2006年8月 第547号・内容・もくじ
抜き取られることはないものとして
私たちは、いつかはこの世界からいなくなる。植物でいえば、枯れて引き抜かれる。あのようなよい人がどうして若くして逝ってしまったのか、いつまでも生きていてほしいと願うような人も次々といなくなっていく。
この世では、良きものも、時がきたらいつのまにか変質したり、消えていく。
人間同士の関係も、どのように親しく信頼しあっているようでも、ふとしたことから壊れることがある。どうしてそのように受けとるのか分からないような誤解が生じてしまうこともある。
旧約聖書の古い時代から、かつて「共にパンを食べた者、神への礼拝に加わった者」であったのに、全く態度が変わり、自分を攻撃するものになった、という哀しみの心が次のような詩となって残されている。(詩編五五・14~15 も参照)
…わたしの信頼していた仲間
わたしのパンを食べる者が
威張ってわたしを足げにします。(詩編四一・10)
このように人間同士の友情も思いがけないことから簡単に抜き取られることがある。
しかし、それはこの目に見える世界での出来事である。目に見えない世界があるということを本当に信じる者、そのような世界を実感する者にとっては、決して消えないもの、引き抜かれたりしないものがあることを知っている。
旧約聖書には、いろいろな預言者が現れる。その預言が、記述された文書となっている最初のものであるアモス書の最後の言葉は、次のようなものである。
… わたしは彼らをその土地に植え付ける。
わたしが与えた地から
再び彼らが引き抜かれることは決してないと
あなたの神なる主は言われる。(アモス書九・15)
アモス書全体は、神の強い警告であり、真理に背き続ける人々や国々への裁きの予告である。預言者アモスは、羊飼いであった。宗教家でもなければ、学者や社会的な指導者でもなかった。
しかし、神はそのような全く社会や国家の動きとは関係のない人をも呼び出して、鋭い真理を示されている。
その預言書の最後が、このように決して引き抜かれることはない、という確信の込められた預言で終わっていることは、現代の私たちにも強く語りかけるものがある。
アモスとは、今から二七〇〇年以上も昔の預言者である。そのような古い時代から、神の民はさまざまの裁きや苦難を受けても、最終的には神の力によって回復される。そしていかなるものもその祝福を取り去るものはないという確信が記されている。
このような、不滅の希望と確信は、聖書が一貫して私たちに伝えているもので、新約聖書にあっても次のように言われている。
…わたしは彼らに永遠の命を与える。彼らは決して滅びず、だれも彼らをわたしの手から奪うことはできない。(ヨハネ福音書十・27)
イエスを信じて救い主として受け入れる者には、永遠の命が与えられる。それは神の霊的な畑に植えられたと言えるであろう。それゆえに、そこから抜き取られることはないという約束なのである。この世の闇の力は、イエスをも抜き取ろうとして、さまざまの悪意を重ねてイエスを神を汚したという罪を作り上げ、十字架で処刑してしまった。目に見えるもの(体)は、この世から確かに抜き取られてしまった。しかし、イエスは復活し、神が植えたものはいかなることがあっても、抜き取られないことが明らかになった。そして以後の二〇〇〇年の歴史は、世界中の人々にそのことを証明してきた。
このような確信は、さらに使徒パウロの次の言葉にも現れている。
…だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。
私たちは確信しています。死も支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも…いかなる被造物も、私たちの主、キリスト・イエスによって示された神の愛から、私たちを引き離すことはできないのです。(ローマ信徒への手紙八・35~39より)
だれでも、この世に生きている過程で、さまざまの出来事や病気や老齢化のゆえに、よきもの、かつては喜びであったものが次々と抜き取られていく哀しみを味わうであろう。
しかし、私たちが主イエスというぶどうの樹につながっているかぎり、私たちの魂は決して抜き取られることはなく、この霊的宇宙に永遠に植えられたものとなり、神のいのちと愛のうちにとこしえに置いて頂けるということは、他には代えることのできない希望である。
風の道
台風が四国沖を通過したとき、近くの小さい谷川を歩いた。そこには、風が止むことなく吹いていた。その谷川のところから、三つの方向に細い山道が続いていた。しかし、涼しい風がたえず吹き続けているのは、その一つの道だけだった。
その小道の両側は、樹木の繁った山が迫っており、またその風の吹いてくる方向は、二〇〇メートルほどの高さの山の稜線へと急な山道が続いている。
風が吹くにも樹木や前の山に妨げられて吹いて来ないようなところであった。
しかし、不思議なことに、その小道は、風の道でもあった。そしてかたわらには、小さな谷に水が流れていた。
三〇度を超える暑さに毎日閉口していたとき、思いがけないこの風の涼しげな道にしばしたたずんだ。
この小道と風は自然に祈りへと導いてくれるものであった。
低い山の登り口でほとんど平地の道で、このように真夏に涼しい風が、しかも何かがそれを引き寄せるように吹き続けるというのは、珍しいことであった。
真夏とは思えない、どこか高原の風を受けているような、久しぶりの心地よさのなかで、天の風もこのように、ある道にはいつも吹いているのだろうと思った。
間違った道を行くとき、どんなにしてもさわやかなこの風は受けることができない。
心のなかにも、道ができる。人間の思いに気をとられ、込み入った迷路のようなものができてしまっているとき、どこからも風は吹き込んでは来ない。
しかし、ほかのことは脇において、幼な子のような心もて神をみつめるとき、天からの風が吹いてくる。
そしてそれとともに、今日の谷川のように、いのちの水も流れているのが感じられる。
幸いの原点 ―詩編32編
人間はだれでも幸いを求める。人間にはいろいろの幸福に関する考えがある。しかし、大多数の人たちには共通している。この世には実にさまざまの人がいて、考えられないような行動にはしる人たちもいる。しかし、わざわざ苦しい病気になろう、などという人はいない。それはどんな人でも、苦しくて痛みの激しい病気などなりたくはない、それは幸いなことでないということでは一致しているからである。
こうしたことからすぐに分かるように、人間の幸いには健康ということが不可欠だということは、ほとんどどんな人、いかなる民族や年齢にも関わらず、共通しているといえよう。
このような一般的な常識に対して、聖書は驚くべき見方を「幸い」ということに対して持っている。
それは、健康が人間の幸いに不可欠であるといった表現は全く見られないということである。
このことだけとっても、いかに聖書が一般的な常識と異なる視点から書かれているかを思わせる。
何が幸いだと言っているのか、それは聖書全体がいたるところで告げている。ここでは、その内で、旧約聖書の詩編に記されていることから、見てみよう。以下の引用は、詩編三十二編である。
なお、この詩は古代から多くの人たちに愛されてきた詩である。アウグスティヌス(*)は、この詩を特別に愛して、死の近づいた重い病気のときに、自分のベッドの近くの壁にこの詩を書かせていたということであるし、ルター(**)も悔い改めの詩編として、この詩編とともに詩編五七、一三〇、一四三をあげ、それらのうちで、この詩編三二が最もよいものだと記しているという。(「THE INTERPRETER'S BIBLE」 Vol.四 168頁)
(*)A.D 三五四~四三〇年。 初期キリスト教会最大の思想家。「告白」「三位一体論」「神の国」などの著作で有名。
(**)ルターは、ドイツの宗教改革者。(一四八三~一五四六年) 聖書を深く読んだルターは、カトリック教会の特に贖宥状(しょくゆうじょう、免罪符とも訳されてきた)等に関する不合理を知って、一五一七年に、抗議書九五ヵ条を公表、歴史上できわめて重要な宗教改革の始まりとなった。彼は、新約聖書に基づいて救いは行いによらず信仰のみによることを強調した。一五二二年、聖書のドイツ語訳を行い、音楽を愛し、多くの讃美歌をも作った。
…いかに幸いなことか。
背きを赦され、罪を覆っていただいた者は。
いかに幸いなことか。
主に咎を数えられず、心に欺きのない人は。(旧約聖書 詩編三二・1~2)
ここには、幸いということが、罪を赦されることである、とはっきりと示されている。正しい心のあり方からはずれた状態が、「背き、罪、咎、欺き」などと、四種類の表現で記され、またその赦しについても「赦し、覆う、数えられない」などさまざまの表現で言われている。ここに、この詩の作者の罪の問題がいかに重要であったかをうかがわせるものがある。
現在の私たちの生活において、「幸い」ということと、ここで言われている「罪の赦し」ということとをまず結びつけて思い起こすという人はどれほどいるだろうか。
すでに述べたように、一般的には体の健康、お金、よき家族や友人といったものが幸福だと考えられているが、それらがあっても、幸福を実感しないということはこれもまたたくさんある。本当にこうしたもので幸いだと心から感じていれば、不満はないし、恐れることもないはずであるが、実際にはそうでなく、健康な人、お金のある人でも不満や心の悩みといったものはだれにでもある。
そしてその原因を他人に求め、また自分自身の能力の欠如や社会の仕組みや政治のあり方に求めていく。
そこから、幸福は心の問題である、と言われることにもなるし、そのように実感している人も多いだろう。
聖書はこの心の問題というのを徹底して追求していると言えよう。
罪というのは、日本人にとってはやはり具体的な犯罪、盗むとか傷つけるとかを連想する。しかしそのように表面に現れる以前の心の状態があるからそうしたいわゆる犯罪になるのであって、その犯罪を犯す心そのものを問題にするとき、憎しみがつのっていくと、その人の存在をなくしてしまいたいと思うようになり、極端な場合には実際に殺すところまでいくので、そのような心の動きそのものを聖書では問題にする。
人を悪く思う、それが正しいあり方からはずれているので、それを罪と言っている。正しいあり方とは、人のことをよく思う。その人によいことがあるようにと願う。悪い人なら、その悪い心によい心が与えられるように、またよい人であっても心にはさまざまの不純な思い、自分中心の思いがあるから、それが清められて、より純粋になるように、と願うのが正しいあり方ということになる。
そう考えると、人間は至るところで正しいあり方からはずれているのが分かる。何が究極的なよいことであるのか、分からないうちには知らず知らずに自分中心に考えて行動するのが当然になる。そのこと自体が罪となる。
善の究極は神である。あらゆる清いもの、善きこと、美しいもの、しかも生きて働いているもの、そしてあらゆるものを支配する力をもっているし、万物をも創造し、支えている…等々、これほどよいものはない。そうしたすべてのよきものをもった存在が神なのであって、それゆえに、日本の神社でいう神とは根本的に異なっているのである。
このように、だれもが正しい心のあり方からはずれているのがわかったとき、それを正さなければ心の深い平安や幸いはないと感じるようになる。
この人間の深い要求を満たすべく、神がイエスを地上に送って、私たちのそのような心の重荷(罪)を取り除いて下さったのであった。このことは、この詩が作られてはるかに後のことである。
… わたしは黙し続けて
絶え間ない呻きに骨まで朽ち果てた。
御手は昼も夜もわたしの上に重く
わたしの力は
夏の日照りにあって衰え果てた。(3~4節)
これは、この新共同訳の文では分かりにくい。「骨まで朽ち果てる」などといった表現は、現代の文章や会話では、だれも目にすることも使うこともないだろう。今日の私たちには全く違和感がある。
これは、旧約聖書では、骨はからだを支える中心にあるものだから、体の奥深くというニュアンスがあり、ここでは、体の奥まで消耗し疲れ果てた、といった意味なのである。
つぎの英訳の方が分かりやすい。
When I declared not my sin, my body wasted away through my groaning all
day long. (RSV)
「私が罪を告白しなかったとき、一日中うめき苦しんで、私の体は、弱り果てた。」
そしてその苦しみは、神が私を苦しめているのだと感じた。植物が夏の日照りにあって枯れるように、私の力も失せてしまうほどに衰え、弱ってしまった、という。そしてそのような苦しみは、この詩の作者が自分の罪を深くわからずに、神に告白することもしなかったゆえであった。
ここに、人間の深い苦しみは、だれかによって苦しめられるとか病気の苦しみ、水や食物のないこと、戦争などの苦しみなど以外に、より深いところ、すなわち自分自身の奥にある罪に気付かないところからくるという見方がある。
たしかに、自分の罪を深く知らないときには、他人すなわち家族や周囲の人、あるいは、世の中の人間、政治や時代が悪いからだ、と考えたり、金がないからだ、など自分以外のところに原因があると考えてしまう。そこからは神に真剣に求めることがない。他者への非難の心、裁く心や、体の病気のいやしだけを求める心が奥にあるからである。
このような心が内に潜んでいるかぎり、私たちには深い平安がない。
このことに気づき、罪を告白することで、初めて心の平和が訪れる。そのことをこの詩はみずからの経験として記している。
…わたしは罪をあなたに示し
咎を隠さなかった。
わたしは言った。
「主にわたしの背きを告白しよう」と。
そのとき、あなたはわたしの罪と過ちを
赦して下さった。(5節)
ここに、この詩の作者の決定的な転回点(ターニング・ポイント)がある。
人間の決定的な問題は、進学でも、就職や結婚でもない。特定の思想を持つことでもないし、何かの賞をもらうことでもない。
この詩の作者と同様に、自分の罪を知り、そこから神へと心の方向転換をなすことなのである。
罪とは正しい道からはずれている状態であるから、究極的に正しい道が何であるかを知らないときには、罪をも感じない。すなわち、時代が変わり、周囲の状況がいかに変わっても変ることのない、真実や正しさ、あるいは愛といったものを知っているのでなかったら、罪を深く知ることはできず、単にこの世の法律的なことに反しているかどうかしか分からなくなる。
そうした永遠に変ることなき真実な存在とは、宇宙を創造された神であるから、そのような神を知らないと罪も分からない。
そして人生の最大の転回点を得るためには、経験とか知識、金などのようなものは何も必要なものはない。ただ、心の方向を転換するだけでよい。この魂の方向転換こそ、この詩が作られた時代からはるか後になって、主イエスが伝道の最初に強調したことであった。
…神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ。(マルコ福音書一・15より)
神の国とは神の愛によるご支配であり、どんな罪をも赦すことのできる力、すなわち罪の力をも支配するような神の力が近づいてそこにある。だから方向転換をせよ(悔い改めよ)、そしてこの喜ばしいおとずれを信ぜよ、と言われたのである。
その意味で、この詩は、ダビデのものとすればキリストより千年も昔に作られたものでありながら、すでにキリストが宣べ伝えた福音の本質を語っていると言えるのである。
旧約聖書の古い時代では、祭司が牛や羊を殺し、その血を注ぐことによって赦しを受けるとされた。このように、キリスト教の核心である、罪の赦しということは、初めてキリストが言い出したというようなものでなく、とくに詩編においてこのように、罪赦されることがどんなに大きな幸いであるか、それこそが人間の与えられる最大の幸いであることを早くも経験を通して、また啓示を受けて知らされていたのである。
その罪の赦しの福音は、イスラエルの特に啓示を受けた人たちの心の深いところを流れ続けていたが、それがキリストによって完全なものとなった。すなわち、イエスが十字架にかかることによって、そのことを罪の赦しのためと信じる人はだれでも罪の赦しが受けられるという福音となり、特定の民族のものでなく、全世界の民族に与えられた福音となった。そしてこの真理の流れは、永遠の流れとなって現在に至っている。
…あなたの慈しみに生きる人は皆(*)
あなたを見いだしうる間にあなたに祈ります。
大水が溢れ流れるときにも
その人に及ぶことは決してありません。
あなたはわたしの隠れが。苦難から守ってくださる方。
救いの喜びをもって
わたしを囲んでくださる方。 (6~7節)
(*)「あなたの慈しみに生きる人」とは、原語(ヘブル語)では、ハーシード という語で、ヘセド(慈しみ)という語と関連した語。「敬虔な者」(関根正雄訳)、「神を敬う者」(口語訳)、「聖徒」(新改訳)と訳され、英語では、faithful(真実な、忠実な) (NRS, NJB)という語を用いて訳するのが多い。
罪を深く知らされ、その罪を神に告白することによってこの詩の作者は、長い苦しみから解放され、新しい祈りの生活へと移されることになった。その祈りによって、罪赦された魂は、絶えず新たな力を受けていく。それゆえに、この世の悪意や攻撃、病気やそのほかの苦難など、人生の大水が襲いかかっても、その人の魂の深みには達することがなく、おし流されることがない。
絶えざる祈りによる生活は、神の守りをつねに実感することができる。それゆえ、「あなたこそは、わが隠れ家」と言うことができる。
それだけでなく、この悪の広がる世において私たちも悪の力に覆われそうになるが、この詩の作者は、その闇のただなかで、救いの喜びで囲まれている、という実感を持つことができるようになった。
…わたしはあなたを目覚めさせ
行くべき道を教えよう。
あなたの上に目を注ぎ、勧めを与えよう。(8節)
救いの喜びが取り囲んでいるといえるまでに、救いの確信を与えられたとき、その事実を他者に伝えずにはいられなくなる。それがこのように、隣人に対して、このような救いの世界があるということに、目覚めてほしいとの願いをもって勧め、その救いに至る道を証しするようにと導かれる。
他の人に救いはここにある、と確信をもって指し示すことができるためには、本人がそのような深い救いを与えられていなければできない。罪赦されたという救いの深い体験こそ、この詩の作者の原点となり、他者をも教え導くことが自然になされるようになったのである。
… 神に逆らう者は悩みが多く
主に信頼する者は慈しみに囲まれる。
神に従う人よ、主によって喜び躍れ。
すべて心の正しい人よ、喜びの声をあげよ。(*)
(*)「神に逆らう者」とは、原語では、ラーシャー であり、これは、「悪い」という意味を持っているので、英語訳ではほとんどすべて wicked(悪しき者) と訳され、他の日本語訳聖書では、「悪しき者」(関根訳、口語訳)、「悪者」(新改訳)と訳される。新共同訳では、「悪い」とは、「神に逆らうこと」だ、との解釈から、「神に逆らう人」というように訳している。
「神に従う者」と訳されている原語は、サッディーク であって、「正義の、正しい」という意味が本来であるから、「義しい者」(関根訳)、「正しい者」(口語訳、新改訳)と訳され、英語訳聖書では、righteous という訳語をあてているのがほとんどである。
「喜び躍れ」と訳された箇所の原語の表現は、「躍る」という語は含まれておらず、「喜ぶ」という意味の二種類の語が使われている。それゆえ、関根訳は、「ヤハヴェにあって喜び、悦べ」と、二種類の「よろこぶ」という意味の漢字を用いて訳し、口語訳、新改訳は、「主にあって、喜び、楽しめ」と訳している。英語訳でも、Be glad in the LORD and rejoice, O righteous, のように、 be gladと rejpiceという二種類の「喜ぶ」という意味の言葉をもちいている。
この詩の作者は、苦しい人生の経験を通して、何がこの世で根本問題であるかを深く追求して自らの魂において実感したことを記している。それは、最終的に悪しき者、神に逆らう者は、苦しみ悩みから去ることはできないが、主に罪赦され、そこから主に従っていく者は、この暗い世においても、慈しみで囲まれる、と断言することができたのである。
すでにこの前にも、「主は救いの喜びをもって、私を取り囲んで下さるお方!」との喜ばしい声をあげたのであったが、さらにもう一度、主に信頼する者は「慈しみに囲まれる」と強調している。このように、二度までも、慈しみや、喜びで囲んで下さる、という体験的な事実を証ししているのである。
ここにいかに、この詩の作者がこのことを大きな体験として受け止めているかがうかがえる。
このように、絶望的な苦しみと悩みにさいなまれていた一つの魂がいかにして、そこから解放されていくのか、解放された人は、さらにどのようなところへと導かれていくのかをこの詩は鮮やかに示している。
暗闇や疑い、苦しみのもとは、自らの罪にあり、それに気付かないところにあり、それが取り除かれないゆえに苦しむのであった。そこから目覚めて、罪を知り、神に告白するとき、赦しを受けた。
この詩の作者にとって、罪が赦される、という言葉そのものはなじみ深いものであったであろう。イスラエル民族は世界で最初に、唯一の神が存在することを知らされた民族であり、動物の血を注いでする罪の清めの儀式は広く知らされていたであろうからである。
しかし、言葉の上で知っている、聞いたことがある、儀式は知っている、ということと、実際に罪の赦しを受けるということとは全く異なることである。罪赦されて初めて神は愛であり、愛の神だと分かる。しかし、単に言葉のうえで知っていても、聞いたことがあっても、それでは神の愛は分からない。
この詩の作者は、みずからの魂のうちでなされた深い実感があって、初めて罪の赦しということがいかに大きなことであるかを悟ったのであり、そこに最大の感動を覚えたゆえに、このような詩を書かずにはいられなかったのである。
新約聖書において、罪の赦しと神の愛は、つぎのように深く関わっていることが記されている。
放蕩息子が、父親の財産をもらって遠くに行ってしまい、それを遊びに使い果たし、食べ物もなく、生きることも難しくなった。そのとき初めて自分の大きな罪を知り、どんな仕打ちを受けてもかまわない、方向転換をして父のもとに帰ろうという気持ちになって帰途についた。家に近づいたとき、父親は、走り寄ってその放蕩息子を首を抱いてこのうえない喜びを表し、よい服を着せてさらに子牛を料理しかつてしたことのないごちそうを与えた。それは「死んでいたのに生きかえったのも同然だから」という理由からであった。
この有名なたとえで、主イエスは、罪を犯してきた人間が、悔い改め、神への方向転換をするということが、いかに喜ばしいことか、神が特別にそのことを喜ばれるということを、印象的な手法でたとえで語っておられる。それは父なる神のお心を最も深くわかっておられた主イエスご自身の思いでもあったであろう。
さらに、この放蕩息子のたとえの直前に記されているのが、やはり悔い改め(神への心の方向転換)がいかに、神の世界にとって大きな喜びであるかということである。
それは、羊の一匹がいなくなったとき、九九匹の羊をおいてその一匹を探しまわるだろう。そして見つかったら、友人や近所の人たちを呼び集め、共に喜んでくれ、と言うだろう。悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要などないと考えている九九人の人たちについてより大きな喜びが天にある。
また、銀貨一〇枚を持っている女が、一枚の銀貨をなくしたとき、見付けるまで探しまわるだろう。見付けたら、友達を呼び集めて、「なくなっていた銀貨を見付けた。ともに喜んでください」というだろう。このように、一人の罪人が悔い改めたなら、神の天使たちの間に喜びがある。(ルカ福音書十五章より)
これらのたとえで、主イエスは、罪からの悔い改め(神への方向転換)が、人間にとって根本的に重要であることを示し、それゆえに、その罪を告白し、心の方向転換をした人には、神も天使たちも特別に大いなる喜びがあると言われた。
そして、この喜びこそは、詩編三二編の後半で強調されている次のような喜びに通じている。
…あなたは、救いの喜びをもって私を囲んで下さる方
…主に信頼する者は慈しみに囲まれる。
…神に従う人よ、主によって喜び、悦べ。
すべて心の正しい人たちよ、喜びの声をあげよ。(詩編三二・7~11より)
神は、このような喜びを(これがダビデのものとすれば)主イエスより千年ほども昔からすでに、一部の真実な信仰者に与えていた。それが、一種の預言となり、このような喜びの世界があるのだということが、ずっと指し示されてきたと言えよう。そして主イエスが、その悔い改めと罪赦される喜び、さらにそこから聖霊が与えられ、新たな力が与えられて生きるという道を完成させ、以後の人類の歴史を通じて大いなる道として開かれたのであった。
ある日の思いから
待ち望む
待ち望む。真実がそのまま真実として受けとられる時を。
真実を言っても、真実な心でしても、疑われ、まったく異なることを言われるようなこの世。
主イエスは、神からの言葉を語った。
だが、多くの人たちから受け入れられず、神を汚す者、悪霊の力でやっているとまで言われた。
長い歴史、それはこのような無理解で満ちている。
幼な子のような心、それが一番重要だと主イエスは言われた。
それは、まっすぐに真理そのもの(神)を仰ぐ心、まっすぐに受けとめる心。
神は、私たちの小さくとも真実な心をそのままに受けとって下さる。
なんというありがたいことだろう。
そのような真実が伝わる世界を待ち望む。
キリストの奥に
誰も知らない。
キリストの奥にどれほどの平和があり、
どれほどの愛があるかを。
「父のほかに子を知るものはいない」とイエスは言われた。
その限りなく深い海のような、キリストの平和と愛、
私たちが受けとってきたのはそのわずかな部分なのだろう。
主よ、その満ちみちたものの中から、
さらなる恵みを私たちに注いでください。
水と風のように
水のように、あるいは風のように流れていきたい。
水も風も、さまざまのところを通っていく。
妨げられても、わずかなすき間から、流れていく。吹いていく。
私の分身が、どんなさまたげに出会ってもそれらを貫いて流れていけばよい。
主によって砕かれた私が、さまざまの壁をも通り抜けていけばよい。
主イエスが初めてユダヤ人の会堂で語られたとき、
その真理を真っ向から反対し、
崖から突き落とそうとする人たちが現れた。
しかし、イエスは、そうした人々とその敵意を風のように通り抜けて行かれた。
真理は、あらゆる壁をも通り抜け、吹いていく。
動かすもの
世の中がどのように変わっていこうとも
変わらないものがある。
私を数十年前に、その魂をとらえ
そしてさまざまの罪を犯し、足りない者であるにも関わらず、強い御手で導かれた何者かがおられる。
自分の考えでもない。身近な者の影響でも、世間に流されたのでもない。
ただ、見えざる御手が私を引いて下さった。
そして今日のところまで、歩んでくることができた。
そのような力がある。
それを私は知ってもらいたい。
その力を知ることこそ、この世に生れた意味を知ることになるのだから。
生きる意味が分からないという人、
かつては私もそうであった。
なぜ自らの命を断ったらいけないのか、
その理由が分からないという。
分からない、つきつめたら他のすべても分からないことばかりだ。
なぜ、こんなに悩みがあるのか、どうしてこんなに悲しむべきことがあるのか。
どうして罪を犯すまいと思っても罪から離れられないのか、
なぜこんなひどいことをする人間がいるのか、どうして破滅と分かっていることをするのか。
どうして、戦争や犯罪、テロが絶えないのか。
なぜ、この地球が存在しているのか、
いつか、これは消滅するという。
そのとき、人はどうなるのか…。
どんなに考えても分からない、こうした問題の解決はだれも知らないのだと思った。
その疑問、難問、回答不能のようなこの世にあって
ただ一つの道が通っていた。
そうした疑問や心を暗くする問いかけが、氷の溶けるようにその重苦しさが消えていく道がある。
私はかつてこうした重い問いかけを持って、どうすることもできなかった。
しかし、そうした一切のからみつく暗い力を打ち破る力があり、
はるか昔から、永遠の未来へと通じている道があるのを知らされた。
今も、その道は通っている。
そして神の国への旅路を歩む人たちが次々と見えてくる。
遠い御国へとどこまでもその歩む人たちは続いていく。
私たちはそのうち目に見えるすべてを失っていく。
この道は、自分に何もなくなった時でも、不思議にも歩んでいける。
何も持たないでも、この旅はどこまでも続けていくことができる。
見えない手によって引かれ、この世のものでない翼を与えられ、
内に神の言葉という永遠のエネルギーを貯えているから。
清くないものにも
人間は弱く、真実に反することがあまりにも多い。
しかし、そのような人間に、神は驚くべき真理を与えた。
真理が与えられても、なお、人間は変わらずに自分中心であったりする。
しかし、それでも神はそのような人間に神の国の大いなる賜物を預けることがある。
キリストの十二弟子たちは、主がとらえられるときには、みんな逃げてしまったし、
弟子の代表ともいうべきペテロは三度も、イエスなど知らないといって激しく否定した。
そのような自分中心の汚れた者に、尊い神の力、悪霊を追いだす力、病をいやす力など与えられるはずはないと思うだろう。
しかし、キリストは、そのような弟子たちの最初の派遣のときから、すでにそうした驚くべき賜物を与えていた。
神にとっては、どれほど人格を磨いたか、どれほど経験を積んだか、いかに強い信念があるか…等々は問題ではない。どんなに不十分であっても、主イエスはそのご計画に従って、思いがけない人を呼びだされる。
どんなに未熟でも、不十分でも、罪の赦しを受け、イエスに従っていきたいという小さな願いがあれば、主はそうした人をも用いられる。否、敵対していたような人間も用いる。
私もごく不十分な者でしかない。
それでも、たしかに主はその大いなる賜物の一部を委ねて下さった。
これからどのようなことが起きるか分からない。
人の心は変わりやすく、動きやすい。
しかし、父なる神だけはいかなることがあっても、私を見放すことがない。
そしてそのように信じて神のもとに行こうとする人は誰でも、拒まれることはない。
神とキリストだけが、究極的に変ることのない道であり、命なのだ。
靖国の混乱
前回に続いて、重複する内容もあるが、再度靖国問題について考えてみたい。
ここでいう混乱とは、靖国神社が、戦死者は誰であっても神であるとし、それを崇敬の念をもってすべし、という発想のことである。戦争でどんなひどいことをした者でも、一律に神となって崇拝される対象となる、などということは、善悪の根本を混乱させることである。
中国との十五年にわたる戦争、太平洋戦争などで日本人がどのようなことをしてきたか、何ら攻撃もしていない農民たちを襲い、食物を奪い、また女性を襲い、家に火をつけて焼き払う、南京の虐殺のことがよく言われるが、上海などの大都市に対しても大規模の空襲がなされた。戦争そのものが、本質的に虐殺を目的としていることなのである。
沖縄においても、日本の軍人が多くの沖縄の人を助けずに、かえって死においやったことはよく知られている。そのような数々の悪事をしてきた人、それらをみんな一律に、神として敬え、ということは、そうした悪事それ自体を敬まっているような錯覚に陥り、善悪の観念、罪の感覚がマヒしていくことにつながる。
すでにこのようなことは、一九二〇年「中央公論」において、はっきりと気付いて指摘していた、吉野作造のような学者もいた。
「何んなやくざ者でも戰爭で死にさへすれば以前の罪は全部帳消しになつて神樣になれる、…少くとも戰爭で死んだだけといふだけでやくざ者を神として崇めるといふ事は、少くとも平和時代の良民を薫陶する所以ではない。」
靖国の宗教的混乱は、次のような点にも見られる。
この神社の出発点は、江戸時代の終り頃(一八六二年)京都東山で、幕府と戦って死んだ尊皇攘夷派の武士たちの魂を招いて、慰めたということにある。人間がある種の儀式をして、死者の魂を靖国神社に呼び出す、などということを信じるということから出発している。そのため、靖国神社の前身は「招魂社」と言っていた。
このような、目に見えないものを、簡単に特定の人間が儀式で呼び寄せたのだ、といってももちろんそんな証拠はどこにもない。ただ、その儀式をやっている者が、呼び寄せた、というのを周りの人が信じているだけなのである。
人間は本来自分の心すら自由に動かせない。そのような儀式をする人間も一人の弱い人間にすぎないのであって、自分の心も自由にならないだけでなく、他人の心をも到底支配できない。ある人に自分を愛するよう、あるいは自分を尊敬するようにさせよう、などと考えてもとてもできないことである。
そのようなこともできない人間が、死んだ人間の霊を呼び出したりできる、というようなことを信じるというのは、いかにも不可解なことである。
招魂社は、天皇側について武士たちが、志半ばで殺されたために彼らの「魂を招いて慰霊をする」ということがそもそもの目的であったが、それと共にもう一つの意味が付加されていった。それは、呼びだされた霊は、単に嘆いているのではない。国民を教化し、国を護るような神々になったのだということにされた。
慰霊ということは、特別な死に方で天皇の側に立って戦っていたのに、不当に殺された。だからその霊は嘆き悲しんでいる、あるいは怒ったり、うらんだりしているということになる。そのような魂を放置していると、生きている者にもたたってくる。だからそのような霊を慰めることが重要だとなってくる。それが「慰霊」ということである。
しかし、そのような怒ったり、嘆いたりしているだけの魂ならば、国家のためには使えない。そこで、そうした魂は、国を護る力をも持っている神なのだということにされた。靖国神社の地方社という性質をもっている、全国各地の護国神社という名称はこうした国を護る、とされたためにその性質をその名前にはっきりと示している。
靖国神社という名称も、日本ではもともと、「安国」という用語を用いていたが、これは日蓮系の仏教で用いていることや、寺の名前にも使われているので、あえてこれを使わず、中国の古典(「春秋」の左史伝)の、「吾以て国を靖んずるなり」というところから採用したものであった。
このように、魂を一時的に招いた神社という素朴な名前から、一転して、国家を安んじるという著しく国家的、政治的な名前になった。このように、靖国神社の出発点から、天皇のために戦って死んだ者を神として祀る、という政治的な色合いが著しい神社であったが、それがさらに、明治維新の戦争のような内戦から、外国との戦争の時代になって、他国との戦争において、天皇のために死んだ人たちを神々として祀るというようになっていった。
こうして、最初から、この靖国神社は、政治的な内容を深くもっていたのである。
それゆえに、太平洋戦争という最も重大な戦争が生じたときにも、この靖国神社がその戦争の遂行のために強力な道具とされた。靖国神社に神として祀るかどうかは、最終的には天皇が決める、そしてそこに祀られた場合には、天皇が拝んでくれる、この上ない名誉だ、ということになった。
戦争によって若い命を失った人、これはその相当部分が間違った支配者の命令で殺されたも同然であるのに、その悲しみをぶつけることもできず、天皇から靖国神社に祀られるという最高の名誉を与えられたのだと、感謝を天皇に捧げねばならない、ということになった。
このようにして、本来は戦争に対して反対する最も強力な力となるはずの、戦死者の家族たちが、靖国神社や天皇に取り込まれて、それに対して批判、抗議するどころか、感謝すらせねばならない状況となった。
こうして靖国神社は政治に利用され、国民を惑わす宗教的装置となった。それは現代においてもそうであり続けている。
靖国神社は誰でもどんな悪事をはたらいた者でも、戦死したものはみんな神になってあがめられる存在になる、ということだけでも、日本人の宗教的、かつ道徳的なあり方を混乱させてきたが、靖国神社に併設されている遊就館には、艦上爆撃機彗星や戦車、いわゆる人間魚雷として知られる特殊潜航艇回天、特攻ロケット、戦艦陸奥の副砲や砲弾、機銃、精巧な軍艦模型なども展示されている。
こうして日中戦争や太平洋戦争が、正しい戦争であったという考え方が宣伝されている。
こうした様々の方向に影響を及ぼす靖国神社の問題はもとを正せば、すでに述べたようにその宗教観にある。
人間が勝手に死者の霊を呼び出すことができると信じること、しかもその霊が、たとえ殺人者であっても、国を護るような優れた霊となり、神となっているのだ、などとする宗教的考えである。
そもそも靖国神社で祀られてきたのは、厚生省が特定の人間の名前を書いて、それを靖国神社に送付し、合祀のための儀式を行なったらそれで死者の霊が招き寄せられた、と信じるのである。靖国神社には、戦死者の遺骨・位牌などはなく、霊璽簿(れいじぼ)に氏名を記入してあるだけである。
靖国神社の神体としては、神鏡、神剣に加えて、祀られたとする人たちの名簿を霊璽簿として祀っている。
要するに、神として祀ってあるといっても、実質的には、ただ死者の名簿があるだけである。こうしたいかにも人間的なやり方で、神社側は、二四六万もの人間の魂が神社に招き寄せられて神となっているとする。このような信仰が、日本の代表的な神社の一つでなされているのであり、何百万人がそこに参りに行く。
しかし、魂とか霊といわれているものは人間の根源であり、特定の人間が何百万もの魂を簡単に左右するなど決してできるものではない。生きている人間の魂をわずかの儀式で、だれが一体、千も万も動かせるであろうか。
死んだ人間の魂を動かして、思うように特定の場に呼び寄せるなど、本来こうしたことから考えると到底あり得ないことである。
生きた人間のたった一つの魂をすら、呼び寄せたりできないのに、生きた人間よりずっと得体の知れない、死者の魂、それがどこにいるのか、そんな勝手な人間の思惑で招き寄せたりできるという根拠も全くないのに、呼び寄せたりできるはずはないと言えよう。
靖国神社とは、このように、単に死者の名簿にすぎないものを、儀式をして神体としてあがめ、戦争に乗じて、虐殺などどんな悪い行いをした人間であっても、それらの魂から何百万もの神々を造り出すという、実に奇妙な装置なのである。
このように簡単に人間を神とするのは、実は、現代に始まったことでなく、その最初からその傾向を色濃く持っている。
神道には、教典や教義がないが、古事記、日本書記が教典に準じるものとされてきた。「…古事記や日本書紀の神話は,たしかに神道的な諸観念をよくあらわしている…。古語拾遺や風土記も教典とされ…」(「世界大百科事典」)
それでは、古事記にはどのようなことが記されているであろうか。部分的に省略しつつ口語にして引用しておく。
… 最初の神々の一人である、イザナギの命が、黄泉の国から帰って「私は醜い汚い国に行ったことだった。私は禊をしようと思う」と言って、筑紫の日向のアハギ原にて、禊をした。そのとき、投げ捨てる杖によって現れた神は、フナドの神、投げ捨てた帯で現れた神は、ナガチハの神、投げ捨てた袋でできた神は、○○の神、投げ捨てる衣で現れた神は、○○の神、…以上フナドの神から○○の神まで十二神は体につけてあった物を投げ捨てたので、現れた神である。(「古事記
上巻」より )
このように、汚れたと思った衣服などを投げ捨てたものから次々といろいろな神が生じた、というのは、現代の靖国神社が明治維新の戦争以来、天皇の側について戦死したとみなした人間を次々と神々にしていったという発想と似たものがある。
要するに、神は簡単に生れるのであり、汚れたはずの衣服からも生じる。これは、中国との戦争、太平洋戦争などで罪もない中国などの人たちを殺したり奪ったりしたような人でも簡単に神にしてしまう発想と似通っているのである。
それゆえに、明治政府にとって都合がよい場合には、特定の人間を神にしてしまう。明治政府が、豊臣秀吉を神だとして祀る豊国神社はどうか。
日本全国を統一した秀吉は、中国大陸までも支配しようと考え、そのためまず朝鮮に対して、日本に服従させようとし、秀吉の軍隊が朝鮮国内を通行するとき、その道案内をするように要求した。
当然のことながら、朝鮮側がその要求を断ると、十五万の大軍を送りこみ、七年近い戦争をはじめたのである。(一五九二年~一五九八年)この戦争で延べ三十万人ほどもが日本から朝鮮半島に進軍し、侵略戦争をしたのであった。それによって朝鮮の国土と人々の生活は著しく荒廃してしまうことになった。
秀吉没後に、神社が造られたが、豊臣氏が滅亡した後は、社殿が破棄されていた。しかし、隣国に対してこのような害悪を及ぼした人間を神として祀る豊国神社を、明治の維新政府は、一八六八年(明治元年)、はやくもこの神社の再建を決定したのであった。こうして、特定の人間を次々に神として祀る先例を開くことになった。
この後、楠木正成を神とする湊川神社、藤原鎌足を祀る神社、織田信長を祀る神社、新田義貞、名和長年などを祀る神社など次々と明治政府の都合のよい人間を神として祀る神社を造っていった。
靖国神社に、大量の人間を次々に神として祀ることは、このような人間を神としていく延長線上にあった。
単に大木や岩、山々などの自然を神々としているときには、そしてそうした周囲の世界に神秘的なものを感じていたのだ、と言っている間は、その問題点はあまり感じられないであろう。しかし、特定の人間を、政治的意図から神々とするときに、にわかに生々しい政治性を帯びてくる。投げ捨てるものからでも神々が生じるというものであり、教典も教義もないとなれば、時代の状況によって特定の権力ある支配者が、都合のよいように神々を造り出すのは必然のことであった。
靖国神社の問題点は、戦死者が単に死んだのでなく、神々になったという点である。だから慰霊をするだけでなく、英霊として崇敬すべきものとなった、それゆえ首相までがその神々に礼拝に行くというから問題になるのである。戦前は、天皇が現人神であり、その現人神のお方が、死んで神々となった、戦死者をあがめるのだ、だから最高の名誉なのだ、とされるようになった。
これらすべては、このように死んだ者や生きた人間を神々と安易に作りだしていく発想にその原因がある。
神々ですら、簡単に造れるのだから、その神々を呼び寄せたり、その神々にどのような性質を与えるかということも、人間が決めることができるとされてしまう。
これが、太平洋戦争のときには、天皇を神とし、その神の名によって戦争を推進していくことにもなった。
キリスト教では、本来は武器をとる戦争ははっきりと否定している。旧約聖書では、神が戦いを命じることが記されているが、新約聖書においては、そのような武力による戦いは全面的に否定されている。旧約聖書には、キリスト教の中心である復活という信仰がまだ啓示されていなかったり、一夫多妻が当然のように書いてあったり、神への牛や羊の捧げ物をする、食べると汚れる食物がいろいろある、血を食べるな、出血の病気は汚れている、あるいは具体的な敵を攻撃することを祈ったりする等々、まだ神からの啓示が完全でなかったことがあちこちに見られる。
その旧約聖書の時代の後に、キリストが現れ、こうした不完全な内容がすべて完全な教えと啓示へと高められたのであった。敵は憎んだり攻撃したりすべきものでなく、その敵の心から、悪の力が追いだされ、その心が善くなるようにと祈るべきであり、死の力に勝利する復活があることを自らの復活で明らかにし、食物などによってはいっさい汚れることはない、汚れは特定の病気や死人に触れることなどによってでなく、人間がだれでも心にすでにもっていること、それゆえに、キリストを信じることによってその汚れから清められねばならないこと等々である。
主イエスご自身が、剣をとる者は剣によって滅ぶと言われ、自ら武力ではいっさい攻撃せず、かえってあらゆる中傷、攻撃をすべて身に受けて、十字架にかかって死んでいかれた。そして使徒たちの働きを記した、使徒言行録においても、全く武力による戦いとか攻撃などは書かれていない。最大の使徒パウロも、「私たちの戦いは、目で見える敵に対する戦いでなく、目に見えない、悪の力との霊的な戦いである。」
と明言していて、新約聖書では、武力の戦争とか攻撃は一切認めていないのは、調べればすぐにわかることである。
それゆえ、キリスト教が戦争をするのでなく、新約聖書とキリストの教えに従っていない人たちが戦争をしてきたのである。
最近の靖国に関する議論のなかには、A級戦犯を分祀して、国立の追悼施設を造ろうという動きがある。
そして、その目的は、首相や、天皇が自由に参拝できるようにするためだという政治家たちがいる。
もしそのような方向にいけば、人間、特に戦争で戦った軍人を神として祀るという特異な信仰が一層クローズアップされ、宗教的な混乱が増大するであろう。そして将来、平和憲法が改変されて、自衛隊が戦争に加わったりしたとき、その戦死者を天皇が特別に敬うというようなことになり、戦争そのものへの批判が薄れていくようになるであろう。それは戦前のような方向である。そして靖国神社という、数百万もの人間の魂を呼びだすと称する特異な神社を重要視する傾向が強まるばかりになる。
しかし、重要なのは、国民一人一人が、戦争の計り知れない害悪をつねに新たに記憶し続け、思いだすことなのである。 そのためには、日中戦争や太平洋戦争などの戦死者全体、日本人だけでなく、戦争に巻き込まれて死んだ韓国、中国、東南アジアの人々を記念する国立の記念の施設を設けて(単に悼む、悲しむという追悼の施設でなく)、宗教的な要素を除き、そこに首相や天皇が、平和祈念(記念)式典を、すればよいのである。わずかの例外はあっても、大多数は日本人の軍人の戦死者だけを神々として祀って崇敬するなどということから、問題が生じるのである。
そしてそれらすべての戦死者、犠牲者のことを心に刻み、平和を侵そうとするあらゆる動きに反対するための行事として、八月十五日を平和祈念日として、休日とするようにすればよいのである。
そしてより根本的には、人間を政治的な思惑で次々と神として崇拝する、という信仰から、脱却して、この世界、宇宙を愛と真実をもって支配されている唯一の神を信じること、その愛をうけて、互いの罪を赦し合い、ともに神の愛を受けて生きることこそ、さまざまの混乱をしずめ、真の平和へと通じる道なのである。
ことば
(240)神を信じる人々にとっては、すべての憂いが次第に消えて、その代わりに、ある確かな信念が生れる。
すなわち、一切のことが必ず良くなるに相違なく、そして何ごとも、たとえば不幸にせよ、人の悪意や怠慢にせよ、自分の過ちにせよ、本当のわざわいをもたらすことはない、という信念がわいてくる。(「幸福論」第三部 ヒルティ著101頁)
・この確信は、愛の神であって、かつ万能の神を信じるときに与えられるものだと言えよう。そのような神だけが、あらゆるこの世の悪しき出来事をも善きものへと変えることができるからである。
(241)われらキリスト教徒であって、遍歴の騎士たるものは、この世の空しい名声ではなく、至高の天国において永遠に続く、後の世の栄光を求めねばならない。この世の名声などは、いかに持続しても、定められた終りのあるこの世とともにいずれは滅び去ってしまうのだ。
したがって、我らが殺すべきは(敵対する人間でなく)、たかぶり、傲慢、気高い胸にも宿るねたみの心、落ち着いた心にも宿ろうとする怒り、食事をとりすぎること、寝ないで番をするときの眠気、…さらに、われらキリスト教徒として、優れた騎士となさせて頂くための機会を求めて、この世の至るところを遍歴するときの、怠惰である。(セルバンテス著「ドン・キホーテ」後編第八章より)(*)
(*)セルバンテス(一五四七年~一六一六年)の主著である、「ドン・キホーテ」は、聖書の次に世界的に出版されており正真正銘のベストセラー小説だと言われている。二〇〇二年五月八日にノーベル研究所と愛書家団体が発表した、世界54か国の著名な文学者百人の投票による「史上最高の文学百選」で一位を獲得したという。(インターネットの辞典による)
このドン・キホーテという小説は、「近代小説の嚆矢(物事のはじめ)となる壮大な試みだったのである。」とされ、「『ドン・キホーテ』のもつ深い意味が認識され始めたのは19世紀に入ってからで,その先駆者はシェリングやハイネであり、フローベールやツルゲーネフであった。」(「世界大百科事典」平凡社)
・一般の人には、この「ドン・キホーテ」という本は、風車に向かって突進していくなど、単なる変わり者のことが書いてあるのだと思われていることが多い。しかし、この書は、決してそのようなものでなく、キリスト教の深い真理を内に秘めた作品である。スイスのキリスト教思想家
ヒルティも、この作品について「真理をユーモアの衣を着せて述べることはとくに困難なことであるが、セルバンテスの作品はこれを成し遂げている」と高く評価している。
ドン・キホーテは、「遍歴の騎士」であるが、これは、この世を神の国を目指して旅していく者を象徴しており、その過程で、戦いが必ずある、それを騎士ということで表している。その戦いとは、ここに引用したように、悪人そのものを殺すことでなく、私たちの内に宿る妬みや怒り、高ぶりなどであり、飲食などの欲や、なすべきことができるのに、しようとしない怠惰の心との戦いであり、霊的な目を眠らせようとする悪の力に対するものだと言っているのである。
つねに霊的な目を覚ましていることの重要性は、主イエスが繰り返し警告されたことであり、私たちの戦いは、血肉に対するものでなく、霊的な悪の力との戦いであるということも、エペソ書において詳しく記されている。
なお、次のような言葉もある。
「お前がだれと歩いているか、言ってみろ。お前がどんな人間か言ってやる。」
「お前が誰のところで生れたかじゃない。誰と一緒に草を食べているか、だ。」(同右第10章より)
キリスト者とは、今も生きて働いておられる、主イエスとともに歩み、イエスとともに霊的なパン、神の言葉を食べている者だと言えるが、ここに引用した言葉はそのことを指していると言えよう。
休憩室
○先日、裏山の小さな谷川沿いの朝に歩く道で、ハンミョウという昆虫を、数十年ぶりに見ました。これは、タマムシと並んで、特に美しい昆虫として知られています。小学校のころ、私の家のある標高二〇〇メートルほどの日峰山で時々見かけたものですが、最近はどこにおいてももう長い間見たことがなく、私の住んでいる付近では絶滅したのかと思っていたほどです。しかし、どこでどのように生き延びてきたのか、ただ一匹だけがその美しい彩りをもって私の前にいたのです。子どものとき、とらえようと思っても、近づいたらすぐにごく身軽に2メートルほど前に飛んでしまうので、素手ではとてもつかまえることが難しかったものです。
背に橙赤色の十字状の区切り模様があり、その両側は濃い紺色、そこに白い斑点の模様があり、それらが光沢をもっているので、誰しも見た人は思わず目を留めるような昆虫です。
このような見事な色彩、模様をどのような目的があって創造主は造られたのか、と思うとともに、絶滅したように思われたものが、現れることの不思議さを思います。
このような不思議は、植物にはさらに多く見られます。この付近では全くないと思われていた植物が一つだけ芽ばえているとか、それが成長しているのに出会います。たくさんの種が生じてもほとんどは芽生えないけれども、近くにまったくそのような植物がないのに、意外なものを見付けることがあります。
私たちの心のなかにも、長い間、浮かんだこともないことが、ある時突然心に浮かんでくる、ということがあります。これは、神が私たちの心のなかに投げ入れるのだと言えます。
インスピレーション(inspiration) という言葉がありますが、まさに、スピリット spirit(霊)(*)が私たちの心に入り、動かすわけです。
もうだめだ、と思われるようなことが続いても、神に期待をかけることができます。神は無から有を生じさせことができるのだから。
何十年も希望の光がなくなっているような人の心の中にも、神の力によって、光がそこに突然現れるようになって欲しいと願います。
(*)spirit という言葉は、ラテン語の、spiro (スピーロー)から来ています。この言葉は、本来は「(風が)吹く」という意味を持つ言葉であり、人間も生きているときは、一種の風(息)が出入りしているので、「息」という意味にもなり、さらに、息がなくなると、死ぬので、「生きている」という意味もあります。そこから「霊感を受ける」というようにも使われます。その名詞形が、spiritus(スピーリトゥス)で、「風」「呼吸」「命」、「霊、魂」といった意味を持つ言葉です。
お知らせ
○「祈の友」四国グループ集会 九月十八日(月)休日(敬老の日)に、松山市のJR松山駅前の「スカイホテル」にて。午前十一時開会。会費千円。問い合わせは、松山市の二宮
千恵子氏。TEL 050-1288-6075
○九月二三日(土)~二四日(日) 吉村(孝)は、静岡市に出向きます。
二四日(日)の静岡での会場は、「清水テルサ」(勤労者福祉センター)の7階会議室 C です。 JR静岡駅東口から徒歩 7~8分。開会は、午前十時より。連絡先
清水聖書集会の西澤 正文氏 TEL 0543-63-0456
○貝出 久美子さんの詩文集
第八集「十字架からの風を受けて」59頁。残部がありますので、希望の方は申込あればお送りします。一部 一五〇円(切手でも可)。送料は当方負担します。
○聖書講話、礼拝の録音CD
今までには何度か紹介しましたが、最近も数人の方々から問い合わせ、申込がありましたので書いておきます。ヨハネ福音書CD(約58枚)をブック型ケース入りで、希望の方にお分けしています。この内容は、二〇〇〇年の六月十八日から二年半ほどの期間で、徳島聖書キリスト集会でなされた吉村
孝雄による聖書講話の記録です。 これは、テープに録音されていたものを、デジタル化してCDという形で聞けるようにしたものです。(なお、一部の録音テープが欠けていたりしたため、それらはこのCDに収められていないのもあります。)
このCDは、音楽を聞くための普通のCDラジカセで聞くことができます。価格は、CD、ケース、送料共で、一万円。申込は、メール、電話、はがきなど。
○毎週日曜日の主日礼拝と火曜日夜の夕拝の内容をそのまま録音したCDも希望者にお分けしています。これは、聖書講話だけでなく、祈りや讃美、感話なども含んだもので、テープでは、八~十本になるのですが、MP3ファイルにしてあるので、CD一枚にこれらが収まっています。パソコンで使うと最も便利に使えます。これは、普通のCDラジカセでは聞けませんが、DVDプレーヤー(ただしMP3対応のもの)などでも聞くことができます。
○北田 康広さんの新しいCD
全盲の歌手、ピアノ奏者である北田 康広さんのCDが八月二日に発売されたことは前月号でお知らせしました。
北田さんは、私(吉村)が高校の理科教員から希望して盲学校(高等部)に転勤したとき、担任したクラスにいた生徒で、音楽に特別な才能があり、聖書にも関心を持っていたので、放課後など、しばしば音楽とキリスト教の関わりや、聖書の内容などについて話したり、集会にも連れてきたことがあります。
わが家にも来て、ベートーベンの熱情ソナタを引いてくれたこともありました。
その内容について、CD付録の記述をも引用して少し詳しく紹介しておきます。
曲目順に説明します。(1)「一つだけの命」・これは、二番目の曲目である「さとうきび畑」の作詩、作曲者として知られる、寺島尚彦の作詩作曲の作品。「空は星たちの遊び場だから、戦のための炎で焦がしてはならない、…海は命のふるさとだから戦いのための船を浮かべてはならない」といった歌詞で想像できるように、静かな反戦歌。
(2)次の「さとうきび畑」も同様に反戦歌であり、森山良子が歌ったのがよく知られているが、このCDではまた異なるアレンジがなされて印象的。
(3)「心の瞳」これは飛行機事故で亡くなった坂本九の遺作。
(4)「千の風」これはアメリカ・インディアンの死者から生者へのメッセージだという。悲しむな、私は、墓の中で眠っているのでなく、秋の雨となり、星となり、朝の光となり、千の風となっているのだから…といった内容の歌詞である。
(5)「平和の扉」これは、イラクのフセイン政権崩壊後に愛唱されてきたという平和の歌。
(6)「死んだ男の残したものは」これは、一九六五年に東京で開かれた「ベトナムの平和を願う市民集会」のために作られた。武満 徹作曲、谷川俊太郎作詩という、著名な人による作品。
こうした社会的な平和を願う歌とともに、(8)「安かれ わが心よ」のような、シベリウス作曲の霊的な平和を歌った讃美歌もある。これは、讃美歌21の五三二番。
(9)「鳥の歌」これはスペインのカタロニア民謡で、キリストの降誕を鳥たちが歌って祝う、というクリスマスの讃美。スペインの世界的なチェロ奏者、カザルスが、ケネディ大統領の招きで、国連でこの曲を演奏し、その時、私の国の鳥は「peace, peace, (平和、平和)」と鳴くと言って、平和を強く訴えた。この歌は、新聖歌九四番に収められています。(10)「勝利を望み」キング牧師の公民権運動のテーマソングとして歌われた。讃美歌21の四七一番。
北田演奏のピアノ曲としては、(14)バッハの「来れ、異教徒の救い主よ」、(11)メンデルスゾーンの「慰め」、(13)バッハ作曲の「シチリアーノ」。これは、バッハの作として知られるフルートソナタの数ある楽章の中でも、もっとも親しまれてきた名曲。なお、シチリアーノとは、地中海のシチリア島に起源を持つ民族舞曲の名称で、独特のリズムを持っているもの。(15)リストの「祈り」など。 全体として見ると、社会的平和と心の平和に関する曲、さらに「心の瞳」や、「千の風」のような叙情的と言える歌なども交え、また、イラク、ベトナム、インディアンの関係する歌といった、グローバルな内容で、曲の選択に苦心した後が伝わってきます。
このような、社会的な平和を求め、多方面の広がりをたたえつつも、信仰的平和の曲をも含め、大衆的な歌手であった坂本九の歌とともに、バッハの宗教音楽も同時に収めていて、しかも、一人が歌を歌うと共に、ピアノ演奏もしているCDというのは珍しく、得難い内容のCDと思います。
主がこのCDを、御国のため、平和のために用いられますようにと願います。
このCDの定価は三千円(送料当方負担)。近くに店がないとか、何らかの理由で購入するのが難しい方は、吉村(孝)まで連絡頂けば、お送りできます。
CDのタイトルは「心の瞳」 CDのNO.AECC-1008 ・
発売元(株)アットマーク
販売元(株)ユニバーサル・ミュージック
編集だより
○七月二九日(土)~三〇日(日)に、京都市の洛西にある、桂坂にて、第六回 近畿地区 無教会 キリスト教集会が開催されました。参加者は、大阪、京都、兵庫、広島、徳島などから、約四六名ほど。今回は、「道」というテーマでした。
開会礼拝では、「キリストの道」を主題として、大学四年の那須 容平兄が、プロジェクターを用いて、イエスの歩んだ道を、視覚的に分かりやすく解説、ガリラヤの道と題して、宮田
博司兄、十字架の道と題して那須 佳子姉、共に歩む道と題して宮田 咲子姉たちが語りました。
そのあと、坂岡 隆司兄が、「からしだね館」開設に関してみ言葉を引用しながら語り、夜はグループ別に読書会と夕拝とに分かれての集会となりました。
翌日の主日礼拝では、「神の道」と題して吉村(孝)が聖書講話を担当。 全体として、主の御手のはたらきを実感するよき集会となりました。
○高知の森下 貞猪姉が天に帰られました。八十一歳でした。
結婚後、小児麻痺の子供をなんとかよい治療をとあちこちの病院に連れていっているうち、ご自身が結核になり、徳島県の結核療養所に入院、そのゆえに離婚も経験され、さまざまの苦しみや悲しみを通って来られた方のようです。
しかし、その苦しみのさなかの闇のなかに、徳島の伝道者 杣友豊市や時々東京から来訪される政池 仁らによってキリストの光に触れるようになり、その後もずっとキリストの力により、歩んで来られたお方でした。
東京から高知に帰られてから、四国集会でお会いすることもあり、主にある交流がなされるようになりました。
また、折りにふれて葉書での通信もあり、きちんと毎年協力費とともに、そこに信仰に関わるコメントもいつも添えて下さり、そうした交流を通して離れていても、信仰によって固く立っておられる方、主をみつめて歩んでおられる方だと感じていました。
若いときから、晩年に至るまでの様々の苦しみや悲しみをも信仰によって乗り越えて来られた方であり、老年に至るまで、主に導かれ、主に担って頂いていると感じておりました。
・読者の方からの来信です。
○何年か前の住み慣れたところからの移住の際に、示されました、ヨシュア記の「…これまで通ったことのない道であるが、あなたたちの行くべき道はわかる」
との約束のみ言葉は、この間、いつも私の心の中にとどまっていました。
今、改めて、ヨハネ福音書のCDで十三章36節~十四章(*)にかけて学び、「行くべき道」を確かに、そしてこれから将来も、いかなることに出逢おうとも、それは揺るぎなき道であるとの、聖書講話に慰められました。示されたみ言葉を思い起こしつつ、今日も感謝に満たされております。
(*)シモン・ペトロがイエスに言った。「主よ、どこへ行かれるのですか。」…「 わたしがどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている。」
トマスが言った。「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか。」
イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。
・私たちの人生の歩みの中で、何かに導かれ、支えられていきます。その際、神の言葉によってそのような導きと支えを与えられる人は多くいます。神の言葉はその奥に、神ご自身がおられ、神の言葉を胸に覚えて歩むことは、神ご自身の御手に引かれて歩むことになるからです。
○高槻での集会のこと
八月二〇日(日)の午後から行なわれた、高槻市の集会(那須さん宅)で、思いがけない人が参加していました。大学時代の同じ理学部、化学科の同窓生、しかも私は生化学の専攻でしたが、彼はそれと近い関係のあった、放射線化学の専攻でした。
卒業以来、何十年も経っていたために、すぐには思いだせなかったのですが、そのうちに記憶が部分的ですがよみがえってきました。
那須 容平さんが、最近はじめたホームページで、自宅での高槻集会を紹介していたのですが、それを見て、高槻市に在住であったため、電話で問い合わせがあったということです。彼は、キリスト教の集会や教会には参加したことはなかったので、今回が始めての参加ということでした。
しかも、彼は岡山県の高校卒業で、そこで、香西 民雄氏(岡山聖書集会)に、高校時代に教わったとのことでした。
主は必要なときには、予想もしてなかった人や書物、あるいは出来事に出逢わせて下さるのを実感しました。
また、ホームページが用いられていることをも感謝。私どもの徳島聖書キリスト集会のホームページも、東京や沖縄のそれまで全く知らなかった人との出会いにも用いられたことを思います。