞いてペテロは再びローマに帰って行ったという古い伝承がある。ポーランドの作家、シェンキェヴィチはそうしたことをも折り込んで用い、岩波文庫で三冊、八百頁ほどにもなる大作とした。この「クォ・ヴァディス」は一八九五年に出され、一九〇五年にノーベル賞を受け、世界に知られるようになった。
休憩室
○今年の冬は寒く、わが家に数本ある梅の木はまだすべてつぼみのままです。いつもはどれも花が見られる時期ですが、今年
の寒さの影響と思われます。しかし、水仙は次々と咲き始めています。 ほかの草花がみなその動きを止めて春のくるのを待っているのに、水仙だけは寒さをもものともせず花を開いてその香りを漂わせています。
最近、集会でもよく歌う讃美に「あめんどうの花が」というのがあります。わかりやすい歌詞で、心に残るメロディーです。これは、世界教会協議会などで用いられた世界の讃美を集めた歌集に収められているもので、ドイツとイスラエルの人によるものです。
あめんどうの花が 咲きました
痛みの中でも 希望のしるし
戦はすべてを打ち壊し
傷あと残す 地の上に
あめんどうの花を 感謝しよう
主イエスの愛のしるしです(「つかわしてください― 世界のさんび―」三四番より)
ここで歌われている「あめんどうの花」はイスラエル地方では真冬に咲く梅のような白い花で、私もかつてシナイ山のふもとの修道院の庭で二月末ころに咲いていたのを見たのが強く印象に残っています。
世界は傷だらけの様相を呈していますが、そこに静かにイエスの愛の花が咲き続けている、という内容の歌です。私たちも真冬の水仙を見て、私たちへの神の愛を感じ取ることができればと願います。
○去年の夏ころから夕方の西空にその澄んだ強い光をもって私たちに語りかけていた、宵の明星(金星)はもう、太陽より先に沈むようになって全く見えなくなっています。冬の夜空は夕方から、東南の方を見れば、オリオン座や大犬座、小犬座、牡牛座、双子座、御者座など明るい星たちが多い星座が並んでいてはるかな遠い空からの光を運んでくれています。
太陽系の仲間では、火星が夜七時ころには、頭上にその赤い光を放っているのが見られます。こうした星々の光は、万国共通語と言える言葉で語りかけています。
編集だより
○ご講話「主の祈りとパウロの祈り」について、今まではその大切さ、すばらしさをよく知らないままでお祈りしておりましたことを思いました。
午後三時の「祈の友」のことも初めて知ったような者です。本当にありがとうございました。(九州の方)
・この講話というのは、去年、私(吉村 孝雄)が、祈の友四国グループ集会で語った聖書講話のことです。
集会案内
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