怠らず、霊に燃えて、主に仕えなさい。 |
滅ぼすことのできないもの
長崎市長が、選挙運動中に銃弾によって命を断たれるという悲しむべき出来事があった。原爆を落とされた都市の市長として、核兵器廃絶への強い願いを世界に向けて発信していたような人が、数発の小さな弾丸によってこの世の人ではなくなった。
真実なものを見つめて生きようとする人、あるいは神に遣わされた人たちを受け入れず、迫害したり殺そうとする人たちがいつの時代にもいた。主イエスも、次のように言われた。
…わたしは、預言者、知者、律法学者たちをあなたがたにつかわすが、そのうちのある者を殺し、また十字架につけ、そのある者を会堂でむち打ち、また町から町へと迫害して行くであろう。(マタイ二三・34)
主イエスご自身もわずか三十三歳の若さで処刑された。
しかし、このようなことが生じるからといって、真理は滅びることはない。真理は銃弾や近代兵器によっても、滅ぼされることはあり得ない。
実際、主イエスは十字架において殺されたが、主イエスが持っていた真理はいささかも傷つくこともなく、かえってその死のあとイエスは復活し、聖霊を弟子たちに注ぐことによって生きていたとき以上の力でもって増え広がり始めた。
そして次のように教えられた。
…体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れよ。(マタイ十・28)
この言葉で言われているように、体を殺しても、魂は殺せない。同様に、真理を持った人間の命を奪おうとも、真理そのものは決して滅ぼすことはできないのである。
奏でる手
家に古いピアノがある。ピアノは楽器の王とも言われる。しかし、弾く人がいなかったら、ただの重い箱にすぎない。
しかし、ピアノの名手が弾けばそこから驚くべき音楽を生み出し、人の魂を揺さぶる力を聞く人に与え、その魂をこの世から引き上げて、天上のハーモニィに心を溶かし込むことができるであろう。
この世にはこのような、弾き手のいないピアノのようなものが至るところにある。
聖書も、その深い意味を奏でる人がいなかったら、ただの紙である。そこには、永遠からのメッセージ、世界のすべての人の意見よりはるかに抜きんでたその深遠な発想と表現がそこに込められている。
しかし、それを説き明かす人がいなかったらそうした世界は開かれない。
私自身、聖書の存在は小学校低学年のときから知っていたが、それは弾く人のいないピアノのように全くそこからは真理の響きを聞き取ることはできないものであって、私の魂とは何の関わりもなかった。だが、大学四年のとき、それを説き明かすごく短い言葉によってその広大な真理へと目が開かれた。それは、その本の著者が聖書の真理を神の指をもて奏でたのであり、それを私が聞き取ったのである。
すでに使徒言行録においても、聖書のイザヤ書を読んでいた遠くからの人が、説き明かす人がいなかったらどうしてわかるだろうか、と嘆いた。それに答えてピリポが説き明かしたときに、霊の目が開けた。
…御霊がピリポに「進み寄って、あの馬車に並んで行きなさい」と言った。
そこでピリポが駆けて行くと、預言者イザヤの書を読んでいるその人の声が聞えたので、「あなたは、読んでいることが、おわかりですか」と尋ねた。
彼は「だれかが、手びきをしてくれなければ、どうしてわかりましょう」と答えた。そして、馬車に乗って一緒にすわるようにと、ピリポにすすめた。…
そこでピリポは口を開き、(彼が説き明かしを求めた)聖句から説き起して、イエスのことを宣べ伝えた。(使徒言行録八・29~35より)
未来は一体どうなるのか、過去の歴史、そして現在のさまざまの出来事の本質、生と死の本質、死のかなたには何があるのか、等々も同様である。それは大学の学びをしたからといって分かるようなものではない。
信仰の父と言われるアブラハムにしても、学者ではなかったし、多くの深い内容の詩を作ってそれが神の言葉とみなされるほどになったダビデも同様であった。その他、聖書に現れる大いなる神の人、イザヤ、エレミヤといった人たちも学問をしたからそのように用いられたのではなかった。
新約聖書では、かえって聖書にかかわる学者(律法学者)がイエスの本質を深く見誤った。それだけでなく、ついにイエスを激しく憎み、十字架に付けることにつながっていったと記されているほどである。
キリストが特に用いた弟子であった、ペテロ、ヨハネ、ヤコブたちも学問とは無縁の漁師であった。旧約聖書をきちんと学んだと思われるパウロにおいても、その学問によってかえってキリストのことがわからず、キリスト者を激しく迫害するようになっていたのである。
彼らがキリストに本当に仕えるようになり、キリストの使徒となったのは、学問でも経験でもなく、神からの霊を与えられたからであった。それによって目が開かれ、現在、過去、未来の世界を、また人間の深い魂の世界をその霊によって奏でるようになり、その響きが以後二千年にわたって続いているのである。
神の霊が与えられてはじめて、経験や学問、あるいは行動も生きてはたらき、キリストのことを体得する助けとなっていく。
古典といわれる著作も同様である。ダンテや今回ごく一部を紹介したセルバンテスの主著であるドン・キホーテなども、また私たちを取り巻く自然のさまざまの姿、そうした世界をもより適切に説き明かす人が必要である。
それだけでなく、私たちにふりかかる困難や悩み、悲しみ、そうした出来事をもその深い意味を神の霊もて奏でることが期待されている。それによって非常な苦しみや悲しみの中からもそれまで聞いたことのないような、天からのハーモニィを聞き取ることができるのであろう。
旧約聖書の詩編には、それが文字となって歴史のなかに刻み込まれていると言えよう。
主イエスは、「…しかし、わたしが神の指によって悪霊を追い出しているのなら、神の国はすでにあなたがたのところにきたのである。」(ルカ十一・20)と言われた。
そして悪の力(霊)を追いだすといった神秘的なことは、だれにもできないというのでなく、福音書によれば、まだ、イエスを信じて間もないような十二弟子たちを呼び寄せて、汚れた霊(悪の霊)に対する権威を与え、そのような霊を追いだすことができる力を与えたと記されている。(マタイ十・1)
このことからわかるのは、いかに信仰を与えられたばかりのようなものであっても、神からそうした力を与えられるならば、悪の霊を追いだすことが可能だということである。
私たちもまた、どのような現象に接しても、聖霊によって「神の指」を与えられ、私たちの魂の内や周囲の人間、社会にある悪の力を追いだし、この世において天の国のハーモニィを奏でていくことが期待されている。
この世界全体は、部屋に置かれたピアノのように、神から与えられた霊の指もて奏でる人を欲しているのである。
学ぶことと愛すること
学ぶとは、前進であり、たえず新しい価値あるものを取り入れていくことである。学ぶことをしなくなったらその人の魂は枯れていく。職業を持っている間は、必要上、いろいろな新たな知識や考え、対応が必要なので、何らかの学びをせねばならない。それが老化を防ぐことにもなっている。しかし、退職し、年老いてくると時間もお金もあるが、学ぶことが全くなくなり、それゆえに枯れていく場合が多い。
老齢化の拡大につれて、人間の魂が枯れていく風景がさまざまのところで見られるようになるだろう。仕事がなくなる、病弱になる、孤独になる、好きなことができなくなる、こうした老齢化のゆえに学ぶことが必要なくなってその精神が停滞し、退化していくこと、それこそ老人問題の根本問題だと言える。
もし、学ぶことを継続できるなら、そこには魂への活性化があり、心に緊張感が生れる。
いかにしてそのような前進的な学びを継続できるだろうか。
ゲーテは、学びについてこう言った。
「人はただ自分の愛する者からだけ学ぶ。」
この言葉には、共感を持ちつつも、疑問を感じる人が多いだろう。例えば車の運転技術を自動車学校で学んだが、その際に教えた人を愛しているなどは全くなかったというのが大多数であろう。また、たいていの人は、数学、国語、英語等々の教科で別に教師を愛していなかったが、それなりに学んできたという人は多いからである。
しかし、教師が差別することなく、できないものにもエネルギーを注ぎ、一人一人を大切にするような人であれば、当然生徒もその教師を愛するようになり、一層その習得はすみやかになることは確実である。
そうした知識とか技術とかでなく、人間の本質にかかわること、真理とは何か、永遠に変わらないものとは、心の真実さ、何が価値あるものか等、目には見えない真理にかかわることについては、愛し敬っている者からでなければ学ぶことはないだろう。相手が愛のない人であれば、他の点では能力のある人であっても、彼から愛を学んだりすることはないからである。
それゆえ愛と敬意を持つことができる人を持たない場合、真理にかかわることを十分に学ぶことができないことになる。たしかに、家庭や学校で愛を受けなかったために、愛する人を全く持たない子供は、真実や正しさにかかわることを学ぶことができないゆえにいじけていく。
また、老齢化して家族も周囲にいなくなり、愛する対象がいなくなるという状況が、多くの老齢化とともにやってくる。愛を働かせる相手を持たなくなったとき、人は学ぶこともなくなってしまい、魂は前進をやめて枯れていく。愛と学びの心は不可分に結びついているからである。
そうした家庭や学校、あるいは働きの場、さらには老齢化での恵まれない状況にある人たちが昔から無数にいるからこそ、 神はどのような場にあっても、愛を受けることができるようにして下さったのである。そのためにはただ、愛と創造の神を信じさえすればよい。私たちが幼な子のような心、真っ直ぐな目をもってその神を仰ぐときには、神はその愛を私たちに注いで下さるようになる。
もし人がそのような神の愛を実感するなら、周囲のさまざまの人間や自然、出来事はその愛する神が深い目的をもって創造され、今も背後にて動かしておられると信じるのであるから、それらすべてが学びとなってくる。ある人間がよくない人であっても、その背後に愛する神がおられると思うときには、その人間に対する忍耐を学びとることができる。敵対してくる人からでも学ぶことができるようになる。
本当の魂の学びは、小中高校、大学や家庭、あるいは職場などがあるからでも能力があるからでもなく、神の愛を受けるところでなされる。
それゆえに、主イエスは、最も重要なことは、「神を愛すること」、そしてその愛を受けて、「人を愛すること」と言われたのであった。
見果てぬ夢 ―セルバンテスとその著「ドン・キホーテ」について
深い内容をもった作品が、一部の人々にはその真理が知られていても、一般の人々にはその真価を知られていないことはよくある。聖書もそうした典型的な例であり、残念なことに大多数の日本人にとって永遠の真理が記されている創世記や詩編、福音書やパウロの手紙などの深い意味は分からないままになっている。
セルバンテスの著書「ドン・キホーテ」についても、これは、風車に向かって突進していく、無鉄砲な喜劇的な人間だ、子供向けのおもしろい小説だ、というような理解が多いだろう。
しかし、前月号に紹介したように(*)、この作品は決してそのような単に面白おかしく書かれた娯楽作品ではない。
(*)ロシアの大作家ドストエフスキーはその著作「作家の日記」の中で『ドン・キホーテ』を次のように評している。「…ここには、人間の魂の最も深い、最も神秘な一面が、人の心の洞察者である偉大な詩人によって、見事にえぐり出されている。
これは、偉大な書であって、今どき書かれているようなものではない。このような書物は、数百年にようやく一冊ずつ人類に贈られるのである。…」 (ドストエフスキー全集第15巻「作家の日記」下巻 二八二頁 河出書房新社刊)
この著者セルバンテスは、大いなる苦難の人生を歩んだ人物であった。そのことを、フランスの文学評論家デュアメルの「文学の宿命」なども参照しつつ一部を紹介しておきたい。
彼は一五四七年、スペインで貧困のうちに生れ、後に兵士となってレパントの海戦(**)に参加した。
(**)レパントはギリシアのコリントス湾の北岸の町。一五七一年十月七日,ローマ教皇庁、スペイン、ベネチアの連合艦隊とオスマン海軍はレパント付近で対戦し、連合艦隊が勝利した。
そこで重傷を負って、生涯左手が自由に動かないという障害を持って生きることになった。その後、退役して帰国の途中にトルコの海賊に捕らえられ、アルジェの刑務所で長い苦難の歳月を送り、何度となく脱走を計画したが失敗し、死に至るほどの苦しい労働から、ようやく奇跡的に逃れることができた。
こうした艱難のうちに生きていたとき、自分だけの苦しみや悲しみにうちひしがれることなく、同じように苦難をなめている友人たちを救うために、あらゆる罪をみずから一身にひき受け、我が身をまったく犠牲にした。
彼は、牢獄に入れられているとき、自分の命をかけて、一同が意気阻喪しないように励ましていた。 しかも、彼は、四度にわたって危うく生命を失いかけた。それは、杭で刺される刑、絞首刑、あるいは火あぶり刑などに処せられるところであった。それも、彼が多くの苦難を受けている多数の人たちを救い出そうとしたゆえであったという。
このような数々の危険と困難、死と隣り合わせた苦難の生活を目には見えない力に押し出されて行動していった彼は、十一年の外国での波瀾に富んだ生活を終えて、辛うじて帰国することになった。
しかし、それからまたそれまでと全く異なる苦難の生活が始まる。それは当時のスペインが政治、社会的にも大きく衰退に向かうという変動期であったこともあり、彼の軍人としての、また勇敢な兵士としての経歴も無視され、左手が自由に動かないというハンディもあって、きちんとした職業にすらつくことができずに、海軍の食糧を集めたり、税金を徴収するなどして各地を歩き回り、入獄まで経験した。このように、生涯の前半は苦難に満ちてはいたが、命をかけて他者のために生きる道を歩んだが、後半は、生活の苦しみ、この世の冷たさに苦しめられたと言えよう。こうした英雄的苦難と屈辱的苦難という全く性質のことなる苦難を経て年老いたセルバンテスが,恐らく一六〇二年のセビリャでの入獄中にその想を得たのが「ドン・キホーテ」であると言われている。
こうしたさまざまの苦難の内、ことに牢獄のなかでこの有名な作品の着想を得たということは、イギリスの著作家バニヤン(*)が、やはり繰り返し投獄されたそのなかで、世界的に読まれてきた「天路歴程」の着想を与えられたというのと共通しているのに気付く。
(*)バニヤンは、とても貧しい家庭に生まれ育った。父親は鍋・釜などを修理する職業で、それは動物を使う興行師や行商人と同様な扱いを受けていて、社会的地位はことに低かったという。イギリスの文学者、作家でバニヤンほど低い地位にあった人はなかったと言われるほどであった。
そのような低き地位にあった人が、世界的な文学作品、しかもキリスト教信仰の上でもとくに重要な内容のものを生み出すことができたのは、神の導きであった。彼は牧師でないのに、説教をしたということなどの理由で、三回にわたり入獄を経験し、合わせると十二年半もの獄中生活を経験している。
こうした特異な苦難の道を歩んだ人間が、晩年に牢獄でインスピレーションを得て書いたものが、単に子供を喜ばせるような笑いの物語りであるはずがないということは、彼のこうした生涯を知れば容易に推察できることである。
永遠的な価値を持つ作品をこの世に送り出すには、単に文学的な才能とか、たくみな文章能力などというものだけでは足りない。神は、その著者にさまざまの苦難を経験させて、真理をもった著作を生み出させるというのがうかがえる。
ヒルティは、真理をユーモアの衣を着せて表現することはとくに困難であるが、セルバンテスの「ドン・キホーテ」はそうした稀な作品の一つであるとして高く評価し、内村鑑三も次のように述べている。
…ヨーロッパの文学に驚くべき才能を現し、ダンテと並び称される偉大な人物がある。これがセルバンテスである。時代は、貧富の差がますますひどくなり、社会は罪悪と不平とあつれきとの声で満ちていた。
セルバンテスはこの状況を見て義憤にかられ、強きをくじき、弱きを助け、社会の改革をなそうと志した。しかし、彼が計画するところはみなその志と食い違い、不幸と名付くべきあらゆる不幸、艱難と称すべきあらゆる艱難はつねに彼に降りかかってきた。実に彼の生涯は耐えがたい苦難辛酸をなめ尽くした生涯として終わった。
バーンズの不幸、ジョンソンの困窮、カーライルの辛苦など(*)、セルバンテスの生涯に比べるなら物の数ではない。…
(*)バーンズは、イギリスの詩人。スコットランドに生れ、農民として一生を終る。ジョンソンは、イギリスの文献学者・批評家・詩人。その「英語辞典」は個性的な辞典として有名。カーライルはイギリスの思想家。
もし彼の生涯を思いめぐらすとき、今日の文学者が、妻が病床に伏し、子が飢えに泣き、自分は水を飲んで作品を生み出す苦しみをなめる、としても、まだそれは心にかける問題とは言えない。
セルバンテスは晩年になって、自分の一生を回顧して、ドン・キホーテという作品を書いた。それはヨーロッパ文学の中で、一頭地を抜きんでた大傑作である。…私はこれを読んだとき、この書は単に娯楽的書ではない。それを一読して、おとがいを解かしめ(感服のあまり、あいた口がふさがらないこと)、再読して、笑いを誘う表現の内に、実に限りない悲しみの情を含んでいることを感じたのである。
(「内村鑑三全集」第五巻 四四〇頁~四四一頁より。 一九八一年岩波書店刊。 原文は文語、わかりやすい表現にしてある。)
次にこのドン・キホーテの中から引用する。
…このような悲運も、私のいそしむ道に殉ずる者にはありがちなことだからである。それだけでなく、このような苦難が私の身に起こらないとしたら、その名が知られる遍歴の騎士と自ら信じることにもならない。
というのも、名も誉れもないような騎士ならば、このような苦難に遭うことも全くないが、勇気ある騎士には必ず生じるものである。
というのは、彼らの善き行い、勇気のゆえに、数々の王や支配者たちの妬みを引き起こすからである。
そのような妬む者たちは、悪い計画を考えだすことによって、立派な騎士を滅ぼそうとするのだ。
しかし、善きわざは力強きものであるから、あらゆる犠牲を払って現れ、太陽が空に輝くごとくに、世に光を放つことであろう。…
(「ドン・キホーテ」第四七章より 、筑摩書房版世界文学体系 「セルバンテス」 二九六頁)
ここで言われていることは、聖書に記されていることが背景にあるのが感じられる。
神の国への道を歩む者(それを「遍歴の騎士」として現している)にとって、さまざまの困難、苦難は当然予想されること、もしそうした困難が何も生じないなら、かえってそれは本当に神の道を歩んでいるとは言い難い。
人が神の国にふさわしい言動をするとき、周囲の力を持っている者たちはそれを妬み、滅ぼそうとする。しかし、この引用にあるように、善きものは力あり、あらゆる妨げにもかかわらず現れて、太陽のように輝く。こうした典型的な例が、主イエスであったが、そのキリストの真理を幾ばくかを与えられた者もまた、その真理(神の言葉)のゆえに輝きを持つようになるだろう。
それは使徒パウロがで言っているとおりである。
「あなたがたは、いのちの言葉を堅く持って、彼らの間で星のようにこの世に輝いている。」
(フィリピ書二・15)
セルバンテスのこのドン・キホーテを元にして、音楽と踊りを用いた劇(ミュージカル)が作られ、それが広く知られるようになった。これもこのドン・キホーテという作品が時間を越え、民族を越えて永遠的な真理をたたえているゆえに、その一部を取り出したに過ぎないこうした音楽劇にも人を惹きつけるものを持っているのであろう。
それは、「ラ・マンチャの人」 (Man of La Mancha)というもので、ラ・マンチャとは、ドン・キホーテの舞台となった、スペイン南部の地方名である。今から四十年あまり前にアメリカで初演され、五年六ヵ月の長期にわたる公演を記録し、現在も世界中で公演されているという。
ここにあげた歌は、この中で歌われるものである。
その訳と原文、それから詩的に訳されたものを次にあげる。
****************************
不可能な夢
実現の不可能な夢を見、
打ち負かすことのできない敵と戦い
耐えがたい悲しみを担い
勇士もあえて行こうとしないところへと進み行き
正しくしようとしても、できないようなものを正さんとし、
清いものを愛し、遠くからそれを追い求め
疲れ果てていても、なお試みることを努め、
達することのできない星に行かんとする
星をめざして歩むことこそ、私の願い
それがいかに絶望的に見えようとも
そしてどんなに遠くとも
正しきもののために戦い
地獄のようなところへも、喜んで進み行き
疑うことなく、休むことなく
天の国にかかわる目的のため、
私は知っている。
私がこの栄光あるつとめに真実であるなら、
永遠の休みが来たときには、
私の心は平和な静けさのうちに憩うことを。
そしてこの世は、わずかでもよくなるだろう
一人の人間が、あざけられ、傷だらけになろうとも
最後に残ったわずかばかりの勇気をふりしぼって
達することのできない星に達せんと努めたことによって
THE IMPOSSIBLE DREAM
To dream the impossible dream
To fight the unbeatable foe
To bear with unbearable sorrow
To run where the brave dare not go
To right the unrightable wrong
To love pure and chaste from a far
To try when your arms are too weary
To reach the unreachable star
This is my quest to follow the star
No matter how hopeless
No matter how far
To fight for the right
without question or pause
To be willing to march
into hell for a heavenly cause
And I know if I'll only be true
to this glorious quest
That my heart will lie peaceful and calm
when I'm laid to my rest
And the world will be better for this
That one man scorned and covered with scars
Still strove with his last ounce of courage
To reach the unreachable stars
夢は稔り難く(森岩雄、高田蓉子 訳)
敵は多数なりとも
胸に悲しみを秘めて
我は勇みて行かん
道は極め難く
腕は疲れ果つとも
遠き星をめざして
我は歩み続けん
これこそ我が宿命
汚れ果てし この世から
正しきを救うために
いかに望み薄く 遥かなりとも
やがて いつの日か光満ちて
永遠の眠りに就くそのときまで
たとえ傷つくとも
力ふり絞りて
我は歩み続けん
あの星の許へ
**********************
この詩は、著者であるセルバンテスの心が映し出されている。一言で言えばそれは「星を見つめて」の歩みであったと言えるだろう。キリスト者にとってその星とは、キリストご自身であり、神の国である。
夜空の星はこのように、古来数々の真理に生きてきた人たちの目に見える指標となってきた。
ダンテもその記念碑的な大作である「神曲」で、地獄、煉獄、天国の三つの部分の最後にいずれも、原文では「星」という語を配した。
人間は、人生のあるときに、そうした星にたとえられる永遠の真理を知らされる。そしてそれに向かって歩むことこそ、唯一の幸いの道だと悟る。
しかし、その弱さ、罪ゆえに現実の生活ではドン・キホーテのような失敗と嘲笑や挫折を味わうことが多い。しかし、いかにそれが道遠く感じられようとも、その星は、はるかかなたから私たちの魂に光を投げかけ、招いているのを感じるのである。そしてこの詩が歌っているように、時至れば、天の国にてこの願いは完全に満たされるということを信じて歩むことが許される。
その希望、目標はあまりに遠く、時として私たちの心はなえそうになることもある。しかし、そのような時でも、私たちが天を仰ぎまなざしを御国に向け続けるときには、彼方に輝く星を見出すことができよう。
ドン・キホーテは「憂い顔の騎士」であった。それは著者自身がこの世の悪や自分自身の内なる罪ゆえの悲しみを反映したものであっただろう。主イエスも、すでに二五〇〇年以上昔の預言者(イザヤ書)によって、メシアは、「悲しみの人」だと預言されている。
…彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた。また顔をおおって忌みきらわれる者のように、彼は侮られた。われわれも彼を尊ばなかった。
(イザヤ書五三・3)
この世のさまざまの出来事のゆえに、魂の平安を失い、孤独に悲しむこともいろいろとあるだろう。しかし、主イエスは次のように約束された。
「ああ、幸いだ。悲しむ者たちは。彼らは(神)によって励まされ、慰められるのだから」。
キリスト者の歩みは、一見実現不可能なことを目指しているように見える。しかし、それは人の目で見るからである。時至れば神はその万能の力をもって、この世界を新しい天と地に造り変えられるのを信じる信仰を与えられているのである。
闇の中から続く道
聖書のなかには、どうしてこのような記事があるのか、といぶかしく思われる内容がしばしばある。それは旧約聖書の中には多いが、新約聖書の中にもある。次のような箇所もその一つである。
それは、イエスがみ言葉を伝えていた地方の領主ヘロデとその妻や娘が、神から遣わされた預言者ヨハネ(洗礼のヨハネ)を計略をもって殺害するに至ったことである。ヘロデは、兄弟の妻を奪って自分の妻にするという不正なことをした。そのことを、ヨハネによって神の道に反すると公然と非難されていた。
…ヘロデは、自分の兄弟フィリポの妻ヘロディアのことでヨハネを捕らえて縛り、牢に入れていた。
ヨハネが、「あの女と結婚することは律法で許されていない」とヘロデに言ったからである。
ヘロデはヨハネを殺そうと思っていたが、民衆を恐れた。人々がヨハネを預言者と思っていたからである。
ところが、ヘロデの誕生日にヘロディアの娘(サロメ(*))が、皆の前で踊りをおどり、ヘロデを喜ばせた。
それで彼は娘に、「願うものは何でもやろう」と誓って約束した。
すると、娘は母親に唆されて、「洗礼者ヨハネの首を盆に載せて、この場でください」と言った。
王は心を痛めたが、誓ったことではあるし、また客の手前、それを与えるように命じ、
人を遣わして、牢の中でヨハネの首をはねさせた。
その首は盆に載せて運ばれ、少女に渡り、少女はそれを母親に持って行った。(マタイ福音書一四・3~12より)
(*)この娘の名は、新約聖書には記されていないが、ヨセフス(**)の「ユダヤ古代誌」第十八に、次のようにサロメと記されている。 「…ヘロデアは、ヘロデ大王とマリアムネ(大祭司シモンの娘)との間にできた子、ヘロデ(アンティパス)と結婚した。二人の間に、サロメが生れた…」(「ユダヤ古代史 新約時代篇四・78頁」山本書店刊)
(**)ヨセフス(AD35年頃-100年)は、主イエスの死後数年して生れた古代イスラエルの著述家。「ユダヤ古代誌」や、「ユダヤ戦記」などの詳しい歴史書を残している。紀元66年に勃発したユダヤ戦争において、はじめユダヤ軍の指揮官として戦ったが、捕らわれた。後に、ローマの将軍ティトゥスの部下としてエルサレム攻撃に加わった。このユダヤ戦争によって、エルサレムは焼かれ、ユダヤ人たちの多数が殺され、あるいは国外に追放され、以後一九四八年の独立まで流浪と迫害を受ける民族となった。このことは、主イエスが、生前に次のような深い嘆きの言葉を発して預言したものであった。
「ああ、エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、おまえにつかわされた人たちを石で打ち殺す者よ。ちょうど、めんどりが翼の下にそのひなを集めるように、わたしはおまえの子らを幾たび集めようとしたことであろう。それだのに、おまえたちは応じようとしなかった。
見よ、おまえたちの家は見捨てられてしまう。」(マタイ福音書二三・37~38)
領主ヘロデの誕生日に豪勢な祝宴が行われ、そこで娘のサロメが踊って、ヘロデを喜ばせた。彼が、サロメに望むものは何でも与えると祝宴に集まった多くのひとたちの前で約束した。そこで、サロメは母親のヘロデヤにそそのかされ、ヨハネの首を持ってくるという誰もが予想もしなかったことを要求した。この世の策略はある種の賢さがある。悪用されるときにこのようなひどいことが生じるのである。
国の半分までも与えようと、約束されたにもかかわらず、サロメは、ヨハネの首を望んだ。このことからみても、いかにヘロデヤとサロメたちの憎しみが激しかったかがうかがえる。人間的な愛も激しくなれば、相手のためには、命さえ惜しまないとか妨げるものを排除しようとするが、憎しみもまたそれがひどくなるときには、その一点に集中されて他のことが見えなくなるのである。
このようにして闇の力がその祝宴を支配し、領主ヘロデはそのような娘への約束を果たすことになって、神からの預言者であったヨハネはいとも簡単に殺されてその首が祝宴に参加していた多くの権力者や支配者、金持ちたちの面前にさらされることになった。
神の力を受けて、神の言葉を語り、主イエスの出現を予告し、その偉大さをだれよりもはっきりと見抜いていたヨハネ、そのような人間がいとも簡単に殺されてしまう。このようなことをなぜ、神は許されているのか。
この聖書の箇所は、読む者にとって実に不可解な、読みたくないような箇所である。
なぜこのような、神の無力を示すような記事が掲載されているのだろうか、初めてこの箇所を目にしたときに、不可解な思いが生じたことを覚えている。何のため、何を読者に訴えているのか、このような悪の力の強大さを前に何を神はメッセージとして伝えようとされているのだろうか。
洗礼のヨハネを殺害した領主ヘロデの父親は、ヘロデ大王と言われた。彼は、主イエスが生れたとき、イエスを殺害しようとしたが、見つからなかったためにその付近一帯の幼児を皆殺しにしたと伝えられているような人間であった。こうした彼の性質は、家族に対しても深い闇をもたらした。ヘロデ大王は、自分の権力の維持に妨げがあると考えて義母や、義兄弟を死に至らしめ、嫉妬などのために叔父や妻を殺害し、王位をねらったという疑いによって三人の自分の子供をも殺害していった。
このような暗黒の象徴とも言えるような王がヘロデ大王であり、この王の時代にイエスが生れたのであった。マタイによる福音書に、イエスの誕生を書き記すとき、冒頭に「ヘロデ王のときにイエスが生れた」ことを、明記しているのもこうした背景がある。
洗礼のヨハネが、ヘロデ大王の息子(領主ヘロデ)によって、さらにその妻や娘たちの策略によって無惨にも殺されたこと、それは何を意味しているだろうか。
ヨハネがこのように無惨に殺されたという報告を受けて、主イエスはどうしたか。深い悲しみと怒りを持ったことであろうが、一言も発せず、ただ、一人静まって、船に乗って退いた。そのときの主イエスの心はどうであっただろう。神の国の働きの第一線にいた人物がいとも簡単に殺されたことを、どのように受け止められたのだろうか。
それらすべては、沈黙の祈りで受け止められた。祈りはあらゆることを受けとることができる受け皿である。喜びのとき、悲しみのとき、世の中の暗黒のとき、すべてを受け止めて力に変えることができる。
こうした一人静まっての沈黙の祈りのあとでとくに重要な五千人のパンの奇跡が記されている。不可解な出来事を前にして、私たちが本当の意味を知らされるのは、祈りによってである。祈りとは、神との交わりであり、神のご意志を告げられるときであるからである。
このような主イエスに対して人々は、どのように反応しただろうか。
もはや夕暮れであったし、食物も持たず、イエスに引き寄せられるように後を追いかけて行った。主イエスは舟に乗って行ったのであるから、陸を歩いて追いかけるのでは、かなりの時間を要したはずである。男だけでも五千人という多くの人たちが夕暮れ近い湖の岸辺にそってイエスの方を目指して歩き続ける。ここには、夕暮れ近づいた湖に沿ってたくさんの人々が、イエスの後を追ってついていこうとする不思議な光景がある。彼らは途中でいろいろ話しながら歩いたであろうが、何を話したのか、パンも持たずにしかも夕暮れであったのに、どうしてこのようなたくさんの人たちが引き寄せられたのか、それは、現在も続いている主イエスのうちに宿る不思議な力による。
それは他に例を見ないものであっただろう。何一つ珍しいものを持っているわけではない、また、何かをもらえるということでもない。地位が上がったり、この世の評価を高くすることでもない。それでも人々はイエスの方に向かって目には見えない何ものかによって歩いていくのである。
それは、主イエスの人間を引き寄せる力のゆえである。イエスはこの力を弟子たちにも分かち与えた。そのことが、次の言葉の意味なのである。
…イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。(マルコ一・17)
イエスに従っていくことによって、不思議な人間を引き寄せる力が与えられ、人間を集めてキリストのもとに導くことができると言っているのである。事実、このことは実現してローマ帝国時代の激しい迫害にもかかわらず、次々と人間を引き寄せ、キリストのもとに集めていったのである。
これは単なる昔の話ではない。現在も何も持たないで、イエスの方向を目指して歩む無数の人がいるのである。
ここに、時代を越えて変ることなく自らのもとに引き寄せ続けるキリストの力が示されている。この世には悪に引き寄せられ、身の破滅を受ける人たちも多いが、それと全く逆の存在である光に満ちたキリストに引き寄せられる人たちがイエス以後、現在までの二千年間、途絶えることなく続いている。
このイエスを求めて夕暮れ近い道を歩き続けた人間は、そのまま現代の人間の魂の状況を連想させるものがある。
その多くの人々を見て主イエスは、「深く憐れんだ」。(*)
「イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て深く憐れみ…」とある。とくに好奇心でやってきた人たちを見たということだけなら、せっかく一人でいるのに、邪魔な人たちだというような気持ちになることはあっても、全身であらわすような深い憐れみ、愛を彼らに感じることはなかったはずである。
魂の平安なく、闇の力に苦しめられている人たちに対して、その度合いがひどいほどそのような状況を目の当たりにしたら、心もからだも痛む思いがするだろう。
主イエスは、多数の群がる人々の内面を鋭く見抜かれ、飢えや病気などで痛む心身をかかえている人たちが、その魂の状態が闇と混乱であり、魂の空き家のような状況であり、そのままでは滅びに向かっているのを知っておられた。
それゆえに、主イエスは、魂と体全体で人々の現状に痛みを覚え、深い愛を感じられたのであった。
(*) この原語は、一語であって、「深く」といった言葉はない。スプランクニゾマイ (splanknizomai)という語である。この言葉は、スプランクノン (splanknon)という語(心臓、肝臓、肺臓、腎臓などの内臓を意味する語)からできたものである。このような体の一部を表す語から派生した語がなぜ、「深く憐れむ」などというような心の深い感情を表すようになったのか、それは、この感情がからだの奥深い部分も動かされるような内容を持っているからである。真の愛は、全身全霊をもって働くものだからである。
まず病人をいやされ、表面上では病人でないが、神の目からはすべての人が病んでいるのであったから、それらすべての人たちの乾きと飢えをいやすべく行われたのが、五千人のパンの奇跡と言われるものである。
いくら悪の力が強く支配しているように見えても、そのようなただ中にイエスを求め、従っていき、イエスから何かよきもの、神の国にあるものを分けて頂こうとする人たちがいる。
このような引き寄せる力によって人々はイエスのところに集められた。しかし、そのような人々の状況は、イエスの時代のユダヤの人たちだけのことでは決してない。この聖書の記述は、私たちが昔の美術館などを見るような気持ちで過去にはこんなことがあったのだと他人事のように読んではいけないのである。
このたくさんの群衆の中に自分もまた見出されて、そこを歩いていると言えるのではないか。
主イエスはこうした迷える一匹の羊たちの群れに対してどのように言われただろうか。
何のためについてきたのか、食事もないのになぜこんな所まできたのか、といった叱責の言葉はなかった。弟子たちはさすがに夜が近づいたので、すみやかに食事のことを考えないととても困る事態になると考えた。しかし、主イエスは何と言われたか、意外なことに「あなた方が彼らに食べ物を与えなさい。」というのである。
キリストの弟子たちとは、このように飼うもののいない羊のように迷っている人たちに「食べ物を与える」(16節)ことがその任務なのである。
「悔い改めよ、神の国は近づいた」と宣べ伝えよ、と主イエスは弟子たちを派遣するときに命じて言われた。神の国が近づいてそこにある、それゆえに弟子たちは、人々に霊的な食べ物を与えることができるのである。
弟子たちは自分たちの大きな使命にまだまだ目覚めていなかった。それで、群衆が自分たちで食べ物を得るようにと、考えた。
しかし、イエスは「あなた方が彼らに食べ物を与えよ」と言われた。弟子たちは自分たちが持っているのは、五つのパンと二匹の魚だけであって、それでは何にもならない、と思ったが、それは当然のことであった。
五つのパンと二ひきの魚とを手に取り、天を仰いでそれを祝福し、パンをさいて弟子たちに渡された。(口語訳、新改訳もほぼ同じ)(*)
(*)マタイ福音書では、単に「…祝福した。」となっているが、ルカ福音書では、原文で見ると「それらを(euvlo,ghsen auvtou.j)祝福した」、となっていて、祝福の対象は、パンと魚であることが明示されている。
新共同訳では、この「祝福した」という箇所を、「讃美の祈りを唱えた」と訳しているが、この訳はごく少数である。
原文は、…avnable,yaj eivj to.n ouvrano.n euvlo,ghsen であって、「讃美の祈りを唱える」という訳語の原語は、ユーロゲオー eulogew であり、他の外国語訳の大多数が、「祝福する」と訳し、少数が、「感謝する」と訳している。例えば、英語訳二十種類ほどでは、ほとんどが bless と訳している。そのなかで、ドイツの一つの訳だけが、Lobpreis(ほめたたえる、讃美する) と訳している。新共同訳はこの訳に近い訳語を採用している。
この原語は、新共同訳でも他の多くの箇所は、「…イエスは彼らを連れて行き、手をあげて祝福された」(ルカ二四・50)のように、「祝福する」と訳されている。
・…he looked up to heaven, and blessed and broke the loaves(NRS)
・…raised his eyes to heaven and said the blessing. (NJB)
・…Und er blickte zum Himmel auf, sprach den Lobpreis,(Ein)
なお、EXPOSITOR'S GREEK TESTAMENT(1970 EERDMANS )でも、マタイの箇所は、 「パン」を祝福したと、パンという語を補って読むと注記されている。
さらに、ヨハネによる福音書では、「パンを取って感謝して(eucharistew)、分け与えた」とある。
五つのパンと二匹の魚、それがなぜ、男だけでも五千人もの人たちを満たすようになったのか、それは、この、イエスが天(神)を見つめて、パンと魚を感謝して、祝福した、というところにある。イエスによる祝福こそは、大きな転換をもたらすのである。
この、主イエスによる祝福が特別な変化をもたらした例が次にある。
…彼らとともに食卓に着かれると、イエスはパンを取って祝福し、裂いて彼らに渡された。
それで、彼らの目が開かれ、イエスだとわかった。 (新改訳 ルカ二四・30~31)
二人の弟子が、エマオという村に向かって歩いているとき、復活したイエスが近づいてきて、彼らに話しかけた。そしてその道すがらずっと聖書全体にわたってキリストのことが預言されていることを説明された。しかし、それでもなお、不思議なことであるが、彼らはそのお方が復活したキリストであることには目が開かれなかったという。しかし、何か不思議な力に惹かれるように、そのまま通りすぎていこうとするイエスを無理に引き止めて、食事を共にした。そのとき、イエスがパンをとってそれを祝福して弟子たちに分け与えたときに、彼らの目が開けて復活のイエスである、と初めて気付いたのであった。
このように、イエスの祝福には特別な力が込められていることが記されている。イエスは神と同質であり、神の祝福を来たらせるからである。こうした特別な力は、神にあり、私たちが神への感謝と讃美の気持ちを捧げることによって下されることが示されている。
そして、そのようにわずかなもの、小さな取るに足らないものが、イエス(神)の祝福によって数知れない人たちを満たすこと、そればかりでなく、残りのパン屑を集めると、十二の籠いっぱいになったと、わざわざ記されている。それは、十二という数は完全数の一種であり、そのことからもうかがえるように、残ったものであるにもかかわらず神の祝福は完全である、ということを示している。
実際、人間が使ったあとの残り物は不十分で、リサイクルに出しても限られた用途しかない場合が多い。それ以外はゴミであり、もはや役に立たないから捨てられるか、有害なものが残るだけである。
それに対して神の祝福はいくら使っても使ってもその祝福は終わることがない。事実、キリストの祝福は、五千人どころか以後二千年にわたって無数の人、全世界の人たちにその祝福が及んでいる。
このパンの奇跡は、四つの福音書すべてに記されているばかりか、マタイ福音書とマルコ福音書では、わずかに記述が違っているがほぼ同じようなパンと魚の奇跡が、二回ずつ記されているのであって、四つの福音書では、六回も繰り返し記されていることになる。
このように特別に強調されているのは、ほかの奇跡では例のないことであり、マルコ福音書のような簡潔な福音書であってもわざわざ二回もこの記事が記されていることは、特別にこのパンと魚がイエスの祝福によって数知れぬ人たちを満たしたということが重要とされたのが分かる。それは例えば、マルコ福音書では、イエスが三十歳になるまでは何をしていたのか、どんなことを考えていたのか、家族との関わりはその三十年どんな風であったのか、等々をすべて省略して、いきなり三十歳のときから書き始めるほどに大胆にカットするにもかかわらず、パンの奇跡がとくに繰り返し記されていることは際立った対照を見せている。
それは福音書を書いた著者たちの背後におられたキリスト(神)が、そのことを特にうながしたからだと言えよう。それは何か。神の祝福の力は、どんなに悪がはびこっているように見えても、いかに悪が正義や真実を蹂躙しているようなことが生じようとも、それらを越えて、増え広がっていくということなのである。
このパンと魚の奇跡によって神の祝福の力、増え広がる力が示された後で、何が書かれているかというと、イエスが、海(湖)の上を歩くという、一見およそ信じがたいように見えることである。
この記事はヘロデやその妻子たちが、神の人ヨハネの首をとって大勢の遊び戯れる客人たちの席に持参させるというヨハネの無惨な最期を記したことと何らかの関係があるだろうか。
先ほどのパンと魚の奇跡の記述の冒頭には、
「イエスはそれを聞くと、舟に乗ってそこを去り、ひとりで人里離れた所に退いた」(マタイ十四・13)とあるので、パンの奇跡とつながっているのがうかがえるが、次の記事もまた、パンの奇跡の記述が終わったあと、「それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に乗り込ませ、向こう岸に行かせ、群衆を解散させてから、祈るため、一人山に登った」(同十四・22)と記されている。
ここにも、「それからすぐ」とあるように、パンの奇跡のあったすぐに、ということでその奇跡とつなげて記されているのである。そして、パンの奇跡のときにも、まず「イエスは一人人里離れた所に退いた」ことが記されて、それに続く海の上を歩く、という記事の冒頭にも、やはり「祈るためにひとり山に登った」ことが特に記されている。
神の人が、女と娘との策略で殺されるということは、いかに悪の力が強いか、善の力が弱いかを示すようなことであり、そのようないまわしいことが詳しく記されていること、それをイエスは「聞いた」と聖書は記す。それによってイエスはそのあとに取った行動と奇跡の二つとも、「ひとり離れて退いた、祈った」ということがその記述のはじめに置かれている。
悪の力に対処するには、このように、静まって祈ることが必須である。そうしなければ私たちは、悪の力に引き込まれ、目には目、歯には歯といった仕返しの心、憎しみの心が生じてくるだろう。そしてそのような憎しみの心こそは、悪に敗北したしるしである。憎しみこそは、愛でなく、悪の力から生れるからである。
イエスは強いて弟子たちを舟に乗り込ませたが、「彼らの舟は悩まされていた。というのは、風は反対向きであったからである。」ここで、「悩まされる」と訳されている原語は、バサニゾー(basanizw)という語(*)で、これは、単に悩むといった軽い意味ではない。別の箇所では「責めさいなむ」というように訳されているような言葉である。
(*)この語は、新約聖書では十二回ほど使われているがそのうち五回は黙示録である。そこでは、「…火と硫黄で苦しめられる」(黙示録十四・10)とか、「彼らを誘惑した悪魔は、火と硫黄の池に投げ込まれた。そこで、昼も夜も限りなく責めさいなまれる。」(同二十・10)といった箇所で使われているのであって、これを見ても、この語は英語訳では torment(激しい苦しみを与える) を用いているように、厳しい意味を持った言葉である。
荒波は暗夜のなかで海の上の舟に激しく打ちつけたが、それは乗っている弟子たちの心にも死ぬかと思うほどの苦しみであったことがこのような用語でうかがえる。
そして、この「湖」と訳された原語(*)は、本来は海を表す語である。
(*)ギリシャ語で、サラッサ( qalassa )。 口語訳では 「… イエスは夜明けの四時ごろ、海の上を歩いて彼らの方へ行かれた。」と訳している。
最近の英語聖書の代表的なものとされている、新改訂標準訳(NRS)や、新エルサレム聖書(NJB) においても、he came towards them, walking on the sea, … のように、海と訳しているのも多い。
そして聖書においては、海というのは決して現代の人が連想するような、ロマンチックなものではない。それは、神が制御することによって初めてその巨大な力に限界が置かれたことが、すでに聖書巻頭の書、創世記の最初の部分に書かれている。
…神は言われた。「天の下の水は一つ所に集まれ。乾いた所が現れよ。」そのようになった。
神は乾いた所を地と呼び、水の集まった所を海(ギリシャ語訳では、qalassa)と呼ばれた。 (創世記一・9~10)
また、黙示録には、「一匹の獣が海から上がってきて、その獣に悪魔(サタン)が、自分の力と権威を与えた。」(黙示録十三・1~2より)と記されていて、悪魔の力を受けるものが潜んでいたのが、海であったことも、古代において聖書の時代では海がどのようなものとして受け止められていたかをうかがわせるものとなっている。
このようなイメージは、すでに旧約聖書からみられる。
…その日、主は厳しく、大きく、強い剣をもって逃げる蛇レビヤタン、
曲がりくねる蛇レビヤタンを罰し
また海にいる竜を殺される。 (イザヤ書二七・1)
この箇所の表現は、初めて読む場合には、これだけ見ても何のことか分からない。これは、世の終わりの日、神があらゆる悪の力を滅ぼすという啓示を神話的表現を用いて述べているのである。曲がりくねる蛇とか、海にいる竜というのは、この世に深く宿っている悪の力、悪そのものを指しているのであって、神の定めた日、それはしばしば「主の日」と言われるが、そのときには、人間を苦しめ混乱させてきたそのような悪は滅ぼされ、一掃される、という預言なのである。
ここでも、この悪の霊的存在は、「海」にいるとされているように、古代から、海とは得体の知れない力を持った世界であるとされた。海は少し深くなると暗くなり、どこまでも続くと思われていた暗黒の深い世界が闇の力である悪そのものが住んでいるというように受けとられていたのである。
弟子たちは、この海に象徴される悪の力に苦しめられていた。風は逆風であったと特に書いてあることも、当時の状況を反映している。神の国への歩みを始めているキリスト者にとって、ローマ帝国の権力は、厳しい迫害を始めていた。そのことは、聖書の最後の黙示録に象徴的に記されている。
それはまさにキリスト者たちにとって、大いなる逆風であった。
逆風が強く吹いてきて、弟子たちは夜の闇のなかを長時間苦闘した。それは明け方にまで及んだことがわかる。
この箇所でも、「夜が明ける頃、イエスは海の上を歩いて弟子たちのところに来られた」(マタイ十四・25)とある。
人が、よりよい目標に向かって前進しようとするのを妨げ、壊してしまおうとするのはこの世の現実である。しかし、そこにイエスがきて下さる。闇の力たる海を踏んで、来て下さるのである。
そして、弟子たちにも、「安心せよ、恐れるな。」と語りかけて下さる。そしてそのような語りかけを聞いた者は、そのイエスを見つめていくならそれまで闇の力に呑み込まれそうになっていたような者であっても、新たな力を与えられて、闇の力なる「海」を踏んで歩き始めることができる。
ただし、もしイエスだけを見つめるのでなく、この世の闇を見つめていたら私たちはたちまち引き込まれる。それが、次の記述の意味なのである。
… イエスはすぐ彼らに話しかけられた。「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」
すると、ペトロが答えた。
「主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください。」
イエスが「来なさい」と言われたので、ペトロは舟から降りて水の上を歩き、イエスの方へ進んだ。
しかし、強い風に気がついて怖くなり、沈みかけたので、「主よ、助けてください」と叫んだ。
イエスはすぐに手を伸ばして捕まえ、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われた。
そして、二人が舟に乗り込むと、風は静まった。(マタイ福音書十四・27~32)
イエスの言葉を信じて、イエスを見つめて歩むとき、この世の悪の力にも引き込まれないで歩むことができる。しかし、そこから目をそらした途端に、海の中に沈み始める。すなわち悪の力の中に引き込まれていく。私たちの日常生活というのは、海の上を歩いているようなものであって、洗礼のヨハネがいとも簡単に婦女子の手の策略によって殺された、この世は結局悪が強いのだ、などと思って、この世の力に気を取られていたりすると、私たちも闇の力の中に落ち込んでいく。
このように、「海(ガリラヤ湖)の上を歩く」という奇跡は、あり得ないようなこと、私たちと何の関係もないことを書いてあるのでなく、日々深い関わりあること、悪の力に立ち向かう道が示されているのである。
洗礼のヨハネが王妃とその娘の策略によって殺害されるというような、いまわしい出来事が詳しく書かれてあるのは、なぜなのか。それはいかに目を覆いたくなるような暗い出来事が生じようとも、他方では、五千人のパンの奇跡に表されているように、神はわずかなもの、小さなものを祝福し、そこに大いなる力を与えて増え広がり、成長していくようにされているということ、そして、現実の悪に直面したときには、悪にのみこまれない道をも、「海の上を歩くイエス」という奇跡によって伝えようとしているのである。
長いキリスト教の歴史において、この二つの道によって、その真理は滅びることなく続いてきたし、悪に滅ぼされない魂が無数に起こされてきた。
このように、ヘロデ王の妻と娘という女二人のために殺害されたことをなぜわざわざ書いてあるのか、それはこれがこの世の現実だということである。聖書は決してきれいごとを書くことはしないで、この世の厳しい現実を常に見据えてその本質を書き記している。しかし、通俗の小説やテレビドラマのようなものが単なる興味本位で書いているのとは全く異なる目的をもって書かれているのである。
そしてその現実にいかにして打ち負かされないか、という道をも明確に記している。そのためにこそ、このような記事がある。
ダンテの「神曲」
ダンテと神曲という名前は、高校の世界史の教科書などで出てくるので、その名前はたいていの人が知っている。しかし、その内容はというとほとんどの人が知らない。そして、有名だからというので書店で購入しても、大体何のことかよく分からない。難しい地名人名が多く現れる。内容はというと、現代とはあまりにもかけ離れているように見える。
こんな難解な書物、たいていの人が読んでもいないのになぜ、重要な書物なのか、といぶかしく思う人も多い。そのため、ここでその影響の一端を記しておきたい。
次に森?外の訳書「即興詩人」の一部をわかりやすい表現にして引用する。 これは、童話作家、詩人として有名なアンデルセンの自伝的小説であり、アンデルセンの若き日二八歳のときに一年数カ月をイタリアに旅したときの日記をもとにしたものである。
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…何と喜ばしいことか、神曲は今、私の書となった。私が永く所有することができるものとなった。私は人のいない所において、はじめてこの書を読む時を待ちかねることになった。
この書を読んで私は生まれ変わったようになった。ダンテは実に私のために、新たに発見した「アメリカ大陸」とういうべきものとなった。
私の想像の世界は、今だかつてこのように、広大にしてこのような豊かなる天地を見たことはなかった。
その岩石、何とけわしくそびえ立っていることであろうか。また、その色彩は、何と美しく輝いていることか。私はこの作者ダンテと共に憂い、作者とともに喜び、作者とともに当時の生活を詳しく見ることができる。
地獄への門に刻まれてあったという言葉は、全編を読む間、私の耳に響き続け、それはあたかも世の終わりの裁きのときに鳴りわたる鐘の音のようであった。
その言葉は、次のようなものである。
我を過ぎて ひとは憂いの町へ
我を過ぎて ひとは永遠の嘆きに
我を過ぎて ひとは滅びに至る…
私は読んでいるのが、ダンテの詩であることを忘れてしまったほどである。地獄篇のなかにある沸き返るにかわ状の物質から聞こえる苦痛の叫びは、私の胸を貫いた。また、別のところで鬼が持った鋭い熊手に引っかけられ、また沈められている様を見た。ダンテの描写が真に迫る生きたものであるため、その状況が深く私の心に彫りつけられたためであろうか、昼は私の心にあり、夜も夢の中にもそれが現れるほどであった。…
(「即興詩人」95頁~筑摩書房)
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この地獄の門に刻まれた言葉というのは、単にダンテの詩的空想にあった言葉で、地獄などない、とか中世の想像にすぎない、などと、自分や現代の人とは何の関係もないものとして読まれることが多い。普通に読めばそうなるだろう。
しかし、この世には至るところでこのような門が存在しているのである。
それは人間であったり、人間の書いた書物や思想、出来事であったりする。
ふとしたことから出会った人によって悪の道に引き入れられ、その生涯を闇の中に苦しみつつ生きていくようになっていく人はじつに多い。
あるいは、現今のテレビやゲームなどの映像、汚れた内容の印刷物などによって人の魂がこの地獄の門に刻まれた言葉のようにそこから魂が暗い世界へと引き込まれていくこともある。
携帯電話などを用いた陰湿ないじめによってまさに幼い魂が地獄のような苦しみを味わっていくこともしばしば耳にする。
そればかりでない。私たち自身が他人にとってこの地獄の門のようにつまづきを与え、あの人は私のゆえに苦しみを与えることになったのではないか、というような我々一人一人に問いかける言葉ともなっているのである。
このような暗い世界への門がひしめくこの世に永遠の輝きをもった門がある。
それが、新約聖書にある次のような門である。
…私は門である。私を通って入るものは救われる。その人は、門を出入りして牧草を見つける。
(ヨハネによる福音書十・9)
ダンテが地獄の入口においた門に刻んだ言葉は、この主イエスの言葉、キリストご自身が永遠の救いへの門であることと対比されて記されているのである。
ダンテは、闇と苦しみの世界への門を記しつつ、それと全く逆の光と永遠の喜びの世界への門を指し示しているのである。
このように、地獄篇の一つをとっても単なる想像の世界なのでなく、重い現実の状況を見据えたことが独特の手法で記されている。
詩人アンデルセンは、自身が詩人であったために一層このダンテの神曲に強烈な印象を受けたのであった。
作品は彫刻されたもののようにアンデルセンの心の目に浮かびあがり、それは彼の魂に刻まれ、厳しさだけでなく、そこにある色彩的な美しさもまた、目を奪うようなものとして感じられた様がこうした文章からうかがえる。
この神曲という作品は、彼にとって、コロンブスによって新発見されたアメリカ大陸のように、全くそれまで知らなかった、広大な世界を知らされたということである。
それがいかに強くアンデルセンの魂と共鳴したか、引用した地獄の入口の門の言葉が、神曲という大作の全編を読む間、彼の耳に響き続けたということからもうかがえる。詩人とはわずかの言葉、わずかの自然や人間の現象に深く心が響き、動かされるのであって、ダンテの詩が若き日のアンデルセンの魂を揺り動かして、深い影響を与えたのがうかがえる。
このことを考えると、ダンテの神曲がアンデルセンの魂に流れ込み、そこから彼の詩や創作童話となって、また新たな流れとなって世界に流れだしていったのであり、神曲の世界がアンデルセンの作品の中に溶かし込まれて世界の人々に流れていったと言える。
それゆえに、全くダンテなど関係ないと思っている人たちのなかにすでにアンデルセンの童話を通ってダンテの思想や詩が流れ込んでいるのである。
ヒルティも深くダンテに学んだ人で、その著作にもしばしばダンテの引用があり、ダンテに関するかなり長い文(*)をも書いている。 その著書でヒルティは、ダンテの神曲は、次のような精神で書かれたことを示している。
(*)邦訳では、百ページほどの分量。「ヒルティ著作集」第六巻二八一頁~。 白水社刊。
…私は、愛から霊感を受けたとき、筆を取る。
心のうちで、愛が語るままに、私は文字を書き記す。
(神曲・煉獄編二四・58)
それゆえに、ヒルティは、神曲を読む場合でも、倫理的な力と英知をダンテによって強め、各自が人生の道における案内人をこの詩人に求めるべきことを解いている。(前掲書二八三頁)
なお、このような愛を基調とする考えは、神曲の根源を流れている。
地獄の門ですらも、神の正義だけでなく、神の愛によっても造られたと書かれている。(*)
そして夜空の星々も神の愛が動かしている、とも記されている。(地獄篇一・37)
(*)先ほどあげた、門に刻まれた言葉のあとに、「正義は、高き主を動かし、神の力、神の英知と、はじめの愛は、我(門)を造る」とある。なお、ここにいう神の力と英知と愛は、神とキリストと聖霊を象徴しているとされる。
そして、そのヒルティは今から百年ほど前に、ケーベルによって日本に紹介されてから、今日に至るまで実に多くの人に読まれ、多大の影響を与えてきた。
ヒルティの精神のなかには、ダンテの神曲が深く流れているであるから、ヒルティを通して神曲の内容が日本人にもこの百年という歳月、注がれてきたと言えるのである。
これらはほんの一例にすぎない。このように、自分は読んだことがない、読む必要はないと思っている人、何の影響もダンテから受けていない、と思っている場合でも、見えない形でその影響は働いている。ちょうど地下水が目には見えないが、深いところを流れて、さまざまの植物をうるおしているようなものである。
休憩室
○カラタチとフジ
わが家には、父が数十年前に植えたカラタチの木があり、今その白い花を咲かせています。子供のときは、どうしてこんな鋭いとげのある木、しかも実も食べられない木を植えたのだろうと思っていたものです。
そしてそこにいつのころからか野生のフジの木が絡まり、カラタチとフジが同時に美しい花を咲かせるようになりました。父は九年前に召されたけれども、こうして植えた木は花を咲かせ続けています。
よき書物も、数百年前に生きた人であっても、よい書物となって今も目には見えない花を人々の心の中に咲かせ続けているわけです。私自身ふりかえると、今日までの長い年月、そうした花の美しさをくみ取り、香りによって力付けられ、蜜を取り入れて自らの栄養としてきたことを思います。とりわけ聖書は世界の至るところで、数千年にわたって無数の人の魂のなかにうるわしい花を咲かせ続けてきたのだ言えます。
○フジについて
五月に山間部を車で走っているとあちこちに、フジが青紫の美しい花を咲かせています。その野生のフジは同じでなく、花が房のようになっているのを花序といいますが、その長さが20~90cmほどもあり、つるは右巻き、また花も房の元の方から咲き始めます。これがフジ、あるいはノダフジというフジです。
しかし、それとちがって、花序が10~20cmと短く、つるも左巻きで、かつ花はほぼ一斉に咲き始めるフジがあります。これが、ヤマフジというものでどれも同じように見えますが、少し注意して見るとこの二つはすぐに区別できます。
それから、夏に咲く白いフジ、これはナツフジといって花序も花も小さめです。このように、野生のよく見られるフジにもいろいろと神は変化をもたせているのがわかります。
ことば
(261)深山は学識ある人を養い、羊飼いの野小屋は哲人を養う。
(「ドン・キホーテ」セルバンテス著 筑摩書房版 三一三頁 世界文学体系10)
・ もし人が、心を神に向け、心を真理に向かって開いているならば、山々、森林、自然ゆたかな山小屋、そうしたものは、人間の魂を深め、真理への感受性を高める。そうした自然は、神の直接の被造物であるから、神ご自身のご意志がそのまま映し出されているからである。
しかし、実際には深山や野小屋にいることができない人が多数を占める。その場合でも、神とともに一人あるとき、それは深山や野の小屋にいるのに近いものとなり、神に養われる。主イエスもしばしば群衆を離れて一人山などに退いたとある。
(262)人の心を征服するものは、決して武力ではなく、愛と気高い心である。(スピノザ著 「エティカ」中央公論社版 世界の名著 三三四頁)
Die GemuterwerdenjedochnichtdurchWaffen,sonderndurchLiebe und Edelmutbesiegt.
・これは、新約聖書で言われている言葉に通じる内容である。 「あなたの敵が飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませよ。そうすれば、燃える炭火を彼の頭に積むことになる。」
(ローマ書十二・20)
燃える炭火を敵対する者の上に積むとは、相手の頭(心)に巣くう悪の根源を焼いてよきものにするということである。なお、現代では炭火など、弱々しい火力としか思えないが、石油、電気など何もなかった時代では、炭に激しく空気を送り込み燃焼させることで、鉱石をも溶かす千数百度の高熱を得ることができたので、当時としては最も強力な火を意味している。
(263)ほんのわずかな嘘が入っていても、―例えば、虚栄心のかすかな現れ、印象をよくしよう、外観を有利にしようというような考えでも、―ただちによい働きを台なしにしてしまうものである。
ところが、真実を語れば、すべての自然と霊とが思いもかけぬほどに後押しをして助けてくれるのである。真実を語れば、生あるもの、理性を持たぬもの、すべてのものがこぞって証人となり、足もとの草の根すら実際に身動きし、証言してくれそうに思える。(「エマソン論文集」上 岩波書店 一五七頁)
・ここには、真実の強い力が現されている。何らかの虚偽は至るところでなされているだろう。最近の原発事故を隠していたこと、政治家の不正、保険会社の巨額の未払い保険金、プロ野球会で、新人選手を許されない方法で多額の契約金を用いて獲得していたで等々、新聞テレビのニュースには偽りが発覚したことをしばしば伝えている。不正は明るみに出されると大企業であってもたちまち崩れていくほどで、不正というものが本質的にものごとを支える力がないことを示している。
それに対して、真実は一見弱そうに見えても不思議な力を持っている。キリストの真実はいとも簡単に十字架で処刑されて滅ぼされたように見えたが、実はいかなるものよりも強力な力を長い歴史のなかで発揮してきた。それは、万能の神が背後で支えて助けるからである。
ここで地下の植物の根すらも真実を助けようとして動き出すように感じる、というのは、目には見えないようなものですらも真実には敏感に反応して助けようとすることを象徴的にのべている。
お知らせ
○四月二四日(火)の移動夕拝は、吉野川市鴨島町の中川宅、五月二九日(火)の移動夕拝は、板野郡藍住町の奥住宅の予定。
○五月六日(日)の香川県の集会は丸亀市の小林宅ですが、来月六月三日(日)は、高松市香川町浅野の塩田宅の予定です。 六月以降は、このように、特別な事情のないかぎり小林宅と塩田宅で交代で集会がなされる予定です。しかし、何らかの事情のために変更することもあり得ますので、この集会に参加希望の方は、その前日の土曜日か当日の朝、念のため吉村(孝)まで問い合わせください。
○キリスト教霊園の清掃予定は、六月十日午後一時三十分からです。(月岡(信)兄の担当です)
訂正
三月号の、ことば(260)の出典が(同右 八九頁)とありましたが、これは、番号は、(259)の誤りで、出典は(「ドン・キホーテ」セルバンテス著 筑摩書房版 八九頁 世界文学体系10)でした。
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徳島聖書キリスト集会案内
・場所は、徳島市南田宮一丁目一の47 徳島市バス東田宮下車徒歩四分。
(一)主日礼拝 毎日曜午前十時30分~(二)夕拝 毎火曜夜七時30分から。 毎月最後の火曜日の夕拝は移動夕拝で場所が変わります。(場所は、徳島市国府町いのちのさと作業所、吉野川市鴨島町の中川宅、板野郡藍住町の奥住宅、徳島市二軒屋町の熊井宅)です。
☆その他、読書会が毎月第三日曜日午後一時半より、土曜日の午後二時からの手話と植物、聖書の会、水曜日午後一時からの集会が集会場にて。また家庭集会は、板野郡北島町の戸川宅(毎週月曜日午後一時よりと水曜日夜七時三十分よりの二回)、海部郡海陽町の讃美堂・数度宅
第二火曜日午前十時より)、徳島市国府町(毎月第一、第三木曜日午後七時三十分より「いのちのさと」作業所)、板野郡藍住町の美容サロン・ルカ(笠原宅)、徳島市応神町の天宝堂(綱野宅)、徳島市庄町の鈴木ハリ治療院などで行われています。また祈祷会が月二回あり、毎月一度、徳島大学病院8階個室での集まりもあります。問い合わせは次へ。
・代表者(吉村)宅 電話 050-1376-3017
・FAX 08853-2-3017
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著者・発行人 吉村孝雄 〒七七三ー 〇〇一五 小松島市中田町字西山九一の一四 電話 050-1376-3017 「いのちの水」協力費 一年 五百円(但し負担随意)
郵便振替口座 〇一六三〇ー五ー五五九〇四 加入者名 徳島聖書キリスト集会 協力費は、郵便振替口座か定額小為替、または普通為替で編集者あてに送って下さい。
(これらは、いずれも郵便局で扱っています。) E-mail:pistis7ty@hotmail.com http://pistis.jp FAX 08853-2-3017