極度の忍苦、艱難にも、行き詰まりにも…
聖霊と愛と真理のことばと神の力により、…
神の僕として自分を表している。


(Ⅱコリント六より)



2009 11 585-内容・もくじ

リストボタン心とからだ

リストボタンチェン#チェンジと改革 へのリンクジと改革 

リストボタン友愛について

リストボタン山は揺れ動き、大いなる賛 美生じる ダンテの神曲 煉獄篇 第二十一歌

リストボタン大いなる転換―詩篇六篇

リストボタン神の義の喜び 那須佳子

リストボタン詩 リルケ、西行法師

リストボタン原典の重要性・ことば

 リストボタンお知ら 



リストボタン心とからだ

 
 心とからだは、不思議な結びつきをしているということは、誰もが身近な体験として感じていることである。深い悲しみ、あるいは怒りや信頼した人から裏切られた苦しみなどのとき、食事をする気持ちにもならないとか、そうした精神的なショックを受けると体を動かしてもいないのに、ぐったり疲れてしまうなど多くの人が感じてきたことであろう。
 最も直接的にわかるのは、初めての大勢の人たちの前で話しをするときなど、心臓の鼓動が早くなりドキドキするということである。みんながみている、うまく言えるだろうか、これを言ったら、どんな目で見られるだろうか、等々を心に思うだけで、心臓の筋肉が強く運動し始めるというのである。
目には見えない心の動きが、心臓の筋肉を強く動かすことにつながっているのである。 その途中で神経が情報を伝達するときに、神経細胞の中をナトリウムやカリウムなどのイオンが出入りし、それによって伝達していく。途中の神経細胞から、となりの神経細胞に伝達するときには、そのわずかのすきまにアセチルコリンなどの化学物質が放出され、役を果たすと別の化学物質(酵素)によって分解される等々の化学反応が生じていく。
強い光を受けると目を反射的に閉じるとか、熱い湯がかかるとただちに手を引っ込めるとか、声を出すとか目の前の物を取るといった日常の行動から、激しい体の変化を伴うスポーツにおけるさまざまの刺激、それが神経を伝わっていく速さは、秒速数メートルに満たない速さから、秒速百メートルを越えるような驚くべき速さである。
何かをしようと思ったらたちまちこのようなさまざまの化学物質の移動や生成、分解などが生じていく。目に見えない心、頭の考えや感じたことが、目に見える物質を生成し、動かしているのである。
ほとんどの人は、心の動きが、化学物質を動かすなどということは日頃は考えたことがないのではないだろうか。しかし、私たちのたえざる心の動きと何らかの動作、行動はみな、実は目には見えない心や頭で考えたはたらきが体内の化学物質を動かしている結果なのである。
このように、私たちの内部では、感情や考えたことが物質を動かすのであるから、時と場合によっては、それがある人の外部にまで驚くべきはたらきをすることがある。
聖書に現れる病気のいやしの奇跡も、キリストの心(霊的な力)が、キリストの外部の周囲の人たちのからだにも働いて目に見える変化を生じさせるということでもある。
 そしてこのようなことは、キリストだけに生じるのでなく、キリストの心、あるいはキリストの霊(聖霊)を受けたものは、その程度は少なくともこうした何らかの力を受けることが約束されている。
 これは私自身、キリストのことを知らされてから、それまでいかなる人や書物や学業によっても与えられなかった、不思議なある力が与えられたのを実感している。
このことに関して、思いだす書物の記事を次に引用する。

…心と身体の結びつきの神秘を教えられた、強烈な思い出があります。
ある患者さんが外科で手術を受けたが、どうしても傷口がふさがらない。外科で困って、内科的原因かもしれない、と内科へ廻した。
内科でも原因がつかめず、心療内科へ廻した。心療内科でも困って、精神神経科へ相談。精神神経科へ廻された患者さんの傷口は、一晩でふさがったそうです。
これは、父が医学部の精神神経科の教授をしていた国立名古屋大学の附属病院での話です。
 父のお弟子さんの、若い女医さんが、当時まだ高校生だった私に教えてくれました。
「その患者さんの、心の不安が、傷口がふさがらない原因だったのね。何日間もお気の毒な思いをした患者さん、M先生の心の治療で一晩でふさがったのよ」と嬉しそうに言った女医さんの話が、私には忘れられないほど強い印象を残しました。…

これは、精神科医を父としてもつある女優の文章にあった言葉である。これは特別な例であったと思われるが、たしかにときにこのような驚くべき心とからだの深い関係を知らされることがあり、この著者も高校時代にこのことを聞かされ、何十年たっても忘れられない経験となった。
 私自身も、イエスの愛を知らされて、初めてそれまで心の傷口がどうしてもふさがらなかったのに、そこではじめてふさいでもらったという実感を与えられた。
 聖書はまさに心と体の深い関係を、ほかのいかなる書物よりも徹底的に記していると言える。
 長い間、中風で苦しんでいた人がいた。その人の親しい友人たちが、イエスのもとに運んできた。しかし人がいっぱいで入ることもできないし、入れてももらえない。身動きできない人を起伏の多い、しかも渇ききった土地、太陽も照りつける道であったろうが、はるばる運んできた友人たちはなんとしてもイエスのもとにもっていきたかった。そのまま帰るわけにはいかなかった。
 そのイエスの力への徹底した信頼と病気の人への深い愛から、屋根の一部をはがしてまでしてその病人をイエスの前につり降ろした。そのとき、イエスは、彼らの信仰を見て、あなたの罪は赦された、といわれ、さらに起き上がることさえできる力を与えた。
 これは、心のなかの問題(罪)が赦されるということがどんなに体にも大きな影響を与えるか、ということを示すものである。
 多くの人は、どんなにしてもふさがれなかった心の傷をもっているだろう。心の不安、怒り、恐れ、憎しみといったものがあるかぎり、私たちの心の傷口はふさがることがない。それはただ、イエスのお心に触れてその愛を受けるときはじめてそうした人間的な暗い感情が溶け去り、その心の傷はふさがるのである。
 罪深い私たちは、繰り返し罪をおかし、まただれかによって苦しめられ、それによって自分で心の傷を開いてしまうことがよくある。しかしそのようなとき、そのような苦しみを与えた相手を非難したり、自分の至らなさを振り返っていてもますます傷口は広がっていく。
 私たちは、繰り返し心の医者たる主イエスに帰って、イエスを魂の目で仰ぐとき、血を流している傷口がいつしか、ふさがっているのに気付くのである。


 


リストボタンチェンジと改革

アメリカのオバマ大統領がチェンジ(変革)という精神を表明してその言葉に込められた思想に多くの人々が共鳴した。
日本の首相の初めての国会演説でも、この変革という言葉が多く使われた。現在の制度を部分的に変えるということでなく、根本的に変えるというニュアンスをもって使われている。
しかし、そうしたメッセージを出すことはできても、永続的にチェンジしつづけることは極めて困難なことである。じっさい、アメリカの大統領にも日本の新しい政権においても、そうしたチェンジをさせまいとする多くの勢力が現れてきている。
そのようななかで、国家の指導者とか責任ある部署についていなくとも、私たち一人一人も実は、少しずつ今の自分を変えることと共に、根本的な変革をとげることができるのである。そうしたチェンジは、反対勢力がつぎつぎと起ころうとも、それに関わりなく可能である。
ある目には見えない大きな力が迫ってくるとき、私たちは変えられる。新約聖書における最大の使徒パウロもペテロたち十二弟子たちも同様であった。自分でチェンジしようとしてもどうしてもできなかった者であっても、神の一方的な迫りによって転換されたのである。パウロは、ユダヤ教を堅く信じ、イエスという男はそのユダヤ教を壊そうとしているのだと信じてキリスト教徒をきびしく迫害していた。その方向は徹底していて、国外にまでキリスト者を追いかけて捕らえに行こうとしたほどである。
しかし、そのようにしてまちがった方向に突っ走っていたパウロは、突然その方向を百八十度転換させられたのは、生きてはたらくキリストの力が迫ってきたからであった。
ペテロやヨハネたちの十二弟子たちも、イエスの死が近づいても自分たちのうちだれが偉いのかなどと議論しあったり、自分の考えや力に頼るという方向を変えることはできなかった。そのような強固な方向性をやはり根本的にチェンジされたのは、聖霊を注がれてからであった。
それは、自分の性格や習慣、考え方などの一部が変えられることでなく、私たちの存在そのものが向かっている方向をチェンジすることである。
人間に向かい、最終的には死に向かっていた人生を、神に向かい、永遠の命に向かっていくチェンジなのである。それゆえ、聖書ではそのことを、最も重要なこととして記している。
主イエスのメッセージにそれは言われている。

あなた方の魂の方向転換をせよ、神の正義と愛による御支配はもう来ているのだから。(マタイ福音書四の十七)
(現在の日本語訳では、「悔い改めよ、神の国は近づいた。」であるが、悔い改めというのは何かの間違った行いを個別に改めることでなく、原語の意味は方向転換ということである。これは、旧約聖書では、このことは、「立ち返れ」と訳されていることが多いが、その原語のヘブル語ではシューブも同様に方向転換であって、英語では turn または、return といった意味を持っている。 )

本を読んでも、また、多くの経験をすることによっても、確かに何かは変る。部分的に変えられる。しかし、魂の方向全体は変わらない。やはり自分中心、人間中心、そしてそれらは最終的には死ということで終わる。何億年という長い時間でみればこの太陽や地球そのものも滅びに向かっているのである。そのような方向から抜け出すことは、いかに書物を読んでも研究しても、科学技術が進んでも決してできない。
しかし、それは神に方向転換をするとき、全くことなるものに向かっているのが分る。そのことを聖書は一貫して述べている。
そして、方向転換ということ、これはただ一回きりのことではない。日々なされることであり、そのつど、新たにされるのである。

…だから、わたしたちは落胆しない。たとえわたしたちの「外なる人」は衰えていくとしても、わたしたちの「内なる人」は日々新たにされていく。(Ⅱコリント 4の16)

日々新たに、という実感、それは私たちの内なるものが日々神に向かって方向転換をなされるときに生じる。過去のことや、現在の小さなことを見つめているなら、「新たにされる」という実感はなく、かえって古びていく気持ちになり、停滞していく。
詩篇二三で言われているように、主は私たちを緑の野に伏させ、憩いのみぎわに伴われる。それは、日々新たな霊的食物をいただくということであり、それによってこの世のよどんだ世界から神へと方向転換をさせて下さるということであり、そこに日々フレッシュな気持ちが生まれることを示している。


 


リストボタン友愛について

政治家が友愛などということを、正面から語るなど、自民党の時代なら考えられないことであった。新政権となって、首相が友愛ということをいろいろな場*で語った。
首相は、この言葉を自分や他人の自由や人格の尊厳を尊ぶ考え方だと説明している。これは、一般的には政治で使われる言葉でないので、共感する人もいた反面、違和感をもった人たちも多くいたようである。

*)鳩山首相が、九月の国連で行った英語による演説でも、「友愛」という言葉を用いていたが、その時の英語表現は、フラターニティ fraternity であった。この語は、ラテン語の フラーテル frater (兄弟)という語から生まれた英語である。それゆえ、フラターニティとは、その元の意味は、「兄弟であること、兄弟愛」 ということである。また、聖書において、「兄弟愛」という原語(ギリシャ語)は、philadelphia(フィラデルフィア)である。これは、現在アメリカの大都市の地名となっているので広く知られている。このギリシャ語は、フィレオー(愛する)と、アデルフォス(兄弟)から成っている。
「兄弟愛」に対するラテン語訳聖書での表現は、「兄弟」という語から生まれた、フラーテルニタス fraternitas という語である。

友愛という言葉は、子供でも、何となくわかった気持ちになるだろう。政治や軍事、経済などに関する専門的な知識や判断力などがほとんどなくとも、「友」とか「愛」という漢字は非常に身近な言葉なのでこの意味は何となくわかるからである。
しかし、この言葉をそのように、何となく子供でもわかる言葉だとしたり、政治にまるでふさわしくないとしてそれ以上なにも考えないというのでなく、ここで少し立ち止まって考えてみたい。
実はこの言葉はもとをたどっていくと、新約聖書にある兄弟愛ということに帰着するのであって、現代の私たちが想像するような友だち同士の愛というのとは異なる。
兄弟愛とは、自分たちは、神を父とする兄弟なのであるからそのように言われる。
兄弟愛という言葉は、どのような聖書の箇所で現れるであろうか。その一部をあげてみる。

・…兄弟愛については、今さら書きおくる必要はない。あなたがたは、互に愛し合うように神に直接教えられており…(Ⅰテサロニケ四の9)
・最後に言う。あなたがたは皆、心をひとつにし、同情し合い、兄弟愛をもち、あわれみ深くあり、謙虚でありなさい。(Ⅰペテロ三の8
・…あなたがたは、真理に従うことによって、たましいをきよめ、偽りのない兄弟愛をいだくに至った…(Ⅰペテロ一の22
・兄弟愛を続けなさい。(ヘブル十三の1

このように、友愛という言葉は、もとをたどると、新約聖書の兄弟愛ということまでさかのぼることができる。それゆえ本来は、キリスト教の言葉なのである。
この言葉は、政治や社会的な問題とは別個の、個人的な狭い意味として受け取られることが多い。友愛というより、友情ということの方がずっと多い。
しかし、この言葉を日本の政治や社会的な問題の直中に持ち込んだ人は、鳩山首相が最初ではなく、はるかに古い時代の人、鈴木文治が最初である。
彼は、今から百年近く前の一九一二年に十五名ほどと共に「友愛会」という団体を作った。 鈴木は、キリスト教社会主義者であったから、この言葉は、聖書から採用したのである。
この小さな「友愛会」は、次第に発達、拡大して、大日本労働総同盟友愛会と改称され、さらに設立から十年も経たないうちに、何万人もの会員に増えて日本労働総同盟(総同盟)となった。そして、その後もいろいろな変化を遂げて、敗戦となり、戦後いろいろな労働組合が作られたが、それらのなかで、いくつかの労働組合が合同されて現在の「日本労働組合総連合会」(連合)となって、組合員六七〇万人という日本最大の巨大な労働運動の組織となっている。こうしたことから、鈴木は、日本の労働運動の父と言われている。
彼のキリスト教に基づく考え方は、19世紀中頃のイギリスで広まったキリスト教社会主義とも共通点を持っていた。
キリスト教社会主義とは、聖書のなかにある、「あなたの隣人を愛せよ」、「人にしてもらいたいと思うことはなんでも、あなたがたも人にせよ」という、主イエスの言葉がもとになっている。
わずか十五人の小さな集まり、それはその当時から現代に至るまで、無数に存在しているだろうし、作られてもすぐに消えていくもの、次第にふくらんでいったもの、少数だが何十年と続いて行ったものなどいろいろあるだろう。
そうした中でこの友愛会は、おそらく当事最初の友愛会に加わったメンバーたちも誰も予想しなかったほどの拡大と影響力を持つようになっていった。
この友愛会の最初の目標は、次ぎのような内容をもっていた。

①われらは互いに親睦し、一致協力して相愛扶助の目的を貫徹せんことを期す。
②われらは公共の理想に従い、識見の開発、徳性の涵養、技術の進歩を図らんと期す。
③われらは共同の力に依り着実なる方法を以って、われらの地位の改善を図らんと期す。

第一に置かれている目標は、相愛扶助、要するに、一つになって互いに愛しあい、助け合うことなのである。これは、互いに主にあって愛し合い、互いに祈り合い、またそこから助け合うという新約聖書の根本的精神から生まれたものだとわかる。
とくにそれを目に見える領域、すなわち物質的な条件を互いに愛し、助け合ってよくしていこうというものであった。
新約聖書には、目に見えない聖霊が注がれるように祈ったこと、また、物質的なものを互いに共有していたことが使徒言行録にも記されている。

…信者たちは皆一つになって、すべての物を共有にし、財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて、皆がそれを分け合った。
そして、毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を賛美していた…。(使徒言行録二・4447

このように、最初のキリスト者たちは、豊かな人、貧しい人も一つになって精神的にも物質的な生活の上でも、互いに助け合い、祈りあって歩んでいたのがうかがえる。
友愛会は、このように互いに助け合うということが目的であり、共済組合の性格を持っていたのである。
聖書の言葉は、このように、はじめは一人かごく少数の人の魂に深く植えつけられる。そしてその後不思議な力をもって広がっていく。これは神の言葉の力のゆえである。
友愛会は、すでに述べたように、その後まもなく拡大成長していったが、友愛会から始まった労働組合は、次第にキリスト教とは距離が生じていった。無神論の考えの人たちが指導的となっていったからである。

キリスト教精神の一つの現れである「友愛」という言葉は、このように、単に個人的な関わりのなかでの愛というだけでなく、社会的にも非常に大きな労働運動のうねりを生み出すような力を持っていたのである。
賀川豊彦は、二十九歳の若き日に、すでにこの友愛会にて神戸で重要な役割を持つようになっていた。友愛会が、大日本労働総同盟友愛会と改称され、賀川はその組織において関西の労働運動の代表的指導者となっていった。
このように、聖書にある精神、聖書の言葉が、大きなうねりとなって社会のさまざまの変動や地域の多様性などを越えて、次々と拡大していく。それは、主イエスのたとえ話を思い起こさせるものがある。
このように、出発点は、聖書のなかにある言葉をもとにした小さな集まりであったが、急激に膨張していった。今日の連合という日本最大の労働組合の組織が、その出発点において、百年近く前の、聖書の言葉である、「友愛」(兄弟愛)という言葉をもとにしていたということは、ほとんどの人にとっては知られていないことである。
神の言葉というのは、このように驚くべき成長の力を内蔵している。

また、友愛という言葉は、その英語訳の語源が、ラテン語の兄弟という言葉に由来するゆえ、兄弟愛という聖書の言葉から生まれているのであるが、他方、その字のとおりの「友としての愛」ということの最も深い意味もまた、聖書にある。
それは、主イエスが、次ぎのように言われたことがもとにある。

…わたしはもう、あなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人のしていることを知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼んだ。わたしの父から聞いたことを皆、あなたがたに知らせたからである。(ヨハネ福音書十五の15

ここで、僕と訳されている原語(ギリシャ語)は、本来の意味は、古代社会には非常に多くいた、奴隷という言葉である。じっさい、次のような箇所ではこの言葉が奴隷と訳されている。

…主人たち、奴隷を正しく、公平に扱いなさい。知ってのとおり、あなたがたにも主人が天におられるのです。(コロサイ四の1

奴隷は、主人のしていることが分からないが、弟子たちは、イエスの友であると言われた。それは、イエスの言葉をすべて聞かされているからだという。たしかに敵対するものとか、見下している相手とかには決して思っていることをみな話したりしない。
一番大切な心にある考えを話す、しかもみんな話すということは、最も深いつながりを与えられているということを意味する。奴隷と主人、その関係は徹底した上下関係である。しかし、友という関係は深いところで対等なのだ、ということになる。それは互いに愛をもっているということである。友という意味のギリシャ語は、フィロスという。これは、フィレオー(愛する)という言葉に由来する。真の友は、必ず愛がある。友とは、ギリシャ語では、愛する者という意味を持っていることになる。
憎しみは相手をどこまでも低めようとする。命さえ奪おうとするほどである。しかし、愛は対等の心、友の心を持つ。
イエスが私たちの近くにきて下さるとき、友である。さらに私たちの魂が清められるなら、私たちの心のうちにさえきてくださるという。私たちの魂のうちにイエスが住んで下さるというとき、それは最も深い愛の関係であり、最も深い意味での、友愛の関係ということになる。
こうした意味から、キリスト教の一派であるクェーカーの信徒たちは、彼らの正式名称を、「友会」とした。英語では、ソサイアティ オブ フレンズ (Society of Friends) という。
この名称の他には、「真理の友」(Friends of the Truth)という名をも使ったことから、フレンズ(Friends)とは、真理の友であり、真理とはイエスであるからイエスの友という意味を含んでいるのがうかがえる。そしてイエスの友という表現は、主イエスご自身が、「私はあなた方を友と呼ぶ」 と言われたこととかかわっている。
クェーカー派は、アメリカの黒人奴隷の差別問題をほかのキリスト教の派よりさきに、深く考えた。それはリンカンの奴隷解放令より、百年近く昔にすでに、奴隷制度に反対を主張するようになったことでもわかる。
また、平和問題においても、決して武力の戦争に加わろうとしなかったので、多くの人たちが刑務所に入れられた。一九四七年に、ノーベル平和賞が、クェーカーの団体に授けられたが、それは徹底した平和主義、武力による戦争に決して加わらないという、聖書に基づく主張と行動によるのであった。
内村鑑三の非戦論もこのクェーカーたちの信仰によって影響を受けたのであった。
クェーカーは新約聖書のさまざまの箇所によって、とくにキリストご自身が武器をとることなく、十字架で死んでいかれたが、その死は敗北でなくすでに述べたように勝利であったということから、武力を用いる戦争を否定した。内村は、二二歳の若き日にアメリカにわたり、あるクェーカーのキリスト者の紹介で、知的障害者の施設で働いた。そしてクェーカーの人たちとの交流が生まれた。そのときにクェーカーの平和主義のあり方に初めて接した。しかし、その影響はまだ内村には見えなかった。日本に帰着後、日清戦争が生じたときには、その戦争を正義の戦いと主張したのであった。
しかし、その戦争の生み出した結果を見て、はっきりと戦争の深い罪悪を知り、戦争に明確に反対するようになった。そして日露戦争には非戦論を主張した。その後、クェーカーの集まりでの講演で、内村は、戦争が不正であることを主張したが、これは、「若き日にクェーカーの非戦論に接した影響であると感謝している。」と言っている。(政池 仁著「内村鑑三伝」三五五頁、教文館発行)
神のご意志は、武力を用いた戦争を認めていないということを知っていた。そしてそれを迫害を受けても主張した。主イエスが、私はあなた方の友である、と言われたことは、このように、さまざまのところに波及していったのが分る。
私たちは、神を父として新たに生まれた兄弟姉妹であるという、単純な真理、そしてそこから、私たちは兄弟愛を持つことができるように変えられたこと、さらに、主イエスが私たちの救い主であり、神と等しいお方であるにもかかわらず、私たちのところまで降りてきてくださって、私たちを友としてくださり、最も深い意味での友としての愛を注いでくださっているということ、それらが世界の歴史においてさまざまのよきものを生み出していったのを知ることができる。
そして今日にあっても、この単純にして深い影響力をもつ真理は変ることなく世をうるおしているのである。


 


リストボタン山は揺れ動き、大いなる賛美生じる
ダンテの神曲 煉獄篇 第二十一歌

ここでは、その前の二十歌の終わりのところで、まるで崩れ落ちるほどに、山が揺れ動くのを感じた。あまりのすごさに死にゆく人が感じる寒けのようなものをダンテは感じたほどであった。その後、四方八方から耳が聞こえなくなるかと思われるほどの大声がわき起こった。
しかも、その煉獄の山全体から、賛美が聞こえてきた。
「高きところに、栄光神にあれ!」
であった。この賛美は、イエスが誕生したときに、たくさんの天使たちが神を賛美した言葉と同じである。
イエスの誕生は地上での最も大いなる出来事として、霊的な天使たちの大軍が賛美をもって羊飼いたちに知らせたのであった。
この煉獄篇の箇所においても、特別に重要なことが起こったゆえに、イエスの誕生のときと同じような賛美がわき起こったのであった。しかも、山全体を揺れ動かせるほどの振動も伴っていた。
ダンテは、いったいどうしてこのように山全体が揺れ動いたのか、それに賛美が伴ったのか、について強い疑問を持ち、非常な苦しみを覚えるほどであった。煉獄篇の二十一歌では、冒頭からこのことが記されている。

…サマリアの女が乞い求めた水を飲むまでは、永久にいやされることのない渇きによって、私は苦しめられた。(煉獄篇第二十一歌一~四行)
*

*)ここで、ダンテが「自然の渇きが私を苦しめた」と訳されたところは、原文では、La set natural mi travagliava である。英語訳では、The natural thirst was tormenting me となる。(J.D.Sinclair訳)イタリア語の travagliare は、責めさいなむ、責め苦に合わせる といった強いニュアンスをもった言葉で、ここではこの動詞の半過去形が使われ、責め苦しめ続けた という意味になるので、英訳でも過去進行形で訳している。この語と同語源の travail は、英語では、産みの苦しみ といった意味に用いられる。 この箇所の英訳のtorment も普通の苦しみでなく、激しい苦痛を与える意味を持っている。

サマリアの女と水、これは新約聖書に現れるよく知られた内容で、イエスが旅に疲れて井戸のそばにいたとき、その井戸の水を汲みに来たサマリアの女に話しかけられたときのことである。イエスが、「この井戸の水を飲んでもまた渇く。しかし、私が与える水を飲む者は渇くことがない。」と話された。(ヨハネ福音書四の七~四二節)
この煉獄篇の二十一歌で記された出来事とその意味については、ただキリストからの命の水を飲まないかぎり分からないと、言おうとしている。ダンテがこの出来事の意味を知りたいと強い願いを持ったことは、その願いによって非常な苦しみを味わったということでもうかがえる。
それは、煉獄の山の出来事というだけでなく、現代の私たちの世界においてもきわめて重要なことである。
そしてそのような重要なことであったゆえに、ダンテはそのままにしておけず、強い願いと求めを持って苦しむほどであった。
この箇所では、普通の苦しみを表す言葉でなく、とくに責めさいなむ、といった強い意味を持つ言葉が使われているのも、この問題の重要性を示している。この煉獄の山全体が揺れ動き、しかも清めを受けている人たちがみな大声で賛美したということ、その理由を知らないままではとてもいられない、何か特別に重要なことがここにあるのだ、と言おうとしているのである。
真理を求めるときには、このように、苦しむまでに真剣に求め続けることが必要だということなのである。
主イエスが「求めよ、さらば与えられる」と言われたのもこうした真剣な求めには必ず答えられるという約束なのである。

山が動く、という言葉がある。今から二〇年ほど前の参議院の選挙において社会党が大勝したとき、当時の土井委員長が言った言葉であり、この言葉が広く用いられた。これは土井が同志社大学で憲法を学んだので、聖書にも触れていたからであっただろう。
しかし、山が動いたと見えたのは束の間であり、数年後の地方選挙で惨敗して社会党委員長を辞めることになった。この世の山は動いたと見えてもまたもとに戻ってしまう。
この世の状況というのはそういうものである。前回の総選挙で小泉旋風が吹いて自民党が大勝したのも、また、それと打って変わって今回の民主党の大勝も一種の山が動いたということがいえよう。これらの現象でも分るが、この世の変化などというものはいかに大きく動いたと思ってもまたじきに逆戻りしていくのである。
憲法九条に関しても、戦争直後はこの憲法の精神に国民は圧倒的多数が賛成した。軍備を一切持たない、
戦争はいっさい放棄するなどということはまさに山が動いた、ということである。
国家が自衛のために軍事力を持つというのは当然と考えられているから、それを否定するような精神を憲法に記すというのは、世界のほとんどどこにあっても動かせなかった山が動いたということである。
しかし、それもまもなく、一九五〇年の朝鮮戦争の勃発によって、はやくもその精神は崩れる傾向を示した。自衛隊という名の軍隊が生まれたからである。
このように、この世において、山が動いた!と一時的には思われても、それは結局動かなかったのだ、という苦い思いに変ることがよくある。

それに対して、この煉獄篇においてダンテが描いたような意味で、山が動くということは、煉獄というほとんどの人にとって現実的なものとは思われないような場所での出来事ではなく、本来だれにでも生じうること、経験できることなのである。
ダンテは、煉獄の山が大きく揺れ動いたこと、そして煉獄のふもとのほうから上の方に至るまで、皆が声を合わせて賛美をした、ということは、特別に重要なこと、大いなる出来事であるということを示そうとしている。
政治的、社会的な変革とか革命などでは、目に見える制度が大きく変わったとき、だれもが山が動いたという印象を受けるであろう。
地上で、大風が吹き荒れて、洪水があっても、地下には何の関わりもないように、人間の魂の深いところは、そのような外側の変化によっても変ることがない。
それは、そのような社会的な変動によっても、人間は別の方向に自分の欲望や願いをかなえようとするようになるだけであって、人間の本質は自分中心であるというのは変ることがない。それは、日本の歴史での大きな変革であった明治維新や戦後の改革の後を考えてもわかる。
それらの変革は社会的には大きな変動であったのは誰にでもすぐ分る。生活そのものが大きく変化したのである。しかし、個々の人間の心、その意志の方向は、自分中心であり、変ることがない。
これはいくら科学技術が発達し、民主主義の世の中になり、政治や社会の制度が変革されても、まただれかにノーベル賞が受賞されても、それらはみな、人間の魂の表面の出来事である。
いわば、地上の田畑が作られたり、洪水が生じたり、あるいは台風や竜巻などがいくら起こっても地下の少し深いところでは何の影響もないようなものである。
人間という存在が根本的に変革することこそ、そしてその変革とは、積み重なる罪がようやく清められ、神の国に向かってはっきりとした方向転換をすること、それが最大の出来事だ、そしてそれこそが真の意味で山が揺れ動く大きな出来事なのだ。
それゆえに、煉獄にいて苦しみつつ清めを受けているさなかの魂たちも一斉にそのことへの喜びを表し、賛美を発するのである。
ここには、大地を揺るがすような大いなること、ということへの見方が、普通の考え方とは全くことなっているのが分る。
たった一つの魂が、長かった苦しみと清めの日々を終えて、意志も自由にされ神のもとへと上っていく時が来た、それがこれほどまでに重要なこととされている。
山全体にわき起こった賛美とは、イエスの誕生のときの賛美と同じである。闇のなかの光として誕生され、永遠に人々を照らし、救うお方が生まれたこと、それは宇宙的に大いなる出来事であったから、「天使に天の大軍が加わり、神を賛美した。」(ルカ二の十四)のであった。
この煉獄の山でそのイエスの誕生のときと同じ賛美がわき起こったということ、それは、そのような大きな出来事に比べられるような出来事が、一つの魂が赦しと清めを受けて神への方向転換をはっきりと確定したときに起きるというのである。
さらに、煉獄の山が揺れ動いたこと、すなわち大いなる地震が生じたことは、もう一つの新約聖書で特別に重要なことを思い起こさせる。
それは、イエスの誕生とともに世界歴史の上で極めて重要な出来事となった、十字架の死である。その死は善の力の敗北でなく、勝利であった。こんなことは、普通の常識的考え方では到底分からないことである。それは哲学的な考えとか科学的に考えたとしても全くそのような考え方は出てこない。
イエスが十字架で死なれたことは、私たちの罪を身代わりに負って死んでくださったのであり、それを感謝して信じるだけで魂は新しく生まれ変わる、ということ、それは福音の中心である。
しかし、それは理性的な思索の結論ではなく、まったく啓示の結果である。啓示を受けたならこのことの真実性がはっきりとわかり、長年の魂の最も深い問題が解決されたと実感する。
人間の魂のうちに宿る闇の力に勝利して、壊れることのない希望を与えられたということなのである。
イエスは、十字架上で激しい苦しみのなか、叫びをあげつつ死んでいったが、このとき、ローマの兵隊の隊長が、イエスが神の子だったとの確信が与えられた。
このことによって、十字架の死において、イエスが勝利された、ということが象徴的に示されている。これは後にキリストの真理が、ローマ帝国の権力に勝利していくという歴史的な大事件を表しているのであった。
このような重要性を秘めていたのが、イエスの十字架上での死であった。それゆえに、このときも、次ぎのようなことが起きた。
…そのとき、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂け、地震が起こり、岩が裂け、墓が開いた…(マタイ二七の五一~五二)

ここで言われていることは、およそ常識的には不可解で、起こりそうもないと思われる。
これは、私が小学校低学年のときに、家にあった、文語訳の小さな新約聖書(キリスト教のラジオ番組で贈呈されたもの)を、たまたま見付けて開いた箇所であった。
私にとって初めての聖書の箇所なのである。
しかし、あまりに子供向きの本などとは根本的に違った特異なことが書いてあるので、ここだけ読んでそっとそのまま置いてあるところに返しておいた、という記憶がはっきり残っている。それ以来一度もそのことを考えたり、母に質問したりしたこともなく、母もキリスト教のことなどは一切言わなかったので、ずっと忘れていた。しかし、それから十数年後、大学四年のときに、十字架の意味を書いた一冊の本で私の魂に大いなる変動が生じたのであった。
まさに、魂の地震であり、キリスト教に対しては岩のように固かった心が砕け、さまざまの苦しみのために墓のなかで死んだようになっていた私の魂の扉が開いて解放の光が射してきたのであった。
イエスの十字架の死、それは人間の魂を大きく揺り動かす。私にとってこれは驚くべき背後の御手を感じさせることであった。聖書のなかで最も重要な十字架のイエスの死、ということがたまたま手にとった箇所であり、それから十数年後に再びこれまた思いがけなく手にとって立ち読みした本でこの十字架の死の意味を書いてある箇所によって私はそれまでの長い魂のさすらいから救い出されることになったのである。
ダンテは、なぜ、煉獄の山が揺れ動き、大いなる賛美がそのときに山に響いたのか、その理由をその煉獄にいた一人の魂から説明を受けて深く納得することができた。

…渇きがはげしければはげしいほど飲む喜びも大きくなるように、その魂が私に与えた喜びは、本当に言葉に言い尽くせなかった。(七四~七五行)

このように述べて、ダンテがこの理由をいかに激しく求めていたか、そしてそれが分ったことがどんなに喜びであったかを記している。それはそのまま、ここで記されたことの重要性を示すものである。
ダンテがこの煉獄篇二十一歌で、特別な表現と強調をしているのは、この世界には、たしかに魂を揺り動かす大いなる力が存在する。あらゆる悪が取り巻いていて、その力にねじ伏せられているように見えても、そのただなかでそこから、立ち上がり、神に向かって方向転換をさせるような力が存在するということなのである。
また、人間に与えられる本当の喜びとは、自分のひいきにするチームが優勝したとか、出世とか財産といったことでない。
魂が神に向かって方向転換するときこそ、本人にとっても、苦しみつつ清めを受けている人たちすべてにとっても最大の喜びだと言おうとしている。真に神に向かって悔い改めた魂は、きよめの途中の人たちにも、力づけ、賛美を歌わせるような影響を与えるのである。ここには、悔い改めがその人だけでなく、周囲の人たちにもたらす大いなる影響というのが暗示されている。
一般の新聞やテレビなどで言われているこの世の喜びは、どの方面にあっても、願い通りに結婚、就職などができたとき、成績が優秀、立派な業績、健康、病気のいやし、収入の豊かさ、友だちの多いこと…等々である。
しかし、神が最も喜ばれることは、― それはそのまま人間にとっても最も大いなる喜びとなることである― 悔い改め、すなわち魂の神への方向転換なのである。
このことを、ルカ福音書はとくに強調している。それは、ルカ福音書の十五章全体がそのことにあてられていることからもうかがえる。

…悔い改める一人の罪人に関しては、悔い改める必要がない(と思いこんでいる)九九人の正しい(と思っている)人よりも、大きな喜びが天にある。(ルカ十五の七)

…一人の罪人が悔い改めれば、神の天使たちの間に喜びがある。(同右十節)

放蕩息子のたとえでは、次のように記されている。
…「お父さん、私は天に対して、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください。」と祈り、父親のもとに帰って行った。
父親は遠く離れていたのに息子を見付けて、走り寄って抱きしめ、深い愛情を表した。 その上、急いで良い服を着せて、いままで働き者の兄にもしたことのないようなごちそうをふるまった。それは、「この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに、見つかったからだ」といって、祝宴を始めた。(同十一節~二四)

これら三つのたとえは、自分中心の考え方、生きていく方向そのものが根本的に間違っていたことをはっきりと悟り、神の方向に心を向け変えるということが、天の国においていかに重要であり、喜ばしいことであるかを表している。
最初のたとえでは、「天に喜びがある」といい、次ぎには「神の天使たちの間に喜びがある」、そして最後の放蕩息子のたとえでは、愛に満ちた父なる神の喜びと祝福というかたちで、この魂の方向転換(日本語訳では「悔い改め」)をいかに神が喜ばれるか、それは天における喜び、宇宙的な喜ばしい出来事なのである。
この煉獄篇二十一歌において、一人の罪人が長い苦しみと清めを終えて、魂の明確な方向転換がなされ、天の国へと上っていくようになったことを、山全体が動き、人々が一斉に喜びの賛美をあげた、ということも、こうした主イエスの言われたことの延長上にある。
この世のさまざまの喜び、勝負に勝ったとか何かの賞をもらった、あるいは事業が成功した、といったみんながほめたたえるような喜びと、いかに質が異なることであろう。
さらに、主イエスが言われたような、天での大いなる喜び、ということは、本質的に誰でもが与えられ得る喜びである。病床にて何も仕事ができない人、勝利とか栄誉とかまるで関係のない孤独な苦しみに置かれている人であっても、この心からの方向転換なら可能である。
そして、このことは一回きりでなく、私たちが罪を犯し、心ならずも道にはずれたときでも、そのたびに主に立ち返るなら、そのたびに神は喜んで受けいれてくださることを信じることができる。
死に瀕した重罪人でも、そのことはできるゆえに、十字架でイエスとともにはりつけにされた罪人の一人は、死の間際で心から悔い改めてイエスが死んでも神のもとに帰るお方であること、神から来たお方であることを知り、イエスへの帰依を表した。ただその魂の方向転換のゆえに、主イエスから、今日あなたはパラダイスに入るという祝福の約束をいただいた。このイエスのお心は、放蕩息子を心から受けいれた父の心に通じるものを感じさせる。
たった一人の魂の神への方向転換がこのように大きな出来事とされるのが煉獄である。煉獄の門を入るとこの世の一切は影響を及ぼさない。海岸からその門に至るまでの地域では、風も吹き、雨や雪や露もある。雲もあり、普通の地震もある。
しかし、煉獄の門を入ったその上部の煉獄山においては、そのようなものは一切ない。
霊的な力(神の力)のみによってその山の状況が支配されているのである。
こうしたことも、また比喩的な内容を持っている。すなわち、ともかくさまざまの罪にもかかわらず、死に至るまでに悔い改めた魂は、煉獄の山にたどりつくことができる。そうした人たちが、煉獄の門を入り、そこで神のご意志による苦しみと清めを受けていく。そのようになった魂にとって、もはやこの世の出来事によっては、本質的なところで動かされることはない。それはなぜか。次のみ言葉によってすべてが善きことにつながるように神の霊がはたらくから、言いかえると神からの風がすべてを神の国へと吹き寄せていくからである。
「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、知っている」(ローマ信徒への手紙八の二八)


 


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― 弱さから力へ
詩篇 第六編


主よ、怒ってわたしを責めないでください。
憤って懲らしめないでください。
主よ、憐れんでください。
わたしは嘆き悲しんでいます。
主よ、癒してください、わたしの骨は恐れ
わたしの魂は恐れおののいています。
主よ、いつまでなのですか。 (二~四節)

主よ、立ち帰り、わたしの魂を助け出してください。
あなたの慈しみにふさわしく
わたしを救ってください。
死の国へ行けば、だれもあなたの名を唱えず
陰府に入れば、だれもあなたに感謝をささげません。(五~六節)

わたしは嘆き疲れた。夜ごと涙は床に溢れ、
苦悩にわたしの目は衰えて行き
わたしを苦しめる者のゆえに老いてしまった。(七~八節)

悪を行う者よ、皆わたしを離れよ。
主はわたしの泣く声を聞き
わたしの嘆きを聞いてくださった。
主はわたしの祈りを受け入れてくださる。
敵は皆、恥に落とされて恐れおののき
たちまち退いて、恥に落とされる。(九~十一節)

まず最初にどうして「怒ってわたしを責めないでください」と言っているのだろうか。この詩を書いた作者は、その具体的な内容は分からないが、重い罪を犯し、そこから厳しい裁きを受けて、非常に苦しい状態に置かれていたのである。自分の犯した罪のゆえに、この苦しみを罰として受けているということがはっきりとこの詩の作者には分かっていた。
これはダビデの詩と伝えられているが、たしかにダビデは重い罪を犯し、そのために家庭に悲劇的な事態が生じ、自分自身も非常な苦しみにあえぐことになった。そしてこの詩のような罪のゆえの苦しみはダビデでなくとも実に多くの人たちが味わっているであろう。
最も深い苦しみや悲しみは、自分の愛するものが失われたり、あるいは愛していた人、信頼していた人から裏切られたりしたとき、そして、もう一つは自分という人間の最も深いところでの罪ゆえにおきた事態ゆえの悲しみである。
愛する人を失う悲しみ、また信頼を裏切られた悲しみなどは、キリスト教信仰と関わりなく存在する。だれもが程度の多少はあっても経験していくだろう。しかし、罪ゆえの深い悲しみというのは、とくに神を知った人が一層深く感じることだと言える。罪の深さ、重さは神という正義と愛の無限に豊かなお方を知ってはじめてわかることだからである。

「わたしの骨は恐れ わたしの魂は恐れおののく。」と3,4節にあるが、「骨が恐れる」という表現は現代の私たちにとっては、違和感を与えるものである。
このような表現は、例えば新聞や雑誌では、まず目にすることはない。これは、私たちはまず使わない表現である。こういう点からも詩篇はわたしたちには、なじみにくいものだと思いがちである。
人間の体で奥深いところにあって全身を支えているものを「骨」と表すことは、聖書においては何度かあることである。どうしても風土が違うのでわたしたちは全く使わない表現が、確かに使われる。
現在のわたしたちではどのように表現するであろうか。そのことを考えるために、別の例をあげてみる。
「私は水となって注ぎ出され
骨はことごとくはずれ 
心は胸の中で蝋のように溶ける。」(詩篇二十二の十五)

ここの表現もなじみにくい。わたしに水が覆いかぶさってくるというような表現であれば、意味は分かるが、自分自身が水となって注ぎだされるということは、これもまた特別な表現である。また骨がことごとくはずれるというのも、文字通りであるはずがない。
これは自分が水のように全く無力になって、自分の存在自体がじっと固まって立っていることができず、粉々になってしまうということを、同じような表現を繰り返して表している。
また「命は嘆きのうちに 年月は呻きのうちに尽きていく。罪のゆえに力は失せ 骨は衰えていく。」(詩篇三十一の十一)

この箇所にある、骨が衰える、といった表現を現代人がそのまま読むと骨粗しょう症のような状態になったのかと、思うかもしれない。ここでは自分の身心の奥深いところが衰えているということを、言い換えている表現なのである。
そのことは、「目も魂も内臓も衰えていく」(詩篇三一・10という言葉でもうかがえる。
このように「骨」という言葉が詩篇にもあちこちにある。これらは、現代の私たちが思い浮かべる生理学的な骨とはちがっているのはこうした例を見てもわかる。
訳語を表面的に読んで、聖書の時代の人は私たちにとっての骨を思い浮かべて、その「骨が恐れる」というふうに考えるのも間違いである。このようなことを知らなければ、創世記に出てくる有名な表現も、間違って受け取ってしまうであろう。
アダムのあばら骨から女をつくったという箇所であるが、その時アダムがエバをを見て最初に言った言葉が「ついに、これこそ わたしの骨の骨 わたしの肉の肉。」(創世記二・23)
このような表現に接してたいていの人は、文字通りに受け取り、奇妙な、理解しがたい表現だと思うであろう。この場合も言おうとしていることは、女とは、私の存在の奥深いところと一致している分かちがたい存在だ、ということなのである。
このような理由で、詩篇六篇に現れる「私の骨は恐れ…」というところを、ある英語訳では「骨」を分かりやすく「私のからだ」(my body)を使って、My body is in agony.(私のからだは、苦しみの内にある)と訳しているものもある。
以上のようなことを知っておかなければ、「骨が恐れる」といった不可解な表現によって、この詩が読む人の心に入っていかず、力とはなりにくいといえよう。

 この詩の作者が体験してきた非常な苦しみというのは実は「罪」から来ている。詩篇全体のうちで、七つが罪の悔い改めの詩篇とされてきたが、詩篇第六編はキリスト教の古い時代から、その最初の詩篇とされてきた。
誰でも罪を思い起こせば思い起こすほど、たくさん思い当たる。人間と言うのはたまに罪を犯すのではなく、毎日さまざまの罪を心で犯し、言動で犯しているものである。
みんな自己中心的であり、真の思いやりというのも、わずかしかないと言えよう。
また人間は苦しいときになって初めて、自分の罪を真剣に思い起こす。
「罪の苦しみ」をこれ以上耐え難いから、どうか赦してください、憐れんでくださいと叫ぶ。現状から必死に神に向かって、自分の罪から来る苦しみ、裁きをどうか止めてくださいと叫び、また五節からは助けてください、救ってくださいと言葉を変えて言っている。
この詩の作者の深い苦しみや悲しみとは具体的には、病気の苦しみであり、敵対する者から受ける苦しみであったと推測される。
罪ゆえの裁きに恐れ、そのままでは生きていけないというほどの状況にあったのは、「死んでしまったら、神への感謝をささげることもできない」(六節)と言っているのでもうかがえる。
このような表現によって、この詩の作者は死ぬほどに苦しい状態に置かれているのがわかる。
この作者が助けて下さいと祈るのは、今の苦しみが激しいからであるが、それとともに、意外なことに、死んでしまったら、神に讃美もできなくなり、また感謝を捧げられなくなるという理由で、救いを求めている。
このような理由でどうか救ってくださいという人は、ほとんど聞いたことがない。このように書く人がいるほどに、旧約聖書の時代の人は神への讃美と感謝をするということを、人間の当然のあり方だと見なしていたことがうかがえる。
旧約聖書の時代においては死後の国・陰府の国というのは、暗い影のような世界であって、そこでは讃美も何もかもなくなってしまうと見なされていた。復活して神のところに行くというような信仰は、まだ啓示されていなかった。
イエスは、十字架での死後、父なる神のもとに行くと聖書には書かれているが(ヨハネ十六の五など)、旧約聖書の大部分の内容においては、そのような死後のことはほとんど書かれていない。アブラハムでも死んで先祖の列に加えられたと書かれているだけであって、アブラハムが死んで天のもとへ帰ったというふうには書かれていない。先祖の列に加えられた、とは、要するに死者の世界に行ったということである。
このような旧約聖書の内容を知るとき、キリストが復活したというのは聖書全体の歴史の中でも極めて大きい出来事、根本的に新しいことであった。死後に復活するとかいうことは、ヨブ記、詩篇、ダニエル書の一部には見られるところがあるが、大体においてはまだ示されていない。

この詩の作者は、夜ごとに涙を流すほどに、悲しみと嘆きの中にあったし、あまりの苦しみに目もかすみ、老いてしまうほどであった。
みずからの罪のゆえの苦しみ、そこからくる病気や悪意をもって敵対してくる人たちから受ける苦しみなどが、この作者の身心を滅ぼしてしまおうとする状況が記されている。

このような絶望的な状態がどれほど続いただろうか。その期間は記されていない。しかし、このような真剣な神への祈り、叫びはそのまま捨てられることはありえない。
この詩の作者も時がきて、神からの応答を受け、それまでの絶望的状態から大きく変えられたのがわかる。これはとても大きな変化であった。
このような、内容的に大きな変化ということは詩篇を注意深く学んでいると、しばしば気づくことである。
八節までは死が近いと思うまで、恐ろしい苦しみや悲しみに打ちのめされていた。それなのに九節で「悪を行うものよ、皆わたしを離れよ。」と立ち上がる力もなかった人が力強い調子に変えられたのがわかる。
それは、主がこの苦しむ人の声を聞かれたからであった。「主は、わたしの泣く声、嘆きを聞いてくださった」(口語訳)

ヘブライ語では完了形という形で書かれてあっても、確実だとみなされることは、たとえ未来に起こることであっても、また現在のことであっても、完了形で表すことがある。そういう点で、ここの訳は「聞いてくださった。」とするのが我々の感覚に一番近い訳になる。二十種類以上の英語訳を見てもほとんどは、 The LORD has heard my cry for mercy.と現在完了形で訳されている。なお、新共同訳は、「泣く声を聞き、…嘆く声を聞き…」と現在形で訳してある。「聞いてくださる」というのは現在の状態であり、神への信頼、信仰を表すが、「聞いてくださった」となると、現実に実現した事実だということになって、ニュアンスがちがってくる。

 詩篇第六編で言おうとしていることは、人の魂の転換である。これだけ極限状態に追い詰められていても、これほど大きな変革がなされうるということである。
激しく苦しい絶望的な状態に追い詰められ、それがいつまで続くのかという非常に苦しい状態がずっと続いて、わたしを苦しめる者ゆえに老いてしまったほどである。心身が消耗したら、白髪になるということも実際にある。
しかし、そこから突然九節のように神が聞いてくださったという大きな変化が生じている。そして神の言葉を聞き取ったがゆえに、確信が生まれ、新たな力が与えられた。それまでは悪に対抗することもできず、まさに闇の力にのみこまれようとしていた。もしこの詩の作者が神を知らなかったら、そもそも祈ることもしないし、そこから大きな転換を遂げることもできない。
万能にして愛と真実の神など全くいない、と信じている人は、人生の突然の悲劇や荒波に呑み込まれようとするとき、いかにして耐えられるであろうか。
この詩の作者は、悪の力に対して「離れ去れ」と、立ち向かう力を与えられた。これは、主イエスが十二弟子を派遣したときに、まず悪霊を追いだす権威を与えたことを思いだす。
そして、主イエスがご自身の最期のときが近づいたとき、十字架にかけられるということを弟子たちに予告したが、ペテロは「そんなことがあってはならない」とイエスを引き寄せて叱ったことがあった。そのとき、主イエスは、「サタンよ、退け!」と厳しく一喝された。ペテロは神の深い御計画のことを考えようともせず、人間の小さな考えや願いを優先させたからであった。
それは神の権威を持ったお方のみの力をもって言われたのである。
このように、悪の力に対して、退け! と命じる力を与えられるということ、それは神からの力を十分に受けて始めてできる。そのような力をこの詩の作者は与えられたのであった。
このような、悪に対しての力、それは私たちの日々の生活においても重要である。そして、悪の力に対抗するためには、神の力を与えられるようにと祈ることが当然結びついてくる。それゆえに、何をどのように祈るべきかを、教えられた中で、「御国が来ますように」と祈れと教えられた。それは、神の正義と愛による御支配が来ますように、という意味であり、それは、悪の力、その支配が退けられますように、という祈りをも含んでいるものなのである。
そしてこの詩の作者においては、最終的には悪の力は滅ぼされる、という確信が与えられたのであった。(新共同訳では「恥に落とされる」)
かつては強い力をもって神を信じて歩む人たちを苦しめていたがそうした悪の力が骨抜きとされる。このように、みずからが全く新たな力を与えられるとき、悪の末路に関してもはっきりとした確信を持つようになった。
これは古代のキリスト教会のときから言われてきた七つの悔い改めの詩篇のなかの最初のものである。
真に悔い改めるとき、すなわち神の方向に魂が方向転換するとき、普通では考えられないような根本的な転換が生じるのだという証しがこの詩篇なのである。
神への魂の転換こそは、この世のあらゆる悪の根源に対しても勝利する道であると言おうとしているのである。罪の赦しを受けることがいかに力を与えられるか、それがこの主題となっている。
新約聖書でも中風で苦しんでいる人を友人たちがイエスの前に連れてきた。彼らは友人の中風を治してもらいたいのに、イエスは、病人を運んできた人たちのイエスに対する信仰をみて、「あなたの罪は赦された」と言われた。(マルコ二の五)
病気を治してもらいに来たのに、罪を赦されたというのは一見不可解であるが、実は様々な苦しみの奥には赦されていない罪があるという見方が、非常に古い時代から見られていた。
このように聖書の言葉は、非常に奥深いものがある。知れば知るほど聖書と言うのは、一見これだけのものだろうと分かったと思っても、さらにその奥があり、旧約聖書が新約聖書に不思議なところで繋がることが分かるのである。


 


リストボタン「神の義の喜び」        那須 佳子

(これは、二〇〇九年十月の東京 青山学院大学で行われた無教会全国集会で話された内容です。)

このみ言葉をテーマに今年の全国集会が開催されました。私自身若いころ、「罪を見逃して義とされる」というこのロマ書3章のみ言葉は信仰の確信を与えてくれたみ言葉でした。今回、教育と神の義という発題をいただき今日まで祈ってきました。ささやかな証としてお話したいと思います。
 最初にこの発題の結論を言いますと、わたしは教育の目的はどのように時代が変わろうとまた子どものありようがいかに変化しようと、すべての子が将来神様に出会うこと、イエス様に出会うこと、そのことがいちばんの喜びでありすべてが解決されていく道であることを信じて、少しなりともそうした道を示していくことだと思っています。また年々その思いが強くなっています。

 さて、わたしにとって教育という仕事は、生活の中で大きな意味をもっています。信仰はもっぱら教育という営みの中で試されてきました。学校という現場はきれいごとばかりではない闘いの場でもあります。重い責任を負い次から次へ課せられる業務と子どもたちとのやりとりの中で心身ともすりへるような毎日です。しかしそこは信仰の行いの場、祈りの場でもありました。十字架のイエス様が日々心の中にありました。   
 朝目覚めた時、まず、「御名があがめられますように、すべてが神様のお考えで進めていけますように、今日一日精一杯やってみますから、どうかあなたのよいように為してください。あなたからの力をください。」と祈って出かけます。いろいろな問題を抱えている時そればかり考えていると苦しくなってしまいます。人の力では限界がある、自分の力で何とかしようという人の義ではなく神の義、神様から力をいただこう、ゆだねようと思った時たとえ問題はそのままでも不思議な平安をいただける実感がいつもあります。
 
 一日のなかのさまざまな出来事の中で、いくどか重要な選択を迫られる、判断を迫られる場面があります。子どもたちを激しく叱らねばならないこともあります。そのつどその判断の道を示してくれ、どんなに心が落ち込むようなことがあっても前へ進むようにと後押ししてくれたのは聖書の御言葉でした。それは炭火のような信仰生活のなかで次第に培われてきました。日曜日の主日の家庭集会の聖書のみ言葉のメッセージや讃美、祈りの中で新しい聖霊の力と慰め平安をいただいて続けて来られたと思っています。今教育という信仰の具体的実践の場はわたしにとって過酷で大変だけれどとてもいとおしいものでもあります。これまで数え切れない子どもたちと出会いました。その中で信仰と教育について考えさせてくれた出会いについて少しお話したいと思います。
 
 まだ若い頃担任を持った子どもたちの中に重度の知的障害をもち、排泄の自立もできていない、言語ももたない、多動でコミュニケーションもままならない女の子がいました。Aちゃんと呼んでおきましょう。1年生を受け持ち、また5,6年生になったとき再び担任をすることになりました。当然のことながらその子を中心に毎日何がおこるかわからないような日々の連続でした。一年生の時は排泄の自立ができなかったので、教室でおしっこやウンチを床にもらしてしまうということもよくありました。言いたいことがうまく伝わらないので給食の時間、おかずのバケツごとひっくり返すこともよくありました。高学年ともなると家庭や勉強のことでストレスをため、その子にいじめをする子もいました。しかしそういう中にあっても遠足、修学旅行、生活発表会などいろいろな行事を迎えるたび、こどもたちはAちゃんをどんなふうに参加させようかと一生懸命考えてくれました。毎日の登下校でもAちゃんは、履いている靴やなが靴をあっという間に田んぼの横にある側溝に投げてしまうので、いっしょに行き来していた友達は溝の中に拾いに入りながら6年間いっしょに田んぼ道を登下校してくれました。てんかん発作を日に何回か起こす子だったので教室にはいつも毛布を用意していました。まだ自分のこともおぼつかない年齢にありながらいっしょうけんめいAちゃんのことを考え行動してくれました。卒業する時にはみんなにこれ以上迷惑はかけられないからと言って養護学校に行かすつもりにしていたAの母親に「おばちゃん、Aちゃんもいっしょに中学校に行こう、おれらがちゃんとみるから。」と家に談判しにいきました。その結果地元の中学校に三年間通うことになりました。今その子達は32歳になっています。現在ほとんど寝たきりで暮らしているAの誕生日には毎年何人か訪ねて行っています。最近のような教育事情の中ではここまでの重度の子どもは養護学校という専門の学校に行くことが多いと思います。またまわりの保護者もそうした手のかかる子どもがクラスにいることを喜びません。
 
 この当時ずっとわたしのなかにあった 御言葉はマタイ福音書12章20節「正義を勝利に導くまで、彼は傷ついた葦を折らず、くすぶる灯心を消さない。」でした。また、コリント12章9節「わたしの恵みはあなたがたに十分である。力は弱さの中でこそ発揮されるのだ。」でした。
 Aちゃんとの暮らしの中でいろいろな場面で悩みました。しかし、そんな時こどもたちと話し、取り組んできたことは、Aがいるからこうなるということではなく一人ひとりが自分の中にある弱さをみつめ、みんなのなかでその気持ちを出していこうという作業でした。自分の中にある力の論理に気づき、それを素直に吐露しあった時に生まれるのは不思議なやさしい感情でした。人は道徳的に何べん「やさしくなりましょう。」といわれてもなれるものではなく、自分の中にある弱さ、汚さ、清くなれない心、差別する気持ちそうした気もちに少しでも気づいた時不思議と心がほだされ、低くなり自分にも人にも優しい感情がうまれてくるものだと気づかされました。イエス様が「心の貧しいものは幸いである。」といわれます。自分の罪にすこしなりとも気づき、謙虚になれた時、イエス様は招いてくださり弱さから思いもしなかった新しい力や元気をいただけることをこうしたことを通じて思いました。子どもたちもそんな時、自分たちがAちゃんに一方的にしてあげているという関係ではなく、実は大きな宝をAちゃんからもらっているということを理屈ではなく感じていました。イエス様が最も低いもの、この世から排除されているような人こそ大切にされた、そのことはまわりの者たちに実は弱いものというのは自分たちのことであり、この世的には学力も低く弱い立場に置かれている人から大きな力や励ましをいただいている、すべての存在が意味を持ってあるのだということを示してくれていることを子供心に気づかされていたのです。
 
 それからはできるだけ障がいをもつ子や課題の多い子をもとうと思って今日までやってきました。勉強ができることがよいこと、スポーツができることがよいこと、そうした価値観でうずまいているなかで取り残されてしまっていく子どもたちが多い、しっかりした基礎学力、生きて働く学力も身につけさせたい、でもそれと同時に「力は弱さの中でこそ発揮されるのだ」というパウロのことばのように、自分の弱さや罪に気づける子であってほしい、自分の弱さをすなおに受け止め、前を向いて生きていける子であってほしい。いつもそんなことを話していたようにおもいます。今もさまざまな授業のなかで、苦難の中にあっても信仰をもって果敢に生きていった人たち、マザーテレサであるとか、水野源三さん、星野富弘さんであるとか いろいろなひとのことを紹介します。歴史のこと、社会的なこと、身近な遊びや友だちのこと、どんなことでもどういう視点でみていかないといけないかをできるだけ具体的に話すようにしています。
 
 世界にはまだ紛争が絶え間なく、難民として逃れている人たちも多い。家や家族、ふるさとをうばわれ学校にさえ行けず労働を余儀なくされている子もたくさんいるということなどそうしたニュースもできるだけ紹介したり教材化したりしています。こうした見方はすべて聖書の学びやみ言葉から示されてきたのです。人の義からは得るものは少なく、どんな立派な講演会から話を聴いても一時的な感動はもらえますが、長く心には残らないのです。聖書というのは本当に不思議だなあとおもいます。すべての難問の答えが隠されています。その時答えが示されなくても日々新しいきもちで「出よ!」と押し出してくれる原動力はイエス様でした。
 
 今、教育現場では団塊の世代が若い人たちとの交代の時期を迎えており、それにともなって文科省からおろされる教育内容についても大きく様変わりしようとしています。法制化され導入されていった「日の丸、君が代」君が代を歌唱指導するようにとのチェックもきびしくなりました。今年の大阪府の新任教師の辞令式では君が代の歌唱指導もあったと聞いています。初任者に向けた研究会もたくさん実施されています。しかしその多くの内容は教師としてのスキルを学ぶ場であり限界があります。国家の思うままにあやつられるそうした若い教員が増えていくことが懸念されます。
 
 また最近は道徳教育の重要性もさけばれています。犯罪の低年齢化、家庭教育力の低下、生活のことでいっぱいの家庭。青少年の自殺も多い。依然として弱いものに対してのいじめも減らない、自尊感情も低下し、ストレスを学校や家庭、友だちに暴力という形で表現する、そうした子どもたちに道徳教育を強化していかねばならないという発想。一方では英語の授業も小学校で導入され、2012年度の指導要領の改正にあたって道徳も英語も成績をつけて評価するという案さえ出ている始末です。世界のトップクラスにいた日本の子どもの学力が学力調査の結果から下がったということで、文科省は学力を上げる取組みに奔走しています。ゆとりが必要といって教科内容をみなおしてきたのにその舌の根も乾かぬうちに内容は改正されようとしています。いったい人が考えるものごとの基準はどこにあるのでしょうか。それはあくまでも今日のテーマに深くかかわっている神の義ではなく人の義です。人の義はその時々の時勢によっていくらでもころころと変わりうる、陽炎のごとく実体のないものだと痛感します。若い先生たちはこれから先、何を自分自身の確固たる指針として教育の業に取り組んでいくのかが深く問われています。
 
 これまで私たちの信仰の先達がたたかってきた歴史があります。戦時中、憲兵の取り囲む中で、戦争にひた走る日本の現状を憂いて訴え、国家の罪に苦しみ泣き、訴えていかれた方がいた。多くのひとを敵にまわしても本当の愛国心を訴えていった方もいた。戦争に反対し、国家のすすめる神にも屈せず、牢獄に死んでいった人々がいた。そういう人たちはみなキリストの霊に燃えて闘ってこられた。わたしたちがこれからの日本の教育を考えていく時、何ものにも動かされず、誰に何を言われても一人であっても自分の意見を持つ子ども、流されない子どもに育ってほしいと願っています。
 
 現場にいて思うことは、実は健康な子も病んでいる子もみな等しく真実なもの確固たるものを求めている気もちは同じだということです。少しでもまわりに流されない「個」をつくること、家庭環境や性格や貧しさや人のせいにして悲観的なことばかり考える子ではなく、どんな自分でも平等に愛し大切にしてくださる方がおられるのだということを知っていける、これから先自分の罪に苦しんだ時、人の力ではどうしようもできない罪の解決の道があることを知り、希望をもって生きることができますように願っています。神の義、これは人間の努力ではなく一方的にいただいた義であります。叱る時もほめるときも自分の思いではなくイエス様に聴いていきたいと思います。教育の世界には人間的な思いで満足してしまう、ヒューマニズムの世界に酔いしれてしまう怖さがあります。うまくいった時の充実感が人間的な名誉心をあふれさせます。何を第一にするかがぼやけ、神様のことを思う気持ちがおろそかになってしまいます。いつしか自分で為したような傲慢に陥ることもあります。人の義を誇ってしまいます。そんな時立ち戻らせてくれるのは礼拝であり聖書のまなびと祈りです。繰り返し言いますが、今、主日の礼拝のなかに聖霊の力をしみじみと感じています。
 
 罪を見逃して義としてくださったということは私の罪との闘いともいえます。罪の自覚がなければそれを見逃しゆるしてくださった恵みが感じられないからです。自分の中にある罪を日々悔いた時イエス様がそうした罪を背負い、代わって死んでくださった、神様の罰を執り成し信じるだけで無償で義としてくださった、そして復活され聖霊となって慰めと平安、新しく生きる力をあたえてくれることを心から感謝しています。そしてこのような弱く小さな者にパンを投げ続ける営みを御心ならばもう少しの間やらせてください、一人でも多く将来イエス様というぶどうの木の一粒に連なりますように、御手の中にとらえられるこどもたちが生まれますようにと祈っています。


 


リストボタン詩のなかから


     リルケ
*

木の葉が落ちる
落ちる 遠くからのように。
まるで 天で
 遠い庭が 枯れたかのように。
木の葉が落ちる
 否むみぶりをしながら。

そして夜ごとに 落ちる
 重い地球が
すべての星から 孤独の中へと。

わたしたちはみんな落ちる
 この手も落ちる。
そして よくごらん
 ほかの人たちを。
それ(落下)はすべての人の中にある。

しかしひとりの方があって
 この落下を
かぎりなく優しく
 その両手で 支えてくださる。

Herbst
Die Blatter fallen, fallen wie von weit,
als welkten in den Himmeln ferne Garten;
sie fallen mit verneinender Gebarde.

Und in den Nachten fallt die schwere Erde
aus allen Sternen in die Einsamkeit.
Wir alle fallen. Diese Hand da fallt.
Und sieh dir andre an: es ist in allen.

Und doch ist Einer, welcher dieses Fallen
unendlich sanft in seinen Handen halt.

*)リルケ(一八七五年~一九二六年)オーストリアの詩人、作家、評論家。「神さまの話」(Geschichten vom lieben Gott 原題は「愛すべき神の物語」)、「マルテの手記」などがよく知られている。

時は秋、すべてが落ちていく。葉は、落ちたくはない、というような素振りを見せながら落ちていく。あれほど元気よく緑の葉を広げ、新しい芽を延ばし、花を咲かせていた木々、野草たち、それらすべてはその葉を落としていく。地上のすべては落ちていくということを象徴的に示そうとしているかのように。 しかし、そのような孤独で謎のような闇のなかに落ちていくと見えるただなかに、それらを支える御手がある。
これは、単なる詩的空想ではない。人間にとって最も切実な、そして真実な体験を表すものなのである。
自分がどこまでも落ちていきつつあった、という恐ろしい実感を持ったことのあるものは、その支え、引き上げてくださった驚くべき御手を、生涯で最も忘れがたい体験として魂に刻むであろう。
そのような御手があるということ、それは、この世界の大いなる希望であり、闇に沈みゆくものを上がる太陽へと転換させるものなのである。

「主も最後まであなたがたをしっかり支えて、わたしたちの主イエス・キリストの日に、非のうちどころのない者にしてくださる。」(Ⅰコリントの信徒への手紙一の八)
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○心なき身にも あはれは知られけり 鴫立つ沢の 秋の夕暮れ 西行法師
(「新古今和歌集 秋歌上三六二」)
(ものの味わいを感じる心のないこの身であっても、しみじみとした情趣を感じて深く心動かされた。 シギの飛び立つ秋の夕暮れのこの時。)
シギがどんな鳥かも分からない現代の多くの人にとってこのような歌は感じることは少ないかもしれない。シギとは川岸、湖や池、水のあるところにいる三〇種類ほどもある鳥の総称。長さは二〇センチ~五〇センチほどでくちばしと足が長いのが多い。
沢とは、さらさらと音をたてて流れる山間の小さな谷、あるいは水辺。そこからシギが夕暮れに飛び立っていく。安らぎの場へと飛び立つ鳥たち、水、そして秋の夕暮れ。
飛び立つことができず、混乱と汚れのなかにとどまり続ける人間。それゆえにこそ、ねぐらに向かって飛び立つ鳥たちに心動かされるのである。
ここに人間世界の混乱から人を引き寄せる自然の力、神の招きがある。
私はしばしばかなり大きい河辺を夕方や夜に歩くことがある。そこでよく小鳥の鳴き声を聞き、水辺で泳ぎあるいは、飛び立つ鳥もいる。
水の流れや飛び立つ鳥たちは、私たち人間にないうるおいや翼のゆえに、私たちを日常の狭くよどんだ生活から引き上げてくれるのである。
秋の夕暮れはことに西の空が美しく染まる。そのようななかで、さわやかな秋の風を心いっぱいに受けると、心のなかの汚れも洗い清められていく感じがする。
原典の重要性と聖霊

十月に、東京の青山学院大学で、前回紹介した、北田 康広さんのピアノ演奏、歌(伴奏は陽子さん)の演奏会があった。やはり、CDで聞くのとは大きな違いで、ピアノの音、歌声というのが、力といのちをもって迫ってくる。
会場が古く、音響的には望ましいとは言えないところであったが、それでもその演奏のよさが伝わってきた。会場全体に響きわたるその迫力あるピアノと歌、それは、CDとかテープに録音したものでは到底再現できないことである。
しかし、なまの演奏が持っている大きな限界というのがある。それは入院中の病人や自宅で痛みや苦しみと戦っている重い病気の人、また施設にいる人などは、そのような演奏会に出向くことができない。
その点では、CDやテープの録音というのは、入院して苦しみのさなかにある人でも、枕元にプレーヤをおいて聞くことができる。実に単調で重い気持ちになりがちな病院のベッドの上で、音楽をCDによって聞くことができて、深いやすらぎを得ることもある。
また、通勤の雑踏のただなかで、列車のなかや待っている間に、そのような音楽を聞いて、雑踏のただなかにあって、御国からの風を感じる人もいる。
なまのまま、それは絵画についても言える。もとの原画が持っている力は、複製では大きく薄められる。
これは、聖書や文学の翻訳についても言える。聖書の原典であるヘブル語やギリシャ語を少しでも学んで、原文の表現や原語の意味に触れることで、なんの注意もひかなかったような箇所が、まったくちがった光をもって、また力をもってくるということは実に多い。
私は、主日礼拝やそれ以外の各地の集会においても、み言葉を語るときには、時間が乏しい時でも、原語と原文のニュアンスをくみ取るという作業を欠かさないようにしている。
例えば、最も知られている旧約聖書の詩は、詩篇二十三篇であるが、その冒頭の日本語訳、「主はわたしの牧者であって、私には乏しいことがない」という原文は、わずか四語のヘブル語である。
このことを、三十数年ほど前に初めてヘブル語を学び始めたときに知ってとても驚いたことであった。英語訳でも、The LORD is my shepherd, I shall not want.
のように、九語で表現されるから、いかにヘブル語が簡潔な力強い表現であるかがわかる。
とくに聖書の場合は、一語一句が決定的な重要性をもってくる場合があるから、とくに私も原文の重要性に深く引きつけられた。
しかし、このことは、文学作品でもいえることで、ヨーロッパの韻をふんだ詩を日本語に訳すると、まったくそのような韻はなくなってしまうし、リズムも失われる。俳句や短歌、和歌なども、五七七の日本独特の調子は外国語には訳することができないから、本来の俳句や和歌をそのままでは伝えることができない。
次に有名な和歌とその英訳をあげる。
憶良らは 今はまからむ 子泣くらむ それその母も 我を待つらむぞ(山上憶良 万葉集巻第三三三七)

(私ども憶良のような者はもうこれで帰ろう。家では、子供が泣いているだろうし、その子の母も私を待っているだろう。)

Okura,will leave now;
My children may be crying,
And that mother of theirs,too,
May be waiting for me !
(「THE MANYOUSHU」岩波書店 一九八頁)

英語に翻訳された和歌は、原文の和歌とは異なる新たな創作といったものになるのがこうした英訳でうかがえる。
原語、原文の重要性は、とくに聖書について語ったり、書いたりする場合には不可欠なものとなる。何種類もの日本語訳のそれぞれがニュアンスが異なっていたりする場合、どれを本来のものとして受け止めるのか、を判断せねばならないからである。
それにもかかわらず、聖書においては、日本語のままで読んでもそのエッセンスはわかる。私自身、日本語訳の聖書のそのまた説明の言葉をわずか読んだだけで聖書の本質が示されたのであったからである。救いそのものを得るためには、ギリシャ語やヘブル語は何の関係もない。
そして、原文がよく分かっているはずの当時の聖書学者(律法の学者)であったのに、かえって聖書の中心であるイエスの本質がわからず、イエスを迫害して殺そうとするまでに至ったことは、いかに本当の救いと原文がわかるということと距離があるかを示すものである。
パウロもこの点について、「文字は殺すが、霊は生かす」(Ⅱコリント三の六)とまで言っている。文字とは当時の旧約聖書のことを指している。聖なる霊の助けを受けなければ、かえって人を殺すという強い表現をしているのに驚かされる。
はじめに述べた音楽に関しても、いくらなまの音楽を聞いても、感動したといっても、だからといってその人に、病気などのため、CDでしか聞けない人以上に真実さや愛が増えるとは言えないであろう。
CDというなまの音楽の一部でしかないものであっても、そこに聖なる霊の助けを受けるときには、その人の心を動かし、変えるものとなる。
ちょうど、聖書のイエスの言葉、使徒の言葉を読んで、それがありありと自分に語りかけられていると実感するなら、ヘブル語やギリシャ語などに詳しいがそのような実感がまったくない人よりずっと力を得るであろう。
最初のキリスト者の時代には、今日の新約聖書すらなかった。旧約聖書もほとんどが持っていなかったであろう。文字が読める人はごく一部であり、聖書も、熟練した専門家たちの手で貴重なパピルスや羊皮紙に書き写すので、一般の人には手に入らないものであった。
それでも、彼らの信仰は現代の私たちより、はるかに真実で強力なものであった。だからこそ、イエスのあと、わずか数十年で、ローマ帝国の広大な地域に広がり、もはや国家権力で弾圧するしかないという状況に立ち至ったのである。
かれらは、主イエスの言葉を使徒たち、宣教する人たちから聞いた。それが命を捨てるほどの信仰にまで成長していったのは何がそのようにさせたのだろうか。
それが聖なる霊である。聖霊こそは、わずかの言葉、少しの文章であっても、そこに肉付けをしその全体像を形作り、ふくらませていくのである。
わずかの細胞から、必要な処置をすればつぎつぎと細胞が増殖し、りっぱな成体が形作られていったようなものである。
聖書の言葉の最も深い意味における原語、それはヘブル語でもギリシャ語でもなく、生きて働くキリストである。そのキリストが私たちの魂に語りかけて下さるとき、私たちは罪の赦しの実感を深く受けることができるし、不安のただなかにあっても、ある種の平安を持ち続けることができる。
そしてこれは、聖霊のはたらきである。新約聖書がまだまったく存在しなかったとき、十二弟子たちは、何によって絶望から立ち上がることができただろうか。それは書かれたものを読むことでなく、聖霊を受けることによってであった。(使徒言行録二章)
聖なる霊を受けることによって、わずかのみ言葉も、小さな出会いや集会においても、また、木々の枝を揺らせる風や野草の小さな花も、単調極まりないはずの星の光にも、そしてCDの音楽のような簡易なかたちの音楽にも、ゆたかに肉付けがされていく。
主イエスのパン種のたとえは、そのような聖霊の力を暗示するものである。

「天の国(神の王としての御支配)は、パン種のようなものである。女がそれを取って粉の中に混ぜると、全体がふくらんでくる。」(マタイ福音書十三の三三)


 


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319)唯一の解決の道
「人間の心にはね、科学でも哲学でも、医学でさえも解決できないものがある。
それは渇愛と不安だよ。― それを解決できるのは、それは信仰だ。」
(「こころの花」 村松英子著)
・この著者の父(医学部の精神科医)から受けた印象に残っている言葉としてこの本に引用されている。 渇愛とは、一般的には使われていない言葉である。これは、「水に渇くように、人間が、感覚的なさまざまの欲望に執着してやまないこと」。

人間の中に深く刻まれているさまざまの欲望、それに打ち勝つことができないゆえに、私たちは苦しみ、また罪を犯し、それが新たな苦しみとなっていく。そのような連鎖を断ち切る唯一の道、それが信仰であり、信仰によって与えられる聖なる霊を受けることである。

320)最大の罪
私が悔い改めて信じるに至ってから犯した最大の罪、最も主を悲しませた道は、祈りに関すること、すなわち祈りの怠りであった。
このことこそ、私が犯した多くの罪の原因である。
(「祈り」ハレスビー著三四頁 聖文舎)
・祈りの怠り、それこそ多くの人が強く感じていることであろう。あのとき、もう少し静まり、祈りにとどまっていれば罪をおかさなかったであろうと思われる言動というのは多くある。主イエスがたえず目を覚ましていなさい、と言われたことは、たえず祈りをもって生活せよ、ということと同じ意味をもっている。
321)キリスト教の極致
 「キリストは今なお活きてわれらとともに在し給う」、キリスト教の極致はこれである。キリストが、もし単に歴史的人物であるなら、キリスト教の教えがいかに美しく、その教義がいかに深くとも、そのすべては空の空である。
キリストがもし、今もなお、存在していないのなら、私たちは今日直ちにキリスト教を棄ててもよい。
キリスト教の存在は、ひとえにキリストが、今も生きておられるかどうかの一事にかかっている。(内村鑑三「「聖書之研究」一九〇八年二月」)

・私がキリスト教信仰によって、今日までの四〇年以上生かされてきたのは、単なる教えによっているのでは決してない。ここで言われているように、たしかに今も生きて働くキリストによって罪赦され、新たな力を与えられ、日々の歩みを導かれてきたからである。
その生けるキリストが、私たちの予想しない人との出会いでさらに恵みを受け、またやはり予期していなかった困難や苦しみを受けることによって、それがなかったら決してえられなかったであろう魂の成長が与えられた。生けるキリスト以外の、いかなる人間も、そうした驚くべき導きをすることはできない。そのキリストは、喜ばしいことも、悲しみ深いことも、また耐えがたいような苦しみをも、すべてを善きに転じていくからである。
322)静かに真理を語れ。そのためには、ぜひとも、「真理の霊」を持っていなければならない。この霊は生まれつき人に宿っているものでなく、一人一人の人間に対する神の個別的賜物である。(ヒルティ著 「眠られぬ夜のために下」十月四日より)


 


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○十一月の予定
吉村孝雄は、主が許して下さるならば、去年とほぼ同様の予定で次の各地にてみ言葉を語り、訪問によって主にある交流を深めたいと願っています。訪問先の大部分は「いのちの水」誌を送付しているか、集会との関わりがあるところです。み言葉の力が与えられ、主が参加者の方々に聖なる霊を注いで下さるようにというのが願いです。ご加祷くだされば幸いです。各地の集会などの問い合わせは、「いのちの水」誌の奥付にある吉村まで電話、メールなどでお願いします。
・二十日(金)の夜 七時~九時 大分市の梅木龍男宅にて集会。(電話)
・二十一日(土)午後二時~四時 熊本市の河津卓宅での集会。
・二十二日(日)主日礼拝 午前十時~十二時頃 アクロス福岡セミナールーム1にて(福岡聖書研究会と天神集会の合同)。 福岡市中央区天神1丁目11. TEL 092-725-9111
午後十二時半時~二時頃 近くの別の建物での食事懇談会。
・二十三日(月)~二四日(火)福岡県や島根の「祈の友」や無教会の一部の方々を訪問。
・二十五日(水)午後二時~五時 鳥取での集会(鳥取市ニュー砂丘荘)
・二十七日(金)午前十時~十二時 岡山での集会。(岡山県職員会館 三光荘にて。 岡山市中区古京町1丁目7-36 電話 086-272-2271
○前月号に掲載した集音器はいろいろ方々からも申込がありました。