(私たちは)神の栄光にあずかる希望をもって喜んでいる。 |
2010年11月 597号 内容・もくじ
晩秋
秋も終わりに近づいている。雨上がりの朝など大空は澄みきって、吹く風もひきしまるような透明感がある。夜空も星もいっそう清い光を見せるようになった。
そしてこの南国の徳島にあっても、次第に風も冷たくなりつつある。しかし、その風とともに、私たちが主に向かって心を開いているときには、神の国からの聖なる風をも感じ、受けることができる。
雨が降り、風が強かった翌朝、晴れわたった空、そこには大気中の微少な粒子が一掃され、空の遠くの山々もくっきりと見せてくれる。早朝の青い空にはたとえようのない清い美しさが広がる。
そのように、私たちの魂の内に、聖霊の雨が注がれ、神からの風が吹いてくるときには、汚れたものが一掃されるだろう。
夜、冷たい風のなかで、闇のなかに輝く星を見つめる人は少ない。
同様に、この世の冷たい風に吹かれ、さまざまの闇、暗い森のなかにあって、その背後に輝いている神の光に目を留めようとする人は日本においてはとくに少ない。
冷たい大気のなかで、いっそう星の光は澄んだ光を見せてくれるように、この世の苦しみや悲しみの中から仰ぐ主の光はいっそう私たちの魂に近く、そして親しく感じられる。
闇のなかに光は輝いている。どんなにその光が見えないようなときがあっても、私たちはその闇、雲の彼方には変ることなき神のいのちの光が輝いていることを信じていきたいと願う。
そして今、神の光を知らずに、かつて詩人ダンテも経験したと書いている、この世の暗い、恐ろしい森の中にいる人たちが、そこから解放され、いのちの光である主イエスを知ることができるようにと願うものである。
神との出会い、人との出会い
私たちが本当に神に出会ったとき、そこからさまざまな出会いがはじまる。
私は神を知るまえに、大学時代に、山の世界とギリシャ哲学の世界に触れて大きなものを与えられていった。
しかし、人間には出会えなかった。
目の前に毎日さまざまの人と会っていながら本当に人と出会ってはいなかった。
しかし、人間の究極的なすがたであるキリストに出会ってから、さまざまの人がおのずと私のまえに現れて、魂との出会いが与えられていった。
そしてそれまでも愛していた山々も、また身近な自然に対しても質的にさらに深い出会いが与えられていった。
真の出会いは消えない。たとえその人が遠くに行っても、またこの世を去ってもなお、その出会いは続いていく。
私が初めて祈りの意味を知らされたのは、今から40数年前、大学時代に短期間であったが所属していた京都のキリスト教集会での責任者であった先生によってであった。
その先生に、私が大学卒業後、当時起ったある悲しい出来事を告げていたが、その何カ月か後に、長野の白馬での聖書講習会に参加する途中にて再会のとき、最初に私に言われたのは、その出来事のことであり、大学教授として多忙な先生が、私のそのことをずっと祈りに覚えて下さっていたということであった。
その時、初めてわたしは祈りとはどういうことなのかを知らされた。
卒業後、郷里に帰ったため、遠くに離れていった者であるのに、なお心のうちでの出会い―祈り―を保ち続けていて下さったのを知ったのである。
真の出会いは祈りを伴うがゆえに続いていく。
そうした出会い、祈りを支え、導いて下さるのが今も生きて働いておられる主イエスなのだ。
本当の新しさを求めて
この世にはつねに新しいことが生じている。ニュースはその字のとおり、多数の新しい(NEW)ことの報道である。しかし、それらを知って、心まで新しくされる、という場合はごく少ないであろう。逆に、さまざまの事件や事故などの報道には、心に暗いもの、重いものが沈んでいくことも多い。
この世の新しさは、魂を新しくするものではない。一時的にそのように思えてもすぐにそれは古びていく。
本当のニュースとは、つねに新しいものを実感させてくれるものである。そしてそれはいつも見ている、なんの珍しいこともないようなもの、例えば、庭の木々、青空、白い雲、風にそよぐ木々、葉の音など、それらからつねに新しいものをくみ取ることができる。
それらの中にも、常に「ニュース」がある。神の国からの新しきメッセージがそこに込められている。私たちが神の国を少しでも知っているときには、そこから絶えず波動のように打ち寄せてくるものを感じる。
神は万能でありかつ無限であるゆえに、はてしなき古くからのものも今もたたえているとともに、限りない新しさをも同時に持っている。そして愛においても無限であるゆえに、たえず私たち悩める者、苦しむ者へのメッセージを投げかけてくださっている。
主イエスが、神の愛は太陽のように、また雨のように、どんなひとにも同じように注がれていると言われたとおりである。
山の大地から湧き出てくる水、それは常に新鮮である。そのようにもし、私たちの内部にそのような泉のようなものがあるならば、そこからは常に混じり気のないもの、新鮮なものがあふれてくる。主イエスが、私を信じる者には、その魂の内部から水がわきあふれ、流れだすと言われた。ここに新しさの原点がある。
この内なる泉を与えられるときには、毎日目にするような周囲の身近な自然であってもそこにつねに新しいものを実感する。それは、そうした自然には、神の愛や真実のお心がそのまま刻み込まれているからである。
外面的には単調な生活であっても、内面的にはつねに神の国からの新しいものを実感しているひとは、その表情や目の輝きにおいてたしかに異なるものが生じてくる。声の感じも違ってくる。
このようなことは不思議なこと、驚くべきことである。声は、声帯の振動によって出されるが、その声帯や、表情を作る顔、目なども、水、タンパク質、脂質その他の複雑な有機化合物等々によって作られているのであって、そのような物質的なものが、目には見えない心の状態をなんらかの形で反映してくるのは、いったいなぜなのか、じつに興味深いことである。
私たちの魂の内奥が一つの泉となる、それはいかにしてなされるのか。それは神ご自身ともいえる聖なる霊が私たちに注がれたときである。
そういう意味で、聖霊こそは、真の新しさを生み出す根源なのである。
キリストの弟子たちは、主イエスこそが救い主、王であり、神の子だと信じていたが無惨にもとらえられ、鞭打たれ、辱められるのを目の当たりにして逃げ去った。そしてキリストの復活を聞いて、実際にそのキリストに出会ってもなお、古い自分から脱却することができなかった。
そういう彼らを本当の意味で新しく生まれ変わらせ、新しい心と新しい力を与えたもの、それが聖霊なのである。 そのときから彼らはそれまでの恐れ、不安に満ちた人間から、まったく変えられ、命がけでキリストの復活の福音、人間の罪の赦しのために、十字架でキリストが死んでくださったという福音を宣べ伝えるようになったのである。
聖書には、私たちだけでなく、この世界全体―天と地があたらしくされるというメッセージがある。
主イエスは神の国が近づいた、悔い改めて福音を信ぜよ、ということのなかにすべてを込められた。神の国が近づいてそこにあるならば、その神の国、神の愛と無限の真理によって常に新しくされていくということが同時に含まれているのである。
神への信頼と信仰
この世で最も大切なもの、それは何か、と問われて、一般の学校や社会人はどう答えるだろうか。母親あるいは両親、家族、健康、職業、お金、…などが必ず出てくる。
そしてこれらは、たしかに私たちの現在の命にとってきわめて重要なものであることは、すぐに分る。母親や父親がいなかったらそもそも自分は存在していない、生まれてから何年間も最も真剣に世話をして育ててくれたのは多くの場合、母親であろうし、家族の支えもあって成長できたという場合も多い。
また健康は大切なことは言うまでもないし、お金も現在の自分が生きているのはそのお金で衣食住などの基本的なものを購入できているのであるから重要だということもだれでもわかる。
こうしたものの大切さは、子供でも大人でも、また いわゆる善人でも悪人でも、高齢者も社会的に活動している人も、入院している弱いからだの人でもみなわかっている。
しかし、意外なことであるが、これほど大切なことが自明のことなのに、聖書ではこれらの大切さについてはまったくというほど触れられていない。聖書は、最も人類で多く読まれ、歴史的にも数千年を越えて読まれ、人間の生涯を変え、歴史を変える絶大な力をもってきた、それゆえに真理の書であることが歴史を通じて証明されてきた書物のなかの書物である。
その最も真理に満ちた書ではなぜこうした万人が重要だと認めることについてほとんど何も記していないのであろうか。それはこれらが魂を救う力を持っていないからである。
その代わりに何を聖書では最も大切なものとしているのだろうか。 それが、信仰、希望、愛なのである。
そしてこの三つの根底にあるもの、出発点にあるのが信仰である。
信仰というと、特定の信仰箇条を信じていること、例えば、復活とか十字架によるあがないを信じていることだと思われている場合が多い。たしかにそれらを信じることはきわめて重要であり、キリスト教信仰の最重要部分をしめている。
旧約聖書の時代にはキリスト以前であるから、もちろん復活とか十字架の信仰などはなかった。しかし、その旧約聖書の時代から一貫して流れているのは、そうした特定の信仰箇条を信じるということでなく、神への信頼ということなのである。
その聖書の最初から、重要なこととして出てくるのは、神に従うこと、神の言葉に聞き従うことである。言いかえると、神に対して真実であることだ。
単に神の存在を信じる、これは当然のこととみなされていて、あえて、神の存在を信ぜよ、などとは言われていない。神を信じたうえで、その神の言葉に従うかどうかが、最初からの決定的な問題となっている。
人間が大いなる苦しみと嘆きの谷、闇の道へと追いやられたのは、神の言葉に聞き従わなかったからであった。そのことが、聖書の最初にアダムとエバが神の言葉に従わなかったゆえに、喜ばしい祝福された生活から追いだされたことが記されている。
彼らは神の存在を信じていなかったのではない。神こそが創造者だということはよくわかっていたのである。
しかし、その神の言葉に従おうとしなかったのである。神に対しての真実なあり方が持てなかったということになる。
その後も、神の言葉に従うことをしなかったがゆえに、ノアの時代には大洪水が起こって人間が滅ぼされるという大事件が生じた。
その後、アブラハムが現れた。彼の幼少時代などは一切知らされていない。彼の生涯が記されるのは、神の言葉がアブラハムに臨んだときである。
神は人間にとって完全な愛と真実を持ち、正しいことに満ちたお方である。
それゆえに、その神の言葉こそが決定的なものといえる。
それに背くということは、愛と真実や正義に背くことであるゆえに、人間にとってあらゆる不幸の根源となっていく。
彼にとっても最も重要なことは、ここでも単に神の存在を信じるということでなく、神の言葉に従っていくということであった。聖書はアブラハムに関する記述において、その最も重要なことから書き始めている。
そこには、語りかけた神が真実であるということへの確信があった。信仰があった。それゆえに故郷を捨ててまったく未知のところへと旅立ったのである。
語りかける神への真実さ、その重要性はこのように聖書において最初から記されている。その真実を失うとき、神に従わず、まちがった神々、あるいは人間に従うようになる。
そしてアブラハムは、神が「あなたの子孫は星のようにふやされる」と言われたことを、そのまま信じた。すでにアブラハムは老齢となり、自分には子供はない、自分の家を継ぐのは、別人だと思っていたのである。
しかし、それでも、アブラハムは神がそのような本来有り得ないと思われるようなことを語りかけたにもかかわらず、その神の言葉を信じた。
こうした信仰は決断である。疑う方を取ることもできる。神の言葉を信じる方を取ることもできる。
神を信じる方を選びとるということは、高い台から飛び下りるような決断なのである。
そこには神の万能、全能に対しての全面的な信頼があった。そのような信頼を神は喜ばれ、アブラハムを正しいものとみなされた。何かのよい行動をしたから、神があなたは正しい人だと認めたというのでなく、ただ神の全能を信じ、神の真実を信じたゆえに、本来なら考えられないことをもそのまま信じたこと、それを神はとくに喜ばれたのであった。
そして、アブラハムは神との正しい関係にあると言われた。このように、まだモーセが受けた律法の時代よりもはるかに昔にすでにこのように、神との正しい関係は、何らかの行い、律法的な行為などによることなく、ただ神であるからその言葉をそのまま信じるということ、神への全面的信頼が神によって一番受けいれられることだということが示されている。
このことは、後に当時の人が考えたよりはるかに重大な意味を持つようになった。
アブラハム本人もそのことは気付いてはいなかったであろうし、当時の人たちも、ずっとその後の人たちもキリストの時代まで、この短いひと言がいかに重要なものであるか、歴史をすら動かすほどの力を秘めているのを知らなかったであろう。
後の時代になって、主イエスが最も喜ばれたのも同様な信頼であった。
…さて、イエスがカファルナウムに入られると、一人の百人隊長が近づいて来て懇願し、
「主よ、わたしの僕が中風で家に寝込んで、ひどく苦しんでいます」と言った。
そこでイエスは、「わたしが行って、いやしてあげよう」と言われた。
すると、百人隊長は答えた。「主よ、わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。ただ、ひと言おっしゃってください。そうすれば、わたしの僕はいやされます。
わたしも権威の下にある者ですが、わたしの下には兵隊がおり、一人に『行け』と言えば行きますし、他の一人に『来い』と言えば来ます。また、部下に『これをしろ』と言えば、そのとおりにします。」
イエスはこれを聞いて感心し、従っていた人々に言われた。
「はっきり言っておく。イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない。(マタイ福音書8の5~10)
主イエスの言葉ならば、必ずきかれる、イエスは神と同じようなお方だと、本当に信じきっていなければこのような返答は決してしない。主イエスへの全面的な信頼は、イエスの語る言葉への信頼と同じものであった。たしかに私たちも普通の人間関係において、ある人を十分に信頼しているときには、その人の言葉をも信頼するものである。
神を信じるというときには、神の言葉を信じる、主イエスを全面的に神の子として、すなわち神と同質のお方だと信じるというならば、主イエスの言葉をも信じるのである。
このような単純な信仰、それゆえに力ある信仰こそ、私たちが持つべき信仰だと主イエスは言われている。そしてそのようにまっすぐな信頼の心をもって神を、あるいは主イエスを見つめる心こそ、幼な子のような心なのである。
…イエスは乳飲み子(*)たちを呼び寄せて言われた。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。
はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」(ルカ福音書18の16~17)
(*)乳飲み子と訳された原語は、(ブレフォス)brephos で、まだ生まれていない胎児や生まれたばかりの赤子、乳児などを指す。英訳でも、babyと訳されている。(NIV、NJBなど)あるいは infants (KJB,NRSなど)で、この語も乳児、まだ歩けない赤子を指す。
また、「子供」と訳されている原語は、パイディオン paidion であって、これも、例えば、マタイ福音書でイエスが生まれたときに、その星を見てイエスを訪ねてきた博士たちの記述にある「幼な子」と訳されたのがこのパイディオンである。ここでは、生まれたばかりのイエスを訪ねてきたのであるから、乳児と考えられる。
…彼らは王の言うことを聞いて出かけると、見よ、彼らが東方で見た星が、彼らより先に進んで、幼な子のいる所まで行き、その上にとどまった。…そして、母マリヤのそばにいる幼な子に会い、ひれ伏して拝み、…(マタイ2の9~11)
主イエスが、神の国は、幼な子(乳児)のような者たちのものである、といわれたのはとても当時の人にとっても意外なことであったであろう。
そのようなことは、旧約聖書全体においても、またギリシャ哲学者の英知に満ちた言葉にもまったく見られないし、論語などにもない。
乳児(幼な子)とは、疑いの心など全くなく、母親をまっすぐに見つめる。信頼しきっている。まさにその点によって、主イエスは、神の国に入る人の持つべき特質だとされたのである。
主イエスが、神を古くから知らされてきたイスラエルの人たちの中にすら、ローマの百人隊長のような徹底した主イエスへの信頼は見たことがない、と言われた。このことは、やがてイスラエルの人たちの大多数が、イエスを救い主として受けいれないのと対照的に、イスラエル以外の人たちがイエスを救い主であり、神と等しいお方であると受け止めるようになるのを預言する出来事にもなっている。
神の存在を単に信じるということだけでは、神に対する真実な姿勢とはいえない。一貫して言われているのは、神の言葉に従おうとしているのかどうかである。
旧約聖書における預言者たち、アモス、ホセア、エレミヤ、イザヤ…などがみな共通している強調点は、単に、神の存在を信ぜよ、ということではない。
神に立ち返れ、ということである。言いかえると神の言葉に従え、ということになる。人々は表面的には神殿に行き、儀式的なことは行う。しかし、心はまったく神から離れている。
そのような点では、旧約聖書のなかで、詩篇は名も知られていない人たちの深い神への信頼が最もあざやかに記された書である。ほかの旧約聖書の書物では、アブラハムやモーセ、ヨシュア、ダビデ、預言者など特別な人、きわめて一部の神に特別に選ばれた人しか、その心のうちは分からない。一般の多数の人たちは神との関わりがどうであったのか、たいてい細かなその信仰の心はわからない。
しかし、詩篇においては、前半にはダビデの詩と題されているのが多いが、それも必ずしもダビデのものではなく、ほかにアサフ、コラの子、モーセなどの名を関した詩も一部にあるが、後半の詩には無名の詩が多く含まれている。
それゆえに、長い年月の間の多くの人たちの詩がおさめられていると考えられる。
一般の人たちのうち、とくに神に近づけられた無名の人たちの信仰が多く含まれ、これは神への真実な心、信頼の心に満ちた内容となっている。
…主よ、憐れんでください。あなたに罪を犯したわたしを癒してください。(詩編 41の5)
…主よ、憐れんでください、わたしは苦しんでいます。目も、魂も、はらわたも苦悩のゆえに衰えていきます。(詩編 31の10)
…神よ、わたしを憐れんでください御慈しみをもって。深い御憐れみをもって背きの罪をぬぐってください。(詩編 51の3)
このように多くの詩篇において、神への真実な叫び、祈りがある。このような切実な言葉の出された背景には、神にのみまっすぐに向かう魂の姿があり、それが幼な子のように神を仰ぐ姿と重なるのである。
こうした詩篇に現れた神への徹底した信頼の心、それが福音書に数百年をへて、イエスに向かう人々の心となってふたたび現れている。
盲人やハンセン病と思われる人たち、さらに中風やほかの病で苦しむ人たち、さらに身内のもの家族の死に至る病などに関して、主イエスへの切実な願いや叫びはまさにイエスへの全面的な信頼の心がなければ有り得ないことである。
「主よ、憐れんでください!」 と弟子たちが制止するのも聞かずに、必死でイエスによりすがろうとするのは、旧約聖書の詩篇の作者の神への叫びと深く通じるものがある。
…「主よ、ダビデの子よ、私を憐れんでください。娘が悪霊にひどく苦しめられているのです。」と叫んで懇願したがイエスは何も答えなかった。その女はそれでもなお、叫びながらイエスについて行った。(マタイ15の21~)
あるいは、中風の人をイエスのもとにかついで運んできた。何とかしていやしてもらいたい、中風の人の大きい苦しみがいやされるようにとの切実な願いによって、彼らは多くの人たちのゆえに家に入れないのを知って、屋根をもはがしてイエスの前にその病人の床をつり降ろした。
そこまでの熱意、それは周囲の人の当惑や非難などを浴びせられても、揺るがないようなイエスへの強い信頼であった。
キリストが十字架で処刑され、復活した後には、聖なる霊となってふたたび地上に来られたといえよう。そしてその聖なる霊にうながされ、使徒たちは福音を宣べ伝えるようになった。
そこでは、復活を信じ、十字架によるあがないを信じることが出発点となった。そしてそのことを信じて、イエスを救い主として信じるとき、パウロがそうであったように、生きてはたらくキリストが信じる人の内に住んでくださるようになり、また信徒たちの集まりのうちに復活のキリストがおられるようになった。
そこから、最初は復活を信じ、十字架を信じてキリスト者となったひとたちも、生けるキリストに従うことが重要なことになった。 聖霊によって導かれる重要性が生じたのである。
このようにして、まず復活や十字架のあがないを信じることからはじまった場合でも、福音書で示されているように、キリストに対する真実なあり方、幼な子のようにキリストの全能を信じること、その言葉に従っていくことが求められていくのである。
主は待っていてくださる
旧約聖書には、救われた状態ということについてしばしば記されている。現実の状況は、神に背き、厳しいさばきを受けて、外国からの侵略、町の破壊や人々の困窮などがさまざまに記されている。それらは、王や指導者たち、そして人々が一番大切な正義と真実な神に立ち返ることなく、まちがったものを第一としているということからくる、そのことを預言者たちは一貫して述べている。
そのような暗い状況、周囲には混乱と破壊が満ちているような、国が滅んでしまうというような状況にあっても、そこに後には神の御手が差し伸べられて、救いが与えられるということがさまざまに記されている。
次の箇所もその一つである。
…主は恵みを与えようとしてあなたたちを待ち
主は憐れみを与えようとして立ち上がられる。
まことに、主は正義の神。
なんと幸いなことか、すべて主を待ち望む人は。
…主はあなたの呼ぶ声に答えて
必ず恵みを与えられる。
主がそれを聞いて、直ちに答えてくださる。
わが主はあなたたちに災いのパンと苦しみの水を与えられた。
あなたを導かれる方はもはや隠れておられることなく
あなたの目は常にあなたを導かれる方を見る。
あなたの耳は、背後から語られる言葉を聞く。
「これが行くべき道だ、ここを歩け右に行け、左に行け」と。(旧約聖書 イザヤ書30の18~21より)
ここには、救われるとはどういう状態なのかが、神からの直接の啓示を受けた預言者が語っている。
それは、待っていてくださる神、答えてくださる神を持つということである。
言いかえると、生きた応答をして下さる神を実感しつつ生きることができるようになる。
主を待ち望むときには、そのような神が与えられる。
このことは、新約聖書の時代に、キリストが復活して、聖なる霊となって信じる人たちを導かれることをすでに預言しているのである。
ひどい苦しみが続くとき、神は眠っているのか、神はいないのか、もしいるとしても私のことなどまったくお心に留めてはいないのだ…等々の思いが心によぎる。
しかし、そうした試練のときも、実は主が待ってくださっている時なのだ。私たちがその苦しみによって本当に神だけに立ち返ろうとすること、苦しみによって小さなことから離れ、人間に頼ることがどんなにはかないことかを深く知るためのときを待っておられる。そして時至って私たちのところに来てくださる。
これはルカ福音書にある、放蕩息子のことを思いださせる。
息子は、金をたくさんもって家を飛び出し、さんざん遊び暮らした結果生きることが困難になってきた。それほどの苦しみにあって初めて息子は父親を思いだし、自分の罪深さを深く知らされ、どんな待遇であっても、たとえ奴隷がするような仕事であってもよいから、立ち返って帰ろうと思って、帰途についた。
父親は、息子がまだ遠くにいたにもかかわらず、走り寄って迎え、抱きしめて最上の食物を備えてやったという。
ここには待ち続けてくださっている神のお心がある。
はじめにあげた聖句において、神は「恵みを与えようとあなたを待つ…」と言われている。憐れみを与えようと立ち上がられる、とある。これはそのまま放蕩息子の父親の姿である。
こうした待ってくださる神のお心は、また聖書の最後の書、黙示録にも記されている。
…見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。(黙示録3の20)
主とともに食事をする、というわかりやすい表現でその祝福が言われている。待って下さっている主に向かって心の扉を開くとき、私たちは主イエスの霊的な食物をともにいただける、というのである。
神は、災いのパンと苦しみの水を与えられた。しかし、それは人々が神に背き続け、滅びへの道をたどっていくばかりであったために、大きな警告をするためであった。
その警告に立ち返るとき、そして人間でなく神をのみ、仰ぎ続けるとき、主は私たちにとって、それまでの答えて下さらない神、裁きの神から、答えてくださる神へと、さらに背後から、私たちに語りかけてくださる神へと変わっていく。
前には、主があって、導いてくださること、それはモーセの出エジプトのときに鮮やかに示されている。
…主は彼らに先立って進み、昼は雲の柱をもって導き、夜は火の柱をもって彼らを照らされたので、彼らは昼も夜も進むことができた。(出エジプト記 13の21)
主イエスもたしかに私たちを導いてくださることを強調している。
…羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す。羊はその声を知っているので従っていく。…一人の羊飼いに導かれ、一つの群れとなる。…私の羊は私の声を聞く。私は彼らを知っており、彼らはわたしに従う。私はかれらに永遠の命を与える」(ヨハネ10の1~27より)
そしてこのイザヤ書においては、さらに神は私たちの後ろから「こちらが道だ、右に行け、左に行け」と語りかけてくださる愛の神として感じられてくるのが預言されている。
前に立って私たちに呼びかけ、語りかけ導いてくださるだけでなく、後ろからも具体的に私たちの進むべき道を知らせてくださるという。
私たちは何歳になっても、またキリスト教信仰を与えられて10年、20年いや50年経ってもなお、さらに経験したことのない苦しみや病気の重さ、あるいは孤独に悩むことが生じていく。
そのような人間の実態にあって、決して私たちを見捨てることのない、愛の神のすがたが私たちの前に浮かびあがってくる。
私たちも主を待ち続ける。復活の主イエスは、使徒たちに「約束のものを待ちなさい」(使徒言行録1の4)と命じられた。そして弟子たちは、「夫人たちやイエスの母マリア、またイエスの兄弟たちと心を合わせて熱心に祈っていた」(同14節)とある。
いつまでなのかその時は示されなかった。 これは私たちも同様である。すべての問題の解決をしてくれるのは、ただ神であり、主イエスであり聖霊である。その聖なる霊を私たちも待ち続ける。
今与えられている者も、さらなる聖なる霊を与えられ、それぞれが抱えている困難な問題が解決されるようにと願いつつ。
罪きよめられた世界 ダンテ・神曲 煉獄篇第二八歌(その1)
煉獄の山を登り初めて以来、さまざまの罪に対しての裁きのゆえの苦しみを受け、それによって清めを受けている魂たちの状況をつぶさに見つつ、自らも罪を清められ、ようやくダンテは煉獄山の頂上にある地上楽園に到達する。
煉獄篇全体に、絶えざる苦しみとの戦いがあった。生前に犯した罪への罰を受け、同時にその苦しみが清めともなっていく煉獄において、この地上楽園で初めてそうしたあらゆる苦しみから解放され、自由となった。これは、罪をおかす以前のアダムとエバがエデンの園で与えられていたような恵みに満ちたところなのであった。
こうした魂のやすらぐ世界、それがこの地上楽園というところに描かれている。
このことは、キリスト以降の時代に生きる私たちにとって、長い人生の戦いと苦しみを終えて、主イエスのもとに深く安らうときに与えられる。
主イエスのよく知られた言葉、「疲れた者、重荷を負った者は私のもとにきなさい。休ませてあげよう」という言葉を思い起こさせる。この地上楽園は、主にある喜びと平安を象徴するものとなっている。
私たちにおいても、罪がキリストへの信仰により、み言葉により、聖なる霊によって清められたとき、こうした霊的自由の世界へと入れて頂ける。
ここには、煉獄篇のなかでも最も美しいと思われる自然の描写がある。
……
さわやかな緑濃い神の森が(*)
新しい日の光を見た目にも優しく和らげていた。
この森林の内や外を歩きたいという気分にはや誘われて
先生の言葉をそれ以上待たずに、この土手を離れると
私は野原をゆっくり、ゆっくりと歩きはじめた。(煉獄篇第28歌1~5)
(*)地上楽園での森についての 一行目の表現「さわやかな緑濃い神の森」を原文といくつかの英訳をあげる。
・divina foresta spessa e viva(原文、spessa 濃い、viva 生き生きしている)
・The heavenly forest dense and living-green
(Longfellow訳)
・divine forest green and dense (Sinclair訳)
・celestial forest ,whose thick shade with lively greeness(Cary訳)
ダンテがこの煉獄の最後の到達した場所、それは深い森であったが、その森は、神のごとき森、すなわち命あふれる緑に満ちており、太古の森林のごとき重々しさをたたえていた。
この森、それは現代の私たちもそれぞれの魂の浄めに応じて味わうことができるものなのである。
浄められた魂に与えられるのは、この世のただ中にあっても、なお、神のいのちが至る所に満ちていること、命を与える神の力を知って生き生きした希望が与えられていること、いのちに取り囲まれている状態である。
このいのちに満ちた森は、神曲の最初に現れる地獄篇第一歌の森と鮮やかな対照となっている。
地獄篇の最初にあらわれる森、それは「暗い森、苛烈で荒涼とした峻厳な森」であり、言い表すこともできないほどの苦しさに満ちたものであった。そしてその森を思いだすだけでも、ぞっとする、その苦しさにもう死ぬかと思われたほどであった。
森、それはこの人生を象徴している。ダンテがこの暗く恐ろしい森に入りこみ、そこからようやく出ることができたのは、人生の半ば、35歳のころであった。
だれでも、この世に生きるときにはこの暗い森、すなわち至るところに落とし穴があり、脇道があり、自分の罪や他者との関わり、人間関係の複雑さにつまずき、人からの攻撃や裏切り、滅び等々が生い茂っている森に迷い込んでいく。
この箇所から、私たちは、この光なき森に迷い込んで人生を送るのか、それともそこから導き出されて命あふれる希望の森にあって天来の風や川の流れを受け、さまざまの賛美のうちに過ごすのか、いずれかになるということを知らされる。
私自身もキリストを知らないとき、この暗い森に入り込み、どこから出たらいいのかまったく分からなくなった。そしてもがき苦しみ、一人孤独な内面の戦いが続いていた。
そこからようやく出ることができた、それは実に大いなる恵みであったゆえに、この暗き滅びの森から出る道があることを何としても伝えたいという気持ちになったのであった。
ダンテの神曲では、地獄篇の冒頭にある、この暗い森のこと、人生の半ばにしてようやく出ることができた、ということはよく読まれ、知られている。しかし、その後ダンテはどうなったのか、ということについては単に地獄めぐりをして、奇妙なあるいは不気味な罰を受けているという程度の理解で終わってしまうことが多い。
いろいろと地名、人名が現れるし、また内容も当時のまだ科学的に未発達な見方もあり、イタリアの歴史もからんでいて、とても理解しがたいことが多いこと、さらには、日本には神曲の根幹にあるキリスト教信仰を持たない人が圧倒的に多いゆえに、煉獄篇とか天国篇まで読み進まないうちに投げ出してしまうことが多いと思われる。
神曲に関する引用、感想や絵画なども地獄篇が圧倒的に多く、煉獄篇などはたいていの人にとっては、知られていない。
この煉獄篇最後に現れる地上楽園、すなわち創世記にあるエデンの園というべきところのことも、一般的にはあまり知られていないであろう。
ダンテは、その暗く恐ろしい森から出て、光射す山に登ろうとしたが、たちまちさまざまの強力な妨げが現れて登ることができず、暗い谷のほうへと後ずさりするしかなかったのである。
いかに暗い森から出ることができたとしても、そこから高みへと登ることはできないということをダンテは明確に知っていた。
そのゆえに、天からの示しによって導き手が与えられ、その導きによってでなければ高きへと進めないのである。
こうしてダンテは導き手なるウェルギリウスによって、地獄と煉獄を導かれ、そしてようやく煉獄の山の頂上に着き、かつて彼が死の苦しみをもって通ってきた暗い森とはまったく異なる神々しき森へと達したのであった。
多くの神曲の読者は、すでに触れたように、地獄篇に現れる最初の暗い森だけを知って、煉獄篇の最後にあらわれるこの生き生きした緑濃い森のことは知らないままである。
また実際に、この人生にあって、暗い森をなんとか通りすぎてもこの煉獄篇にある森のごとき世界を知らないままで生涯を終えることがきわめて多いといえるだろう。
ここでは、もはやダンテはいままでずっと導きを受けてきたウェルギリウスの手を借りることなく、自由に歩くことができた。前の27歌の最後に、内なる汚れ、罪を清められたゆえに、古き自分(罪)に支配されることなく、清められたダンテ自身の意志で歩めるようになったとある。
自由に歩く、それは新約聖書においても、聖霊によってはじめて可能となることが記されている。聖なる霊、言いかえるとキリストの霊に導かれるものこそ神の子どもといえるものであり、新しき人とは、自分の意志でなく、聖なる霊によって導かれる者なのである。
…神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです。(ローマの信徒への手紙8の14)
自由に歩くことができるようになったダンテは、いままでの煉獄の山の環状の道では脇見などしないで、急いで歩かねばならなかったが、ここでは「ゆっくりゆっくり」歩いたと、繰り返しをもって強調されている。
煉獄にたどりついて魂たちが、その山のふもとで一人がうたう歌に夢中になって聞き入っているとき、煉獄山の番人が来て、「どうしたことだ、のろまな魂たちよ、何たる怠慢だ。なにをぐずぐずしているのだ。走って山へ行き、汚れを落とすのだ。さもないと神はお前たちの前に姿をあらわさないぞ。」
(煉獄篇 第二歌一二〇行以下)
と厳しく叱責した。
煉獄篇の最初からこのようにのんびりしていることはできないのだということがはっきりと書かれていた。清めを受ける過程にある者たちは、怠け心は前進のための大きな妨げになるからである。
この地上楽園においては、それと対照的になって、ゆっくりゆっくりと歩くということなのである。罰を受けることもなく清めが全うされたゆえに、もはや急ぐ必要はない。
ここでなすべきは、そこに与えられているさまざまの恵みを十分に味わい、受け取ることなのであった。
そこにおいてまずダンテが受けたのは、地面からわき起こってくる香りであり、さわやかな風であり、小鳥たちの賛美の歌声であり、樹木の奏でる重々しい音楽であった。
…足もとからはいたるところに、ふくよかな香りが漂ってきた。
こころよいそよ風が、たえずやわらかに吹き
さわやかな力で頬をかろやかに打った。
風が吹きわたると、枝々はみなかすかにふるえ、
しなやかにしなった。…
小鳥たちが、喜びに満ちて歌いつつ
朝のそよ風を葉の中へと招き入れると
葉はさらさらと鳴って歌声に和したが
それは海岸の松林の枝々に
風が鳴り渡るさまもさながらであった。
香り、この重要性は、魂に関しては音楽と似たものがある。嗅覚をとおしての魂への音楽がよき香りなのである。神はさまざまの手段を用いて、神の国にあるよき音楽を知らせようとされる。
音楽は無数にあって、常時ラジオとかTV、CD、MP3プレーヤなどで流れているであろう。
しかし、魂を清め、高める音楽というのは決して多くない。 そのようなよき音楽も求めなければ与えられないと同様に、植物全体を見れば数しれないほどにあっても、よき香りを放つ花や植物は、ごくわずかしかない。
人間においても、その魂からよき香りを放つ人というのは全体からみると非常に少ないといえるのと同様である。
それはキリストの香りを持つということであるが、日本ではそもそも唯一の神がおられるということを信じる人が一〇〇人に一人いるかいないかの状況である。そのわずかな人たちはごく表面的に神を信じているという段階の人も相当いると考えられるから、実際にキリストの香りを放っているというのはさらに少数となるであろう。
パウロは、自分がキリストを霊的に深く知ることができたこと―それはキリストの復活、十字架による罪の赦し、聖なる霊による力、導きなどの体験をすべて含んでいる―そのゆえにそこからはよき香りが周囲に放たれるということを知っていた。自分が土の器であるにもかかわらず、おどろくべきよき香りを周囲に漂わせるという特別な存在に変えてくださったということを深く知らされていたのである。
…神に感謝します。神は、わたしたちを通じて至るところに、キリストを知るという知識の香りを漂わせてくださいます。(Ⅱコリント2の14より)
ダンテが、この煉獄の山の最後、すべての汚れ、罪を清められて、地面からもよき香りが漂ってくるという状況を記したのも、現代の私たちからいえば、キリストに従って十字架の赦しを受けるときには、この世を超えたところ、霊的な大地からよき香りを絶えず受け取り、自分に取り入れることをも暗示しているのである。
そして小鳥の歌声がある。小鳥のさえずりはだれにとっても心地よいものであろう。小鳥の姿、木々を飛び回るその翼の力と自由、そしてそのさえずりは、神への賛美として受け取ることができる。翼で象徴される自由と賛美、それこそは、たしかに清められた魂が与えられる天の国の宝である。
そしてさらにさわやかな風は、深い生き生きした森に吹き寄せて、イタリアで有名なある海岸にある松林が奏でる重々しい音楽のごとくであった。
ダンテがとくにこの地上楽園にて、森が風に鳴る響きを松風の音のようだとしているのは、彼も松風の音に特別な印象をもっていたことを示している。
松林の風に鳴る音、それは私にとっても懐かしい、心深く残っている音楽である。樹木が奏でる音としては最も心惹くものであり、重厚な音楽だと私には感じられていた。いまから五五年ほども昔にはわが家を取り巻く山には多数のまつが生い茂っていた。台風や強風の吹くおりには、それらから実に心惹かれる音が響いて聞き入ったものである。
とくに台風の近づいたときには、その山に登って、頂上付近まで行ったことも何度もある。 その松風の音楽を聞くためだった。しかし、いまは各地でマツクイムシのために松林は枯れ、私の小学校近くにあった巨大な松林もあとかたもなく消えてしまった。天をつくような、という形容があてはまるようなやや斜めに数十メートルの高さにそびえる松、何百年の歳月を生きてきたどっしりとした松であった。それらが風吹くときにはほかの樹木にはないすがすがしさと重々しさをたたえた音楽であったから学校の帰りにも聞き入ったものである。
松風の奏でる深みのある音、それは日本でも古くから愛好されてきた。(*)
(*)(このことについては、「いのちの水」誌二〇〇八年八月号に書いたが、その後に読み始めた方もかなりおられるので、ここにも部分的にも引用する。)
万葉集にも次のような歌が収められている。
一つ松 幾代か経ぬる 吹く風の 声の清めるは年深みかも── 市原王〔万葉集 巻六・1042〕
この和歌の作者は、松風のかなでる音楽に、深くて清いものを感じていた。
樹木は数知れないほどあるにもかかわらず、とくに幾百年を経た松の風に鳴る音には特別な清さがある。
今から八〇〇年ほど昔に書かれた「平家物語」にも次のようにある。
…今はなき清盛が造ったいろいろの建物を見ると、それらは、どれもこれもここ三年ほどの間に荒れ果てて、年を経た苔が道をふさぎ、咲き乱れる秋草が門を閉じるばかり。
瓦にははやくもシダが生えて、垣根には蔦が繁っている。
高い建物は傾き、苔むして、通うものはただ松風ばかりである。
また、宮殿のすだれも落ちて、射し入るものはただ、月の光だけである。…
(「平家物語」 巻第七より」)
垣根にツタが茂り、ただ松風ばかりが流れている。そしてそれを見つめている月の光があった。ここにはこの世の栄華がはかなく消えていく、それらすべて見つめてきた松が、吹きわたる風によって音楽を奏でて、変わらぬ月の光をいっそう浮かびあがらせているのである。
この情景は、次の歌にも深く影響を及ぼしているのがわかる。「荒城の月」である。この詩の三~四節をあげる。日本人ならこの歌はだれでも知っていると思われるほどに有名であるが、しかしそれはたいてい、一節の「春高楼の
花の宴 巡る盃 影さして」の部分である。この内容は、大人でもわかりにくいので、それを子供が歌っても何のことか意味不明であったであろう。
それに続くのは、「千代の松が枝(え) 分け出でし 昔の光 今いずこ」である。
松の古木の枝の間から注いでいた月の光がある。そうしたすべての面影はどこにいったのか。(すべては消えてしまった)
二節も同様で、武士たちの戦いのあともみな消え去ったことが内容となっている。
しかし、三~四節でこの作詞者が言おうとしていることがうかがえる。
3、いま荒城の夜半の月
変わらぬ光たがためぞ
垣に残るは唯かづら
松に歌うはただ嵐
4、天上影はかわらねど
栄枯は移る世の姿
うつさんとてか今もなお
ああ荒城の夜半の月
なお、4節の天上影は…にある影とは、古語で「光」を意味する。天上の光(月の光)は変わらない という意味。
すべては移り変わるはかないものであり、地上に残るのは、ただかづらの繁った姿、そして松風の音ばかり。しかし、変わらないものがある。それが天上の光である、月の光である。
作詞者である土井晩翆自身はキリスト者ではなかったが、彼の夫人が熱心なキリスト者であったことから、当然夫の晩翆もキリスト教、聖書の内容には親しかったと考えられる。
それゆえに、松風やツタの生い茂るさま、すべてが壊れなくなっていくはかなさは平家物語の内容を受け取っているが、平家物語になかった永遠性との対比を結論的な部分である三~四節で浮かびあがらせていると考えられる。
ダンテはその深い森へと進んでいく。
…ゆっくりと歩いたが、いつのまにか
太古の森林の奥深くへ入りこみ
林の入口のあたりはすでに見えなくなっていた。
するとそこに行く手をさえぎって清流がひとすじ
さざなみをたてて
岸辺に生えた草を右手へたなびかせて流れていた。
この流れに比べると、この世の水はいかに清らかな水でも
まだなにか混ぜ物が含まれているようなきがするが、
この水にはおよそ一点の曇りも見当たらなかった。(第28歌22~30)
この地上楽園においては、さきほど現れたいのちの象徴としての緑深い森、大地から香ってくる芳香、そして風の音、小鳥のさえずり、そして松林が風に鳴る崇高な響きのような森の木々の葉が奏でる音があった。それに加えてそこにはさらに、清い水が流れていた。
その川岸にはさまざまの花が咲き乱れていた。そこに、歌いつつ、花々を一つまた二つと手折りながら歩いてくる一人の女性が現れた。(以下次号)
命の水の川―現代の心の砂漠をうるおすもの
聖書の一貫して流れるメッセージは、この世の闇のなかに輝く「光」と「いのち」であり、命を支える「水」である。
それゆえ、聖書にはその冒頭から、光が記され、その第二章には、いのちをもたらす水の流れが記されている。
…地上にはまだ野の木も、野の草も生えていなかった。…しかし、水が地下から湧き出て、土の面をすべて潤した。
主なる神は、土で人を形づくり、命の息を吹き入れられた。主なる神は、東の方のエデンに園を設け、自ら形づくった人をそこに置かれた。
主なる神は、見るからに好ましく、食べるに良いものをもたらすあらゆる木を地に生えいでさせた。…
エデンから一つの川が流れ出ていた。園を潤し、そこで分かれて、四つの川となっていた。
第一の川の名はピションで、金を産出するハビラ地方全域を巡っていた。
第二の川の名はギホンで、クシュ地方全域を巡っていた。
第三の川の名はチグリスで、第四の川はユーフラテスであった。(創世記2の5~14より)
この創世記2章においては、エデンから流れ出る4つの川(*)が、全世界をその水でうるおしていたと言おうとしているのがわかる。
(*)古代においては、四という数は、全地方、世界を意味することがあった。黙示録においても、「大地の四隅に四人の天使が立つっているのを見た。彼らは、大地の四隅から吹く風をしっかり抑えて…」(黙示録7の1)とある。
このように、この一見神話的に見える記述が、実は、後にキリストによっていのちの水が全世界に流れていくということを暗示し、預言するものとなっている。
このように、聖書は旧約聖書の冒頭からすでに、人間の永遠の課題である、光といのちを指し示す内容を記しているのは、まさに啓示により、聖霊によって導かれて書かれたものだからである。
しかし、このようないのちの水によってうるおされる状態は、最初から人間には与えられなかった。それは、アダムとエバの記述にあるように、神の言葉に背いてしまったから、言いかえると罪を犯してしまったからである。
神の愛と真実に背を向けるならよいことは何も期待できないのは当然のことになる。神とはこの世の人間がもっている愛や力、真実などと比べものにならない、完全なよきものをもっておられるのであり、それに逆らうならば、そうしたよきものが自分からなくなってしまうのは当然のことになる。
はるか昔から、このように、人間の心は光を受け、いのちの水でうるおされる、というのが本来の姿なのだと言われているのである。
このあとの長い時代においても、人は魂にうるおいの与えられる道を知らされていたのに、それを敬うことなくかえって踏みつけてしまい、長い歴史にそこからくるさばきが数多く記されることになった。
しかし、旧約聖書では、罪深い人間たちの混乱や滅びのただなかにあっても、つねにそこからの解放と解放された魂には何が約束されているか、ということが繰り返し書かれている。
水にうるおされる状態、それこそは人間のあるべき姿である。それは次のように、旧約聖書のハートとも言われる詩篇全体の主題にもなっている。
人間そのものをうるおすのは、神の言葉である。神の言葉を愛し、喜ぶときには、魂がうるおされる。
…いかに幸いなことか、主の教えを愛し、その教えを昼も夜も口ずさむ人。
その人は流れのほとりに植えられた木。
ときが巡り来れば実を結び、葉もしおれることがない。(詩篇1の1~3より)
神の言葉とは、愛なる神のお心から出るものであるゆえに、神の言葉もまた愛である。
そこから、人をうるおすもの、それは、愛であるということがいえる。
どんな人でも、だれかから愛されていることを知れば、何か心地よいものを感じるが、誰かから憎まれたり、無視されたり、見下されたりするときには、不快な感情が生じるであろう。
人の心をうるおすものは、愛だ、ということは、言葉で表現できなくとも、小さな子供や動物すら愛には反応することからもうかがえる。植物すら育てる人の愛が注がれるときには、よく育つといえるだろう。
愛は霊的なもの、目には見えないものだから数えることができない。数量化できない。教育がどんなにすすんでも、科学技術がいかに進展しても、またこの世の学問が進んでも愛はふやすことができない。
かえって、教育が進んで、昔に比べると圧倒的な時間を教育を受ける時間としているが、愛はまったく子供たちの心に増大していることはないばかりか、むしろ昔よりも互いの関係が疎遠になっていることもうかがえる。
また、人間関係においても、昔はとなりだけでなくかなり広範囲に関わりがあったが、現在ではとなりの人さえどんな人か分からないということが多くなっている。
このように見てくると、心をうるおす愛は、教育によっても、経済的な豊かさによっても、また社会的な制度によってももたらされないのが分る。
貧しい人が、すぐにもらったわずかの食物を家に持ち帰って家族と分け合っているのを見たということ、また知人から、東南アジアに行っていたとき、食べ物の一部を投げ込んだら、すぐに海に飛び込んでそれを得て、廻りのものとともに分け合ったというのを聞いたことがあった。
テレビやパソコン、自動車、快適な住家、そのようなものもまた、愛をふやすことはできない。
戦争は愛と正反対の憎しみが国家的に、大規模に増殖したものである。それゆえに戦争を廃絶するということは、人類の永遠の課題である。
しかし、戦争がなくなっても、愛は増大しないのは、日本の現状を見ても分る。日本はもう六十五年ほども戦争をしてこなかった。しかし、それでも愛は増えてはいかない。
いや、愛はあるではないか、親子愛、男女の愛、友人同士の愛は、現在でもたくさんあるではないかと、いう人がいるかもしれない。
しかし、そうしただれでもよく知っている愛は致命的な欠点を持つ。
それは、そうした愛は、特定の人にしか及ばないということ、しかも何かの誤解とか、当事者のいずれかが裏切ったり、罪を犯すとたちまち消失し、あるいは憎しみにまで変容してしまうということである。
それゆえに、スイスのキリスト教思想家ヒルティはこうした自然の人間が持つ愛を「愛の影」でしかないと言っている。
もっとも激しい愛だと思われる男女の愛は、映画、小説、ドラマなどのテーマにたえず取り上げられる、それらの内容は罪深いものが圧倒的に多い。
そしてそのような間違った愛は、毎年何十万件というおびただしい妊娠中絶を生み出し、あらたな生命を抹殺してきた。
このように、自然のままの人間が持つ「愛の影」は、真によきものを永続的に生み出すことができない。
このようにどんな方法をもってしても増大させることのできない愛を地上にもたらそうとして来られたのが主イエスであった。
真のうるおいをもたらすことがキリストの使命なのであった。
悔い改めよ、神の国は近づいた。この簡潔なメッセージがキリストの福音である。悔い改めるとは、あらゆる人間的なものから真実で清い存在、しかも永遠の存在である神に魂の方向を転換せよということである。神の国は近づいてそこにある、神の国とは神のよき王としての御支配である。その御支配のうちにこそ、愛があり、正義があり真実がある。
すでにアリストテレスも指摘しているように(*)、正義があってもなお足りない、友愛があってはじめて全うされる。
(*)正義の人々が友愛(フィリア philia)を持っているなら、まったく正義を必要としない。 しかし、たとえ正義の人であっても、なお、愛を必要とする。
まことに、正義の最も高い姿は、愛をその内に有しているものなのである。
(アリストテレス著 「ニコマコス倫理学」第八巻第一章25~30 河出書房版 世界の大思想Ⅱ167頁)
なお、アリストテレス( BC384~322)は、 ソクラテス、プラトンなどとともに西洋哲学で最も影響力の大きかった哲学者。晩学の祖と言われる。
この神の国にあるものすべて、神の国そのものがキリストであるということができる。
そしてそのキリストの愛、神の愛とは、人間の魂の最も深いところに触れるものであるが、あらゆる教育や科学技術、医療がどうすることもできない領域である。
愛なきこと、そこからあらゆる人間の問題が生じている。
そのことを罪といっている。その心の問題の解決に来てくださったのがキリストである。だれも触れることもできず、いかなる経験も、学問も医療もどうすることもできない一人一人の魂の奥深い問題、そこにメスを入れて汚れたものをえぐりだして、捨て、清めるということこそ、人間の根本問題の解決なのである。
それこそ、キリストが来て成就した。
川が流れるように、神からの愛は流れて行ってうるおす。
キリストの愛によってこの世はうるおされてきた。
例えば、生まれつきの盲人がいかにひどい目に会わされてきたか、まさに盲人であることはあらゆる心のうるおいを奪われることであった。
あるいは、ハンセン病の人たちも、世間から隔離され肉親からも邪魔者扱いされ、周囲の人たちに会うこともできず、家にいるのに、遠いところへ行ったと周囲の人たちには嘘を言って、ハンセン病の人たちの存在はこの世からいないものだとされてしまう状態であった。
このような恐ろしい差別と圧迫、そして孤独、そしてこの悲しむべき運命を変えるものは何一つなかった。そうした渇ききった魂に潤いを与えるもの、それがキリストであった。
旧約聖書に現れるエゼキエルという預言者は、日本人にはほとんどなじみがない。
今から二千五百年以上も昔の預言者である。
新聞とかTVなどで取り上げられるということはまったくといってよいほどない。キリスト者においても、エゼキエル書のことはほとんど知らないという人が多数を占めているだろう。
しかし、そのエゼキエルは、神の霊こそが、決定的だということを強調した預言者なのである。死した大量の骨のごときものになっていても、なお神の霊がそこに吹きつけるときには、それらがよみがえるという啓示をそのエゼキエル書の三十七章で述べている。
そこに徹底的に枯れてしまった骨が大量にある場面が現れる。 ただ骨というだけでも、死んだものであり枯れたものであるのに、ここではとくにそれが強調されている。それほどに回復不可能と見える状態にあるにもかかわらず、そこに神の風(息、霊)が吹き込まれるときには、それは生き返ったという驚くべきことが記されている。
それは枯れはてていたものが、命でうるおうようになったということである。
このように、キリストよりも500年以上も昔に、人間の枯れた状態、死して命のない状態を生かすのは、人間の努力とかお金、政治等々ではないこと、ただ神の霊によることが記されている。
また、同じ旧約聖書の詩篇の中にも、 ここにも、憩いのみぎわに導いてくださる主、すなわち魂に新しいいのちを与え、うるおいを与えてくださる主の姿がある。
…主はわたしの牧者、わたしには乏しいことがない。
主はわたしを緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われる。
主はわたしの魂をいきかえらせ、み名のためにわたしを正しい道に導かれる。(詩篇23篇より)
主が私の牧者である、すなわち導き手となってくださり、目には見えないよき賜物を与えてくださるゆえに、魂が満たされ、乏しいことがない、といえる。そしてその満たされた状態こそ、静かな水際(みぎわ)にある状態であり、そこで魂がリフレッシュされる。
この有名な詩は、それが無数の人たちにとっての魂の経験をあらわしたものであり、この世の渇ききった荒れ地、砂漠的なところから、しずかな水の流れへと導いてくださる神の愛の実感がある。
旧約聖書の代表的な預言書であるイザヤ書においても、彼が受けた啓示には、水によってうるおされる状況が次のように詩的表現によって記されている。
…荒れ野よ、荒れ地よ、
喜び躍れ、
砂漠よ、喜び、花を咲かせよ、 野ばらの花を一面に咲かせよ。…
そのとき歩けなかった人が鹿のように躍り上がる。
口の利けなかった人が喜び歌う。
荒れ野に水が湧きいで、
荒れ地に川が流れる。
(イザヤ書 35の1、6)
…見よ、わたしは新しい事をなす。やがてそれは起る、あなたがたはそれを知らないのか。
わたしは荒野に道を設け、
さばくに川を流れさせる。(同 43の19)
イザヤ書に含まれる預言の時代は、大国のアッシリアが攻撃してきて北のイスラエル王国は滅びようとしていた状況にあり、さらに、イザヤ書の後半部分はバビロン捕囚からの解放のころだとされている。
その双方にこうした荒野に流れる川というメッセージがある。 国家の動乱期、民が大いなる混乱と動揺のなかにあるとき、この預言者は、一人神と向かい合い、はるかな未来に通じる深遠な内容をもった神の言葉を受けたのであった。
心がうるおされる、その状態は言いかえると、魂の平安、平和をもっている状態である。これは、しかし、普通に言われる平和とか心の安らぎというのとは異なる。だれでも、キリスト教信仰とかに関わりなく、心を平静に保っている人は多くいる。
しかし、その平和がどれほど強固であるかという点において、それが神からくる平安か、それとも人間的なものかが分けられる。普通の人がもっている心の平静、平安というものは、自分を非難するひと言によっても破られる。また、人から誤解されたり、中傷されたり、また自分がしたことを評価してもらえなかったりしてもたちまち失われる。
聖書に約束している心の平和とは、一時的に動揺することはあっても、じきに元の平安に戻ることができる、さらにその平安の度合いが深いときには、自分への攻撃がはげしく、命が危ないようなときですらも、平安を保つことができるということである。
…イエスは再び言われた。「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。(ヨハネ 8の12)
この主イエスの言葉は、イエスご自身が、まさに創世記にある最も重要なもの、闇に輝く光と、命を与える水そのものであることを意味している。
…しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。
わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」(ヨハネ 4の14)
このような完全な平安、平和をキリストはもっておられた。このことは、湖において嵐が吹きすさび、船が転覆しそうになって弟子たちが動転していたにもかかわらず、キリストは眠っておられたという記述にも現れている。
そして、弟子たちが「溺れて死にそうだ!」という必死の叫びによって目覚めたイエスは、風や海をそのお言葉によって静めたと記されている。イエスの言葉には絶大な力があること、そして人間とその世界にはこうした絶え間なき動乱、嵐、混乱があるが、イエスはただ一人完全な平安を保っておられるという象徴的な出来事である。
最初の殉教者であったステパノも、周囲の人たちからの憎しみに満ちた攻撃で石で打ち倒されてしまうときですら、平安を保つことができ、そこに天が開けて神とキリストがおられるのが見えた。
そして、周囲の荒れ狂う人たちのために祈って息を引き取った。
ここにこの世の平安とは本質的に異なる岩のような平安の世界があるのを知らされる。
こうした平安(平和)を、神からくる平和であるので、主の平和と言われる。これは、主イエスが、最後の夕食のときに語った言葉である。
「私は平和をあなた方に残し、私の平和を与える。
私はこれを、世が与えるように与えるのではない。
私は去っていくが、また、あなた方のところに戻ってくると言ったのをあなた方は聞いた。」 (ヨハネ14の27~28)
戻ってくる、それは聖なる霊となって弟子たちのところに来るということである。
この主の平和が与えられるという約束を告げる直前に、聖なる霊が与えられるという約束が繰り返し強調されている。
主の平和は、聖霊と深く結びついているゆえにこの二つが並べて言われているのである。
このように、魂に水がながれること、荒れた地、砂漠のような心に流れるものは聖霊であり、目に見えないいのちの水なのである。
このことをヨハネが実際に体験し、それによって日々満たされ、さらに導かれてきたゆえに、その福音書ではとくに強調されているのであろう。
そして聖書の最後の書である黙示録にも、ふたたび、いのちの水の祝福が現れる。
私たちがさまざまのこの世の悪の力から解放され、罪の赦しを主イエスから受けるとき、その魂の状態は、あらゆる悲しみはぬぐわれ、詩篇23にあったように、水のほとりへと導かれる。
… 玉座の中央におられる小羊が彼らの牧者となり、命の水の泉へ導き、
神が彼らの目から涙をことごとくぬぐわれるからである。 (黙示録 7の17)
…また、わたしに言われた。「事は成就した。わたしはアルファであり、オメガである。初めであり、終わりである。
渇いている者には、命の泉から価なしに飲ませよう。」
(黙示録 21の6 )
…天使はまた、神と小羊の玉座から流れ出て、水晶のように輝く命の水の川をわたしに見せた。
川は、都の大通りの中央を流れ、その両岸には命の木があって、年に十二回実を結び、毎月実をみのらせる。
(黙示録 22の1~2)
編集だより
来信より
○大阪の全国集会に参加した方の感想より
…本当に困っている人、死にたいと思っている人にとっては沖縄問題も貧困問題も関係なく、その人を救えるのは身代りとなって下さったイエス様以外にいないと思います。
あの全国集会ではキリスト教を知らない人にはイエス様は伝わらないでしょう。
伝道というより、信徒の交わりという意味が大きいと思いますが、でもキリスト教の集会でありながら、あまりにも福音が少ないです。キリスト教は「神様が私達の為に何をしてくださったのか?」を伝える事が伝道であり、それを賛美することが信仰だと思います。主人公は神です。
「私たち救われた者が社会問題に対してどう関わって行くか?」がキリスト教ではありません、これでは主人公は人間になります。
私達、神の民として神様を礼拝し、キリストの御国を述べ伝えるという大切な使命を与えられていますが、でも、私達はこの世の政治や経済でも神様の祝福が現実に具体的に現れてくるよう祈っていく事、そしてその為に奉仕していく事の責任も与えられています。
私達も神様任せでなく、キリストの僕としてこの世の中で奉仕していく、仕えて行く、大切な使命が与えられています。
でも、やっぱり、あの全国集会は福音が少ない。一人一人はとても素晴らしいお話でしたが、イエス・キリストが伝わる事が少なかったと思います。
(関西の方)
・大阪での無教会全国集会に参加して、多くの方々との出会い、また、いろいろな方々の発題から学ぶことも多かったのです。
その運営のためになされた多大の御愛労に感謝しています。
しかし、そこでは残念なことにここにあげた方も指摘しているように、あまりにも社会問題に偏重した内容であり、福音が告げられることが少なかったと感じました。
冒頭の主題講演、それは「I have a dream. イユコンチョーラニ 基地コンチョーラニ」というような福音とは関係のないしかも英語や沖縄の方言が主題として掲げられていました。 人はまずそのタイトルを見て、それに参加しようかどうかを決めることも多いのです。
このようなタイトルでは、いま苦しみに打ち倒されようとしている人、この世の闇にあって苦闘している人が、参加しようという気持ちを起こさせるでしょうか。
そして内容は今回の大阪大会が、「福音に生かされて」という主題であったにもかかわらず、沖縄問題ばかりであって、まったくといってよいほど福音が語られなかったのでした。
また、7名による発題は、平和への実践、裁判員裁判、貧困問題、日韓問題、集会の高齢化、若い世代に福音を伝える、無教会の問題等々。 それにしたがって分科会での話し合いがなされました。
そして1日目の夜には、2時間を費やして沖縄問題が語られました。
これを見てもわかりますが、社会問題研究会といった様相を呈していたわけです。
福音そのもの、膨大な内容を含む聖書からの力あるメッセージそのものが語られず、大部分が○○についての問題というものであったのです。
○○問題というのをいくら議論しても研究しても魂の救いは与えられず、悪に立ち向かう霊的な力は出てこないのです。
救いは聖書の言葉、神の言葉を単純に信じることによって与えられ、さらに聖霊の注ぎによってその救いが確立されるからです。
「あなたがたが聖霊を受けたのは、あなたがたが律法を行ったからか、それとも、あなたがたが福音を聞いて信じたからなのか。」(ガラテヤ書3の5)とパウロが鋭く問いかけているのは、今日の私たちにも同様です。
救いは、そして聖霊は、研究や討議、議論からくるのか、それとも、福音を信じたからなのか、と。
社会問題は、私たちがいつもその現状について知っておかねばならいことです。
しかし、人間の魂の救いは、いかに社会問題を議論し、研究したところでまったくなされないのです。
いかに社会が混乱しようとも、闇であろうとも、あるいは経済的に豊かであろうとそうしたことに関わりなく、そこに魂の救いの光、その闇に打ち倒されない力を与えるのは、神への信仰、主イエスによる罪の赦しにより、神の愛を知ること以外にはないからです。
それは、個人においても、健康であると病気であるにかかわらず、その人の救いはあくまで、主イエスの復活の力と、十字架の救いによる他はないのと同様です。
すでに救われた者が、そこから各自が社会のそれぞれのところで、働く。そうした働きを証しし、経験を分かち合い、互いに学び、議論することは重要です。
しかし、こうしたキリスト教の集会は、全国の集会に呼びかけられているものであり、そこには苦しみにある人、まだ信仰の十分でない方、未信仰の人も含まれるわけです。
それゆえに、最重要なのは、まず福音を、自らが救われたその確信をもって伝えることであるはずです。
この日本であまりにも欠けているのは社会問題に関する議論や知識でなく、福音そのものなのですから。
まばたきの詩人コンサート
10月24日(日)午後二時から、徳島聖書キリスト集会場において、水野源三の詩にたくさんの曲を作曲された阪井和夫さんと、浜田 盟子さんによるまばたきの詩人コンサートが行われました。
水野源三は、幼いときから、病気のために全身が動かなくなったうえに、言葉も発することができず苦しみと絶望にあったときキリストを知らされ、まったくその生活が変えられて、まばたきで合図をして、母親がそれを書き取るというかたちで、たくさんの詩を作った人です。
神は、そうした特別な苦難を通し、そこから流れるように清い詩を作らせたのだとわかります。
阪井和夫さんは全盲ではりの仕事をしながら、浜田さん、ときには他の歌手などと共に全国のさまざまの地でこのようなコンサートをされています。
徳島での私たちの集会の主催のコンサートとしてはこれで三度目です。前回は、一九九三年でしたから、一七年ぶりのことでした。
以前のコンサートは、キリスト教センターという超教派の会館(賀川豊彦を導いたローガン記念館としてたてられたもの)で行われましたが、今回は、徳島聖書キリスト集会場での開催でした。
私たちの集会場は、三月に福音歌手の森祐理さんが来て証しをされ、賛美も歌って下さいましたが、和室で小さなイスですきまもあまり取れないような状態でぎっしり集まったというので、森祐理さんも驚かれていました。
今回も、同様でおよそ七〇人近い人が集まったので、部屋一杯となりましたが、広い公共の会場でなく、狭い和室であったので、いっそうその歌や演奏が生のかたちで伝わり、心に響いてきたと感じました。
水野源三のことはキリスト者には広く知られていますが、今回は初めてその人のことを知ったという方も参加され、集会場付近に配布した数百枚の案内のチラシを見た女性が、その母親を伴って参加されたという例もありました。
また長い間、集会に参加したことのなかった方々も何人か加わり、中には今回、14年ぶりに集会場に参加してとてもよかったと言われた人もあり、こうした特別集会には多くの人の祈りが重ねられることもあって、主が特別に祝福を与えてくださることも感じたことです。
私も水野源三のことはその詩集は第一詩集からすべて持っていたし、その他の関連した書物も目を通していて、よく知っていましたが、今回のコンサートによってその詩が適切なメロディーと歌によってよりいっそう立体的に迫ってくるものを感じました。
そしてその身動きできないで何十年も過ごし、言葉も発することのできない水野源三が、今も実に雄弁に語り続けていることの不思議、そしてそれをなさしめておられる生ける主のはたらきにあらためて感謝したことでした。
お知らせ
○クリスマス集会
今年の徳島聖書キリスト集会のクリスマスの特別集会は、12月19日(日)午前10時~午後2時です。
・講師 今回のクリスマス集会には、遠い福島県から吉原賢二氏が来てくださってお話しをして下さいます。
演題は、「クリスマスの証しー天上の音楽」です。
講師は、東北大学名誉教授(専門は化学)、いのちの尊厳を考える会会長。前予防接種リサーチセンター理事。
私は、吉原さんが「祈の友」に加わっておられるので、祈の友として覚えていましたが、今から15年以上前に「祈の友」主幹の稲場 満さんから吉原さんの著書「歴史を貫くもの」を送っていただいたときが最初の出会いでした。
○前月号で写真とともにお知らせした、画家の岡田 利彦氏の「黎明」という絵の申込がいろいろな方々からありました。
あの絵は私たちの集会に贈呈されたものでしたが、あのように、写真にすると原画のよさはかなり失われますが、それでも、私たちの集会だけに置いておくよりずっと多くの方々の目に触れ、心に触れて何かを与えてくださるのを感じます。希望の方は前月号を参照して申込下さい。
○阪神での集会
十二月、吉村孝雄が阪神の集会での聖書講話の予定です。
十二月十二日(日)、午前十時から、神戸の元町駅近くの私学会館にて。
・高槻での集会…右と同日の午後二時から、那須宅にて。問い合わせは左記の吉村まで。