20077/8月号 558号・内容・もくじ

リストボタン神のオーケストラ

リストボタン予期しないこと

リストボタン働くことの意味について

リストボタン「真白き富士の根」とキリスト教讃美

リストボタン原発の危険性について

リストボタン詩の中から

リストボタンことば

リストボタン編集だより

リストボタンお知らせ



リストボタン神のオーケストラ


台風が接近していた風の強い時、外に出た。山の無数の木々の枝、葉が重々しい音を立てている。それは数知れない大小さまざまの葉や小枝などが触れ合って生じる音である。
しかし、その全く無秩序に見える摩擦や接触から全体として不思議な自然の合奏となって心に響いてくる。
海の波の打ち寄せる音も同様であり、無数の水粒が衝突し、砂ともぶつかって出されるのであって、それは全くの無秩序な音であるにもかかわらず、大波の打ち寄せる音は、どんな人間の交響楽よりも重々しくまた聞き飽きることのない深みをたたえたものを持っている。
人間がめいめい勝手な声をあげたり、雑多なものをたたいたりすれば聞くに耐えない騒音、雑音となってしまうのと比べると何と異なるものが生み出されることだろう。
神は、ご自身が創造された自然を用いてなさる演奏はこのように、それぞれがばらばらのように見えながら全体として統一された響きを生み出してくる。
人間においても、健康な人、病弱な人、心の強い人と弱きもの、能力のあるものないもの、老人や子どもなど年齢もさまざま、また性格もさまざまであって、そうした数かぎりない変化を神は生み出されその全体を用いて御計画のために用いておられるである。
人間は自然と異なってさまざまの不協和音を生み出すが、それにもかかわらず、全体としてみるとき、神は、自然も人間もすべてを用い、霊的なハーモニィを生み出しつつ、神の国の完成へと導いていく。

話すことも、語ることもなく、
声は聞こえなくとも
その響きは全地に
その言葉は世界の果てに向かう(詩編十九編より)

 


リストボタン予期しないこと

七月には日本中でほとんどだれも予想しなかったであろう事が次々と生じた。
それは、新潟県柏崎地方を中心とする大きい地震であり、その地震による原子力発電所の多数の故障(トラブル)であり、また自民党の参議院選挙での歴史的大敗である。
一つは自然の現象であり、二つ目は、科学技術の問題であり、また三つ目は政治の問題である。
新潟県では二〇〇四年一〇月二三日に、県のほぼ中央に位置する小千谷市を震源として地震が発生した。それから三年も経たないうちに、直線距離では二〇キロほどしか離れていない柏崎市で今回のような大きな被害を生み出す地震が生じようとはだれも予想してはいなかっただろう。
また、七月最後の日曜日に行われた参議院選挙で、参院自民党ナンバー2の片山虎之助参院幹事長が民主党の姫井由美子氏に破れ、島根県では青木自民党参院議員会長の地元にもかかわらず、自民党の前職が国民新党の候補に破れるなど、自民党が歴史的大敗となることも、政治の専門家、何十年も政治家として生きてきたベテランの政治家でも、誰一人こんな予想をした人はなかったであろう。
この世界は常にこのような、予測しがたいことが次々と生じる。
それゆえに、人間は不安になるという人もいるだろう。しかし、それゆえに安心も生じるのである。それは、いかに暗い雲がたちこめるようなことが続いても、また誰もが未来に望みをもてなくなった時にあっても、神はそうしたあらゆる人間の予想を超えたことを起こされるのを信じることができるからである。
キリスト教伝道の歴史においても、最も強力な伝道は使徒パウロによって行われた。しかし、彼はいかなる当時のキリスト者も、またユダヤ人たちも予想できなかった変身を遂げた人物であったのだ。ユダヤ教の優れた教師に指導されたパウロはキリスト教を邪教として打ち倒さねばならないと確信してキリスト教徒たちを迫害していった。
しかし、そのパウロに突然神の光がのぞんで彼はそれまでのいっさいを捨てて、キリストの方に向き直った。そしてキリストの福音に残る生涯を命をかけて尽くすことになった。
十字架という最悪の、そして最も悲劇的な出来事から、二千年をも貫いて最も大いなる出来事が生じるとは当時のだれが予想できただろうか。神はこうした万事休すと見えることからも、大いなる光を生み出すことができるのである。
このことは、聖書のはじめから明確に記されている。世界の創造の最初は完全な闇と混沌であって無限の深い淵があるばかりであった。それは私たちの人間の歩みで言えば、途方もない絶望的状態である。それはどこにもよいことを期待できない状況であった。
しかし、無から有を生じさせる神、そのゆえにいかに人間の考えで道がなくとも、八方塞がりであっても、神はそこにいかなる人間も予期できない道を開き、新たな光を投じることができるのである。

 


リストボタン働くことの意味について

私たちは誰でも働くことは不可欠だと考えている。働きなければ収入もなく生活もできないから生活保護に頼ることになる。また、たいていの人にとって働かなければ生きる目標もない、仕事がなかったら時間とエネルギーをもてあまし、退屈で耐えられないことにもなる。
このように、多くの人たちにとっては働くということは空気のように当たり前のことであろうが、最近は働ける体力もありながら働こうとしない人、あるいは心が弱って働けないで家で閉じこもるという人たちも増えている。病気や老年を誰でも受けいれたくないのは、からだの苦しみや孤独などさまざまの理由があるが、とくにこの働くことができなくなる、ということも暗く重いイメージを増大させている。
そのように、私たちにとって働くことは、それができる人、できない人の双方にとって、絶えず日々の生活の大きな関心事となっている。
聖書ではこの「働く」ということについて、どのように書かれているのか、神は私たちをどのような働きへ招こうとされているのか、その一つの断面を見せてくれる箇所について学びたいと思う。

… 天の国は次のようにたとえられる。ある家の主人が、ぶどう園で働く労働者を雇うために、夜明けに出かけて行った。
主人は、一日につき一デナリオンの約束で、労働者をぶどう園に送った。
また、九時ごろ行ってみると、何もしないで広場に立っている人々がいたので、
『あなたたちもぶどう園に行きなさい。ふさわしい賃金を払ってやろう』と言った。
それで、その人たちは出かけて行った。主人は、十二時ごろと三時ごろにまた出て行き、同じようにした。
五時ごろにも行ってみると、ほかの人々が立っていたので、『なぜ、何もしないで一日中ここに立っているのか』と尋ねると、
彼らは、『だれも雇ってくれないのです』と言った。主人は彼らに、『あなたたちもぶどう園に行きなさい』と言った。
夕方になって、ぶどう園の主人は監督に、『労働者たちを呼んで、最後に来た者から始めて、最初に来た者まで順に賃金を払ってやりなさい』と言った。
そこで、五時ごろに雇われた人たちが来て、一デナリオンずつ受け取った。
最初に雇われた人たちが来て、もっと多くもらえるだろうと思っていた。しかし、彼らも一デナリオンずつであった。
それで、受け取ると、主人に不平を言った。
『最後に来たこの連中は、一時間しか働きませんでした。まる一日、暑い中を辛抱して働いたわたしたちと、この連中とを同じ扱いにするとは。』
主人はその一人に答えた。『友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか。
自分の分を受け取って帰りなさい。わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。
自分のものを自分のしたいようにしては、いけないか。それとも、わたしの気前のよさをねたむのか。』
このように、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる。」(マタイ福音書二十・116

このたとえは、天の国のたとえである。しかし、以前の口語訳聖書では、「天国」と書かれてあって、例えば広辞苑では、「神・天使などがいて清浄なものとされる天上の理想の世界」と説明されている。
しかし、ここにあげた聖書の箇所はそのような天上の理想の世界とか、死後の極楽世界などとは全くちがっているのがすぐに分かる。
このようなことから、初めてこの箇所を読む場合には、日本語の天国と、聖書の天の国(天国)とが混じり合って意味が不明なものとなってしまう。
これは、今までにもこの「いのちの水」誌でも書いたことであるが、この冊子を初めて読む人もいると思われるので、再度書いておくが、天とは神のことで、国と訳された原語(ギリシャ語)は、バシレイアであって、これは王という意味のギリシャ語 バシレウス から派生した言葉である。バシレイアとは、「王の支配」というのがもとの意味である。それゆえ、この箇所でも、天上の理想の世界のことでなく、この地上を神がいかに支配なさっているか、ということである。神の御支配、あるいは神の人間に対する扱い方が、いかに地上の人間のやりかた、支配の仕方と異なっているかを示したたとえなのである。
まずこのたとえで分かるのは、ぶどう園の主人とは神を象徴しているが、いつもぶどう園での働き人をもとめておられるということである。
主ご自身は、キリスト教徒を迫害していたパウロに突然光を当てて、福音の使徒として召しだしたように、その御計画に応じて予想もしない人をその神の国のため、福音のために呼びだしておられる。

主イエスは、言われた。
「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」(マタイ九・3738
と教えて、働き人が起こされるのは、神ご自身の願っておられることであるから、そのように私たちも祈るべきことが言われている。
このぶどう園のたとえは、ふつうの労働のことのたとえでありながら、そうした神の国のための霊的な働き人のことが、たとえの背後に隠されているのである。

神は、朝早くから、何度も繰り返しぶどう園の働き人を見出しては、ぶどう園へと送り出していく。一日の何時であってもその呼び出しは続いていく。それはこの世のいつどのような時代、状況であっても、神の国のための働き人は常に必要とされていることを示すものである。世の中にはさまざまの働き人があるし、それはそれぞれに必要なものである。米や野菜や牛乳などの生産をする人、運搬する人、またそうした飼料を生産する工場、販売する店、会社、あるいは、そうした知識や技術を教える教育機関、そこで使われるパソコンなどの機器類の生産や向上を研究する技術者等々、無数の働きがそれぞれにこの世において必要とされている。
しかし、そうした働きのためには、それぞれに誰でもができるわけではない。技術者のためにはそれだけの専門的な学びが必要であり、大学などで学んだ学識が必要とされるし、多くの仕事では健康が第一に必要な条件となる。
しかし、神の国のための働き人は全く異なって、そうした条件が必要とされないのである。
そのことが、夕方五時ころに雇われた人のことで示されている。
ぶどう園の主人が、夕方五時ころになって広場に来てみると、何もしないで一日中立っていた人がいた。なぜ一日中立っているのか、と問うたとき、その人は、「誰も雇ってくれない」と答えた。それは、この人に身体の上で病弱にみえるとか、障害があるとか、とにかく雇っても仕事ができないとみなされたからであろう。しかし、それでも一日中立っていたということは、どうしても働かねばならない事情があったと考えられる。家族が困っている、自分も病気とかのために治療費も必要だ、等々だれでも現在のように福祉とかの政策がない時代には食べるにも困るようになることがあっただろう。
そうした外見的に働けないような、相手にされないような人を、このぶどう園の主人はあえて雇った。そしてぶどう園に行きなさい、といって働く道を開いてやった。
一日の仕事が終わって、賃金を払うときになった。そのとき、驚いたことにその主人は、一番最後に雇われた人をまず呼んで、一日働いた人と同じ賃金を与えたのである。
およそ賃金を払うときには、ボーナスという勤勉手当があるように、よく長時間働いた人にはそれだけ多く与えるというのが常識である。夕方やっと仕事にきてわずかしか仕事をしなかった人は後回しになり賃金もわずかになるのは、誰が考えても当たり前のことである。
しかし、このぶどう園の主人はその当たり前のことを、しなかった。
なぜそのように、一番最後に来た人、だれも雇おうとしなかったような人を第一に呼んで、朝早くから仕事していた人たちよりも優先したのだろうか。そのように扱うということは、とくにこの主人が目をかけて、心を注いでいたというしるしである。
この主人はふつうの人間社会でするように、外側の仕事や時間ではかることをしないのである。その人を愛をもって見る。どんなにその人が困っていたか、またどんなに悲しみのなかで待ち続けていたのか、その苦しみや叫びを聞いておられる。この最後に来た人は、だれもやとってくれなかったのに、やとってくれて働かせてくれたことへの深い感謝があっただろう。それゆえにいっそう真実な感謝の心で働いただろう。ぶどう園の主人、神はその心の真実さを見られる。
憐れみをもって見て下さっている。
この夕暮れまで、「何もしないで立っていた」という人、それは一見自分とは関係ない人のように見えていたが、実は自分にも深い関わりがある,いや自分自身のかつての姿でもあったと感じさせられた。 どんなに勉強しても努力しても、活動してもそれは結局は自分のためであった。自分をよくするため、自分が人よりも抜きんでるため、であった。それは神の国から見れば、また神の霊的な基準で判断するなら、「何もしていない」ことになると感じた。
主イエスの有名なたとえがある。

…わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。(ヨハネ福音書十五の5)

この言葉はたいていの人にとって意外な言葉、反発を覚えさせる言葉であろう。
イエスにつながっていなければ何もできない! そんなことはない、イエスなど知らない人、信じない人がほとんどの日本にあってたくさんの人がよい働きをしているではないか。こんな誇張した事実に反する言葉はない、と憤慨する向きもあるかもしれない。
しかし、ここで言われているのは、神のような愛と純粋さ、真実や正義をもってそうした働きをしているのか、と問われているのである。だれかに何かをしてあげる、そのとき相手が恩知らずのようなことをしたら,すぐにそのような態度に憤慨して、それまでの好意は怒りや嫌悪に変るだろう。それはその人のよい行動のように見えたことも、実は自分のため、自分を満足させるためであったことのしるしである。もし純粋な愛から相手のためにしているのであれば、相手がそのような態度をとっても、そのような悪しき心がかえられるようにと静かに祈るであろうから。
このように、神のような愛や清い心を基準にして考えるときに、人間の愛や行動は不純に満ちている。それを「何もできない」と言われたのである。
自分を一番根本に置いて、万事をその自分のためにするような傾向を根本的に打ち破るためには、主イエスに直接に結びついている必要があり、それによってのみ私たちは純粋な愛をもってなすことができるといおうとしている。
このような愛は、人間の究極的な課題であり、誰も自分はそのようにできている、などと胸を張っていうことはできない。
しかし、このような自分中心に生きてきた人間をも、神は呼びだされ、神の国のために働くようにと送り出される。それは人生の夕暮れであろうとふつうにはもはや役に立たないように見られている人であっても関係がない。
報酬をお金でもらえるような働きは、たいていの場合健康でなければできない。例えば寝たきりの病気となったら、事実上、ふつうのどんな仕事もできない。このようなことは子供でも分かることだから、健康第一、とよく言われるのである。
しかし、神の国のための働きはそうではない。病人であっても障害者であっても、また健康であっても、老人であっても、また死が近づいた人であってもそれはできる。
水野源三や、星野富弘のような人は重い障害をもって、自分では起き上がることも歩くこともできない。しかし、水野源三は、その清く深い内容の詩によって死後も大きな神の国のはたらきをなし続けているのである。星野も多くの詩や絵画をもって神の国のために用いられている。
しかし、そのような有名になった人はごく一部であって人知れず神の国のために今も病床や自宅、療養所などで病気にもかかわらず御国のために働き続けておられる方々は数知れない。
この「いのちの水」誌でも何度か紹介したことのある、「祈の友」もそのような、人生の夕暮れ、否もう人生も終りだという絶望的状況に置かれた人から始まったものであった。どんなに重い病気であっても、寝たきりでも、他の病棟にいる苦しむ人たちのために祈りを捧げることができる、ということから「祈の友」は始まった。そしてもう七十年以上も経った現在もその働きは続いている。
神の国のための働きは、人生の終りになっても、また死の間際になってもできるということなのである。後でもう一度触れる、十字架でイエスとともに処刑された重罪人が、もうじき息を引き取る最期の近いときに、自分の罪を深く知り、そのような者であったが、主イエスが人間とは異なる、神の人であることを示され、死の後によみがえって神のもとに帰ることを信じていたその人は、「イエスよ、あなたが御国に行かれるとき、私を思いだしてください!」と必死に願ったその一言で、主イエスは、彼がパラダイスに今日行くことになると明言し、そのことが二千年にわたって宣べ伝えられることになった。
そしてこのことは、数知れない人たちを励まし、どんなに重い病気であっても、老齢になってどこへも行けないからだとなっても、また死期の近い状況になってもなお、私たちは神の国のために働くことができる、という希望に満ちたメッセージが隠されているのである。

一日の仕事が終わって、報酬を与えるときとなって、ぶどう園の主人は、朝から働いていた人を第一に呼んで報酬を与えると予想されたのに、まず呼んだのは、その人でなく、夕方まで、立ち続けて呼びだされるのを待ち続けていて、やっと仕事に呼ばれ、一日の終りころ一時間ほどしか働かなかった者を最初に呼んだのである。
第一に呼ぶというのは、それほど関心をもっているということである。注目し、心を注いでいるときにはその人を第一に呼ぶであろう。この主人の第一の関心の対象は、最後に来た人であった。なぜだろうか。それは、誰も仕事に雇ってくれなかったような弱い人、病気がちであるとか、何らかの理由で相手にされなくて無視されてきたような人を第一に見つめておられるという神のお心がここに反映されている。
報酬を与えるときに、何を考えるか、普通は、まず労働時間であり、その働きの熱心さや実績であろう。 しかし、このぶどう園の主人は、驚くべきことに、そのような観点から見るのでなく、一方的な憐れみゆえに最後に来ただれも雇おうとしなかった人に特別な恵みを注いだのである。
これは、この最後の労働者が特別に同じ賃金を下さいと懇願したのでもない。一方的に主人の方から本来与えられるはずはない報酬が与えられたのである。
このことは、新約聖書の中心にあることだと言えよう。
それは、最も重要なこと、罪の赦しにも同じようなことが見られる。私たちが何らかのよい働きをしたから罪の赦しが与えられるというのではない。そのようなことによって罪の赦しを得ようするならば、計り知れない働きが要求されることになる。罪とは神に対する罪であり、神とは無限の愛と真実、そして正義に満ちているお方なのであるから、私たちの罪は計り知れないことになる。

…天の国は次のようにたとえられる。ある王が、家来たちに貸した金の決済をしようとした。
決済し始めたところ、一万タラントン借金している家来が、王の前に連れて来られた。…(マタイ福音書十八・2324

このたとえで、借金とは罪のことで、タラントンという言葉が分からなかったら、このたとえの意味も分からない。一万タラントンとは、現在の金の値打ちで言えば、いくらほどになるだろうか。
主イエスのたとえでは一日の労働者の賃金が一デナリオンであるから、目安としては、現在の日本で大体一日の賃金を一万円とすると、一デナリオンは一万円となる。 一タラントンは、六〇〇〇デナリオンだから、一万タラントンは、六千万デナリオンとなり、現在の日本円の感覚で言えば、六〇〇〇億円、日数で言えば、十六万四四〇〇年分の賃金となり、これは返済不可能な金額であることは言うまでもない。
これは、私たちの主人(神)に対して、無限の借金をもっているということである。このような借金を持っている家来であるのに、その家来がひれ伏して「返すのを待ってください」と懇願するのを見て、主君は、かわいそうだと思ってそのまま帳消しにしてやったという。
そのような返済不可能な借金を、ただ主君に必死で待ってくれるのを願うだけで、本来借金を返せと言われていたのに、すべて帳消しにしてもらうという。無限の借金を無条件でなかったことにしてくれるというのである。
これはあまりにも不可解だと私たちには思われる。
しかし、これが神のなさる御支配の実体なのである。
私たちはだれでも深く振り返って見るならば、数知れぬ罪がある。愛を持っていたのか、と問われたら、だれが持っています、愛を働かせてきた、などと言えるだろう。愛とは、自分の気に入った人への好意を現すことでなく、敵対する人にすらその人がよくなるようにとの祈りの心を持ってすることであり、たまたま隣り合わせた人同士でもそれがどんなに醜い人、わるいような人であっても、その人の魂がよくなるようにと願う心だという。
そのような愛をいつも持っているとか、そのような愛で生きてきたなどとだれが言えるだろうか。
こうした私たちの実態にもかかわらず、神は罪の赦しを無条件で与えるという。
このように、私たちがずいぶんひどい罪を犯し、神のさばきを受けることは当然であるようなことをしてきても、なお、私たちの心からなる悔い改めのまなざしによって、それまでのすべての罪、悪行を帳消しにして下さるという、人間社会では考えられないことが記されている。
この計り知れない罪というものを何もそれを償うことをしないにもかかわらず、その罪の赦しが与えられるということ、それは、このぶどう園の労働者のたとえで、夕方やっと呼ばれてわずかしか働いていない者なのに、第一に招かれて朝から働いた者と同じ賃金を受けたということと内容的に似たものがある。それは、人間の側の働きでなく、神の憐れみゆえに一方的に与えられるということである。
また、同様なことは他にもみられる。
それは、十字架で主イエスが処刑されたときのことである。二人の犯罪人が同時に十字架刑にされたが、そのとき次のようなことが記されている。

… 十字架にかけられていた犯罪人の一人が、イエスをののしった。「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ。」
すると、もう一人の方がたしなめた。「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。
我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない。」
そして、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言った。(ルカ福音書二三・42

ただ、この死の苦しみを前にした一言で、主イエスは「はっきり言っておく。あなたは今日私と共にパラダイスにいる」と言われた。

この十字架上の罪人は、自分たちは自分のやった悪行の報いを受けているのだから当然だと言っていることからすると、非常に重い犯罪、例えば強盗殺人などのようなことをしてきたようである。
しかし、この彼の人生の最後のとき、主イエスに出会ってイエスは死を超えたお方であり、殺されても復活して神の国に入るのだと信じていた。これは驚くべきことである。弟子たちですら、イエスが殺されたら何にもならない、と思っていたから、主イエスが十字架にかけられて殺されると予告したときでも、筆頭弟子というべきペテロすらも、「そんなことがあってはならない」とイエスを脇に引き寄せて非難したほどであった。弟子たちは復活も全く信じてはいなかった。
しかし、この十字架で処刑された重い犯罪人は、驚くべきことに、イエスが殺されてもそれで終わるのでなく、復活して神のところに帰るということ、これはイエスを人間以上のお方である、神の子であることを確信していたのがうかがえる。
主イエスはこのような人間をその生涯の最期のときに招かれた。この罪人は、自分の罪の重さをはっきりと悟り、しかも主イエスへの全面的な信頼を持ったゆえに、いわば一日の終りの最後まで(神のためには)何もせずに立ち続けていたような人間、それどころか重い犯罪を犯したような者であった。
しかし、彼は、主イエスによって はっきりとパラダイスに入るという約束を与えられた最初の人になった。
よく知られた放蕩息子のたとえも、何もせずに立ち続けていたものが、かえって手厚く迎えられるというぶどう園の労働者のたとえと通じる内容である。
父親の財産をもらってそれを持って遠くへと出かけ、享楽のために使い果たして生きることもできなくなって、ようやく自分のやってきたことの間違いに気づき、父に対して、また神に対しても罪を犯した、自分はどうなってもいい、父のもとに帰ろうと思って、帰り始めた。そうすると遠くからそれを見付けた父親は、走り寄って抱きしめ、高価な肥えた子牛を用いて料理させ、かつてないご馳走をふるまったという。
それに対して長い間忠実に働いてきた兄は、そのことを知って自分にはこんなに長い間働いてきたのに、一番安価な小羊一匹すら食事のためにはくれたことがない、といって父親に不平不満を繰り広げた。
ぶどう園の労働者も朝から働いた人たちはやはり、最後に来た人が最初に賃金を与えられ、さらに自分たちと同じ賃金をもらったということで、「私たちは朝から暑さを耐えて長い時間働いたのに、夕方からわずか働いた人と同じ賃金だ」と言って主人に不平不満を言った。
これはとてもよく似た内容である。
最後に来た労働者と、放蕩息子、この二つは、わずかしか働かなかったこと、あるいはまじめでなく、よい働きもしてこなかったことで、まともな人間扱いをされないような人を、神は驚くべきことだが、普通によい働きをしていると思われている人よりずっと熱い思いで見つめ、愛を注いでおられるということである。
そんな不平等なことはない、というかも知れない。しかし、なぜぶどう園の主人や、放蕩息子の父親は、そんな態度をとったのだろうか。
それは一言にして言えば、まじめに働いてきた人といえども、愛がなかったからであった。
ぶどう園のたとえで、朝から働いてきた人たちは、夕方になってやっと仕事に来た人が、賃金の受け取りのとき、自分よりも先に呼ばれ、しかも朝から働いた自分たちと同じ賃金をもらったことに腹を立て、主人に向かって、不平不満を並べた。
彼らは、夕方まで立ち続けていた人の苦しみや不安、だれもこのままやとってくれなかったらどうしょう、家族を支えることもできない、といったような背後にあることを全く想像することもできなかった。それゆえ、彼らは、その夕方に来た人が賃金を最初に受けたときに、共に喜ぶことができなかった。一日暑い中を、立ち続けて私たちと同じ賃金をもらってよかったね、何と思いやり深い主人なのだ、とその人とともに喜び、主人の愛の深さにも心動かされて感謝する、というのが、あるべき姿であった。聖書にも、次のように言われている。

喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい。(ローマ十二・15

ここに言われていることが全くできなかったのである。
放蕩息子の兄も同様であった。
長い間放蕩を重ね、行方不明となっていた弟が帰って来た、しかも自分が父に対しても神に対しても大きい罪を犯したことを悟ったうえでの帰郷であった。それを兄も共に喜び、父親とともに喜びをもって迎えるというのが、愛ある姿であった。
しかし、この二つのいずれも、こうした愛でなく、自分中心の感情しかなかった。自分の報酬が少ない、自分には何もしてくれなかった、という自分への利益中心の考えなのであった。
いかに、勤勉であってまじめに働いているようであっても、それは結局自分中心であり、愛のない働きなのである。
愛がなかったら無であるというはっとさせられる言葉がある。

たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。
たといまた、わたしが自分の全財産を人に施しても、また、自分のからだを焼かれるために渡しても、もし愛がなければ、いっさいは無益である。(Ⅰコリント十三・23

放蕩息子の兄や、朝から勤勉に働いてきた人たちは、いずれもまじめであり、よく働いた、言いつけもよく守った、しかし愛がなかった。

…これらいっさいのものの上に、愛を加えなさい。愛は、すべてを完全に結ぶ帯である。(コロサイ書三・14

この言葉にある、完全に結ぶ帯である愛がなかったために、祝福が受けられなかった。先の者が後になり、後の者が先になる、という言葉のとおりになったのである。
この世では、まじめに働いたものが当然の報いを受ける社会であって欲しいと、よく言われる。そしてそれは社会的な問題としてはそのとおりである。働かないで、賭け事をしたりして儲けようとしたり、パソコンの前で一日座っていて金を手にしようと考えるのは本来のあるべき姿とは言えないのはだれでもが感じるところである。
しかし、神の御支配はそうしたこの世の常識をはるかに超えたところにある。
それは、弱い者、この世で相手にされないような者、悲しみや苦しみに置かれた人、そしてそれでも神を待ち望んでいる者、そのような者にこそ大きな祝福が注がれ、また悔い改めた罪人にこそ最大の神の祝福が与えられるのである。
福音書のはじめの部分で、主イエスによる最初のメッセージというべきものがある。

…ああ幸いだ、悲しむ者は!
なぜなら、その人は(神によって)慰められる
*からである。(マタイ福音書五・4

ここには、ぶどう園で一日立ち続けた人の心にあった悲しみが、神の愛によって慰め、励まされることと同じことを言おうとしているのが分かる。

*)慰められる と訳された原語(ギリシャ語)は、パラカレオー parakalew であって、これは、「励ます」という意味をも持っているから、ここでも、深い悲しみに沈む者は、神へと真剣に求めるときには、魂において慰め、励ましを受ける、新たな力を得るという意味が込められている。
新共同訳でもこの原語は、つぎのように「励ます」と訳されている箇所もある。


・「…皆が共に学び、皆が共に励まされるように、一人一人が皆、預言できるようにしなさい。」(Ⅰコリント十四・31
・どうか、あなたがたの心を励まし、また強め、いつも善い働きをし、善い言葉を語る者としてくださるように。(Ⅱテサロニケ二・17

このように、このぶどう園の労働者のたとえは、弱き者への神の愛、働きがなくとも、一方的に与えられる神の愛の本質、そして「正しきもの」の愛のなさが、浮き彫りにされていて、「ああ、幸いだ、心の貧しきものは!」と言われた主イエスの言葉をも思いださせる内容となっている。
この世の仕事のために、働き続けてきた人には、心の視点を神に向け、神の国のためにより直接的に働け、という呼びかけをこめたものであるし、弱き人、この世では相手にされない人に対しては神の国ではあなたもよき働き人となることができるし、報酬も多いのだ、という励ましに満ちたメッセージをたたえているのである。
現在、老年の世代がますます増えている。その一番の問題は、病気や体力の弱さではない。本当の働きを失っていくことである。そして同時に、さまざまの意味で弱い人たちが増えていくことである。それはしかし、この神の国の働きということに目覚めるとき、全くことなる様相を呈してくる。
神は万能であるうえにかつ愛のお方ゆえ、いかなる世の中の状況においても、対応するような新たな世界を開いて下さるのである。

 


リストボタン「真白き富士の根」とキリスト教讃美

 この歌は、別名「七里ヶ浜哀歌」と言われ、昔から有名で、私は小学低学年のころからそのメロディーは聞き覚えで知っていた。そしてとても日本的な曲という気がしていた。
この歌の歌詞の部分については、一九一〇年に逗子開成中学の十二人の生徒が乗ったボートが江ノ島と逗子の間の七里ヶ浜沖で沈み全員が死亡した事件をもとにして作られたものであり、作詩は、当時鎌倉女学校の教師であった三角錫子(みすみ すずこ)によってなされた。
彼女は、東京女子高等師範学校(お茶の水女子大学の前身)を卒業、若くして両親を失い四人の弟を養うために、給料のより高い北海道にいって教員を勤めた。その時に三角は、札幌のキリスト教会に出入りして讃美歌を共に歌っていたり、キリスト教と関わりの深かった時期があったというが、キリスト者となったのかどうかは資料がなく、はっきりしたことは分からないようである。
その後、結核になるという苦しみを経て、鎌倉女学校の教師となった。そのときに、この事件に出会って作詩したのである。 その後彼女は、常磐松女学校(ときわまつ)を創設して女子教育に力を注いだ。(この学校は、現在も続いていて東京目黒区にトキマ松学園として短大、高校、中学などを持っている。) さらに、彼女は、女性の社会的地位の向上のために力を注ぎ、多くの論文を雑誌に寄稿したことが分かっている。

次にこの歌の歌詞の一部を引用する。

(一)真白き富士の根 緑の江ノ島
仰ぎ見るも 今は涙
帰らぬ十二の 雄々しきみたまに
捧げまつる 胸と心…
(四)みそらに輝く 朝日のみ光り
やみに沈む 親の心
黄金も宝も 何しに集めん
神よ早く 我をも召せよ

この四節の歌詞には、作詞者の三角錫子がキリスト教と接触していたのがうかがわれる。
この曲が聖歌に、「いつかは知らねど」という讃美として取り上げられているのを後になって知ったが、そのときは日本の昔の愛唱歌のメロディーが聖歌
*に転用されたのだと思っていた。それで真白き富士の根という曲のイメージが強く残っていたので、何となく違和感があった。

*)後に発行された新聖歌では、四六五番として採用されているが、そこでも、作曲者は、Anonymous すなわち不詳とされている。 なお、Aは否定の接頭辞、nonymous の部分は、英語のname などと語源は同じで、名前を表すので、Anonymous とは、名前がない、つまり名前が分からない、不詳という意味。

 しかし、それが、キリスト教讃美歌が元の曲であったのをはっきりと知らされたのは、「讃美歌・聖歌と日本の近代」(手代木 俊一著 音楽之友社 一九九一年発行)によってであった。
 この本は、キリスト教史学会学術奨励賞受賞の著作であるが、高価でもあり、現在すでに出版社の目録にもなく、絶版になるとのことでもあり、一般的には入手し難いと思われるので、この歌と讃美歌との関連を紹介をしておきたい。
 
「いつかは知らねど」(新聖歌 四六五番)の原曲は、ジェレマイア・インガルス編の讃美歌集
Christian Harmony》 (1805年アメリカで出版)の中に初めて収録された、
When we arrive at home」という曲が原曲であるということが判明した。

この曲は、インガルスが、当時知られていた曲の前半の部分を一部取り入れ、後半部を新たに作曲したもの。 それが、1835年にアメリカ南部讃美歌集《Southern Harmony》において、GARDEN という曲名(tune name)で収録された。

それは、この讃美の1節に、次ぎのようにあるからであった。
この大体の意味は、「 イエスが庭に入られる。そこでは、香木はよき香りをはなち、百合は豊かに成長し 花咲き、生き生きとした聖なる恵みは、イエスからあらゆる蔓草に注がれる。そして、死せる者が生き返る」
 これは、この世をいろいろな植物の植わった庭にたとえ、主イエスがそこに入られると、人間はそれぞれの個性を新たにされ、生き生きとよみがえったようになる、という象徴的な内容となっている。
(なお、「蔓草」と訳した vine という語は、ぶどうの木や、ツタ類、キュウリ、メロンなども含めてつる植物一般を意味するが、ここでは、すぐ上の行の divine と韻を合わせるために とくにvine を用いているのであって、意味からはとくにつる植物でなければならないことはなく、作詩者のイメージにおいては植物一般を指すと考えられる。)

(一)
The Lord into his garden comes ,
The spices yield their rich perfumes;
The lilies grow and thrives,
The lilies grow and thrives,
Refreshing showers of grace divine,
From Jesus flow to every vine
And make the dead revive,
And make the dead revive.

 この曲名(チューンネイム)が、内容に「庭」とあるので、GARDEN (ガードン)と付けられたのであったが、それを、一九三二年に堀内敬三が編集した唱歌集の中に、この曲が含まれ、そのときに、作曲者名が、間違ってガードンとされた。
(なお、曲名とは、現行の讃美歌、新聖歌などに楽譜の右上に大文字で書かれてあるのがそれである。例えば、「いつくしみ深き」という讃美歌三一二番なら、右上の WHAT A FRIEND というのが、この曲名である。作曲者は、その曲名のすぐ下に書いてあるから、間違われたのである。)
 堀内敬三(*)という音楽の権威者の手による本にこの誤りが出てしまい、それを一般の人が確認する資料もなかったゆえ、最近まで広く作曲者名がガードンとされてきた。
 私の手許にある「唱歌」(野ばら社発行)や、「抒情愛唱歌全集」(ソニーミュージックハウス発行) いずれも二〇〇一年発行のいずれも、「真白き富士の根」(七里ヶ浜哀歌)の歌の作曲者名を、ガードンというまちがった記述のままになっている。

*)堀内敬三(一八九七年~一九八三年)富士見町教会員。一九二八年に「日曜学校讃美歌」の改訂委員。 三〇歳代の半ば過ぎですでに、東京音楽協会の常務理事として、音楽会の実力者になっていたという。

元の讃美の二節、三節を引用しておく。
(二)
O That this dry and baren ground,
In spring of water may abound,
A fruitful soil become,
The desert blossoms like the rose,
When Jesus conquers all His foes,
And makes His people one.

ああ、この渇いた不毛の大地が
溢れ出る水によってうるおされ
実り豊かな土地になるように!
砂漠がバラのごとくに花咲くように!
主イエスが、あらゆる彼の敵(サタン)を打ち破り
その民を一つとするときに。

(三)
Come brethren,you that love the Lord,
In Jesus' ways go on;
Our trobles and trials here,
Will only make us richer there,
When we arrive at home.

来れ、主を愛する兄弟たちよ
主イエスの道を歩もう
私たちの地上での困難や試練は、
私たちが天のふるさとに帰るとき
私たちを、さらに豊かにしてくれるのだ。

 この讃美の曲を転用して作られた現在の新聖歌四六五番として収録されている、「いつかは知らねど」という讃美の歌詞は、右に引用した歌詞とは別の、イエスの再臨をテーマとした内容として新たに作られたものである。
 しかし、原詩では、私たちが神の国というふるさと(home)に帰るとき、あらゆる苦しみや試練がいっそうの祝福に変えられることがその内容にあるので、この再臨の歌詞の一節や四節にみられる、主イエスが復活した信徒を天の国に迎えて下さることへの希望と喜びが歌われているので、そうした点では一部共通した意味があると言えよう。 
 次に「いつかは知らねど」の歌詞の一部を引用しておく。

(一)
いつかは知らねど 主イエスの再び
この世に来たもう 日ぞ待たるる
その時聖徒は 死よりよみがえり
我らも栄えの 姿とならん。

(四)
その日を望みて 互いに励まし
十字架を喜び 負いて進まん
嘆きも悩みも しばしの忍びぞ
楽しきたたえの 歌と変らん
 
 なお、この「真白き富士の根」は「…富士の嶺」と書かれることもあるが最初の歌詞のタイトルは、前者である。 なお、広辞苑によれば、
ね【峰・嶺・根】みね。山のいただき。
と説明があり、山の頂上をこれら三種類の漢字で現されてきたことが示されている。

 日本の人たちがだれでも昔からの日本の歌だと思っていたのが、実は、キリスト教讃美歌に由来しているというのは他にもいろいろと知られている。
 最も有名なのは、「しゃぼん玉とんだ」という童謡は、「主われを愛す」(讃美歌四六一番、讃美歌21-四八四番)から作られたということである。この「主われを愛す」は、日本語で歌えるようになった讃美歌としては、日本に現在幾千とある讃美歌の中の最初のものであった。
 この有名な讃美歌を歌って、それから「しゃぼん玉とんだ」の歌を歌ってみれば、そのメロディーがにているのにすぐに気付く。とくに讃美歌の楽譜の二段目「恐れはあらじ」の部分は、「しゃぼん玉とんだ」の歌の「こわれて消えた」の部分と同じである。 実際、私たちのキリスト集会のYさんが、「この讃美歌は、しゃぼん玉とんだ の曲に似ていますね」と言ったことがある。
 これは、一八七二年のことで、このとき、二つの讃美歌が日本語に訳された。このうち「主我を愛す」が訳文がさらに手直しされてとくに愛唱され、今日までずっと歌い継がれている。
 この時はまだ、明治政府によってキリスト教が禁止され、迫害が続いていた頃であったから、この讃美歌はもう日本で一三五年ほども歌い続けられてきたのである。
 この時代の状況はどうであっただろうか。
 一八六七年、江戸時代の末期に、長崎県浦上村のキリシタンたちが一斉に捕らえられ、拷問される大規模な迫害が生じた。その後の明治政府もその政策を受け継いで、村民たちを多数の県に送り、そこで水攻め、火責めの迫害を続けた。
それがようやく中止されたのは、一八七三年のキリスト教の解禁令によってであった。 他県に送られて迫害されていた信徒らはようやく釈放されたが、各地に配流された者は三四〇〇名ほど、そのうち六六二名が過酷な迫害のために死んだという。日本で最初の讃美歌は、このような時代状況のなかで日本語に訳されたのであった。
 こうした背景を知るとき、この日本で最初に歌われることになった讃美歌の歌詞にも、当時のキリスト教迫害に苦しむ人たちの思いを込めて訳されたであろうことがうかがえる。
 現行のこの讃美歌の歌詞は、当時のものからより分かりやすい歌詞になっているが、大体の意味は同じである。

(一)
主われを愛す 主は強ければ
われ弱くとも 恐れはあらじ
(折り返し)わが主イエス わが主イエス
わが主イエス われを愛す

(二)
わが罪のため 栄えを捨てて
天(あめ)よりくだり 十字架につけり

(三)
みくにの門(かど)を 開きてわれを
招きたまえり 勇みて昇らん

(四)
わが君イエスよ われを清めて
よき働きを  なさしめたまえ

 こうした訳文にも、キリスト教を迫害する国家権力の力に対して、それを圧倒する主イエス(神)の力に頼るという、キリスト教禁止令下におけるキリスト者たちの心が託されていると考えられる。
 そしてどんなに困難や迫害があろうとも、主イエスの愛は変わらない、という強い確信をこの歌詞のなかに感じ取ったことであろう。
 この讃美歌の歌詞の内容は、一節は、人間の自分中心になってしまうという罪や病気などさまざまの意味での弱さが記され、折り返しでは、それにもかかわらず愛を注いで下さる神(イエス)の愛が言われている。二節では、私たちの罪からの救いのために、十字架刑とされるほどの重罪人のようなところにまで降りて行かれ、そこで私たちの罪を身代わりに負って死んで下さったこと、三節は、信じる者は復活して天の国に迎えられるという最も重要なことが歌われ、四節では、そのような祝福された約束を与えられているゆえに、この世の現実の生活において、神の力を与えられ、御旨に従って生きることができるように、というのがその内容である。
 このように、その内容と、この讃美歌の訳された時代状況を考えると分かるように、これは、本来は子供の歌として訳されたのでなく、キリスト教信仰を持つ日本人のために、日本語で歌える讃美歌として、その内容が単純率直にしてしかも本質的な真理を含んでいるということ、さらにメロディーも歌いやすいことなど(*)からこの讃美歌が最初に日本語讃美歌として訳されたのであろう。

*)この「主われを愛す」の讃美歌の作曲者は、アメリカのウィリアム・ブラッドベリで、十四歳のときから有名な讃美歌作者のロウエル・メイソンにピアノなどを学んだ。そして音楽書は六十種類もの多くを出し、その中には二百万部も売れたものもあった。アメリカでは、前述のメイソンととにも最も広く知られた讃美歌作曲家であった。

 適切な歌詞とその曲が心に響くものであったとき、その讃美歌は時代を越え、民族や国家をも越えて歌われていく。それは人間が創り出すことも、消すこともできない。 神がその真理を適切な詩人を選び出し、また作曲者をも呼び出して組み合わせ、この世に流れるいのちの水のようなものとして、注ぎだすのである。
 以前にこの「いのちの水」誌でも紹介した、アメイジング・グレイス という讃美歌も同様である。
 言葉による聖書の説き明かし、説教、講話や講義などは世界中で繰り返し行われている。しかし、主イエスご自身による説教(聖書に記されている)を除けば、特定の人間の説教が全世界に庶民から学者、無学な人、子供、大人、老人、健康な人、病人等々を問わず語り伝えられるということはない。
 しかし、すぐれた讃美歌、聖歌はあらゆる民族や国家、時代を越えて伝わっていく。それらはしばしばキリスト教会だけに限定されたものとなるが、しかし時に応じてキリスト教の集まりの枠を越えて、溢れ出ていき、世界へと流れだしていく。
 こうした讃美歌だけでなく、もっと重厚な内容をもったバッハのような音楽も同様で、もともとは教会だけの枠で歌われ、演奏されたものであった。
 しかし、それは大きな波となって、教会の枠を乗り越え、後のベートーベンのような偉大な作曲家たちにも大きな影響を与え、世界に流れだしていった。
 これは、キリストの真理の共通した本質である。真理は、自ずからそれを受け取るにふさわしい人々を選び出し、その人々を器としてあふれだし、そして時代を越えて、また民族や国家、距離を越えて波のように伝わっていく。
 旧約聖書の有名な詩篇で、

…主はわが牧者。
主は私を緑の牧場、憩いのみぎわに導かれる。
…わが杯はあふれる…(詩編二三編)

 というのがある。たった一人であっても、その小さき魂に本当に満ちた真理は必ずそのようにまずその個人をあふれるばかりに満たし、そこから周囲へと流れていく。 パン種のたとえも同様である。はじめは目に見えないような小さきものであっても、次第にふくらんでいく。その内在するエネルギーは、神から来ているのである。
キリスト教讃美歌(聖歌)の流れはその源流を旧約聖書の詩編に持ち、そこから三千年もの歳月を無数の人たちの魂を浸し、そこからさらに流れ出て、旧約聖書を生み出したイスラエルをはるかに越えて全世界へと流れて、うるおしていった。
ここであげた、二つの讃美歌もその流れのなかにある一つである。
黙示録においては、天上では、昼も夜も絶えることなく讃美が続いていることが暗示されている。

…彼らは、昼も夜も絶え間なく言い続けた。「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、
全能者である神、主、
かつておられ、今おられ、やがて来られる方。(黙示録四・8

また、詩編にはその最後の部分には、宇宙的な讃美が記されている。

… ハレルヤ。天において主を賛美せよ。
高い天で主を賛美せよ。
御使いらよ、こぞって主を賛美せよ。
主の万軍よ、こぞって主を賛美せよ。
日よ、月よ主を賛美せよ。
輝く星よ主を賛美せよ。(詩編一四八・13

神を讃美できるということは、神の賜物によって魂が深く満たされ、自由を与えられ、感謝がおのずからわきあふれることによってなされる。不満や疑問をもった心にはあふれるような讃美は生れない。神は人間を招き、その罪を知らせ、悔い改めさせそこからその赦しを与え、そこからさまざまの神の国の賜物を与えることによって、絶えざる感謝と讃美が生れるようにと導かれている。それゆえに次のようにも言われている。

…後の世代のために
このことは書き記されねばならない。
「主を賛美するために民は創造された。」(詩編一〇二・19

今後もキリスト教賛美はいかなる時代の状況にもかかわらず、天地が滅びようとも永遠に続いていくであろう。

 


リストボタン原発の危険性について

七月には、予期できないことが政治や自然現象、科学技術の方面で生じた。しかし、その中で、とくに将来的にも重大な問題をはらんでいるのが原発と地震の関係である。
今回の新潟県中越沖地震において、新潟柏崎原発では、現在までに変圧器の火災や放射能漏れなど重要度の高いトラブルが六十件余り発生したが、その後、さらに、床の変形や蛍光灯の落下など比較的軽微なケースも含めると、トラブルの総数が一二六三件にものぼったという。
とくに注目すべきは、原子炉の真上にある重さ三一〇トンというクレーンの部品が破断していたことで、この原子炉はたまたま定期点検中で稼働していなかったから、大事故に至らなかったが、もし稼働中であったなら、そしてクレーンで核燃料の交換などのときに破断していたら、はるかに重大な事態が生じていたかも知れないのである。
また、事故への対応が遅れたのは、停電があったからだというが、このことについても、専門家は次のように言っている。
「今回、柏崎はチェルノブイリに匹敵する事故が起きてもおかしくない、危機一髪の状況にありました。火災がおきたこと自体も世界で初めてのケースで、世界中に打電されましたが、さらに危ないことが起きていたのです。原発内での停電はたいへん危険なのです。
停電のせいで、冷却水を動かすポンプに何らかの支障が発生した場合、冷却水は一気に高温になり、放射能はあふれ、大事故が起きることになります。」(京都大学原子炉実験所・小出裕章氏 、「週刊現代八月四日号」)
この小出氏は、毎日新聞でも、次のように今回の事故のうち、とくにクレーンの部品が破断していた事故について次のように述べている。
「使用中に地震が来ていたら、大事故につながった可能性がある。燃料が落下すれば、破損して放射能もれにつながるし、使用済み核燃料プールに重いものが落下すれば、燃料を収めたラックが破損して、臨界事故
*になる可能性もある。」(毎日新聞七月二五日)

*)臨界事故とは、核分裂が制御できなくなって、放射線や熱が外部に放出され人体や機器の損傷がおきる事故をいうが、それが大規模となるとチェルノブイリ事故のような大惨事となり、広大な地域が汚染されて人間が住むこともできなくなり、とくに日本のような狭い国土であれば壊滅的な打撃を与えることになる。

また、この柏崎地域の原発は、一〇〇万キロワット級の大型のものが七基も並んでいるという世界で最大級の原発地域であるのに、地震対策が最初から不十分であったことが指摘されている。東京電力はこの原発を建設する前の調査で、今回の地震を起こしたと考えられる断層の一部を見出していながら、耐震評価の対象からはずしていたという。
そして、実際にこの原発の地下二〇kmには、今回の地震を引き起こした活断層が走っていた。また、耐震強度をマグニチュード六・五としていたが、それは今回の地震の強度の六・八以下であった。
また、地震の揺れの強さを示す加速度についても、柏崎原発は八三四ガルを想定して設計されていたが、今回の地震は二〇五八ガルという驚くべき高い数値であり、想定をはるかに上回っていたという。(毎日新聞七月三一日)
このように、科学技術とか、それによる人間の予想などというものはしばしば自然の広大無辺の現象を予見することはできないのである。にもかかわらず、科学技術者は、こうした実際の事件や事故が生じないかぎり、絶対に大丈夫だとか、大事故はあり得ない、それは科学技術を知らないからだ、などといって本来自分たちが決して予見できないものをあたかも予見できるかのように説明してきた。
もし今回も、原子炉の運転中にもっと大きい地震に見舞われていたら、クレーンの破断事故は、どうであっただろうか。燃料が落下したりして、放射能を持った物質が大量に外部に拡散し、あるいは臨界事故となり前述の小出氏が述べているようなチェルノブイリ級の大事故につながっていたかも知れないのである。
そんなことはあり得ない、などとよく原発推進派の学者や政治家は言うが、今回の事実でもはっきりしたように、そうした学者や政治家たちの言うことはまるで信頼がおけないのである。
前述の小出氏たちが作成した京都大学原子炉実験所が作成した「日本の原発事故 災害予想」」という文書には、大事故となった場合には、今回のケースなら、柏崎市では人口の99%までが死亡し、近隣の市街地でも放射能の強い影響のために、半数が死亡する、さらに、関東、東海、近畿という日本の中心部全体にわたって数十万という人たちがガンで犠牲になり、放射能の影響は東北にまで及ぶといった予想がたてられているという。
たしかに、チェルノブイリ原発事故がいかに国を超え、世界的に広大な被害をもたらしたかを考えると、チェルノブイリとは比較にならない大人口が密集した日本であるから、これは決して誇張したものでないことがうかがえるのである。
チェルノブイリ事故では原発から三百kmも離れた地域にまで高度に汚染された地域が広がり、事故原発のすぐとなりにあるベラルーシ共和国では、高濃度に汚染された地域に住む人々は四百万人にも及んでいた。
柏崎原発から東京まで直線距離では二百数十キロほどしかない。原発の大事故という事態になれば、一つの市や町が被害を受ける、といったこととは比較にならない状況となって日本中が大混乱となるであろう。
そんなことは起きない、地震にも万全の対策をしてあるのだ、などとよく言われてきた。原子炉本体を入れてある建物は、大事故が絶対に生じないように最も強固に安全に設計してあるはずである。しかし、その重要な建物のなかのクレーンに破断事故が生じていたということは、人間のすることがいかに現実に対応できないかを証明したものとなった。
しかも、今回の地震がもっと大規模であって、原子炉の破壊などが生じていたら、このような恐るべき予想が現実に生じたかも知れないのである。
環境問題で二酸化炭素の排出を抑えるために、原発が再び建設を増大させようとする機運がある。しかし、今回は地震に対するもろさに限って書いたが、原発から大量に出てくる放射性廃棄物の処理という困難な問題や、原発の増大によって核兵器が作られる危険性が同時に増えていくという難しい問題などを考えると、原発には本質的危険性を深く内在させているのである。
そして人間の科学技術や政治の力などをはるかに超える自然の災害の前に謙虚になるなら、人間がどんなに科学技術で安全だと保証しようとも、そういう保証は到底信頼できるものではない。科学技術そのものが大いなる限界を持っているうえ、そうした機器類を扱うのは人間であって、その人間はどんな過ちを犯すか分からない弱いものであるからである。
アメリカのスリーマイル島の原発の大事故、チェルノブイリの原発事故なども、機器類の問題とともに、人間の操作ミス、判断のミスが深くかかわっていたのである。
原子力発電においては、一度大事故が生じたら、取り返しのつかないことになるのであり、いかに困難であっても原発を次第に減らしていく方向へと向かうのが、この問題に対するとるべき道なのである。

 


リストボタン詩の中から

明けやすし真夜(まよ)の祈りと思ひしに (玉木愛子)

夏の朝ははやい。動くこともままならぬ身であり、ただ祈りだけは自由にできる。他の患者たちが寝静まったあとも真夜中を祈り続けていた作者は、ふと気付くとはや朝になりかかっている。 作者は失明していたから、それは周囲の状況から感じたのであろう。
この俳句を作った頃(一九五〇年)には、すでにハンセン病のために右足切断して二〇年を越えており、また両眼失明してから十三年、いちじるしく生活にも不便かつ困難な状況であった。家族との交わりも長い間断たれ、世間から隔絶された療養所から出ることもできない、歩くこともできないだけでなく、手も自由に動かなくなっている。
これ以上はないと思われるような絶望的な状況にあっても、彼女はみずからに許された、神の国のための働きを続けていた。それは祈りであった。
このような人間の極限状況と言える苦しみにあって、なお神の国においては、彼女は大いなる働き手であり得たのである。
彼女は、七歳にして発病し、女学校にも行けなくなって、ひとたびライ病だと分かれば家族みんなに決定的な困難が降りかかるため、部屋にこもりきりという生活をせざるを得なくなり、十六歳のとき熊本のハンセン病療養所のあることを知ってそこに入ることになった。そうして神とキリストを知り、その苦しめる魂は救いを得たのであった。

盲人バルトロマイ (ロングフェロー)

目があっても 闇と苦しみや悲しみの中にあって、
見ることができない者たちよ、
思いだせ、あの三つの力強い声を。
「イエスよ、私を憐れんで下さい!」
「勇気を出せ、立って行け!」
「あなたの信仰があなたを救ったのだ!」

Ye tha have eyes,yet cannot see,
In darkness and in misery,
Recall those mighty Voices Three,
have mercy on me!
Courage,getup,go

Your faith has saved you
*

*)三つの声の部分は原文では、新約聖書の原典であるギリシャ語文となっている。ここでは、それを英語に訳した。 原詩はもっと長いものであり、ここにあげたのは、この詩の最後の部分。ロングフェロー(一八〇七年~一八八二年)は、アメリカの詩人で、ダンテの神曲をアメリカで初めて訳した。ハーバード大学教授。

・この三つの声は、単に盲人とかに限らない。この詩の作者のロングフェローも聖書に記されているこの三つの言葉はどのような状況に置かれている人であっても常に神からの励ましの言葉となることを自ら知っていたのがうかがえる。病気や家族の問題、ほかの人間同士の問題、職業上の問題、あるいは事故や災害に襲われたとき、どうすることもできない苦しみに追い込まれることがあるだろう。そのようなとき、私たちができること、それはここに記されている「主よ、憐れんでください!」という単純率直な叫びである。
それによって、主は私たちに力あるみ言葉を下さる。下さらないように見えるときであっても、希望をもってまち続けるときには、「立ちなさい!」という励ましの言葉を聞くことができる。
そして困難の時であっても私たちが素朴に主イエスにすがるとき、その信仰だけで御手を差しのべて下さる。

 


リストボタンことば

269)兄弟たちは、他の兄弟たちに対して悪を行ったり、言ったりしてはならない。かえって霊的な愛をもって、互いに仕え、従うべきである。…
だれも、院長と呼ばれてはならない。すべての兄弟が一様に、「小さき兄弟」 と呼ばれるべきである。また兄弟の足を互いに洗い合わねばならない。…
常によいわざをせよ。そうすれば悪魔はあなたにつけ込むことができないであろう。また、「怠惰は、魂の敵である。」と書き記されているとおりである。それゆえ、神のしもべたちは常に祈り、あるいは善きわざに専念しなければならない。(「アシジの聖フランシスコ
*の小品集」7678頁より。中央出版社一九七四年発行 )

*)フランシスコは、一一八二年、イタリアのアシジという町で生れた。若いときには恵まれた家庭で金持ちの息子として自由奔放に生きた。しかし、二十歳の頃にアシジの町がかかわる激しい戦闘に参加し、死ぬかと思われるような危険に遭遇、その後牢獄に入れられる。
この後重い病気となり、苦しんだ。こうした経験を経て神からの呼びかけを聞き取り、全くことなる道へと踏み出した。その後もさまざまの困難を経て、貧しさの中で、ただ神にのみ従う生き方を徹底して生きた。アメリカ西部の大都市、サン・フランシスコとは、聖フランシスコという意味で、このアシジのフランシスコにちなんで付けられた都市名である。

何かよきわざをなす必要があるのは、他人のためだけではない。自分自身の心がサタンに付け入られることがないためでもある。そしてそのためには、絶えず善きことの源である神に心を結びつけていなければできない。マザー・テレサの言葉で言えば、Something beautiful for God をいつもなすためには、神と結びついていることが不可欠になる。


270)人々は、あたかも真の黄金はカリフォルニアで発見されるとでもいうように、押し寄せていくが、しかし、彼らは真の黄金のある場所とは、正反対の方向に進んでいるのである。…我々の周囲のさびしい前人未踏の地へ、真の黄金を探しに人知れず出かける人には、他人に後をつけられたり、出し抜かれたりする危険は少しもないのである。(「市民としての反抗(不服従)」ソーロー著
*5051頁 岩波書店 一九四九年。)

*)ソーローはアメリカの思想家。一八一七年生れ。「森の生活」がよく知られている。彼のこの真理に立って、間違ったことに対しては「市民としての不服従」を貫こうとする姿勢は
、後のガンジーやマルチン・ルーサー・キング牧師などにも影響を与えたことが、彼らの著書からうかがえる。

・彼がこの文で言おうとしているのは、当時西部へと金を求めて人々が殺到したが、そこでもし黄金を獲得したとしても、それはかえって真の黄金とは反対方向だ、という。それはお金をいくら持ってもそれが最大の宝だと思うような精神は、真の霊的な黄金の方向とは逆だと言おうとしている。 これは主イエスが、「天に宝を積め、そこでは盗人に盗まれることがない」と言われたのと共通した精神がある。
また、主イエスは、霊的真理を「畑に隠された高価な真珠」とたとえたが、そうしたこの世の宝とはことなる霊的な黄金を求めていくことは、たしかにただ一人マイペースで歩んで行くことができるし、与えられたその黄金は目には見えないし、誰からも奪い去られることがない。 神の国にある愛、清い心、真実な心…等々はまさにそれを求める人で争いになることなく、競争もない。そうしたものを求めて歩む道は、この世の栄誉栄達を求める道と違って混み合うこともなく、広々としているうえ、そこにはしばしば清々しい風が吹いてくる。

 


リストボタン編集だより

○瀬棚、東北、関東、中部などでの集会
去年と同様に、七月十二日から十五日(日)まで北海道 瀬棚聖書集会が開催されました。(瀬棚とは、日本海側にあり、北海道の奥尻島の対岸にある海に望む町)
今回のこの集会のテーマは、「神から出たもの、人から出たもの」ということでした。 私はこの期間、日曜日の、日本キリスト教団 利別教会での聖書講話も含めて、五回ほどの聖書講話の中で、神のご意志と人の思いとの関わりについて、さまざまの観点から語る機会を与えられました。
この瀬棚七月の十日夕方から、二十三日の夕方まで、二週間ほど県外に出向いていたために、「いのちの水」誌を書く時間がなく、長距離にわたる車の移動のためもあって体調も十分でなく、七月号は発行できなくなり、八月号との合併号となりました。

去年や一昨年の場合は、北海道まで航空機、そこからはJRやバスなどを用いて、東北や関東の一部に立ち寄ってみ言葉を中心とした集まりが与えられてきました。
今回は、より多くの「いのちの水」誌の読者や「祈の友」の関係の方々ともお会いすること、ともにみ言葉を少人数であっても学ぶことを願って、今年は、徳島から京都府敦賀まで車、そこからフェリーで小樽に渡り、そこからは瀬棚、札幌、そして東北など各地に車を用いていくことに決めたのです。
毎年の瀬棚の集会は、三十歳代の青年が中心となって運営されていて、その方々の両親や、幼い子供たちも含めた、家族的な集会であり、期間中も牧畜や農業などの仕事をしながら瀬棚聖書集会に参加するというスタイルの集会は、ほかの無教会の集会でも見られないものです。
私はこの瀬棚聖書集会に参加して聖書講話を担当するようになって五回目となります。その間、若者たちも結婚する方もあり、その相手の女性は聖書は初めてであったけれども、だんだんとキリスト教や聖書に関心を持つようになっている例もあります。
また、今年の瀬棚聖書集会は以前にも増して参加者の方々の聖書やみ言葉への熱心が感じられる集会となり、ここにも主の見えざる御手の導きがあるのを感じたことです。
四国や関西では真夏にはあり得ない、寒く感じるほどの涼しい風、その風はまた聖なる霊の風となってこの瀬棚地方にもさらに強く吹きわたるようにと願いました。
瀬棚聖書集会の終わった翌日十六日(月)には、札幌市にて去年のような集会が持たれました。旭川からも初参加の人を含めて三名、釧路や苫小牧からも何人かの参加者がありました。
今年は初めて大塚 寿雄・正子ご夫妻宅に宿泊をさせていただき、札幌市での集会の後、大塚正子さんや、札幌集会の有志の方々とともに、札幌郊外の「祈の友」会員の矢部登代子さんをも訪問して、大宮司姉のキーボードによっていろいろな讃美をともに歌うことができました。
その後十七日(火)の夕方には、岩手のスコーレ高校の一室にて、田口さんのお世話によって短時間ではありましたが少数の人による聖書の学びの集まりがあり、校長さんや校外からも初めての参加者があって感謝でした。
翌日十八日(水)は午後から宮城県仙台市での集会があり、仙台市からは初参加の方、仙台からは五十キロ以上離れた石巻からの参加者数名、教会員の方も含めての参加者でした。仙台には去年初めてお訪ねしたのでしたが、今年は去年に参加した方々にさらに新たな方も加えられてともにみ言葉の学びのときを与えられました。
その日の夜は山形での集まりで、黄木兄他のお世話によって準備され、古くからの会員である赤間ご夫妻や小関ご夫妻、また数年前に加わった新しい会員の方など主にある学びのときでした。このときに、「山形聖書研究会の歩み」という冊子をいただきました。その冊子には一九三三年に始まった山形の集会の主による導きが記されてあり、今後ともその同じ主が山形のキリスト者の方々を導かれるように、また新たな働き人を起こして下さるようにと願いました。
翌日十九日(木)は、新潟に向かう途中、キリスト教独立学園を訪問、短い時間でしたが一部の先生方との懇談の機会が与えられました。学園を出ようとするころ、ちょうど学園の理事長となって多くの仕事を受け持っておられる武 祐一郎さんが学園に到着し、懇談の機会も与えられました。
そしてさらに、たまたま学園の事務室にいた武 義和さんとも出会い、彼の小国フォルケにも立ち寄り短時間でしたが、話す機会も与えられました。
こうした予定外のことがあったので、新潟に向かうのが遅くなりましたが、夕方六時過ぎには到着、十六年ぶりで山口 賢一兄ご夫妻や三浦姉ほかの方々との集まりが与えられました。
長い年月の空白はありましたが、折に触れて山口兄からの連絡があり、また「ディアスポラ」という
夏の集会の詳しい記録をも毎年送っていただいているので、主にあるつながりは保たれていたことです。
また参加者のうちの三浦さんは体調も十分ではなく、老齢ですが、MP3プレーヤを購入されて、私たちの集会の主日礼拝や夕拝の録音CDを希望されました。
 集会の関係者の中には、重度の障害を持った方がおられ、また、「いのちの水」誌の読者の方で今回の集まりに希望しながら参加できなかった方々もおられたとのことで、そうした人たちとお会いする時間がなかったのが残念でした。主の支えと導きを祈ります。
 翌朝二十日(金)は、新潟から栃木に向かい、一九九一年の徳島での無教会・キリスト教全国集会(第五回)が開催されたときに参加されていた大川 信夫兄宅での集まりがなされました。徳島に帰着してからその集まりに参加希望があった方からも電話あり、事前に連絡をしておくことを思いました。
その後は、時間的余裕がなかったのですが、そこから十キロ未満のところに「祈の友」の稲垣兄宅があるので、その場所だけでも知っておいたらと、探してそこを訪ね、奥様が在宅でしたので祈りだけを共にしてそこを後にしました。
 その後はさいたま市の関根宅に向かい、聖書講話、そして食事を参加者でともにいただきながら懇談、それからとくに今回浜松から参加された松田さんのお話しも伺う機会が与えられました。弱いからだを持っていて本来はとても行けないような所であったけれど、いろいろと予想しない恵みと導きが遠い異国への旅においても与えられたことを思いました。
 翌日は、所沢市の北田 康広・陽子御夫妻やお母様のところを初めて訪ね、短い聖書の話しのあと懇談、そしてお二人によるピアノと歌を間近に聞かせてもらいました。短時間の滞在しかできなかったのですが、北田さんの住む家を訪れるのは徳島でいたときから考えると、二十数年ぶりであったと思いますが、この長い間も、主が北田さんたちを導き、音楽、讃美の道を備えられたのだと感じたことです。 
 その後、山梨方面への途中ということで数年前から立ち寄って集会がなされるようになった八王子の永井さん宅に向かい、そこでの集会が午後一時から四時半頃まで持たれました。八王子の集会に参加される方々は比較的最近知り合った方々が多く、今回も数名が初参加ということで、神の言葉を中心とした交わりが広められ、強められることを願ったことです。
 その後八王子を出発し、甲府市に向かい、その夜は、甲府市の「祈の友」の方々との集会が与えられました。集められた方々は初めての方ばかりとの集会でした。参加された方々は無教会の人は一人で、あとの方々は教会に集っておられる「祈の友」会員でした。「祈の友」に属するというだけでこのように全くの未知の者同士が集まり、主にあってみ言葉を学び、ともに祈り合うことができるのは主がそこにいて下さるからだと思われました。それまでは「祈の友」誌での名前だけでの知り合いでしたが、直接に顔と顔を合わせての出会いによって今後の祈りもより具体的になることも恵みです。
 その翌日は、長野県伊那の有賀進さん宅にての主日礼拝で、ふだんは別々に集まっておられる方々も集められ、一六名ほどの集会で、緑に包まれた閑静な御家での集まりは主がそこにいて私たちを見守って下さっているようでした。
 ここでも、MP3プレイヤーと徳島聖書キリスト集会の礼拝CD(MP3の形で録音)を希望される方がありました。
 礼拝が終わって参加者との会食があり、よき時を与えられました。その後、私は一部の「いのちの水」誌読者や、岐阜県の「祈の友」会員などを訪ねて帰途につきました。
 長い距離を車での移動を伴う旅であり、後半はやや体調に問題が生じましたが、帰宅まで無事守られ、初めての方々との出会いも多く与えられ、以前からの主にある兄弟姉妹方ともそのつながりを深められ、ともに神の言葉を中心としつつ各地で集まりが与えられたことは大きな恵みでした。
 訪れた各地のキリスト者の方々がさらに主イエスからの恵みと祝福を受けてそこから福音が周囲の人に伝わっていきますようにと願っています。

○七月二十八日(土)~二十九日(日)の二日間、京都市の西部の山にある桂坂にて、第七回 近畿地区無教会 キリスト教集会が開催されました。今回のテーマは、イザヤ書五十三章「彼が担ったのは私たちの病、彼が負ったのは私たちの痛み」でした。このテーマに沿って、宮田 博司、那須 容平、那須 佳子、宮田 咲子の四名の方々がそれぞれ十五分ずつ語り、その後、小舘 美彦兄が「罪と愛」と題してやはりこのテーマに沿った講話をされました。 夜は、グループ別に内村鑑三の言葉の抜粋を学び、あるいは聖書のみ言葉に聞く集まりでした。翌日の日曜日は早朝祈祷、ついで、一時間余りの時間で、讃美(手話讃美、デュエット、讃美の踊りなど)、三名による証しがなされました。 京阪神以外からは、東京、松山、広島、徳島などからの参加者があり、五十四名ほどの会となりました。 毎年新たな参加者も与えられ、主が導いておられるのを実感させていただいた集会でした。

 


リストボタンお知らせ

○MP3版 ヨハネによる福音書CD
ヨハネによる福音書CDは普通のCDラジカセなどで聞くことができるファイル形式で数年前から希望者に販売してきました。かなり多くの方々から購入希望がありました。ヨハネによる福音書への関心の高さを反映したものと思われます。これは五十数枚となって量がかなり多いものです。
今回、MP3版を作成したので、紹介しておきます。これはCD四枚に収録されており、価格は二千円です。内容は以前の普通の音楽CDの形式で録音したものと同じです。
ただ、ヨハネによる福音書は、若干の欠けた部分があり、それは今後新たに録音して収録予定ですが、欠落部分を新規に録音する時間がなかなかとれず、今までに購入された方々には、申し訳ないことですが、まだお届けできていない状況です。

○礼拝CDとMP3ファイル、その再生機器。
七月に、北海道から東北など各地を訪問した際に、これは以前から折々に問い合わせもあったのですが、私たちの徳島聖書キリスト集会の毎月の日曜日の主日礼拝と、火曜日夜の夕拝の録音CD(MP3ファイル)の希望と、それを聞くことのできる、MP3プレイヤーを希望される方々がいました。
今までにも何度か説明したことがありますが、ここでもより詳しく書いておきます。
若い人たちには、MP3といったらすぐに分かるほどこれは現在では世界的に広く音楽を聞くために用いられるファイルの形式ですが、中高年の方々には、全く聞いたこともないという方々が多いのです。
日本聖書協会でも、従来販売してきたふつうのCD新共同訳(旧新約66)の全朗読一〇八枚のCD(価格は約五万円)が、MP3録音となって、わずか六枚のCDとなって販売(価格は八四〇〇円)され、価格も六分の一となっています。
長野でも、MP3録音の私たちの礼拝CDの音を一部聞いてもらいましたが、みなさんすくに音質がカセットテープとは違ってきれいな音であることに気付いておられました。録音テープですと、音質が悪いという以外に、とてもかさばること、テープが切れること、カビなどが生えたりして使えなくなること、必要な箇所の頭出しをするのがとても不便です。 私たちの集会では、年中無休で日曜日の主日礼拝と火曜日の夜の集会(夕拝)を続けていますが、その録音は毎回九十分テープ一本あり、一週間では二本、一月では八本~十本になり、一年では百本~百二十本となります。五年ほどもためると、それは六百本ほどにもなって、到底処理できないほどになります。
しかし、MP3録音のCDですと、毎月一枚に収まりますから、一年でも十二枚です。さらに、テープのダビングは時間がかかりますが、CDの複製はパソコンがあれば簡単にできます。また、その一部をだれかにインターネットを用いて遠く離れた人に送ることも簡単にできます。
作成する側も、テープより、MP3CDの作成がずっと簡単です。最近は、CDの高速ダビング機が発売されており、私たちのキリスト集会もそれを用いています。
私たちのキリスト集会では、MP3形式でなく、普通の以前からのCDラジカセで聞ける、ヨハネによる福音書のCDを希望者に実費で配布していますが、二年半ほどの期間の録音なので、五十枚以上となるために作成には相当手数もかかり、価格も一万円ほどです。
しかし、MP3録音の形式にしたものも最近作成して希望者に配布し始めていますが、それは内容は全く同じなのに、わずかCD四枚に収まり、二千円です。
今後も、創世記や詩編など旧約聖書のいろいろな書や新約聖書なども、MP3で希望者に実費で配布する予定ですので、希望の方は申し込んで下さい。
なお、私たちの集会の聖書講話や讃美などのMP3ファイルによる録音を聞くことができる機器は、二種類あります。
(一)手のひらに載せることができるほどの丸い大きさのもの、それは携帯用で外部にももちだすことができます。この卓上型のMP3プレーヤは、今までは紹介したことがありません。直径14センチ、厚さ2.5センチ、重さは220グラム程度です。(価格は、五千円~一万円、一般の大型電器店では一万円程度、インターネットではもっと安価に購入できます。私に申込される場合はインターネットでの注文になり、五千円程度でお送りできます。)

(二)自分の部屋で聞くので、外部に持ち出すことはない、という方は、卓上型のMP3プレーヤが最近発売されています。商品名は、「SD/CD ミニコンポ」となっています。これは表示も大きく、以前は高価でしたが、最近安価なものが販売され、操作もしやすいので、自宅でしか使わない方はこの方がお勧めできます。
それは、本体とスピーカー二個でセットになっていて、幅42センチ、高さ16センチ、奥行20センチほどのもので、ふつうのCDラジカセ程度の大きさです。これは、ラジオもついていて、スピーカーからの音量も大きく、SDカードに記録されたMP3音楽なども演奏できますし、音楽CDをSDカードに録音するなど新しい機能があります。これは徳島の一般の電器店では見かけないのですが、インターネットから購入でき、その場合は、八千円~一万円程度で購入できます。インターネットでは価格は一定していません。

これらの演奏機器をご希望の方は、インターネットを使う方はそれで注文されると一番手軽ですが、インターネットをしていないかた、また近くに大型電器店もない方は、吉村まで申込されますと、いずれの型をもお送りできます。操作も簡単ですが不明な点は電話でも説明できます。
○今月は、七月と八月の合併号となったので、発送作業も八月八日(水)の北島夕拝の後になりました。