私が切実な思いで待ち望むことは、生きるにも死ぬにも、 |
2009年 2月 576号・内容・もくじ
根を張ること
さまざまの野草、樹木は、ふだんは、地上だけを見せている。美しい花が咲くその姿や色、形、また果物や野菜などは私たちに不可欠の栄養となるし、また樹木は、よき果実を実らせる。あるいは、山々の木々は新緑や紅葉の季節にはその美しい姿を私たちに見せてくれる。樹木はときには、数十メートルの高木となって、その堂々たる姿によって人々にある種の力を与えるものとなっている。
こうした地上の植物の姿しか私たちは見ないことがほとんどである。しかし、そうしたいっさいを支えているのは、地下の根である。根があればこそ植物は生育に不可欠な水や養分を取り込むことができる。また、樹木は高木となってその巨大な重量をも支え、また嵐のときにも倒されない。
目には見えないところの部分が、支えているのである。
私たちにおいても、表面に見える活動、それは子供のときには、スポーツや勉強ができるとか、音楽の才能とかが目立つし、大人となっても学歴や職業、また容姿などがまず目に入ってくるからそれらをたいていは見ている。しかし、私たちが真によきことができるためには、根を下ろしている必要がある。
深く神あるいはキリストに根ざしていないときには、簡単にこの世の風によって吹き倒されてしまう。また、自分や他人という人間からの養分だけでは、病気や人間関係や職業上での困難な問題が生じたときには、支えられなくなる。
植物が根から水を吸収するように、私たちも神に魂の根を深く下ろして、いのちの水を受けていかねば正しく生きていけない。そしてそれは、同時に魂の栄養となり、私たちの心や考えをもうるおし豊かにしてくれる。
神に魂の根を下ろすこと、それはふだんの生活のなかでたえず主イエスに向かい、仕事をしつつも、また運転しているときも歩いているときも、主イエスに根ざしていることはできる。特別な時間をとることができない場合でも、天にいます神を見上げる一瞥でよいのである。
私たちは、過去のさまざまの書物、現在生きている人たちの考えや生き方などからもたえず養分を受けている。そこに根を張っている。知識ということひとつをとっても、私たちの現在の考えや知識は過去に生きた人たちの精神的な土壌に根を下ろしてくみ取ったことである。
現在では、インターネットという数十年前には、想像もできなかった手段によって膨大な知識の世界に根を下ろしてくみ取ることができる。
しかし、このような人間的なものに根を下ろすことはまた有害なものをも取り込むことにもなっていく。人間社会には実に数々のまちがったこと、汚れたことが満ちているからである。そうしたものをくぐり抜けてよいものだけを人間社会の土壌から取り込むことは至難のわざである。
神に根を下ろすことによって、私たちはそうしたよくないものが入ってくることを妨げるフィルターのようなものが与えられることになる。それによってこの世の汚れたもの、悪しきもの、不純なものなどが私たちの魂の根から入ってくることを防ぐことができる。
神はそのためにも、私たちのまわりに美しい自然の世界を備えられているのである。それらの自然は、私たちに神に根を下ろせとたえず語りかける働きをしていると言えよう。
日常たえず入り込んでくるテレビの番組や報道には、このような真実や清いものはごく少ない。知らず知らずのうちにそのような人間的なもの、あまりにも人間的なものに私たちの魂はふかく根を下ろしてしまう。
また、印刷物においても、私たちをまちがった方向へと誘うものがはんらんしているが、そうしたいっさいの印刷物のなかで、聖書はまさしく私たちが神に根を下ろすことのできる書、繰り返し読んでも決して飽きることのない唯一の永遠的な書なのである。
オバマ大統領の演説の中から
アメリカの新しい大統領の演説は多くの人によって聞かれた。氷点下五度とも言われる寒気のなか、二〇〇万人が集まったという現象は、日本では考えられないことである。そしてそれだけでなく、個人の演説としては、全世界で最も注目を浴びた演説となったと言えよう。
その中から信仰と関連あることについて若干の感じたことを記したい。
未来・過去・現在
大統領の演説の冒頭の部分、はじめの挨拶という形式的なものと思われやすいが、こうしたところにも、私たちがくみ取るべきものがある。
「私は今日、ここに立っています。私たちの前にある職務の前に謙虚とされ、あなた方から与えられた信頼に感謝し、私たちの先祖たちが払ってきた犠牲に心を留めて。」
I stand here today humbled by the task before us,grateful for the trust you've bestowed, mindful of the sacrifices borne by our
ancesters.
ここには、自分が何者か、それは人々から与えられた信頼のたまものであり、大いなる困難事の前にたっているという謙虚さ、そして過去の先人たちの働きへの感謝がある。
私たちはどこに、どのような者の前に立っているのか、だれのおかげで今立つことを得ているのか等、それは私たちもつねに覚えていなければならないことである。
使徒パウロは、その手紙の冒頭にまず、自分はキリストの僕(奴隷)である、ということを書いている。キリストなる真実と愛の完全なお方に全面的に従うもの、何等自分のものというのはないという、砕かれた謙遜な心を最初に提示している。どこに立っているのか、それはつねに神の御前だという気持がそこにある。
私たちは、困難なときには、目先の状況ばかりにとらわれてしまう。しかし、困難なときにこそ、正しい道を見出すために、私たちは過去、現在、そして未来にわたる展望を持たねばならない。
主イエスは、つねにそのようであった。自分は過去はるか昔から神の御計画によって予定され、その結果地上に遣わされた者であること。過去に積み重なった人間の悲劇を見つめ、罪をあがない、永遠の救いをもたらす使命を知っておられた。
そして同時代の人々の苦しみと悲しみを深く見つめ、憐れまれた。また人間の罪深い現状も鋭く洞察されていた。
さらに、未来については自分の道は人間的栄光の道でなく、非常な苦しみと恥を受け、十字架によって処刑されること、しかしその後に復活し、さらには再び神の力を帯びて来るのだという先のことも見つめておられたのである。
多様性の強み
彼が語ったことのなかで、アメリカは世界でも特に多様な人々が集まっている国家であるゆえに、その多様性がさまざまの困難を生んでいると考えられてきた。しかし、彼は、その多様性を積極的に受けいれる発想を明確に示した。
「私たちの多様性という遺産は、強みであり、弱点ではないことを知っている。」(We know that our patchwork heritage is a strength,not a weakness.)
このことは、国家について言われたことであるが、さまざまのことに関して言えることである。人間は、画一的にしようとする。効率的に考えると、軍隊がその代表的なものであるように、すべて同じように行動させようとする。会社や学校でも命令通りに忠実に動く者を重んじようとする。
例えば、東京都において、単に「君が代」を歌おうとしない、というだけで、教員としての資質を全面的に否定しようとするなど、実に間違ったやり方である。こんなやり方では、ほかの能力、生徒への愛情、専門教科の能力等々を見ようとしないから、教育がよくなるはずがない。頭や心が固いほど多様性を認めようとしなくなる。
しかし、神の創造はそうではない。神は、確かに多様なものを用いようとされる。木の葉をみても、一つの樹木の無数の葉は一つ一つが異なっており、その多様性には驚くべきものがある。
健康な人や能力のある人たちとともに、弱い人たち、病気の人、能力的に恵まれない人々、障害を持った人たち、年齢的にも老若の人たち、そうした多様な人たちがいることは、強みなのである。神は身近な自然の世界を通しても絶えずそのことを語りかけている。
無宗教者
今度のアメリカ大統領の演説において、オバマ大統領が、「私たちの国は、キリスト教徒、ユダヤ教徒、イスラム教徒、そして無宗教者たちの国だ」
(We are a nation of Christians and Muslims,Jews and Hindus,and non-believers)といわれたことが注目された。 日本においては、このようなことはごく当たり前として感じられるであろうが、アメリカでは従来は無神論とか宗教を持たないということは、人間として信頼されないという傾向が強かったから、大統領の演説で公然と無宗教の人たちをキリスト教徒と並べて言及されるということはかつてなかったと言われる。
この演説によってアメリカでは神を信じても、信じなくても同じなのだと思う人たちを後押しすることになるであろう。
そしてそこから、信仰は持ってもなくても変わらない、趣味のようなものだと考える人たちが増えていく可能性がある。
しかし、神を信じないことは、人間にとって正しい道ではない。神とは純粋な愛、そして真実であり、正義そのものである。そのようなお方が実際に存在するのに、そのようなものはない、ということは、そうした愛や真実、正義が存在しないということである。それは事実に反することである。
私自身は人生のあるときに、神の愛と真実を明確に知らされた。それは二×三=六というのが真理であるように、本来誰にとっても成り立つ真理であるということを示された。
人間同士においても、他人の心にある真実な思い、目に見えないその思いがあるのに、それを全く信じないということは、よくないこと、罪である。それと同様にこの世界に完全な愛があるのに、それを信じないのは人間として正しい心のあり方でなく、間違ったこと、罪なのである。
このようなことは、決して大統領のような立場の人は言うことができない。どの宗教もまた神を信じない者をも同列に置くような言葉を出すしかない。いかに強力な権限が与えられている大統領であっても、このような真理にかかわる基本的なことを明確に言うことはできないという弱点を持っているのである。
特定の宗教を表面的に信じているといいながら、武力をもって反対者を攻撃したりするのでは本当に神を信じているとは言えない。神とは愛なのであるから。永遠の真実や不滅の愛がある、変ることなき正義が存在するということを信じることこそ重要なのである。
それゆえにこそ、その確信を与えられている者は、語り続けなければならない。聖書に示された神とキリストを信じることこそ、人間として究極的なあり方であり、永続的な幸いがそこにあるということを。
見えないものから
晴れ渡った空にもみるみるうちに雲がかかることがある。大気の圧力、風、温度や湿度などさまざまの原因が働いて空気中の水蒸気が凝縮して微小な水粒となる。それが私たちには雲として見える。そしてそれが多くあつまって大量の雨となって、地上に降り注ぐこともある。
私たちの心の深いところにある目に見えない思いは、時が来れば目に見える行動として現れる。たえず神は私たちの魂にそうした目に見えない思いを起こし、それを目に見える形にしようとされている。
キリストもかつては目には見えない存在として神とともに永遠の昔からおられた。その存在が時至って、目に見える存在として地上に現れた。そして無数の人々の目には見えない思い、漠然としてあるかないか分からないようなものであったよき思いや考えに神の力を注ぎ、目に見える行動として、また福音伝道というかたちで世界に広がっていき、さまざまのよき働きを生み出すことになっていった。
空気中の目には見えない水蒸気が、予想しがたいときにみるみる微小な水粒となって雲になるように、私たちの心に注がれた神からの風―聖なる風、聖霊は今も、そして将来もたえず目に見える何かへと向かっている。
すべてのものが
山道を歩いていると、数々の植物が迎えてくれる。野草や樹木がさまざまの形、大きさ、色合いをもって存在している。小さな草の花だからといってそれがもっと大きかったらいいのにとか、この花がもっと小さかったら、また、この木の葉の形は丸いほうがよいのに…等々といった気持になることはない。
小さいものも、大きいものも、また地面を這うようにして育っている苔やシダの仲間、樹木の肌もそれぞれが違った風になっている。
こうしたすべてがそれぞれによさを保っている。主イエスの言葉を借りて言えば、野の花、樹木すら、このように千差万別の姿であるのだから、人間ははるかに心を注いで下さっているはずである。
…空の鳥をよく見なさい。(*)種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。
野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。
しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。(マタイ六・26~29)
(*)ここで、「よく見なさい」と訳された原語は、エムブレポー em-blepo で、「見る」という言葉 blepo の強調された形で、じっと見るという意味になる。また後の、「注意して見る」と訳された言葉は、カタマンサノー (kata-manthano) これも「学ぶ」manthano という語に接頭語がついた形で、「じっと見つめる」「考える」といった意味に用いられる。この語は、新約聖書ではこの箇所だけであるが、ギリシャ語の旧約聖書と続編(七〇人訳)にはそれぞれ四回用いられている。
「よく見る」「注意して見る」というように、二種類の言葉を、とくにひとつはほかでは使われていないような言葉をもあえて用いているのは、それだけこうした身近な自然を見つめることの重要性を示していると言えよう。
自然の世界の植物や動物、さらに岩石や山々、雲や川の流れ等々もみな、神の愛や神のご性質を表していてそれを人間に語りかけているものなのである。
主が私たちの味方でなかったら (詩編一二四篇)
私たちにはさまざまの困難、試練に出会う。自分の将来はどうなるか、と思われるような事態も生じる。生きていけないというほどのことも、予期しないときに訪れることがある。
旧約聖書の詩編はそのような、著しい困難のとき、死に瀕しているような重大な苦難の際に神からの助けを得て、辛うじて救い出されたという経験が数多く記されている。
それらの詩が、ほかの国々の古い時代の詩集、あるいはそれ以降の時代のあらゆる詩集とは、比較にならないほどに世界中で愛され、親しまれ、用いられてきた理由は、そこにある。人間が最も大切にしたいと思うのは、自分がもう死ぬかもしれない、生きていけない、というほどに苦しんだとき、また闇に落とされたときにそこから救い出してくれたものである。例えば、病気で苦しくて耐えがたい痛みがあったとき、それをいやされたときの経験は生涯忘れられない。
詩編全体が、そうした深い闇からの救いの体験が背後にあるゆえに、これらの詩集は数千年前から現代に至るまで、人々の魂の最も奥深いところに訴えてきたのである。
今月号にも掲載したダンテの神曲という詩の大作もまた、同様であった。著者が深く、暗い荒涼とした森からようやく脱することができた、ということがその一万四千行を越える大詩編の巻頭に記されている。その救いの体験が、世界に多大な影響を及ぼしてきた神曲となって結晶したのである。
次にあげる詩もまた、その困難のなかからの救いの体験を簡潔に、力強く表現したものである。
イスラエルよ、言え、
もしも、主がわたしたちの味方でなかったなら
主がわたしたちの味方でなかったなら
わたしたちに逆らう者が立ったとき
そのとき、わたしたちは生きながら
敵意の炎に呑み込まれていたであろう。
そのとき、大水がわたしたちを押し流し
激流がわたしたちを越えて行ったであろう。
そのとき、わたしたちを越えて行ったであろう
驕り高ぶる大水が。
主をたたえよ。
主はわたしたちを敵の餌食になさらなかった。
仕掛けられた網から逃れる鳥のように
わたしたちの魂は逃れ出た。
網は破られ、わたしたちは逃れ出た。
わたしたちの助けは
天地を造られた主の御名にある。(旧約聖書・詩編一二四篇)
この詩は原文では、詩の最初から「もしも主が私たちの味方でなかったら…」という、言葉から始まっている。(新改訳は原文通りに「もしも、主が私たちの…」を第一行において訳している。)
もしも、あのとき、主が助けて下さっていなかったら、悪の力によって打ち倒されていた! という強い気持がここにある。
私たちも日常生活のなかで、もしあのとき、一瞬気付くのが遅かったら、たいへんな事故になっていた…とかもしあのとき、○○さんに出会わなかったら絶望していただろう、あるいはもしもっと医者に行くのが遅れたら、命はなかったかもしれない…等々、思いだすことがある。
この詩にはそうした切迫感が迫ってくる。この作者においても、危機一髪といった特別な危険にさらされ、もう滅びるかと思われたほどの困難に遭遇したと考えられる。
それは、敵意の炎にのみこまれるとか、大水に押し流される、激流が私たちを越えていった等々の表現から、非常な困難が迫っていてあやうく死んでしまう状況にあったと考えられる。
私たちもこうした突然の事態にはいつ出会うか分からない。それはこの詩の作者のように、近くにいる人間の悪意であったり、自分の罪ゆえの苦しみであったりする。また、病気とか家族の大問題、あるいは職業も失われたり、大きな事故によって生じた苦しみであったりする。
また小さい子供であっても、いじめなどにより生きていけないという人もいる。大人であっても、年間三万人という多数の人たちがみずからの命を断っていく悲劇が続いている。これは未遂の人も合わせるなら、はるかに多くの人たちとなるだろう。
ここにも、人生の激流、大水にのみこまれていく姿がある。飲酒運転による事故で家庭も自分の将来も破壊してしまった人もあり、一般の事故でも一瞬にして家族を失ったり、生涯なおらない重い障害者となったりする人も多い。
こうしたすべては、この詩に言われている、大水であり、激流である。こうしたとき人間はまた冷たい言葉や怒りや憎しみの言葉をも投げつけることがある。それは、この詩にある、敵意の炎ということになる。
この詩の作者はこうした危険に対して、神が自分のそばにいて助けて下さったということをはっきりと体験した。このような苦しいところでの体験こそ、愛の神の存在を何よりも確信させるものである。一度このような人間存在の最も深いところでの体験をした者は、周囲のどのような反論も、また神信仰への攻撃にあってもその信仰を捨てないであろう。
私自身も、若き日に精神的に 大いなる危機にあったとき、どのような人間も、教師もまったくそれをどうすることもできなかったその闇に神が光をもたらして下さったことが、原点となった。それは決定的な経験であり、ほかのどんな事柄にも増して私の現在までの人生に重大な変化をもたらしたのである。
それゆえ、この詩の作者の魂の深いところでの体験は、そのまま私自身に重ねて伝わってくる。こうした神の助けを与えられた者は、そこに神の愛があることを全身で体得する。旧約聖書には神の愛が最も深く刻印されているのは、詩編においてなのである。
このような苦しみからの救いを経験したゆえに、この詩の後半には、深い確信とおのずから湧き出る神への感謝と讃美が続いている。神への讃美歌(聖歌)は、世界で最も長い間にわたって歌われ続け、無数に歌われ続けているが、その源泉はこうした体験にある。
人間によっても私たちはさまざまの助けを受けている。生活の一つ一つをとってもだれかから助けられ、教えられている。しかし、死に瀕した者、生きる目的を失った者、魂の死んだ者を本当に助けることができるのは、医者でも、友人でも家族でもないし、また金の力でもない。それはそうした一切を支配し、創造された神だけができることである。
とくにすべての人が必ず向かっていかねばならない死ということも、そこからの助けはただ神のみが可能である。死に打ち勝つ力をもって私たちに永遠の命を与えて下さる神、天地を創造された神のみが、私たちの究極的な助けとなってくださる。
この詩はその確信で終わっている。現代にいきる私たちもまた、この確信を共有するようにとのメッセージがここにある。
主イエスの祈り
福音書のなかに、主イエスが祈ったという記述はあちこちにみられる。それは主が祈りの人であったことを直接に示すものである。主イエスの祈り、それはどのようなものであっただろう。
…ところが、彼ら(律法学者たちやファリサイ派の人々)は怒り狂って、イエスを何とかしようと話し合った。
そのころ、イエスは祈るために山に行き、神に祈って夜を明かされた。
朝になると弟子たちを呼び集め、その中から十二人を選んで使徒と名付けられた。(ルカ福音書六・11~13)
律法学者やファリサイ人たちは、当時の人々の信仰を指導する立場の人たちであった。そのような彼らであったが、イエスへの妬みのゆえにイエスをわなに陥れることを計るようになっていた。
そうした悪意に対する道は、祈りであった。徹夜で祈るほどに真剣な、そして長時間の祈りであった。何を祈っておられたのか、聖書はあえてその内容を記してはいない。けれども、主イエスが来られた目的は、その最初のメッセージに要約されているように、「悔い改めよ、天の国は近づいた」ということを知らせるためである。そして、悔い改めとは、人間的なもの、目に見えるものから、目に見えない神へと魂の方向を転換することであり、天の国とは天の支配、すなわち神の御支配は近づいてそこにある、悪の支配でなく、神の支配が近づいてすでにそこにある、ということであり、神の国とはすなわちキリストご自身である。キリストは神の完全な支配権をもっておられるお方である。そのキリストが地上に来られてそこにおられるのである。
主イエスの祈りは、やはりこのこと、人々が、神に立ち返り、目にみえる天の国であるイエスが来られたことを受けいれるように、との願いであったであろうし、それを妨げようとするサタンの力との霊的な戦いでもあったと考えられる。
人々が神へと心を転じるようにとは、自分が目にみえるもの、人間的なものに向かって生きてきたということ、言い換えると罪深い存在であったことを知り、そこから神と主イエスに魂の方向を転じるように、ということである。
さらに、神の愛のご意志によって遣わされたイエスを受けいれないで、かえってその存在を抹殺しようとする闇の力が砕かれるように、そして人々がそのような力に支配されていることから解放されるようにとの願いがあったであろうし、そうしたすべてに対抗できる神の力である聖霊を願ったものでもあっただろう。
そしてそのようなこの世の悪の勢力に対抗するために、自分が殺された後においてその福音宣教を継続する具体的な担い手を選び出された。それが十二弟子たちであった。
徹夜の真剣な祈りによって、この世の霊的な闇の力との戦いのための担い手として選ばれたのが十二弟子たちである。そしてその祈りによって支えられ弟子たちは、この世のなかに出て行くことになる。
また、別のときには、全身ハンセン病とみられる病気にかかった人と出会った。その病人が「御心ならば私を清くすることができます」と、主イエスへの絶対の信頼をあらわした。そのときに主イエスは、そのような人には決して触れてはいけないとされていたが、手を伸べて触れた。そしてその病人はいやされた。この奇跡のような出来事は広く知れ渡ってますますイエスのもとに大勢の群衆が集まるようになった。
そのとき、主イエスはあえてそれらの人々から離れた。
…だが、イエスは人里離れたところに退いて祈っておられた。
(ルカ福音書五・16)
たくさん集まった人々にこそ教えたり特別なわざを示してみせたりするというのが、多くの人間の考えることである。しかしイエスはしばしばこのように一人退いて祈られた。無数の人たちが、飼う者のない羊のように精神的にさまよっているのを見抜いておられたゆえに、そうした限りない人々への祈りがあった。また、その人々が神にたちかえるように、神の力を注ごうとされた。あらゆる人たちに注ぐだけの神の力を受けるためにも、時間はいくらでも必要となる。そして与えられた神の力を周囲の人たちに霊的に注ぐためにもまた限りない時間が必要となる。
主イエスの一人になっての祈りとはこうした目的のためになされたのである。
主ご自身が言われたように、まず神への愛と人への愛を身をもってなされたのであり、その具体的な現れが一人での長時間にわたる祈りであった。
主イエスが、最後の夕食をとったとき、次のように言われた。
「シモン、シモン、見よ、サタンはあなたがたを、小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた。
しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」
するとシモンは、「主よ、御一緒になら、牢に入っても死んでもよいと覚悟しております」と言った。
イエスは言われた。「ペトロ、言っておくが、あなたは今日、鶏が鳴くまでに、三度わたしを知らないと言うだろう。」 (ルカ福音書二二・31~34)
サタンは常に私たちをふるいにかけようとしている。そしてそこでしっかりと神に結びついていないときには振るい落とされてしまう。ここでは、サタンの願いと、イエスの祈り、そしてペテロの人間的意志の三つが交差している。
サタンといえども、神に願って許可を得ているという考え方がある。それはヨブ記にある見方と共通している。神は私たちがわからない理由によってしばしば悪をなすことを聞き入れられるという。なぜそのようにされるのかは私たちにはわからない。それはときには十年、二十年、あるいはメシアが地上に来られるまで預言されてから数百年もたってから実現したように、長い年月がかかって初めて人間にもわかる場合がある。
人間の判断では決して分からない。啓示を受けた場合だけわかる。イスラエルの人々がどうなるのか、それは長い歴史の歩みのなかで神が最終的にキリストを受けいれるようにされるのだという計画は、パウロが啓示によって知った。その深い意味を知らされたパウロは、その啓示の深さに大きな感動を示している。(ローマ信徒への手紙 十一の33)
イエスがここで、とくにシモンという以前の名前を使ったのはなぜか。それは、シモンという名が「聞く」という意味を持っているからと考えられる。原文には、シモン、シモンという呼びかけのあとに、見よ!(idou) という言葉があり、これは、口語訳や新改訳では、「見よ」と訳されているし、外国語訳でも、behold!あるいは、listen! と訳されていて、注意を強く呼び起こしている。
サタンは常に私たちを振るい落とそうとしている。私たちの罪、苦難、疑い、悲しみ、病気等々、それらにつけてサタンは私たちを正しい信仰の道から振るい落とそうとする。じっさい、それによって振るい落とされて信仰から全く離れてしまう人も多くいる。
そしてそれは人間のどんな固い意志でも、どうすることもできない。死をかけた意志であっても、なお挫折する。そしてたいへんな罪を犯してしまう。ペテロが立ち直ることができたのは、彼の強固な意志でも勇気でもなかった。それらはいとも簡単に粉砕されてしまうものであった。彼を立ち直らせたのは、イエスの祈り、その背後にある愛であった。真の愛であるかどうかの試金石は、祈りを伴っているかどうかである。
人間的な愛情は祈りなくして存在している。至るところにある親子愛、男女愛、また友人同士の愛など、みな信仰などとはまったく無関係に存在している。しかし、そうした愛に共通しているのは、祈りがないことである。神を信じないものにおいては、祈りは存在できない。祈りとは神に向かっての魂の呼びかけであり、叫びであり、交わりであるからである。
主を裏切ったペテロが後に立ち直ることができたのは、イエスの祈りによってであり、愛によるのであった。後に最大の弟子となったパウロにおいても、彼が立ち直ったのは、イエスの愛そのものによってであり、パウロの意志は全く逆のこと、キリスト教を迫害することであった。
ペテロに対する主イエスの祈りと愛は、ずっと持続するものであったことは、彼が三度もイエスなど知らないといって裏切ったときの、主に関する短い記述がそれを表している。
主は振り向いてペテロを見つめられた。(ルカ二十二・61)
真実の愛と祈りは従っているときも、背くときも、変ることなく持続していくものなのである。
イエスの祈りは、ヨハネ福音書にも最後の夕食のときの祈りが詳しく記されている。そこでも、その祈りの最後にある言葉は、やはり主イエスの弟子への愛であった。
…私は御名を彼らに知らせました。また、これからも知らせます。
私に対するあなたの愛がかれらのうちにあり、私も彼らのうちにいるようになるためです。(ヨハネ十七・26)
御名を知らせた、といった表現は日本語ではわかりにくい。そのような表現は一般の新聞や印刷物では見かけることがない。名前とはその本質を表すものとして、聖書の民では重要なものとなっている。天地創造をされた唯一の神の名は、ヤハウェというが、それは「存在」を意味するハーヤーというヘブル語と関連付けられている。
また、イエスや使徒パウロたちもみなユダヤ人であるが、そのユダヤという名は、創世記に出てくるヤコブの息子の一人ユダから来ている。これは、「讃美する」という意味なのである。原語は、ヘブル語でヤーダーといい、「投げる」という意味を持っているが、そこから、言葉を投げる→告白する→(神を)讃美する、あがめるといった意味を持つようになった。
また、イエスという名も、「ヤハウェなる神は(罪からの)救い」という意味を持っている。
このヨハネ福音書で最後の夕食のときの祈りの終わりの言葉が、神の御名を知らせることであり、これからも知らせるという。もうまもなく捕らえられ、処刑されるにもかかわらずである。それは、イエスという存在が、神の愛の本質を知らせる、とくに十字架と復活によって人類にその愛を知らせるために来られた存在であり、イエスが地上から去ったあとも、聖霊により生きてはたらくキリストによって、全世界に知らせ続けるということを暗示している。そしてそれは過去二千年の歴史を見ればその通りであったことが分る。
主イエスは弟子の筆頭ともいうべきペテロすら、言葉でどんなに忠誠を誓ってもそうした人間的意志はあとかたもたもなく崩れ去ることを見抜いていた。そのために、主イエスは祈ったとある。
キリストは復活していまも生きておられる。それゆえその愛もまた、生きて働いているゆえ、キリストに結びついていたいと願うものを主は祈って下さっていると信じることができる。また、こうした祈りへと向かう愛をキリスト者に与えているゆえに、昔から無数のキリスト者が主にあって祈りつづけてきた。その祈りによって私もキリスト者となったのを感じている。私は、キリストが私たちの罪のために十字架で死んで下さった、ただ十字架のキリストを仰ぎ、罪を赦して下さってありがとうございます。と感謝して信じるだけでよいという簡明なキリスト教の本質を知らされた。
それは矢内原忠雄の書いた一冊の本であった。それを書くために彼はどれほどの祈りをささげたことであろう。それを書こうとする心をもキリストが導いたのである。
私もそれ以後も初めて参加した京都の北白川集会の責任者であった富田 和久氏からも、私が大学を卒業して郷里に帰った数年後に再会したとき、私へのひと言は、卒業後も、ある特別な問題を持っていた私への祈りを続けて下さっていたことを直感させるに十分なものであった。
祈りはたえずこうしてバトンタッチされて受け継がれ、無数の人が落ちていくことを防ぎ、守っている。
ヨハネ福音書において、最後の夕食のときの主イエスの長い祈りは、「神の愛が弟子たちの内にあり、私も弟子たちの内にいるようになるため」という言葉で締めくくられている。
これは、同じ最後の夕食のときに言われた有名な言葉、「私の内にとどまれ。そうすれば私もあなた方の内にとどまっていよう。…わが愛の内にとどまっていなさい。」(ヨハネ十五の四節、九節)ということと同じことを最後に祈られたということになる。
主イエスの私たちに対する究極的な祈り、願いはここにあったのであり、それ以後二千年という長い間、このことはずっといまも祈り続けられてきたし、またその祈りによってキリストが人々の内にあり続け、あらゆるこの世の誘惑や悪の力にも打ち倒されずに永遠の真理を受け継ぐものが現れてきたのであった。
聴覚障害者と歌、讃美
耳の聞こえない人にとって、歌うことはどのような意味を持っているだろうか。そもそも聴覚障害者には手話の歌も受けいれないであろうか。
私はもともと高校の理科や数学の教師として勤務していたが、思いがけない神の導きにより、盲学校そしてろう学校でも教師としての経験をする機会が与えられた。ろう学校教育には八年間携わることになった。
まず感じたのは、音楽の美しさが分からないろうあ者にとって、音楽とはなにか、音楽の世界をいかに伝えられるのだろうかということであった。
ろうあ者には、リズムはわかっても音の高さや低さ、またメロディーの流れもわからない。彼らには、音楽のよさは理解することは困難であるのはすぐに分かる。健聴者が音楽で心ひかれるのは、リズムよりまずメロディーの美しさである。それに次いで高い音、低い音の調和した響き、ハーモニィの美しさである。ろう者、とくに聴力損失の度合いがひどい者にとってはこの二つが全く分からないのであるから、音楽の美しさというのは伝えようがない。
私は盲学校に勤務したとき感じたことであるが、そこでは音楽に強い関心のある生徒たちが多かった。目が見えないとか不自由であるから当然聴覚が敏感になり、音楽の世界へと関心は向けられていくのは自然なことであった。
しかし、その後、さらにろう学校に赴任して全く状況が異なることを実際にありありと実感した。私がろう学校に赴任したとき、何十年とろう教育ひとすじに生きてきて、教師たちの指導的立場にあったあるベテラン教師は、補聴器についても県下で随一の見識を持っているとみなされていた。当時は手話禁止であり、徹底した口話教育であったから、当然補聴器に関することもとくに重視されていた。
その教師が、赴任間もない私たち教員に対して、ろうの生徒たちに、例えばベートーベンの交響曲の名曲を聞かせたらどのように聞こえてくるか、というのを実際にその音で聞かせてくれた。
ろう者はほとんどが、高音が聞こえなくなるから、ろう者が補聴器を通して聞いた音声は、驚くべき雑音であった。それはあまりにも、ベートーベンの力強い交響曲とは何の関係もない、聞くに耐えない雑音であった。音楽、ときにベートーベンのピアノや交響曲を好んで聞いていた私にとって、それはとても驚くべきことであったから、二五年ほども経った今でも印象に残っている。
そのようなろうの児童生徒たちに対して、私は少しでも、音楽の世界の美しさに代わるものとして、自然の美しさ、とくに身近な植物や昆虫の繊細な美とそのつくりに関心を向けさせようと努めた。そのため、近くの城山の原生林に定期的に私が教えている全生徒を連れて行き、その植物や昆虫の観察を図鑑をもたせて確認していくことをしたり、市外の山に学校行事として連れて行きそこで自然の美とか力に触れさせようとした。
また、赴任後数カ月で手話の重要性がはっきりと分かったために、さまざまの手話に関する本を購入、そして手話のできる徳島県聴覚障害者協会の人やろう者のキリスト者を訪ねたりして、手話を身につけていった。そこから手話で音楽的ななにかを表現することを思うようになった。
その頃、徳島市の大きな文化会館でろう者劇団の劇と手話の歌を生徒たちとともに鑑賞にいく機会が与えられた。そこでなされていた手話の劇のたくみさもさることながら、私が強く印象に残ったのは、劇団員がやっていた手話の歌の美しさであった。
それは柔らかく、生き生きしており、流れるようななめらかな手話の歌であった。
手話というのが単に言葉の内容を伝えるだけでなく、その表現と表情などから、美しさや感情の豊さをも表すことができるのだと初めて知らされたのであった。
それはある意味では当然である。手足、体全体を使う「踊り」はその手足、また体や表情などの動かし方によって、美しさや感情をもそこから放射することができるからである。手話は踊りではないが、手やからだ、そして表情をも使う言語であり、そこからその表現に美を込めて、また心を込めて表現することも可能となる。
また、もう一つ具体的な例として、今から一八年ほど前に三〇歳台で三人の幼い子供さんを残して召されたFさんは、土曜日の手話を用いる集会に参加しておられた。そこにFさんの家の近くの聴覚障害者のOさんも参加していた。私がなにかをほかの人と話ししていても、Fさんはすぐに、そのOさんに向かって手話をして、聞こえの保障をしていた。私が他の人と話していても、自然に耳に入ることであれば、健聴者と少しでも同じ条件にするために、すすんで手話通訳をしてあげていたのである。そのFさんの手話表現の美しさは今も記憶にある。
こうした手話の美しさは、表現する人が少しでも相手によりはっきり分かるようにという気持とともに、音楽的なものを聞けない人に、少しでも美しい手話表現で補おうとする気持が感じられた。
そのように美しい手話というのは必ずしも多くない。私がろう学校に赴任したころと比べると、手話のできる人は随分増えた。しかし、美しい手話をする人は増えているだろうかと思う。
聴覚障害者がすすんで、手話で歌おう、と言い出すことは少ないだろうし、また「手話の歌は好きか」と尋ねられたら、一般のろう者は、好きでない、と答える人が多いということは当然予想できる。肝心のメロディーが聞こえないからである。
そして、健聴者の伴奏で歌うというなら、その伴奏そのものが聞こえないのであり、音符の長短も高低も分からないので、伴奏が始まったのかどうかすら分からないし、高さに合わせることもできないし、長さも伴奏が聞こえないから正確に延ばして歌うこともできない。
私たち健聴者が、まったくメロディーを知らない歌を、それをよく知っている人のように、伴奏なしでいきなり歌え、といわれているようなものである。しかも、口だけぱくぱく開けている人と合わせてきちんと歌え、といわれているようなものである。そのような条件では誰が歌うのが好きになるだろうか。
しかし、それほど音楽や歌うことには致命的な問題を持たされているろう者でも、歌うことが好きな人たちがいる。それはキリスト者のろう者である。
徳島県では、県下の多くの教会合同の徳島市民クリスマスという催しが毎年十二月に続けられてきた。それは、七百人~八百人収容できる文化会館で行われ、そこで私は十五年以上にわたって、ろうあ者と健聴者の合同でする手話讃美の指導をしてきた関係で、徳島県にあるろうあ者の教会に毎年出向いて手話表現を確定し、ろう者と健聴者ともにその市民クリスマスのとき、手話で讃美することを続けてきた。
また、ふだんのろうあ者の教会の礼拝での手話を用いた讃美にも接したが、ろうあ者が自由に伴奏抜きで手話を用いた讃美を生き生きとやっていることに新鮮な驚きを感じたものであった。
そこでは参加者のろう者キリスト者はみな自由に、不十分ながらも声を出し、手話で讃美しているのであった。
ろう者のキリスト者は毎週毎週教会で歌詞もわかりやすい讃美を繰り返しするのであるから、じっと説教を手話で見つめていることとは違って、自分たちの思いをその歌詞に込めて手話で自由に表現しながら歌うのは信仰の表現であり、また一種の祈りともなり、また霊的に賜物を受けるための表現ともなる。解放感をも与えられることもある。
それゆえに、キリスト者でないろう者にとっては歌など歌う気持にもならないのがごく普通であるのに、キリスト者のろう者は、教会の礼拝での手話讃美は好むという人が大部分になるという大きな変化が見られる。
キリストはさまざまのことを根本から変えていくが、音楽と無縁であったろう者を、手話による讃美が好きになるように変革させるのも、またキリストの力のゆえである。キリストが働くからこそ、毎週同じような讃美を歌っても飽きることなく、ろう者の心を神にむかって注ぎだすことができるのである。
このように、ろうあ者は一般的には、手話の歌を好まないのであるが、キリスト者ではまったく異なる状況となるのである。
そのことは、健聴者にも見られる。歌うことなどまったくしたことのない人が、信仰が与えられると何十年ぶりに声を出して歌ったし、歌うことが次第に好きになっていくという人にも多く出会っている。キリストの力は無から有に変化させるのである。歌うことへの関心は無であったとしても、キリストを信じることによって、そこに歌うことへの関心と興味、愛好が存在をはじめるのである。まさに、無から有が生じているのである。
私のかつてのろう学校教師時代の生徒であった、桑原康恵さん(*)は、私たちのキリスト集会に小学五年のときから参加をはじめ、後にキリスト者となった。彼女はろう者として多方面に活動して各地のろうあ者のこともよく知っているので、ろうあ者の教会で、手話による歌、讃美について、問い合わせたことがあった。
ろう者のキリスト者で、手話による讃美を好まない人はいるかどうかについては、
「いません。好きな人が多いです。
賛美は主をたたえることで、意味も分かり(歌詞の意味を教えてくれるので)、心も慰められることが多いでしょう。」
との答えであった。
次に、桑原さん自身にとって、教会や信仰生活において、手話での讃美をどのように考えているかについて。
「賛美はいろいろあって、歌詞の言葉の意味が文語表現などもあって難しいために、前もって翻訳して賛美をします。
そうすれば、主を見上げながら、自分の気持ちも心から歌い、信仰も強められます。
音はまったく聞こえないけれど、手話で歌えば、みんなも一緒に楽しめます。
一般の音楽では、憧れの芸能人とか、いい歌詞だと歌うろう者もいますが、それに比べて、ろう者が手話歌を使う機会は、教会で歌うことが多い。毎週日曜日に歌うからです。」
(*)桑原 康恵さんは、徳島ろう学校で、幼稚部入学してから小学部、中学1年まで学び、筑波大学附属聾学校中学部転校し、高等部卒業後、筑波技術短期大学機械工学科卒業。三菱自動車本社入社。小学生時代から徳島聖書キリスト集会の土曜日集会などに参加して後にキリスト者となった。現在は手話訳聖書(日本聖書協会が後援)を制作している日本ろう福音協会に勤務してニュースレターの編集を行っている。教会に所属しつつ、ろう者としての活動は、江戸川ろう者協会副理事長・手話事業局長・財務部長。
このように、本来は歌とか音楽の世界とは無縁であったろうあ者がキリスト者となって主日礼拝ごとに讃美を手話をつかって歌うために、音楽とも新たな関わりが生まれ、手話を用いた讃美を愛好するように変えられていく。
手話の歌を日本で初めて手がけたのは、前月号で紹介した、大阪市立ろう唖学校長の高橋潔であった。彼は、前月号で書いたように、指や手、からだの動きを美しい生き生きしたものにして、何とかろうあ者に音楽の世界の美しさ、繊細さを伝えたいと念願し、物語をろう唖の児童生徒たちに読み聞かせるとき、そうして念願をもって手話を使い、指や手の動きを生きたものとしたが、それによって数時間でも、生徒たちは飽きることなくその手話による語りかけに目を集中させたという。それほどの人であったから、当然音楽をも手話により、生きた指や手の動きで表現しようとしたのであった。
そして現在では、手話の歌というのは全国的に行われ、それによって初めて手話に触れる児童たちも非常な数にのぼっている。しかし、ろうあ者そのものは、すでに述べたように、ふつうの歌集にある歌を手話で歌ってくれるようにといっても、そもそもメロディーがわからず、伴奏が聞こえないのであるから、はやさもはっきりしないから当然、健聴者のようにメロディーに合わせられないのである。よほど繰り返しメロディーに合わせて健聴者とともに練習するのでなかったら、健聴者と一緒に歌おうなどといっても、たいていのろうあ者は困惑するだけであろう。
このように、手話の一般的な歌というのは、手話の世界を健聴者に橋渡しするひとつの手段として用いられてきたし、現在もそうであるが、ろうあ者自身は一般の歌集の歌をいきなり手話でするということは、音の早さも十分分らず、メロディーも聞こえない世界にいるのであるから、できないのが普通である。
そのなかでキリスト者となったろうあ者だけは、繰り返し教会で讃美を手話で歌うために、その表現や歌詞にも慣れているので、好んで自分の信仰的な思いを手話にたくして表現できるし、健聴者とともに歌えるのである。
手話の歌がなかったら、例えば、私たちのキリスト集会にも常時二名の聴覚障害者が参加しているが、その聴覚障害者たちにとって、讃美の時間は歌えず、メロディーも聞こえないし、ほかの人たちが歌っていても、単に口がぱくぱくしているだけで何にも伝わってこない。しかし、手話の讃美があるからこそ、毎週の礼拝や家庭集会においても健聴者とともに讃美をすることができるのである。
全盲の人は絵もそれよりはるかにすばらしい大自然の美しさに触れることはできない。夜空の星も見ることができない。しかし、その大空や雲、谷川、あるいはさまざまの風景に接して、それを言葉で効果的な言葉を用いて説明し、草花であればその美しさはわからずとも、その香りを近づけ、そのすがたに手で触れさせ、樹木でもその幹や葉に手で触れさせることによって、自然の美しさの世界をなんらかの形で伝えることができる。実際そのように私は盲学校教師のときに繰り返し生徒たちに実施してきたが、そうすると、生き生きとした関心を持つようになる生徒が多いのである。それは自然のよさが見えずとも伝わるということを証ししている。また成人した中途失明者を、あるとき、近くの山に連れて行き、その樹木の幹などに触れさせることで、大きな心の転換が生じたと言われた人もいた。
絵画においても、見えないから楽しめないのでなく、その絵について適切な言葉で説明し、手で少しでもその構図とか描かれた内容を示すことで、その絵のもっているメッセージを一部ではあっても共有することができる。このようなことは絵にかぎらず、盲学校教師としては普通にやっていたことであった。
聴覚障害者においても、きこえないから音楽は無縁だ、歌は嫌いだ、と即断してはいけないのである。キリストの力はどのようなことにも及ぶのである。
このような音楽と聴覚障害者との関わりによっても、私たちはキリストの大いなる力の一端に触れることができる。それは、事故で寝たきりとなってあらゆる自由を奪われたような人であってもなおキリストへの信仰によって平安を与えられる人がいるし、またハンセン病のような恐ろしい病気で家庭や職業、社会での生活などすべて失われ、自身は病状がひどい場合は、激しい痛みや苦しみがあるうえに、手足の一部を切断したり失明までも生じるといった最も恐れられた病気であるが、そのような病気になってもなお、キリストのいのちを与えられた人は、深い喜びを実感するという人たちが起こされてきた。
音楽のうるわしい世界から遮断されたろうあ者においても、信仰によって讃美という歌を健聴者と共有できるようになることも大いなるキリストのわざなのである。
煉獄篇 第十三歌
妬みへの罰と神の愛
ダンテとその導き手であるウェルギリウスは、ようやく煉獄の第二の環状の道へと上ることができた。
そこでまず気付いたのは、前の第一の環状の道に見られた、山の側面や道に刻まれた彫刻がなにもないことであった。ただ、鉛色の崖と道が見えた。それは、妬みの罪の心の状態を暗示するものであった。重く暗い光沢の鉛、それが嫉妬の魂の状態を示すという。
嫉妬する心は輝きがない。明るいものがない。他者のよいことを喜ぶことができず、かえって心を憂鬱にする。このような心は、他人の不幸を喜ぶということになる。それはまさに重くて暗い心とならざるをえない。
この重い心、暗い心をもっていると、他人にも伝染していく。このような魂には上よりの裁きが与えられ、魂に光なく、喜びもないような状態となる。これは嫉妬する心が受ける罰なのである。
この道に着いたウェルギリウスは、右に行くべきか左に向かうべきか分からなかった。清めの道を歩むことは、理性の力をもってしても方向が分からない。その状況を打破してくれたのが、人間を超えた光である。ウェルギリウスもその光なくば、暗闇にて歩いていかねばならない。
いずれに行くべきか、私たちもしばしば大きな悩みとなる。これが解決されるのでなかったら、まちがった方向へと進んでしまい取返しのつかないことになってしまうかも知れない。
ここでも、ウェルギリウスは、神を象徴している太陽に向かって祈る。
(*)ああ、うるわしい光よ、あなたに頼って
私はこの新しい道に入ります。
この場所に必要な導きによって私を導いて下さい。
あなたは、世界を暖め、世に光を注いでいます。
あなたの光こそ、つねに私たちの導きの光なのです。
(*)O dolce lume a cui fidanza i'entro.(原文)
O sweet light in whose trust I enter on the new path.(R.DURLING の英訳)
「うるわしい」 と訳された原語は、ドルチェ dolce であって、ダンテはこの語を多く用いている。英語では、sweet と訳される。このdolce や訳語のsweet は、うるわしい、心地よい、新鮮な、良い、香りある、甘い等々の多様なニュアンスを持った言葉である。 地獄の苦しみや暗さ、苦い味わいとは全く逆の、快いものを全体として含むニュアンスをもっているこの語が多く用いられている。それは地獄や煉獄の苦しみとはうってかわってうるわしく、心が清められるような、しかも愛すべき実感を抱かせる、そういう目には見えないものを天より与えられる。それをこのdolce という語で表そうとしていると感じられる。
煉獄編においても、この語は四十六回、dolcemente など一部の関連語も含めると五十一回も用いられていることも、ダンテが天に由来するよきものを表すためにこの語を多く使ったのがうかがえる。
例えば、煉獄篇の最初において、地獄の恐ろしい闇の世界のなかを歩んでようやくそこから脱して、煉獄へとたどりついたとき、彼の眼前に広がっていたのは、澄みきった青空であった。
…私の目と心を悲しみで重くした地獄の死の大気から出て、(煉獄の山に)たどりついたとき
東方に産するサファイアのような、うるわしい青い光が
はるか水平線にいたるまで澄みきった大気に満ちて
私の目にふたたび喜びを与えてくれた。(煉獄篇第一歌13~16行より)
青いサファイアのような澄みきった光、それはよどんで暗い地獄とは全く異なる清い希望を象徴するものであり、煉獄の色彩はこの青によって象徴されるべきものとして、ダンテは煉獄の最初にこのような描写をしたのであるが、その青色もまた、うるわしい(dolce)という言葉で表現されている。
私たちにおいても、日々こうした青い色を頭上に広がる青空というかたちで見ることができるし、神は自然のなかにさまざまの私たちへの愛をこめておられるが、ここにもそれが感じられる。
また、天の助けによりようやく煉獄の門が開かれたとき、その扉が開く音の奥の方から聞こえてきた、神への讃美の祈り(テ・デウム 私たちは、神なるあなたを讃美します…)を表すときにもこの dolce を用いている。
「私は扉を開く最初の響きに、顔を向けて耳をすませかが、そのうるわしい音楽に混じるひとつの声のうちに、テ・デウムを聞いた…」(煉獄篇九歌141行)
煉獄においてウェルギリウスやダンテを導くのは、神の恵みであり、それは前途をさし示す光であり、また愛によって私たちの魂を暖めつつ導く。それをダンテは太陽がそうした神の導きを象徴するものとして用いている。
さらに、煉獄篇の最後の部分に現れる、地上の楽園がある。
そこでダンテが出会った女性が「その罪赦された者は幸いなり」と讃美しつつ、そばを流れる川岸を歩いていた。そのとき、その女性がダンテに向き直って言った、「見よ!耳をすませ!」。
突然そのあたり一帯に光が稲妻のように駆けめぐり、さらに輝きを増していった。それとともにその光に満ちた大気のなかを、うるわしい楽の音が鳴り響いてきた。(煉獄篇第二九歌13~22)
このように、煉獄において清められた魂が最後にたどりつく楽園においても、光と音楽に満ちた光景が記されているが、そこでの音楽にもこの「うるわしい」dolce が用いられている。
煉獄の第二の環状の道において、こうした魂には鉛色の重く、暗い心を抱いてかつての妬みの罪を罰せられ、その苦しみによって清められていく。そこで、ダンテを導くウェルギリウスは、私たちを暖め、かつ光をもって導く神の愛をその導きとして祈り願っている。
人間は自分より以上の高いものによって導かれなければ、人間として高みに上れない。単なるこの世の知識はそうした高みに引き上げる力を持たないのである。
地上では、そのウェルギリウスの祈りに答えるかのように、嫉妬の罪への罰をうけている人たちへの呼びかけの声が聞こえてきた。
… 一マイルほどの距離を、すでに私たちは進んでいた。あっという間に。それもひたむきな意欲のゆえであった。
すると姿は見えなかったが、魂の群れが
愛の食卓につくように、と やさしく招きつつ語りつつ
羽音を響かせて私たちの方へ飛んでくるのがきこえた。 (煉獄篇第十三歌22~27)
神を象徴する太陽に向かっていずれの道を取るべきか、その導きを祈ったのち、彼らはたちまち一マイルほどを進んだ。現在においても、上よりの導きを受け、前進への意志がしっかりしているときには、私たちは霊的に進んでいく。
ここで、天使の群れが語りかけた。それは「愛の食卓に付くように」ということであった。
それは何の意味があるのか、このところだけでは不可解な言葉である。嫉妬とは、神の愛とは正反対の感情であり、他者がよくなることを見たくない、他者のよいところが失われるようにという暗い心である。
それ故に、彼らは瞼を閉じられて、その苦しみをもって魂を清められている。そうした人たちには、愛の食卓につけと言われる。神の愛を受けよという霊的な意味でこれは言われている。
そしてその天使たちの第一の声は次の短い一言であった。
「彼らにぶどう酒なし」
それは、このような短いひと言であった。これがどうして嫉妬の罪を犯した者を立ち返らせることに関係があるのだろうか。これは、象徴的な言葉である。
ヨハネ福音書の中でこの言葉は、イエスが行った最初の奇跡として記されている。
…ガリラヤのカナで婚礼があって、イエスの母がそこにいた。
イエスも、その弟子たちも婚礼に招かれた。
ぶどう酒が足りなくなったので、母がイエスに、「ぶどう酒がなくなりました」と言った。
イエスは母に言われた。「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません。」
しかし、母は召し使いたちに、「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」と言った。(ヨハネ福音書二・1~5)
召使たちはイエスの言われるままに、空の大きな水瓶に水を一杯満たして祝宴の場に運んだところ、それが驚くべきことにぶどう酒になっていたのである。
これはそのまま表面的に読むと、ありえないこと、なぜこんなことが書いてあるのか、といぶかしく思うだけの人が多数を占めるだろうと思われる。
また、イエスの母マリアにしても、単にぶどう酒がなくなって困ったことをイエスに知らせただけで特別な意味も感じられないという人が多いだろう。
しかし、「(彼らに)ぶどう酒がなくなった」という言葉は、人間の欠けたところを思いやる愛の心の象徴的表現なのである。この世は至るところに欠けたもので苦しんでいる。金がない、医療がない、薬がない、また教育の設備もない、食物もない、平和がない、ゆとりがない、真実がない、思いやりがない等々。そうした欠けたものがはんらんしているこの世において、それを目ざとく見出してそこに良きものをもって補おうとすること、それがこのさりげないように見える言葉に隠された意味なのである。
しかもそれを単に誰にでも言うのでなく、わざわざイエスに告げている。欠けたものを人間に知らせたところで欠け多い人間は埋めることができない。それができるのは、ただ主イエスのみである。
欠けたものをイエス(神)の持っているもので満たそうとする、そこに愛がある。婚礼が、愛を象徴する出来事としてここでは用いられている。
天使たちが、「愛の食卓につくように」と呼びかけたのは、この欠けたところを補って下さる神のもとに行くことなのである。すべてを補うことのできるイエスのもとに赴くこと、それはすなわち愛の食卓につくことなのである。
主イエスは、人間すべてが欠けた存在であることを深く見抜いておられた。「彼らにぶどう酒なし」、人間には本当に必要なもの、一番大切なものが欠けている。使徒パウロは、すべての人間は、真実な歩みができないし、愛がない、正しいものでないと深く知らされていた。そのことを人間はすべて罪を持っているといっている。
欠けている者を見て非難するのでなく、それを神の国の賜物で満たして下さる主イエスへと連れていくことの重要性がここにある。
その声が終わったとき、また新たな声が聞こえてきた。それは、ギリシャ神話に現れる物語に登場するある人物の声であった。それは、親友のために自分の命をも顧みないで、自分が身代わりに殺されるということを甘んじて受けようとした人の声であった。これは新約聖書にも最も深い愛であるとして記されている。
…これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。
わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。
友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。 (ヨハネ十五・11~13)
そして聞こえてきた声の第三番目は、「なんじの敵を愛せよ!」であった。このように、嫉妬の罪を犯してその罰を受けている魂たちがその苦しい罰のあいだにも絶えず語りかける声によって、嫉妬という暗い感情から決別していくという仕組みになっている。
こうして、この環状の道での鞭は、愛ということを中心として、ここにいる魂たちに呼びかけがなされている。それゆえ、次のように言われている。
…この環状の道では、妬みの罪を鞭打つところなのだが、
そのために鞭は愛によって打ち下ろされるのだ。(37~39行)
愛によってなされたことを直接に、煉獄にいる魂に語りかける。それが鞭になる。それは馬を扱うときに使われるものをここで意図されている。適切な鞭を受けると、馬は困難な道を乗り越え、苦しみをも耐えて前進し、走りつづける。それと同じように、人間を最も適切に前進させるには、愛でより合わされた鞭が最も力を発揮する。
主イエスは、まさにその愛の鞭を与えるお方である。鞭であるというのは、私たちにさまざまの苦しみが襲うことである。事故や病気、自分の失敗や罪、また人間関係の複雑さや敵意、裏切り、背信行為、侮辱や無視を受けること、自信喪失等々、私たちをおそってくるさまざまのことは、鞭である。それは偶然的なわざわいに見える。あるいは悪い人が意図的に仕掛けてくる行為だとみえる。さらに運命という得体の知れないものが私たちをおしつぶそうとしているのだと思われることもある。
しかし、そうしたすべては、実は愛の鞭であったのだと、後になって気付かされることは何と多いことであろう。信仰を与えられて生きるということは、こうした愛の鞭を繰り返し受けていくということなのである。
神に選ばれた者―キリスト者は、生じるすべてがともに働いて良きに転じると約束されている。私たちが自分にふりかかるすべてを最終的に良きに転じていくのだと、信じることができるとき、それは愛の鞭として受け取ることができているということになる。
ダンテは導いていたウェルギリウスから指摘され、目をこらして見ると、その環状の道には周囲の岩と同じような鉛色をした服を来ている魂たちがいた。重く、暗い鉛色とは、他者のよいところを見つめようとせず逆に引き下ろそうとする妬みを象徴しているものであった。
しかも彼らは、それぞれが互いに肩で支えあい、また後ろの岩にもたれて体を支えていた。こうした姿は、他者を妬み、引き下ろそうとするような悪しき心の魂はみずからを支えることができないということを象徴しているものであった。他者がさらによくなるようにと願う心は、自分もまた神に祝福されて強められる。み心にかなったよき心は、相手をも自分をもよくするものであるが、他者が悪くなるようにといった思いはみずからの内部のよきものをも壊し、力を失い、自分を支えることもできない状態となっていく。
しかもここにいた人たちは、その目は、そのまぶたがことごとく針金によって縫われていたのである。他者のよきところを見て、それを否定しようとする心は、自分で立つこともできなくなるだけでなく、さらに見えなくなる。まぶたを閉じて、静まらねばならないのであった。私たちにおいても、他人のよいところ、自分より優れたところを正しく評価し、さらにそれがよくなって神のため人のために用いられるようにと願う心が生まれるには、静まって神を見つめなければならない。主を前において初めて私たちは他者を正しく見つめ、その欠点や長所を知り、その欠点が正されてよくなるように、よきところはさらによくされるようにと願う心が生じる。
ダンテはこのような姿を目にして、思わず涙があふれてきた。ダンテはこのすぐあとで、「私の目もやがてここで縫われてしまうだろう。」との予感を記している。
この神曲の全体にいえることであるが、地獄にせよ煉獄にせよ、全く自分とは関わりないものとして見るのでなく、絶えずそこに深い共感をもって見つめるまなざしがある。罪を犯してしまった魂たちに対しても、自分ももし神の助けと憐れみがなかったら、そのようになっていたのだという実感がある。その実感が神曲に生き生きとした描写を与え、私たちにも伝わってくる。私たちもまた、そうした表現によって地獄や煉獄、また天国にあるさまざまの人間のことを自分のこととして、また自分に与えられる約束として感じ取っていくことができる。
そこにいた人々のうち、一人がダンテを待ち受けているとみえた人がいた。その魂は女性で、生きているときには妬みが強く、愛なきものであったことを知らされ、ここで自分を助けてくれる方(マリア、ペテロや天使ミカエルなど、とくに強い信仰に生きた過去の人たち)に涙して祈りつつ、生きていたときの罪を浄めていると言った。彼女は、生前には他人がひどい目に会うと自分が幸いなことを喜ぶことより、他人が不幸な目にあうことを喜んだほどであった。しかし、こうした愛なき人間であったが、死が近づいたときには、その罪深さを知らされて悔い改めたゆえにこの煉獄に入ることができ、ここでこうして罪を浄めているのであった。
その女性は、ダンテに対して、祈りで私を助けてくださいと願った。煉獄の人たちの歩みは、地上の信仰深い人の祈りよってより早められるからであった。
このことは、地上に生きて何らかの苦しみによって浄めを受けつつ神の導きで生きる私たちにもあてはまる。この世は相互に深い関わりがあるように造られている。自分だけで生きているのでなく、無数のひとたちの共同のはたらきで私たちは生きている。そのことは少し立ち止まって考えるとすぐにわかることである。
私たちがそもそも成長できたのは、親のおかげであるし、多くの知識も過去に生きた人たちの知識、書物により、学校教育による。また毎日食べる食物、また衣服、交通機関、道路、病院、医者、等々だれかがそこにかかわって他者をささえることになっている。さらに食物は植物に由来するが、それは太陽や空気、水によって成長する。そうしたすべてはその背後の神によっている。このように、無数の人間や自然、その創造主たる神によりて支えられて私たちは現在がある。
さらにそうした目にみえるものだけでなく、目に見えない心のつながり、支えも網のように複雑に関わり合って私たちの日々がある。そのような関わりのなかで生きることを知らされたものは、おのずからそこに神の御手によってそのつながりが織りなされるようにと願うようになる。それが祈り合うということである。
ダンテの神曲について
神曲についていろいろな人たちがどのように受け取っているか、その批評とか感想、研究などは数限りなくあると考えられる。ここではその一端を記してみたい。それによって、この神曲が歴史のなかで、どのような役割を果たしてきたのかを知る参考になり、私たちもいっそうこの作品の重要性について知らされると思われるからである。
・ダンテの神曲は普遍の真理の源泉であり、不朽の芸術の殿堂である。時代は移り、人は変るとも、ダンテはその神曲のゆえに人類の教師として永遠に立つ。(一九二八年出版の「ダンテ神曲序説」青山学院大学教授 高柳伊三郎著の紹介文。)
・地獄編は、最も話題となってきたものであると共に、最も近づきやすい作品である。しかし、ダンテの詩人としての偉大さを最も完全に現されているのが煉獄篇なのである。(PURGATORIO:DURLING MARTINES オックスフォード大学出版局から発行された神曲の翻訳と注釈付翻訳の著者。)
・確かに、神曲は、人間によってかつて書かれた単一の詩としては、最も偉大なものである。それは、人間のあらゆる面を包み込み、永遠的なかたちにしたといえる。おそらくシェークスピアの全ての作品を合わせたものがそれに比べられるものと言えるだろう。(John Ciardi-アメリカの詩人、ダンテ翻訳者1916-1986 THE PURGATORIO の序文)
・ダンテによって、真理を見る目が開かれるであろう。何となれば、ダンテが真理を見る目を開いて自分の生活と周囲の世界を観察した人でありますから、ダンテの精神に私どもが触れるならば、私どもが真理によって心が燃やされることができるだろうと思うのです。…
ダンテの書いたものにぶつかっていくと、全部は分からなくても、あるいは部分的に誤解をしても、ダンテの真理に対する愛、あるいは真理に対する熱心にふれることができる。(「土曜学校講義」矢内原忠雄著 第五巻九頁 みすず書房)
・一九〇〇年の教会歴史上に信仰の偉人は多い。しかし、永遠の世界を自分の住所とし、見えざるものをかえりみ、天にあるものを思うことにおいて、だれか詩人ダンテに並び得たものがあろうか。
ダンテの内的生活は、探れば探るほど深き驚異である。…
神曲の行程はダンテの全生涯の歴史である。彼は、生涯のある時期にとくに短い期間を限って地獄、煉獄、天国の三界を巡歴したのではない。見えざる永遠の国は実に彼の魂が常に住んでいたところであったのである。天にいつもかれは座して、そこからすべての秘められた世界を見下ろしたのである。そしてその長い間の実経験を綴ったものがかの偉大なる神曲である。(「神曲瞥見」藤井武全集第七巻 五二六頁 岩波書店一九七一年刊。 藤井武は、内村鑑三の信仰上の弟子の一人。1888~1930)
・私は神曲が、当時の現実の社会や国家に関する興味や人間に関する出来事についてもっている深い関連、それらを考えることによって神曲の意義が一層深く認められ、ダンテに対する我々の理解が真に生きてくるものと思っている。
彼が、神曲の中で取り扱った数多くの当時の人物や事件は、神曲の趣旨を明らかにするために引用された例証ではなくして、それらの人物や事件こそ、神曲の生命であったと思われる。
それらのものなくしては、神曲は単なる平面的叙述にすぎない、そのモザイク画のような平面性に彫刻的な立体性を与えたものは、以上の現実的な人物及び事件であった。
そこに神曲の近代的特色があり、ルネサンス人としてのダンテの明らかな立場がある。(大類伸 1884年 - 1975年、西洋史学者、東北帝国大学教授。)
・早稲田の文科の学生として、島村抱月先生からダンテの「新生」の名を聞いた。…まもなく私たちは英訳を通してダンテの神曲をやはり抱月先生に読んでもらったものであった。あのころの私たちにとってはダンテの作品というものはふつうの芸術品というばかりでなく、未知の世界からもたらされた尊い神品といった感じを与えたものであった。
私たちはダンテの一句一句を感激に燃えて聞いたものであった。私はただ漠然として文科に入ったものであったが、抱月先生からダンテの作品について講義を聞くときだけは、文科にはいったことを幸福だと思った。
先生の講義はたいてい朝八時からであったので、霜の深い朝、私たちは早稲田のストーブもない古い文科の教室でふるえながらもダンテの神曲を聞いたものであった。寒くはあったが、ダンテの神曲を聴くにはおごそかな冬の早朝がふさわしいようにも思った。(吉田弦二郎 1886 - 1956年は、小説家・詩人・歌人・俳人・随筆家)
・神曲の偉大さはそれを読んでみないと分からぬ。そのあらすじを書いたり、解説したりしたのでは、読まない人にその偉大さを伝えることは到底できない。ラスキンは、神曲の中のある部分の詩を人の力では企てることの難しい奇跡だと言い、ゲーテは、この詩のある部分を人類の手になる詩歌の最高のものであると言い、ヘーゲル、ショーペンハウエル、シェリングなどの哲学者たちは、この詩の研究を生涯捨てなかった。…
地獄の激しい風に吹かれつつ、双影相抱いて離れぬ男女の霊を招いてフランチェスカの悲恋の物語を聞くくだりをはじめとして、神曲は、後世の無数の詩歌悲劇の源泉となっていることは周知の事実である。
この名篇において、彼が独創的であるのは、中世時代そのものも集約的に表現している点にある。そして、その個々の物語に生き生きとした現実感を与えて、読者の心霊にこの作品において、錐のごとく迫る力を与えた点である。…実にこの神曲は人間の想像力が生んだ最高の創作のひとつであると言えよう。(平林初之輔。作家、文芸評論家。1892 - 1931年)
・神曲の全編は、じっさいにおいてダンテの世界観、宗教観、恋愛感、社会批評、人物論などの一大集成であって、歴史としても、哲学としても、文学としても興味のつきない宝庫である。神曲のなかで、地獄篇が最も一般的に知られているが、天国篇を最も高く評価している人(*)もあるゆえに、最後まで玩味してみたいと思う。
形式の方からいっても、いかにもよく整ったもので、中世イタリアの大聖堂建築を見るように、厳然たる統一の美を示している。
彼はこのために、骨身を削るような思いをして書いたのである。このことは、天国編第二五歌の書き出しのところに、詩聖みずから、悲痛な哀音をもって歌っているのである。(**)
(大槻憲二、戦前、フロイトを日本で初めて本格的に紹介し、病める者の立場に立った人道的な「精神分析」を主張した在野の精神分析学者)(以上四名の文は、一九二九年発行の新潮社 世界文学全集の月報より)
(*)T・S・エリオットなど。
(**)天も地も、制作の共労者であるこの聖なる詩、
それゆえに幾年もかけて私をやせ細らせたこの詩…(天国編第二五歌1~3行)
・…何と喜ばしいことか、神曲は今、私の書となった。私が永く所有することができるものとなった。私は人のいない所において、はじめてこの書を読む時を待ちかねることになった。
この書を読んで私は生まれ変わったようになった。ダンテは実に私のために、新たに発見した「アメリカ大陸」というべきものとなった。
私の想像の世界は、今だかつてこのように、広大にしてこのような豊かなる天地を見たことはなかった。
その岩石、何とけわしくそびえ立っていることであろうか。また、その色彩は、何と美しく輝いていることか。私はこの作者ダンテと共に憂い、作者とともに喜び、作者とともに当時の生活を詳しく見ることができる。
…ダンテの描写が真に迫る生きたものであるため、その状況が深く私の心に彫りつけられたためであろうか、昼は私の心にあり、夜も夢の中にもそれが現れるほどであった。
(アンデルセン「即興詩人」95頁~筑摩書房。これは童話作家、詩人として有名なアンデルセンの自伝的小説であり、アンデルセンの若き日二八歳のときに一年数カ月をイタリアに旅したときの日記をもとにしたものである。いかにアンデルセンが神曲に強い印象を受けたかがうかがえる。)
・神曲は、偉大であるだけに、やや親しみ難いような感じを皆に抱かせる中世最大最高の詩巻…。この神曲は、その当時の人々から「聖なる コンメディア(DIVINA COMMEDIA)」と呼ばれてきた詩巻は、地獄、煉獄、天国の三界にわたって、高く飛翔する幻想と、深奥な中世神学に加えて、するどい直感をもって偉大な詩人の目に映じた、生き生きとした中世の現実の世界の絵巻を、如実にその百段(百歌)に及ぶ歌に繰り広げ、描きつくしていくので、力の弱いいわば末世の私どもには、容易にその足跡に付随していくのが赦されないような感を抱かせるものだった。…
しかし、ダンテの詩編は、そうした困難や、ときには難解さやあるいは忍耐力に、十分以上に報いるだけの価値を持っている。それは美的とか、芸術的文学的とか、宗教的、また倫理的といった規範を越えて、さらに広いあるいは高い次元の本源的なものの価値だといえよう。
(呉 茂一 1897~1977年 は、古代ギリシア・ラテン文学者。日本西洋古典学会初代会長、東大大学院西洋古典学主任教授、名古屋大学教授、ローマ日本文化会館館長など歴任。メロスの詩編の翻訳が有名)
・まず、神曲を開こうとする者は、自分に問わねばなりません。単にダンテをよく知っている人たちの仲間入りをしたいのか、あるいは、あなた自身が人間として正しく生きるための力や洞察を得、さらに自分の生きる道の導きを求めようとしているのかということです。…
ダンテは軽い読み物ではありません。「尊厳なものは重い」からです。しかし、その深いところまでも、すべて理解できるものであり、哲学的に深いところであっても、分からないことはありません。…
ダンテは聖書と同様、自分で読まなければならない本であり、何度も繰り返して静かに思いをひそめることによってのみ、しだいしだいに入って行けるものなのです。
ダンテはすでに多くの人々にとって、より高い生活への指導者となっていますし、おそらく現代においてこそ、ますますそうなるでありましょう。なぜなら、地上の「悩みと疑惑の荒涼たる森」(地獄篇第一歌)から抜け出す正しい道を、現代の多くの人々はもはや見出しかねているのですから。…
私は、ダンテに対して最も理解あり、最も博識である注解者の一人(*)の言葉を引用し、これに賛意を表しておきましょう。
「ダンテを読むは、これ一つの義務なり、
そは、再読反復するを要す、
そを感じ得るは、すでに偉大さの証明なり。」
Leggere Dante e un dovere,
Rileggerelo e bisogno,
Sentirlo epresagio di grandessa.
(leggere 読む、 e ~である、dovere 義務、Ri-繰り返し leggere 読む lo それを、bisogno 必要、sentir 感じる presagio 前兆、予見 grandessa 偉大さ )
(*)ニッコロ・トマセオ (1802-1875 イタリアの詩人、辞書編纂者として有名。ヒルティと同時代の人)
(ヒルティ著作集第六巻283-288pより、邦訳名は「愛と希望」となっているが、原題は「Briefe」で、「書簡集」の意。教育や人生、人間の目的、キリスト教信仰などについて、手紙のかたちで書いた論文集 白水社刊。)
ことば
(305)不当な苦しみ
…だから彼らは無益に死んだのではありません。神は依然として悪から善をうみだす道を備えておられます。歴史は繰り返し繰り返し不当に受ける苦難には、贖罪の力があることを証明しています。この少女たちの罪なくして流された血は、この暗黒の町に新しい光をともす贖罪の血として奉仕しているといってよいのであります。(「マルチン・ルーサー・キング自伝」二七七頁。日本キリスト教団出版局)
・このキング牧師の言葉は、一九六三年九月一五日にバーミングハムの教会において、日曜学校出席中の四人の少女がダイナマイトによって爆殺された事故に関して言われている。こうした事件による死でなくとも、キング牧師が言おうとしているのは、不当に受けた苦難、迫害、事故などは、他者の罪による罰を身代わりとして受け、他者を救いへと導くはたらきをするということである。キリストの受難こそはこの贖罪の完全なすがたであるが、のちの時代に生じているさまざまの不当な苦難とみえることもみな、このキリストの受難の小さき形なのである。
(306)愛
愛はこの世で最も長続きのする力である。この創造的な力は、私たちのキリストの生涯のなかに実に見事に例証されている。この力は平和と安全を求める人類にとって、手に入れることのできる最も強力な手段である。(「キング牧師の言葉」七四頁 日本キリスト教団出版局)
・ 一人一人の人間もまた、国際的な問題においてもだれもが平和と安全を求めている。しかし、人間社会では、金や権力、地位、あるいは国際的問題においては、駆け引き、不信などが横行し、武力を行使することもつねにはらんでいる。だが、最も永続的に力のあることは、キングが述べているように、神の愛である。その愛の力こそが今日最も必要とされている。
(307)歴史の中枢
私は歴史をひもとき、国は興きてまた滅び、民族は一時的に栄えてもまた衰えるのを読む。 そうしたなかにただ一つ、時代がすべてを破壊していくなかにあって、揺るぎなく天に向かってそびゆるものがあるのを見ることができる。
これこそ、キリストの十字架である。
世はいかに変わろうとも、十字架はその光を放って止むことがない。万物ことごとく砕かれようとも、十字架のみはひとり残って世界を照らすであろう。
十字架は歴史の中枢なのである。人生のよって立つ不動の岩である。これによるのでなければ、強固なるものはなく、永遠の命もない。ほかのものはみなすべてカゲロウのごとくはかないものである。十字架のみが、限りなく存在し続けるものなのである。(内村鑑三著「聖書の研究」一九〇四年五月)
・キリストの十字架は、神の愛とは何か、また人間の根本問題とは何か、そして人間はいかに生きるべきか、救いとは何かといった最も重要な問題をすべて包み込んでいる。神の人間へのお心が最も端的に現れている出来事であり、それゆえに永遠的なのである。
お知らせ
○第三六回 四国集会は、愛媛県の松山聖書集会の主催で、今年五月十六日(土)~十七日(日)に松山市で開催されます。問い合わせは、冨永 尚氏まで。電話 0893-52-2856 住所 大洲市長浜甲271番地 E-mail:t-tominaga@r7.dion.ne.jp
○キリスト教・無教会青年全国集会
去年の徳島でのキリスト教・無教会全国集会のときにすでに話しが出ましたが、今年の五月五日~六日(いずれも休日)に、名古屋で、キリスト教・無教会青年全国集会が行われるとのことで、小舘
美彦さんを中心にして準備が行われています。詳しいプログラムなどは、近いうちに作成されると思われます。
○集会讃美集(USBメモリ版、SDカード版)
主日礼拝や夕拝、各地の家庭集会などで讃美をMP3形式で録音したもの、USBメモリ(64MB~250MB程度の容量のもの)またはSDカードに入れて希望者にお送りできます。費用は送料とUSBメモリ代金含めて三百円~五百円。一個のメモリに、五〇曲~一五〇曲入れることができます。これは以前から紹介してきた、MP3対応
CDラジカセ、パソコンまたはUSBメモリプレーヤなどで聞くことができます。ただし、MP3対応CDラジカセでSDカードの音楽を聞くには、メモリカードリーダー(千円程度)が必要です。
多くの無教会の集会では、讃美歌だけしか使ってこなかった、というところも多く、また日本キリスト教団や改革派などの教会でも讃美歌や讃美歌21だけしか使っていないところも多いということをそれらの教会員の人からも聞いています。
それでより多くの讃美を知りたいという方のために、私たちのふだんのキリスト集会の礼拝で讃美しているのをそのまま録音したのをお送りすることができます。
ただしこれは録音したものを十分編集する時間もとれないので、雑音なども入っていることがあります。多様な讃美を少しでも紹介するものとして聞いていただくのが目的です。
希望の方は、吉村 孝雄まで申込ください。
・なお、これと似た内容ですが、綱野 悦子・集会賛美集CD 歌詞付きもあります。一枚に三〇曲ほど入っています。送料とも一〇〇円。
○一月に発行した「野の花」文集は、追加申込にも応じることができますので、希望者は申込してください。一冊送料共で二〇〇円です。
○なお、次のものもお送りすることができます。
これらは、以前からかなり多くの方々からの希望があったのですが、現在でもときどき問い合わせや購入希望があります。
・去年の徳島市で開催された無教会(キリスト教)全国集会の録音記録(MP3版CD)
なお時折希望がありますが、MP3対応のプレーヤを持っておられない方、ふつうの以前からのCDラジカセしかないという方には、一般のCDラジカセでも聞けるかたちに造ってお送りすることもできます。
・毎月の主日礼拝と夕拝(火曜日夜)の全内容の録音CD。(MP3版)
・MP3版のCDを聞くための、プレーヤ。これには、携帯用のもの(手のひらにのる大きさ)と、MP3対応のCDラジカセ。
・ダンテの神曲・煉獄篇の読書会での講話の録音CD(これはふつうのCDで聞けるもの、MP3版双方の希望に応じることができます)
・神曲のテキストも、一月号の「いのちの水」誌に紹介しましたが、もし何らかの事情で書店に行けないとか入手が難しい方は、希望があればお送りできます。その場合には、三種のうちどれを希望するかを書いてください。(平川訳、寿岳訳、山川
訳の三種が購入可能ですが、口語訳で最も分かりやすいと言えるのは、平川訳です。注は寿岳訳のが詳しいです。山川訳は、三つの中では一番古くからある訳。文語で格調高い訳ですが一般にはわかりにくいと思われます。)
・集音器 価格 八〇〇〇円。 (送料共)
編集だより
○ダンテの神曲
今月号にも、ダンテの神曲の煉獄篇の一部についての感想、あるいは簡単な説明を書きました。不十分なものですが、神曲に関する解説の類は日本のキリスト教界でも、一般のキリスト者のためのものはごく少ないために、何かの参考となり、この大作を学ぶ人たちが起こされて私たちのキリスト教信仰や考え方を強め、あらたな力をも与えられることにつながればと願っています。
ダンテの神曲は、世界史の教科書にも出てくる有名な作品ですが、一般の人々にとってだけでなく、相当読書を重ねているような人であっても、あまりきちんとは読まれていないようです。その点では聖書も似たところがあります。有名だけれども心して読まれていないということなのです。それは、日本では、神曲全体の注解書というべきものが皆無に等しい状態であるということからみてもわかります。唯一とも言えるかなり詳しい説明がある本は、経済学者であった矢内原忠雄が、戦時中、土曜日に有志を集めて講義したものが刊行されたものくらいです。
来信より
○「いのちの水」誌一月号の「最も重要な課題」を繰り返し拝読して、教えられ感謝です。私の信仰の出発点が「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。」(マタイ六・33)でありましたから、感慨深く、初心にかえって学ばせていただきました。(関東地方の方)
○…毎月の礼拝CDでは、吉村さんの聖書講話が、実にありがたいことに丁寧で、信仰を持っている者にも、持っていない者にも、何とかみ言葉の深いところを分からせたいとの思いが伝わってきます。
日頃よく使われているみ言葉であっても、その内容とするところが、何となく分かった気持でいることがありますが、それを砕いて説明されていること、ひとつのみ言葉が聖書のあちこちのみ言葉と関連することを、じっさいに聖書のページを開く時間をも取って教えて下さることなど、大変ありがたく存じています。(東北地方の方)
・私たちの礼拝CDは、デジタル録音機二台によって日曜日の礼拝と火曜日の夕拝の二つの内容をすべて録音し、CDにMP3の形で録音したものです。毎月、八~九回の礼拝の録音です。祈りや讃美などもすべてそのまま録音されています。また、テープと違って、まず録音された音質が明瞭であり、○月○日の夕拝とか讃美、あるいは主日礼拝の祈りだけとか、必要な部分だけを取り出して聞くこと、つまり頭出しが即座にできること、一か月分の録音がCD一枚になって送付や取り扱い、保存もとても便利であること、また制作や発送の手間、送料など、どの点からいっても、テープよりずっとよいものです。