祝 クリスマス

私は民全体に与えられる大きな喜びを告げる。
あなた方は布にくるまって飼い葉桶に寝ている乳飲み子を見付ける。

これがしるしである。

(ルカ二の十、十二)



2009 12 586号 内容・もくじ

リストボタンキリストの降誕と祝福

リストボタン魂の錨(いかり)

リストボタン神がみわざを始めるとき

 リストボタン神の言葉とその力

リストボタン悪との戦いのただ中からの救い―詩篇 第七篇

リストボタン一人の女教師の遺稿から

リストボタン報告とお知らせ

リストボタンことば

リストボタンiお知らせ

リストボタン来信より



リストボタンキリストの降誕と祝福 

 キリストはおよそ二千年前に地上に、聖霊によって生まれたと聖書は記している。驚くべきことに、家畜小屋の餌入れのなかで生まれた。また、生まれるとすぐに、時の支配者から命をねらわれ、遠くエジプトへと逃げていかねばならなかった。

 ここに、すでにキリスト教の重要な内容が現れている。

 まず、聖霊がきわめて重要なことをなす、ということである。通常では決して生じないこと、旧約聖書全体でも記されていないようなことであっても、聖霊はそれをなすことができる。

 人間にはできないが、神にはできないことはない、という主イエスの言葉を言いかえることができるのである。人にはできないが、聖霊にできないことはない。

 キリストが十字架で処刑されたが、神の子であったがゆえに、復活された。他方弟子たちは、イエスが捕らえられるときには皆残らず逃げてしまった。イエスなど知らないと強く否認したのが第一の弟子であったはずのペテロであった。

 そのような弱き者を、まったく異なる勇気ある弟子と変えたのは、彼ら自身の意志でも決断でも、生まれつきの性格でもなかった。

  それは聖霊であった。

  聖霊は、何もないところによきものを生み出すのである。無から有を生じさせる力をもっている。私たちも、聖霊の風が私たちの心の中に、またその集会に吹きわたることによって、それまでどんなにしても生じ得なかったことが生じることが期待できる。私たちができなくとも、聖霊が私たちにかわってよきことをなして下さるということも福音―喜びのおとずれである。

 

 主イエスは暗く汚い家畜小屋で生まれた。ここにも福音がある。私たちがどんなに暗く汚い心であっても、なおそんなところにも主イエスはきてくださるというメッセージなのである。

 誰も訪問してくれない、だれからも見下されている、嫌われている、あるいはみんなから無視され相手にされない…そのような状況であっても、キリストは来てくださると信じることができるのは何と喜ばしいことだろうか。

 私たちがそのうち老齢となり、弱くなり、自分の身の回りのことすらできないで、ただ横たわってばかりいるようになっていくとしても、そのような暗く汚くなった人間のところに愛をもって来てくださるお方がいるのである。

 クリスマスの福音のメッセージは、浮かれて騒ぐところにはくることはない。

 また、生まれたときからその命をねらわれるほどに、悪の力が迫ってくる。しかし、そうしたすべての力に打ち勝つ神の国の力を与えられる。

 現代に生きる私たちにおいても、まさにこの聖霊の力と、取り巻く悪に対する勝利の力、そして弱く汚れた罪深き我々のところにさえ来てくださるという神の愛の力、この三者が私たちの心の願いであり、祈りなのである。

 


リストボタン魂の錨(いかり)

 

  この世には、さまざまの病気、事故、自分の罪ゆえの取返しのつかない事態、あるいは、周囲からの攻撃やねたみ、憎しみ等々、さまざまの荒々しい風が吹き、大波が押し寄せてくる。

 なにかひと言、批判的なことを言われるだけでも、心は波立つ人は多いだろう。それがずっと心に残って動揺が止まらないこともある。

 そうしたことに対して、憎しみや怒りの感情を持つとき、また見下されたとかいう不安などは、いっそう魂を漂流させるものとなる。

 さらに、最後の試練である死が近づくときには、その苦しみと死後の恐れや不安のために多くの人は押し流される。どこへ流されていくのか分からない、ただ一人死の苦しみや不安と戦わねばならない状況になる。

 人間とはこのような荒海に漂っているゆえに、魂には、錨が必ず必要である。船に錨がなくてはならないものであるのと同じである。

 人生の荒海のとき、港に入ること、そこで錨をおろすことによって私たちは大波に呑み込まれたり激しい風に吹き流されずにすむ。港に入れないときであっても、錨を下ろすことで漂流を止めることができる。

 私たちにとっての港とは何か、そして魂の錨とは何であろうか。

 魂の静まる港、それは主イエスである。主イエスご自身が、「疲れている者、重荷を負っている者は私のもとに来れ、そうすれば安らぎが与えられる」といわれたからである。

 また、主は、「わたしの平安をあなた方に与える」と約束してくださった。(ヨハネ十四の二七)

 旧約聖書の詩篇にも多くの箇所で、「主こそわが砦、わが岩」といった表現が見られるのも、神こそは、私たちの留まるべきところ、魂の港であるからである。(詩篇二八の一、六二の三、七一の三など)

  魂にとっての錨、それも主イエスなのである。

 弱い立場の人、苦しむ人々、聖書にも記されている目の見えない人、耳の聞こえない人、手足が動かない人、ハンセン病のような、恐ろしい病状のうえに、汚れたとされて隔離されて生きねばならなかったような人たち等々、その人たちは一般の人々からも多くは見放され、冷遇されてきた。そしてそのような人たちの魂はさまようばかりであった。

 しかし、そのようなこの世の力に魂が漂流していた人たちは、主イエスと出逢って初めて魂の錨を与えられたのである。キリスト教はローマ帝国において、まず奴隷や貧しい人たちから広がって行ったと言われる。

 主イエスの十二弟子もみな社会的地位の低い人や差別を受けていた人であった。

 そのような、権力や武力によって簡単に安住の地を奪われたり、いのちをおびやかされていた人たちがイエスによって、この世のそうした迫害という荒波を受けても動かされないようになった。それは、主イエスが彼らの魂の錨となったからである。

 他方、かれらを迫害していた、ローマ帝国の支配そのものが、漂流をはじめ、キリスト教が広がっていく過程で、いわば難破して滅びていったのであった。

  さらに、信仰と希望と愛こそは、魂の錨である。

 もし私たちが愛の神を信じ、しっかり結びついているなら、それは錨となって、動揺は止まる。しかし、主から目をそらすときにはその動揺は静まることがない。

 神の国が与えられるという確実な希望、それは私たちの魂が漂流しないようにさせるのである。

 また、復活の希望という錨をもっていたら、その漂流から免れることができる。

 使徒パウロは、キリスト教の長い歴史のなかで最も大きい働きをした人であったと言える。そのような彼もその力の秘密は、やはりキリストを魂の錨としてもっていたからであった。

 

…兄弟たち、わたしたちがアジアで遭った患難を、知らずにいてもらいたくない。わたしたちは極度に、耐えられないほど圧迫されて、生きる望みをさえ失ってしまい、心のうちで死を覚悟し、自分自身を頼みとしないで、死人をよみがえらせて下さる神を頼みとするに至った。(Ⅱコリント一の八~九)

 

 このように、使徒パウロは死を覚悟するような迫害のなかでも、復活への希望がかれの魂の錨となっていたのがわかる。それによって重大な危機をも乗り越えていくことができたのである。

 現代に生きる私たちも、このような信仰と希望と神の愛を魂の錨とすることによって、さまざまの荒波にさらわれることなく、目的地へと導かれていくことができる。

 


 リストボタン神がみわざを始めるとき

 

 私たちが何か重要なことを始めるとき、入念な計画をたてる。そのための場所、費用のことを考え、どのような組織、役割を造り、準備のための日程はどれほどいるのか、そのことにかかわる人材はどうするか等々。

 しかし、神が何か重要なことをなされようとするときには、人間のそうした小さな頭脳で考えて準備するのとは全くことなる始め方をされる。

 それは、苦しみや悲しみであり、そこからなされる祈りを用いられる。

 人間は、苦しいことから始めるようなことは避けようとする。例えば、重い病気、まわりの人々から見下されるような状態、あるいは憎しみや攻撃のなされるような耐えがたい人間関係、貧しさ等々は何よりも避けたいと思う。

 人間は実にさまざまであり、危険きわまりないような岸壁登りや一瞬にして大事故を起こして生涯が破滅となるような暴走をしたり、厳しい断食修業をする人たちなどもいる。そして考えられないような危害を他人に加える人たちもいる。

 しかし、みずから好んでガンや心臓の痛む病気や糖尿病になろうとするとか、目が見えなくなったり、歩けなくなったりすることを望む人は誰もいない。

 人間は、まず健康、平和な家庭、安定した収入といったことを求めるが、神が何かを始められるときには、しばしば人間が最も避けたいと思うことに直面させる。それは病気であったり、家庭の不和、悲しみであったり、貧しさであったり、突然の事故などで思いがけない苦難が降りかかってくることなどである。

 現在、キリスト信仰を与えられている多くの人たちは、たいていこうしたことがあったのを思いだすことであろう。

 自然のままの人間は、すべてを支配する愛と正義の唯一の神とか十字架にかけられた人間が私たちの究極的な心の問題を解決するとか、復活など、到底信じることもできない。

 だから、人が、そのような神の存在を深く知って、新しい人間となるためには、人間の親が決して与えようとせず、また本人も求めることをしないような何らかの、苦しみや悲しみが与えられることが多い。

 イスラエルの長い歴史において王が現れるということは後の時代にも絶大な影響を与えることになった。その王がさまざまの罪を犯し、混乱し、国は分裂して滅び、捕囚となった。

 しかし、そうした歴史の延長上に、真の王であるイエスが現れることになり、そのイエスが復活して霊的な王となり、以後世界を今も御支配されているからである。

  この重要な歴史的な転機にあって、神は一人の何の力もない女性の悲しみ、心の痛みから始められた。(旧約聖書・サムエル記上一章)

 今から三千年以上も昔の出来事であるが、その長い時間を感じさせないような内容である。真理にかかわること、真実な心の動きというのは、長い時間の流れや時代の変遷にもかかわらず伝えられていく。

 この女性、ハンナは夫のもう一人の妻ペニンナから見下され、苦しめられていた。しかし、ハンナはそのことを夫に愚痴をいったり、ペニンナに対して憎しみや怒りをぶつけることなく、すべての苦しみと悲しみを神に注ぎだした。それはほかのことを忘れてしまうほどに真剣な祈りであった。

 もし神を知らないならば、人間から受ける不当ないじめや攻撃、中傷に対して深く傷ついて立ち上がれなくなるか、もしくは、相手に対して憎しみや攻撃したり、陰で悪く言いふらすといった報復行動に出ることになるだろう。

 そのようなことをしても何の解決にもならないばかりか、かえって自分がさらなる害悪を受け、相手の攻撃も強くなりかねない。憎しみやそこから生まれる報復行動は、魂の毒であり、動揺や不安となり、心の汚れとなって自分にはねかえってくるからである。

 しかし、深く神を知っている人間ほど、このハンナのように、そうした苦しみのすべてをそのまま神に注ぎだす。

 ハンナより千年以上も後に現れたキリストは、「疲れた者、重荷を背負っている者は私のもとに来なさい、そうすれば 休ませてあげよう。」(マタイ十一の二八)と呼びかけられた。その呼びかけは、旧約聖書の時代からなされていたのであり、ハンナはそのゆえに、重荷や心の傷、疲れを他人に持っていかず、神にゆだねたのであった。

 このような心の姿勢は、旧約聖書の詩篇には数多く見られる。ハンナの心の世界はそのまま詩篇にある多くの心の世界と重なって見えてくる。

 祈りのひと、それがハンナの特質である。

 次に、このハンナは子供が与えられることを切に望んだが、その子供を自分の持ち物としようとは考えなかった。

 彼女は、みんなが食事をしているにもかかわらず、なにも食べようとせず、ただひたすら次のように祈り続けていた。

「主よ、私の苦しみを見て下さい。私に御心を留めて、男の子を授けて下さるなら、その子の一生を主に捧げます。」

    (サムエル記上一の十一より)

 ハンナがあまりにも長く、口だけ動かして声も出さずに祈っていたから、近くにいた祭司が不審に思い、酔っているのか、と問いかけたほどであった。

  このように、子供が与えられたとしても、今まで自分を子供が生めない女としてさげすんでいた人たちを見返すとかでなく、神に捧げたいというひたすらな願いがあった。

 サムエル記上の最初の記事は、このように、三つの事柄が中心に置かれている。まず、第一に一人の何の力もない女が受けているひどい苦しみと悲しみ、第二には、そこからなされる女の深く真剣な祈り、第三には、その祈りが聞かれたときに、与えられたものを神に捧げるという心である。

  この三つの事柄は、現在の私たちにも当然成り立つことである。聖書という書物は、単に過去のことを記すだけのために書かれてはいない。それはいかに一見現代の私たちとは無関係のように見えても、少し深く考えるとき、それが私たちと深く関わりを持っているのに気付くのである。

 


 リストボタン神の言葉とその力

 

 現代は、人間の言葉の洪水という点で、歴史上未曽有の時代である。 新聞、テレビ、インターネット、メール、雑誌、その他の印刷物等々、圧倒的な量の言葉が毎日あふれている。

 そしてその洪水の波に次々とのまれていき、泡のように消えていく人間の言葉ばかりを受けて、日々の力にならず、魂が弱っていく人たちが実に多い。

 そのような言葉の洪水のなかにあって、いかなる大波にも呑み込まれず、高い岩山の上にある灯台のように、輝き続けているのが、神の言葉である。

神の言葉の力は、聖書を一貫しているメッセージである。聖書は一般の日本人には、偉人であるキリストの教えを書いた本だ、と思われていることが多い。仏教、儒教、イスラム教、キリスト教、と何でも「教」と付けているように、宗教とは人間に対する教えを述べているという受け止め方である。そしてその教えというのが、人間のあり方を教える内容だと思っている。嘘をついてはいけない、盗んではいけない、父母を敬え、ものを大切にしなさい…といったことである。

 これはもちろん重要なことであるが、こうした戒めが中心なら、道徳と同じである。

 長く続いた徳川時代において、儒教が思想的基盤にあった。これは道徳であって、目に見えない存在を信じてその存在との交わりを中心におく信仰による生活の重要性は説かれていない。

 孔子について論語に次ぎのような記述がある。弟子が神の霊に仕えることについて尋ねたとき、孔子は、「人に仕えることもできないのに、どうして神の霊に仕えることができようか」と答えた。

 また、死について尋ねられたとき、「生きることも分からないのに、どうして死のことが分るだろうか」と答えた。(「論語」巻六・先進第十一の12

 このように孔子の思想は、地上の人間のあり方に対する教訓であって、目には見えない霊のこと、死後のことは分からないとしたままであった。

 これは、人間を超えた世界からの啓示がなければ当然のことであった。

 このような儒教が長く支配的思想であったゆえに、日本人は、目には見えない神や神の霊について十分に考えない人が多くなったという側面がある。

 聖書、そしてキリスト教は孔子のこのような人間的なあり方を中心としている思想と異なって、神からの啓示、神の言葉を中心とする。

 聖書を生み出したイスラエル民族の特質とは、神の言葉の力を啓示されたところにある。

 現代の私たちにおいても、全く同様であって、さまざまの個性があり、また特別な能力ある人や、いろいろの病気や障害を持っている人たち、健康な人から寝たきり状態になっている人等々、無限に多様な人間がいるし、次々と新たな可能性を持った人間が生まれてくる。そして世界にはさまざまの民族がいて、驚くような習慣、風俗もある。

 しかし、人間は大別すると二種類に分かれる。それは、唯一の生きた神を知っているか、それとも知らないか、である。言いかえると神の言葉の力を知っているか、もしくは知らないか、である。生きて働いておられる神であるならば、その言葉もまた生きていて計り知れない力があるのは当然のことになる。

 人間の言葉もたしかに力を持つことがある。

 例えば、かつてヒトラーも独特の言葉の魔力ともいうべきものを持っていた。その言葉の力によって多くの人たちが惑わされ、哲学者や音楽家、科学者を多数生み出したドイツ国民をあのような、悪魔的な人間の奴隷としてしまった。

 小泉元首相が、郵政改革、自民党をぶっこわす、と言ってそれがある種の力をもって、多数の人たちの心を支持するように仕向けた。

 しかし、こうしたこともごく一時的である。ヒトラーが首相になってから、わずか十二年ほどで彼は自殺した。小泉旋風もわずか数年である。

 ときには、短い言葉が大きな力を持つことがある。アメリカの大統領選挙においては、オバマ氏が用いた言葉、本来はどこででも使うありふれた言葉であったチェンジという言葉が大きな力を発揮した。

 日本の先頃の総選挙でも政権交代というキャッチフレーズが、たしかに人の心を捕らえたといえよう。 

  これらの特徴はすべて一時的だということである。

  そのような人間の言葉のはかなさに比べて、聖書の言葉、神の言葉の特質は、それが永遠的な力を持っているということである。

 聖書の言葉、例えば「キリストは、私たちの罪のため、罪の赦しのために死なれた」というみ言葉やキリストが死の力に勝利して復活した、あるいは、闇の中に光を創造した等々という神の言葉は永遠である。

 その力は、数千年を経ても弱まることはない。

 こうした神の力の現れの一つは、中国のキリスト教人口の激増である。今から半世紀前なら、いったい誰が、中国が世界屈指のキリスト教大国になると想像しただろうか。

 中国のキリスト教人口は、現在では、一億人を越えていると、「いのちの水」誌の今年の九月号の巻頭文で書いたが、その後、朝日新聞(二〇〇九年九月三〇日)でも、それとほぼ同様な数値が掲載されていた。

 アメリカの人口は三億人を越えていて、キリスト教人口は約八十%程度とすると、二億四千万人ほどである。

 中国は、キリスト教人口は一億人を越えていると言われ、人口十三億五千万であるから、七~八%ほどにもなっている。(ロシアは人口一億四千万人、フランス六千四百万人、ドイツ八千万人、イギリス六千万人であるから、これらのヨーロッパのどの国と比べてもキリスト教人口が多いことになり、アメリカに次ぐ、世界第二のキリスト教大国だということになる。)

 このように、神の力は目には見えない、というだけでなく、現実にだれも予想できなかったような力を世界の歴史のなかに現してきたのである。

 聖書とは神の言葉の力をはじめから終わりまで書き綴っている書物なのであり、それは至るところで記されている。

 聖書は次の言葉から始まっている。

… 初めに、神は天地を創造された。 地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。 神は言われた。「光あれ。」すると光があった。 (創世記一の一~三)

 

 ここに、神の言葉の力のすべてがきわめて簡潔な表現で表されている。闇と混沌というなかに、いつの時代にも見られる人間世界の一切の悪や混乱、悩み、悲しみがふくまれている。私たちの心に深い悲しみが生じるのは、何らかの出来事、愛するものが奪われたり、裏切られること、病気や罪、また自分の希望していたことがかなえられなかったり、絶望的状態になってしまったこと、他人からの無視やいじめ等々によって、心のなかが闇となり、どこに慰めを求めたらよいか混沌とした状態になるからである。

 そのような立ち上がることもできないような、心の闇のなかにあって、神からの光が差し込むことによって、そうした一切を乗り越えて立ち上がる力が与えられる。

 心のなかに何が善であり、悪であるのか分からなくなった状態であっても、一筋の道がこの世に通っている、そして永遠の御国へと続いていることが示される。それは混沌からの脱却であり、神の国の秩序が魂の内に作られることである。

 これは私自身の経験であった。人間の心は、いくら学校の勉強をしたところで、混沌や闇からは解放されないのである。それは大学の専門教育を受けても変わらない。むしろ学べば学ぶほど闇や混沌が深まる場合も多いのである。

 科学技術の問題性と人間の未来、という大きな問題についてもさまざまの科学技術の持っている問題を知らないときには、そのような科学技術が人類の未来に重大な影響を持つなどということは考えることもなかった。しかし、科学技術が便利で現代生活に不可欠なものでありながら、それは重大な人間生活をおびやかす側面をも持っていることは、科学を学ぶほどに分かってきたことであった。

 政治や社会、あるいは文学なども同様であって、それらをたくさん学ぶほど、この世というものは実に混沌としたものであって、それははるか昔からずっと変わらないこと、闇は至る所で実に深刻な形で見られるのが分かってくる。

 そのように、小学校から大学までの教育をどんなに受けても、この世界の闇や混沌は解決できないのは、現実を見ればすぐに分ることである。今から百五十年ほど前までは、一般の人々が公的な高等教育を受けるなどということはなかった。ごく少数の人たちだけが学問をする機会が与えられたのである。

 例えば、今から六十数年前(戦前)までは、大多数が高等小学校までであって、中学に進学できるのは、一割かせいぜい二割、さらに高校に進学できる人は、一%にも満たないほどであった。

 ところが 現在では高校には、九十六%が進学している。大学(短大も含め)には、五十三%ほどが進学している。このようにわずか六十数年で、目ざましい進学率の向上が見られる。

 このようないちじるしい教育の普及があっても、闇と混沌が減少するということは見られないのは、たいていの人が実感しているところである。小学生であるのに、教師の指導も聞かずに授業中歩き回るとかいったこと、陰湿ないじめや他人の命まで奪うという子供も現れたりすること、それらは闇と混沌が一向に減ることがないのを示している。

 このような状況から、人間の心の問題においては、聖書が古くから明確に告げているように、神からの光が射すのでなかったら、根本的な解決はできないのである。

 神の言葉の力こそは、いかなる時代の状況になろうとも、一貫してその解決の究極的な力を与えてきたのである。

 

聖書における神の言の力

それゆえ、聖書は随所でこの力を告げているが、いくつかを取り出してみる。

 

…雨も雪も、ひとたび天から降れば むなしく天に戻ることはない。

それは大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ

種蒔く人には種を与え、食べる人には糧を与える。

そのように、わたしの口から出るわたしの言葉も

むなしくは、わたしのもとに戻らない。

それはわたしの望むことを成し遂げ

わたしが与えた使命を必ず果たす。(イザヤ書五五の十~十一)

 

 このよく引用される言葉は、神の言葉の力というのは、不滅であって無駄になることがないということを示している。

 人間の力は必ず時が来れば消えてしまうか、変質してしまう。例えば、いかなる権力者、支配者といえども、早ければ数年もしないうちに、長くともせいぜい数十年後には必ずその力は衰えるか消滅してしまう。

 しかし、神の言葉は、一時的に見えなくなったり、消えたりするように見えても、必ずそれは滅びることなくその力は持続して働いている。それはちょうど天から降り注ぐ雨のようなものである。雨は地上に落ちて蒸発したり山にしみ込んだりして見えなくなっても、地中のなかに深くしみ込み、直接に無数の植物や動物たちをうるおし、あるいは、それらを通して動物のえさとなって地上の生命を支えている。

 神の言葉も見えなくなったようでも、どこかでその力は持続されて働いているのである。

 ここに引用したイザヤ書の言葉は、キリストより数百年も昔の預言者の言葉であるが、神の言葉の力が不滅であることをはっきりと神から知らされた人の言葉である。そしてこの啓示には神の力が宿っていたがゆえに、その後の無数の人たちの心に入り、奮い立たせてきたのである。

 主イエスは、生前に神の言葉を最も明確に語ったお方である。それは神と等しい存在であったからだ。しかし、そのような完全な神の言葉の人であっても、その言葉は、表面的には、当時の多数の人によって拒まれ、逆に当時の指導的な人たちによってイエスは憎まれ、ついに殺されるに至った。

 そして、とくに側において育てた十二人の弟子たちすら、イエスが捕らえられるときにはみな逃げ去ったし、弟子の代表格のペテロは、地位も何もない一人の女からあなたもイエスと一緒だった、と言われて直ちに激しくイエスなど知らないと否定する始末であった。

 このように、イエスが語った神の言葉の力は、十字架にまで付き従ったわずかの女性にしかとどまらなかったように見られた。しかし、それは人間の狭い目でみるからであった。

 神の言葉はイエスが殺されたとき、その悲劇のまっただなかにすでにとなりにいた重い犯罪人の心を回心させ、弟子たちすらイエスの復活を信じられなかったのに、その重罪人は息を引き取ろうとするような激痛のさなかにあって、イエスの復活を信じ、神のもとに行くことを確信して、イエスに「あなたが御国においでになるとき、私を思いだして下さい!」と懇願したのである。そしてその願いをイエスは聞き届けられた。

 また、イエスが死んでいくさまを見た、ローマの一〇〇人隊長は、この人こそ、神の子であった、と信じたのである。これは、死にゆくイエスであっても人間を変え続ける力を持っていたことを示すものであり、いかなる重い罪人もイエスをただ信じて仰ぐだけで、赦され、御国へと導かれること、またローマ帝国にキリスト教が広がっていくことを暗示する出来事となった。

 その後の歴史は、こうした預言的出来事の通りになった。神の言葉そのものである復活のキリストは、わずか数十年で地中海を取り巻くローマ帝国全域に広がっていった。何の権力も武力も持たなかったにもかかわらずである。

 神の言葉というものは、それに敵対する力が、いかに迫害し、また撲滅しようとしても滅ぼすことはできない。それは背後に神ご自身がおられて支えられているからである。

 主イエスが次のように言われたのはそのような神の言葉の不滅性、その永遠の力なのである。

 

…天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。(マルコ福音書十三の三一)

 

 神の言葉の力をその永遠性を深くとらえて、その冒頭に宣言したのは、ヨハネ福音書である。彼は神から霊的に引き上げられて啓示されたことを、だれも書かなかったような表現をもって、その福音書の冒頭に記した。それはこれこそ、全体の啓示の要約であったからである。

 これは、またすでに述べた旧約聖書の創世記の巻頭の言葉をさらに、キリストの啓示によって言いなおしたということができる。

 

…初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。

この言は、初めに神と共にあった。

万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。

言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。(ヨハネ福音書一の1~4)

 

この「言(ことば)」と訳された原語(ギリシャ語)は、ロゴスであって、現代語にはどのように訳してもその元の意味を十分に伝えることはできない。

 それゆえに、英訳聖書の個人訳として知られているイギリスのモファット訳では、英語に訳さないで、次のようにロゴスという原語を使っている。

The Logos existed in the very beginning. The Logos was with God.

 ロゴスとはこのヨハネ福音書の続きを読めばわかるように、キリストが地上に生まれる前の存在を指している言葉である。キリストは今から二千年あまり昔に生まれたのであって、それ以前には存在しなかった、というのが普通の人の考えである。

 しかし、キリストは実は、永遠の昔から、神とともにいた、あるいは神であった、といえる不滅の存在なのである。(そのお方が、いまから二千年あまり昔に、人間の姿をとってこの世界に来られてイエスと名付けられた。)

 それゆえ、永遠の昔から神とともに存在していたときには名前がない。そこで、旧約聖書で一貫して書かれている神の言葉の絶大な力のゆえに、またギリシャ語のロゴスという言葉が、宇宙を支配する理性的存在をも意味するので、イエスとして生まれる以前の神的なお方を、ロゴスという名前で表したのであった。

 このように、そのロゴスという名で表されたキリストは、神の言葉そのものでもあり、神の力をそのままもっているゆえに、「万物はこのロゴス(言)なるキリストによって創造された」とまで言われているのである。しかも、このロゴス(言)のうちには、神の命があって、その命こそは、人間を照らす光なのである。

 このようなヨハネ福音書の記述からも、神の言とは、キリストそのものであると言うこともできる。そして万物を創造された。ここにも、神の言葉の重大性がはっきりと示されている。万物を創造するほどに力があるということなのである。

 ヨハネ福音書の冒頭の哲学的、あるいは霊的な表現は、神の言たるキリストの無限の力を言い表しているものなのである。その大いなる力を持つキリストがなされた働きを記していく、というのでヨハネ福音書では冒頭にキリストが神と等しい存在であることが強調されているのである。

 この神の言たるキリストの力は、またヘブル書にも記されている。

 

…神は、この御子(キリスト)を万物の相続者と定め、また、御子によって世界を創造されました。

御子は、神の栄光の反映であり、神の本質の完全な現れであって、万物を御自分の力ある言葉によって支えておられますが、人々の罪を清められた後、天の高い所におられる大いなる方の右の座にお着きになりました。(ヘブライ人への手紙一の2~3)

 

 ここにも、ヨハネ福音書のはじめの言葉と同じように、神の御子キリストがいかに大なる存在であるか、そのキリストによって世界が創造され、現在も、その「力ある言葉」によって支えていることが記されている。この「支えている」と訳されている原語(ギリシャ語)は、フェロー phero *であって、「支える」という意味とともに、「持ち運ぶ」という意味をもっている。

 

*)英語のフェリーボート(ferry boat 自動車などを運ぶ大型船)は、このギリシャ語のフェローが語源である。このギリシャ語が「運ぶ、持ってくる、持ち運ぶ」という意味で使われているのは、例えば、「クレネ人シモンに、イエスの十字架を持ち運ばせた」(ルカ二十三の二六)、「だれが食べ物を持ってきたのか」(ヨハネ四の三十三)など。

 

 それゆえに、この箇所でも、世界を支え、持ち運んでいる、というニュアンスがある。アメリカの代表的な聖書の一つ(NRS)は、次ぎのように、支える sustain という訳語とともに、持ち運ぶ bear along という訳語をも記している。

 

He sustainsbears along all things by his powerful word.

 

 この世界、宇宙を全体としてその御手で最終的な神の国へと持ち運んでいる、導いているというのは他の箇所でも示されている。

 

…すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっている。(ローマ十一の三六)

…こうして、時が満ちるに及んで、救いの業が完成され、あらゆるものが、頭であるキリストのもとに一つにまとめられる。天にあるものも地にあるものもキリストのもとに一つにまとめられる。(エペソ一の十)

 

 天地のすべての創造されたものを支え、究極的な神の国へと運ぶ、ということは絶大な力である。そのような大きなことが、キリストの言葉によってなされている、とヘブル書の著者は啓示されたのである。

 このように、神の子キリストの言葉が特別な力を持っているがゆえに、ヘブル書ではさらに次ぎのようにも言われている。

 

…神の言葉は生きており、力を発揮し、どんな両刃の剣よりも鋭く、精神と霊、関節と骨髄とを切り離すほどに刺し通して、心の思いや考えを見分けることができるからです。(ヘブル四の十二)

 

 神の言葉の本質である、「生きている」「力を発揮する(エネルギーに満ちている)(*)」ということは、ヘブル書の箇所では、とくに人の心を見抜く方面についていわれているが、もちろん、あらゆる方面でみられる。

*)「力を発揮する」と訳されている原語(ギリシャ語)は、エネルゲース(energhs)であり、これは、エネルギーという言葉の語源にもなっている。たしかに神の言葉は、終わることなきエネルギーを持っている。

 

 いつも生きている、これが神の言葉の特質である。

 人間の言葉は、そのうち消えていく。有名な政治家や人気俳優などの言葉はある期間は力があって多くの人を引きつけることがあるが、時間が経つとほとんど忘れ去られていき、そのような言葉が人を励ますとかいうこともなくなっていく。

 人間の言葉でも、ときには人を励ましたりすることができる。しかしそれは一部の人に対してだけ、そしてしばしば一時的である。 むしろ、正しい道からはずれさせたり、他人を傷つけたり、疑問を持たせたり、人間関係を分裂させたりするほうがずっと多いと言えよう。

 それに対して神の言葉は、万人に対して今も生きている。信じると信じないとにかかわらずである。道にはずれたことをしていたら必ず裁きがある、それは信仰の有無とは関係がない。

 神に背くときには、裁きがある。ぶどうの木であるキリストにつながっていなかったら、実を結ばずに枯れて投げ捨てられて焼かれると記されている。(ヨハネ十五章)これもキリストの言葉であり、神の言葉である。

 神とは真実であり、神に背くとは不真実なこと、それゆえに、人に対して偽りをしたり、裏切ったり、だますなどのことをやり、しかもそれを悔い改めようともせずにそうした不真実な言動を続けるなら、その人の心は確実に清いものが分からなくなり、心は真実なものに感動することもできなくなる。枯れていく。そしてよい心の部分もなくなっていく。それが火に投げ込まれて焼かれる、という厳しい表現に込められていることである。

 このようなことは、信仰を持つとか持たないといったこととは関係のないこの世の事実である。神の言葉の力は当然のことながら、このようなごく普通に体験されることにも及んでいる。

 

 福音書には、神の言葉の力が至るところに見られる。それを記すのが福音書の目的であったからである。それらから一部を取り出してみたい。

 主イエスは、伝道の出発点において、サタンの誘惑を受けた。その時、何をもってそのサタンの誘惑に対抗されただろうか。それは、旧約聖書で語られた神の言葉であった。イエスを誘惑して、神の国のための働きができないようにしようというサタンの深いたくらみを退けるには、神の言葉が最も力あるからであった。

 このことは、私たちが出逢うあらゆる誘惑や困難において、神の言葉にすがることが、迷いや動揺から救われる道なのだということを示している。

 主イエスが、とくに、このような信仰は見たことがない、といわれたほどに心動かされたのは、ローマ人の百人隊長の信仰であった。その信仰の本質は、ただ、主イエスのひと言があれば、病気で死にかかっているような人間でも命を受けて立ち上がることができる、ということであった。それはイエスの言葉の力への絶対的な信頼であった。言いかえるとこの百人隊長は、イエスをただの律法の教師でなく、神の力を持ったお方であり、それゆえにこそ死に瀕した人でも命を与えることができると信じていたのである。

 ここに主イエスが、そして神がとくに喜ばれることは何であるかがわかる。それは神の言葉の力への絶対的な信頼(信仰)なのである。

 

…イエスのことを聞いた百人隊長は、ユダヤ人の長老たちを使いにやって、病気で死にかかっていた部下を助けに来てくださるように頼んだ。

 そこで、イエスは一緒に出かけられた。ところが、その家からほど遠からぬ所まで来たとき、百人隊長は友達を使いにやって言わせた。「主よ、御足労には及びません。わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。

 ですから、わたしの方からお伺いするのさえふさわしくないと思いました。ひと言おっしゃってください。そして、わたしの僕をいやしてください。

 わたしも権威の下に置かれている者ですが、わたしの下には兵隊がおり、一人に『行け』と言えば行きますし、他の一人に『来い』と言えば来ます。また部下に『これをしろ』と言えば、そのとおりにします。」

イエスはこれを聞いて感心し、従っていた群衆の方を振り向いて言われた。「言っておくが、イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない。」(ルカ七の二~十)

 

 このように、キリストの言葉を信頼し、ゆだねることを主は喜ばれる。これは、幼な子が母親を全面的な信頼のまなざしで見つめるような姿勢であり、だからこそ、主イエスは、幼な子のような心をもって主を仰ぎ、神の国、神の言葉を受けいれることをとくに重要とされたのであった。

 

…するとイエスは幼な子らを呼び寄せて言われた、「幼な子らをわたしのところに来るままにしておきなさい、止めてはならない。神の国はこのような者の国である。

よく聞いておくがよい。だれでも幼な子のように神の国を受け入れる者でなければ、そこにはいることは決してできない。(ルカ十八の十六~十七)

 

 こうした神の言葉の力は、歴史のなかでも大きな働きをしてきた。歴史を動かしているのは、人間の権力や武力など人間の意志に結びついたものや、偶然でなく、神の言葉なのである。

 旧約聖書の相当部分は、そのことを具体的な歴史を通して語っている書物である。「聞け、イスラエルよ…」という主への情熱に満ちた語りかけは、旧約聖書の申命記に見られる。そこには、神の言葉に従うときには限りない祝福があるが、神の言葉に背くときには、人々の心の荒廃が生まれ、災害や外国からの攻撃などによって国は滅びていくことが繰り返し強調されている。

 そして、実際にその通りに神に背いた人たちとその国は滅んでいった。

 しかし、国が滅びゆくなかで遠いバビロン(現在のイラク地方)にまで、捕虜として連行されていくことを甘んじて受けいれる者は、そこで守られ、時が来れば再び祖国であるパレスチナ(カナン)へと帰ることができる、ということも神の言葉として告げられていた。

 そしてこのこともその通りになり、捕囚となって五〇年が過ぎるころ、千数百キロもあるような遠いバビロンからカナンへと帰国することができたのであった。その帰国した民の子孫として、イエスが生まれ、また十二弟子やパウロが伝道者として起こされ、それがローマ帝国全域に広がっていくことになった。さらに、長い歴史の流れのなかで、キリスト教はヨーロッパの基本的な信仰のかたちとなり、ヨーロッパ全体の生活に絶大な影響を及ぼし、それがさらにアメリカ大陸にも伝わり、南北アメリカの広大な領域にわたって、人々の基本的な考え方となっていった。

 また、差別や人間の支配ばかりがあふれていた日本にも伝わって、その各地で、差別を撤廃し、弱者を救済し、盲人、ろうあ者、ハンセン病の人や手足の不自由な障害者の人たちをも神の愛が注がれる人たちだとみなされて、施設、学校、福祉などの制度が整えられていったのであった。

 このように、神の言葉が伝わるところに、国家や社会全体が大きく揺れ動き、古い制度や考え方が壊れ、根本的な変革がもたらされていった。

 


 リストボタン神の言の力を受けた人物

             ―ヘボン―

 神を真に信じて生きてきた人たちはみな、神の言葉の力を受けて生きているのであるが、 ここでは、ごく一部の例を取り出したい。

 神の言葉の力を知らされた人は、どんなことがあってもみ言葉を伝えたいという熱心が起こされていった。自分の平和な家庭的幸福を持つより、危険に満ちた遠い未知の国へと出発し、神の言葉を伝えるというただ一つの目的のために、次々と自分の家庭や祖国と別れて、神の言葉の力を知らない人たちに伝えることを目指しての生き方がそうした人々にはあった。

 現代の私たちが、書かれた神の言葉(聖書)を自由に読むことができるのは、多くのそうした先人の命がけの歩みによっている。江戸時代の末期に大西洋から、アフリカの南端喜望峰を廻り、さらにインド洋を経て、半年という歳月をかけて日本に渡って日本人に神の言葉を伝えるために来たのが、ジェームス・カーチス・ヘップバーン(James Curtis Hepburn)であった。日本では、通称ヘボンと言われるようになった。

 ヘボンは、若き日に医者となっていたが、二十六歳のときに結婚した妻とともに東洋伝道の重要性を神から示された。さまざまの妨げを振り切って東洋伝道に旅立った。しかし、その途中の船の中で最初の子供を流産で亡くした。さらに、シンガポールについたときに、長男を亡くした。妻も病気となり、アメリカに帰った。

 アメリカで生まれた三人の子供は、最もかわいい年齢の五歳、二歳、一歳という年齢で、次々と亡くなった。

 神へのあつい信仰を与えられ、遠いアジアまでも伝道を実行しようと実際に夫婦でアジアに渡っていったほどの神への献身を若くして実践していたヘボンのような人に、どうしてこのような悲劇が次々と生じるのか、ヘボン夫妻だけでなく、まわりの人たちにとっても謎のような出来事であったであろう。

 神が何か深い意味のあることをなそうとされるとき、このように、取りわけ大きな試練を与えることが多い。そのような苦しみや悲しみの中からひたすらに神のみを求めて生きようとするのかどうかが試されるためであり、またそのような試練によって信仰が深められ、心が深く耕されるためであった。

 そのような悲しみが打ち続いたが、ヘボンの東洋への伝道のあつい思いは消えることがなく、再び東洋へ、今度は日本への伝道を神から示された。そのとき、彼はニューヨークで屈指の優れた医者として評判が高く多くの財産もできていた。しかし、そうしたものをすべて売り払って伝道の資金とし、ただ一人残った長男をすらアメリカに残して日本に向かっていくヘボン夫妻の心はいかばかりであっただろうか。

 ここには、神の言葉そのものを伝えたいという深い主にある情熱がある。そしてこの世の繁栄、名声をも捨て、一人息子をも太平洋のかなたに置いてまで、未知の危険な国、キリスト教伝道を公にしようとすれば、殺されるような国へと旅立たせたのも、また神の言葉であり、その力であった。

 こうした神の言葉への絶対の信頼と、何にもまして尊重するその姿勢を、神は祝福された。そして、さまざまの困難にもかかわらず、キリスト教禁制のただなかであったが、ヘボンは聖書を日本語訳するための準備の辞書作成と、医療を通じての信頼を勝ち取ること―そこから伝道への足掛かりも与えられた―に取り組むことになった。

 このような、神の言葉への愛に基づく献身によって、現在の私たちの使っている日本語訳聖書の基礎が築かれたのである。

 


 リストボタン神の言葉と非戦論の源流

 

 現在の日本に課せられた使命の一つは、憲法九条を守ることである。政治や経済、科学技術、芸術、医療、教育などいろいろの分野は、どこの国でも、たえず変貌し、また発達し広げられていく。しかし、憲法九条の非戦の精神は世界的にみても、きわめて貴重なものである。そしてその背景をたどってみると聖書の言葉が大きく影響をしている。

 この非戦の精神を近代において世界的にクローズアップさせた重要人物はトルストイであった。キリスト教国といえども、聖書の精神を無視して戦争を肯定するのが普通であった時代状況にあって、ロシアの大文学者であり、思想家でもあったトルストイが投げ込んだ一つの石は大きな反響を生み出した。それがもたらした大きな波紋の原動力は、彼の言葉でなく、聖書の言葉、イエスの言葉であった。

 名声や権威者から認められることなど、すべてを捨て去って、ただキリストの単純な言葉に自分の魂を全面的にゆだねて、周囲にそのことを宣言する。

 いかに、ときの宗教界の指導者や政治的な権力者たちが立腹しようとも意に解せず、キリストの言葉に堅く立ったという点では、驚くべきことである。

 こうした、トルストイの、単独で神を信じて立つ、という姿勢は内村鑑三にも深い共感を感じさせた。内村は、その著作で、六〇回以上もトルストイに言及している。そして、次のように書いている。

「トルストイ一人は露国一億三千万の民よりも大なり、キリスト一人は世界十三億の人よりも大なり、米のルーズベルトと英のチヤムバレーンとは戦争の宏益を説くも我らは彼らに聴くの要なし、全世界の新聞記者は筆を揃へて殺伐を賛するも我らは彼等に従ふの要なし、我らはただ、主イエスキリストの言に聴けば足る、世がこぞって争闘を謳歌する時に、我らは天より降り給ひし神の子の声に聴いて我らの心を鎮むべきなり。 」(「聖書之研究」 一九〇四年九月)

 

 当時のキリスト教指導者たちも、正義の戦争が有りうるということは当然のように認めていた。しかし、トルストイは、新約聖書のなかのキリストの言葉に深い霊感を受けた。トルストイは次のように書いている。

 

…私にとって一切の鍵であったのは、マタイ福音書五章三九節の「目には目を、歯には歯をと言われていることをあなた方は聞いている。しかし、私は言う、悪人に手向かってはならない。」という箇所であった。

 この言葉は、突如として私には、まるで今までついぞ読んだこともなかったような、まったく新しいものに思われてきた。…

 キリストは決してわざわざ苦難を受けるために頬を差し出したり、衣服を与えたりせよ、と言っているのでなく、ただ、悪に逆らうな、と命じ、そのさいには、災難にあうかも知れない、と言っているのだということを私は悟った。

「悪もしくは、悪しき者に逆らうな」というこの言葉こそは、私にとっては、一切を啓示してくれた真の鍵であった。(「トルストイ全集」第十五巻十一~十二頁 ・河出書房刊)

 

  このキリストの言葉は、トルストイに重大な影響を与え、彼が非戦論の主張をする根拠となり、当時のロシアのキリスト教界が戦争を認めていたことを痛烈に批判した。

 彼は、キリストの精神は福音書に記されているように、「悪を根絶する道はただ一つ、それは一切の差別なしに万人に対し悪に報いるに善をほどこすこと」であると強く主張した。

 このトルストイの主張と福音書のキリストの言葉を共に受けいれて、歴史に残る重要な非暴力の戦いを貫いたのが、インドのガンジーであった。ガンジーは南アフリカでのひどい差別を受けた体験から、その差別の撤廃のために立ち上がったが、その根本においた精神はキリストの言葉、「右の頬を打つ者には、左の頬を向けよ。下着を盗ろうとする者には、上着をも与えよ」であった。

 この同じキリストの言葉に傾倒したトルストイからも深い影響を受けていたゆえに、ガンジーはアフリカにおいて、差別撤廃のための非暴力の戦いによって逮捕された人たちの家族を養うための農場を創設したとき、その名前をトルストイ農場と名付けたほどであった。

  そしてこのガンジーの精神に強く影響されて、黒人差別の撤廃運動を徹底した非暴力をもって戦ったのがアメリカの黒人牧師、マルチン・ルーサー・キングである。

 トルストイも当時のロシアキリスト教界から破門され、ガンジーも、キング牧師もその大いなる使命を生きて戦いの生涯のさなかに、共に暗殺された。しかし、彼らを動かした信仰、そして彼らの中心にあった、キリストの言葉の力を滅ぼすことは決してできなかった。

 このように、神の言葉、キリストの言葉の力は、個人的な慰めや励ましとしてもほかの何ものにもまして力あるものであるが、広く社会的、政治的な状況においても、また長い歴史的な時間の流れの内においても、その力を確実に現し、変革し、また新たな動きを生み出してきた。

 人は、パンだけでは生きることはできない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる。と主は言われた。

 私たちが人間として生きるのは、食物によってではない。神の言葉の力によって支えられ、生きるのであることをあらためて心に深く留めたいと願う。

 それとともに、この比類のない神の言葉を、人間の言葉ばかりがあふれているこの日本にもっともっと伝わるように、またそのための働き人が起こされるようにと願っている。

 


リストボタン悪との戦いのただ中からの救い―詩篇 第七篇

 

私の神、主よ、あなたを避けどころとします。

私を助け、追い迫る者から救ってください。

ライオンのように私の魂を餌食とする者から

だれも奪い返し、助けてくれない。(二~三節)

 

私の神、主よ…

私の手に不正があり

仲間に災いをこうむらせていたなら…

敵が私の魂に追い迫り、

追いつき私の命を地に踏みにじり

私の誉れを塵に伏せさせても当然です。(四~六)

 

主よ、敵に対して怒りをもって立ち上がり

憤りをもって身を起こし

私に味方して奮い立ち

裁きを命じてください。

諸国をあなたの周りに集わせ

彼らを超えて高い御座に再び就いてください。(七~八)

 

主よ、諸国の民を裁いてください。…

あなたに従う者を固く立たせてください。

心とはらわたを調べる方

神は正しくいます。

心のまっすぐな人を救う方

神は私の盾。(九~十一)

 

正しく裁く神

日ごとに憤りをあらわす神…

立ち返らない者に向かっては、剣を鋭くされる…

御覧ください、彼らは悪をみごもり

災いをはらみ、偽りを生む者です。…

 

正しくいます主に私は感謝をささげ

いと高き神、主の御名をほめ歌います。(十二~十八)

 

 まず作者がどのような状況にあるかが2、3、6節を見たら分かる。敵が魂に追い迫り、追いつき、命を地に踏みにじろうという苦しい状況にあって、私を助け、追い迫るものから救ってくださいと叫ぶように祈りを捧げている。

 もし私が不正をしたのであれば、このような目に遭うのは当然のことだが、そのようなことは全く思い当たらない。ライオンは一番堂々とした動物であったから、詩篇では一番力強いもののシンボルとしてこのように時々出てくる。

 そのライオンのように非常に強いものが魂に襲いかかってくる状況にあっても、作者には避けどころがあった。もし避けどころがなければ、悪の強い力に食い尽くされてしまう。

 作者はこのような状況の中で、悪をたくらむものに対して怒りとか憤りとか、感情的な言葉で書いている。

 このような表現は現代の私たちには非常に違和感があるために、詩篇が私たちにはなじみにくいという一つの理由になっている。

 「主よ、敵に対して怒りをもって立ち上がり…」このような、神の怒りや憤りという表現は、、現代の私たちには心に共感をもって入ってこない場合が多いであろう。

 このような表面の訳語にとらわれて、悪に対する正義の裁きということの表現であるとは思い浮かべない。単なる感情的なことだと思い込むことになる。このように旧約聖書の一部の表現は、現代の私たちには、感情的に見えるから、これらを私たちが使う表現に置き換えないと本来の意味がまるで分からなくなってくる。

 このような言葉は、新約聖書の時代では、次のような祈りになる。

「神様、どうかあなたの正義の力をもって、悪の力を滅ぼして下さい!」

 このような詩篇にある表現に出逢うときには、このように新約聖書の時代ではどうかと考えて言葉を一部置き換えて読むことが必要になってくる。新約聖書では、悪人の滅びを願うのでなく、悪を行う人間の心深くに巣くっている悪そのもの、悪の霊、悪の力といったものが滅びるようにと願うのである。

 悪人からその魂にある悪が除かれるなら、十字架でイエスとともに処刑された重い犯罪人のように、救われイエスとともにパラダイスに居ると約束されるであろう。

 

 七節以降、一貫して悪に対して正義の力を奮ってくださいという切実な願いが続いている。このような切実な願いは現代の私たちでも、持つべきことである。

 世界や日本や、あるいは身近なところでも至るところで、悪の力が良きもの、真実のものをライオンが獲物に襲いかかるように襲いかかろうとしている。

 そのような事実は多く見られる。そんな世の中をもう仕方ないとあきらめるか、それとも悪に見方するか、あるいは無関心であるか、またこの箇所のようにどんなに悪の力が周囲を取り巻いたり、襲いかかってくる差し迫った状況であっても、神を避けどころとし、神の正しい裁きの力を待ち望むかということである。

 

 そして単に、私を助けてくださいという個人の救いだけでなく、この詩の作者の願いは、広く周囲の国々もその対象としてふくまれる。

 8節以降で言われているように、「諸国の支配者や人々や権力者や王を超えて、高い御座に就いてください」というのは、世界の国々のまちがった権力や支配者の上にあって、そのような悪の力に染まった人々を裁いてくださいという意味である。

 神の御性質をこの作者は、心の隅々まで見る方だと言っている。

10節にある「はらわた」という表現も、現代の私たちにとっては受けいれにくい表現で、詩篇が親しみをもって読まれにくいのはこうした特異な表現によることもあるだろう。

 神は、はらわたを調べるお方だ、という表現からは、初めて読む場合なら、違和感を持つであろう。この原語の意味は本来、「腎臓や内臓」を表す言葉である。

 しかし、この箇所では、内臓という言葉を使うことによって、「心の奥底」という意味を表す。英語でも heart と言えば、心臓を表す。そして心臓が心という意味にもなっている。それと同じようにここでは、内臓が心となっている。

 新約聖書でも、イエスが、民衆を飼うもののいない羊の群れだと見抜いて、深く憐れんだことが記されているが、その「憐れむ」というギリシャ語は、スプランクニゾマイという語であるが、これは内臓をあらわす語が動詞となって用いられている。この語のもとになった、 「スプランクノン」は一般的に「内臓」を表す。

 それを動詞化したのが、スプランクニゾマイなのである。それは、「体全体で憐れむ、深く憐れむ」という意味をもつ。

 このように、内臓と心はしばしば同じ言葉で表現される。だからここで書かれている「心とはらわた」というのは、実際のはらわたではなくて、心の奥底、神はそこまで見抜くお方だと言おうとしているのである。

 この箇所は、他の口語訳を見ても、「人の心と思い」と訳しているものもあり、英語訳(*)には、日本語訳の「こころとはらわた」という箇所を、「精神と心」という意味を持つように訳してある。こうした英訳などが、日本語訳の「はらわた」などよりずっとわかりやすい訳語である。

 

*)アメリカを代表する英訳聖書の一つである、 New Revised Standard Version New Living Translationなどでも minds and hearts もしくは hearts and minds と訳されている。

 mindは理性的なことを指し、heartは感情的なことを指している。

 

 人間がどれだけ隠そうとしても心の奥深いところまで見抜くお方というのが、この詩人の神に対する実感で、まっすぐ神を見ようとする者を救って下さるという十一節につながる。

 これは非常に単純な心の姿勢である。主イエスが言われた幼な子のような心で主を仰ぐことである。 人にこう思われたいとか、人をこういう風にやっつけたいとか、こういう風に自分が上に立って裁いてやろうとか、そういうことでなく、まっすぐ神様の方を見ておると、神の偉大さが分かる。

 この作者はまっすぐに神を見るということが、神と関わる上で大事なことだと言っている。作者はそのように神様の方をまっすぐ向いているから「お前は正しい、咎めるところはないと言ってください。そして逆らうもの、悪の力を滅ぼしてください。また自分だけでなく、他の国々、社会的にも及ぼしてください。」と言っている。

 ここで言えることは、個人に襲いかかる悪は、様々な国にある悪と同じものであることが分かる。悪は自分にだけでなく、同様に国々にもある。

 十二節からも同じ事を表現を変えて言っている。日ごとに憤りを表す神、という文を表面的に受け取ると、よほど怒りっぽい神様なんだと間違って思ってしまう。だからここでも現代の表現に直す必要がある。

 どうして「日ごとに」と書いているかと言うと、神様は何もしていないではないか、悪がこれだけはびこって至る所にあるので、どこに神様の正義なんてあるのかという事に対して、この作者が啓示を受けたのは、毎日毎日、実は神は裁きを行っておられるんだという思いからである。

 キリストを受け入れないことがすでに裁きである。真実と愛そのものである存在を受け入れなければ、本当の平安も喜びも力もない。このことから日ごとに裁きをなす神だと言っている。

 私たちもこの詩から、日ごとに神の裁きは行われているんだと感じ取らなければならないことが分かってくる。

 日ごとの神の裁きを、13節からは具体的に視覚的な表現で書かれている。さまざまの表現によって、神は悪に対して何もしないでいるのでは全くなく、燃えるような力を持って、悪の力に対して絶えず裁く備えをし、そして現に裁いておられる。日々悪の力に対して裁いているということを現代の私たちにも語りかけているのである。

 3節にあったように、まだ助けられていない状況の中から必死に叫び、7節にあったようにどうか立ち上がってくださいと真剣に祈っていたら、神は本当に悪の力に対して正しい裁きをなされていたのだということが、ありありと啓示されてきたのが、この詩の後半にみられる。

 16、17節は「仕掛けたその穴に自分が落ちますように。」「不法な業が自分の頭にふりかかりますように。」と訳されている。ここは、原文ではヘブル語の未完了形が使われている。 未完了ということは完了していないことで、繰り返し起こる動作や、まだ起こっていないことに対する願いのような意味に使われたりする。

 しかしこの箇所の他の多くの訳では「仕掛けたその穴に自分が落ちるのだ。」

「不法な業が自分の頭にふりかかるのだ。」と、霊的、精神の世界において繰り返し起こる確実な事実(法則)を表した訳となっている。

 日本語では落ちますようにと、落ちるのだという訳とでは全く意味が違うが、原文ではどちらも未完了形で表される。

 また英語訳、他の外国語訳でもほとんどが事実を表す訳になっている。新共同訳では、こうした確実な事実を表す文を祈願文で訳してあることがしばしばある。

 第七篇では、最初は非常に追い詰められた状態で、ライオンとも言うべきような悪の力に飲み込まれようとしていた。しかし自分を振り返ったら、そのような目に遭う理由が全く思い当たらなく、一方的に悪が襲いかかろうとしていた。そこから神様、裁いてくださいと必死に祈って、その過程で同時に諸国のことにも祈りを強くして、神の性質もだんだんはっきりと表されて、まっすぐに神様の方を向いていれば、必ず救ってくださると実感した。

 そして最後に、悪意を持って他人に害を及ぼそうとする者は、自分が自ら落ち込むこと、悪の滅びに関する一種の法則性をはっきり知るまでに至り、そういう確信の上に立って感謝と讃美が生まれてきたのである。

 人間の悪に取り囲まれたときの、私たちの魂、精神の歩むべき道が七篇には書かれているのである。神の御心に沿った道は、このようになり、人間的な怒りや憎しみといった感情に頼る場合には、絶望してしまうか、力で攻撃するか、相手を憎むか、あるいは無気力になるかである。

 私たちもこの作者のように自分自身を振り返って、多くの場合は罪というものを見出すわけだが、まっすぐ神の方に向ける、立ち返る、方向転換する必要がある。主イエスが言われた言葉、「悔い改めよ。」というのは、神の方へ方向転換せよということであった。

 さらに新約聖書では、悪に対する裁きはたしかになされることが主イエスによっても確言されているが、悪の支配に落ち込んでいる人間に対しても、そこに神の良きものが注がれるように祈り願うことが示された。

 このことは非常に重要なことであり、悪人の滅びを願う旧約聖書の詩篇の世界とは大きく転換して、悪人でなく、悪そのもの、悪霊の滅びを願うというようにと祈り願うのが正しい心のあり方であると、主イエスは示された。

 私たちも祈りによって、神の力によって悪の力に対して勝利していく時には、最後にはこのように感謝と讃美でもって、高いところへ導かれる。これが本当の歩みだということである。

 


リストボタン一人の女教師の遺稿から

 

  以下の文は、奥出雲の加藤歓一郎(一九〇五~一九七七)が発行していた「荒野」誌に掲載されていたもの。高橋勝子とは、加藤に信仰の導きを受けた女教師で三八歳の若さで召された。

 

 陶山久則君のけが

                高橋勝子

(一)十二月二十日の事

 校内はどことなく、忙しそうである。みんな自分の仕事に余念がない。公民館では、久宗壮氏の立体農業の講演が始まっている。

 その時、「先生これ頼みます。座談会の茶菓子です。」久則君のまっさおな顔。ぱたっと、上り段に体を投げ出した。

「あら、どうしたの」「いや、たいしたことありませんが、腹が痛い。」「何か悪いものでも食べたの」

「みかんを少し食い過ぎた位で……。」「そうお、でもそんな所にいたらいけないわ。さあ、上ってこたつで休みなさい。」と連れて上った。

 その時なぜ容態が異常なのに、気がつかなかったのだろう。自転車で腹部を打ち、内臓が破裂して、刻々と内出血していたのだから、その痛さ、その苦しさは、筆舌に尽せぬものがあったであろうが、我慢強い久則君の言葉に、単なる腹痛に過ぎないと思った私、そのまま、公民館に上ってしまったのは、何という不覚であったろう。手後れの原因がこんな処にあったのだ。その上本人は刻一刻と生きる力を奪われているにもかかわらず、夜の講演も聞いてからと、家に帰ろうともしなかったのだから。

 

(二)手術室

 それから、二十七、八時間後、雲南病院の手術室に、歯をくいしばりながら、横たわっている瀕死のけが人、血を三分の二も失って、なお生きようとしている若き生命を前に、「助かる見込みはない」たとえ手術が終るまで、生命があってもこの失われた大量の血の補給は不可能に近い。しかし、万が一にも、実現するかも知れない奇蹟を頼みに、いやそれを祈りつつ、メスが入れられたのだ。

 四時間にわたる長い手術、衰弱し切った体に全身麻酔はかけられず、局部麻酔のみで、行われたのだ。

 その間にも、何時息が切れるかもわからないからと、枕元に立たされた、お父さんの御心境はどんなだったでしょう。 

 麻酔の切れた痛さ、もはや精魂尽き果てて意識を失った久則君の口から、意外にも元気な言葉がとび出したのだ。「校長先生、きっとやりますぞ……」、「糸原先生、糸原先生、椎茸はどうなったろうなあ」「綿羊(めんよう)は…。」

 意識を失った彼は、きのうまでの元気な彼に、大地に足をふんばって、農業に生きがいを見い出し、希望に瞳を輝やかせていた彼に帰って行ったのだ。 

 そして、三年間、いや卒業後も、折りにふれて真の人間の生き方を、教えてやまなかった加藤歓一郎校長先生の魂と、その道を歩まれた糸原先生の信念が、彼の無意識の底にまでしみこんでいた。

 それが、意識を失い、表面の雑念が取り去られた、純粋な飾らない心から、ほとばしり出たのだ。

 意識して言うお世辞ではなく、息の切れようとする、まぎわに「校長先生やりますぞ。」と真の言葉が叫ばれたのだ。

 息は切れた。脈が止った。肉体はこの幾重にも重なった悪条件に耐えきれなかったのだ。

 

(三)ふれあう生命

 しかし、彼の生きようとする意志は、みごと蘇生させたのだ。手術が終った彼に、必要なものは、大量の血であった。「輸血」それのみが、唯一の頼みの綱であった。

 「輸血」、「O型」と友人から、友人へと伝えられるや、誰に頼まれたものでもなく、誰からも強制されたのでもないのに、唯友の命が助けたい一念で、深夜自転車でずぶ濡れになりながら駈けつけた人々を見かけた。

 生命の尊さと、生きることの意義をつかんで互の幸福のために、共に働き、共に研究して来た友の一人を、あんな事で失いたくないと中断することの出来ない輸血の為に、病院内に泊り込んだ人々もあった。

 そして、とうとう五日間にわたった。理想的な輸血を為し遂げたのだ。その事実に驚嘆された院長は「今までにも瀕死の病人の手術をしたことがあるが。今一歩というところで輸血が続かなくなり、みすみす殺してしまわねばならぬことが多いのに、こんなにも多量の血のしかもO型の輸血がよくも続けられたものだ。」と話されたと言うことです。

 そして彼等はとりとめた生命の喜びを語り合うだけで、少しも誇るところは見られなかった。

 不思議だ、頭に描きこそすれ、実現は遠い「かなた」だと思っていた人間の団結の美しい在り方を、生命の尊さを、真底まで知り抜いて、その為なら苦難と奉仕をいとわぬ、真実の人間の生き方を、若い世代の人達が、しかも、一人や二人でなく多数の若い人達によって実現されたことに限りない敬意を棒げます。

 

(四) 僕は生きたい

 意識を回復した三日目、病室を訪れた私に「先生、ほんとに苦しかったですよ。幾度死んだ方がよいと思ったかしれません。だから、今までのような、ねうちのない、生き方をするなら、あんなにまでして、助けて下さらなくても、よかったのです。

 でも僕には今やり始めた仕事がある。今頭の中で描いている生活がある。それを実現するまでは、どんなことがあっても死にたくない。僕は、僕は生きたいのです。」        

 生きることの使命を発見し、その生き方が死よりも苦しくとも実現するまでは死にたくないと思えばこそ、又多くの友達が心を一つにして、どんな事があっても助けたいと、願ったればこそ、不可能と思われた奇蹟があらわれたのであろう。

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○意識不明になっても、なお、まっすぐ前を見つめて歩もうとしているこの生徒の心、そしてそのような生徒に真実なキリスト者の愛を注ぐ教師の高橋、そして周囲の人たちの純真な友情が浮かびあがってくる。

 この高橋勝子が召されたときの、追悼文も次に掲載する。

 山間部の都会とはまったく異なる風土にあって、キリストを信じる人たちが起こされ、彼らの真実な歩みの一端が伝わってくる。

 

高橋勝子先生を偲んで 

         木次町  福間 三佳

 

 細長い木次の町のほぼ真ん中あたり、わずか五〇メートルほど離れた家で、しかも同じ年の三月に私たち二人は生まれました。その後、お父様の転勤のご都合だったのでしょうか。学校生活を共にしたのは、小学校の三年生の時からでした。その後、大東高等女学校、青年師範学校とずっと一緒に学び、卒業後も新制中学実施と同時に日登中学校で五年間勤務を共にいたしました。

 勝ちゃんと言えば静かな微笑をもって読書なさっている姿をすぐ想い起こします。大東高等女学校時代は戦争中でしたので、勉強よりも食糧増産に精出して働くことが多かったのですが、特に先生は理数科がお得意で級友から尊敬されていらっしゃいました。

 一九四四年、共に青年師範学校に入学致しましたが、先生は素晴しい成績でしたので、当時の石黒校長先生から、女子部高橋勝子以下四〇名の新入生を迎えたと力強く宣言された言葉は今も私の耳の底に深く残っています。希望に満ちて青年師範学校へ入学し、同じ寮で同じ釜の飯を食べ、学習の他に名古屋の学徒動員、学校の広い農場で食糧増産にとはげみました。

 ひざぼうずにつぎの当ったもんぺをはき朝六時から開墾作業、そして夜は月の明りでさつま芋の苗植えをし、汗でじっとりとした身体を涼風に当て乍ら、帰り途では青春の夢を語り合いました。空襲に合い同じ防空壕で幾度か身体を寄せ合ったこともありました。戦争のまっただ中ですっかり疲れた身体でも先生は常に本を離さず読書をし続けていらっしゃいました。高い理想に一歩一歩ひたむきな努力をなさっていた先生でした。一九四六年三月、青年師範学校を卒業し、翌年の一九四七年、日登中学校で初代校長加藤歓一郎先生の下で、また、二人共に勤務することができました。

 三キロの久野川べりの道をカバンを片手に五年間共に歩いて通いました。

 話題はいつも生徒のことだったのです。先生の教育者としての情熱は非常に強く常に新たで生徒のために骨身を惜しまぬ先生でした。

 今から約十五年前、文集「日登の子」の中に「陶山久則君のけが」と題し、当時二十三才であった先生の記録が載っています。わたくしは、この記録を何回か読ませていただきました。そしてその度にこの若さでこれだけの考えを実践を……といつも胸が熱くなる思いでした。本当に生徒一人一人を尊重し、よき相談相手をなさった先生でした。生徒から「美しく清純で女神様」とも噂された先生でした。

 私も結婚問題を通して十年前に信仰を与えられましたが、当時の先生を振り返ってみる時、あれだけの勇気、情熱が一体どこから出たのでしょうか。すばらしい努力家ではありましたが、先生の努力だけでなく、神様の僕として主によりすがり、いかなる試練にも耐え、祈りの生活であったとしみじみ考えさせられます。

 私は、勝子先生が乳癌で療養なさっている事を知った時本当におどろきました。そして召されたという知らせを聞いた時、かつての勝子先生の面影をあらためて思い起こし、先生は、苦しいこと、困ったことがあっても、さわがずにじっと耐え、祈りながら、主と共に清く生き抜かれたお方と思います。      

 大浦勝子先生の思い出 

                  田中初恵

 大浦先生と言っても私達には呼びなれた旧姓高橋先生とつい言う。

 中学校が創設された時、私は一年生だった。その時どの学級も男の先生だったのに、特に先生は希望して私達一年生を担任なさった。戦後の混乱の中に感じやすい年頃の私達は.荒れすさんでいて、先生を時々いじめたりして喜んでいた。そんな時先生は、「私が至らぬから」と、唇をかんで耐えていらっしゃった姿が思い出される。特に数学は非常にわかりやすく教えられた。一人でもわからないと言うと放課後でもわかるまで教えていただいた。  

 男の子達が大勢でこんなむずかしい数学を習って、将来百姓の生活に何の役に立つでしょうかと問い詰めた時があった。

 先生は静かになるのを待って、つめたいまでの冷静な微笑を浮べて「それはね、直接百姓生活にこんな数学が役に立たないかも知れませんが、数学的頭を養っておくことが大切だからです」とおっしゃった。

 また、国語も教えられた。とくに哲学を勉強なさっていらっしゃった先生は国語の勉強を通して人生問題に深くふれていかれた。 

「永遠なるものとは何か」 「何のために生きるか」この二つの問題を考えるようにおっしゃった。この大問題にこそ生命かけてきわめねばならないと言われた。私達は、この問題を与えられることによって人生について目を開いていった。又読書熱も高まっていった。   

 中学二年三年になってからも、私達は悩みごとなど壁にぶつかると相談した。先生は実に親切に深く教えて下さった。また、ともに悩んで下さったものだった。

 卒業する時、先生はこんな事を言われた。「私には、あなたに何も言う事が出来ません。恐しいからです。あなたはあなた自身の内なる声に従って生きねばなりません。自己に忠実に生きなさい。」そして、めったにお見せにならなかった涙を澄んだ瞳にいっぱいためて、「初めて頼んでまで担任した子供と卒業して別れるのが淋しくてね。」とまるで我が子を手離す如く切なさそうにうつむかれた。

「おめでたい卒業生に向ってごめんなさい。」とおっしゃいました。

 また、卒業して一ケ月位してから先生に呼ばれてお逢いすると、「あなたにすすめたいことがある。加藤先生がお宅で聖書研究の講座を開いていらっしゃるから行ってみませんか。私も先生に話して頼んでおきますから。」

とおっしゃり、それがきっかけで加藤先生の下に学び、キリストを信ずる生涯に入る事が出来た。本当にありがたく思っている。今思えば、神は、中学三年間はキリスト教に入る準備を大浦先生を通してなさったと信じ感謝している。 

 その後二年程してから結婚をなさるため、転任なさった。送別式の前日に、私をお呼びになり、校庭につれて出て、「あなたに聞いてたしかめたい事がある。あなたはキリストを信じますか、キリスト教信者として生涯を歩む決心がついていますか。」と聞かれた。

 私はぎくりとした。私は非常に力んで「はい。」と返事をした事を覚えている。その時返事する事によって実は決心がついた。その後一週間程してからお便りが来て、「あの時、あの返事どんなにうれしかったことでしょう。」と書いて来られた。

 その後も時々お便りがきた。葉書一枚にも、自分の心境を明らかにした同じ道を求める友の如く謙虚な便りが来た。

「この小さな生命がとうとうと流れる大いなる生命につながっている。そうだ生かされている。これは貴い事実だ。」(一九五二年)

 「私も妻となり母となる事によって深い豊かな新しい人生が開けてきた様な気がします。平凡にして非凡な人こそ私達の理想ではないでしょうか」(一九五三年)

 「小さな幸福を喜んで生きましょう。」(一九五六年)

 また、去年正月には、「私は生涯を、盲人教育に捧げたいと思います。盲という障害に打ち勝って、強い社会人とする為に私の生涯を捧げたいと思います。」これが最後の手紙となった。

 お逢いしたのは去年の正月六日に日赤病院に於いて長男の手術の為、手術室の前で主人と二人で待っている時、先生は担任の子供が入院しているので見舞いに来たと言ってこられ、若々しい元気そうなお様子だったのに……。

 私達も時計ばかり見て手術の終るのを待っていた時だけに落ち着かず残念だったが、でも土曜会のこと、加藤先生のお体の調子のこと、陶山久則さんの農家経営ぶり等を話した。

 先生は嬉しそうに聞いていらっしゃった。お別れするとき、先生に、夏休みのときを利用して、私の家に泊まりにきて、土曜会に出席して久しぶりに加藤先生にお会いなさって下さい……とお誘いしたら、お邪魔しましょう。と喜こんでいらっしゃった。こんなことになるのなら、夏休みに強引にお招きして、ぜひ土曜会に出席していただけばよかったと心残りでならない。

 


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九州、中国地方の集会と訪問

 十一月二十日(金)から二十七日(金)までの八日間、ほぼ例年通りに九州、中国地方のいくつかの集会や「祈の友」の方々を訪れ、み言葉を語る機会が与えられました。多くの方々の祈りに支えられ、また訪問地の方々の御愛労によって集会がなされたことを感謝です。

 

 九州にわたる途中、四国の西端地域にある、愛媛県南部の大洲市で、冨永さん宅をお訪ねした。ご夫妻とのお話しで、私のかつて経験してきた神の助けと導きを具体的な出来事をお話しして、生ける神のはたらきの一端をお話した。

 奥様は、キリスト教信仰を持つには至っていないということであったが、こうしたお話しを聞くのを好むとのことで、今後もいっそう主がご夫妻に近づいて下さり、奥様も信仰の道へと導かれますようにと祈った。

 二十日(金)の夜、七時~九時すぎまで、大分市の梅木 龍男宅での集会。梅木さんご夫妻は全盲であるが、デイサービス・介護予防、鍼灸マッサージを内容とした、独立ケアセンターを運営されている。

 この集会には、今年三月で、島根県のキリスト教愛真高校長を退任された、渡辺信雄氏ご夫妻もずいぶん久しぶりに参加され、また最近ずっと集会には参加していなかった方も参加しておられ、今後とも主の導きのもとにあるようにと祈った。

二十一日(金)には、朝大分を出発し、竹田高原を経由し、阿蘇のふもとを通って熊本市の集会場に向かった。集会は、河津卓宅で今年も行われた。河津さんご夫妻も全盲でやはりハリ治療院を経営されている。参加者として、熊本市にある、ハンセン病の療養所、菊池恵楓園からの参加者も毎年二名が参加しておられる。長い間の闘病生活のなかで、信仰によって支えられ、また療養所の外の人たちとの定期的な交わりが与えられていることも双方にとって恵みだと思われた。また、以前徳島に数年いたルーテル教会の方が、「いのちの水」誌を知っていて、初めて参加されていた。こうした印刷物は意外なところに伝わり、新たな主にある交流が与えられることが今までにもしばしばあった。

 熊本を出て、福岡に向かい、途中にある「祈の友」の九州地域の世話人を長くされていた野口さん宅を訪問、ご夫妻との交流のときを与えられた。「祈の友」ということで与えられる主にある交わりを感謝。

 二十二日(日)の主日礼拝は、福岡市の県庁跡の建物というアクロス福岡にて、福岡聖書研究会と天神聖書集会との合同の礼拝集会。「神の言葉とその力」というタイトルでお話しさせていただいた。(その大体の内容は、今月号に掲載した。)

 その後、福岡市内の「祈の友」の内村さんを訪問。高齢となって、神を信じてその守りを感じて一人生活をすることを選びとっておられるのを知ることができ、たしかに主がそのお一人の部屋にもおられて内村さんを守っておられるのを感じた。

 翌日は、島根県浜田市に向かった。途中で島根県鹿足郡 津和野町を通ったので、時間的余裕がなかったが、以前からその名前を知っていた津和野の乙女峠が途中にあるのがわかったので、短時間であったが、寄り道をした。

 明治政府によって、厳しい迫害を受けてキリスト教信仰を捨てるように強要され、改宗しなかった人たちに残酷な拷問が行われたところである。

 そこから、島根県浜田市の栗栖さんご夫妻と中山賜子さん(以前の「祈の友」主幹であった故中山貞雄氏の長女)たちとともに小さな集まりを与えられた。栗栖さんご夫妻は中山元主幹によってキリスト信仰に導かれたとのことであった。「祈の友」に加わっているということがなければこうした主にある交流は与えられないことであり、全く会ったことのない方であっても、主を信じ、祈りをともにするというだけで親しく交わりのひとときを与えられることの幸いを思う。 

 そこから、奥出雲地方(出雲市、JRの出雲駅から二五キロほど中国山地に入ったところ)にての集会に向かった。目的の集会場のすぐ近くの、JR日登駅を目的地として、当然のことながら、日本海岸沿いに走行すると思い、安心してカーナビに任せて、その夜の集会での話すべきことを思いめぐらせていたら、大きく中国自動車道(高速道路)を通って迂回していくルートを走っているのに気付いたが、もうすでに暗くなっていて、引き返すともっと時間をとることから、そのまま走行し、予定時刻を四十分も遅れて会場の土曜会館に着くことになった。初めて訪問するところに大幅に遅れてしまい、とても申し訳ないことであった。

 参加者は、私にとっては初めての方々ばかり七名が来られていた。その地域には、数十年の昔、加藤歓一郎という人が、熱心に福音伝道をされたことを以前から「無教会史」などの書物や印刷物で知ってはいたが、今回初めてその方々とお会いすることになった。

 加藤はキリスト教信仰を基として小、中学教育にたずさわり、同僚教員や生徒たちにキリスト教が伝えられていった。大阪府高槻市で自宅を集会の場として、キリスト教集会を続けておられる那須佳子さんは、その加藤に信仰を学んだ稲田誠一氏が中学教員のとき、その生徒として信仰を学んだということである。

 私は偶数月の第二日曜日にその那須宅での集会で聖書講話を担当しているので、今回の奥出雲の集まりに参加して、加藤歓一郎氏にはじまる流れが今日もずっと受け継がれていることを実感することができた。

 その夜の集会で、加藤の出していた「荒野」誌の合本(がっぽん)を贈呈して下さった。今月号に、その中に、校長であった加藤のもとで教員を五年つとめ、彼の影響を受けてキリスト者となり、若くして召された女教師にかかわる記事が印象的であったので、文を一部引用した。

 なお、ここでも、老人性の難聴の方がいて、普通の声では会話が十分には聞き取れない方がおられたが、私が持参していた集音器でよく聞こえるとのことで申込をされた。高価な補聴器を落として紛失していて不便していたが、その補聴器よりもよく聞こえるとのことであった。老齢の方が増えていて、高価な補聴器でもなかなか聞こえにくい方が多いのに、私が紹介しているような安価で操作なども簡単な集音器がなぜ、作られないのか不思議なことである。

 

 翌日は鳥取に向かい、砂丘の近くの国民宿舎での集会で、長谷川さんとのつながりがある方々やその関連の人たち十名ほどとの集まりが与えられた。私たちの集会の録音CDを用いて集会をされている方々が何人かおられた。初参加の方々もあり、また五十数キロを越えるところから参加した椿さんは以前から無教会のキリスト者との関わりがある方であるが、ほかの方々は教会での信仰生活を続けてきた方々。そのような以前には全く関わりのなかった方々と、み言葉を中心としての集まりがなされたことを主の導きとして感謝した。

 翌日は、今年鳥取に移転された「祈の友」の稲村さん宅を訪問し、松本さんと三人での主にある交流が与えられて、さらにそこからの帰途に森本さん宅があったので寄り道をして賛美歌のピアノ伴奏の一部を聞かせてもらい、またそうした伴奏をMP3形式でデジタル録音することなどについて説明する機会があった。

 次の二十七日(金)の午前十時から、岡山市内の三光荘にて、初めての集会が与えられた。岡山聖書研究会の香西民雄氏ご夫妻の御愛労によって会が準備され、初めての方々ともお会いできた。

 香西氏ご夫妻とはもうかなり以前からの主にある交わりをいただいているが、それは無教会の全国集会や四国集会などにおいてともに参加する機会がしばしばあり、そこから交流が与えられた。

 自分の集会だけに留まるのでなく、可能ならば、ほかのところにも参加することで、予想していなかった恵み、出会いや学びが与えられ、新たな人との出会いにもなっていくことを思う。

 キリストにかかわることでエネルギーや時間を注ぐことは、いずれにしても主からの賜物をいただくことになるとあらためて感じている。

 なお、前述の鳥取の長谷川さんは、香西さんからの紹介によって知らされた方で、ここにも主にある横のつながりが新たな恵みにつながることを知らされている。

 岡山から四国・高松市に出て、そこで久しぶりに徳島出身の西岡公明兄と会っていろいろ最近の状況を聞くことができ、さらに、高松市の佐々木宅での集会に参加している塩田さんとその上司の方と三人で食事をしながら話し合う機会も与えられた。

 今までにもそうであったように、主を信じる者が、ともにみ言葉を学び、祈りや賛美を共にしつつ語り合うこと、主にある交流は、予期しない新たな恵みにつながることが数々ある。

 そこで語ることや祈り、賛美は小さきものであっても、二人三人主の名によって集まるところには主イエスがいて下さる、という約束が与えられている。そして、私たちでなく、そこにおられる主が大きなわざをなして下さると信じることができる。

 今回の各地での集会、訪問、交わりも主が用いて下さって、今後の御国への歩みに何らかのかたちで恵みがもたらされるようにと願っている。

 


リストボタンお知らせ

 

○十二月十三日(日)徳島市民クリスマス 郷土文化会館 午後六時三十分~八時三十分。私たちの集会の有志も、例年通りに、徳島神召教会との合同で手話讃美をすることになっています。なお、今回の市民クリスマスの講師は、福音歌手の森 祐理さんです。 

○十二月十三日(日)神戸市の阪神エクレシアと高槻市那須宅での集会に、吉村(孝)は聖書講話のために参加します。

阪神エクレシア…午前十時~十二時。元町駅から百五十メートルほど北にある私学会館にて。

高槻集会…午後二時~五時。

○十二月十五日(火)移動夕拝

 吉野川市鴨島町の中川 啓・春美夫妻宅。移動夕拝は月末の火曜日なのですが、今月は、二四日にキャロリングがあるために二十二日(火)が休会、二十九日(火)は第五火曜日なのでありません。そのため、十五日に移動夕拝となりました。

○十二月二十日(日)クリスマス特別集会。

 午前十時から午後二時ころまで。内容は、こどもと共に、賛美、聖書講話、有志の感話、食事のときの交流などです。申込は、貝出久美子姉(090-1176-9040)、不在のときは、中川春美姉(090-3784-1277)、その両者も連絡できないときには、吉村 孝雄まで。(050-1376-3017、または、090-8282-3622)会費は食事代金として五百円です。

○十二月二四日(木)キャロリング 午後六時三十分に、徳島市南田宮の徳島聖書キリスト集会場に集合です。

○十二月二七日(日)午後から四国集会についての話し合い。その後、大学病院の勝浦さん個室でのつゆ草集会。

○以上のような行事予定があり、今月のダンテ神曲の読書会はできなくなりました。

 

○徳島聖書キリスト集会の礼拝内容を全部録音したCDについて(以前にも書いた内容ですが、折々に現在も問い合わせがありますので書いておきます。)

 活字になった印刷物はゆっくり繰り返し読めるという点で、また録音されたものは、仕事や移動中でも(車や電車など)、さらに目が悪い方には負担にならずに内容が理解できるといった点で好都合だと思われます。

 私たちの集会では、数十年前から主日礼拝の録音をカセットテープで希望者に送付してきましたが、近年では、カセットテープよりはるかに便利で、返送の必要がないCDへの録音という形で希望者に送付しています。(一部にカセットテープの方もおられますが)

 これは一枚のCDに一か月分の主日礼拝と火曜日夜の夕拝の全部の内容(聖書講話、祈り、賛美、感話など)を録音しています。そのために、普通の音楽CDの形式では、1枚のCDにはとても入りきらないので、MP3という圧縮したかたちで収録しています。これは、パソコン、または、MP3対応の機器(プレーヤ)が必要となります。

 パソコンは使っていない、MP3対応の機器もないという方には、従来通りカセットテープでの送付もできます。

 また、MP3対応機器としては、何度か紹介してきたMP3対応 CDラジカセのものは、次々と購入希望があり現在では在庫はなくなりました。(現在ではもう生産終了品です)

 インターネットで調べても、もう一万円以下でMP3対応CDが聞ける機器はないようです。

 しかし、MP3対応のミニコンポタイプのものと、手のひらにのるような携帯型のCDプレーヤのものなら、まだ私のところに在庫がありますので、希望者は申込してください。価格は携帯型のCDプレーヤは五千円、ミニコンポ型は八千円です。(送料当方負担)市販のものですと、メーカーもちがいますが、数万円以上の価格となっています。

 


リストボタン ことば

 

323)神およびキリストとともに生きることは、この世での格別やさしい生き方である。それは、一種の無邪気な気軽さをさえ生み出す。そしてこのような気軽さは、この世のどんな享楽にもまして人間の生活を楽しいものにすることができる。

 しかもそうするためにお金はほとんど、いや、むしろ全然いらない。そのような生活に必要なものは、ただ神とのゆるぎない交わりだけである。

 このような生活は、不幸な人びとにとってまことの救いである。実際、彼らがこのような救いを知って、それを求めるならば、必ずそれは与えられるからである。(眠られぬ夜のために上 十二月五日)

 

324) キリストの愛

 

 いかなる悪人であっても、キリストにあって彼を愛そうとすれば、愛することができないということはない。

 かれの心にキリストをあらわわし、かれをキリストに連れ来たるためにはわれらはいかなるののしりをも耐えることができる。

 われらは、キリストを離れて悪人を愛そうとすればこそわれらの愛の不足を感じて自分の弱きを責めることになるのである。

 しかし、神はふつうの人間のようにわれらより無理を要求されない。

 神はわれらに「敵を愛せよ」と命じられる前に、敵を愛することができる愛をわれらのために供えて下さっているのである。

(「聖書之研究」一九〇二年一二月)

 


リストボタン編集だより

 

・ 十一月は、九州、中国地方を訪ねる過程で、秋の野山や海岸地域を走行しつつ、自然の風景のなかにも、神の大いなる御手を感じつつ車で各地を移動しました。

 各地の主の名によって集まっている人たちに、み言葉の真理の一端を語り、 そして訪問先の各地で、多くのキリスト者の方々と出会いや、交流も与えられ、各地にキリストの足跡を感じ、またキリストの御手がおかれていると感じる人たちに出会い、天来の祝福の流れを感じたことです。

 このキリストの愛を受けたひとたちの流れが、今後もいっそう主によって強められ、流れ続け、周囲にも注がれていくようにと願っています。

 そして、この何にもかえがたいキリストの福音が都会にも田舎にも、伝えられるように、そのための働き人が起こされますようにと祈ります。

 

・今月号に収録した、故加藤歓一郎氏の伝道誌からの引用は、山間部の目立たないところで生きた方にも、キリストの福音はしっかりと留まり、生きて働いていたことの証言の一つとして取り上げました。若くして召された方は、老年まで働いたひととはまた違った輝きをもって証しされています。一人の女教師の背後に生きて働いたキリストを感じ取っていただきたいと願っています。

 


 来信より

 

○ニワトリと有機野菜で生計を立てているので、決まったお休みはないのですが、毎日たまごを詰める作業があるので、そのときに、創世記のCD(*)を繰り返し聞いています。

 日曜日は仕事の合間に聞くので、細切れになってしまいますが、一日かけて主日礼拝のCDを聞きます。徳島の皆さまのおかげで、主と共にある日々が送ることができて、本当に、本当に感謝しています。(関東地方のOさん)

*)編者注  徳島聖書キリスト集会の主日礼拝の録音記録である、創世記講話MP3版

 

・このように仕事をしながら、ラジオの代わりに私たちの礼拝のMP3CDを聞いておられるという方々から、今までにもいろいろとこうした応答をいただいています。

 

○「いのちの水」誌11月号を読んで。

「あなたの魂の方向転換をせよ。神の正義と愛による御支配は、もう来ているのだから」(マタイ四の十七)

また、「聖書の言葉の最も深い意味における原語は、ヘブル語でも、ギリシャ語でもなく、生きて働く来である」(二四~二五頁)この二つの箇所を最も大切なこととして、受けました。

 そのような方向転換があって、私たちが真剣に求めていくなかで、それぞれの段階に応じての啓示を受け、魂の深い問題が解決されてゆくのを実感する…。

 引用されているダンテの言葉のように、渇きがはげしければ激しいほど、飲む喜びも大きくなるように、真理が私に与えた喜びは本当に言葉に言い尽くせなかった、ということを実感しております。

 …吉村さんは、自然科学のみならず、文学への心を開いておられ、リルケの詩などこの例です。

            (二十一~二十二頁)

 恩師の星野慎一先生がリルケの専門であられたことなど思いかえしました。

 那須 佳子さんの教育現場の文、炭火のような信仰生活のなかで問われている現実、彼女の真摯さに打たれました。

 炭火のような信仰、これは小池辰雄先生も言われた言葉でした。…(東京都のOさん)

 

○いつも「いのちの水」誌をありがとうございます。田舎に住む私としては、本当に神様に出逢う大切な機会となっています。(長野県Kさん)

 

○去る、十月十一(日)~十二日(月)の東京青山学院での無教会全国集会では、一緒に参加することができて感謝しております。

 関東在住の実行委員の皆さまの御愛労によってすばらしい大会ができて、喜んでいます。

 北田康広さんの独唱とトークはとても感動しました。

 また、新しい出会いもあり、参加してよかったと思っています。

 来年は大阪ということで、朝川さんはじめ京阪神の皆さまに上よりの祝福を祈ります。(沖縄のTさん)

 

☆来るべき新しい年、主の豊かな導きがありますように。