あなたが私の右の手をとって下さるので、 |
2008年10月 第572号・内容・もくじ
パンを水の上に
それ自体よいことは、それを受け取る人がいようがいまいが、人から認められようが無視されようが、なし続ける。
パンを水の上に投げよ、という言葉がある。時至れば、よき収穫が与えられると約束されている。
…あなたのパンを水の上に投げよ、多くの日の後、あなたはそれを得るからである。(伝道の書十一・1)
何年続けても何も変化がない、あれだけの努力、時間、また費用も注いだのに、どうして神は応えて下さらないのか、と嘆く気持になることがある。
しかし、もう止めようとして止めかかったときに、神は思いがけずそのよき結果をそれが小さきものであっても、はっきりと見せて下さることがある。
よき本やテープ、CD、讃美、また電話やメール、手紙、またふさわしい小物を提供する、あるいはその人のところに出かけていく等私たちの誰もがその気持にさえなればできる他者のためのことがある。
それらすらできない、という人のためには、何一つ目に見えるものもない身であっても、なお、祈るための手と心は残されている。もはや手を使っての仕事ができなくなっても、手を合わせて心を神に注ぐことは残されている。
神に向かう方向はどのようなことがあろうとも、遮断されることはないのである。
祈りも種を蒔くことである。見えない種を人々の心に、そしてこの世に蒔くことである。
それは主にゆだね、水の上にパンを投げることである。
人の不真実と神の真実
信頼していた人から、意外な真実に反する言動に触れて、驚き、あるいは怒りを覚えたという経験は多くの人が 持っているだろう。最近もある県外の方からそのような仕打ちを受けて精神的に打撃を受けてどうしたらよいかと
たずねられたことがあった。
そうしたことが繰り返されると人間そのものがいやになるということも生じる。そして生きるのがいやになったり、まわりが憂鬱な雲で覆われてしまうような気持になることもある。
人間はなぜ真実を保てないのか、とふしぎに思われるほど不信実に満ちている存在である。どうしても徹底した真実を持ち続けることができない。
聖書のなかにもかつて親しかった者が思いがけない背信行為をするということが生々しく記されている。
…わたしの信頼していた仲間、わたしのパンを食べる者が威張ってわたしを足げにします。(詩編四一・10)
そしてこの詩の作者の味わった苦しみは、主イエスもまた経験することになった。主は、三年間パンをともに食べ、生活をともにしてきた弟子の一人から裏切られ、金で売り渡されるというさらにひどい経験をされたのである。
また、次のような経験も記されている。
…わたしを嘲る者が敵であればそれに耐えもしよう。わたしを憎む者が尊大にふるまいのであれば彼を避けて隠れもしよう。
だが、それはお前なのだ。わたしと同じ人間、わたしの友、知り合った仲。
楽しく、親しく交わり、神殿の群衆の中を共に行き来したものだ。(詩編五五・13~15)
こうした不信の空気がまわりを取り囲む状況にあって、いかなる暗雲がたちこめようとも一貫して真実を守り続け、死に至るまで徹底したのが主イエスであった。
その主の力をいただくとき、私たちもそうした不信実に直面しても、そこから主イエスの苦しみを少しでも味わうことのできた恵みとして受け取ることができるであろう。そしてそのような人間の不信実ゆえに人間やこの世に絶望するのでなく、かえって、そのようななかであるからこそ、イエスの光がいっそう輝いて見えてくるという世界へと導かれる。
人を頼らず、人に過大な期待もせず、しかし人を嫌悪するのでもなく、主のまなざしを受けつつ相手を見つめることへと導かれていくことを祈り願いたいと思う。
命の短さと永遠
私たちのキリスト集会に属する家庭集会の一つに参加していた一人の女性が召された。まだ小学低学年の子供がいるような若さである。しばらく前までは、難しい闘病生活のなかとはいえ、いろいろとふつうに話しもできた状況からはそんなに突然に召されるとは予想できなかった。
命は神のものという思いを強くさせられたことであった。現代の科学技術や医者がどのようになそうとも、やはり命をどうすることもできない。そしてその人の心をもどうすることもできない。
幼い子供もその家庭集会に参加していたゆえに、主がその幼な子の心に特別な霊を注ぎ、強め、そして慰めを与えて下さることを祈るほかはない。
私たちの命、それは自分が保っているように思っているが、見えない御手によって支えられ、見守られているのである。しかし、それに気付かず神の真実に背き、自分勝手な生き方をつねにしているゆえにますますその御手が分からなくなっていく。
主イエスは、「私を信じる者は永遠の命を持つ。死んでも生きる」と言われた。また、重い病人を運んできた人たちが主イエスの前に連れて行けば必ずいやされると確信して、ベッドにのせて運んでいったがたくさんの人で入れなかった。どうしてもイエスの力をいただきたいと、その家の屋根をも壊して病人をつり降ろしたことがあった。そのようなことは非常識と思われるほどだが、それほどに真剣にイエスのもとに連れて行きたいと願ったのであり、主の力を求めたのであった。それゆえに、求めよ、そうすれば与えられるとの約束の通りに、主イエスは、本人ではなく、運んできた人々の愛によって働く信仰を見て、その病人のいやしを告げられたことがあった。
主を見つめてはたらく愛は力がある。それは主イエスの心をも動かしたのであった。
この福音書の記事は昔の特異な奇跡で終わることなく、現代の私たちにも語りかけている。
祈りの内に私たちはだれかを主イエスの前に運んでいくことができるからである。そしてそれによって主イエスは御心にかなうときには病のいやし、あるいは魂の病気たる罪からの赦しを与えて下さると信じることができる。
忍耐と慰めの神
人間はだれでも目には見えないものを感じることができる。神など信じないという人でも、心があるということはまず疑ったりしないだろう。心というのは目には見えないが、だれもその存在を知っている。
しかし、神の存在は単に目に見えないというだけで、信じないという人が非常に多い。
また信じるという人でも、例えば神社に行ってそこで祀られているとされている「神」とはどんなものだと想像しているだろうか。私も唯一の創造主たる神を知らないときには、神などというもの自体に全く関心もなく、神の性質なども考えたこともなかった。
しかし、聖書には実にはっきりと神の御性質が記されている。
旧約聖書のモーセの生きた姿が記されている出エジプト記には、聖書で最もはっきりと書いてある最初の箇所であると言えよう。
…主は彼(モーセ)の前を過ぎて宣べられた。「主、主、あわれみあり、恵みあり、怒ることおそく、いつくしみと、真実との豊かなる神、…(出エジプト記三四・6)
このように、神の本質が憐れみにあること、慈しみと真実であることが、このように旧約聖書のはやい段階から記されている。そしてこの神の本質はそれ以後ずっと数千年にわたって変ることはなかった。
新約聖書では、神は赦しを与える神であり、それゆえに愛の神であること繰り返し強調されている。
そしてそれ以外に次のように、とくに忍耐の神、慰めの神、希望の神であることを述べている。
忍耐の神とはどういうことか、(新共同訳では原文にない「源」という語を補足して、「忍耐の源である神」と訳している。)
ここで忍耐と訳されている原語(ギリシャ語)は、ヒュポモネー である。忍耐というと、日本語の辞書では、「じっと我慢すること」という説明が付けられている。忍耐と希望とは別のことである。
しかし、ギリシャ語のヒュポモネーという語は、旧約聖書のギリシャ語訳聖書(70人訳)では次のような箇所にも用いられている。
・貧しい人の希望は決して失われない。(詩編九・19)
・主よ、私は何に望みをかけたらよいのか…(詩編三九・8)
・主よ、あなたは私の希望。(詩編七一・5)
これらの「希望」と訳された箇所のギリシャ語訳はみな、ヒュポモネーという言葉なのである。このように、忍耐と訳されるヒュポモネーという語は、また希望という意味をも合わせ持っているのがうかがえる。すなわち、聖書の民においては、忍耐とは、単なる我慢とかあきらめの気持で耐えることとは全くことなり、希望を持って耐えることなのである。
どんな困難であっても必ず主は知ってくださっている。導いてくださっていると希望をもって信じ続けることである。
ローマ帝国時代の長い迫害の時代に、見せしめのために大競技場で裸にされて猛獣の餌食にされたり、暗く不潔な牢での長い生活など、到底耐えられないと思われるような苦しい目に遭わされた人たちがいる。彼らの魂は、キリストからの愛の励ましの声を聞き取り、神の力をもいただいていたのだと思われる。
キリストのためにみずから命をも危険にさらし、遂にはとらえられて殺されてしまう。そこにも彼らの忍耐が最高度に発揮された。その忍耐こそ、希望の伴ったものであり、だからこそ、そのような恐ろしい苦しみにも打ち負かされなかったのであろう。
主にあっては、忍耐とは希望であり、希望とはまた忍耐にそのまま結びついているのである。
次にパウロは神のことを、慰めの神と言っている。「慰め」と訳された原語は、パラクレーシス であって、この語は、「勇気づける、励ます」といった意味も持っている。このため、英語訳では、次のように、encouragement(勇気づけ 、励まし) を用いているのも多い。
May the God who gives endurance and encouragement give you a spirit of
unity among yourselves…
(New International Version)
この場合も、日本語の「慰める」というのと、「勇気づける、励ます」とはニュアンスが相当違っている。原語ではこの二つの意味があるときは別々にまたあるときは重ね合わせられ、融合させたかたちで用いられている。
聖書における慰めは単に、いわば悲しむ者の頭をなでて一時的にほっとさせるようなことだけでなく、さらに新しい力を与え、立ち上がらせ、勇気づけ、また励ますといった意味を持っているのである。
この、慰める、励ます、勇気づけると訳される、パラカレオーという言葉は、有名な山上の教えにおいて現れる。
ああ幸いだ、悲しむ者は。その人たちは慰められるから。
(マタイ福音書五・5)
ここでも、悲しむ者は、慰められ、また新たな力を与えられ、励まされ、勇気づけられるということが読み取れる。
旧約聖書においてもこうした忍耐を与え、慰めと励ましを与える神の姿は随所に見られる。
詩編とはそのような忍耐をもって待ち望む魂が神からの慰めと励ましを与えられる事実を詳しく記した書物となっている。
この世にはいつの時代にも、人の心を萎えさせる出来事が満ちている。信仰を持っていてもなお、この世の予想していなかった力の強さに動揺させられることもある。
そうした現実のなかにあって、私たちがたえず必要としているのは、その現実に打ち倒されない力であり、人間を超えたところからの慰めと励ましである。
主イエスの「求めよ、そうすれば与えられる」という約束は、こうしたことにもあてはまるゆえに私たちはどこまでも希望をもって待ち続けていきたいと思う。
光への熱望
福音書に、道端で物乞いをしていた盲人がイエスが通りかかると聞いて、大声で「憐れんで下さい!」と叫び続けた人のことが記されている。
この盲人はいつからこのような道端での乞食をしているのか、家族はどうしているのか、少なくとも子供のときは、家族が育てただろうからいつからこのような乞食をしているのか、どのような決断があったのか、だれがこのようなみじめな生活をするようにと言ったのか。また、それで生活はできたのか。寝るのはどこなのか。生活の場からどうやってそのエリコの人通りのあるところに来ていたのか。誰がそこまで連れてきていたのか。食事、水、トイレはどうしていたのか。場所が分からないしだれかに手引きしてもらわないといけない。小さな子供でもできることが、できない、というそのみじめさは当事者でなければ到底分からない苦しみであっただろう。こうしたからだのハンディは、周囲からの精神的な侮蔑をも共に受けなければならなかった。それはハンセン病と同じであった。肉体の苦しみだけではすまなかったのである。
文字通り、土埃にまみれつつ、人の足音を聞いては、誰彼なく、ものを恵んで下さい、という一日、それは実に絶望的な生活であっただろう。十分なものがもらえないこともある。腐りかけたものが与えられることもあっただろう。
そのような文字通り暗黒の生活はどこにも喜びも希望もなかった。過去を振り返ってもただ悲しみと苦しみであったし、現在も同様であり、そして将来もいかなる希望も見えない生活であった。
しかし、そうした暗黒のただ中にて、わずかな光を感じていた。それはどこからか伝わってきたイエスという人のことであった。不思議な力、驚くべき愛をもっているお方だと言われている。その人のところに行っていやしていただきたい、しかし、自分では行けない。他人にそのようなことを頼んでも、治るはずがない、といって相手にしてもらえない。
しかし、その闇にある盲人は望みを捨てなかった。イエスのことが心の奥にとどまり続けていた。そうしたときに たまたま通りかかったお方がそのイエスであった。今まで一度もそのイエスの近くにいたことがなかった。その教えも聞いたことはなかった。しかし、この見捨てられた人間の中には、イエスに対する全身をあげての信頼の心がたちまち燃え上がった。
周囲の者たちは、この全盲の人がイエスによっていやされるとは思ってもいなかった。だから、彼が大声で叫んだときにも、叱りつけたのである。もし人々が盲人のいやしもされるほどにイエスは力あるお方だと信じていたら、叱りつけたりしないでいやしてあげて下さいと言う人もいただろう。しかし、人々は単に黙らせようとするだけであり、この盲人の苦しみや信仰を全く理解しようとはしなかった。
しかし盲人はイエスへの全面的な信頼をもっていた。これは意外なことである。ほとんどイエスの教えも聞かず、奇跡をも見ずしてそのような強い信仰を与えられたのである。これはカナンの女、異邦人の女の信仰と似た者がある。そのような異邦の地で、一体どうしてイエスがダビデの子孫としてあらわれたメシアであるなどと信じられたのか不思議である。これは神の啓示としか考えられないことである。
神の啓示はこのようにごくわずかの情報のもとでも確信を与える。しかし啓示なければ、どんなにイエスの奇跡を見ていても、教えを聞いてもなお、分からない。教えを聞きつつ導かれることはある。こうした日曜日の礼拝もそのためである。しかし、そうした教えが魂に本当に入っていくためには、聖霊の風をも同時に受けていかねばならない。そしてそのために一人一人はたえず主に心を向けていく必要があるし、このような礼拝集会も、ペンテコステのときに集まりで全体として聖霊を受けたように、共同で聖霊を受ける場ともなっている。
憐れんで下さい! それは旧約聖書の詩編(例えば五六篇、五七篇など、たくさんある)によく見られる。詩編とはある意味で、その神の憐れみを必死になって求めつづけ、そして与えられたという経験が母胎にある。私たちはその悲しみや苦しみの深さのなかから、神の憐れみを求め、そしてじっさいに与えられた経験を知るために、詩編は最もよい神からの贈り物となっている。
光を闇のなかから必死で願い求め続ける、主よいつまでなのですか、との叫びをあげつつも、望みを捨てないで 求めていく、そのような光への熱望は必ず主が応えて下さるのを福音書とともに詩編からも学ぶことができる。
小さき者への祝福(その2)
前回において、いかに聖書では通常の考え方と異なって、小さきものであることを実感することが重要であるか、そしてそこに神は祝福をおいているということを、旧約聖書や福音書にみられる主イエスの言葉や行動などについて記した。
使徒パウロはこのことについてどのように考えていただろうか。
パウロは、キリスト教の二千年の歴史において最大の働きをした人物である。それは彼が書いた手紙(*)が、神の言葉として聖書に収められたからである。
ペテロの手紙は、新共同訳では十二頁であり、ヨハネの手紙は九頁、ヤコブの手紙は七頁なのに対して、パウロの名を冠した手紙は、一二八頁の分量を持っていて圧倒的にパウロの手紙が多い。そしてそのパウロが書いた手紙が神の言葉として実際に無数の人たちの魂に働きかけ、救いを知らせることになっていった。私自身もキリスト教の信仰を初めて知ったのはパウロの書いたローマの信徒たちへの手紙のある一節からであった。
(*)手紙といっても、現代の私たちが想像するような特定の個人に宛てたような手紙は、フィレモンへの手紙一つだけで、あとは、各地のキリスト者たちの集まり(エクレシアすなわち集会)に対して送られたものである。
こうした大いなる働きをしたパウロであるが、彼は自分のことをどのように考えていただろうか。
彼が書いた手紙には、自分が何ものであるかを、ただ一言で書いている。
日本語訳では、次のようになっている。
…キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び出され、召されて使徒となったパウロから、…(ローマの信徒への手紙一・1)
しかし、原文のギリシャ語では、「パウロ、奴隷、キリストの、イエス、呼びだされた、遣わされた…」というようになっている。これは、英語などの外国語訳が日本語よりも原文のニュアンスを反映している。
… Paul, a servant of Jesus Christ, called to be an apostle, set apart for
the gospel of God,(NRS)
すなわち、パウロはまず自分の名前をあげて、ただちに「奴隷」という言葉を出して、次に誰の奴隷なのか、それはキリスト・イエスの奴隷なのだ、と続けている。このようにして自らの存在が何であるかを明確に述べている。
新共同訳で「僕」と訳された原語は、ドゥーロス であって、本来は奴隷を表す言葉である。
古代には現代では考えられないほど奴隷がたくさんいた。戦争で捕虜になったものが奴隷となって使われるということが多くあり、また貧困のゆえに親が子供を奴隷として売るということもあった。
このドゥーロスという言葉は、日本語の聖書ではしばしば「僕(しもべ)」と訳されているが、新共同訳の聖書でも、例えば「あなた方は皆、信仰によってイエス・キリストに結ばれた神の子なのである。もはや奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もない」(ガラテヤ書三・26~28より)とか、「奴隷は家にいつまでもいないが、子はいつまでもいる」(ヨハネ八・35)などのように、「奴隷」と訳されている箇所もいろいろある。現代の一般的な日本人にとって、僕とはどう
いう人間のことを指すのか、全く使わない言葉であるから分かりにくい。 それゆえ、パウロが「キリストの僕」であると考えていたといっても、たいていの人にとってはその重要性がはっきりと伝わらないのである。ここはやはりこの原語が「奴隷」を表す言葉であったということを知っておくことは重要である。当時の人たちにとっては、周囲にたくさんいて、売買され、主人の思いのままにされる人であるという明確なイメージを持った言葉なのである。
そのため、いくつかの英語訳などでも、この箇所を「パウロ、イエス・キリストの奴隷(slave)(*)…」と訳している。
(*)Paul a slave of Christ Jesus, called to be an apostle and set apart for
the gospel of God,(New AmericanBible)
他に、新約聖書の注解シリーズで有名な、William Barclayの訳、あるいは New English Translation、 最近完成した訳で、聖書が書かれた当時の本来の意味を反映させることを重視した、Holman Christian Standard Bible(2004 )や New Living Translation 等々も同様である。聖書は数千年も昔の遠い外国の書物なので、こうした訳語のゆえに、その本来の言葉や表現の意味がしっかりと伝わってこないということがよくある。
自分の肩書を、一言で表すとき、人間としては最も卑しめられていた奴隷という当時の言葉を使うということのなかに、いかにパウロが自らを小さき者として見ていたかが表されている。
それだけでなく、パウロは、自分のことを、「呼びだされ(召され)、遣わされた者(使徒)とされ、選び出され」というように、すべて受け身の表現を用いて表しているのが目立っている。
ここには、自分の意志や考えで現在の自分の働きを勝ち取ったとかいう気持が全くない。そこには、すべて自分を超えた神とキリストによって導かれているという徹底した小さき自分、何も自分というものにこだわらない姿がある。
こうした魂の状態こそ、主イエスが祝福されているといわれた「心の貧しき者」なのである。パウロはキリストの弟子としては、最も大きな働きをしたといえるが、自分というものに頼らず、自分がもっている能力や意志の無力さを思い知らされ、神のご意志と力を受けることがすべてであることを深く知っていた。
これは自分というものが何もない、彼の言葉でいえば、「生きているのは、もはや私ではない。キリストが私の内に生きておられる」(ガラテヤ書二・20)ということなのである。
これは、「私」というものがなくなってしまうほどに、小さくされているということである。
このように小さきものと実感していたゆえに、そこに計り知れない神の賜物が注がれていたのであった。パウロはまた、自分のことを、「土の器」であると言っている。(Ⅱコリント四・7)
このような実感もまた小さきものだと深く知っていたことを示している。
そして、「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世にきて下さった」という言葉は、確実で、そのまま受けいれるに足るものである。わたしは、その罪人の最たる者なのである。(Ⅰテモテ
一・15)
このような意識はパウロに深く刻まれていたのが次の言葉によってもうかがえる。
…そして最後に、月足らずで生まれたようなわたしにも現れました。
わたしは、神の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でもいちばん小さな者であり、使徒と呼ばれる値打ちのない者です。
神の恵みによって今日のわたしがあるのです。(Ⅰコリント十五・8~10)
このような小さき者であるとの自覚がなかったら、神の霊はゆたかに注がれることはなかった。そして神の霊が注がれるときいっそう人は、自分の小さなことが霊的にも深く示され、神の霊こそすべてである、と知らされる。
このように能力の恵まれた者であっても、その力が自分が誇るべきことでなく、神からの賜物であり、神の国のために用いるようにと託されたものにすぎないということなのである。
これと同様なことはすでにモーセもエジプトの王子として育てられたが、そのままでは到底神の用いる器とはなり得なかった。それゆえに、神はモーセが生きるか死ぬかという激しい苦難を与えて、自分の意志や力ではこの世の大いなる悪の力には決して立ち向かうことはできない、ということを思い知らせたのであった。
使徒ペテロも、自分は命を捨ててもイエスに従って行けるとの確信を語ったことがある。しかしそれがいかにもろくも崩れ去ったかは、聖書に記されているとおりである。
決してイエスを裏切ったりしないと固く誓ったにもかかわらず、三度もイエスを知らないとしかも激しく誓うように断言してしまった。このようにして、自分の意志や力で主イエスに従っていくなどということは決してできないということを示されたのである。こうしたことは、すでにある人が、イエスに従うとしてついてきたときに次のように言われたことと同様である。
…一行が道を進んで行くと、イエスに対して、「あなたがおいでになる所なら、どこへでも従って参ります」と言う人がいた。
イエスは言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない。」(ルカ 九・57~58)
このようにして、自分の意志や決断で従っていくことができる、と考える傲慢さを打ち砕こうとされた。自分ができる、という考えが砕かれて、主が遣わされ、主によって導かれるのでなければ、という気持に心底からなっていかねばイエスに従っていくことも、そこから祝福を受けることもできない。
私たちは、他人から憐れんでもらうということは強く退けたいという気持がある。それは自分というものを強く持っているからである。憐れんでもらわなくとも、自分の力でいけるという誇りとか自信のようなものが誰でもある。
しかし、そのような強い自分というものがいかに空しいか、人間は本当にもろく弱いもの、先のこともわからず、大きなこの世の波に対抗していくこともできないような者だということを深く知らされるときが来る。それは治らないような病気になったり、苦しみと痛みにさいなまれる状況に陥ったりしたときである。
それはまた、自分がどんなに小さいものかということを思い知らされたときである。
そこからは、ただ滅びてしまいそうな自分を助けて下さい、憐れんで下さい、という単純なそして切実な祈りや叫びがおのずから出てくる。
憐れみなどいらない、ということはよく言われる。それは憐れみを受けるとはみじめな人、自分で自立できない人、何もできない人たちが他人の憐れみを受けるのだという気持があるからだ。
そこから、神などいない、と思っている大多数の日本人には、憐れみを下さい!と必死で願う相手を持たないのである。人間にこのような叫びをあげるだけである。そして人間に憐れみを乞うときには、相手の人に屈伏するようなみじめな気持になるだろう。
私たちはそのような人間でなく、むしろ憐れんで下さい!と の叫びや祈りを喜んで下さるお方、神とキリストにその叫びを注いでいきたい。
人間は本質的に小さき存在である。どんなに大きいと思っている者でも、病気や事故、災害に会ったりしてうちのめされることがあり、また老年になることは自分がどんなに小さき者であったかを日毎に知らされていくことである。
そして病気や老年の弱さがつのって、死に至るときには何もできずただベッドに横たわっているだけで、医者や介護の人に全面的に世話になるような存在となっていく。
そうした小さきものとなって最後は灯火が消えてしまうようにこの世を去っていく。小さくなった果ては無になってしまう、というのが一般的な日本人の思いであろう。しかし、万能の神、いのちの神を信じてその神に導かれてきた者にとって、小さくなったその果てから、死を超えてキリストの栄光という無限に大きいものへと変えられるという驚くべき約束がある。
復活ということは、小さい極限から無限へと移される最大の奇跡であり、小さきものへの祝福がどこまでも大きく深いものであることを示す真理である。
一つになるための祈り
祈りは神を信じる者の霊的な呼吸である。神とキリストを信じるまでは、肺を使ってする普通の呼吸しかしていなかったが、ひとたび信仰を与えられたときから、もう一つの別の呼吸があるのを知らされた。それは祈りであった。祈りなくば、私たちの信仰的な命は枯れていく。
私たちの祈りがどのようなものであるべきか、それは主イエスが主の祈りというかたちで明確に教えられた。そこにはあらゆる場合にあてはまる祈りが簡潔なかたちで表現されている。そして私たちのどのような祈りも結局その主の祈りの内容に含まれるのである。
例えば、「御国が来ますように」という祈りは、神の王としての御支配が来ますように、神の支配のうちにある完全なよきものが来ますように、ということである。これは、私たちが病気のとき、人間関係で苦しむとき、将来の不安にさいなまれるとき等々、その不安と問題のただなかに、神の王としての御支配が来ますようにということである。
もし神の愛と正義に満ちた支配が来るならば、私たちの病気の苦しみも軽くされ、担いやすくなる。病気そのものがいやされることもある。また私たちを攻撃してくる人間に苦しむとき、その人間の心に、また自分自身の心に神の御支配が来ることによって、相手の心から悪意が除かれるし、自分の心にもそのような悪意に耐える力が与えられることになる。
また、世界のさまざまの貧困や戦争などの苦しみや災害からの困難等々、これらの状況においても、私たちが願うのはそこにも愛の神の御手が差し伸べられることであり、その願いは、「御国が来ますように」という祈りそのものとなる。
このように、主の祈りはあらゆる状況にあってどんな人でも祈ることのできる内容を持っている。
ここではその主の祈りを念頭に置きつつ、主イエスご自身がどのような祈りをなさったのか、その一端を学び、私たちもすべてにおいて主の祈りを模範とするゆえに、その具体的な祈りを学びたいと思う。
イエスが最後の夕食のときに祈ったと伝えられてきた祈りがある。
… わたしはもう世にいなくなります。彼らは世におりますが、わたしはあなたのみもとにまいります。聖なる父よ。あなたがわたしに下さっているあなたの御名によって、彼らを守ってください。それはわたしたちと同様に、彼らが一つとなるためです。(ヨハネ十七・11)
父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちの内にいるようにしてください。…
あなたがくださった栄光を、わたしは彼らに与えました。わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです。
わたしが彼らの内におり、あなたがわたしの内におられるのは、彼らが完全に一つになるためです。(ヨハネ十七・21~23)
このように、繰り返し主は弟子たちが一つになることを祈られた。この世は分裂に悩んできたし現在も同様である。それは個人的なレベルにおいても、親しいはずの家族や、学校、職場などにおいても、絶えず争いや憎しみ、妬みや中傷などがあるし、それは分裂そのものである。また、私たちの心そのものが、絶えずよりよきものを見つめる心と罪深いことを考えたり行ったりする分裂に悩んでいると言えよう。そのような人間が集まっているゆえに、その集団である家庭や学校、職場、あるいは国全体や国際社会においても分裂が絶えず生じる。
キリストを信じる人たちにおいても、そのような分派が生じ、互いに分裂が生じて神の正義や愛を無視した行動によって悩まされることをすでに主イエスは予見していた。
そして、このヨハネ福音書が書かれたのは、キリストの死後七〇年近く経ったころだとされているから、すでにキリストの福音がローマ帝国全土に広がっていた状況だということができる。
そのような広がりの中で、キリストを信じる人たちの間での大きな問題が、一つになることの困難さであった。すでに、使徒パウロは紀元五五年ころに書かれたと言われるギリシャの都市コリントのキリスト者たちに宛てた手紙で、その地域のキリスト者たちが一つになれないという問題をまず書いている。
…さて、兄弟たち、わたしたちの主イエス・キリストの名によってあなたがたに勧告します。皆、勝手なことを言わず、仲たがいせず、心を一つにし思いを一つにして
、固く結び合いなさい。
わたしの兄弟たち、実はあなたがたの間に争いがあると知らされました。
あなたがたはめいめい、「わたしはパウロにつく」「わたしはアポロに」…などと言い合っているとのことです。
キリストは幾つにも分けられてしまったのですか。…(Ⅰコリント一・10~13より)
このように、コリントの信徒への手紙の最初に書き始めた問題がこうした分派争いのようなことであったということに、私たちは驚かされるが、それほどに人間は絶えずこのような人間的なものをもって離れられない状況にあると言えよう。
それはすでに、主イエスが生前に弟子たちを伴って行動されていたときにも見られた。弟子たちは主イエスがもうじき捕らえられ、十字架で死刑にされるということを話しておられたのに、彼らは弟子たちのうちで、誰が一番偉いか、などということで議論していた。
…「この言葉をよく耳に入れておきなさい。人の子は人々の手に引き渡されようとしている。」
弟子たちはその言葉が分からなかった。彼らには理解できないように隠されていたのである。…
弟子たちの間で、自分たちのうちだれがいちばん偉いかという議論が起きた。(ルカ九・44~46)
真理の言葉が隠されていたために、弟子たちは理解できなかった。誰が最も偉いか、というようなことへの強い関心は、小さい働きのものを見下し、大きい働きをする者に近づこうとしたり、「偉い者」への妬みが生じたりする。すべてを捨ててイエスに従った弟子たちであってもこのように、人間的な思いがいろいろとあって、一致が難しかったのが分かる。
このような一致の困難さということは、すでに旧約聖書のはじめの記述からはっきりと現れている。
最初の家庭としてのアダムとエバの子供たち、アベルとカインであったがその二人のうち、カインはアベルの捧げ物が神に受けいれられたのを妬み、弟の命を奪おうと考えそれを実行してしまったのである。このように、兄弟が一つになって神の道に歩むことが期待されていたであろうのにそれを裏切ることになった。
またアブラハムと甥のロトは、遠いユーフラテス川の河口に近いところから、カナンの地にともに旅立ち、生活を共にしてきた。その長い旅路の間に、ただ神だけに従っていくアブラハムの生活と信仰に触れていたのである。それにもかかわらず、ロトは、不正の横行する土地に住んだためにその悪影響を受け、滅びる寸前でアブラハムのゆえに助けられたが、妻は神の命令に従わなかったために、塩の柱とされ、ロトの運命も大きく変わっていくことになる。ここでも一致の困難が現れている。
あるいは、アブラハムの妻が子供が生まれなかったので奴隷の女を家庭に入れて、アブラハムの子供をつくることになったが、妻サラがそのことを妬み、アブラハムもサラに味方をして奴隷の女が追いだされることにもなった。
さらにそれよりもっとのちの時代、イエスよりも千年ほども昔のダビデ王は優れた人物であったにもかかわらず、心の油断から重い罪を犯し、そのことが遠因となって子供たちも大きな罪を犯し、兄弟の間にも深い憎しみが生じて命を奪いあうことまでも生じ、さらにはダビデ王自身の命をねらうことまでに発展していった。
こうした分裂の歴史はそのまま一致への著しい困難を示すものとなっている。
主イエスご自身が聖霊となり、生きた神ともなって導く新たな神の民たちが、一つになることを、強い願いとして言われているのもこうした昔からの困難さのゆえであっただろう。
このように、聖書の世界ですら、一つとなることが実に困難であることが記されている。そしてそのような記述はそのまま現代に至るまで世界の至る所での分裂の現状を暗示するものとなっている。
一つとなるということは、人間の世界では完全なかたちでは実現できたことがないと言えよう。こうした人間の現実を思うとき、主イエスの最後の夕食のときの特別な祈り、繰り返し祈るそのことの意味がはっきりしてくる。
この長い祈りの最後に記されているのは、次の言葉であった。
…わたしに対するあなたの愛が彼らの内にあり、わたしも彼らの内にいるようになるためです。 (ヨハネ十七・26)
そして主イエスが弟子たちの内に住もうとされるのは何の目的かといえば、「かれらが完全に一つとなるため」(同23)であった。
すなわち、弟子たちが一つとなるためには、単に一つになりたいという願いや、互いの話し合いとか経験、あるいは思いやりといった人間的な手段ではできないのであって、ただ、キリストが信じる者たちの内にいて下さる、ということが不可欠なのである。
ヨハネ福音書の別の箇所で、イエスは「人が私の内にとどまり、私もその人の内にとどまっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。」と言われたが、そのことも同様である。一つになるということも実のうちに含まれるからである。
このように、一つになること、それは主イエスが私たちの内にいて下さるときにはじめて可能となる。
もしキリストが私たちの内にいて下さるなら、イエスご自身が万人に仕えることをその基本的生き方とされたゆえに、自分こそは上なのだといった自負心はなくなる。またあのように十字架で処刑されるまえにひどい辱めを受け、不当な鞭打ちや刑罰まで受けることになったが、なお周りの人たちを憎んだり、敵視することはないばかりか、「彼らの罪を赦してください」と祈られたほどであった。
そのようなお心を私たちがいただくときに私たちもまた悪を行おうとする人たちにも彼らの魂がよくなるようにとの願いと祈りの心を与えられるであろう。
そのことは、そうした人たちとも一つになろうとすることである。憎しみは分裂を生じさせるがキリストから来る敵対するものへの愛は、祈りという方法で結びつけようとする。
祈りなくば、結局生前のイエスに従った弟子たちすら誰が一番大きいか、などといって地位争いをして分裂を大きくする本性を持ち続ける。
祈りはもともと霊的なことであるから、距離や年齢を超え、生まれつきの能力の差とか、健康、病弱といったことをも超えていく。
それだけでなく、聖霊、あるいは活けるキリストがとりなして下さる場合には相手の魂にも霊的に働きかけることを信じることができる。
愛とは一つになるということと深くかかわっている。私たちがだれかを深く愛するほどその人と一つになっているということになるだろう。 逆にある人を敵視したり憎んだりするときには最も遠くに離れ人間関係は壊れていると言える。
このことは、人間でないもの、自然の事物についても同様である。私たちが谷川の流れを愛するとき、その流れの側にいるときには、その清い水の流れと一つになっているのである。
それゆえに、敵対するような人をも、その人がよくなるようにとの、祈りをもってみるとき、それは神の愛に根ざした思いであり、愛である。そのときには確かにその人たちと一つになっていると言えよう。愛はすべてに勝つ、と言われているとおり、敵対する人の心にも勝利して一つになろうとする。
病の人のことを思って祈りを合わせることは、その人と一つになろうとすることであり、またその人の重荷を負うことである。ガラテヤ書にも、次のように記されている。
…互いに重荷を担いなさい。そのようにしてこそ、キリストの律法を全うすることになる。 (ガラテヤ書六・2)
と特に命じられている。重荷を担うとは、相手の苦しみや悲しみを少しでもともに感じてその苦しみが少しでも軽くされるようにと祈る心である。そしてそのような祈りが真実であれば、可能なことを実際に行動に移すということもできるようになる。そのための意志や力を神からいただくようになるからである。
主イエスが「あなたの敵を愛し、あなた方を迫害する者のために祈れ」と言われたことは、人間関係の究極的なあり方を示すものである
イエスの時代には、ユダヤ人からの敵視や迫害が激しく、彼らの訴えによってイエスは十字架の刑を受けることになったが、ローマの皇帝の命令でキリスト者を迫害することはまだ始まっていなかった。しかし、キリストの死後数十年を経ると、キリスト者はローマ帝国に広く増え広がっていき、皇帝はその力を無視することができなくなり、迫害に転じる。
そして三百年近い間そうした迫害は続くことになる。このような状況を主イエスは見抜いていたのであろう。これから始まろうとする迫害に直面して、相手を憎み、敵対行動を取ることは、何等根本的な解決にならないばかりか、かえって分裂を深め敵対する力をも強めてしまう。
そのような状況にあって以後の迫害の時代にも唯一の正しい道として通用し、それ以後のすべての時代にも通用する一つになる道として、イエスは敵対する者にすら向かう愛の祈りをあげたのであった。敵対する者は時として命までねらってくるのが迫害の時代である。そのような者に対してすら愛する心を持つとはまさに神のわざであって、人間のふつうの気持のままではできることではない。神の霊を受けてはじめて彼らの中から悪の力が除かれ、彼らの魂がよくなるようにとの願いを込めて祈ることが可能となる。
このような態度を少しでも取ることができるならば、ほかのどんな人間関係においても祈りをもって相手に対することができるであろう。
人間が互いに一つとなるために何が妨げとなっているだろうか。それは一人一人の高ぶりであり、自分が支配しよう、上に立とうとする傲慢である。そうした心の深いところにある人間中心の心を罪と言うが、その罪ゆえに人間同士はいつも一つになれない状態が続いている。
そうした人間同士の分裂と対立の根源には人間の罪がある。その罪というのは人間に対してだけでなく、神に対して犯しているものである。例えば、ある人に嘘をつく、欺くなどといったことをすれば、敵意や対立を生み出すが、それはそのまま神との関係にも深い溝が生まれるもとになる。真実に反することをすれば、それを相手の人間に対する罪でもあるが、同時に真実そのものが神の本質でもあるので、神に対する罪ともなる。
そこから、人間が一つになることと、神と一つになることとは密接な関係があり、人間が一つになることを望むならば、その根源にある神と一つになる、神を信じ、愛することが必要になる。そのためにまず分裂を生み出す根源にある罪を清めることが最重要なことになる。そのために、イエス・キリストが十字架で死んで人間の罪への罰を身代わりに担う必要があった。
主イエスが最も重要な戒めと言われたのは、次のことであった。
「先生、律法の中で、どのいましめがいちばん大切なのですか」。
イエスは言われた、「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。
これがいちばん大切な、第一のいましめである。
第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。
これらの二つのいましめに、律法全体と預言者とが、かかっている」。(マタイ二二・36~40)
この重要な戒めとは、一つになるためであり、これらの二つの戒めこそは神と一つになり、人とも一つになる唯一の道なのである。使徒パウロが、生けるキリストに示されて、聖霊の実としての愛こそは最も重要なことであり、それがなかったら空しいといったことも同様である。
人間と神との間にある妨げである罪が除かれるとき、人は初めて神と一つになり、人間同士が一つになるという道が開かれる。
この道を神はキリストを通して知らされ、それを受け取った人は、程度の多少はあっても、一つになる道を導かれていく。
しかし、人間全体の将来はどうなるのであろうか。一つになることは有りうることなのかという疑問が生じてくる。
この世界は今後どうなっていくのか、それについては誰一人正確な予見はできない。人間はすぐ目先のことすらまったく予見できないのである。自分が明日どうなるのか、例えば交通事故で怪我をする人は、年間百万人をこえているが、そのような事故に出会う人は誰も自分がそんな目に会うとは予想もしていなかったはずである。日本の首相が一年間に二度も突然辞めたこと、アメリカに生じた大証券会社の破綻といった経済上の大問題とその世界経済への影響なども同様で少し前までは誰も予想しなかったようなことである。
このように、個人的なことから国際的問題に至るまで、人間は実に狭いことしか、分からない。それゆえに、将来どうなるのか、については通常の考え方では誰一人確信をもって言うことはできないということになる。
そのような全く未来がどうなるか分からない状況にあって、人間の判断を超えた深い洞察を持つことが可能だというのが聖書の示すところである。主イエスは自分の運命も正確に予見し、また数十年後に生じるエルサレムへの攻撃と崩壊ということもはっきりと分かっていた。これは人間の判断を超えた特別な予見であった。それは人間を超えた力によって知らされたからである。それが啓示と言われるもので、聖書とはその啓示に満ちた書物なのである。
その啓示とされたものが単なる人間の想像とか創作であるなら、聖書など到底伝わらず消滅していたであろう。人間の作り出した物などは次々と至る所で行われ、生み出されていくがほとんど時代の流れと共に消えていくからである。
そのような中に、どんな学者もまったく及ばない人間の学問や科学技術などでは決して与えられない将来の展望が、神からの啓示として与えられている。それは次のようなことである。
…神はこの恵みをわたしたちの上にあふれさせ、すべての知恵と理解とを与えて、秘められた計画をわたしたちに知らせてくださいました。
これは、前もってキリストにおいてお決めになった神の御心によるものです。
こうして、時が満ちるに及んで、救いの業が完成され、あらゆるものが、頭であるキリストのもとに一つにまとめられます。
天にあるものも地にあるものもキリストのもとに一つにまとめられるのです。
(エペソ一・8~10)
分裂と対立に悩む人間の世界において、このような啓示が与えられているということは私たちにとって究極的な希望となる。このような啓示がなかったら、この世界はだんだんと分裂し、災害や政治の混乱、科学技術の悪用、軍備の増強と核兵器の拡散など、解決しがたい問題に渦巻きのように呑み込まれ、次第に希望を失っていくであろう。
一つになる、という主イエスの最後の夕食のときの祈りは、このように、弟子たちを出発点としつつ、神の愛によって敵対する人、病気や災害で苦しむ人たちとも愛の伴う祈りによって一つになる道が示され、最終的にはここで引用したように、神ご自身の万能の力によってすべてが一つになるという道が示されているのである。
皇帝のものは皇帝に、神のものは神に
現代の私たちには、このような言葉は一見無関係のように見える。皇帝(*)というような用語ははるか過去の外国のものとみなされて話題にもならないからである。聖書にはこうした初めての読者には親しみにくい言葉や内容が多くある。二千年、あるいはそれよりまだはるかに昔の遠い外国の書物であるからこれは当然のことである。
現代の私たちにはつねに、今の私たちにはどのような意味があるのか、この言葉を通して神は私たちに何を語りかけておられるのかと考える必要がある。
(*)この言葉が現れる箇所はルカ福音書二〇・25他であるが、口語訳や新改訳では「カイザル」と訳している。原語は、カイサルであり、もともと、ユリウス・カエサルというローマの軍人であり政治家であった者の名(姓)であったが、彼は帝政ローマへの道を開いた重要人物であったため、カエサルという語が、皇帝そのものを意味するようにもなった。
神のものを神に返そうとすることを、ユダヤ人たちは熱心に追求していたと言えるだろう。旧約聖書はまさにそのことを内容としている。アブラハムのように、住み慣れた郷里や親族を捨てて、神の示すところへと神の言葉に従って未知の遠くの地域へと出かけていくことも、神に属する忠誠心を神に返すという行動であった。
モーセが神から受けた十戒を中心とする神の言葉も、人間のものを人間に返すことしか知らない一般の人々に対して、神のものを神に返すその道を指し示すものであったと言えよう。
例えば、神だけを拝する、偶像礼拝をしないということは、真実な心をもってなされる礼拝を唯一の本当の神に返すということである。また、安息日を守るということは、神が特別に祝福した日をふつうの労働をせずに、神への礼拝の日とすることによって神に返すことであり、それが祝福を受ける源となることを約束したものである。
人を殺すな、という戒めも、人の命は神のものであるから、神のものを人間が奪い取ってはいけないということである。そして命を神に返すとは、神のために与えられた命を使うことである。自分の命も他人の命をも大切にし、重要な使命があって神から命が託されていると信じることである。
預言者というのは、人々が唯一の神のことを知っていながら、その神に従おうとしない人々に、神の言葉を示し、彼らがいかに正しい道から離れているかを示す働きをする人たちである。言い換えると、神のものを神に返すようにと命がけで語り続けていった人たちである。
しかし、当時の人々は預言者の警告を受けいれようとしなかった。それは、神のものを神に返そうとしなかったからである。
主イエスはローマ皇帝に税を納めるべきかどうかという問いかけに対して、「皇帝のものは皇帝に返せ。神のものは神に返せ」と言われた。しかし、世界の歴史において一般の大多数の人たちは、皇帝(支配者)のものとして強制的に税を取り立てられた。そこには選択の余地はなかった。
日本においても、例えば江戸時代には三大飢饉といわれるものがあり、そのうち、天明の大飢饉は一七八三年頃から五年ほどもの長い間にわたって続いたため、特に東北地方は大冷害に襲われて、食物の生産がわずかしかできず、野山の草の根、小動物など何でも食べたというがそれでもたくさんの人たちが飢え死にし、道端にもたくさんの死者がそのまま放置されるという惨状となり、全国の死者は七〇万人とも言われている。
このように激しい飢饉になっても藩主は年貢を厳しく取り立てた例が多くあったという。村の人口が三〇〇人あまりのところでは、餓死した人が一〇五人に及び、三分の一が餓死したという状況であった。
このように、税は現在の私たちには考えられないほど厳しいものとなっていた。それで村を逃げ出したり、厳罰を受けるのを覚悟で百姓一揆を起こしたりすることもあった。
皇帝のものは皇帝にと、支配者は民衆から強引に奪い取るというのが多く見られた。
こうした状況にあって、神のものを神に返すということ自体が忘れ去られて、生きることに精一杯という人々も多かったであろう。
それでも、神のものを神に返すという人たちはどんな時代や状況にあっても次々と起こされてきた。残酷な迫害を受けることが分かっていても、なおキリストへの信仰をはっきりと表明し、主イエスがさきに歩まれた後をたどり、みずからの命を神に捧げて、神のものを神に返す人たちが現れたのであった。
現代においてもさまざまの形で、「皇帝のものを皇帝に」差し出すようにと命じられる。各種の税金がそうである。そのような強制に慣れてしまったので、本来神のかたちとして造られたゆえに与えられている真実や愛、清い心などもこの世の力に打ち倒されて神に返すことができなくなってしまっている。
現在の日本でも、長時間の労働というものを会社に命じられて行っているが、その苦しさや忙しさのために、神のものを神に返すことをも失っていくことが多い。
主イエスは、「皇帝のものを皇帝に返し、神のものを神に返す」ということにおいて完全な模範を示された。逮捕されるときも全く抵抗せず、人間のもの、人間が支配しようとするものはその支配に任せ、命を奪おうとするほどのことにも抵抗しなかった。肉体は人間が支配できる。税金を納めよ、ということよりはるかに困難なのは、命を出せ、ということである。それをもそのまま差し出された。
しかし、神のもの、神への真実は徹底して守り、神に捧げた。神の深い御計画に従って、イエスは国の指導者たちに渡され、捕らえられ苦しめられついに十字架にかけられるという道を歩まれた。それは徹底して神のものを神に返すという姿であった。
神のものを神に返すために、権威者が認めていることであっても、それに従わないことも生じる。例えば神殿で商人たちが利得の場としていたが、そのことに対して主イエスは商人たちを追いだし、両替人の机を押し倒すなど、厳しい行動をされた。
…そして言われた。「こう書いてある。『わたしの家は、祈りの家と呼ばれるべきである。』ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にしている。」
境内では目の見えない人や足の不自由な人たちがそばに寄って来たので、イエスはこれらの人々をいやされた。(マタイ二一・13~14)
神殿とは人々の信仰の中心の場である。それは神に罪の赦しを願い、またそこから神からの赦しと祝福を与えられ、神との関係を正しくし、神に聞き従う道を歩むための場である。そうしたことを祈りによってなすところである。祈りこそは神のものを神に返すことなのであるが、人々や宗教的指導者たちはそのことが全く分からなくなっていたのである。それほどに、神のものを神に返すということは、宗教的施設のただなかにおいてもなされないことがある。
職場にあっても、神のものを神に返すということをはっきりさせているとき、地位は上がらないことが多い。どんな職場にも不正はある。宴会や日常的に行われている勤務後の酒席などを、神のものを返そうとするために時間や金が無駄だからと参加しないと出世はできない。地位をどうするかは人間のものだから、人間に返す、上司の言うままに従う。しかし、神への真実を保ち続けるということである。
その場合でも、もしそうした上司への憎しみとか軽蔑があるなら、それは神のものを神に返したことにはならない。敵をも愛し、迫害するもののためにも祈ることがなされて初めて神のものを神に返したことになるからである。
左の頬を打たれたら、右の頬をも向けよ、ということは、人間的なものを人間に返すということである。そうすることによって神への忠誠を神に返すのであった。
殉教ということは、徹底してこの人間のもの(人間の支配のうちにあるもの)を人間に返す(自由にさせる)、しかし、神のものである神への真実は徹底的に返す(守る)ということの例である。
私たちは、日曜日の主日礼拝、これは神のものを神に返そうとすることである。私自身、学校勤務であったとき、人間の命令として出勤せよと言われた。しかし、神のものを神に返すということから、日曜日の出勤は休みをとってしなかった。
どこから先が神のものを神に返すことになるのか、一人一人がその人の信仰によって、神からの示しによって決断していくことなのである。
何らかの犠牲なくして、神のものを神に返すことはできないことが多い。収入の一〇分の一を神に捧げるということも、神のものを神に返す象徴的行為である。
私たちは日頃、これは自分のもの、あれは○○さんのものといった考え方に慣れきっている。神のものなのだ、というような発想それ自体が日本人にはきわめて少ない。神などいないと思っているのだからこれは当然のことだろう。
しかし、唯一の神がおられ、その神が万物を創造し、いまも支えておられるという信仰に立つときには、すべてが神のものなのだということになる。能力にしても健康や賃金、友達、家庭等々もみな自分の持ち物でなく、神のものであり、神から個々の人に委ねられているのにすぎない。
それゆえに、私たちが日頃の生活で与えられたものを神に返すという考え方をつねに持ち続けているとき、その姿勢は神に祝福されて、最終的にはすべての神に属するよきものが与えられるということが示される。それは次の驚くべき約束が示すとおりである。
…パウロも、アポロも、ケパも(*)、世界も、生も、死も、現在のものも、将来のものも、ことごとく、あなたがたのものである。
そして、あなたがたはキリストのもの、キリストは神のものである。(Ⅰコリント三・22~23)
(*)アポロは、キリスト信仰を熱心に伝えたユダヤ人。イエスこそは神の子であり、メシアであると熱弁を振るってユダヤ人たちにイエスのことを証しした。ケパとは、アラム語で「岩」の意。使徒ペテロのこと。
皇帝(支配者)のものを皇帝に返し、神のものを神に返してしまったら、自分に何が残るのか、という疑問が生じる人たちも多いであろう。じっさい、迫害の時代には、自分の財産も奪われ、家庭も破壊され、自分の命すら奪われていった人も多数あった。しかしそうした人たちは、まさにここで言われているように、あらゆるよきものが与えられてその人たちのものとされているのだと言えよう。目に見える物ならば、返してしまったらなくなってしまう。しかし、神のものを神に返そうとすることによって、いっそう新たな神のものが与えられていくのである。
そしてキリストの栄光のすがたに変えられる復活のときには、あらゆる神の国の豊かさで満たされるようになることが約束されている。
神の愛と導き 那須 佳子
徳島聖書キリスト集会のことやその集会場のことは写真を通して、また息子の容平からも聞いていました。徳島は第二の故里のよう。いつか参加したいと願ってきました。この連休をつかって参加することができ、みなさんと会えて感謝です。吉村兄から先週日曜日「何かお話を」と言われ、十分な準備はできていませんが、思っていることを話したいと思います。今日は、5月の全国集会の分科会で、「神様の愛と導き」の司会をさせていただきましたが、短時間で思っていることを話せませんでしたので「自分がどのように導かれたか」を少しお話したいと思います。「野の花」にちょっと書いたり、個人的にお話したこともありますが。
先週あたりから涼しくなってきました。一日くたくたになって帰ってきますが、夜お風呂上り外に出て、星とか月を見るのが大好きで見上げるのですが、こんな時八木重吉さんの詩
この明るさの中へ
一つの素朴な琴をおけば
秋の美しさにたえかねて
琴は静かになりいだすだろう
を思います。一日疲れて帰宅し、「今日こんな汚いことばを言ったなぁ」とか思うが、虫の音、空の星に清められて天国に行けるような予感がします。きっと八木重吉さんも聖霊をいただいておられたのだと思います。
どんなに罪に汚れていても、このような自然を通してもいやして下さる神さまに一日を終えることのできた感謝を送ります。
さて、「神様の愛と導き」について、中学2年の時の国語の担任、私の信仰の恩師について。島根県奥出雲、”もののけ姫”の舞台となるような静かな田舎で恩師に出会いました。とても厳しい先生でした。廊下でパタパタと先生のスリッパの足音が聞こえるとピリッとして先生がこられるのを待ちました。
学校でクリスチャンはひとり、一匹狼だったので沢山の敵がいたと思います。ある時読書感想文を書くことがあり、それが課題図書だったかどうかわかりませんが庄野英二さんの「雲の中の虹」の感想を書きました。今思うとそれは創世記9章12~16節のことを書かれたものだったかも知れません。
なにかそこに魅かれたのでしょう。感想文を書きそれを読まれた先生から家族集会に誘われ参加するようになりました。他の生徒さんも集われたと思うのですが、一冊の本からつながって最後まで残ったのは私ひとりかなと思います。
以後、細く弱い炭火のような信仰だけれども、イエス様にとらえ続けられています。
本当にイエスさまの導きでしかないなぁと思わせられます。
高校を卒業して大阪の大学に進学した時、その先生から「できるだけどんどん全国の集会に行きなさい。いろんな集会にできるだけ参加しなさい。」と言われ、富田和久先生がされていた北白川集会を紹介されました。そこで若き日の吉村さんにお会いしました。
その後、静岡県の天城での全国集会で吉村さんと再会。このことが機縁となって高槻の関係もできるようになりました。もし私が天城に行かなかったら、吉村さんからこのようなめぐみをいただくこともなかったでしょうし、容平も信仰を持つことができたかどうか(至らなかったかも)。
ひとつひとつが神様の導きだったと思います。
年に一回(以前は2回)、島根県の郷里に帰省すると集会に参加するようにしてきました。その時一人15分ほどの感話をするのですが、「感話ができないのは信仰に緊張感がないからだ、なければないで『すみません』と泣きながらでも話しなさい」と言われる方でした。
結婚をしてからは、二〇数年の間 テープを送っていただき一人で礼拝していました。
その後、主の導きで徳島聖書キリスト集会の礼拝の内容を録音したCDやテープを送っていただくようになりました。
家庭集会は初めは息子の容平と2人で始めた集まりでしたがそのうち3人になり7~8人になりました。
私の島根の先生はいつも言われていましたが、徹底した十字架信仰でした。イエス・キリストを持つこと、どんな話をしても最後にそこに行く。キリスト教はキリストだ。イエスと共に十字架にかかりイエスと共に新しく生まれかわる。苦しみの中でしかキリストに会えない。実感としてイエス様を持ちなさい。とずっと教えられ、自分の中にこういう言葉(教え)がしみついています。
それから少し話がかわりますが…京都で毎年開催される近畿地区無教会キリスト教集会には徳島からたくさん来てくださり感謝いたします。「永遠のいのち」について学びましたが、近畿集会以来、ルカ23章の犯罪人のことがずっと心に残っています。犯罪人のひとりが「イエスよ、あなたの御国においでになる時には、わたしを思い出してください。」と言った。するとイエスは「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。(42~43節)
イエス様と犯罪人のやりとりのことばが私の中から離れないでいます。この犯罪人は自分の罪を徹底的に自覚し、イエス様こそ罪を赦してくださる方だと直感していた。自分が(悪の)報いを受けることは当然だと思っていた。イエス様に委ねることで天国に行けると直感できる信仰を持っていた。「イエス様、私を思い出してください」という信仰を持ちたいなぁと思います。そして祈りの中で「私を思い出してください」と祈っています。
「浦上キリシタン物語」を読んでいるとき、あの迫害の江戸時代に信仰を持つことは死を意味した。はりつけにされた。イエス様のもとにいけると喜んで殉教していった。あの信仰をどうして持つことができたのだろう!私たちは自由に信仰できる、礼拝をし、賛美できる。その背後にあの人たちのような真剣な信仰、殉教者がいたことを知り、身がひきしまる。
島根県の奥出雲にも強い信仰の人がいた。恩師もそうですが。
加藤歓一郎という人は、教育者、社会運動家であり、力強い信仰の人でした。加藤は、60歳代に健康を奪われ、長男は自死される。このような中で内村鑑三の言葉に出会われた。「救われるとはイエスと運命を共にし十字架につくことなり。エリ、エリ、レマ、サバクタニと叫んで死ぬことなり。救われることは恐ろしきことなり。されど人たるの栄誉の絶頂なり」
本当に霊の信仰に入っていかれた、すべて奪われたあとの霊的な加藤さんの信仰を思います。
福間三佳さん、白血病で召された時ご主人は「妻はこれでよかった。妻はいい先生、いい先生と言われて、そのことが妻を清めなかった。死の床で妻は神の絶対権を知った。
今死ぬことで、今清められて天国に行った」と言われた。
徳島にこのような信仰が根付いたように奥出雲の片田舎にも霊の信仰があったこと、私もそこに生まれたことも神の愛の導きだったなぁと思う。
十字架上の犯罪人の信仰、殉教者の信仰…十字架のイエスのところに行き、そこで慰められる、そういうイエス様を知っていることを一番の喜びにしたいと思います。
私たちは空っぽにならないといけない。空っぽになった時にイエス様が入ってきてくださって少しでも良きことができる。常に日々空っぽにならないといけない。ノアが箱舟に入り、また出たように、日々空っぽになりイエス様に入ってきていただき、新しい力を与えられ世の中に出て行く。
私たちの罪を贖ってくださったイエス様を実感としてもって、日々新しく生きるということを信じて、これからも主につながって生きていきたいと思います。
(九月一四日 徳島聖書キリスト集会にての感話)
詩の世界から
○しら菊を のぞけば 露のひかりかな
(「古句を観る」岩波文庫276頁)
・秋に咲く白菊、それをふと見るとそこに露が光っている。私たちも神によって鋭くされたまなざしをもって見るときには、さまざまのものの中に、きらりと光る露、うるおいに満ちた何かを見出すことができる。
夜空の星も、天からの露として心を開いてみるときには、心のなかに露のようなしずくを与えてくれるものとなる。
○人々の中に―病める友に―
主イエス様が
愛のまなざしで見つめられ
近づかれ話しかけられ
その御手をさしのべられた
人々のなかに
私もおり
(「わが恵み汝に足れり」水野源三 81頁)
・どこにも慰めのない苦しい病気とのたたかい、その苦しみを誰が分かってくれるだろうと思う。しかしそのような深い心のうずきのなかを主は見つめて下さっている。愛のまなざしをもって。そして御手を差し伸べてその痛みをいやして下さる。その人々の群れのなかに私もいたのだ、その深い実感がここにはある。
○これの世は くるしみ多し わがまぶたつぶれば 涙出てくるかな (杉山義次)
・この作者はキリスト者であったが、深い悲しみをもっていた。具体的にその悲しみが何であったかは分からない。しかし、このような魂の奥からにじみでてくるような悲しみを多くの人はその人生のなかで味わってきただろう。
このような悲しみを主は知っておられる。そしてそのような痛みに耐えかねている魂への愛が、あの山上の教えとして、マタイ福音書の最初の部分にあらわれる言葉である。
ああ、幸いだ。悲しむ者は。
その人は(神によって)慰められるから。(マタイ福音書五・4)
涙のなかから仰ぐ主こそ、最も私たちにしみ通るような慰めを与えて下さる。このことは数知れないキリスト者たちが経験してきたことであろう。
新首相の問題点
一年も経たないうちに、首相が二回も途中で職責を放棄したという世界的にも失笑をかうような出来事があった。今度の首相は、以前からいろいろと問題発言を繰り返してきた。
以前、外相のときの発言で 富山県高岡市での講演で、日本の米一俵が中国で一万円ほど高く売られているとして、
「どっちが高いか。アルツハイマーの人でも分かる。」と述べた。(二〇〇七年七月)
これは、この病気の人たちや家族の苦しみを全く考えないで見下すような発言であった。
また、朝鮮半島を日本が植民地にしていたとき、日本が植民地支配のため、朝鮮人に日本式の姓名への改名を強制したことがある。(創氏改名)これは、朝鮮人をも日本の天皇の民にしていく一環として一九三九年公布された。
そのことに関しても、
「(朝鮮人が)名字をくれと言ったのがはじまりだ」
というような、歴史的な事実を無視した主張をしたことがある。日本の支配下となってしまったゆえに、そこで出世などするためのように、日本の支配に媚びるために希望したような一部の人間がいたこともあろうが、大多数は自分の名前をわざわざ日本人の名に変えるなどということを強く拒んだのである。
こんなことは、私たちが、例えば朝鮮半島にある国が攻めてきて、名前をその民族風に金○○とか朴○○とせよ、などと命じられて、一体だれが喜んで変えるであろうか。こんなことは考えたらすぐにわかることである。
ここにも、弱者の立場にたって考えようとしない傾向を見ることができる。
また次のような発言がある。
「独断と偏見かもしれないが、私は金持ちのユダヤ人が住みたくなる国が一番いい国だと思っている」 (二〇〇一年四月)
これは、党の総裁選での講演での言葉だが、ユダヤ人を金持ちの代表のようにみなす姿勢がまず問題である。ユダヤ人のさまざまの苦難の歩みをまったく無視するような語感がある。しかもその金持ちが住みたくなるようなのが一番いい国だというのだから、驚かされる。
また先日の所信表明演説で、「国権の最高機関による指名、かしこくも、御名御璽(ぎょめいぎょじ)をいただき、第九十二代内閣総理大臣に就任いたしました」と言った。「かしこくも」とは、おそれ多いということで、天皇の名と印をいただいたことがおそれ多いというように受け取れる。
これはで、国会という国民の代表で決まったことであるにもかかわらず、主権者は国民であるということを軽視して、あたかも天皇の権威によって任命されたかのような言い方である。(御名御璽とは、天皇の名と公印を意味する)
また、かつて幹事長もした自民党の野中広務が被差別部落出身であるということで、「野中のような部落出身者を日本の総理にはできないわなあ」と差別的発言をしたということが、「野中広務
差別と権力」魚住 昭著(講談社文庫) という本のなかで指摘されている。
ニューヨークタイムズは、ワシントン・ポストと並んで、アメリカを代表する新聞と見なされている。
その九月二四日付の社説で、麻生太郎について次のように書かれている。(原文を添えておく)
… 日本の新しい総理大臣である麻生太郎は日本の近隣の国々において、けんか好きの国家主義者として広く知られている。彼はそうした国々において好感をもって記憶されていない。
二〇〇五年~二〇〇七年、外相として、麻生氏は中国や韓国との関係を難しいものにして近隣の国々との間に不安(緊張)をもたらした。それは、彼が戦前の日本の植民政策がなしたことを賛美し、戦時中の残虐行為を正当化し、中国を危険な軍事脅威であるとしたからであった。
Published: September 24, 2008
Japan’s new prime minister, Taro Aso, is well known ― and not fondly remembered ― by Japan’s neighbors as a pugnacious nationalist. As foreign minister from 2005
to 2007, Mr. Aso soured relations with China and South Korea and raised tensions throughout
the region, praising the achievements of prewar Japanese colonialism, justifying
wartime atrocities and portraying China as a dangerous military threat.
このように外国から批判されるほど、かつての太平洋戦争のときの侵略や大規模の破壊、殺戮などの罪深さを認めるどころかそれを肯定するような考えを持っているのである。こうした態度は、自分が犯した罪の悔い改めを第一に重んじるキリスト教的な発想とは基本的に異なるものである。
何事においても、間違ったことをすればそれを認めて謝罪することこそ真の出発点に立つということであるが、これはごく常識的なことであり、当然のことである。
ところがそうした正しい出発点に立とうとしない人であるからこそ、首相は就任直後にも、集団的自衛権の行使を禁じた憲法解釈について「基本的に変えるべきものだ。」と主張した。
この、集団的自衛権は憲法上認められないという従来からの解釈を変えて、日本を戦争が公然とできる国にしようということ、この憲法解釈見直しは安倍晋三元首相が表明したものであったが、今度の首相もそれと同一である。
集団的自衛権を行使するとは、具体的に言えば、アメリカがどこかの国と戦争を始めるとき、日本も同じようにそのアメリカの戦争に加わるということである。
これは自衛ということとは全くことなる問題で、アメリカが日本とは関係のない遠い国と戦争をはじめても、日本はそれに加わって自衛艦や爆撃機を送り出して戦争状態に入ることになる。
このようなことは、憲法九条の「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」という規定と明らかに相容れないから、政府も従来からずっと、集団的自衛権の行使は憲法上許されないと表明してきたのである。
しかし、それをまず壊していく道が、小渕内閣のときのガイドライン法が多くの人々の反対を押し切って作られたことによって始まった。これは、アメリカの起こした戦争であっても自衛隊を派遣するという法律であり、それによって現在のようにインド洋での給油活動がなされ、派兵もされるようになった。
しかし、憲法九条の制約のために積極的な戦争行為ができず、給油活動のようなことしかできないから、それを普通の戦争ができるようにしようというのが、安倍元首相の言い出した憲法九条の解釈を変えるという目的であり、今度の麻生首相もそのことを鮮明にしている。
このようなことが行われるなら、憲法九条があるにもかかわらず、アメリカの戦争に加わって泥沼に入るという可能性が大きく高まってくる。
私たちは聖書の精神がそこに流れ込んでいるゆえに、憲法九条の平和精神を変えないように選挙とかにおいても十分考える必要がある。
ことば
(296)真実にして最大の喜びは、被造物から受けるのではなく、造物主から授けられるものである。あなたがひとたびこの喜びを持つならば、だれからも奪われることはない。…
神がある人に、神を愛するという恵みを与えたならば、その人は十分の祝福を授けられたのである。(「眠られぬ夜のために上」ヒルティ著 六月十三日)
WennGotteinemMenschen die Gnadegibt,ihnzulieben,soist'sgenugzurSeligkeit.
・喜びというのは誰でも求める。しかし大多数の人は、それは被造物である人間や自分の努力、能力、あるいは事物から得られると思っている。私もかつてはそうであった。たしかに人間によく評価され、愛され、またよき食物や家などを与えられたら喜ぶのはごく自然なことだろう。しかしこれは人間や事物が移ろいやすいためにすぐに失われるし、誰にでも与えられるというのではない。しかし、神から与えられる喜びは、そうした人間の側の制約に左右されないから、いつまでも続くし、本来だれにでも与えられる。
新約聖書には、本当の喜びは、聖霊によって与えられると記されているのも、このような永続的な幸いこそが真実のもので、神はそれを与えようしているからである。
神を愛することができるとき、その人は神からも愛されているのを実感する。そしてその愛が深いほど、人間的には苦しい状況であっても、それに打ち負かされないようなふしぎな力を与えられる。
初めて聖書を手にする人の多くがまず読む、次の箇所もこのことと関連している。
…ああ、幸いだ、心の貧しい人たち。
天の国はその人たちのものとなるから。(マタイ福音書五・3)
真実にして最大の喜びとは、天の国の喜びだからである。
(297)聖霊、あなたは弱い者の上に息を注がれます。
わたしの中で、灰の下のかすかな火のようにまだ残っていた慈しみと愛の炎を、あなたは燃え立たせるのです。
あなたを通して、内なる恐れや闇夜さえも新しい生の夜明けとなるのです。(「信頼への旅」ブラザー・ロジェ著 一五〇頁)
・聖霊は聖なる息であり、また御国からの風。私たちの弱さのなかに静かに、そしてそっと吹いて来て下さる。そして消えそうになっている私たちの心の内なるともしびを再び燃やして力を与えて下さるという。闇が取り囲むこの世にあって、孤独な弱り果てた魂に、病の苦しみの内に主の息が吹きかけられますように。
(298) あらゆる方面への完き愛こそ、この世につづく正しい存在を迎えうるために達しなければならない、この地上生活の最後の目標であり、しかも同時に、それによってのみ世界が救われうる「魔法の杖」であること…このことをわれわれは、人生のある段階に到れば、十分に洞察することができる。
…このすべての方面への愛が、もしわれわれ自身から、またわれわれの力でもって、実現されねばならないのなら、それはたしかに到達できないであろう。
だがこの愛は、神の真理からひとりでにわれわれの心に流れ込むものであって、われわれはただその流れ入るのを妨げず、心にきざすさまざまな異論に耳をかさなければよいのである。(眠られぬ夜のために 第二部 六月二一日)
水路のように、主イエスの愛、神の愛は上から流れてくる。幼な子のような心をもって見上げるならば、心に天からの流れ来る水を受け入れることができる。
編集だより
○八月に、韓国の朴 ワンさんと共に、私たちのキリスト集会の夕拝や北島夕拝に参加された、金 善美(ソンミ)さんが、徳島大学医学部にさらなる勉学・研究のために来られ、十月最初の主日礼拝に参加されました。
聖書を手にするのははじめてであり、キリスト教の集会としては、徳島聖書キリスト集会に八月に参加したことが初めてとのこと。これからも主が金さんを導いて下さいますように。
○神戸の、故上田末春兄の納骨式が、九月二八日午後、大阪府池田市の霊園にて行われました。東京や和歌山からの親族の方々も参加して行われました。山の稜線にあり、眼下に町々が見下ろせる陽光のあふれるところで、生前から上田さんが良いところを見付けてあると言われていました。一般の墓とちがってキリスト教式の墓で、それには十字架を刻み、神に希望を置いた上田さんの信仰をあらわす文字が刻まれていて、訪れる方々に、キリストの証しを無言のうちになし続けることと思います。
○文集「ともしび」は今回は、例年以上に内容的によかったためか、多くの方々からも申込あり、すべて在庫はなくなり、最近申込された方々にも希望数の一部しか送ることができませんでした。それらの「ともしび」が主によって祝福されて用いられ、その名のように、読む人々の心にともしびとなりますようにと願っています。
お知らせ
○十月十二日(日)の神戸の集会は、阪神エクレシアの集会場(神戸私学会館)で午前十時から行います。その後、午後二時から高槻市の那須宅での高槻集会での聖書講話を担当します。
○毎年出している「野の花」文集の原稿の締切りは十月二十五日(土)になっていますので、それまでに提出してください。書く内容は、信仰上での感話、学び、讃美の歌詞や聖句の引用など、あるいは職業や日常の経験や社会の問題に関する考え、また読書の中からの学びなど。長さは大体二千字以内でお願いします。
(なお用語とか内容上の明らかな間違い、あるいは内容上の不適と思われる語句や長すぎる文章のカットなど最小限の編集はなされることがあります。また原稿の採否などは編集者に一任させていただくことを御了承下さい。)