どうか、主があなた方を、お互いの愛とすべての人への愛とで、 |
2009年7月 第581号・内容・もくじ
わが愛に居れ | 詩篇 第三編―聖なる山から答えて下さる神 |
すべてに感謝できる恵み―松田敏子 | |
編集だより | お知らせ |
真の世界遺産
最近の日本の政治状況を見ると、目前の選挙のためにはなりふりかまわないという状態で、目にあまる。巨額の金を選挙目当てに国民にばらまく、のちの世代に膨大な負担を強いることになるにもかかわらず、経済の建て直しと称して選挙目当ての多額の予算を高速道路や無駄な事業を起こして注ぎ込む、対立相手の政党の攻撃、わずか数カ月しかない時点で閣僚や党の役員を変えようとしたり、あるいはとにかく人気のある人、有名人にすり寄っていく…等々。
すべてこれらの状況は、目先のことしか念頭にないということである。
それに対して、聖書の世界はいかに異なっていることだろう。はるか千年、二千年を経ても古びることのない真理が一貫して語られている。古代のローマ帝国、中世のさまざまの世界の状況、近代の革命、飢えや貧困そして科学技術の発達や大規模の戦争、人口の増大、環境問題、等々ありとあらゆる変化にもかかわらず、しずかに流れる大河のように真理をこの世界に流し続けている。
聖書の真理は、目先のことでなく、過去数千年を通し、また現在の時代にも、そしてはるか未来、世の終わりにいたるまですべてを洞察した内容となっている。
インターネットやその他の手段でますます目先のできごとに動かされる様相を見せている現代にあって、聖書の永遠の真理こそ、人類にとっての究極の遺産、世界遺産なのである。
心の壊れるところから
人の心はもろい。どんな人でもただのひと言で動揺したり、その言葉が後々まで心にひっかかって相手に反発を感じてしまったりする。
また、悪の力に簡単に誘惑されて正しい道を踏み外したり、実際にそのような行動をしなくとも、心の中で罪を犯してしまうことがよくある。
何か正しいことを知ってそれを続けようとしても続かない。
人間の心から実にさまざまのよくないものが生じてくる。そして堅固な心であろうとしても壊れていく。
ことに信頼していた人間に裏切られたり、自分が取返しのつかない大きな罪を犯してしまったら心は引き裂かれ、砕けてしまうであろう。
とくに家族にそうした大きな問題が生じたりすれば、その問題から離れることもできず日夜そのことで悩まされ苦しむことになる。
聖書は最も人間を深く知っている書物であるから、そうした人間の心の弱さは随所で書かれている。そしてそこから道が開けていることもはっきりと書かれている。
…神の受けられるいけにえは砕けた魂です。神よ、あなたは砕けた悔いた心をかろしめられません。(詩篇五一・19)
この詩が作られた当時の時代は、動物のいけにえを捧げることは重要な宗教上の儀式であった。人間の罪を清めるため、牛や山羊などの動物を殺してその血を注いで清めを受けたり、身を捧げることをあらわすために動物を焼いて捧げるなどが不可欠のこととなっていた。(旧約聖書
レビ記四章ほか)
しかし、この詩の作者は、そのような動物のいけにえなどは神が喜ばれないことをはっきりと示されていた。そして、ここに上げたように神が受けいれるいけにえとは、心であり、しかも砕けた心だということを啓示によって知らされていたのである。
ここで、「砕けた魂」と訳されている原語(ヘブライ語)は、シャーバル であり、これは「砕く、壊す」(*)という意味を持っている。
(*)この語は、次のように用いられている。戸を壊す(創世記19の9)、雹が野のすべての木々を打ち砕いた(出エジプト記9の25)、石柱を打ち砕く(出エジプト記23の24)、モーセは石の板を砕いた(出エジプト記32の19)、神の声は、レバノン杉を粉々にする(詩篇29の5)など。これは旧約聖書全体で二二三回使われているが、とくにエレミヤ書では哀歌も含めると51回も使われていて、創世記19回、サムエル記から列王記、歴代誌に至る多くの歴史書全部でも16回しか使われていないのと比べるとエレミヤ書にはとくに多く使われている。これは、エレミヤは彼の国ユダヤの国が壊れ、滅びるときに現れた預言者であったからであろう。
英語訳ではこの語に crush,break をあてている。この訳語は、原語のように、壊す、粉々にするという意味をもっている。
また、「悔いる心」と訳されている「悔いる」という原語は、ダーカーであり、これはこの同じ詩篇五十一篇の10節では、「砕かれた骨が喜び…」というように、「砕く」と訳されている。ほかの箇所においても、このダーカーは、「悔いる」というより、「立てないほど打ち砕かれ」(詩篇38の4)、「我々を打ちのめし」(詩篇44の20)と訳されるように、打ち砕くという意味をもっている。
このような言葉の意味を考えると、神が求めるいけにえのことを、この詩の作者は、打ち砕く、粉砕するという強い意味をもった言葉を二種類、三度も繰り返して使っていることになるのである。
それほど、この作者は、心が砕かれた、あるいは粉々になってしまった状態は、神に受けいれられるということを深く知っていたのがうかがえる。 私たちの生活において、また、毎日の新聞記事やニュースなどを見ても、心を強められるよりは壊されるようなことがずっと多い。
老年になってさまざまのことができなくなり、病気になり孤独も襲ってくるときさらにその状態はひどくなる。
若いときの希望は壊れ、これこそは頼れると思った人からも裏切られ、人間への信頼の心は壊れていく。老年はいろいろの病気が襲ってくるし身体は着実にあちこちが壊れていく。そして何もかも壊れ、砕かれて死を迎えるということが多いといえるだろう。
そうした状況をすべて見抜いているからこそ、このような壊れた心から、まっすぐ救いへの道が開かれていることを聖書は強調しているのである。
キリストの選んだ十二弟子のなかで、第一の弟子ともいえるペテロは、イエスから重んじられて自分をひとかどの者と思っていた。死んでもイエスに従っていく、と決断を示したりもした。しかし、イエスがとらわれてしまうと、女中からあなたもイエスの弟子だったと言われ、必死になって、イエスのことなど知らないと、主を否定するということを三度も繰り返してしまった。このことによって初めてペテロの心は砕かれた。文字通り粉々にされてしまったであろう。
しかし、そこから本当のキリストの弟子への道が開かれていた。
私たちにおいても、自分は○○ができる、といった自信、自負心をもっている限り、本当の道を歩くことができない。
一般の考え方では、心が壊れてしまったら絶望であり、救われない。だから自信を持て、希望を持て、と繰り返し言われる。だが、自分を知れば知るほど、そして年月が立つほどに年もとっていくほど自信とか希望とかが壊れていくのが実体である。
そのような現実のなかに、神は道を作って下さった。いくら心が壊れても、打ち砕かれても、救いから遠くなるのでなく、そこから神を仰ぐことこそ神が最も喜ばれることだというのである。そのような低くされた心こそ、神への最も価値ある献げものだとされている。
このような砕かれた心こそ、主イエスが言われたことであった。
…ああ、幸いだ。心の貧しい者。
なぜなら、神の国はその人たちのものであるから。(マタイ福音書五・3)
「心の貧しい者」とは、日本語の通常の意味のように、美しいもの清いものなどのことが分からない、教養がないとか心にうるおいがなく飲食や金のことしか念頭にない者
という意味ではない。
聖書においての心の貧しさとは、心砕かれ、粉々にされた状態、そこから神を幼な子のように仰ぐ心を意味している。
…言っておくが、このように、悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい(と思っている)人についてよりも大きな喜びが天にある。
…言っておくが、このように、一人の罪人が悔い改めれば、神の天使たちの間に喜びがある」(ルカ福音書十五・7、10節)
このように繰り返しルカ福音書で、悔い改める心の重要性が述べられ、そのような心こそ何よりも神が喜ばれると強調されているのも同じこと、砕かれた心のことを言おうとしているのである。
それに対して、この世が喜ぶこと、それは勉強やスポーツ、あるいは仕事の業績などで一番になったり、賞をもらったときであり、そのようなことはごく一部の人にしかできない。しかし、神の国で最も大きな喜びがあるとされていることは、だれにでも開かれたことなのである。
わが愛に居れ
「私はぶどうの木、あなた方はその枝である。私につながっていなさい。そうすれば豊かに実を結ぶようになる。」
と主イエスは言われた。イエスというぶどうの木につながっているということ、それは主イエス(神)の愛のうちにとどまるということである。(ヨハネ九・5、9)
さまざまの難しい問題はこのことを知らないか、あるいは意図的に無視することから生じる。アダムとエバも、蛇の誘惑に負けた。それは、食べてよく、見てもよいあらゆるよきもの、水をも与えられている豊かさを与えてくださった神の愛に留まらなかったゆえである。
アダムの最初の子供であったカインは、弟のアベルの供え物が神に受けいれられるのに自分のものは受けいれられないと、弟を憎んだあげく殺すという大罪を犯してしまった。それも、自分を見守ってくれている神の愛のうちに留まろうとせず、人間的感情に駆られてしまったためであった。
イエスの愛の内に留まっている、それはイエスの愛に自分の魂を結びつけることであり、また、あらゆることが、主イエスの愛ゆえになされていると信じることである。
この世には、かずかずの不幸や悲しみ、苦しみがある。それらはひどくなると、神が自分を見捨てたのではないかと思われるほどである。しかし、それでもなお、神は見捨てていない、その苦しみの背後には愛があるのだと信じること、その愛にあくまで留まることこそ、イエスが私たちに求めておられることだ。
十字架でイエスとともに処刑された重い罪人の一人は、主イエスの愛に留まり続けた。釘で手足を打ちつけられるという激しい痛みのなかでも、主イエスがきっと自分のことを思いだして下さる、その愛のお心は自分のような最も悪い人生を歩いてきたものにも、注がれると信じていた。
それはまさに主イエスの愛にとどまる、ということであった。
また、旧約聖書に現れるダビデ王も、息子が離反して父親である自分の命をねらうようになり、王宮を出て涙ながらに逃れていくという事態になった。
しかし、その悲しみと苦しみに打ち倒されそうになる状況にあっても、神の愛にとどまろうとする必死の歩みが詩篇に記されている。
私たちが主の愛にとどまるとき、主イエスもまた私たちにとどまってくださると約束されている。
悔い改めをする、神への方向転換をするということは、わが愛に居れ、というみ言葉に従って神の愛に留まろうとすることである。放蕩息子は、父親のもとからわざわざ離れ、目に見える財産をもって出ていった。その父親がいかに愛の深い者であったかはあとから知らされるのであるが、そのことはまったく分からなかった。わが愛に居れ、ということとは逆に、父の愛に背き、離れていった。そして遊び暮らしてもうだれからも相手にされず、死んでしまうというほどの状況になってようやく父のもとに帰ろう、どんな目にあってもよい、今までの自分が間違っていたと分った。そして父のもとへと帰って行った。人生が終わってしまうというときになってようやく父なる神の愛に留まろうという心が生じたのであった。
愛のうちにとどまること、病気のとき、苦難のとき、老齢のさまざまの問題が生じるとき、そして誤解、中傷、差別や侮蔑の言葉をうけるとき、そこにおいても主の愛のうちにとどまろうとすることはできる。
主の愛に留まらず、人間的考えや、人間の愛のうちにとどまるとき、一時的には燃やされるように感じることがあっても、最終的には、主イエスが言われたように私たちは、枯れていく。(ヨハネ十五・6)
このようなことは、旧約聖書にも多くみられる。詩篇のなかには、わが愛に居れ、という神からの呼びかけに全身全霊をあげて応えようとする心が満ちている。苦しみのとき、必死で叫ぶこと、それは神の愛のうちに留まろうとすることである。
使徒パウロが、古い自分は死んだ。キリストが私のうちに生きておられる、と言ったのは、主イエスのわが愛に居れ、という言葉に忠実に従おうとしたゆえに、そうした大いなる恵みが与えられたのであった。
預言者のはたらきも、要するに神の愛にとどまれ、ということを命がけで宣べ伝えるはたらきであった。
私を仰ぎ望め、そうすれば救われる、ということ、それは、神がわが愛に居れ、ということの別の表現なのである。
神がその愛のうちにとどまらせようとするために、私たちのためにイエスを送られ、イエスが十字架に付けられ、そして私たちがたくさんの律法の行いをせずとも、ただ信じるだけで主の愛のうちにとどまることができるようにして下さった。
祈り、集会、賛美、行い、すべては、主の愛にとどまるためのものである。本を読むことも、自然の美しさや厳しさを味わうこと、渓谷や山岳の力強さに触れること、それらも同様である。
それだけでなく、苦しみや悲しみであっても、それもまた神から送られることであり、主の愛にとどまるためにそのような苦難をも味わうようにと導かれる。
適切な導きをも、私たちが主のうちにとどまるために必要である。ダンテのような力ある人間であっても、そのような導き手を必要とした。よき書物、優れた指導者、よき集まり…これらもまた主イエスの愛に留まるための大きな助けとなる。
また、み言葉を伝えるために最も必要なことは、主イエスの愛にとどまり続けることである。それなくしてはキリストの福音を伝えることはできない。人間的なものにとどまるほど、主イエスは伝わらない。
このように、私たちの生活のさまざまの部分において、つねに主イエスの内に留まり、その愛が神に由来することを固く信じ、そのうちに留まっていようとすることこそ、主から与えられた恵みの道なのである。
詩篇 第三編
―聖なる山から答えて下さる神
(賛歌。ダビデの詩。ダビデがその子アブサロムを逃れたとき)
主よ、わたしを苦しめる者は
どこまで増えるのでしょうか。多くの者がわたしに立ち向かい
多くの者がわたしに言います
「彼に神の救いなどあるものか」と。
主よ、それでも
あなたはわたしの盾、わたしの栄え
わたしの頭を高くあげてくださる方。
主に向かって声をあげれば
聖なる山から答えてくださいます。
身を横たえて眠り
わたしはまた、目覚めます。主が支えていてくださいます。
いかに多くの民に包囲されても
決して恐れません。
主よ、立ち上がってください。わたしの神よ、お救いください。すべての敵の顎を打ち
神に逆らう者の歯を砕いてください。
救いは主のもとにあります。あなたの祝福が
あなたの民の上にありますように。(詩篇第三篇)
一般的には、詩とはまず個人的な喜びや苦しみ、悲しみといった感情を表すものというイメージがある。
しかし、聖書のなかの詩集である詩篇では、最初に置かれた第一篇はそのような内容でなく、人間のあり方全体についての真理であり、全体の総論的なものであった。
神の言に従うことの祝福と、真理に背を向けて生きることは必ず裁きをうけるというこの世の基本的な法則が述べられていた。それが詩という形で書かれているのは、こうした目に見えない世界に厳然たる法則が存在するということに対する驚嘆があったからである。何らかの驚き、あるいは心を揺さぶるものがないところには、詩というものは生まれない。
また第二編も、ふつうの詩とは大きく異なっている。
この世界にあふれている神に敵対する力は神の正義と万能の力の前には、時が来れば滅び去るのだという悪の力そのものへの洞察が置かれている。全世界は様々なものが支配しており、正義の神の支配など有り得ないとする人たちが圧倒的に多い中にあって、神が一切を支配されていると詩篇の作者がはっきりと啓示を受けた内容であった。
この世は一体何が支配しているのか。いつの時代でも神の真理に反するようなことを、国々の指導者たちも絶えず行ってきた。そういうことばかりを見ていると、どこに神の支配があるのかというように思われるが、このような詩篇などに立ち返ることによって、そういう中にも神の支配を見る目があらためて与えられる。
時が来て、神の全能の御手が働くなら、そういう真理に反し、真実に敵対しようとする力は打ち倒される。しかもそのために神の子を遣わすのだという新約聖書の世界に直接に結びつくようなことが言われている。このように政治・社会的なことを含んだ世界の動き全体に関しての、神のご支配について書かれていたのである。
第二篇は、旧約聖書の詩篇全体が、こうした真理の洞察と確信の上に立って、書かれていることを示し、そのような確信へと読者を導く内容を持っている。
詩篇のこうした配列も深い啓示によってなされているのである。
第三篇では、このような第一、二篇とは対照的に一人称「わたし」という言葉が使われている。私たちが絶えず直面する個人的な苦しみの問題が書かれている。
また、まえがきには、「ダビデの詩」とある。ダビデは、自身の子アブサロムが父親である自分の命をねらおうとした時にさまざまの困難、危険な状況に遭遇した。こうした体験のなかから作られた詩だとされている。
ダビデの詩という前書きは、ダビデのものでなくとも、彼が卓越した詩人であり、音楽家であり、かつ王でもあったがゆえに、ダビデの作として伝えられたのも多かったと思われる。いずれにしてもこの詩は、極めて苦しい状態に置かれたときに生み出されたのがうかがえる。
悪の力を滅ぼして下さい
多くの人たちがこの詩の作者に敵対するだけでなく、作者が抱いている信仰そのものを覆そうとした。
たとえ私たちが神の前に正しいことをした時であっても、なおかつさまざまな批判や中傷を受けることがある。
ここでは具体的に苦しめるものがどういう類のものであったかは書いていないが、「すべての敵の顎を打ち 神に逆らう者の歯を砕いてください。」(詩篇三・8)と強い言葉で祈っているのを見ても、作者の存在そのものを打ち倒そうとするような者たちが迫ってきて、作者を危機に陥れようという状況にあることが分かる。
旧約聖書には、このように具体的な敵対する者が、滅ぼされることを願う祈りというのが時々出てくる。このような表現のゆえに旧約聖書に親しめないとか、武力を用いての戦いを認めているとか考える人がいる。
しかし、これは、主イエスよりもはるかに昔のことであって、そうした時代の状況を考える必要がある。現代の私たちは、キリストという最高の模範があること、その生きて働くキリストが特別な人たちに語りかけて教えた真理がある。それが新約聖書である。
それゆえ、詩篇にあるこのような表現においてとまどうことなく、現代の私たちにとっては、悪の力そのもの、というように読み替えて受け取ることが必要である。
主イエスも、サタンが電光のように、天から落ちるのを見たと記されているし、使徒書簡にも、私たちの戦いは目に見える軍隊や騎兵、武器弾薬といった目に見えるものに対する戦いでなく、目には見えない悪の霊との戦いであると記されている。(エペソ書六章)
詩篇の、敵対する者たちへの裁きを願う「すべての敵の顎を打ち、歯を砕いて下さい!」といった祈りは、キリスト者にとっては、「悪そのものの力を砕いて下さい!」という祈りとなる。
自分の最も大切にしているものが侮辱され、あざけられるということ、イエスご自身も「お前が神の子であるのなら、自分を救ってみろ。どこに救いがあるのか」と嘲られた。当然私たちにもイエス様の道を歩んで行くときには、周囲のものから嘲られることがありうるということを覚えておかなければならない。
「神の救いなど存在しない」という声は、追い詰められ苦しいことが重なっていくと、周囲の人間からだけでなく自分の内からも、神様は私を助けてくれないんだとそんな声がしてくる。それに負けて本当に信仰から離れていく人もいる。
主よ、それでもあなたは我が盾
3節と4節の間が一行あけられているが、苦しみが続くとき、だれにも起きる分かれ道がここにある。神の助けがいくら祈りねがっても与えられないとき、神などいないと思って、神への信頼、信仰を失っていくのか、それとも、それでもなお、神の助けを祈り願うか、という分かれ道である。
この詩の作者は、助けがなかなか与えられなくても「主よ、それでもあなたはわたしの盾、私の栄え」であると言っている。
神はわが盾、という表現は、現代ではあまり使われないだろう。盾などというものを全く見ることがないし、使わないからである。しかし古代において、敵からの攻撃を守るものとして盾はとくに重要なものであった。盾がなかったらたちまち敵の剣や矢の攻撃によって打ち倒されるからである。
それゆえに、神こそは、敵のあらゆる攻撃をも防いでくれる存在なので、神はわが盾という表現に詩を作った人の神への信仰、神の力に対する信頼、そして自分を守って下さる神の愛をはっきりと感じたのがうかがえる。
詩篇では、「神はわが盾」と同様な表現は二〇回ちかく現れる。そのいくつかをあげて当時の人たちの神に対する心を感じ取りたいと思う。
…神は羽をもってあなたを覆い、翼の下にかばってくださる。
神の真実は大盾、小盾。(詩篇九一・4)
神は私たちを雛鳥を守るように、その翼の下にかばうという。これは神の愛を深く実感した人の気持である。それと並べて神は大きい武器からも守り、またこまやかな守りをしてくださるという意味で、小さな盾となって小回りのきく助けになって下さる経験を表している。
とくにこの箇所では、神の真実こそ、その大いなる盾でもあり、小さな部分をも守る小盾でもあるといわれている。 私たちを危機に陥れるのは、人間の不真実である。そして人間にはどうしても罪ゆえの不真実がつきまとう。
それゆえにこの世界は混乱し、闇が常に取り巻いている。ただ神だけはあらゆる不正や濁りのないお方である。その神の絶対の真実にこそ私たちは頼ることができる。その真実が私たちを守ってくださる。
…我らの魂は主を待つ。主は我らの助け、我らの盾。(詩篇三三・20)
現実のさまざまの困難に直面して私たちのできることは、神を信じて待ち続けることであるが、その神とは、私たちの確実な助けであり、悪の攻撃から守って下さる盾そのものであるという確信がこの三三篇では最後の部分に締めくくりのように置かれている。
以上のように、神こそわが盾、というこの詩の作者の実感はずっと詩篇を流れているのであり、それが表現は異なってくるが、現在の私たちにも伝わってくる。ちょっとした周囲の人のひと言で動揺したり、感情的に怒ったり落胆したりするのが私たちの実体である。それは私たちがそうした悪意や攻撃に対する盾を持っていないから、そのような毒を含んだ言葉の剣ですぐに心が傷を負ってしまうのである。神を私たちの魂の盾としてしっかり持っているときには、そうした悪の攻撃にも守られる。
「神はわが栄光」
この詩の作者は、神のことをさらに「神はわが栄光」と言っている。
しかし、「神はわが栄え」とか「わが栄光」といっても、何のことを言おうとしているのか、分かりにくい。
栄光と訳される原語(ヘブル語)は、カーボードという。この語は、動詞形のカーベードやその関連語を合わせると、聖書では三七六回ほど使われている。元の意味は、「重い」というもので、実際その意味では次のような箇所で使われている。
…祭司エリは、倒れた…老いて身体が重かったからである。(サムエル記上四・18)
…アブサロムがその頭を刈る時、その髪の毛をはかった…(髪が)重くなると、彼はそれを刈った。(サムエル記下十四・26)
このような重い、重さがある、といった原意から、人間に用いられると、威厳のある、簡単なことでは動かされない重厚な人間、社会的に尊敬される存在といった意味にもなっていった。そこから、最も動かされない重みがあり、この世のあらゆる悪の力にも動じない厳粛な存在ということで、神こそ栄光ある存在ということにつながっていった。日本語の「栄光」という訳語は、光輝くといったニュアンスがあるが、元のヘブル語には光といったニュアンスはなく、重みのあるという意味であったのは注目させられる事実である。
神こそわが岩、という表現は詩篇にも多くみられる。それも神の不動の確実さ、重々しさを表すものである。
ここで、詩の作者が、神はわが栄光と言っているのはどういう意味であろうか。
現代英語訳聖書(TEV)が、「You(God) give me victory」と訳していることからわかるように、神こそわが栄光、という意味は、神こそ私に神の不動の力、を実感させて下さるお方、言い換えれば、神は私に悪に対する勝利を与えるお方である、ということになる。
聖なる山から答えて下さる神
神からの答えは祈り求めたらすぐに与えられるとはかぎらない。二節で記されているように、自分に敵対し、自分を苦しめるものだけが増えるように思うときがある。それでも主に従って、固く信じて主に向かって声を上げ続けるならば、時が来たら必ず神は答えてくださる。この神の答えこそが、大いなる力となり、多くの者が敵対しても打ち負かされないと状態へと変えられる。
…主に向かって声をあげれば
聖なる山から答えて下さる。(五節)
この短い言葉を実際に私たちが経験するかどうかは、私たちの日常生活を大きく変えることにつながる。この世はどのような状況にある人においても絶えず次々といろいろな心の重荷となってくる問題が生じてくる。その場合私たちはどう考えたらいいのか、いくつかの道があるときどれを選んだらいいのか、とても悩むことがある。
また、自分の失敗や罪、そこからくる人間関係の苦しさ、あるいは能力の不足、病気の苦しみなど、だれでもこの世で生きるかぎり次々と生じる問題の解決に悩まされる。
人に相談することもあるが、難しい問題ほど誰にもその深刻さはわかってはもらえないものである。
そのような場合、この詩にあるように、神がそうした人生の問題に答えて下さる時にはそれらすべてから立ち上がる力を与えられる。
かつて、旧約聖書の預言者エリヤは、特別に神からさまざまの奇跡を行う力を与えられ、偽りの預言者の力を滅ぼすなど神からの祝福に満ちた力を与えられていた。そのような者であっても、あまりのこの世の悪の力の執拗さに気力を失って、もう命をとって下さいと神に頼み、砂漠地帯に出てそのままなら死んでしまうほどのところに行った。
もう死ぬという寸前でエリヤが立ち上がり、新たな使命に向かって立ち上がることができたのは、神からの応答があったからである。(列王記上一九章)
死の寸前にあったエリヤは御使いによって命を助けられ、そこから遠い神の山に向かった。四〇日四〇夜も歩き続けるほどの距離であるから、一日に二〇㎞を歩くとしても八〇〇キロもの道のりになる。これは文字通りの意味でなく、象徴的な意味と考えられるが、相当な距離であったことは確かであろう。現在のベエルシバから、シナイ半島のシナイ山までは直線距離でも三〇〇キロ近くもある。
そのような長距離をエリヤが行ったのは何のためか、それはそこで神からの答えを受けるためであった。そしてエリヤは確かに神からの答えを新たな力と使命とともに受け取り、来た道をふたたび帰って行ったという。
死に瀕したもの、もう悪との戦いに疲れて死にたいと希望して実際に砂漠地帯のオアシスで死を目前にしていたエリヤがこのように信じられないほどの変わりようを見せるのは、神の助けをうけ、神の言葉をうけることによってであった。
数百㎞もの道のりをただ神からの直接の言葉をうけるために行ったということ、四〇日四〇夜歩き続けたという表現のなかに、ただひたすら神が行けというところへどこまでも前進していく一人の人間のすがたが表されている。
そして静かな細い声を聞き取り(列王紀上一九・12)、さらに新たな使命を与えられて、来たのと同じ道を再び引き返して来た道よりさらに遠距離にあるダマスコの荒野へと行けと言われた。
砂漠同然のところが広がっている地域では現代のような旅とはおよそ異なる困難があったであろう。ここにも神の言葉によって力を与えられて方向を明確にされた魂は通常では考えられない行動が可能になることを示している。
詩篇第三篇において、苦しみのなかから神に叫び、祈ることによって神からの答えを与えられたとある。
預言者エリヤは実際に遠い神の山に到達し、そこで与えられた神の言葉によって、死ぬ寸前という状態からまったく方向転換したのであった。
主に向かって声をあげるとき、聖なる山から答えて下さる! これは現代の私たちにおいても、決定的に重要なことである。
武力や経済的な力、あるいは周囲の人間などから守られるのでなく、生きて働く神の守りがあるならば打ち倒されない。
この詩篇の中心にあるのは、こうした誰でもがその生活の中で経験するさまざまの悪との戦い―それはしばしば自分自身の中にある悪との戦いでもある― のなかで、いかに神を信頼し続けるか、ということ、そしてそこから神の応答が必ず与えられるという事実なのである。
眠りにつくときも目覚めのときも
私たちの多くは、この詩で言われている二つのこと、すなわち、どこまでも神への信頼をもって祈り続け、叫び続けることと、神からの答えを与えられること、を欠いているゆえにさまざまの問題に打ち倒されてしまう。
しかし、この詩の作者は魂の苦しい戦いのすえに、神からの応答を与えられ、そこで初めて深い平安を体験したのである。
その魂の静けさがつぎのように表現されている。
…私は身を横たえて眠り
また目覚める。
主がささえてくださるから。
いかに多くの民に取り囲まれても
決して恐れない。(六~七節)
ここには、悪に取り囲まれて苦しみうめいていた過去の心の状態とは、まったく異なるように変えられたのがわかる。それほど、神からの応答を受けたということは、この詩の作者に大きな変化をもたらしたのである。
そしてさらに六節のように「眠るときにも、目覚めるときにも」はっきりと神がそばにいてくださると実感できるようになる。一日のなかで一時的に神を近くに感じるのでなく、主の支えの中で眠り、目覚めるということができる。
「神様は応えてくださった」という経験を与えられるとき「主が実際に支えていてくださる。」ということを朝ごとに、夕ごとに実感するようになる。
そうなれば、どんなに多くの民が攻撃、中傷、批判してきても、不思議と恐れないでいられる。このように神からの語りかけというは非常に強い力を与えるのである。
この詩のはじめの部分には、「私を苦しめる者はどこまで増えるのか、多くの者が私に立ち向かう…」というように、悪の力に取り囲まれていた作者は、自分を苦しめる者の力が増え続け、自分はますます追い詰められていくといった恐れを強く感じていたのであった。
しかし、その状況から神への信頼をどこまでも失わないときには、時至ると、不安と恐れに満ちたかつての状態とは大きく変えられて深い主の平安のうちに憩うことができるようになったのがわかる。そして自分を囲むのは、多くの敵対する力でなく、実はそれらのもっと内側に自分をしっかりと守る神の助けを見ることができたのである。
ステファノは最初の殉教者となったが、復活したキリストをはっきりと神の右に見た。これも彼の命がけの行動の応えであった。
彼は、決して見捨てられていないのだという神の答えが与えられ、それゆえに群衆から石を投げられ、罵倒されても不思議と恐れないで、主の支え・神の支えをはっきり感じながら死んでいった。
私たちがさまざまのことを恐れるのは、結局のところ神からの答えがないからであり、主の支えを実感できないからであり、この二つのことがあれば、どんなことがあっても、たくさんの敵対する者があっても恐れないで歩んでいくことができる。信仰的に絶えず前進する人というのは、絶えず神に向かって声を上げ、そして答えを受け取っていく人である。
そして眠りの時など一日の折々に、主の支えを実感する。いくら信仰を何十年と持っていても、真剣に声を上げようとしないで、答えも聞こうとしないでいると、主の支えというものを実感できなくなり、信仰がだんだんと衰えていくであろう。
悪の力を砕いて下さい
私たちはキリストが来られたのちの時代に生きている。現代においても、悪そのものや、真理や正義、愛などを本質とする神に敵対する悪の霊、けがれた霊そのものを打ち砕いて下さい、というのは切実な願いである。旧約聖書では「悪人を滅ぼしてください」というように、実際の悪い人間が出てくるが、新約聖書の時代になってからははっきりとそれは分離され、悪人のために(彼らの内にある)悪の霊が退くように祈れ、と言われている。
この詩で出てくる表現、「悪人の歯を砕いて下さい」というのは、歯を悪の力のシンボルとして、サタンの力を砕いてくださいという祈りとして受け取ることができる。
その祈りによって神が悪の霊を追いだすとき、悪い霊につかれた人も良くなる。
それが新約聖書にはいろいろな実際の例で示されているし、主イエスも十二弟子たちを選び、彼らを送り出すとき、何を与えたかといえば、第一に汚れた霊(悪の霊)を追いだす力であった。
…イエスは十二人の弟子を呼び寄せ、汚れた霊を追いだすための力を与えられた。
(マタイ十・1)
私たちも絶えずこのように神の支えを得て、悪そのものが神の力で滅ぼされるようにと祈りたいと思う。
「すべての敵の顎を打ち 神に逆らう者のあごを砕いてください」(詩篇三・8)
この箇所では、新共同訳では右のように祈願文となっている。しかし、口語訳、新改訳では次のように、神の御性質そのものを表す表現となっている。
…あなたはわたしのすべての敵のほおを打ち、悪しき者の歯を折られるのです。(口語訳)
…あなたは私のすべての敵の頬を打ち、悪者の歯を打ち砕いてくださいます。(新改訳)
なお、関根正雄訳では「あなた(神)は、敵の歯を砕いて下さった」と過去形で訳している。
日本語の表現としては、祈りの言葉なのか、それとも神が悪の力を打ち砕くという神の御性質をそのまま真理として、詩の作者の確信を述べているのとは意味が異なる。なぜこのように訳が違ってくるのかと、疑問になるであろう。
これは、ヘブル語の過去形(完了形)というのが、現代語の過去形とは異なり、現在のことにも、また未来のことにも使うことがあることによる。
それゆえに、口語訳と新改訳では現在のこととして訳しているが、新共同訳では、未来に生じること、祈願を表すこととして訳されている。
しかし、外国語訳、例えば英語訳でみると、三〇種類ほどのうち、大多数が次のように現在完了形や現在形に訳していて、祈願のように訳しているのはごくわずかである。
You strike all my foes …(NJB)(あなたは、すべての私の敵を打って下さる)
you strike all my enemies …(NRS)(同右)
You have struck all my enemies…(NKJ) (あなたは、すべての私の敵を打って下さった)
原文であるヘブライ語の完了形という時制は、過去形に訳されることが多いが、文脈や状況のとりかたによって現在形や祈願文にも訳すことができるので、このように訳が分かれている。
「あなたは全ての者の顎を打ち、歯を砕いてくださったのだ、あるいは砕いてくださるのだ。」と確信を述べていると受け取ることができる。
このように訳文の表現は異なるものがあるが、いずれにしても悪の力がどんなに来ても、神様の力は必ずそれに勝って、打ち砕くのだという確信が豊かに見られる。
救いは主のもとに
こうした確信に立ったうえで、作者は自分や同胞の人たちが全く救いへと導かれるように祈る。それは神こそ悪の力を徹底的に排除することができると信じているからである。
最後に作者は、人間の救い―究極的な幸い―は、ただ神のもとにある確信を述べる。
救いは主のもとにある。
あなたの祝福が、民の上にあるように。(九節)
人間はたいてい究極的な意味での救いを金の力や政治、また国際的な協力といった目に見えるものに置こうとする。 しかし、そうした金や政治などは、制度の変革や魂の問題の外側にある問題の解決には有用であるが、人間の魂そのものに救いを与えることはできない。
現代では最も大々的にマスコミで繰り返し扱われるスポーツにおいては、勝ったからといって、魂の救いがあるのではない。そうした勝敗は人間の深いところの魂の問題には何も関係していない。それゆえに、聖書が記された同時代にギリシャやローマではスポーツ、競技が盛んに行われて今日も遺跡として残っている大競技場があるほどであるが、聖書において一切記述がない。キリスト教精神というのは、弱い者を顧みるという本質があるが、スポーツは逆である。ボクシングなどで典型的に現れているが、弱いものを打ち倒して勝ち進むところにそのおもしろさがあるため、注目が集まっていく。弱いものを助ける、などといっていたらスポーツの試合にはならず、弱いものが見捨てられるのがマスコミによく登場するスポーツの世界である。
しかし、本当はそのように勝ち負けにこだわらず、それぞれがスポーツによって気楽に身体を動かして楽しみ、心身ともにリフレッシュしたらいいわけで、負けても何も悪いことはない。むしろ負けたほうが傲慢にならないだけ良いこともある。
また富がどれだけあるかとか、身体の健康ということもまた、魂の救いとは関係しておらず、かえってどこも病気などで苦しんだことのない人は、救いに遠い傾向があるほどである。
救いは、この世のそうしたいかなるものにあるのでなく、宇宙を創造された神のもとにある。さまざまな敵対する者の中から、神への信仰にすがり続けた時には神からの答えと、日ごとの神の支えの実感がある。
形式的な宗教ほど儀式的で、神殿や寺院などに行ったときだけお経を唱えたり、儀式をしたりするが、あとの生活の場ではまったく思いだすこともないといった状態になる。日本人は一般的には、多くが仏教徒だと言われるが、日々の生活のなかで、仏教の教典の言葉を思い起こし、それにしたがって生きていこうとするようなことはとても少ないと思われる。私自身、小学校、中学、高校、大学とながい教育の場で、教員から仏教の教えとか神道の教えといったことを聞いたことは一度も記憶がないし、生徒、学生たち同士でも話題になったことも一度もなかった。そのことだけ考えても、日本人にとって宗教が生きて働いている人はきわめて少ないと言えるだろう。
私の家では、家の宗教が真言宗だということは聞かされていたが、真言宗の教典というのは家になかったし、法事などで真言宗でやっているのだと聞いても参加者は真言宗の教典の内容が何であるか知らない状態であった。このような状況であるから、日々の生活のなかで、その教えにしたがって生きるということは無理な話であり、葬式や法事、盆といった時だけ、形式的に仏教の儀式をやっていたのである。
聖書においても、キリストの時代やそれ以前数百年も前から、唯一の神を知らされて、本当の礼拝のあり方も示されていたにもかかわらず、絶えずこうした形式化の波を受けてきたのがみられる。主イエスもそのような形だけの宗教というものを厳しく批判され、そのために当時の宗教指導者たちから憎しみをうけ、最終的に十字架につけられるということにまでなったのである。
そうした形式的な信仰のあり方と対照的なのが、この詩篇に記されている信仰のすがたである。
夜、床につくとき、朝起きるとき、それは最もプライベートな時間である。そうした時間に思い起こすことが何であるか、そのようなときに深く実感するものこそ、私たちの魂に深く刻まれていることだからである。
この詩の作者は、まさにその深い個人的な魂のすがたを示しているのであって、数千年を経たのちに読んでいる私たちにとっても、その魂の風景こそは、私たちにそのまま入ってくるし、私たちと共有することができる。
こういう自分の体験に基づく確信を持った人は、その満足を自分だけで終わらせず、周囲の民の上に祝福がありますようにと静かな祈りとなっていく。
本当に救いを受けた人は自分だけで決して満足せず、人々の上に祝福があるように、よきことがあるように絶えざる祈りが自ずから出てくる。
それゆえ、この詩の最後は、自分に与えられた祝福が広く他者にも及ぶようにとの祈りと願いをもって終わっているのである。
…救いは主のもとにあります。
あなたの祝福が、
あなたの民の上にありますように。(九節)
ここで取り上げた詩がどうして詩篇の三番目に置かれているのかというのは、個人の魂の歩む道というものを凝縮させた形がこの詩に示されているからなのである。
私たちは日々、国際社会、政治的な問題にも接する。そしてそこでさまざまの社会的な悪の問題に直面する。そのようなときに、詩篇第二篇のような内容を身近に感じていることが不可欠であるし、自分が一人悪の力に攻撃され、あるいは病気という闇の力からの攻撃のようなものに苦しめられるとき、神のことを見失うことなく、祈り続けていくところに勝利があり、救いがあるという真理を第三編が示している。社会的な問題を見つめつつ、さらにその背後の神を見つめることの重要性をこうした詩篇は私たちに語りかけているのである。
よみがえったキリスト ―エマオ途上とその後―
復活の日、イエスは十一人の弟子たちには現れず、マグダラのマリアと一部の女性たちに天使がみずから復活を告げた。そしてその同じ日、エルサレムから十キロあまり離れたエマオへの道の途上で、それまで全く名前も記されていない二人の弟子に主は現れた。
しかも、どこからともなく近づいて共に歩き、語りかけられた。なぜこのような全く知られていない、どの福音書にも記されていないような弟子にこの復活という極めて重要な事実が知らされたのだろうか。
神は、つねに人間の予想を越えてなされる。主イエスが、語られたように、「風は思いのままに吹く。あなた方は、それがどこから来て、どこへ行くか知らない。」(ヨハネ三・8)
と言われた。風と、霊という原語(ギリシャ語)は同じ プネウマである。主イエスは、風のことを語りつつ、神の聖なる霊のことをも同時に語っておられるのである。
主イエスご自身が聖なる霊でもあったから、次のように言われた。
…イエスは彼らに答えて言われた、「たとい、わたしが自分のことをあかししても、わたしのあかしは真実である。それは、わたしがどこからきたのか、また、どこへ行くのかを知っているからである。しかし、あなたがたは、わたしがどこからきて、どこへ行くのかを知らない。(ヨハネ八・14)
このように、風(聖なる霊)がどこから来てどこへいくのか分からないように、主イエスご自身もどこから来て、どこへ行くのか、信じようとしない人には決して分からないことを告げられた。
この時の弟子たちは、目がさえぎられていて復活のイエスだとは分からなかった。
このことも、今の私たちに絶えず起こっていることである。 神が、その万能の力をもって、自然の風や雲、あるいは大空や小鳥のさえずりを生み出し、私たちに働きかけても目が開けていなかったらそこに神のメッセージが込められているとは分からない。野草の花や、樹木の静かなたたずまいが何かを語りかけていても、私たちの心の耳が閉じていたら分からない。
日常のさまざまの出来事についても、それが何を意味するのか、復活のイエスがそこにどんな意味を込めておられるのか、それも気がつかない。
この二人の弟子は、ふつうの意味において目は開いていた。それで話しかけた人も見て、話しも聞いた。しかし、霊的な復活のイエスをそこに見ることはできなかった。見ていても、見ていない、のである。
このような復活のイエスといった特別なことでなくとも、これに類することは、私たちの生活のなかでも多くある。目で見えるところだけを見て、その奥にある霊的なもの、真理を見ることができないのである。
例えば、その人の顔や服装、職業、地位を見ていても、その人の内面の心のひそかな傲慢や、たかぶり、心の汚れは見えないことが多いし、またその人の苦しみや悲しみ、あるいは誰にもいえない苦しみや悲しみや絶望感などは見ることがほとんどできない。
目がさえぎられている、それは天の世界についてはすべての人にいえる。表面だけを見て、その奥にある目には見えないものを見ることができないのである。
それゆえに、次のようにイエスは言われた。
…私がこの世に来たのは、裁くためである。こうして見えない者は見えるようになり、見える(と思い込んでいる)者は見えないようになる。(ヨハネ九・39)
イエスは求めるものに新しい霊の目を与えるために来られたのである。
イエスが二人の弟子たちに語りかけたとき、彼らは暗い顔をしていたとある。イエスに従っていた仲間の婦人たちからイエスが復活して生きている、ということを聞かされたが、それでもそのようなことを信じることができなかったからである。
この方こそ世を救うお方、何百年も昔から預言されていたお方であると信じていたのに、わずか三年の伝道であっけなく殺されてしまった。
しかもあざけられ、鞭打たれ、裸同然の姿で十字架につけられ、重い犯罪人と同じ刑罰をうけるというこの上もない恥を受けた死であった。イエスが復活したというようなことは到底信じることができなかったゆえに、弟子たちは暗い顔をしていたのである。
復活のイエスは、たしかに不安や苦しみ、あるいは絶望で暗い心のところに来てくださる。闇の中に光として来られたお方であったゆえにそれは当然のことであった。
聖書によって説き明かす
このとき、イエスはこの不安で暗い顔をしていた弟子たちに語りかけたが、あえて自分が復活したイエスであるとは言われなかった。
弟子たちが信じられない思いを語るのを聞いたあとで、救い主(メシア)は、苦しみを受けて復活し、神と同じ姿となって神のもとに帰るのだという、旧約聖書全体にわたってイエスについて書いていることを説明された。不安と信じられない思いでいる弟子たちに、なぜ、すぐにイエスは、自分が復活したそのイエスであると言われなかったのだろうか。
それを言わずに、メシア(救い主、キリスト)は苦しみを受けて、復活して神と同じ姿となって天に帰るのだということを、旧約聖書全体を通して説明をした。
そして歩きながら説明をしただけでない。この二人の弟子が、エルサレムに引き返し、イエスの十一人の弟子たちと復活のことについて話していると、イエスご自身が真ん中に立って、復活が事実であることを示された。そしてそのときにおいても、再び、イエスは聖書を悟らせるために、モーセの律法と預言者の書と詩篇に書いてある事柄はすべて実現する、と言われた。
このように、復活したイエスは、自分がまさに復活したイエスだと言うだけでよいと思われるにもかかわらず、ルカ福音書では二回も、イエスが聖書に基づいて自分がはるか昔から預言されていたことが実現したのだと説明されたのである。
なぜだろうか。
それは、イエスが人から捨てられ、苦しめられて殺され、その後復活して神のもとに帰るということは、偶然のできごとではない、神の大きな御計画があるということを示すためであった。
万能の神、すべてを見通してあらゆることを愛をもってなされている神であるからこそ、深い御計画によって万事をなされる。イエスが地上に神の子として現れることも、永遠の昔からの神の御計画のゆえであった。
イエスだけでなく、私たちも、はるかな昔から選ばれ神の愛がわかるように創造されていることは、次のような箇所が示している。
…天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。
(エペソ書一・4)
こんなことは一般のキリスト者でも話題にしないほど、驚くべきことである。私たちへの愛は、はるか昔の天地創造以前からはじまっていたというのである。そして時至ってこの世に生まれ出て、キリストを信じる者となり、さらなる清めを受けて御国に行く者とされるということである。
このように、神は愛であるということは、ずっと以前から深い御計画をもって万事を行っておられるということであり、イエスが現れ、十字架の苦難を受け、そして復活して神とともにおられる、ということも深い御計画の中にあった。
主イエスは、神の長い期間にわたるその御計画のことに目が開かれることを期待した。そしてもし目が開かれたならば、十字架の死の意味や復活ということもおのずからわかるようになる。
このように、長い時間の流れのなかにおける神の御計画ということを知ることの重要性のゆえに、イエスは弟子たちにくわしく旧約聖書で予告されていることを説明したのであった。
私たちが今生きているということも、偶然に生まれたのでなく、私たちが生まれるはるか前からの神の御計画があったということを知るとき、どんな人であっても神は愛をもって私たちを見つめておられるということを知らされる。
また、万事が神の御計画によるということを信じるとき、この世のできごとも、また将来起きるであろうことに対しても、大きく動揺するということがなくなるであろう。
私たちと共にいて下さい
イエスが聖書を用いて説明したことによって、弟子たちは心が燃やされた。そしてこの語りかけてきた未知の人に不思議な霊的な力を感じた弟子たちは、その人が、なおも、先へと行こうとしたので、二人の弟子は、もう夕暮れになったからと言って「私たちとともに留まって下さい」と無理に引き止めた。
そのために、イエスはその家に留まるために入っていかれた。
食事をするとき、イエスがパンを取り、祝福の祈りをして、パンを分けて弟子たちに与えた。その時、二人の弟子の目が開けて、それが復活したイエスであることがわかった。そしてたちまちそのイエスの姿が見えなくなった。
この記述には、現実離れしたような内容があるため、実際にこのようなことが生じたと信じる人は少ないかも知れない。しかし、イエスという存在は、生まれたときから極めて不思議な驚くべき存在であり続けたのである。そして三三歳の若さで重い犯罪人として十字架で処刑された。それでふつうなら歴史の中から消えてしまう。無数の人間が生きては死ぬことを繰り返していくのであり、大きな時間という波にみんなのみこまれて消えていく。
しかし、イエスはいかなる時代の大波が押し寄せようと、その波にのみこまれることはなかった。時間の大いなる流れに何百年も続いた大帝国もみんな流れ去り、消えていったにもかかわらず、イエスだけはすべてのそのような波に超然として今日まで存在してきたのである。
イエスは生まれたときから、そして地上にあるときも、さらに死のときからも直ちに驚くべきことが次々と生じ、復活というだれにもないことが生じた。そして復活の主イエスは閉じた扉であってもどこからともなく入って来て、また必要なメッセージを与えたのちは、どこへともなく消えていく存在であることを示された。
イエスがこうして復活された、ということを弟子たちがはっきりわかったのは、彼らが無理にイエスを引き止めたからである。もし、弟子たちがイエスが通りすぎていこうとするのをそのまま受けいれて「さようなら」と言って別れていたら、彼らの目は開けず、復活のイエスであるということも分からないままであった。
ここにおいて、福音書の著者ルカがとくに強調しようとしているのは、復活のイエスとは私たちにどこからともなく近づいて下さるお方であるが、他方、私たちの方も精一杯、ともにいてくださるようにと無理にでも引き止めるべきだということなのである。
「求めよ、そうすれば与えられる」という有名な言葉もまた、ここであてはまる。弟子たちはどこか不思議な力をもった人であることを知って、そのままにせず、ともにいることを求めた、強く求めたのである。
それゆえにこそ、復活のイエスは彼らと共に食事をされ、魂の目を開いてイエスという復活という最大のできごとをはっきりと見ることができるようにされた。
このとき、弟子たちが言った言葉、「私たちと共に留まって下さい!」という強い願いの言葉は、単なる過去のできごとではない。
人生の夕暮れにおいて、生活の苦しいたそがれにおいて、生きて働くイエスに、私たちとともに留まって下さい、という切実な願いを表すものとして受け取られてきたのである。
それゆえに、ルカ福音書のこの箇所の言葉が取り出されて広く愛唱されてきた讃美歌にもなっている。
Abide with me
Abide with me,Fast falls the eventide.
The darkness deepens; Lord,with me abide.
When other helpers fail And comforts flee,
Help of the helpless, Oh, abide with me.
この賛美は、元の英語の詩をみればすぐにわかるように、タイトルも 「私とともに留まってください」Abide with me である。
そして、一節だけで、三回もこの Abide with me が用いられている。このことからもこの讃美歌の主題は 「私とともに留まって下さい!」ということであることが容易にわかる。
この詩の直訳を次にあげておく。
とどまって下さい、私と共に。 夕暮れは間近です。
闇は深まっています。主よ、私と共にとどまって下さい。
他のいろいろな助けが失われ、慰めも消え去る時、
助けなき者の助けよ、ああ、私と共にいて下さい。
-------------------------
次は讃美歌21の歌詞を比較のためにあげておく。外国の歌詞を日本語にするときには、この讃美歌だけでなく、メロディーに合わせるために元の詩の内容を大幅にカットし、あるいは原文にない内容を入れて訳されている。
「日暮れて闇は迫り」
日暮れて やみはせまり
わがゆくて なお遠し
助けなき身の頼る
主よ ともに宿りませ
(讃美歌21-二一八/新聖歌三三六)
このように日本語の讃美歌にするときには、タイトルも詩の内容も大きく異なってくることが多い。この讃美歌では、日本語版のタイトルは「日暮れて闇は迫り」である。しかし、もとの讃美歌のタイトルは「私とともにいて下さい
」Abide with me である。
タイトルを見ると、闇が迫るというのがこの讃美歌の内容だと思い違いをしかねない。しかし、元の讃美歌のタイトルは、そのような「日暮れて 闇が迫る」ことが主題でなく、「私とともにいて下さい!」という切実な願いであって全く異なるものなのである。
聖書の言葉は、前後の関係の中から読むことによって本当の意味が浮かびあがってくるが、この言葉のように、前後の文脈とは切り離して広く用いられ、多くの人たちの慰めや励ましとなってきたものもある。神の言葉は、生きて働くからこのように前後関係の中から読み取っても、またその言葉だけ取り出しても力を発揮するのである。
目が開けて
イエスの復活の記述において、「目が開ける」ということが特に記されている。
二人の弟子たちがイエスが処刑されたことや一部の婦人たちがイエスは復活したと話したことなどを語り合いつつ歩いていたときに復活したイエスが近づいて、語りかけ、十キロ余りもある道のりをともに歩きつつ語りかけていたのに、「二人の目はさえぎられていて、イエスだとは分からなかった」(ルカ二四・16)と記されている。そして、そのイエスだとようやくわかったのは、弟子たちが強いて引き止めて家に留まってもらったとき、イエスがパンを分けて彼らに渡したとき、「二人の目が開けて、イエスだとわかった」(31節)。
さらに、イエスは、十一弟子たちとさきほどの二人の弟子たちがともに集まっているときに、「聖書を悟らせるために、彼らの心の目を開いて言われた…。」(45節)と何度も目が開けること、さえぎられていることを書いている。
復活のイエスを本当にわかる、ということは、いかにふつうの目が見えてもどうすることもできないことが強調されているのがわかる。
このことは、ルカ福音書だけではない。ヨハネ福音書においても、十字架でイエスが処刑されて三日目、朝早くマグダラのマリアがイエスが葬られた墓のところに来ていたとき、そこに復活したイエスが現れて後ろに立っているイエスが見えた。しかし、マリアはそれがイエスだとはまったくわからず、そのあたりを管理している人間だと思った。そして会話を交わしたが、イエスが「マリア!」と呼びかけたとき、彼女は一瞬にしてそれが復活したイエスだと分った。目が開けたのである。
このように、復活ということの困難さは、弟子たちや最もイエスと身近にいて生活をともにしたような人ですら、分からなかった。しかし、イエスから直接に何かが与えられること―それがパンであったり、短い一言であったりするが―そのとき初めて目が開かれて分った。これは、福音書が書かれた当時のキリスト者たちの霊的な経験を反映しているといえるし、そのことは時代を越えて現代に生きる私たちにもあてはまるのである。
生きて働いておられるイエスは、今も私たちの直ぐ側に来られて、ともに歩いておられる。しかし私たちは気づかない。重い罪や病気、苦しみのとき、あるいは祈りのとき、野外を一人祈りをもって歩くとき、真実な礼拝のとき、また清い自然のなかに浸されるとき…等々、突然にして目が開かれることがある。
また、私たちの側で心の目が開かれるという記述とともに、これと似通ったことであるが、時折、「天が開けて」という表現がある。すでに旧約聖書にもヤコブが兄から命をねらわれて遠くに一人で逃げていく途中に、天が開けてそこから地上に階段が見え、御使いが上り下りしていたのを見た。それはヤコブの生涯を、また神を信じるひとたちの歩みをも象徴的に示すできごとであった。
また、イエスが、罪はないにもかかわらず、罪人のようにみずからを低くして洗礼のヨハネのもとで、川の水に入り、そこから上がったときにも、天が開けて聖なる霊が降ってきたとある。また、ステファノが石で打たれて息を引き取ろうとするときにも天が開けたことが記されている。
預言者たちが、ほかの人たちには見えないものを見たり聞いたりしたことも、みな天が開けたゆえに見ることができたのである。
こうした記述は、魂の目が開かれた者には、また天が開けて通常は見えないものが心の目で見えるようになるのを示している。
Uターンした弟子たち
二人の弟子たちは、無理に引き止めた人が、復活したイエスであることをはっきりと知った。そしてすでに夜遅くなっていたにもかかわらず、片道十キロ余りあるという距離をただちに、イエスが選んだ十一人の弟子たちがいるエルサレムへと引き返したのである。
エルサレムは、八〇〇メートルほどの山の頂上にある町であり、エマオからは上り坂が多かったであろう。それは歩いて夜の道を行くとすれば三時間ほども要する距離である。夕方にイエスがエマオの家に入り、そこで話しをして食事をしたということであるから、エルサレムに着いたのは夜遅かったと考えられる。
夕食後ただちに出発した町に引き返す、というのは彼らの熱意が相当なものであったのがわかる。復活したイエスは、このように暗い表情をしていた者たちに全く新たな力を与え、行動に移させるのであった。
夜遅く、エルサレムへの登りとなる山道を復活のイエスを報告しようと喜びと驚きをもって帰っていく二人の弟子、それは何時間か前には、不安と恐れと動揺する心で力なく歩いていたのとは大きく異なっていた。
神を見つめ、復活したキリストを心の目で見つめつつ、Uターンする弟子たちは、そのまま現代の私たちにとっても、暗示的である。私たちもまた、復活の力を受けるとき、憂鬱なこの世、暗い心になって夕闇のなかを歩いている状態から、希望の光に向かって登っていくように変えられるのだからである。
復活したイエスの最初の言葉
夜遅く、引き返していく二人の弟子、その姿を思い浮かべるとき、キリストが人間の魂を揺り動かす強い力を感じさせられる。その二人の弟子が、ようやくエルサレムのキリストの十一人の弟子たちのところに着いて復活のイエスのことを話していた。
そのとき、復活したイエスがどこから入って来られたのか、部屋の中に来て、彼らの真ん中に立った。イエスを信じ、慕っている人たちの真ん中に立って下さるということ、そこには誰をも同じように見つめるイエスの姿がある。かつて地上に生きておられたとき、主は言われた。
…真実をもって言う。あなた方のうち二人が心を一つにして求めるなら、天の父はそれをかなえて下さる。二人、三人が私の名によって集まっているところに私はいる。(マタイ福音書十八・20より)
生前のイエスもこのように二人三人が主に向かって心を一つにして集まっているただなかに来てくださる。復活したイエスもこのように、イエスを心から求める弟子たちの真ん中に来てくださったのである。このことは、ヨハネ福音書にも記されている。イエスが十字架で処刑され、復活して聖なる霊を送ってから、弟子たちは力強くローマ帝国の各地をみ言葉を伝えるようになった。
しかし、ローマ帝国による厳しい迫害もまもなく生じてキリスト者は困難な生活に直面していく。
そのような中で書かれたからこそ、ルカ福音書もヨハネの福音書もともに復活のイエスが、弟子たちの真ん中に来てくださった、ということを強調して書いてあるのである。
とくにヨハネ福音書では、二回も繰り返して「イエスが真ん中に立った」ことを記している。 (ヨハネ二〇・19節、26節)
迫害の中で孤立し、周囲の人たちから世をまどわす者として憎しみを受けて、家族からも見捨てられ、暗くて不潔な牢獄や人に隠れたところでの集会など、困難な生活へと変容していった弟子たちにとって、彼らの真ん中に立って語りかけ、力付けてくださる主イエスを本当に彼らは実感していたのである。それゆえにこそ、長く苦しい迫害の時代を耐え抜くことができたのであっただろう。
現代の私たちにおいても、どこにも聖なるお方、純粋な愛の神などいるわけはない、という大多数の人たちの考えのただなかにあって、主を求めて集まる二人、三人の真ん中に来てくださる主、復活のキリストに私たちは希望をかけるのである。
すべてに感謝できる恵み
― 松田 敏子姉の証し
ハレルヤ、イエス様の御名によってお証しさせていただきます。台湾に十八年ほどいまして思いがけず日本に帰ることになりました。いまは浜松の老人ホームに入っております。そのときの健康診断で、肺ガンがあることがわかりました。それから三年ほどはあまり痛いところもなく方々旅行したり集会に参加したりしておりました。
しかし、去年から喀血しまして、胸に胸水がたまってきて呼吸が困難になって歩けなくなってきました。入退院を繰り返しておりました。
どういうことか、たくさんの方がお祈りくださいまして、沖縄から石原さんが手作りの酵素を送って下さったり、抗ガン剤を飲むようになり、胸の水がたまるのが遅くなりまして、四国の全国集会になぜかわかりませんけれど、ぜひ参加したいと思ってきました。
一週間ほどまえに胸の水をとってもらってちょうどタイミングがよくて、参加させていただきました。イエス様の憐れみと多くの方の祈りに支えられて来ることができました。
何で徳島に来たかったのかなと思ったら、30年ほど前に徳島に半年ほどいたことを思いだしました。
そして吉村先生の「いのちの水」誌のなかに、とてもいい詩がのっていました。徳島には詩を書かれる人が二人おられます。なんかその方々にも会いたいと思っていました。今度きましたらいろんな人に会えるような気がしました。新しい出会いがあるような気がしていました。
いくつになってもイエス様がいてくださったら、どんなドラマが起きてくるか分からないという気がします。生きていてよかった、命が与えられている素晴らしさをしみじみ感じています。
今まで呼吸ができることがありがたいとか歩けることがありがたいとか思ったことが全然ありませんでした。しかし、どんどん失われていって、話すことができる、歩くことができる、呼吸ができる、お箸で食べることができること、今まで思ったことのないことに感謝できるようになって、ガンになって晩年がとても豊かにさせていただいています。
ここに参加できたのはイエス様の憐れみと、多くの人のお祈りに支えられて参加することができたと心から感謝しています。何といっていいかわかりませんけれど、生きていることが素晴らしいということを、病気になって、晩年になり九十歳に近くになっても、いくつになっても、イエス様がいてくださったらどんなことがおきるか分からない、生きていることは素晴らしいとしみじみと今感謝しますす。
イエス様の御名によって終わります。
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これは、去年二〇〇八年五月十日~十一日に、徳島で開催された、無教会 全国集会での第一日の夜の時間に話された内容をほぼそのままを記録したものです。松田さんは直前までかなり重い病状であったため参加可能かどうか危ぶまれる状態でしたが、武井陽一兄たちの支えによって参加できたのです。そのような状況でしたから証しを事前にお願いする状況になかったのですが、この日の証しの予定の方々が予定より早く終わり、十分ほどの時間があったので、予告なしに松田さんにマイクをまわして話してもらったのがこの内容です。
○松田 敏子姉のことについては、浜松の武井兄が詳細な年譜を送って下さいましたのでそれを短くして次に引用しておきます。
・一九二一年広島生まれ。中国の満州に家族で移住。 敗戦後帰国し、京都の仏教の学校に入って僧籍を獲得。三五歳で和歌山刑務所に刑務官として囚人の矯正にかかわる仕事に二五年間従事した。一九七〇年キリスト者となる。一九八四年
日本聖書学院卒業。一九八七年台湾に渡り、十六年余り台湾で伝道。その間、高橋三郎、榎本保郎、高俊明の諸氏と出会って、無教会に連なるようになった。一九九四年頃、同信会、高橋集会、アシュラムなどの支えで再度台湾に行く。二〇〇四年帰国。翌年浜松のもくせいの里に入居。二〇〇九年六月二五日召される。
ことば
(314)貧しくして富む…
コーディリアさん、それでこそこの上もなくご立派です。
あなたは貧しくなって、最も富み、棄てられて最も好ましく、
侮られて最も愛されるようになりました。(シェークスピア著「リア王第一幕 第一場より)
Fairest Cordelia,that art most rich, being poor;
Most choice, forsaken;
and most loved, despised!
(faire 美しい、公正な、choice 選り抜き、最上等のもの、forsake 見棄てる)
・シェークスピアのこの簡潔な表現(原文)のなかに、キリスト教にかかわる真理のきらめきがある。この言葉は、まさにキリストが完全な意味で実現された。
そしてキリストに従うものにも、この真理が与えられるようになった。主イエスは十字架上でまさに侮られ、すべてを奪われ、棄てられたのであった。しかし、そのイエスが地上で最もゆたかなお方となり、全世界で深く愛されるお方となったのを思い起こさせる。主イエスに従おうとする者もまた、貧しくして富み、この世に棄てられても神の選びの者となる道へと招かれている。
休憩室
○最近の夜空の星たち
夕方には、八時ころから十時近くまで、土星が西空にやや低く見えています。また、南の空のやや低いところには、さそり座の一等星、アンタレスがその赤い色で輝いているのが見えます。
早朝四時ころには、東にすばらしい光で輝く明けの明星(金星)、すぐ右手(南寄り)には赤い火星が見えますし、南の空には、木星の澄んだ強い輝きが見えます。天気のよいときを見計らって起きると美しい惑星たちの光がほかに比べようのない清い光をもって迎えてくれます。
金星も木星も、星や星座にうといひとであっても決して見間違うことはない強い輝きなので、いままで金星や木星を見たことがないという方は、ぜひ早起きをして見てほしいと思います。
これらの星の輝きを知らないなら、黙示録において、なぜ明けの明星がキリストにたとえられているのか分からないと思われます。 なお、木星は、夜十一時ころには、東の空にその澄んだ光を見せています。
木星とか金星などの名前は小学校のときから誰もが知っているものですが、実際に見たことがある人は、かなり少ないようです。最近は雨や曇りが多くてなかなか澄んだ星空はみられませんが、天気予報で晴れを確認して、朝早く起きて東空や南の空を仰ぐときには、みんなが寝静まっているときだけに、ひときわこれらの星の澄んだ光が心に入ってきます。
とくに、金星と火星、そして木星というとくに目立つ星たちが明け方にそろって東から南の空にかけてみられるというのは、今後かなり長期にわたって起こらないことですので、ぜひ一度は見て、特に金星と木星の澄んだ光を心に留めたいものです。
編集だより
○去年、十一月下旬、鳥取の小さな集まりを訪問した日は強い風と雪の降る日でした。初めての参加者もあり、主の導きを感じた集会でした。その翌朝は前夜の雪、風も止み、深い青色の空が広がっていて、砂丘には人がだれもいない静かな世界となっていました。40数年ぶりに歩いた砂丘でした。そのときに撮った写真を、はがきとし、「いのちの水」協力費などの返信用や連絡その他に使ったのですが、意外なことですが、いろいろな方からその写真のコメントをいただきました。
・…鳥取砂丘の写真を主人に見せましたところ、「この上の方まで登ったなあ。あの時の空のようだなあ」と涙を浮かべておりした。見えるところに置いてほしい、と言いますので、テレビの上に置きました。…
(中部地方の方で、ご夫君が現在は病気のために不自由な生活となっています。)
・…鳥取の砂丘のみ言葉を添えられてのまことに美しい写真、空と雲と砂丘だけなのに、こんなにも美しいとは、神様のみ業、お造りになられた大自然はまことに美しいと感嘆いたします。(四国の方)
・鳥取砂丘はとても思い出深い地であります。…従兄弟の後輩が砂丘を緑なすところとなすべく、研究をかさね、成果が中国の砂漠に採用されたと聞いておりました。
その実験中、矢内原先生が、その志の大なることを大いに喜んでおられたことを思いだしました。砂丘の絵はがきは、従兄弟が浜松で医師を開業していますので送ってやりたいと思います。(東北地方の方)
・神様の御栄光とみ業(詩篇19篇)をとこしえに
ほめたたえずには おれない―
静かにわき上がる感動を覚えます。(近畿地方の方)
・鳥取砂丘の写真、大空高くすばらしい写真です。私の昔の生徒がこの砂丘に魅せられてその地の大学に入った者がおります。アフリカなどのそれとはまた違ったものであると思われますが、人の心をとらえるものでございますね。…(関東地方の方)
・秋の晴れ渡った鳥取砂丘の写真、見事な出来ばえですね。集会のみんなに見せて上げます。(東北地方の方)
・鳥取砂丘の写真はすばらしく、神のみ業を感じました。(中部地方の方)
また、この写真を二〇枚ほど希望される方もあったり、一枚の小さな写真が見る人の心に、神のみ業の一端を伝えることになったことを感謝しました。
キリスト教の真理、聖書の核心に触れるためには、多くの本を読み、学問を積む必要もなければ、数々の人生経験を積む必要もない。ただ、わずかの文章やひと言の短い言葉であっても神の御手をもって用いられたときに、人に真理の核心が示されます。私自身がそうでした。そのために、「いのちの水」誌も書いています。
この「いのちの水」誌も、一行でもひと言でも、主が用いて下さって、神のみわざ、その愛のお心を知ることにつながればと願っています。
お知らせ
○以下は、松山聖書集会の冨永 尚から送られてきた案内です。
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第13回 「祈りの友」四国グループ集会のお知らせ
「私をお憐れみください、 神様、どうぞあなたのおめぐみによって、
あなたの深いおあわれみによって、どうぞ私の罪を消し去ってください。」
詩篇第51篇1節
暑い夏の季節を迎えましたが、皆様にはお変わりございませんでしょうか。
今年の「祈りの友」四国グループ集会は、下記の要領により松山市で開かれることになりましたのでご案内申し上げます。
・日時…2009年9月23日(水・休日)午前11時~16時で
場 所…スカイホテル(JR松山駅より徒歩5分 前回と同じ場所)松山市三番町8~9~1
℡089~947~7776
参加費 千円(昼食費八百円と会場費を含む 当日支払い)
申込先 同封申込はがき、または下記メールアドレスへ。
〒799-3401 大洲市長浜甲271番地 冨永 尚
℡0893-52-2856 (携帯)090-3784-2888
メールアドレスEmail:
t-tominaga@r7.dion.ne.jp
*昼食の要不要を必ず書いておいて下さい。
*全日参加が無理な方は、部分参加でもけっこうです。
*欠席の方は近況や祈りに覚えてほしいことなどお書き下さい。
申込締切 9月13日(日)
内 容 礼拝 聖書講話(冨永 尚兄・吉村 孝雄兄) 讃美
交流 自己紹介 感話
祈り 午後三時の祈り
*聖書・賛美歌をご持参下さい。
○「祈りの友」会員でなくとも、どなたでも参加出来ます。
○「清規」二、「私たちは毎日午後三時を期して、人類が結核およびあらゆる病の惨苦から救われるように、更に一切の惨禍の根源である罪(神にそむくこと)から解放されるように、そして神のみ国が速やかに来るように祈る群れである。午後三時とは、主イエスが、私たちのために死に給うた時刻であるが、この時刻には制約されない。」
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近畿地区無教会キリスト教集会
主題:「生きるとはキリスト」…フィリピ書に学ぶ
日時:2009年8月8日午後1時~9日(日)午後1時まで
会場:ふれあい会館(075-333-4655)京都市洛西ふれあいの里保養センター 問い合わせ先 宮田 咲子 電話・FAX 072-367-1624
講演 安積 力也、聖書講話 吉村 孝雄 、内村鑑三を読む、み言葉に聴く等 (近畿地区無教会キリスト集会 宮田咲子、宮田博司、 那須佳子、那須容平)