知識は人を高ぶらせるが、(神の)愛は人を造り上げる。 |
2009年9月号 第583号・内容・もくじ
動の中にて静を持つ
政治の世界では政権交代という大きな動きがあった。新聞、テレビなどマスコミもこの数カ月は、とくにそのことでもちきりであった。
四年前の郵政選挙のとき、時の小泉首相率いる自民党が圧倒的多数をとったが、それがわずか四年後にこのようなまったく逆となり、自民党が大敗すると、だれが予測しただろうか。
政治評論は、新聞や雑誌、週刊誌、テレビなどでいくらでもなされている。しかしそうした無数の評論家もこれほどまでに大差で自民党が第一党の座を追われることを予測はできなかったであろう。
この世で生じることは常に、人間の予測や計画を超えたものがある。私たち一人一人の人生を振り返ってみても、同様である。それゆえに、いかに社会的な重要に見える出来事であっても、それもまた変わっていく、何年もすればそのことにほとんどの人は関心を持たなくなる。そしてまた新たな出来事が日々の関心を惹いているであろう。 こうした移り変わりの激しいこの世の出来事と対照的なのが聖書の真理である。この世の出来事の賞味期限というものが数カ月、または数年あるいはせいぜい数十年でしかないのが圧倒的に多いのに対し、聖書の真理の賞味期限は三千年をはるかに越える。それは永遠なのである。
数千年も昔の、時代の状況も今日のような科学技術など全く存在しなかった時代に言われたこと、書かれたことが、その本質的部分において現代もそのまま通用するというのは実に驚くべきことである。
テレビや新聞その他マスコミはこうした変ることなき真理についてはほとんど何も語ることがない。そうしたことを取り上げたら視聴率が上らず、また特定の宗教だという批判がなされるということで、一層キリスト教の真理などは放送されない。
日本のキリスト教人口は、 〇.八%、百万人程度だといわれている。しかし、ヨーロッパや南北アメリカだけでなく、アジアの日本を取り巻く国々においても、キリスト教人口は日本よりはるかに多い。(*)
(*)キリスト者の人口割合は、韓国では、韓国統計庁が二〇〇五年に発表した統計では、二九・二%。 また、フィリピンはキリスト教人口が、九〇%ほど。また、中国ではキリスト教が近年は増大を続けており、少なく見積もっても人口の五%、多い見積もりでは十%と言われており、六千万人から一億人を越えると言われている。
また、ロシアとその周辺の国々(旧ソ連に含まれた国々)のキリスト教人口は、九千万人ほど。 インドネシアは、世界最大のムスリムを持っているイスラム教国である。しかし、そのインドネシアであってもキリスト教人口は十三・四%であり、三千万人を越えるキリスト者がいる。
こうした事実は、日本が世界的にみると、異例の状況であり、聖書の真理に対して著しく目が開けていないと言えよう。
聖書とくにキリストによって示された真理こそは、いかなる動乱の世、動揺激しいこの世にあって、数千年を経ても動かない「静」をたたえている。動のただ中に静あり、そして静の中にあって、周辺の動を見る。それこそが、いつの時代にあっても、私たちが道を誤ることのない生き方だと言える。
私たちは、ある選択を迫られたとき、いろいろと考えていずれかの道を選ぶ。キリスト者であれば、少しでも神の真実や愛にかなう道を、それが困難であっても祈って選ぶであろう。
ときには何年も考えてようやく決定することもある。そしてようやくこれが主の示してくださった道だと信じて歩み始めても、予想しなかったことが生じることはよくある。
自分は神を信じ、祈って決めた、選んだ道であるのにどうしてこのようなことが起きるのか、なぜこの道を選んだのによいことが起こらずに、不都合なこと、予期しない困難が起きるのか、私が選んだ道は間違っていたのか、等々と思いが乱れることが生じる。
また、その過程で自分が犯した罪のこと、失敗のことも思いだされる。人間の弱さのゆえにふとした言動の誤りによって大きな問題が生じることもある。
しかし、そうした疑いや迷いはこの世では避けることができない。しかし、そうした未熟な判断、決断が誤っていたとしても、それも主が最善にしてくださる、そう信じることができるのは何と幸いなことだろう。人間は本質的な弱さがある。どんなに努力しても考えてもなお過つことがある。
私たちはただ、「主よ、憐れんで下さい!」(*)と心から祈り願うだけで主は最善にしてくださるのである。
(*)この願いの言葉は、福音書や旧約聖書のハートと言える詩編においてしばしば見られる言葉であり、苦難の折り、悲しみ深いときの叫びとして、また祈りとして現れる。
この短い祈りの言葉は、数千年を経ても今も私たちの心に生きている。そして新約聖書の原語であるギリシャ語で、「キリエ、エレイソン」というが、それはミサ曲において取り入れられ、現在もさまざまの場所でこの言葉は今も音楽とともにこの祈りの重要性が歌われ伝えられている状況となっている。
そして、私たちの力で物事を正しくするのでない。自分の存在がどのように足らないものであっても、主は必要ならばこの小さき自分、土の器なる者をも用いて下さる。
さらに、いかに自分がやったことが表面的には実を結ばないように見えても、最終的にすべての物事を完成させて下さる神がおられるのである。私たちがするのでなく、神がその万能をもって最善にされるのである。
弱き、不十分な私たち、罪深い私たちも、そのことに立ち返るときには、新たな平安を与えられ、励ましを受けるのである。
今回の総選挙は、長く第一党であった自民党が大敗するという歴史的な変化が生じた。今後どのように政権運営をやっていくか、とくに財源問題や、アメリカなどとの外交をどうするのかなど今後とも議論は絶えないだろう。
ヨーロッパ、アメリカなどでは政権交代はしばしば生じているのに、日本は五十年以上も自民党が第一党の座を占めてきた。自民党には、さまざまの不正や腐敗があったのになぜこのように異例の長期にわたって第一党であり続けたのか。
そうしたことについてはさまざまの議論があるが、一つ言えることは、国民が、全体として何が正しいあり方なのか、ということより、いかに豊かな生活ができるか、という経済問題を重視してきたということがあり、自民党支配によって経済成長し、収入が増えて生活が現実に豊かになったという側面がある。
すでに、今から四十五年近く前に、日本人は、「経済的動物」(エコノミック‐アニマル)だと言われていた。それは、当時のパキスタンのブット外相が日本人の利益第一の発想とその行動、経済進出のやりかたについて言ったもので、広く使われるようになった。そこには、人間のあり方、何が正しいのか、といったことを軽視する、精神の貧困があることがはやくも察知されていたのである。
こうした経済問題を第一に考えるという傾向は現在でも同様であって、格差の拡大、派遣社員の増加、年金問題、失業の増加などさまざまの経済、社会問題が大きくなってきたゆえに、自民党への信頼が揺らぎ、民主党へと流れて行ったという側面がある。
こうした経済問題の重要性は日本だけでなく、どこの国でも同様である。しかし、日本には欧米のキリスト教といった精神の脊椎骨というべき思想、信条の強固な基盤がないことは、すでに明治政府も知っていた。それゆえに、キリスト教の神をまねて、天皇を神として、それに対して絶対の忠誠を強制する、といった方法を取って、架空の土台にしようとしたのであり、その実体のない土台をもとに国家が形成され、近隣諸国への侵略がなされていった。そしてそうした結果が、太平洋戦争となり、あのおびただしい犠牲者を出した敗戦となった。
一八六八年に、江戸幕府から明治政府へと大きな政権交代が生じ、さまざまの身分差別の撤廃や、教育、憲法の制定、さまざまの新しい法律など大きく変えられて行った。しかし、そのような変革にもかかわらず、全く変えられなかったのが、キリスト教迫害であった。この点では、明治政府になっても、江戸幕府と同じで、激しいキリスト教迫害を続けたのである。とくに、長崎の浦上村の信徒たちは数千人が捕らえられ、二十を越える各地へと流罪となり、そこで、さまざまの拷問を受けた。一つの村全体を滅ぼそうという発想からこのようなひどい仕打ちがなされた。水責め、雪責め、氷責め、火責め、飢餓、箱詰め、親の前でその子供を拷問するなどその過酷さは江戸幕府と変わらないほどであったとも言われる。
こうした、非人道的な仕打ちは諸外国に知られ、次々と激しい抗議が起こり、明治政府もこのままでは、条約改正もできないと気付き、ようやく一八七三年(明治六年)になって、キリスト教信仰を認めたのであった。そして日本の各地に流罪となった人たちも故郷に帰ってくることができたが、何年かの流罪の間に、およそ二十%もの人たちが拷問などのひどい待遇によって死んでしまったのであった。
このように、政権交代しても、一番人間の深いところにある、魂の問題に関してかくも激しい迫害を加えるほど、何等改革はされなかったのである。もし諸外国の強硬な抗議がなかったら、ずっと政府はキリスト教禁令を続けていたであろう。
今回の政権交代においても、国民の精神性を高めるためにはいかなる教育をなすべきなのか、また、太平洋戦争での悲劇を繰り返さないために、また、唯一の被爆国として、世界の平和のためにいかになすべきか、あるいは、貧困と病にあえぐ貧しい国々をいかにして助けるのか、教育において、単に学力を向上させるのでなく、何が正しいことなのか、価値あることなのか、といった感覚を身につけることの重要性などがほとんど議論されていない。
現在の民主党で最大の問題とされているのが、財源問題であるから、これがうまくいかなかったらたちまち批判の合唱となり、党が分裂、あるいは現在では予想できない形での連立政権が生まれたりする可能性がある。
最も近い隣国の韓国でも、大統領になった人たちがはじめは新鮮な改革者というイメージをもたれても、まもなくさまざまの金に関する不正が本人や関係者に生じていく例が繰り返し見られてきた。
アメリカのオバマ大統領の高い支持率も、今までの大統領がなかなかできなかった医療制度改革に手を付けていこうとしていることも影響して、富裕層からの強い反発が生じて低下の傾向を示している。
国を大きく揺るがせたり、政権交代となったり、さらに戦争にまでなっていくのはこのような経済問題や富に関する不正が背後にある場合が多い。 そして民族問題や宗教問題がそれにからんで複雑な状況となっている。
こうした絶えざる混乱のただなかにあって、だれでもができる解決への小さな一歩がある。
それこそは、いかなる状況にあっても変ることなき重要な道である。それが、一人一人の魂の内における「政権交代」である。そしてそのためにこそ、キリストはこの世に遣わされたのである。
イエスが三十歳で伝道を始められたとき、「悔い改めよ、天の国は近づいた」と言われた。(マタイ福音書四の17)
これを分かりやすく言いかえると、つぎのようになる。
「神の御支配は近づいた。(もうここに来ている)それゆえに、魂の方向をこの世的なものから転じて、神の方に向け変えよ」となる。 天の国というのは、以前の口語訳では「天国」という訳になっていたから、とくに初めて聖書に接する人には、死者の国、死後の世界と受け取られることが多かった。しかし、天の国という表現はマタイだけで、ほかの福音書では神の国と訳されているように、天というのは、単に神を言いかえた言葉である。また、国と訳された原語も、王の支配 というのが原義であって(*)、通常の日本語のような意味とは相当違ったニュアンスを持っている。
(*)天の国という語に遣われている「国」の原語は、ギリシャ語では、バシレイア basileia。 これは、王 (バシレウス)basileus という語から造られていて、「王の支配、権威」といった意味を持っている。新約聖書でも、実際に、「支配」 と訳されている箇所もある。
この世は皇帝やその部下や領主などが支配しているとだれでも考えている。しかし、そのような目にみえる支配者は表面的なものにすぎない。そのうち必ず倒れる。 すべての国家や人間の背後におられるお方こそ、本当の支配者である。
真の政権を持っているのは、神であり、その神からその権威を受けてこの世に来られたのが、イエス・キリストなのである。
そのキリストをそのような神と等しい権威を受けたお方として信じ、受けいれること、それによって私たちの内部に政権交代が生まれる。それまでは、自分という人間の願望や意志、欲望が支配していたり、他人の考えが自分の心の内で実権を持っていた状態から、内なる政権交代が生じて、キリストが自分の内での政権を握るようになる。
それこそ、あらゆる政権交代の根源になければならないし、まただれでもが本来できる政権交代であり、さらに、それこそが、永続的な幸いを生み出す政権交代なのである。
この世の政権交代は、諸外国ではよく生じているし、いつ日本でも新たな政権交代が起こるか分からない。そして交代してもよくなることもあるであろうが、また新たな問題も生じる可能性も大きい。この世はどのような人間が担当しても限りなく問題が吹き出してくるからである。
「悔い改めよ、天の国は近づいた」それは、愛と真実の神、キリストに魂の方向転換をすることによって、神が私たちの魂に住み、私たちの内にてその愛と真実をもって御支配してくださるようになるというメッセージであり、約束なのである。
主イエスご自身、完全にその内に神が住み、神が支配権を持っておられることを明言された。
「はっきり言っておく。子(イエス)は、父(神)のなさることを見なければ、自分からは何事もできない。父は子を愛して自分がすることをすべて子に示される。」(ヨハネ五の19)
また、使徒パウロは、キリスト教の長い歴史のなかで最も重要な弟子であるが、つぎのように言っている。
…生きているのはもはや私ではない。キリストが私の内に生きておられる。(ガラテヤ信徒への手紙二・20)
この言葉は、パウロにおいては、「内なる政権交代」が実現していたことをはっきりと示すものである。自分というものが支配している状態から、キリストが支配している状態へと新しく造りかえられたということなのである。
そして聖書にある記述は、特定の人だけに生じるのでなく、キリストを信じる人すべてにその程度の違いはあっても、生じていくことなのである。
この世の政権交代も必要である。悪しき制度がそのままになっていたり、不要な設備や組織に多額の税金が使われたりするからであり、国を間違った方向に引っ張っていくからである。
明治維新という政権交代もあったし、そして太平洋戦争後には、戦前の軍人を中心とした政権から一般の政治家が投票で選ばれて政権を取るというかたちに変革された。
しかし、どのような変革があっても、残っていることがある。それが一人一人の心の中での政権交代である。自分とか他人が支配権を持っているかぎり、私たちには本当の平和は来ないし、そのような人間が集まっても真の平和は来ない。
この世界全体の平和、究極的の平和は、人間の努力でなく、神の御計画によって生じるというのが、旧約聖書から新約聖書に共通したメッセージである。
そのときこそ、完全な政権交代が訪れる。 闇の支配から、愛と光の支配、真実と正義の永遠の神の支配が生まれる。それが新約聖書において約束されたこと、人類の未来に関する預言なのである。
詩篇 第五篇
主よ、わたしの言葉に耳を傾け
つぶやきを聞き分けてください。 わたしの王、わたしの神よ
助けを求めて叫ぶ声を聞いてください。
あなたに向かって祈ります。
主よ、あなたは 朝ごとに、わたしの声を聞いて下さる。(**)
朝ごとに、わたしは御前に訴え出て
あなたを仰ぎ望みます。
詩篇第五編は、詩の作者の切実な願いが最初から繰り返され、「耳を傾けてください」「聞き分けてください」「聞いてください」というように、「聞いてください」という意味の言葉が三度現れる。
「聞き分けて下さい」の原語は、聞くという言葉でなく、理解するという意味の語である。そのため、英語訳はほとんどが、consider という訳語をあてている。
詩篇にもいろいろな内容があるが、心の願い、叫びを神様に訴えるという、叫びそのものが詩という形になっているものが多い。
「朝ごとに、わたしの声を聞いて下さる。」(詩篇五・4)
新共同訳ではこの4節は、「朝ごとに、私の声を聞いてください」というように、願望の意味として訳されているが、口語訳や関根正雄訳などでは、「朝に、私の声を聞いてくださる」となっていて、現在のこととして訳されている。英語訳のほとんどでも" In the morning, O LORD, You hear my voice." と訳されている。
現代語では、祈り願うことと、現在の状態を表すこととは大きく異なる。しかし、ここのヘブル語の原文では「聞く」という原語の未完了形が使われている。そして、未完了形はしばしばこの訳のように願望として訳されることもある。 けれども、多くは「完了していないということから未来のこと、繰り返し行われること、継続する行為」などを表す。それゆえ、この箇所も、「毎朝、主は、繰り返し私の声を聞いて下さる」という意味を持つ。
私たちは人間の応答をいつも期待する。無視されるということは心に深い傷を与え、ときには、学校で集団で無視することなどが行われると、子供などでは生きていけないほどの苦しみになることもある。
しかし、子供でなくとも、人間は単独では耐えられないことが多く、人間同士の応答が必要である。本当の友とは、そうした心の真実な応答が与えられる人間関係である。
朝ごとに私たちも応答があるならば、日々新たな気持を与えられる。しかし、家族がおらず、一人暮らしとなって朝ごとに応答も与えられない生活となるとき、老化もいっそう早く進むだろう。
若いときには、学校や職場などでいつも人間がいる。適切な応答がなくとも、何とか気晴らしもできるし、遊びや飲食でまぎらわせる。
しかし、病気になったり、人間関係でひどく苦しめられるとき、また老年になるとき、まったく応答のない生活をすることは耐え難くなるだろう。
毎朝、起きるとともに自分の思いや不安や心配でなく、神との応答が与えられ、神が自分の声を聞いてくださる、という経験を持つことは何と幸いなことだろう。
そしてそのように聞いて下さるという実感を持てない場合でも、「主よ、聞いて下さい」と祈ることによって神は、私たちに何らかの霊的な応答を与えて下さると信じることができる。
聞いてください!という真剣な叫び・祈りのあるところには、必ず応答がある。たとえときには神が全く自分に答えてくださらない、祈っても何の力もなく、空を打つかのように思えるときもある。
しかし、そうしたことを経て、この詩の作者は、「朝ごとに聞いてくださる神」をあらためて体験したのであった。毎朝、御前に出て、神を仰ぎ望む生活へと導かれて行った。ここに、この詩を作った人の、基本的な信仰に対する姿勢がはっきりと最初に書かれている。
現代人においては、朝ごとに神の言葉でなく、新聞、テレビといったものがまず現れる、それらをまず見るという人たちが圧倒的に多い。この詩の作者のような姿勢こそ、現代の情報がはんらんする状況にあって、私たちが立ち返るべきものだと言えよう。
私たちの信仰のあるべき姿というものは、まず心の悩みを苦しみを神に祈り、訴え、叫び、そしてそれを神が聞いてくださるという実感を与えられて生きることである。
そのためには、いつも神からの語りかけに心の耳を傾けている必要がある。
それは、神が創造した自然に対するときも似たところがある。私たちがまわりの山々、草木、青空や雲などに見入るとき、そこからのメッセージを聞き取ろうとする姿勢が常に必要なのである。
このように、神に聞いて下さいと訴え、神からの語りかけに耳を傾けるというのが、生きた信仰の姿なので、このようなものがない時には、人間の雑音ばかりが入ってきて、人間への単なる思いや、誰かがああ言った、こう言ったというふうになり、だんだんと信仰そのものがあいまいになってくるであろう。
この詩が私たちに伝えようとしていることは、まっすぐ神の方に向かって、そして人間でなく神様さえ聞いてくだされば、ことは足りるということである。
人間に対して、わたしの思いを聞いてくださいといくら言っても、人間は心の世界が狭く、苦しみにある人の苦しみや悲しみを当事者の感じているように切実なものとしてはなかなか受け取れない。
しかし神は私たちがどんなに、目に見えない、思いのよらない複雑な事情を抱えていても確かに聞いてくださる。
…あなたは、決して 逆らう者を喜ぶ神ではありません。
悪人は御もとに宿ることを許されず
高ぶる者はあなたの御前に向かって立つことができず
悪を行う者はすべて(神に)憎まれます。
苦しむ者の叫びを必ず聞いてくださる神、その慈しみにとんだ神は、他方ではその正義の本質のゆえに、不正な者、悪を意図的に計ろうとする者たちには、さばきを与えられる。私たちを苦しめ、悲しみを与えるのは、悪の力であり、それゆえに私たちの苦しみを深く理解してくださる神は、そのような悪しき人間の根源を砕かれるのである。
…しかしわたしは、あなたの豊かな恵みによって(*)
あなたの家に入り、聖なる宮に向かってひれ伏し
あなたを畏れ敬います。
主よ、あなたの義によってわたしを導き (**)
まっすぐにあなたの道を歩ませてください。
(*)「恵み」の原語のヘブル語では、ヘセド。この語は、変ることのない真実な愛を意味するので、steadfast love「一貫してゆるぎない愛」と訳しているものもある。
(**)「義」とは、ヘブル語では、ツェダーカーで、正義を表す言葉。創世記にメルキゼデクという王は、正義の王と訳されている。メルキとは王、セデク(ツェデク)もツェダーカーと同様に、正義を意味するからである。
日本語訳聖書では、口語訳、新改訳、関根訳、岩波訳、カトリックのバルバロ訳などすべて、「義」あるいは、「正義」と訳されている。新共同訳だけが、この原語を「恵みの御業」と訳しているが、この訳語では、この語の持っている「正義」というニュアンスが感じられないし、特に旧約聖書にたくさんでてくる「義」という言葉の本来の意味が見えにくくなっている。。 英訳聖書では、ほとんどすべて righteousness(正義)と訳され、少数がjusticeを使っている。
わたしたちが神の宮に入ることを赦され、礼拝ができるということ自体が、神の深い愛・真実の愛を受けて初めてできることなのである。これがなければ人間は形式的になる。神の愛がなければ宗教的なことは表面的なこととなり、そのため深い慈しみを受けひれ伏すことが重要となる。
私たちが神の御前に行くことができるのは、私たちの正しさでなく、神の豊かな恵みによる。
ある英訳(*)が示しているように、「あなたの真実の愛は非常に大きいので、それによってわたしもあなたの家に入ることができる。」のである。
(*)…so great is your faithful love, I may come into your house.(NJB)
神は必ずこの世の悪の力を打ち倒して下さる、その確信は、神の豊かな恵みによるものであった。
その確信を与えられた上で、神の宮にて真実な礼拝を捧げる。私たちにとっては、神の宮とは日曜日などの礼拝集会の場であり、また二人三人主の名によって集まるところである。さらに、新約聖書で言われているように、私たちそのものが、キリストに内に住んでいただいているゆえに、神の宮であると言われている。それゆえ、悪の力は必ず滅ぼされるとの確信を持ちつつ、悪の力に惑わされないで、神を礼拝できるのである。
人間の正しさというのは、しばしば変わっていく。それゆえ、人は正しい本当の道に導くことができず、どうしても人間的な情が入ったり、間違った道、間違った宗教や思想に引っ張ったりする。
しかし神は正義を持って導き、まっすぐな道を歩ませてくださるとこの詩の作者は感じていた。
以前の近畿地区のキリスト教集会のテーマが「道」であったが、道には神の道と人間の道の二つがある。人間的な道は自分中心の道、揺れ動く感情の道、憎しみや妬みや汚れた道であり、至るところに脇道や迷路があり、落ち込んでしまう危ないところ等々があるが、それに対し神様の道は大路、high wayのようなもので、まっすぐ続いている。
イギリスの文学として有名な、ジョン・バンヤンの「天路歴程」では、この世の道がいかに危険であるかが、寓話的に詳しく描かれている。
人間的な基準でなく、神の正しい基準、すなわち神の義によって導いてくださいというのがこの作者の願いであった。
わたしを陥れようとする者がいます。
彼らの口は正しいことを語らず、 喉は開いた墓、腹は滅びの淵。…。
神よ、彼らを罪に定め そのたくらみのゆえに打ち倒してください。…
この世は、神のまっすぐな道を歩もうと思っても、絶えずそこから間違った道へと誘惑する者が出てくる。とくに悪意ある言葉は人を強く傷つける。そのことをこの詩の作者は「彼らの口は正しいことを語らず…喉は開いた墓、」と表現している。
そのような者からは何か汚い言葉や悪意が次々と出てくる。作者がこの詩で用いている表現は現代の私たちにはなじみにくく、今から数千年も昔の遠い外国の人の言葉を日本語に訳したものだから、いっそう違和感があり、すんなりと現代の私たちの心に入ってこないところがある。
ここで、「腹は滅びの淵」とあるが、腹とは、心も指している。言葉の元である心が深い滅びの淵を持っているようなものであるということである。そのような悪の深い者が、まっすぐな道を歩こうとする者を陥れようとするから、だからそのような人を打ち倒してください、彼らを追い落としてくださいと切実な願いが生じてくるのである。
旧約聖書も新約聖書も悪の力を倒してくださいという願いは共通しているが、旧約聖書ではそれが、具体的に敵対してくる人々を打ち倒してくださいという叫びであるが、新約聖書では、そのような悪しき人、深い滅びの淵を持っているような人に宿る、悪の霊が追い出されるようにという霊的な願いにと変わったのである。
だからこそ、主イエスが初めて十二人の弟子たちを遣わすときに、まず弟子たちに与えたのが、そうした悪の霊を追いだすための力なのであった。(マタイ十・1)
この詩の作者の周囲には、悪意をもって敵対する者がいる。不正なこと、虚偽を語り、正しく歩もうとする人を陥れようとする人たちによって作者は苦しんでいる。
まわりがみんな友好的で何の苦しいこともないといった状況でなく、敵意に囲まれ、困難に直面しているという状況のなかで、この詩は作られている。時間を越えて残るもの、それはこのような苦しみや困難のただなかで生み出されたものなのである。
そしてそのような狭く細い道を、この詩の作者は神に導かれて歩んでいく。そしてその到達点がつぎに示されている。
…あなたを避けどころとする者は皆、喜び祝い
とこしえに喜び歌います。御名を愛する者はあなたに守られ あなたによって喜び誇ります。
主よ、あなたは従う人を祝福し 御旨のままに、盾となってお守りくださいます。
最後はまわりに群がる悪の力から守られ、悪の力に引っ張られないで、神の道をまっすぐ歩いていくときにはどのような祝福が与えられるかということが書かれている。
それは、永遠に喜びのある道、喜びの消えることのない道へと導かれる。
この詩の最後の部分に、「喜ぶ」という言葉が何度も現れる。
神のみを避けどころとする者には喜びがあり、また御名を愛することは神を愛することと同じことで、そこにこそ、喜びがある。
このようにこの詩篇第五編の冒頭の言葉は、全く個人的な「わたし」という一人称から始まり、その苦しみの中からの叫びであったが、最後のところには、神を避けどころとする全ての人が喜び、御名を愛する人は誰でも守られ、従う人は誰でも祝福されるという大いなる祝福が記されている。
ここには、一人の魂の内において、周囲の悪の力に勝利した経験がもとにあり、それが周囲の人たちにも伝わって行くことが示されているのである。
私たちも朝ごとに神の声に触れることを願い、聖書を読む習慣をつけていくとき、その日一日の生活が神に守られる。それを繰り返すことによって生涯も、いろいろな悪が襲ってきても神に守られ、神の道を歩ませていただけると信じることができる。
欲望の力と天の声 ―煉獄篇第十九歌より
夜明けのころ、ダンテは一つの夢を見たことから第十九歌は始まっている。
…ひとりの女が夢の中で私のもとに現れた。口は吃(ども)り目はやぶにらみ、足は曲がり、両手は断たれていて、顔色は土色であった。
私がこの女に目を注ぐと、夜の寒さのゆえに冷たくなった体を、太陽があたためて新たな力を与えるように、私が目を注ぐことによってその女の舌はなめらかとなり、見る見るうちにその全身を真っ直ぐにし、青ざめていた顔を、愛する女のようにほんのりと紅(くれない)に染めていった。…
この女は何を意味するかといえば、すぐこのあとに出てくるように、ギリシャのホメロスの大作、オデュッセイアに現れるセイレン(*)であった。
(*)ギリシャ語でセイレーン。イタリア語では、シレーナ。英語では、サイァレン siren 。これはのちに警報などのサイレンという意味も持つようになった。
セイレンとは、近づく者をだれでもみんな魔法にかけてとりこにしてしまう。知らずに近づいて、セイレンの歌を聞いた者は、だれでも家に帰って妻や子供たちに会うことすらもできなくなってしまう。セイレンたちは、野原に座ってその呪わしい歌で惹きつけ、そのまわりには朽ちて枯れた骨がうずたかく、しぼんだ皮が骨についている。
セイレンがいる島の近くを通るときには、部下の人たちに蜜蝋をこねてその耳にぬって聞こえないようにし、自分は帆柱に縛らせてその誘惑に引き寄せられないようにして、そこを通り過ぎるという記述がある。(「ホメーロス」世界古典文学全集第一巻三九八頁 オデュッセイア の第12巻より」)
この古来有名なセイレンという女がダンテの夢に現れた。それは、「口は吃り目はやぶにらみ、足は曲がり、両手は断たれていて、顔色は土色であった。」という。そのような異様な様子の女がなぜ現れたのか。ここで驚くべきことは、このような見るも不快な女であったにもかかわらず、ダンテがその女を見つめていると、たちまち舌はなめらかに、姿勢も真っ直ぐとなり、顔には生気がよみがえり、紅色がさしてきて魅力的な姿へと変身したのであった。
この神話的なセイレンと言われる女、これは何を意味するのであろうか。これは、人間の魂を強く捕らえてまちがって道へと引き寄せるさまざまの欲望を象徴的に表す存在なのである。 人間を誘惑するこの欲望に魂が占領されているならば、真理の言葉、よき言葉を語ることができない。それゆえに、「吃る」と表されている。
また、この世の中心にある真理、神に目を真っ直ぐに向けることができないで、つねに真理以外のものしか見ることができない。それがやぶにらみ、ということで表されている。
脚が曲がっている、これは真っ直ぐに真理なる神を見つめて歩くことができない様子が示されており、「両手が断たれている」というのは、何もよき行動ができないということを表す。そして顔色が土色である、ということは、いのちのない、死んだようなものだということである。
このように、どこから見ても醜い存在であり、嫌悪を催す存在であるにもかかわらず、この女をダンテが見つめるとたちまち様子が変化していった。
それは、どもっていた舌はなめらかとなり、姿勢も真っ直ぐ、また土色であった顔色にも生気がよみがえり、紅色がその顔にさしてきたのである。
ここには、人間を滅ぼすようなさまざまの欲望は、冷静に見るならば、実に醜悪なもので、どこにもよいところはない。しかし、一度人間が心を油断させてその欲望を見つめるときには、たちまちその欲望は非常に魅力的なものと変容していく。その欲望を満たそうとするとどんなに快楽があるかを雄弁に語りだすのである。また、そうした欲望こそこの世の死んだような退屈や単調に活気や変化を与えてくれると錯覚させる。さらに、そのような欲望は本来ゆがんだもの、それに打ち負かされたら決して正しい道を歩けなくなるのであるが、それが分からなくなり、そのような欲望のままに生きるのが正しいのだというほどに、変質してくる。それが曲がっていた脚も真っ直ぐになり、魅力的になるという意味なのである。
このような人間の欲望をセイレンに託して描いている。セイレンはダンテの神曲以外にも、ローレライ伝説や、ゲーテの「ファウスト」などにも現れる。単に興味本位の伝説でなく、これは人間がいつの時代にも直面する深い問題を内在している。
このことは、飲食や性の誘惑についてみても、アルコール飲料というのは理性的に見れば単なる付加的な飲み物に過ぎず、それがなくとも一向に生きるにも差支えはない。しかし、一度アルコール飲料に取りつかれたときには、このダンテの記述にあるように、きわめて魅力的となり、それがなければ毎日が過ごせないほどに取りつかれる。そしてそのためには金も時間も浪費し、健康も家庭も破壊し、さらには暴力や飲酒運転などで自分自身も破滅し周囲にもたいへんな害悪を及ぼすといった状態にまでなっていく人もいる。これは、ホメーロスの描写があてはまる。「…セイレンのまわりには朽ちて枯れた骨がうずたかく、しぼんだ皮が骨についている…」
また、性の快楽についても冷静に考えるなら、道を踏み外すとたいへんなことになるということはすぐに分る。しかし、「セイレンを見つめていると、みるみる顔色が紅色になる」というように、誘惑の甘い雰囲気に負けて間違った道へと踏み外すと、しばしばそこで生じる胎児のいのちを断つという一種の殺人を犯すことになるし、またそれが結婚相手でない場合には、相手や家庭をも破壊し、その苦しみは生涯消えることなく、さらにそこで不正に生まれた子供が育つときには、親の罪深い行動を生涯子供も背負っていくことになり、あとの世代にまでその悪しき影響が波及していく。
こうした人生の途上での大きな間違いも、一種のセイレンの魔力に取りつかれて引き返すことができなくなり、朽ちた骨のようになる、というホメロスの表現が現実味をもって感じられることになる。
ダンテのような人であっても、セイレンがみるみる姿を変えていくのを目の当たりにしたときには、その力から離れることができないほどになった。セイレンは、「私こそは、私こそは」と繰り返し自分を強調して語り始めた。このような繰り返しの表現は、主イエスが、ヨハネ福音書でとくに重要なことを言い始めるときに、「まことに、まことに あなた方に言う」と言われたことを取り入れたものである。(まことに、の原語ヘブル語はアーメン)
主イエスはこの繰り返しの言葉を、人々に「真実を言うのだ」と、力を込め、愛を注いで言われたが、この世の誘惑する力そのものであるセイレンもまた、そのように繰り返し強調して、人間の魂を引き寄せようとする。
イエスのこの繰り返しの表現こそは、私たちがどこに耳を傾けるべきかを暗示しているのである。
ヨハネ福音書には、このことが強く強調されている箇所がある。
イエスが語ったとき、だれかが聞いているとも書いてなくて、ただ、最も重要な日に立ち上がった上、さらに大声で叫んで言われたと強調して書いてある。
…祭が最も盛大に祝われる終わりの日に、イエスは立ち上がって大声で言われた。渇いている人はだれでも、私のところに来て飲みなさい。私を信じる者は、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。 (ヨハネ七・37~38)
この主イエスの言葉こそ、私たちがセイレンで象徴されている強い誘惑の力に負けないための道なのである。
ここで約束されているいのちの水を十分に飲むほど、私たちはほかのものを飲まずに過ごせるし、他の物なら必ず生じる過剰の弊害をも受けることがない。むしろあらゆる人間の問題はここで主イエスが言われている いのちの水を飲まないことに原因があるからである。
このダンテの神曲においては、このセイレンに対抗するために、まったく別の声が聞こえてくる。
ダンテを導いていたウェルギリウスに対して、一人の聖なる女性が現れた。「おお、ウェルギリウス、ウェルギリウス! これは何者なのか」と繰り返して彼を呼び、叱責した。さきほど、セイレンも、「私こそは、私こそは…」と、強く誘惑する繰り返しの言葉を出したのであったが、それに対して、そのような強い力を一撃で退ける強い力をこの聖なる女性が同じように二回の繰り返しの声でウェルギリウスに与えたのであった。
ここには、正しい道からそらそうとする力が現実にあるが、それに対抗することのできる力も同じように存在するのだ、同様に力強く迫ってくるのだ、ということが暗示されている。
この女性が現れるまで、ダンテも、彼を導くウェルギリウスもなすすべもなかった。それほどこのセイレンの力は強くあったのだ。
しかし、一度この神々しき女性が現れたゆえに、ウェルギリウスはその清らかな女性をのみ見つめて、セイレンに近づいて行った。
ここにも、人間の弱さとそれを助け、導く存在の絶対的な必要性が記されている。人間はいかに理性的であっても、そこから間違った道、欲望の力に引き寄せられるということが起きる。欲望の力とは、名声欲や支配欲、性にかかわる欲望、飲食や住居、持ち物などにかかわるものなどさまざまである。そうしたこの世にはんらんしている力に抗して歩むには、どうしても、天よりの助けがなければならないのである。
聖なる女性をのみ、しっかりと見つめているならば、セイレンという欲望の象徴の女に引き寄せられるのでなく、その女の魔力を討ち滅ぼす力が与えられる。ウェルギリウスは、セイレンに近づき、そしてその女の胸元をあらわにし、腹部をも見せた。
すると、そのところから出てくる耐えがたい悪臭(おしゅう)によって、ダンテは目覚めた。
ここにも、他には類のないような象徴的描写によって、ダンテはセイレンの力の正体を明らかにする。それは、一見非常な魅力と見えたにもかかわらず、その本質は、耐えがたい悪臭の満ちるものであったというのである。さまざまの欲望は人間を夢中にさせる。一時的に与えられる快楽は他のことを忘れさせるほどである。しかし、そのような欲望の力に負けるときには、その人の人生は本人にとっても、また周囲の人にとっても、耐えがたい悪臭を放つものとなるであろう。
ここにも、この世の力に対抗するのは人間の理性的な力ではどうにもならない、ということが示されている。ダンテはその歩んだ道をみても、意志の強固な人であったと思われるが、そのような彼が作品において、天来の助けなくしては、この世に存在する欲望の力に立ち向かうことができなかったこと、それほどに神の助けが人間にはどうしても必要なのだと言おうとしているのである。
ウェルギリウスは眠っているダンテを三度は呼んだ。ここにも、新約聖書でイエスがもうじき捕らえられるという前夜にゲツセマネの園で必死の祈りをしていたとき、弟子たちはまったくその深い意味がわからず、眠りこけていた。そこにイエスが三度も呼びに来たが、彼らは皆眠っていたと記されている。眠りから覚めるにも、導き手が必要なのである。ダンテもこの煉獄の歩みにおいて、キリストの弟子たちが眠り込んでいたように、ダンテも前進を忘れてしまうようなことがあった。それほどに、いつでもどこでも一つの課題を追求し続けることが困難であるのを示そうとしている。
ダンテを起こしたウェルギリウスは、「さあ、起きよ。お前の入って行ける入口を探しに行くのだ」と言う。ここでも、より上の道へと登るためには、常にその道を探し続けなければならないことが言われている。 ダンテはさきほどの驚くべき夢の意味が何であるのか、歩きながら考え続けていた。そのとき、声が聞こえた。
「来れ、ここが入口だ」と告げた天使の声は、この世では到底聞くことのできない、やさしくうるわしいものであった。その声の主は、白鳥のような翼をもって固い二つの岩から成る壁の間へと向かわせた。そこから、上部の環状になった道へと登っていくのである。
その時、天使はその翼をもって、ダンテを扇いだ。それによってまた一つ、ダンテの罪は清められた。そして「悲しむ者は幸いなり。なぜなら、その人は(神によって)慰められるから」との賛美が響いた。このように、煉獄篇においては、山のまわりに作られた環状の道を、徐々に上に登っていく構成になっているが、より上の道に行くには、登り口を見出さねばならないのである。普通の山道のように、頂上まで一つの道がずっと続いているのとは全く異なっている。
人間が清めを受けて、より高きところへと登っていくのは、はじめに登山道を見付けたらそれだけを歩いていくのでなく、一つ一つの道からより上の道へは、つねにその道を探さねばならない。
「求めよ、そうすれば与えられる。探せよ、そうすれば見出す」という主イエスの有名な言葉もそうした探求の精神の重要性を教えたものである。
しかし、その登り口というのはダンテやウェルギリウスの努力では見出せないというのも不思議なことである。ここにも意味が隠されている。天使によって教えてもらわねば、上への登り口を見出せない。環状の道をぐるぐる回って歩くだけなら歩ける。しかし、上へは登れない。 霊的な意味で上に登るとはどういうことなのか分からない人にとっては、こうした記述は不可解なものである。学問や経験、人間の思索や努力…そうしたものによっても、より高きへの登り口は見出せない、というダンテの主張がここに込められている。
これは、ダンテ自身は政治や聖書、哲学、科学、詩作等々あらゆる方面において深い知識と思索を重ねた人物であったことを考えると、この主張は私たちに一層訴えるものがある。
天使に教えられ、登り口を見出し、そこから上に登ろうとするときに、今までいた環状の道にいた罪を清めていただき、うるわしい天使の賛美の歌声が響き始める。霊的世界への登りには、罪のきよめが不可欠であること、そしてその清めがなされるたびに歌声が響くというのは、主イエスが、悔い改めた魂には天に喜びがある、といわれたことを思いださせる。
現代の私たちにあっても、罪を知り、悔い改めてその罪の赦しを受けるとき、天では大いなる喜びと賛美がなされていることであろう。
―サムエル記上三章
(以下は、今年七月十七日に、北海道での第36回 瀬棚聖書集会で語ったことです。)
瀬棚とは、北海道の南西部にある町。小樽から、積丹半島を横切り、海岸の道を二〇〇キロ近く南に下ったところにある。およそ一一二年ほど前、日本で最初の女医であり、キリスト者でもあった荻野吟子(おぎの ぎんこ)が、瀬棚にて開業したところとしても知られている。
今回のタイトルは「お話ください。」ととてもわかりやすい。おそらくこのようなタイトルでなされた集会はあまり聞いたことがないと思う。
わたしたちが求めているのは、主イエスや神に向かって、主よ、お話しください、語って下さいと祈り願い、そこから主の語りかけを聞き取ることである。
もし私たちが、神からの応答、あるいは神のまなざしのようなものを何にも感じ取ることができないまま、ずっと何年も続くなら、また単に信じているだけでは信仰は必ず消えていく。聖書に出てくる使徒を見ても分かるように、単に信じていただけというのは一人もおらず、みんな信じて、そこから神の声を聞き取り、主に従っていくという生きた交流があり、それがなければ進んでいかない。
そういう意味で生きた信仰というのは、「神さま、イエス様、話してください。語りかけてください。私も聞きますから。」と基本的な姿勢がいつもなくてはならない。
今日の聖書講話のタイトル「お話しください」と、先ほど歌った賛美(*)の歌詞は今日の箇所であるサムエル記上三・9やルカ福音書から選ばれている。
(*)お話しください
水野源三 作詞 阪井和夫作曲
1.お話しください
お話しください
み恵み満ちた
光あふれる清い朝です
2.お話しください
お話しください
ベタニア村の
マリアのように ひざまずきます
3.お話しください
お話しください
わが心にも
なくてはならぬ ただ一つのもの
少年サムエルが「どうぞお話しください。僕は聞いております。」と言った。そこで神が語りかけ、サムエルが聞き取った。主がサムエルと共におられた。それゆえに、彼が聞いた神の言葉は、一つたりとも地に落ちることはなかった。(サムエル記上三・19)
神の言葉は力あるゆえ、地に落ちて消えてしまうことなく、人々の心に深くとどまった。そして徐々に力を発揮していくことになった。
神の言葉こそが、歴史の大きな変化のきっかけを作るのであり、そこから新たな歴史が始まっていくのである。
この点では、現代の私たちも同様で、神の言葉が深く人の心にしみ込んだとき、その人は必ず新しい何かを始め、主はそれを祝福されるのである。
それでは、サムエル少年がこのような言葉を発するに至るまでに、どのようなことがあっただろうか。
それは、旧約聖書のサムエル記第一章から書かれている。何もユダヤ人の宗教とは特に関わりのない普通の子どもが、突然に神に選ばれてこのような言葉を発したのではなかった。 そこには、母親の深い祈りがあった。悲しみと苦しみがあったのである。
サムエルの母ハンナには子どもができなかった。
これは神が深い御計画によって、そのようにしていたのである。このときは、今から三千年以上も昔であり、その頃は、一夫多妻制が普通で、エルカナにはもう一人ペニンナという妻がいた。
彼女はハンナをいじめ、苦しめていた。その時ハンナは主の礼拝のときに神殿に参り上って、悩み嘆いて主に祈り、激しく泣いた。「どうかこの苦しみを見てください。もし男の子を授けてくださったら、一生その子を神に捧げます。」と祈り続けた。
このように、サムエルが、「お話し下さい」とすでに子供のときから、神に語りかけ、神の直接の言葉を聞き取ったということは、その出発点はハンナの非常な苦しみにあったのである。
この願いは、単に自分に子が生まれないから必死に祈るという自分だけの満足だけでなくて、神に捧げるという願いがあった。ハンナにおいては、深い悲しみと苦しみが続いたが、絶望しないで神に必死に祈り続けたのであった。
生まれたら自分の子にして、自分の思うままにしようというのでなく、苦しみの中与えられたからこそ、神に捧げようという気持ちだった。
このような点は三千年以上も前の記述であっても、そのまま現代のわたしたちのことにつながってくる。病気、人間関係、家族、職業の問題など、何も苦しい問題を持っていない人はだれもいないだろう。もしいまそんなものはないという人も、必ず人生の内に、そのような苦しい問題が生じるようになってくる。
その困難な問題が解決されるように、良くなるようにと願ったとする。そしてその願いが聞かれて病気だった人に健康が与えられると、次は自分の楽しみを追求するということが多くなるだろう。そうでなく、病気が癒されたら、与えられた健康を神に捧げようという気持ちで、病気を癒してくださいと祈る人は非常に少ないのではないだろうか。
人間関係においても、例えば家族や友人、あるいは職場での難しい問題があって、生きていけないほどの人もあるだろう。しかし、それを変えて下さいと祈り続け、改善されたとする。そこで与えられた、心の平安を持って、神の国のために捧げようと思う人もそんなにいないだろう。
聖書においては、自然のままの人間の心の流れでなく、ハンナのように、神の方へと向かう心の方向がいつも示されている。
勉強ができない子がいると、その子が勉強ができるようなって、良い会社に入れたら自分が満足するのがほとんどの親だろう。何のために子どもを塾に行かせ、エネルギーをかけて送り迎えをしているのか。子供のためと言うけれど、将来良い会社に入って、収入が安定して自分が満足できる、自慢できるというように、ひそかに自分というものがどうもある。本当に子どもが勉強できるようになって、学びや知識や技術で神の国のために奉仕することができるようにとの願いを持って、塾に通わせている親は一体どれだけいるであろうか。
スポーツと信仰との関係では「炎のランナー」という有名な映画で知られている人物がいる。エリック・リデルである。彼は、イギリス代表選手として、オリンピックで、百メートル走に出ることになっていた。しかし、その百メートル走が日曜日に行われることになっていたので、日曜日はキリスト者にとって安息日であり、神への礼拝の日であるゆえに、走ることはできないと決断した。イギリスの皇室関係者が説得したがそれでも、日曜日にレースには出ることはできないとことわった。そうした状況において、友人が自分が予定していた四百メートルの出場をリデルに譲って交代したのであった。リデルは、元々400メートルの選手ではないのに、直前に交代してレースに出たら金メダルを取ることができた。そのうえ、リデルがこの時に達成した記録は、以後二十年もの間、破られることはなかったほどの大記録であった。
そのように、陸上選手として優秀であった人物が、そうした名声の全てを捨てて中国でのキリスト教宣教師となった。
その頃は、日中戦争が始まっていた頃で、日本軍が中国に侵略した状況の中で、彼も日本軍の捕虜収容所に入れられ、そこで一九四五年に病気のために死去した。彼のような頑健なからだを持っていた人でも、収容所の中の厳しい待遇によって健康をそこね、四三歳の若さで召されたのであった。
彼は陸上競技で走るのも、神の国の栄光のためなんだと言っていた。そして金メダルを取った者としての名声をも神に捧げた。
これはどんな分野でも、たとえ日ごとの小さな仕事でも神から与えられたものを、神の国のためにという気持ちでする。
苦しみながら祈り続けたすえに与えられた子供は、神に捧げる―ハンナはその名の通り、神の恵みと憐れみを豊かに受けた。 そして「ハンナ」という名前(*)は、これ以後、人の名前として広く用いられるようになった。
(*)ハンナという名は、「ハーナン」という語に由来する。これはヘブライ語で「憐れむ、恵みを与える」という意味であり、ハンナという名前は、「(神の)恵み、憐れみ」を表す名前である。ここから、「ヤハウェー」の省略形として、ヤハとか、ヨがあるが、「ヨハンナ」とは、ヤハウエ(神)は恵み、という意味になる。そこから「ヨハネ」、英語読みでは「ジョン」、フランス語では「ジャン」というように、人の名前となって世界に広まった。このようにして、神の憐れみ、恵みということが、人名となって世界に波及していったと言えよう。
当時は、神への信仰の姿勢は、どのような時代だったであろうか。時の祭司であったエリの息子はならず者で、主を知ろうとしなかった。また捧げものを公然と横取りしていた。(サムエル記上二・12)このように重い罪を祭司が起こすような時代であった。
だから「あなたの家は滅ぼされる」と主は言われたのである。良き霊的なものを提供するのが、宗教的指導者の役目なのに、逆に、地位を利用して人々から奪い取るというように変質していくことがしばしば見られた。
私も大分以前に、実際に統一教会に入信している人の問題に関わって、非常に驚いた経験がある。オウム真理教も、金や労働力、あるいは人間の魂まで奪い取るという点では、同様であった。
太平洋戦争は間違った侵略戦争であった。しかし、戦前の日本基督教団は、教団の最高責任者(議長)が、あの戦争を聖戦だとして、全面的に支援するという姿勢を打ち出したほどであった。それは、人々の良心を奪い取ることになったといえよう。
カトリックも中世には、当時宗教的な地位の高い人たちのうちに、腐敗した人たちが多数いたからこそ、ルターの宗教改革が必要だったのである。
宗教的に腐敗していた時代。そして個人的には、地位も身分も高くないただの人であった、ハンナが必死に祈り、苦しんだのち、サムエルが与えられた。そして母であるハンナの言葉通りに神に捧げられて、祭司のもとで主に仕えていた。エリのもとで主に仕えていた頃、主の言葉が望むことは少なく、啓示(*)が示されることもまれであった。(サムエル記三・1)
(*)新共同訳や新改訳では、「幻」と訳されている。しかし、日本語で幻というのは、「実在しないのにその姿が実在するように見えるもの。」である。(広辞苑)また、「惑わす」という意味も持っている。ここで言われていることは、神からの啓示が稀であって、神の言葉を受ける人がほとんどいない状況であったというのであり、実在しないものがあるように見える、という現象が稀であったなどということではない。
イザヤ書の冒頭に、「イザヤがユダとエルサレムについて見た幻」などと訳されているが、これでは、イザヤ書という最も重要な預言書の一つである書の内容が、実際には存在しない架空のことを見たことを書いてある、とか、惑わすもの、というようになってしまう。これでは全く神から受けた最も真実なこと、実在することを書いた預言書の意味が損なわれてしまう。 この原語であるヘブライ語では「ハーゾーン」といい、それは、「見る」という動詞「ハーザー」の名詞形である。これは、英語のvisionに当たり、実際にあるものを見るという意味を表し、日本語とは全く異なる。訳語が不適切であるとこのように間違ったイメージが作られる例である。なお、関根正雄訳では、「啓示」と訳している。
これが当時の霊的状況である。神はどのような状況の中でも、神の言葉を直接聞き取る人をその御計画に応じ、必要に応じて起こされる。だから旧約聖書の時代から、数千年という間、唯一の神を信じる信仰は絶えることがなかったし、とくにこの二千年間、どれだけ迫害や厳しい時代があっても、キリスト教が伝わっていった。
それは、さまざまの困難な状況にあっても、そこでなされる真剣な祈りにより、神がその祈りに答えるということも多かったであろう。神ご自身の計画と、人間の側での真実な祈り、それによって神に聞く人が起こされてきたのである。
互いに祈りあう、またつぎの世代の人たち、子どものために祈るということは、どこかで神の言葉を聞き取る人が起こされていく。神はこのような点においても、確かに祈りに答えてくださる。
主イエスは、言われた。「収穫は多いが、はたらき人が少ない。収穫の主に願って、その収穫のために働き人を送り出すようにしてもらいなさい。」(ルカ十・2)
サムエルの出現は、その母の切実な願い、子供が与えられたら神に捧げる、という母親の願いと祈りによってなされることになったのも、こうした主イエスの言葉を思い起こさせるものがある。
当時、神からのメッセージを語る預言者も現れなくなり、世の中の腐敗がますますひどくなり、これからどうなるのか、という時に、神は 小さな子どもを新しい時代の預言書となるべく召されたのであった。
どこの国でも、困難な問題が生じると、それは、政治や経済の問題であるとして、そのことばかりが議論される。教育問題も重要だとされるが、そこで改革される教育内容とは、いつも単に数学、国語、英語などの学力を上げること、点数をよくするという狭い発想しかない。
ところが政治・経済がどれだけ変わっても、心の問題、目に見えない真実や正義、あるいは愛が欠けているという霊的な問題は全く変わらない。
江戸時代の封建的な時代、戦前の天皇を神とする時代、戦争の時代。今、日本は戦争も何もない平和な時代であるが、心の霊的な問題の重要性は少しも変わっていない。 昔であっても子どもがたくさん生まれたら、平気で殺したりすることがあったり、時代劇の映画などを見ると、あれだけたくさんの兵士たちの食糧は一体いかにして獲得していたのだろうかと、いぶかしく思う人も多いだろう。 それは農民や周辺の何の関係もない人々から食糧を略奪して調達していたとか、至る所で混乱や罪があった。
現在の日本は、戦争もなく、教育も文化も、江戸時代などより比較にならないほど盛んだけれど、心の問題では子ども同士のいじめが深刻になってきている。
このようにただ一つなくてはならない、神の御言葉を聞き取らなかったら、人間の心はだんだんと混乱して汚れていってしまい、本当の正しい道を進めないということは変わらない。
この当時の混乱も、神は武力や経済によって解決しようとなさらず、神の御言葉を聞きとる人を生み出して、正しい方向に進ませるため、大きな光を与えようとされた。小さな子どもであっても神の言葉を聞き取ることができる。これは別に学識や経験、お金がいるわけではなく誰にでもできる。
どんな分野でも、その方面で成果をあげるためには、お金や環境、知識、能力が必要であるが、神の言葉を聞き取るということに関しては、そうしたものは必要でない。
イエスの弟子ヨハネは、漁師であった。社会的に地位があるわけでもなく、学問もなかった。しかし、ヨハネが聞き取った神の言葉がもとになって、ヨハネ福音書が書かれたと思われるが、その後の歴史でもそれを越えるような深い霊的な内容の文書は現れなかった。
また最初の殉教者となったステファノは、彼が真理を語ったために、ユダヤ人の激しい怒りを受けて、多数の人たちから石を投げつけられ、激しい痛みや苦痛のただ中で、彼の人生の最高の瞬間が訪れ、天が開かれ、神の右の座にイエスがおられるのを見た。
わたしたちにおいても、地上を去る最後の瞬間まで、神の御言葉を聞くか、見るかということは一番大事なことである。わたしたちはだれでも日々死に近づいているが、そうした状況にあってもなお、最大のよきことが残されている。
それは神からの励ましを、あるいは神の御国を部分的でも見せていただきながらこの世を去っていけるということである。このように地上での最期のときでも与えられるということは、それほど切迫していない日常生活の時でも、当然与えられることである。
このように神に「話しかけてください、語りかけてください、聞いておりますから。」という気持ちで絶えず祈りをもって生活していれば、いろんな人から、自然の現象から、また新聞記事から何かを語りかけてくださる。
わたしが、北海道の小樽行きフェリーに乗るために、舞鶴市に向けて出発してまもなく、鳴門大橋で長い渋滞となり、全く車が動かなくなった。前方で事故があったためである。このまま、ずっと動かなければフェリーに間に合わないので、困ったがどうすることもできない。 こんな突然生じた偶然的なこと、そうしたことでも、神が何かを語りかけているのだと受け取り、何を私に告げようとされているのかと考えたことであった。
そのように、「主よお話しください」という精神がなかったら、車の方向転換もできず、いつまでか分からない長時間の停車で気を揉むだけとなるだろう。
また小樽から、瀬棚に来る途中、青空が広がり、青い海が広がる海岸では真っ白い波が打ち寄せ、すごくさわやかな良い天気だった。そうした自然を見ていても、確かに神は何かを語りかけているのが感じられる。
そのような語りかけを常に感じているには、主イエスが、「ああ幸いだ、心の貧しき者」と言われたように、心貧しき者であり続ける必要がある。自分はこんなものを持ってるんだと自意識や自負心があれば、壁ができ神の語りかけも入らない。人からの話も入らないだろう。やはり自分というものを脇へ置いたら、困難な時、不安なとき、怒りが生じるような時であっても、また、周りの自然現象からも、それらを通して神が何かを自分に語りかけていると感じ取ることができる。
サムエルの時代に、聖書の民イスラエルの歴史の重要な転機となった、王制ができた。最初の王サウルからダビデと重要な歴史の転換点にあって、そのきっかけが、少年サムエルに託されたのであった。
信仰の世界では学者であるから信仰的に優れているとか深い信仰があるというわけでない。もちろん歴史的にも知られているような、アウグスチヌスやルター、カルヴァンのように、深い学問があってかつ信仰も深い人たちも多くいた。
しかし、学者であっても神の声を聞かない人も多くいることもまた事実である。そして自分が得た知識を持って素朴な人々を惑わす人たちもたくさんいた。聖書の時代にも律法学者の中には、そのような人も多くいたのがうかがえる。旧約聖書を詳しく研究して、人々に教えている人たちが、かえって信仰的には退化し、自分の知識を用いて真理に近づくのを妨げたのである。そしてイエスが救い主として来られたのに、そのイエスを神を汚したとして、憎み殺そうとするに至るまで、真理に対して見えなくなっていた。
信仰の分野ではベテランということもない。例えば、自分は四〇年の信仰の歩みがある、などと自信を持ったりした途端、神からそのような長さは何の意味もない、今、神としっかり結びついているか、今聖霊によって燃やされているかだけが、問題なのだと言われるだろう。
キリストの十二人の弟子たちのうちで、とくに重んじられた三人のうちの一人であったペテロは、イエスのためには、命を捨ててもついて行きますと誓ったそのすぐ後に、まわりにいた人たちから、お前もイエスと一緒にいただろう、と言われて、自分も捕らえられるかも知れないと恐ろしくなり、三度も激しくイエスなんか関係ないと呪うほどに激しく言った。
そのペテロは後に悔い改め、復活の主に出会い、あたらしく出発した。
彼は伝道の出発点において、聖霊をゆたかに受けた。そしてそれまでのユダヤ人を恐れていた姿勢がまったく変えられた。しかし、そうしてかなりの年月が過ぎたのち、キリスト教の指導者となっていたペテロであるのに、一部のユダヤ人たちに言われて、ユダヤ人の宗教上の重要な儀式である、割礼をしていない者と食事をともにしなくなった。それは、異邦人が汚れているという古いユダヤ人の考えがしみ込んでいて、また彼の周囲にいるユダヤ人たちとの交わりから、このような間違った考え、以前の考えに逆戻りしてしまったのがわかる。
このことは、ペテロ自身が、祈りのときに神から直接に夢のなかで示されて、ユダヤ人だけが清い、ユダヤ人以外の異邦人は汚れているというユダヤ人の律法の規定は神の御心ではない、とはっきり示されていた。そして実際に、異邦人に聖なる霊の賜物を受けたのを目の当たりにしたのであった。(使徒言行録十・9~48)
それにもかかわらず、大きな間違いを犯したのである。
このように、聖なる霊をその後にもないほどに多くの人たちとともに、豊かに受けたにもかかわらず、油断しているとまた逆戻りしてしまうということを聖書自身がはっきりと示している。
他の分野、例えば酪農の分野でも、三十年、四十年と続けておれば、始めたばかりの人よりもいろんな経験をしているから、さまざまのことに対処できる。しかし信仰の分野だけは、四十年信仰してきたと胸張って言えることはない。四十年経っていれば、四十年経った新たな誘惑や危険がでてくる。これは子どもには子どもの、中年には中年の、老人には老人の誘惑がいつまでたってもある。イエスを信じて歩み出したときにもそこから道をそらそうとする誘惑があるし、信仰を十年二十年と続けていても、またそのような人には新たな誘惑が出てくる。
主イエスも最後の夕食をとったあと、ゲツセマネの園において血の汗をしたたらせ、天使によって力付けられたとあるほどに、困難な戦いをされた。そして十字架にはりつけられたときも、「どうして神よ、わたしを捨てたのか」と叫ばずにいられなかったほどだった。こうした記述を見てわかるのは、いかに深い信仰の人、ベテランといわれるキリスト者であっても、最後まで油断することはできないということである。そして霊的な緊張感を失ったら、以前はいかに信仰の歩みの長い人であっても、たちまち落ちていくという事実である。
このように、「主よ、お話しください」という祈りと願いは、静かな生活の日々であっても、また仕事や家庭の問題、人間関係で苦しみあるときにも、そして地上の息を引き取るときにもずっと私たちに求められている心の姿勢なのである。
旧約聖書の預言者エリヤは、今から二八〇〇年以上も昔の人である。彼が出た時代は偶像崇拝がひどくなり、みずからも偶像を崇拝する王と王妃イゼベルがいて、多くの正しい預言者たちを滅ぼしてしまった。ほとんどが殺されてしまったが、エリヤは生き残った。
そのエリヤは、神の力を受けて、ただ一人で非常に力強い行動をした。偽りの預言者こそが国を滅ぼすものであったから、エリヤは彼らを集め、天から火を呼び寄せて神から遣わされた人間であることを証しし、神の裁きの力が必要なときには悪の力を滅ぼすのだと示した。そして偽りを語って人々を惑わす偽預言者たちを滅ぼした。
そのように神の力を受けて驚くべき業を人々に示したエリヤであったが、イゼベル王妃から今日中にでも殺してやると、すさまじい敵意を受けると、威圧されたように、あれほどの神の人エリヤが弱気になり砂漠まで逃げていき、そしてもう死にたいとまで言った。
どんな霊的な人もサタンの手にかかったら、打ち倒されることがある。そのまま放っておいたら死んでしまっただろうが、不思議な御使いが現れて、助けられ、力を与えられて四十日間もの間歩き続けた。そこでモーセの山まで神の言葉を受けに行った。
エリヤがいる場所ででも神はその言葉を与えることができたはずなのに、あえて数百㎞に及ぶ長い距離を行ったと記されている。
ようやく到達したホレブの山において、「激しい風が起こり、山を裂き、岩を砕いた。しかし、風の中にも主はおられなかった。風の後に地震が起こった。しかし、地震の中にも主はおられなかった。地震ののちに火が起こった。しかし、火の中にも主はおられなかった。火の後に、静かにささやく声がした。」(列王記十九・12)
激しい風、火、地震等々の表現、これはエリヤの疾風怒濤のような激しい様々な経験を表している。いろんなことがおきて静まって初めて、静かな声が聞こえてくる。
この箇所は、私にとっても深い関わりがある。わたしが生まれて初めてキリスト教の話しを聞いたのは、この箇所をテーマとした講演会であったからだ。
今から四十二年ほど前に、京都市で「矢内原忠雄記念講演会」があった。そのときの講師のタイトルが「静かなる細き声」であった。その講演会の直前に私は京都の東山のふもとの疎水のほとり、「哲学の道」として知られているところで、夕暮れからずっと一人で信仰の新しい世界に思いをめぐらしていた。
その少し前に矢内原忠雄の本でキリスト教を初めて知ったからであった。初めて開かれた信仰の世界、それまで、子供のときから含めてまったく信仰など考えたこともなく、だれかの話しを聞いたことも、聴こうとしたこともなかった。
それなのに、突然信仰の世界の扉が開かれたのであった。開かれていく信仰の世界に驚きつつ今までのこと、今後のことなど考えていたとき、何か静かな語りかけのようなものを初めて感じた。それが私にとっての霊的体験という初めての経験であった。
そしてその直後にあった講演会のタイトルがまさにその「静かなる細き声」であったから、いっそう神の不思議な導きを感じたのである。
そうしたこともあって、私の信仰の歩みはその静かなる細い声を聞き取るということが常に大切なときに思い起こされるという歩みとなった。
「主よ、お話しください。しもべは聞いています。」
神の静かな細き声を聞き取るというのが、あらゆることの出発点で、また最終的なことでもある。
活発に行動できる若いとき、わたしたちが死が近くなってもできることはこのことで、何とかして苦しみの中から神の声を聞こうとして、そしてそこにすべてを委ねるということである。
八月には、よく新聞などで「核廃絶」という言葉がみられた。オバマ大統領が、今年の四月にチェコの首都プラハで核廃絶を目指す演説をしたことが、世界に広く伝えられ、大きな反響があった。一人の演説がこのように、平和への積極的な大きなメッセージとなって伝わったことは、最近ではなかったと言えよう。
ここでは、その演説の一部であるがそれを原文とともに取り上げ、聖書にある考え方との関わりを見てみたい。
…平和的な抗議が帝国の基礎を揺るがし、イデオロギーの空虚さを明るみに出すことができること、小国が世界の出来事に極めて重要な役割を果たせること、若者が先頭に立って旧来の対立を克服することができること、そして精神的(道徳的)なリーダーシップはいかなる武器よりも強力であるということを教えてくれた。…
…It showed us that peaceful protest could shake the foundations of an empire, and expose the emptiness of an ideology.
It showed us that small countries can play a pivotal role in world events, and that young people can lead the way in overcoming old conflicts.
And it proved that moral leadership is more powerful than any weapon.
ここで、オバマ大統領は、平和を主張する確固たる考えが、巨大な権力を持つ政治をも動かし、たとえ小さくみえても、善きことへの確信こそは、強力な武器になることを述べている。
日本国憲法の前文にある言葉「日本国民は、恒久の平和を念願し、…平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して…」という内容も、武装を捨てて、諸国民の内に働く正義や真実の力に信頼することの重要性を表している。
憲法第九条の、国際紛争を解決する手段としての戦争はしない、あくまで平和的手段による、という精神は直接的には、パリの不戦条約(*)にあるが、何らかの政治的、社会的な紛争を現在も世界の各地でなされているような、武力や暴力、あるいは権力弾圧などをもって解決しようとするのでなく、正義の力を信じて行動するという人たちも歴史の中でしばしば生じてきた。
(*)一九二八年に米英、独仏伊、日本などの国々により署名され、その後、ソ連も含め63か国が署名した。国際紛争を解決する手段としての戦争を放棄し、紛争は平和的手段により解決することを規定した条約。フランスのパリで締結されたためにパリ不戦条約とも言われる。
二十世紀において、こうした精神を徹底して個人の信仰上の主張として、政治の社会で適用したのが、ガンジーであった。イギリスの強大な権力のもとで、武力を用いず、精神の力で対抗することは不可能だと考えられていた。しかし、ガンジーはときには断食を伴う深い祈りによって目に見えない力を周囲に与えた。そして大きな変容が生じていった。武器を何一つ使おうとしないガンジーたちが、小銃や、暴力を権力のもとで行使してくるイギリスに対して勝利したのであった。
このガンジーに大きな影響を受けたアメリカの黒人牧師、マルチン・ルーサー・キングもやはり、警察権力などを用いて武力で攻撃してくる人たちに対して、全くの素手で、非暴力を貫いて抗議していった。そして数々の困難を経て、ついにキング牧師自身が銃殺されるという事態となった。
しかし、そうしたことを通して、正義を信じる精神の力(信仰の力)が、支配者の権力や武力、暴力に対して勝利し、黒人への差別は確実に撤廃されていった。
こうした歴史に残る精神の力が、武力に勝ることを証明した戦いは、何がその根底にあっただろうか。ガンジーがとくに影響を受けたのは、トルストイであり、彼の徹底した非戦論であった。そしてそのトルストイは、キリストの山上の教えと言われている内容にとくに強く惹きつけられた。
とくに、「悪しき者にさからうな。…あなた方を打ち、辱める人たちにも同じように善をなせ。」という無抵抗によって悪しき人たちに立ち向かうことが深くトルストイの魂に浸透した。
彼は言っている。「…私もちょうどこの十字架上の盗人のように、キリストの教えを信じて救われたのだ。」新約聖書のキリストの言葉にその根底を学び、それによって初めて彼はそれまでの暗く迷いのなかにあった自分が解放されたと実感した。
そして、「このようなキリストの教えは、個人の救いに関することで、一般的な、国家の問題などに関するものでない、とよく言われるが、これは根拠のないことである。」と述べ、これが個人だけでなく、国家社会といった大きい規模においても成り立つのだと確信をもって主張している。(「わが信仰はいずれにありや」トルストイ全集第15巻七頁、十二頁他)
そしてこのキリストの単純明白な教えを強力に主張したトルストイにガンジーは深く共鳴し、それを国家社会という大きな場において実行していった。
ガンジー自身もイギリスのキリスト教の牧師とは長く交遊があり、死のときに部屋に置かれてあった十二冊ほどの書の一つが、ヨハネ福音書であった。そして、机上にあった文鎮には、「神は愛なり」(ヨハネの第一の手紙四の8)と彫り込まれていた。また、壁の一方には、キリストの絵が掛けられていたという。
(「ガンジー ―非暴力の戦士」カルヴィン・カイトル著 二二四頁 なお、原題は、GANDHI, SOLDIER OF NONVIOLENS)
キングも牧師としてその精神の根底にキリストの言葉があった。このように見てくると、非暴力ということ、精神や信仰の力が、武力より強いのだという明確な信念は、キリストによって刻み込まれたものだとわかる。
こうした代表的な人物にだけでなく、名も知れない無数の人たちの魂の奥に流れてきた。
…私たちが今日ここにいるのは、世界は変わることができないという声を無視した大勢の人々のおかげです。
We are here today because enough people ignored the voices who told them that the world could not change.
・この世を常識的な目で見るとき、変ることができないと思う。しかし、一部の人たちはいかに困難であっても、変ることができる、という不思議な確信を与えられてきた。そして大多数の人たちがそのような確信をあざ笑い、無視しても、なおそうした人たちはあきらめなかった。
このような現状だけを見つめるのでなく、あるべき姿を見つめて、考え、行動するということは、聖書の中に深く宿っている精神である。
それは信仰の父と言われるアブラハムにすでにはっきりと現れている。まだ見ぬ世界を見つめ、希望と確信をもって歩み始めた。未来の良きことであるならば、それをできない、といわずに、できると信じて歩みを始めることはできる。
オバマ演説では、神という言葉を使っていない。しかし、キリスト者は、そのような希望を与えて下さるのも神であり、主の力によってできる、ということができる。
…そして、核保有国として、核兵器を使用したことがある唯一の核保有国として、米国には行動する道義的責任がある。米国だけではこの努力において成功を収めることはできない。しかし、そうした努力を導くことはできる。そして、我々は、その努力を始めることはできる。
And as nuclear power -- as a nuclear power, as the only nuclear power to have used a nuclear weapon, the United States has a moral responsibility to act. We cannot succeed in this endeavor alone, but we can lead it, we can start it.
核兵器をなくするなど、そんなことはできない、と主張する多数の人たちがいるゆえに、このような発言をした大統領は今までいなかったのである。
しかし、今までだれもいわなかった、そんなことはできない、とはじめからあきらめていてはいけない。できるのだと、いう信念から出発せねばならないとオバマ演説は主張している。
そしてオバマは、具体的に、ロシアと、新たな戦略兵器削減条約の交渉を行い、核兵器を製造することを禁止する新たな条約の締結に努め、核不拡散条約を強化し、テロリストが決して核兵器を入手することがないようにする、こういった具体的な手順を述べていった。
そしてこのような切実な努力にもかかわらず、オバマは現実の厳しい実情についても当然のことだが、明確に認識している。
…従って本日、私は、米国が核兵器のない世界の平和と安全を追求する決意であることを、確信をもって明言する。私は甘い考えは持っていない。この目標は、おそらく私の生きているうちというように、すぐに達成されるものではないであろう。この目標を達成するには、忍耐と粘り強さが必要だ。
しかし今、私たちは、世界は変わることができないという声を無視しなければならないのである。「そうだ、私たちはできるのだ。(イエス・ウィ・キャン)」と主張しなければならない。
So today, I state clearly and with conviction America's commitment to seek the peace and security of a world without nuclear weapons.
I'm not naive.
This goal will not be reached quickly -- perhaps not in my lifetime. It will take patience and persistence. But now we, too, must ignore the voices who tell us that the world cannot change. We have to insist, "Yes, we can."
これは、全体でも八五〇〇字余の短い文である。しかし、それは大きなインパクトを与えることになった。 彼の演説には、チェコの歴史的な苦難の歩みに触れ、その困難を乗り越えてきた国民にもわかりやすく共感の持てる内容が込められていた。
目の前にいる、チェコという決して大国ではない国の、一部の市民に向かって、彼らがその小ささにもかかわらず、善の力を信じて行動することによって、大国のまちがった圧力を退けることができたという事実を引用しつつ、そこから世界の困難な問題の解決にも本質的に同様な考え方、信念によって道が開けることを確信をもってオバマは述べたのであった。
このような大きな問題、しかもアメリカの大統領としてだれも言おうとしなかったことにも触れる重要な内容を、アメリカの議会や、アメリカ本土でなく、ヨーロッパの一小国において述べたのである。
真理は弱きところ、小さきところでかえって発揮されるということを思い起こさせるものがある。
新約聖書のなかに、「五つのパンと二匹の魚」で五千人が満たされたという奇跡が何度も記されている。
主イエスが、あなた方が持っているそれらの小さきもので、人々に与えよ、と言われたとき、弟子たちは、何といっただろうか。
「これだけでは、到底人々を満たすことはできない。」 ということであった。 イエス、ウィー キャン(Yes we can)でなく、ノー ウィー キャノット であった。そして、これがさまざまの困難において、たいていの人間から出される反応なのである。
神の祝福を受けることこそは、至るところに蔓延している、「ノー・ウィー・キャノット」(そんなことはできない)を、「イエス、ウィー キャン」(そうです、できます)と確信を持って言うことの原点なのである。
私たちの人生においても、常にこのいずれを言うか、そして周囲にもそれを告げるか、が問われている。社会的な問題において、軍備増強し、核兵器を持たねば、守ることはできない、という人たちに対して、そのような声を退け、そのような軍備や核兵器の増強でなく、世界大戦の悲劇を最も先鋭に受けた国であるからこそ、そのような方法によらずに、国を守り発展させていくことができる、といわねばならないのである。
北田 康広の新しいアルバム
今年八月に、北田康広さんの三つ目のCDがリリースされた。最初のアルバムは「ことりがそらを」、つぎは、「心の瞳」。
北田さんは、一九六五年徳島県生まれ。彼が盲学校の高等部に入学したとき、私(吉村 孝雄)もちょうど盲学校へと希望した転勤がかなって赴任した。その時、担任のクラスにいたのが、北田さんであった。
まもなく、音楽に優れた能力を与えられていることがわかり、担任でもあったからとくにキリスト教音楽の重要性や、具体的にハイドンのオラトリオ「天地創造」が、どのような歌詞なのかを部分的に説明したり、放課後に聖書の話しをするようになった。そして折々に、私たちのキリスト集会にも誘うようになった。
そのときに、もし北田さんがキリスト教信仰を与えられたら、音楽の才能を生涯にわたって生かせるというようなことも話したのを思いだす。
今回のCDではとくに、その曲や歌が作られた過程、その目的などを知った上で聞くことが不可欠だという曲がいくつもある。
そこで、今回はやや詳しく一つ一つについて自分で調べることのできない方々を念頭において説明を付けることにした。
CDに付いている説明書は簡単なものであるし、まだ購入していない人には、読むことができない。
このCDを購入したいという希望は、その内容がどのようなものであるかを知るならば、実際に購入しようという気持も生じるであろう。
現在では多数のCDが次々と制作され、インターネットでも自由に曲ごとに購入できるが、今回のCDのように、ヘンデルのオラトリオからの曲や黒人霊歌のようなキリスト教と不可分の音楽から、広く大衆的に知られた「もずが枯れ木で」のような歌、そして反戦の静かな思いを込めた歌、それから学校のなかで生まれた若い世代へのメッセージをたたえたフレッシュな歌、世界的に有名なアイルランドの音楽など多様な曲を収録したCDは少ないと思われる。
そこには、ほとんどどれも自由、希望、平和、愛といった聖書でもよく現れる内容がテーマとなっている。
このCDは一般の人々を対象としているために、キリスト教音楽と言えるものは数曲であるが、少しでもこの内容を知ったうえで、キリスト教のことを知らせる一助としても用いていただきたいと願ってここに書いた。
十四曲という少ない曲数のなかに、苦心して選ばれたあとがうかがえるものとなっている。
一、「翼」武満徹 作詞・作曲
風よ、雲よ、陽光よ
夢を運ぶ 翼
遙かなる空に描く
「希望」という字を
…
最初の歌は、このような言葉から始まる。風も雲も、太陽の光も、それらは 大空に希望、自由を指し示している。狭い現実だけを見ているなら、希望でなく、憂うつや絶望しか見えないであろう。
武満の作詞は、一般的な希望を歌っているが、キリスト者は、そうした希望を超えて、神に結びついた希望を知らされている。「信仰、希望、愛」はいつまでも続く。身近な空や、風、雲を見ても神はすべてをよく導いて下さるという変ることのない希望を思うことができる。
武満徹 (1930年~1996年 65歳で永眠)。その作品には、管弦楽曲、室内楽曲、ピアノ曲、声楽曲、映画音楽等々多方面にわたり、かつ数も多い。また、音楽作品だけでなく、著作も多く全5巻の著作集も発行されている。外国の賞も多く、朝日賞(1985年) 芸術文化勲章(フランスから、1985年) モーリス・ラヴェル賞(フランスから、1990年) サントリー音楽賞(1991年) NHK放送文化賞(NHKから、1994年) グレン・グールド賞(カナダから、1996年) などを受賞している。
二、さびしいカシの木 作詞 やなせたかし 作曲 木下牧子
山の上のいっぽんの
さびしいさびしい
カシの木が
とおくの国へいきたいと
空ゆく雲にたのんだが
雲は流れて
きえてしまった
山の上のいっぽんの
さびしいさびしいカシの木が
私といっしょにくらしてと
やさしい風にたのんだが
風はどこかへ
きえてしまった
山のうえの一本の
さびしいさびしいカシの木は
今ではとても年をとり、
ほほえみながら立っている
さびしいことに慣れてしまった
作詞は、やなせたかし(1919年~)は、漫画家・絵本作家・イラストレーター・詩人。アンパンマンの作者として広く知られている。この絵本の最初のものは、30年近く前に、出版され、アンパンマンはおなかをすかせている子どもなど、困っている人のところに現れ、助けるという。こうした筋書きの物語などはたくさんあるが、アンパンマンの場合は、彼がキリスト者であったゆえの発想であったと思われる。
しかし、この詩には、一般的な人間の感情が歌われていて、この世のきびしさ、そしてそこから来る人間の孤独ということをやさしい言葉で歌っている。しかし、他方 最後の詩がそのような孤独のなかにあっても、 「ほほえみながら立っている」というところに、キリスト者らしい光がみられる。
さまざまのよきことを心がけても、多くの場合は正しくは受けいれられず、真実はなかなか伝わらない。そうした孤独を重ねるときには、心は微笑むどころか、だんだん枯れて無感動になっていくだろう。多くの願いが聞かれずとも、なお、一人でほほえみながら立っていることができるためには、単なる慣れ以上のもの、人間を超えた存在とともにいることが必要である。主イエスが、私にとどまっていなさい。そうすれば、私もあなた方のうちにとどまっている、と約束されたことを思い起こす。
曲は、歌詞の内容によく合っていて、静かな心に達したカシの木にたくされた人間の心のひだに触れるようなメロディーがつけられている。
作曲は、木下牧子。(1956年~)作曲家。特に合唱の分野で人気が高く、多くの合唱曲を発表している。初期の合唱曲は比較的難度の高いものがみられたが、近年の合唱作品には中高生向けの平易なものも多く、最も人気のある作曲家の一人である。全日本合唱コンクールやNHK全国学校音楽コンクールの審査員も務める。 木下は、戦争に反対する考えをはっきり表明していて、最近のインターネット上(ブログ)で次のように書いている。
… 8月15日は64回目の終戦記念日。たった数十年前の日本で、国のために死ねと言われて多くの若者が無残に戦死し、末期には南方で燃料はおろか食料も絶たれて玉砕したり人間魚雷やら特攻隊やらで自爆攻撃という、常識では考えられない亡くなり方をしたんですから。…片道の燃料と爆弾をつんで、敵に体当たり攻撃するというのは、人道的にむちゃくちゃで作戦とはいえません。… こういうことで息子を戦死させなければならなかった母親の気持ちを考えると、本当に言葉もありません。黙祷。いろいろなことをきっちり議論しなくてはいけない時期が来ているのは確かですが、戦争だけは繰り返してはいけない気がします。…
三、母3章 星野富弘作詞 武義和(たけ よしかず)作曲
ばら
淡い花は
母の色をしている
弱さと悲しみが
混じり合った
温かな
母の色をしている
きく
母の手は
菊の花にに似ている
固く握りしめ
それでいてやわらかな
母の手は
菊の花にに似ている
なずな
神様が たった一度だけ
この腕を動かして下さるとしたら
母の肩をたたかせてもらおう
風に揺れる
ぺんぺん草を見ていたら
そんな日が
本当に来るような気がした
わかりやすい言葉で、母への愛を身近な植物と結びつけて歌っている。植物、花たちは人間の心にこのようなさまざまの思いを生み出すきっかけとなり、また新たに点火することがしばしばある。
人間は争い合い、奪い合うことが多い。植物たちは、そのような汚れや何かにいつもとらわれている狭さを全く持たない身近な存在なのである。その植物のやさしさは母のやさしさを増幅させて心に伝わってくる。その繊細な情感がふさわしいメロディーによって表されている。
これは、体育の授業中に転倒して重い障害を持つことになった星野富弘の作詞による。彼は、口で絵筆をくわえて絵と詩を書く人として知られている。彼はまだ健康なとき、重い堆肥を背負って山道を登っていたとき、ふと前方に「すべて労する者、重荷を負う者、我に来れ。」と書いてあるのを見いだした。そのときには、実際に重荷を負っていたが、我とは誰のことなのか、不可解な思いを抱いたままずっと歳月が過ぎていた。そして、全身マヒとなってからの入院生活のなかでキリストを信じるようになって初めて、我に来れ、とは誰のところに行くことなのかが、初めてわかったと記している。
武 義和(たけよしかず)は、現在は、若者の自立支援を目的とする、山形県の小国フォルケ・ホイ・スコーレというフリースクールを運営しておられる。
フォルケとは、デンマーク語で、英語の、フォーク(folk) に当たる語で、「一般の人々の、民衆の」といった意味。ホイスコーレとは、英語のハイスクールに相当する語。そのため、以前は、国民高等学校などと訳されていたが、普通の高校との違いがこの訳語では分からないので、最近では、原語のまま、フォルケ・ホイスコーレという訳語が使われている。 その精神を受けて、日本でもまず、北海道の瀬棚地域に河村正人氏によって、一九九〇年に瀬棚フォルケが設立された。(現在は活動を停止)それに続いて、武 義和氏によって、山形県の山深い小国(おぐに)町にて、はじめたのが小国フォルケ。これは小さな生活共同体であり、毎日授業があるような、いわゆる学校ではなく、その精神は、『生のための学校(場所)』をめざし、非暴力で、土に根ざし、キリストの福音信仰を基としている。
四、もずが枯れ木で サトウハチロウ作詞のこの歌は、一九三五年、本格的な日中戦争に突入する前の時代の作。
1.もずが枯木で鳴いている
おいらは藁を たたいてる
綿びき車は おばあさん
コットン水車も 廻ってる
2.みんな去年と 同じだよ
けれども足んねえ ものがある
兄さの薪割る 音がねえ
バッサリ薪割る 音がねえ
3.兄さは満州に いっただよ
鉄砲が涙で 光っただ
もずよ寒いと 鳴くがよい
兄さはもっと 寒いだろ
これは、戦争によって家族が分断され、平和な家庭が破壊されていくことに対する静かな反戦の歌である。しかし、この歌は一節だけを歌っても、何のことか分からない。ただの田舎の日常を歌っているだけのものでしかない。二節まででもやはり同様である。三節の歌詞によってはじめてこの歌の意味が浮かびあがってくる。歌詞は終りまで見ないとその詩の意図、内容が分からない、また、メロディーだけを何となくいいなあと思っているだけでは作者の意図はまったく分からないというはっきりした例である。
日常の風景は変ることなく続いている。しかし一つだけ違う。大切な兄弟が戦争という名の大量殺人のために連れて行かれたこと、その家族の深い悲しみ、戦地に赴いた過酷な状況に置かれた兄への思いが静かに響いてくる。
五、ああ感謝せん
ヘンデル作曲 オラトリオ 「エジプトのイスラエル人」より
ああ感謝せん
ああ感謝せん
わが神 今日まで 導きませり
ゆったりとした美しいメロディーに、素朴な感謝の心が流れていく。私たちもこのような音楽と言葉によって、いっそうすさんだこの世にあって神の方へと心が向けられていく思いになる。
ヘンデルのこのオラトリオは、出エジプト記と詩篇をもとにした内容。
オラトリオとは、イタリア語で、聖書の言葉をもとにした音楽劇と言える。日本語では、聖譚(せいたん)曲というが、譚とは、物語という意味であり、聖なる物語の音楽という意味。ラテン語のoratio(オーラーティオー)は、語る、祈るという意味があり、ここから、ラテン語のオーラートーリウムという語は、祈祷室、礼拝堂という意味を持っている。
それがそのままイタリア語に入って、長音がなくなり、オラトリオと言われるようになった。礼拝堂で最初に演じられたから、このような音楽そのものをオラトリオというようになった。これは、声楽と管弦楽で演じられる劇的で大規模な宗教曲であり、ヘンデルの『メサイア』が広く知られている。
もともと、祈るという静かな、内面的ないとなみが、このように、大規模な音楽とつながり、世界的に広く演奏されるようになったこと、ここにも、祈るという単純にみえることが大きなエネルギーを秘めていることを知らされる。
六、Deep River(深い河)作詞、作曲者は不明。
黒人霊歌として有名。このCDでは、北田のピアノ独奏となっていて、歌は入っていない。
人間であるのに、奴隷として動物的な扱いを受けた黒人たち、彼らの魂の深い悲しみと、彼方の地にある解放の地への憧憬が込められた曲であり、私たちはこの曲を聞いて、そうした黒人たちの心を流れてきた悲哀とそれをも克服していった彼らの信仰の深い意味に立ち返ることができる。その信仰こそあらゆる困難を超えた揺るがぬ希望を与えたのであった。
こうした黒人の信仰の深いあり方は、ストー夫人のアンクル・トムズ・キャビンに最もあざやかに表現されている。
( 現代の私たちにとっても、死という深い川の彼方に約束されている神の国を待ち望む思いをもってこの曲を聞くことができる。)
Deep river, my home is over Jordan,
Deep river, Lord,
I want to cross over into campground.(*)
深い河よ わが故郷はヨルダン川の向こうにある
深い河よ 主よ
私はあの河を渡り 集いの地へ行きたい
(*)campground とは、キリスト教の伝道の集会の地。とくにこの歌では、河を超えた向こうに、奴隷たちの逃亡を助けかくまったキリスト教の一派のクェーカーの集会の地を意味しているとも言われている。(「アンクル・トムズ・キャビン」においても、多くのキリスト教のうち、クェーカー派のキリスト者が最も黒人奴隷に献身的にかかわってその解放に努めた有り様が描かれている。) そして、さらにそれは、ヨルダン川の対岸にある、神の約束の地、祝福の地カナンを指しているし、それは、この世の彼方にある、天の国をも意味している。
七、八、綿のぼうし、小石の涙 ―被爆したピアノに捧げる曲― 作曲 山田紗耶加
爆心地から 1.8キロという地点で原爆の強烈な破壊のエネルギーを受け、周囲のあらゆるものが破壊されて生じた無数のガラス片やさまざまの物質が刺さり、傷だらけとなったピアノ、それが戦後60年を経て、一人のピアノ調律師によってよみがえったという。
そのことを知った一人の作曲家が、傷だらけとなってもなおよみがえったピアノに、身も心も壊された無数の人間の哀しみと戦争の破壊的エネルギーへの抗議と、そのような悪魔的な力にも屈せずによみがえったピアノが象徴する希望をこめて作曲された作品。
ここには、特別なできごとによって触発されて、新たな曲を生み出すエネルギーを与えられた作曲者の魂の祈りと平和への思いが込められている。
そして、北田 康広の演奏によってその作曲者の思いが豊かに表現されている。作曲者と演奏者の思いが深いところで一致しているのを感じさせる演奏であり、言葉はなくとも、音楽によって平和への意思と願いが表されている。
九、青い空は
作詞 小森香子 作曲 大西進
一九七一年、第17回原水爆禁止世界大会に向けて、日本原水協(*)と「日本のうたごえ」(**)が、「原爆を許すまじ」につぐ新しい原水爆禁止の歌を公募したとき、第一位に入選した曲。
(*)なお、原水協とは、原水爆禁止日本協議会の略称。一九五四年ビキニ環礁でのアメリカの水爆実験で第五福竜丸が被災した事件をきっかけに、東京都杉並区の主婦たちを始めとして起った原水爆禁止署名運動が全国的に発展してできた団体。五五年八月第一回原水爆禁止世界大会が広島で開かれた直後に結成。(広辞苑より)
(**)「日本のうたごえ」運動は一九四八年に提唱され、その後一九六〇年代にその運動は最盛期を迎えた。現在では以前ほどではないが、この運動は継続されており、二〇〇八年の「日本のうたごえ祭典in東京」では一万八千人が集まったという。
ここでは、どんな内容の歌かを知るために、三節だけを引用しておく。
3 青い空は青いままで 子ども等に伝えたい
全ての国から 戦(いくさ)の火を消して
平和と愛と友情の命の輝きを
この堅い握手と 歌声に込めて
・空そのものは人間のいとなみとは関わりなく、いつも青い。しかし、その青く澄みきった空から爆撃機が飛来し、原爆を投下したことによって一瞬にして空はかき曇り激しい暴風が巻き起こり数知れない人々の命が失われ、傷ついた。八月の青い空を見るたびにそのことを思いだす。しかし、未来は、空を見てそのような悲惨な思いを連想することなく、ただ青い空をそのままに伝えられるようであってほしいという願いがある。
十、Danny Boy(ダニー・ボーイ) 訳詩 なかにし礼、 曲 アイルランド民謡
この歌は、 ロンドンデリーの歌として広く知られている。
このCDでは、戦争のために遠くの地に送り出された息子のことを案じる母親の心を歌う内容となっていて、そのような悲しみをもたらす戦争を起こしてはならないという気持が込められている反戦の歌となっている。
このメロディーは、新聖歌の三三〇番に、「幸いうすく見ゆる日に」として収録されている。 また、讃美歌第二編の一五七番にも「この世のなみかぜさわぎ」というタイトルでも収録されている。
新聖歌のほうは、私たちの悲しみや苦しみのときに、主イエスを仰ぐときには、主がほかには代えることのできない慰めや力を与えてくださるという意味の歌詞である。また讃美歌第二編は、やはりこの世のさまざまの苦難のおりにも
信じる者たちがともに集まり、祈りを合わせるときには、二人三人集まるときには主がともにいて下さるという約束のとおり、主の平安が与えられ、主への賛美が生まれるという内容である。
世界の広範囲にわたる人々の心に触れる美しいメロディーは、このように異なるさまざまの言葉を乗せていくつばさのようなものだというのがよくわかる。
十一、ビリーブ(Believe)作詞作曲 杉本竜一
これはもともと、NHKの番組に使われた曲である。その後、長崎県で起こった小学生の悲劇的事件をきっかけにそのような心の荒廃をくいとめようとする長崎のキリスト者の人たちが中心になって、「希望のうたごえ」というCDが制作された。そのCDに収録されたのが、「君は愛されるため生まれた」と「ビリーブ」であった。このCDはかなり広く用いられたため、小中学校の音楽でも紹介されていることが多い。心あたたまる歌詞とよくあったメロディーが、多くの人たちの心に残るものとなり、現在も広く歌われている。
十二、旅立ちの日に 作詞 小嶋登 作曲 坂本浩美
さわやかなメロディーと、卒業していく生徒たちへの愛情がにじんでいる歌詞と曲である。これは、卒業のときの歌としては、現在最も広く歌われているという。これは、当時自分の勤務していた学校が荒れているゆえに、それを歌によって何とかしてよくしたい、という音楽教師の願いが実ったものだった。
「歌声の響く学校」を目指して三年目、音楽教師の坂本は「卒業する生徒たちのために、何か記念になる、世界にひとつしかないものを残したい」との思いから、作詞を小嶋校長に依頼した。校長の小嶋は自らが退職するその年に歌詞を書いた。
坂本はその歌詞を受け取ると胸にかかえるようにして音楽室に向かい、15分後にはメロディーが出来上がっていた。一九九一年二月下旬のことであった。最初はたった一度きり、「3年生を送る会」で教職員たちから卒業生に向けて歌うための、サプライズ曲のはずであった。
しかしその後、この曲は歌い継がれ、しばらくは、その学校だけの合唱曲であったが、まわりの小中学校でも使われだしたことで、一九九八年頃までには普及が拡大し、現在では全国の学校で歌われている。今までの卒業式の歌とは違い、親しみやすい歌詞が共感されている。当初は先生方が歌ったが、その翌年からは生徒が歌うようになり現在に至る。(以上、ウィキペディアによる)
人々の心に残っていくのは、しばしばこのように当事者たちの思いを超えたところから始まる。この歌を聴くとき、こうした背後にある音楽教師と校長の生徒たちへの愛があったことを知ると、いっそうこの歌が私たちの心の奥に流れてくる。同じ学校に勤務している者同士、そして同じように生徒たちを思う心が一致することはなかなか見られないことだが、その二つが一致したゆえに、いっそうこの歌と曲はよく溶け合って聴く人、歌う人の心に響くのであろう。
十三、野に咲く花のように 作詞 杉山政美 作曲 小林亜星
画家・山下清を主人公にした「裸の大将放浪記」の主題歌として作られた曲。ダ・カーポが歌った。小中学校の音楽教科書に掲載されている。
歌詞の一節はつぎのような内容。
野に咲く花のように風に吹かれて
野に咲く花のように人をさわやかにして
そんな風に僕達も
生きてゆけたらすばらしい
時には暗い人生も
トンネルぬければ夏の海
そんな時こそ野の花の
けなげな心を知るのです
野に咲く花のように
野に咲く花のように
・野の花は、だまって咲いているだけで、見る人に何かよきもの、美しいものを与えている。私たちも、神の国からの風に吹かれ、花を咲かせ続けているようでありたいと願う。新約聖書においても、主イエスが「野の花を見よ」と言われた。
千年も昔の有名な王がいかに着飾っても及ばない美しさを野の花が持っている。神はそんな取るに足らないようなものをも深い愛をもって見守っている。だからこそ人間は必ず神によってよきものを受けているのだ、先のことを思い煩うのでなく、まず神の国と神の義を求めることが重要なのだと教えられた。
十四、MY WAY(マイ・ウェイ)
この歌は、故フランク・シナトラやエルビス・プレスリーといった有名な歌手が歌って広く知られるようになった。
歌詞の一部を紹介しておく。
今、船出が近づくこの時に、
ふとたたずみ私は振り返る
遠く旅して歩いた若い日を
私には愛する歌があるから
信じたこの道を私は行くだけ
すべては心の決めたままに
キリスト者は、この歌詞をつぎのように変えて受けとることができる。
私たちはすでに信じたとき、神の国への船出をしたのである。その船出をする前にはさまざまの荒れ地、暗闇を旅してきたことを思いだす。私たちは、神をたたえる歌をいつも心に歌っているようでありたいし、神の国へのまっすぐな道を日々歩みたいと願う。
すべては主の御心のままに…。
全体を見て感じるのは、キリスト教賛美はヘンデルの一曲だけだが、キリスト教の中心にある、愛、希望、信じること、平和、自由、前進することといった内容の曲が、一般のさまざまの方面の歌から広く、注意深く選ばれているということである。そうした一般の人たちに愛唱されてきた歌を聞き、歌う人たちが、ヘンデルの一曲にある、主の導きに感謝し、喜ぶというところへとらさに導かれることを期待したい。
これらの歌を作詞した人、曲を作った人たち、そして歌い、演奏している人たちすべての願いが一つのところに集められて、人の心に何か良きもの、美しいものを生み出すように、このCDが用いられることを願っている。
ことば
(315)信仰の綱
わたしは聖人でもない、義人でもない。私はただ神の義を慕う者である、その助けを切に求める者である。私のできることは、ただ一つ、すなわち神の恵み深きことを信じることである。
そうしてもしこの信仰が私をすべての罪より潔めることができないならば、私が清められる道はほかに一つもない。
信仰、キリストにおいてあらわれた神の恵みを信ずること、これがわがすべてであって、もしこの信仰の綱が断たれるならば、私は奈落の底深い闇にまで落ちて行くべき者である。(「聖書之研究」内村鑑三著 一九〇三年六月」)
(316)おまえがさせたいことは、
むしろお前の微笑でそうさせるがよい
剣で切りつけたりするよりも (シェークスピア)
What thou wilt
Thou rather shalt enforce with thy smile
Than hew to 't with thy sword.
お知らせと報告
○八月二九日(土)~三十日(日)には、静岡から、西澤正文氏ご夫妻が来徳され、土曜日集会でも、短い時間でしたが、話しをしていただき、日曜日の主日礼拝では、「罪に泣いた人々」との実際の出会い、三度の主イエスを裏切ったペテロが、主のまなざしを受けて激しく泣いた箇所をもとにして語られました。
キリスト教信仰は、つねに自分が真実のあり方からどれほど離れているかを深く知ること、言いかえると自分の罪深さを知ることがその根本にあります。
それがなかったら、罪の赦しの福音が分からないからです。
罪に泣く心、そしてそこから主イエスの深い愛を知らされることの重要さを学びました。
なお、この特別集会には、山口県在住の水渕美恵子さんも参加され、み言葉をともに学び、主にある交流を新たにすることができました。(参加者は四七名)
集められた人たち、その人たちを動かしたのは、人間でなく、神の言葉だといえます。本人がそのことを意識しているかどうかにかかわらず、こうした特別集会は毎週の主日礼拝や家庭集会がそのもとにあり、それらの集会はみ言葉がその根底にあるからです。
○北田 康広さんの新しいCD「藍色の旋律」が発売になりました。このタイトルは、北田さんが、徳島出身で、徳島は藍の昔から特産地であること、さらに「愛」をも意味しているとのことです。
近くに店がないとかインターネットをしていないとかで、購入が不便な方は、「いのちの水」誌末尾に住所が書いてある吉村孝雄宛てに申込あれば、お送りできます。定価二五〇〇円。送料当方負担します。
○貝出久美子さんの詩集「ひかりよ」が出されました。伝道用などとして希望の方には、余部がありますので、お送りできます。一冊百五十円。十冊以上は、一部百円、いずれも送料当方負担とします。
○九月二三日(水・休日) 松山市での祈の友・四国グループ集会です。午前十一時~午後四時までです。申込は、松山市の冨永尚さん宛て。〒799-3401 大洲市長浜甲271番地 電話 0893-52-2856。
○九月一九日(土)~二〇日(日)、吉村孝雄は、例年のように、静岡に出向きます。土曜日の夜の集会と、日曜日の特別集会が主の御手のうちにあって、祝福が注がれるように、み言葉の力が示され、聖霊が参加者に注がれるようにと願っています。
○無教会のキリスト教全国集会が、十月十一日(日)~十二日(月・休日)に東京の青山学院大学にて行われます。今回の、全国集会の一日目の夜の音楽の時間に、今月号でそのCDを紹介した北田康広さんが、ピアノ演奏、独唱、証しなどをされることになっています。