2008年7月 第569号・内容・もくじ

リストボタン御手のはたらきの力

リストボタン翼を与えられること

リストボタン憐れみの神(その2)

リストボタン収穫は多いが働き人が少ない

リストボタン死と永遠の命

リストボタン煉獄の門を入る―ダンテ・神曲煉獄篇第十歌

リストボタン全国集会の証しから

リストボタン主の導き上泉新

リストボタン重度障害の夫と共に戸川恭子

リストボタン出会いの恵み深山政治

リストボタン上田末春兄に働いた神の御手

リストボタン詩の世界からテニソンの詩より

リストボタンことば

リストボタン編集だより

リストボタンお知らせ


リストボタン御手のはたらきの力

美しい花だと見入っていてもそれが造花だとわかったとたんに心を引きつける力は失せてしまう。ある人の庭にきのこが生えていた。めずらしいキノコが庭先に生えるものだと思っていたが、それが作り物だと知って、関心は退いていった。
水音にしても、人工的な水流の音と自然の谷川の流れの音では全く引きつける力が違うし、心に働きかける力も異なる。
それは、自然のものはその背後に無限の神を感じるからである。
小さな谷川の流れは、単調な水音であるのに毎日のようにそこに行って聞いても飽きることがない。それはその水の流れから生じる単純な音は直接神のご意志、そのお心から流れ出てくるものだからである。
神は無限のいのちを持っているゆえに、神に近づきたいという願いを持っているだけで、私たちにもそのいのちを与えることができる。それゆえに、まったく同じ水音であっても耳を傾ける者に生きた何かを与えるのであってそれが飽きることのない源泉となっている。
単純な青い空、白い雲、夜の闇に輝く星なども同様である。神を思いつつ、それらの被造物を見つめるとき、そこから神のいのちが伝わってくるゆえに毎日見ても飽きることがない。
同様に、人間のさまざまの言動も自分中心のことが多く、さまざまの不真実なものがある。しかし、それでもそうした背後に神の御手が働いていることを思うときに、反発や対抗心といった人間的感情とは別のものが心に生まれる。
聖書の言葉、それも人間が書いたと思っていたら深い力は感じ取ることはできない。たしかに文字にして書いたのは人間である。しかし、それは神がとくに選んだ人間を用いて書かれたのだと信じ、背後におられる神のご意志、お心を思いつつ読むときには全くことなる力を持つものとなる。
盲人が見えるようになったとか具体的な出来事を書いてある内容であっても、また種まきのたとえなどわかりやすい話しであっても、その記述の背後の神のご意志を思うときには、神が直接に私たち一人一人に語りかけているように感じられてくる。自然も、み言葉も、またこの世の出来事も、神の御手の働きであることを知るときに、そこから神のご意志を受け取ることができる。



リストボタン翼を与えられること

朝の空にトビがゆっくり弧を描きながら飛翔していた。
風はまったくといってよいほどない空、はばたきもせず、つばさを広げてゆっくりと飛んでいる。
少し上方に向かうときだけ羽ばたくがたいてい翼を広げたままである。このような単純な行動でどうして飛び続けることができるのか、実に不思議である。

主を待ち望むものは
新しく力を 力を得る
鷲のように
つばさを翼をかって
高く 高く舞い上がる

(イザヤ書四〇・31、讃美集「心の中でメロディーを」)

このイザヤ書の言葉は、主によって救い出されたものの自由を歌っている。何にも妨げられず、力を与えられ、自由に高みへと飛翔できる。
現実の人間は、さまざまのことによって飛び立つことができない羽のこわれた状態だといえよう。大空を翔るどころか地上の歩みすらまっすぐに歩けないでしばしば迷い込んだり倒れたりする。
また足が痛んで歩けなくなるようにもなる。さまざまのわずらいによって心は縛られ前進ができなくなることもある。
そうしたこの世の現状にもかかわらず、私たちが主としっかり結びつくとき、主の言葉にとどまるときには、たしかに魂の自由を感じる。

…わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。
あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」(ヨハネ八・31

復活のとき、人はどうなるのかと問われて、主イエスは「み使のようになる」と言われた。御使い(天使)とは、霊的な存在でまったき自由な存在である。時間と空間を越えてどこにでもふしぎな仕方で現れる。イエスの誕生を告げるときに、マリヤに現れ、また夢のなかにも現れてイエスの父ヨセフにエジプトに逃げよ、と告げたこともあった。あるいは、主イエスの最も苦しみのときゲツセマネの園での激しい祈りのときにも、現れて力付けた。
そして私たちはイエスを信じるだけで、永遠の命が与えられると約束されている。その永遠の命とはまた自由な霊である。
この永遠の命を豊かに与えられるほど、私たちの魂は自由に目には見えない世界、霊的世界を飛び翔ることができるのであろう。使徒パウロは、第三の天まで引き上げられたと書いているが、それは霊的つばさを与えられて高く高く飛翔したすがたと思われる。
ダンテの神曲のなかにも、切り立った崖の上部にある煉獄の門へと進んでいけないダンテを、天使ルチアが鷲のすがたで夢に現れ、彼を高みへと引き上げるという描写がある。(神曲・煉獄篇第九歌)
私たち人間はつねに前進し続け、より高いところへと進んでいくためには、たえずつばさをもった御使いに導かれる必要があり、あるいは私たち自身が霊の翼を与えられる必要がある。 そうでなければこの汚れた地上をさまよい続けることになるだろう。
聖なる霊、それはまた霊のつばさを私たちに与えるものであると言えよう。



リストボタン憐れみの神(その二

キリスト教の二千年の歴史のなかで、キリストを宣べ伝えたという点で、最大のはたらきをしたのは使徒パウロである。それは、彼の書いたたくさんの書簡が聖書となって世界に宣べ伝えられ、それが無数の人たちをキリストへ心を向けることにつながったからである。私自身もパウロの書いた手紙の一部によってその解説を読んでキリスト者とされた者である。
そのパウロは何によってそのような大いなる働きをすることになったのであろうか。
それは、復活のキリストに出会い、自分の罪が赦された喜びのゆえあった。彼はキリスト者を迫害し、滅ぼそうとしていたのに、突然の光によってそれまでの誤りが太陽に照らされるように明らかにされ、自分の重い罪を知ると共に、その罪が赦されたのを知ったのであった。
自分は限りない神の憐れみを受けている、というのが彼の深い実感となり、それは大きな喜びとなった。
とくにイスラエルの人々が唯一の神を知るという恵みを与えられたのも、とくに彼らがすぐれているということのゆえでなく、神がかれらを憐れみのゆえに選んだのだと言われている。
…神は、「わたしは自分が憐れもうと思う者を憐れみ、慈しもうと思う者を慈しむ」と言っておられる。 従って、これは、人の意志や努力ではなく、神の憐れみによる。
(ローマ信徒への手紙九・1516
パウロは自分自身についても、信仰によって救われるということを力説しているが、その信仰を与えられたのも、神の憐れみによると実感していた。
ローマのキリスト者の人々が信仰を持つに至ったこと、それは彼らが自分の力や卓越性で信仰を持ったのでなく、「あなたがたは、かつては神に不従順であったが、今は彼らの不従順によって憐れみを受けている。」(ローマ十一・30)と言われている。
主イエスは神の深い憐れみの心を持っておられた。前回にも記したように、主イエスの憐れみを表す言葉に、とくに「内臓」を表す言葉が用いられている。それはからだ全体で人々の苦しさや悲しみ、孤独、赦されない罪からの心の闇などをともに実感されていたからである。そのような深い共感こそ、憐れみであった。
パウロは、自分自身の経験から、人間の救いは、そうした神の憐れみのゆえに、その愛が注がれ、その愛に触れて信仰を持つに至るのだと知っていた。
この宇宙の何の愛も真実もないような、ただの偶然としか思えないような時間の流れのなかに、パウロは深い憐れみが流れているのを感じていたのである。
何かを主張する場合でも、神の憐れみのゆえに言うことができるという思いが自然に出てきた。
ローマの信徒への手紙において、大きな区切りとなっている箇所がある。救われた人たちの新しい生活とはどのようなものなのか、どのように生きることができるようになるのかが十二章から十五章にわたって詳しく説かれ始める箇所である。
*

*)ローマの信徒への手紙は、パウロの手紙のなかで最も整然とした構成をもった書簡である。はじめ一~二章は、人類の罪を述べ、すべての人間が心の深いところで自分中心という罪を持っていてそこから逃れることができないゆえに、滅びゆくものとなっていることが示されている。それゆえに、三章から八章まで、そこから救われるため、人間の根本問題である罪からの救いはどうしたら達成できるのか、が詳しく記されている。救いの道が確固として存在することが言われたあと、九章から一一章においては、イスラエル民族がイエスを固く拒み迫害している現実をどう考えるべきなのかについて述べる。彼らがイエスへの信仰を拒んでいるのも、実はそれによって福音が異邦人に広がり、世界に宣べ伝えられるようにとの神の御計画によるものであり、その後時が至ればイスラエル民族もイエスを受けいれるようになる、という世界全体の救いのことが述べられている。こうして救いが全世界的であることを述べたあと、そうした大いなる神の救いの計画に入れていただいた私たちはどのような日々の生活となるのか、具体的な新しい生き方が記されているのが、十二章からの内容なのである。
そのような大きい区切りの冒頭でパウロは、
「神の憐れみによってあなた方に勧める。」(ローマ十二・1
と書いている。大きな構想をもって、しかも神からの深い聖霊のうながしによって書きすすめている書、世界で最も大いなる影響を及ぼしたとも言われるローマの信徒への手紙、そこで重要な最後の段落に入るときにまず彼の胸中にあったのは、自分は神の憐れみによって今日を得ているという実感であった。
新約聖書に掲載されている書簡は、単なる個人的な手紙でなく、聖霊の働きがそこにあるゆえに、聖書におさめられている。パウロの手紙も聖霊によってうながされて書き記したものであるが、その聖霊はパウロに自分のいまあるのは、自分の努力とか能力のゆえでなく、神の深い憐れみによる、それがなかったら滅んでいたのだという意識をたえずよみがえらせていたのであった。
こうしたパウロの気持は、つぎのようにほかの手紙にもみられる。

… 未婚の人たちについて、わたしは主の指示を受けてはいないが、主の憐れみにより信任を得ている者として、意見を述べる。(Ⅰコリント七・25

…こういうわけで、わたしたちは、憐れみを受けた者としてこの務めをゆだねられているのであるから、落胆しない。 神の言葉を曲げず、真理を明らかにすることにより、神の御前で自分自身をすべての人の良心にゆだねる。(Ⅱコリント・四・12より)

私たちが目的も分からず、死の意味も知らずにただ無になってしまうことのように思い込んでいた滅びゆく世界から救い出されたのは、何によるのか、それは主イエスの真実による。また神の恵みによる。そしてそれらの奥にあるのは、神の私たちへの深い愛であり憐れみなのであった。
この世界は人間以外をみると、動物相互の関係では、そうした憐れみなどは全く感じられない。ライオンが小動物を襲って食べてしまうように、強いものが、弱いものを食べる、これがごく自然なことになっている。
そのかわり、弱いものは数多く繁殖するようになっていて全体として釣り合いはとれている。
人間の世界でも、食べるということはなくとも、強い者が弱い者を使って労役を課したり、苦しめたりすることはよくみられる。しかし、そうした動物的状況のただなかに、そのような弱く苦しむ人間の痛みを深く知って下さるお方があり、その憐れみがあるということを知らされている。
主イエスの直前に現れた預言者、イエスの前に道を備える役割を与えられた洗礼のヨハネが生まれるとき、彼の使命は聖書の中でつぎのように言われている。

…幼子よ、お前はいと高き方の預言者と呼ばれる。主に先立って行き、その道を整え、
主の民に罪の赦しによる救いを知らせるからである。
これは我らの神の憐れみの心による。この憐れみによって、高い所からあけぼのの光が我らを訪れ、
暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、我らの歩みを平和の道に導く。」(ルカ福音書一・7679

ここにも、救いの手が差し伸べられたのは、人間の努力とか卓越性によるのでなく、神の憐れみによるということが強調されている。

この神の憐れみの重要性のゆえに、主イエスはつぎのように言われた。

あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい。(ルカ六・36

憐れみ深い人々は、幸いである、
その人たちは憐れみを受ける。/A>iマタイ五・7
さきにあげたローマの信徒への手紙の最後の部分において、パウロは、最終的にユダヤ人もそれ以外の民族もすべての人々が神をたたえることができるようになることを指し示しているが、それは神の憐れみを実感するゆえにそのようになるのを示している。

…異邦人が、神をその憐れみのゆえにたたえるようになるためです。「そのため、わたしは異邦人の中であなたをたたえ、あなたの名をほめ歌おう」と書いてあるとおりです。
また、「異邦人よ、主の民と共に喜べ」と言われ、
更に、「すべての異邦人よ、主をたたえよ。すべての民は主を賛美せよ」と言われています。
(ローマ十五・911より)

パウロ自身、すでに述べたように自分の大きな罪を知っていた。そしてそこから救われたのは、ひとえに神の憐れみによるという実感を持っていた。

…以前、私は神をけがす者、迫害する者、暴力を振るう者であった。しかし、信じていないとき知らずに行ったことなので、憐れみを受けた。(Ⅰテモテ一・13

このように、キリスト者とは神の憐れみを確かに受けている者だということは、ほかの新約聖書の書簡にもしばしば見られる。

…あなたがたは、「かつては神の民ではなかったが、今は神の民であり、憐れみを受けなかったが、今は憐れみを受けている」のです。(Ⅰペテロ二・10

主イエスが言われたように、神の愛は太陽のようにいつも万人の上に注がれている。しかし私たちの魂の感受性というのが閉ざされていてそれが感じられないのである。そうした状況から救い出され、神からの愛、とくにどうすることもできない自分に深い憐れみが注がれていることを実感できるようになったのがキリスト者である。
それゆえに、最終的に私たちが祈り、待ち望むのも主の憐れみなのである。

…愛する人たち、あなたがたは最も聖なる信仰をよりどころとして生活しなさい。聖霊の導きの下に祈りなさい。
神の愛によって自分を守り、永遠の命へ導いてくださる、わたしたちの主イエス・キリストの憐れみを待ち望みなさい。
(ユダの手紙2021



リストボタン収穫は多いが働き人は少ない

神の国のためにはたらくとき、必ず収穫はある。この世は朝早くから夜遅くまではたらく人はたくさんいる。先頃の調査であきらかになったように、財務省などにつとめている人は深夜になって帰宅するのが、勤務日の半数を越えている人が相当数いるとのことである。
それほど多く働いているが、それは神の国のためにはたらくということとは関係のないことである。主イエスの時代から、いつの時代にも一日中はたらく人はいくらでもいた。そうしないと生きていけないというのが普通であった。それでも、日本の江戸時代にしばしばあったように、冷害などのために作物が不良となり、大飢饉が生じて飢え死ぬ人が多数生じたほどである。
そのように日々の暮らしのために働く人はいつの時代にも無数にいる。それゆえ、主イエスが「働き人が少ない」と言われたのは、そのように日々の暮らしのための働きを言ったのではないことはすぐにわかる。それは、神の国のため、福音のために直接的な働きを意味しているのである。
主イエスは言われた。
「収穫は多いが、働き手が少ない。
だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。」(マタイ福音書九・3738

主イエスの目から見ると、この世はすでに刈り入れを待つばかりとなっている。イザヤ書などでキリストが来られるということが預言され始めて七百年もすぎたが、その長い年月は主イエスが来られるための準備の年月であった。そして時至ってキリストは来られ、まったく新たな時代となった。それはまた無数の人たちが救われ、神の国へと導かれる収穫の時の到来であった。
それゆえ主イエスは言われた。

…あなたがたは、『刈り入れまでまだ四か月もある』と言っているではないか。わたしは言っておく。目を上げて畑を見るがよい。色づいて刈り入れを待っている。(ヨハネ四・35

まだキリストは来ない、まだそんな時期でない、という感じ方はいつの時代でも同様である。 しかし、神のまなざしをもって見るときには、無数の穂が色づいて刈り入れを待っているという。それは救いにいたる人たちがキリストの福音を聞いてすぐに信じて神の国に入るということがありありと見えるということなのである。
そしてこの主イエスの鋭いまなざしは、たしかにそのとおりであった。
主イエスが十字架によって処刑されたのち、弟子たちやイエスに従っていた人たちの多数が日々祈り続けていたが、時がきて聖霊がゆたかに、激しく注がれた。それによってキリストの復活が証しされ、十字架での死の意味が宣べ伝えられて、波のようにその福音は世界へと伝わっていった。
これはまさに収穫であり、刈り取られて神の国に入れられたということなのである。
現代もその収穫の時代は続いている。神の国のために働き人が今も求められている。



リストボタン死と永遠の命

人はこの世の命はわずかしかない、必ず死を迎える。そのときにすべては終わるのか、それとも何かが残るのか、ということは、はるかな古代から人間と動物とを区別する重要な点であり続けてきた。
何かが残る、霊が残る、しかもそれはていねいに葬らないと怒ったりたたってきたりする、というかたちで残るという信仰のかたちは現在の日本でも至る所で見られる。
「慰霊」という言葉がごくあたりまえに使われているが、これは死んだ人の霊が怒ったり、悲しんだり、恨んだりしているから、その「霊を慰めて」、生きている人間にたたってこないように、という意味が込められている。
葬儀の前の通夜というのも、もともとはその文字のとおり、夜を徹して行うものであった。なぜそのようなことをするかと言えば、それは故人への愛着とかのためでなく、亡くなった人の霊が、正体不明の霊、あるいは悪の霊のようなものに奪われないようにするためであった。
また、死者の霊が生きているものに害悪をする、ということは古くから日本では信じられてきたことである。 たとえば、京都の北野天満宮という有名な神社は、菅原道真が太宰府に左遷され、そこで没した後、京都は雷や地震等の災害が次々と生じたという。これは、菅原道真の祟りであると恐れ、それを鎮めるために造られたのが、北野天満宮で、菅原道真を神として祀ったのである。
けれども、死んでからある期間をすぎると、死者の霊は落ち着いてきて祖先の霊となる。それからはその家や郷土の守り神となる。そして毎年正月と盆という時期に家に帰ってくる。その祖先の霊を食物を備えて迎える。正月にしめなわを飾ったりするのもそのためである。
死後ある期間は死者の霊がどこにいくか定まっていないでさまよっている。そのために、よいものに生まれ変わるようにと、特別な儀礼を行わねばならない。それが四九日の法要が始まった由来であるという。(こうしたことの説明は多くの書物に書かれてある。例えば、「日本の仏教」岩波書店 一〇三~一〇九頁より 渡辺照宏著)
これが日本で昔からあった風俗で、神道と仏教とが入り交じってこのようなかたちとして行われてきた。
このような考え方とは全く異なるのが、キリスト教の見方である。
死後はどうなるのか、それは生前に神とキリストを信じていた者は、すでに死なない者とされている。

…はっきり言っておく。
*
わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また、裁かれることなく、死から命へと移っている。
はっきり言っておく。死んだ者が神の子の声を聞く時が来る。今やその時である。その声を聞いた者は生きる。(ヨハネ福音書五・2425

*)新共同訳では、「はっきり言っておく」と訳しているが、原文は、アーメン、アーメン と二回繰り返された強調した表現となっている。アーメンとは、「真実に」という原意があるため、外国語訳は例えば英語訳などを見てもつぎのように、ほとんど 「真実に」というニュアンスを入れている。
Truly, truly, I say to you
RSV; Very truly, I tell youNRS;
I tell you the truth,
NIV;
In all truth I tell you
NJBWahrlich, wahrlich, ich sage euch LUTHER

この言葉は、人間はその罪のゆえに死んだと同様な者であるが、神を信じ、キリストの言葉を聞くことによって永遠の命を与えられ、この地上にある間からすでに「死から命に」移されているというのである。
世の終わりのときに復活するといった表現もある。しかし、ヨハネ福音書では、このように、信じるならすでにそのとき、復活したのと同じ永遠の命を与えられるのだということが強調されているのである。
つぎのマルタという女性への言葉はそのことを明確に示している。

… イエスが、「あなたの兄弟は復活する」と言われると、
マルタは、「終わりの日の復活の時に復活することは存じております」と言った。
イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。
生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」
マルタは言った。「はい、主よ、あなたが世に来られるはずの神の子、メシアであるとわたしは信じております。」(ヨハネ福音書十一・2327

このように、すでに世の終わりのときに復活するということは、イエスの時代から一六五年ほど前のユダヤ人への激しい迫害を記したマカバイ記(旧約聖書続編)にも記されていて、一部のユダヤ人は、世の終わりの復活を信じるようになっていたのがうかがえる。
マルタはその信仰をイエスに表したが、イエスはその世の終わりのときに初めて復活するということを訂正して右のように言われたのであった。
主イエスも、十字架での処刑のとき、すぐとなりに重罪人が処刑されていたが、彼が主イエスの復活を信じる信仰を表明したとき、「あなたは今日パラダイスにいる」と約束された。それは、その罪人の死後に与えられる祝福の約束であった。
弟子たちすらイエスの復活を信じられなかったのに、みんなから見捨てられ、さらしものになって死んでいく重い罪人が、イエスは十字架で苦しみもだえているにもかかわらず、なお死んで終りでなく、復活して神の国に帰っていくのだ、と確信していたのは驚くべき信仰であった。
こうした信仰に対しては、最高の賜物を主は与えられるであろう。かつてフェニキアの異邦人の女が、自分の娘が悪霊にとりつかれて苦しみうめいているので、必死になってイエスに救いを求めたことがあった。しかし、イエスは答えず、それでも女はあきらめずに「憐れんで下さい!」とよりすがってきた。弟子たちですら、うるさいから、追い払うようにイエスに言ったほどであった。なおも、受けいれられなかったが、しかし、決してあきらめることのないその女のイエスへの信頼に対して、主イエスは「あなたの信仰は立派だ」と言われ、願いどおりに聞き届けたことがあった。
こうした単純率直な信仰には大いなる賜物を下さり、祝福を与えられる。
十字架上での信仰を表した犯罪人も、その最期のときのひと言の告白によって最善のところへと導かれることが約束された。
さきにあげたヨハネ福音書において、主を信じそのみ言葉を聞くだけで、私たちは死の世界から永遠の命の世界へと移されることが、真実なこととして強調されている。
使徒パウロのよく知られた言葉がある。

…生きているのは、もはや私ではない。キリストが私のうちに生きておられる。(ガラテヤ信徒への手紙二・20

これはヨハネ福音書で言われていることと同様に、復活した永遠の命そのものであるキリストがパウロのうちに生きているのならば、死によっていなくなることはないし、単なる眠りに入ることもない。
キリストとともに永遠の命そのものとして存在していることになる。
永遠の命をいただいた魂のすがたはどのようなものなのか、それはつぎの言葉が指し示すものである。

…わたしたちは皆、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます。これは主の霊の働きによることです。(Ⅱコリント三・18

主と同じ姿に造りかえられていくのであるから、それは死んだり一時的に消えたりするものではないといえる。主は永遠に生きている存在だからである。復活し、神とともにあり、神と同じ本質の霊的存在となられたキリストと同じ姿へと変えられる、などということは人間の現状をみるだけではおよそ信じがたいことのように見える。しかし、このことはパウロが神からはっきりと啓示されたことであったから、別のところでも繰り返している。

…キリストは、万物を支配下に置くことさえできる力によって、わたしたちの卑しい体を、御自分の栄光ある体と同じ形に変えてくださるのです。(ピリピ 書三・21

死んだらどうなるのか、それはここに言われているように、神のもとにおられる完全なキリストと同様な栄光ある姿に変えられる、ということになる。
死んだらどうなるのか分からないというのが多くの人間の気持である。しかし、私たちの浅くてきわめて狭い考えをはるかに超えた永遠の真理を深く啓示された使徒たちが、私たちには受けていない真理を代わりに受けているのである。
そもそも愛と真実な神が存在するということからして、この世をふつうにみるだけでは決してそんなことは信じられないことである。災害やありとあらゆる犯罪や悲劇的な事件が至る所であるのであって、愛や真実の神、万能の神がいるのならどうしてそんなことがおきるのか、という疑問が自然に生じる。
そのように目でみえる現象や論理や学問、あるいは科学技術などでは決して愛と真実の神の存在は分からない。 そのような疑問と不信の洪水のなかで、神の啓示を受けたものは、その闇のただなかで神がたしかにおられるのを実感する。
死後のことも同様である。ふつうに考えたら死んだら終りで何もなくなる。眠っているなどというのは単に死んでいるということを言い換えただけである。土に埋めてもすぐに土中の生物によって食べられたり、細菌類によって分解され、さらに時間が経つと、土にしみ込む雨水に含まれるわずかな炭酸によって骨のカルシウム化合物も溶かされたりして跡形もなくなっていく。
火葬にすれば、体重の六〇%をしめる水分は水蒸気となって大気中に拡散し、肉体のタンパク質や脂質などは、燃焼して二酸化炭素、窒素やイオウ酸化物となってやはり大気に出て行く。残った金属化合物だけが、気体となれないために、骨や灰となって残る。温度を高くし、さらに火葬する時間を延長すれば、骨もすべて灰となる。
遺骨を特別視する人が日本人では多いが、それはこうした観点からみるときあまり意味のないことなのである。火葬にしても土葬にしても、大部分のからだを構成していた物質は大気中と土中に拡散していくからである。火葬場での遺骨と遺灰の大部分はゴミとして捨てられ、どこかの土地に運ばれる。そうして土に入りこむ。 わざわざ海や山中に遺灰をまくとか空中からまくなどしなくとも、大部分の故人のからだを構成していた物質は空中と土中、あるいは川や海へと流れていくのである。
遺骨は、故人の目にみえる記念のものとして意味があると言えよう。ちょうど、故人の愛用していた筆記具など持ち物が記念となるように。 そのような筆記具が故人そのものでないように、遺骨も故人そのものではないことは明らかなことである。
死者が、生前に神とキリストを信じていなかったらどうなるのか、そのことに対する最善のことは、その人が死にいたるまで、その人の魂が神とキリストを受けいれるようにと祈ることである。そうして周囲の身近な人の真実な祈りによってその人が救われるということは、次のような箇所に照らしても十分に有りうることなのである。

…すると、人々が中風の人を床に寝かせたままで、みもとに運んで来た。
イエスは彼らの信仰を見て、中風の人に、「子よ。しっかりしなさい。あなたの罪は赦された。」と言われた。(マタイ九・2

ここで私たちが意外に思うのは、中風の人本人の信仰にはひと言も触れられていないことである。まわりの人の信仰を見て、中風の人の罪が赦された、救われた、と確言されたのである。
神は愛の神であり、万人を太陽のように照らす神であるゆえに、私たちは生きているときに神を信じることもしないで罪のままに生きたように見える人も、死ぬ直前にどのような心の変化があったか誰も分からない。神がその御手を伸べて、その人の魂を揺り動かし目覚めさせて言葉にはならなかったが神の方向へとまなざしを向けたかも知れないのである。
ダンテはそうした最期のときに人知れず悔い改めた魂の救いを神曲の煉獄篇において劇的な描写で描いている。(煉獄篇第五歌)
それゆえに私たちは、神を信じなかった人たちの魂が、死後どうなったかはすべてをご覧になって最善になさる神を信頼して委ねることができる。そして私たちの関心事は、信仰を持たなかった人の死後の魂の行く先をあれこれ詮索することでなく、生きている人たちへの祈りと関わりのほうに心を向けるべきなのである。
主イエスが、父親の葬儀をしてから、従っていきたいと言った人に対して、「私に従え。死せるものに死者を葬らせよ。」(マタイ八・22)と言われたことはそうした方向と一致する。
イエスに従うということは、死せるものに形式的にかかわってあれこれするような後ろ向きのことではない、あくまで生きている者に対する真剣な関わりこそ、神のみこころにかなったことなのである。
キリスト教における葬儀、記念会などもすべてこのような生ける者への関わりという目的によってなされる。キリスト教葬儀は伝道であると言われるが、それはこうした遺族や親族、友人、参列者に、聖書の言葉を贈り、み言葉による力によって死者との別れによる淋しさと悲しみから立ち上がり、故人の信仰による生きざまを証しして生きている人たちへのみちしるべとなすためなのである。



リストボタン煉獄の門を入る ― ダンテ・神曲煉獄篇 第十歌

煉獄の山をのぼり始めたダンテは、ローマの大詩人に導かれて行くが、切り立った崖のようなところがあってそこからは上れないほどの険しい道があった。しかしそこを上っていかなければ煉獄の門に入ることはできない。
ダンテは、夢のなかに天使のルチアが突然現れて自分を捕らえて、本来ならば達することの困難な煉獄の門に達することができた。この神曲の特質の一つはこのように、「導かれる」ということが奥を流れていることである。
予想していなかった天よりの助けによってダンテは前進していけるのであって、そのような助けがなかったら進めないのである。このことは、現在の私たちの御国へと目指す歩みを象徴している。
私たちもまた、どんなに努力してもまた年齢を重ねても自分の本質は変わらないことをしばしば痛感させられる。しかし、主を仰ぎ、主に引き上げられるようにして歩むときようやく私たちはより高いところへと、また御国への道を進んでいくことができる。
キリストの最大の弟子とされた使徒パウロ、彼は当時としては最高の教育を受け、家柄もよく、ユダヤ人の宗教においても熱心な者であった。しかし、そうしたあらゆる恵まれたものをもってしても、キリストの真理はまったく分からなかった。そうした地位、家柄、学問もキリストに近づく翼とはなり得なかったのである。かえってキリストの真理を打ち壊そうとするほどの大いなる暗黒にあった。パウロをその真理に連れていったのは、学問や努力、修行でなく、天よりの光であり、復活のキリストであった。その光に打たれ、聖なる霊の力によって立ち上がらせてもらって初めてかれは魂の目がひらけたのであった。
ダンテがようやく達した煉獄の門、それは特別な意味深い岩石でできた階段を上ったところにあった。
第一の段は、真っ白の大理石でできていた。それは、その白さによって自分の罪のみにくさをはっきりと映し出されて知り、悔い改めへと向かわせるためなのであった。煉獄の門への階段の第一はこのように、みずからの罪を深く知ることからはじまる。それは現代の私たちにもそのままあてはまる。罪を明確に知ろうとせず、分からないときには悔い改めもなく、従って御国への前進がなされないのである。
第二の石段は、黒ずんだ石であって縦横にひび割れていた。それはみずからの黒い罪を知って、深く砕かれ、悔い改める心を象徴するものとなっていた。砕かれた心を神は最も受けいれられると詩編にもある。自分は正しいという思いをつづける者はひび割れていないのであり、魂が砕かれておらず、固くとざされている。それはまた真理に対しても固く戸をしめたままになると言えよう。
第三の石段は、重みのある岩石で、それは血管から血がほとばしるような赤い色、燃えるような色であった。それは、悔い改めにより、赦しを与えられたことに対して、燃えるような喜びと愛を現実の生活にあらわしている様をあらわすものであった。
このようにして一つ一つの石段を上って煉獄の門へとたどりついたのである。
そしてその最上段のところに土色をした衣を着た天使が門の番をしていた。
天使といえば、聖書の一部の記事や有名な画家たちが書いたように、例外なく真っ白とか、うるわしい色をした服を来ているように思いがちであるが、ここでは意外にも地味な土色なのである。それは、神のみまえに低いへりくだったものだということを示す色であった。煉獄を歩むということは、いたるところでこのように、神の前で低く砕かれたものになるということが示されているのである。
この天使によって、煉獄の門のとびらが開かれるのだが、それは非常に大きい音であった。閉まるときにも同様な耳にとどろく鳴り響きがあった。
なぜこのように煉獄の門がすごい音をたてて開くようになっているのか、それは、それほどに煉獄に入るということは重々しい出来事であるということが暗示されているし、入る人がごく少ないからこのように、大きなきしむ音をたてて開くのである。
煉獄の門を入る、それは悔い改めということと不可分である。一人の魂が悔い改めるとき、天において大いなる喜びがある、と主イエスが言われた。悔い改めは天の国では大いなる出来事であり、この煉獄の門もそのような大きい音をたてることでその重要性をも暗示しているといえよう。
現在も、もし、私たちが霊の目と耳とをすましているならば、人知れず心から悔い改めた魂を目ざとく見出した天の使いたちによって、喜びの声が響き、その人を迎え入れる扉が大きな音をたてて開いていくのを聞き、そして見ることができるであろう。
そしてその大きな扉からなかに入ったダンテは、奥から聖なる歌声が響いてくるのを聞き取った。「神さま、私はあなたをたたえます!」(Te Deum Laudamus …)
*

*)この讃美は古代から有名なもので、アンブロシウス(四世紀の人)がつくったと伝えられてきた。 te (あなたを)人称代名詞の対格。Deum Deus(神)の対格。laudamuslaudo(讃美する)の一人称複数形(我らは讃美する) 直訳は、「汝、神を 私たちは讃美する…」

悔い改め、神によって立ち上がらせていただき、導かれていく者は、彼方からの聖なる響きを聞くようになる。それは神を讃美する歌声である。神への讃美こそは、人間の究極的なすがたであり、その響きと歌声に接することによって私たちの魂も清めを受けるのにふさわしくされていく。
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人間のあらゆる言動は何らかの「愛」によって動かされている。たいていは間違った愛である。利得や自分自身を愛すること、特定の人間を差別的に大事にすること、飲食物への愛からさまざまの浪費にまでいたること、さらに地位や権力への愛ゆえに、多くの人たちは煉獄の門でなく、地獄の門へと入り込んでいく。
それゆえに、この煉獄篇第十歌において、ダンテは、冒頭にそのことを記している。
「曲がった道も真っ直ぐに見えさせる間違った愛のゆえに、多くの人たちはそれに惑わされ、この煉獄の門にいたることがごく少ない。」
主イエスも命にいたる道は「狭き門」であり、その門を見出すものは少ないと言われた。
ダンテは、その門を守る者に、へりくだって門を開いて煉獄のなかに入れてくれるようにと乞うた。その門番は、つぎのように言った。
「入れ、だが決して忘れてはならぬことがある。それは後ろをふりかえるものは、再び門の外に出てしまうのだ。」
この門番の言葉は、聖書を知る人にはとくに忘れられない言葉である。それは、旧約聖書の創世記に、あまりの大きな罪のゆえに、死海の南部にあったとされるソドムとゴモラの町が滅ぼされるときである。 アブラハムのゆえに、かれの親族であったロトとその家族は救い出されることになった。そのとき、天使が、つぎのように命じたことはよく知られている。
「決して後ろを振り返ってはならぬ。もしふりかえるならば、塩の柱になってしまう。」
しかし、それにもかかわらず、ロトの妻はふりかえったために、塩の柱となってしまったと記されている。塩の柱、それは現在の私たちにはまったく非現実なことのようにみえる。しかし、ダンテがこの険しい崖を天使によって運ばれ、やっとたどりついた煉獄の門の番人に、同様の言葉を語らせていることは、このことがとくにきよめられる道を歩む者として決して忘れてはならないということを示している。
後ろを振り向くと塩の柱となる。それは、塩の柱など見たことのない日本人にとっては、非現実のようでありながら、霊的な意味は深く私たちとかかわっている。ロトの妻の場合も、天使によって導かれ、逃げる先まで指示され、そのとおりに従えばよかったのであった。ロトの妻はその導きを振り切って裁きを受けている町々の有り様を見ようと後ろを振り返ったのである。
後ろを振り返ることくらい何でもないのではないか、誰でもどこでもなされていることだ、と思う人がほとんどではないだろうか。日常生活において私たちはたしかに何かあると後ろを振り返っている。それは過去の出来事を懐かしむとか、過去に生じた楽しい喜ばしい思い出にふけるとか、また逆に過去に犯した罪を心の痛みをもって、あるいは後悔の情をもって振り返る。そしてどうしてあんなことをしたのか、なぜこんな状態になってしまったのか、といったことを思いだすのである。
そうした過去の罪深い言動、大きな失敗、他人を傷つけ、自分の運命を狂わせたと思う人間へのうらみとか怒り等々、過去のことを振り返っているときには、たしかに私たちは「塩の柱」となってしまう。
魂の大切な部分が固まってしまい、前進できなくなる。枯れたようになってしまうということである。
ダンテも煉獄の門を入り、そこから前進して魂の清めの歩みをしていくものにとって、こうした過去のさまざまのことを振り返ることがいかにふさわしくないか、そのようなことをしていたら、再び前進のできない門外に出されてしまうということを強調したかったのである。
過去の罪や失敗を思いだすたびに、私たちはただちにそうした過ちをすべて赦し、帳消しにしてくださる、主イエスの十字架を仰ぎ、神の憐れみに満ちたみ顔を仰ぎ見るようにしなければならない。
まさに私たちが「塩の柱」と化してしまわないために、主イエスは十字架で死なれたのであった。その十字架を仰ぐだけで、私たちは固まってしまうことから逃れることができる。
十字架で流されたイエスの血がいわば私たちの魂の硬化を防ぎ、固まってしまったものをも、溶かしてしまうからである。
このような厳しい戒めを言い渡されたダンテは、前進していく。しかし、そこは決して広いなめらかな道ではなかった。
「あたかも、引き退いてはまたも寄せてくる波のように、その道は彼方へ、また此方へうねっていた。」ダンテはそのような岩の裂け目をのぼっていったのである。
この描写、これは魂の清めの道、御国への道を歩んでいこうとするものの状況をあらわすものである。じっさい、私たちがキリストを信じ、神を信じて生きていこうとしても、じつにさまざまの方向からその歩みを難しくするような困難、なやみ、思いがけないことが寄せてくる。右からも左からも波のように私たちをのみ込もうとするかのように。
しかし、そこを通っていかねば前進はできない。またそのような狭く困難な道であっても、導きがあるゆえに進んでいくことができる。
主イエスも、次のように言われた。
「滅びにいたる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。
しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか!」(マタイ福音書七・1314
ダンテのこの煉獄篇十歌の描写はまさにこの主イエスの言葉を、ダンテ自身の実感をまじえて書き記されたものだと言えよう。
そのようにして長い時間をかけて苦しみつつ歩んだダンテと導きをするウェルギリウスの二人はようやく、煉獄の清めを受けている台地へとたどりついた。
そこでまずダンテが驚いたのは、いかにも静かで、誰一人いない、荒野の道よりもなお寂しい平地であった。狭く細い道、そしてそのあとにあるのがこのように寂しい台地であったということ、ここにもこの道を歩む人がきわめて少ないということを象徴的に意味している。
これはまた私たちの実感でもある。時折大阪、東京などの都会に出ることがある。そこではぎっしりとビルが立ち並び、そこにはすべてたくさんの人たちが仕事をしている。電車は次々と驚くばかりの多数の人たちを乗せて走っている。しかし、そうした数知れない人々のいったいどれほどが、この神の国への道、主イエスの十字架の血により、また聖なる霊による導きの歩みを知っているだろうか。 目には見えない世界のありさまを思い浮かべるとき、たしかにダンテが言っているように、砂漠の道のように、閑散としている。この世の道路には車があふれている。人間は無数にいる。しかし御国への道は、歩いている人が見当たらないほどに霊的な砂漠なのである。
そうした平地は煉獄の山を環状に取り囲む台地なのである。そこでダンテがつぎに気付いたことは、山側の崖には、魂を引きつける彫刻がなされていたのである。まずダンテが気付いたのは、マリアの姿であった。そして彼女に、御子イエスの誕生を告げた天使の姿がそこにあった。それは生きているように彫られていたために、マリアに語りかけている言葉が聞こえてくると感じられたほどであった。そして、マリアの言葉としては、「私は、主のはしためです。」
*というひと言が明瞭に彫られてあった。

*)原文のギリシャ語は イドゥー・ ヘー・ ドゥーレー ・キュリウー idou h doulh kuriou であり、直訳すれば、「見よ、つかえ女を 主の」となる。これは、「私は、本当に主に仕える者なのです。」といった強調のニュアンスがある。 ドゥーレーとは、ドゥーロス(奴隷、僕)の女性形なので、女奴隷という意味をもっている。英語訳のうち、原文の表現に近い訳をあげる。
Behold the maidservant of the Lord!
NKJV


煉獄の門を入り、細くて左右から波のようにさまざまの妨げのようなもののある道を進んで、ようやくたどりついたこの煉獄の最初の台地、そこでまず見たのが、このマリアと、彼女に御子の誕生を告げる天使であったということ、それは何を意味するのであろうか。 マリアはイエスの母という特別な選びを受けた女性であった。今日まで世界で最もその名を知られた女性はいうまでもなくマリアである。しかし、そのマリアの特質を一言にして言えば、それは主に全面的に仕える、主の奴隷のように主から言われたことに忠実に従うということであった。そこにこそ、人間がずっと見続けているべき姿があった。また天使からの喜びの知らせ(祝福)を受けるにふさわしいのはそうした心の状態だというのである。
このマリアの自らを主のしもべとして全面的に仕えようとする魂の姿勢を見つめるとき、その背後にいます主(神)をも見つめることになる。単に謙虚さにおいて模範的な人間をみるというのではない。真に御前にへりくだった人間と接しているとき、私たちもまた、その人がいつも見つめている主を見つめずにはいられなくなる。まちがった模範は、その人間を見つめさせようとするのに対して、本当に模範となる人物は、その人間を通して、いわば透かし絵のように、背後の神がまざまざと見えてくるようになる。
その点では、清さや美しさという点で完全な模範となる、一部の野草の花のすがた、色合いなど、それはそれを見つめるときには、そうした清らかなものを創造された神の無限に清いお心が浮かんでくるのと同様である。
次いでそこに刻まれていたのは、ダビデの神の箱の前で讃美しつつ踊る姿であった。神の箱とは、神の言葉をおさめた箱であり、旧約聖書の時代に最も重要視されていた。敵に奪われさまざまのいきさつを経てようやくその神の箱がエルサレムの町に帰って来たことを、ダビデ王は非常に喜んだ。それは、神が近くに共にいてくださること、神の言葉が民族の中心の場所に置かれていることを何より喜びとする姿勢があった。その喜びと讃美の心を、主の前で、からだ全体で表さずにはいられずに、ダビデは力のかぎり踊った。(サムエル記下六章)
それはダビデの妃から見れば、じつにくだらないこと、恥知らずなこととしてしか受けとれなかった。それゆえにダビデが家に帰ったときに、口にしたのは、そのようなダビデを見下した言葉、王にまったくふさわしくないという非難の言葉であった。
それは、神を見つめていない心ゆえそのようなことを言ったのである。真の謙遜とは、ただ神だけを見つめ、人間を見ないことである。神の御前に幼な子のような心でその喜びや感謝を表すこと、そしてただ神の語りかけだけに耳を傾ける姿勢なのである。
神のみを見つめる心、それは父である神を見つめるのだから、そのような心があれば、おのずから子供のようになる。主イエスが幼な子のような心でなければ神の国に入ることができない、といわれたが、それは真の謙遜とはどのようなものかを言われたのであった。
ダンテは、このダビデのすがたを「王以上、かつ王以下」といった特異な表現で記している。王以上というのは、そのように人々とともに喜び踊るほどに、神だけを見つめていたという点である。王以下というのは、ふつうの人間の目から見れば、はしたない姿であり、およそ王としての威厳もない、ということであったからである。
人間を見つめる心は、人間のなかで敬われたいという心とつながる。ダビデの妃は、王妃として敬われたいという強い願望が心にあったゆえに、自分がいわば王になりたいといった心情になっていたのである。王の妃ということで周囲の者たちがみな最大級の敬意を払うゆえに、いつのまにか、神を忘れ、自分が敬われるのがあたりまえと思い込んでしまったのである。
煉獄篇のこの台地に、神の前で踊って讃美するダビデとそれを見下す王妃のふたつが並べて刻まれていたのは、神をわすれた高ぶりと、神だけを見つめて王であるということを意識もしないほどになっている謙遜が対比されるためなのであった。
このようなことは、聖書の人物の特質だと言えよう。主イエスは、最後の夕食のまえに、弟子たちの足を洗ったが、そうしたことは、奴隷がする仕事であった。鞭打たれ、あざけられ、つばをはきかけられ、はりつけの刑にされるということは、最も重い犯罪人が受けることであった。
他方、そのような辱めを受けたあと、復活し、神と同質の存在として天に帰られたということは、人間をはるかに越える神の子としての姿であった。それはまさしく人間の最低のところを歩まれたのであるが、他方、人間には不可能な万人の罪を赦し、死に勝利するという神のわざをなしとげ、天の高みへと帰られたのであった。

ダンテはこのような、神のまえに低くされ幼な子のような心もて神を見つめる姿勢が彫り込まれた山の壁面を見つめていた。そのとき、人影もなかった煉獄の台地を向こうから重い石を背負ってからだを深くかがめて、胸を打ちながら進んでくる人たちが見えてきた。彼らは生前の傲慢が罰せられているのである。人々の前で高ぶった態度をとってきたゆえに、それが矯正されるために、重い石でからだが真っ直ぐはできないほどなのである。
ここでダンテは、この書を読む者たちに呼びかける。
「読者よ、彼らが罰を受けて苦しむ姿をみて、そこに心をとどめてはならぬ。そのような苦しみのあとに何がくるかを思え。」
神の国へのはっきりとした道を、清めを受けつつ歩む者は、途中でいかに苦しい目に遭おうとも、そのあとにくるものを見つめよ、というのである。悪をなして最後まで悔い改めなかった魂は地獄で苦しめられていた。そしてその苦しみのあとには全く希望がなかった。しかし、煉獄において、御国への道においてはいかに困難や苦しいことがあろうとも、必ずそのあとにはよきことがひかえているというのである。
苦しみそのものは、信仰をもっている人も持たない人にもしばしば同じように襲ってくる。しかし、信仰ある人と、そうでない人とでは、そのあとに来るものが全くことなるのである。
そして次いでダンテは当時の人たちに呼びかけて言う。
「おお、心たかぶっているキリスト者たちよ、心の目を病んでいるがゆえに、後ずさりしつつも意気揚々としている、痛ましくも疲れ衰えた人たちよ。」
高ぶった心は、まわりの者を見下し、自分をえらいとするものであるとし、人より進んでいると錯覚している。しかしじっさいはその高慢ゆえに、後ずさりしているにすぎないのだという興味深い表現となっている。
低くするものが先になり、高ぶるものがあとになっていくのである。



リストボタン全国集会でのキリストの証し(その2)

主の導き
     上泉 新(北海道)
ファーム・ブレッスド・ウィンド(Farm Blessed Wind―農場名)

 私の家庭は祖父の代からのクリスチャンホームです。明治生まれの祖父は苦労人で筋金の入ったクリスチャン、大正生まれの父にもその信仰は引き継がれました。
 私が三人兄弟の末息子として生まれたのは父が四四歳、母が三九歳の時でした。何に対しても独特でユニークな考え方をする父は高齢のせいもあったのか、与えられるものはモノでも愛情でも最大限の物を与える方針で私は甘やかされて育てられたように思います。感受性の強さ、精神的なもろさはこうしたところから形成されたのかもしれません。

小学校時代はオホーツク海に面していて冬には流氷が来る田舎町に住んでいました。川での釣りに、山でのクワガタムシ採集、毎日を大勢の友達と共に過ごす腕白な少年でした。
家庭の事情と私の勉強の為、中学は父を田舎に残し母と姉とで札幌のマンション暮らしになりました。田舎とは余りにも違う環境と学校の不毛な勉強、生徒の暴力、教師の暴力、塾通い、友人がほしかった私は万引きグループに入りました。少しずつ心が荒れていったように思います。

自然の恋しさと荒れた都会の学校に嫌気がさした私は山形のキリスト教独立学園高校を受験し合格しました。しかし、「悪」は都会ではなく私の心の中にありました。学園の在学期間を私は自分勝手に、およそ学校が望む反対の方向の生活をしてしまいました。次第に自分自身に対して諦めの感情が芽生え、投げやりになって行きました。大学は父が薦めるまま、酪農大学を受験し合格しました。
ところが大学に入ったときには私は全てを投げ出したくなっていました。入学後数ヶ月で学校を辞める事を決意し、父には「もう自分の事は諦めてほしい」と伝えました。親との話し合いの結果、即時に退学するのではなく、休学可能な四年間のうちに気持ちが変わらなければその時は辞める事となりました。休学の間やったことは全てが中途半端。ただ無為に過ごしていたように思います。しかし、三年目「これではいけない」と気持ちを変え、先生になることを目標に復学しました。

大学に戻った私はひたすら「真面目」になろうと無理をしていたように感じます。実際に教師になってからも、一所懸命でしたが、重大で致命的な欠陥がありました。「真に祈ること」をしていなかった事です。
精神的なもろさをもった私は神のもとへ帰ることもせず、教員を続ける事が出来なくなってしまいました。人間的な努力で自分の罪深さから脱出したいと思い、あえいでいた私は救われることはありませんでした。汚れた霊が出て行って自分以上に悪い七つの霊を引き連れて戻ってきた(ルカ十一・24~)喩えが思い浮かびます。

北海道に戻った私はアイスクリームの加工場で仕事をして、ただ家に帰るという全く無気力な生活をしていました。漠然と豚の農場がしたいと思っていましたが、「無理に違いない」と行動に移す気力はありませんでした。そんな時、妻の畔菜と出会いました。神様は彼女との出会いを通して私に力を与えて下さり、なんとか二人で農場を始めることが出来ました。
前後しますが、結婚の前に牧師が訪ねて来られ、妻に洗礼を勧めました。家族としても個人としてもその喜びが分かっていない私は「どちらでもいい」と言いましたが、彼女は洗礼を受ける決意をしました。でもそれは私たちの進むべき方向への一歩でした。
教会へは農場の基礎を作りつつ毎週通っていました。しかしまず組織ありきの体制に失望し、救いの実感も喜びもなく、教会の帰り道には重石を乗せられるような気持ちになり、「本当に神を求めたい」との思いから日曜日は夫婦二人でテープ集会をするようになりました。

そうして数年が経過して、瀬棚で夏に行われる聖書集会で徳島の吉村さんが講師になり、その時初めて聖霊の話が心に入りました。聖書の中にこんなに沢山書かれているのに私のキリスト教に聖霊は完全に抜けていました。聖霊についての理解が深まるにつれ聖書に書いてあることが命を持ち、平面的だったのが立体的に、白黒だった世界に鮮やかな色がついて行くようでした。私にとって道徳という重石であった聖書は全く違うものになってゆきました。

私に与えられたガラスのようにもろい心はキリストの元に導かれていきました。独立学園に行かなければ妻とも出会わず、酪農大学に行かなければ今の仕事に必要な免許を持つことは出来ませんでした。愛農高校の教員時代には忍耐を教えられ、中学時代の「辛さ」さえも甘やかされて育った私が最低限「命」を投げ出さない力を育てる為に備えられた道でした。
人間にはその時起こる事件や苦しみの意味が分かりません。しかし、後になると聖霊により意味が教えられ、その全てが導きであり、不要な事が無い事を知らされます。
まだ聖霊について全く知らなかったころ農場に付けた名前ブレッスド・ウィンド(Blessed Wind 祝福された風)は後に「聖霊」を意味すると教えられました。自分で選んだように見えるものの中にも神様の御業が示されています。
今年の一月には父が八二年の生涯を終えました。悲しみは大きいですが、人にではなくただ神にのみ頼り、誰もが直接神と結ばれる為、死がある事を教えられました。これからも様々な試練や苦しみはあるでしょうが、ただ、主のもとにとどまって歩んでゆきたいです。
四月二六日より友人の家庭三軒と吉村さんの聖書講話CDをもって家庭集会を始める予定です。この集会が祝福されますようどうぞお祈りの中にお加え下さい。



リストボタン重度障害の夫と共に
        戸川 恭子

 私がイエス様と出会ったのは、夫の交通事故により暗闇にいた時です。それは二六年前、私の悲しみが始まったのは事故後2日目、第4第5頸髄損傷だと聞かされてからです。両上・下肢マヒ。もう一生寝たっきり。歩けないのです。それ以降、仕事をしている時と、寝ている時以外は涙の涸れる時はなかったのです。
昨日と同じ道を通っているのに、昨日と同じ太陽が照っているのに、周りが全く違うのです。心は悲しみで一杯だったのです。前を向いていると涙顔なので、いつもうつむいて歩いていました。
 仕事を持っていたので、職場と夫の入院している病院との往復。
「肩関節は上下に少し動くでしょう。足は… 車椅子145度くらい寝かせた車椅子での生活くらいにはなるでしょう。」と言われたのは事故後3週間後。
祈る神様も知らないけれど、私は必死で祈るというより叫んでいました、「どうかどうか、もう一度夫を歩かせて下さい。もう一度庭を散歩させて下さい」と。
夫の受傷後、10ヶ月後に、私は仕事を辞めて看病に専念し始めました。
 コヘレトの言葉3章に、「何事にも時があり、天の下の出来事には、すべて定められた時がある。」とあるように、夫の交通事故に遭う少し前に、Mさんとの不思議な出会い。クリスチャンであり無教会のキリスト集会に行っている事も聞いていました。神様による出会いとしか考えられない短い時の交わりだったのです。結婚して離れて行ったかのように思えたのですが、夫が入院して、今度はMさんのご主人が集会の行き帰りの途中、回り道をして見舞って下さるようになりました。そしてある時、集会のYさんも一緒に見舞いに来て下さいました。
 Yさんは聖書の言葉を話して下さいました。私は一応聖書は持ってはいました。しかし、それは本棚の飾りに過ぎず、読んでも解らない書物だったのです。いろんな宗教の方々が訪ねて来ては、「こうこうしなさい。そうすれば治ります。」と言う中で、「神様を信じて治るわけではない。それに変わるものが与えられる。パウロは神様にずっと祈り続けたけれどそれは癒されるものではなかった。けれども、別のよきものが与えられた。」
また、別の箇所でも、「神様は人は耐えられないような試練を与えられない、試練と共に逃れの道をも備えて下さっている事」を教えられました。また人には使命があり、その使命が終わるまでは生かされている事。また何事にも偶然はなく、全ての事は神様が背後でされている事を聞きました。
理解出来る事、出来ない事もありました。確かに交通事故でその時に死んでしまうのか、体の一部が損傷してしまうのか、あるいは無傷でいられるのかは、人の関知するところではないのです。
 初めて徳島聖書キリスト集会に参加したのは、クリスマス集会でした。それを機に集会に参加する思いが起こされていました。自分の罪とか言うのは全く解りませんでした。「私たち何も悪い事をしていないのに、どうして神様はこんなに辛い悲しい目に遭わせるのか」解りませんでした。でも集会に行くと、聖書の箇所を順番に教えて下さるのです、いろんな事を、その時その時に必要な事を教えて下さるのです。
この人はどうしてクリスチャンになったのか?と思いつつ読んだ本は、三浦 綾子さんの「道ありき」「光あるうちに」でした。
また、淡路に住んでいたことがあるので、その本にでてくる地名が懐かしくて読んだのは榎本保郎の「ちいろば」や「二日分のパン」などでした。
またテープも貸して下さり、聖書の内容は憶えてはいませんが、その中で歌われていた讃美、「夕日はかくれて道なお遠し」と、夫を介護するために寝泊まりしていた大学病院の窓から夕日を見ながらよく歌ったものです。 
 2年半の入院生活の後、退院する頃には、「退院しても集会に行かせてね。」と夫に言うようになっていました。でも寝たっきりの夫を一人残しての約半日の外出は不安もありましたが、神様にお任せしようと決めて参加。
病院にいる間は集会員のNさんがずっと集会と病院の送り迎えをして下さいました。退院してからは、家から自転車で集会に参加する事が出来たのです。
私は視覚障害者(かなり強い弱視)のため、何事にも積極的ではなく、夫が元気な時は、夫任せ、夫について行けば良かったのです。そんな弱い私に、神様はもう立ち上がれないと思っていた所から立ち上がり歩ませて下さっているのです。
夫は交通事故により、重度の障害者となったけれども、私には何ものにも代え難いイエス様を信じる信仰が与えられました。神様の導きと助けを思わされます。事故の処理にも、看病にも助け手が与えられました。なかなか仕事が辞められずにいると、神様が辞めるようにし向けて下さいました。
また、 私が一人でも家で世話が 来るように、夫の足の運動神経は残しておいてくれました。歩行器を使っての歩行が出来るようになっていました。とは言え、一人では起き上がることはもちろん、寝返りも出来ないのです。
 私たちが寂しくないように、神様は友達も沢山与えて下さっています。いろんな事すべてを、最も良いようにして下さっているのです。
 「神を愛する者たち、つまり、ご計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」(ロマ書8の28より)
これからも年を重ねて 行く私たちと主は共にいて下さり、守って下さり、御国への道へ導いて行って下さる事を信じています。



リストボタン出会いの恵み
        深山 政治

「天地の四方の寄合いを垣にせる九十九里の浜に玉拾い居り」
皆さんのよく知っている伊藤左千夫がこう詠った九十九里は、内村鑑三の足跡が濃く残っているところです。この地には内村鑑三に連なる大網聖書集会と横芝聖書集会があり、大網聖書集会は百年に近い歴史があります。この二つの集会に関係する何人もの方が天に帰りました。その中に畔上賢造という方がいます。畔上賢造との出会い、それは私にとって生ける福音との出会いでもありました。
「キリスト教は学問ではなく、生命であると信じます」。そう畔上賢造は語っています。
畔上は二八才で、教師の職を辞めて、九十九里の地にある東金に、農村伝道を志してやって来ました。その伝道は日曜毎に村々を巡って数里の道を歩み、内村鑑三を通してキリスト信徒となった農家で、農村の人々を前に福音を語るというものでした。
 その畔上賢造を通して、十字架による罪の赦しが、如何に力ある福音であるかを教えられました。人間は「自己中心でしか生きることができない」。これが罪の姿であると思います。畔上賢造を通して教えられた、罪の赦しの福音の力についてお伝えいたします。
 畔上は八年に及ぶ九十九里での農村伝道を終え、その後、内村鑑三のもとで全力を注いで伝道に励みました。その畔上を四一才の時、大きな試練が襲いました。突如として小学校五年の次女愛子が天に召されたのです。医者が愛子のジフテリヤを扁桃腺炎と誤診したのです。誤診を信じた畔上は軽い病とのみ思って、それ以上の処置をしませんでした。愛子は最後に「神様がすべてをよくしてくださるわね」と一言語って天に召されてゆきました。
 この愛子の死は畔上に大きな衝撃を与えました。愛子に対して、親として詫びても詫びきれない後悔と、愛なる神がどうしてこのような無慈悲なことをするのかという疑問でした。神の愛を説く身であるために、その苦悶は深刻でした。その後、十年経って始めて愛子についてこう書いています。
「お前の父は地獄の火のまえに立っている自分を見た。しかし、とうとう主の十字架が、今までにないところの輝きをもって、目の前にあらわれた。如何なる罪も贖いて余りある十字架である。どんな重い罪であっても、主の十字架にすがりさえすれば、消し去られる。・・・一時は地獄の火の前に立ったが、その火は、なお自己の理知にたよろうとする心をすっかり焼きつくした。おまえの父は更正したように立ち上がった」。
 畔上賢造はそのどん底から、主イエスの十字架による罪の赦しによって、立ち上がることができたのでした。
このことを知ったとき、私は始めて十字架による罪の赦しの本当の力を教えられました。
 ヨハネ第一の手紙一章七節にこういう言葉があります。
『神が光の中におられるように、わたしたちが光の中を歩むなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血によってあらゆる罪から清められます』
 「わたしたちが光の中を歩むなら」とあります。私はかって、この言葉を”光の中を歩むにふさわしい姿で、神の光の中を歩む”ものとして理解していました。
しかし、ここで語られていることは、そういうことではないと、ある方から教えられました。神の光の中を歩むとは、神から出ている愛の光の中に、「あなたの今の姿そのままで歩みでなさい。生活の苦しみ・重荷、病の苦しみ、生きることの悩みを負ったその姿のままで光の中に歩み出なさい」、そういうことであると教えられたのです。
神の光の中に歩み出るとき、「交わりを持つ」ことが出来る、そう聖書は語ります。その交わりとは出会いであります。同じ信仰に生きる人々との出会いと交わり。それ以上に、神の光の中で待っていて下さる主イエスとの出会いがあります。その「イエスの血によってあらゆる罪から清められる」と聖書は語っております。
 畔上賢造の姿を思うとき、ここで語られていることが、そのまま実現していることを教えられます。畔上は、親の不注意で最愛の子を天に送った責任に打ちひしがれ、神の光の中に歩み出たとき、「光輝く主の十字架」に出会い、罪の赦しを体得し、新しく起ち上がる力を与えられたのでありました。
 畔上にとり、それはどれほどの喜びであったことでしょう。神の光の中に、私どもが今の姿のままで出て行くとき、主イエスがその場にいまして下さり、すべての罪を赦し、受け入れ、新しく起ち上がらせて下さるということです。畔上賢造の生涯は、私どもにそのことを教えてくれます。そのような出会い、それは何ものにも優る感謝であります。今日はそのことをお伝えできればと思いました。



リストボタン上田末春兄に働いた神の御手

六月二一日、神戸の上田末春兄が召されました。その二週間前にお訪ねしたとき、地上の命が終りに近いことをはっきりと自覚され、ヤエ子奥様に葬儀のことなど何年も前から遺言書にしたためてあるのを見せるように言われ、確認をしたことでした。その準備のよさに驚かされたことです。
 その他短くお話ししたあと、ヤエ子さんや私達夫婦がベッドの側で祈りましたら、上田さんは、私にも祈らせて下さいと言われ、寝たままで手を合わせてやや長い祈りをされました。
 それは今までのことをふりかえり、神に感謝を捧げる祈りでした。もう死期が近いという状況においてあのようにはっきりと自らの死のことを見つめ、そして感謝の祈りをもってされたことは心深く残ることでした。多くの場合、死期の近いときには苦しみのあまり祈りもただ、漠然としたすがるような祈りとなることもあり、また祈れないほど痛みや薬剤のために眠れていないこともあって、意識がはっきりしない状況となることもあり、あのように冷静に祈ることはできない方々が多いのを思いだしました。
そばで介護されていたヤエ子さんは自らもご病気であったために、相当な負担となり、私たちが訪問したあと一週間あまり経って、病院にお二人とも入院された状況でした。
しかし、私は上田さんから聞いた最後の言葉が、長い年月を神に導かれた感謝の言葉であったこと、そのことはまさしく生きて神が働いて下さったことを目の当たりにすることでした。こうした生ける神と魂が結びついていなかったら、死ということはただ得体の知れないところ、そこには光も希望も何もない闇のようなところに落ち込んでいくことであり、漠然とした不安と恐れが身体の痛みと苦しみのなか、続くことと思われます。
信仰と希望、そして神の愛はいつまでも続く、という聖書の言葉がたしかに上田さんにおいても事実であったことを知らされたことです。
上田さんでとくに私たちと関わりが与えられたのは、十数年前に、上田さんからの手紙で、夜が眠れないでとても苦しんでいる、医者にかよっても薬によっても改善されず、食事もあまりできなくなったということで、耐えがたい状況となっていること、死ぬかも知れないと言われるほど苦しんでおられる状況が記されてあった。それで入院も考えていること、しかしこのまま状態が悪化していく前に、何とか神様にかかわることがしたい、私のところで何か手伝いをしたい、とのことでした。
すでに七〇歳を越えている年齢であり、そのように病気の状態であれば何を手伝ってもらえるか、と思ってしばらくそのままにしていたら、再びていねいな手紙が届き、再度の希望が毛筆でしたためられてありました。それほどまでに言われることは、なにかそこに通常のこととはちがったものを感じて、すぐに私は来ていただくことにしました。そして私の家にきてもらいましたが、最初はとても仕事などできる状態でなく、すこし何かを手伝ってもらうと横になって休んでいるという状態でした。このままでは、どうなるだろうと案じられましたが、ともかく数日をすごしました。そして一か月後も来られ、さらに次ぎの月もというように数カ月経ったころには、はじめて来られたときより随分体力的にも向上し、夜も眠れるようになったとのこと、その間の大きな変化は驚くべきことでした。
 そこから、自分が力を与えられ救っていただいたこのキリストの福音、若き日からずっと支えられてきた福音を何とか知らせたいと、住んでいるマンションの人たちに、キリスト教案内の印刷物と、一か月に一度の家庭での聖書の集会をするというお知らせの印刷物をつくって配布されたのです。それを見て数人が、上田さん宅で行われた初めての家庭集会(住所の地名をとって「夢野集会」と名付けていました)に参加され、その中でTさんはずっと夢野集会に参加されるようになったのです。
 私たちのキリスト集会で礼拝の録音は以前から希望者に送付されていました。上田さんが来られるようになった頃は、私が時間をつくって折々にダビングして、希望者に送っていたのでしたが、時間が十分にとれなくて、なかなかきちんとできていなかったのです。希望者があっても十分それに対応できていない状況でした。
それを上田さんの全面的な助力があるようになったので、「いのちの水」誌の読者と県内の集会員に希望の有無を出してもらって、テープダビングを定期的にきちんと行って配布、郵送するようになりました。
それは県内外の希望者を合わせると全部で三〇数名となり、毎月のテープは、一人分が、日曜日と火曜日の礼拝の録音なので、一か月分では九〇分テープで八本~十本になり、30数名では三〇〇本を越える多量のダビングとなりました。
それを数台の高速ダビング機を用いてつくり、それを希望者に郵送するということになりました。この作業は、器械がときどき故障したり、うまくダビングできていないのがあったりするので、一つ一つダビングしたテープの始めの部分を聞いて確認したりする必要があり、ずいぶん時間とエネルギーを要することでした。この仕事を中心として、午前中から午後四時くらいまで、長時間にわたって集会関係その他さまざまのことを手伝っていただきました。これによって多くの県内外の方が私たちのキリスト集会の録音を聞いてみ言葉を学ぶことになったのです。
この仕事を七年ほども続けられました。それは毎月一回神戸から徳島まで来て、一週間近く滞在してなされたもので、その間に行われる主日礼拝や夕拝、各地の家庭集会にも参加されました。
この間、数回心臓病の発作があって、安静にしておらねばならない状態になったり、私の家からの帰途、水のない谷に落ちてはっとすることもありましたが、長い年月を冬でも雨のときでも、一度も休まずに神戸から毎月来ていただいたのです。こんなことは、ふつうの考えでは到底なされないことで、内にあるキリストがそのようにさせたのだと思われます。一九九三年に永年の運輸省勤務のゆえに勲五等を受けたとのことですが、その仕事ぶりを間近に見ていて、なるほど公務員のときもこのようにきちんとされてきたのだと思われたことです。
 健康なからだがあったら、悠々自適と称して自分の好きなことをしてのんびりすごすということが多くの人の願っていることのようですが、上田さんは、それとは全く違って、神のための仕事になんとかかかわりたいという強いお気持が伝わってきたのでした。そしてそれはいよいよ体力が弱って神戸からくることができなくなるまで続けられました。
 上田さんによってしっかりと土台をつくっていただいた、各地への録音テープの配布ということは、上田さんが来られなくなったあと、集会員のNさんが自発的に申し出て下さり、何年か継続され、今年の春ころからは、さらにSさんによって継続されています。
 かつてのテープ録音に加えて、最近はデジタル録音機も二台購入され、Kさん夫妻を中心に録音が的確になされ、MP3形式で録音され、二つの方式で録音、配布されるようになっていきました。そしてテープを聞いていた多くの方々はMP3形式のCD録音へと変更されています。
 そしてそのCDのダビング、CD表面の印刷、県外希望者への発送は、県南のSさん夫妻によってなされるように受け継がれています。
 このように、きちんとデジタル録音すること、そしてそれをCDに入れてMP3プレーヤで聞けるようにする技術的なことも、毎月の礼拝CD作成のために上達し、今年の五月の全国集会でもそうした録音体制が効果的に用いられ、一〇〇名ほどの希望者に対応することができたのです。
 このように考えてきますと、上田さんがふつうならとても考えることもしないようなこと、心身ともに消耗され息子さんにも徳島で死ぬかもしれない、とまで書いて覚悟をきめて徳島に来られるようになったこと、そこに一時的なもので終わらないものにつながっていったのがわかります。
 私は、上田さんから二度にわたって、繰り返し真剣な内容の手紙を受けて、これは何か神から来ているのだと感じたことは、それから十数年経って右に述べたようなことにつながっていったことを思い、たしかに神の御手が上田さんに働きかけて、衰弱し弱りきった老体を徳島に送り出して下さったのだと思われます。
 まことに、「弱いところに神の力は完全である」というみ言葉が真理であることを証しして下さったのでした。

☆上田末春兄の文章から
…わたしのようなどうしょうもない者を、神はあえて選ばれたのです。まさに感謝であり、歓喜のきわみであります。どんなに考えても、どのように思いめぐらしても不思議であり、ただただ神の憐れみの賜物であります。
 この憐れみに対して無為にすごすことなく、私たちは全身全霊を捧げて、ただ主を信じて残りの生涯を全うすることを願い祈る毎日であります。(「「野の花」文集二〇〇六年1月」より)



リストボタン詩の世界から

わが知る一人の友、
人生の秘儀を究めんとせるわが友は、
調子はずれの心の竪琴を
たゆまぬ精進をもて調子を正し、

信仰において惑えるも、行いを正し、
ついに心の竪琴に、いみじき調べを奏でしめぬ。

友は懐疑とたたかって力をたくわえ、
*
思慮分別の眼を曇らせず、
心に浮かび来る幻影に相対して それを打ち倒した。
かくてついに彼自身の

さらに強き信仰が生まれ
暗い懐疑の夜にも、神の力とともにあった。
この力の神は光ある昼も、懐疑の夜をも創造されたが、
ただ光のなかにのみ居たもうにあらずして

暗闇と濃い雲のうちにも偏在したもうなり。
(「イン・メモーリアム」九六 テニソン作 )
*He fought his doubt and gather'd strength
He would not make his judgment blind
He faced the spectres of the mind
And laid them;thus he came at length

To find a stronger faith his own;
And Power was with him in the night,
Which makes the darkness and the light,
And dwells not in the light alone,

But in the darkness and the cloud,


・作者テニソンの友人のことを歌っているが、これは作者自身の経験でもあっただろう。しばしば神の愛や存在そのものをも信じられなくなるこの世の懐疑の波にほんろうされることがあっても、なおその経験によって強い信仰へと導かれていった。
詩人の信じる神は、単に光の射していると思われるところだけにいるのでなく、この世のどのような暗黒のなかにあってもそこにおられる神なのである。ここに私たちの希望がある。

・テニソン(1809年~1892年)イギリスの代表的詩人の一人。父親は牧師。1850年ウィリアム・ワーズワースの後継者として桂冠詩人となった。「イン・メモリアム」は、親友の死をいたんで作られたもので、研究社版の英文テキストでは146頁にも及ぶ長編の詩。
この詩の冒頭は、つぎのような有名な言葉から始まる。これは「つよき神の子 朽ちぬ愛よ」で始まる讃美歌二七五番に取り入れられている。
強き神の子、不朽の愛よ、
我らはあなたのみ顔を見たことはない。
ただ信仰によって信仰によってのみあなたにすがる。
証しは立たぬながらも、ひたすらに信じつつ。

Strong son of God,immortal Love,
Whom we,that have not seen thy face,
By faith,and faith alone,embrace,
Blieving where we cannot prove;



リストボタンことば

288)自分が無であるという自覚によって、あなたは出かけていく所で光となるのです。
一方自分がひとかどの者だと思っている人は、全くの闇を持ち出すのです。
(「悩める魂へのなぐさめ」72頁 ブルームハルト著 新教出版社 1973年刊 )

VermittelstIhresGefuhls des eigenesNichtsseinssindSieeinLicht,woSiehinkommen,wahrendLeute,dieetwas von sichfuhren,lauterFinsternisvorsichhertragen.
Seelssorge 44p Siebenstern-Taschenbuch 1968

*)ブルームハルト(1805-1880年)ドイツのキリスト教指導者。ヒルティとほぼ同時代の人。その子のクリストフ・フリードリヒ・ブルームハルトとともに、ヨーロッパのキリスト教に大きな影響を与え、バルトやブルンナーなどの神学者などもその影響を受けた人たちであった。

・自分が無であると実感するということは、自分の罪深さと弱さを思い知り、同時に神の無限の大きさ、その愛と万能、導き、創造と支配等々を深く実感していなければ、あり得ないことである。主イエスも、「ああ、幸いだ、心の貧しい者たち! 天の国は彼らのものだからである」と言われた。心貧しいとはここで言われている、自分を無であると実感する心にほかならない。

289)子の曰く、仁遠からんや。我れ仁を欲すれば、ここに仁至る。
(「論語」述而第七 101頁 岩波文庫 )

先生が言われた、「仁は遠いものだろうか。私たちが仁を求めると、仁はすぐにやってくる。」

・論語において「仁」とは、キリスト教でいう「愛」と似た内容をもっているといえるが、孔子(紀元前551~前479年)は、仁という孔子にとって最高のものは、一般の人が予想しているようなはるか彼方のものでなく、求めればすぐに与えられるようなものであると実感していたのがうかがえる。
キリスト教においても、主イエスは「求めよ、そうすれば与えられる」と約束された。人間にとって究極的なよきものは、地位も金や健康、病気などにかかわらず、心から求めるなら、すぐに与えられるということがはるか昔から感じ取られていたのである。



リストボタン編集だより

来信より
○五月の全国集会では…讃美とみことばの学びの中に包まれました。今日まで主がどのように愛をもって支え導きたもうたかを新たなる思いで感謝し、喜びに満たされました。
主のみ言葉をたのみて残る地上の歩みを感謝し、喜びの歌で続けていきたいと強く思います。…(近畿地方の方)

○…(家族の)手術直後は、心もからだも疲れ果てて聖書を開く気にもならず、自分の信仰なんてこんなものだったのか、と落ち込むばかりでした。しかし四月になって集会の方が「野の花」(徳島聖書キリスト集会発行の文集)をもってきて下さいました。そのとき、不思議に読んでみようという気持がおきました。
「野の花」を何回も繰り返し、ようやく聖書を開き、枕元にヨハネ福音書CDと以前の徳島での全国集会のテープを毎晩聞くようになりました。
あの時の気持の変化は、きっとあまりにひどい私の状態に神さまは、○○さんの手を通して救いの手を差し伸べてくださったと思っています。 集会讃美集CDは、夜疲れた心が安らぎます。…(中部地方の方)

・自分では気持の切り換えがどうしてもできないようになって沈んでいくばかりのとき、ふとしたときに開いた本とか、訪れた人、手紙、メール、電話といったもので、それまで立ち上がれなかったほどに弱っていた心に不思議な力が与えられて立ち直れたということは多くの人が経験していると思われます。こうしたことは、主のみわざで、主がときいたってそうした本、印刷物を人をつかわして下さって私たちを救い出して下さるのだと思います。それゆえに、私たちはたとえ小さなことでも、たえず他者に働きかけ、提供していくことの大切さを思います。それが主に用いられるときどんな小さなものも大きな力を発揮するからです。

○七月に見える星から
最近の夜、九時過ぎには、東には、だれでもはっとするような透明な輝きの星が見られます。深夜の明星とでも言うべき木星です。明けの明星のように早朝でなく、また宵の明星のように、帰宅時とか夕食の支度で見れないというのでなく、夜一〇時から深夜すぎても東から南の空にその澄んだ光りを見せてくれます。
木星の右下のほうに少しはなれて赤い輝きが、さそり座のアンタレスです。去年の同じ頃には、木星はそのアンタレスのすぐ側に輝いていましたが、一年でだいぶ東寄りに移動しています。
地球に近い金星などは、一か月も経てばだいぶ位置が変っていくのがよくわかります。さらに近い月は一日で、五〇分も遅れて出てきます。しかし、木星は遠く離れているので、一年経ってもこのように、前年の位置から少し離れて見えるくらいです。来年の今頃になると、もっと東よりに見えるようになります。
また、西のやや高い空に橙色で強い輝きが、うしかい(牛飼)座の一等星のアークトゥルスで、輝きは恒星のうちで、全天で四番目に明るい星で、春から夏にかけて、東から南の高い空において私たちを引きつける輝きをもっています。



リストボタンお知らせ

五月に行われた無教会全国集会の録音、録画などができて、希望者に配布を終えましたが、その後も引き続いて、全国集会に参加できなかった人、また参加した人の追加申込などが届いています。録音、録画などの種類とその価格など書いておきます。希望の方は、「いのちの水」誌の奥付にある郵便振替で送金、申込ください。
①全国集会全体の録音(MP3録音 CD二枚)五〇〇円 これは、九十分カセットテープでは十五本にもなる内容ですが、MP3という圧縮したファイル形式にするとCD二枚に収録され、音質もテープより明瞭です。なお、少額の場合は切手でも結構です。
②同右の録画 DVD(四枚)千円
③全国集会で用いた各種讃美のほぼすべての録音(MP3録音、CD一枚 四十三曲収録)三百円
④同右の録画(DVD一枚)三百円
⑤聖書講話だけの録画(DVD一枚)三百円
⑥証しだけの録画(DVD一枚)三百円