蒔かれるときは朽ちるものでも、朽ちないものに復活し、 |
2009年4月 578号・内容・もくじ
新入の季節
三月の卒業や退職など、別れの季節とは対照的に、四月は、新芽が次々にふくらみ、若葉も出始め、桜の花が一面に咲いているときに、新入社員や入学者の姿に接して、周囲の自然ともあいまって若々しく新鮮な気持になる人が多い。
しかし、それも短い期間であって、一か月もすればそうした新鮮さ、生き生きとした気持はなくなっていく。
この人生そのものも似たところがある。若いときには一般的にいえば、次々と新しいことを学び、学校も変わり、新たな経験をしていく。夢も希望もある。
しかし、だんだん年をとると、次第に新たな行動はできず、体力や知力もすべて衰えていくし、かつての仲間もいなくなる。
こうした古びていく感情をどうすることもできない。病院や施設などに入院して長くいることになるとそうした傾向はいっそうひどくなるであろう。
そのような私たちに対して、つねに新しい気持で、新しい力を与えられ、新しい経験をしていく道を聖書は指し示している。
… だから、わたしたちは落胆しない。たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく。(Ⅱコリント四・16)
私たちは、日々、目には見えない神の国へと新たな入国を許されている。そこでは絶えず私たちの霊的な本質が新たにされていくゆえに、周囲も新しいものと感じられる。私たちが内的に一新されるほど、外の世界はそのままのようであっても、新たなものを感じ取っていく。
聖書の言葉も何度繰り返して読んだところであっても、あらたな霊的なものを感じ取ることができるだろう。
例えば、「神は愛である」このひと言にはどれほどの深く広い意味があることだろう。このひと言すら私たちは卒業してしまうことは有り得ないのである。
神は愛ならば、どんな苦しみにある人にも必ず時至れば救いの手は伸べられるであろう。何の助けもなく死んでいったように見えても必ずその魂は最善のところへと導かれていくであろう。
あの、金持ちの家の前で食物の残り物でも食べられたらと願っていた乞食のラザロ、犬にまでなめられていた人であったが、死後アブラハムのもとに導かれたという主イエスの話を思い起こす。(ルカ福音書十六・20)
私たちがどんなにみじめな状況に陥って周囲の人たちから見下されることがあっても、なお私たちは絶望することはない。それはそのような落ちこぼれた者をとくに見つめて下さるかたこそ、愛なる神だからである。
神が愛であるならば、その愛によって創造された周囲の身近な草木、青い空や雲などもまた、その愛が込められていることになる。それゆえにそうしたものからも、神の愛を感じ、くみ取ることができる。
日々、聖なる霊が注がれるならば、私たちはこうした受け止め方を絶えず新たに教えていただくことになるであろう。 毎日毎日が、私たちにとって、御国への入国の日々でありたいと思う。
枯れた者の復活
復活とは、今の状態からだんだんよくなる、ということでない。今の状態はよくならない、だんだん悪くなっていく、衰えていく。
だが、そのような死んだようなものが命に満ちた存在へと変えられる、ということである。
一度葉も落として実もなくなり、枯木のようになっていた樹木が春になって、新たな命によって芽が出てくる。そして花を咲かせて実をみのらせる。冬の間、働きを止めていた命の力が春になって新たに吹き出したのを豊かに感じさせる。
同様に、肉体の力も弱り、よき実もない者、枯れたようになっていた者たちが、新たな命を与えられること、それが復活である。このことは、すでに旧約聖書の預言書(エゼキエル書)に示されている。
預言者エゼキエルは、あるとき神から見せられた光景の意味について啓示を受けた。そこでは枯れた骨、徹底的に枯れてしまった骨が大量にあった。
「我々の骨は枯れた。我々の望みはうせ、我々は滅びる」と彼らは言っていた。
しかし、そのような絶望的状態のなかで神は言われた。
…主はわたしに言われた。「霊に預言せよ。人の子よ、預言して霊に言いなさい。主なる神はこう言われる。霊よ、四方から吹き来れ。霊よ、これらの殺されたものの上に吹きつけよ。そうすれば彼らは生き返る。」
わたしは命じられたように預言した。すると、霊が彼らの中に入り、彼らは生き返って自分の足で立った。彼らは非常に大きな集団となった。
(エゼキエル書三七章9~10)
このエゼキエル書にある啓示は、ユダヤ民族全体が大国、新バビロニアに滅ぼされ、多くの人々が千数百㎞もの距離があるはるかに遠い現在のイラクのチグリス、ユーフラテス川河口近くまで捕虜として連れて来られたのであって、そのままであれば、当然その民族は滅びて消え去っていた。しかし、そこに大いなる奇跡が生じてユダヤ民族は生き残り、それから六百年近くも経って、キリストがそのユダヤ民族から出ることになった。
それは神からの大いなる風、神の霊がその枯れはてた骨に吹きつけたからである。神の霊が吹きつけるとき、どのように枯れた者であっても、新たな命が与えられる。
また、そうした枯れたものを生かす力、それはそれよりもっと古いモーセの時代にも記されている。
…モーセは、それらのつえを、あかしの幕屋の中の、主の前に置いた。
その翌日、モーセが、あかしの幕屋にはいって見ると、レビの家のために出したアロンのつえは芽をふき、つぼみを出し、花が咲いて、あめんどうの実を結んでいた。
( 民数記十七・7~8)
私たちも、主イエスにつながっていなければ、必ず枯れていく。人間のことばかりを思っていたら枯れていく。人間は新たな命を与えることは決してできないからである。
主イエスも、次のように言われた。
…わたしにつながっていない人がいれば、枝のように外に投げ捨てられて枯れる。そして、集められ、火に投げ入れられて焼かれてしまう。 (ヨハネ福音書十五・6)
大多数の人々にとって、死んだら終わり、という実感であり、常識であろう。
しかし、その常識を根底から打ち破るのが「復活」という真理である。死んだものがよみがえるなど、そんなばかなことはないと思う人が大多数であるが、他方では、そのような考えられないことを実際に体験し、自分はまさに死んだものであったのに、全く新たな命を頂いた、と実感する人たちはこの二〇〇〇年の間で無数に全世界において生じてきた。私もその一人であって、そのことがあったからこそ、過去四〇年という長い年月をも人間からは与えられない力を与えられて歩んでくることができた。
復活ということが分るためにはどうしたらいいのか、死人がよみがえるなど信じられない…、そのような気持を大多数の人は抱いている。そしてキリストは、そのような人間の通常の感覚に対して今も言われている。
…わたしは復活であり、命である。(ヨハネ十一・25)
キリストが分ると復活はおのずから分る。キリストご自身が復活そのものであるから。 キリストが分るためには、キリストの霊、あるいは生きてはたらくキリストが私たちの魂に宿ることによって最もはっきりと分らせていただける。
キリストの十二人の弟子たちも、すべてを捨てて主イエスに従い、三年間も主イエスの教えを直接に聞いたし、さらに病人をいやし、盲人の目を見えるようにし、悪の霊によって異常な状態になっていた者からその悪の力を追いだして救い出す、等々その驚くべき神のわざをもつぶさに見ることができた。
それにもかかわらず、弟子たちも復活を信じることはできなかった。イエスがわずか三年で捕らえられ十字架につけられて罪人として処刑される、ということも全く信じられなかったから、その後にあるはずの復活を信じるなど到底できなかったのである。
それほど復活ということは信じがたいことであった。
しかし、のちに弟子たちは信じるようになった。復活に対する確信こそは、キリスト教が告げ知らされていく出発点となったのである。
なぜだろうか。それは聖なる風(霊)が彼らの魂に吹きつけたからである。聖霊はそのように、教えを聞くよりも、また奇跡的な出来事を見るよりもはるかに力強く人間を変える。
聖霊とは復活のキリストご自身であるからだ。目には見えないが、かつて経験したことのない聖なる力を与えられるゆえに、「私は復活であり、命である」という主イエスの言葉が魂の深いところでの実感として与えられるのであった。
それならば、その聖なる霊はいかにして与えられるのであろうか。聖なる霊が与えられるためには、何も差別はない。健康な人も、病人も、若者、老人、男女の別、あるいは学歴や特技、職業や年齢などこの世では大きな条件となるようなことが、いっさい聖なる霊を与えられるための条件とされない。
必要なのは、その聖なる霊を何よりも大切なものとみなす心、それゆえにほかの何ものよりも真実な姿勢をもって求めること、ただそれだけである。
弟子たちはイエスが殺される直前まで、自分たちのうちでだれが一番大きい働きをしているのか、などといった議論をしていたから、彼らが願うことはそのような聖なる霊を求める気持もなかったと言えよう。自分の地位、力を増し、周囲から偉いと思ってもらうことを願っていたのである。
しかし、最後の夕食のあと、ゲツセマネという園でイエスが心血を注いで祈ったが、弟子たちはすべて眠り込んでしまった。それは、弟子たちの魂の目が眠り込んでいたというしるしであった。主イエスが言われたように、「あなた方は何をのぞんでいるのか分かっていない」状態だった。
イエスが捕らえられていって、その現実にうろたえ、みんな逃げてしまい、ペテロなどは三度もイエスなど知らないと嘘をつき、主に対する真実を全面的に失った。そのことを経験してはじめて、自分たちが求めるべきは地位とか周囲のひとたちからの評価ではないことを思い知らされた。そして本当に求めるべきは、そうした弱さの中に注がれる神の力であるということに目が開かれていった。
それでもなお、弟子たちはイエスが殺されてしまった衝撃から新たに立ち上がる力は出てこなかった。それは「弟子たちは、ユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。」(ヨハネ二十・19)
という状態がそれを表している。
そのように、弱さを如実に思い知らされることが続いていた。その弱さのただなかに、主イエスが来てくださった。そして力の根源である聖なる風を注いだのであった。
…父が私をつかわされたように、私もあなた方をつかわす。そう言ってから、彼らに息を吹きかけた。
「聖霊を受けよ。だれの罪でもあなた方が赦せば、その罪は赦される。」
(ヨハネ二十・21~23より)
息を吹きかける、これも一種の風である。実際、ヘブル語、ギリシャ語、ラテン語など、いずれも、霊という言葉は、風という意味のほかに、息をする、という意味も持っている。
聖なる霊を受けるときには、大いなる力が与えられ、それは恐れおびえていた弟子たちを全く別人として立ち上がらせ、命がけで福音を伝えていく力を与えたのである。それからキリストの復活を信じ、十字架のキリストこそ人間の罪を赦し、きよめたしるしなのだという信仰が世界へと広がっていくことになった。
そして、そうした行動的な方面だけでなく、最も人間の深い問題、心の中の罪をすら赦す力が与えられるという約束がなされた。これは、本来神とキリストだけが持っている大なる力であったが、それすらも聖なる霊が豊かに与えられたときには可能になるという約束である。
枯れていた者であるのに、神の霊が与えられることによってそれほどまでに大きく変えられるということ、現実には小さな生活の中でもいろいろの問題が生じて、そのたびに心を曇らせることもある。そのような偉大な神の霊が与えられるという約束を受けた弟子たちも、罪深い人間であったが、それでもこの約束が与えられている。
復活の約束、それは不可能を可能とする約束である。死んだもの、枯れてしまったものが新たな命を与えられるのであるなら、現状がどのように小さくとも罪深くとも、なお私たちは確かな希望を持つことができる。その死んだような存在に、命を与えてくださる神がおられるのであるから。
立ちて待つ
イギリスの詩人ミルトン(*)が、失明が確定的となったときに作られたと言われる詩がある。 その詩の内容は概略は次のようなものである。
(*)ミルトン John Milton 1608~74 その豊かな詩は、後世のイギリスの詩人たちに多大な影響をあたえた。また、ピューリタン革命による共和政府のために書いた論文は、市民と宗教の自由をまもることを主題とした。ミルトンはしばしば、シェークスピア以降のもっとも偉大なイギリスの詩人とみなされる。(エンカルタ総合大百科より)
私は、自分が、人生の半ばに達する前に失明して
自分に与えられた才能をそのまま内に持ったまま過ごすことは、
大きな罪となるのではないか、と思った。
だが、見えているときにはそれを精一杯使ってきた。
主が再び来られるときには責められることのないようにとの思いがあった。
しかし、光を奪われてしまった者からも、
なお主は、厳しい働きを求められるのだろうか…。
そのような心の中の疑問を持っているとき、
次のような答えが与えられた。
神は、人の働きや、ご自身が与えた賜物をも必要としない。
主に最もよく仕えるのは、
やさしい主の軛(くびき)をよく負っていく者こそ、
主に最善に仕える者なのだ。
主の御国は、堂々たるものだ。
主がひとたび命じるなら、
幾千もの御使いたちが、
広大な陸と大海を越えて休みなく駆けていく。
立ちて待つだけの(ように見える)人々、彼らもまた神に仕えているのだ。
(以下は後半の原文)
…God doth not need
Either man's work or his own gifts, who best
Bear his milde yoak, they serve him best, his State
Is Kingly. Thousands at his bidding speed
And post(*) o're Land and Ocean without rest:
They also serve who only stand and waite.(EVERYMAN'S LIBRARY:MILTON POEMS 1962年 83P)
(*)post 急行する
最後の行にミルトンの信仰的確信が感じられる。私たちは、自分が何かできなかったり、人からの評価や認められないことに落胆したり自信を失ったりすることが多い。目立った働きをする人と比較してしまうのである。
しかし、主を信じ、主の御前に罪赦されて、立ちなさいという語りかけを聞く。そしてただ主の力がこの世に働くことを祈り願っているだけで主は働いて下さる。
かつてモーセは、敵とのたたかいのとき、モーセが手をあげている間は、イスラエルは優勢になり、手を下ろすと劣勢になったという記事がある。(出エジプト記十七・11)
主の前に立って、真剣な祈りを捧げているときには、神の力がはたらき、神が戦われる。しかし、祈りを止めると神の力が働かないという象徴的な出来事であった。
立ちて待つ、とは、主を見つめて、主の再び来られること、聖なる霊がのぞみ、神の力がすべてをよきにされることを待つということであり、これは、未来のことを待つとともに、日々の生活のなかでこの姿勢を持ち続けるということである。
この立つということは、罪あれば御前に立つことができない。「立ちて待つ」(stand and wait)、そのひと言に罪の赦しと聖なる霊と再臨を待ち望み、神の力あれば万事がよきになされるという確信が込められている。
ある注解者は、このひと言に込められたミルトンの生き方は、「消極的なものでなく、烈々たる気概を示している。」と記している。
偉大なるはたらきをした人たちも、このような気概を持っていた。罪赦され、一人神の前に立つ志が与えられるとき、天よりの風が吹きつけ、上よりの力が与えられて物事に向かっていったのがうかがえる。
聖書に現れるモーセ、ヨシュア、ダビデ、それから、エリヤ、エレミヤさまざまの預言者たちもまた同様であった。
内村鑑三がしばしば独立の重要性を語ったのも、この神を見つめて一人立ち、神の力が働くのを待つという精神にほかならなかった。
…キリスト教は真個の独立を奨励する。すなわちひとり神とともに全世界を相手として立つような人物を造る。(「聖書之研究」一九〇五年四月)
…説教集と宗教書の類だけを読むのはいけない。ときに大詩人の詩集を播いて大いに自由と独立の精神を養うべきである。宗教は人を古い習慣にとじこもらせ、それらにこだわってそれに無批判に従っていかせることになりやすい。
神が時どき大詩人を世に送りだされるのは、古き宗教的な束縛を慕って奴隷のような心になった人々を目覚めさせるためなのである。(「聖書之研究」一九〇六年十一月、原文は文語)
ダンテの神曲のような大詩人の著作に触れると、この世のはんらんする文学とは全く異なる風が吹いているのを感じる。確かにそれは、神の前に一人立って、主の力を待ちのぞみ、そこから書かれたのだということを感じさせる。
人間の一時的な弱々しい感情あるいは、表面的には燃えるようであっても簡単に変質し、消えていく人間的な愛、あるいは憂鬱や不安などをうたった詩とは異なり、いわば上空を常に吹いている偏西風のように、神の国から吹き続けている霊的な風を受けて書かれたものである。
イザヤやエレミヤといった預言者はまた、詩人でもあった。こうした神の国からの霊を豊かに受けて、神の言葉をそのままに、当時の固まった習慣や考え方から、独立して自由に語った。まさに内村が言うように、奴隷的な心情になった人たちを覚醒させるために神がつかわしたのであった。
とくにエレミヤは、祖国が外国の強力な軍によって攻撃され、滅ぼされようとするとき、人々や指導者たちは真理に立ち返ることをしようとせず、単なる安全を望む人間的な考えが横行していた。そのような中で、ただ一人神の前に立って、神の言葉を待ち望み、与えられた真理の言葉を大胆に王や指導的な立場にいる人たちの前で語ったのであった。
この「立ちて待つ」という基本的な姿勢は、このような特別な預言者や詩人だけでなく、本来だれでもがなしうることである。それらの預言者や詩人は一般の人々をそうしたことが可能だと実例をもって示す存在なのである。
私たちは弱く、罪を犯しやすい。そしてからだも心も実にもろい。そのような者だからこそ、私たちは立ち返って一人神の御前に立ち、待つことができる。だれにもわかってもらえない悲しみがあり、苦しみがある、それゆえに一人立って待ち続ける。
大預言者とか偉人といわれるような人だからでなく、弱きもの、悲しむ者、苦しむ者心貧しい者であるからこそ、そのような状況にと導かれていくのである。
心の貧しい者は幸いだ、と言われている。心貧しいとは、自分の力で立とうという自負心などが全く崩れてしまった人の心である。胸をたたいて、罪人の私を赦してください!と祈る人、ここにも一人立って赦しを待つ姿がある。こうした姿勢を主イエスは深く見つめられ、彼こそが正しいとして救われる(義とされる)と言われた。自分は正しい人間だとしてまわりの人を見下すような者こそ、さばきを受けるとされた。
この世の風が吹き荒れるなか、霊的に静まり、立ちて待ち続け、神からの風をゆたかに受け続けたいと願う。
ダンテ 神曲・煉獄篇第十六歌 ― 怒りの罪の清め
神曲は、今から七百年ほど昔に書かれた地獄、煉獄、天国の三つの部分から構成されている雄大な作品である。人間世界の深い暗闇から清めの苦悩と歩み、そして導かれて天の国へと達するまでのさまざまの魂の風景が描かれている。当時の社会の状況が随所に書かれてあり、導かれていく最終的な天の国を見つめつつ、同時に現実の姿を深い洞察をもって記したものである。
見慣れない人名や地名、また現代の人間にはなじめないような表現などいろいろと壁があるが、その壁の向こうにある世界を少しでも学びとりたいと思う。
それによって、この混沌たる世界に埋もれようとする心を少しでも引き上げ、「恵みの高き嶺」へと少しずつでも上ることができるであろう。
煉獄は、南半球の海のなかにそびえる山として設定されている。頂上部は平らな地上楽園となっている。この山には、山を取り巻く七つの環状の道がある。そこで地上で犯した罪の性質によって苦しみを受け、同時にさまざまの方法によって清めを受けていく。
その道を歩むときは、理性の象徴たるウェルギリウスに導かれ、上の環状の道に上るときには、天使にも導かれ、少しずつ上へと登っていく。
ここで内容の概略を記す第十六歌は、怒りの罪を清める人たちがいるところである。
それは全くの闇、煙のたちこめるなかであった。それは地獄の闇も、また雲にすっかり覆われて星一つ見えない夜空であってもこれほどではなかった。粗雑な毛皮のようにダンテとウェルギリウスを包み込んで目を開けていられない状態であった。
このような状況は、怒りがいかに見えなくするかということを表すものであった。怒りの感情はときには非常に激しく、人間がまったく別のようになってしまう。そして何も見えなくなり、分からなくなるからふだんは口にしないような暴言を吐いたり、別人のように荒々しくなる。怒りの感情は、動物にもある。犬など身近にその怒りを表情や吠え方によって我々は知っている。可愛いペットが荒々しく危険なものとなる。人間もその点では同様である。
侮辱されたということへの怒りから、何も分からなくなって、理性的に考えたら非常に愚かなことをしてしまう。
日本の時代劇でとくに有名なものの一つ、忠臣蔵がある。これなども浅野内匠頭が江戸城の松の廊下で刀を抜いて吉良上野介に切りつけたことが発端だが、これも侮辱されて激しい怒りで何も分からなくなったからである。もし彼がそうした侮辱を受けても怒ることなく忍耐すれば、多くの人たちが苦しまなくてもよかったのである。
激しい人間的な怒りは、人間を動物にしてしまう。人間と動物の違いの一つは理性的に判断できるかどうかということである。怒りはそのような理性をなくさせる。
ダンテは、怒りを罰せられるその暗闇のなかで、ウェルギリウスの肩につかまり、寄り添って歩いていった。それはウェルギリウスとは、理性の象徴であり、怒りの闇に巻き込まれないで進むには、理性の導きが必要だったからである。
煙に満ちた汚れた大気のなかをダンテたちは進んだ。
そのような中から、聞こえたのが「神の小羊」の祈りであった。それらはみな、罪を清める「神の小羊」たるイエスに向かって、
平和と憐れみを祈るようであった。
…それらの祈りの冒頭はつねに「神の小羊」で始まり
すべての魂のとなえる言葉は同じで
抑揚も等しく、祈っている声には、おのおのの間に調和があった。(煉獄篇十六・13~20)
そのような闇のなかから、そこで怒りの罪を清められている者たちの祈りが聞こえてきた。それは、「神の小羊」という内容であった。
これは、次のような内容である。(ラテン語)
Agnus Dei,qui tollis peccata mundi, miserere nobis.
Agnus Dei,qui tollis peccata mundi,dona nobis pacem.
・右の読み方と意味…世の罪を取り除く神の小羊、私たちを憐れんで下さい。読みと意味…アーグヌス(小羊) デイー(神の) クィ(~するところの)
トルリス(除く) ペクカータ(罪) ムンディ(世) ミセレーレ(憐れむ) ノービース(私たちを)
・dona nobis pacem.…私たちに平和を与えて下さい。 ドーナー(与えて下さい) ノービース(私たちに) パーケム(平和を) ただし、教会ラテン語では、パーチェムと発音する。
罪を清めるための方法として、罰としての苦しみを受けること、それに加えるに祈りがある。
この祈りによって、彼らは、怒りの罪を清め、彼らが天に上るのを妨げ、地上に結びつける結び目を解いているのであった。祈りは地上と結びつけられた鎖から解き放つ力がある。
そのような祈りは、おのずから歌のように繰り返されていく。それは通俗的な歌のように楽しいから歌うのではない。それは深い祈りであり、その祈りがずっと繰り返しなされるゆえに、一つの歌のようになっていく。
すでに煉獄篇十二歌においても、第一の環状の道から第二段目の道へと登っていくときには、「ああ、幸いだ、心の貧しい人たちは!」という、たとえようもないうるわしい賛美が聞こえてきたとある。
(煉獄篇12歌 10~11行)
祈りと神への賛歌が煉獄における清めに、大きいはたらきをしている。
これは数千年昔の聖書の民の場合も、現代の私たちにとっても同様である。聖書の詩編は、とくに個人的な祈り、生きるか死ぬかという苦しみのなかから、神に必死に叫び祈ることが多く記されている。また神のわざへの感謝の祈りもゆたかに含まれている。そしてそれらは、実際に歌われていた賛美でもあり、歌詞集でもある。
怒りの罪を清めるためのこの祈りの賛美は、つねにそのはじめが、原文では「小羊 神の Agnus Dei」となっている。すなわち、小羊、という言葉が第一に置かれているとダンテは記している。(*)
(*)英語など外国語でも、Lamb of God と小羊が第一に来るが、日本語訳にすると、「罪を取り除く神の小羊」というように、後になる。
怒りの罪を犯して滅びていった人たちは、地獄篇で現れる。地獄篇第七歌において、彼らは、互いに、怒って手で殴り合い、頭や胸でぶつかり合い、脚で蹴り、相手を歯で食いちぎろうとするすさまじい光景が記されている。これは怒りが互いに他を害しあうことを示すものとなっている。
地獄では、そうした分裂と争いを繰り返しているが、煉獄では、同じ怒りの罪によって裁きを受けている者であるが全く異なる状況であるのが分る。
「祈っている人々の言葉も抑揚も同じで、しかもそれぞれの声には調和があった」
これは、怒りではげしく分裂して争う状態といかにかけはなれていることだろう。
人々は、神の小羊たるイエスに向かって心を一つにし、声を一つにして祈っていたということである。
人が自分たちの罪を深く知らされ、キリストに向かうときには、おのずから一つにされて、赦しを求め、清めを求める単純な願いとなっていく。
煉獄にいるということは、死ぬ前に悔い改め、罪赦された魂たちである。そこで清めを受けるためには、神に向かって心を一つにすることがいかに重要であるかを知らされる。
現代の私たちもまた、怒りだけでなくさまざまの罪によって地上に鎖で結びつけられたようになっている。その鎖は、キリストの十字架によって断ち切られたのであるが、なお、しばしば再びそのような鎖に結びつけられ地上から上がれない苦しみを持っている。
そうしたとき、私たちもまた祈りによって、主よ憐れんで下さい、主の平安を与えて下さいという単純な祈りによって、また祈りのこもった賛美によってその鎖を解き放つことができるようになる。
このような暗い煙のなかで出会った人マルコがいる。ダンテは彼に大きな疑問となっていたことを尋ねる。
それは、この世が悪に覆われているがその原因はどこにあるのか、ということだった。当時の人たちにとっては、太陽や星というものの正体は分かっておらず、永遠に輝く星たちはまさに見える神々のように思われていた。光輝いていて、太陽も月も美しい円形をしている。地上の物体ならば必ず落ちてくるのに、それらは落ちてくることがない。
そのために、この世の混乱や悪の原因をそうした神的な星々に帰する人たちが多くいた。しかし、他方人間に原因があるとする人たちがいた。そのいずれが正しいのかという疑問であった。
星々に原因があるということは、人間にはどうすることもできない運命のようなものを指している。人間を超えたところで決まっているというのだ。自由意志などというものはないということになる。
たしかに人間の意志を超えたところで、私たちの人生を大きく決定することはしばしば見られる。例えば、大罪を犯した犯罪人の子どもとして生まれたなら、子どものときから周囲の目は冷たく、また決して落ち着いた豊かな家庭もなく、生活もないだろう。そうした生まれの問題は自由な意志ではどうにもならないところがある。
それを当時の人たちは、星々によってそのように生まれさせられたのだと受け取っていた人たちが相当いたということである。
現代においても、例えば今述べた生まれたときの国や民族、また家庭状況、戦争とか飢饉あるいは貧困や差別の時代に生まれるならば、後々まで大きな影響を受けていく。それは確かに幼い魂に大きな方向性を与えることになる。
このような意味において、当時は人間を超えた霊的なものとみなされていた星たちが最初の方向のきっかけを与えると考えられたのもうなずける。
だが、人間にはそのようなものと別の自由な意志が与えられている。はじめは、星々の力にたとえられた運命のような力と対決して戦わねばならない。それゆえ大きな苦しみも生じる。しかし、それは自由な意志によって打ち勝っていくことができる。人間はもっと大きい力に属するものなのである。
神が星々の力―運命のようなものに勝利するための力を人に与えている。
それゆえに、現在の世の中が堕落して混乱した状況になっているのは、外の星々(現代の我々にとっては、環境や遺伝、生まれつきの性格、能力のようなもの)によるのでなく、人の心の中に原因がある。神の力を受けて働かせようとしていないことこそ、心の根本問題であり、それを求めようとしない人間の心に原因がある。
次に現実の社会の腐敗はどうしてなのか。それは、右に述べたことが広く社会に及んでいるからであるが、もっと直接的な原因がある。それは、ローマの教皇たちの腐敗である。
人間は生まれたままで自由にしておかれると楽しみを求め、間違った方向へと進んでいく。そのために手綱がいる。それが法律である。そしてその法律を適切に運営する政治のトップとしての皇帝に正しい者がいない。霊的な指導者としてのローマ教皇が、政治的な権力である皇帝の力を滅ぼしてその権力を取り込んだりすればよいことが生じるはずがない。
こうしたことは、霊的な指導者であるべき教皇が、この世の富や権力に強い関心を持ったがゆえに、その腐敗が人々全体に及んだのである。個々の人の悪が原因というより、指導者の罪が大きな原因なのだ。
そのことを、教皇は「反芻はできるが、割れたひづめを持っていない」(*)と、表現し、ダンテがそうした姿勢を批判している。(98~99行)
(*)旧約聖書のレビ記十一章に、「あなた方の食べてよい生き物は、ひづめが分かれ、完全に割れており、しかも反すうするものである。」という記述がある。ダンテはこのことを比喩的な意味で用いている。
これは、教皇は聖書に通じてその研究や瞑想はしているが、真の善悪の判断ができない、ということを意味している。それゆえに、人々は自分たちの指導者である教皇が、地上の富を求めているのを見て、天の国の富を捨ておいて地上の富を求めるようになってしまったのだ。
現在の状況にこのことをあてはめることができる。キリスト教に関する学問や知識は増え広がっている。しかし、弱き者、苦しむ者、また社会的には小さき者たちへの愛は増え広がっているだろうか。
新約聖書にも、神への愛と隣人への愛こそが最も重要であると明言されており、使徒の代表的な人物であるパウロも、割礼などの形式的なことでなく、目には見えない「愛によってはたらく信仰」こそが最も重要だと言っているが、いつのまにか、それ以外のこと、例えば宗教的な儀式を信仰以上に重んじて救いの条件としたり、無学な人や難しい本を読んでいない人たちを念頭に置かない学術的な研究や、そうした議論や講義が重んじられる傾向が強い。
これも、「反芻はできるが、割れたひづめを持っていない」ということを思い起こさせる。
それを読んで本当に苦しんでいる人、闇にいる人が救いへと近づけるのか、そうした人たちへの愛によって書かれ、語られているだろうかと疑問になるようなものも多くある。
全国集会などの聖書講義と称するものにも、一体どのような人たちを念頭において語っているのだろうかと思われることも多かった。
日本において、本当の神を知り、キリストによる赦しを受けているのは一%にも満たないきわめて少数である。そうした状況にあって、必要なのは、まず一般の人たちが、聞いたり、読んだりしたときすぐ分るような言葉で、しかも福音のエッセンスが語られ、書かれている書物であり、そうしたみ言葉の説き明かしである。
主イエスご自身は、まず知的にも、家庭的にも恵まれた人たちを相手にするといった姿勢を持ってはおられなかった。弟子たちにしても漁師や徴税人といったごく普通の人たちであったし、イエスが向かわれたのはさまざまの病人や胸をたたいて罪深い私を赦してくださいと祈る人たちであった。サマリアの女やマルタ、マリヤ姉妹などの関わりなどもごく庶民との関わりであった。
この煉獄篇十六歌の終わりに近いところで、ダンテと話した人物マルコが、ローマの教会は、世俗とキリスト教の二つの権力をともに自分のものとしようとした。それが現在の社会の腐敗の原因となったのだと話す。
それを受けてダンテは、「なぜ、レビの子孫がこの世の財産を受け継ぐことから除かれたその理由が明白になった」(132行)と、旧約聖書からの記述を持ち出して同意したのであった。これは次の箇所からである。
…主はアロンに言われた。「あなたはイスラエルの人々の土地のうちに嗣業の土地を持ってはならない。彼らの間にあなたの割り当てはない。
わたしが、イスラエルの人々の中であなたの受けるべき割り当てであり、嗣業である。 (民数記十八・20)
嗣業とは、一般の人には聞き慣れない言葉であるが、旧約聖書では、相続の土地を意味する。祭司をつかさどったレビ部族の人々は、相続する土地を与えられないということなのである。ほかの部族がそれぞれ土地を割り当てられたが、レビの部族は土地は受け継ぐことができないが、神ご自身を土地にかわるものとして受け継ぐのだと言われた。目に見える財産としての土地は与えられないが、神ご自身を与えられるというのである。それはすなわち目に見えない祝福を特別に受け継ぐという約束であった。
ローマ教皇が霊的な賜物だけで満足できず、目にみえる権力や富への欲望をあらわにしたために、社会全体が狂ってきたのだとダンテは言っている。当時は聖書は大多数の人にとっては読めないものであった。印刷術もなかったから、だれでも本を持つなどということは有り得ず、学校へ行けるような人はきわめて少数であった。ふつうの人たちは書物なども持っていないのであるから、大多数の人たちは上に立つ指導者の教えることその言動によって導かれていく状況であった。だからこそ、上に立つ人の腐敗によって大きく影響されたのであり、ダンテはそのことを述べているのである。
こうした自由意志と神の力、宗教的な力と世俗の権力などの問題を話した後、前方に暗い煙を貫いて輝く光が見えてきた。それは天使であった。その天使のかがやきを見て、ダンテと語っていた煉獄にいるマルコは再び煙のたちこめる闇へと帰っていった。それは、彼はまだその闇のなかで十分に清めがなされていないからであった。
煉獄にいるものは、このように清めと罰を兼ねた苦しみを味わっていかねばならないが、ともに一つの声になって祈り賛美することによっていっそうの清めを受ける恵みが与えられている。
現代の私たちにおいても同様である。
煉獄の苦しみは大きくとも、この十六歌の最後に、前方の光の天使が見えてきたように、そのかなたに光が射しているのを実感できる苦しみなのである。私たちも現実のさまざまの苦しみを越えて、道そのものであるイエスを知らされ、光の射す道を与えられている。
イエスの歩まれた道
主イエスが捕えられ、裁判を受ける過程は、激しい嵐のなかで、ただ一人、岩のごとき不動の静けさを持っておられたイエスの姿が浮かんでくる。
イエスは当時の宗教家や政治的指導者たちがそろって彼を糾弾し、神を汚したという最大の罪を犯したとして死刑を要求し、一般の人々もそれに動かされていっせいにイエスを非難している状況に置かれた。
イエスは単にはげしく鞭打たれて苦しめられたというだけでなく、見下され、ののしられ、侮辱されたことが繰り返し記されている。
… さて、見張りをしていた者たちは、イエスを侮辱したり殴ったりした。
そして目隠しをして、「お前を殴ったのはだれか。言い当ててみろ」と尋ねた。
そのほか、さまざまなことを言ってイエスをののしった。 (ルカ二二・63~65)
…ヘロデも自分の兵士たちと一緒にイエスをあざけり、侮辱したあげく、派手な衣を着せてピラトに送り返した。 (同二三・11)
…民衆は立って見つめていた。議員たちも、あざ笑って言った。「他人を救ったのだ。もし神からのメシアで、選ばれた者なら、自分を救うがよい。」 兵士たちもイエスに近寄り、酸いぶどう酒を突きつけながら侮辱して、言った。「お前がユダヤ人の王なら、自分を救ってみろ。」
イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王」と書いた札も掲げてあった。
十字架にかけられていた犯罪人の一人が、イエスをののしった。「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ。」(同二三・35~39)
人間はだれでも見下されたくない、人から重んじられたい、あるいは人の上に立ちたいという欲求を持っている。職業も家庭やこの世の楽しみなどすべてを捨ててイエスに従った十二人の弟子たちすら、自分たちのなかでだれが一番大きな働きをしているか、といったことで議論したと記されていたり、イエスが王となったときには、自分をその最も高い地位において欲しいというあからさまな要求を出したりしたことが記されている。
こうした欲望は小さな子どものときから、あらゆる状況や年齢を問わず持っている。これは人から見下されるということは、その延長上には、最終的なかたちとして殺されるということがあるゆえに、自分を守ろうとする本能のようなものとして持っている感情だと言えよう。
それゆえに、他者から認められず、見下され、侮辱されるということは深い傷をその魂に受けることが多い。いじめということは、人から侮辱され、見下されることであり、場合によってはそのことで、子どものときから学校にも行けなくなり生涯の方向が狂ってしまったという人も多いのである。
それほど人から侮辱されるということは大きな打撃となる。
イエスが特別に選んで三年間を彼らを導いて霊的に育てた十二人の弟子たちすらも、すべて逃げてしまい、とくに弟子の筆頭格であったペテロすら、三度もイエスなど知らないと激しく主張したほどであった。
このように、イエスが、十字架にかけられる前からこのように繰り返し、周囲のさまざまの立場にある人たちから捨てられ、見下されるという最も耐えがたい侮辱を受けたのであった。
そしてそうしたすべてにまさる侮辱が、重い犯罪人として見せしめに磔とされる罪人と一緒にされてさらしものになって処刑されるということだった。
このようにみてくると、いかに徹底的にイエスは低いところ、見下されたところを歩んだかがうかがえる。
メシアが現れるということは、古くから預言されていた。イザヤ書や詩編など旧約聖書にはキリストの預言とみなされる箇所が多く見られる。
それらの預言では、どのようなお方であると言われてきただろうか。
それらは、神の御計画に従って現れるメシアは、力あり敵を打ち破る王であり(詩編二・7~9)、神の霊を受け、英知と力を与えられ、弱き人や貧しい人々―圧迫され苦しむ人たちを弁護し正義によって裁きをされる方であるとされている。(イザヤ書九・5)
人々を悪の力から救い出し、王として支配されるというのはだれにでも分かりやすいメシアの姿である。そのような力強いお方だからこそ、救い出すことができるからである。
イスラエルの預言者は、イエスが生まれる七〇〇年ほども昔からその出現を預言していた。そうしたはるかな昔から神は将来現れるべきメシア(救い主)を指し示したのであった。
イザヤ書では、そのような預言はつぎのように記されている。
…ひとりのみどりご(*)がわたしたちのために生まれた。… 権威が彼の肩にある。
その名は、「驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君」と唱えられる。
(イザヤ九・5)
(*)新芽の緑のように若々しい児の意、幼児。赤ん坊。
この預言においては、現れるメシアは、力と権威、そして平和を持っておられる永遠の存在だとされている。単なる偉大な人間というのでなく人間を超えた存在だと暗示されている。
また、次の預言もなされている。
…エッサイ(*)の株からひとつの芽が萌えいで、その根からひとつの若枝が育ち
その上に主の霊がとどまる。
知恵と識別の霊、思慮と勇気の霊、主を知り、畏れ敬う霊。
彼は主を畏れ敬う霊に満たされる。…
弱い人のために正当な裁きを行い、この地の貧しい人を公平に弁護する。…
正義をその腰の帯とし、真実をその身に帯びる。(イザヤ書十一・1~5)
(*)エッサイとは、後に王となったダビデの父。
ここで言われているのは、救い主、メシアの特性とは、神の本質である神の霊が注がれていて、それは英知に満ちた霊であり、同時に正義に満ちたお方で、とくに弱い人圧迫された人を正しく弁護するということである。
生まれつき正義感が強いというのでなく、神の霊が注がれているからこそ英知と正義を行う存在だということが強調されている。
さらに、エレミヤ書にもメシアの預言がある。
…見よ、このような日が来る、と主は言われる。わたしはダビデのために正しい若枝を起こす。
王は治め、栄え、この国に正義と恵みの業を行う。
彼の代にユダは救われ、イスラエルは安らかに住む。彼の名は、「主は我らの正義」と呼ばれる。(エレミヤ書二三・5~6)
ここでも、メシアは、正義の存在として預言されている。
こうしたイザヤ書における預言は、さらに深められて次のような内容となっていく。
…見よ、わたしの僕、わたしが支える者を。わたしが選び、喜び迎える者を。
彼の上にわたしの霊は置かれ、彼は国々に正義をもたらす。
彼は叫ばず、呼ばわらず、声を巷に響かせない。
傷ついた葦を折ることなく、暗くなってゆく灯心を消すことなく、真実によって正義をもたらす。(イザヤ四二・1~3)
この預言においては、現れるべきメシアの特質として、先にあげたことと同様に神の霊が注がれるお方であることがまずあげられ、そこから正義、公正なさばきを世界の国々、あらゆる人々にもたらす存在であるとされている。そしてそのような正義の存在であるにとどまることなく、それは、傷ついた葦や消えようとするともしびにたとえられているような弱い人、滅びかかっているような人を救う方である。
このように、弱き立場の人をとくに顧みる愛の存在こそがメシアであると預言されている。
以上のように、旧約聖書でいろいろな箇所で言われているメシアの姿は、神の霊を受けていること、言い換えると目には見えない神ご自身の本質を受けているということであり、正義の神であって、この世のあらゆる不正に対して正しい裁きをなされるお方である。そして弱い者を顧みる憐れみのお方であるといったことが繰り返し言われているのが分る。
このようなメシアの存在は大きな希望の的となる。この世の不正や武力に悩まされてきた人間、弱い者はそのまま踏みつけられてしまうようなこの世にあって、それは闇の中に輝く光として待ち望まれた。
このようなメシアの姿は繰り返し記されてきたゆえに、人々にとってもなじみのあるものであった。
しかし、イザヤ書五二章の終わりの部分から五三章にかけての内容は、これまで引用してきたメシアの出現についての預言とは全く異なる姿が示されている。
それは驚くべきことに、王として悪人たちを滅ぼしたり、異民族を征服したりするような力あるものでなく、逆に踏みつけられ、悪の力によって捕らえられ、あざけられ捨てられて殺されるというのである。いかにして、それまでの輝かしい神と同質と思われるような力あるメシアと同じものだと受け取ることができようか。
それゆえに、この預言の最初の部分で、次のように言われている。
…彼の姿は損なわれ、人とは見えず、もはや人の子の面影はない。
それほどに、彼は多くの民を驚かせる。彼を見て、王たちも口を閉ざす。だれも物語らなかったことを見、一度も聞かされなかったことを悟ったからだ。
わたしたちの聞いたことを、誰が信じえようか。(イザヤ書五二・14~五三・1より)
七〇〇年以上も昔からこの世のあらゆる混乱や闇にもかかわらず、正義と憐れみのメシアが現れるということが明確に啓示されたということ自体も大いなる奇跡である。しかし、それ以上に、このようなみじめな生涯をおくることになる人が人類の救い主、メシアとなるというような預言がなされることが奇跡である。
イザヤ書のこの箇所で、「だれも語らなかったことを見、
一度も聞かされなかったことを悟った」
とある。旧約聖書には人間も含めた万物の創造のこと、きわめて多方面にわたることが記されている。それにもかかわらず、「だれも語らなかったことであり、だれも聞いたことのない」内容であった。そして「私たちの聞いたことを、だれが信じ得ようか」と言われている。
これは、聖書の民、神が特別に創造された民にとっても全く予想もできないことであり、そのようなメシアの姿は想像もできないことだったのを示している。
それほどここに言われていることは昔からの信仰の篤い人であっても、全く知らないことであった。だから神を信じることもしない一般の人々にとってはなおさらこのようなことがあろうとは考えることもしなかったのである。
主イエスが、捕らえられ、十字架につけられるとき、ひどくののしられ、侮辱され、茨の冠をかぶせられ、つばをはきかけられ、鞭打たれた。極刑となるほど重罪を犯した悪人からも死の近づくときにさえ侮辱を受けた。
そのようなことは、このイザヤ書の五二章の終わりから五三章にかけての内容がそのまま実現したことであった。そのことを実現するのが神の御計画であった。
しかし、そのような力強い状態とはまったく逆ともいえる捨てられたようになる、輝かしい風格もない、人々から軽蔑され、見捨てられ、神の手によって罰せられたのだと思われてしまう―そのようなメシアが現れるということを、イザヤ書の終わりに近いところで初めてはっきりと記されている。
…彼の姿は損なわれ、人とは見えず
もはや人の子の面影はない。
…この人は主の前に育った。見るべき面影はなく
輝かしい風格も、好ましい容姿もない。
彼は軽蔑され、人々に見捨てられ
多くの痛みを負い、病を知っている。
彼はわたしたちに顔を隠し
わたしたちは彼を軽蔑し、無視していた。
…わたしたちは思っていた
神の手にかかり、打たれたから
彼は苦しんでいるのだ、と。
…苦役を課せられて、かがみ込み
彼は口を開かなかった。屠り場に引かれる小羊のように
毛を切る者の前に物を言わない羊のように
彼は口を開かなかった。
このように人々から捨てられ、だれからも理解してもらえず、一人苦しみつつ死んでいった。そんな彼を見て、神から罰せられたからあのようになったのだとまで言われていた。
しかし、後になってその出来事すべての意味が啓示されていった。それはそのように低く卑しめられ、軽蔑を受けて捨てられた者が、驚くべきことに、高く高く、いかなる者よりも高く挙げられたということであった。
立派な人であったにもかかわらず、驚くべきほどに見捨てられ、卑しめられたということも驚くべきことであったが、それとともに、そのように貶められた人間が、いかなる人よりも高いところへと引き上げられたということがさらに驚くべきことなのである。
かれがそこまで高く挙げられたのは、人間の罪を身代わりに背負って、すべての悪意や嘲笑を黙って受けて死んでいったというためであった。
この事実をさきほどのイザヤ書はそれゆえに、繰り返し述べている。
…。彼の時代の誰が思い巡らしたであろうか
わたしの民の背きのゆえに、彼が神の手にかかり
命ある者の地から断たれたことを。
彼は不法を働かず
その口に偽りもなかったのに
その墓は神に逆らう者と共にされた。…
病に苦しむこの人を打ち砕こうと主は望まれ
彼は自らを償いの献げ物とした。…
彼は自らの苦しみの実りを見、それを知って満足する。
わたし(神)の僕は、多くの人が正しい者とされるために
彼らの罪を自ら負った。
それゆえ、わたしは多くの人を彼の取り分とし
彼はおびただしい人を受ける。
彼が自らをなげうち、死んで
罪人のひとりに数えられたからだ。
多くの人の過ちを担い
背いた者のために執り成しをしたのはこの人であった。(イザヤ書五十三章より)
主イエスが周囲の人々からあざけられ、見捨てられ、踏みつけられて十字架で処刑されるという苦難を受けたのは、驚くほどこのイザヤ書の記述をそのままに実現したものとなった。このイザヤ書の部分は、主イエスよりも五五〇年余りも昔に書かれたと言われているが、そのような昔からイエスのことが預言されていたのである。
力あり、英知あり、人から尊ばれるということで大いなる高さにひきあげられるのではない。そのようなものを持っていたにもかかわらず、あえて人からさげすまれ、踏みつけられて殺されるというほどにまで低いところを歩まれ、そこから高く高く引き上げられたということを、イザヤ書もまた福音書も告げている。
はじめにあげた、福音書におけるイエスの記述、繰り返しさまざまの階層の人たちから見捨てられ、嘲笑され、最もひどい侮辱を受けたのは、まさに深遠な神の御計画が実現するためなのであった。
どんな人間でも本能的に持っている、人から認められたい、よく思われたい、という感情をその根源から砕いて、恥ずかしめられるという道を歩んだのがイエスであった。
この主イエスの生き方によって、十字架の死があり、それによって最大の出来事といえる万人の罪のあがないということがなされた。
このようなイエスが歩まれた道を少しでも歩むこと、それは、キリストのゆえに、福音のために苦しめられるということであるが、そのことが祝福の多い道であるゆえに、とくに次のように記されている。
…義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。
わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。
喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。
あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。」(マタイ福音書 五・10~12)
「わたしたちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なくてはならない」(使徒言行録十四・22)
主イエスご自身が私たちを神の国に導き入れるために、多くの苦しみを担って下さった。この世は華々しい活躍や栄誉を求める。
しかし、神は私たちが決して求めようとしない苦しみ、病気や事故、あるいは人間関係の分裂等々、ことに人から捨てられ、見下されるような精神的な苦しみをあえてその道に置かれる。
この世全体も同様である。なぜこんなことが次々と生じるのか、と日毎のニュースに心を曇らせる。しかし、こうしたすべては、神の国への一歩一歩なのである。
この世もまた、神の国に至るには多くの苦しみを通っていかねばならないのだと知らされる。そしてその暗く厳しく見える道は、すでに主イエスによって固く踏みしめられているのである。私は道である、と言われた主イエスこそは、この世のあらゆる苦しみを通って神の国へと導いて下さるお方である。
落穂 ―谷口 与世夫兄の文から
広島市の谷口 与世夫兄は、二〇〇八年十一月に天に召された。かなり以前にご夫妻で、東京などの全国集会や、四国集会などに参加されて以来の主にある交わりを与えられてきた。広島市の佐伯区のお宅に何度か泊めていただいて、ご家庭や、広島聖書集会で聖書講話をさせていただいたことがあった。
そうした主にある交流をいただいて、谷口さんご夫妻の信仰によっていろいろなよきものを与えられてきた。
晩年に出されるようになった「落穂」という冊子には、長い歳月の信仰生活からにじみでる主にある平安がとくに感じられた。そのなかから一部を抜き出して記念とし、私の感想も加え、谷口さんとともに歩まれた主のお心をそこに感じたいと思う。
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心に残る言葉
ある人からいただいた手紙に、深く私の心に残る言葉がありました。
それは、
「神は最後に、いちばんよい仕事を残して下さる。
それは祈りだ。
手は何もできなくなる。
けれども、最後まで手を合わせることができる。
愛するすべての人の上に、神の恵みを求めるために。」
(ヘルマン・ホイヴェルス「最上のわざ」から)
人生のたそがれ時は、私どもにも必ずやってくる。
しかし、それは静かなる涼しき時であると内村先生は「秋の夕べ」の詩の中にうたっておられます。たしかに、秋はふるき衣を脱ぎ捨てて、裸にされていく時、そして心静かに、やがて来る日に備えつつはるかに新しき春を待つ時である。
さわやかな秋空の下、野道をあるきつつ、天を仰ぐとき、そこにはわたしどもの救い主なる神、愛するかたが存して、私どもを待ちたまうことを知る。自ずと口にのぼる言葉は「主よ、きたりたまえ」という祈りである。
神を知ったということ、そしてその救いを与えられたということは、何という喜べであろう。
「アーメン、私はすぐに来る」どこからか細き声が聞こえてくるようだ。
友よ、主がみずから約束したもうた救いの完成の日は間近にある。ともに喜び歌おうではないか。(「落穂」第一号 一九九五年九月)
・これは、最初の号にある、刊行の言葉の次にある最初の文で、ここに谷口さんの晩年の思いが感じられる。「祈の友」に加わって、ともに祈りを合わせませんかとの私のお誘いを受けて下さって、二〇〇四年に共に「祈の友」として祈ることができるようになった。
それはここにあるように、晩年になって祈りこそ最後にできる重要な仕事であると考えられたのだと思う。
ロバの子と落穂
お借りした水野源三さんの詩集のなかにこんな詩がある。
風邪をひくな
腹をこわすな
怪我をするな
主イエス様をお乗せするご用があるのだから。
やさしいあたたかい言葉である。そして深い信仰のことばである。
これは作者自身の心の中でくり返し反すうされた言葉なのだろうか。それとも近親の人の愛のこもった言葉なのだろうか。
この言葉は、しばしば家の者からもきく。それがだんだん身にしみるようになった。
わたしはこの詩のさいごの一節に心ひかれる。
かんがえて見ると、この身は誰によって養われ生かされているのだろうか。何のために。
作者は深くそれを考えている。
「主をお乗せするご用があるのだから」これがその答えなのだろう。
それは私自身についても同じこと、そして主に従うすべての人にとっても同様なことであろう。
小詩を「落穂」と名づけた。それは旧約のルツ記にあるやもめが、その日の糧のために拾う貴重な食べものの意味ではない。
この落穂はかつて路傍に落ちて土にまみれ、やがて空の鳥が来てついばむか、風に吹かれて消えてゆく運命にあるものであった。
ところが、それが全く不思議な方の御手に拾われたのである。思いもよらない一つの奇跡だと思っている。それは今も変らない現実であるが。
そういう「落穂」が小詩の題字となったことはもっともふさわしいと思っている。
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・ロバの子、それは、主イエスが十字架にかかることを覚悟の上で、エルサレムにはいっていかれたとき、小さなろばの子に乗って行かれたという聖書の記事を指している。それより五百年あまりも昔に書かれたゼカリヤ書にある預言がそのまま実現したことであった。それは神の古くからの御計画が必ず成るということを示すための行動であった。立派な馬でなく、小さな弱いロバの子に乗って行かれた。
それはどんな小さなものでもイエスをお乗せしていくことができるという象徴的な意味も込められている。
谷口さんがここで言われていることもそのことで、小さな自分も主イエス様をお乗せして、必要なところへと運んでいく役目をすることができるということを示している。
そしてたしかに谷口さんが晩年になって書かれた「落穂」は、主イエスを乗せ、その真理を乗せて必要なところへと運ばれていったのであった。
「落穂」という誌名も、同じ心が通っている。本来なら散ってしまって踏みつけられ消えてしまった落ち葉のような自分、しかしそれを拾いあげ、新しい命を注ぎ、御国のために用いて下さったという長い人生の経験がそこに感じられる。
私たちも一つの小さな落ち葉であったのを拾われた者、それゆえに小さな取るに足らないロバであっても、主イエスの真理の一端をお乗せして歩ませていただきたいと思う。
老いの坂道
これが信徒の交わりというのでしょうか。いろいろな信仰による暖かいたよりが届けられる。
その都度、忘れがたい印象を与えられ感謝の思いが涌く。
最近のたよりの中に、つぎの二つの俳句があった。
主の恵み 滴りこぼれる落穂かな
老いの坂も 寄りそい登らば、主がそこに
このうたをいただいて私の心はかんしゃに溢れる。
しかし、私はこのうたを私なりに解釈させていただきたいと思います。
はじめのうたの「落穂」は前述のように土にまみれた落穂です。
「主の恵み」とは何でしょうか。私にとってそれは主の十字架の血です。
その血が滴りこぼれてこの身にそそがれたのです。そしてこの汚れた全身が洗い清められたのです。
落穂にとってこれ以上の恵みはないのです。その幸いに心溢れます。
最近私は少し体を痛め、これを妻が案じて快方に向いつつある私の散歩に時々ついてくるようになった。こんなことはいつまで続くかと思います。その散歩の坂道を登りながら私はあの俳句を思いだした。
老いて行く私たちにとってこのうたは深く心に残ります。
この坂道を登ると向こうは、すばらしく見晴らしのよい広々とした展望が開け、道は平坦となります。私たちは息を切らしながらも、その坂道を登って行きます。登りつめてやっと峠にさしかかって、ホッとひと息ついたとき、ふと前方を見るとそこにどなたかが立っているではありませんか。
「主です」「主がそこに」
その時の喜びは如何ばかりでしょう。
過ぎ去った苦労も慈しみも凡て忘れて、主に会しい喜びとさんびに溢れるでしょう。
「主がそこに」すばらしいことです。
私たちはこれを心に留めながら坂を登って行きたいと思います。
聖書の用語、訳語のこと
以前、私もその実行委員に加わっていたころ、徳島市民クリスマスで、聖路加病院の日野原重明氏を招いて講演してもらったことがありました。
そのとき、実行委員会の主たるメンバーである、教会の牧師さんたちでもかなりの人たちが、「聖路加」を「せいろか」と思っていたと言われたこと、またキリスト者の人たちもそのように読んでいる人が多いのがわかりました。
東京に行ってたまたまこの病院の近くをタクシーで移動したとき運転手に聞いてもやはり「せいろか」と言っていましたし、パソコンの漢字変換でも、せいろかと間違った読み方が登録されていて、せいるか
と入力して変換しても出てこない状態で、辞書作成者も間違って読んでいるのがわかります。
私たちのキリスト集会でも、クリスマス特別集会に参加者に記念として本を贈呈していますが、数年前に日野原重明さんの本をその贈呈本にしたことがあります。その本には、わざわざ「聖路加」を「せいろか」とフリガナまで付けてあったのです。それで出版元の講談社にそのことを指摘しますと、編集責任者が出て、「これは日野原先生の秘書もそういっていた」と言われて間違いでないと言うのです。それで私がそれはその秘書も知らないわけで、この路加という語は、中国語の訳語なのであって、ちょうどキリストのことを、中国語で「基督」
と書くのと同じだ。だから、日本においては、基督と書いて「きとく」などと読んだら間違いであるのと同様に、路加 を「ろか」などと読むのはまちがいであること、(*)これは、ルカだけのことでなく、中国語では、福音書を書いたマタイは馬太と表記され、マルコは、馬可、ヨハネは約翰と表記されることを説明しました。
編集責任者はそれでは再度確認しておくと言って電話をきったのです。それから何日かして、その編集責任者から、「やはり言われるように、聖路加は、《せいるか》
が正しい読み方だと判明した、今後は新しい版から訂正しておく」ということになりました。
(*)現代の中国語では、路加という語は、ルカとは発音せず、ルーチャー と読む。馬太はマータイ、馬可は、マーカー と発音する。
このように、有名な病院であってマスコミにもよく登場するような病院の名前がまちがって通用しているのは、それほど日本ではキリスト教に関することの知識が薄弱であるということです。これは、例えば日曜日に休むのは何に由来するかというようなことも同様です。クリスマスはキリストの誕生の記念の日だということは広く知られています。しかし、日曜日に休むようになったのはなぜか、日本人は大多数の人は知らない状態です。
日曜日が休みとなっているのは、キリストの復活の記念の日だからです。そのことと、旧約聖書にある、土曜日の安息日の制度が結びついて、仕事をやすみ、復活のキリストを記念し、礼拝し、み言葉と聖なる霊を受ける日となったのです。
聖書のいろいろな書の名前についても中国語からそのまま転用しているので、わかりにくいのがあります。以前の聖書である口語訳の新約聖書に、使徒行伝という名の書があります。しかし、日本語としては「行伝」などという言葉は広辞苑にも収録されていないのです。これも、中国語の訳語をそのまま使ったから、日本語としてなじめない言葉となっています。それで、新改訳聖書では、「使徒のはたらき」、新共同訳では、「使徒言行録」と訳しています。
こうした意味の定かでない書名は旧約聖書にもあり、例えば士師記という名前は、何なのか初めて見る人はまず分からないはずです。
士師というのは、やはり中国語で、中国古代で、裁判において刑を担当した役人のことを言う言葉です。聖書のこの士師記に、訳語が適切なのがなかったから、裁判での刑を担当、管理する役人を意味する語を充てたのですが、これは日本語としては大多数の人にとって意味不明の語だと思われます。
英語では、士師記は、Judge であり、これは裁判官を意味する言葉で、だれでもはっきりそのイメージが伝わってくる書名ですが、士師記に現れるギデオンなどは単なる裁判官とは大きく異なっていて十分にその内容を表す訳語とは言い難いものです。
また、イースターの前の日曜日(受難週の初日)のことを、「しゅろの主日」といいます。
主イエスがエルサレムに入られたとき、人々が「しゅろ」の枝を道に敷き,あるいは手に持って迎えたことを記念する祝日です。(ヨハネ十二・12~13など)
しかし、聖書の地方、パレスチナ地方では、シュロという名前の植物はなく、日本名でシュロという植物は、ワジュロ、トウジュロの二つがあるだけです。ワジュロ(和棕櫚)とは、日本の(和)シュロという意味で、トウジュロ(唐棕櫚)とは、中国原産のシュロという意味です。
シュロは、うちわのような形をした植物です。これはわが家の裏山でも野性的に生えています。トウジュロは庭木として植栽されています。
この二つはよくにていますが、葉の先が垂れ下がるのがワジュロです。
パレスチナ、中近東地方にあるのは、シュロとは葉の形も全くことなって羽のような形をしたナツメヤシです。これは、高さ30メートルにも及ぶ高木になり、実も重要な食物とされます。葉の長さも、四~七メートルという大きなものです。
しかし、シュロは、高さは三~七メートル程度、葉の直径は五〇~七〇センチ程度の丸い形で実も食べられません。
このように、これは全く異なる植物なのですが、日本語訳ができた頃はこうした植物の知識も不十分であったために、事実とは違った植物名がそのまま定着して、キリスト教の行事の名前にまでなったのです。
なお、新共同訳では、以前の口語訳ではシュロとなっていたところはほとんどナツメヤシと訳し変えられ、岩波書店から出た新しい聖書もナツメヤシと訳されていますが、新改訳ではシュロのままになっています。
ことば
(306)神を知るための二つの道
神を知るための道には二つある。聖書を学ぶことはその一つである。
神のご意志を行うこと、これが第二の道である。
この二つの道は、いずれか一つを欠いては、深く完全に神を知ることはできない。
そして、聖書学者になろうとしてもだれでもがなれるものではない。
しかし、どんな人でも、意を決して勇気をもって愛の行為をなすことはできる。そして実行することによって深く、かつ確実に神を知ることができる。(内村鑑三著 「聖書之研究」一九一〇年五月)
・書物をたくさん読む、聖書のギリシャ語や、ヘブル語、歴史あるいは聖書についてのたくさんの解説書等々、それらをいくら読んでも確信は得られない。確信は、みずから信じて実行したときに体験する神の助けや、励ましなど、神の力に触れた時に与えられる。
それらの助けは聖霊によるのであり、そこから来る確信は聖霊の実とも言える。神が本当にこの世におられるということは、聖書を学び、そこでわかったことを少しでも現実の世において実行してみることによって確信へと導かれる。
(307)知識の渋滞
智識は霊の食物である。それは、実行によって消化さる。そして、消化されない知識は渋滞して毒素と化して魂を害する。
聖書やキリスト教などの研究を十年続けたとしても、何の実行もしないならば、そうした聖書に関する知識はかえって私の霊を殺す危険がある。
今や春の雷が天に響く命の季節である。寒さのために地中にひそんでいた虫が生き返ったようになり、木が芽吹く時である。
私は願う、信じる者たちが、ともに立ち上がって、他者を助けると同時にみずからもそれによって助けられるようになることを。(内村鑑三著 「聖書之研究」一九一〇年五月)
・机に向かって書物だけを読んでいても決して深い神の力、神の愛は分からない。できること、可能なこと、あるいはできないと思われるようなことをも、主を信じて一歩踏み出して初めて神の愛、神の守りを深く実感することができる。
春の季節には、死んだようになっていた虫も新たな力を与えられて暗い土中から出てきて活動をはじめる。人間も書物の世界だけにこもっているのでなく、新たな力を与えられることによって働くことができる。春になると木々の芽も出てくる。これも、枯れたようになりがちな私たちへのメッセージであり、神の力によって新たな心が芽吹く。
(308)いましばらくの間、祈りと心の目覚めをもって、耐え忍ぶがよい。
あなたの家族や親しい人々のためにも。そうすれば、きっとあなたの最良のときが来る。
「主よ、私はあなたの救いを待ち望む」(「眠られぬ夜のために」下 七月二五日の項 ヒルティ著 )
いつまでこの苦しい状態は続くのか、と日々悩み続けることがだれしもその人生の歩みのなかで生じるだろう。そうしたとき、このヒルティの言う、祈りと魂の目覚めを維持することを覚えたい。
祈りによって直面している困難を乗り越えるための霊的な力が与えられ、目覚めた心に主の御声が聞こえてくるまで。
休憩室
○アセビ
インターネットメールで希望者に送付している「今日のみ言葉」に、私が県南の聖書の学び(海陽集会)からの帰途、徳島市から六〇キロほど南の山中で見付けたアセビの花の写真を付けました。
そのことで、「アセビがこんなにきれいだったとは!!感動いたします。」と書いてこられた方、また「アセビは何ともいえない天からの花としか思えません。やさしいかろやかな鈴の音が聞こえるようです。」との感想もありました。
よく知ってその花のよさもわかっていると思っている花でも、ルーペで拡大してみると全く違ったもののように新鮮な美しさを見出すことがよくあります。
離れて見るだけでは、その植物の、とくに花やつぼみ、新芽などのかたちやつくりはよく分からないことが多いですが、スズメノエンドウやハコベといった小さな花を五、六倍~十倍程度のルーペでみると、新たな美しさを発見します。
主イエスも言われたように、野の花を見よということ、そこからもさまざまのことをくみ取ることができるのを感じています。
聖書の言葉も、一つの箇所一つの言葉を深く思い、繰り返し見つめているとあらたな意味とひろがりができてくることがよくあります。それは、植物の花などをルーペを使って見るようなこととも言えます。
み言葉について書いたり語ったりするためには、たえずこうした新しい感動が与えられないといけないので、植物など自然の美しさや繊細さの発見とみ言葉の真理の新たな発見とは通じるものがあると感じます。
○春の星
去年の晩秋からずっと西空に輝かしい存在であった宵の明星(金星)は、現在は見えなくなっています。金星は三月二六日ころに、太陽と地球のちょうど中間の位置にありましたから、現在も太陽とほぼ同じ方向にあり、見えないわけです。しかし、徐々に移動していきますので、六月ころになると、明け方に明けの明星として見えるようになってきます。
現在は春の星座のうち、四月十日頃では、夜十時ころには、しし座が南空高いところに見えます。そしてその時刻にはほぼ真南に、土星が見えます。土星の少し右にしし座の一等星レグルスが見えています。
そして土星の左下(南東)には、乙女座の一等星スピカ、その左上の高い空には、オレンジ色の強い光を見せて輝く牛飼い座のアークトゥルスがあります。これは、春の夜空でとくに目立つ明るい星で、全天の恒星で大犬座のシリウス、りゅうこつ座のカノプス、ケンタウルス座のアルファ星に次いで、四番目に明るい星です。
麦の収穫のときにはっきりと見られるので、麦星とも言われ、また乙女座のスピカがやや光も弱く色も白く女性的なので、それと合わせて夫婦星とも言われます。
なお、このアークトゥルスは、秒速125キロという高速で乙女座の方向に移動しているので、五万年ほどすると、スピカの位置にまで達するとのこと、夫婦星と言われる二つの星ですが、現実にもこの二つの星は近づいていくのです。
このように、星もみな動いているので星座というのも何万年もすれば大きく変わってしまいます。また、太陽のみかけの通り道にある十二ほどの星座だけを取り出して、太陽がそれらのどの星座にいるときに生まれたなどといっても無意味なことで、星占いというようなものが大新聞やテレビなどにすら登場することは迷信以外の何ものでもありません。
お知らせ
○三月二九日(日)の午後、大阪クリスチャンセンターにて、那須 容平兄、小澤 有加姉の結婚式が行われました。(司式は、吉村孝雄。)
那須兄の意向で、結婚式をも伝道のためにも用いられるようにと、聖書からのメッセージの時間を十五分あまりとるように計画され、那須さんの教えている高校の生徒たちも一部が出席し、参加者は一五〇名と多くなりました。大多数の人たちが、キリスト教の話しや讃美歌などを聞いたりするのは初めてであったようです。
今後のお二人の前途が主によって祝福され、導かれますように、そして神の国のためにともに働く者として用いられますようにと祈り願います。
○四月の移動夕拝(火)は、吉野川市鴨島町の中川宅です。
○四月十二日のイースター特別集会のために、偶数月の第二日曜日の神戸市・元町駅近くの神戸私学会館での集会(10時~)と高槻市の那須宅での集まり(13時30分~)は、四月十九日(日)に延期です
。
○四国集会
・日時 五月十六日(土)~十七日(日)に松山市で開催されます。
内容は、問い合わせは、冨永 尚氏まで。電話 0893-52-2856 住所 大洲市長浜甲271番地 E-mail:t-tominaga@r7.dion.ne.jp
○キリスト教・無教会青年全国集会 以下に責任者の小舘さんからの案内の一部を転記しておきます。
・日時…五月五日(火)14:00 ~六日(水)13:15 この休日に、名古屋市で、キリスト教・無教会青年全国集会があります。年齢制限は、五〇歳以下となっています。
全体テーマは「信仰をもって生きるとは」です。
主な内容は次の通りです。
・証しと自己紹介、
・「私にとっての信仰:過去、現在、未来」
・ 讃美と祈りの集い
・聖書に基づく学びあい「信仰に関する聖句」
・ 話し合い「信仰に関する疑問について」
・開催場所:名古屋「金山プラザホテル」ゼミナールプラザ(JR東海道本線「金山」駅より徒歩6分)
住所:460-0024 愛知県名古屋市中区正木3~7~15
電話:052-331-6411
・会費 一万一千円円(1泊2日・宿泊費食事代を含む、代金支払いは当日で結構です。)
・申込方法:郵便番号・住所・氏名・年齢・電話番号・信仰に関する疑問(省略可)をご記入のうえ、以下のEメールアドレスまたは住所あてに小舘美彦までお送りください。
・Eメールアドレス:
kodate@c-line.ne.jp
・住所:〒214-0032 神奈川県川崎市多摩区枡形6の6の1
登戸学寮
・締切:2009年4月21日