2007年9月 559号・内容・もくじ
水粒や微粒子の芸術
青い空に浮かぶ雲、その色は光の強く当たるところは純白であるが、ややグレーの雲、厚く重なったところは暗く見えるもの、その色合いや形、力強さをたたえたものや、軽やかな羽のようなものなど実にさまざまである。
夕方になって日の落ちる頃には、雲はさらにいろいろの変化をする。微妙な赤味がかった色、白と赤、あるいは橙色のような雲、またときには赤紫のような色で染まることもある。
心して見つめるときには、大空の雲のそうした変化極まりない姿は、たしかに完璧な芸術家である神が自由自在に大空をキャンバスとして描いている広大な立体絵画である。
しかもそれらの美しさを生み出しているのは、きわめて小さい水粒なのである。千分の五ミリから、一〇〇分の一ミリメートル程度の水粒の集まりが雲であるから、このような微小な水粒が太陽の光を受けて織りなす芸術だと言える。
また、時折みられる虹の美しい七色、これも雨粒に光が屈折して入り、その水粒の内部の境界面で反射して外部に屈折して出てくるとき、それぞれの色の光の屈折率が異なるために、あのように七色に分かれて見えるのである。
虹も小さい水粒が創り出す大空の驚異と言えよう。
また、大空の青い澄んだ色、朝焼け、朝日、夕焼けや夕日のさまざまの赤みがかった色は、日光の白色光が、大気中の微粒子によって散乱する仕方が色によって異なることによる。
神はこのようにどんなに小さいものであっても、また巨木や大きな山々、大河、海洋といった大きなものも、その栄光を表すためには何でも用いられるのがわかる。
人間も、小さな能力のように見えるもの、あるいはまだ何もできない乳児であってもまた重い病気や体の障害を持っていても、どのような人であってもその御国の建設のためには用いられるのである。この世ではできるだけ能力の高い者、健康な者を使おうとする。
しかし、神がその御国のために用いるにあたっては、小さすぎるというものはないのである。
前進と後退
私たちのこの世界は前進しているのだろうか。それとも後退しているのだろうか。
さまざまの犯罪は減る兆しがなく、戦争や民族同士の対立、戦いは止む様子もない。科学技術の進歩は前進だと言い切れない。わずか十数年間で、何千万もの人たちが殺されるような大戦争、そして一瞬にして何十万も人たちを殺傷する核兵器、そして地球全体に及ぶ環境破壊等々は科学技術の発達によって生れたのである。
よき科学技術の代表のように言われる医学はたしかに進歩していろいろな病気が治るようになったが、他方、耐性菌の発生とか薬のさまざまの副作用、治療の間違いなどによって、新たな病気が医学薬学が進歩したゆえに多数生じている。
子どもの頃から強制的に働かされたり学校へも行けないといったようなことはなくなって日本では誰でもが教育を受けられるようになった。しかし、子どもの純真さ、幼な子らしさという重要な性質が失われていきつつある。私たちの個人的な性質をみても同様で勉強を重ねて大人になってものの考え方がしっかりしてきたといっても、他方ではこの世の汚れに染まっていくという面がある。
このように、何をとっても前進と後退は常に見ることができる。 この世に生きること自体、いかに努力して前進したとしても、最終的には死んでしまって、生れる前のゼロのようなものに後退してしまうのだと思うとき、この世に生きること自体空しくなってしまうだろう。
このような前に進めない現実にあって、絶えざる前進の道を開いて人類に示したのがキリストである。
いかに私たちが罪を犯して後退しようとも、悔い改めることによって再び前進でき、さらに病気になってすべてできなくなったときでも、霊的にはさらに高くされて前進するようにと導かれる。最終的にゼロに戻ると思われている死のときすら、そこに最も大いなる御国への前進が一挙になされるようにして下さっている。
それだけでなく、この世界の「全ては、神から出て、神によって保たれ、神に向かって」前進を続けるのである。
(ローマ十一・36)
風を受ける
ある聖書の集会(いのちのさと作業所)の帰りに参加者を送って行くとき、そのうちの全盲のSさんが、車の窓から田畑を通って吹き抜ける風を浴びて、こんな風を受けるのは久しぶりだ、最近風に吹かれるということがなかったから、と言われた。
風に吹かれるということは、戸外に出ている人たちにとっては日常的なことである。しかし、長く入院しているとか全盲の人たちの内、何らかの理由で室外に出ることのほとんどない方々のような場合は田園地帯を吹き抜ける風に当たることは新鮮な出来事なのであった。
聖書には、樹木を揺るがせ、肌に感じる風とは別に、魂に吹き込む風のことが記されている。
別稿でやや詳しく書いているが、旧約聖書のエゼキエル書に、枯れた骨の集まりに、神が霊を吹き込んだときにその骨が生きたものとされたという啓示が記されている。
霊という言葉は旧約聖書の原語(ヘブル語)では、風という意味ももっている。神の国からの風とはすなわち神の霊であり、そのような風はたとえ室内でいようと、ベッドであっても、孤独な生活をしているところでも、どんな場所でもまたいかなる人にでも吹いていく。風は思いのままに吹く。聖なる霊もまた神の思いのままに吹いていく。
聖霊が吹いた最も著しい記録である、使徒言行録からそれを見てみよう。
キリストが処刑されたのち、復活という大いなる出来事に出会った。しかし、復活のキリストに出会ってもなお彼らにはそのことを伝えようとする力は出てこなかった。周囲の敵対的な人々のただなかで新たな力はさらに別の出来事が必要であった。それは聖霊が与えられるということである。復活したキリストご自身が、「約束したものを受けるように待ちなさい」と言われ、その聖霊を受けることが必須であることを預言されていた。
そして多くの弟子たちが集まり、祈って備えていたとき時が来て、聖霊が注がれた。
「…突然、激しい風が吹いてくるような音が天から聞こえ、彼らがいた家中に響いた。」
(使徒言行録二・2)
聖霊は風のように吹いてきた。聖霊と訳される原語のうち、霊という原語(ギリシャ語)は、また「風」という意味も持っているから、これは、「聖なる風」という意味も同時に持っている。たしかに、聖なる霊とは、神の国から吹いてくる聖なる風なのである。
この風を受けて初めて弟子たちは、いかに反対があろうとも、そのただ中でキリストの復活を証ししていく力を与えられた。
真剣な祈りによって聖なる霊が与えられることは、ペテロとヨハネが捕らえられて後、釈放されたとき、彼らとともに多くの弟子たちが感謝と前途への守りと祝福を祈っていたときに、聖なる霊が豊かに注がれた事実にも見られる。(使徒四.31)
ときには、使徒が手を置いて祈ったときに聖なる霊が注がれたこともある。
…人々はイエスの名によって洗礼を受けただけで聖霊はまだ誰の上にも降っていなかった。ペテロとヨハネが人々の上に手を置くと、彼らは聖霊を受けた。」(使徒八・16~17)
また、次のように神の言葉を語っているときに、注がれる場合もある。
… ペトロがこれらのことをなおも話し続けていると、御言葉を聞いている一同の上に聖霊が降った。(使徒十・44)
このように、聖霊は主イエスが言われたように、風のように思いのままに吹く。とくに真剣な祈り、み言葉に耳を傾けているとき、そして信じる人たちが共に集まって祈りを合わせ、み言葉に聞き入ろうとするときに与えられているのが分かる。これは主イエスが私の名によって二人、三人がともに集まるときに私はそこにいる、と約束されたことを思い起こさせるものがある。
病気のために入院しているとか、自宅から出られない、あるいは近くに信じる人がいないときであっても、信じる仲間を覚え互いに祈り合うことによって主の名によって霊的に集まることになり、そこにも主イエスがいて下さり、聖霊が注がれることが期待される。
それだけでなく、まさに風が吹くように思いもよらない遠いところで聖なる霊の風が吹く例が記されている。
主イエスは、あるとき、いつも活動しておられたガリラヤ湖から直線距離でも六〇~七〇キロ、道のりからすると一〇〇キロほども離れているような地中海沿いのフェニキア人の町に行かれたことがある。そのとき、見知らぬ異邦の女が、「主よ、ダビデの子よ、憐れんでください。娘が悪霊に取りつかれてひどく苦しめられているのです。」と必死になって救いを求めてきたことがある。
どうしてこのようなユダヤ人でなく、旧約聖書のこともイエスの預言も知らないはずの女が、イエスを悪霊すら追いだすことのできるメシアと信じることができたのか、実に不思議である。ダビデの子という表現は旧約聖書で預言されていた、ダビデの子孫として現れるメシアを意味しているのであって、彼女はイエスをメシアだと信じていたのである。
これは聖なる霊が風のように吹いたがゆえに彼女は信じることができたのである。イエスの奇跡や数々の教えを聞いてもなお信じないで、かえって憎んで殺そうとはかるようなユダヤ人が多く現れた一方で、まったく会ったこともなく奇跡を見たことのないはずの遠い異国の女がまっすぐにイエスを神の子と信じることができたのである。
このようなことは、ユダヤ人の間においても、日常的には隔離されてイエスのことも分からなかったはずのハンセン病の人が、イエスのことをやはりメシアだと確信していたことが記されている。あるハンセン病の人が、イエスの前に来て、ひれ伏し「主よ、御心ならば、あなたは私を清くすることができます。」(マタイ八・2)と、言って救いを求めてきたことがある。
また、人々の前に汚れているとされて出ることのできなかった、出血の病気のある女性が、イエスの服にでもさわったら癒されると信じて必死の思いで群衆に混じっていき、イエスにその心の深い願いをもって触れたとき、実際に癒されることが記されている。彼女のそうした深いイエスへの信頼もまた、だれから教えられたということもなく、奇跡も見ることもなかったと考えられるが、聖なる風によってそのような信仰へと導かれたのであった。
このような例が福音書には多く記されている。
…聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」と言うことができない。(Ⅰコリント十二・3)
彼らが、主イエスを人間以上のお方、主と信じることができたのはまさに聖霊によったのである。いかにわずかの言葉を聞いただけであっても、また神のわざに触れたことのないものでも、聖なる霊という風が吹いてくることによって、その人はイエスのことを神の子であり、神と同質のお方だと確信するようになる。
時代がいかに変わろうとも、天の国からの聖なる霊はいつも吹いている。それは妨げることができない。人間が心を開き、目を覚ましていることによってその風は私たちの魂のなかにも流れてくるであろう。
また神は思いも寄らないところ、予想していない人の心にこの聖なる風を吹き入れてその人を暗闇から救い出し、新たな神の働き人とされるのである。
私たちはまず自分のうちに、そして周囲の人々のうちにこの風が吹いてくるようにと願い、祈りを続けていきたいと思う。
希望の枯れたところに
「我々は枯れ果ててしまった。希望は消え失せ、もう滅びるしかない。」
このような気持ちは多くの人が経験していくことだろう。 しかし、どんなに乾き、ひからびてしまったものであっても、徹底的に枯れてしまったものであっても、決して絶望ではない、そのようなメッセージは旧約聖書には多く見られる。
詩編には病気や敵対する力などあらゆる希望が失われたようてところから神に叫び、そこから神の力が与えられていった状況が多く記されている。
神は万能であり、愛であり真実なお方であるからいかなる乾いたものをも生かすことができる。
エゼキエル書は、一般にはとても親しみにくい書物である。聖書の多くの引用とか聖句集などもエゼキエル書からというのはごく少ない。
しかし、意外なところでエゼキエル書の一部の内容と関係した歌で広く知られているものがある。それはドライ・ボーンズという歌(ゴスペル)である。これは、「乾いた骨」dry bones という意味である。(日本語訳聖書では「枯れた骨」あるいは「干からびた骨」と訳されている。)
アメリカのあるコーラスグループが歌って彼らを世界的な名声を得るようにしたのが、このドライ ボーンズという歌であったというほどに、ポピュラーになった部分もある。
しかし、このような歌を日本人が聞いても全く本来の意味を類推することもできないし、単にメロディーがおもしろいとか、歌詞の内容が、からだのいろいろな部分の骨が次々と結びついて、最後に立ち上がり、歩けるようになる、どこかユーモラスでさえあり、一風変わっているというだけのものとしてしか受け取れないだろう。
ことに、英語のままでは発音もわからず何の意味を歌っているのか皆目分からないまま、そのメロディーで覚えているといった程度になるだろう。日本語では、ドライという言葉は、「彼はドライな人だ」というような表現でわかるように、割り切ったとか冷淡な、といった意味で使っているから何となくそんなイメージで聞いている人も多かったのではないか。
しかし、この歌の元になったエゼキエル書の内容はそうした軽いもの、単に気晴らしに歌うといったような内容とは全く異なって、奥深い意味をたたえている。
…主の手がわたしの上に臨んだ。わたしは主の霊によって連れ出され、ある谷の真ん中に降ろされた。谷の上には非常に多くの骨があり、また見ると、それらは甚だしく枯れていた。…
主はわたしに言われた。「これらの骨に向かって預言し、彼らに言いなさい。枯れた骨よ、主の言葉を聞け。
これらの骨に向かって、主なる神はこう言われる。見よ、わたしはお前たちの中に霊を吹き込む。すると、お前たちは生き返る。
そして、お前たちはわたしが主であることを知るようになる。」
わたしは命じられたように預言した。わたしが預言していると、見よ、音を立てて、骨と骨とが近づいた。
わたしが見ていると、見よ、それらの骨の上に筋と肉が生じ、皮膚がその上をすっかり覆った。しかし、その中に霊はなかった。
主はわたしに言われた。「霊に預言せよ。人の子よ、預言して霊に言いなさい。主なる神はこう言われる。霊よ、四方から吹き来れ。霊よ、これらの殺されたものの上に吹きつけよ。そうすれば彼らは生き返る。」
わたしは命じられたように預言した。すると、霊が彼らの中に入り、彼らは生き返って自分の足で立った。彼らは非常に大きな集団となった。
彼らは言っている。『我々の骨は枯れた。我々の望みはうせ、我々は滅びる』と。…
わたしがお前たちの中に霊を吹き込むと、お前たちは生きる。(エゼキエル書三七章より)
一見この内容は異様なものがある。枯れた骨が生き返る、などということは私たちの日常生活においては考えることもしない。しかし、この内容は、私たちにとっての福音なのである。
預言者エゼキエルが神に導かれて、見たのは谷の上に非常に多くの骨があり、それらは徹底的に枯れていた。these bones were completely dry.(NJB)
それはまさに絶望の大集団であった。そこには何等命もなく、力もなかった。骨があるというだけで、それは死を意味するものであるが、それが「非常に(完全に)、乾いていた(枯れていた)」という強調によってこれらが命を完全に断たれたものであることが示されている。
さらに、これらの骨はさまざまに、バラバラになって散乱していたのである。ここにもこの状況が回復が不可能であることを示している。
そのような状況を見せられてエゼキエルは、神に問われた。「これらの骨は生き返ることができるか」と。
当然その答えは、普通なら「到底できません。不可能です」であろう。しかし、エゼキエルは、「主なる神よ、あなただけが知っておられます」と答えた。
ここには、人間的な判断としては全くの絶望的状況であっても、神はそれをも動かすことのできるお方であるという神への信頼が見られる。
エゼキエルは、自分の民族が祖国で徹底的に打ち破られ、多数の者がはるかに遠いバビロンに捕囚として連れてこられ、今後どうなるか分からないという状況のなかで、数々の啓示を与えられ、ほかの人にはまったく分からない神の本質や神の力、今後生じることなどを示されたのであり、そのような神の大いなる力に触れてきたエゼキエルは、こんな絶望的状況でも、それをどのようにして回復するかは、神のみが知っておられる、という気持ちになったのである。
自分が本来ならば全くわかることもあり得ないことを、特別に神の霊によって引き上げられ、まざまざと見せてもらった者にとって、今自分の目の前にあることがいかに全くの闇であり、混沌であってもだからといってあきらめないであろう。
神から深い霊的な真理を多く示された者であればあるほど、自分が知っていることはきわめてわずかだということを深く知っているからである。
私たちにおいても、どんなに現状が絶望的であっても、そこからの解決の道は神のみがご存じであるゆえに、神の万能に委ねるという希望を与えられている。
こうした神のみがご存じであるというエゼキエルの信頼に応えるかたちで、神はこの枯れた骨に向かって語れと命じた。
聞くこともできない、もはや死んで相当の時間も経っているゆえに乾ききっている骨に対し、またその辺り一帯に散在している骨に向かって語るなどは、本来全く無意味なことである。
しかし、神の言葉は相手がどんなに死んだような者であっても、神の力が働くときには力を発揮する。
「枯れた骨よ、主の言葉を聞け! 私はお前たちの中に霊を吹き込む。」 (三七・4)
命を全く失ってしかもバラバラになって散在する無数の骨の集団に対して、神はあたかも生きた人間に対するようにエゼキエルを通して語りかける。
ここに神の愛がある。人間は、相手が死んだような状態となればもう顧みないことが多い。病気とか死の近い人、あるいは重い障害者となったりすると、もう見舞いにも行かない、また遠くに去って行って会うこともなくなった場合には、そういう人たちはいわば枯れた存在となって、働きかけることもなくなっていく。
しかし、聖書に現れる神は、どんなに私たちが死んだようになり、バラバラの混沌状態であっても、愛を持って語りかけて下さる。
これは、新約聖書に現れる放蕩息子のたとえの父にも表されている。多額の金を持って家を出て行き、働きもせず遊び暮らして堕落していき、ついに食べるものもなくなって豚の餌でも食べるというほどになった。そのような彼の心の状況はまさに、何の潤いもない乾いた骨、ばらばらになった骨のようなもので人間らしさを全く失ったような状況であっただろう。しかし、そのような者をずっと心に留めていたのが父親で象徴されている神であった。神はそのような落ちぶれた息子に自分の罪に気付いて立ち返る心を与えたのである。
彼が悔い改めの心をもって父の元に帰って来たとき、父は遠くからそれを見付けて走り寄って彼を迎え、抱きしめて彼の悔い改めを喜び最大のもてなしをしたという。
乾いた骨、しかもバラバラになった骨の大集団、これは何かあまりにも我々の日常の生活とかけ離れているような異様な光景である。
しかし、実はこれは現在の世界の状況を象徴的に表しているとも言えるのである。
本当のいのち、永遠の命を知らないで、乾いた心を持って真のつながりもなく離ればなれになった人間の大集団、これはまさに現在の状況と言えるのである。
そのような状況は、今に始まったことではない。二千年前にキリストの最大の使徒パウロは次のように書いた。これもまた、乾いた骨、散在している骨が実は人間の集団そのものであると言おうとしているのである。
「正しい者はいない、一人もいない。…皆迷い、だれもかれもが役に立たない者となった。善を行う者はいない。ただの一人もいない。」
(ローマの信徒への手紙三・10~12)
これは旧約聖書の詩編からの引用であり、すでに旧約聖書の霊感を受けた詩人もまたこのように、世界にはその深い心の奥まで見るならばみんな罪深い集団なのだと見抜いていたのであり、パウロはそれに深い共感をもってこの詩を引用したのである。
聖書は不思議な書物である。過去のはるかに遠い昔のこと、しかも我々と全く関係のない古代の国々のことを書いてありながら、それを一度神の光に照らして見るとき、まざまざと現代の私たちのことを言っているのだと分かってくる。その鋭さ、深さは他のいかなる書物にもないもので、過去の出来事を見ながら現在を同時に見つめることになるのである。
このような絶望的状況は、多くの人は知っていてもどうすることもできないからそれに触れようとしない。それから目をそらし、一時的な楽しみで忘れようとする。スポーツやさまざまのイベント、数々の飲食店、娯楽施設等々はそうした目的で用いられていることが多い。
しかし、聖書はこの人間世界の本質をまっすぐに見つめて、現状を見抜き、そこからの道をも同時に指し示している。
エゼキエル書においては、このような絶望的状況を書くだけでは決してなく、そこからの解決の道があることを示すことが目的なのである。
それは、神がまず神の言葉を語りかける、それだけで枯れたバラバラになった骨が動き出すということで示される。ここには、たしかに神の言葉の重大な意味がある。そして、それだけでは終わらない。そこにさらに神の霊が吹き込まれる必要があった。神の霊こそは、そうしてまとまってきた私たちの魂にいのちを与え、新たな歩みを与えるものになるのであった。
バビロンだけでなく、さまざまの周辺の地に散らされ、バラバラになったイスラエルの民族、彼らは彼らの努力とか英知や組織とかでなく、神の言葉によって集められる。たしかに古代のほとんどの民族が消滅していったのに、イスラエル民族だけがアッシリアやエジプト、新バビロニア帝国、マケドニアなどの大国の攻撃を次々と受けてもなおその特性を保って存続してきた。そしてたしかにエゼキエルが預言したように、神の霊を吹き込まれて解体して消滅することなく歴史のなかで生き続けてきたのである。
このように、聖書は単に個人の心のなかの平安の問題を説いているのでなく、一人一人に平安を与える神はまた、国家や民族、世界全体をも否宇宙をもその御手のなかに置いて、その御支配をなさっているのである。
私自身も、人間の意見や思想のようなものに絶えず接してきたがそれによっては混迷が深まるばかりであった。しかし神の言葉、聖書のごくわずかの言葉によってそうした混乱が驚くべき仕方で整理されていくのを目の当たりにした。まさに、そのあたり一面の枯れた骨が神の言葉で動き出し、一つ一つが結びつき一つのからだになっていくということであったのだ。
キリストの十字架、それは自分の心の持ち方を変えるとか、考え方を変えるとか、別の場所に行くとか職業や交際相手を変えるなどでは決して変ることのない人間の罪深い本性を変えるためであった。罪という点から見ると、パウロ自身が、自分を振り返って「ああなんというみじめな人間なのか。死に定められたこの体から誰が私を救ってくれるだろうか!」(ローマの信徒への手紙七・24)と言ったように、エゼキエル書の表現を使うならば、人間は誰もが、実は乾ききった骨のようなものなのである。
そこに、主イエスが神から送られて、その権威と力に満ちた言葉によって飼い主のいないようなさまよっている人々、枯れた骨のような人々を一つに集める大事業をはじめられたのである。
…イエスは、大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有り様を見て深く憐れんだ。(マルコ六・34)
そのような人間にイエスはそれまでの預言者とは異なって、神の言葉を与えるだけでなく、神の力そのものも与えてハンセン病のような最も暗く重い病気とされたような人たちをもいやし、悪霊に取りつかれて人間が崩壊していたような人たちから、悪霊を追いだし、死人をもよみがえらせて死という最大の壁をも打ち壊して神の国への道を拓かれた。
エゼキエル書にあるように、主イエスは、まず神の言葉の権威と力をもって、ばらばらの枯れた人間を集め、力を与え、さらに、イエスの死後は聖なる霊を与えて信じて求めるものに、だれでも永遠のいのちを与えたのである。
このように、荒唐無稽と見えるような、枯れた骨の大集団に神が言葉を語りかけ、さらに神の霊を吹き込んでひとつのからだとして立ち上がらせる、というエゼキエル書の預言は、イスラエル民族の崩壊した状況からの再生を預言するだけでなく、万人の現状とそこからの再生をも預言するものとなっている。
私たちにおいても、どんなに枯れた状況であろうとも、再生不可能のような事態であっても、神はそうしたただ中にその御言を語りかけて下さるお方であることを覚え、自分自身や他人、また世界の状況がどのようであろうとも、神は必ずそれに目をとめ、神の言葉を語りかけて再生へと導こうとされているのを知ることができる。
主と同じ姿に―千の風ではない
最近「千の風」という歌が知られている。死という最も人間の心に強い刻印を押す出来事をどうとらえたらいいのか、死後はどうなったのか、だれも確実なことは言えないその死後のことを、詩的に歌ったものである。
とくに日本人においては、死後の魂は不安定な存在であって、生きている人に害を加える恐れがある。その害を防ぐために、供養をすればその魂は安定した祖先の霊となって子孫の繁栄を見守るのだ、という民族的信仰がある。
また、何らかの事故や戦争など、あるいは家の外で死んだような場合には、その死者の魂は怒ったり、悲しんだりしているであろうと推測し、そこから、そのような霊を慰めるということ、つまり「慰霊」という言葉がよく使われる。
第一次世界大戦の後(一九一七年)、徳島県鳴門市大麻町に千人ほどのドイツ兵の俘虜収容所が作られ、そこでベートーベンの第九交響曲が日本で初めて演奏されたことは知られている。その収容所は三年足らず続いたが、そこで亡くなった一部のドイツ兵士たちの「慰霊碑」がある。(なお、これは、徳島県の文化財に指定されることになった。)
しかし、そこに刻まれた原文は、「慰霊」すなわち死者の魂を慰める碑ということでなく、ZUM GEDENKEN AN DIE SOLDATEN … と記されており、それは、「…兵士たちへの記念のため」という意味であって、死者の魂が恨んだり悲しんでいるから、それを慰める、などといった意味ではない。
それは、彼らを記念し、その存在や働きを覚えて後に残った者への何らかの導きとするためなのである。それは、彼らの苦しみが不当なものであったなら、それを残された人たちが覚えてそのようなことが生じないように努めるための記念であり、また彼らが生きた有り様がよいものであったなら、それを覚えて模範とし、導きとするというための記念なのである。
だれかのことをすぐに忘れるということは愛がないということを表している。深い愛を持っているほど、相手のことをたとえ死んでもずっと覚え続けているからである。わが子が突然の事故で無惨な死に方をしたという場合、その子どもを愛していればいるほど両親はずっと覚え続けるであろう。
しかし、周囲の人、知人たちはまもなくそのことは忘れてしまう。 愛とは心に刻みつけることであるから、遠い異国で死んでいった人たちを愛する人たちがその人たちを覚えるため、またそれを見る人が彼らのことを思いだしてほしいとの愛からそうした記念がなされる。
慰霊ということは、死んだ人たちがみんな哀しんだり、うらんだりしているなどと勝手に想像して決めて、そうした死者の霊を慰める、というのは何等はっきりした根拠のないことであり、死者は十分に地上での生を生きて、それを感謝して地上の生を終えたかもしれないのである。
そして御使いのような清められた存在となっている霊も有りうる。そのような霊なら、地上の人間が慰めたりするなどは全く必要ないのであり、逆にそうした御使いのようになった霊に私たちが励まされ、慰められることも可能なのである。
しかし、日本人は、このように、死者の霊は、生前に受けた苦しみや悲しみのゆえに怒ったり、悲しんだりしているとみなすのが多く、それゆえに、死者の霊ということがもちだされると、「慰霊」ということになる。
このような、どこか重苦しい死後の魂に対する見方は、仏教、神道の双方にある。神道の基本的な規範とされているのが、古事記、日本書紀などである。その古事記のはじめの方に、イザナギとイザナミという神々のことが書いてある。
妻のイザナミが死んだので、夫のイザナギが死者の国である黄泉(よみ)の国に行って、妻の姿を見た。それは、まっ暗な中に見たイザナミのからだには、ウジが全身をはい回っていて、イザナミのからだのあちこちからいろいろな雷神が生れているという異様な光景であった。イザナギはこの有り様を見て、恐怖に凍りついたようになり、恐れおののきながらそこから逃げ出した…
(「古事記・黄泉国」 新潮日本古典集成 三七頁~、福永武彦訳の口語訳―河出書房新社刊、角川文庫の武田祐吉訳など参照)
このように、死者の魂は何か暗いところ、哀しみや恨み、怒りなどを持っているというのが日本人の一般的なイメージとなっている。古事記に記されている、「死者は汚れている」、という考え方は、現代でも葬儀から帰ると塩を使うなどに現れている。
死者の霊というと、幽霊、亡霊といった言葉が連想されるほど、日本人には死者の霊は何か得体の知れない暗いイメージがつきまとっている。
「千の風」という歌が日本においても広く知られるようになったのは、こうした日本人独特の死者への見方があまりに重苦しく暗いものであったことがその背景にある。それは、すでに述べたような古代からの日本人の死者観とは著しい対照となっている。それは明るさと清いイメージに満ちているからである。
その原文の訳を引用する。
………………
私の墓で、立って泣かないでほしい
私はそこにいない。私は眠ってはいない。
私は吹いている千の風なのだ。
私は雪の上にあるダイヤモンドの輝きなのだ。
私は熟したぶどうに注ぐ太陽の光だ。
私は秋のやさしい雨なのだ。
私は、弧を描いて飛翔する静かな小鳥たちだ。
私は、夜に輝く柔らかな星々だ。
私の墓の前で立って泣かないでほしい。
私はそこにいない。死んでいないのだ。
………
この詩の内容とキリスト教信仰との関係はどうなのだろうか。
まず、その前に、この詩は直感的に多くの人たちに、死という暗いイメージから解放するようなものを感じさせるために受け入れられたのであろう。
しかし、次のような疑問が生じる。
まず、死者は死んでいないで風となり、雨となり、また雪や太陽の光となるという。さらに小鳥となったり、星の光にもなっているという。 これは美しくまた清いイメージのものばかりである。
けれども、今吹いた風はだれの生れ代わりの風なのだろうか。罪のない人を殺害などしたひと、あるいは弱い者いじめをした人の生まれ変わりの風なのか、などと考え出したら到底さわやかな気持ちではいられないだろう。
さらに、例えば、死んだら小鳥になる、ということは本当なのか、私たちが目の前に見ている小鳥は誰かが死んだその霊の生まれ変わりなのか、と問われたらどう答えるだろうか。また、小鳥というとイメージはよいが、カラスとかフクロウや、小鳥ではないがコウモリになるなどと考えるとどうだろう。
あるいは、小鳥になるのなら、他の動物にもなるだろう、野良犬や毒蛇、イタチ、ネズミや昆虫等々、などにもなるかも知れない。
実際この「千の風」を、自由に訳した新井満氏は、妻との会話を次のように書いている。
…「ところで死んだあと、あなた、何に生まれ変わるつもりですか。」
「さあてね…」
私もそこまでは考えていなかった。「あの歌のように、光や風になるのもいいが、象やライオンという手もある。いやいっそ屋久杉のような樹木になるかな」
「一生のお願いがあるんだけど」
妻はおもむろに口を開いて言った。「何?」
「ナマコだけはやめて下さい」
妻はナマコが大の苦手なのである。
(「千の風になって」講談社 五六~五七頁)
このように、この有名になった歌を訳し、作曲した人自身がこのように、死んだらあたかも自分で死後何になるかを決められるかのように、冗談のように夫婦で話したことを記している。これは単なる冗談なのか、真剣な話なのか分からない。この本では、夫や妻、子供をなくして悲嘆にくれていた人たちがたくさんこの千の風のCDを聞いて慰められたということも書いてある。
しかし、そのような慰めは、こんな夫婦の会話を読んだら持続できるだろうか。
自分の最愛の息子が事故で死んだ。その息子が、例えば道端に出た蛇やネズミに生まれ変わっているかも知れない、などと考えて慰めを感じる人がいるだろうか。
そもそも人間は自分の今の心さえ自由にならない。それなのに、死後の生まれ変わりを樹木にするとか、風とかナマコなどにできるかのように書いているのはあまりにも軽い、真実味のない内容である。
新井氏は、この詩の作者の考えを整理したとして次のようにまとめている。
「人間は死んだが、実は死んだように見えているだけで、本当の意味では死んでいないのであって、人間以外の他の存在に生まれ変わったのだ。」
(前掲書四八~四九頁)
しかし、人間以外のものとして、風や光、雨、小鳥などに生れ変るというのなら、雨は水であり、それなら土や岩石、石ころ、樹木など何でもになるだろうし、小鳥になるというのなら、他の動物にもなるだろう。
風になるとは、何か。風とは空気中の分子の運動である。酸素分子、窒素分子などが動くこと、それが風となって感じられるのであって、分子のないところでは、風もあり得ない。
新井氏は、「千の風になるとは、大地や地球や宇宙と一体になることだ」といっているが、地球をわずか百キロほど離れた上空では、ほとんど真空状態になり、そこでは風も存在しないのである。月の世界は真空であり、従って風も存在しないのは知られているとおりであり、風になったら宇宙と一体になるなどとは何の関係もないことなのである。
人間が死んだらいろいろに生まれ変わる、というようなことは、古代の輪廻説と似ているがそれでもない。分子の運動や水や土に生まれ変わるなどということは輪廻説では想定しなかったことである。
このように考えるとただちに分かるように、愛する人が死んだが、風や太陽の光、あるいは小鳥になっているといったこの詩は、その考え方の基礎には堅固なものをもっていないのである。
このように、自分の愛する者が大空を吹き渡る風になった、といったことは、この考え方をつきつめることなく、ごく表面的に受けとるかぎりでは、ほっとするものがあるだろう。
しかし、以上のような反論を受ければ、たちまちそのイメージは崩れるような、それはごくもろいものである。
それでは、私たちは死んだらどうなるのか。それについてこのようなあいまいなものでなく、もっと強固な基礎をもった死後のことを説明してくれるものは何なのだろうか。
それは、新約聖書にある。聖書にはたしかにこの世で出会うあらゆる問題の究極的な指針と考えるべき道筋がすでに含まれている。
…復活の時には、めとることも嫁ぐこともなく、天使のようになるのだ。(マタイ福音書二二・30)
天使のようになる、それなら天使とはどんなものなのか、それについては触れていない。天使とは霊的存在で、イエスの誕生のとき、あるいは復活のとき、どこからともなくやってきて、神のメッセージを告げる存在である。霊的な存在であるゆえに、どんなに言葉で説明したところでその本質を尽くすことはできない。かえって本質から離れていくことが多い。それゆえに主イエスはこうしたたとえのような表現で言われたのである。
また、主イエスが伝道を始めるにあたって、悪魔の誘惑を受けたが、それに対して神の言葉によって勝利された。「そこで、悪魔は離れ去った。すると、天使たちが来てイエスに仕えた。」 (マタイ四・11)
と記されている。 このように、時と状況に応じて必要と神がみなされたときにはイエスの側にも来て使える霊的な存在である。
主イエスは、このように死後どうなるかは、ごく短い言葉にとどめている。本来言葉で表現しようとすれば、さきほどの例で分かるように、必ずいろいろと矛盾ができてくるからである。
キリストの霊を豊かに受けていた使徒パウロは、死後どうなるかについて主イエスよりははっきりした表現を用いて言われた。それは次の言葉である。
…私たちは、このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望をもって喜んでいる。(*)(ローマの信徒への手紙五・2)
(*)「喜んでいる」と訳される原語は、カウカオマイ kauchaomai である。これは、日本語の「誇る」(新共同訳の訳語)というのとはニュアンスが異なる。日本語では、「誇る」という言葉は、自慢する、ということであり、例えば、自分の会社が業績をあげたことを誇る、ということは自慢することであり、またスポーツで優勝を○回したことを誇る、というとそれを自慢していることになる。しかし、新約聖書ではそのような「(神のことを無視して、自分の力のように)自慢する」といったような意味はない。自慢は自分中心であり、自分に働きを帰する。しかし、パウロが用いているこの言葉は、強い前向きの喜びを内にたたえたニュアンスがある。
なお、この箇所については、口語訳、新改訳も「喜ぶ」と訳している。
・…神の栄光を望んで大いに喜んでいます。(新改訳)、
・…神の栄光にあずかる希望をもって喜んでいる。(口語訳)
また、そのように訳している英訳を次にあげる。
・we rejoice in the hope of the glory of God.(NIV)
・we rejoice in our hope of sharing the glory of God.(RSV)
・…look forward exultantly to God's glory.(NJB)
さらに、「神の栄光にあずかる希望」については、別の箇所でも次ぎのように現されている。
…わたしたちは皆、顔の覆いを除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます。これは主の霊の働きによることです。
(Ⅱコリント三・18)
ここでパウロが述べているのは、私たちは最終的には神の栄光を受ける、あずかる(共有する)という希望があるということである。神の栄光とは何か、それは神が持っておられるいっさいのよいことを意味するので、私たちは死んだらそれで終りなのでなく、神のあらゆるよいことを神とともに共有させていただけるという大いなる約束なのである。
この地上の生活においても、主の霊、すなわち聖なる霊の働きを受けることによって、私たちは小さくて罪深いものであるにもかかわらず、主と同じ姿に変えられていくという。
私たちが主イエスに結びついているとき、(主イエスの内にある時)私たちははじめて実を結ぶと約束されている。その実は私たちの内なるキリスト、聖なる霊が結ばせるのである。
私たちがどんなに努力しても、内なる罪の本質は変わらない。しかし、聖なる霊が宿り、キリストが内に住んで下さるときには、内なるキリストがそのことをして下さる。
このように、生きているときからすでに変えられていくのであるから、死後の世界において、あるいは、世の終わりにおいては、この霊的な変化が完成するであろうことが期待できる。
それをパウロは次ぎのように述べている。
…キリストは、万物を支配下に置くことさえできる力によって、わたしたちの卑しい体を、御自分の栄光ある体と同じ形に変えてくださるのです。
(ピリピ人への手紙三・21 )
こうした言葉によって、私たちは死後どうなるのかが知らされている。それは、風や星、小鳥、あるいは昆虫やムカデのようなもの、蛇、ネズミ…など何になるのかわからない、というのでなく、神と同質のキリストと同じ栄光を持つ体へと変えて下さるというきである。
これは驚くべきことである。
人間の最後は、病気や老齢で衰え、苦しみのあげくに終わり、それでみんな消えてしまう、といったことが多くの人々の漠然としたイメージであろう。
しかし、そうした目に見える世界の推察や予想と根本的に異なるのが、聖書に記されている真理である。
キリストとは、単なる歴史上の偉人ではない。右の箇所で言われているように、キリストとは万物を支配する力をも持っているお方であり、それは神と本質を同じくするお方なのである。それゆえ、私たちは、最終的には、病気や老年になって体もむしばまれ、あるいは老化したあげくに、朽ち果てるように死に、それで火葬されて骨になる、といったわびしいものでなく、神と同じような栄光ある存在へと変えられるという約束なのである。
このようなことは、ほとんど考えられないほどの約束である。どんな地上の人間に関する約束など、この無限大とも言える約束に比べたら太陽の前の灯火のようなものになる。
そしてもし私たちが神と同質の栄光を与えられるなら、それは当然、その神が創造された風や星、花、山々などの本質的な美しさ、力などはすべて与えられることになる。そうした自然の美しさや力は、神の栄光の一部なのであるからだ。
しかし、だれでもが、例えば悪を犯し続けて悔い改めもしないといった人が、そうした清い自然のようなものになるということは全く保証されていない。
聖書が、キリストの栄光を分かち与えられると約束しているのは、すなわち罪を悔い改めて赦しを与えられた者に対してなのである。
それなら、全く神やキリストを信じなかった者はどうなるのか。そうした者の魂が清い風になるとか星になるかどうかは、聖書的にはまったくわからない。
生前の心のあり方、言動によって神が最善になされることを信じることができる。
信じないだけでなく、意図的な悪意をもって他人を苦しめ続けて悔い改めもかたくなに拒んできた人間が、死んだらすぐに清い星になる、などということは、聖書にも全く記されていないことであるし、どの宗教を問わずたいていの人が考えたこともないだろう。
そのような人間は、生前からすでに深い心の平安は奪われ、清いものに感動する心も失われ、愛を知ることもない状況になり、それこそが裁きである。
しかし、どのような人がキリストの栄光を分かち与えられるのか、だれが最終的に裁かれてしまうのか、それは万物を支配され、生前のすべてを見ておられる神ご自身がその計り知れない愛と御計画に従ってなされるのであって、すべては最善になされると信じることができる。
私たちはたしかに、死んだら墓にいるのではない。ときどき、墓や納骨堂に○○といっしょに入るのはいやだ、といった話しを聞くことがある。
しかし、人間は死んだらいかなる墓にも、また納骨堂などにも行くのではなく、神のもとに行くのである。
長い間、神や真理を信じなかったが、重い病床で息を引き取る前に、神に心を向けて憐れみを願い、悔い改める人もいるであろう。そのような個々の人が死の近づいたときどのような心境になったのかはだれも分からない。ただ神のみがそうしたすべてを御存じである。
私たちが罪を知り、神に立ち帰り、赦しを求める心があるだけで、あの十字架上で最期を迎えた重い犯罪人のように、「あなたは、今日、私とともに楽園にいる」という約束を受けるであろうことが期待できるのである。
さらに、極度の苦しみや貧しさにある人たちも、その苦しみのゆえに神が手を差しのべて下さるであろう。金持ちの家の前で犬になめられ、食物の残飯を食べていたような人が、死んでアブラハムのもとに引き上げられた、と記されている。
また、使徒パウロは、次のように述べている。
…この世を去って、キリストとともにいたいと熱望しており、この方がはるかに望ましい。だが、他方では肉体にとどまる方があなた方のためにもっと必要である。(ピリピ書一・23~24)
この言葉は、死を迎えた後は、キリストと共にいるのだということを示すものである。
キリストの栄光、神の栄光という限りなきよいもの、永遠的なものを与えられ、キリストや神と共にいる、天使のような霊的な存在になる。
それゆえ、神を信じて死んだものは、風のように自由なもの、星のような清い存在になるであろうということは言えても、風や小鳥あるいは雪そのものになるのではない。小鳥になるといっても、すぐにより大きな鳥に襲われて死んでしまうものでしかないし、風になるといっても、家々をなぎ倒すような強力な台風になったなどと思って安らぐはずはない。
そのような有限なもの、もろいものになるのでは決してない。
そうでなく、いかなる天地の異変にも決して変質することのないキリストの栄光を与えられるのであり、それは無限なる神の栄光そのものであるゆえに、あらゆる力や美しさ、そして清らかさをもたたえたものなのである。
見よ、この人を!
旧約聖書が含んでいる時代は、数千年に及ぶため、旧約聖書にはいろいろな人物が現れる。
しかし、キリストよりも五百数十年昔に書かれたとされるイザヤ書の五十二章の終りに近い部分から五十三章では、それまでだれも聞いたことのない人について記されている。
それは、まずその人物が、高く上げられるということから始まっているがその表現は特別である。(*)
… 見よ、私のしもべは栄える。彼は高められ、上げられ、非常に高くなる。
(イザヤ書五二・13 新改訳)
Behold, he will be raised and lifted up and highly exalted.
(*)ここには、英語訳で 「上げる、高くする」という意味の三種の言葉、raise, lift, exalt が訳語として用いられていることに反映されているが、ヘブル語原文でもルーム、ナーサー、ガーバ という三つの動詞が使われていて、それらは、「高くする」、「引き上げる」といった意味の言葉である。
このように、三つの異なる言葉を重ねて、高くされることが強調され、さらに最後には、「非常に」という意味のヘブル語が用いられて、全体を強調している。それゆえ、これは他には例を見ないほどの強調した文章なのである。
この預言者は、これ以上は高いものはない、ということを最大限に強調するためにこのような特別な表現を用いたと考えられる。
これから書き記される人とは、ほかに例を見ない人物であった。それゆえ、まずこの特別な人物を記すにあたって、著者は、「見よ!」という間投詞からはじめる。
私たちが全身全霊をあげて注目すべきは誰なのか、それはいかなる歴史上の重要な人物にもまさって、比類なき重要性を持ったお方なのであると、言おうとしているのである。
なぜ、「見よ!」と、特別に注意を呼び覚ます強い表現が用いられているのか、それはこの書を書いたイザヤが、神からのかつてない特別な深みをもった内容の啓示を受けたからであろう。だれでも、自分が圧倒されるようなこと、驚くべきことを体験すればそれを黙ってはいられない。見よ、これを!
と語らざるを得なくなるし、指し示さなくてはいられなくなるからである。
預言者イザヤが、特別に力をこめて指し示した人とはどのような本質を持っていたのであろうか。その重要な部分を抜き書きする。
…彼の姿は損なわれ、人とは見えず、もはや人の子の面影はない。
それほどに、彼は多くの民を驚かせる。彼を見て、王たちも口を閉ざす。だれも物語らなかったことを見、
一度も聞かされなかったことを悟ったからだ。
この人は主の前に育った。見るべき面影はなく、輝かしい風格も、好ましい容姿もない。
彼は軽蔑され、人々に見捨てられ、多くの痛みを負い(悲しみの人で)(*)、病を知っている。
わたしたちは彼を軽蔑し、無視していた。
彼が担ったのはわたしたちの病、彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに
わたしたちは思っていた。神の手にかかり、打たれたから、彼は苦しんでいるのだ、と。
彼の受けた懲らしめによって、わたしたちに平和が与えられ、彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。
わたしたちの罪をすべて、主は彼に負わせられた。
捕らえられ、裁きを受けて、彼は命を取られた。
わたしの僕は、多くの人が正しい者とされるために、
彼らの罪を自ら負った。
多くの人の過ちを担い
背いた者のために執り成しをしたのは、この人であった。
(イザヤ書五二章~五三章より)
(*)「多くの痛みを負い」と訳されているヘブル語原文は、イシュ マコーブであり、イシュは「人」、マコーブは、「悲しみ、痛み、苦しみ」という意味を持っているので、この個所は、「悲しみの人」、「痛み(苦しみ)の人」という意味になる。
日本語訳では、以前からの口語訳、新改訳は、「悲しみの人」と訳している。 英語訳でも、代表的な英訳として知られる、New International Version や New Jerusalem Version 、古くからの King James Version などでは、a man of sorrows(悲しみの人) と訳されているし、フランスの新しい訳(TOB)でも、やはり homme de douleur(悲しみの人) と訳されている。 原語が、悲しみ、苦しみ、痛みといった意味を兼ねて持っているから、この有名な個所でも、ここで預言されている人はこうした深い悲しみや苦しみを担った人なのだということが浮かび上がってくる。
このように、全く見栄えがせず、外見も見下されるようなものとなったという。それでもここで預言されている人は、主の前に育ったと記されている。ここで言われている人は、だれもこのような人がいるとは思いもよらず、聞いたこともない全く考えられない生き方をしたのであった。それは、外見的にも全くすぐれたようには見えず、人々から見捨てられ、軽蔑されていた。しかし、その人は、私たちの罪のすべてを担うという、かつてなかった人なのであった。創世記からはじまって、アブラハム、ヤコブ、ヨセフ、その後のモーセ、ダビデ、などいろいろな信仰に生きた勇気ある人物が多く聖書には記されている。そしてアモス、ホセア、イザヤ、エレミヤといった深い信仰の預言者も現れる。
そのうち、モーセは民の背信のために苦しみ、自らもエジプトにおける苦難から救い出した民によって殺されようとするほどに苦しみ、人々に対して深い悲しみを持った人であった。
モーセよりずっと後の時代にエレミヤが現れた。当時の人々が真理の源である神を捨て、偶像崇拝に押し流され、不正なこと、汚れたことに身を任せることになったために、国は滅び、彼らの信仰の中心となっていた神殿は破壊され、多くの人たちは殺され、多数の人たちが、捕らわれて遠いバビロンへと捕囚になった。
こうした激しい動きのただなかで、エレミヤは深い悲しみを持って人々に神からの警告の言葉、神の約束の言葉を語り続けた。そこには、いかに人々が間違った方向に進んでいこうとも、なお人々を決して見捨てないで心を注ぎ続けた一人の神の心を持った姿があった。
しかし、それでもなお、イザヤ書五十二章の終りの部分~五十三章にかけて記されている人は、そうした数々の旧約聖書に現れる偉大な信仰者、預言者とは大きく異なっていた。
それは、見た目にも何のよいところはなく、見下され、軽蔑される、といったことが一つである。すでに述べたような旧約聖書の重要人物たちは、「見るべき面影はなく、輝かしい風格も、好ましい容姿もない」というように描写された人たちはだれもいない。王として最も有名なダビデは「彼は血色が良く、目は美しく、姿も立派であった。」(サムエル記上一六・12)というように記されていて、ダビデにおいてはとくにその外見もすぐれていたことが記されている。
しかし、このダビデに対する記述は例外的であり、ほかの旧約聖書で信仰の偉大な人物にはこうした外見の記述はみられない。そのようなことでなく、例えば、唯一の神を信じる信仰の源流となったアブラハムについては、神は、「私はあなたを祝福し、あなたを高める。祝福の源になるように。」(創世記十二・2)と言われた。イスラエルの十二部族の元になったヤコブについても、「主はヤコブについて言われた。私はあなたと共にいる。」(同三一・3)と記されている。 ヤコブの子供たちが、一つの民族となったのはエジプトに売られていったヨセフによって、彼らが食糧難をも救われエジプトに寄留するようになったからである。そのヨセフについては、繰り返し創世記において、「主が共におられた」と強調されている。(特に三九章においては、その短い内容に四回もこのことが書かれている。)
また、預言者エレミヤにおいても、その冒頭の章において、神から呼びだされたエレミヤは、自分は若者であり、神の言葉など語れないと恐れて言ったが、神は、「彼らを恐れるな。私があなたと共にいて、必ず救い出す」(エレミヤ書一・9、19)と強いメッセージをおくっている。
また、将来現れるとされたメシアについて、イザヤ書のはじめの章では次のように言われている。
…その上に主の霊がとどまる。
知恵と識別の霊
思慮と勇気の霊
主を知り、畏れ敬う霊。
弱い人のために正当な裁きを行い
この地の貧しい人を公平に弁護する。
正義をその腰の帯とし
真実をその身に帯びる。(イザヤ書十一・2~5より)
ここでは、メシアとは神の霊が注がれる人だということ、そして弱きを守る正義のお方であるということが特に取り上げられている。
福音書では、主イエスの子供のころは、「英知に満ちており、神の恵みがその上にあった」(ルカ福音書二・40)あるいは、 それとともに「神と人とに愛された」(同52節)と記されている。こうして幼い頃のイエスの特質が表されている。そしてさらに伝道のときには、聖霊が注がれたことが強調されている。
これは、イザヤ書十一章の預言がそのまま成就しているお方であることを意味している。
このように、神がとくに選んだ人というのは、神が特別に祝福を与えること、神はいつもその者と共にいること、それはまた神の霊が注がれていることなどで特徴付けられる。
しかし、イザヤ書五二章の最後の部分から五三章にかけての個所では、そうした内容と全く異なることがメシアの特質として言われているのがわかる。それゆえにこそ、この個所のはじめの部分で、「多くの民は驚かされる」「口を閉ざす」「だれも語ったことのないことを見、一度も聞かされなかったことを悟る」「私たちの聞いたことをだれが信じられようか」
などと、繰り返しその意外性を強調しているのである。
神の霊が与えられ、神の祝福が与えられる、神が共におられる、といったことは、旧約聖書の最初からすでに述べたようにさまざまの神に選ばれた人たちに対して言われてきたことであり、それだけならば、決して「だれも聞いたことがない、信じがたいこと」とは言えない。
このイザヤ書の個所で言われている全く予想もしていないこと、聞いたこともないことというのは、さげすまれ、見捨てられ、外見的にも見栄えせず、風格もなく、好ましい容姿もない。
しかも、黙って死んでいったというところにある。
無視されるというのは深く人を傷つける。それゆえ、誰かを憎しみを持って見下そうとするときには、その人を無視するというかたちを取る。
子供たちの間でもこのようなかたちの無視によって学校へ行けなくなり、自ら命を断つものすら現れてくる。
ここで言われている主のしもべは、まさにこのような無視され捨てられたかたちであった。
…苦役を課せられて、かがみ込み
彼は口を開かなかった。屠り場に引かれる小羊のように
毛を切る者の前に物を言わない羊のように
彼は口を開かなかった。
(イザヤ五三・7)
このように、沈黙のうちに人から目立つことなく、見捨てられたままで死んでいった。しかし、みんなが無視してしかも神からさばきを受けて死んでいったと思われた者が、実はかつてない神のわざを担ったのであった。
彼の死は、私たちが正しい者とされるために、私たちの罪を担い、悲しみ(苦しみ)を負い、病気を身代わりに負うという深い意味を持っていた。
アブラハムは、滅びようとする罪深い町々の人々のために、必死で神にとりなしをした人物として知られている。ヨセフも兄弟たちの悪意をそのまま一身に受けてそこから神によって導かれていった。モーセも民の憎悪や不信実をみずからの上に絶えず降りかかってきたのを受け続けて歩んだ。ダビデも彼が仕えたサウル王の敵意に対して武力で報いようとせず、ただ祈りをもって逃げるということに徹した。
このように、すぐれた信仰者たちは、それぞれに悪意ある人間たちからの攻撃や憎しみを甘んじて受けたり、とりなしの祈りをしてきた。
そうした偉大な信仰に生きた人とどこが異なっているのか、それはこのイザヤ書五三章で書かれている人物は、人々の前で神の言葉を公然と語り、神の霊がゆたかに注がれ、偶像崇拝を厳しく指摘し、神の道に立ち返ることを人々の前で公然と述べる、ということが全く記されていないことである。
他のメシアの預言で記されていることがあえてここでは省かれて次のただ一点に集中して光が当てられている。
すなわち、見捨てられ、神から罰を受けたと誤解され、人々の罪を担い、しかも黙って死んでいったということである。ここにはあらゆる名声や人からの評価、社会的な地位、人間のひそかな自負心、自分の地位や家柄学歴、能力や業績を誇るといったこと、また自分の持っている支配力を及ぼしたいなどといった人間的なるものが全くないということである。
どこから見ても神のしもべとか預言者、王、指導者などとは見えない。にもかかわらず、最も困難なこと、多くの人たちの罪をになって死んでいくという、大いなるわざをなすべく神から特に呼びだされたのであった。
このような人間のすがたはたしかに旧約聖書全体においてもどこにもみられない。何もよいことはしていない、と思われ、見下されて死んでいった人が、多くの人間の罪を担い、それによって人々が救いに入れられるなどということは考えたこともないことであった。いまだかつて見たことも聞いたこともない、そのことがこの「主のしもべ」と言われる人によって実現されたというのである。
当時、このような生き方に何らかの点で暗示を与える具体的な人物がいたと言われることがあるが、それは聖書には明確なかたちでは記されてはいない。 このイザヤ書の記述は、数百年を越えて実現する出来事を神から直接に啓示されたことが記されているのである。
それはこのときから数百年を経て、キリストによって初めて完全な意味で実現されていったのである。 このような沈黙のなかで、人々の罪を負って死んでいったというのは、主イエスにおいて実現された。
イエスは、単によい教えを述べたというにとどまらない。新しい考え方、思想を生み出したということだけでもない。まためざましい驚くべき行動、奇跡をしたというだけでもない。イエスはそれらすべてを比類のないかたちで現していった。
しかし、ほかのどのような歴史上の偉人や思想家とも異なっていたのが、人間の罪を身代わりに負って死んだということであった。どんな奇跡をしても、また思想家であっても、科学技術の天才であっても、自分や他人の罪そのものをどうすることもできない。ことに無数の人間の罪を沈黙のうちに負って死んでいった、というようなことはたしかにどこにも聞いたことがない。
イザヤ書の五二章の終りのところから、五三章にかけての内容は、そのような人間の姿をまざまざと神から啓示されたということなのである。これと同じ人物は、実際の人間としてはあり得ないと言えよう。せいぜい、周囲の悪意ある人たちや同じ民族に属する人たちの罪のある部分を負って死んでいったという人はいるかも知れないが、人間すべての罪を担うなどということは、神以外にはあり得ないことはいうまでもない。
たしかに、この書が書かれてから五〇〇年ほども後になって現れたイエスのみがその啓示を完全なかたちで実現したのであった。
それゆえに、イザヤ書のこの記事の冒頭のところで、「見よ、わたしのしもべは栄える」と言われているが、それはあたかもイエス・キリストを霊の目でまざまざと見て言っているかのようにはっきりとした表現である。
旧約聖書の全世界がこぞって、「この人物をこそ、見よ!」と呼びかけている。
この強い呼びかけを聞き取って、やはり同様な呼びかけをしたのが、新約聖書に現れるバプテスマのヨハネである。
…ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。
…そしてヨハネは証しした。「わたしは、(神の)霊が鳩のように天から降って、この方の上にとどまるのを見た。 わたしはこの方を知らなかった。しかし、水で洗礼を授けるためにわたしをお遣わしになった方が、『(神の)霊が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人こそ、聖霊によって洗礼を授ける人である』とわたしに言われた。
わたしはそれを見た。だから、この方こそ神の子であると証ししたのである。」
その翌日、また、ヨハネは二人の弟子と一緒にいた。
そして、歩いておられるイエスを見つめて、「見よ、神の小羊だ」と言った。
二人の弟子はそれを聞いて、イエスに従った。(ヨハネによる福音書一・29~37より)
洗礼のヨハネは、このように、ヨハネによる福音書のはじめの部分において、二度も「見よ、神の小羊たるこの人を!」といって、人類が真に注目すべきお方は、主イエスであることを福音書の最初の部分で強調しているのである。
そして、二度までもこのように「見よ!」と繰り返し指し示しているのは、新約聖書ではここだけなのである。
このように、これらの箇所において共通した強調点がある。それは、「神の小羊」ということである。
小羊とは、死んで捧げられるものであるということは、聖書を読む人々にとってはよく知られたことであった。
…イスラエルの共同体の会衆が皆で夕暮れにそれを屠り、
その血を取って、小羊を食べる家の入り口の二本の柱と鴨居に塗る。…
その夜、わたしはエジプトの国を巡り、人であれ、家畜であれ、エジプトの国のすべての初子を撃つ。…
あなたたちのいる家に塗った血は、あなたたちのしるしとなる。血を見たならば、わたしはあなたたちを過ぎ越す。わたしがエジプトの国を撃つとき、滅ぼす者の災いはあなたたちに及ばない。(出エジプト十二・6~13より)
このようにして、小羊の血によって滅びから救われるということが、キリストより千数百年も昔のエジプトからの脱出の際の記述に現れる。
洗礼のヨハネが、「見よ、神の小羊を!」 と繰り返し強調したのは、こうした旧約聖書からの見方が反映されている。神の小羊とは、血を流すことによって私たちが滅びることから救うのだというキリストの福音の本質がはやくもこのヨハネによる福音書の最初の部分で示されているのである。
そしてまた、その主イエスの広大無辺な働きがこの一言で凝縮されているといえよう。
この世には、実にさまざまのものがあふれている。そして私たちに絶えず働きかけて、これを見よ、あれを見よ、といって関心を惹こうとする。
新聞、雑誌、ラジオ、テレビ、ビデオ、インターネット等々、科学技術の発達によって情報というものの量は飛躍的に増大していった。そしてそれらは人間に向かって絶えず、これを見よ、とばかりに目新しいものを常に提供していく。事件やスポーツ、催し物、政治の状況など、次々と現れるそうしたものは、私たちの関心を引き寄せるが、また次々と消え去っていく。深い魂の目で見つめるべきものはそうしたマスコミからはなかなか与えられない。かえってそれらは失われていく。
このような中にあって、いつどのような状況になろうとも、またどんな境遇の人、健康であろうと病弱であろうと、また平和のとき、戦争や災害のような大きな混乱のときであっても、なお、聖書で言われている「見よ、この人(キリスト)を!」という強い呼びかけはいつも生きている。
キリストこそは、いつどんなときでも、真実で愛に満ち、しかも万能で永遠であり、今も生きて働いておられるからである。
核廃絶から戦争廃絶へ
夏が終わると戦争の問題もマスコミからは姿を消していく。しかし、戦争の廃止を真正面から書いてある憲法九条を変えようとする勢力が今の自民党を支配しているゆえに、今後もずっと戦争と平和のことは大きな関心事となり続けるであろう。
日本においては、とくに六月から八月にかけて、戦争の悲惨さを思い起こすが、それ以前の三月には、一九四五年三月一〇日の東京大空襲のことが語られる。深夜にB29と言われる爆撃機三〇〇数十機が来襲し、およそ八万~一〇万人近いと言われる多くの人たちが焼け死んだ。これは、無差別攻撃であって戦闘員、非戦闘員を問わず、また病人、子供、老人など関係なく大量に殺害し、日本の国民や軍部、指導者たちの戦争を続ける意志を粉砕するためであった。
とりわけ、沖縄での地上戦にて二〇万人近い人々が死んだということ、またそれに続いて広島や長崎に原爆が投下され、広島では十四万人、長崎で、七万四千人…その他、大阪、横浜、神戸といった大都市も軒並み空襲を受けて、ただ一日の空襲で、三千人から四千人といった人たちの命が失われていった。交通事故などでもわかるように、傷を負った人たちは、死者よりはるかに多い。死者がこれほど多いということは、手足の骨がおれたり、目や内臓が傷ついたといった人たちは数知れない。そして家族が失われて生活もままならず、病気もなおせないといった人たちは無数に生じていっただろう。
しかも、これは、日本のことであるが、日本が中国を中心としてアジア諸国に行なった戦争によって、十五年ほどで二千万といった人たちが殺されたと言われる。日本人の死者は、三百万人ほどであったことと比べるなら、はるかに多くの人たちが日本の攻撃によって殺されたことになる。
このように、戦争はおびただしい犠牲者を生み出していく。
現政権の最重要課題とは、拉致問題である、ということが繰り返し言われてきた。しかし、戦争とは無数の人たちを拉致よりはるかに重い罪である殺害することであり、しかも一〇人、二〇人といった人たちでなく、何万、何十万といった人たちが一日の爆撃で殺害されるような恐ろしい悪である。
それゆえ、本来は、平和憲法を持つ日本として世界に旗印を掲げるべき最重要課題は、平和憲法を維持していくことなのである。
以前に防衛大臣が、「原爆投下はしょうがなかった」と言って辞任せざるをえなくなったことがある。 いかなる状況のもとでも、あのような無差別的な爆弾は許されないのであって、しょうがなかった、という発想では、状況によっては核兵器を使うことはしょうがない、ということになり、それでは、戦争状態にある国が核兵器を使うことを認めることと同じである。
これだけ危機的な状況だから、核兵器を使うこともやむを得ない、ということなら、戦争を始めた国はなんとしても勝ちたいのであって、ことに負けそうになってくると正常な発想ができなくなり、核兵器でも何でも使いたくなる。
かつて日本の軍部が大々的に負けているのになお、大いなる勝利をあげているなどと、嘘を公然と発表していたような虚偽をも平気で言うようになる。
それゆえ、核兵器はどんな状況でも使ってはならない、というのは当然のことである。
しかし、そこで終わってしまうことが多い。毎年の八月の初旬になると、核兵器廃絶ということは繰り返し言われるし、平和宣言とか学校の児童生徒たちにもそのような平和を願う文を朗読させたりする。
しかし、核兵器は戦争のときに使われるのであって、本当に核兵器廃絶という願いがあり、平和を求めるのなら、戦争廃絶と言わねばならないはずである。
そして日本の憲法第九条は、まさにそのために作られている。それゆえ、核兵器廃絶という主張はそのまま、戦争廃絶となり、それは、いかなる戦争にも加わらないとする平和憲法につながるのである。
核兵器廃絶、平和を望むといいながら、憲法を変えて軍隊を正式に持って、他国がアメリカ艦船への攻撃をするなら、それを迎え撃って攻撃するなどといった、集団的自衛権を行使できるように変えるということが公然と主張されるようになっている。
しかし、このように、自分の国が攻撃されていないのに、同盟国への攻撃を自国への攻撃とみなして、戦争に加わっていくなら、相手国はすぐに日本にも攻撃を始めるであろうことは容易に考えられる。
こうした方向は日本の戦後の特に重要な国家的方向を根本から変えてしまうことになる。それがどれほど大きい変化になるかは、現在の戦後生れの者は実際に感じられないという人が大多数を占めているから、安易に憲法を変えようとする方向に流されている。
先の防衛大臣の「原爆はしょうがなかった」という発言だけが悪かったように言われている。それはなぜか、「戦争はしょうがなかった」で済ませることができると考えているからである。原爆はしょうがなかったという発言が間違っているというのは大多数の人が一致する。しかし、原爆で殺害された数十万より比較にならない数千万という人たちを日本人は中国を主としてアジアの国々に対して殺害してきたのである。原爆が一度に大量に殺戮するからいけないというが、それなら十五年にわたって徐々に殺害することは認められるのか、ということになる。
そんなことはあり得ない。そもそも何の関係もない人たちの命を奪ったり、傷つけたりすること自体が間違っているのである。そうした最大の悪事が戦争であるからこそ、そして戦争はしょうがなかった、で済まされないからこそ、太平洋戦争のあとで、平和憲法が作られたのである。
だから、単に核兵器廃絶にとどまっていてはいけないのであって、そうした核兵器を使う状況である戦争そのものを廃絶すべきなのである。
詩の中から
星
伊丹 悦子
ひとつの星を
胸にいだいて生きる
だれに言われたことでもないけれど
しずかに
しずかに
しずかに
だれの心にも
澄んだ かすかなあの声が
聞こえるように
ひとつの星を
胸にいだいて眠る
くらい夜に輝きわたるように
真に美しいもキリストよ
だれのこころの内側にも
宿ってください
夕焼け
貝出 久美子
誰一人として見ていなくても
神様は
見事な夕焼けを天に広げ、
見上げるだれかを待っておられる
(二人とも徳島聖書キリスト集会員)
ことば
(271)真の謙遜
謙遜は、人間の心のあらゆる性質のなかで、おそらく一番生まれつきの自然の性質から遠いものであろう。人間は生来つねに、あまりに高慢であるか、あまりに憶病で小心であるかである。
真の謙遜は、自分のものでない力が与えられているという驚きに満ちた気持ちである。(*)…そして、この力が神の恵みによるものだという意識をともなっている。したがって、これだけが無害な力の実感である。しかし、このような謙遜はただきびしい苦難の時期を堪えて初めて人の心に生じるものである。
こういう謙虚をそなえたときはじめて、人間は神から完き幸福を与えられる状態になっているのである。(ヒルティ著「眠られぬ夜のために 上」 九月六日より )
(*)Echte Demut ist ein wundervolles Gefuhl Fremder Kraft.
・謙遜というのは、ふつうは物腰が低い、権威的な態度を取らないといったように思われている。しかし、そのような表面的なことでなく、真の謙遜は、神からの力を一方的な恵みとして受けているという驚くべき、あるいは不思議な実感からくる。たしかに神の前に自分がいかに取るに足らない存在であるかを深く実感しているなら、そしてそのような自分に対してすら恵みの力が与えられていることを感じているなら、高ぶった気持ちは自ずから消えていく。こうした人間を超えた無限の存在を知らずして真の謙遜はあり得ないので、神を信じているといいつつ、高ぶりを持っているとき、神からの恵みや力を受けているといってもわずかしか受けていないということになる。
主イエスの言葉に、「多く赦された者は、多く愛する」とある。神からの多くを受けたものは、より深い謙遜へと導かれる。
休憩室
○鋼鉄とすみれ
先月号で紹介した、「真白き富士の根」という歌の作詞者であった、三角錫子は、常磐松女学校の創設者でしたが、彼女がその学校のことを、小さな風呂敷にたとえ、「なにとぞ小さくともその中にしっかりとした鋼鉄に、一輪のすみれの花を添えて包んでいってほしい」とその自伝に書いているということです。
(「唱歌・童謡ものがたり」岩波書店刊 九九年 二七五頁 )
この三角の言葉は、現在も彼女が創設した学校のホームページのはじめに 「鋼鉄に一輪のすみれの花を添えて」と、スミレのイラスト入りで書かれています。三角は若くして両親を失い、四人の弟を育てる義務を負ったことからはじまって若い時からの苦労に満ちた人生は、鋼鉄のような意志を持ちつつ、そこにスミレのようなうるわしさを持って生きようとしたからだと考えられます。
聖書の世界はこの鋼鉄のような強靱さと野の花のような優しさを兼ね備えていると思われます。
神は詩編でしばしば岩にたとえられていますが、それは、神の真実や、正義、愛もいかなる状況によっても揺らぐことのない強固な本性を表しています。
そしてそのような神に結びつくとき人間もまたそうした強さを何らかの形で与えられるわけです。それが聖書にあらわれる人物です。
そして同時に、聖書は罪深く心身共に弱い私たちを包んで下さる愛といううるわしさを深くたたえています。
○明けの明星
最近、夜明けの東の空に明けの明星(金星)がそのすばらしい輝きを見せています。 午前四時すぎには、東から上ってきます。長い間、木星が夕方には南に見えていましたが、現在でも南西の空に低くなって見えています。恒星は分かりにくいのですが、木星や金星は、その強い輝きのためにはっきりと見えますが、学校でも金星が見えるとか木星が見えるといった紹介は私の学校時代(他の人もたいてい同様のようです)には全くなかったので、どれが木星や土星なのか分からなかったのです。
現在でも、先頃のような皆既月食などは新聞でも報道されますが、金星、火星、木星、土星など肉眼でよく見える惑星については特別なことがないかぎり知らされないので多くの人たちはこうした地球の仲間の星も見ていないのです。
恒星の科学的な正体は判明しています。それは太陽と同様なもので、水素の原子核がヘリウム原子核に変化して莫大なエネルギーを放出しているものです。
しかし、こうした物理的な正体が分かっているということと、霊的な意味とは全く別ものです。 神はそうした星の輝きに霊的な意味を与えているのです。
このことは、例えば人間の化学的組成がタンパク質や脂質、炭水化物、ミネラル、水分等々がいくら含まれているなどと解明したところで、その人間が持っている霊的本性は全くわからないのと同様です。
それは一人一人が神から与えられるものです。星を見て何を与えられるか、それは各人の神に向かう心により、さらに神からの啓示によるのです。
編集だより
○ 八月二十五日(土)~二六日(日)には、静岡から西澤 正文ご夫妻と水渕 美恵子さん、そして今回初めて長野県から、松下 道子さんが同行されて、土曜日の午後の手話と讃美、植物とみ言葉の集会に参加され、そのあと、大学病院に長期入院中の勝浦
良明さんを訪ねて主にある交わりを与えられました。
翌日の主日礼拝には、「神の憐れみによって」と題してローマの信徒への手紙十二・1~8から語られました。こうした特別集会にはふだん集会にほとんど参加していない方、また時折参加する方々も集められ、神の言葉を中心として集められてみ言葉が参加者の心に留まり、聖なる風を受けるときとなって感謝でした。千葉県から実家に帰省していた高崎
祥子さんのご夫君も初めて礼拝に参加できたのも主の導きと感謝、参加者は五〇名ほどでした。
○来信より
・…貝出姉の詩集はこの前のも大変感動しましたが、今回もそれぞれ主のご栄光を放ち居り心打たれます。
「いのちの水」誌七~八月号の「働くことの意味について」この解説を読み、主の御愛に涙流れました。私も次々と試練を通らされましたが、この晩年になって微力ながらも神のぶどう園の働き人とさせていただけました。感謝にあふれます。(次の方とともに中部地方の方)
・…「いのちの水」五五八号の中の、夕暮れまでなにもしないで立っていた者に対する神様のみこころに、涙がポロポロこぼれました。残された天に帰るまでの時間を一日一日大切に、従っていきたいと思います。
・詩集(「ここに光が」)のなかの「閉鎖病棟」、「心の病」に心打たれました。病中の患者のなかにいらっしゃるイエス様を看病する難しさを推察いたします。…
(関東地方の方)
お知らせ
○「祈の友」四国グループ集会
九月二四日(月)(休日)午前十一時~午後四時ころまで、祈の友・四国グループ集会が徳島聖書キリスト集会で行なわれます。会員の方々は、病気など特別な理由のないかぎり参加されると思われますが、会員以外方も参加は自由です。
昼食を共にとりますから、参加者は昼食代金として五〇〇円が必要です。なお、開会の礼拝聖書講話は、松山市の冨永 尚兄と、吉村 孝雄が、それぞれ二〇分程度担当予定です。
その後、昼食、懇談、近況報告、午後三時の祈りなどを行います。
「祈の友」の四国グループ集会に参加できるのは、ある程度元気な人たちで、病院や施設、あるいは自宅で病気療養の方々は参加できませんが、集まった人たちがその参加できない人たちのことをも思い起こし、ともに祈りを合わせることも今回のようてグループ集会の目的の一つです。
また、言葉の説明だけでは分かりませんが、実際に「祈の友」の集会に参加して、「祈の友」に加わって共に祈りを合わそうとする人たちが新たに与えられることも願っています。
○九月二九日(土)郷土文化会館 小ホールにて、「筆子―天使のピアノ―」の再度上映されます。時間は一〇時三〇分~、一四時~、一八時~の三回。チケットは、いのちのさと作業所の石川
正晴兄まで。TEL 088-642-0300
○九月三〇日(日)第五日曜日ですが、午後読書会をします。神曲・煉獄編第五歌です。いつもは第三日曜日の午後ですが、今月はその前日から静岡に出向いているためです。
○集会員の伊丹 悦子さんの「星」と題する詩(今月号22頁)を書いた絵はがきを希望の方には、一部一〇円でお送りすることができます。代金は切手などでお送りください。一〇枚単位で申込下さい。(送料当方負担)
○十月七日(日)~八日(月)は東京の青山学院大学の礼拝堂にて、全国集会が開催されます。今回は、「信仰と意見」というプログラムで徳島聖書キリスト集会の中川
春美さん、讃美に全盲の綱野 悦子さん、また東京の一部の手話サークルの方々や聴覚障害者と共に、徳島市で開催された全国集会(一九九一年)以外では初めて手話讃美もなされることになっています。
そうした証しや讃美を通して主の働きが証しされますようにと願っています。全国集会の問い合わせ先は次のところです。
小舘 美彦 川崎市多摩区枡形 6-6-1 登戸学寮 TEL 044-922-7072
○十月二十一日(日)の午後一時から、徳島市川内町の杣友宅にて、故杣友豊市さんの十周年の記念会を、杣友めぐみさんの三年記念会と合わせてなされることになりました。