私自身は、絶えずあなたを待ち望み、いよいよ切にあなたを賛美しよう。 |
2009年8月号 第582号・内容・もくじ
厳しさの中の美しさ
七月に、旭川に出向いた帰りに、大雪のふもとにて休養日を取ることにした。以後の東北地方などへの旅のための体調を整えるためであった。 そのときに、少し前までは行けるとは考えたこともなかった大雪山の一つの山(黒岳)にロープウェイとリフトを用いて登ることができ、そこで多くの美しく清い高山植物の数々と再会する機会が与えられた。
大学二年のときまだロープウェイなどもなく、ふもとから、テントや食料、燃料などすべてをリュックにつめて大雪山系を単独で縦走したことがあったから、四十四年ぶりの懐かしい渓流、山と植物たちであった。
今回はリフトを降りるとすぐそこには、いろいろの美しい花がさいていた。ヤマブキショウマ、カラマツソウ、ハクサンチドリ、チシマノキンバイソウ、ウコンウツギ、ミヤマナナカマド等々、四国、関西の山々では見たことのない野草たちの花が、次々に眼前にその美しいすがたをあらわしてきた。
かねてより植物のことを集会でも、「いのちの水」誌でも折々に紹介してきたこともあり、植物に関して特別に時間もエネルギーも注いできたことでもあるので、今回は本当にあらためて神の創造された美しい植物に感動させられた。
大雪山は、日本では最もはやく、九月半ばころにはやくも雪が降るということであり、短い夏のあいだに花を咲かせ種をむすばなければならない。そのような短期間と厳しい風雪に耐えてはるか人類の出現するまえから咲き続けているその姿にも、人間には不可能なわざをなさる神を感じさせられた。
平地には見られない美しい花が、いっせいに短い期間に次々と咲いていく。短期間に厳しい状況に置かれたものが、気温も高く雪もないような温暖なところにあるものより、ずっと多くの美しい花が咲く。
人間もたしかに似たところがある。
厳しい状況のもと、生きる期間が短いと深く自覚して神と結びついて生きる人、その人はしばしば特に美しい花を咲かせ、実を結ばせる。恐ろしい苦しみにあい、最後には死なねばならないことをも覚悟のうえで、信仰に生きた殉教者たち、かれらの咲かせた魂の花は時代を越えて訴えるものをもっている。
ダンテもそうであった。国を追われ、命を奪われるという状況にあって、家族とも離れ、生活の苦しみにさらされつつ、上よりの啓示を受けて書き綴ったのが神曲という大作であって、それはまさに、厳しさのただなかに、場合によっては短い命になるかも知れないという危険を感じつつ、咲いた花であった。
さらに、主イエスこそはその最大の花である。三十歳から福音を伝道しはじめ、わずか三年という短期間に、神からゆだねられた目的のすべてを達成する使命を与えられていた。その三年間は、無理解と迫害のきびしい期間であり、またその最後には、十字架という重い苦しみが待っていた。
しかし、そこに咲いた大輪の花は、二千年の間、全世界に咲き続けている。
二種類の宇宙
先頃、一人の日本人が、「宇宙」に四カ月半ほど滞在して帰ったということで、大きく報道されていた。しかし、こうした報道で多くの人は、そこで用いられている用語、「宇宙」というのをどの程度のところと思っているのだろうか。
ふつうの人の感覚では、宇宙というと、まずあの夜空の星空の世界である。あの星空ですら、銀河系宇宙に属するものであり、太陽系のある銀河系宇宙のようなものが、宇宙には、数千億もあると言われている。
しかも、その一つの銀河には、太陽のような星が二千億個もあるという。宇宙というのは、こうした広大無辺の世界を意味するものである。
しかし、新聞で宇宙に滞在してきた、と報道されたりするとき、その宇宙船なるものは、地球からわずか四百キロほど離れた上空にすぎない。四百キロというのは、東京から大阪までの直線距離がそれに相当する。
夜空に見える最も近い星ですら、光の速さでも四・三年も要する。最も遠い星は、地球から130億光年という想像を絶する距離にあるとされてきたが、ごく最近これよりもっと遠い、一八〇億光年のかなたにある超新星が二つ発見されたという。
しかし、宇宙船の高さの400キロなら、光の速さでは、〇.〇〇一三秒あまりしかかからない。
このように考えると、宇宙船とか宇宙に滞在してきたと言っても、あの夜空の星空の空間に滞在したなどというのとは、根本的に違ったことなのであって、地球の文字通り表面すれすれのところにいたのにすぎないのである。こうした表現は、本当の宇宙の全体的な内容から見るなら、余りにも誇大な表現だというほかはない。
さらに、物理的な宇宙とは別の宇宙があることを、大多数の人たちは考えることもないし、マスコミでも取り上げない。それは精神の宇宙である。
それに関して、思いだされるのは次のことである。
私は大学三年のころ、物理学者かつ思想家としても有名であった武谷三男が大学に講演に来たので聴講したことがある。京大の法学部の大きな階段教室で、たくさんの学生や教官たちが聞きに来ていた。武谷は、湯川秀樹、朝永振一郎、坂田昌一らと共に、日本の代表的な素粒子物理学者ととして知られていたが、他方では、「弁証論の諸問題」という著書でも知られた思想家でもあった。
私自身は化学科であったけれども、最も親しい友人が湯川秀樹を担当教官とする物理学科の素粒子の専攻に属していたり、学生運動にかかわっていたときに立場は違っても真剣に議論した相手が、坂田昌一の息子であったりしたため、よくそうした物理学者のことや彼らの思想について議論したものだった。
その武谷が講演した内容で、一つはっきりと覚えていることがある。
それは、「地球や星の宇宙と違ったもう一つの宇宙がある。それは精神世界の宇宙であり、それは外なる宇宙にも劣らない広大なものだ」と言われたことである。
私自身、星のまたたく外なる広大な宇宙がはるかに無限に広いと思っていたし、内なる精神の世界がそれと同じような無限の広大な宇宙だ、などとは考えてもいなかったこと、そして唯物論者であった武谷が、そのような精神世界の深淵さを、大学の大勢の聴衆たちを前にして言ったことに驚かされ、それは四十年以上経ったいまも、その講演の状況が思いだされるほどである。
当時私はまだ、キリスト教には全く触れておらず、学生運動が嵐のように吹き荒れるなか、マルクス主義関連の思想がまじめな多くの学生の心をとらえていた。私自身も多くのそうした学生たちと議論し、それに関連する本も読んだ。
しかし、私はプラトン、ソクラテスのギリシャ哲学にて初めて哲学の世界に触れて、深く動かされ、周囲のほとんどの学生たちとは違った考え方を身につけはじめていた。
だが、武谷三男は唯物論の思想家であったから、精神の世界の深淵さなどに触れないと思い込んでいたので、いっそう驚かされたのであった。
その後、キリスト教信仰に導かれ、精神の世界、霊的な世界は広大な宇宙であって無限に深く広がっていることを知らされていった。
パウロが第三の天にまで引き上げられた、と言っているのも、そうした広大な霊的宇宙の高みに引き上げられたことである。
また、ダンテが、その代表作である神曲によって、地獄篇、煉獄篇や天国篇を通して、広大な精神世界を描いたのもまた、精神の宇宙の広大さを深く示されたゆえであった。
聖書のすべてはその精神的、霊的な宇宙について記された書物であると言えるのであって、いかなる物理の本よりも根源的な宇宙を描いたものである。それはこの目に見える宇宙の限界をも見据え、新たな天と地の創造をも含めており、数式で扱う物理学では到底及び得ない深淵な世界、時間と空間を超えた世界をも含めて記されている。
星のまたたくあの宇宙空間は、完全な死の世界である。真空であり、危険な放射線があり、太陽の熱など届かないので、マイナス二七〇度といった温度になる。宇宙に浮かぶ月の世界では、昼間は、一一〇度、夜はマイナス一七〇度程度になるという。月は自転しているから、太陽の熱が蓄熱と放射を繰り返すので、この程度の温度であるが、もし月の自転がなかったら、もっともっと暑さと寒さの温度差は大きくなる。その上に、事実上の真空でもあるから月の世界はまったくの死の世界であることには変わりがない。
また、宇宙船のような重力がないところでは、人間の骨はどんどん溶けていく。毎日何時間も運動して骨の溶けるのを防いでもなお、無重力のなかで四カ月あまりいただけで、地上に帰るときちんと歩けないほどに骨が溶けるし、今回の宇宙飛行士も一カ月半ほどもリハビリする必要がある。
このように、どこから見ても、宇宙というのは人間のいのちの世界ではなく、死の世界なのである。
だが、精神の宇宙、霊的な宇宙は、そうした世界とはまったく逆に、命に満ちあふれたところなのである。
そして、物理的な宇宙の世界像は、圧倒的多数の人たちはだれもじっさいに計算したり実験したりして確認できない。ほとんどの人たちは、理科系の学者も含めてみんな、きわめて一部の物理学者の実験や計算などを信じているのである。またその一部の学者であっても、宇宙の起源とその終末に関しては、これまた信じているといわねばならない。そこで計算に用いた物理学的法則や推論、数学的真理などが永遠であるとか、それが間違っていないと信じてやっているのである。
このように、信じるということは、物理的宇宙を考えている場合でもその根底にある。そして、その宇宙へと行ける人、それがたとえ宇宙とは名ばかりの、地球の数百㎞上空のような表面と言えるところであってもそこへ行ける人は、きわめて少数であり、体力や学力、知能、健康などさまざまの能力が要求され、長い訓練の歳月が必要となる。しかも、打ち上げまでに、巨額の国家の費用がかかる。そしていよいよ選ばれても地球から打ち上げのときに失敗すれば、すべては一瞬にして失われ、死にいたる旅路となってしまう。
精神的(霊的)宇宙の世界への旅はまったくことなる。
この霊的な宇宙へと導かれていく場合にも、また信じることが出発点にある。しかし、そこへ行くには、何も体力も知能や健康、学力など必要でない。長い訓練も要らない。
ただ、幼な子のような心をもて神を仰ぐだけで足りる。そしてその霊的宇宙に滞在するほどに、力が与えられる。
物理的宇宙の滞在のように、だんだん骨という身体を支えるものが溶けていき、そのまま滞在を続けていたら、力も抜けていき、人間としての機能に重大な悪影響を与えるのとは正反対なのである。
聖書を深く学ぶことは、精神の宇宙を旅することである。
これに関連して、宇宙の旅をテーマとする、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」という有名な作品について考えてみよう。
これは精神的な宇宙への旅を物理的宇宙の旅とかさねて描いた詩的作品である。しかし、この作品の銀河鉄道の旅の最後の部分はどのような意味を持っているであろうか。
それは、銀河鉄道の行く手の描写が暗示している。
…天の川の一とこに大きなまっ暗な穴がどおんとあいているのです。その底がどれほど深いか、その奥になにがあるか、いくら目をこすってのぞいても何にもみえず、ただ目がしんしんと痛むのでした。
ジョバンニがいいました。「ぼく、もうあんな大きな闇のなかだってこわくない。きっとみんなのほんとうの幸いを探しに行く。どこまでもどこまでもぼくたちはいっしょに行こう。」…
「カムパネルラ、ぼくたちいっしょに行こうねぇ」ジョバンニがこういいながらふりかえってみましたら、その今までカムパネルラの座っていた席にもうカムパネルラの形はみえず、ただ黒いビロードばかりが光っていました。
ジョバンニは、まるで鉄砲玉のように立ち上がりました。そして誰にも聞こえないように窓のそとにからだをのりだして、力いっぱいはげしく胸をうって叫びそれからもうのどいっぱいなきだしました。もうそこらいっぺんにまっくらになったように思いました。…
これが、銀河鉄道を行く列車の記述の最後にある内容である。行く先はまっくらな大きな深いところ、そこへ行こうとしている。いっしょに行こう、と言っていた本人からその言葉に反して一人そのまっくらなところへと身を投げていったのである。
これは、「銀河鉄道の夜」という映画作品においては、銀河の列車が、その真っ黒い底知れない闇に向かって突進していく様子が劇的に描かれているのでとくに印象的である。
暗い闇の底知れないところに、一緒に行こうとしてもそれは行くことのできない闇へとカムパネルラは飛び込んでしまった、そして一面にまっくらになったように思った、という実に暗い描写が、この有名な作品の銀河を行く列車の最後の記述になっているということ、それは何を意味するだろうか。
そして、この映画作品のふたりの主人公には、まったく笑顔がない。どこか憂いと悲しみを帯びた表情ばかりである。
この作品は、自分を犠牲にするような愛へ言及がある。しかし、それは人間の持つヒューマニズム的な愛であるゆえに、そのような愛をもっていきようとするとき、この世のまっ暗な世界へとただ一人で飛び込んでいくようなことであり、それにもかかわらず、そうした愛がしばしば受けいれられないし、実を結ばないという悲しみがこの作品を包んでいる。
これは有名な作品ではあるが、このような作品によって、本当の力とか喜びが与えられるとは到底思えない。私自身子供のときに初めて読んだときに何か不可解なもの暗いものを感じたのであった。
漱石や鴎外、芥川といった日本の著名な文学にあっても、そこに幼な子らしい純真な喜びや、澄みきったおおぞらのような世界が描かれていない。永遠の力や不滅の太陽のような輝かしいものが内容とされていなくて、どれも何か暗いもの、複雑なもの、そして真の光や愛を知らない世界のことしか書いていないと感じられる。
それに対して、聖書の世界は、霊的な宇宙への旅の最善の導きの書なのである。そこには、さまざまの星(信仰に生きた人たち)があり、暗雲がたちこめている状況もあり、罪に支配されてしまった人間の姿も記されている。
しかし、旧約聖書において魂の世界を最も直接的に表現している詩篇において、最後には、神を賛美しよう、という壮大な合唱で終わっている。
そしてこの世の終わりにおいて、大いなる明けの明星(キリスト)が輝き、新しい天と地(霊的な新たな宇宙)が創造され、そこでは、すべての闇の力が滅ぼされ、いのちの水の川が永遠に流れ、神である主が永遠の光となるという驚くべき命に満ちた世界が私たちに示されているのである。(黙示録二一の23, 二二の1~5など)
聖書こそ、時間や空間をも越えているゆえに、一三〇億光年の彼方の星を含む宇宙をも超えた、霊的宇宙の消息をあふれるばかりに記した書物であり、どんな人でも、その広大ないのちと祝福の世界である宇宙へと招待されている。しかもその宇宙へはいっていくには、ただ幼な子のような心をもって、神とキリストを信じるだけでよいのである。
死と命
死を前にして、私たちは何を一番考えるでしょうか。
命のはかなさです。どんなに力ある者も、権力者も、天才や資産家でも、すべての人を同じように襲ってくるのが死です。生涯に長い短いという差はあります。鶴は千年、亀は万年という言葉がありますが、じっさいには、それぞれ数十年しか生きられないのです。(亀は最高で175年、鶴は動物園で飼われていたら50年から80年ぐらい、野生なら30年ぐらい生きるという。)千羽の鶴を折る それは、一日折るたびに一年長生きできるといった言い伝えもあるといいますが、到底千年も生きることはないのに、そのような言葉が広く知られているのは、人生50年という短い時代にあって、その長さへの願いが反映した言い伝えと思われます。
犬や猫は15年前後、ウマも20年程度ということです。
その点では、植物も屋久島の杉が七〇〇〇年と言いますが、天体の何十億年という年齢に比べたらほんの一瞬のようなものです。
太陽は一〇〇億年ほどの寿命だから、あと46億年ほどだといいます。
人間はほかの被造物よりすぐれたものとして創造されていますが、短い命を私たちは死に向かって歩んでいるといえます。
若いときには、希望がある、といっても、その希望がかなえられる人はごく一部であるし、もしかなえられたとしてもその後は、みんな老齢となって死に向かいます。
そうした現実のなかで、死を越えるものこそ、最大の希望であり、力なのです。医学も、経済問題も政治も、スポーツや演劇などどんなものも死に打ち勝つことはできないのです。長寿ということでもし仮に人間が何百歳まで生きるようになったら、それは食料不足、医療不足、施設不足で全体に死が近づくことになります。
このように、いかにしても、死から免れないのがこの世界です。
そのような中にあって、その死に対する勝利を宣言してきたのが、キリストです。キリストが十字架で処刑されたのは、心の中が死んだようになって善いことができない、という現実の人間をその罪を赦すことによって精神的な死、霊的な死から救い出しました。さらに、肉体の死後も、キリスト自身が復活して、死が終わりでなく、神のみもとに帰ることだという革命的な真理を世界に示したのです。
そのことを、この聖書の箇所は言おうとしています。
ふつうのパン、食物をいくらたべても必ず人は最終的には死にます。しかし、まったく性質の異なるパンがある。それが神から直接に人間に与えられた食物であり、それがキリストだと言われています。そのキリストを魂の救い主として信じて受けいれるとき、たしかに私も新しい命をいただいたのを実感したのです。
それが無数の人たちに実現したからこそ、今日までキリスト教の信仰は世界に広がることができました。
ただし、生きている間、悪いことをして悔い改めもしようとしない人がそのまま赦されるということは記されていません。
だれでもさまざまの罪ー言葉や行い、あるいは心のなかでの罪を犯してきました。その罪をキリストが十字架にかかるという苦しみを受けることによって、私たちに罪の赦しを与えて下さいました。さらにキリストの復活の命を受けて、肉体の死後もキリストと同じように栄光あるものと変えられて神のもとに永遠の命を与えられるということを信じています。
これこそ、この世の最大の希望、いつまでも消えることのない希望です。
この世のできごとを見ているだけでは、決して神の愛は分からないことです。 罪の赦しを実感した人は、たしかに神がおられ、神の愛があるとわかるようになります。その神の愛が、私たちを変えて滅びることのない身体に変えて復活させて下さるのです。
これが決定的なできごとであったゆえに、復活を記念し、復活の命を与えるキリストに礼拝を捧げる日として、日曜日に休むようになったのです。キリスト教が広がったのも、単に教えでなく、この復活の命が与えられたゆえに、それを何としても伝えたいという切実な願いが生まれて、世界に伝わり、差別をなくし、病人や障害者たちへの配慮という福祉の発想も自然に生まれてきたのです。
それほど復活ということは、世界の歴史に大きな影響を与えてきました。
病気による死、事故や災害などによる死は悲しみをもたらすだけですが、そうしたいかなる死であっても、そこに復活の希望を持てるように、私たちも罪を知って悔い改め、十字架の赦しを受け、そして復活の希望を与えられて歩みたいと願います。
主の平安への道 ー 詩篇 第四篇ー
呼び求めるわたしに答えてください
わたしの正しさを認めてくださる神よ。
苦難から解き放ってください
憐れんで、祈りを聞いてください。…
詩篇の第一編は、詩篇全体の総括的・テーマのようなものであり、第二編は全世界の神のご支配という根本問題が示されており、第三編は個人的な「わたし」の問題について書かれていた。そして第四編は、答えてください!
憐れんで下さい! 聞いて下さい! 私の叫びに答えてくださいという切実な願いから始まっている。
このような切実な願いを神に訴えることができるということが、すでに大いなる恵みのもとにあるということである。私たちが苦しみや悲しみに打ちのめされるとき、もはや祈る気力もなく、また神に祈るよりは、神などいない、という気持になってしまうことも多い。
この詩の作者は、いかに苦しくとも、答えてくださる神を知っていた。もし彼が呼びかけている相手が全く答えることがない、と知っていたら、人間同士でもはじめから呼びかけたりしないものである。
神に向かって叫ぶという状況は誰にでもあることである。人間を苦しめる力はどんなところにいてもあることで、たとえ健康な人であっても身近な家族や友人との間で悩みを抱えたりする。
人間は、どこにいても悩み苦しめられることがある。第四編は、「わたし」という言葉が繰り返し現れる。個人的な苦しみ、悩みから生み出された詩なのである。
神からの答えがあるということは神の力が与えられることであるし、そんな時はどれだけ敵対する者があっても打ち勝つことができる。 しかし、もし神の答えもなにもないときには苦しみは耐えがたいものとなる。
旧約聖書のヨブ記はとても長い内容で、家族の多くが失われ、財産もなくなって、自分の健康も失われて全身の力をこめて叫んでいるのに神の答え、励ましが全く受けられないゆえに、彼の苦しみはどこまでも大きくなっていった。どこからも助けがないのでヨブは自分が生まれた日は呪われてしまえと叫ばずにはいられなくなったことが記されている。
このように、「応答してくださる神」を持っているかどうかは非常に重要なことになる。
私たちが、もし、答えてくださる神というのを思ったことがなく、単に一方的に信仰箇条などを信じているというだけで、生きた神からの応答を待とうとすることがないような姿勢であるなら、それは形だけのキリスト者になってしまうだろう。
しかし神からの語りかけを聞き取ったら、そういうことではいけない、あなた自身がどうなのかと神は問いかけてくるので、神との応対があれば高慢になったり、糾弾したりせず、相手の間違った点を、人間的な怒りや憎しみなどの感情でなく愛を持って接することができる。
私たちが祈る場合でもいつも神からの何らかの霊的な促し、つながりを絶えず期待してなされるのが本当のあり方となる。神が生きておられる神ならば、きっと応答があるはずだからである。
私たちがとくに、礼拝のとき、はじめや終わり、あるいは聖書の説き明かしを聞いたあとで、黙祷するのはそのような目的であり、自分の罪を思い起こし、それを告白し、その赦しのみ声を聞き取るためなのであり、また御言葉を主によって心に刻んでいただくためである。絶えず答えてくださる神からの、個人的な応答を期待して黙祷するのである。
「静まる」のにはさまざまな意味があって、私たちが犯した罪を赦してくださる神を知るために、罪と赦しを思い起こす。そのほかに、黙して神からの個人的な語りかけ、それは罪を指摘することであったり、私たちの沈んだ心を励ましてくださったりする。食前の祈りのような、一日に三度あるようなものでも、神の応答を期待しなければ、形式化するもととなる。このように、神に対する、「応答」をいつも思う信仰こそ、聖書に記されている信仰である。
聖書が私たちに伝えようとする神と人間の関係は、生きた神とのなまなましい応答だと言えよう。それが創世記から一貫して記されている。
この点が、一般の形式的な、儀式だけ行えばよい宗教とは大きく違うところだ。正月の初詣やお盆のさまざまな行事や、法事などは、拝む対象からの生きた応答といったものをほとんどあるいは全く期待しないで習慣的に、形式的に行っていると言えよう。
周りの者が、自分はそういうことをしていないのに、こうしただろう、ああしただろうと言う。そういう状況はいつもあるので、この詩を作った人も自分の正しさを認めてくださいと神に向かって叫ばずにはいられない状況にあった。
(3~6節)人の子らよ
いつまでわたしの名誉を辱めにさらすのか
むなしさを愛し、偽りを求めるのか。
主の慈しみに生きる人を主は見分けて
呼び求める声を聞いてくださると知れ。
おののいて罪を離れよ。横たわるときも自らの心と語り、
静まれ。
どうしてここから大きく内容が変わっているのか。この詩の最初の部分ではひたすら答えてくださいと、神への叫びが記されていた。
詩篇は説明的に記した文ではないので、苦しみに置かれていた状態の記述から次の平安が与えられるときの記述まで、どれだけ時間が経ったかは分からない。
詩篇では、苦しみの叫びがずっと続いて記されているのに、突然、大きな平安や感謝の記述へと変わっている場合もある。
この詩の作者の、神に対して、「聞いてください」という切実な祈りに答えて、実際に神は聞いてくださった経験を与えられたのである。
だから今まで押しつぶされそうになっていた人だけれども、このように周りの敵対している人たちに向かって、はっきりといつまで私の名誉を辱めにさらすのか、むなしさを求めるのかと、彼らに向かって、立ち上がって言う力を与えられたのである。
そして、さらに、「おそれをもって罪を離れよ、神は真剣に呼びもとめる声を聞いてくださることを知れ」と呼びかける心の余裕が与えられたのである。
ある期間の激しい苦しみと祈りの後に、このように神が自分の叫びを聞いてくださったという経験があったからこそ、周囲の人に対してこのように言うことができた。苦しめていた人たちに対して、彼ら自身が恐れを持って罪を離れないと、必ず大きな裁きが来るのだからと、神の語りかける愛と裁きの力をこの作者は大きな転機の中で知らされた。
だからこの詩の作者を攻撃し、中傷したりした周囲の人たちに対して、お前たちは裁かれてしまえという、憎しみをもって言ったりしないで、罪を離れよと呼びかけることができたのである。
夜になって床に就くときでも自分の心と語り、そして沈黙し神と祈りに入れと。
普通はこのように自分に悪いことを言ってくる人に対して、話したくない、会いたくないという気持ちになってしまうが、この人自身が救いを与えられた時には、相手に対して憎しみも消え、滅んでしまえという気持ちがなくなる。
それは、自分も同じように罪があり、相手にも罪があるので、罪から離れることが根本的な問題だと分かるので、この人は周囲の不正なことをしかけてくる人たちに対しても、罪を離れよと、そして神と正しい関係を持つようにと諭している。
これが、新約聖書の時代になって、主イエスの言った「あなたを苦しめる者のために祈りなさい」という言葉に通じている。
静まって主により頼むことで、自分が正しいあり方からどれだけ離れているか、自分が人間的な感情にどれだけ取り巻かれているかを、初めて分かることができる。人間的な感情は罪であるので、静まらないで物事を考えたり、行ったりすること自体が罪であることをこの詩人は知っていた。
(7節)誰がよきものを見せるだろうかと、多くの人は言っている。
Many are asking,"Who can show us any good ? "
この世で、本当によきものはない。人間であろうと神であろうと良きものを我々の前に示すことができるものなどいない、これはこの詩の作者の周囲で、多くの人が言っていることであった。
この世には至る所で戦争や憎しみがあり、どこに良いことがあるのかと疑問に思う。結局本当によいことなどないのだ、よいことがあってもすぐになくなる、悪がはびこる、災害、事件、人の病気や罪
等々、それらが、なにか良きものがあったとしても壊していくのだ。だから永続的な良いものなど、誰も与えることはできない、神も我々にそんな良いものなど与えてはくれないのだ、というのである。
そして、こうした漠然とした感じ方は、現代においても多数の人たちが持っている。
(英語訳でみられる進行形は、現在もこの問いかけがいつもなされていることを思わされる。)
この考え方、あるいは感情というのがだんだん人間の心に広がってくるとき、何をしても力が入らなくなり、今までの自分のやってきたことも空しいと感じてしまうようになる。良いことなど影のようなものだ、あると思っていたが、実は何もなかったのだ、という気持である。
このような虚無的な風潮に対して、この詩の作者はそれに押し流されないある実体験を与えられていた。
(7節後半~9節)
主よ、わたしたちに御顔の光を向けてください。
人々は麦とぶどうを豊かに取り入れて喜びます。
それにもまさる喜びを
(神は)わたしの心に与えて下さった。(*)
平和のうちに身を横たえ、わたしは眠ります。
主よ、あなただけが、確かに
わたしをここに住まわせてくださるのです。
(*)新共同訳は、「私の心に与えて下さい」という祈願文に訳しているが、ヘブル語原文は、ナータン(与える)という動詞のカル完了形であり、新改訳、口語訳、関根訳などの日本語訳聖書も、また、各種の外国語訳もこの訳文のように「与えて下さった」と訳するのがほとんどすべてである。例えば、 You have filled my heart with greater joy than when their grain and new
wine abound.(NIV) You have put more joy in my heart.(RSV) You have put gladdness(NRS) You have given me greater joy.(NLT) 英語訳などのごく一部には、「与えて下さる」という現在形で訳しているのもあるが、新共同訳のように、祈願文として訳しているのは、私が調べた数十種の外国語訳でも..みられなかった。
何も良いものなどない、だれもそんなものは与えることはできない、そういう風潮のただ中にあって、この詩人の願いは、「わたしたちに御顔の光を向けてください。」ということであった。
神の光を向けられたら、良いものなどどこにもない、というような状況にあってもその中に、良いものを見ることができる。この詩人は表面的な良きものでなく、根源的な良きものー神の光ーを求め、祈っているのである。
神が私たちの願いに答えて、その光を与えてくだされば、様々なことが欠けていてもなお、最もよいものを与えられたということになる。これは創世記の最初に記されていること、闇の中に光あれと神が言われると、光があったことに通じることである。
ここにも書かれているように、生きるのに不可欠な、農産物ー麦やぶどうを豊かに与えられることも確かに大きな恵みである。しかし御顔の光が与えられるならば、物質的な幸福・幸い以上の喜びを与えてくださる。
この詩の最後の部分に、「平和のうちに身を横たえ、眠る」とある。平和とは、何にも争いがないという消極的状態を言うのでなく、シャーロームという原語(ヘブル語)の本来の意味は、「完成された」というニュアンスを持ち、霊的に全うされた状態が与えられたことを示している。
さまざまの苦しみや悲しみを通って、神に全存在をあげて求め、神だけがその窮地にある状況から救い出すことを知って求め続けていった。そのときには、周囲にむらがる悪の勢力に押し流されそうになっていたにもかかわらず、そのような危険な状況からどれほど時間が経ったか、あるときはっきりした神の声を聞いて、そこから立ち上がることができ、かえってその周囲の闇の力に対して霊的な戦いに勝利することができた一つの魂の歩みがここにある。
自分に敵対してくる人たちに対しても、憎んだり、嫌ったりせず、静まって罪を離れよ、と祈りの気持ちで呼びかけるようになった。そしてこの世にはどこに良いものがあるのかと、絶望的になっている人たちのただ中で、神の光を受け、そこに豊かな平安を与えられていく。
神からの答えと光を与えられた時には全ての疑いや無気力を超えていくことができるので、心は非常に違った状況になり平安を与えられる。そういう「平安への道」というのがこの短い詩の中で書かれている。
私たちもこの詩の作者と同様に、毎日の生活の中で、「主の平和(シャローム)の内に身を横たえ、眠ることができる」(9節)ことをこの詩は指し示している。
この詩の作者に与えられた確信は、この詩の最後に置かれた言葉、「主よ、ただあなただけがこの平安を持って住まわせてくださる。」であった。
人間は、こうした神からの平和を与えられるのでなかったら、絶えず日常のできごとに不満や闇の力を感じるばかりとなるし、人間関係でも動揺させられる。そうした状況は、他人のせいではなく、私たち自身が赦されない罪を持っていることが根本にあることをこの詩の作者は知っていた。(5節)
そのときには、神に心から祈ることができず、神からの答えも受けられないため、平安をもたらすみ言葉もみ声も受けることができない。聖書で一貫して言っているように、人間は罪を離れない限り、動揺して黒い雲が漂う。
主イエスが、最後の夕食のときに約束されたこと、「私の平和をあなた方に与える」ということが私たちの究極的な目標となる。この詩の作者はそのような主にある平和を、数千年前にすでに神から啓示され、その深い霊的な体験が書き記され、それ以後の世界の人たちにその揺るぎない魂の平和の世界を私たちに提示してくれたのである。
現代の私たちも、地上のさまざまの暗いできごとに満ちた歩みのただ中において、この詩で言われている「主の平和」の内に魂を横たえて眠れるようにと願うものである。
生きること、信・望・愛はキリスト
生きるとはどういうことか、このことを理性的に考えたりするのはある程度成長してからであるが、生きることそのことに困難を覚え、生きられない、生きていたくないという気持になるのはすでに子供のときから一部には見られる。
陰湿ないじめに会ったとき、親にも教師にも友人にも言えないような根深い苦しみを持って、さらなるいじめ、辱めを受けるとき、生きていられなくなる。それほどでなくとも、ちょっとしたひと言で、学校にいけなくなり、その後重い心をもって生きていかねばならなくなる人もいる。
私もかつて、二〇歳になる前後に重い心と苦しみが生じて生きていけないかと思うほどに苦しんだことがある。それはだれにも言えず、ノートにその苦しみを書き綴っていった。いつになったらこの苦しみから逃れられるのだろうか?と呻きつつ書いたその文字は今も残してあるが、それを見るとかつてのあの生きていけない、というほどの苦しみがよみがえってくる。
ダンテはその大著である神曲の最初に、次のように書いている。
人生の道の半ばで
正しい道を失い、
暗い森の中に迷い込んでいた。
ああ、その森のすごさ、荒涼とした状況を語ることは何と困難なことか
思い返すだけでも、そのときの恐ろしさがよみがえってくる!(神曲・地獄篇第一歌)
この世において生きることの困難さをダンテ自身が深く魂に刻まれることになったがそれが神曲という、キリストの真理を主題とした詩では比類のない深さと広さをたたえ、かつ詩的構成の完璧さをも併せ持った作品として人類をうるおし続けることになった。
生きていたくない、もう生きられないという絶望的な気持が日本人に広がっていることは、自殺する人が、年間三万人を越えていることからもうかがえる。(*)
(*)これは、世界の百国ほどの統計をとった中では、八番目に多い。一番目から七番まで、リトアニア、ベラルーシ、ロシア、スロベニア、ハンガリー、ラトビアなどの旧ソ連の国々がほとんどを占めている。それらの国に次いで日本となる。アメリカやカナダは、四十位程度、イギリスは六五位である。
なぜ、このように、旧ソ連系の国々を除けば、ヨーロッパ、アメリカ大陸、アジア全体をとっても一番多いほどなのだろうか。
日本の文学と生きること
このことに関連して思いだされることがある。日本の代表的な文学者といわれる夏目漱石の作品のなかで、岩波文庫としては最もよく読まれてきたのが「こころ」という作品で、これは自殺した人の書き残した文が主体となっている。私は高校時代にこれを読んで、複雑な暗い気持になったのを覚えている。このような生きる力を与えることもない、光のない小説がなぜ、最もよく読まれてきたのか、ずっと以前から不可解であった。
また、太宰治、三島由紀夫、有島武郎、芥川龍之介といった日本の代表的な作家とされている人たちや、ノーベル賞まで受けた川端康成もみずからの命を断っている。日本人の自殺が非常に多いということは、このように、大作家といわれる人たちそのものが、絶望して生きていられなくなったという人たちが多いことと関連が感じられる。
日本で最も知られている歌人の一人である石川啄木の代表的歌集、「一握の砂」に次のようなものがある。
一度でも我に頭を下げさせし
人みな死ねと
いのりてしこと
どんよりと
くもれる空を見てゐしに
人を殺したくなりにけるかな
はたらけどはたらけど
猶わが生活 楽にならざり
ぢっと手を見る
このうち、最後の歌は、とくに教科書にも取り入れられて高校などで学習した人も多いだろう。この有名な歌の少し手前に、二番目の歌がある。私は「一握の砂」という歌集そのものを初めて読んだとき驚かされた。文学者の代表的な人間のように言われている人が、その内面ではこんな暗いものを持っていたのか、と強い印象を受けたことを思いだす。
このように、教科書にも出て誰でも知っているような有名な文学者たちが、生きるということは何なのか、について確信を得ることができず、暗闇にさまよっていたのがうかがえる。
そしてそれは多くの日本人が本当の光を知らない状況を映し出しているものでもあった。
生きることと旧約聖書
こうした闇の世界が現実のこの世であるということは、聖書ではその巻頭から書いてある。神が天地創造をされたときには、闇と混沌が覆っていたのである。しかし、そのただなかに光あれ、という神の言葉によって光が存在をはじめたということも最初から書いてある。
闇であれば生きていくことができない。何が正しいのか、揺るがない善悪の根本などないと思うときには、すべてが混沌としてくる。そのような中に神からの光が与えられてはじめて、闇と混沌のただなかにおいて生きていくことができるようになる。
旧約聖書の時代にも、生きることが何であるかはすでに創世記の人間についての最初の記述の中に暗示されている。それはエデンの園の記述において、まわりのすべての木の実を食べてもよいが、真ん中の木の実だけは食べてはならない。食べると必ず死ぬと予告されていた。それは、あらゆることを(神との結びつきなしで)知るという木であった。
ここにすでに、生きるとは何か、死とは何かという人間にとって根本問題が一見子供でも分るような記述で示されている。
生きることは、神の言葉に従うことであり、死ということは、神の言葉に背いて自分の考えや知識を中心に体験し、知り、自分に取り入れようとすることである。
人間が労苦することなく、気づいたときにはすでにまわりには、食べるによく、見ても美しい数々の樹木で満たされていたし、水も流れていた。それは神の深い配慮を象徴するものであった。そのような愛に満ちた状況にありながら、その神に従うことなく、自分の考えで万事を体験し、知ろうとすることが死に至るという驚くべきことなのである。
それゆえ、生きることはキリストという言葉、この言葉に込められた真理は、この創世記にある死に至る道の対極にあるものなのである。
命の源泉である神を知らないならば、一般の動物のように、生きることは食べることだという考えも出てくる。あるいは、悩み苦しむこと、重荷を背負って歩むこと、人間同士が愛することだ、戦うこと等々、人によっていろいろなかたちが思い浮かぶであろう。
しかし、聖書においては、生きることは神の言葉に従うことだ、というのは、数千年も昔から繰り返し言われている。
… 見よ、わたしは今日、命と幸い、死と災いをあなたの前に置く。
わたしが今日命じるとおり、あなたの神、主を愛し、その道に従って歩み、その戒めと掟と法を守るならば、あなたは命を得、かつ増える。あなたの神、主は、あなたが入って行って得る土地で、あなたを祝福される。
もしあなたが心変わりして聞き従わず、惑わされて他の神々にひれ伏し仕えるならば、
わたしは今日、あなたたちに宣言する。あなたたちは必ず滅びる。(申命記三十・15~18)
そして、主イエスがサタンに試みられたときに出した有名な言葉、「人はパンだけで生きるのでない。神の口から出る一つ一つの言葉によって生きる」という言葉もこの申命記に記されているのである。(同八の3)
神の言葉に従うことによって力を与えられ、前進し、生きるということを深く体験した人であってもなお、ときにはそのみ言葉がわからなくなる。聞こえなくなることがある。そのとき、たちまち生きることが重く苦しいことになり、生きていたくない、死を望むということがおきる。
このようなことは、深い信仰を持った人なら起こらないと思われがちだが、聖書は人間のリアルな姿を鋭く記している。ながい旧約聖書の中でも、特別な預言者であって、イエスのさきがけとして現れるとまで言われていたエリヤは、天から火を呼び寄せることができたほどに、神の特別な力を受けていた。そして間違った宗教を追い払うために大いに力を発揮した。
しかし、そのようなエリヤすら、国王の妃の悪魔的な力によって殺されそうになったとき、耐えきれずに荒野にむかって逃げていき、そこで従者をも残して、一人一日の道のり、おそらく数十㎞をも歩き続きけた。そして一本の木の下に来て眠り、自分の命が絶えるのを願って言った。
「主よ、もう十分です。わたしの命を取ってください。…」(列王記上十九・3~4より)
このような生きることへの絶望的を気持は、旧約聖書のヨブ記においても現れる。
信仰を持って正しく生きていたヨブという人が、突然家族も多くが死に、財産は奪われてしまうという悲劇に直面した。そのような苦しみに対しても信仰によって、神が与えたのだから、神が取られたのだ、と受けいれることができていながら、さらに自分自身も恐ろしい病気となり、日夜苦しみあえぐようになったとき、妻からさえも、神をのろって死んだほうがましだ、と言われるようになった。
そのような状況でさらに孤独と病気の苦しみがつのってきたとき、ヨブは次のように叫んだ。
私の生まれた日は消え失せよ。…
なぜ、私は母の胎にいるうちに
死んでしまわなかったのか。
せめて、生まれてすぐに息絶えなかったのか。…
なぜ、労苦するものに光を与え、
悩み嘆く者を生かしておかれるのか。
彼らは死を待っているが、死は来ない。…(旧約聖書 ヨブ記3章より)
このような記述はこれが信仰の強かった人なのかと驚かされるような強い表現である。
こうした信仰者であっても、襲いかかってくる苦しみは、詩篇にもたくさん見られる。
…神よ、私を救ってください。
大水がのどもとに達し
私は深い沼にはまり込み
足掛かりもない。
大水の深い底にまで沈み
激流が私を押し流す。…(詩篇六九の2~3より)
…わが神、わが神
なぜ、私を見捨てたのか
なぜ、私を遠く離れて、救おうとせず
呻きも言葉も聞いて下さらないのか。…(詩篇二二篇1~2)
このように、神を信じる人が出会う苦しみは、聖書に記されているほかにも、歴史を見ても、最初の主イエスへの迫害からはじまり、弟子たちへの迫害、殉教といったことは、イエスの死後からすぐにはじまって、後のローマ帝国からの大規模な迫害へと続いていった。
このような苦しみは、旧約聖書の時代には、どのようにしてそれを受け止めただろうか。詩篇では、神がそのような苦しみに応えて救い、力と喜びを与えて下さったということが多く記されている。
前述の詩篇二二篇も、主イエスご自身が十字架の上にて同じように、叫びをあげられたのであったが、その詩篇二二篇の後半では、次のように大いなる救いが与えられたことが記されている。
…私は兄弟たちに御名を語り伝え
集会のなかであなたを賛美します。
主をおそれる人々よ、主を賛美せよ。…
主は、圧迫された人の苦しみを
決してあなどらず、さげすまれない。
み顔を隠すことなく、
助けを求める叫びを聞いて下さる。(詩篇二二篇23~25より)
たとえ神を信じていても、ときには絶えがたい苦しみとなり、絶望的とすらなる。しかし、生きることを神に置いておくときには、詩篇二二篇がそうであったように、必ず最終的には神が聞いて下さったという実感をもって終わることができる。それは、地上の生活だけでなく、死の後にまでその人の魂の世界を延長していくときはっきりする。
旧約聖書にも、こうして「生きることは神を信じ、愛の神に希望をかけ、神を待ち望むことである」という事実が深く刻まれている。
さらに、人間の根本問題である心の問題、どうしても正しいこと、愛にかなうこと、真実なことができない、という罪の問題についてもこれこそが、人間を最も苦しめ、国家民族の存亡にかかわる重大なことであるということは、旧約聖書にも数多く記されているが、その苦しみは詩篇にとくにありありと記されている。
いかに幸いなことか
背きを赦され、罪を覆っていただいた者は。
私は黙し続けて、絶え間ない呻きにからだが朽ち果てた。
神の手は昼も夜も私の上に重く置かれ
私の力は夏の日照りにあったように衰えた。
私は言った、
「主にわたしの罪を告白しよう」と。
そのとき、あなたは私の罪を赦して下さった。(詩篇三二・1~5より)
こうした旧約聖書からはじまった霊的な流れにあって、それを決定的にしたのがキリストであった。
生きることは神である、という言い方は旧約聖書にはない。しかし、生きることは神に従うことである、言い換えると神の言葉を中心にすることである、また、生きることは、神の愛と真実によって導かれることである等々さまざまの表現がなされている。
しかし、旧約聖書において一つ決定的に重要なことが欠けていた。
それが、復活ということである。復活ということは、旧約聖書にはほとんど記されていないが、年代的に後期に書かれたものである、ヨブ記やダニエル書に復活を指し示すような箇所が若干見られる。
また、イエスの生まれる一七〇年近く前の時代の歴史書であるマカバイ記には、アンティオコス・エピファネス四世の激しい迫害のときに拷問のすえに殺されることになった人が、次のように答えた。
…息を引き取る間際に、彼は言った。「邪悪な者よ、あなたはこの世から我々の命を消し去ろうとしているが、世界の王(神)は、律法のために死ぬ我々を、永遠の新しい命によみがえらせて下さるのだ。」(旧約聖書・続編 マカバイ記Ⅱの七の9)
生きること、キリスト
このように、イエスの時代に近づくと、一部の書物には永遠の命とか復活ということが断片的に、あるいは暗示するような形で現れてくる。
これがキリストが来られてから、旧約聖書やその続編で言われていたすべてが完全な意味で実現していった。
新約聖書は、この創世記の最初の記述がキリストにおいて実現したことを、明確に記している。
…暗闇に住む民は、大きな光を見、
死の陰の谷に住む者に光が差し込んだ。(マタイ福音書四・11)
暗闇、死というのは生きることと逆のことである。そのただなかにキリストが光となって来てくださった。それによってはじめて暗闇と死という生きていく最大の妨げが取り払われたというのがここで言おうとしていることである。
事実、主イエスは、言われた。
…イエスは再び言われた。「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」(ヨハネ八・12)
…イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。(ヨハネ十四・6)
これらの言葉は、すべて生きることはキリストということを表している。目的もなく、ただ生きているというのなら、動物も植物も同様である。人間だけは、目的が与えられ、その目的に向かって歩む力が与えられないと生きていけない。
キリストは、「人はパンだけで生きるのでない、神の口から出る一つ一つの言葉で生きる。」と言われた。(マタイ福音書四・4)
これは、生きることは、神の言葉による、ということを意味している。
そして、神の言葉そのものであるお方が、キリストであるゆえに、生きることはキリストだということになる。
キリストが地上に来られてから、生きるということがこのように明確に定まったのである。
生きるということは、キリストに従うことであり、キリストのみ言葉に聞くことであり、従えないときに赦しを願うことである。そしてキリストの受けたように苦しみをも受けることである。その苦しみは私たちの罪のゆえでもあるが、また他人の罪をになう苦しみでもある。
そして、生きることは、キリストの持つ永遠の命を生きることであるゆえに、死んでも生きるものとされる。
信仰と希望と愛はキリスト
私たちが生きていく上で、最も重要なことは、信仰と希望と神の愛である。そして生きることはキリストであるゆえに、信仰、希望、愛もまたキリストである。
信仰はキリストである。信じる対象もキリスト、キリストが私たちの罪を赦し、キリストと本質を同じとする聖霊が私たちを導き、キリストによって私たちは命を与えられる。ここで信仰と訳された言葉は、ピスティス
pistis であり、これは「真実」とも訳される言葉である。(ローマ三の3などでは、そのように訳されている。口語訳、新改訳では「真実」、新共同訳では「誠実」と訳されている)
それゆえ、この有名な言葉での、いつまでも続くものは、「主の真実」という意味にもとることができるし、じっさいパウロはそのような意味をも重ねていると考えられる。
新約聖書において、信仰とはキリストを信じることが前面に出されている。主ご自身が言われたように、キリストを信じることは神を信じることと同じなのである。
…私を受けいれる人は、私を遣わされた方(神)をも受けいれるのである。
…私を見た者は、父(神)を見たのだ。
(ヨハネ福音書十三の20、十四の9)
盲人やハンセン病の人たち、また七つの悪霊の取りついていたマグダラのマリア、十字架上の重罪人等々すべてはキリストを信じた。そして赦され、力を与えられ、あるいはパラダイスにいくという希望を与えられた。
そうした人間にかかわることだけではない。キリストは世界をも創造され、今も万物を支え、保ち、神の国へと持ち運んでいるのである。
…神は、御子(キリスト)によって世界を創造された。
御子は神の栄光の反映であり、神の本質の完全な現れであって、万物を御自分の力ある言葉によって支えておられるが(*)、人々の罪を清められた後、天の高い所におられる大いなる方の右の座にお着きになった。
(ヘブル書一の2~3より)
(*)「支える」と訳された原語は、フェロー phero であって、この語は「持ち運ぶ、になう、支える」といった意味を持っている。なお、この語から、車を運ぶ船、ferry フェリーという語も生じた。
それゆえに、周囲の樹木や草花など、雲や空、星なども一つ一つがキリストの愛による創造物であり、またいまもその愛が支えているのである。それらもまたキリストによって支えられ、生きているのであって、ここにも、生きるはキリストであるということが見られる。
希望についても、キリストそのものが私たちの希望である。
「キリストぞわが望み、栄光とこしえに神にあれ」 という言葉にあるように、キリストは、日々の生活において絶えずいろいろな問題に直面する私たちに個々の人に最善となるようにしてくださるとの希望を与え、生きる力を与え、導いてくださる。真の希望を与える者こそ、永続的な力を与えることができる。
そればかりでない。この世の生活のかなたにあることに対しても、キリストは究極的な希望を与えて下さる。死んだらどうなるのか、私たちの最後はどうなるのか、そしてこの世界全体はどうなるのか、ということについても、復活と再臨という約束によってあらゆる闇の力に打ち勝つ希望を与えた下さるのがキリストなのである。
愛もキリストである。
キリストが私たちの罪をになって十字架につかれたからこそ、私たちは神の愛を知った。(ヨハネ第一の手紙三・16、四・10)
親子や友人、また男女の愛はどんなに深くとも、一時的であり、限定的であり、それゆえに神の愛へとつながっていない。逆にそうした人間同士の愛が深いほど、神のことなど当事者からかすんでしまう。
私自身も、キリストを知るまでは本当の愛というのをまったく知らなかったのがあとからはっきりと示されていった。
生きることとは、キリストのうちにあること。それはまたキリストの愛のうちに留まっていることである。
放蕩息子のたとえで示されているように、罪のゆえに迷い出た者をも探し出して下さる愛。莫大な罪の負債をも帳消しにしてくださる愛、それはただキリストのみが持っている。
また、 キリストは、十字架で処刑されたほどの苦しみを通って行かれた。生きるはキリストならば、私たちにもそのような道を通らねばならないことが有りうるし、事実長い歴史のなかで、生じた迫害の時代には、まさに生きるはキリストの十字架であったようなことが数多く生じた。
そして、現在でも、重い障害を持った人、事故や誤診あるいは自然災害や内乱、戦争といったことで、耐え難いような苦しみと悲しみのなかに投げ込まれている人たちも多くいる。生きるための食物さえまともにない人たちは、十億人を越えるという。(*)
(*)二〇〇九年六月、 国連食糧農業機関(FAO)は19日、十分な栄養が取れない状態にある飢餓人口が、今年には前年比で一億五〇〇万人増加し、過去最高の十億二〇〇〇万人になるとの予測を発表した。
そのような苦しみにある人たち、その現実を見るときにも、私たちはキリストを思い起こす。
キリストの愛はきっとそのような人をも見捨ててはいないと。じっさい、福音書には、食べ物もなく、金持ちの食卓から捨てられるもので辛うじて生きていようとしていた乞食のことが記されている。犬が彼のできものをなめていた、とも記され、この男が人間として最低限の生活をもできていない悲惨な状態であったのがわかる。
しかし、そのような人間に名前(ラザロ)が記されていることにも、イエスの愛はそのたった一人の絶望的な生活をしている人にも及んでいることを示す記述であり、事実、そのラザロが死ぬと、天使たちが来て、アブラハムのもとに連れていったとある。
このような悲惨な生活をせざるを得ない人たちは、古代から世界中で現在に至るまで、数知れず存在してきた。そうした人へのキリストの配慮をこのラザロの記事は暗示しているものである。
そして、死後の生活というのが存在しないなら、それはまったく不平等に満ちた、謎のような世界、闇の世界だということになる。しかし、人間の地上での生活は実は一瞬のようなものであり、死後の永遠の生活を視野に入れてはじめて正しく見ることができるのであって、キリストの愛のうちに、人間の死後の生活をも合わせ見るときに、初めて私たちはこの謎のような暗い世界に永遠の光を見出すのである。
さらに、キリストが全く不当な苦しみを受けたように、この世のたくさんの不当な苦しみを受けている人たちもまた、ほかの人たちの罪を何らかのかたちで身代わりに受けているとも考えられる。
私たちもまた、いつそのような苦しい事態が生じるかもわからない。重い病気や事故などによる障害、老年の苦しみ、人間関係の崩壊等々によって、絶えがたい苦しみに直面することも有りうるだろう。
しかし、そうしたあらゆる事態においても、生きることはキリスト、信仰と希望と愛はキリスト、という真理は輝き続ける。ただキリストだけが、そうしたいっさいの状況を乗り越え、勝利する力を与えてくださるからである。
…これらのことをなんじらに語りたるは、なんじら我に在りて平安を得んがためなり。
なんじら、世にありては艱難あり、されど、雄々しかれ。
我、すでに世に勝てり。
(ヨハネ福音書十六・33)
北海道での聖書の集会
今年も北海道南西部の日本海側にある瀬棚地方での、瀬棚聖書集会において、聖書の言葉を語る機会が与えられました。今年で、36回目を迎えたこの集会に参加する方々は、酪農をしている方々が多数を占め、その他に養豚や米作農業をされている方もいます。参加者(部分参加含む)は、28名ほどで、ほかに子供たちも七~八人が食事のときなどには共に加わっていました。
今年の瀬棚の聖書集会は、青年たちがテーマやプログラム、運営なども話し合って決めて開催をしたこと、そして老年を迎える以前から瀬棚にて働いてこられた方々も祈りをも含めた準備や食事その他のことに加わって助言、感想、また幼な子たちの世話などをも部分的に担当し(とくに土曜日のこどもの学び)、老若男女、乳幼児、子供たちもともに、見えざるキリストを中心としてすすめられたと感じました。
現在事務局を担当している野中信成さんが幼児のときにはじまってから、長い年月を受け継がれてきたことを思うと、主の特別な導きがあったのが分かります。
いろいろな事情から、ごくわずかしか参加できなかった方や全く参加できなかった方もいましたが、来年はそうした方々も参加できますようにと願われたことです。
今回の瀬棚聖書集会のテーマは、「お話しください」というものでした。これは、サムエル記にある、幼な子サムエルの言葉や、新約聖書のルカ福音書における、マルタとマリアの記事のなかからとったものですが、このようなわかりやすい言葉でのテーマは今までの無教会のキリスト教集会ではなかったことだと思います。
今回のテーマの決定までのいきさつを、事務局担当の野中 信成さんから次のように知らされていました。
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☆テーマについては例年のようにいろいろな話が出ました。
話の流れとして
何人かから「生活(日常)と信仰」という声があがりました。
もう少し具体的にできないかということから、日常の中で神様はいつも語りかけている、家庭集会の中で神様は離さない、いつも招いているという感話が心に響いたという話。
信仰は形に現れるとは限らない、私は何をしたらいいのですかと問うている自分。日常の生活の中で無意識で祈ること感謝することが大切では?
「神様の声を聞こう」
テーマとしてどういうふうにいうとふさわしいかということが議題になり、「日常の中で神様の声を聞く」という案を経て 「主よお話ください」と決まりました。
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このテーマになるべく沿ったような聖書講話になるよう、旧約聖書から二回、新約聖書から二回、そして日曜日の日本キリスト教団利別教会での説教(聖書講話)として、一回、と合計五回(各四〇分~五〇分)をかけて話すことになったのです。
雨や曇りの日ばかりが続いていて、太陽が顔をだすことがあるだろうかと思われたほどだったとのことですが、私が瀬棚に到着した日とその翌日は、青空と白い雲が浮かぶよい天気となり、主の祝福を感じたことです。
瀬棚聖書集会に参加している方々は、青年たちが主体ですが、その幼い子供たち、さらに青年たちのご両親にあたる方も含まれ、乳飲み子から、老齢の方までが加わりました。
仕事をしながら、聖書の学びの集会に参加するというのは、ほかの地域でもほとんど聞かないやり方です。いろいろな仕事上の困難に加えて、個人的な悩みを抱えた方々もあり、それぞれの人が何らかの重荷を感じつつ参加されている方々も多いのを感じます。
そのような状況だからこそ、み言葉に聞く必要があり、今回のテーマ「お話しください」というのが生まれた背景にもなっていると思われたのです。
今回は、私の聖書講話が四回にわたってなされ、その一つ一つに対して感話が一時間ほどとられました。そこで、聖書のメッセージに関しての感想、日常生活からの関連などを自由に話すということで、そのなかで、参加者の思いがよりはっきりと知らされ、聖書の学びと信仰的な交流を深めることになったと感じます。
参加者の方々は、日常生活からの問題や考えていることなどを率直に話され、その飾らない姿勢が印象的でした。
去年、そして数年前に結婚して瀬棚に初めて来られた若い女性の二人の方々も、聖書は初めてとのことでしたが、去年と今年の瀬棚聖書集会にも参加されて、このような内容の集会は、居心地がよく、来年も参加したい、と話されていたことも主の導きと感謝でした。
み言葉中心の集まりが、心に違和感がなく集えるということは、主の御手のはたらきによるもので、人間的説得ではどうしょうもないことだからです。
また他方では仕事や体調の問題もあって、参加がほとんどできない方もおられましたが、来年はそうした方々にも主の導きがありますようにと祈ったことでした。
毎年、夜のプログラムの一つとして、山形のキリスト教独立学園卒業生たちによってコーラスがなされることも、聖書の学びにさらに霊的なよきものを添えるかたちになって感謝です。卒業して二〇年前後も経ってもなお、ほとんど練習なしに美しいハーモニーを響かせて、賛美の歌を歌い、聞く者に神の国の雰囲気の一端を感じさせてくれるのは、独立学園の音楽教育のよき実だと思われました。
四日目の、日本キリスト教団利別教会における、主日礼拝での説教の時間が与えられ、「わが愛に居れ」というテーマで、今回の瀬棚聖書集会の主題の「お話しください」ということと関連付けて四〇分ほどの話しをさせていただきました。この教会での説教というときが与えられているために、教会の方々とも主にある交わりが与えられることも大きな恵みで、こうした瀬棚集会と合同の礼拝を準備して下さる、相良展子牧師や、教会の役員の方々の御配慮にも感謝でした。
このように、青年たちが企画し運営すること、三六回を重ねるほどに、次々と受け継がれてきたこと、参加者がみなじっさいの農業(酪農、養豚、米作など)にかかわっている方々であり、その仕事をしながらこの聖書集会に参加されているということ、そして教会の後援という形をもっていることなど、ほかの地域の無教会の夏期キリスト教集会では見られない特徴があり、この特別なかたちをも主が導かれてきたことを思い、その不思議なわざに、今回で七年目という長い期間にわたって関わりを与えられてきたことを感謝しています。
瀬棚聖書集会が終わったあと、札幌に移動したのですが、そのとき、上泉 新兄が、瀬棚から札幌まで二七〇キロほどを、私の代りに車の運転をして下さることになり、感謝してお受けしました。私はずっと助手席に横たわって仮眠も少しでき、疲れをいやすことができ、翌日以降のために身体の具合を整えるのに役だちました。
翌日は、札幌での合同集会で、釧路や苫小牧、札幌独立教会、そして去年に引き続いて小樽からの「祈の友」会員の方(日本基督教団の教会員)などの参加者があり、瀬棚の上泉さんも参加されてよき学びと交流の会が与えられました。(24名)
また、かつて札幌の集会を導かれていた市川道夫兄は高齢となって入院されていますが、そこにもお訪ねして、市川さんの喜ばしい表情に接することができ、長い歩みを導かれてきた主によって今も病床の単調な生活をも支えられているのを知らされて感謝でした。
また、今回は、旭川の荒川 巌兄からの希望があって、初めて旭川に行きました。旭川で集会を希望されていましたが、直前になって入院され、自宅では集会はできないことになったのですが、病院に訪問ということでお伺いしました。そうすると旭川集会の田中さん、長谷川さんたちの準備や病院側のご厚意によって病院のあいている場所を使ってよいことになって、そこで車いすにのった荒川さんと長男ご夫妻、そして旭川の二人の方々との集会が一時間ほど与えられたのも予期せぬ恵みでした。
今回は、体調の維持と管理にとくに注意をしていました。去年、一昨年と長距離の車の運転と長期にわたる集会の連続のため、帰宅してから体調の異常がなかなか治らず、このような状況が今年もおきると車ではもう行けないと感じられたからです。
それで、今回は自動車運転と集会ばかりでは体調がくずれて眠れなくなり、いっそう身体が持続できなくなるので、予備の日をもうけて休養日をとることにしました。旭川から石狩川の上流(層雲峡)へと数十㎞さかのぼり、大雪山のふもとにて一泊することにし、その一日をロープウェイとリフトを使って中腹まで登り、周辺を歩くことによって体調をもとに戻し、さらに高山植物の観察にあてようと考えました。
山も植物も渓谷もまた、神の言葉であることを今回あらためて深く感じて霊的な収穫をも与えられたのは、予想していなかっただけに上よりの恵みでした。
そこで見出した多くの植物のうちいくつかを「今日のみ言葉」でも紹介して、行きたくとも決して行くことのできない方々に、神の栄光の現れとしての自然のよさを、少しでも感じていただけたらと願っています。
(なお、「今日のみ言葉」は、今から十年あまり前に、インターネットでみ言葉をお届けしたいという気持からはじめたもので、植物や自然の写真とそれにかんするコメントなども付けて希望の方々には、インターネットメールとして配信しています。現在では、一か月に一度程度送るものとなっています。インターネットをしていない方々には、希望によって印刷して「いのちの水」誌とともにお届けしています。また、過去の「今日のみ言葉」は、徳島聖書キリスト集会のホームページで見ることができます。
(http://pistis.jp)
詩の中から
夕焼けの中に入って
あの美しい夕焼けの
真ん中に入って立ち
耳をすませば何が聞こえるだろう
息を吸い込めばどんな香りだろう
しずかに目を上げると
立たれているのは誰だろう
静かに
夕暮れにじっと山を見た
動いていないと思った山は
木々が静かに揺れていた
夕暮れにじっと空を見た
動いていないと思える雲は
静かに流れていた
夕暮れにそっと祈った
祈っても何も変わらないと思えるようなときでも
神は静かに働いておられる
(貝出 久美子詩文集 第十集「風に歌う」より)
おおいなる時
さやさやと
山陰のねむの木の一群が
風のピアノを弾いている
躍り上がっては
またしずかに
その手は
奏でる ある旋律を
神さまの曲を
まだ誰も聞いたことのない
その手は奏でる永遠の曲を
そしてやさしく打つ
わたしの魂の鍵盤を
なんとしずかな
じかんのせせらぎ
わたしは神のおおいなる呼吸のなかで
だれに告げよう
ゆめを見るようにその旋律に耳を傾け
この時を視る
(伊丹 悦子詩集「いつかの空」より)
(貝出、伊丹両氏は徳島聖書キリスト集会員)
ことば
天国の一瞥
私たちが見たいと願うのはロンドンでもバリでもない、私たちは天国を見たいのである。
天国は容易に見ることのできるものではない、しかしこれが見えたときにはわれらの宇宙観と人生観とは一変する。
そのときには路傍の草までがわれらのために讃美歌を唱えるようになる。
そのときにはわれらの涙はすべて拭われる、われらの疑問はすべて解ける、
この世は直ちに楽園と化する、勇気は湧き出づる、恨みは消え失せる。
天国の一瞥は実に魔術者の杖である。これによりて複雑きわまりないこの宇宙も瞬間にして整然としたものと化する、
そうして私たちはこの汚れた地にあって、神に祈ってこの恩恵にあずかることができる。(「内村鑑三所感集」85頁)
・新約聖書において天国とは、マタイ福音書だけに現れる言葉で(他の福音書では「神の国」)口語訳での訳語。新共同訳では、天の国と訳され、本来はこの地上における神の御支配を意味するのであって、通常思われているように死後の世界を意味していない。この内村鑑三の文でも同様である。神が愛と真実をもって御支配されているのをはっきりと霊の目で見ることができたら、すべては変わってくると言われている。
主イエスは、幼な子のような心、自分を誇らず、自分がいかに何も持たないかを深く知った心、すなわち心の貧しい者、彼らに天の国が与えられると約束された。
お知らせ
○西澤 正文氏の特別集会
八月二十九日(土)~三十日(日)
静岡の西澤正文兄を迎えての特別集会が行われます。
土曜日は、いつもの土曜日集会のときに(午後二時から)、西澤兄に、ご自身のなかで心に残っている聖句、あるいは書物などから語っていただきます。
三十日(日)の主日礼拝では、次のような内容です。開会は、十時三十分より。礼拝後、食事を共にして交流の時を持ちます。
・タイトル 「罪に泣く人に出会って」
・聖書箇所 マルコによる福音書14章66節~72節
○本文にも書きましたが、インターネットをしていないために、「今日のみ言葉」の印刷されたものを希望されるかたは、吉村まで。
○集音器
いままで何度かお知らせしました集音器のことです。
七月に北海道と東北、そして近畿地域の何人かの「いのちの水」誌読者や「祈の友」にかかわる方々を訪問しました。そのときに、老人性の難聴になっている方々がいましたので、以前から紹介している集音器を付けてもらうとはっきり聞こえる方々があり、何人かの人が購入を希望されました。
ある高齢の方は、パイオニア社製の集音器を三万円ほどで購入したが、それよりも私の紹介したもののほうがずっとよくクリアに聞こえると言われ、この集音器を使うことになりました。また、数十万円で購入した補聴器よりもよく聞こえるという方も今までに何人かありました。
従来、この製品は送料込みで一万円前後で販売されてきたものですが、現在は制作されていません。そのことを知ってインターネットを通して調べていたところ、一部のサイトからより安価に購入できたので、以前よりも安価で提供できますので、ご希望の方があれば、連絡ください。電話050-1376-3017(吉村)です。
○私どもの主日礼拝と火曜日の夕拝の内容のすべてを録音している、集会CD(MP3録音)を希望される方、またそのCDを聞くためのMP3対応のMP3対応
CDラジカセを購入したい方は、吉村まで連絡あればお送りできます。MP3対応 CDラジカセは送料ともで八千円です。
○今月の移動夕拝は八月二十五日(火)、中川 啓・春美夫妻宅です。
○今月の読書会は、ダンテの神曲・煉獄篇 第十九歌。八月十六日です。